三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

明治初年、洋風建築と日本伝統技術

2015年06月14日 05時25分42秒 | Weblog


先週の土曜日、北海道南部・上ノ国の中世遺跡を見学に行った折、
ついでに見学して来た江差の「旧檜山爾志郡役所」であります。
旧知の設計者・小室雅伸さんが以前に修復に当たっての設計を担当された。
HPでの紹介を見ると以下の通り。

「旧檜山爾志郡役所」は、北海道庁の出先機関である郡役所と警察署の業務を
執り行なう建物として、明治20年(1887)に建てられました。
 その後、檜山支庁と江差警察署の合同庁舎、江差警察署の単独庁舎、
江差町役場の分庁舎などに使用され、明治・大正・昭和・平成の
江差を見続けてきました。
またその間には、建物にさまざまな手が加えられてきました。
 1992年(平成4年)には、道内でただひとつ現存する郡役所として、
道指定有形文化財の指定を受け、江差町では、
1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけて、
創建当時の姿に復すべく保存修理を行いました。
 現在は、明治時代の貴重な建物をご覧いただくとともに、
江差町郷土資料館としても活用をしています。

ということであります。
明治初年の北海道は、「洋風建築」の実験場のような雰囲気だったのでしょう。
文明開化の気風が全国に満ちあふれる中、その最先端地域として
北海道開拓という国家意志の元、そのパビリオンとして、
各地に洋風建築がさかんに建てられたのです。
そう考えると、現代の北海道の住宅技術やあらたな「文化」は、
そうした先人たちの苦闘から紡ぎ出された「宝物」であるのかも知れません。
わたしたち北海道人は、この大いなる「遺産」を伝えていく使命がある。

なんですが、とにかく興味を持ち、興奮させられたのが、
冒頭写真の「壁紙」であります。
現場調査にこられた小室さんたちが、残っていた壁紙を見て
その精緻なデザイン、技法に深く胸を打たれ、
その製造元の後裔企業である、京都本社の「川島織物」さんと連絡を取り合って
明治初年当時の壁紙を再現させたものだそうです。
というか、明治の初めに洋風建築を建てようとして、
その重要部材の壁紙が、さっそく京都にある日本の伝統技術工房で
作ることができたと言うことの方が、日本建築文化の輝かしさを教えてくれる。
なぜ、可能だったのかは明らかで、
伝統的な「襖工芸」技術としての和紙生産、そのデザイン技術が
工房集団として、京都には積層していたということです。
欧米の様式に似合うデザインで、しかし、日本的なアレンジも施して
こうした工芸芸術品のような壁紙を生産できた。
その明治の時代が持つ、ニッポンの輝かしさに脱帽する思い。
ものづくりへの強いこだわりをそこに見ることができる。
次の時代にも、誇りを持って伝えていく必要がありますね。



そんな貴重な追体験をさせていただき、
お腹が減って(笑)、これもまだ若い伝統食・にしんそばを
江差の旧家を利用したお店で食べさせていただいてきました(笑)。
シンプルでしかも美味。さわやかさがカラダのなかを吹き渡っていきました。







コメント
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