長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくり世界史 第5回『若さハツラツぅ?ローマ王国』

2010年09月13日 01時42分01秒 | ざっくり世界史
 こんばんは! そうだいです。いやぁ、今日もやったねぇ、舞台本番。お客さんは盛況だったし、ずいぶんと楽しんでいただけていたようで良かった良かった! いよいよ明日が公演最終日です。いままでの回よりももっといい回になるように、明日もやったるでぇ!
 今日は時間に余裕があったので、久しぶりに映画館に行って、公開中の『東京島』(監督・篠崎誠 主演・木村多江)を観てきました。これはねぇ……なかなかいい作品でした。ものすごくおもしろかった!とか感動した!という感じではなかったのですが、観ていていろんなことがグルグル頭の中を駆けめぐって、とても刺激のある映画でしたね。自分としてはやっぱり、ストーリー展開が特に気になったのかしら……桐野夏生さんの原作がたまんなく読みたくなりましたね! ストーリー以外にも役者とかスタッフワークとか気になる点のやたら多い映画だったので、また改めて検証する回をもうけてみたいと思います。私のように原作をまだ読んでいない方は、あらすじやパンフレットなどからの前情報は一切頭に入れないで観ていただきたい! けっこうぶっ飛んだ展開ですから。同じ回を観ていた知らないカップルのうちの彼女さんの方は、「なに~、この映画~?」と連呼していました。まぁ……そんな映画だわ。

 さてさて、今日も一発行ってみようか、悠久のヨーロッパ史へターイムスリーップ!
 紀元前753年、19歳の若き国王ロムルスをいただいた新王国が、イタリア中西部の七つの丘に形づくられた土地に誕生した。その名はローマ!!

 ってことなんですが、できたてローマ王国の特徴はズバリ! 男子校かと見まごうばかりの若さと男臭さだったのです。
 もともとはロムルスのあだ討ちに参加した、古いアルバ・ロンガ王国の体制に不満を持っていた人々が集結してできた国家です。しかも、ロムルスは国家を経営するにあたって「武力」というものを重要視していました。ロムルスは建国するにあたって、約2000人のローマ王国兵を編成しました。たった1つ、ローマという町しか支配していなかった人口3000人ほどの王国にしては異常な兵の多さです。それだけ若い男が多かったということなんでしょうが、この状況は同時に、王国の危機ともいえる大きな問題をはらんでいたのです。
 それは……女の子がほし~いっ!! という切実なものでした。
 当時、町1つという規模の都市国家が乱立するイタリア半島中部にあって、人口の多さはそのまま国家の強さに直結する重要なファクターでした。
 いくら強い兵士がいたとしても、人口が増えないのでは我がローマ王国に未来はないっ!
 若き王ロムルスは、王国発足直後に大ばくちとも言える大作戦を仕掛けてしまいます。
 なんと隣町の国に、「うちで祭をやりたいんですが、踊り手の女子がいないんです。年齢は問わないんで、そちらの女性のみなさまにヘルプで来てもらえないでしょうか?」ともちかけ、踊りに来た女性を既婚・未婚を問わず全員自分達の嫁にしてしまうという暴挙に走ったのです。男子中学生の妄想か!?
 さらった女性達には紳士的に接したらしいのですが結局、隣町の国とはあったりまえのように戦争となりました……でも、ローマ王国は勝っちゃった。まぁ、若いですから。
 これは極端な例なのですが、とにかくローマ王国は「強く大きい国になる!」という信念を強く持った国家でした。さまざまな点で型破りだったのです。
 まず、なんと国王は選挙制! 王国の中で財産がある、親族が多いなどといった有力な人物は終身制で貴族(パトリキ)に選ばれ、その貴族が100名集まった元老院(セナトゥス)での選挙により、その時もっとも人望のある人物が国王に選ばれる(任期は死ぬまで)という制度が採用されたのです。つまり、国の最高権力者はあくまで国王ですが、元老院の貴族達も相当に重要な権力を握る、ということになります。
 これは、国王の子がどんなダメ人間であれ次の国王になる、というまわりの都市国家とはまったく違ったやりかたでした。要するに、常にもっとも能力の高い国王がい続けるということにより、王国が内部崩壊を起こす可能性を下げるというものだったのです。うーん実用的。紆余曲折はあるのですが、この「元老院制度」は、実に15世紀まで続けられていくことになります。2000年以上も残っていくのよ、奥さん! スゲくね?
 しかもこの制度に参加できる人間は、財力や政治力さえあるのならば、どこ出身だろうが誰でもOKという、当時としては驚くべき特徴がありました。
 しつこいようですが、当時は町単位の大きさの国が当たり前の時代でした。つまり、「その町の人間」しか「その国の政治」には参加できないというのが常識だったのです。
 その中にあって、「ローマ市民だけじゃない! よそ者だろうが、昨日まで敵だった国の者だろうが、実力さえあるんだったらすぐに政治に参加できるし、ひょっとしたら王様になれるかも知れないんだゼ!」というキャッチフレーズは、ローマ王国にまわりの地域の人々が集まってくる強力な求心力となりうるものでした。
 同時に、ローマ王国は常に軍事力の増強もおこたらず、じょじょにではあるのですが、隣町を征服したら次はまた別の隣町と、戦争に勝利していくことによって国土を拡大していきます。しかも、征服した国の有力者のうちの幾人かは必ずローマ王国の元老院に迎えるという、小にくたらしいまでのアメとムチ。とにかくローマ王国は、征服した者達を征服するだけにとどめず、利用できる部分は自分の肉体に吸収するという柔軟性をもってのぞんでいたのです。これはのちのちのヨーロッパ帝国を考える上でも欠かすことのできない「伝統」の1つだと言えるかと思います。
 まぁそんなこんなで、若きロムルス王の創り出したローマ王国は、人口の増加と戦争という2つの車輪をガラガラと回転させることによって、イタリア半島中西部で拡大していくこととなったのでした。さぁ、そんなローマ王国の行く末やいかに? 次回、第1部最終回!

 ……ということで、やっぱりローマ帝国までは行けなさそうです……いいんだいいんだ! はしょってスピードを速めたって意味ないもーん! いつかやれたらいいんだよ。それまで死なないようにがんばるぞ!
 
 
コメント
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