長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

高橋愛さん本当にお疲れさまでした&『ぬらりひょんの孫』だけしめます

2011年09月30日 13時46分52秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
 日本武道館は、夢のようなところでございました……

 どうもこんにちは、そうだいでございます~。
 いやぁー、疲れた!! 『モーニング娘。コンサートツアー2011秋 愛 BELIEVE』東京・日本武道館公演。
 生まれて初めてのコンサート観覧、初心者は初心者なりにぞんっぶんに楽しませていただきました。

 いやはや、アイドルコンサート。こんなに全身を使う行事だったとは……両手両足、首に横隔膜、すべてを投入して2時間半。ずーっと汗ダーダーでした。田中れいなさんモデルのタオルを買っておいて本当に良かった……ハンカチでは足りない量でちゃったよ。
 とにかくぐったりしてしまったので家に帰ったらすぐに快眠できるかと思ったのですが、も~う目が冴えて冴えて。そうとう久しぶりに「全身が目覚めてしまった!」という感覚になりました。
 今のところ筋肉痛はないのですが、オッサンだから明日以降くるんだろうな~。

 さすがは日本一のアイドルグループ・モーニング娘。! すばらしいステージ。あっという間の2時間半。
 もちろん、偉大なる歴代最長の在籍期間「10年と2ヶ月」のメンバーにしてエースにしてリーダーの高橋さんの卒業がメインにすえられている公演ではあったのですが、そのあとを休む間もなく引き継いでいく同期の新垣里沙サブリーダーをはじめとする現役メンバーたち、そして前半につんく♂プロデューサーの登場とともに満を持して発表された最新「第10期」メンバーの発表もあったりして、しんみりしてばっかりもいられない盛り上がりっぱなしのお祭りを堪能いたしました。
 とはいえ、ステージ上で「第5期メンバー」としての高橋さんと新垣さんが、過去と現在とをつなぐ演出をまじえて熱唱した名曲『好きな先輩』には涙が止まりませんでした。10年間トップアイドルであり続けることの奇跡! しみじみ感動。

 1万人がひしめきあう日本武道館は、外でグッズを買ったり開場を待ったり、中に入ってドキドキしながら彼女たちがステージに飛び出してくるのを待つ。それだけでもう来た甲斐の充分ある一大イベントでした。老若男女、国籍のいかんを問わず九段下に結集したファンのエネルギーは本当に熱かった……
 グッズ購入のために1時間ほど並んでいて、私の前に退屈しのぎに日本経済新聞を読んでいるサラリーマンと漢文の参考書を読んでいる高校生がいっしょに並んでいるのを見た時は、なぜか感動してしまいました。うしろにはフランス人の3人組がいたし。

 私は「日本武道館2階席(アリーナも含めるとステージからは3階席に見える)の南の真ん中あたり」という座席で、北側に設置されたステージの真正面で素敵なひとときを楽しむことができました。
 やっぱり、日本一のアイドルとは言っても、みなさんほんとに体格は普通の小柄な女の子なのに、時間いっぱいにほぼ休みなく歌はうたうしダンスは踊るしMCでは笑いをとるし……プロなのねぇ。

 あと私としましては、メンバーの光井愛佳さんが骨折のために出演されていないのが残念でしょうがなかったのですが、グループに穴があいていることをまったく感じさせない8名編成でのパート割りや振り付けになっていたのには本当に感心してしまいました。いや、そりゃあプロの仕事なんですから事故に対応するのは当たり前なんでしょうけど、なんせコンサート初体験なもんで「うまいもんだなぁ~!」と思ったんですよ。

 初体験といえば、私はもう何から何まで初体験で、とりあえず買った「サイリューム」の点灯のさせ方を知らないという素人っぷり! つけかたを教えてくださった右隣のジャージ姿のおたくのお兄さん、本当にありがとうございました。
 右隣はそんなおたくの方だったんですが、左隣に座ったのがしゅっとしたOLさんっぽい美女でねぇ。おしゃれなスーツ姿でいらっしゃったので「あんまりはしゃがないほうがいいかな?」と思っていたら、そんな彼女が上着を脱いだらすでに新垣さんのオリジナルTシャツを着ていて、てきぱきと新垣さんリストバンドをつけて新垣さんカラーのグリーンのサイリュームを両手に持って、首を左右にふってコキコキと鳴らし肩を回しながらコンサート開演を待ち受けていたのにはビックラこきました。開演中のフィーバーっぷりはおおいに横目で参考にさせていただきましたよ。ステキ……

 思ったよりもファンのみなさんは過激じゃなかった! 女性が全体の3割くらいいたのもちょっと驚きました。カップルは0.5割ぐらいかな。みなさん開演前と終演後は節度を守る紳士淑女の方々ばかりで、コンサート中は思いっきりハメをはずしておられました。
 まさに「10年間応援してきた高橋さんを全身全霊で謹んで送り出す。」といった気迫に満ちていました。

 私が行った昨日の武道館公演は2日間のスケジュールのうちの初日なので、高橋さんのモーニング娘。リーダーとしての本当のラストコンサートは今日! 今は9月30日の午後2時ごろなので、おそらく日本武道館はすでに昨日にも増して多くのファンがつどい、思い思いのメンバーTシャツに着替えていることでしょう。
 すばらしいラストステージになるといいねぇ。

 ただ、モーニング娘。も卒業する高橋愛さんも、どちらもこの日本武道館コンサートが終わったら消えてなくなるというわけなんじゃあもちろんありません。高橋さんにしろ初お目見えした第10期にしろ、どのメンバーにも「次」へと進んでいくエネルギーが満ち満ちていたのは良かったなぁ~。
 高橋さんの、去り際にステージそでで深々と頭を下げたファンへの一礼は忘れられないねぇ。
 今まで本当にお疲れさまでした。そして、これからも「美声」と「流し目」を武器に歌手に女優に活躍していただきたいと!!

 心の底から、行って良かった「モーニング娘。コンサート」。
 はっきり言って、もはや「特に誰が好き!」とかいう意識はさほど湧かないオッサンと化しているわたくしなのですが、モーニング娘。というアイドルグループはこれからも応援し続けよう、と固く心に誓ったのでした。

 でも、疲れた……しばらくはコンサートはいいや。今回ほど「毎月15キロくらい歩くバカな習慣」をやってて良かったと思ったことはなかったよ。なんの運動もせずに急にコンサートに行ったら死んでたかもしれんわ。
 本編終了からアンコール開始までの「愛ちゃん」コールは5分くらいだったでしょうか。私、「メンバーには着替えの時間がある。」って常識も知らなかったんで、ファンのみなさんが席に座って休んだりしていた間にも、タイミングがわからなかったのでまるまる5分間ず~っと立ちつくして、

「あーいーちゃん!! あーいーちゃん!!」

 と絶叫し続けてしまいました。やめたらなおさら目立って恥ずかしくなるような気がしてしまったもんで、最初っから最後までずっと。
 もう一生のうちで「愛ちゃん」って絶叫する回数ぜんぶ使い果たしちゃった……みなさん、「5分間」って短いと思います? 休みナシで5分間絶叫してみい……横隔膜がすごいことになるよ。
 アンコール待ちのコールはまともにやったら疲れる。でも、そこを思いっきりやりきれたのは満足。


 まぁ~そんなこんなで満ち足りた疲労感とともに、私の2011年9月は終わりを迎えようとしていますが。

 やばい! 『ぬらりひょんの孫』の話題なのに、『ゲゲゲの鬼太郎』の「凶悪妖怪ぬらりひょん関連」止まりでじぇんじぇん『孫』にたどり着けないまま10月になってしまう。
 これはいけません……しかも、『ゲゲゲの鬼太郎』付近に熱が入りすぎて、来月に入ってもしばらくは『孫』の「ま」の字も出てこないという事態は火を見るよりも明らかだ。


 ということなんで、もうここらで私が感じている「純粋『ぬらりひょんの孫』批判」の部分だけをちゃっちゃと終わしちゃって、来月から改めて「ぬらりひょんサーガ」全体の続きを心おきなくゆっくり進めていこうかと!

 簡単にさくさくっといっちゃおう。
 私が最初に言った『ぬらりひょんの孫』の批判点は、「豪華料理のフルコースなんだけど、品目が多すぎて1つ1つ味わってるヒマがない」ということでした。
 絵は確かにうまいし展開も迫力シーンの目白押しなんですけどねェ~。大盤振る舞いすぎて料理ひとつひとつの良さがひきたってこないのね。もったいない!

 具体的なところは、以下の2つ。

 1つ目は、本来フルコースのメインディッシュになるべき「主人公」について。
 ほんとの主人公である妖怪と人間のクォーター「奴良リクオ」は、その不完全さが魅力であるはずなのですが、現在のようなバトルストーリー路線になっちゃうと、「最強さ」の点でずっと有利な「おじいちゃんぬらりひょんの若い頃」や「お父さん(妖怪と人間のハーフ)の生きていた頃」の方がより魅力的になってしまうんですよ。「他の組の妖怪頭領」と闘って勝たなければならない以上、メガネをかけた人間態のリクオ君や、彼をとりまくフツーの中学生の「清十字探偵団」の面々が足かせでしかなくなってるんですよね。

 みなさん、本来のヒロインであるはずの「家長カナ」さん、かなりかわいそうな立場にいると思いません? いちばん生き生きと活躍してるのがコミックスのカバーをとったところにある「おまけマンガ」なんですよ!?

 これからどんどん強くなっていくリクオ君の「成長」にピントをしぼるべきだったのに、「成長しきっている」祖父や父親が主人公になったサイドストーリーをさし込んじゃったから、主人公の存在がそれこそ妖怪ぬらりひょんのごとくボ~ンヤリしちゃったわけ。
 もったいないんだ。もっと『地獄先生ぬ~べ~』みたいに世界をコンパクトにしておけばよかったんじゃないかと思うんだよなぁ。椎橋先生はサービス精神がありすぎなんですよ!

 2つ目は、作品の中でも最大級のクライマックスとなった、「千年魔京編のラスト」についてです。
 なんと言っても、あれだけ『ジャンプ』コードぎりぎりの徹底的な凶悪ラスボスとしてバリバリ活躍していた魅惑の黒タイツ美少女・羽衣狐(九尾狐)が、

「ホントはもっと強い敵がいたんだよ~ん。羽衣狐はそんなに悪いヤツじゃなかったんだよ~ん。」

 という中途半端な扱いになってしまったのは大変な失敗だったんじゃなかろうかと思うんですね。
 あんなにキャラクターとして完成していた羽衣狐をムリヤリ分裂させて、悪の部分だけ捨てて「真の悪人ではなかった」みたいに上っ面だけキレイにつくろっちゃうのはムチャクチャすぎるだろう!? それはいくらなんでも、あれだけ見事に悪役を演じきった羽衣狐さんに失礼なんじゃないですか?

 しかも、羽衣狐のうしろに出現した「さらなる本当のラスボス」が「アイツ」って……
 もう何百番煎じだって話ですよ。どうせだったら、1000年ぶりじゃなくてちょっと早めに990年ぶりくらいに復活していたらもっと良かったんじゃない? 薄っぺらなブームの真っ最中だったから。

 なにはなくとも、「アイツ」だけは『ぬらりひょんの孫』に持ち込んできてほしくなかったです。だって、もうそれに勝つしかマンガの終点が見えなくなっちゃうでしょ。完全なバトルヒーローマンガになっちゃったよ!

 今は「山ン本五郎左衛門」とかでお茶をにごしていますが……今後、かっこよすぎるお父さんから再び主人公バトンがわたってきた時の、リクオ君の奮起に期待したいところです。

 ぬらりひょんは他と「最強」ぶりを競争する妖怪じゃないと思うんだけどなぁ。その競争を高みから眺めて、
「へっへっへ、馬鹿だなぁ~あいつら。」
 とせせらわらっている妖怪であるはずなんですよ。自分も夢中になって最強レースに参加してどうする。

 もしこの世に本当に妖怪ぬらりひょんが存在しているのだとしたならば、彼が今いちばん面白がってぬらりくらりとだまくらかしているのは椎橋寛先生その人なんじゃないだろうか。
 ぬらりひょんに遊び飽きられないように、ガンバレケッパレ椎橋先生~!!
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凶悪妖怪の誕生 ~純粋『ぬらりひょんの孫』批判 続百鬼・雨~

2011年09月29日 01時20分58秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ》
 江戸時代後期、瀬戸内海でぷかぷかしていた過去を捨てて大都会の妖怪に変身したぬらりひょん。
 昭和に入ってひょんなことから「妖怪の親玉」という称号を手に入れた彼は気をよくしてついに念願のソロ活動を開始するのだが、その行く手には、彼の運命を大きく変えてしまうこととなる「あの少年」が立ちはだかろうとしていた……

《そうだいの内心》
 椎橋寛先生の『ぬらりひょんの孫』のことなどそっちのけで、ぬらりひょんVSゲゲゲの鬼太郎という龍虎相まみえる大決戦が展開されようとしていたのに、そうだいは目前に迫った『モーニング娘。第6代リーダー高橋愛 卒業コンサート』のために緊張して夜も眠ることができないていたらくだった! だって生まれて初めてのコンサートなんだもん!!


「高級マンションに ずるい妖怪が人間のふりをしてすんでいた……」

 マンガ『墓場の鬼太郎 妖怪ぬらりひょん・前編』(『週刊少年マガジン』連載)の冒頭のナレーションです。
 画面では、東京のどこかにある高級マンションの一室で禿げた爺さんが寝巻き姿で食事をとり、普通の背広姿に着がえてなにかの本を持って外出する姿がえがかれています。

 こんな、およそ妖怪マンガとは思えないような日常描写で始まるこの回の『鬼太郎』なのですが、この老人の顔つきはまさに鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれていた「ぬうりひょん」そのものであり、ハデハデな着物姿でこそないものの、ぬらりひょんがサラリーマンのような格好をして見事に戦後の日本社会に溶け込んで生き続けているということがわかるわけです。

 『墓場の鬼太郎』は、妖怪ファンならば言わずもがな、水木しげる神先生による1960年の貸本時代から続く「ゲゲゲの鬼太郎サーガ」の2番目のシリーズにあたり、「雑誌連載」という形では最初のものとなります(1965年8月~69年7月連載)。
 この『墓場の鬼太郎』こそが、アニメ化第1作の放送をはじめとする戦後初の「妖怪ブーム」を巻き起こす原動力となったわけなのですが、そのアニメ化にあたってスポンサー側から「『墓場』はちょっと……」という要請があったために、連載中の1967年11月から『ゲゲゲの鬼太郎』にタイトルが変わって現在にいたる、という有名なエピソードは……『ゲゲゲの女房』でやってた?

 ともあれ、『妖怪ぬらりひょん 前後編』(通算第47・48話)の2回はアニメ化される直前の1967年10月に『マガジン』に掲載されたため、何の因果か『墓場の鬼太郎』最後の敵がぬらりひょん、ということになっています。
 つまり、この回でのぬらりひょんとの死闘をへて、幽霊族の最後の生き残りというダークな出自を持つ「墓場の鬼太郎」は、日本全国の子ども達の人気を集める明るいヒーロー「ゲゲゲの鬼太郎」へと転身することとなったのです。
 ね~!? もうこの初登場の時点で、ぬらりひょんと鬼太郎とは浅からぬ因縁に結びつけられているでしょ。運命ね~!

 話を戻しますが、普通にご飯を食べて背広を着て外出する彼は、どこからどう見ても人間そのものです。
 でも、ここが水木しげるのすごいところで、なにげなく食事をしているぬらりひょんの描写で、箸で茶碗のご飯らしいものをつついている時になぜか、

「がさがさ」

 っていう擬音がつけられてるのね。ぬらりひょん、なに食ってんの!? この「がさがさ」だけで、この爺さんがただ者でないことが雄弁に説明されているわけですよ。水木しげる、神……

 さて、背広姿で百科事典のような大きめの1冊の本をかかえて外出したぬらりひょんなのですが、特にどこに出勤するでもなく大都会をさまよい歩きます。
 そして、塀のめぐらされた住宅街にさしかかると、まったくなんの気なしに持っていた大きな本を塀の向こうに投げ込む。

「ドカーン!!」

 大爆発を起こす住宅。近隣の住民の人だかりができ、救急車が駆けつける大事故となります。


「彼は わるい妖怪だった
 駅とか さかり場で
 本の中にしくんだダイナマイトを爆発させてみたり
 なん十年 いや なん百年
 とわるいことを しつづけてきた……

 それが かれの『しごと』だったのだ」


 これこそ、「ゲゲゲの鬼太郎サーガ」における名悪役ぬらりひょんを語るすべてだと言っていいでしょう。

 つまり、かつて鳥山石燕が描いた「ぬうりひょん」の老獪でいやらしい顔つきに、水木しげるは「人間世界の俗悪さ」を見いだし、そこを最大限に拡大して「純粋に悪事を働くことだけが生き甲斐の妖怪」というオリジナルイメージを創出したわけなのです。
 そう、ここにいたってぬらりひょんは、戦前に民俗学者の藤沢衛彦から「妖怪の親玉」というピースをもらったように、水木しげるから「凶悪妖怪」というピースをゲットすることとなったのです。ひえ~。

 ただし、ここでの水木しげるのぬらりひょん像には「親玉」という要素はいっさい組み込まれていません。

 平然とした顔で無差別爆弾テロを起こすというヒース=レジャー版ジョーカーみたいな凶悪犯罪者ぬらりひょんは、その顔つきがゆるみきったタレ目の老人であるだけに、逆に得体の知れない不気味な恐ろしさに満ちています。
 そして、まったく意味不明なおのれの哲学に基づいて犯罪を繰り返す彼は部下を必要とせず、盟友の妖怪・蛇骨婆をのぞけばほぼ一匹狼のようなアブなすぎる悪役となっているのです。

 ちなみに、ぬらりひょんの「本爆弾テロ」は、実在した連続放火爆弾魔「草加次郎」をモデルにしているんじゃないでしょうか。
 1962年11月~63年9月に発生した、「草加次郎」を名乗る犯罪者による(読みが「くさか」か「そうか」かは説が分かれる)「本爆弾」「時限発火装置」「自作ピストル」を使った一連の事件は多くの重軽傷者を生み、特に地下鉄銀座線車両内での爆破事件は「日本史上初の無差別爆弾テロ」として東京全体を震撼させるものとなりました。
 結局、「草加次郎事件」は犯人が逮捕されることのないまま時効をむかえてしまったのですが、「大都会に潜んで無差別に人々を襲う悪意」の正体を「何を考えているのかわからない妖怪」に設定してしまった水木しげるの慧眼……すごいとしか言いようがありません。

 こんな「水木原作版ぬらりひょん」に、椎橋寛先生が描く漢気(おとこぎ)なんか、あるわけがねぇ!!
 「奴良組の頭領」をつとめあげるふところの深さなど1ミクロンも持ち合わせていなかったマンガ界初登場時のぬらりひょん。まさに狂犬! むきだしのナイフ!!

 そんな向かうところ敵なしの彼だったのですが、爆弾テロのあと、そば屋で新聞を読み、ざるそばをすすりながらこんなことを考えます。


「人間が相手なら永久に感づかれずにすむのだが
 れいの墓場の鬼太郎というやつがいたんでは……

 あんしんして悪事をたのしむためには
 鬼太郎をかたづけなくてはならないな……」


 すでにぬらりひょんは「鬼太郎」という妖怪世界の異分子を邪魔者として意識していました。

 人間界では、ごく一部をのぞいてその存在が知られていなかった幽霊族の末裔「墓場の鬼太郎」だったのですが、1960年以降にぼちぼち活動を開始するようになってからは、次第に妖怪の世界で頭角をあらわしていくことになりました。
 鬼太郎はぬらりひょんと相まみえる1967年10月時点までに、すでにバックベアード率いる西洋妖怪軍団(『妖怪大戦争』)、メカ大海獣、たんたん坊一味(『妖怪城』)、吸血鬼エリート、八百八狸軍団(『妖怪獣』)といった猛者たちと妖怪史上に残る激戦を経験しており、孤高の凶悪妖怪ぬらりひょんも、そろそろアイツをなんとかしないと……という気になっていたのです。
 ところで『ぬらりひょんの孫』によると、ぬらりひょんは四国の八百八狸軍団の総帥・隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)と盟友だったらしい経歴があるので、数ヶ月前、同じ年の夏に鬼太郎を絵的にそうとうキツい状態にまで追い込みながら惜しくも敗れてしまった八百八狸たちへの想いも、あるいはぬらりひょんの脳裏にはあったのかもしれません。ぬらりひょんはもともと瀬戸内海出身ですしね!

 そんな野心を胸に秘めたぬらりひょんだったのですが、パチンコをうっていて床に落ちたパチンコ玉を取り合うというかなり情けないシチュエーションで偶然に出会ってしまったねずみ男を頼りに、喫茶店で鬼太郎との念願の接触を果たすことに成功します。

 さぁ~、40年にわたる死闘を展開することとなるぬらりひょんとゲゲゲの鬼太郎、その初戦のもようは!?


 といった感じで、次回に続きま~っす。
 「孫」は、「孫」はいずこ……
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ぬらりひょん全国デビュー ~純粋『ぬらりひょんの孫』批判 前篇・風~

2011年09月27日 14時54分43秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ》
 伝承と外見のまったく一致しない謎の妖怪ぬらりひょん。そうだいは、そんな彼が日本妖怪の総大将にまでのし上がっていったイバラの道をたどろうとするのだが……
 あの……『ぬらりひょんの孫』の批判は、いつするの?


 瀬戸内海で浮かんだり沈んだりして漁師をからかう妖怪「ぬらりひょん」と、人間でもなかなか着られないようなハデハデの着物を身にまとってお屋敷に出入りする異様な爺さんの妖怪「ぬうりひょん」。
 海の伝承とはまったく関係のない「妖怪画」という形で18世紀に登場した老人姿のぬらりひょんは、かの鳥山石燕の『画図百鬼夜行』の中で「何を考えているのかさっぱりわからない妖怪」というイメージを決定的づけました。

 要するに、現代の日本で「ぬらりひょんって、あれでしょ?」とすぐに連想できる妖怪総大将ぬらりひょん像は、江戸時代後期に活躍した作家・石燕の創作による部分が大きいということなんです。ぬらりひょん先生はぶっちゃけてしまえば、河童や山姥といった無数の人々の言い伝えの集合によって現在の姿を得ている日本の妖怪たちよりも、むしろ吸血鬼ドラキュラやホッケーマスクのジェイソンといったフィクションの世界の住人たちに近い体質を持っているお方なんですね。異質だな~。

 ただ、「ジジイ妖怪」以前の「海の妖怪」という部分のかおりを残しているぬらりひょんは、元禄時代に大坂を中心に大流行した大衆小説「浮世草子」の中にチラッとだけ現れているようです。

浮世草子『好色敗毒散(こうしょくはいどくさん)』 元禄16(1703)年 作・夜食時分

 この作品は、遊郭の女郎に夢中になった既婚の男が仕事も手につかない状態になってしまい、困り果てた妻がくだんの女郎と一計を案じるという筋のユーモア小説で、作者の名前を見てもおわかりのようにかる~い内容になっています。
 問題のぬらりひょんは特にストーリーには深くからまず、「顔のないナマズのような妖怪(のっぺらぼう?)で嘘の精である。」としか説明されていません。

 これは純然たるフィクション小説だし、この作品以外に「ナマズののっぺらぼう妖怪」という姿をとるぬらりひょんは現れていないので、「これがぬらりひょんの第3形態なのだ!」と大げさに言うつもりはないのですが、この「ナマズぬらりひょん」が、「ジジイぬらりひょん」の出現する(最初の登場は1737年の『百怪図巻』)何十年か前だったことから見ても、のちの大妖怪ぬらりひょんが、海でぷかぷかしていたうだつの上がらない地元生活を捨て、人類最大最強の武器である「ウソ」を習得して大都会にうって出ようとしていた途上段階の貴重な記録であることは間違いないでしょう。

 そう、人類が海から陸に上がって石斧を手に入れたように、ぬらりひょんも海から陸に上がってウソを手に入れたのだ!! そしてあっという間におじいちゃんになっちった。早いなぁ~。

 江戸時代の「ぬらりひょん」に関する記述で、もうひとつ、『画図百鬼夜行』でひとつの頂点に達した日本史上初の「妖怪ブーム」も落ち着いた19世紀前半には、ぬらりひょんが東北の秋田県にいたというものが残っています。

『菅江真澄遊覧記』(1801~22年)

 読んで字のごとく、江戸時代後期の著名な博物学者・菅江真澄(すがえ ますみ 1754~1829・男です)が遊覧した、東北地方のさまざまな土地の風土・風習が克明に記録されている文集なのですが、その中に「ぬらりひょん」が出てくるのです。

 それは、真澄にとって最も縁の深かった羽後国・秋田藩内にあった「さへの神坂」という坂についての記事で、具体的に現在どこにあるどの坂なのかわからないのが非常に残念なのですが、真澄はこの坂を、

「曇天や雨の降る日には素性のわからない人物が現れ、夜には百鬼夜行が出現するため『化物坂』と呼ばれている。」

 と記しています。そして、その「百鬼夜行」の構成メンバーに「ぬらりひょん」「おとろし」「野槌」が挙げられているのです!

 3匹とも、18世紀に巻き起こった妖怪画ブームの中で名が知られるようになったキャラで、ちょっと地味ですが『ゲゲゲの鬼太郎』に登場することも多いなかなか手堅いメンツによる百鬼夜行であることがわかります。こういった面々が東北に出張営業しているんですから、当時の妖怪ブームが全国に広まる社会現象であったことがうかがえます。この文章では具体的に3匹がどういう容姿をしていたのかは触れられていないし、ましてやぬらりひょんがリーダーシップをとっていたという記述はまったくありません。ほんとにモブの1人といった感じ。のちの総大将にもそんな下積み時代があったんだねい。

 ここで重要なのは、瀬戸内海ローカルの妖怪だったぬらりひょんが、妖怪ブームのどさくさに紛れて日本全国のどこにでも現れるフットワークを身につけるようになったということです。きっと秋田の坂道に現れたぬらりひょんは、全国的に広まった「頭が長い妙な爺さん」という格好をしていたに違いありません。過去を捨ててのメジャーデビューだぬらりひょん!

 とはいえ、「ウソの精」「人間の住んでいる都会に現れる」「百鬼夜行にまざっている」などの断片的なパズルのピースはぽつぽつ集まっているものの、ぬらりひょんが具体的に何をするどんな妖怪なのかは、依然として不明なまま……まさにのっぺらぼうのように顔がはっきりしない状態で、彼は明治維新を迎えました。
 日本の風景がいくぶんか西洋化しても、ぬらりひょんの妖怪世界でのポジションは変わらなかったのですが、昭和初期になって、ひょんなことから彼は「妖怪総大将」へと通じる最初のカギを手に入れます。

『妖怪画談全集 日本篇・上』(1930年 中央美術社)

 この『妖怪画談全集』は、日本・中国・ロシア・ドイツで描かれた怪物の絵画を解説するシリーズで、そのうちの「日本篇」を担当したのが民俗学者の藤沢衛彦(ふじさわ もりひこ 1885~1967)という方でした。
 そしてその「日本篇」で、当然ながら「日本の怪物画といえばコレ!」といった感じで紹介されたのが、われらが鳥山石燕の『画図百鬼夜行』だったわけなのですが、そこで前回にもふれた「ぬうりひょん」の絵を解説した藤沢さんは、民俗学者にあるまじき「先行資料にもとづかない情報」をつけ加えてしまいました。

 すなはち、「妖怪の親玉」。

 あちゃー……言っちゃった! そう、ここでの藤沢さんの解説こそが、「ぬらりひょん妖怪総大将説」の記念すべきスタートだったのであります。昭和生まれの情報だったのね……

 ことわっておきますが、これをもって私は「ぬらりひょんが妖怪総大将であることは根拠がない。」とか、「藤沢衛彦ってぇのは、とんでもねぇ軽口野郎だ!」と言うつもりは一切ありません。
 要するに、はからずも権威ある学者先生である藤沢さんがそう感じてしまったのは、純粋に鳥山石燕えがく「ぬうりひょん」の姿にそれだけのことを連想させる風格があったからであり、ということは、ぬらりひょんが「妖怪の総大将」と呼ばれることとなったのはデタラメではなく他ならぬぬらりひょん先生自身の「実力」だったのです。「ウソ」を得意とするぬらりひょんの魔力は、なんと昭和の民俗学者までをも見事にだまくらかしてしまった!

 確かに、色仕掛けで男をだますような美女の妖怪はさておいて、ぬらりひょんほどハデハデな衣装に身を包んだ妖怪はちょっと他に見当たりません。だいたいは毛むくじゃらかヌルヌルか白装束ですからね。
 しかも、知性を大いに感じさせるでっかい後頭部や「怨念」の「お」の字も感じさせないにやけ顔は、人を驚かせることにあくせくしがちな日本の妖怪たちの中では珍しい「余裕」をふんだんに振りまいています。

「ほほォ……親玉ってポジションも、わるかぁないかの。」

 思わぬところから降って湧いた「妖怪の親玉説」に気を良くしたぬらりひょんは、太平洋戦争の嵐も去って再び文化復興の気運の高まってきた昭和後期にいたり、ついに具体的な「行動」に出ることとなります。

 妖怪画でデビューしてからはや200年。いよいよ満を持して1匹の妖怪としての活動を開始することとなったぬらりひょん。その具体的な内容とは!?

 中に時限爆弾を仕込んだ本を家に投げ込む爆弾テロ。

 ええ~!? それ妖怪? ただの犯罪者じゃないの!

 そう。戦後に全貌を明らかにした妖怪ぬらりひょんは、「悪意」だけを生きがいとする『ダークナイト』のジョーカーを40年さきどった超ヒールだったのです……

「瀬戸内海でぷかぷか? 知らねぇな……わしは人間社会のすべてを破壊するために生まれたんじゃよ。」

 ぬらりひょん先生、なんでそんなにグレちゃったの……


 さぁさぁ、ついに誕生してしまった「凶悪妖怪ぬらりひょん」、終生のライヴァルとなる「ゲゲゲの鬼太郎」との運命の出逢いは、また次回のココロだ~っ。ウヒョ~!!
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その妖怪、経歴不詳 ~純粋『ぬらりひょんの孫』批判 前篇ノ陽~

2011年09月25日 23時49分08秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ》
 そうだいは、アニメも絶賛放送中の大人気妖怪マンガ『ぬらりひょんの孫』(作・椎橋寛、『週刊少年ジャンプ』連載)に、妖怪好きでありながら今ひとつノれない原因を分析しようとしていたが、「孫」の前におじいちゃんである「ぬらりひょん」の経歴を説明することに火がついてしまった。ファイヤー!!


 そもそものはじめ、「ぬらりひょん」という名前の妖怪は言い伝えによると、瀬戸内海に出現して漁師をからかう妖怪だったそうなのです。

 そこでのぬらりひょんは、海面にぷかぷか浮かんでいる人間の頭くらいの大きさの謎の丸い物体で、舟に乗った漁師が「?」と思って近づくと沈んだり、そうかと思えばまた浮かんできたりしてなかなか捕まえることができないなにか、という非常にシュールな妖怪だったのだそうです。妖怪か?
 まさに、「ぬらり」と消えては「ひょん」とまた現れる謎の存在。日本語はおもしろいねぇ。

 一般に「海の妖怪」というと、漁師を水死させる「舟幽霊(ふなゆうれい)」や、巨大な体で船をまるごと沈没させようとする「海坊主(うみぼうず)」に「あやかし」といった、人の命を狙いにくる非常にデンジャラスなものが有名なのですが、この「ぬらりひょん」はおだやかな瀬戸内海にマッチしたのんびりした妖怪のようです。要するに『ムーミン』のニョロニョロみたいなキャラだったんですかねぇ。かわいいかわいい。

 あれ、こ、これがあの「ぬらりひょん」……?

 この子、特に悪いこともしてないし、ジジイでもありません。他の妖怪に対してリーダーシップを発揮するような感じも全然ないよ……ましてや、関東の百鬼夜行を率いて九尾の狐や四国の八百八狸(はっぴゃくやだぬき)と渡り合えるとは、とてもとても! そもそも関東じゃねぇし。
 伝承だけから類推すると、どうもクラゲかタコあたりが正体であるかのような海の妖怪「ぬらりひょん」なのですが、ど~うも、『ぬらりひょんの孫』のイメージはここには直結していないようですなぁ。ここまでくると同姓同名の別妖怪といったおもむきさえあります。

 そして、我らが『ぬらりひょんの孫』の直接のルーツはこっち! 江戸時代中期に突如として出現した老人の妖怪「ぬうりひょん」のほうだったのです!

 え、「ぬうりひょん」? 「ぬらりひょん」じゃなくて?

 18世紀後半の安永5(1776)年に刊行された日本の妖怪画集『画図百鬼夜行(がずひゃっきやこう)』シリーズ全4作は、絵のおもしろさもさることながら、現代の流行作家・京極夏彦の小説「京極堂シリーズ」に登場する妖怪たちの元ネタとなっていることでも非常に有名なのですが、この中に収録されている爺さんの姿をした妖怪「ぬうりひょん」こそが、『ぬらりひょんの孫』で活躍する大妖怪ぬらりひょんのモデルとなっているのです。

 『画図百鬼夜行』シリーズとは、妖怪の絵を得意とした絵師の鳥山石燕(とりやま・せきえん 1712~88)による、基本的に1枚に1種ずつの妖怪を描いた絵をまとめた「妖怪図鑑」形式の画集で、第1作『画図百鬼夜行』は「前篇・陰」「前篇・陽」「前篇・風」の3部構成になっています(「後篇」にあたるものは第2作の『今昔画図続百鬼』)。
 その中の「前篇・風」に、『画図百鬼夜行』シリーズ45番目の妖怪としてエントリーされているのが「ぬうりひょん」であるわけなのですが……

 この『画図百鬼夜行』、基本的に絵の解説文が、ない。

 多少の文章が添えられている絵もたまにはあるのですが、石燕はあとがきに「画は無声の詩とかや」と記しているように、描いた絵を具体的に文で説明することはあまりしません。つまり、描かれている情報がその妖怪のすべてなのです。
 当時の日本絵画界の権威だった「狩野派」の正統な継承者であり、美人画で世界的に有名なあの浮世絵師・喜多川歌麿(1753~1806)のお師匠様でもあった石燕の筆は、雄弁にそれぞれの妖怪たちの性質を物語ってくれます。観ていて飽きないね~。

 問題の「ぬうりひょん」の絵は、上品な着物をきこんだ小柄な老人が、さした刀に左手をのせ、右手には扇を持つというシャレた身のこなしで駕籠からさっそうと降り、どこかの屋敷の中に入ろうと玄関で左足の草履を脱いでいる姿が描かれています。着色はされていないので衣服の色まではわからないのですが、かなり華美な羽織ものであることは間違いなさそうです。

 ところがねぇ、とにっかく特徴的なのは、その頭の形と表情!

 ほとんど毛の残っていない頭部はうしろに大きくのびた形になっていて、濃い眉毛の下に光る2つの目は「ニヘェ~ッ」と実にいやらしくにやけているのです。なんかエロい爺さんだ!
 はげてまげも結うことができないくらいの高齢であることは確かなのですが、とにかく「精力絶倫!」という下品な想像をしてしまうほど、この身なりのいい老人は不気味な生命力をムンムンに発しているのです。
 よく見ると、ヨボヨボらしからぬ 90°に近い角度でピンッと左足を上げているさまもまさしく元気ハツラツです。吉川晃司もかくやのハイテンションウォークということは、彼が入ろうとしている屋敷はやはり「アッチ系」のお店なのか!?

 エロさはどうかわからないのですが、毛のない後頭部が異様に大きな着物姿の爺さんという外見の特徴は、まさしく現代日本で活躍する「ぬらりひょん」の原型ですね。

 ただ! いったいなにをする妖怪なのかというところが本当にわかんない……

 おそらく、当時の日本社会の中でも富裕階級が多く居住している、江戸や大坂のような大都市に生息していること、そういった点では大自然に棲む天狗や河童とはだいぶ違う妖怪であることはわかるのですが……

 ところで『画図百鬼夜行』は、なんで「ぬらりひょん」じゃなくて「ぬうりひょん」なんだろうか!?

 実は「ジジイの姿をした妖怪 but 解説なし」という絵画は、この『画図百鬼夜行』シリーズをさかのぼること約40年前、元文2(1737)年に刊行された妖怪画集『百怪図巻(ひゃっかいずかん)』に収録されているものが現存する最初の例なのですが、ここではふつうに「ぬらりひょん」なんだ。

 『百怪図巻』は、30体の妖怪を着色ありで生々しく描いた絵師の佐脇嵩之(さわき・すうし 1707~72)による画集で、刊行されるやいなや多くの模写本(『化物づくし』など)を生み出して日本最初の「妖怪ブーム」を巻き起こすきっかけとなった作品として有名です。もちろん、この『百怪図巻』に登場する妖怪のほとんどすべてがフォローされていることからもわかる通り、『画図百鬼夜行』もまた、そのブームの流れにつらなるものであることは明らかです。

 簡単に言えば、妖怪の画像化に専念した『百怪図巻』と、それに社会諷刺や自分なりのオリジナルイメージをたくみに織り込んで別のアート作品にしてしまった『画図百鬼夜行』という大きな差異が両者にはあります。現に『百怪図巻』に描かれた「ぬらりひょん」は、長い頭部やヤラしい表情こそ『画図百鬼夜行』の「ぬうりひょん」そっくりなのですが、着ている服は特にハデさのない寝巻きか僧服のようなもので、駕籠や屋敷といった背景もまったく描かれていません。

 そのため、『百怪図巻』の「ぬらりひょん」をもとに石燕先生が絵を描くにあたって、どこかの段階かで名前が「ぬうりひょん」に変わってしまった、という見方でほぼ間違いはないようです。
 今のところ、ひらがなの「ら」と「う」が非常に似ているので、石燕先生が「うっかり間違ってしまった」説が一般的なのですが、あれだけ絵に自分オリジナルの要素を盛り込んでしまう誇り高きクリエイターの石燕先生なのですから、なにかしらの意図をもって「わざとぬうりひょんにした」可能性もないことはないんですね。う~ん、ザッツ石燕ミステリー。

 ところで『百怪図巻』の作者・佐脇嵩之は、みずからこの作品を奥書で「狩野元信の画集を模写したもの」と記しています。
 狩野元信(1476~1559)といえば、石燕先生もその流れを継いでいた「狩野派」の2代目として、室町時代の末期から戦国時代の前期にかけて活躍した著名な絵師です。

 もしこれが本当なのだとしたら、『百怪図巻』に描かれているぬらりひょんたち30体の妖怪の誕生が約200年ほどさかのぼることになるのですが……残念ながら、狩野元信本人による『原・百怪図巻』はいまだに発見されていません。ほんとにあるのかしら~?

 でもね、確かに『百怪図巻』の妖怪たちはなんとも言えない迫力のタッチで描かれており、目の焦点がまるであっていない顔面蒼白の「見越し入道」や下半身血だらけで泣き叫ぶ「うぶめ」などは、ちょっと夜中には観たくないすごみに満ちています。元信と言われても説得力はあるような。


 「海のファンシー妖怪」と「エロい爺さん妖怪」という接点ゼロの2つの発祥を持つ正体不明の存在・ぬらりひょん。
 彼がこののち、いかようにして日本の妖怪を統べる「総大将」にステップアップしていくのか!?

 そんな、島耕作もビックリの「ぬらりひょんサクセスストーリー」は、また次回のココロだ~。
 「孫」、出る余地まったくなし……
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奴良組一家よどこへ行く ~純粋『ぬらりひょんの孫』批判 前篇ノ陰~

2011年09月24日 13時21分20秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
 みなさんど~もこんにちは。そうだいでございます。
 台風が去ったら、とたんに秋らしい涼しさになってしまいましたねぇ。なんか、今年の秋分の日ほど、名前通りの役割を果たしてくれた秋分の日も久しぶりなんじゃないでしょうか。最近はもうちょっと残暑だとか言ってたような気がするからなぁ、まだ9月のうちは。
 昨日はまだぐずついた雲もちらほらしていたのですが、3連休2日目の今日は朝から雲ひとつない快晴となりました。それでももう暑くないんですから、ほんとに秋なのね。

 本日は私も丸一日の休日をいただいておりますので、これからお昼過ぎに電車に乗って、例の「桜木町恨道中2011初秋」をやる所存です。今日は汗もそんなにかかないだろうし快適そうだぞ!
 今回は京浜急行線(JR南武線との共有駅でもある)八丁畷駅からスタートしたいと思います。「はっちょうなわて」! う~ん、歴史を感じさせるネーミング。
 地名としては神奈川県川崎市川崎区池田ということで、前回出発したJR川崎駅から1kmしか横浜よりになっていないため、今日歩く距離は約13kmということになります。まぁ適度な感じでしょう。
 ただねぇ、今回やるにあたって少々物足りないのは、最終的に桜木町に到着したあとのお楽しみになるはずの、映画館で観たい映画がちょっと今日は見当たらないってことね。
 なんかいまいちなんだなぁ~。東京で少数館上映している作品では観たいものはあるんですが、桜木町の「ブルク13」ではやってないからなぁ~。リーベスマン監督の『ロサンゼルス 世界侵略』、観るぅ? いやいやいや、ちとキビしいかな!

 まぁ、今回の桜木町散歩はそういった感じで単なる運動になりそうなので、ちゃっちゃと行く前に今回の『長岡京エイリアン』、本題に入っちゃいましょうかね。


 えー、わたくし、ちょいちょいこのブログでもふれているように、いくつかの連載中のマンガをコミックスを買って楽しんでいるのですが、ひとつだけ! たったひとつだけ、正直言ってあまり楽しめていないのに必ず最新刊が出るたびに買って読んでしまっている作品があるのです。

 それが、天下の『週刊少年ジャンプ』で大人気連載中の『ぬらりひょんの孫』(作・椎橋寛)。

 『ぬらりひょんの孫』は、私の解釈で説明させていただきますと、「妖怪」という存在を、人間と同じように実体を持っていて現代日本にもちゃんと生息している「異種族」と設定している妖怪アクションマンガです。
 ただし、妖怪はたいていの人間には感知することができなかったり、ふだんは人間として生活していたり、もしくは人間の入り込めない異空間に巨大な妖怪だけのコミュニティをつくって潜伏したりしているため、人間側にとっては妖怪は迷信か言い伝えの中にしかいない存在ととらえられているのです。
 作品の中では、日本全国の妖怪たちが生活していくために各地方でやくざのような共同組織を構成しており、東北では「妖怪伝承の聖地」とうたわれる岩手県遠野に「奥州遠野一家」、化け狸のメッカと言われる四国地方では「四国八十八鬼夜行」、京では日本史に残る大妖怪と未だに畏れられる九尾の狐・大江山酒呑童子(の継承者)・土蜘蛛らの強力な「京妖怪連合」といった、妖怪ファンならばうれション必至な面々が、21世紀の現在も日本に健在なのであります!

 そして、このマンガの主人公たる「ぬらりひょんの孫」は、「奴良(ぬら)リクオ」という中学1年生の少年。
 彼はなんと「あの大妖怪ぬらりひょんと人間とのクォーター」で、つまりは妖怪の血が4分の1流れている人間なのです。そのため、基本的には夜にしか妖怪の能力を発揮することはできないようです。

 そんなグレーゾーンな彼なのですが、この作品では関東地方を代表する妖怪組織である、祖父のぬらりひょん率いる「奴良組」の跡目(次期頭領)になるべく、日々、「フツーの中学生活&他の妖怪組織との血で血を洗う抗争」に明け暮れるのでありました~! という内容。

 いやー……とてつもない大盤振る舞いでございますな。こういった数々の要素のどれにもひっかからない妖怪ファンはいないんじゃなかろうか。北海道と沖縄の妖怪組織はまだ出てきてませんけどね。アカマタ出てきてほしいね~!

 作者の椎橋寛(しいばし ひろし)先生は1980年生まれ。大学生時代からマンガの読み切り作品の投稿を始め、ベテラン小池一夫先生に師事したりカリスマ荒木飛呂彦先生のアシスタントをされたりしていたそうなのですが、2006年の春に読み切り作品として発表された『ぬらりひょんの孫』が評判となり、2008年4月から、作品設定を拡大発展させた上での『ジャンプ』での連載開始とあいなったわけです。
 2011年9月時点でコミックス18巻を数える『ぬらりひょんの孫』は累計1000万部を超える大ヒット作品となっており、2010年7~12月には待望のアニメシリーズ第1シーズンが放送され、今年2011年も7月から第2シーズン『ぬらりひょんの孫 千年魔京』が大人気放映中といった活況ぶりです(どちらも主人公の声は福山潤、東京での放送は東京MXにて)。

 いやー椎橋先生、連載作品はこれが最初なんでしょ!? 早すぎるなぁ~、ブレイクが!
 ただ、もちろんブレイクするにはするなりの実力ももちろんあるわけでして、椎橋先生はとにかく「絵がきれい」。全国規模での複数の妖怪組織のからみ合いということでなにかとごちゃごちゃしそうな作品世界も、わりとスッと飲み込める明解さがあるんですね。
 また、おどろおどろしい妖怪といいつつもキャラクターデザインはおおむね美少年か美少女で固められており、それが男女関係ない人気を集めている要因になっていることは確かでしょう。
 アニメもいい感じらしいですね……私は観てませんけど。観られませんけど。

 こんな大ヒット妖怪マンガ『ぬらりひょんの孫』を向こうに回して、なにゆえ私は、妖怪大好きなはずの私は、「ぬらりひょんの孫」を楽しめないというのか?

 すなはち、「豪華料理のフルコースなんだけど、品目が多すぎて1つ1つ味わってるヒマがない」!

 これなんだなぁ~。おいしいおいしいって食べてる最中なのに、店の人がさっさと皿をひっこめて新しい皿を出してくるって感じなの。息子がまだ食べてるでしょうがァ!!

《注意! ここから先は、なにかと私の好きな妖怪マンガの祖『ゲゲゲの鬼太郎』と比較した内容の文章が出てきますが、椎橋先生の『ぬらりひょんの孫』と水木しげる超先生の『ゲゲゲの鬼太郎』とは言うまでもなく無関係の作品ですので、設定がごっちゃにならないようにお気をつけください。》

 私が指摘したい、『ぬらりひょんの孫』の「ここがちょっと……」という点は、大きくわけて2つあります。
 1つ目は、作品全体にかかわる問題で、フルコースのメインディッシュになる「主人公」のこと。
 2つ目は、作品の中でも今のところ最も大きな盛り上がりとなった、「千年魔京編のラスト」についてです。

 まず1つ目からいきますが、本来の主人公である中学生「奴良リクオ」の前に、リクオ君が4分の1その血を引き継いでいるという「大妖怪ぬらりひょん」について確認しておきましょう。

 『ぬらりひょんの孫』に登場する、関東地方最大の妖怪勢力「奴良組」の初代頭領にして、隠居後もリクオ君が成長するまでの頭領代行をつとめているおじいちゃんのぬらりひょんを例に出すまでもなく、「大妖怪ぬらりひょん」イコール「妖怪の総大将」というイメージは、ほぼ全国的に一般化されたものとなっています。

 もちのろん、その「総大将ぬらりひょん」像を決定的にしたものこそが、言うまでもなく1980年代に放送されて大変なヒットとなったアニメ第3期版の『ゲゲゲの鬼太郎』(1985年10~88年3月 全115話)。

 熱い血のたぎる少年かアンパンを演じさせたら日本一の戸田恵子さんが2代目鬼太郎にふんした(初代はサイヤ人)第3期シリーズが、いい意味でも悪い意味でも原作者・水木しげるの「フハッ。」な世界を脱却した独自の勧善懲悪アクション路線を突っ走っていたことは、かつてわが『長岡京エイリアン』で総力特集した「ニャニャニャの猫娘ヒストリー」でも扱ったとおりなのですが、そんな中でゲゲゲの鬼太郎を相手どっての最大のラスボスとなったのが、くだんのぬらりひょん先生だったというわけです。広大無辺な鬼太郎サーガの中でも希代のヒール役となったその声を演じたのは名優・青野武!

 青野武青野武青野武!! 「きたるゥオオ! 死ぬェエい!!」の青野武!

 ここで注意しておきたいのは、「妖怪総大将」というぬらりひょんのイメージを創出したのが、江戸時代の伝承・伝説の世界でもなければ、そもそもマンガ家・水木しげるの原作『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズ(1960~97年)でさえもないということなのです。水木先生は直接はタッチしてないの。
 
 雪女しかり河童しかり、日本のメジャーな妖怪は必ず江戸時代以前の言い伝えの中にその原型があるわけなのですが(ゲゲゲの鬼太郎だって江戸時代の怪談にルーツがあります)、われらがぬらりひょんのルーツはというと、ちょ~っと特殊な事情があるんだな!

 あちゃ~。また長くなっちゃったね。次回はぬらりひょん分析の続きから再開していきましょう。
 ぬらりひょん、ぬらりひょんって、肝心の「孫」にいけるのはいつのことやら~!?
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