イエ~イ、年がゆくぜ~!! どうもこんにちは、そうだいでございます。
みなさま、2011年おおつごもり。今年も1年、本当にお疲れさまでございました。しかし寒いね!
とォんでもない年でしたね。いろんなことが変わりましたな。
私の短い人生の中では、確か「1995年」という年が段違いに「とんでもない年!」というレッテルが貼られていたのですが、まぁ~今年はそれをひとまわりもふたまわりも上回るとんでもなさでございました。
1995年も、「いったいこれからどうなっちゃうんだろう!?」といった不安感をモヤ~っといだいたもんでしたが、同時に私もまだまだ山形の一面の田んぼのド真ん中にたたずむガキンチョでありましたし、高校1年生になりたてと言うことで、初めて行った市街地のでっかい書店の中でかしましく流れる浜ちゃんの『ウォウウォートゥナイト』に単純にウキウキしておったものでありました。
そんなわしも、今はよわい30を越えました! まだまだおっさんになったつもりはないのですが、またこうして年を越えるのかと思いますと、短いようで確かに中身がずっしりあったスニッカーズのような1年のことを想うのであります。
今年はほんっとに!! いろいろあったヨ。
まず、この『長岡京エイリアン』を1年間まるまるやったっていうのも今年が初めてでしたしね。始めたのが去年の夏からなんで。
とにかく、こんなていたらくでまともな日記にもなっていない当ブログなんですが、「やりたいことをやりたい放題やる。」というコンセプトだけは曲げずにあゆんできております。っていうか、好きでやってるんだから曲がりようがねぇ。
ありがたいことに、い・ち・お・う! アクセス数も右肩上がりの状況で新年を迎えるかたちとなりました。こんなんでも、ご覧いただいているみなさまが増えているなんて……
でも、コメントがほとんどゼロに近いのはどういうことなのか。
数字上はウン十万人のみなさ~ん! ほんとにウンじゅうまんに~ん!?
へんじがない ただのそうだいのもうそうのようだ
なんてやーよ。
いいんですいいんです。ありがたいことでございますよ。しみじみうれしい。
ほんとにいろんなことがありました。
私個人としましては、春先の3月いっぱいをもって、大学卒業前後から所属していた劇団を退団したことが最も大きな出来事でした。
ただ、このことそのものは、昨年2010年に私のわがままを通させていただいたことだったので、3月自体は特になんということもなく過ぎていくはずだったのでありますが……
11日、ねぇ~。3月、というかそれ以降のすべての日々の始まりはここなんですかね。
計画停電だなんだといろんなイレギュラーはあったのですが、被災したわけではない私は、その直後に予定通りに上演された、私の劇団員としての最後の公演も含めて、いろ~んな物事を「ちょっと引いたところから観る」チャンスを得られたような気がします。
でもさぁ、当時は自分自身では冷静に生きているつもりだったんですが、ふつうの日記になっている3月のほとんどの『長岡京エイリアン』の記事を読み返してみても、まぁてんてこまいだったんだろうなぁ、ということがよくわかります。
なんにしても、ブログやってて良かったなぁ~、って思うんですね。特に今年は!
他の方に読んでいただくということとは別の話で、自分のつたない記録としてでも3月の日々を何らかの形にしておさめたことは正解だったかなぁ、と。
前にも言ったかも知れないのですが、日記の価値は文章をうまくとか内容をおもしろくとかいう次元とは別のところにあって、その時点でははっきりしたオチがついていなかったのだとしても、その時の気分や空気をどのくらい「ガバッ!」と取り込むことができているかにあるんじゃないかと思うんですね。
いわば、その時の3次元世界に充満していた、においだ手ざわりだ色彩だという「なんやかや」を1要素でも多く「日本語」に変換してゲットすること、そのスピード感こそが日記の醍醐味なんじゃなかろうかと。
どうでもいい内容なのだとしても、時間がたてばたつほど出てくる「味わい」っていうのがあると思うんですよね~。
今年、1年間をかけてズラズラ~っと続けてきたこの集積が、ワインのように芳醇なかほりを発するようになってくるのはいったい、いつのことなのか。
まぁ~、もしかしたら、ワインなんて大したものにはならずに、くさって酸っぱくなって捨てざるをえなくなってしまうかも知れません。もしかしたら、ブログ会社や日本そのもの、はたまた人間社会そのものが明日、大変なことになって『長岡京エイリアン』の全記録がピャピャ~っと消去されてしまうかもしれませんね。
でも、やらなきゃ残んないのよね。やれば一応、私のいなくなったあとにも私の「2011年日記」が残る可能性だけはもらえるわけなんですよ。
それだけで充分、嬉しいことですよ。
明日からも続けていきますよ~。サハクィエルのお話もまだ途中ですしねぇ。
いや~しかし、振り返るのが恐くなるくらい、『長岡京エイリアン』の道のりは道のりとも言いがたいけものみちになってしまいました。
アイドルグループ、ぬらりひょん、怪獣、ホラー映画、使徒、マンガ、小説、亀井絵里、亀井絵里……
まっさかねぇ、ここまでアイドルグループのことに入れ込んでしまう1年になったとは。
タイムマシンに乗って2010年の私に会って、「お前、2011年に日本武道館でモーニング娘。のコンサートを観に行くことになるぞ!」と言ったら、2010年の私はなんてこたえるでしょうかねぇ。
「うるせぇ!! それはいいから、彼女できてんのか!? それだけ教えろ!!」
って胸グラをつかまれるんだろうなぁ。
「彼女彼女って、2010年のお前がそんなんだから2011年のおれがこんななんだよ! テメェ、とにかくあの子にあやまれ!!」
「は!? なんであやまらなきゃなんねぇんだよ! 他のことはやっても、それだけはぜってぇにしねぇ!!」
「お前はいつからそんなにアナルの小さな人間になったんだ!! もっとぽっかりと拡張しろ!!」
「年末になんてこと口走るんだ! 2011年の『長岡京エイリアン』はそんなに品位が堕ちてるのか!?」
みたいな、つかみ合いのケンカになるんだろうなぁ……
収拾がつかなくなってしまいましたが、とにかくですね、2011年は新しい世界を見聞するかけがえのない時間をたっぷりもらうことができました。
新しい人間関係をつくることもできましたし、思わぬところでなつかしい方と旧交を温めることもできたし。
意外と、私個人は「出会い」が多くて「別れ」の少ない年でしたね。これは本当にありがたいことでした。
なんにせよ、直接的にであれ間接的にであれ、2011年の私の生活の原動力は、そのほとんどをこの『長岡京エイリアン』から受け取ることとなりました。つまり、ただ単に私が日記を書いていたということではない「何か」が、ここを通じて出たり入ったりしていたということなんですなぁ。
それがなんなのかはいまいち私もわかんないんですけどね。まいっか。
明日から始まる2012年。『長岡京エイリアン』はどんなことをしでかすんでしょうかねぇ。
みなさま、2011年ほんとうにありがとうございました! 良いお年を~。
みなさま、2011年おおつごもり。今年も1年、本当にお疲れさまでございました。しかし寒いね!
とォんでもない年でしたね。いろんなことが変わりましたな。
私の短い人生の中では、確か「1995年」という年が段違いに「とんでもない年!」というレッテルが貼られていたのですが、まぁ~今年はそれをひとまわりもふたまわりも上回るとんでもなさでございました。
1995年も、「いったいこれからどうなっちゃうんだろう!?」といった不安感をモヤ~っといだいたもんでしたが、同時に私もまだまだ山形の一面の田んぼのド真ん中にたたずむガキンチョでありましたし、高校1年生になりたてと言うことで、初めて行った市街地のでっかい書店の中でかしましく流れる浜ちゃんの『ウォウウォートゥナイト』に単純にウキウキしておったものでありました。
そんなわしも、今はよわい30を越えました! まだまだおっさんになったつもりはないのですが、またこうして年を越えるのかと思いますと、短いようで確かに中身がずっしりあったスニッカーズのような1年のことを想うのであります。
今年はほんっとに!! いろいろあったヨ。
まず、この『長岡京エイリアン』を1年間まるまるやったっていうのも今年が初めてでしたしね。始めたのが去年の夏からなんで。
とにかく、こんなていたらくでまともな日記にもなっていない当ブログなんですが、「やりたいことをやりたい放題やる。」というコンセプトだけは曲げずにあゆんできております。っていうか、好きでやってるんだから曲がりようがねぇ。
ありがたいことに、い・ち・お・う! アクセス数も右肩上がりの状況で新年を迎えるかたちとなりました。こんなんでも、ご覧いただいているみなさまが増えているなんて……
でも、コメントがほとんどゼロに近いのはどういうことなのか。
数字上はウン十万人のみなさ~ん! ほんとにウンじゅうまんに~ん!?
へんじがない ただのそうだいのもうそうのようだ
なんてやーよ。
いいんですいいんです。ありがたいことでございますよ。しみじみうれしい。
ほんとにいろんなことがありました。
私個人としましては、春先の3月いっぱいをもって、大学卒業前後から所属していた劇団を退団したことが最も大きな出来事でした。
ただ、このことそのものは、昨年2010年に私のわがままを通させていただいたことだったので、3月自体は特になんということもなく過ぎていくはずだったのでありますが……
11日、ねぇ~。3月、というかそれ以降のすべての日々の始まりはここなんですかね。
計画停電だなんだといろんなイレギュラーはあったのですが、被災したわけではない私は、その直後に予定通りに上演された、私の劇団員としての最後の公演も含めて、いろ~んな物事を「ちょっと引いたところから観る」チャンスを得られたような気がします。
でもさぁ、当時は自分自身では冷静に生きているつもりだったんですが、ふつうの日記になっている3月のほとんどの『長岡京エイリアン』の記事を読み返してみても、まぁてんてこまいだったんだろうなぁ、ということがよくわかります。
なんにしても、ブログやってて良かったなぁ~、って思うんですね。特に今年は!
他の方に読んでいただくということとは別の話で、自分のつたない記録としてでも3月の日々を何らかの形にしておさめたことは正解だったかなぁ、と。
前にも言ったかも知れないのですが、日記の価値は文章をうまくとか内容をおもしろくとかいう次元とは別のところにあって、その時点でははっきりしたオチがついていなかったのだとしても、その時の気分や空気をどのくらい「ガバッ!」と取り込むことができているかにあるんじゃないかと思うんですね。
いわば、その時の3次元世界に充満していた、においだ手ざわりだ色彩だという「なんやかや」を1要素でも多く「日本語」に変換してゲットすること、そのスピード感こそが日記の醍醐味なんじゃなかろうかと。
どうでもいい内容なのだとしても、時間がたてばたつほど出てくる「味わい」っていうのがあると思うんですよね~。
今年、1年間をかけてズラズラ~っと続けてきたこの集積が、ワインのように芳醇なかほりを発するようになってくるのはいったい、いつのことなのか。
まぁ~、もしかしたら、ワインなんて大したものにはならずに、くさって酸っぱくなって捨てざるをえなくなってしまうかも知れません。もしかしたら、ブログ会社や日本そのもの、はたまた人間社会そのものが明日、大変なことになって『長岡京エイリアン』の全記録がピャピャ~っと消去されてしまうかもしれませんね。
でも、やらなきゃ残んないのよね。やれば一応、私のいなくなったあとにも私の「2011年日記」が残る可能性だけはもらえるわけなんですよ。
それだけで充分、嬉しいことですよ。
明日からも続けていきますよ~。サハクィエルのお話もまだ途中ですしねぇ。
いや~しかし、振り返るのが恐くなるくらい、『長岡京エイリアン』の道のりは道のりとも言いがたいけものみちになってしまいました。
アイドルグループ、ぬらりひょん、怪獣、ホラー映画、使徒、マンガ、小説、亀井絵里、亀井絵里……
まっさかねぇ、ここまでアイドルグループのことに入れ込んでしまう1年になったとは。
タイムマシンに乗って2010年の私に会って、「お前、2011年に日本武道館でモーニング娘。のコンサートを観に行くことになるぞ!」と言ったら、2010年の私はなんてこたえるでしょうかねぇ。
「うるせぇ!! それはいいから、彼女できてんのか!? それだけ教えろ!!」
って胸グラをつかまれるんだろうなぁ。
「彼女彼女って、2010年のお前がそんなんだから2011年のおれがこんななんだよ! テメェ、とにかくあの子にあやまれ!!」
「は!? なんであやまらなきゃなんねぇんだよ! 他のことはやっても、それだけはぜってぇにしねぇ!!」
「お前はいつからそんなにアナルの小さな人間になったんだ!! もっとぽっかりと拡張しろ!!」
「年末になんてこと口走るんだ! 2011年の『長岡京エイリアン』はそんなに品位が堕ちてるのか!?」
みたいな、つかみ合いのケンカになるんだろうなぁ……
収拾がつかなくなってしまいましたが、とにかくですね、2011年は新しい世界を見聞するかけがえのない時間をたっぷりもらうことができました。
新しい人間関係をつくることもできましたし、思わぬところでなつかしい方と旧交を温めることもできたし。
意外と、私個人は「出会い」が多くて「別れ」の少ない年でしたね。これは本当にありがたいことでした。
なんにせよ、直接的にであれ間接的にであれ、2011年の私の生活の原動力は、そのほとんどをこの『長岡京エイリアン』から受け取ることとなりました。つまり、ただ単に私が日記を書いていたということではない「何か」が、ここを通じて出たり入ったりしていたということなんですなぁ。
それがなんなのかはいまいち私もわかんないんですけどね。まいっか。
明日から始まる2012年。『長岡京エイリアン』はどんなことをしでかすんでしょうかねぇ。
みなさま、2011年ほんとうにありがとうございました! 良いお年を~。