長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あ、これ完全に読書メモですんで……気にしないでネ 下

2016年04月23日 23時53分54秒 | 日本史みたいな
吉川弘文館 人物叢書・第285巻 『最上義光』 伊藤 清郎 2016年3月刊


《つづき》
永禄十(1567)年
?月
 前奥州探題・大崎義直(?歳)、家督を嫡男・義隆(20歳)に譲り隠居するが、奥州探題職は義隆に相続されず。
八月
 伊達輝宗(24歳)の嫡男・梵天丸(のちの伊達政宗)、誕生(最上義守の孫にあたる)。

○大崎義隆の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力43、統率力41、知略22

○伊達政宗の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力85、統率力86、知略84

永禄十二(1569)年
?月
 出羽国庄内地方の大名・大宝寺義氏(19歳)、真室川地方の大名・鮭延貞綱(?歳)と大蔵村の清水城主・清水義氏(23歳)を配下に置く。

○大宝寺義氏の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力32、統率力64、知略14

○鮭延貞綱の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力37、統率力35、知略54

○清水義氏の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力44、統率力52、知略32

元亀元(1570)年
正月
 最上義光(24歳)、立石寺へ本懐成就の願文を出す。
四月
 伊達輝宗(27歳)の重臣・中野宗時(?歳)、牧野久仲(?歳)父子、輝宗に謀反の疑いをかけられ陸奥国大名・相馬盛胤(42歳)を頼り亡命する。
五月
 最上義守(50歳)・義光父子に対立が生じるが、宿老・氏家定直(67歳)の仲介により和解する。
 最上義守、家督を義光に譲って出家し「栄林」と号する。
?月
 最上家重臣・氏家定直、死去。家督は嫡男・氏家守棟(37歳)が継承する。

○中野宗時の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力79、統率力21、知略69

○牧野久仲の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力77、統率力5、知略68

○相馬盛胤の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力61、統率力82、知略62

○氏家定直の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力64、統率力54、知略75

○氏家守棟の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力54、統率力59、知略75

天正二(1574)年
正月
 最上栄林(54歳)、最上義光(28歳)との対立を再び激化させ、婿の伊達輝宗(31歳)に援軍を要請する(天正最上の乱)。
 伊達輝宗、家臣の出羽国高畠城主・小梁川盛宗(小梁川親朝の孫 52歳)に出撃を命じ義光派の上山城主・上山満兼(?歳)を降伏させる。
 義光派の大名・寒河江兼広(46歳)、天童頼貞(?歳)・白鳥長久(?歳)ら栄林派の諸大名に寒河江城を攻撃され降伏する。

○小梁川盛宗の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力61、統率力55、知略59

○天童頼貞の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力44、統率力59、知略41

二月
 最上義光、伊達領の出羽国北条(現在の南陽市)に侵攻する。
三月
 最上義光、伊達輝宗と和睦し伊達軍を最上領から撤退させるが北条への侵攻は継続させる。
四月
 伊達輝宗、荒砥・畑谷・刈田・長井の兵を動員し最上義光と再び対陣する。
五月
 最上義光、若木城や江俣で栄林軍と戦い、伊達輝宗も上山に出陣し義光と戦う。
六月
 伊達輝宗、義弟の芦名盛興(28歳)の急死を受けて一時撤退する。
七月
 伊達輝宗、栄林に降伏した寒河江兼広が再び挙兵したとの報を受け再び高畠に出陣する。
八月
 伊達輝宗、上山まで進軍し最上義光と対峙する。
九月
 最上義光、伊達輝宗と和睦し伊達軍を撤退させるが、父・栄林との対立は依然として続く。
?月
 最上義光、京に政権を樹立した織田信長(41歳)との親交を深め出羽守に就任する。

天正三(1575)年
?月
 最上義光(31歳)の嫡男・小僧丸(のちの最上義康)、誕生。

○最上義康の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力31、統率力37、知略14

三月
 最上栄林(55歳)、山形北部の龍門寺に隠居する。

天正四(1576)年
三月
 出羽国の大名・寒河江兼広(48歳)、家督を娘婿の吉川高基(?歳)に譲り隠居する。
 ※これにより、嫡男の小僧丸を兼広の娘と結婚させて寒河江家を継がせる約定を交わしていた最上義光と寒河江家との関係が悪化する。

天正五(1577)年
三月
 最上義光(33歳)、天童頼貞(?歳)の天童城を攻めるが落とせず撤退し、頼貞の娘を側室に入れ和睦する。
七月
 出羽国村山地方の大名・白鳥長久(?歳)、上洛し織田信長(44歳)に謁見する。
八月
 最上義光、上洛して織田信長に謁見する。

天正六(1578)年
六月
 出羽国大名・寒河江家の前当主・寒河江兼広、死去(50歳)。

天正七(1579)年
?月
 出羽国大名・天童頼貞の死去(?歳)により、頼貞の嫡男・天童頼澄(12歳)が当主となる。

天正八(1580)年
?月
 最上義光(36歳)、天童ヶ原(現在の尾花沢市)で馬揃え式を挙行する。
 最上義光、北部・最上郡の小国城主・細川直元(?歳)を万騎ヶ原合戦で滅ぼし、家臣の蔵増光忠を小国城主とする。

天正九(1581)年
?月
 最上義光(37歳)、真室川地方の鮭延城主・鮭延秀綱(貞綱の嫡男 19歳)、鮭延家臣・庭月広綱、新庄城主・日野有祐を配下に置く。

○鮭延秀綱の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力34、統率力59、知略63

天正十(1582)年
六月
 最上義光(38歳)、砂越城主・砂越家を通じて庄内地方の大名・大宝寺義氏(32歳)の領内を策謀で混乱させる。
九月
 最上義光、天童頼澄(15歳)の天童城を攻めるが落とせず撤退する。

天正十一(1583)年
三月
 大宝寺義氏(33歳)の娘婿・前森義長(のちの東禅寺義長 40歳)、最上義光(39歳)に内通して挙兵し義氏を切腹させる。

○東禅寺義長の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力43、統率力48、知略58

天正十二(1584)年
三月
 最上義光(40歳)、家臣の山家(やんべ)城主・山家九郎二郎に天童・成生の土地を与える確約を交わし、出羽国の有力大名連合「最上八盾」(天童・成生・東根・六田・長瀞・飯田・尾花沢・延沢)と対立する。
五月
 天童頼澄(17歳)、最上義光の侵攻に備え、居城・天童城を改修する。
 最上義光、近隣大名の伊達輝宗(41歳)に、天童頼澄ら最上八盾からの加勢の要請を拒絶させる密約を交わす。
六月
 最上義光、村山地方の大名・白鳥長久(?歳)を山形城に招いて暗殺し、兵三千を率いて長久の居城・谷地城を攻め落城させる。
 寒河江高基(?歳)の弟・柴橋頼綱(27歳)、白鳥家の援軍に出陣するが最上軍に敗れ討死する。
 最上義光、谷地城の落城後に寒河江高基の寒河江城も攻めて落城させ、高基を自害させる(最上家による谷地・寒河江地方の制圧)。
八月
 伊達輝宗、京に政権を樹立した羽柴秀吉(49歳)に使者を送り親交を深める。
九月
 天童頼澄、最上義光の侵攻に備え、同盟する「最上八盾」の援軍も引き入れ兵三千で天童城に籠城する。
 最上義光、最上八盾の一人である延沢城主・延沢満延(41歳)の嫡男・又五郎に娘・松尾姫を嫁がせ、延沢満延を天童頼澄から離反させる。
 最上義光、最上八盾の一人である東根城主・東根頼景(天童頼澄の弟 ?歳)の重臣・里見源右衛門を離反させて挙兵し東根城を制圧、東根頼景を討つ。
 最上義光、最上八盾の一人である成生城主・成生伯耆守と内通し天童頼澄から離反させる。

○延沢満延の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力13、統率力77、知略34

十月
 最上義光、天童頼澄の天童城を落城させ出羽国の最上・村山地方を制圧するが、延沢満延との約定により頼澄は助命する。
 天童頼澄、母親の実家に当たる陸奥国大名・国分政重(伊達輝宗の弟 32歳)を頼り亡命する。
 最上義光、天童城を廃城とし城跡に愛宕神社を勧請する。

○国分政重(盛重)の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力29、統率力18、知略12

天正十三(1585)年
二月
 天童家旧臣の瀧口某・浅岡某が最上家に対して天童領の川原子で挙兵するが鎮圧される。
六月
 伊達政宗(19歳)と芦名家との抗争により、伊達家と対立する最上家ら周辺の諸大名が同盟し伊達家包囲網が形成される。
七月
 羽柴秀吉(50歳)、関白に就任し東北地方の諸大名に武威を示す書状を送る。

天正十四(1586)年
七月
 伊達政宗(20歳)と佐竹義重(40歳)・芦名家同盟、相馬義胤(39歳)の仲介により和平を結ぶ(奥口総和)。

○佐竹義重の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力84、統率力83、知略82

○相馬義胤の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力50、統率力71、知略46

十一月
 最上義光(42歳)と庄内地方の大名・大宝寺義興(33歳)、伊達政宗の仲介により和平を結ぶ。

○大宝寺義興の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力36、統率力37、知略41

十二月
 関白・豊臣秀吉(51歳)、関東・東北地方の諸大名に惣無事令を発する。

天正十五(1587)年
十月
 伊達家家臣・鮎貝宗信(?歳)、出羽国鮎貝城で謀反を起こし籠城するが伊達軍に鎮圧され最上家に亡命する。
 東禅寺義長(44歳)、大宝寺義興(34歳)に対して挙兵し、最上義光(43歳)も和議を破り大宝寺領に侵攻する。
十一月
 最上義光、大宝寺義興の居城・尾浦城を落城させ義興を山形城に連行し自害させる。

天正十六(1588)年
正月
 伊達政宗(22歳)、陸奥国大名・大崎義隆(41歳)の家中騒動に乗じて兵一万を動員して大崎領に侵攻し、義隆は中新田城に籠城する。
二月
 大崎義隆、伊達家重臣・黒川晴氏(66歳)の寝返りや義弟・最上義光(44歳)による兵五千の援軍を得て伊達軍を撃退する。

○黒川晴氏の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力39、統率力61、知略63

四月
 最上義光(44歳)、伊達領の陸奥国秋保(あきう)に侵攻するが兵百を討ち取られ撤退する。
五月
 最上義光、関白・豊臣秀吉(53歳)の大使・金山宗洗を山形城に招き、惣無事令に従い出羽国の統治を進める約定を交わす。
六月
 佐竹義重(42歳)・芦名義広(佐竹義重の次男 24歳)連合軍、伊達家の陸奥国郡山城を包囲し膠着状態となる。(郡山合戦)

○芦名義広の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力47、統率力46、知略23

七月
 大崎義隆・最上義光連合軍、伊達家との和睦を成立させ撤兵する。
 佐竹義重・芦名義広連合軍、伊達家との和睦を成立させ撤兵する。

天正十七(1589)年
?月
 最上義光の弟・長瀞義保(?歳)の嫡男・松根光広、誕生。
正月
 関白・豊臣秀吉(54歳)、伊達政宗(23歳)に書状で上洛を要求する。
十一月
 関白・豊臣秀吉、関東地方の大名・北条家の討伐を決定する。

天正十八(1590)年
五月
 最上栄林、死去(70歳)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あ、これ完全に読書メモですんで……気にしないでネ 上

2016年04月17日 13時38分30秒 | 日記
吉川弘文館 人物叢書・第285巻 『最上義光』 伊藤 清郎 2016年3月刊


元弘三(1333)年
六月
 後醍醐天皇(46歳)、鎌倉幕府の滅亡後に京に帰洛し天皇親政を開始する(建武政権)。
 建武政権、鎌倉幕府討滅に大功のあった武将・足利高氏(29歳)を鎮守府将軍ならびに左兵衛督に任命する。
八月
 建武政権、参議・葉室光顕(はるあき 37歳)を出羽守ならびに秋田城介、参議・北畠顕家(16歳)を陸奥守に任命する。
 鎮守府将軍・足利高氏、建武政権の命により武蔵守を兼任し、後醍醐帝より偏諱を拝領し名を「尊氏」とあらためる。
十月
 北畠陸奥守顕家、後醍醐帝の第七皇子・義良親王(のりよし 6歳)を奉じて陸奥国府・多賀城に入城する。
十一月
 北畠陸奥守顕家、多賀城に式評定衆・引付衆・政所・侍所・評定奉行・寺社奉行・安堵奉行を開設し、陸奥国内各地に郡奉行・郡検断を配置する。

建武二(1335)年
七月
 鎌倉幕府執権家の末裔・北条時行(?歳)、亡命先の信濃国諏訪で挙兵し武蔵・相模・駿河国を制圧し鎌倉を奪回する(中先代の乱)。
八月
 建武政権、鎮守府将軍・足利尊氏(31歳)を征東将軍に任命し北条時行の反乱を鎮圧させる。
十一月
 征東将軍・足利尊氏、重臣・斯波高経の嫡男・家長(15歳)を奥州管領に任命し陸奥国に派遣する。
 建武政権、鎌倉で独自に政務を始める征東将軍・足利尊氏に対して全国に征討令を発令する。
 建武政権、北畠陸奥守顕家(18歳)を鎮守府将軍に任命し足利尊氏の征討を命じる。
十二月
 足利尊氏、鎌倉に向かう建武政権の征討軍を駿河・相模国境の箱根竹ノ下合戦で撃破し上洛を開始する。
 鎮守府将軍・北畠顕家、義良親王(8歳)を奉じ兵5万を率いて鎌倉へ進撃を開始する。

延元元(1336)年
正月
 鎮守府将軍・北畠顕家(19歳)ひきいる征討軍、鎌倉を制圧し尊氏軍を追い東海道を西上する。
 足利尊氏(32歳)ひきいる鎌倉軍、上洛し京を制圧する。後醍醐帝(49歳)、比叡山に亡命する。
 征討軍、近江国から侵攻し尊氏軍から京を奪回する。
二月
 建武政権、京奪回の功により北畠顕家を鎮守府大将軍に任命する。
 尊氏軍20万、摂津国豊島河原合戦で征討軍10万に敗れ九州地方に撤退する。
三月
 鎮守府大将軍・北畠顕家、東日本の足利軍掃討のために陸奥国に下向する。
五月
 鎮守府大将軍・北畠顕家、陸奥国府・多賀城に帰還する。
六月
 足利尊氏、西日本の兵力を総動員して上洛し京を再び制圧する。
十一月
 足利尊氏、比叡山の後醍醐帝と和睦し持明院統の光明天皇(15歳)に譲位させ、建武式目を制定する(室町幕府の発足)。
十二月
 後醍醐帝、京を脱出し大和国吉野に亡命、自らの譲位を撤回し南朝政権を発足させる(南北朝時代の開始)。

延元二(1337)年
正月
 鎮守府大将軍・北畠顕家(20歳)、関東地方の足利軍をにらみ陸奥国府を多賀城から南の霊山城に移す。
八月
 鎮守府大将軍・北畠顕家、建武政権の要請を受け義良親王(10歳)を奉じ兵10万を率いて鎌倉へ進撃を開始する。
十二月
 北畠顕家ひきいる征討軍、鎌倉を制圧し奥州管領・斯波家長(17歳)を討つ。
 北畠軍、第二次上洛を開始し東海道を西上する。
 足利尊氏(33歳)、側近の石塔義房(?歳)を奥州管領に任命し陸奥国に下向させる。

暦応元(1338)年
二月
 鎮守府大将軍・北畠顕家(21歳)の上洛軍、大和国般若坂合戦で幕府軍に敗れ義良親王(11歳)を吉野朝廷へ送還する。
五月
 北畠顕家、和泉国石津合戦で幕府軍に敗れ討死(21歳)。
 吉野朝廷、北畠顕家の弟・顕信(19歳)を陸奥介ならびに鎮守府将軍に任命する。
八月
 足利尊氏(34歳)、征夷大将軍に就任する。

暦応二(1339)年
?月
 鎮守府将軍・北畠顕信(20歳)、陸奥国に下向するが幕府軍の多賀城を攻め落とせず霊山城を拠点とする。

貞和元(1345)年
?月
 将軍・足利尊氏(41歳)、奥州管領・石塔義房(?歳)を解任し、後任に吉良貞家(?歳)と畠山国氏(?歳)を任命し共同統治とする。

貞和三(1347)年
?月
 幕府軍の攻撃により南朝の霊山城が落城し、鎮守府将軍・北畠顕信(28歳)、出羽国に撤退する。

貞和五(1349)年
閏六月
 将軍・足利尊氏(45歳)と弟・足利直義(44歳)の対立が決定的となり幕府が内乱状態となる(観応の擾乱)。
九月
 将軍・足利尊氏、四男・足利基氏(10歳)を初代鎌倉公方に任命し鎌倉に下向させる。

観応二(1351)年
二月
 足利直義派の奥州管領・吉良貞家(?歳)、観応擾乱に乗じて足利尊氏派の奥州管領・畠山国氏(?歳)の居城・陸奥国岩切城を攻め国氏を自害させる。
十一月
 鎮守府将軍・北畠顕信(30歳)、観応擾乱に乗じて出羽国で挙兵し、陸奥国広瀬川合戦で幕府軍を破り陸奥国府・多賀城を奪回する。

文和元(1352)年
三月
 奥州管領・吉良貞家(?歳)、鎮守府将軍・北畠顕信(31歳)の陸奥国多賀城を攻撃し奪回する。顕信、陸奥国南部の宇津峰城に拠点を移す。

文和二(1353)年
五月
 奥州管領・吉良貞家(?歳)、鎮守府将軍・北畠顕信(32歳)の陸奥国宇津峰城を攻め落城させる。顕信、出羽国へ撤退する。

文和三(1354)年
?月
 幕府、奥州管領・吉良貞家(?歳)を解任し初代奥州管領・斯波家長の叔父・斯波家兼(47歳)を奥州管領に任命する。

延文元(1356)年
六月
 奥州管領・斯波家兼、死去(49歳)。家兼の嫡男・斯波直持(30歳)、奥州管領に就任する。
?月
 幕府、奥州管領・斯波家兼の次男(?)・斯波兼頼(42歳)を羽州管領に任命し、出羽国山形に下向させる(最上家の成立)。
 ※以上のように、本来ならば兄であるはずの斯波直持と弟であるはずの斯波兼頼との間には年齢上の食い違いが存在する。
 羽州管領・斯波兼頼、出羽国の天台宗立石寺を復興させる。
 奥州管領・斯波家兼、三男・斯波義宗(?歳)を出羽国村山地方の有力国人・天童義景(?歳)の養子に送り天童家を勢力下に置く。

永和元(1375)年
?月
 奥州管領・斯波直持(49歳)、奥州管領職を嫡男・大崎詮持(?歳)に譲り隠居する。
?月
 羽州管領・斯波兼頼(61歳)、羽州管領職を嫡男・最上直家(?歳)に譲り隠居する。
 ※直家の在世中、叔父・天童義宗の死去にともない直家は次男・頼直を天童家の養子に送り天童家支配を強化させている。

康暦元(1379)年
六月
 前羽州探題・斯波兼頼、死去(65歳)。

明徳三(1392)年
?月
 幕府、陸奥・出羽2ヶ国の統治を鎌倉公方に移譲する。

応永六(1399)年
三月
 第3代鎌倉公方・足利満兼(22歳)、次弟・足利満直(?歳)を陸奥国安積郡篠川、三弟・足利満貞(?歳)を陸奥国岩瀬郡稲村に派遣し東北地方の統治を強化する(篠川公方と稲村公方の誕生)。

応永七(1400)年
?月
 奥州管領・大崎詮持(?歳)、東北地方の大名・伊達政宗(48歳)の鎌倉公方に対する反乱に乗じて挙兵するが、鎌倉公方の攻撃に敗れ自害する。

応永九(1402)年
?月
 東北大名・伊達政宗(50歳)、鎌倉公方の命を受けた羽州探題・最上直家らの奥羽大名連合軍に陸奥国刈田城を攻められるが撃退する。

応永十七(1410)年
正月
 羽州探題・最上直家、死去(?歳)。嫡男・最上満直(?歳)が家督を継承する。
 ※最上満直、在世中に次男・満基を山形城の支城・中野城(山形城の北西)の城主とし最上本家を補佐させる。
 ※満直はさらに在世中、三男・満直(二世)を大窪城主(現在の山形県村山市中心部)、四男・満国を楯岡城主(現在の村山市東部)とし支配を北方に拡大させている。

応永二十(1413)年
?月
 東北大名・伊達持宗(21歳)、陸奥国大仏城を拠点として鎌倉公方に対して挙兵し、篠川・稲村御所を攻撃する。
 ※伊達持宗は初名を泰宗といったが、室町幕府第4代将軍・足利義持より「持」の偏諱を賜り持宗に名を改めた。以来、伊達家歴代当主は足利将軍家から偏諱を受ける慣習となる。
 鎌倉公方の命を受けた羽州探題・最上満直(?歳)ら奥羽大名連合軍、伊達持宗の大仏城を落城させ反乱を鎮圧する。

応永二十三(1416)年
八月
 羽州探題・最上満直、死去(?歳)。嫡男・最上満家(?歳)が家督を継承する。
 ※最上満家は、在世中に山形城の北方の長瀞地方(現在の山形県東根市)に支配を拡大させている(最上家の分家・長瀞家のはじまり)。
十月
 前関東管領・上杉禅秀氏憲(?歳)、第4代鎌倉公方・足利持氏(19歳)に対して挙兵し鎌倉を制圧する(上杉禅秀の乱)。

応永二十四(1417)年
正月
 室町幕府による鎮圧軍の総攻撃を受け、上杉禅秀、鎌倉で自害(上杉禅秀の乱の終結)。

応永三十一(1424)年
?月
 羽州探題・最上満家(?歳)、家督を嫡男・最上頼宗(?歳)に譲り自身は長瀞城に隠居。
 ※その後、母の実家・陸奥国芦名家の後見を受けた頼宗と、母(満家の正室)の実家・出羽国寒河江家の後見を受けた異母弟・政家(?歳)との間で対立が発生する。

貞享二(1430)年
?月
 羽州探題・最上頼宗(?歳)、家督を異母弟・政家(?歳)に譲り隠居。
 ※最上政家は在世中に室町幕府第8代将軍・足利義政より「義」の偏諱を賜り名を「義春」と改めた。以来、最上家歴代当主は足利将軍家から「義」の偏諱を受ける慣習となる。

永享十一(1439)年
二月
 第4代鎌倉公方・足利持氏(42歳)と叔父の稲村公方・足利満貞(?歳)、幕府軍の攻撃を受け武蔵国永安寺で自害する(鎌倉公方の滅亡)。

永享十二(1440)年
六月
 篠川公方・足利満直(?歳)、下総国で勃発した結城合戦に乗じて挙兵した陸奥国人に篠川御所を攻められ自害する。
 ※鎌倉公方体制の崩壊により、東北地方の統治は奥州管領大崎家と羽州管領最上家に一任されることとなる。

嘉吉(1441)元年
二月
 前羽州探題・最上頼宗、死去(?歳)。

嘉吉三(1443)年
三月
 元羽州探題・最上満家、死去(?歳)。

宝徳二(1450)年
?月
 羽州探題・最上義春(?歳)、出羽国庄内地方に侵攻し大名・大宝寺淳氏(きようじ ?歳)と戦うが生け捕られ和睦する。

享徳三(1454)年
十二月
 第5代鎌倉公方・足利成氏(21歳)、関東管領・上杉憲忠(22歳)を誅殺し京の室町幕府に対して挙兵する(享徳の乱)。

享徳四(1455)年
三月
 鎌倉公方・足利成氏(22歳)、拠点を鎌倉から下総国古河に移す(古河公方)。

長禄四(1460)年
?月
 室町幕府第8代将軍・足利義政(25歳)、羽州探題・最上義春(?歳)、出羽国庄内地方の大名・大宝寺淳氏(?歳)ら奥羽地方の諸大名に鎌倉公方・足利成氏追討令を発するが諸大名の多くは兵を動かさず。

寛正二年(1461)年
十月
 羽州探題・最上義春(?歳)、室町幕府による第一次足利成氏追討軍に出兵。

寛正三(1462)年
九月
 出羽国庄内地方の大名・大宝寺淳氏(?歳)、将軍・足利義政(27歳)の推挙により出羽守に補任される。

寛正五(1464)年
?月
 大宝寺淳氏(?歳)、上洛して将軍・足利義政(29歳)に謁見する。

文正元(1466)年
?月
 羽州探題・最上義春(?歳)、室町幕府による第二次足利成氏追討軍に出兵。

応仁元(1467)年
?月
 東北大名・伊達成宗(33歳)と陸奥国大名・国分盛行(?歳)の第一次合戦、起こる(東北地方における戦国時代の始まり)。
?月
 出羽国庄内地方の大名・大宝寺健氏(淳氏の嫡男 ?歳)、山形城で羽州探題・最上義春(?歳)と会見し友好関係を強める。

文明二(1470)年
八月
 東北大名・伊達成宗(36歳)と陸奥国大名・国分盛行(?歳)の第二次合戦、起こる。

文明四(1472)年
十一月
 東北大名・伊達成宗(35歳)と陸奥国大名・国分盛行(?歳)、第三次合戦を経て和睦する。

文明六(1474)年
三月
 羽州探題・最上義春、死去(?歳)。義春の弟・最上義秋(?歳)、家督を継承する。

文明十一(1479)年
十二月
 東北大名・伊達成宗(42歳)、対立していた出羽国大名・寒河江為広(?歳)の寒河江城を攻めるが寒さにより撤退する(出羽国における戦国時代の始まり)。

文明十二(1480)年
二月
 羽州探題・最上義秋、死去(?歳)。分家の中野満氏(義秋の従弟 35歳)が家督を継承する。
三月
 東北大名・伊達成宗(43歳)、寒河江為広(?歳)を再び攻めるが菖蒲沼合戦で大敗し重臣・桑折播磨守宗義(?歳)を討ち取られる。
 ※菖蒲沼合戦における最上家の動向は不詳だが、最上満氏は戦後に伊達成宗と共同で出羽国慈恩寺山中に桑折宗義の菩提寺・松蔵寺を寄進している。

明応三(1494)年
七月
 羽州探題・最上満氏、死去(49歳)。嫡男・最上義淳(?歳)が家督を継承する。

永正元(1504)年
七月
 出羽国大名・寒河江宗広、死去(?歳)。
 宗広の死後、寒河江家の次期当主を巡り次男・祥真(?歳)と六男・孝広(2歳)との間で抗争が発生する。
九月
 羽州探題・最上義淳、死去(?歳)。
 最上義淳の嫡男・義定(13歳)、最上家当主と羽州探題を継承し寒河江家の内紛に乗じて寒河江地方に三度出兵するが、制圧に失敗する。
 寒河江の大寺院・慈恩寺、寒河江家と最上家の戦乱により焼亡する。

永正二(1505)年
?月
 寒河江孝広(3歳)を擁する勢力、寒河江祥真とその支援勢力を滅ぼし孝広を寒河江家当主とする。

永正五(1508)年
?月
 東北大名・伊達尚宗(56歳)、出羽国上山に侵攻し羽州探題・最上義定(17歳)と対立する。

永正六(1509)年
八月
 東北大名・伊達尚宗(57歳)、陸奥国大名・国分盛綱(72歳)と出羽国大名・寒河江孝広(7歳)を勢力下に置く。

永正十一(1514)年
二月
 東北大名・伊達尚宗の嫡男・伊達高宗(のちの稙宗 25歳)、出羽国山形に侵攻し最上義定(23歳)に勝利、上山城・長谷堂城を占拠する。
 最上義定、山形城から中野城に退避。
 伊達高宗、一門衆の重臣・小梁川親朝(高宗の曽祖父・持宗の孫 ?歳)を長谷堂城主に置く。
五月
 東北大名・伊達尚宗、死去(62歳)。嫡男・高宗(のちの稙宗 25歳)が家督を継承する。

○伊達高宗(稙宗)の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力99、統率力65、知略96

永正十二(1515)年
?月
 伊達高宗(26歳)、寒河江家の仲介により最上義定(24歳)と和睦し、妹を最上義定の継室に送り最上家を事実上の支配下に置く。
 最上義定、山形城に帰還。

永正十四(1517)年
?月
 東北大名・伊達高宗(28歳)、室町幕府第10代将軍・足利義稙(52歳)より偏諱を賜り「稙宗」に名を改める。

永正十七(1520)年
二月
 羽州探題・最上義定、死去(29歳)。義定に子が無かったため、最上家当主は一時不在となる。
四月
 出羽国上山城主・上山義房(?歳)、伊達家に対して挙兵する。
 東北大名・伊達稙宗(31歳)、挙兵した上山義房の鎮圧を名目に出兵し、山形・上山・天童・高擶(たかたま)地方を制圧する。

大永元(1521)年
?月
 天童頼長、前年の合戦で伊達家に加担した立石寺(山寺)を焼き討ちする。
七月
 東北大名・伊達稙宗(32歳)、最上家ら支配下の軍勢を率いて出羽国高瀬山に布陣し出羽国大名の寒河江孝広(19歳)と対峙する。
八月
 伊達稙宗、寒河江孝広との合戦に決着がつかず撤退する。

大永二(1522)年
?月
 前羽州探題・最上義定の弟・中野義建(よしたつ ?歳)の嫡男・中野義清(?歳)の次男・長松丸(のちの最上義守 2歳)、最上家当主となる。
 ※2年前に29歳で急死した最上義定の弟である中野義建に、この時点で2人の孫がいるという状況は不自然である。
 2歳の長松丸の後見として、最上義定の未亡人(伊達稙宗の妹)が実権を掌握する。

○最上義守の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力42、統率力39、知略21

四月
 最上長松丸を傀儡とした伊達家による最上家の支配に対抗した出羽国大名・成生(なりゅう)三郎、中山朝勝、天童頼長、東根頼景(頼長の甥)が挙兵するが、伊達家の出兵により鎮圧される。

大永三(1523)年
?月
 東北大名・伊達稙宗(36歳)、室町幕府としては史上初の陸奥国守護に任命される。
 ※それまで室町幕府は、陸奥国は奥州探題、出羽国は羽州探題が統治するという体制だった。

天文四(1535)年
?月
 最上長松丸(15歳)、元服して義守と名乗り、天童頼長の焼き討ちにより荒廃していた立石寺を復興させる。

天文六(1537)年
?月
 陸奥国守護・伊達稙宗(50歳)、次男・小僧丸(12歳 のちの大崎義宜)を奥州探題・大崎義直(?歳)の養子に送り大崎家を勢力下に置く。

○大崎義直の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力46、統率力50、知略27

○大崎義宜の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力45、統率力26、知略44

天文十一(1542)年
六月
 陸奥国守護・伊達稙宗(55歳)の嫡男・伊達晴宗(24歳)、父・稙宗の独裁体制の強化に反対する勢力を率いて稙宗幽閉未遂事件を起こし、伊達家中に稙宗・晴宗父子の内乱が発生する(天文の乱)。
 天文の乱の勃発にともない、奥州探題・大崎家も晴宗派の当主・義直(?歳)と稙宗派の養子・義宜(17歳)との間で内乱が発生する。
 最上義守(22歳)、義母の兄である伊達稙宗に加勢して長谷堂城を最上家直轄に戻し、出羽国南部の置賜地方に侵攻する(最上家の実質的な伊達家からの独立)。

○伊達晴宗の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力84、統率力61、知略76

十一月
 最上義守、置賜地方を制圧する。

天文十二(1543)年
四月
 最上義守(23歳)、出羽・陸奥国境の笹谷峠まで侵攻する。

天文十五(1546)年
正月
 最上義守(26歳)の嫡男・白寿丸(のちの最上義光)、誕生する。

○最上義光の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力83、統率力73、知略86

天文十六(1547)年
?月
 伊達稙宗派の有力大名・芦名盛氏(27歳)、同じ稙宗派の大名・田村隆顕(?歳)との陸奥国中通り地方を巡る抗争から晴宗派に寝返り、稙宗派が劣勢となる。
 稙宗派の最上義守(27歳)、芦名盛氏の寝返りに乗じて晴宗派に寝返る。

○芦名盛氏の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力82、統率力84、知略78

○田村隆顕の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力44、統率力76、知略53

天文十七(1548)年
九月
 陸奥国守護・伊達稙宗(61歳)、家督を嫡男・晴宗(30歳)に譲り隠居し、天文の乱が終結する。

天文十九(1550)年
五月
 奥州探題・大崎義直(?歳)、天文の乱以来対立していた養子・義宜(25歳)を暗殺する。

天文二十四(1555)年
?月
 陸奥国守護・伊達晴宗(37歳)、奥州探題職を大崎義直から禅譲され名実ともに陸奥国を単独支配する。

永禄元(1558)年
?月
 最上義守の嫡男・白寿丸(12歳)、元服して室町幕府第13代将軍・足利義輝より偏諱を賜り最上義光と名乗る。

永禄三(1560)年
三月
 最上義守(40歳)、寒河江兼広(32歳)の寒河江城を攻めるが落とせず撤退する。

永禄六(1563)年
六月
 最上義守(43歳)・義光(17歳)父子、上洛して将軍・足利義輝(28歳)に謁見する。

○足利義輝の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力57、統率力73、知略26

永禄七(1564)年
?月
 最上義守(44歳)の次女・義姫(17歳)、伊達輝宗(21歳)の正室となる。

○伊達輝宗の『信長の野望』シリーズでのだいたいの評価
 政治力67、統率力58、知略50
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そこは平将門公でしょ!!  映画『仮面ライダー1号』

2016年04月05日 14時16分46秒 | 特撮あたり
映画『仮面ライダー1号』(2016年3月26日公開 96分 東映)

 映画『仮面ライダー1号』は、仮面ライダーシリーズ生誕45周年記念作品であり、「スーパーヒーローイヤー2016年スペシャルプロジェクト」第1弾作品であり、藤岡弘、の演じる仮面ライダー1号・本郷猛を主人公とする映画作品である。藤岡を迎えたことについて、東映プロデューサーの白倉伸一郎は、「テレビでは成しえなかった本郷猛の単独主演を全うして欲しかったという思いがあり、今まで一度もなかった『仮面ライダー』を映画で見たいと思ったんです。」と語っている。藤岡の主演する仮面ライダーの映画作品は、1972年公開の『仮面ライダー対じごく大使』以来44年ぶりであり、藤岡は70歳にして変身シーンを披露することとなる。公開時点での仮面ライダーシリーズ最新作『仮面ライダーゴースト』のキャラクターも登場する。
 監督は、『仮面ライダー』放送当時に駆け出しのスーツアクターとしてトランポリンアクションを担当するなど、藤岡と共演した経験を持つ金田治。脚本には、平成仮面ライダーシリーズの第1期で数多くの作品を執筆した井上敏樹が5年ぶりに登板している。
 敵組織ショッカーの最高幹部・地獄大使の役には、映画『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』(2009年)で同役を演じた大杉漣が再登板する。

 主演の藤岡弘、は本作に企画として参加しており、制作スタッフ陣と共に5ヶ月をかけて脚本を完成させたという。
 藤岡のもとへオファーが来たのは2015年春であり、「単独主演が可能なのか」と一瞬頭が真っ白になったが、「命の尊さを今の子供たちに訴えよう」と考える一方、「自分を追い続けてきたかつての子供たちを失望させてはいけない」と考え、それゆえの不安を振り切ろうと筋トレなどに励んだ。そのためもあり、変身した仮面ライダー1号の新たなデザインは、貫禄を増した藤岡の体格を反映したものとなっている。
 プロデューサーの白倉は、本作の15年前に仮面ライダー30周年記念映画『仮面ライダーアギト PROJECT G4』(2001年公開)にゲスト出演した藤岡と初対面した時から、藤岡の演じる本郷を主役にした映画作品の構想を持っており、映画『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』(2011年)ですでに変身した姿の仮面ライダー1号の声を、映画『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦』(2014年)で本郷猛を藤岡に演じてもらったことで、「これならそろそろ具体化できるかな」と相談して実現に至った。
 藤岡の主演が決定してから監督に起用された金田治は、井上敏樹による脚本の中身を細かく詰めたが、井上は「ヒロインにも45年という歴史を背負わせたい」との思いから麻由が立花藤兵衛の孫という設定を考えたうえ、「ライダーが45年なら敵であるショッカーにも同じだけの時間が流れているだろう」と、ショッカー内部での世代抗争や地獄大使の再登場を考えたという。
 本作は2016年3月26日に全国劇場公開され、公開初日2日間で動員数約12万4千人、興行収入約1億5千万円を記録した。

あらすじ
 世界征服を企んだ悪の秘密結社・ショッカーが本郷猛(仮面ライダー1号)たちの活躍によって壊滅してから、すでに半世紀近い歳月が流れていた。だが本郷は今もなお、世界各地でショッカーの残党たちと戦い続けていた。
 そんなある日、本郷は日本にいる少女・立花麻由がかつてのショッカー最高幹部・地獄大使を復活させるための生贄としてショッカー残党に狙われていることを知り、緊急帰国する。天空寺タケル(仮面ライダーゴースト)と深海マコト(仮面ライダースペクター)たちと出会い麻由の情報を手に入れた本郷は、かつての師・立花藤兵衛の孫娘でもある麻由を守ろうと動き出す。しかし、長年に渡る激闘の日々が本郷の改造人間としてのボディに重篤なダメージを与え、その活動には限界が近づいていた。
 そのころ、ショッカー残党の中から離反した新組織ノバショッカーもまた、独自のやり方で世界征服の手始めとして日本を手中に収めようと動き出していた。
 人間の自由と平和のために戦い続けた男の物語は、遂に終章を迎えるのか、それとも新たなる伝説の序章となるのか。

おもな登場キャラクター
本郷猛(仮面ライダー1号)…… 藤岡 弘、(70歳)
 本作の3年前から海外を拠点に活動していたが、藤兵衛の孫娘・麻由の危機を救うために緊急帰国する。仮面ライダーゴーストらと協力してショッカー残党やノバショッカーと対峙する。
 長年に渡るショッカー残党との激闘の影響で、本郷自身の改造人間としての肉体には多大なダメージが蓄積され、時折、心臓の発作に襲われている。
 仮面ライダー1号としての姿は、本作では新規デザインで登場する。長い戦いの中、傷つき機能低下した身体をカバーするために本郷自身が強化した。体型は本作撮影時点での藤岡弘、に合わせて太めとなっているほか、両肩には肩当てが付いている。
 デザインを担当した田嶋秀樹は、演じる藤岡の姿と強さを追求した結果と語っており、配色については「本郷猛の帰還」という意味を込めて「桜島1号」をオマージュした色合いにしたと発言している。

地獄大使 …… 大杉 漣(64歳)
 ショッカー大首領が倒されて半世紀近く経過した現代でもなお、世界各地で悪事を働いていたショッカー残党の前に、亡霊となった状態で登場。謎の眼魔の介入により肉体を伴った完全復活を遂げるため、立花藤兵衛の孫娘・麻由の中に眠る「英雄の眼魂」を生け贄として狙う。復活後の戦闘時では、顔だけが最終形態のガラガランダに変身した状態になることができる。
 外見のデザインは映画『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』(2009年)のものとおおむね同じである。

立花 麻由 …… 岡本 夏美(17歳)
 本郷の師であった立花藤兵衛の孫。城南大学付属高校の高校生で、花屋でアルバイトをしながら一人暮らしをしているが、ショッカー残党によって地獄大使復活のための生贄として狙われる。武道には多少の心得があり、ショッカー戦闘員を投げ飛ばすくらいのことはできる。
 ショッカー残党に追われる中で本郷と再会するが、彼が祖父・藤兵衛と「麻由が一人前になるまで、彼女のそばにいる」という約束を交わしていたにもかかわらず、3年前にショッカー残党と闘うために海外へ赴いたことを許せずにいる。
 体内にある「アレクサンダー眼魂」の影響で、時折、人格の変化が起こるようになっている。

ノバショッカー
 ショッカーから離反した者たちで結成された秘密結社。力による世界征服ではなく経済による世界の掌握を目論み、日本政府に新エネルギーの供給を提案する。組織のシンボルマークは、「3つの首を持つ鷲」となっている。
 改造人間のスーツは、『仮面ライダー』の初期ショッカー改造人間のように、スーツアクターの目が見える形状となっている。

ウルガ …… 阿部 力(34歳)
 ノバショッカー三幹部のリーダー格。その正体はハイエナの改造人間。
 素早い動きや衝撃波を武器とする。ショッカーの目的であったアレクサンダー眼魂を得たことで、ウルガアレクサンダーへ変貌する。

イーグラ …… 長澤 奈央(32歳)
 ノバショッカー三幹部の紅一点で、ウルガの秘書的存在。常に人間態として行動しているが、戦闘時はサーベルを使用する。作中では変身しなかったが、蜂女系統の改造人間であると推測されている。

バッファル …… 武田 幸三(43歳)
 ノバショッカー三幹部一のパワーファイター。ウルガに忠誠を誓っている。変身前の生身での攻撃力も改造人間レベルに高い。
 その正体はコンドルの能力を持った改造人間。デザインは『仮面ライダー』に登場したゲバコンドルをモデルにしている。ゲバコンドルは『仮面ライダー』で藤岡弘、が降板した後に登場した怪人であるため、デザインを担当した竹谷隆之は「藤岡とゲバコンドルを戦わせてあげたい」という考えからモチーフに用いた。

ノバショッカー戦闘員
 三幹部の指揮下で従事する戦闘員。デザインはショッカー骨戦闘員をアーマー状にアレンジしている。

ネオサイクロン
 最高時速545キロメートル、ブースター使用時の時速645キロメートル。ジャンプ力45メートル。ベース車はホンダ・ゴールドウイングF6C。
 立花藤兵衛が遺した最後のマシンで、藤兵衛が1号のサイクロン号を強化改造したという設定になっている。デザインを担当した田嶋秀樹によれば、本作の1号の体形に合わせて仮面ライダーシリーズで最大排気量車となるF6Cを選択したとのことで、戦闘的なフォルムがベース車に相応しいと思ったという。「藤兵衛が本郷猛のことをすべて熟知したうえで作り上げた究極の専用マシン」を一番のコンセプトとして、45年間の戦闘でパワーアップした1号に合わせる藤兵衛の気持ちになってデザインしたという。

おもなスタッフ
監督 …… 金田 治(66歳)
脚本 …… 井上 敏樹(56歳)
クリーチャーデザイン …… 竹谷 隆之(52歳)、島本 和彦(54歳)
特撮監督 …… 佛田 洋(54歳)
アクション監督 …… 竹田 道弘(54歳)

≪本文マダヨ~≫
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする