小説『帝都幻談』(1997~2007年)
『帝都幻談(ていとげんだん)』は、荒俣宏の長編伝奇小説。『週刊文春』1997年5月1・8日合併号から11月27日号にかけて連載され、後に大幅に加筆・修正を加えた単行本上巻(第一部)と、その続編である書き下ろしの下巻(第二・三部)が2007年3月に文藝春秋から発売された。
カバーイラストと挿絵は水木しげるが担当した。
あらすじ
諸外国からの開国の圧力に江戸幕府が揺れる嘉永六(1853)年。
妖怪どもは怨霊の総大将アテルイを呼び起こす本物の「魔王の木槌」をついに手に入れ、時空の歪みの果てからさらなる魔物どもを引き起こそうとしていた。このままでは江戸が滅ぶ! 江戸・安芸・水戸を結ぶ恐るべき「首」の謎とは? 水戸藩の重鎮・藤田東湖は、新たな仲間たちと共にこの危機に立ち向かうが……
広大なスケールで描く怨念の大戦の行方や、いかに?
おもな登場人物
遠山 左衛門尉 景元(とおやま さえもんのじょう かげもと 1793~1855年)
幼名・通之進(みちのしん)。通称が父・景晋と同じく金四郎であったため「遠山の金さん」として親しまれている。天保十一(1840)年三月に江戸北町奉行に就任し、幕府と町民との間で葛藤しながらも、平田篤胤と協力して蝦夷の怨霊たちと対決する。丸顔だが涼しい眉で引き締まった野性味のある表情の男。興奮すると青年期に過ごした市井の江戸弁(べらんめぇ調)が出る。
嘉永五(1852)年に南町奉行を辞職して隠居し、剃髪して「帰雲」と号する。
平田 銕胤(ひらた かねたね 1799~1880年)
国学者で、平田篤胤の娘婿。通称・内蔵助(くらのすけ)。篤胤亡き後に私塾「気吹廼舎(いぶきのや)」の二代目当主として平田学派の門人400名を束ね、加藤重兵衛の江戸破壊計画に対抗する。
平田 千枝 / おちょう(1805~88年)
平田篤胤の実娘で、平将門を祀る巫女。父・篤胤を守護霊として、トランス状態となり篤胤の霊告を語る。
藤田 東湖(ふじた とうこ 1806~55年)
常陸国水戸藩の重鎮で、藩主・水戸斉昭の腹心。水戸藩随一の政策通かつ国学「水戸学」の主導者であり、江戸幕藩体制を超越した新たな政治思想「尊皇攘夷」を掲げている。平田篤胤や屋代弘賢とも親しく、平田を水戸学に引き入れようとしている。大怨霊アテルイの首を狙う加藤重兵衛と対決する。
加藤 重兵衛(かとう じゅうべえ)
鳥居耀蔵の信頼を得て間者を務める若い同心。身長は6尺(約180cm)を超える痩せた男。頬骨は高く面長な顔で、顔色は蒼く唇はうすく、冷酷な灰色の瞳をしている。仏教の三宝荒神像の顔によく似ている。家紋は、京の陰陽道総帥・土御門家と同じ「丸に晴明判(五芒星)」。
第二・三部では広島藩士となり、稲生武太夫の授かった本物の魔王の木槌を探索する。剣技・気合術の他に呪術や天文学にも精通している。毒を塗った五芒星の形の手裏剣や蟲毒の術を使う。
平安時代の大陰陽師・安倍晴明の流れに連なる陰陽師でありながら、正統の土御門家とは異なる「外道」の陰陽師として五芒星(ドーマンセーマン)の書かれた木札を使い、緑色に光る鬼神「式神」や、蟲毒で強化した「犬神」を使役する。その正体は、紀伊国の龍神村出身の熊野別当の末裔であり、大和朝廷や北朝に服従しなかった古代からの民族の怨念そのものであり、全国各地に眠る怨霊どもを江戸で復活させて日本を滅ぼそうとする。
田村 幸四郎(たむら こうしろう)
幕府旗本。1810~20年代生まれの30歳代。呪術は一切使えないが、北辰一刀流千葉道場師範代を務める。平田学派の門弟で、江戸の好事家集団「耽奇会」の世話役を務めるほどの古物好き。かつての師・平田篤胤と深い縁のあった稲生武太夫の直筆の書『稲生怪談実録』に興味を持つ。
初代 中村 鶴蔵(なかむら つるぞう 1809~86年)
江戸・猿若町の芝居小屋「市村座」の歌舞伎役者。師匠である二世中村仲蔵から受け継いだ、初代仲蔵が平賀源内から譲り受けたという稲生武太夫直筆の書『稲生怪談実録』を田村幸四郎に売ろうとする。のち慶応元(1865)年に三世中村仲蔵を襲名する。
景安 正朝(かげやす まさとも)
備後国・賀羅加波(からかわ)神社(現・広島県三島市)神主で、平田銕胤の門人。森忠国の従兄。1820年代生まれの30歳すぎ。平田篤胤と稲生武太夫の因縁に詳しく、銕胤の命により三次の国前寺に保管されている本物の魔王の木槌を確認する。
森 忠国(もり ただくに)
安芸国広島の町医者で、景安正朝の従弟。正朝・楢原久敬父子と共に国前寺の魔王の木槌を確認する。オランダ医学を学んでおり、外科手術ができる。
楢原 久敬(ならはら ひさたか)
景安正朝の父で、森忠国の叔父。正朝・忠国の共に国前寺の魔王の木槌を確認する。
日顕(にっけん)
日蓮宗の総本山・身延山久遠寺(現・山梨県身延町)の僧で、日本全国を旅する修行を行っている。1800年代生まれの50歳前後。同じ日蓮宗の寺である広島藩の国前寺を訪ねたところで、加藤重兵衛のはなった犬神の襲撃に遭遇する。
稲生 武太夫(当代)
広島藩士で、『稲生物怪録』の主人公である稲生平太郎武太夫の孫(「武太夫」は稲生家の当主が代々継いでいる通称)。鬢の毛の逆立った古武士の風格を持つ老人。楢原久敬の来訪を受けて、国前寺の魔王の木槌を護るために加勢する。
徳川 斉昭(とくがわ なりあき 1800~60年)
江戸時代後期の親藩大名で、「徳川御三家」の一家である常陸国水戸藩の第九代藩主。江戸幕府最後の第十五代将軍・徳川慶喜の実父。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人だったが、徳川将軍家の継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。尊称は「烈公」。
宮木野(みやぎの)
大陰陽師・安倍晴明に駆逐された法師陰陽師・芦屋道満の末裔「芦屋党」の女性。ぼろのような着物を着ており、縮れた白髪交じりの長髪に背を丸くした小柄な女性で、若いようにも老婆のようにも聞こえる高音のかすれ声で話す。18世紀前半に生まれた芦屋党の巫女「桂女(かつらめ)」だったが、敵対する安倍晴明の末裔であり、恋仲でもあった加藤重兵衛の命を狙う。ハンミョウの毒を塗りつけた刀や、口から吐く白い毒霧を武器とする。100歳前後の高齢だが、芦屋党の長寿の秘術により、大人の男性を背負った状態でも敵の集団から逃げ切ることができる脚力を持つ。
田中 久重(たなか ひさしげ 1799~1881年)
江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した発明家・技術者。通称の儀右衛門から「からくり儀右衛門」として知られる。ポンプ式で灯油を自動補給できる灯明「無尽灯(むじんとう)」など数多くの新製品を考案した。京で田中屋工房を運営し、自らの発明品「万年時計(万年自鳴鐘)」をもって加藤重兵衛の呪術を封じんとする。平田学派国学と土御門家陰陽道の両方に門弟として名を連ね、両者の仲介を果たす。護身用に、独自開発した6発連発式ピストルを携行している。
土御門 晴雄(つちみかど はれたけ 1827~69年)
日本陰陽道の総本家である土御門家の総帥。京の梅小路にある天文観測所で日本の暦を管理し、田中久重の要請により怨霊アテルイの鎮魂に協力する。
平井 保昌(ひらい やすまさ 1840~1912年)
『帝都物語』にも登場する、土御門神道の陰陽師。総帥・土御門晴雄の信頼も厚い陰陽道の麒麟児。星の運行を観測して行う吉兆判断の術に長けており、16歳の若さで土御門家で行う卜定(ぼくじょう)の全てを担当している。まだ髪型は禿(かむろ おかっぱ頭のこと)で、色白な少年。白い紙を金属のように硬化させて飛ばす式神の術で、加藤重兵衛の式神を撃退する。
国友 充俶(くにとも みつよし ?~1888年)
江戸時代幕末期の鉄砲鍛冶師。通称は十代目国友藤兵衛(とうべえ)。日本初の実用空気銃「気砲 / 気炮(きほう)」や反射式望遠鏡を製作し「江戸時代のエジソン」や「江戸のダ・ヴィンチ」と評された九代目国友藤兵衛重恭の息子。国友藤兵衛家は代々、近江国国友村(現・滋賀県長浜市国友町)の幕府御用鉄砲鍛冶の家系である。
※本作では「国友一貫」と名乗っているが、「一貫」という名は充俶の父親の号である。
山ン本 五郎左衛門(さんもと ごろうざえもん)
江戸時代中期の妖怪物語『稲生物怪録(いのうぶっかいろく)』に登場する妖怪どもの棟梁・魔王。西日本の妖怪を統率している。
平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
平安時代の関東地方最大の英雄。京の中央集権主義に刃向かい関東を独立国家化したため討伐されたが、その没後もなお900年間にわたり、日比谷大手前の首塚の下で関東と首府江戸を守護し続ける、江戸の産土神・氏神。『帝都物語』シリーズ全体の根幹をなす最重要人物。
阿弖流為(アテルイ ?~802年)
奈良時代末期~平安時代初期にに陸奥国胆沢(現・岩手県奥州市)を支配して朝廷に鎮圧・処刑された荒蝦夷の大怨霊。別名・悪路王 / 阿黒王(あくろおう / あぐろおう)。その斬首された生首には強大な怨念が籠もっていたため常陸国水戸城で封印され、処刑後千年もの間、戦国時代の佐竹家から江戸幕府の水戸藩にいたるまで代々、魂鎮めの儀式が行われている。その首は禿頭で目は炭火のように赤く光り、朝廷に処刑された際に両耳と眉毛を落とされている。
おもな用語解説
魔王の木槌
『稲生物怪録』の主人公・稲生武太夫(1734~1803年)が魔王・山ン本五郎左衛門から授かった、日本各地の妖怪や怨霊どもを召喚することができる魔宝。第一部で平賀源内が最上徳内を通じて入手したものは実は偽物であり、本物は稲生武太夫が自宅で保管しており、晩年近くの享和二(1802)年に安芸国広島藩の国前寺(現・広島市東区)に預けていた。
空芒の刻(くうぼうのとき)
江戸幕府の定めた日本の時刻(暦と刻)が太陰暦と太陽暦の組み合わせで設定されていることから、一日の終わりである「子の刻」と始まりである「丑の刻」との間に生じてしまう割り切れない時間のこと。このわずか1分間の隙間に北の空で異界との出入口「空芒」が生まれ、陰陽道や風水では異界から魔物が出没して地上に現れる真の鬼門となるとされている。
蠱毒の術(こどくのじゅつ)
中国大陸で発達し、日本でも平安時代ごろまでに盛んに用いられた、相手に生物の霊を憑かせる呪殺術。ヘビ、サソリ、ムカデなどの魔力あるいは毒のある生き物同士を闘わせて毒を強化し、最後まで生き残ったものの魔のエキスを採取し、これを呪う相手に飲ませたり持たせたり、武器に塗り付けて攻撃したりすることで発動する。古代の日本ではしばしば蟲術の禁止令が出されるほど流行した。
方相氏(ほうそうし)
大晦日に朝廷で行われる疫病や悪霊を追い払う儀式に登場する、赤い装束を全身にまとい赤い4つの目の鬼面「醜面(しこおもて)」を着けた魔除けの神。その由来は、古代中国大陸に存在した役職「方相氏」で、悪疫が流行した際に首を切ってその生首を王宮の庭に置き、その恐ろしい形相で悪霊を退散させたという故事に基づく。
鹿島大明神の神馬(しんめ)
天変地異が起こる前に現れるという、朱色の腹帯を締め背中に「鹿島大明神」の御幣を背負った、巨大な芦毛の白馬。鹿島大明神の使いであるこの神馬に出遭った時に馬の毛を手に入れた者は、天災が起こっても死なないと言われている。
芦屋党(あしやとう)
忍びのように全身黒装束に黒覆面を着けた戦闘集団。加藤重兵衛の裏切りを知った鳥居耀蔵に雇われ、重兵衛抹殺の命を受ける。その正体は、安倍晴明につらなる陰陽師への復讐を誓った民間陰陽師の一党である。本作では10人が徒党を組んで登場し、重兵衛の式神を返り討ちにしている。重兵衛に匹敵する剣術と脚力を持つ。言葉に外国なまりがある。
桂女(かつらめ)
かつて京都の桂川でとれた鮎を頭に乗せた籠に入れて売り歩いていた行商の女性のこと。しかし、やがて桂女は白装束に白い布を頭に巻いて町を歩く遊女兼巫女の仕事も行うようになり、歌や踊りを得意としながら占いも行い、名前の中に「かつ(勝つ)」があることから武士階級にも重用されていた。桂女は武将と共に戦場におもむいて勝敗の占いや戦勝祈願、武将の慰問を行い、武将が死亡した場合はその霊を弔う役目もあったという。
桂女の白一色の異装は現代の花嫁衣裳の白無垢や角隠しにも通じるものがあり、これは古代日本の第十四代・仲哀天皇の正妻である神宮皇后(4世紀後半ごろ)が三韓征伐の途上で産気づいた際に、従った侍女「伊波多姫(いわたひめ)」が白い布で皇后の腹を巻いて安産に導いたという故事に基づく。そのため、伊波多姫の末裔とも言われる桂女もまた、安産の守り神として尊崇されている。
万年時計(万年自鳴鐘)
田中久重が嘉永四(1851)年に発明した、太陰暦による和時計の時間と太陽暦による西洋時計の時間を同時に表示できる機械式和時計。高さ3尺(約90cm)で6面柱の形をしており、1000点を超える部品のほとんどが田中による手作りで作られている。季節によって昼夜の時刻の長さの違う不定時法に対応して文字盤の間隔が全自動で動くなど様々な仕掛けが施されており、時間の隙間を埋めることで魔物の侵入を防ぐことができる。
平安符(へいあんふ)
縦9cm、横6cm 程の長方形の魔除けの絵符。木版刷りで両脇に龍の絵が描かれた護符で、中央に「平安吉慶」と墨書して家屋に貼る習慣が中国大陸で広まっていた。毎月五日(月齢第五夜)の五ツ刻(夜20~21時)に戸口に貼っていると、家にやって来る邪悪なものを退けられると信じられていた。もともとこの護符には、蠱毒にも使われる毒を持つ5種類の生物(サソリ・ムカデ・ヘビ・ヒキガエル・クモ)の絵が描かれていたが、姿がおどろおどろしいために後に龍の絵に代えられ、魔除けよりも吉祥を招き国家安寧を願う意味合いが強まっていった。
本作では、平田篤胤が生前に「平安吉圭」と書きかえたものを遺している。
摩竭魚(まかつぎょ)
古代インドで海の怪物と恐れられていた巨大な魚。「摩竭」はサンスクリット語で巨大な鯨や亀を意味する。体が極めて大きく、海底の洞窟に棲み、船を吞み込むと信じられていた。インドでは門などの仏教建築や仏像、装飾品のデザインにワニのような形態で描かれるが、実在する魚としてはサメに相当する場合が多く、サメの歯を用いてつくった道具・装飾品が摩竭魚のものとして伝承されている。
本作では全身が黄金に輝くサメのような大魚として3頭出現し、日本で桃山時代ごろから信じられていた「日本列島を取り巻いて地震を起こす巨大ナマズ」と同一視される。この巨大ナマズの頭を鹿島神宮(現・茨木県鹿嶋市)の要石、尾を香取神宮(現・千葉県香取市)の要石が押さえつけて地震を鎮めていると信じられており、両神宮の直線距離は約13km である。安政の大地震の発生後には200種を超える「鯰絵」が出回った。
安政の大地震
江戸時代後期の安政年間(1855~60年)に、日本各地で連発した大地震。一般的には安政二(1855)年十月に発生した「安政江戸地震(マグニチュード7クラス)」のみを指すことが多いが、この前年にあたる安政元(1854)年十一月に発生した南海トラフ型巨大地震である「安政東海地震」および「安政南海地震」(ともにマグニチュード8.4クラス)を含める場合もあり、さらには「伊賀上野地震」(1854年7月)に始まる「豊予海峡地震
」(1854年12月)や「安政八戸沖地震」(1856年)、「飛越地震」(1858)年といった安政年間に発生した13回の大地震をまとめて「安政の大地震」と総称することもある。
この大地震が連発した当時、江戸幕府は嘉永六(1853)年六月三日のアメリカ合衆国の黒船が来航し、同年七月十八日にはロシア帝国海軍のディアナ号が来航するなど、相次いで海外列強から開港を迫られる多難な情勢にあったため、国内の社会不安の増大と尊皇攘夷・討幕運動を助長する影響を少なからず与えた。
ヨモツモノ
かつて古代に5000年以上ヤマト民族に支配され虐待され続けた他民族の復讐に燃える怨念が凝り固まって生まれた「鬼」一族を、陰陽師集団が「黄泉(よみ)」に送った際に、魂を失い怨念だけが残った鬼の残骸。2005年の荒俣宏原作の小説および映画『妖怪大戦争』にもその概念が登場する。本作では、安政二年十月に発生した「安政江戸地震」によって地表の裂け目から大量に出現して、被災した江戸をさらなる崩壊に導こうとする。手足や目玉の生えた悪臭を放つ腐肉の塊で、芋虫のように蠕動しながら移動する。
≪本文マダヨ≫
『帝都幻談(ていとげんだん)』は、荒俣宏の長編伝奇小説。『週刊文春』1997年5月1・8日合併号から11月27日号にかけて連載され、後に大幅に加筆・修正を加えた単行本上巻(第一部)と、その続編である書き下ろしの下巻(第二・三部)が2007年3月に文藝春秋から発売された。
カバーイラストと挿絵は水木しげるが担当した。
あらすじ
諸外国からの開国の圧力に江戸幕府が揺れる嘉永六(1853)年。
妖怪どもは怨霊の総大将アテルイを呼び起こす本物の「魔王の木槌」をついに手に入れ、時空の歪みの果てからさらなる魔物どもを引き起こそうとしていた。このままでは江戸が滅ぶ! 江戸・安芸・水戸を結ぶ恐るべき「首」の謎とは? 水戸藩の重鎮・藤田東湖は、新たな仲間たちと共にこの危機に立ち向かうが……
広大なスケールで描く怨念の大戦の行方や、いかに?
おもな登場人物
遠山 左衛門尉 景元(とおやま さえもんのじょう かげもと 1793~1855年)
幼名・通之進(みちのしん)。通称が父・景晋と同じく金四郎であったため「遠山の金さん」として親しまれている。天保十一(1840)年三月に江戸北町奉行に就任し、幕府と町民との間で葛藤しながらも、平田篤胤と協力して蝦夷の怨霊たちと対決する。丸顔だが涼しい眉で引き締まった野性味のある表情の男。興奮すると青年期に過ごした市井の江戸弁(べらんめぇ調)が出る。
嘉永五(1852)年に南町奉行を辞職して隠居し、剃髪して「帰雲」と号する。
平田 銕胤(ひらた かねたね 1799~1880年)
国学者で、平田篤胤の娘婿。通称・内蔵助(くらのすけ)。篤胤亡き後に私塾「気吹廼舎(いぶきのや)」の二代目当主として平田学派の門人400名を束ね、加藤重兵衛の江戸破壊計画に対抗する。
平田 千枝 / おちょう(1805~88年)
平田篤胤の実娘で、平将門を祀る巫女。父・篤胤を守護霊として、トランス状態となり篤胤の霊告を語る。
藤田 東湖(ふじた とうこ 1806~55年)
常陸国水戸藩の重鎮で、藩主・水戸斉昭の腹心。水戸藩随一の政策通かつ国学「水戸学」の主導者であり、江戸幕藩体制を超越した新たな政治思想「尊皇攘夷」を掲げている。平田篤胤や屋代弘賢とも親しく、平田を水戸学に引き入れようとしている。大怨霊アテルイの首を狙う加藤重兵衛と対決する。
加藤 重兵衛(かとう じゅうべえ)
鳥居耀蔵の信頼を得て間者を務める若い同心。身長は6尺(約180cm)を超える痩せた男。頬骨は高く面長な顔で、顔色は蒼く唇はうすく、冷酷な灰色の瞳をしている。仏教の三宝荒神像の顔によく似ている。家紋は、京の陰陽道総帥・土御門家と同じ「丸に晴明判(五芒星)」。
第二・三部では広島藩士となり、稲生武太夫の授かった本物の魔王の木槌を探索する。剣技・気合術の他に呪術や天文学にも精通している。毒を塗った五芒星の形の手裏剣や蟲毒の術を使う。
平安時代の大陰陽師・安倍晴明の流れに連なる陰陽師でありながら、正統の土御門家とは異なる「外道」の陰陽師として五芒星(ドーマンセーマン)の書かれた木札を使い、緑色に光る鬼神「式神」や、蟲毒で強化した「犬神」を使役する。その正体は、紀伊国の龍神村出身の熊野別当の末裔であり、大和朝廷や北朝に服従しなかった古代からの民族の怨念そのものであり、全国各地に眠る怨霊どもを江戸で復活させて日本を滅ぼそうとする。
田村 幸四郎(たむら こうしろう)
幕府旗本。1810~20年代生まれの30歳代。呪術は一切使えないが、北辰一刀流千葉道場師範代を務める。平田学派の門弟で、江戸の好事家集団「耽奇会」の世話役を務めるほどの古物好き。かつての師・平田篤胤と深い縁のあった稲生武太夫の直筆の書『稲生怪談実録』に興味を持つ。
初代 中村 鶴蔵(なかむら つるぞう 1809~86年)
江戸・猿若町の芝居小屋「市村座」の歌舞伎役者。師匠である二世中村仲蔵から受け継いだ、初代仲蔵が平賀源内から譲り受けたという稲生武太夫直筆の書『稲生怪談実録』を田村幸四郎に売ろうとする。のち慶応元(1865)年に三世中村仲蔵を襲名する。
景安 正朝(かげやす まさとも)
備後国・賀羅加波(からかわ)神社(現・広島県三島市)神主で、平田銕胤の門人。森忠国の従兄。1820年代生まれの30歳すぎ。平田篤胤と稲生武太夫の因縁に詳しく、銕胤の命により三次の国前寺に保管されている本物の魔王の木槌を確認する。
森 忠国(もり ただくに)
安芸国広島の町医者で、景安正朝の従弟。正朝・楢原久敬父子と共に国前寺の魔王の木槌を確認する。オランダ医学を学んでおり、外科手術ができる。
楢原 久敬(ならはら ひさたか)
景安正朝の父で、森忠国の叔父。正朝・忠国の共に国前寺の魔王の木槌を確認する。
日顕(にっけん)
日蓮宗の総本山・身延山久遠寺(現・山梨県身延町)の僧で、日本全国を旅する修行を行っている。1800年代生まれの50歳前後。同じ日蓮宗の寺である広島藩の国前寺を訪ねたところで、加藤重兵衛のはなった犬神の襲撃に遭遇する。
稲生 武太夫(当代)
広島藩士で、『稲生物怪録』の主人公である稲生平太郎武太夫の孫(「武太夫」は稲生家の当主が代々継いでいる通称)。鬢の毛の逆立った古武士の風格を持つ老人。楢原久敬の来訪を受けて、国前寺の魔王の木槌を護るために加勢する。
徳川 斉昭(とくがわ なりあき 1800~60年)
江戸時代後期の親藩大名で、「徳川御三家」の一家である常陸国水戸藩の第九代藩主。江戸幕府最後の第十五代将軍・徳川慶喜の実父。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人だったが、徳川将軍家の継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。尊称は「烈公」。
宮木野(みやぎの)
大陰陽師・安倍晴明に駆逐された法師陰陽師・芦屋道満の末裔「芦屋党」の女性。ぼろのような着物を着ており、縮れた白髪交じりの長髪に背を丸くした小柄な女性で、若いようにも老婆のようにも聞こえる高音のかすれ声で話す。18世紀前半に生まれた芦屋党の巫女「桂女(かつらめ)」だったが、敵対する安倍晴明の末裔であり、恋仲でもあった加藤重兵衛の命を狙う。ハンミョウの毒を塗りつけた刀や、口から吐く白い毒霧を武器とする。100歳前後の高齢だが、芦屋党の長寿の秘術により、大人の男性を背負った状態でも敵の集団から逃げ切ることができる脚力を持つ。
田中 久重(たなか ひさしげ 1799~1881年)
江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した発明家・技術者。通称の儀右衛門から「からくり儀右衛門」として知られる。ポンプ式で灯油を自動補給できる灯明「無尽灯(むじんとう)」など数多くの新製品を考案した。京で田中屋工房を運営し、自らの発明品「万年時計(万年自鳴鐘)」をもって加藤重兵衛の呪術を封じんとする。平田学派国学と土御門家陰陽道の両方に門弟として名を連ね、両者の仲介を果たす。護身用に、独自開発した6発連発式ピストルを携行している。
土御門 晴雄(つちみかど はれたけ 1827~69年)
日本陰陽道の総本家である土御門家の総帥。京の梅小路にある天文観測所で日本の暦を管理し、田中久重の要請により怨霊アテルイの鎮魂に協力する。
平井 保昌(ひらい やすまさ 1840~1912年)
『帝都物語』にも登場する、土御門神道の陰陽師。総帥・土御門晴雄の信頼も厚い陰陽道の麒麟児。星の運行を観測して行う吉兆判断の術に長けており、16歳の若さで土御門家で行う卜定(ぼくじょう)の全てを担当している。まだ髪型は禿(かむろ おかっぱ頭のこと)で、色白な少年。白い紙を金属のように硬化させて飛ばす式神の術で、加藤重兵衛の式神を撃退する。
国友 充俶(くにとも みつよし ?~1888年)
江戸時代幕末期の鉄砲鍛冶師。通称は十代目国友藤兵衛(とうべえ)。日本初の実用空気銃「気砲 / 気炮(きほう)」や反射式望遠鏡を製作し「江戸時代のエジソン」や「江戸のダ・ヴィンチ」と評された九代目国友藤兵衛重恭の息子。国友藤兵衛家は代々、近江国国友村(現・滋賀県長浜市国友町)の幕府御用鉄砲鍛冶の家系である。
※本作では「国友一貫」と名乗っているが、「一貫」という名は充俶の父親の号である。
山ン本 五郎左衛門(さんもと ごろうざえもん)
江戸時代中期の妖怪物語『稲生物怪録(いのうぶっかいろく)』に登場する妖怪どもの棟梁・魔王。西日本の妖怪を統率している。
平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
平安時代の関東地方最大の英雄。京の中央集権主義に刃向かい関東を独立国家化したため討伐されたが、その没後もなお900年間にわたり、日比谷大手前の首塚の下で関東と首府江戸を守護し続ける、江戸の産土神・氏神。『帝都物語』シリーズ全体の根幹をなす最重要人物。
阿弖流為(アテルイ ?~802年)
奈良時代末期~平安時代初期にに陸奥国胆沢(現・岩手県奥州市)を支配して朝廷に鎮圧・処刑された荒蝦夷の大怨霊。別名・悪路王 / 阿黒王(あくろおう / あぐろおう)。その斬首された生首には強大な怨念が籠もっていたため常陸国水戸城で封印され、処刑後千年もの間、戦国時代の佐竹家から江戸幕府の水戸藩にいたるまで代々、魂鎮めの儀式が行われている。その首は禿頭で目は炭火のように赤く光り、朝廷に処刑された際に両耳と眉毛を落とされている。
おもな用語解説
魔王の木槌
『稲生物怪録』の主人公・稲生武太夫(1734~1803年)が魔王・山ン本五郎左衛門から授かった、日本各地の妖怪や怨霊どもを召喚することができる魔宝。第一部で平賀源内が最上徳内を通じて入手したものは実は偽物であり、本物は稲生武太夫が自宅で保管しており、晩年近くの享和二(1802)年に安芸国広島藩の国前寺(現・広島市東区)に預けていた。
空芒の刻(くうぼうのとき)
江戸幕府の定めた日本の時刻(暦と刻)が太陰暦と太陽暦の組み合わせで設定されていることから、一日の終わりである「子の刻」と始まりである「丑の刻」との間に生じてしまう割り切れない時間のこと。このわずか1分間の隙間に北の空で異界との出入口「空芒」が生まれ、陰陽道や風水では異界から魔物が出没して地上に現れる真の鬼門となるとされている。
蠱毒の術(こどくのじゅつ)
中国大陸で発達し、日本でも平安時代ごろまでに盛んに用いられた、相手に生物の霊を憑かせる呪殺術。ヘビ、サソリ、ムカデなどの魔力あるいは毒のある生き物同士を闘わせて毒を強化し、最後まで生き残ったものの魔のエキスを採取し、これを呪う相手に飲ませたり持たせたり、武器に塗り付けて攻撃したりすることで発動する。古代の日本ではしばしば蟲術の禁止令が出されるほど流行した。
方相氏(ほうそうし)
大晦日に朝廷で行われる疫病や悪霊を追い払う儀式に登場する、赤い装束を全身にまとい赤い4つの目の鬼面「醜面(しこおもて)」を着けた魔除けの神。その由来は、古代中国大陸に存在した役職「方相氏」で、悪疫が流行した際に首を切ってその生首を王宮の庭に置き、その恐ろしい形相で悪霊を退散させたという故事に基づく。
鹿島大明神の神馬(しんめ)
天変地異が起こる前に現れるという、朱色の腹帯を締め背中に「鹿島大明神」の御幣を背負った、巨大な芦毛の白馬。鹿島大明神の使いであるこの神馬に出遭った時に馬の毛を手に入れた者は、天災が起こっても死なないと言われている。
芦屋党(あしやとう)
忍びのように全身黒装束に黒覆面を着けた戦闘集団。加藤重兵衛の裏切りを知った鳥居耀蔵に雇われ、重兵衛抹殺の命を受ける。その正体は、安倍晴明につらなる陰陽師への復讐を誓った民間陰陽師の一党である。本作では10人が徒党を組んで登場し、重兵衛の式神を返り討ちにしている。重兵衛に匹敵する剣術と脚力を持つ。言葉に外国なまりがある。
桂女(かつらめ)
かつて京都の桂川でとれた鮎を頭に乗せた籠に入れて売り歩いていた行商の女性のこと。しかし、やがて桂女は白装束に白い布を頭に巻いて町を歩く遊女兼巫女の仕事も行うようになり、歌や踊りを得意としながら占いも行い、名前の中に「かつ(勝つ)」があることから武士階級にも重用されていた。桂女は武将と共に戦場におもむいて勝敗の占いや戦勝祈願、武将の慰問を行い、武将が死亡した場合はその霊を弔う役目もあったという。
桂女の白一色の異装は現代の花嫁衣裳の白無垢や角隠しにも通じるものがあり、これは古代日本の第十四代・仲哀天皇の正妻である神宮皇后(4世紀後半ごろ)が三韓征伐の途上で産気づいた際に、従った侍女「伊波多姫(いわたひめ)」が白い布で皇后の腹を巻いて安産に導いたという故事に基づく。そのため、伊波多姫の末裔とも言われる桂女もまた、安産の守り神として尊崇されている。
万年時計(万年自鳴鐘)
田中久重が嘉永四(1851)年に発明した、太陰暦による和時計の時間と太陽暦による西洋時計の時間を同時に表示できる機械式和時計。高さ3尺(約90cm)で6面柱の形をしており、1000点を超える部品のほとんどが田中による手作りで作られている。季節によって昼夜の時刻の長さの違う不定時法に対応して文字盤の間隔が全自動で動くなど様々な仕掛けが施されており、時間の隙間を埋めることで魔物の侵入を防ぐことができる。
平安符(へいあんふ)
縦9cm、横6cm 程の長方形の魔除けの絵符。木版刷りで両脇に龍の絵が描かれた護符で、中央に「平安吉慶」と墨書して家屋に貼る習慣が中国大陸で広まっていた。毎月五日(月齢第五夜)の五ツ刻(夜20~21時)に戸口に貼っていると、家にやって来る邪悪なものを退けられると信じられていた。もともとこの護符には、蠱毒にも使われる毒を持つ5種類の生物(サソリ・ムカデ・ヘビ・ヒキガエル・クモ)の絵が描かれていたが、姿がおどろおどろしいために後に龍の絵に代えられ、魔除けよりも吉祥を招き国家安寧を願う意味合いが強まっていった。
本作では、平田篤胤が生前に「平安吉圭」と書きかえたものを遺している。
摩竭魚(まかつぎょ)
古代インドで海の怪物と恐れられていた巨大な魚。「摩竭」はサンスクリット語で巨大な鯨や亀を意味する。体が極めて大きく、海底の洞窟に棲み、船を吞み込むと信じられていた。インドでは門などの仏教建築や仏像、装飾品のデザインにワニのような形態で描かれるが、実在する魚としてはサメに相当する場合が多く、サメの歯を用いてつくった道具・装飾品が摩竭魚のものとして伝承されている。
本作では全身が黄金に輝くサメのような大魚として3頭出現し、日本で桃山時代ごろから信じられていた「日本列島を取り巻いて地震を起こす巨大ナマズ」と同一視される。この巨大ナマズの頭を鹿島神宮(現・茨木県鹿嶋市)の要石、尾を香取神宮(現・千葉県香取市)の要石が押さえつけて地震を鎮めていると信じられており、両神宮の直線距離は約13km である。安政の大地震の発生後には200種を超える「鯰絵」が出回った。
安政の大地震
江戸時代後期の安政年間(1855~60年)に、日本各地で連発した大地震。一般的には安政二(1855)年十月に発生した「安政江戸地震(マグニチュード7クラス)」のみを指すことが多いが、この前年にあたる安政元(1854)年十一月に発生した南海トラフ型巨大地震である「安政東海地震」および「安政南海地震」(ともにマグニチュード8.4クラス)を含める場合もあり、さらには「伊賀上野地震」(1854年7月)に始まる「豊予海峡地震
」(1854年12月)や「安政八戸沖地震」(1856年)、「飛越地震」(1858)年といった安政年間に発生した13回の大地震をまとめて「安政の大地震」と総称することもある。
この大地震が連発した当時、江戸幕府は嘉永六(1853)年六月三日のアメリカ合衆国の黒船が来航し、同年七月十八日にはロシア帝国海軍のディアナ号が来航するなど、相次いで海外列強から開港を迫られる多難な情勢にあったため、国内の社会不安の増大と尊皇攘夷・討幕運動を助長する影響を少なからず与えた。
ヨモツモノ
かつて古代に5000年以上ヤマト民族に支配され虐待され続けた他民族の復讐に燃える怨念が凝り固まって生まれた「鬼」一族を、陰陽師集団が「黄泉(よみ)」に送った際に、魂を失い怨念だけが残った鬼の残骸。2005年の荒俣宏原作の小説および映画『妖怪大戦争』にもその概念が登場する。本作では、安政二年十月に発生した「安政江戸地震」によって地表の裂け目から大量に出現して、被災した江戸をさらなる崩壊に導こうとする。手足や目玉の生えた悪臭を放つ腐肉の塊で、芋虫のように蠕動しながら移動する。
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