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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都幻談 第二部・三巴&第三部・水戸』

2025年08月21日 20時09分27秒 | すきな小説
小説『帝都幻談』(1997~2007年)
 『帝都幻談(ていとげんだん)』は、荒俣宏の長編伝奇小説。『週刊文春』1997年5月1・8日合併号から11月27日号にかけて連載され、後に大幅に加筆・修正を加えた単行本上巻(第一部)と、その続編である書き下ろしの下巻(第二・三部)が2007年3月に文藝春秋から発売された。
 カバーイラストと挿絵は水木しげるが担当した。

あらすじ
 諸外国からの開国の圧力に江戸幕府が揺れる嘉永六(1853)年。
 妖怪どもは怨霊の総大将アテルイを呼び起こす本物の「魔王の木槌」をついに手に入れ、時空の歪みの果てからさらなる魔物どもを引き起こそうとしていた。このままでは江戸が滅ぶ! 江戸・安芸・水戸を結ぶ恐るべき「首」の謎とは? 水戸藩の重鎮・藤田東湖は、新たな仲間たちと共にこの危機に立ち向かうが……
 広大なスケールで描く怨念の大戦の行方や、いかに?


おもな登場人物
遠山 左衛門尉 景元(とおやま さえもんのじょう かげもと 1793~1855年)
 幼名・通之進(みちのしん)。通称が父・景晋と同じく金四郎であったため「遠山の金さん」として親しまれている。天保十一(1840)年三月に江戸北町奉行に就任し、幕府と町民との間で葛藤しながらも、平田篤胤と協力して蝦夷の怨霊たちと対決する。丸顔だが涼しい眉で引き締まった野性味のある表情の男。興奮すると青年期に過ごした市井の江戸弁(べらんめぇ調)が出る。
 嘉永五(1852)年に南町奉行を辞職して隠居し、剃髪して「帰雲」と号する。

平田 銕胤(ひらた かねたね 1799~1880年)
 国学者で、平田篤胤の娘婿。通称・内蔵助(くらのすけ)。篤胤亡き後に私塾「気吹廼舎(いぶきのや)」の二代目当主として平田学派の門人400名を束ね、加藤重兵衛の江戸破壊計画に対抗する。

平田 千枝 / おちょう(1805~88年)
 平田篤胤の実娘で、平将門を祀る巫女。父・篤胤を守護霊として、トランス状態となり篤胤の霊告を語る。

藤田 東湖(ふじた とうこ 1806~55年)
 常陸国水戸藩の重鎮で、藩主・水戸斉昭の腹心。水戸藩随一の政策通かつ国学「水戸学」の主導者であり、江戸幕藩体制を超越した新たな政治思想「尊皇攘夷」を掲げている。平田篤胤や屋代弘賢とも親しく、平田を水戸学に引き入れようとしている。大怨霊アテルイの首を狙う加藤重兵衛と対決する。

加藤 重兵衛(かとう じゅうべえ)
 鳥居耀蔵の信頼を得て間者を務める若い同心。身長は6尺(約180cm)を超える痩せた男。頬骨は高く面長な顔で、顔色は蒼く唇はうすく、冷酷な灰色の瞳をしている。仏教の三宝荒神像の顔によく似ている。家紋は、京の陰陽道総帥・土御門家と同じ「丸に晴明判(五芒星)」。
 第二・三部では広島藩士となり、稲生武太夫の授かった本物の魔王の木槌を探索する。剣技・気合術の他に呪術や天文学にも精通している。毒を塗った五芒星の形の手裏剣や蟲毒の術を使う。
 平安時代の大陰陽師・安倍晴明の流れに連なる陰陽師でありながら、正統の土御門家とは異なる「外道」の陰陽師として五芒星(ドーマンセーマン)の書かれた木札を使い、緑色に光る鬼神「式神」や、蟲毒で強化した「犬神」を使役する。その正体は、紀伊国の龍神村出身の熊野別当の末裔であり、大和朝廷や北朝に服従しなかった古代からの民族の怨念そのものであり、全国各地に眠る怨霊どもを江戸で復活させて日本を滅ぼそうとする。

田村 幸四郎(たむら こうしろう)
 幕府旗本。1810~20年代生まれの30歳代。呪術は一切使えないが、北辰一刀流千葉道場師範代を務める。平田学派の門弟で、江戸の好事家集団「耽奇会」の世話役を務めるほどの古物好き。かつての師・平田篤胤と深い縁のあった稲生武太夫の直筆の書『稲生怪談実録』に興味を持つ。

初代 中村 鶴蔵(なかむら つるぞう 1809~86年)
 江戸・猿若町の芝居小屋「市村座」の歌舞伎役者。師匠である二世中村仲蔵から受け継いだ、初代仲蔵が平賀源内から譲り受けたという稲生武太夫直筆の書『稲生怪談実録』を田村幸四郎に売ろうとする。のち慶応元(1865)年に三世中村仲蔵を襲名する。

景安 正朝(かげやす まさとも)
 備後国・賀羅加波(からかわ)神社(現・広島県三島市)神主で、平田銕胤の門人。森忠国の従兄。1820年代生まれの30歳すぎ。平田篤胤と稲生武太夫の因縁に詳しく、銕胤の命により三次の国前寺に保管されている本物の魔王の木槌を確認する。

森 忠国(もり ただくに)
 安芸国広島の町医者で、景安正朝の従弟。正朝・楢原久敬父子と共に国前寺の魔王の木槌を確認する。オランダ医学を学んでおり、外科手術ができる。

楢原 久敬(ならはら ひさたか)
 景安正朝の父で、森忠国の叔父。正朝・忠国の共に国前寺の魔王の木槌を確認する。

日顕(にっけん)
 日蓮宗の総本山・身延山久遠寺(現・山梨県身延町)の僧で、日本全国を旅する修行を行っている。1800年代生まれの50歳前後。同じ日蓮宗の寺である広島藩の国前寺を訪ねたところで、加藤重兵衛のはなった犬神の襲撃に遭遇する。

稲生 武太夫(当代)
 広島藩士で、『稲生物怪録』の主人公である稲生平太郎武太夫の孫(「武太夫」は稲生家の当主が代々継いでいる通称)。鬢の毛の逆立った古武士の風格を持つ老人。楢原久敬の来訪を受けて、国前寺の魔王の木槌を護るために加勢する。

徳川 斉昭(とくがわ なりあき 1800~60年)
 江戸時代後期の親藩大名で、「徳川御三家」の一家である常陸国水戸藩の第九代藩主。江戸幕府最後の第十五代将軍・徳川慶喜の実父。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人だったが、徳川将軍家の継嗣争いで大老・井伊直弼との政争に敗れて永蟄居となり、そのまま死去した。尊称は「烈公」。

宮木野(みやぎの)
 大陰陽師・安倍晴明に駆逐された法師陰陽師・芦屋道満の末裔「芦屋党」の女性。ぼろのような着物を着ており、縮れた白髪交じりの長髪に背を丸くした小柄な女性で、若いようにも老婆のようにも聞こえる高音のかすれ声で話す。18世紀前半に生まれた芦屋党の巫女「桂女(かつらめ)」だったが、敵対する安倍晴明の末裔であり、恋仲でもあった加藤重兵衛の命を狙う。ハンミョウの毒を塗りつけた刀や、口から吐く白い毒霧を武器とする。100歳前後の高齢だが、芦屋党の長寿の秘術により、大人の男性を背負った状態でも敵の集団から逃げ切ることができる脚力を持つ。

田中 久重(たなか ひさしげ 1799~1881年)
 江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した発明家・技術者。通称の儀右衛門から「からくり儀右衛門」として知られる。ポンプ式で灯油を自動補給できる灯明「無尽灯(むじんとう)」など数多くの新製品を考案した。京で田中屋工房を運営し、自らの発明品「万年時計(万年自鳴鐘)」をもって加藤重兵衛の呪術を封じんとする。平田学派国学と土御門家陰陽道の両方に門弟として名を連ね、両者の仲介を果たす。護身用に、独自開発した6発連発式ピストルを携行している。

土御門 晴雄(つちみかど はれたけ 1827~69年)
 日本陰陽道の総本家である土御門家の総帥。京の梅小路にある天文観測所で日本の暦を管理し、田中久重の要請により怨霊アテルイの鎮魂に協力する。

平井 保昌(ひらい やすまさ 1840~1912年)
 『帝都物語』にも登場する、土御門神道の陰陽師。総帥・土御門晴雄の信頼も厚い陰陽道の麒麟児。星の運行を観測して行う吉兆判断の術に長けており、16歳の若さで土御門家で行う卜定(ぼくじょう)の全てを担当している。まだ髪型は禿(かむろ おかっぱ頭のこと)で、色白な少年。白い紙を金属のように硬化させて飛ばす式神の術で、加藤重兵衛の式神を撃退する。

国友 充俶(くにとも みつよし ?~1888年)
 江戸時代幕末期の鉄砲鍛冶師。通称は十代目国友藤兵衛(とうべえ)。日本初の実用空気銃「気砲 / 気炮(きほう)」や反射式望遠鏡を製作し「江戸時代のエジソン」や「江戸のダ・ヴィンチ」と評された九代目国友藤兵衛重恭の息子。国友藤兵衛家は代々、近江国国友村(現・滋賀県長浜市国友町)の幕府御用鉄砲鍛冶の家系である。
※本作では「国友一貫」と名乗っているが、「一貫」という名は充俶の父親の号である。

山ン本 五郎左衛門(さんもと ごろうざえもん)
 江戸時代中期の妖怪物語『稲生物怪録(いのうぶっかいろく)』に登場する妖怪どもの棟梁・魔王。西日本の妖怪を統率している。

平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
 平安時代の関東地方最大の英雄。京の中央集権主義に刃向かい関東を独立国家化したため討伐されたが、その没後もなお900年間にわたり、日比谷大手前の首塚の下で関東と首府江戸を守護し続ける、江戸の産土神・氏神。『帝都物語』シリーズ全体の根幹をなす最重要人物。

阿弖流為(アテルイ ?~802年)
 奈良時代末期~平安時代初期にに陸奥国胆沢(現・岩手県奥州市)を支配して朝廷に鎮圧・処刑された荒蝦夷の大怨霊。別名・悪路王 / 阿黒王(あくろおう / あぐろおう)。その斬首された生首には強大な怨念が籠もっていたため常陸国水戸城で封印され、処刑後千年もの間、戦国時代の佐竹家から江戸幕府の水戸藩にいたるまで代々、魂鎮めの儀式が行われている。その首は禿頭で目は炭火のように赤く光り、朝廷に処刑された際に両耳と眉毛を落とされている。


おもな用語解説
魔王の木槌
 『稲生物怪録』の主人公・稲生武太夫(1734~1803年)が魔王・山ン本五郎左衛門から授かった、日本各地の妖怪や怨霊どもを召喚することができる魔宝。第一部で平賀源内が最上徳内を通じて入手したものは実は偽物であり、本物は稲生武太夫が自宅で保管しており、晩年近くの享和二(1802)年に安芸国広島藩の国前寺(現・広島市東区)に預けていた。

空芒の刻(くうぼうのとき)
 江戸幕府の定めた日本の時刻(暦と刻)が太陰暦と太陽暦の組み合わせで設定されていることから、一日の終わりである「子の刻」と始まりである「丑の刻」との間に生じてしまう割り切れない時間のこと。このわずか1分間の隙間に北の空で異界との出入口「空芒」が生まれ、陰陽道や風水では異界から魔物が出没して地上に現れる真の鬼門となるとされている。

蠱毒の術(こどくのじゅつ)
 中国大陸で発達し、日本でも平安時代ごろまでに盛んに用いられた、相手に生物の霊を憑かせる呪殺術。ヘビ、サソリ、ムカデなどの魔力あるいは毒のある生き物同士を闘わせて毒を強化し、最後まで生き残ったものの魔のエキスを採取し、これを呪う相手に飲ませたり持たせたり、武器に塗り付けて攻撃したりすることで発動する。古代の日本ではしばしば蟲術の禁止令が出されるほど流行した。

方相氏(ほうそうし)
 大晦日に朝廷で行われる疫病や悪霊を追い払う儀式に登場する、赤い装束を全身にまとい赤い4つの目の鬼面「醜面(しこおもて)」を着けた魔除けの神。その由来は、古代中国大陸に存在した役職「方相氏」で、悪疫が流行した際に首を切ってその生首を王宮の庭に置き、その恐ろしい形相で悪霊を退散させたという故事に基づく。

鹿島大明神の神馬(しんめ)
 天変地異が起こる前に現れるという、朱色の腹帯を締め背中に「鹿島大明神」の御幣を背負った、巨大な芦毛の白馬。鹿島大明神の使いであるこの神馬に出遭った時に馬の毛を手に入れた者は、天災が起こっても死なないと言われている。

芦屋党(あしやとう)
 忍びのように全身黒装束に黒覆面を着けた戦闘集団。加藤重兵衛の裏切りを知った鳥居耀蔵に雇われ、重兵衛抹殺の命を受ける。その正体は、安倍晴明につらなる陰陽師への復讐を誓った民間陰陽師の一党である。本作では10人が徒党を組んで登場し、重兵衛の式神を返り討ちにしている。重兵衛に匹敵する剣術と脚力を持つ。言葉に外国なまりがある。

桂女(かつらめ)
 かつて京都の桂川でとれた鮎を頭に乗せた籠に入れて売り歩いていた行商の女性のこと。しかし、やがて桂女は白装束に白い布を頭に巻いて町を歩く遊女兼巫女の仕事も行うようになり、歌や踊りを得意としながら占いも行い、名前の中に「かつ(勝つ)」があることから武士階級にも重用されていた。桂女は武将と共に戦場におもむいて勝敗の占いや戦勝祈願、武将の慰問を行い、武将が死亡した場合はその霊を弔う役目もあったという。
 桂女の白一色の異装は現代の花嫁衣裳の白無垢や角隠しにも通じるものがあり、これは古代日本の第十四代・仲哀天皇の正妻である神宮皇后(4世紀後半ごろ)が三韓征伐の途上で産気づいた際に、従った侍女「伊波多姫(いわたひめ)」が白い布で皇后の腹を巻いて安産に導いたという故事に基づく。そのため、伊波多姫の末裔とも言われる桂女もまた、安産の守り神として尊崇されている。

万年時計(万年自鳴鐘)
 田中久重が嘉永四(1851)年に発明した、太陰暦による和時計の時間と太陽暦による西洋時計の時間を同時に表示できる機械式和時計。高さ3尺(約90cm)で6面柱の形をしており、1000点を超える部品のほとんどが田中による手作りで作られている。季節によって昼夜の時刻の長さの違う不定時法に対応して文字盤の間隔が全自動で動くなど様々な仕掛けが施されており、時間の隙間を埋めることで魔物の侵入を防ぐことができる。

平安符(へいあんふ)
 縦9cm、横6cm 程の長方形の魔除けの絵符。木版刷りで両脇に龍の絵が描かれた護符で、中央に「平安吉慶」と墨書して家屋に貼る習慣が中国大陸で広まっていた。毎月五日(月齢第五夜)の五ツ刻(夜20~21時)に戸口に貼っていると、家にやって来る邪悪なものを退けられると信じられていた。もともとこの護符には、蠱毒にも使われる毒を持つ5種類の生物(サソリ・ムカデ・ヘビ・ヒキガエル・クモ)の絵が描かれていたが、姿がおどろおどろしいために後に龍の絵に代えられ、魔除けよりも吉祥を招き国家安寧を願う意味合いが強まっていった。
 本作では、平田篤胤が生前に「平安吉圭」と書きかえたものを遺している。

摩竭魚(まかつぎょ)
 古代インドで海の怪物と恐れられていた巨大な魚。「摩竭」はサンスクリット語で巨大な鯨や亀を意味する。体が極めて大きく、海底の洞窟に棲み、船を吞み込むと信じられていた。インドでは門などの仏教建築や仏像、装飾品のデザインにワニのような形態で描かれるが、実在する魚としてはサメに相当する場合が多く、サメの歯を用いてつくった道具・装飾品が摩竭魚のものとして伝承されている。
 本作では全身が黄金に輝くサメのような大魚として3頭出現し、日本で桃山時代ごろから信じられていた「日本列島を取り巻いて地震を起こす巨大ナマズ」と同一視される。この巨大ナマズの頭を鹿島神宮(現・茨木県鹿嶋市)の要石、尾を香取神宮(現・千葉県香取市)の要石が押さえつけて地震を鎮めていると信じられており、両神宮の直線距離は約13km である。安政の大地震の発生後には200種を超える「鯰絵」が出回った。

安政の大地震
 江戸時代後期の安政年間(1855~60年)に、日本各地で連発した大地震。一般的には安政二(1855)年十月に発生した「安政江戸地震(マグニチュード7クラス)」のみを指すことが多いが、この前年にあたる安政元(1854)年十一月に発生した南海トラフ型巨大地震である「安政東海地震」および「安政南海地震」(ともにマグニチュード8.4クラス)を含める場合もあり、さらには「伊賀上野地震」(1854年7月)に始まる「豊予海峡地震
」(1854年12月)や「安政八戸沖地震」(1856年)、「飛越地震」(1858)年といった安政年間に発生した13回の大地震をまとめて「安政の大地震」と総称することもある。
 この大地震が連発した当時、江戸幕府は嘉永六(1853)年六月三日のアメリカ合衆国の黒船が来航し、同年七月十八日にはロシア帝国海軍のディアナ号が来航するなど、相次いで海外列強から開港を迫られる多難な情勢にあったため、国内の社会不安の増大と尊皇攘夷・討幕運動を助長する影響を少なからず与えた。

ヨモツモノ
 かつて古代に5000年以上ヤマト民族に支配され虐待され続けた他民族の復讐に燃える怨念が凝り固まって生まれた「鬼」一族を、陰陽師集団が「黄泉(よみ)」に送った際に、魂を失い怨念だけが残った鬼の残骸。2005年の荒俣宏原作の小説および映画『妖怪大戦争』にもその概念が登場する。本作では、安政二年十月に発生した「安政江戸地震」によって地表の裂け目から大量に出現して、被災した江戸をさらなる崩壊に導こうとする。手足や目玉の生えた悪臭を放つ腐肉の塊で、芋虫のように蠕動しながら移動する。




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あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都幻談 第一部・蝦夷地』

2025年08月14日 23時06分38秒 | すきな小説
小説『帝都幻談』(1997~2007年)
 『帝都幻談(ていとげんだん)』は、荒俣宏の長編伝奇小説。『週刊文春』1997年5月1・8日合併号から11月27日号にかけて連載され、後に大幅に加筆・修正を加えた単行本上巻(第一部)と、その続編である書き下ろしの下巻(第二・三部)が2007年3月に文藝春秋から発売された。荒俣の別長編『新帝都物語』(1999~2001年連載)は本作の続編にあたり、これら2作が『帝都物語』正編シリーズの前日譚となっている。荒俣は『新帝都物語』の奥付けで、本作を『帝都物語 幕末篇』と位置付けている。カバーイラストと挿絵は水木しげるが担当、まえがきは京極夏彦が執筆した。
 寛政十一(1799)~安政二(1855)年にわたる、江戸を滅ぼそうとする稲生武太夫、加藤重兵衛ら魔人たちと、それを阻止しようとする遠山景元、平田篤胤たちの霊的闘争を描く。『帝都物語』正編と同様に、歴史上の実在人物が物語の中枢を占め、実際に起こった史実も関係してくる。

あらすじ
 天保十一(1840)年、初夏。江戸の町に妖しげな事件が続発する。はるか遠く蝦夷(えぞ / えみし)の地よりミンツチ、あやかしなどの怨霊たちが、江戸を我が物とするために集まってきたのだ。その危機に立ち向かうのは江戸北町奉行・遠山左衛門尉景元と、国学者・平田篤胤。
 あの『帝都物語』へとつながる壮絶な闘いを描く物語、ついに開幕。


おもな登場人物
稲生 武太夫 正令(いのう ぶだゆう まさよし 1735~1803年)
 安芸国広島藩士で江戸詰めの御徒歩組足軽。幼名・平太郎。江戸時代中期の妖怪怪異物語『稲生物怪録(いのうぶっかいろく)』の主人公。1ヶ月にわたり妖怪どもの脅しに耐え、魔王・山ン本五郎左衛門から、妖怪を召喚できる魔宝「魔王の木槌」を授かった。
 本作では、天保十一(1840)年に江戸・下谷柳町の寄席「三笑亭」にて、平賀源内を主人公とした軍書講釈『実録 織出蝦夷錦(じつろく おりだしえぞにしき)』を語る講釈師として登場する。総髪にした頭髪も長い眉毛も、口ひげも顎ひげも全て白い老人だが、声に張りがあり若々しい。「ハンミョウの術」を使って瞬時に人相を変えることができる。

平賀 源内(ひらが げんない 1728~80年)
 江戸の大知識人。筆名・風来山人、別号・鳩渓(きゅうけい)。エレキテルの紹介や、燃えない布「火浣布(かかんふ アスベストを布状にしたもの)」の開発でも有名な発明家だが、田沼意次の政権下で抜け荷や小判改鋳、金山採掘などを任され、蝦夷地の開発にも並々ならぬ関心を抱いていた。安永八(1779)年に化け物屋敷として有名だった江戸・久右衛門町の屋敷に移り住み、そこで怪異に遭い錯乱して人を殺し、捕縛されて獄中死したとされているが……

遠山 左衛門尉 景晋(とおやま さえもんのじょう かげみち 1764~1837年)
 通称・金四郎。江戸・西久保に屋敷を構える旗本。役職は江戸城西ノ丸詰め小姓組番であったが、幕府直轄の教育機関「昌平坂学問所」の学問吟味(学力試験)に甲科筆頭で合格するほどの知力を買われ、寛政十一(1799)年二月に蝦夷地の政策担当を命じられた。本来は永井家の四男だったが、4歳で旗本・遠山景好の養子となり23歳で遠山家を継いだという経歴もあり、周囲に対して腰が低い人物。

遠山 左衛門尉 景元(とおやま さえもんのじょう かげもと 1793~1855年)
 幼名・通之進(みちのしん)。通称が父・景晋と同じく金四郎であったため「遠山の金さん」として親しまれている。天保十一(1840)年三月に江戸北町奉行に就任し、幕府と町民との間で葛藤しながらも、平田篤胤と協力して蝦夷の怨霊たちと対決する。丸顔だが涼しい眉で引き締まった野性味のある表情の男。興奮すると青年期に過ごした市井の江戸弁(べらんめぇ調)が出る。
 父・景晋は永井家から旗本・遠山景好の家に養子入りしたが、その後に景好の嫡男・景善が生まれたため、景晋は遠山家の血を継ぐ景善(実際には義理の弟にあたる)を次期当主にするため養子にした。このため、景晋の実子であるはずの景元は当主の地位から遠のき、青年期の景元はこうした複雑な家庭環境から、家を出て町屋で放蕩生活を送ることもあった。ところが文政七年末(1825年)に景善が亡くなったため、晴れて景元が遠山家を継ぐこととなった。

最上 徳内 常矩(もがみ とくない つねのり 1754~1836年)
 江戸時代後期の探検家・江戸幕府普請役。出羽国楯岡村(現・山形県村山市楯岡)出身。実家は貧しい農家だったが、長男であるにもかかわらず家業を弟たちに任せ学問を志し、奉公先で学問を積み下人扱いで幕府の蝦夷地調査に随行した。商人の婿となるが、その抜群の探検技術と知見によって蝦夷地の専門家として取り立てられ幕臣となった。蝦夷地に渡ること生涯9度にわたり幕府第一の蝦夷通として知られ、身分階級に厳しい江戸時代には異例ともいえる立身出世を果たした人物である。寛政十一年の遠山景晋の蝦夷地探検の案内役を担当し、以後景晋との親交を深めた。アイヌのように頭髪と髭を伸ばして分厚い刺子半纏をまとった怪人で、景晋からは「髭将軍」と呼ばれている。

平田 大角 篤胤(ひらた だいかく あつたね 1776~1843年)
 出羽国秋田藩士。江戸で私塾「気吹廼舎(いぶきのや)」を運営する国学者。眼光の鋭い細面の男で、還暦を超えても外見は40歳代に見える。自らが推し進めていた幽冥界(かくりよ)研究を、稲生武太夫の怨霊召喚に悪用されてしまう。その博識を生かして遠山景元と共に怨霊たちと戦う。下戸で甘い菓子が大好物。
 篤胤は秋田藩士の大和田家の出身だが、秋田藩を脱藩してから備中松山藩士で兵学者の平田篤穏(あつやす)の養子となり平田家を継いだ。そして、大和田家は平将門の孫にあたる平忠常(967?~1031年)を始祖とする「房総平氏」の系譜に連なるため、篤胤は将門の血を継ぐ末裔ということになる。

平田 織瀬(ひらた おりせ 1791~?年)
 篤胤の妻。胃の病気に苦しみながらも、夫・篤胤と娘おちょう・銕胤夫妻とその5人の子らの家庭を支える。篤胤の2番目の妻で娘おちょうとは血のつながりが無いが、文化九(1812)年に病没した先妻(おちょうの実母)と同じ名前の「織瀬」を名乗った。

寅吉(とらきち 1806~59年)
 江戸・下谷池之端七軒町の生まれ。小柄で小太りな体型で緩んだ表情の童顔だが、眼光だけは鋭い男。幼少期から優れた予知能力を発揮し、7歳の頃に杉山僧正なる神仙と邂逅し、天狗界を見聞するに至る。霊名は高山嘉津間(たかやま かつま)。悔しがると頭をかいてフケを落とす癖がある。霊界での見聞を活かして平田篤胤の幽冥界研究に協力している。篤胤と同じく甘い菓子が大好物。

鳥居 甲斐守 耀蔵(とりい かいのかみ ようぞう 1796~1873年)
 江戸幕府目付。本名・忠耀(ただてる)。幕府儒学の総帥である大学頭(だいがくのかみ)として昌平坂学問所を統率した林述斎の次男として生まれるが、旗本・鳥居成純の娘に婿入りして鳥居家を継ぐ。幕政改革「天保の改革」の急先鋒であり、町民の立場を守ろうとする遠山景元と政治的に対立する。洋学者は日本を侵略しようとする外国に加担しているという思想から、外国船の動向や外国文化の流入に非常に過敏で、林家儒学を重視して洋学を徹底的に嫌っている。また、江戸幕府以前の天皇親政を理想の政治体制とする国学者・平田篤胤の一派も敵視している。外国人嫌いでありながら、鉤鼻で頬骨が高く、太い眉にくぼんだ両目を光らせた外国人のような風貌の男。名前の「耀蔵」と「甲斐守」を略して、世間からは「妖怪(ようかい)」と呼ばれ恐れられている。
 幕府同心の加藤重兵衛を間者として従えていたが、その実態は自分の権力を逆に加藤に利用されていた。

屋代 弘賢(やしろ ひろかた 1758~1841年)
 江戸時代後期の御家人(のち旗本)・国学者。幕府奥右筆格。幕府きっての知識人である赤ら顔で禿頭の老人。江戸中の物好きが集まり奇談や奇物を持ち寄る会合「耽奇会」の主催者。耽奇会の常連である平田篤胤と親しい。老齢のため心臓と足腰が弱くなっている。

曲亭 馬琴(きょくてい ばきん 1767~1848年)
 江戸時代後期の読本作者・戯作者。代表作は『椿説弓張月』(1807~11年)や『南総里見八犬伝』(1814~42年)。『南総里見八犬伝』の大ヒットにより原稿料のみで生計を営むことのできた日本初の著述家であるとされる。本作では天保十一年に元気な姿で屋代弘賢の耽奇会に出席しているが、実際にはその前年の天保十(1839)年の時点で老齢のため失明しており、作家活動は口述筆記で行っている状態だった。

藤田 東湖(ふじた とうこ 1806~55年)
 常陸国水戸藩の重鎮で、藩主・水戸斉昭の腹心。水戸藩随一の政策通かつ国学「水戸学」の主導者であり、江戸幕藩体制を超越した新たな政治思想「尊皇攘夷」を掲げている。平田篤胤や屋代弘賢とも親しく、平田を水戸学に引き入れようとしている。大怨霊アテルイの首を狙う加藤重兵衛と対決する。

加藤 重兵衛(かとう じゅうべえ)
 鳥居耀蔵の信頼を得て間者を務める若い同心。身長は6尺(約180cm)を超える痩せた男。頬骨は高く面長な顔で、顔色は蒼く唇はうすく、冷酷な灰色の瞳をしている。仏教の三宝荒神像の顔によく似ている。家紋は、京の陰陽道総帥・土御門家と同じ「丸に晴明判(五芒星)」。
 幕府同心でありながら、剣技・気合術の他に呪術や天文学にも精通している。平安時代の大陰陽師・安倍晴明の流れに連なる陰陽師でありながら、正統の土御門家とは異なる「外道」の陰陽師として五芒星(ドーマンセーマン)の書かれた木札を使い、緑色に光る鬼神「式神」を使役する。その正体は、大和朝廷に服従しなかった古代日本の民族の怨念そのものであり、全国に散った怨霊どもを江戸で復活させて日本を滅ぼそうとする。

水野 越前守 忠邦(みずの えちぜんのかみ ただくに 1794~1851年)
 江戸時代後期の大名(遠江国浜松藩主)で江戸幕府老中首座。腹心の鳥居耀蔵や間者の加藤重兵衛を使い、幕府政治に批判的な国学者や旧田沼意次派の要人を排斥する大規模な政治・財政改革を構想するが、いまだ大きな権力を保っている大御所・徳川家斉と大奥のために断行できずにいる。

西原 伊兵衛(にしはら いへえ)
 幕府直属の医師で、大柄で眉毛が濃く細い眼の男。特に毒薬に詳しく、旧平賀源内邸の床下の穴から出た源内焼きの壺を分析する。

中野 石翁 清茂(なかの せきおう きよしげ 1765~1842年)
 江戸時代後期の旗本。播磨守。晩年は隠居・剃髪して「石翁」と号していた。
 鋭い頭脳で風流と才知に通じ、幕府では御小納戸頭取、新番頭格大奥勤めを歴任し、十一代将軍・徳川家斉の側近となった。家斉の愛妾・お美代の方の養父でもあったため、隠居後も大御所・家斉の話し相手として随時江戸城に登城する資格を有していた。このために諸大名や幕臣、豪商から莫大な賄賂が集まり、「石翁の周旋を取り付ければ願いごとは半ば叶ったも同然」とまでいわれた。江戸・本所向島に豪華な屋敷を持って贅沢な生活を送り、老中首座・水野忠邦の主導する緊縮財政に不満を持つ大奥の老女筆頭・田川と密会して水野派の排斥を画策する。ワイン好き。

田川(たがわ)
 大奥を束ねる老女筆頭。中野石翁と結託して、大奥に対して厳しい財政緊縮を強いる水野への復讐を画策する。蝦夷地産のオットセイの精力剤やハンミョウの媚薬を大奥に密輸する稲生武太夫と愛人関係にある。

歌川 国芳(うたがわ くによし 1798~1861年)
 江戸時代後期の浮世絵師。一勇斎と号した。江戸・向島に住む町人。神経質そうに目のつり上がった男で向こうっ気が強く、幕府の規制にもかまわず政治風刺画を描いたり、洋画の手法を取り入れた妖怪画を描いたりしていた。寅吉のうわごとを聞き、大怨霊アテルイの首の正確な人相画を描く。

徳川 家斉(とくがわ いえなり 1773~1841年)
 江戸幕府第十一代征夷大将軍。天保八(1837)年四月に将軍職を次男・家慶に譲って大御所となるが、幕政の実権は依然として握り続けた。稲生武太夫が大奥に密売するオットセイの精力剤やハンミョウの媚薬を利用して、側室お美代の方をほしいままにする。

お美代の方(おみよのかた 1797~1872年)
 江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の側室。下総国・中山法華経寺(現・千葉県市川市)内の寺院・智泉院の住職・日啓の娘で、父と縁のあった幕臣・中野清茂(のちの石翁)の屋敷へ奉公に上がったが、のち清茂の養女として大奥に入る。やがて当時の将軍・家斉の側室となり3人の姫を生んだ。家斉からの寵愛が深く、父・日啓の智泉院は将軍家の御祈祷所に指定された。
 家斉が将軍を辞職し大御所になっても寵愛は続き、正室や他の側室らと共に江戸城本丸大奥から西ノ丸大奥に移り住んでいた。

平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
 平安時代の関東地方最大の英雄。京の中央集権主義に刃向かい関東を独立国家化したため討伐されたが、その没後もなお900年間にわたり、日比谷大手前の首塚の下で関東と首府江戸を守護し続ける、江戸の産土神・氏神。『帝都物語』シリーズ全体の根幹をなす最重要人物。
 本作では、7尺(約210cm)を超える長身で狩衣に立烏帽子の姿で、青白い炎を身にまとい加藤重兵衛や遠山景元の前に顕現する。

月ノ位(つきのい)
 蝦夷地(現・北海道)の怨霊。国後島の英雄であり、安永三(1774)年に松前藩に対して反乱を起こすも後に和解し、蝦夷と松前藩との調停者となる。しかし、その際に盟友となった探検家の青嶋(青島)俊蔵が幕府に責任を負わされて流罪に処されたため、幕府を強く恨み死後に祟り神となった。
 本作では、アイヌの複雑な柄の刺子半纏を身にまとい、頭に細い縄の鉢巻きを締めて額に小さな髑髏の飾りを吊り下げた髭だらけの大男の姿で現れ、首をヘビのように伸ばして江戸の氏神・平将門と対決する。口から黒い毒霧を吐いて攻撃する。

あやかし(あやかす)
 古代東北地方の蝦夷族の怨霊どもの棟梁。生前は、大和国の三輪山まで攻め入り聖徳太子と対決した荒蝦夷(あらえびす)の首長だった。このあやかすが雲霧風雨を自由自在に起こす呪術を駆使していたため、大和朝廷では怪しい妖術のことを「あやかし」と呼ぶようになったという。
 本作では、ツキノイと同じく派手な刺子半纏をまとい、天狗のように鼻が長く顎が突きだし目が異様に輝き、赤い頭襟(ときん 山伏のかぶる小型の帽子)をかぶり額に縄の鉢巻きを締めて眉間にミミズクの飾りを吊り下げた姿で現れ、平将門に立ち向かう。鋭いかぎ爪と、口から吐く青い毒霧で攻撃する。

阿弖流為(アテルイ ?~802年)
 奈良時代末期~平安時代初期にに陸奥国胆沢(現・岩手県奥州市)を支配して朝廷に鎮圧・処刑された荒蝦夷の大怨霊。別名・悪路王 / 阿黒王(あくろおう / あぐろおう)。その斬首された生首には強大な怨念が籠もっていたため常陸国水戸城で封印され、処刑後千年もの間、戦国時代の佐竹家から江戸幕府の水戸藩にいたるまで代々、魂鎮めの儀式が行われている。その首は禿頭で目は炭火のように赤く光り、朝廷に処刑された際に両耳と眉毛を落とされている。


おもな用語解説
天石笛(あまのいわぶえ)
 自然界に存在する穴の空いた石。吹き鳴らすことで妖怪を召喚したり、逆に撃退できたりするとされる。本作では寅吉が、大きさ2尺(約60cm)、重さ4貫500匁(約17kg)ほどの下総国銚子産の天石笛を使用する。

ミンツチ
 体長2尺(約60cm)ほどの、全身がぬめぬめとした黒い毛でおおわれた猿のような妖怪。蝦夷地の水辺の湿地帯に棲み、怪力で人間を水中に引きずり込んだり相撲を仕掛けてきたりする。腕を自由自在に伸び縮みさせることができる。生態は日本本州の河童に酷似している。
 アイヌの伝承によると、ミンツチは太古の昔にアイヌの神が土木工事のために草と棒で作った人形で、工事に使役した後に川に捨てたものが妖怪化してミンツチになったとされている。

ハンミョウの術
 軍書講釈『実録 織出蝦夷錦』の主人公・平賀源内と、それを語る稲生武太夫が使う、甲虫ハンミョウの毒カンタリジンを使って瞬時に人相を変える妖術。中国大陸の後漢帝国時代(1~3世紀)に成立した医薬書『新農本草経(しんのうほんぞうきょう)』によると、ハンミョウの粉末は人を殺せるほどの毒物になるが、少量である場合は媚薬や、皮膚に水疱を生みただれさせることから一時的に人相を変える整形術として使用されていたという。ハンミョウの毒を塗りつけた布や乾燥したハンミョウそのものを顔に当てることで効果が現れる。

幽冥界(かくりよ)
 平田篤胤が提唱した世界の概念。この世は神のいる「天」と「黄泉(よみ)」と、人間のいる「地」でできており、地にいる人間が死ぬとその魂(霊)は、生前に積んだ善行が多かった場合は地の「幽冥界」に残り、少なかった場合は穢れに満ちた黄泉に堕ちるとされている。黄泉に堕ちた魂は二度と地に戻ることはできないが、幽冥界にいる霊は地で生きている人間を守護する存在となる(例・親が死後に子の守護霊となる)。幽冥界は大神オオクニヌシ(大黒天)が支配しているとされる。

姥神祠の扁額(うばがみしのへんがく)
 蝦夷地松前藩の江刺にある姥神大神宮に掛かっていた3尺(約90cm)程の大きさの扁額で、寛政十一(1799)年の藩主・松前志摩守道広(1754~1832年)の揮毫によるもので「降福紅夷(こうふくこうい)」と読めた(実際には降福「孔」夷)。この文言がのち文化三(1806)年の秋に最上徳内によって幕府に報告され大きな物議をかもし、「赤蝦夷(ロシア帝国)と手を結び松前藩を繁栄させよ」という意味ではないかという解釈や、大神宮の祭神である姥神がロシア帝国皇帝エカチェリーナ2世(1729~96年)ではないかという推測から抜け荷(密貿易)疑惑に発展し、当時の幕府蝦夷地目付だった遠山景晋が謀略の証拠として扁額を江戸まで搬送した。その結果、翌文化四(1807)年三月に松前道広は謹慎を命じられ、松前藩は一時的に蝦夷地から転封となった。ちなみに、実際に道広が書いた「降福孔夷」は中国最古の詩篇『詩経』(紀元前11~前7世紀)からの引用で、「福を降ろすことはなはだ大なり」という意味だった。

魔王の木槌
 軍書講釈『実録 織出蝦夷錦』の講釈師・稲生武太夫が、幽冥界の大神オオクニヌシ(大黒天)から授かったと豪語する魔宝。日本各地に眠る怨霊どもを覚醒・召喚することができる。

生首細工
 アテルイの生首を模して平賀源内が制作したもの。目が開く、口が開閉する、首が回るといったからくり機構が仕込んであり、源内は当時の老中首座・田沼意次を介して将軍・徳川家治にこのからくりを披露した。しかし、その顔が将軍家治に酷似していたために家治は激怒し、首はアテルイの本物の首とともに水戸藩が厳重に保管していたが、加藤重兵衛が強奪した。

芦屋党(あしやとう)
 忍びのように全身黒装束に黒覆面を着けた戦闘集団。加藤重兵衛の裏切りを知った鳥居耀蔵に雇われ、重兵衛抹殺の命を受ける。その正体は、安倍晴明につらなる陰陽師への復讐を誓った民間陰陽師の一党である。本作では10人が徒党を組んで登場し、重兵衛の式神を返り討ちにしている。重兵衛に匹敵する剣術と脚力を持つ。言葉に外国なまりがある。

アブラカダブラ / アブラサダブラ( Abracadabra)
 世界中で広く用いられている呪文。古代から治癒力を持つと信じられ、この文字を刻印したお守りが使われていた。ローマ帝国の医師セレヌス=サンモニクス(2世紀~212年)の詩に疫病マラリアを治療する呪文として最古の言及があるが 、その語源はアラム語、ヘブライ語など諸説あり不明である。サンモニクスによると、「 Abracadabra」の文字を1文字ずつ減らして逆三角形の形に並べた表を身に着けると病気を消滅させる効果があるとされている。その後、この呪文はユダヤ教と初期キリスト教が融合した宗教「グノーシス主義」によって世界各地に広められていった。18世紀以降のキリスト教圏では禁止されたり効果がないものとして蔑視されたりする傾向もあったが、この言葉は現代でも、魔法の呪文の代名詞として様々なフィクション作品で数多く使用されている。




≪さぁ、ラストスパートのはじまりだ!! 本文マダナノヨ≫
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あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『妖怪大戦争』

2025年07月26日 23時33分01秒 | すきな小説
『妖怪大戦争』(2005年8月公開 124分 角川大映)
 『妖怪大戦争』(ようかいだいせんそう)は、日本のホラーファンタジー映画。角川書店グループ60周年記念作品。監督・三池崇史、原作&脚本プロデュース・荒俣宏、脚本・三池崇史&沢村光彦&板倉剛彦、配給・松竹。
 1968年に公開された大映の同名映画『妖怪大戦争』のリメイク作品である。登場する妖怪の一部は1968年版に準じており、特に68年版で主役級の役割を果たした河童は本作でも活躍しているが、時代設定・登場人物・筋立てなどは全く異なっており、68年版との直接の関連はない。荒俣宏の代表作『帝都物語』シリーズの主要登場人物である魔人・加藤保憲が登場する。
 「角川大映映画」の第1作として13億円の制作費をかけ、スタジオ内に森・沼・吊り橋などの大規模なセットを設け、コンピュータグラフィックも用いているが全面的に頼ることはせず、手作業やアナログ特撮にもこだわりを見せている。妖怪は3000人ものエキストラを動員して撮影し、当時の有名芸能人や荒俣、水木しげる、京極夏彦らが妖怪役を務めたことも話題となった。2004年7月~05年1月に撮影された。興行収入20億円。

小説『妖怪大戦争』(2005年5月 角川書店)
 本作の小説版は、映画の公開に先駆けて2005年5月30日に刊行された。大筋は映画版と同じであり、全体的に映画の内容を補完する部分が多く、映画ではほとんど説明が無かった川姫と加藤保憲の関係や、アギの過去などが詳細に描かれている。また、映画版ではすでに離婚していたタダシの両親は、物語の終末で離婚することになり、映画版ではあまり出番の無かったタダシの姉タタルが重要な役割を担う。

 本作の水木しげるによるコミカライズ版は、雑誌『怪』(角川書店)にて2004年10月~05年7月に連載された後、映画公開に併せて単行本が2005年8月に刊行された。映画版との内容の相違点としては、鳥刺し妖女アギが水木の短編作品などに登場する「魔女花子」に置き換えられ、川姫の役割の小さくなってタダシとの心的交流も無くなり、機怪の代わりに「ナンジャラモンジャラ」という怪物が登場するが、おおむね映画版に忠実である。


あらすじ
 稲生タダシは、ひ弱な都会っ子。両親の別居にともなって母に引き取られ、母の実家の鳥取でボケの始まった祖父・俊太郎と3人で暮らしている。しかし田舎暮らしになじめず、学校では都会育ちゆえに悪ガキたちにいじめられる毎日を送っていた。そんなタダシだったが、夏祭りの夜に、この世が危機に陥った時に人々を救うという神童「麒麟送子」に選ばれる。麒麟送子に選ばれた子どもは、大天狗が住む山へ伝説の聖剣を取りに行かなければならないと悪ガキたちにはやし立てられ、バカにされたタダシは意を決して山に足を踏み入れる。怯えるタダシを待ち受けていたのは、恐しくも愉快な妖怪たちだった。彼らとの出逢いによってタダシは、歴史の闇に追いやられた古代日本の先住民族の怨念をまとった魔人・加藤保憲が率いる悪霊軍団との戦いに巻き込まれてゆく。


おもな登場人物(演じた俳優の年齢は映画公開時のもの)
稲生 タダシ …… 神木 隆之介(12歳)
 小学5年生の男子。昨年に、夫と別居中の母親に連れられて鳥取県鳥取市の母親の実家に移住してきた。父親と共に東京にいる姉のタタルとは電話で連絡を取っている。都会育ちで気弱な性格だが妖怪や古代遺跡などの不思議なものに興味がある。麒麟獅子舞によって麒麟送子に選ばれ、大天狗山(おおてんぐやま)に登ったことをきっかけに、普通の人間には見えない妖怪たちが見えるようになった。

稲生 陽子 …… 南 果歩(41歳)
 タダシの母。夫と別居し、長男のタダシを連れて鳥取市の実家に戻って来て地方ネットニュースの運営会社に勤務している。強気な性格だが、調理も掃除も苦手。

稲生 タタル …… 成海 璃子(13歳)
 タダシの姉。中学1年生。妻と別居中の父親と共に東京で暮らしている。母親と一緒に鳥取県に移住した弟のタダシとは電話で連絡を取っている。母親の陽子に似て強い性格で、タダシをよくからかう。

佐田 狂骨(さた きょうこつ)…… 宮迫 博之(35歳)
 角川書店の雑誌『怪』の編集ライター。麒麟獅子舞を取材するために鳥取市の S町を訪れる。中肉中背で着古したスーツとよれたスニーカー姿の男。「狂骨」はペンネームで、本名は浩之(ひろゆき)。小学4年生の頃(約25年前か)に池で溺れたところを川姫に救われた記憶がある。仕事柄、陰陽道の知識が豊富であるため、五芒星の魔方陣や九字切り、魔除けの呪文などを駆使することができる。

大西編集長 …… 佐野 史郎(50歳)
 雑誌『怪』の編集長で、佐田の上司。さまざまな取材に首を突っ込むくせに最終的な責任は部下に丸投げすることが得意。黒縁のメガネをかけ、締まりのない体型で頬がたるんでいる。酒好き。

安倍 晴明(あべのせいめい 921~1005年)…… 永沢 俊矢(43歳)
 平安時代の大陰陽師、天文博士にして、日本最大の白魔術師。当時の呪術コンサルタントとして皇族や貴族・民衆の間で絶大な信望を集めた。一説に「信太の狐の子」ともいわれ、官制陰陽道の開祖となった。
 本作では、普通の人間には見えない妖怪を見ることのできる特殊能力を持ち、陰陽師集団を率いて因幡国(現・鳥取県東部)のえんこ族を呪力で支配して河川改修などの都市開発に動員していた。

稲生 正之 …… 津田 寛治(40歳)
 タダシとタタルの父で、陽子の夫。陽子とは1年前から別居しており、東京でタタルと2人暮らしをしている。

稲生 俊太郎 …… 菅原 文太(72歳)
 タダシの祖父。80歳すぎ。夫と別居中の娘・陽子と孫のタダシと暮らしている。仕事で忙しい陽子の代わりに食事を作っているが、認知症が始まっている。「明」という、タダシが生まれる2年前(1991~92年頃か)に亡くなった息子がいた。

猩猩(しょうじょう)…… 近藤 正臣(63歳)
 鳥取に伝わる麒麟獅子舞で、麒麟獅子を先導する道化役となって麒麟送子を探す妖怪。もともと古代中国大陸から渡来した人面獣身の妖怪で、全身も頭髪も装束もすべて赤い。酒を吞むことが大好きで常に酔っぱらい笑っている。実在する動物のオランウータンによく似ている。長い杖をつき、腰に酒を入れたひさごを提げている。人間の声真似をすることが得意。

川姫 …… 岩井堂 聖子(21歳)
 鳥取市の大天狗山の山腹の森にある「がーたろ淵」に棲む、えんこ族の姫。大天狗山の主である大天狗の娘。1千歳。黒髪に紫色の光沢があり、桜色の肌で栗色の瞳に二重まぶたの、美しい人間の女性のような姿をしている。平安時代中期に繰り広げられた人間と鬼との大戦争では、鬼の残骸「ヨモツモノ」と妖怪軍団を率いて鬼側に加勢したが、鬼の棟梁にだまされて戦乱の犠牲にされた因縁を持っている。

川太郎 …… 阿部 サダヲ(35歳)
 川姫に付き従う、えんこ族の妖怪。全身が緑色で両生類のような顔立ちをしており、甲羅を背負って手には水かきがあり、腰蓑を着けて二足歩行をする河童そのものの姿をしている。人間の大人ほどの背丈で力も強い。強い関西なまりで早口で話す。頭頂部の、頭髪を丸く剃った部分が弱点。1500歳。

すねこすり …… 竹内 順子(33歳 声の出演)
 白い毛で目の大きい、猫やヤマネ、スローロリスやショウガラゴのような姿をした小さな妖怪。夜道を歩く人の足の間をすり抜ける習性があり、本作では主人公タダシになつく。
 ちなみに、江戸時代にすねこすりは「犬のような姿をした妖怪」と伝承されていたが、昭和時代に犬の根付を参考にして水木しげるが描いたイラストが猫のように見えたことから、それ以降のすねこすりのイメージはほぼ全て、本作のように「猫のような妖怪」となっている。

一本だたら …… 田口 浩正(37歳)
 自然の中にある餅鉄や砂鉄を集めて、火床を建ててふいごで吹いて製鉄する専門技術を持った妖怪。様々な種類の鉄器を作ることに長けていたが、古代の陰陽師集団に使役されて剣などの鉄製の武器を作らされていたこともあった。長年にわたり鉄を鍛えていたため、肌は焼けて赤黒く、全身の毛深い体毛は炎のように赤い色になり、頭髪は禿げてしまった。また、ふいごを片足で踏み続けたために足は一本になり、火床を睨み続けたために目はつぶれて一つ目になってしまっている。一本足を上手に使い泳ぐこともできる。

大天狗(おおてんぐ)…… 遠藤 憲一(44歳)
 鳥取市の大天狗山の主で、がーたろ淵の川姫の父。身長7m の巨大な妖怪。2千歳。大天狗山の地中深くの洞窟「大天狗の穴」に棲んでいる。麒麟送子が使うことのできる、ヨモツモノを祓う聖剣を守っている。肌の色は緑色で鼻が長く、大鷲のような翼を背中に生やし、山伏の装束を着て一本歯の高下駄を履いている。持っている巨大な羽団扇で大風を起こすことができる。

鳥刺し妖女アギ …… 栗山 千明(20歳)
 全身に純白のボディスーツをまとい白いブーツを履いた、背の高い痩せた女性の妖怪。頭髪にも繭のような白い帯を巻いている。目の周囲が黒いが眼光は鋭い。長く白い鞭を武器にして、大妖怪である大天狗をも圧倒する戦闘力を持つ。魔人・加藤保憲の腹心となり、軍服を着た配下を従えて機怪軍団を駆る。自分の唾液を使って隠れている妖怪を探知したり、相手を舌でなめて隠しごとを見透かしたりする能力を持つ。また、口から可燃性の黄色い毒液を吐く。
 平安時代中期の鳥刺し(鳥専門の狩人)の女性だったが、常人には耐えられぬほどの悲運を経験して生死の境をさ迷った末に、霊や妖怪を見ることのできる特殊能力を持つようになり、鬼の棟梁に従い妖怪となった。

加藤 保憲(かとう やすのり)…… 豊川 悦司(43歳)
 明治時代初頭から日本史の裏で帝都東京の滅亡を画策して暗躍し続けている魔人。大日本帝国陸軍少尉、のち中尉。紀伊国龍神村の生まれとされるが、詳しい生い立ちについては一切不明である。
 長身痩躯で、こけた頬にとがった顎、さっぱりとした刈上げといった容姿で、いかなる時代においても老いの感じられない20~30歳代の外見をしている。眼光は鋭く、身体の大きさに似合わぬ軽い身のこなしが特徴的である。黒い五芒星(ドーマンセーマン)の紋様が染め抜かれた白手袋を着用している。剣の達人で刀は孫六兼元を愛用する。 極めて強力な霊力を持ち、あらゆる魔術に精通している。とりわけ陰陽道・風水・奇門遁甲の道においては並ぶ者のいないほどの達人であり、古来最も恐れられた呪殺秘法「蠱毒」を使う。天皇直属の陰陽道の名家・土御門家が総力を挙げても彼一人に敵わない。秘術「屍解仙」を用いて転生したこともある。さまざまな形態の鬼神「式神」を使役し、平将門の子孫を依代にして将門の大怨霊を甦らせようとしたり、大地を巡る龍脈を操り関東大震災を引き起こしたりした。中国語や朝鮮語にも通じる。
 本作では、『帝都物語』第4巻『龍動篇』いらい約80年ぶりに軍服姿で登場するが(映画版では黒のコート姿)、制服の色はカーキ色でなく黒一色になっており、軍帽の徽章と手袋に付けられたドーマンセーマンの文様が金色になっている。


おもな用語
こっくりむっくり / むくりこくり
 怖ろしいものを意味する方言。鎌倉時代に勃発した1274・81年の2度にわたる元寇でモンゴル帝国・高麗王国の連合軍が九州地方に侵攻したことを「蒙古・高句麗の鬼が来る」と言って怖れたことに由来するといわれ、それが転じて子どものわがままや泣く様子を止めたい時に「むくりこくり、鬼来るぞ」と脅す風習になったとされる。さらには「むくりこくり」という鬼や妖怪がいるようにも考えられた。
 本作では、魔人・加藤保憲が鳥取砂丘に襲来した時の本拠地として使用する、船長50m もの巨大なタグボート型の幽霊船として登場する。むくりこくりと加藤たちは、霊感の鋭い人間にしか見えない。内部には、人間が捨てた機械と捕えてきた妖怪とを鬼の怨念「ヨモツモノ」と溶け合わせて新しい怪物「機怪」を錬成する溶鉱炉がある。また、全部で10台収容しているバイク型の機怪を陸地に揚げるための小型テンダーボートも装備している。

麒麟獅子(きりんじし)
 鳥取県鳥取市のタダシの住んでいる S町(鹿野町がモデルと思われる)の森にある「麒麟神社」で、江戸時代から毎年夏に祭りと共に行われている伝統神事。鳥取藩に新しい藩主がやって来る際の祝いとして始まった。通常の獅子舞よりも面長で金色、一本角で耳が逆立っている麒麟の姿をした獅子舞が繰り出し、麒麟に嚙まれた子どもは「麒麟送子(きりんそうし)」として一年間尊ばれる。麒麟獅子には道化役として、全身が赤い妖怪・猩々が登場する。毎年7月第4週の土曜日に開催される。
 麒麟獅子の行事は、因幡国(現在の鳥取県東部)を中心に古くから伝わっており、徳川将軍家と鳥取藩主・池田家の権威を象徴するものとして因幡国内に広がり、のちに隣国の但馬国(兵庫県北部)西部にも伝えられた。現在は因幡地方に百数十ヶ所、但馬地方に十数ヶ所の麒麟獅子が伝えられ、中には県・市・町の無形民俗文化財に指定されているものもある。
 本作では、鳥取藩によって江戸時代に麒麟獅子舞行事が始まった以前の平安時代中期から、大天狗山の大天狗が娘の川姫を助ける英雄「麒麟送子」を探すために妖怪・猩猩を遣わして麒麟獅子の信仰を広めていたと設定されている。

麒麟(きりん)
 古代中国大陸で古くから信じられていた伝説の神獣。前漢帝国の皇帝・武帝の時代(在位・紀元前141~紀元前87年)に編纂された思想書『淮南子(えなんじ)』によると、古代中国神話の帝王・黄帝に仕えていた龍の王・応龍(おうりゅう)の孫にあたり、世界の動物を生んだとされている。龍と同様に尊崇されており、非常に心優しく、大地の生物を踏み殺さないように空中を駆けて移動するといわれている。この世に泰平をもたらす偉人が生まれる時に姿を現すという言い伝えがある。

機怪(きかい)
 魔人・加藤保憲が錬成する、人間が捨てた機械と日本に棲む妖怪を合成させ、鬼の怨念である「ヨモツモノ」を宿した怪物。幽霊船むくりこくり内の溶鉱炉で製造される。黒いオートバイのような形態をして加藤に従う魔物どもが乗り回し、排煙で自然を破壊しながら爆走して新たな機怪の材料にする妖怪たちを捕獲する。非常に凶暴な性質。
 オートバイ型のほかにも、地中を掘削して進むドリル型、妖怪を口から吐く粘着質の糸で捕獲するクモ型、水陸両用の戦闘車型、竹トンボのような形のヘリコプター型など、様々な形態の機怪が製造されている。

えんこ / えんこう(猿猴)
 広島県を中心に中国・四国地方で古くから伝承される妖怪。河童の一種とされるが、河童と違って全身が毛むくじゃらでサルに似ている。金属を嫌い、海または川に棲み、泳いでいる人間を襲って肛門から手を入れて尻子玉(生き胆)を抜き取るとされている。女性に化けるという伝承もある。人間の3歳児ほどの背丈で、手足は長く水かきと爪があり、身体はナマズのようにぬめっているという。顔は赤く、手は伸縮自在で関節も自由に曲がるという。
 本作では、人間が住む以前の5千年前から因幡国の河川に棲んでいた種族であり、「河童」や「川太郎」という呼称は人間側からの蔑称とされており、えんこ自身は河童と呼ばれることを嫌っている。よだれはホタルのように光る。えんこがウミガメの卵を盗んで温めて孵化させることによってえんこの子どもが生まれるため、種族の頭数は減りつつある。ウミガメの卵から生まれるため亀の甲羅を背負っている。相撲が好きだが身体が小さく軽いため、人間の子どもを相手にしても勝つことは少ない。えんこ族の長老の年齢は3千歳であるという。
 古代、えんこ族は人間に協力して橋を建設したり河川敷を農地に開拓したりする手伝いをしていたが、安倍晴明率いる陰陽師集団に呪力で支配され、暴れ川の改修などの都市開発に強制的に動員された。

鬼(おに)
 平安時代中期以前に生まれた、人間でも妖怪でもない、朝廷への怨念と復讐に燃える一族。朝廷に支配され虐待された他民族の怨念が凝り固まって生まれた。朝廷の陰陽師集団は、鬼どもを封印する空間として「黄泉(よみ)」を作り鬼の魂を鎮めたが、魂を失った鬼の残骸は「ヨモツモノ」としてこの世に残り続ける。こうした陰陽師の方策でも全く鎮められない、現代の鬼の棟梁こそが魔人・加藤保憲である。

雲外鏡(うんがいきょう)
 古い銅鏡が妖怪になったもの。大天狗山の森の奥にある廃寺の本堂の物置に錆びてうち捨てられていた。もとは仙人の修行をする山伏が使っていた、心を乱す魔物の正体を明らかにすることのできる直径9寸(約27cm)の鏡。探している妖怪の行方を鏡面に映すことができる。

小豆(あずき)
 高さ30~50cm のマメ科の一年草。円柱形のさやの中に暗赤色の種子(豆)が約10個入っている。アジア大陸の極東地域の原産であり、日本では農耕文化が始まった時期からの作物となっている。日本各地で豆を食用にするため栽培され、豆は餡の原料やしるこ、赤飯などに使われる他、甘納豆やようかんなどの和菓子の原料にもなる。日本人以外にはあまり好まれない豆で、歴史の長い中国大陸や朝鮮半島でも栽培量は少ない。
 赤飯(鳥取ではあずきめしと呼ばれる)の赤色は魔除けになるといわれ、現代でも祝い事の場などで赤飯が出される機会が多い。赤飯の赤色は、中国大陸から渡来した時の古代米が赤かったことにちなむともされ、収穫した米を神に供え、神の力の籠もった米を食べることによって、一家に魔物や災厄が訪れなくなると信じられていた。
 本作ではあずきの豆自体にも魔除けの効力があり、そのために妖怪が食べると腹を壊すと言及されている。アギもあずきや、あずきを食べた者を強く忌み嫌っている。




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あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都物語異録』

2025年07月18日 23時28分08秒 | すきな小説
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございます~。今日も一日お疲れさまでした!
 私の住んでいる南東北地方は、どうやら今日、梅雨明けが発表されたようです。でも、そんなことどうでもよくなるくらいに毎日ずっと暑い……空梅雨でしたね! なんか、まとまった雨が降った記憶がないまま夏本番になってしまいました。まぁ、これからどんどん降るんでしょうけど。
 あっちぃあっちぃと言ってるあいだに7月も半ばを過ぎまして、来月のお盆休みの予定も考える時期になってまいりました。みなさんは、どこか行きますか? 私は、盆明けの8月16日以降に、前にも言っていた辻村深月先生原作の映画を観るために泊りがけで庄内地方に行くので、盆休み中にどこかへ行く予定はありません。でも、泊まる温泉地もすでに何回か泊まったことのある場所だし、全体的におとなしめな夏休みになりますかね。なんか山梨への長距離ドライブみたいなビッグイベントも入れてみたいんですが、まぁここは堅実に家でやるべきことをやってきましょ。

 というわけで、今回も今回とて、実際に遠出しないぶん、小説の世界でいろんなとこへ旅をしようという企ても込めた、荒俣宏先生の『帝都物語』関連小説を読むシリーズの更新でございます。「シム・フースイ」シリーズとか、荒俣先生の小説って結構ご当地ものとして非常にクオリティの高い作品が多いんですよね! 沖縄とか鳥羽とか花巻とか……チョイスがシブい。
 それで今回ピックアップされる土地はと言いますと、ついにきました、魔人・加藤保憲の出身地と噂される、紀州熊野の龍神村! 実在しなさそうで、ちゃんとある土地だというところがすばらしいですね。いつか行ってみたいなぁ、こことか、奈良の天河村とか。


『帝都物語異録 龍神村木偶茶屋』(2001年12月)
 『帝都物語異録 龍神村木偶茶屋』(ていとものがたりいぶん りゅうじんむらでくぢゃや)は、荒俣宏の短編伝奇小説。『帝都物語』シリーズ開始15周年を記念して、「魔人・加藤保憲の野望の実現に向けて協力し、知恵を貸す」目的で出版された、荒俣の編著による『帝都物語』シリーズの解析書『帝都物語異録』(原書房)に収録された書き下ろし作品である。91ページ。

 この『帝都物語異録』に寄せたエッセイで荒俣は、魔人・加藤保憲のキャラクター造形の原型となった人物として、以下の名前を挙げている。
・不老長寿の秘薬を求めて国境を越えた旅を続けた流浪の方士・徐福(紀元前3世紀)
・陰陽師、木地師、山の民、巫女といった日本国家の枠組みから外れた人々の祖となった行者・役小角(634~701年)
・8世紀前半に現在のモンゴル北部からベトナム北部まで大規模な子午線の測量を行った真言宗の高僧・一行(いちぎょう)禅師(683~727年)
・日本に陰陽道と牛頭天王信仰を輸入した遣唐使の吉備真備(695~775年)
・大和朝廷に排斥された蝦夷族の族長アテルイ(?~802年)
・日本の山の民や忍者衆の始祖である乱裁道宗(あやたち みちむね 乱破道宗とも 10世紀後半~11世紀前半?)
・四世鶴屋南北の歌舞伎『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』などの主人公である、日本の壊滅を目論む妖術師・天竺徳兵衛(江戸時代初期の実在の人物がモデル)
・都市に復興と破壊をもたらす謎の人物・ハーメルンの笛吹き男(1284年に実際に起きたとされる事件)

※『帝都物語異録』の寄稿者 …… 斎藤英喜(古代宗教学者)、高橋富雄(東北古代史研究者)、佐治芳彦(歴史評論家)、伊藤悠可(古神道、禅宗研究者)、豊嶋泰国(古代宗教研究家)、志村有弘(古代文学研究者)、大宮司朗(古神道、霊学研究家)、黒塚信一郎(古代宗教研究者)


あらすじ
 明治十一(1878)年9月、太平洋の熊野灘にのぞむ七里御浜。水死体が光り輝いて見える異能を持つ少年・保(やす)は、海のはるか南から小舟を漕いでやって来た謎の男・加藤重兵衛と出逢う。重兵衛は脇腹に重傷を負いながらも、熊野古道をたどり奥地の龍神村を目指して進んでゆく。自分と同じ灰色の瞳を持つ重兵衛に言い知れぬ魅力を感じた保は、自分の異能を認めた重兵衛に従い、龍神村への旅に加わるのだった……


おもな登場人物
保(やす)
 三重県の七里御浜にある大馬に住む漁師の青年。元治元(1864)年生まれ。浅黒い肌で筋骨隆々の大柄な体格、長い顔にとがった顎、薄く長い眉に切れ長な目、灰色の瞳をしている。両親を亡くして天涯孤独の身となっている。大馬の獅子岩の上に立って一日中熊野灘を見つめており、まだ発見されていない遠くの水死体が光って見えるという特殊な能力を持っているために近所の村人から「てんぎゃん(天狗のように不思議な小僧という意味)」と呼ばれている。その透視能力は確かで、地元の警察官が捜索の助けを依頼するほどである。字は読めないが、言葉を聞いて相手の意図や感情を読み取る能力が非常に高い。

加藤 重兵衛(かとう じゅうべえ)
 七里御浜の大馬に一人乗りの小舟を漕いでやって来た男。黒い鎖帷子の胴着を身にまとい、痩せてクモのように手足が長いが胸板は厚い。保と同じように長い顔にとがった顎、灰色の瞳をしていて、薄い唇で冷たく笑う。大馬の遥か南東に位置する太平洋の無人諸島(ボニン諸島 現・小笠原諸島)で、古代熊野の龍神党陰陽師の末裔と闘って脇腹を斬られ、10日かけて逃れて来た。
 大馬に来たのは、熊野古道を通って和歌山県の龍神村へ行くためであり、日本に眠る数多くの怨霊たちを覚醒させて明治新政府を崩壊させることを目論む。安倍晴明と朝廷の陰陽寮の系譜に連なる土御門神道とは全く異なる、芦屋道満の流れをくむ裏の陰陽道「若一党(じゃくいちとう)」の棟梁であり、賛同する陰陽師や山伏たちを率いて、日本の怨霊たちを「反魂の術」で復活させる。紙から黒いカラスに変じる式神を打つことを得意とする。五芒星(セーマン)の墨書された布を使い死者の魂を召喚することができる。

村主 熊太郎(すぐり くまたろう)
 熊野の龍神村の名主で、明治新政府の神仏分離令を名目に10名程の武装集団「神威隊」を組織して、龍神村の龍神寺を襲撃した。日本が世界に通用する近代国家になるためには、国家神道以外には仏教も淫祠邪教も一切邪魔であるとして過激な破壊活動を扇動する。特に、熊野で強く信仰されている陰陽道(ドーマンセーマン)や牛頭天王信仰を外国から輸入されてきた邪教として強く敵視しており、龍神党の聖地である木偶茶屋を陸軍に依頼して砲撃させるほどに憎んでいる。肥満しているが刺叉による攻撃を得意とする。

庄司 新九郎(しょうじ しんくろう)
 龍神村の森「和田谷(わだのたに)」の奥にあるあばら家にいた老人。たっつけ袴に胴衣を着て茶筅髷を結っている。その正体は南朝の遺臣ですでに故人であるが、加藤重兵衛の反魂の術により現世に召喚される。

安倍 晴明(あべのせいめい 921~1005年)
 平安時代の大陰陽師、天文博士にして、日本最大の白魔術師。当時の呪術コンサルタントとして皇族や貴族・民衆の間で絶大な信望を集めた。
 本作では、龍神村を訪れた加藤重兵衛の怨念に呼応する形で笠塔山山頂の木偶茶屋に顕現し、重兵衛と対決する。重兵衛によく似た長い顔だが肥満して色は白く、瞳は黄色く輝いている。


おもな用語解説
王子(おうじ)
 仏教を守護する、密教でいう護法童子と同じ役割の、童形の神霊のこと。特に熊野古道の路傍に点在している小さな祠や石柱、碑などで祀られている王子たちは、まとめて「九十九王子(つくもおうじ)」と呼ばれる。古代から熊野の山岳地帯や沿岸地域で祀られ崇敬され、怒ると祟るともいわれる。多くの王子たちはそれぞれの土地や村のみで祀られている小さな神霊だが、強力な祟り神である牛頭天王の眷属は特に「八王子」と呼ばれている。

餅鉄(もちてつ / べいてつ)
 河川の水に流されているうちに磨耗し、丸い餅のような形になった磁鉄鉱のこと。川原や山中に転がっていて見た目は小石のようだが、色が黒く明らかに石より重い。また磁力も持っている。かつて、たたら製鉄などの古代製鉄において、砂鉄と並ぶ重要な原料として盛んに採集、利用され、日本刀の材料にもなっていた。成分は60 %以上が酸化鉄で、砂鉄よりも不純物が少なく鉄にしやすい。
 古代の煉丹術(れんたんじゅつ)を修める密教の行者たちが、五穀を断って即身仏になるまでの間に食べ続け、それによって肉体が金属に変質し不老不死になると信じられていた。

龍神村(りゅうじんむら)
 熊野古道の奥地にある、日本の陰陽道の聖地。現・和歌山県田辺市。古代に朝鮮半島から渡来した神仙たちが陰陽道の拠点とし、安倍晴明の師とされる伯道仙人もこの龍神の地で羽化登仙したといわれる。そのため晴明も龍神において、星の位置を測り天の命運を読み取る「宿曜術」の奥義を伯道仙人から学んだ。これによって日本の陰陽道は晴明と朝廷の陰陽寮に独占される形となったが、もともと龍神にいた陰陽師たちの中には、晴明に従わず民間の陰陽師として別個に存続していく流派「龍神党」もあった。

牛頭天王(ごずてんのう)
 日本における神仏習合の神で、釈迦(ブッダ)の生誕地である祇園精舎の守護神とされた。蘇民将来伝説の祟り神であると同時に薬師如来の垂迹であり、また古代日本神話のスサノオの本地ともされた。京都東山の祇園などに鎮座して祇園信仰の神ともされ、現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られた。また陰陽道では天道神とも同一視される。
 本作では、古代中国大陸から渡来した際に、それ以前から熊野にいて大和王権の拡大を助けた古代神ハヤムシャとそれを信仰する龍神党陰陽師を排斥して熊野に鎮座したとされている。熊野の天狗たちを使役して、龍神村を目指す加藤重兵衛を妨害する。

廃仏毀釈
 明治新政府は、慶応四(1868)年3月に布告した「神仏分離令」や明治三(1870)年1月に発布した詔書「大教宣布」などにより、仏教に由来する国民負担の軽減政策を打ち出した。当初、この政策は神道と仏教の分離が目的の行政改革であり、仏教のみの排斥を意図したものではなかったが、江戸時代まで長年にわたり仏教に圧迫されてきたと感じていた水戸派・平田派国学を信奉する神職者たちによって廃仏運動が引き起こされ、民衆も巻き込んで仏像や仏具が破棄される廃仏毀釈運動が全国的に発生することとなった。
 廃仏毀釈運動の規模については全国一律ではなく地域により大きな差があったが、これは主に藩学の普及と、民衆の学力向上の度合いの差による。浄土真宗の信仰が強い愛知県や福井県では、廃仏の動きに反発する護法一揆が発生しているが、それを除けば全体として大きな反抗もなく、明治四(1871)年1月に「寺社領上知令」が布告され、寺社の領地が政府によって調査・確定されたこともあり、運動は終息した。

神威隊(しんいたい)
 明治新政府が布告した神仏分離令に起因する1870~71年に発生した全国的な廃仏毀釈運動の中で、武装した神職や民衆が結束して寺院を襲撃した過激派集団のこと。1870年4月に、40名ほどの武装した日吉大社(滋賀県大津市)の神官たちが「神威隊」を名乗って蜂起し、延暦七(788)年の伝教大師最澄による開山いらい千年以上にわたって日吉大社を勢力下に置いてきた比叡山延暦寺に対して反旗を翻した。
 神威隊を率いたのは、日吉大社社司で明治新政府の神祇事務局に所属していた樹下茂国(じゅげ しげくに 1822~84年 岩倉具視の腹心)と、同じく社司の生源寺希徳(しょうげんじ まれのり 1854~94年以降)で、神威隊は延暦寺に対して日吉大社の自治権を主張し神殿の鍵の引き渡しを要求した。しかし、その要求を頑として拒否する延暦寺側に業を煮やした神威隊は日吉大社の本殿になだれ込み、祀られていた本地仏などの仏像や『大般若経』などの経典、仏具など124点に火を放ち、鰐口や具足などの金属類48点を持ち去った。神威隊の暴徒の中には、社司たちから雇われた地元坂本の農民も含まれていたとされている。これは、当時坂本を延暦寺が支配しており、小作人たちが重い年貢を課されていたことも起因しており、江戸幕府の庇護のもと長年にわたって既得権益を得てきた延暦寺にたいする地元民の反感は、日吉大社の神官たちと同様に深く燻り続けていたと察することができる。この神威隊による日吉大社襲撃事件が、全国に波及していく廃仏毀釈運動の端緒となった。
 本作では、日吉大社の神威隊とは直接の関係は言及されていないが、同じ神威隊を名乗る、木槌や金剛杖で武装した10名程の暴徒が龍神村の龍神寺を襲撃した。ちなみに、本作の時代設定は全国的な廃仏毀釈運動が終息してかなり後の1878年である。

小笠原諸島
 東京湾の南南東約1,000km の太平洋上にある30余りの島々からなる諸島地域。江戸時代には無人(ボニン)諸島と呼ばれていた。
 本作では、牛頭天王の渡来によって古代熊野から排斥された龍神党陰陽師の末裔が原住民化して暮らしており、南朝天皇の子孫「熊野の天子」が逃れて潜伏し、日本の「偽りの天子」を倒すために再起する「影のみやこ」とされている。

笠塔山(かさとうやま)
 和歌山県田辺市にある標高1,049m の山で、平安時代中期の大陰陽師・安倍晴明が魔物を笠の下に封じ込めたという伝説が残り、登山口には晴明を祀る小さな祠がある。山頂からの展望は良く、太平洋と瀬戸内海が交わる紀伊水道の海が望める。

木偶茶屋(でくぢゃや)
 笠塔山の山頂にある、幅5尺(約1.5m)・長さ60間(約108m)ほどの土舞台のようになった馬場のことで、ここでかつて、安倍晴明に辱められた加藤重兵衛の母が自害した。古来から神霊の魂を鎮めるための「巫女舞」の神事が行われていた神聖な場所で、神霊の魂を呼び降ろすための「人形まわし」も行われていたために木偶茶屋と呼ばれるようになった。


 ……さぁ~、ついにやってまいりました、荒俣先生が「本意気」で『帝都物語』に直接つながる日本の近世~近代オカルト史を描き尽くす、3つの前日譚のうちの1発目! 「シム・フースイ」シリーズとかで多少の休憩時間(あの濃度で休憩!?)をはさみつつ、いよいよ今まで語られなかった魔人・加藤保憲の「誕生」にいたる歴史の闇に光が当てられることとなるのであります。うわお~!!

 具体的にみますと、『帝都物語』の開幕の時期となる「明治時代末期(明治四十年)」にいたるまで、長編『帝都幻談』(江戸時代後期)、『新帝都物語』(江戸時代末期)と時系列順に進みまして、今回扱う短編『龍神村木偶茶屋』(明治十一年)で、最終的に『帝都物語』に登場することとなる加藤保憲が誕生するという流れとなるのです。
 ですので、本作は確かに100ページにも満たない小品ではあるのですが、正真正銘の意味で『帝都物語』のプロローグとなる非常に重要な作品なのです。そしてクライマックスは、往年の筆の勢いを余裕のよっちゃんで取り戻した壮絶なサイキックバトル! そりゃそうです、加藤重兵衛と、あの安倍晴明の怨霊(たたり神か?)とのガチンコ対決なんですから。読みごたえのずっしりくる大傑作と申して差し支えないでしょう。『帝都物語外伝 機関童子』の、雰囲気だけで押し通した「大山鳴動して変態の行進さわぎ」なふにゃふにゃ感はどこ行ったの!?という緊張感ですね。いや、『外伝』は逆にそこがいいんですけど。

 ネタバレになってしまうのですが、本作は『帝都幻談』と『新帝都物語』で活躍するダークヒーロー・加藤重兵衛が、その「帝都崩壊=日本壊滅」の悲願を、新たなる世代の加藤保憲に託すという文字通りのジャンクション的作品となっており、まるであの明治末期の一連の千里眼事件の中で、民衆の好奇と差別のまなざしにさらされ、もてはやされやがて排斥された、御船千鶴子や長尾郁子といった実在の超能力者たちの系譜に連なるような悲劇性を持つ主人公の霊視少年「ヤス」のキャラクター造形が光る、抒情性もたっぷりな名編となっています。そうなんです、この作品、「日常生活に違和感を持ちつつ生きている若者が『異様な世界』に旅立っていくロードムービー」として、単体でも完成度がものすごく高い小説なんですよね。そんなん、新生・加藤保憲の今後の活躍を応援せずにはいられなくなるじゃないっすかぁ~!!

 以上のような時系列になるので、本来ならば2001年の時点で作品の連載も始まっていた『帝都幻談』や『新帝都物語』のほうから先に読んでいくべきではあるのですが、どちらも単行本の形で作品が完成するのは2007年のこととなっていますので、今回は2001年の時点でひと足先に完成していた『龍神村木偶茶屋』のほうからみていきたいと思います。短編なのですぐ読めるし!

 それにしても気になるのは、これほどまでに作品の立ち位置も重要で、小説としてもめっちゃくちゃ面白い本作が、どうしてまた角川書店なりなんなりの大手出版社から刊行されなかったのか、ということなんですよね。単行本の出版から20年以上たってるのに文庫化もされてないし。
 それはまぁ、『異録』の大部分が寄稿者による解説文のアンソロジーであるという特殊な構成も理由にあるのでしょうが、




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あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『陰陽師鬼談 安倍晴明物語』

2025年07月16日 22時27分58秒 | すきな小説
 ヘヘヘイど~もこんばんは! そうだいでございます。今日も暑い中、みなさまお疲れ様でございました!

 いや~、ひどい! なにがひどいって、今回は例によって、いつもの「荒俣宏の『帝都物語』関連作品を読む」企画の更新なのですが、なんだよこれ~!?

 今回扱う本はですね、現在最も手に入りやすい形は角川文庫のバージョンになるのですが、角川文庫で270ページくらいの本なんですよ。つまり、一般的な感覚でいうと「うすい文庫本」の部類に入ると思うんですよ。

 それが、なに!? そんなうすめの本の登場人物と専門用語の解説だけで、記事の文量が1万字を超えてるって!!

 もうむちゃくちゃだよ……恐るべし、荒俣ワールド!! 1冊読んだだけで、この情報量! 知識カロリー高すぎでしょ!! まぁ、普段の生活で役に立ちそうな知識はかなり少ないですが……ていうか、魔除けの知識が役に立っちゃうような局面にはおちいりたくない。


『陰陽師鬼談 安倍晴明物語』(2000年10月)
 『陰陽師奇談 安倍晴明物語』(おんみょうじきだん あべのせいめいものがたり)は、荒俣宏の時代伝奇小説。当初は『夢々 陰陽師鬼談』という題名で角川書店から単行本が出版されたが、2003年8月に角川文庫で文庫化された際に改題された。
 のちに出版された『帝都物語』シリーズの解析書『帝都物語異録』(2001年12月 原書房)での荒俣の解説によると、本作は荒俣が『帝都物語』の執筆を開始した1979年ごろに並行して執筆していた伝奇ロマン連作小説『平安鬼道絵巻 ヒーローファンタジー・九つの鬼絵草紙』(1986年2月 東京三世社)がベースになっている。また荒俣は、本作で安倍晴明をヒーローとして描いたため、その反対に陰陽師を悪役にした小説を書こうと思い立ち『帝都物語』の魔人・加藤保憲が誕生したと語っている。


あらすじ
 そこに立った子どもは、不思議な面立ちをしていた。その顔は、最近都で流行り出した舞楽の面のようだった。風が吹くと、赤毛がふわりとふくらむ。異国の香りを漂わせるその風貌には、高貴なたたずまいと、恐ろしく異質なあやかしの気配とが同居していた。
 今をさかのぼる千年前、平安の世で活躍した陰陽師・安倍晴明の秘められた物語。


おもな登場人物
聖徳太子厩戸皇子(しょうとくたいしうまやどのみこ 574~622年)
 飛鳥時代の第三十一代用明天皇(?~587年)の第二皇子。叔母の第三十三代推古天皇(554~628年)の摂政として、大臣・蘇我馬子(551~626年)と共に政治を行い、遣隋使を派遣して中国大陸の隋帝国(581~618年)から進んだ文化や制度をとりいれて「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めるなど、天皇を中心とした中央集権国家体制を確立した。また、中国伝来の仏教を厚く信仰して興隆に努め、没後には聖徳太子自身も日本の仏教で尊崇され、「太子信仰」となっていった。
 伝説によると、六歳の時(579年)に空を飛ぶ黒馬に乗って朝鮮半島に渡り陰陽学を学び、法華経を日本に持ち帰ったとされる。

橘大郎女(たちばなのおおいらつめ ?~?年)
 聖徳太子の妃。第三十代敏達天皇(538~85年)の皇子・尾張皇子(?~?年)の娘で推古天皇の孫にあたる。聖徳太子との間に1男1女をもうけた。聖徳太子の妃たちの中で最も気丈な性格で、大臣・蘇我馬子の権力増大を容認し、異国の仏教や陰陽学に過度に傾倒して夜叉を使役する夫の行動に疑念を抱く。

吉備 真備(きびのまきび 695~775年)
 奈良時代の学者・公卿。養老元(717)年に遣唐使留学生として阿倍仲麻呂らと共に唐帝国に入り、陰陽学・天文学・兵法・陣法・暦数などを学びながら皇帝皇子の家庭教師を務めた。天平七(735)年に数多くの漢籍を携えて帰国し朝廷で重用され大納言まで昇進し、天平勝宝四(752)年に藤原清河の率いる第12次遣唐使に参加して再び唐に渡り、かつての盟友・阿倍仲麻呂と共に帰国しようと図る。唐にて「奇門遁甲の術」や「夢買いの術」を習得する。

阿倍 仲麻呂(あべのなかまろ 698~770年)
 奈良時代の学者・貴族。養老元(717)年に遣唐使留学生として阿倍仲麻呂らと共に唐帝国に入り、陰陽学・宿曜経などを学びながら皇帝皇子の家庭教師を務め、そのまま帝国の首都・長安で高官として勤め上げた。天平勝宝四(752)年に藤原清河の率いる第12次遣唐使が来唐した際に、唐皇帝玄宗に日本への帰国を申し出るが許可されず、清河やかつての盟友・吉備真備と共謀して翌年に無断帰国を図る。陰陽学の師である唐の伯道仙人の愛弟子だった、龍宮の龍王の娘・龍女との間に嫡男・満月丸をもうけている。

鑑真(がんじん 688~763年)
 唐帝国の高僧。日本に僧侶の授戒制度を伝えるべく渡海を目指すが5回失敗して失明してしまう。藤原清河や吉備真備らの遣唐使の帰国船に内密に乗船し、天平勝宝六(754)年についに悲願の来日を果たした。日本の南都六宗のひとつ「律宗」の開祖となった。

藤原 秀郷(ふじわらのひでさと 885?~991?年)
 平安時代中期の豪族、武将。下野国大掾・藤原村雄の子。承平年間(931~38年)に近江国の瀬田大橋で、全長20丈(60m)の白い大蛇と琵琶湖の龍神に遭遇する。

平 将門(たいらのまさかど 903~40年)
 平安時代中期の関東地方の豪族。第五十代桓武天皇の皇胤。下総・常陸国で発生した平氏一族の抗争を関東地方全体を巻き込む戦乱へと拡大させ、京の朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を宣言したが、朝廷の派兵した武将・藤原秀郷らによって討伐された。その死後に日本を代表する大怨霊のひとりとなったが、同時に守護神・鎮守神としても民衆から大事に尊崇・信仰された。
 秀郷に討ち取られた将門の首は京へ運ばれたが、首の無くなった身体は自分の首と秀郷を追って下総国から武蔵国までやって来た。秀郷は将門の身体を埋めて封印し、そこを「骸(からだ)明神」として祀った。これが現在の「神田明神」の始まりであるとされる。

安倍 晴明(あべのせいめい 921~1005年)
 平安時代の大陰陽師、天文博士にして、日本最大の白魔術師。当時の呪術コンサルタントとして皇族や貴族・民衆の間で絶大な信望を集めた。
 本作の設定では、遣唐使として唐帝国に渡り陰陽学を修めた貴族・阿倍仲麻呂と龍宮の龍王の娘・龍女との間に生まれた子・満月丸の曽孫にあたり、幼少期は童子丸と名付けられ摂津国阿倍野で「狐の子」と呼ばれ貧しい生活を送っていた。しかし10歳の時(930年)に仲麻呂と龍女の陰陽学の師である伯道仙人や龍女の父・龍王と出逢い、龍王の末娘の息長姫(おきながひめ)と婚姻する。その後、龍王から授かった秘宝を駆使して応和元(961)年に内裏の怪事件を解決し、朝廷に仕えるようになる。のっぺりとした狐のような顔をして、明るい赤毛の男。
※本作では晴明は阿倍仲麻呂の直系の子孫とされているが、阿倍家は飛鳥時代の7世紀初期に「布勢系」と「引田系」に分かれており、晴明は布勢系で仲麻呂は引田系であるため、これは架空の設定である。また、晴明が「阿倍」姓を「安倍」姓に改めたというのも架空の設定で、実際に安倍姓になったのは平安時代初期の8世紀末~9世紀前半のこと(晴明誕生の約100年前)とされている。

息長姫(おきながひめ)
 龍宮の龍王の末娘で、安倍晴明の6歳年上の正妻。亀に化けて摂津国住吉の浦に現れた時に子どもに捕まり、いじめられていたところを童子丸(のちの晴明)に助けられ、一目惚れして婚姻した。晴明に嫁ぐ際に「鯛ノ女(たいのめ)」と「海松ノ巫女(みるのみこ)」という侍女を龍宮から連れてきている。

賀茂 保憲(かものやすのり 917~77年)
 平安時代中期の貴族・陰陽師。同じく陰陽師の丹波権介・賀茂忠行の嫡男。安倍晴明の陰陽道の兄弟子にあたる。父・忠行と同じく『白衣観音経』を修めた陰陽道の達人で、当時の陰陽道の模範とされるほどの評価を得ており、また暦道も究め、日本の暦法の発展は彼がいなければあり得なかったといえる。
 天慶四(941)年に造暦の宣旨を受けて以降、暦博士・天文博士・陰陽博士・陰陽頭・穀倉院別当・主計頭を歴任し、天延二(974)年には造暦の功により従四位上に叙せられる。これは当時の陰陽師の中では異例に昇進が早く、従五位下だった父・忠行よりも位階が上になっていた。
 陰陽道のうち、暦道を子・光栄に、天文道を安倍晴明に継がせて、陰陽道宗家を二分した。
※本作では忠行・保憲父子の出た賀茂家は吉備真備の子孫とされているが、これは後世の創作である。

芦屋 道満(あしや どうまん 958?~1009年以降)
 平安時代中期の法師陰陽師(民間の陰陽師)。播磨国岸村(現・兵庫県加古川市)の出身とも伝えられているが、実像については不明な点が多い。
 本作では、朝鮮半島からの渡来人の血を引き、播磨国天下原(あまがはら)の古墳で先祖の霊や怨霊を鎮めていたが、応和元(961)年に内裏の怪事件を解決するために、新内裏造営の責任者である右大弁・橘元方に招聘されて京に上り、安倍晴明・賀茂保憲と対決する。3体の式神を使役していたが、意図して封印し京には連れて来なかった。乱れた長髪で手作りの紙製の冠をかぶり、くっきりした二重まぶたで唇の厚い青年。法師陰陽師ではあるが、朝廷にとり立てられて陰陽寮の博士になることを密かに望んでいる。星の仏である虚空蔵菩薩の法力を借りる「求聞持法(ぐもんじほう)」を得意とする。

源 高明(みなもとのたかあきら 914~83年)
 平安時代中期の公卿。第六十代醍醐天皇の第十皇子。左大臣。皇族出身という高貴な身分に加えて学問に優れ朝儀にも通じており、また当時の政界実力者だった右大臣・藤原師輔やその娘の中宮・安子の後援も得て朝廷で重んじられた。しかし師輔・安子父娘の死後には藤原家に忌まれ、安和二(969)年の政変「安和の変」で失脚し、政界から退いた。京の内裏の北東に位置する右京四条に壮麗な豪邸を構えていた。

渡辺 源次 綱(わたなべのげんじ つな 953~1025年)
 平安時代中期の武将。第五十二代嵯峨天皇を祖に持つ嵯峨源氏の子孫で、渡辺家の始祖。武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の筆頭として知られる。京の一条堀川戻橋で美女に化けた大鬼・茨木童子と対決する。左源太と右源太という郎党がいる。主君の頼光から、源氏重代の名刀「髭切(ひげきり)」を拝借している。

源 頼光(みなもとのよりみつ 948~1021年)
 平安時代中期の武将で渡辺綱の主君。鎮守府将軍・源満仲の嫡男で清和源氏第三代。名前はしばしば「らいこう」とも読まれる。父・満仲が史上初めて武士団を形成した摂津国多田(現・兵庫県川西市)を相続し、その子孫は「摂津源氏」と呼ばれる。
 のちに実の兄弟である丑御前の抹殺を父・満仲に命じられる。
※本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、頼光の年齢と合っていない。

源 丑御前(みなもとのうしごぜん 941年~)
 源満仲の息子で、頼光の弟。身長8丈(約2.4m)で2本の長い牙と四方に伸びた黒髪の間に2本の角を持つ異形の姿で、瞳は炎のように赤く輝いている。大きな杉の木を引き抜く怪力と韋駄天のように素早く走る脚力を持ち、その恐ろしい声には大和国の山中の熊もおびえる。
 清和源氏の家に生まれながらも、自分を強引に日本に連れてきた吉備真備の末裔である陰陽師を深く恨む牛頭天王の神意を胎内に宿したという母親の夢告と、3年3ヶ月にわたる異常に長い妊娠を大いに畏れた父・満仲が生まれた丑御前を殺すように命じ、それを不憫に感じた母が、乳母の須崎の方に密かに丑御前を連れて大和国の山中に逃れるようにはかった。天慶四年辛丑の年の三月二十五日丑の日の丑の刻に生まれたため「丑御前」という幼名を名付けられた。
 乳母・須崎の方とその夫・勝馬、2人の息子のひのくま宗虎の3人を家臣に従え、自分を殺そうとした父・満仲への復讐心に燃えて関東地方にくだり、かつて平将門が拠点とした下総国の相馬御所で将門の霊意を得て挙兵する。
※本作では丑御前は源頼光の弟と設定されているが、天慶四年生まれの丑御前は、天慶の次の年号の天暦年間生まれの頼光よりも明らかに年上である。

源 満仲(みなもとのみつなか 912~97年)
 平安時代中期の武将。武蔵権守。六孫王経基の嫡男で清和源氏第二代。多田源氏の始祖。
 牛頭天王の祟りを受け3年3ヶ月の異常な妊娠期間を経て生まれた異形の息子・丑御前を恐れて殺そうとするが失敗し、大和国の山中に逃れて16歳となった丑御前の抹殺を、同じ息子の頼光に命じる。

芦屋 宗源(あしや そうげん)
 安倍晴明の若い弟子の陰陽師。晴明に従いながらも、源満仲・頼光父子の策謀に加わり宇治の橋姫と契ろうとする晴明の企てを、晴明の正妻の息長姫に密告する。黒いひげをたくわえ眼光の鋭い行者風の青年。式神を駆使することができる。芦屋道満との関係は不明。

坂田 金時(さかたのきんとき 956~1011年)
 平安時代中期の武将。武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の一人。幼名・金太郎。駿河国の足柄山(現・静岡県小山町)で育ち、天延四(976)年に足柄峠を訪れた源頼光にその力量を認められて家来となった。武者としての誠を重んじる実直な性格で、実の息子または兄弟である丑御前を策謀に陥れて殺そうとする満仲・頼光父子に真っ向から異を唱える。
※本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、金時の年齢と合っていない。


おもな専門用語
亀卜(きぼく / かめうら)
 古代中国大陸の殷王国の時代(紀元前16世紀~紀元前1046年)から広く行われていた、亀の甲羅に火を当てて生じる亀裂の形や方向を見て神意を読み取る占術。中国大陸に伝わる、洛水の神亀の甲羅に大地を治める秘法が記してあったという古代神話に由来する。のちに新しい占術「易」が開発されてからも亀卜の権威は保たれ、易で意見がまとまらない場合や国家の一大事の最終決断には亀卜が用いられた。
 古代日本でも亀卜は占術の最高権威とされ対馬国の卜部家が伝承していたが、手順が難解煩雑であるために滅多に行われなくなり、次第に衰退した。

易(えき)
 古代中国大陸の周王国の時代(紀元前1046~紀元前256年)に開発された占術で、50本の細い棒「筮竹(ぜいちく)」を無作為に分けて神意を読み取る。殷王朝の亀卜よりも簡単・確実に占うことができる。

陰陽(いんよう / おんみょう)
 中国大陸で古代から伝えられてきた思想で、世界を動かしている昼の天に輝く太陽の力「陽」と、夜の暗い空に浮かぶ太陰(月)の力「陰」のこと。この世にあるすべての事物、森羅万象の成り立ちは、この陰と陽の力のバランスの変化によって生まれる。

五行(ごぎょう)
 天に輝く5つの惑星「青の木星」、「赤の火星」、「黄の土星」、「白の金星」、「黒の水星」のこと。この世界のすべての事物はこの5種類に分類できるとされ、方角に関しては中国大陸から見て青い海のある東が「木」、暑く赤い大地のある南が「火」、白い雪の降り積もる崑崙山脈や天山山脈のある西が「金」、暗い夜空のある北が「水」、黄砂の大地の広がる中央が「土」となる。また、季節については春が「木」、夏が「火」、秋が「金」、冬が「水」、それらの4季節の変わり目となる終わりの2週間が「土」となる(土用の丑の日の語源)。

相性(あいしょう)
 五行同士にある力関係のことで、相性が良いもの同士は力を出し合い、相性が悪いもの同士は力をそぎ合う。「木と火」、「火と土」、「土と金」、「金と水」は相性が良く、「木と土」、「火と金」、「土と水」、「金と木」、「水と火」は相性が悪い。

陰陽学(いんようがく)
 古代中国大陸に伝わる「陰陽」と「五行」の思想に基づき、亀卜や易の吉凶の判定を体系化したり、実際の天文の運行に合うように研究・改良を進めてきたりした学門のこと。漢帝国の時代(紀元前206~紀元後220年)までは陰陽の関係が重視されてきたが、唐帝国の時代(618~907年)になると五行の分類が注目されるようになり、この時の五行研究が遣唐使を通じて日本に伝来することとなった。同時に、西洋占星術と起源を同じくするインド発祥の占術「宿曜経(すくようぎょう)」を広めていた仏教の僧侶たちも陰陽学を吸収し修めるようになった。日本に陰陽学を伝えたのは朝鮮半島の僧侶たちだったとされている。
 日本では天武天皇(?~686年)が在位五(676)年に、陰陽学を学び実践する役所「陰陽寮」を開設し、そこから日本独自に陰陽学を修める宮廷官僚を「陰陽師(おんみょうじ)」、陰陽師たちの学問と技術を「陰陽道(おんみょうどう)」と呼ぶようになった。

法師陰陽師
 古代朝廷は日本の陰陽道を独占するために陰陽寮の官人のみに陰陽師を限定し、もともと日本に陰陽学を伝えていた僧侶が陰陽師になることを禁止したが、それ以前に中国大陸から渡来していた仏教系の陰陽学はすでに民間に広く伝わっており、朝廷の傘下に入ることを嫌った呪術師たちが国家非公認の法師陰陽師となり、陰陽寮の陰陽師と対立する存在となっていった。

夜叉(やしゃ)
 もとは人を喰う邪悪な存在であったが、仏法を守護する四天王のひとり毘沙門天に敗れ配下にくだり、仏法を学んで悟りを開き仏法の守護者となった鬼神や精霊たちのこと。陰陽学を修めた僧侶「方士(ほうし)」に奉仕し、方士に使役されて四方位から襲ってくる外敵や悪霊を撃退したり、墓に眠る先祖の霊を守護したりする役目を担った。人々に不老長寿をもたらし、金銭を儲けさせる神通力を持っている。人間の大人と同じくらいの背丈で身体は青黒く、腕が4本あり、頭髪は炎のように燃え上がっている。非常に気前の良い性格。

蘇民将来(そみんしょうらい)
 8世紀中期に中国大陸から日本に伝来した、祇園社の牛頭天王に祈願する際に護符と八角形の柱に記す名前で、牛頭天王は疫病や天変地異をもたらし人々を呪う強力な祟り神であるが、この護符を持つ民に対しては災厄や疫病を祓い福を招く神になるとして信仰されている。陰陽道では「天徳神」と同一視され、民衆は蘇民将来の子孫であることを示すために茅の輪を身に着けていたという。

簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)
 龍宮の龍王が所有していた、陰陽学と天文知識を伝える秘伝書。星の動きを知り、未来を予知し、大地の祟りを鎮めることができる禁断の秘術が記されている。

摩睺羅伽(まごらが)
 仏教を守護する護法善神「天龍八部衆」の一尊。サンスクリット語で「偉大なる蛇」を意味するマホーラガが名前の語源。もとは古代インドの音楽の神で、ニシキヘビのような大蛇を神格化したものである。本作では、日本に持ち出された『簠簋内伝金烏玉兎集』を取り返そうとする龍王の命により、百本の脚を持つ巨大なムカデの姿となり近江国の三上山に出現した。

宿曜経(すくようぎょう)
 陰陽学とは全く異なる、西洋占星術と起源を同じくする古代インド発祥の星の知識を駆使する占術の経典で、仏教の秘儀と共に高僧・三蔵法師玄奘(602~64年)が中国大陸に伝えた。大乗仏教の一尊である、叡智の仏・文殊菩薩の教えとされる。中東アジアの古代メソポタミア文明を発祥とする、天を12に区分してそれぞれに聖獣を配置した「黄道十二宮」などの天文学も導入されており、陰陽学と共に日本の陰陽道の重要知識のひとつとなった。

緊那羅(きんなら)
 もとは古代インド神話に登場する、夜叉と共に創造神ブラフマー(梵天)のつま先から生まれた音楽の神だったが、護法善神「天龍八部衆」の一尊となった。歌と踊りに秀でて特に歌が美しいといわれる。男性のキンナラは半人半馬だが、女性のキンナリーは美しい天女で、ときおり地上に舞い降り水浴びなどして遊ぶという。
 日本では、神でも人間でも動物でも鳥でもない半身半獣の生物とされるため「人非人」とも呼ばれ、半人半鳥の音楽神・乾闥婆(ガンダルヴァ)と同様に帝釈天(インド神話のインドラ)の眷属となっている。
 本作では、京の内裏の北東にある左大臣・源高明の邸宅に巣食う、仏教の力で人間になることを夢みる零落した小鬼として登場する。

乾闥婆(けんだつば)
 もとは古代インド神話に登場する、英雄神インドラ(帝釈天)に仕える半人半鳥の音楽の神ガンダルヴァで、女好きで性欲が強いが処女の守護神でもあるとされる。女性のガンダルヴァも存在する。酒や肉を喰らわず香りを栄養とし、自身の身体からも冷たく濃厚な香気を発する。サンスクリット語でガンダルヴァとは「変化が目まぐるしい」という意味であり、蜃気楼のことをガンダルヴァの居城にたとえて「乾闥婆城( gandharva-nagara)」とも呼ぶ。古代ギリシア神話の牧神パンと同源であると推定されている。仏教では護法善神「天龍八部衆」の一尊となっている。
 本作では、他の娘の家に泊まり込むようになった夫を強く恨んだ妻が化身した、白髪で全身が青い鬼女として登場する。

三十番神(さんじゅうばんじん)
 日本の仏教と陰陽道の中でできた守護神の概念。天台宗の宗祖である伝教大師最澄(762~822年)が、日本の国土と法華経の布教を守るために、月に1日の持ち回りで守護する30の仏神を定めたもの(例:毎月の一日は熱田大明神、二日は諏訪大明神、三日は広田大明神など)。特にその中でも、日本の王都である平安京を守護する役割が分担されており、将軍塚に鎮座して朱雀以東を守る青龍八神、石清水八幡宮に鎮座して九条以南を守る朱雀八神、鳴滝川に鎮座して西洞院以西を守る白虎八神、一条以北を守る玄武八神がいる。

式神(しきがみ)
 単に「式」ともいう。吉凶を占い、魔を祓う陰陽師に使役される目に見えぬ鬼といわれ、陰陽師が創った人造人間ともいわれる。人を呪う時に式神が放たれ、式神は呪う相手にとり憑き、生命をおびやかす。呪われた人は一瞬でも早く、より強力な陰陽師に頼んで相手に式神を打ち返さない限り、助からない。

十二神将(じゅうにしんしょう)
 式神の中でも、特に安倍晴明が使役していた式神たちのこと。もともと晴明の邸宅の南門の梁に棲みついていたが、晴明の正妻・息長姫が彼らを忌み嫌ったため、晴明が自身の邸宅に近い京・一条堀川戻橋の下に置いて必要時に召喚していた。

茨木童子(いばらきどうじ)
 平安時代中期に、大江山(丹波国にあったとされるが、現在の京都市と亀岡市の境にある大枝山という説もある)を本拠に、貴族の子女を誘拐するなど乱暴狼藉をはたらき京の都を荒らし回ったとされる鬼のひとりで、鬼の棟梁・酒呑童子(しゅてんどうじ)の最も重要な家来。舞の上手な美女に化けて、武将・源頼光の4人の重臣「頼光四天王」の一人である渡辺綱と一条堀川戻橋で闘った故事が、後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれている。
 本作では、もと晴明の式神十二神将のひとりだったという設定で、宇治の橋姫と同一人物となっている。

橋姫(はしひめ)
 日本各地に古くからある大きな橋にまつわる多くの伝承に現れる鬼女・女神。外敵の侵入を防ぐ橋の守護神として祀られていることもあり、古代の水神信仰が起源といわれている。橋姫は嫉妬深い神ともいわれ、橋姫の祀られた橋の上で他の橋を褒めたり、または女の嫉妬を語ると必ず恐ろしい目に遭うという。これは「愛らしい」を意味する古語の「愛(は)し」が「橋」に通じ、愛人のことを「愛し姫(はしひめ)」といったことに由来するなどの説がある。橋姫伝説の中でも、京都府宇治川の宇治橋、大阪市淀川の長柄橋、滋賀県瀬田川の瀬田大橋などが特に有名である。
 本作では、渡辺綱の実母という設定で登場し、綱を生んだ後に他の女性を愛した夫が橋姫を捨てたために深く恨み、貴船明神に丑の刻参りを行って鬼女に化身した。そののちに宇治橋に移ったとされているが、もと晴明の十二神将のひとりだったという設定も加わり、茨木童子と同一人物となっている。

牛嶋神社(うしじまじんじゃ)
 現在の東京都墨田区向島の隅田公園内にある、東京本所総鎮守の神社。社格は武蔵国郷社。
 平安時代中期の貞観年間(859~79年)に慈覚大師円仁(794~864年)が当地を訪れた際に、須佐之男命(スサノオ / 牛頭天王)の化身の老翁から託宣を受けて創建したとされる。明治時代以前は「牛御前社」と呼ばれていた。例祭は毎年9月15日。
 この神社には弘化二(1845)年に奉納された絵師・葛飾北斎の大絵馬『須佐之男命厄神退治之図』があったが、大正十二(1923)年の関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。なお、同作は2016年に色彩の推定復元が行われ、すみだ北斎美術館にて展示されている。
 境内には「撫牛(なでうし)」と呼ばれる牛の石像があり、自分の身体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。また本殿前の鳥居は「三ツ鳥居」と呼ばれる珍しい形態の鳥居である。
 アクセスは、都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅から徒歩で約10分。
 本作では浅草川(現・隅田川)で討たれた丑御前を祀るためにこの「丑御前神社」が創建されたという設定になっているが、本作における丑御前の反乱は天暦十(956)年に起きた事件に設定されているため、社伝とは合っていない。


 ……いや~もうめちゃくちゃ。すっごく面白いんですが、読むのにそうとう時間がかかっちゃった。1ページ1ページに盛り込まれた情報量が濃密すぎ!!

 もうすでにここまでの時点で1万字を超えちゃってるので、いつもの我が『長岡京エイリアン』の他記事だったら前後編に分割しちゃうのですが、なんてったって、そんなにボリュームのない文庫本の感想なので、ささっと1回にまとめておしまいにしちゃいましょう。って言って、いつも「ささっと」まとめらんないのよねぇ~。

 なんと言いましても、荒俣宏先生が、あの大陰陽師・安倍晴明を真正面から描くんですよ!? これはもう、おろそかにはできませんやね。

 ところが……実際にこの本を読んでいきますと、ど~にもこ~にも不思議な「違和感」のようなものが残っていくのです。あれ? こんな感じ? みたいな。いや、十二分に面白いんですけど。

 本作を読んで感じる不思議な違和感。それは、「筆のノリが異様にライト」で、「安倍晴明のキャラがふわっふわしている」ということなのです。
 え? これ、『帝都物語』の中で、直接登場こそしてはいないものの、あの魔人・加藤保憲の「果たしえない最大の天敵」として陰ながらそうとうな影響力を与え続けてきた晴明さんですよね? こんな、亀を助けて龍宮城に行ったり、そこで結婚した龍女・息長姫に思いッきり尻に敷かれてへーコラしてたり、一条戻り橋に放し飼いにしてた十二神将のひとりがグレて鬼化したと聞いて内心「やべー……」と焦ったりしてる、野比のび太みたいなキャラでいいのか!?

 そうなんです。この作品って、『帝都物語』シリーズとタッチが違いすぎるんですよね。双方ともに面白いというところはさすが荒俣先生なのですが、夢枕獏の『陰陽師』シリーズの大ヒットに端を発する「晴明さまブーム」華やかなりし2000年代に出版された作品としては、あまりにも軽くて、まるで子ども向け学習入門マンガのようなライトっぷり。しかも、よくよく読んでみると、安倍晴明が活躍するパートがかなり少ない! 晴明がお話の主人公になるのは本作の中盤だけで、前半はそもそも晴明が生まれる前の物語なので出てこないし、後半は後半で渡辺綱と茨木童子が主人公になるので、晴明は脇役ポジションにまわってしまうのです。少なくとも『安倍晴明物語』と銘打たれるべき出番の量じゃないんですよね。

 なぜ? 異常に沸騰しきっていた晴明ブームのさなか、あの荒俣宏が満を持して安倍晴明を描いた本を出すというのに、この晴明に対する先生の「塩対応」っぷりは、なぜなのでしょうか。

 その答えは、上の基本情報にも書いてある通り、本作が2000年代の晴明ブームなど予想できるはずもない、はるか昔の1980年代前後に執筆された作品だったからなのでした。なんだよこれ、ガワと題名だけ新しく貼り替えた旧作かよ!!
 やられたぜ……さすがは、商魂たくましい角川書店さん! 私が持ってる文庫版なんか見てください、カバー画が思いッきり「美青年晴明サマ♡」な皇なつき先生の手になる、どこぞの草むらに座ってくつろぐ、白い狩衣姿の晴明のイラスト。「わたしが主人公ですが、なにか?」みたいな顔してますよこいつ。

 詐欺とは言いませんけどね……売れるもんならなんでも売ってやろうというパトスがほとばしってますね。だったらだったで、いつ執筆されたかの経緯くらい、あとがきをちょちょっと書いて説明してくれよぉ~!

 いちおう末尾に「2000年に刊行された『夢々 陰陽師鬼談』を改題・文庫化しました。」という説明があるのですが、これがさらに1979年に執筆されて1986年に刊行された作品のさらなる再販だとは夢にも思いませんでした……古古古米どころか「古代米」じゃねぇかァア!! ごちそうさまです。

 『帝都物語』の執筆開始時期とほぼ同じ1979年に並行して執筆され、1986年に『平安鬼道絵巻 ヒーローファンタジー・九つの鬼絵草紙』として刊行。2000年に『夢々 陰陽師鬼談』となって再版され、最終的に『陰陽師鬼談 安倍晴明物語』として文庫化された、本作。作品に歴史ありですねぇ~!

 ただ、単にタイトルだけを見てみても、この小説を売り込む大看板に「安倍晴明」をフィーチャーしてきたのがつい最近の2003年になってからで、「陰陽師」というワードを押し出してきたのも2000年になってからだった、という事実は実に興味深いです。つまり、『帝都物語』の作品世界ではもはや基本知識となっていた晴明や陰陽師という言葉も、1980年代の世間一般では全く通用しない「知る人ぞ知る」呪文のような存在だったということなのでしょう。2025年の今からすると、ちょっと想像がつかない浸透度ですよね。
 ちなみに、1986年に東京三世社(なつかし~!! いろんなエロマンガの単行本買ってました)から出ていた『平安鬼道絵巻』のカバー画は、『初代・日ペンの美子ちゃん』で有名なマンガ家の中山星香先生による、額から角の生えた平安美女のバストショットということで、晴明なんかあっちいけの勢いで茨木童子が全面的にフィーチャーされたものとなっています。いや、ふつうにこの小説読んだらそうなりますって。

 とまぁこんな感じで、本作は飛鳥時代の聖徳太子から平安時代後期の頼光四天王まで、400年にわたる日本のオカルト史を通観する「アラマタ流陰陽道入門」といった作品になっておりまして、安倍晴明はあくまでも、その中の主要キャラのひとりに過ぎません。そして、ここで描かれた「やや能天気で他力本願な陽キャヒーロー・晴明」を起点として、その180° 正反対な重さと野望、あふれんばかりの怨念と執念を持つアンチヒーローとして、あの魔人・加藤保憲が生まれたということからも、この後に『帝都物語』の中で描かれる晴明とはちょっと異質な軽さを持っていることは当然の理なのでありました。
 先のことになりますが、本作が文庫化された翌年に書き下ろしの形で出版された『帝都物語異録』の中で描かれる晴明なんか、本作の晴明とはまるで別人ですよね……あの晴明も、生前はこんなひょろひょろフニャフニャした平安無責任男だったのかと! ま、パラレルワールドの関係なんでしょうけど。

 あと、先ほど申しました通り、本作は確かに日本に渡来、独自に発展した陰陽道の400年の歴史を語るものにはなっているのですが、当たり前ながらもフィクション作品ですので、ここで語られる内容をそのまんま「正史」だと認識することは避けなければいけません。念のため。

 上の情報でも触れているように、本作で語られる安倍晴明が阿倍仲麻呂の子孫であるという関係は江戸時代の説話や講談で広まった虚説でありまして、晴明のライバルとされる芦屋道満(でも本作ではあんまり活躍しない)に関する情報のほとんども、江戸時代以降の浄瑠璃『芦屋道満大内鑑』や、本作にも出た日本陰陽道の聖典『簠簋内伝金烏玉兎集』の、これまた江戸時代に成立したとされる注釈書『簠簋抄』から語られるようになったエピソードがほとんどです。「道満」という名前の法師陰陽師が平安時代中期にいたことは事実らしいのですが、具体的に何をしたのかの史料はきわめて少ないんですね。ここが、国家公務員だった晴明と民間業者だった道満との違いでしょうか。でも、どっちも1000年経っても信者ががっつりいるんだからものすごい!

 他にも、聖徳太子が馬に乗って空を飛んで海外留学していたとか、源頼光の兄弟にあたる丑御前という人物がグレまくって関東地方で平将門もかくやという反乱を決起したとかいう、歴史的に見るとツッコミどころ満載な展開はあるわけなのですが、本作における荒俣先生のスタンスは明らかに、「真偽はどうでもいいから、現在に残っている説話のおもしろいやつはぜんぶ採用!」という、歴史の教科書なんかそっちのけの勢いで新たなる「オカルト日本史」を1980年代の日本に打ち立てんとする、まんま『帝都物語』と同じ姿勢だったのです。せんせ~!! そのまるでブレの無い志の鋼鉄っぷりに惚れちゃう♡
 ここで間違ってならないのは、荒俣先生が面白い話を思いついて自由に書いているのではないということです。本作における一読荒唐無稽なでたらめに見えるエピソードの全てに、「なんかわかんないけどそういう話が残っている」という、日本各地に残る実在の説話のパワーがこもっているのです。江戸時代から初めて記述がみられるようになる説話といっても、その話が江戸時代に創作されたということにはならないのです。もしかしたら、それは晴明や道満が生きていた時代に実際にあったことが、たまたま「口述」だけで伝わっていたのかも知れず……

 本作とほぼ同じノリで執筆されたと思われる、日本陰陽道のはじまりを語る伝奇小説に、あの『陰陽師』シリーズの夢枕獏先生による『平成講釈 安倍晴明伝』(1998年)があるのですが、これも「晴明くんと博雅くん」な本チャンシリーズとは直接の関連の無い自由奔放なファンタジー作となっておりましたね。夢枕先生と岡野玲子先生の、東京の紀伊国屋書店での合同サイン会に行ったなぁ~。

 荒唐無稽とは言いますが、渡辺綱が茨木童子を斬ったという名太刀「髭切」や東京の牛嶋神社など、オカルトファンタジーそのものな本作の中に登場するアイテムや土地がちゃんと現存しているというところも面白いですよね!
 特に「髭切」は、まぁ、これが髭切だと伝わる太刀は何振りかあるらしいのですが、いちばん有名なのは現在、京都の北野天満宮に所蔵されている「鬼切安綱(おにきりやすつな)」(重要文化財、東京都立博物館所蔵の「童子切安綱」とは別物)で、実はこれ、頼光→源氏嫡流→源将軍三代→執権北条家→新田義貞→斯波高経と代々継承されていき、高経の弟の斯波家兼の奥州管領としての東北地方下向から始まる「最上家」累代の家宝として守られてきたのです。

 うわ~お! ということは、綱が茨木童子を斬ったという日本有数の魔剣を戦国時代に所有していたのは、我らが山形の最上義光さまだったってわけなのか! やまがだのほごりだずねぇ~。これ、東北最大の怨霊アテルイ対策!? 絶対そうだよね!?
 先ほど言ったように、本物の髭切(鬼切安綱)は残念ながら山形には無いのですが、山形市のその名も「最上義光歴史館」(入館無料)という場所に行くと、安綱の実物大の写真は展示されています。長さ84cm! 写真ですら、かなりでっかくて迫力あります。


 とまれ、本作『陰陽師鬼談』は、『帝都物語』の派生作品というよりは、もっと年上の「お姉さん」のような立ち位置のオカルトファンタジーなので、私のように『帝都物語』ありきで読むと、あまりもの雰囲気の違いにちょっと面食らうところもあるかも知れません。
 でも、まず面白さはバッチリ保障ですし、特に後半の渡辺綱と茨木童子(=橋姫)の複雑な因縁・愛憎関係は、確かに『帝都物語』に通じる「濃ゆさ」を予兆させるものとなっています。このカップリングを成立させるためにも、本作の晴明は部下管理能力ゼロの無責任ダメ上司でなけりゃいけないのよね!

 あと、これは後の話になってしまいますが、本作で晴明をぐぐいっと押しのけて日本史上屈指のゴブリンスレイヤー(悪鬼滅殺!!)となった主人公・渡辺綱は『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(2021年)で再び荒俣ワールドの舞台に躍り出ることとなります。やったね!

 こんな感じで、本作はあくまでも『帝都物語』を楽しむ上での「必読書」ではないのですが、ライトノベルもいける荒俣先生の筆力の幅や、日本陰陽道の虚実ないまぜとなった歴史の魅力もあらかた味わえる、恰好なる入門書となっております。文量も少なめ(でも内容は激濃……)なので、おヒマならば是非!

 この勢いで、本作にもちらっと名前だけ出てきた大江山酒呑童子が主人公になった、荒俣先生の筆による『帝都物語 王都篇』も読んでみたかったですね~。あ、あと九尾の狐がブイブイ言わせる『妖姫篇』も! いやいや、それをやるんだったらいとしの鵼サマが暗雲ひきいてやって来る『凶雲篇』も!!

 加藤重兵衛、どんだけ暗躍したらいいの……明治維新を迎えるまでに過労死するわ!!
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