ハイサーイ! みなさまどうもこんばんは、そうだいでございます。
やっぱり予想した通り、今年のゴールデンウィークもあっという間に終わっちゃいましたねぇ。みなさま、どっか楽しいところに行ってきましたか?
私は5月3日の米沢上杉まつりの他には、5日に日本海側の山形県鶴岡市に出かけて海を見て、6日には内陸にある「私が生涯行った中で一番大好きな温泉」につかって来ました。それぞれの時間はそんなに長くはなく、やりたいことをやったらすぐ帰る強行軍みたいな日程だったのですが、最高にぜいたくなひとときでしたねぇ。大好きな温泉が具体的にどこかは……秘密!! TV でも紹介されるくらい有名な温泉だし、実際に私が行った時も他のお客さんがひっきりなしだったのですが、あのワイルド&唯一無二な空間設計がステキすぎて、山形市の北に行く用事がある時は必ず行くことにしています。でもあそこ、不定期に閉まってる日も結構あるし、そこに行くまでの坂道も狭くて急でね……おまけにゃヘタすると怪我しかねない危険さもある温泉なんですよ! だが、そのツンデレ感がたまんな~い!! 私はあの温泉を、ひそかに「惣流アスカ=ラングレーの湯」と読んでおります……式波さんでは、断じてない。湯につかり虚空を見あぐれば、気分はすっかり旧劇場版♡
……え? 沖縄? 行ってないよ!!
そんなねぇ、山形県内の旅だけでこんなに満足しちゃってんですから、沖縄になんて行ける余裕あるわけないじゃないっすかぁ! 生きてるうちに一度は行ってみたいと思うんですが、まぁいつになりますかね~。
そんな私にタイムリーな朗報が。なんと、今読もうとしている小説の舞台がどこあろう、沖縄なんですって! しかも、沖縄の中でもさらに西の果てにあるサンゴと白砂の楽園・石垣島なんだとか。
いいじゃんいいじゃん、お金も時間もないわたくしにはうってつけ! これを読んで旅した気分にひたりましょうよぉ。サイコーじゃん☆
……なんて、読む直前まではウッキウキだったんですけどねぇ。
シム・フースイ Version 2.0『二色人の夜』(1993年12月)
『二色人の夜(にいるぴとのよる)』は、荒俣宏の風水ホラー小説。「シム・フースイ」シリーズの第2作として、角川書店角川ホラー文庫から書き下ろし刊行された。
本作に『帝都物語』シリーズの登場人物は再登場しない。
あらすじ
1993年4月。広告代理店に勤務する鉅賀(おおが)くみ子は、都会の喧騒を離れ南海の楽園・沖縄県石垣島を訪れていた。ところが、青空のもと白砂のビーチに突如、異臭を放つサンゴの塊が出現する。そしてサンゴの傍には苦しそうにうめく三本足のニワトリが……楽園は一瞬にして不気味な気配に包まれる。しかしこの不吉な光景は、恐るべき神々の怒りの予兆にすぎなかった。
おもな登場人物
鉅賀 くみ子(おおが くみこ)
東京の広告代理店に勤務する OL。1963年もしくは64年生まれの29歳。17歳の頃から世界中の海でシュノーケリングをすることが趣味で、沖縄には14歳の頃から旅行に訪れている。石垣島の川平(かびら)湾に今年オープンしたホテル「川平パラダイスリゾート」に宿泊している。普段から良からぬ災難の予兆を察知する感覚が鋭敏で、勤め先では「オートセンサー」という異名をもらっている。目が大きく、よく日焼けした女性。
安里 小夜(あさと さよ)
川平パラダイスリゾートでフロント係の夜間アルバイトをしている17歳の女子高生。ホテルのある石垣島の米原地区に住んでいる。黒髪によく日焼けした小麦色の肌、栗色の瞳をしている。12歳の時に原因不明の頭痛と夢遊病に悩まされ、全身ずぶ濡れの大男の姿をした神から「かみだーり」に選ばれたと認識するようになり、そのためにホテルオーナーの河合の管理下に置かれている。かみだーりとなった直後に両親と弟を亡くし、現在は同じくかみだーりである祖母と2人で暮らしている。強烈な不眠症に悩まされている。
黒田 龍人(くろだ たつと)
本シリーズの主人公。1958年7月生まれの痩せた男性。「都市村落リゾート計画コンサルタント」として東京都中央区九段の九段富国ビル5階1号で事務所「龍神プロジェクト」を開いているが、インテリアデザイナーとして風水の鑑定も行っている。風水環境をシミュレーションできるコンピュータプログラム「シム・フースイ」の開発者の一人。黒が好きで、黒い長髪に黒いサマーセーター、黒のサンドシルクズボンに黒のサングラスで身を固めている。喫煙者。事務所を離れる時もノートパソコンを持ち歩いてシム・フースイで調査する。その他に風水調査のために小型の望遠鏡も携帯している。異変が起きた際には、魔物を調伏するという仏法と北の方角の守護神・毘沙門天の真言を唱える。
有吉 ミヅチ(ありよし みづち)
黒田の4年来のパートナーで「霊視」の能力を有する女性。1971年2月生まれ。北海道余市市(架空の自治体だが北海道余市町は実在する)の出身だが、自分の素性は龍人にも話さない。その霊能力の維持のために自らに苦痛を課す。病的に痩せた体形で、龍人と同じように黒を好み、黒いセーターに黒のミニスカートもしくは黒タイツをはいている。髪型は刈り上げに近い短髪。常に青白い顔色で薄紫色の口紅を塗っている。胸に七支刀をデザインした銀のペンダントをつけている。いわゆる霊道や都会の猫道、野生の獣道を感知する能力に長け、それらの道をなんなく踏破できる非常に高い運動能力とバランス能力の持ち主。仏法と北の方角を守護する神・毘沙門天に仕える巫女で、自身を鬼門封じの武神・弁財天の生まれ変わりだと信じている。龍人の仕事の手伝いはしているが、風水の効能はあまり信じていない。
河合 利明
東京で、バイオテクノロジーを応用したニワトリやブタなどの畜産動物の品種改良により、食品産業の原料供給におけるシェアを独占して巨額の財産を築き上げ、その余暇で川平パラダイスリゾートを開発しオーナーを務めている実業家。「ベンチャービジネスの帝王」の異名を取る。40歳代後半。石垣島滞在時はホテルから徒歩で10分ほどの距離にある石崎の突端に建てたコテージで生活しており、コテージの庭の奥には厳重に管理された飼育小屋がある。身長185cm。
三沢 秀次
川平パラダイスリゾートのマネージャー。30歳前後。沖縄本島の出身で、恩納村のリゾートホテルでフロントを務めていたところを河合にヘッドハンティングされた。
おもな用語解説
二色人(にいるぴと)
古代の日本で信仰されていた、海上のはるかかなたにあると信じられていた他界「常世(とこよ)」から来訪する神のこと。沖縄県などの南島地域では、東の海上の果てにある他界を「ニライカナイ」とよび、特に八重山群島に来訪する神は「アカマタ(赤)」と「クロマタ(黒)」の2色の神であるとされ、そのために「ニロー神」や「二色人(ニイルピト)」と呼ばれている。来訪神は訪問した島の家々に祝いの言葉や耕作方法を伝え、穀物の豊穣や幸福をもたらすと信じられていた。恐ろしい顔をした神で、人の前に現れたら豊作、現れなければ凶作になると伝承されている。
ちなみに、沖縄地方にはナミヘビ科に属する「アカマタ」という蛇(無毒)もいるが、生息しているのは沖縄県を構成する北部の沖縄諸島や鹿児島県の奄美群島であるため、沖縄県でも最南方に位置する八重山群島の石垣島にはいない。
ふさまろ(ふさまらー)
八重山群島の波照間島で信仰される来訪神。本作では二色人の子神として、一つ目で小さな半透明のクラゲのような姿で登場する。
かみだーり
沖縄方言で「神障り(かみざわり)」「神がかり」のこと。神に見込まれて神の意思を代行する役割に選ばれた人。
かみみち
沖縄方言で「神の道」のこと。御嶽に住む神が海などに行く際に通るとされる神聖な道で、現地では神の道を塞ぐと祟りがあると信じられており、この道を塞がないためにわざと敷地を空けたりしている。御嶽を守るのろ達は、祈願や祭礼を行う時にこのかみみちを利用する。
うたき(御嶽)
沖縄で古来から独自に育まれてきた宗教文化を象徴する神聖な祈願所。小さな祠であることが多いが、現在、御嶽の前に石鳥居が立てられているのは明治時代以降の宗教政策によるものであり、日本本州の神道とは全く関連が無い。
つかさ(司)
沖縄の各地に存在する御嶽を守り村落ごとの祭礼や神事を司る、強い権威を持った宗教的指導者のこと。しかし風水文化は継承していない。
のろ
御嶽の司に従い御嶽を守る神女のことで、地元民の祈願や先祖供養、祭礼などの儀礼を取り仕切る。
ゆた
沖縄地方で古来から活動している呪術師、シャーマンのこと。神降ろし(口寄せ)や日取り占い、吉凶占い、霊視などを行う特殊な能力を持っている。司やのろは厳格な世襲制や家制度により継承される神職であるが、ゆたは原因不明の病気にかかった人間を他のゆたが「かみだーり」と認定することにより、快復後に新たなゆたになることができる。現在は特に宮古島でゆたが多く活動しているといわれる。
ふんしみ(風水看)
沖縄地方に古来から存在している地相の占い師。住民の家や墓などの生活の場を建築する際に相を占い、村落の開発などでもアドバイスを行う。現在はかなり減少している。
抱護(ほうご)
沖縄地方の村落の周囲に植えられた松林や、島の海岸線沿いに生息しているサンゴのこと。「村抱護」や「島抱護」と呼ばれる。風水用語で、北から吹くとされる悪風の邪気を防ぎ、幸運をもたらす気を周辺に散らさないために設置される。抱護の木の枝や葉、サンゴは取ることを禁じられ、取ると村や島全体が祟られて衰退するといわれる。
びっじゅる(びじゅる)
沖縄地方の各島に見られる、島を守護すると信じられている石のこと。海の彼方の他界ニライカナイから島に流れてきて、海を豊漁にし島の子孫を繫栄させる聖なる石であるとされる。石垣島のびっじゅるは現在、川平町に三角錐型の高さ30cm 程の岩が3つ残っているが、これは本来、明帝国の万暦三十(1602)年に石垣島に漂着し定住して、琉球王国にも仕えた浙江省出身の中国人風水師ジィッカ=パッカが、石垣島の地相を改善する村抱護として3ヶ所の辻ごとに配置したものだった。びっじゅるの置かれた辻はそれぞれ、干潮時に川平下ノ村を刺す形で突出する対岸の「浜崎」、疫病や海賊が侵入しやすい「川平湾」、村落の繁栄を奪い取るとされる背後の三角形の山「川平前岳(まいびりぃ / ひざん)」の三悪所をにらむ形で三角形に配置されていたという。
沖縄地方独特のびっじゅる信仰の起源については、日本本州の僧が仏教を布教した際に、手でなでると病気平癒や祈願成就が叶うとされた石像(撫で仏 / おびんずる様)の信仰が伝わり、それが地元に古くからあった奇岩信仰と融合したのではないかといわれている。明治時代から昭和初期まで、びっじゅる信仰は日本本土の宗教政策により禁止されていたが、太平洋戦争後に復活した。
悪石(あくせき)
沖縄地方で見られる、津波などによって島の海岸付近に運ばれた大岩のこと。石垣島では大浜海岸の崎原公園に、江戸時代の明和八(1771)年の大地震による大津波で運ばれてきたとされる高さ6m、周囲27m、重量75t のサンゴ岩の悪石「津波うふいし」がある。大きな川の河口など、海岸線のサンゴ礁が途切れている地形に集中して運ばれることが多く、風水では幸運や財産運といった好ましい運勢を遮蔽し、悪運や魔物をもたらすものとして忌避されている。
……いや~、実に強烈な小説でした。ほんとに旅行してきたみたいに疲れた……
すっごい沖縄、すっごい石垣島な小説! 実際に行ったことは一度もないんですが、まるで行ったかのような気分になれる圧倒的リアリティ。じりじりとした太陽の照りつけや、カラフルな魚たちが舞い踊る碧い海の世界。そこから一転して、黒々とした闇が迫る夜の潮騒のおどろおどろしさ……全ての情景描写が身に迫って来るかのような質感を持っている、荒俣先生の筆力のすさまじさがいかんなく発揮された大傑作です。
でも、これを読んだ後に石垣島に行きたくは……ならないかな!?
本作は徹頭徹尾、物語の舞台が石垣島オンリーとなっておりまして、本シリーズの主人公である黒田龍人と有吉ミヅチの「ツン95% デレ5%」コンビが登場するのもお話が1/3ほど進んでからの重役出勤となっていますので、前作にもまして『帝都物語』とは無縁な作品となっております。いちおう申し訳程度なファンサービスみたいに、石垣島の歴史が語られる流れの中で「石垣島の平将門ことオヤケ赤蜂」という言葉が出てきてニヤッとさせるのですが、ほんとに『帝都物語』サーガとは「一見」まるで無関係なお話になっているのです。「一見」はね……
ちょっと脱線してしまいますが、「シム・フースイ」シリーズ唯一の映像化作品となっている1997年のドラマ作品『東京龍』は、同じ年に刊行されたシリーズ第4作『闇吹く夏』(1999年の文庫化に伴いゲーム化もされている)を原作の主軸としているのですが、それ以外に過去作の要素も取り入れられており、シリーズ第1作『ワタシ no イエ』からでいいますと、TV の情報番組クルーが取材した家屋の壁がカビの異常発生のためにぶよぶよに腐食されているといった描写が挿入されていました。
それで、今回の『二色人の夜』からの要素で言いますと、ドラマ版の有吉ミズチ(ミヅチではない)が沖縄の出身(ただし石垣島でなく与那国島)であること、祖母と二人暮らしであること、海から聞こえる何者かの恐ろしい声を聞いておびえる展開などが反映されているようです。そしてその中では、龍人の祖父である黒田茂丸がかつて与那国島を訪れて、島に入り込む悪風を防ぐための聖石びっじゅるを設置していたという過去の因縁が開かされるのですが、これは本作で言及された伝説の風水師ジィッカ=パッカの役割をそのまんま茂丸がぶんどっちゃった形になるでしょう。ちなみに『二色人の夜』に茂丸の名前は「し」の字も出てきませんし、原作のミヅチの実家は北海道です。
こういった感じなので、ドラマ版のミズチはどっちかというとミヅチではなく本作のヒロインである安里小夜のキャラクターを濃厚に継承した人物像になっているのですが、その非凡な霊能力の描写が、ドラマ版ではだいぶ抽象的でソフトな感じになっていることは言うまでもないでしょう。当時の中山エミリさんに、『二色人の夜』の小夜が体験した忌まわしい神との接触の日々を演じさせるわけにはいかないよな……いや誰にだってやらせられないよ!!
そうなんですよ……この『二色人の夜』でも、やっぱりというかデスヨネーといいますか、「ヒロインがとこっとんヒドい目に遭いまくる」という荒俣ワールド定番の展開は健在どころか、むしろギアが上がっているような気さえする苛烈っぷりなのです。荒俣せんせー!! その TVで見せる笑顔が怖すぎる……
今回はメインのヒロインは間違いなく石垣島の少女・安里小夜で、途中から石垣島にやって来たミヅチも「あたしがヒロイン! ガキは引っ込んでな!!」とばかりに参戦してくるのですが、やはりニライカナイからやって来るアカマタ・クロマタとおぼしき荒々しい神の怒りを一身に受けてしまう小夜の座は揺るぎもしません。そして、そのために小夜は思春期になったばかりの頃から、少女が体験するにはあまりにも悲惨なかみだーりの宿命を背負ってしまうのでした。今回の犠牲者はこの娘か……
ただし、作中でクライマックスの土壇場までずっとミヅチが小夜に対して厳しい態度を崩さなかったのが、決してヒロインの座を奪われそうになったからとか、龍人を盗られそうになったとか、北海道出身だから沖縄の風土がキライだからとかいう単純な話でないことは、前作でほのめかされたミヅチのつらすぎる過去を知っている読者ならばすぐにわかることでしょう。そう、ミヅチが小夜につらく当たるのは、自分と同じにおいの心の傷を負っていることを敏感に察知してこその、「自分のような過去に囚われた生き方はしてくれるな」という想いのあらわれだったのに違いありません。だから、クライマックスでのミヅチのあの姿がとっても感動的なんでしょうね。
う~ん、荒俣先生はぱっと見、自分の好きな女性キャラにこそグイグイえげつない受難を降り注ぐ、まさに本作の荒ぶる神そのものみたいなどS 性しか感じられなさそうなのですが、要所要所で女性が女神レベルに輝く瞬間をさしはさんでくるんですよね。このさじ加減が、限りなく「本物」っぽいんだよな……Oh,it's アブノーマル!!
いや~それにしましても、小夜の過去を振り返るくだりが本当にキツイ! 西洋のポルターガイストや悪魔憑き(『エクソシスト』!!)、日本の狐憑きなどの例を挙げるまでもなく、思春期の女性というキーワードがオカルトにもたらす影響は非常に大きいわけなのですが、現代日本ではストレートに精神障害の症例となりかねない小夜の錯乱が、石垣島では「かみだーりの証し」と解釈されてしまうという展開が、果たして小夜にとって良かったのかどうか。おそらく本作の終わった後、小夜は石垣島でゆたの能力を持つ女性として生きていくことになるのでしょうが、それは普通の女性ではいられなくなるという残酷すぎる宣告でもあると思うんですよね。神に選ばれるということがどれだけつらいことなのか……『二色人の夜』は、小夜を通してそのリアリティを非常に執念深く描き切っている作品だと思います。そういう意味でこの小夜ちゃんというキャラクターは、沖縄地方のゆたと呼ばれる人々の生きざまを代弁させると同時に、一地方固有の文化という枠を超えて、ある集団の中で畏怖の対象となってしまった不思議な能力を持つ女性、例えば明治時代の千里眼ブームの渦中にいた御船千鶴子・長尾郁子・高橋貞子・長南年恵といった悲劇の系譜を受け継ぐヒロインとなっているのです。つまり、小夜ちゃんはあの『リング』の山村貞子の母親になり得る母性を、その小さな身体に秘めているのだ!! いや、1993年当時に貞子大姐さんはもうデビューしてましたけど。
こういう風に今回の『二色人の夜』は、もうとにかく「石垣島の小夜と荒ぶる神」まわりの造形描写に荒俣先生が120% 筆力を全振りしたかのようなフルスイング作となっており、それがゆえに、小説作品としてのパワーバランスが少々不安定になっている、といわざるを得ない副作用も生じてしまっているようです。
具体的に申しますと、本作のゲスト悪人のやってることが安っぽいし打算的だしカッコ悪い!
前作に引き続き、今回の悪人枠である生物の品種改良で財を成したベンチャー企業社長の河合もまた、「表向きは現代社会で成功しているえらそうなおっさん」というキャラクターとなっているのですが、前作の悪人・田網はそれなりにチベット密教の修行に心血を注いでダライ・ラマとも親交があるという大物ではありました。ま、末路は情けなかったけど……
それに比して今回の河合はというと、倫理観ゼロの生物改良を嬉々として進めるは、人の心を盗み見るという品性下劣な VRの悪用を試みるはで、その悪さこそ個性的ではあるものの、その生き方に荒俣先生ごのみの歴史的バックボーンがまるでなく、単に「最先端科学の使い方を間違っているひと」というカラーしかついておりません。キャラとしての魅力が圧倒的に不足しているんですね。前作の田網なんか、自分の理念を追究しすぎたあまりに家の内装を、勝手に蠕動してげっぷしたり結露した水をぼたぼたたらしたりする『ごっつええ感じ』のコントみたいな感じにしちゃってんだぜ!? それに引き換え今回の河合は快適な石垣島のコテージで真昼間からビールって……もっと身体はれや!!
だいたい、河合の計画の行き当たりばったり感というか破綻っぷりは作中でもかなりドライに指弾されていまして、まずその、扱う家畜の「脚を増やして可食部アップで大もうけ!」という小学生でも思いついた瞬間にダメだと気付くような発想がひどいのですが、これは言うまでもなく「フライドチキンのニワトリは3本足」という古典的な都市伝説を基にしたものでしょう。
にしても、作中に出てくる3本足のニワトリはしっかりと「2本の脚で駆け回っていてもう1本が腰についてブラブラしている」という、奇しくもつい最近『機動戦士ガンダム ジークアクス』に出てきた2機の改造リックドムみたいな姿に描写されているのです。
つまりそれって、せっかく増やした第3の脚はろくに運動もできないから筋肉なんか育たないってことですよね? じゃあ商品にならないじゃん! そんなもん増やすのにどのくらいお金かけてるんでしょうか?
そして、この作品の舞台となった1993年当時は今ほど SNSが発達していなかったのはもちろんだったとしても、なんてったって商品の清潔なイメージと品質保証が最優先の食産業の話なんですから、いくら一企業が関係者全員の口をつぐませようとやっきになったのだとしても、ヘンな姿をした家畜の流通などというおもしろすぎる話題が世間に漏れないわけがありません。
その証拠に見てください、作中の後半では、その非常に地道な「赤いのぼり旗と望遠鏡とタクシー無線」という、『砂の器』の今西栄太郎刑事もビックリな地に足つきまくり捜査法の末に、龍人がやっとこさ河合のコテージを発見した時も、それを聞いたタクシーの運転手が、
「あぁ、あの河合さんのコテージね。なんか3本足のニワトリを飼ってるって有名さぁ~。」
みたいに盛大すぎるネタバレを炸裂させてしまっているのです。た、龍人の汗水たらした風水捜査の意味って一体……
ほれみい! 石垣島でさえ止められないのに、日本全国でニワトリの秘密を隠しおおせられるわけがないじゃんかよ~う!! こんなん、龍人とミヅチがどうこうする以前に、マスコミの格好の餌食になって河合の会社がぶっ潰れることは火を見るよりも明らかでしょうがぁ!! 南無……
ここでさらに考えてみますと、そもそもベンチャーの帝王とか言っておきながら、その帝王が日本のはずれの島のホテルのオーナーを昼からビールあおりながらやっているという状況からしておかしな話で、作中で日本本土での仕事の話が全然出てこないことからも、もしかしたらこの河合って、その絶望的な倫理感覚の無さがあだとなって、東京の本社からていのいい追放を喰らっていたのではないでしょうか。たぶん、東京の会社に置けるわけないから3本足のニワトリの施設も抱き合わせにされて。ウン千万するっていうVR のゲーム筐体っていうのも手切れ金だったんじゃないの……?
あわれな……おそらく河合の会社にはさいわい『オースティン・パワーズ』のMr.ナンバー2みたいな有能な経営者がいて、河合はみごとに会社を丸ごと乗っ取られたのではないでしょうか。そう考えてみると、ああいうふうにどうしようもない河合も、ちょっとは味わいのある哀愁ただようキャラクターに見えてくるんじゃないかな。石垣島での龍人にぶん殴られるまでの日々は、人生で一番たのしいひとときだったんだろうな……合掌。
つまるところ、正直、龍人とミヅチによる悪人退治は小説を終わらせるための方便にすぎず、本作の魅力はあくまでも、石垣島を取り巻く歴史や風水に見られる島民と大自然との相克の軌跡の活写、これに尽きるのです。
そしてさらにこの『二色人の夜』という物語は、一見、荒俣先生がかつて世に出した『帝都物語』とはまるで無関係な南国の島の物語のように見えるのですが、実はかなり精巧に設計された「『帝都物語』の再話」であるという構図がほの見えてきます。
そう、今回のお話を構成する要素はすべて、『帝都物語』の中で別の形で出てきたものばかり! ちょっと比較してみまひょ。
〇物語の舞台 …… 『帝都』は東京、『二色人』は石垣島
〇登場する破壊者 …… 『帝都』は加藤保憲など、『二色人』は河合利明(風水を無視したリゾート開発)
〇破壊者に怒る存在 …… 『帝都』は平将門、『二色人』はアカマタ・クロマタ
〇犠牲となるヒロイン …… 『帝都』は辰宮由佳理&目方恵子&大沢美千代、『二色人』は安里小夜&有吉ミヅチ
〇ヒロインの支援者 …… 『帝都』は鳴滝純一とか黒田茂丸とか団宗治、『二色人』は鉅賀くみ子と黒田龍人
〇破壊者の眷属 …… 『帝都』は式神とか護法童子とか水虎、『二色人』はヘンな VR体験マシーンと三本足のニワトリ
どうですか~? かなり構図が似通っているではありませんか。
まぁ、明確な違いとしては、帝都東京における将門公が眠り続けているのに対して、石垣島の神々は完全に目が覚めているどころか、ブチ切れまくりで島にゴロッゴロ悪石をうちあげさせているという点です。さすがは、荒ぶる神……
余談となりますが、2025年現在にこの『二色人の夜』を読んだうえで石垣島に興味を持って調べてみますと、本作でアカマタ・クロマタと同一視されていた荒ぶる神の正体が、なんと小説の発表後の2000年になって答え合わせのように「銅像となって」画像表示されることに気づかされます。
ご覧ください、この大男の銅像。大きく足を開いて片手に太い棒を握り、もう片方の筋骨隆々たる腕の先にある節くれだった指は、おそらくは沖縄本島の琉球王朝を狙いさしているのではないでしょうか。
そして、怒りに打ち震え絶叫する、その表情! これは明らかに、ともに立ち上がってくれる石垣島の民衆を鼓舞する反逆者のあかし。
いや~、こんなに躍動的でエネルギッシュ、観る者を肝胆寒からしめるおそろしげな銅像があるでしょうか。
その銅像の主の名は、「オヤケ赤蜂」!! うわーやっぱ将門公だったぁ!!
これこれ! その姿はもう、小夜が幻視したっていう「全身ずぶ濡れの恐ろしい顔をした大男」そのものじゃないっすかぁ!!
オヤケ赤蜂という人物は15世紀末に実在した八重山地方の豪族で、琉球王国との間に激しい戦争を繰り広げた石垣島の英雄と今なお讃えられている人物です。伝承によれば、その身の丈2m とか! 小夜の描いた神の姿は、誇張でなどなく解像度の非常に高いものだったのだ!!
う~ん、荒俣先生もニクいねぇ! ふつうに小説を読んだだけでも荒ぶる神はアカマタ・クロマタとして納得できるようにできているのですが、そこをもうちょっとツッコむとオヤケ赤蜂という「真の正体」が見えてくるという二重のミステリーになっているのです。よくできてるなぁ。
しかし、ここまで考えてきますと、やはり周囲の別の社会を意識せずにはいられない「島」の宿命といいますか、昔は琉球王国の侵略を受け、今は日本本土の資本主義リゾートビジネスの侵食にさらされているという石垣島の苦難の歴史を思わずにはいられません。ここらへんのはかなさが、『帝都物語』の東京とはちょっと違うところなんですよね。
そして、我が『長岡京エイリアン』として無視できないのは、この石垣島もまた、その隣にある竹富島にとっては大いなる「他者」なのだということなのです。その入れ子のような構図を、私はかつてあの隠れもない名作映画『星砂の島 私の島 アイランド・ドリーミン』(2004年)で学んでいました! うをを、亀井絵里さま~!!
島に歴史あり、人に歴史あり。あの映画では竹富島にとっての「一番近くにある都会」になっていた石垣島も、そこはそこで大変な苦難の道を歩んできていたのですな。いや~、その地域の歴史と文化を知ることって、ほんとに大切で、心を豊かにする知的冒険ですね。
今回もずいぶんと長くくっちゃべってしまいましたが、ともかく言えるのは、本作があの『帝都物語』にすらひけをとらない、とんでもない濃度の野心作になっているということです。ところどころ、まるで雑誌『怪』かなんかの沖縄取材ルポ記事のようにリアルな描写があり、まさに現地のロケーションから筋立てを構築していく風水占術を地でいく捜査を龍人たちが進めていくくだりが圧巻です。そして、小夜と荒ぶる神との愛憎ないまぜになった関係のすさまじさ……本当に、荒俣先生が西欧文化とは全く異質な価値観の世界にドラマを見いだす小説家であることを如実に証明している作品だと思います。
単なる南国リゾート怪談とあなどるなかれ! 本作はその真逆、地方文化のリベンジ宣戦布告の記なのだ。
石垣島出身の BEGINさんの音楽をたのしむだけもいいですけどね、やっぱ石垣島の来し方に興味を持ってみることもお勧めしますよ。
「♪こと~ぉばぁの~ いみ~ぃさぁえ~ わかぁ~あ~らぁないぃ~」
なんて言ってたら、オヤケ赤蜂に首がもげるほどぶん殴られるかもしんないぞ! 助けて毘沙門天さま!!
やっぱり予想した通り、今年のゴールデンウィークもあっという間に終わっちゃいましたねぇ。みなさま、どっか楽しいところに行ってきましたか?
私は5月3日の米沢上杉まつりの他には、5日に日本海側の山形県鶴岡市に出かけて海を見て、6日には内陸にある「私が生涯行った中で一番大好きな温泉」につかって来ました。それぞれの時間はそんなに長くはなく、やりたいことをやったらすぐ帰る強行軍みたいな日程だったのですが、最高にぜいたくなひとときでしたねぇ。大好きな温泉が具体的にどこかは……秘密!! TV でも紹介されるくらい有名な温泉だし、実際に私が行った時も他のお客さんがひっきりなしだったのですが、あのワイルド&唯一無二な空間設計がステキすぎて、山形市の北に行く用事がある時は必ず行くことにしています。でもあそこ、不定期に閉まってる日も結構あるし、そこに行くまでの坂道も狭くて急でね……おまけにゃヘタすると怪我しかねない危険さもある温泉なんですよ! だが、そのツンデレ感がたまんな~い!! 私はあの温泉を、ひそかに「惣流アスカ=ラングレーの湯」と読んでおります……式波さんでは、断じてない。湯につかり虚空を見あぐれば、気分はすっかり旧劇場版♡
……え? 沖縄? 行ってないよ!!
そんなねぇ、山形県内の旅だけでこんなに満足しちゃってんですから、沖縄になんて行ける余裕あるわけないじゃないっすかぁ! 生きてるうちに一度は行ってみたいと思うんですが、まぁいつになりますかね~。
そんな私にタイムリーな朗報が。なんと、今読もうとしている小説の舞台がどこあろう、沖縄なんですって! しかも、沖縄の中でもさらに西の果てにあるサンゴと白砂の楽園・石垣島なんだとか。
いいじゃんいいじゃん、お金も時間もないわたくしにはうってつけ! これを読んで旅した気分にひたりましょうよぉ。サイコーじゃん☆
……なんて、読む直前まではウッキウキだったんですけどねぇ。
シム・フースイ Version 2.0『二色人の夜』(1993年12月)
『二色人の夜(にいるぴとのよる)』は、荒俣宏の風水ホラー小説。「シム・フースイ」シリーズの第2作として、角川書店角川ホラー文庫から書き下ろし刊行された。
本作に『帝都物語』シリーズの登場人物は再登場しない。
あらすじ
1993年4月。広告代理店に勤務する鉅賀(おおが)くみ子は、都会の喧騒を離れ南海の楽園・沖縄県石垣島を訪れていた。ところが、青空のもと白砂のビーチに突如、異臭を放つサンゴの塊が出現する。そしてサンゴの傍には苦しそうにうめく三本足のニワトリが……楽園は一瞬にして不気味な気配に包まれる。しかしこの不吉な光景は、恐るべき神々の怒りの予兆にすぎなかった。
おもな登場人物
鉅賀 くみ子(おおが くみこ)
東京の広告代理店に勤務する OL。1963年もしくは64年生まれの29歳。17歳の頃から世界中の海でシュノーケリングをすることが趣味で、沖縄には14歳の頃から旅行に訪れている。石垣島の川平(かびら)湾に今年オープンしたホテル「川平パラダイスリゾート」に宿泊している。普段から良からぬ災難の予兆を察知する感覚が鋭敏で、勤め先では「オートセンサー」という異名をもらっている。目が大きく、よく日焼けした女性。
安里 小夜(あさと さよ)
川平パラダイスリゾートでフロント係の夜間アルバイトをしている17歳の女子高生。ホテルのある石垣島の米原地区に住んでいる。黒髪によく日焼けした小麦色の肌、栗色の瞳をしている。12歳の時に原因不明の頭痛と夢遊病に悩まされ、全身ずぶ濡れの大男の姿をした神から「かみだーり」に選ばれたと認識するようになり、そのためにホテルオーナーの河合の管理下に置かれている。かみだーりとなった直後に両親と弟を亡くし、現在は同じくかみだーりである祖母と2人で暮らしている。強烈な不眠症に悩まされている。
黒田 龍人(くろだ たつと)
本シリーズの主人公。1958年7月生まれの痩せた男性。「都市村落リゾート計画コンサルタント」として東京都中央区九段の九段富国ビル5階1号で事務所「龍神プロジェクト」を開いているが、インテリアデザイナーとして風水の鑑定も行っている。風水環境をシミュレーションできるコンピュータプログラム「シム・フースイ」の開発者の一人。黒が好きで、黒い長髪に黒いサマーセーター、黒のサンドシルクズボンに黒のサングラスで身を固めている。喫煙者。事務所を離れる時もノートパソコンを持ち歩いてシム・フースイで調査する。その他に風水調査のために小型の望遠鏡も携帯している。異変が起きた際には、魔物を調伏するという仏法と北の方角の守護神・毘沙門天の真言を唱える。
有吉 ミヅチ(ありよし みづち)
黒田の4年来のパートナーで「霊視」の能力を有する女性。1971年2月生まれ。北海道余市市(架空の自治体だが北海道余市町は実在する)の出身だが、自分の素性は龍人にも話さない。その霊能力の維持のために自らに苦痛を課す。病的に痩せた体形で、龍人と同じように黒を好み、黒いセーターに黒のミニスカートもしくは黒タイツをはいている。髪型は刈り上げに近い短髪。常に青白い顔色で薄紫色の口紅を塗っている。胸に七支刀をデザインした銀のペンダントをつけている。いわゆる霊道や都会の猫道、野生の獣道を感知する能力に長け、それらの道をなんなく踏破できる非常に高い運動能力とバランス能力の持ち主。仏法と北の方角を守護する神・毘沙門天に仕える巫女で、自身を鬼門封じの武神・弁財天の生まれ変わりだと信じている。龍人の仕事の手伝いはしているが、風水の効能はあまり信じていない。
河合 利明
東京で、バイオテクノロジーを応用したニワトリやブタなどの畜産動物の品種改良により、食品産業の原料供給におけるシェアを独占して巨額の財産を築き上げ、その余暇で川平パラダイスリゾートを開発しオーナーを務めている実業家。「ベンチャービジネスの帝王」の異名を取る。40歳代後半。石垣島滞在時はホテルから徒歩で10分ほどの距離にある石崎の突端に建てたコテージで生活しており、コテージの庭の奥には厳重に管理された飼育小屋がある。身長185cm。
三沢 秀次
川平パラダイスリゾートのマネージャー。30歳前後。沖縄本島の出身で、恩納村のリゾートホテルでフロントを務めていたところを河合にヘッドハンティングされた。
おもな用語解説
二色人(にいるぴと)
古代の日本で信仰されていた、海上のはるかかなたにあると信じられていた他界「常世(とこよ)」から来訪する神のこと。沖縄県などの南島地域では、東の海上の果てにある他界を「ニライカナイ」とよび、特に八重山群島に来訪する神は「アカマタ(赤)」と「クロマタ(黒)」の2色の神であるとされ、そのために「ニロー神」や「二色人(ニイルピト)」と呼ばれている。来訪神は訪問した島の家々に祝いの言葉や耕作方法を伝え、穀物の豊穣や幸福をもたらすと信じられていた。恐ろしい顔をした神で、人の前に現れたら豊作、現れなければ凶作になると伝承されている。
ちなみに、沖縄地方にはナミヘビ科に属する「アカマタ」という蛇(無毒)もいるが、生息しているのは沖縄県を構成する北部の沖縄諸島や鹿児島県の奄美群島であるため、沖縄県でも最南方に位置する八重山群島の石垣島にはいない。
ふさまろ(ふさまらー)
八重山群島の波照間島で信仰される来訪神。本作では二色人の子神として、一つ目で小さな半透明のクラゲのような姿で登場する。
かみだーり
沖縄方言で「神障り(かみざわり)」「神がかり」のこと。神に見込まれて神の意思を代行する役割に選ばれた人。
かみみち
沖縄方言で「神の道」のこと。御嶽に住む神が海などに行く際に通るとされる神聖な道で、現地では神の道を塞ぐと祟りがあると信じられており、この道を塞がないためにわざと敷地を空けたりしている。御嶽を守るのろ達は、祈願や祭礼を行う時にこのかみみちを利用する。
うたき(御嶽)
沖縄で古来から独自に育まれてきた宗教文化を象徴する神聖な祈願所。小さな祠であることが多いが、現在、御嶽の前に石鳥居が立てられているのは明治時代以降の宗教政策によるものであり、日本本州の神道とは全く関連が無い。
つかさ(司)
沖縄の各地に存在する御嶽を守り村落ごとの祭礼や神事を司る、強い権威を持った宗教的指導者のこと。しかし風水文化は継承していない。
のろ
御嶽の司に従い御嶽を守る神女のことで、地元民の祈願や先祖供養、祭礼などの儀礼を取り仕切る。
ゆた
沖縄地方で古来から活動している呪術師、シャーマンのこと。神降ろし(口寄せ)や日取り占い、吉凶占い、霊視などを行う特殊な能力を持っている。司やのろは厳格な世襲制や家制度により継承される神職であるが、ゆたは原因不明の病気にかかった人間を他のゆたが「かみだーり」と認定することにより、快復後に新たなゆたになることができる。現在は特に宮古島でゆたが多く活動しているといわれる。
ふんしみ(風水看)
沖縄地方に古来から存在している地相の占い師。住民の家や墓などの生活の場を建築する際に相を占い、村落の開発などでもアドバイスを行う。現在はかなり減少している。
抱護(ほうご)
沖縄地方の村落の周囲に植えられた松林や、島の海岸線沿いに生息しているサンゴのこと。「村抱護」や「島抱護」と呼ばれる。風水用語で、北から吹くとされる悪風の邪気を防ぎ、幸運をもたらす気を周辺に散らさないために設置される。抱護の木の枝や葉、サンゴは取ることを禁じられ、取ると村や島全体が祟られて衰退するといわれる。
びっじゅる(びじゅる)
沖縄地方の各島に見られる、島を守護すると信じられている石のこと。海の彼方の他界ニライカナイから島に流れてきて、海を豊漁にし島の子孫を繫栄させる聖なる石であるとされる。石垣島のびっじゅるは現在、川平町に三角錐型の高さ30cm 程の岩が3つ残っているが、これは本来、明帝国の万暦三十(1602)年に石垣島に漂着し定住して、琉球王国にも仕えた浙江省出身の中国人風水師ジィッカ=パッカが、石垣島の地相を改善する村抱護として3ヶ所の辻ごとに配置したものだった。びっじゅるの置かれた辻はそれぞれ、干潮時に川平下ノ村を刺す形で突出する対岸の「浜崎」、疫病や海賊が侵入しやすい「川平湾」、村落の繁栄を奪い取るとされる背後の三角形の山「川平前岳(まいびりぃ / ひざん)」の三悪所をにらむ形で三角形に配置されていたという。
沖縄地方独特のびっじゅる信仰の起源については、日本本州の僧が仏教を布教した際に、手でなでると病気平癒や祈願成就が叶うとされた石像(撫で仏 / おびんずる様)の信仰が伝わり、それが地元に古くからあった奇岩信仰と融合したのではないかといわれている。明治時代から昭和初期まで、びっじゅる信仰は日本本土の宗教政策により禁止されていたが、太平洋戦争後に復活した。
悪石(あくせき)
沖縄地方で見られる、津波などによって島の海岸付近に運ばれた大岩のこと。石垣島では大浜海岸の崎原公園に、江戸時代の明和八(1771)年の大地震による大津波で運ばれてきたとされる高さ6m、周囲27m、重量75t のサンゴ岩の悪石「津波うふいし」がある。大きな川の河口など、海岸線のサンゴ礁が途切れている地形に集中して運ばれることが多く、風水では幸運や財産運といった好ましい運勢を遮蔽し、悪運や魔物をもたらすものとして忌避されている。
……いや~、実に強烈な小説でした。ほんとに旅行してきたみたいに疲れた……
すっごい沖縄、すっごい石垣島な小説! 実際に行ったことは一度もないんですが、まるで行ったかのような気分になれる圧倒的リアリティ。じりじりとした太陽の照りつけや、カラフルな魚たちが舞い踊る碧い海の世界。そこから一転して、黒々とした闇が迫る夜の潮騒のおどろおどろしさ……全ての情景描写が身に迫って来るかのような質感を持っている、荒俣先生の筆力のすさまじさがいかんなく発揮された大傑作です。
でも、これを読んだ後に石垣島に行きたくは……ならないかな!?
本作は徹頭徹尾、物語の舞台が石垣島オンリーとなっておりまして、本シリーズの主人公である黒田龍人と有吉ミヅチの「ツン95% デレ5%」コンビが登場するのもお話が1/3ほど進んでからの重役出勤となっていますので、前作にもまして『帝都物語』とは無縁な作品となっております。いちおう申し訳程度なファンサービスみたいに、石垣島の歴史が語られる流れの中で「石垣島の平将門ことオヤケ赤蜂」という言葉が出てきてニヤッとさせるのですが、ほんとに『帝都物語』サーガとは「一見」まるで無関係なお話になっているのです。「一見」はね……
ちょっと脱線してしまいますが、「シム・フースイ」シリーズ唯一の映像化作品となっている1997年のドラマ作品『東京龍』は、同じ年に刊行されたシリーズ第4作『闇吹く夏』(1999年の文庫化に伴いゲーム化もされている)を原作の主軸としているのですが、それ以外に過去作の要素も取り入れられており、シリーズ第1作『ワタシ no イエ』からでいいますと、TV の情報番組クルーが取材した家屋の壁がカビの異常発生のためにぶよぶよに腐食されているといった描写が挿入されていました。
それで、今回の『二色人の夜』からの要素で言いますと、ドラマ版の有吉ミズチ(ミヅチではない)が沖縄の出身(ただし石垣島でなく与那国島)であること、祖母と二人暮らしであること、海から聞こえる何者かの恐ろしい声を聞いておびえる展開などが反映されているようです。そしてその中では、龍人の祖父である黒田茂丸がかつて与那国島を訪れて、島に入り込む悪風を防ぐための聖石びっじゅるを設置していたという過去の因縁が開かされるのですが、これは本作で言及された伝説の風水師ジィッカ=パッカの役割をそのまんま茂丸がぶんどっちゃった形になるでしょう。ちなみに『二色人の夜』に茂丸の名前は「し」の字も出てきませんし、原作のミヅチの実家は北海道です。
こういった感じなので、ドラマ版のミズチはどっちかというとミヅチではなく本作のヒロインである安里小夜のキャラクターを濃厚に継承した人物像になっているのですが、その非凡な霊能力の描写が、ドラマ版ではだいぶ抽象的でソフトな感じになっていることは言うまでもないでしょう。当時の中山エミリさんに、『二色人の夜』の小夜が体験した忌まわしい神との接触の日々を演じさせるわけにはいかないよな……いや誰にだってやらせられないよ!!
そうなんですよ……この『二色人の夜』でも、やっぱりというかデスヨネーといいますか、「ヒロインがとこっとんヒドい目に遭いまくる」という荒俣ワールド定番の展開は健在どころか、むしろギアが上がっているような気さえする苛烈っぷりなのです。荒俣せんせー!! その TVで見せる笑顔が怖すぎる……
今回はメインのヒロインは間違いなく石垣島の少女・安里小夜で、途中から石垣島にやって来たミヅチも「あたしがヒロイン! ガキは引っ込んでな!!」とばかりに参戦してくるのですが、やはりニライカナイからやって来るアカマタ・クロマタとおぼしき荒々しい神の怒りを一身に受けてしまう小夜の座は揺るぎもしません。そして、そのために小夜は思春期になったばかりの頃から、少女が体験するにはあまりにも悲惨なかみだーりの宿命を背負ってしまうのでした。今回の犠牲者はこの娘か……
ただし、作中でクライマックスの土壇場までずっとミヅチが小夜に対して厳しい態度を崩さなかったのが、決してヒロインの座を奪われそうになったからとか、龍人を盗られそうになったとか、北海道出身だから沖縄の風土がキライだからとかいう単純な話でないことは、前作でほのめかされたミヅチのつらすぎる過去を知っている読者ならばすぐにわかることでしょう。そう、ミヅチが小夜につらく当たるのは、自分と同じにおいの心の傷を負っていることを敏感に察知してこその、「自分のような過去に囚われた生き方はしてくれるな」という想いのあらわれだったのに違いありません。だから、クライマックスでのミヅチのあの姿がとっても感動的なんでしょうね。
う~ん、荒俣先生はぱっと見、自分の好きな女性キャラにこそグイグイえげつない受難を降り注ぐ、まさに本作の荒ぶる神そのものみたいなどS 性しか感じられなさそうなのですが、要所要所で女性が女神レベルに輝く瞬間をさしはさんでくるんですよね。このさじ加減が、限りなく「本物」っぽいんだよな……Oh,it's アブノーマル!!
いや~それにしましても、小夜の過去を振り返るくだりが本当にキツイ! 西洋のポルターガイストや悪魔憑き(『エクソシスト』!!)、日本の狐憑きなどの例を挙げるまでもなく、思春期の女性というキーワードがオカルトにもたらす影響は非常に大きいわけなのですが、現代日本ではストレートに精神障害の症例となりかねない小夜の錯乱が、石垣島では「かみだーりの証し」と解釈されてしまうという展開が、果たして小夜にとって良かったのかどうか。おそらく本作の終わった後、小夜は石垣島でゆたの能力を持つ女性として生きていくことになるのでしょうが、それは普通の女性ではいられなくなるという残酷すぎる宣告でもあると思うんですよね。神に選ばれるということがどれだけつらいことなのか……『二色人の夜』は、小夜を通してそのリアリティを非常に執念深く描き切っている作品だと思います。そういう意味でこの小夜ちゃんというキャラクターは、沖縄地方のゆたと呼ばれる人々の生きざまを代弁させると同時に、一地方固有の文化という枠を超えて、ある集団の中で畏怖の対象となってしまった不思議な能力を持つ女性、例えば明治時代の千里眼ブームの渦中にいた御船千鶴子・長尾郁子・高橋貞子・長南年恵といった悲劇の系譜を受け継ぐヒロインとなっているのです。つまり、小夜ちゃんはあの『リング』の山村貞子の母親になり得る母性を、その小さな身体に秘めているのだ!! いや、1993年当時に貞子大姐さんはもうデビューしてましたけど。
こういう風に今回の『二色人の夜』は、もうとにかく「石垣島の小夜と荒ぶる神」まわりの造形描写に荒俣先生が120% 筆力を全振りしたかのようなフルスイング作となっており、それがゆえに、小説作品としてのパワーバランスが少々不安定になっている、といわざるを得ない副作用も生じてしまっているようです。
具体的に申しますと、本作のゲスト悪人のやってることが安っぽいし打算的だしカッコ悪い!
前作に引き続き、今回の悪人枠である生物の品種改良で財を成したベンチャー企業社長の河合もまた、「表向きは現代社会で成功しているえらそうなおっさん」というキャラクターとなっているのですが、前作の悪人・田網はそれなりにチベット密教の修行に心血を注いでダライ・ラマとも親交があるという大物ではありました。ま、末路は情けなかったけど……
それに比して今回の河合はというと、倫理観ゼロの生物改良を嬉々として進めるは、人の心を盗み見るという品性下劣な VRの悪用を試みるはで、その悪さこそ個性的ではあるものの、その生き方に荒俣先生ごのみの歴史的バックボーンがまるでなく、単に「最先端科学の使い方を間違っているひと」というカラーしかついておりません。キャラとしての魅力が圧倒的に不足しているんですね。前作の田網なんか、自分の理念を追究しすぎたあまりに家の内装を、勝手に蠕動してげっぷしたり結露した水をぼたぼたたらしたりする『ごっつええ感じ』のコントみたいな感じにしちゃってんだぜ!? それに引き換え今回の河合は快適な石垣島のコテージで真昼間からビールって……もっと身体はれや!!
だいたい、河合の計画の行き当たりばったり感というか破綻っぷりは作中でもかなりドライに指弾されていまして、まずその、扱う家畜の「脚を増やして可食部アップで大もうけ!」という小学生でも思いついた瞬間にダメだと気付くような発想がひどいのですが、これは言うまでもなく「フライドチキンのニワトリは3本足」という古典的な都市伝説を基にしたものでしょう。
にしても、作中に出てくる3本足のニワトリはしっかりと「2本の脚で駆け回っていてもう1本が腰についてブラブラしている」という、奇しくもつい最近『機動戦士ガンダム ジークアクス』に出てきた2機の改造リックドムみたいな姿に描写されているのです。
つまりそれって、せっかく増やした第3の脚はろくに運動もできないから筋肉なんか育たないってことですよね? じゃあ商品にならないじゃん! そんなもん増やすのにどのくらいお金かけてるんでしょうか?
そして、この作品の舞台となった1993年当時は今ほど SNSが発達していなかったのはもちろんだったとしても、なんてったって商品の清潔なイメージと品質保証が最優先の食産業の話なんですから、いくら一企業が関係者全員の口をつぐませようとやっきになったのだとしても、ヘンな姿をした家畜の流通などというおもしろすぎる話題が世間に漏れないわけがありません。
その証拠に見てください、作中の後半では、その非常に地道な「赤いのぼり旗と望遠鏡とタクシー無線」という、『砂の器』の今西栄太郎刑事もビックリな地に足つきまくり捜査法の末に、龍人がやっとこさ河合のコテージを発見した時も、それを聞いたタクシーの運転手が、
「あぁ、あの河合さんのコテージね。なんか3本足のニワトリを飼ってるって有名さぁ~。」
みたいに盛大すぎるネタバレを炸裂させてしまっているのです。た、龍人の汗水たらした風水捜査の意味って一体……
ほれみい! 石垣島でさえ止められないのに、日本全国でニワトリの秘密を隠しおおせられるわけがないじゃんかよ~う!! こんなん、龍人とミヅチがどうこうする以前に、マスコミの格好の餌食になって河合の会社がぶっ潰れることは火を見るよりも明らかでしょうがぁ!! 南無……
ここでさらに考えてみますと、そもそもベンチャーの帝王とか言っておきながら、その帝王が日本のはずれの島のホテルのオーナーを昼からビールあおりながらやっているという状況からしておかしな話で、作中で日本本土での仕事の話が全然出てこないことからも、もしかしたらこの河合って、その絶望的な倫理感覚の無さがあだとなって、東京の本社からていのいい追放を喰らっていたのではないでしょうか。たぶん、東京の会社に置けるわけないから3本足のニワトリの施設も抱き合わせにされて。ウン千万するっていうVR のゲーム筐体っていうのも手切れ金だったんじゃないの……?
あわれな……おそらく河合の会社にはさいわい『オースティン・パワーズ』のMr.ナンバー2みたいな有能な経営者がいて、河合はみごとに会社を丸ごと乗っ取られたのではないでしょうか。そう考えてみると、ああいうふうにどうしようもない河合も、ちょっとは味わいのある哀愁ただようキャラクターに見えてくるんじゃないかな。石垣島での龍人にぶん殴られるまでの日々は、人生で一番たのしいひとときだったんだろうな……合掌。
つまるところ、正直、龍人とミヅチによる悪人退治は小説を終わらせるための方便にすぎず、本作の魅力はあくまでも、石垣島を取り巻く歴史や風水に見られる島民と大自然との相克の軌跡の活写、これに尽きるのです。
そしてさらにこの『二色人の夜』という物語は、一見、荒俣先生がかつて世に出した『帝都物語』とはまるで無関係な南国の島の物語のように見えるのですが、実はかなり精巧に設計された「『帝都物語』の再話」であるという構図がほの見えてきます。
そう、今回のお話を構成する要素はすべて、『帝都物語』の中で別の形で出てきたものばかり! ちょっと比較してみまひょ。
〇物語の舞台 …… 『帝都』は東京、『二色人』は石垣島
〇登場する破壊者 …… 『帝都』は加藤保憲など、『二色人』は河合利明(風水を無視したリゾート開発)
〇破壊者に怒る存在 …… 『帝都』は平将門、『二色人』はアカマタ・クロマタ
〇犠牲となるヒロイン …… 『帝都』は辰宮由佳理&目方恵子&大沢美千代、『二色人』は安里小夜&有吉ミヅチ
〇ヒロインの支援者 …… 『帝都』は鳴滝純一とか黒田茂丸とか団宗治、『二色人』は鉅賀くみ子と黒田龍人
〇破壊者の眷属 …… 『帝都』は式神とか護法童子とか水虎、『二色人』はヘンな VR体験マシーンと三本足のニワトリ
どうですか~? かなり構図が似通っているではありませんか。
まぁ、明確な違いとしては、帝都東京における将門公が眠り続けているのに対して、石垣島の神々は完全に目が覚めているどころか、ブチ切れまくりで島にゴロッゴロ悪石をうちあげさせているという点です。さすがは、荒ぶる神……
余談となりますが、2025年現在にこの『二色人の夜』を読んだうえで石垣島に興味を持って調べてみますと、本作でアカマタ・クロマタと同一視されていた荒ぶる神の正体が、なんと小説の発表後の2000年になって答え合わせのように「銅像となって」画像表示されることに気づかされます。
ご覧ください、この大男の銅像。大きく足を開いて片手に太い棒を握り、もう片方の筋骨隆々たる腕の先にある節くれだった指は、おそらくは沖縄本島の琉球王朝を狙いさしているのではないでしょうか。
そして、怒りに打ち震え絶叫する、その表情! これは明らかに、ともに立ち上がってくれる石垣島の民衆を鼓舞する反逆者のあかし。
いや~、こんなに躍動的でエネルギッシュ、観る者を肝胆寒からしめるおそろしげな銅像があるでしょうか。
その銅像の主の名は、「オヤケ赤蜂」!! うわーやっぱ将門公だったぁ!!
これこれ! その姿はもう、小夜が幻視したっていう「全身ずぶ濡れの恐ろしい顔をした大男」そのものじゃないっすかぁ!!
オヤケ赤蜂という人物は15世紀末に実在した八重山地方の豪族で、琉球王国との間に激しい戦争を繰り広げた石垣島の英雄と今なお讃えられている人物です。伝承によれば、その身の丈2m とか! 小夜の描いた神の姿は、誇張でなどなく解像度の非常に高いものだったのだ!!
う~ん、荒俣先生もニクいねぇ! ふつうに小説を読んだだけでも荒ぶる神はアカマタ・クロマタとして納得できるようにできているのですが、そこをもうちょっとツッコむとオヤケ赤蜂という「真の正体」が見えてくるという二重のミステリーになっているのです。よくできてるなぁ。
しかし、ここまで考えてきますと、やはり周囲の別の社会を意識せずにはいられない「島」の宿命といいますか、昔は琉球王国の侵略を受け、今は日本本土の資本主義リゾートビジネスの侵食にさらされているという石垣島の苦難の歴史を思わずにはいられません。ここらへんのはかなさが、『帝都物語』の東京とはちょっと違うところなんですよね。
そして、我が『長岡京エイリアン』として無視できないのは、この石垣島もまた、その隣にある竹富島にとっては大いなる「他者」なのだということなのです。その入れ子のような構図を、私はかつてあの隠れもない名作映画『星砂の島 私の島 アイランド・ドリーミン』(2004年)で学んでいました! うをを、亀井絵里さま~!!
島に歴史あり、人に歴史あり。あの映画では竹富島にとっての「一番近くにある都会」になっていた石垣島も、そこはそこで大変な苦難の道を歩んできていたのですな。いや~、その地域の歴史と文化を知ることって、ほんとに大切で、心を豊かにする知的冒険ですね。
今回もずいぶんと長くくっちゃべってしまいましたが、ともかく言えるのは、本作があの『帝都物語』にすらひけをとらない、とんでもない濃度の野心作になっているということです。ところどころ、まるで雑誌『怪』かなんかの沖縄取材ルポ記事のようにリアルな描写があり、まさに現地のロケーションから筋立てを構築していく風水占術を地でいく捜査を龍人たちが進めていくくだりが圧巻です。そして、小夜と荒ぶる神との愛憎ないまぜになった関係のすさまじさ……本当に、荒俣先生が西欧文化とは全く異質な価値観の世界にドラマを見いだす小説家であることを如実に証明している作品だと思います。
単なる南国リゾート怪談とあなどるなかれ! 本作はその真逆、地方文化のリベンジ宣戦布告の記なのだ。
石垣島出身の BEGINさんの音楽をたのしむだけもいいですけどね、やっぱ石垣島の来し方に興味を持ってみることもお勧めしますよ。
「♪こと~ぉばぁの~ いみ~ぃさぁえ~ わかぁ~あ~らぁないぃ~」
なんて言ってたら、オヤケ赤蜂に首がもげるほどぶん殴られるかもしんないぞ! 助けて毘沙門天さま!!