長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

次は科特隊を創設する気か、庵野総監督!?  ~映画『シン・ゴジラ』の感想の助走~

2016年07月31日 01時30分04秒 | 特撮あたり
 んまぁ~ものすごい作品でしたよね。

 みなさま、暑い日が続きますがご機嫌いかがでございますでしょうか? そうだいでございます~。山形もぜんっぜん暑いです。東北地方だな~、と感じられるのは朝方の涼しさだけです、ハイ。

 さっそく本題! 昨日7月30日はわたくし土曜出勤だったのですが、夜8時30分に仕事が終わった後、上映時間も確かめないで思い立つままにあちこちの映画館を駆けずり回り、その日の最終上映回だった9時40分開始の「4D」版のこの作品を勢いで観てしまいました。

 もォ~ほんとに思い立って観に行っちゃった! のんびり寝て翌日の日曜日にでも観りゃいいのに、それも我慢できなかったという!
 しかも、仕事の関係で浴衣を着たまんま観ちゃったよ! よりにもよって4D版を浴衣で観るとは、どんだけおのぼりさんなのでありましょうか。しかもそれなのに男1人という不可解な状況……もうこれは完全に、「内容は知らないけど、『野村萬斎さんが主人公らしい』という情報だけを頼りに来てしまったにわか古典芸能ファン気取り」としか解釈しようのない有様であります。こうなったらもう、上映終了後には「萬斎さま、どこに出てらしたのかしらねェ~。」とかつぶやきながら扇子片手に映画館を後にせねばなるまいて!!

 というわけで、突発的に『夏ダカラ!』(Buono!12thシングル)の精神でわたくしが観に行った作品は、こちら。



映画『シン・ゴジラ』(2016年7月29日公開 119分 東宝)

 『シン・ゴジラ』は、映画『ゴジラ』シリーズ第29作である。前作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)以来12年ぶりの日本製作によるゴジラ作品となる。
 2014年公開のハリウッド版『GODZILLA』(ギャレス=エドワーズ監督)の世界的な大ヒットを受け、日本でもゴジラ最新作の製作が決定した。総監督・脚本には庵野秀明、監督・特技監督には樋口真嗣がそれぞれ起用され、彼らがタッグを組んだ短編映画『巨神兵東京に現わる』(2012年)が起用の決め手になったという。当初、庵野は自身が総監督を務めるアニメ映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)の制作後から精神的に不安定な状況におちいっていたために一度は断ったが、東宝の誠意と樋口の説得を受けて「一度きりの挑戦」として承諾した。
 日本の『ゴジラ』シリーズでは初となるフルCG で制作されるゴジラのデザインには、『巨神兵東京に現わる』で巨神兵の造型を担当した竹谷隆之が起用された。デザインの詳細は前田真宏のコンセプトスケッチを基に庵野、樋口、竹谷、尾上克郎が打ち合わせを行い、「完全生物」、「生物として突き抜けた存在」という方針が決まった。また、庵野の命名したタイトルである『シン・ゴジラ』には、「新」、「真」、「神」などの意味が含まれているという。
 庵野は脚本の執筆段階から防衛省・自衛隊に協力を依頼し、「実際にゴジラが現れた場合、自衛隊はどのように対処するのか」、「ゴジラに対して武器の使用が認められるのか」などミーティングを繰り返し行い、事実に即した脚本に仕上げていった。ちなみに机上研究では、ゴジラが出現した場合には「災害派遣を根拠とした出動及び有害鳥獣駆除による武器使用が可能」という結論が出されているという。
 音楽には、庵野が監督を務めた『ふしぎの海のナディア』(1990~91年)、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(1995年~)で音楽を担当した鷺巣詩郎が起用された。劇中では『エヴァンゲリオン』の使用音楽が使用された他に、伊福部昭の音楽も使用されている。庵野は脚本執筆の段階で伊福部音楽を使用することを決めており、オリジナルのモノラル音源が使用された。
俳優の役作りについては、ミーティングの際に実際の政治家や官僚の会話の録音を俳優に聞かせたうえで、「早口で、普段は使わない専門用語の多い言葉を流暢にかつ説得力を持って喋る」政治家や官僚のイメージを作るようにしたという。


あらすじ
 東京湾羽田沖で漂流中のプレジャーボートが発見されるが生存者は確認されず、残されたのはわずかな遺留品だけであった。その直後、海面が変色すると同時に激しい揺れが発生、大量の水蒸気が噴出する。直下の東京湾アクアラインの海底トンネルにて崩落事故が発生し、数台の車が巻き込まれた事態を受け、大河内清次内閣総理大臣以下、閣僚と関連省庁関係者が招集され、緊急会議が開かれた。会議参加者の多くは海底火山の噴火か熱水の噴出によるものとの仮説を支持し、その方向で対応を協議しようとする。しかし矢口蘭堂内閣官房副長官はこの仮説に疑問を呈したうえで、「海底に未知の巨大生物が潜んでいるのではないか」と主張。赤坂秀樹総理大臣補佐官らはそんなものがいるはずはないと矢口の主張を一笑に付すが、その直後、長大な尻尾を持つ巨大生物が海面に浮上し、陸地に向けて移動を開始する。
 想定外の事態に混乱する日本政府は有効な対策を打ち出せない。そうこうする内に巨大生物は東京湾から呑川に入って遡上、さらに水中生物だと思われた怪物は大田区の蒲田に上陸し、地面を這いながら内陸に侵攻する。やがて巨大生物は市街地に突入、建物が破壊され、市民に犠牲者が続出する。今まで決断を先延ばしにしていた大河内総理も、花森麗子防衛大臣に促されて「巨大生物の駆除」を自衛隊に命令し、対戦車ヘリコプターの編隊が飛び立つ。しかし近隣住民の避難が完全に行われておらず攻撃は中止され、その隙に巨大生物は海に戻っていった。
 海上自衛隊が捜索を行うが巨大生物の位置はつかめず、矢口率いる対策チームの調べで巨大生物はまだ進化する兆候を見せていることが分かる。その巨大さからどうやってエネルギーを得ているのかという疑問に対して、巨大生物の通った地域の放射線量が増加していることから核物質による核分裂をエネルギーにしているという推測がなされ、海に戻ったのは自身を冷却するためであるという仮説がなされる。そこにアメリカ合衆国大統領特使である日系アメリカ人のカヨコが来日し、ある生物学者を捜索してほしいという依頼をする。その学者は巨大生物事件の直前に発見されたプレジャーボートの持ち主・牧悟郎であった。牧は古代生物の研究を行っており、アメリカはその古代生物がかつて海底に投棄した核廃棄物を吸収して未知の新生物に進化したという見立てを行っていた。牧がそれを自身の故郷・大戸島に伝わる海の神「呉爾羅」と呼称していたことから、政府は以後、巨大生物を「ゴジラ」と呼称するようになる。


『シン・ゴジラ』におけるゴジラ
身長 …… 118.5メートル
 総監督の庵野秀明からは「完全生物」という指示を受け、地球上の生態系の頂点として造形された。初代ゴジラをリスペクトした造形を主軸に、「生態系の頂点に位置する生物であるため警戒する必要がない」として瞼や耳介がなく、何かを捕食して生きるわけでもないため歯の噛み合わせは乱杭歯である。小さい目は「生き物の中で一番恐い」人間の眼を参考にした他、皮膚の質感はゴーヤ、頭部はキノコ雲をイメージして造形されている。さらに「自己分裂を繰り返す」、「すべての生物の要素が入った完全生物」といったコンセプトから、尻尾の先端には形成が不完全な人の歯や肋骨といったパーツが埋め込まれた。
 プロポーションとしては皮膚が垂れ下がっているどっしりとした下半身と、体高を軽く上回るほど長大かつ強靭な尻尾を特徴としたシルエットが特徴。瞼がなく見開いた小さい眼球と、無数の細い牙が不揃いに並んだ頭部に加え、全身は膠原線維束が縦横に錯綜したような黒い外皮と、心臓部の生体原子炉のエネルギーで各部が真っ赤に発光(熱線放射時は紫に変わる)する内皮、さらに両腕は極端に小さく、長大な尻尾の先端には肋骨、歯、頭、腕といった生き物のパーツが生えているなど、不気味さを前面に押し出した禍々しいデザインとなっている。尻尾は操演でも動かせないというほどの長さで、腕も着ぐるみにするには大人が腕を通せないほど細く、足もかかとが浮いており爪の先端も体重を支える角度をなしていない。
 フルCG とモーションキャプチャで描写されている。モーションアクターが狂言師の野村萬斎であることは劇場公開まで伏せられていた。野村は演じる際、実際にゴジラの面も着けて顎を動かす面の使い方を意識したという。


主なキャスティング
矢口 蘭堂(内閣官房副長官)      …… 長谷川 博己(39歳)
赤坂 秀樹(内閣総理大臣補佐官)    …… 竹野内 豊(45歳)
カヨコ=アン=パタースン(アメリカ合衆国大統領特使)  …… 石原 さとみ(29歳)
志村 祐介(内閣官房副長官秘書官)   …… 高良 健吾(28歳)
泉 修一(保守第一党政調副会長)    …… 松尾 諭(40歳)
尾頭 ヒロミ(環境省自然環境局野生生物課課長補佐)   …… 市川 実日子(38歳)
森 文哉(厚生労働省医政局研究開発振興課長)      …… 津田 寛治(50歳)
安田 龍彦(文部科学省研究振興局基礎研究振興課長)   …… 高橋 一生(35歳)
立川 始(資源エネルギー庁電力ガス事業部原子力政策課長)…… 野間口 徹(42歳)
間 邦夫(生物圏科学研究科准教授)   …… 塚本 晋也(56歳)
根岸 達也(原子力規制庁監視情報課長) …… 黒田 大輔(38歳)
袖原 泰司(自衛隊統合幕僚運用第一課長)…… 谷口 翔太(30歳)
大河内 清次(内閣総理大臣)      …… 大杉 漣(64歳)
東 竜太(内閣官房長官)        …… 柄本 明(67歳)
花森 麗子(防衛大臣)         …… 余 貴美子(60歳)
里見 祐介(農林水産大臣)       …… 平泉 成(72歳)
財前 正夫(自衛隊統合幕僚長)     …… 國村 隼(60歳)
西郷戦闘団長              …… ピエール瀧(49歳)
柳原国土交通大臣            …… 矢島 健一(60歳)
河野総務大臣              …… 浜田 晃(74歳)
関口文部科学大臣            …… 手塚 とおる(54歳)
郡山内閣危機管理監           …… 渡辺 哲(66歳)
金井防災大臣              …… 中村 育二(62歳)
片山臨時外務大臣            …… 嶋田 久作(61歳)
風越内閣総理大臣秘書官         …… 神尾 佑(46歳)
矢島統合幕僚副長            …… 鶴見 辰吾(51歳)
三木東部方面総監幹部幕僚長       …… 橋本 じゅん(52歳)
山岡統合部隊指揮官           …… 小林 隆(56歳)
官邸職員のおばさん           …… 片桐 はいり(53歳)
早船(ジャーナリスト)         …… 松尾 スズキ(53歳)
牧 悟郎                …… 岡本 喜八(写真出演)
ゴジラ(モーションキャプチャ)     …… 二世 野村 萬斎(50歳)


主なスタッフ
総監督・脚本・編集   …… 庵野 秀明(56歳)
監督・特技監督     …… 樋口 真嗣(50歳)
 ※ゴジラシリーズでの「特技監督」という役職表記は、『ゴジラ VS デストロイア』(1995年)の川北紘一(2014年没)以来21年ぶりである。
准監督・特技総括    …… 尾上 克郎(56歳)
撮影          …… 山田 康介(40歳)
VFX スーパーバイザー  …… 佐藤 敦紀(55歳)
音楽          …… 鷺巣 詩郎(59歳)、伊福部 昭
美術          …… 林田 裕至(55歳)、佐久嶋 依里(39歳)
ゴジライメージデザイン …… 前田 真宏(53歳)
キャラクターデザイン  …… 竹谷 隆之(52歳)
特殊造型プロデューサー …… 西村 喜廣(49歳)
製作・配給       …… 東宝



 うん。すごい作品でした、うん。

 当初、私も公開からしばらく経って映画館の客席も落ち着いた頃にゆっくり観ようかなと思っていたのですが、公開初日からあふれ出た作品を観た方々の大絶賛や、「第一形態、第二形態!」とかいう気になりすぎるワードの噴出に、これはもういてもたつもたともたんまらず(剛州さん語録より)、公開2日目で観に行くことになってしまいました。我慢できなさすぎ!

 しかも、その日の2D版の上映はすべて終わっていたため、割高な4Dに生まれて初めて挑戦するハメに……
 あの、作品のおもしろさとはまったく別の話なんですが、わたくし個人の意見といたしましては、この作品に関しては、特に4D版で観なければ損しちゃう、ってことはないかな、と思います。たぶん4D版のアトラクションの内容とかタイミングを考える演出家の方っていると思うんですが、この作品は苦労したと思いますよ、たぶん……中盤なんか小一時間くらい、座席が揺れたり水が掛かったりする余地、入りようがなかったもんね。嶋田久作さんの臨時外務大臣が、アメリカ中心の国連安保理からの理不尽すぎる要求に悲憤慷慨してドンッて机を叩いた時に座席も揺れたらおもしろかったんですけど、深刻すぎる内容だったので揺れるわけもありませんでした。そりゃそうだよなぁ、平泉成さんがため息ついてるんだぜ? 4Dやってる場合じゃないだろう。


 それで内容なんですが、まさしく本作のプロデューサーの方がおっしゃる通り、「完成した映画でファンタジーなのはゴジラだけ」という、作り手が極限まで「好きなようにやっている」作品だなぁ、と感じました。まずこれに感動ですよね。その点でいうと、作った人がよっぽどこの作品を愛しているんだなぁと思わせるその「愛情の深さ」に関しては、井口昇監督の映画『電人ザボーガー』(2011年)に通じる熱量があると強く感じました。作品としてのサイズもテイストもまるで違うんですが、要するに製作スタッフ間の「みんなでこれを映像化させよう」というヴィジョンに共通理解が多くてブレが少ないというか。意思の固さとそこから生まれる映像の説得力があるんですよね。ゴジラがファンタジーで、日本伝統の着ぐるみでもないフルCG だったのだとしても。

 ただ、私としましては、ゴジラとおんなじくらいに石原さとみさんのルー大柴さんみたいな2ヶ国語チャンポンもファンタジーだと感じました。お汗を流す温泉地に「ZAO 」をご指名いただき、まことにありがとうございます!! ただ、身体がめちゃくちゃ硫黄くさくなるんですけど、かまいませんでしょうか!?


 この伝統あるゴジラシリーズにおける「意思の固さ」を考える時に、私がどうしても即座に連想してしまうのは、あのシリーズ第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)であります。
 この作品は、時系列的にはいちおうミレニアムシリーズ(1999~2004年)の一環でありながらも、ゴジラのデザインがまるで違う「白目ゴジラ」となり、「愛嬌のかけらもなくひたすら怖いゴジラ」の久々の登場という設定でした。「人類の敵・ゴジラ」という構図はけっこうどのシリーズ作品にもあるわけですが、敵(ゲスト怪獣)の敵は味方ということで間接的にゴジラが人類の味方になっちゃったり、単純にデザインがかっこいいということでヒーローっぽくなるケースも多かった歴代作品に対して、この「総攻撃ゴジ」は本当に悪役に徹していて、ゲスト怪獣が(間接的ながら)人類の味方という構図が明確でした。しかもこのゴジラは人をバンバン殺してしまうし、その異常すぎる「正体」からして、むしろ平和にのうのうと暮らしている人類を滅ぼすのが目的なんじゃないのかという恐ろしさ。ただ歩いているから被害が増えるという消極的な災害ではないんですね。個々のゴジラの能力値の比較は別として「動機」の点で考えれば、この総攻撃ゴジは明らかに今回の「シン・ゴジ」よりも恐ろしいゴジラであったことは間違いありません。

 しかし、いかんせんこの作品の、「異端作」となったばかりで「傑作」にはならなかった(と、私が考える)理由は、その「邪魔な夾雑物の多さ」。これに尽きると思うのです。

 そりゃもう何と言っても、「日本列島」を守護するという設定の「護国聖獣」のエントリーメンバーに、なんでモスラとキングギドラが入っとんねん!! これですよね。これは私も本当に理解に苦しみました。そりゃ関西弁にもなろうってもんです。
 モスラとキングギドラってあーた、完全に「ネームバリュー先行の出来レース編成」じゃありませんか……モスラは日本的イメージまるでないし、さらにおギドラ様なんか、「人類の味方」イメージがない上にそもそも地球のイメージすらねぇし!! そんなんあんた、「カットよっちゃん」のイメージキャラクターにサミュエル・L・ジャクソンが選ばれるようなもんですよ。え、なんで!? みたいな。

 この際、『とっとこハム太郎』と同時上映だったなんてことは、どうでもいいんです。致命的な問題は、ある意味ではシリーズの偉大なる始祖『ゴジラ』(1954年)以上に積極的に太平洋戦争の惨禍を作品に取り込んだ『総攻撃』が、肝心の「ゴジラを鎮める存在」に「商業的に見栄えのするポップなアイドル怪獣」を無理矢理ねじこんでしまったという不真面目極まりないブレブレ感なんです。だからこそ、そんな理不尽すぎる「どっかからの圧力」を受ける中でも押し通したゴジラの陰惨さとバラゴンとの対決シーンはおもしろく、それ以後の乱戦はパッとしない、TVでも見られるようなありきたりなビーム合戦になってしまっているのでしょう。そこはやっぱり、アンギラスとバランと三つ巴でひたすら噛み合いみたいな泥臭さにしてほしかった……
 ホントに、ゴジラファンや特撮ファン以前に、一己の宇宙大怪獣キングギドラさまファンであるわたくしとしましては、平成のおギドラさまはひどい扱いばっか。ペット怪獣が合体しただけのなんちゃってギドラだったり、モスラにすら負ける子ども誘拐犯だったり、ここでは幼体のヨチヨチ状態でよりにもよって総攻撃ゴジにぶつけられるしまつ。モスラだって、なんか結果的に人殺しみたいなイメージを持たれちゃう描かれ方をしてるし……この『大怪獣総攻撃』は、キングギドラもモスラも篠原ともえさんも出て損しかしてない不幸な映画ですよ。


 話が『総攻撃』だけになってしまいましたが、それを最たるものとして、ゴジラシリーズはその東宝の伝統あるシリーズとしての宿命なのか、常に作り手と「諸事情」とのせめぎ合いに悩まされ、その結果が作品全体の評価に直結するという性質から逃れられないものになっていると思います。
 シェーをするゴジラ、息子を教育するゴジラ、マンガみたいなフキダシで子分怪獣と会話をするゴジラ、放射能火炎を後ろ向きに吐いて空を飛ぶゴジラ、急に顔がかわいくなるゴジラ、流血をするゴジラ、平成になって久しぶりに怖くなったと思ったらまたベビーができるゴジラ……初代の恐怖から見ればブレにしか見えない変容であるわけですが、全てが本物のゴジラなわけです。

 私個人の勝手な解釈で言わせてもらえば、昭和ミニラもベビー~ゴジラジュニアも FINALミニラもジラもゴジラザウルスもスペースゴジラもビオランテもみ~んなゴジラです! ジラースもゴジラの範疇なんですが、さすがにゴメスは違うかな……あと、『ゴジラ VS ビオランテ』のタイアップで『仮面ノリダー』に出てきた「ヒゲゴジラ男」(演・石橋貴明)も立派なゴジラでしたよ。ゴジゴジ!

 しかしそんな混沌のゴジラ史の中でも、どうやら今回の『シン・ゴジラ』は相当に初代ゴジラを意識した恐怖のゴジラの復活になるらしいと聞いたとき、私の脳裏によぎったのは『総攻撃』の中途半端な結果であり、新たな歴史の始まりとなるはずだったミレニアムシリーズの筆頭『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)やハリウッドのギャレス版『GODZILLA』(2014年)に、オルガとかムートーとかいう役者不足にも程のある新怪獣をのこのこ登場させる「ゴジラ一匹で勝負しないヘタレさ」がまた繰り返されるのではないかという大きな不安だったのでした。私はほんとにギャレス監督のそこが気に食わなかったのです……なんでカマキラスに毛が生えたみたいなやつがギャレゴジの相手になるんだと! その点に関しては、ゴジラ(に見えなくもない怪獣)だけしか出さなかったエメリッヒ版(1998年)の方がよっぽど根性がすわってる! いや、あれもミニラがいっぱい出てたけど。

 ですからね、『シン・ゴジラ』ごときで「こんなのゴジラじゃない!」なんて、なんつうあさはかな料簡と言いたいわけなんですね、ホントに。あの程度でショックを受けてるなんて……およそ10年ものゴジラロスは、こんな文化的弊害も生んでしまっているのですね。



 ……とまぁ、そんなこんなで私は不安と期待がまぜこぜになった状態で『シン・ゴジラ』を観たわけだったのですが。

 んまぁ~、ものすごい作品だったわけ!!

 ということで、字数もかさんできたので、続きはまた次回!
 結局、本編のことロクに話さないうちに1回ぶん終わっちゃったよ! これぞまさに、我が『長岡京エイリアン』構成。ひどいったらありゃしません。
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なんで映画『富江』は、こんなにもひたすら「ヤな感じ」なのだろうか!?

2016年07月17日 16時36分39秒 | ホラー映画関係
 みなさま、どうもこんにちは! 今日もあっちぃですね……そうだいでございます~。

 いや~、いよいよ近づいてきましたね、庵野秀明版『ゴジラ』の公開が!!
 一体どんな作品に、どんなゴジラになるのやら……宣伝で見る限りは非常にグロテスクながらも、そのギョロっとした目が大いに1954年の初代ゴジラリスペクトな造形になっているようで、1989年の『VS ビオランテ』以降、2001年の『 GMK』ゴジラ以外はのきなみイケメンなゴジラが続いていた風潮に一石を投じているらしいという点で、私の期待値はちょっと上がっております。ゴジラはやっぱり怖くなくっちゃ!
 しかし、不安も否めないのよね……まず「庵野監督とゴジラ」っていうカップリングが不思議なんですよね。でも、『ウルトラマン』シリーズほど心酔していないかと思われる、その距離感がかえっていいのかも知れないし。
 たぶん、公開した瞬間にネタバレみたいな情報もネット上に氾濫するだろうし、今週末にでも早々と観ちゃったほうがいいだろうか。映画館に観に行くのは確実なんですが、タイミングが難しいな~! とにもかくにも、ドキドキワクワク。


 さてさて、そんでもって今回の記事は何についてかと申しますと、ゴジラシリーズに勝るとも劣らない存在感を日本サブカル界に放ってる……と、あえて私はちっちゃめの声で叫びたい、とあるホラーシリーズの記念すべき映画第1作のお話でございます。
 え? そこのあなた、シリーズ作品を1作もご覧になってないの!? ダミだな~! だまされたと思って、どれでもいいからひとつでも観てみてくださいよ。
 まぁ、作品によっては本当に騙されたって感想になっちゃうかもしんないけど……


ホラー界随一の魔性の美女!! 『富江』シリーズとは!?
 『富江(とみえ)』は、マンガ家・伊藤潤二(1963年~)によるミステリーホラーマンガシリーズ、およびそれを原作としたホラー映画・ドラマ作品である。
 ホラーマンガ雑誌『月刊ハロウィン』(朝日ソノラマ)1987年2月号から、『月刊ハロウィン』、隔月刊『ネムキ』(朝日ソノラマ)などで2000年まで不定期連載されていた(全20話)。

原作マンガのあらすじ
 川上富江は、長い黒髪、妖しげな目つき、左目の泣きぼくろが印象的な、絶世の美貌を持つ少女。性格は傲慢で身勝手、自身の美貌を鼻にかけ、言い寄る男たちを女王様気取りで下僕のようにあしらう。だが、その魔性とも言える魅力を目にした男たちは皆、魅せられてゆく。
 やがて、富江に恋する男たちは例外無く彼女に異常な殺意を抱き始める。ある者は富江を他の男に渡さず自分が独占したいため、ある者は富江の高慢な性格に挑発され、ある者は富江の存在の恐怖に駆られ、彼女を殺害する。
 しかし、富江は死なない。何度殺害されても甦る。身体をバラバラに切り刻もうものなら、その肉片ひとつひとつが再生し、それぞれ死亡前と同じ風貌と人格を備えた別々の富江となる。たとえ細胞のたった1個からでも、血液の1滴からでも甦り、富江は無数に増殖してゆく。そして、その富江たちがそれぞれ、また男たちの心を狂わせてゆく。
 これは、そんな魔の美少女・富江と、彼女に関わることによって人生を誤る男たち、そして彼らを取り巻く人々の人間模様を描いた物語である。


 いや~、富江! 富江!! ついに我が『長岡京エイリアン』でも、単独で富江さんをフィーチャーするときがやってまいりましたか。夏ですね~、ホラーですねェ~!!

 「単独で」と申しましたが、この『長岡京エイリアン』では、かつてかなり昔に「日本ホラー界の新3人娘+1」というくくりで、『リング』シリーズの山村貞子さんと『呪怨』シリーズの佐伯伽椰子さんに加えてこの川上富江さん、そして富江さんと同じくホラーマンガ出身である『エコエコアザラク』シリーズの黒井ミサさんをまじえた「怨霊グータンヌーボ」という妄想対談企画を設けておりました。頭おかしいね☆

 でも、ちょっと今回の記事をつづるにあたって久しぶりにその企画を掘り起こしてみたんですけど、もうあれ、2010年の記事だから5年以上昔の話になっちゃうのね! そうか~、情報もだいぶ古くなっちゃったなぁ。
 2010年以降、貞子姐さんは鈴木光司先生の小説で『エス』と『タイド』の2作、それとは無関係の単独映画で『貞子3D 』と『貞子3D2』の2作が新たに世に出ていますし、佐伯さんのご一家も映画『呪怨 終わりの始まり』と『呪怨 ザ・ファイナル』の2新作が繰り出されている忙しさです。またまた「ファイナル」だなんて、うそばっかり~♪
 そして特筆すべきは、私の妄想企画なんていうささやかなものでなく、正真正銘、公式のみなさまの頭がおかしくなっちゃって、ほんとのほんとに貞子姐さんと佐伯ファミリーが頂上対決をおっぱじめる奇跡のコラボレーション映画『貞子 vs 伽椰子』という超特大打ち上げ花火までもが、つい先月に炸裂してしまったこと! 夏まで待ち切れなかったか~!!

 ……とまぁ、ともかくデビューから時を経てもなお大忙しな貞子姐さん&佐伯一家なのですが、良くも悪くもこの2大巨頭は、この5年間で大きく変容してしまったことは間違いありません。
 何年かに一回は必ず新作が出るという状況は、フィクション世界のキャラクターにとっては非常に幸せな境遇だと思います。でも……その内実はどうでしょうか。

 もはや、今の日本で「貞子」の名を知らない人はそうそういないでしょう。しかし、その貞子さんは本当に、私達が約20年前に心の底から恐怖した貞子さんと同じひとなのでしょうか?

 新作映画が公開されるたびにメディアに露出してキャーキャーもてはやされる貞子、かわいい小貞子に囲まれて心なしか足取りも軽くなる貞子、プロ野球の始球式でノーバウンドストライクの強肩を見せつける貞子……

 つい先日につづった『貞子 vs 伽椰子』の感想記事でも語らせていただきましたが、2011年以降、日本のホラー映画界は確実に「駄菓子」化しているような気がします。そしてその象徴を、不本意ながらも我らがホラークイーンの彼女たちが背負ってしまっているのではないでしょうか。
 ぶっちゃけ、ホラー映画という怖くてナンボ、ビックリさせてナンボな世界において、キャラクターが有名になるということは手の内が知れてしまうということなので、恐怖度と新鮮度が下がっていくのは絶対的に止められません。そしてそれに反比例してポップなキャラクター化は加速してゆくのです。これまさに、あのゴジラ大師匠がたどってきた遥かなる道のりと同じ……
 そして、2000年代以降の海外アメリカの有名ホラー映画のリメイクラッシュのように、強烈な「シリーズのリセット」というカンフル剤を打って新規巻き返しを図るという手段を、彼女たちもいつか採るのでしょうか。それとも、その前にホラーというジャンル自体が廃れて長い眠りについてしまうのか……ジャンルにとって一番ステキなのは、彼女たちを引退に追い込むほどのニュースターがまた誕生することなのでしょうが、それはそ~と~に難しいぞ!!

 いったん、コラボ対決という飛び道具で人気を再燃させることには成功しましたが、問題はこの後ですよ! 邪道でなく、それぞれの本道で新たに何をつむぐか、ね。


 ……あれ? この記事、誰のお話だったっけ?


 あぁ~、そうそう! そういった2大巨頭がバリバリ現役でがんばってる一方で、残りの富江さんと黒井さんですよ。
 まったく、この2人ときたら……

 実はビートたけしと同い年の貞子姐さんや、子持ちの伽椰子さんが今なお第一線で働いてるというのに、若いもん元気がない!!
 2011年以降、富江さんも黒井さんも新作はそれぞれ1本ずつだけというていたらく! 黒井さんにいたっては映画でなくビデオ作品……
 こいつぁ一体どうしたことだってんだい!? このお2人も決して、キャラが弱いとは言えないはずなのですが。
 このお2人の共通点は「ホラーマンガ出身」だということです。でも、どちらも長編マンガの形式ではない短編 or ゆるい連作シリーズなので、まだ映像化されていない原作のストックだっていっぱいあるし、ネタ切れが原因ではないはずです。

 ただよくよく考えてみますと、作品によって演じる女優さんが代わったとしても、「呪いの手法」や「出現する場所」、そして何よりも「出自」がほぼ一貫して確立していた年上のお2人と違って、富江さんや黒井さんは「不死」や「黒魔術の使い手」という大筋の属性はあるにしても、ガチホラーからシュールギャグまで、いつどこでどんなテイストの話に出てきてもOK という、その「異常なまでの物語設定の自由さ」が、逆にその個性をあいまいなものにしてしまっていたのではないでしょうか。自由過ぎるっていうのも考えモノってわけよぉ。
 その証拠として、実写化された歴代の『富江』シリーズと『エコエコアザラク』シリーズをざっと観てみても、『リング』シリーズや『呪怨』シリーズよりももっと細かいスパンで設定のリセットを繰り返しています……というか、一作一作のつながりがほぼ皆無と言ってもよい状態ですよね。監督と主演が同じ『エコエコアザラク』のⅠですら、時間軸が変則的なので直接のつながりが希薄なんですから!

 そして実写版の『富江』諸作にいたっては、富江役を2度務めた女優さんが一人もいないという徹底ぶり。学級崩壊ならぬシリーズ崩壊!? でも、あの富江さんが2人以上集まるんだもん、まとまるわけがないわな。つまりこれ、同じシリーズなのに制作体制も女優さんもバラッバラという惨状こそが、伊藤潤二先生の生んだ稀代の天上天下唯我独尊アンデッド美女・富江さんのシリーズであることの何よりの証左なわけなんですね。なんとステキな逆説現象!!

 というわけでして、前置きが死ぬほど長くなってしまいましたが、今回はそういった「みんな富江で、みんないい。」地獄を現出せしめた記念すべき最初の映画作品にクローズアップしたい……と思ってたら、字数がもう5千字になっちった。


映画『富江』(1999年3月6日公開 大映 95分)
 富江の恐怖を前面には出さず、主人公である富江の旧友・月子による失われた記憶の探求が強調されている。

映画版のあらすじ
 プロのカメラマンを目指す大学生の泉沢月子は、3年前に交通事故に遭って以来、不眠と記憶障害に悩まされていた。月子は精神科医の細野辰子のもとで催眠療法を受けるが、催眠中の月子の口から「トミエ」という言葉が漏れる。そんなある日、細野のクリニックに刑事の原田が訪れる。彼は月子の元友人・川上富江に関わる謎の怪事件を追い続けていると言うのだ。
 一方、月子の住むアパートに1人の青年が引っ越して来る。彼が大事そうに抱えるビニール袋の中身は、生きている女の生首。彼が愛おしそうに育てるその首は、やがて再生を遂げて1人の美女の姿となる。彼女こそが富江だった。やがて彼女を巡る男たちが、次々に狂気に囚われてゆく……

主なキャスティング
泉沢 月子 …… 中村 麻美(20歳)
川上 富江 …… 菅野 美穂(21歳)
細野 辰子 …… 洞口 依子(34歳)
原田 省二 …… 田口 トモロヲ(41歳)
斎賀 祐一 …… 草野 康太(24歳)
吉成 佳織 …… 留美(23歳)
山本 武史 …… 水橋 研二(24歳)
店長    …… 温水 洋一(34歳)
大家    …… 鈴木 一功(46歳)
船井刑事  …… 山上 賢治(37歳)

主なスタッフ
監督・脚本 …… 及川 中(41歳)
特殊メイク …… ピエール須田(31歳)
主題歌   …… Yukari Fresh 『Raymondo』


 あのね、ほんと、この映画はすごいんですよ。
 なにがすごいって、「人気マンガの初の実写化」という責任のいっさいを放棄しているんです。前代未聞の所業! 果たしてこれは「勇気」なのか……

 具体的に言うと「実写映画第1作だったらそこはこういくっしょ!」という定石を、おもに2つのポイントできれいさっぱり捨ててしまっているんですよね。あえてそうしてるのか、制作側の力量不足でそうなっちゃったのか……いずれにせよ、それが原因で本作は異様にいびつで薄気味の悪い、観ていてミョ~にヤな感じになるじめっとした質感の作品に仕上がってしまっているのです。ほんと、富江さんを撮影した写真みたいにグロテスク。
 元来、原作となった伊藤潤二先生のホラーマンガだって、生理的な嫌悪感をもよおさせるグロテスク描写も得意とする作品世界ではあるのですが、基本的に描線(特に人物の輪郭)が非常にシャープでドライだし、怖いんだけどよくよく考えると笑えてきちゃうような、隠し切れない「ハイテンションさ」が見えるからこそ、一般的な人気も得ているのではないかとも思えるので、ちょっとこの映画の「湿度&陰険度100% 」な世界って、本質的に伊藤潤二ワールドとは違うような気がするんですよね。それを言うのならば、「富江」シリーズ第2作の『富江 リプレイ』と同時上映だった映画『うずまき』(2000年)のほうが、富江シリーズよりもよっぽど伊藤潤二先生の世界観を忠実に再現していると思います。おもしろいし!

 さて、大事な実写映画第1作であるはずの本作をゆがませてしまった1つ目のポイントは、まず「原作のストレートな映像化」という前提をすぱーんと放棄しているというところです。えぇ~……それを第1作目でやるかね、しかし!?

 思い起こせばわたくし、この作品を1999年3月にわざわざ東京の映画館に観に行ったのでした。渋谷だったか銀座だったか……ともかく単館上映だったんですよ。
 んで、よせばいいのに『富江』の原作マンガを1ページも読まないで観に行っちゃったのよね。まぁ、あの『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』を、TV アニメシリーズを1秒も観ていない状態で映画館に行って観た経験のあるわたくしなものですから、いくらなんでもあれよりゃマシだろうという油断があったわけなのです。マンガの映画化なんだからそんなに難解でもないだろうし、と。

 それがあーた驚くなかれ、この映画版『富江』は、原作マンガ版の第10話のディティールを借りつつも、第1・2話と第4・5話をミックスしたエピソードの3年後の「後日譚」というお話になっていたのでした。え! 後日譚!? マンガ4~5話ぶんが必修なのか~!
 いや~、原作未読者には内容がほんとにわかんなかったよ……あまりにもわけわかんなかったので、当時住んでいた千葉に帰ったその足で本屋を探しまくって『富江』のコミックスを即買いしちゃったもんね。
 んでまぁ、読んでみたらあの映画の過去にこれこれこういうことがあって、あの人とあの人がああいうつながりだったのか、みたいなことがやっとわかったのですが……

 大ヒットしたシリーズの何作目かでだったらわかるんですが、満を持しての実写映画第1作目で後日譚だなんて、そんな変化球、ふつう投げる!? ちょっと一見さんお断りすぎじゃないでしょうか……そんなに敷居を高くしてどうする!? 高いのは富江さんの自意識だけにしてくれよォ。
 そう考えてたら、この第1作を監督した及川さん、後年になって映画第5作『富江 ビギニング』(2005年)だなんて、本作の「前日譚」を撮っちゃったりしてんのよね。
 オ~イ、遅いよ!! まずそれを最初にやってくれよォ。そして、それもまた原作マンガとは全く違う内容だという迷宮っぷりね。かきまぜんなかきまぜんな!! 小沢一郎かお前は。

 余談ですが、映像版の『富江』のうちのどれが最も原作に近いのかと言えば、私は断然、この作品と映画第2作『富江 リプレイ』(2000年)との間に関西テレビで「ひっそりと」放送された TVドラマ『富江 アナザフェイス』(1999年12月放送 全3話)を推します。富江ビギナーにはこれが一番おすすめ!
 ただ、ここがまた一筋縄でいかない所なのですが、この『アナザフェイス』も決して原作マンガを忠実に映像化したものではなく、富江を演じる永井流奈さんは、原作の富江とは似ても似つかないトランジスタグラマーでぶりっ子な魅力をムンムンにして男に迫ります。こんな舌っ足らずでむっちりしてる富江、原作のどこにもいねぇ!!
 ところがこの『アナザフェイス』は、物語の舞台設定を20世紀末のコギャル文化にアレンジしまくりながらも、「富江に狂わされる男たち」と「男どもを狂わせる悦びを糧に永遠に生き続ける富江」という構図を明確に、高い純度で作品に落とし込んでいるのです。全3話とか言ってますけど、これ全部通して見ても72分くらいしかないし、短編という原作のテンポを無理なく映像に変換していると思います。
 とてもじゃないけど制作予算が豊かとは言えなさそうだし、2代目富江にあたる永井さんの演技も好き嫌いだいぶ分かれるところがあるとは思いますが、その存在と魂において、歴代女優の中で最も原作に近いのは、間違いなく永井さんの富江でしょう。まぁ観てみてよ! あと、予算の都合か特殊メイクを用いたグロシーンがほぼ皆無なので、そういう意味でも見やすいです。

 んでまた話を映画第1作に戻しますが、その後日譚にしたって結局、本作の主人公である月子と富江がどうなったのかという結末も、クライマックスの展開がまるで整合性が無いといいますか、台本なんか存在せずその場の思いつきだけで撮った学生の自主製作映画みたいなグダグダ感になっているので、よく言えばアーティスティック、悪く言えばオチなしな締め方になっているのです。う~ん、雰囲気で逃げた、みたいな!? 車に備え付けの発煙筒が、人間一人焼殺するくらいの火力を持ってるわけないだろバカー!!
 いや、いいですよ? ああいう、憎しみ合うようでいて実は愛し合う関係だった、みたいな同性愛的なかほりも、映像で見るとなんだかいい感じになっているような気がするのですが……でもこの作品、『富江』ですからね。文字通り男を狂わせるという妖花・富江が執着する対象が、自分自身でも自分になびかない男でもなく、何の変哲もないふつうの女性だっていう解釈が、な~んかピンとこないんですよね。 それ、富江さんかなぁ?

 そうそう、この「こいつ、富江か?」という疑問こそが、本作がゆがんでいる原因となる2つ目の観点となります。
 はっきり言いまして、この実写映画第1作において、あの稀代の憑依系女優・菅野美穂陛下が演じておられる川上富江という人物は、原作マンガの富江像から全力ダッシュで逃げ去るかのような「らしくなさ」に満ちています。

 それは、魔性の美女である富江を映像化する上で、何はなくとも一番大切にするべきはずの「外見」の設定に如実に表れていて、物語のほぼ全シーンで富江が「ナチュラルにぼさっとした長髪に何の特徴もない Yシャツみたいな白ブラウス」という服装なのです。もしかしたら、当時菅野さんが短髪だったかなにかの事情で長髪のカツラをかぶってたのかも知れないのですが、もしそうだとしてももっといいカツラにしてくださいよ! 毛先がもさもさして頭がでかいみたいなシルエットになっちゃってるよ。
 いやいやいや、及川監督、原作マンガ読んでます!? あの富江がそんな恰好で外を出歩くと思いますか!? そんなの富江さんが観た瞬間、

「ダサい!! 死になさい!!」

 って言うに決まってるじゃないっすかぁ。

 わからない……この作品、目的が全然わからないのですが、富江が男を狂わせるキャラクターであるという原作の設定を最小限に縮小させているのです。演じる菅野さんのルックスがどうこうという問題以前に、原作の富江に近づけようという意志がないんですよね。

 ただ、原作レ……といいますか、世の中に「原作と全然ちがうよ!」という映像作品の失敗作はあまたあるかと思うのですが、この実写映画版『富江』は間違いなく、それらとは別次元の「異様に見ごたえのある作品」……はっきり言っちゃいますと、「観ていてものすごくヤな気持ちになる」という爪痕を残すとんでもない作品になっているのです。今思えば、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)とか『ブラック・スワン』(2010年)といった世界の「ヤな感じ映画」と肩を並べうるレベルだと思います。しかし、そこに感動はない!!

 そして、この映画のヤな感じを象徴する存在こそが、本作における富江……というか、菅野美穂さんの「異形性」なんですよね! 怖い、怖い!! 死なない富江がどうこうじゃなくて、ただただ菅野さんが怖い!! これはもう、他のシリーズ作品の富江女優の追随を許さない恐ろしさだと思います。

 日本ホラー史上に燦然と輝く「超怖い女優」としての菅野さんを堪能できる3大映画として、私は『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS(1995年)と『催眠』(1999年)、そしてこの『富江』を挙げたいと思います。というか、他の幾多の映像作品でも菅野さんはいわゆる「悪女」を演じてはいると思うのですが、小細工抜きで「ほんとに怖い」初代ゴジラのようなオーラをまとい、映画全体の構成バランスをぶっ壊す勢いで恐怖の具現者となっているこれらの3作は、ちょっともう2010年代の菅野さんご本人でも再現は不可能な、それこそ入神のみわざだと思いますよ。どんな神さまが入ってたのかはわかったもんじゃありませんが……

 ともかく、そんなウラ菅野さん3部作の中でも、この『富江』はダントツに暴走度と気味の悪さが最高値を叩きだしているんじゃないでしょうか。他の2作は、作品の枠内で菅野さんの役がああなっちゃってるという理屈は残っていたかと思うのですが、もう『富江』の菅野さんは富江でも映画の登場キャラクターでもないんだもんね! ただただ、「からまれたくない怖いひと」!! 美しいも何もあったもんじゃないし、第一、映画に出てくる誰も、あんなアナコンダみたいな眼をした菅野さんを殺そうだなんて思わないよ!? 殺されるのが身上の富江さんの映画なのにそんな頂点捕食者みたいな富江がいる作品、もう『富江』じゃないよぉ。
 だからまぁ、近くにいて欲しくないという「迷惑度」に関しては、かろうじて本作の菅野さんは原作に近いと言えそうなのですが、その他の「かわいい」とか「か細い」とか「意外と抜けてるとこあり」とかいう項目の値はもう0か、レーダーチャートをぶち破って成層圏まで到達してるかのどっちかというグチャグチャ乱高下具合なので、とてもじゃないけど「実写化第1作目」に要求される「そこそこ忠実な富江」など、まるでアウト・オブ・眼中な天衣無縫っぷりになっているんですよね。ホラーマンガのはずの原作よりも怖くなってどうすんのよ……

 原作と全く違う怖さを追求した映画作品といえば、やはりなんと言ってもホラー映画界の古典ともいえる『シャイニング』(1980年公開 原作は言わずと知れたスティーヴン=キング)が筆頭に挙げられるかと思うのですが、私はほんとに誇張表現でなく、本作の菅野さんは『シャイニング』のジャック=ニコルソンに勝るとも劣らない恐怖の名演を魅せてくれて、しかもニコルソン同様に映画のバランスを独占してしまっている絶対的要素になっていると思います。
 ただ、本作『富江』において致命的な問題になっているのは「登場人物がのきなみクズばっかり」という点でして、主人公の女子大生もその友達も彼氏も、女子大生の不眠症治療を担当する精神科医も、富江の謎を追う刑事も、一人のこらずどこかしらに人間的な問題を抱えているヤな感じのやつらばっかりなのです。いや、それぞれの問題は非常にリアルで、「あ~いるいるそんな奴!」という感じの些細な問題も多いのですが、この映画はそういう人たちの「いいところ」をほっとんど描写せず、お互いをイラっとさせてしまう言動だけをひたすらクローズアップして連続させてくるので、物語世界全体が重だるくて、観ていてしんどくなるジメジメ空気に満ちているのです。
 余談ですが、登場人物たちの「周囲の人をイラっとさせるあるある」のひとつとして、主人公の女子大生が彼氏の作ってくれたパスタをすぐ食べずにカメラでパシャパシャ撮影しているのを見て、作った彼氏が「冷めんだろ、早く食べろよ!」と怒るやり取りがあるのですが、この映画の公開からはや15年以上たち、今では怒る人の方が感覚が古いという認識が一般的な世の中になってしまいましたね……常識は変わるんだねい。

 でもなんか……そういう感覚って、確かに田舎から都市部に来て一人暮らししてる大学生とかが、心身の調子がたまたま悪いときにふと陥っちゃう「あたしのまわり、何にもわかってくれないバカばっか!」みたいなダウナーな気分そのものですよね。そこらへんをもののみごとに映像化してくれてるのはすごいのですが、バイト先の友達もかかりつけの医者も、挙句の果てにゃアパートの大家さんまでもがヤな奴に見えてくる本作の倦んだ世界は、やっぱり伊藤潤二先生の世界とは全く違うものですよ。
 だって……富江が出てくるまでもなく世界が狂っちゃってるんだもの! むしろ、富江が本作の主人公をファンタジーの世界に「救ってくれる」ような役割にすら見えてしまうんだからしょうがない。

 ですので、人間のヤ~なところを老若男女関係なくピックアップする観察眼には非凡なものこそ感じるのですが、やっぱり伊藤潤二ワールドを理解しているとは言えないような気がするんだよなぁ。
 あと、単純に本作唯一の見どころと言っちゃっていい菅野さんの富江が本格始動するのが、本編開始「1時間10分後」なので、いくらなんでももったいぶりすぎなんですよ! それまで、ほんとにクソどうでもいいへにゃらへにゃらした大学生の好いた腫れたのドロドロ関係ばっかが延々と続くし……ほんと、この作品の可食部は後半1/3の約30分間のみだと思います。そこまでは見なくてもいい! 洞口依子さんや田口トモロヲさんのいい演技は他の映画でいくらでも観れます。

 ただ逆に言うのならば、後半30分間の菅野さんは、一人でも多くの地球人類に是が非でも観て頂きたい歴史的な恐怖演技を展開してくれます。それこそ、度を過ぎた熱の入れようで計算され尽くした一挙手一投足のかもし出す危険なオーラは、特殊メイクもCG も全く必要としない、俳優の肉体の可能性を最大限に引き出した名演で、戦慄しながらも感動すらしてしまう完成度と美しさをたたえています。それは、外見の美貌とかいうレベルじゃなくて、もはや数学の方程式を見るような怜悧な美しさですね。
 あの……あれよ、クライマックスの早朝の湖畔のシーンで、菅野さんのお顔がなんとなく寝起きで撮影しちゃいましたみたいなボヨ~ンとしたまぶたになってるのも、あれはおそらく胴体からニョキッと生えたての頭部を表現するための菅野さんの天才的発想のたまものなんだよ、たぶん……あがめよ! いいからあがめて!!

 菅野美穂というお人が、昨今のテレビ界にあまたいる美人女優の一人などという枠には収まるべくもない異常天才だった、ということが如実によくわかる貴重な映像資料です。「だった」……になるんだろうなぁ。今はもう、そんなイメージダウンにしかつながらない仕事、やる必要ないもんねぇ。
 ちなみに、この映画に衝撃を受けまくった1999年当時、うら若き紅顔の大学生だったわたくしめは、サークルの先輩と部室で二人きりになった時に本作の菅野さんの笑い顔を真似してしまい、本気で怖がられました。あの、目がギラギラ光ってて口角だけ限界までぐいっと上げるやつね。先輩、ほんとすんませんでした!

 それにしても見逃せないのは、菅野さんの富江がただひたすら怖いというだけでなく、二言目には「あたしは怪物だからさ、歳とらないのよ……」と自虐的につぶやいたり、本作の主人公のことを親友だと思っていたのに高校時代に裏切られた、なんてことをネチネチ糾弾したりして、「不死身」というとんでもない特性からは程遠い、やけにしみったれた発言しかしない点です。これも、「原作の富江、そんなんだった?」と不思議に思ってしまうところなのですが、菅野さんの富江は自分の特異性をひたすら、普通に歳をとって時間が流れてゆく人間社会の中から自分自身を孤立させてしまう負い目としか捉えていないフシがあるんですよね。「私は永遠に美しい!」とは一言もいわないんですよ。謙虚!
 でもそこらへんが、かわいいのに演技力もすごいと世間からもてはやされていた当時の菅野さんの心境をにおわせるようで興味深くもある部分なんですよね。時代の寵児っていうのも、大変なのよねぇ。

 いやだからほんと、本作の菅野さんの演技と怖さって、富江のキャラクターとまるで無関係なんですよ! ゴ〇ちゃんをいっぱいにつめたビニール袋をニコニコしながら近づけてくる女なんて、不死身でなくても怖いに決まってんだろ!! 「ホラー」って、そういう意味の怖さじゃねぇから! やっぱりこの監督、なんか履きちがえてるよ。

 でも、本作に限らず、「富江」シリーズの映像化作品って、歴代どれをとっても、どこかで原作マンガからかけ離れた「うん?」な要素があるような気がするし、実はその自由度(?)こそがこのシリーズの独自性のような気もするんですよね。
 ともかく、まずその気風の先陣を切った第1作であるということと、女優・菅野美穂の「怖さ部門」のまごうことなき頂点の記録ということから、この『富江』は知る人ぞ知る金字塔だと思います。決して傑作ではありませんが、まぁおヒマならば見てみてくだしゃんせ!

 いや~、ほんと菅野さん、当時もう充分に有名だったはずなのに、なんでこんな仕事受けたんだろ……若気いたりまくり!!
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これから読もうと思ってるんだけどさぁ13 ~前勉強をつらつら~

2016年07月15日 22時09分17秒 | すきな小説
『終わりのクロニクル 第3巻(上・中・下)』(2004年4~7月刊)

 『終わりのクロニクル(おわりのクロニクル)』は、川上稔のライトノベル。イラストはさとやす。電撃文庫(メディアワークス)より2003年6月~2005年12月に刊行された。単行本全14巻。
 川上稔による架空の世界観「都市世界」における「AHEAD」時代を取り扱った作品。総じてページ数が多く、最終巻は1000ページを超えて当時の電撃文庫における最厚記録を樹立した。


あらすじ
 2005年、初夏の夜。西東京・奥多摩の街外れに突如として現れた概念空間で、ある戦闘が繰り広げられた。それは、かつて3rd-G が創造した巨大人型機械「武神」同士によるものであった。3rd-G は、神々の力を持つ人々が創り上げたロボット「自動人形」と武神の世界。そこは現在、60年前の概念戦争時に発生したある出来事により2つの「穢れ」を持っているという。
 佐山御言たちは、この3rd-G を次の全竜交渉の相手に選ぶが、この穢れにより他の全G を敵に回す危険性を抱え込むことに……果たして、3rd-G が持つ2つの穢れとは何か? 武神同士の闘いの意味は? 佐山たちは過去の遺恨を取り除き、無事に交渉を成功させることができるのか?


3rd-G
主要概念 …… 金属が生命を持つ概念、小規模な重力制御
対応神話 …… ギリシア神話
対応地域 …… ギリシア / 日本の瀬戸内海地方

3rd-G の世界観
 有限の空に無数の大陸が浮かぶ構造で、古代には海もあったが概念戦争以前に消滅した。人類は個々が細分化した概念核を持ち、恩恵として何らかの自然を操る能力と数千年単位の長寿を有した。細分化した概念核は保有者の死で本体へ戻り新生児に付加されるため、3rd-G の人類は概念核を「冥府(タルタロス)」と呼び、後に制御装置「冥府機構(タルタロス・マキナ)」を建造した。人口の少なさを武神と自動人形で補い、政治は王族によって全大陸が統治されていた。

3rd-G の概念戦争
 当時、全G の中でも最高位の技術力で勝利しようとしたが、開戦で後手に回ったこと、ただでさえ少ない3rd-G 人類が戦死と原因不明の出産率低下で急速に減少したこと、9th-G により大陸を一つ破壊されたことで余裕を失った。当時の王クロノスはゼウスに幽閉され、新王となったゼウスは生存のために同胞や捕虜を武神に改造し、王妃レアとの子(後の飛場・美影)をクローン技術で増産し母体とする近親相姦の計画を練った。それでも優勢を得ず、3rd-G人類が王族のみになった末にゼウスは9th-G に恭順した。しかし乗り込んできた飛場・竜徹によってゼウスやアポルオンは殺され、概念核の半分を奪われて3rd-G は滅んだ。


作中の専門用語
3rd-G製の概念兵器
神砕雷(ケラヴノス)
 荒帝が使用する。3rd-G製の武神用杭打機で、攻撃時は雷を伴って相手を撃ち抜く。元々はテュポーンに装備させる予定だったが、クロノスの計らいで荒帝に組み込まれる。飛場・美影の進化に応じて荒帝とともに強化されていく。古代ギリシア神話においては、ゼウスがテュポーンを封印するために放った雷を意味する。

自動人形
 人型等身大のアンドロイドで、3rd-G を象徴する機械のひとつ。3rd-G人類が身の回りの世話をさせるために開発したものであり、そのほとんどは侍女の姿をしている。感情は持たないが自ら思考して行動し、主人と定めた人間を助けることを至上の目的とする。「共通記憶」という同形式の自動人形のみが参加できる一種のチャット能力を持っている。

量産型自動人形
 最も一般的な自動人形。全部で117体存在する。基本的に同一規格だが、開発時の先天的要因と、経験の差などの後天的要因により個体差がある。モイラシリーズは量産型の上位機種であり、共通記憶を共有できる。3rd-G崩壊の際に3rd-G残党に連れ添った者たちと、神田研究所に流れ着いた者たちの2派に別れている。

モイラシリーズ
 1st、2nd、3rd の3体が存在する。1st は記憶消去、2nd は子体自弦振動の観測、3rd は偽装記憶生成の能力を持ち、2ndは特に多重並列重力制御に長ける。概念戦争によって異G に3rd-G人類が漂流した可能性があり、発見した場合に速やかに保護して3rd-Gの情報を与えるために造られた。量産型自動人形の上位体であり、共通記憶を共有できる。
 かつては120体製造されていたが、概念戦争を経て現在は63体。アイガイオンが Low-Gのファミリーレストランから大量に盗難してきた従業員用の制服(アンナミラーズのように胸部を強調したもの)を全員が着用している。

ヘカトンケイルシリーズ
 ギュエス、アイガイオン、コットスの3体が存在する。戦闘用に例外的に造られた自動人形。3rd-G人類やテュポーンの警備と守護を担う。

人間に進化する自動人形
 シビュレと飛場・美影の2体が存在する。3rd-G人類を増やす母体の不足を補うため、「出産可能な女性に成りうる自動人形」として開発された、非常に特殊な機体である。シビュレは試作品で、彼女を元に美影の機体は造られた。

武神
 全高およそ8メートル前後の巨大な人型機械。3rd-G を象徴する機械のひとつ。元々は3rd-G人類の移動能力を強化するために造られたが、後に戦闘用として用いられるようになる。総じて遠距離兵器よりも剣などの近接兵器を主力としている。翼を有し、飛行能力を持つ機体も多い。3rd-G 製の純正品は搭乗者が機体と一体化することで操縦するが、遠隔操縦できる形式も存在している。また、ヘカトンケイルシリーズのコットスのボディは武神の機体を用いている。他G の機竜に比べると戦闘力は劣るが搭乗時の危険性が少なく、汎用性も高い。

荒人(すさひと)、荒人・改
 護国課が3rd-G製武神の残骸を研究して修理した武神。3rd-G では標準的な機体。
 荒人は概念戦争で飛場・竜徹が搭乗し、3rd-G との決戦で使用不能となった。その後日本UCAT が回収し修理・改造を施して荒人・改となり全竜交渉時代には飛場・竜司が搭乗している。

荒帝(すさみかど)
 飛場・美影が有する概念空間に収納されている黒い武神。美影の意思に応じて通常空間に出現し、彼女と飛場・竜司と合一する。美影の進化に伴い武装の追加や彼女一人で遠隔操縦もできるようになる。3rd-G の概念核兵器「神砕雷」を装備している。

テュポーン
 3rd-G概念核を原動力にした白い武神。3rd-G王族の専用機。
 概念戦争時代に「蒼白の武神」の副搭乗者だったアルテミスが、搭乗して殺されたアポルオンと己の死を置換し、更に搭乗席をテュポーンに移された際に己の死とテュポーンの生を置換したため、アルテミスそのものが宿る機体となった。ただし置換が不完全であったため、テュポーンが破壊されればアポルオンの肉体も破壊される。アルテミスが、自分が死んだ瞬間を思い出すと、テュポーンはアポルオンを搭乗させて暴走する。
 アポルオンとアルテミスの能力を利用して小規模な時間制御が可能であり、「防御と回避の時間」を「相手の死角に回り込む時間と攻撃準備時間」に転化させる「瞬間攻撃」の能力を持つ。

蒼白の武神
 アポルオンの専用武神で、アルテミスの肉体を部品とし、彼女の意思をナビゲータとして副搭乗者としていた武神。概念戦争の際に一度大破し、搭乗者席はテュポーンに移された。

赤い武神
 ギュエスが所有する武神で、肩は無いが6本の腕を有する。主要武器は腕それぞれに持つ6本の剣。遠隔操縦型で、普段は彼女が持つ概念空間で待機している。ギュエスがこれを操るのはかなりの負担がかかるため、長時間の稼動はできない。

白銀の武神
 元々はレアが所有していた武神。ゼウスによってレアごと大破したが、後に遠隔操縦型に改修され、シビュレが使用する。

灰色の武神
 ゼウスの搭乗する武神で、2本の剣を持つ。ゼウスの意思のコピーが動かしているとされていたが、実際はゼウス本人が動かしていた。

3rd-G残党の武神
 3rd-G の残党が所有していた緑色の武神。同形式の物が複数存在しているが、全てモイラ2nd によって遠隔操縦されている。

日本UCAT製武神
 日本UCAT が3rd-G の武神を参考に開発した武神で、ボディカラーは白と黒。3rd-G との全竜交渉には3体が参戦する。

自動人形仕様武神
 長田・竜美との戦闘で大破したヴァイオレットが、修復が終わるまでの間ボディとして使用していた武神。自動人形の侍女服を参考にしたカラーリングがされている。

冥府(タルタロス)
 3rd-G での概念核の呼び名。
 3rd-G人類は概念核の一部を体内に保有しており、死亡すると概念核の一部と死者の意思は概念核に回収される。回収された概念核の一部は新生児に付与されるが、死者の意思はそのまま概念核の中に残留する。すなわち、概念核が3rd-G人類にとっての死後の世界であることからこう呼ばれている。

冥府機構(タルタロス・マキナ)
 冥府(概念核)に死者の意思と概念核の一部を導く機構。
 テュポーンの内部に出力炉として内蔵されているが、概念戦争時に大破している。その制御は誰にもできないとされていたが、アルテミスが冥府機構を搭載しているテュポーンを乗っ取ることで、制御に成功した。

穢れ
 3rd-G が概念戦争の中で得た罪業。多くは、同胞や捕虜への人体改造や機械の部品化、近親相姦や子孫を増やすための母体をクローンで増産しようとしたことを指す。しかし個人的な「第2の穢れ」、そしてそれを解消しようとすると発生する「第3の穢れ」が存在する。
 第2の穢れとは、3rd-G概念核を得ようとすると概念核によって擬似的に死を免れているアポルオンを殺すことになること、つまり「大義を優先して人を殺すこと」である。そして第3の穢れとは、アポルオンの死を回避しているテュポーン内のアルテミスを消し身代わりを立てて死をすべて引き継がせる、つまり「罪を逃れるために死者を再び殺し、そして逃れるために費やした人物をも殺すこと」である。

主な登場キャラクター
佐山・御言
新庄・運切
出雲・覚
風見・千里
大城・一夫
大城・至
Sf(エスエフ)
リール=大樹
シビュレ
ロベルト=ボルドマン
ジークフリート=ゾーンブルク
田宮・遼子
田宮・孝司
飛場・竜徹
ディアナ=ゾーンブルク
ブレンヒルト=シルト
月読・史弦
ハジ
戸田・命刻
田宮・詩乃
長田・竜美

飛場・竜司(ひば・りゅうじ)
 全竜交渉部隊の対武神戦力。尊秋多学院生徒会会計補佐。1年生。美影と荒帝を共有する。
 3rd-G との全竜交渉から佐山たちに合流した少年。美影や竜美とは姉弟同然に育つ。飛場・竜徹によるマンツーマン指導で格闘戦や武器戦に優れている。自動車部所属でダン・原川の後輩。全竜交渉部隊きってのいじられキャラで、次第に扱いが適当になっていく。美影を溺愛している。
 全竜交渉以前から美影を狙う3rd-G と戦闘を繰り返しており、3rd-Gと の全竜交渉の際に初めて全竜交渉部隊と対面する。当初、3rd-G の穢れを己一人で清算しようとしていたが、出雲と佐山に敗れ諭されたこと、彼の身を案じた美影から拒否されたことから己の考えを改め、佐山たちへの協力を決める。

美影(みかげ)
 全竜交渉部隊の対武神戦力。飛場・竜司と荒帝を共有する。
 子供を産める身体になるため、人間に進化する自動人形の機体に魂を移された3rd-G人の少女。当初は人間に進化することへの恐れから進化が滞っていたが、次第に人間へ進化していく。荒帝を召喚する機能を持ち、後にある程度なら単独で動かせるようになる。2nd-G の八又封印時に荒王の制御機構に組み込まれたこともあった。

月読・京(つくよみ・みやこ)
 月読・史弦の娘。
 Low-G の一般人として育つが、テュポーンと荒帝の戦闘に巻き込まれ3rd-G残党に関わる。そこでアポルオンや自動人形たちに認められ、アポルオンの子を身籠る。以降はアポルオンが復活するまでの3rd-G の暫定指導者となり、出雲UCAT の技術者に就職する。

アポルオン
 当代3rd-G王。日中の時間を司る。
 先王である父ゼウスの遺志を継いで概念戦争では Low-Gと戦闘を繰り広げたが、多くの臣民や妹アルテミスを失ったことで反抗を諦めた。後に飛場・竜徹に殺され、アルテミスの計らいで半端ながら蘇生する。その後は諦観から漫然と生活していたが、月読京との交流で気概を取り戻す。

アルテミス
 アポルオンの妹。故人。夜中の時間を司る。
 生殖能力の欠如から武神の部品に変えられ、水色の武神の副搭乗者になる。瀕死の兄アポルオンを生かすためにテュポーンを乗っ取り、アポルオンを不完全ながら蘇生させる。その精神はテュポーンに宿り、死の瞬間を思い出すとアポルオンの意思を奪い暴走する。

クロノス
 3rd-G の先々代王。息子ゼウスに王位を奪われ幽閉された。
 優秀な技術者であり、幽閉後も多様な自動人形や武神を開発している。人間に進化する自動人形のボディもクロノスが造った。美影が奪われた後にゼウスの目を盗んで日本の護国課に現れ、「荒人・改」の改修をシビュレに命じた。自らの肉体を荒帝の部品に変えている。

ゼウス
 3rd-G の前王。父クロノスを幽閉した。アポルオンとアルテミスの父。
 概念戦争に生き残るべく圧政を敷き、「穢れ」と呼ばれる無数の罪を作る。王妃レアを殺して美影を奪い、9th-G と同盟して Low-Gに侵攻した。自ら冥府に落ち、相談役として人格の複製を持った武神を残したとされるが、実際は本人だった。飛場・竜徹との交戦で死亡、その直前にアポルオンを自動人形たちに託す。

レア
 元ゼウスの侍女で王妃。美影の母。Low-G に3rd-G の情報をもたらした人物。
 3rd-G の政略によりゼウスとの間に子を宿すが、3rd-G人類増産用となる母体のクローン元になることを拒否して亡命した。護国課とは衝突もあったが、Low-G で美影を出産したのをきっかけに和解する。後に美影を奪うべく乗り込んできたゼウスとアポルオンに襲撃され死亡したが、右目は飛場・竜徹に移植された。

モイラ1st(ファースト)
 モイラシリーズの1号機でモイラ3姉妹の長女。金髪で巨乳。
 量産型自動人形の指導者で、他機よりも判断基準が高く設定されている。記憶を偽造する機能を持ち、モイラ3rd と組んで人間の記憶管理を行える。戦闘では自動人形部隊を指揮し、重力レールガンの指揮と弾丸補充を務める。

モイラ2nd(セカンド)
 モイラシリーズ2号機でモイラ3姉妹の次女。
 3rd-G 残党の本拠地の客人を世話をする任にあるが、来る者全てに恐れられ、諦観から表情も言葉も失っていた。しかし月読・京との交流でそれを払拭する。記憶や体調などの生体の機微を感知する能力に長ける。戦闘では精密制御能力を活かして最大8体の武神を同時に遠隔操縦できる。

モイラ3rd(サード)
 モイラシリーズ3号機でモイラ3姉妹の末っ子。
 小柄で言動も幼く、非常にハイテンション。人間の記憶を封印する機能を持ち、モイラ1st と組んで人間の記憶管理を行える。戦闘では主にモイラ1st の補佐につく。

ヴァイオレット
 3rd-G残党の自動人形。本来の名は「13th」で、月読・京の計らいでスミレの名を得た。
 他に比べて能力が劣ることから内向的で遠慮がちな性格だったが、京との交流で前向きになった。ボディとの相性が芳しくないが、逆にそれが特性となって高い戦闘力となる。

ギュエス
 ヘカトンケイルシリーズの生き残り。近接戦闘を担当する。
 一見すると赤いスーツを着た短髪黒髪の女性だが、袖の中に軟質金属の剣を隠し、重力制御でそれを硬化・制御して戦う。また専用の武神を短時間なら遠隔操作できる。当初、月読・京とは衝突したが後に主と認める。モイラ3rd とつるむことが多い。

アイガイオン
 ヘカトンケイルシリーズの生き残り。中距離・広範囲戦闘を担当する。
 常に八百屋の装束をした巨漢。情報収集として日本の八百屋で働くが、そこの家族とは縁が深い。しかし八百屋の人々はアイガイオンが自動人形だとは知らない。

コットス
 ヘカトンケイルシリーズの生き残り。長距離戦闘を担当する。
 概念戦争中にクロノスが完成させた唯一の「自動人形が搭乗した」武神。会話能力が低く、単語の羅列のみで会話を行う。普段は武神同然に格納庫で待機している。

八号(はちごう)
 日本UCAT の神田研究所に所属する3rd-G製自動人形のまとめ役。
 短髪赤毛でオレンジ色の瞳をした泣きぼくろのある侍女。当初は佐山・御言に敵対するが、3rd-G全竜交渉で恭順、大城・一夫の世話役として転属される。戦闘用ではないが、冷静な判断力から優れた戦闘力を持つ。密かに御言を主と慕うが、運切の存在からそれを表立って伝えることはない。

四号(よんごう)
 日本UCAT の神田研究所に所属する3rd-G製自動人形の元代表。金髪の少女の姿をしている。
 概念流出時の起動で他の自動人形と共に蜂起して神田研究所を占拠するが、人間への対応に悩み行動不能になったところを佐山・薫との交渉で解決した。それ以降は薫を主として慕い、薫の死後は薫の孫である佐山・御言が来るのを待っていた。
コメント
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