どもどもみなさま、こんばんは。そうだいでございます。
いやもう、毎日あっぢぃくてあっぢぃくて……これもう、南東北地方も梅雨明けしてんだろ!
私の職場では毎年、市の夏祭りで出店を出してまして、今年は再来週にその祭りがある予定なのですが、今からもう恐ろしくてなんねぇよ……どのくらいの酷暑になりそうなのか、わかったもんじゃねぇや!
というわけで、今年もすでに梅雨明けする前から夏本番が始まっているかのような惨状に突入しているわけなのですが、今回は夏といえばこれ!ということで、ホラー映画の話題といきたいと思います。
いや、ほんとだったら今ごろ、辻村深月先生原作の最新映画『この夏の星を見る』の感想記事でも上げてそうなものだったのですが、なんてったって肝心の映画上映が山形県ではまだなもんなので。しょうがないので別の映画にしちゃうわけです。
この夏のホラー映画といえば、矢口史靖監督の『ドールハウス』(6月公開 主演・長澤まさみ)と、我が『長岡京エイリアン』のホラー映画関連の記事でもしょっちゅうその名が挙がる「1990年代ホラー映画界の女帝」菅野美穂さまがかなり久しぶりにこの業界におもどりになられた、白石晃士監督の『近畿地方のある場所について』(8月8日公開予定)の2作がかなり話題になっているようですね。
どちらの監督さんも、矢口監督は TVのオムニバスドラマ『学校の怪談 春の呪いスペシャル』(2000年)内のエピソード『恐怖心理学入門』(主演・安藤政信)で、白石監督は映画『貞子 vs 伽椰子』(2016年)で日本ホラー史上にその名を残す方々ですから、決して観客の期待を裏切る出来のものにはなっていないでしょう、たぶん……このお二人に限ってそういうことはないでしょうが、近年は「え、お前ほどのビッグネームで、その出来!?」と愕然としてしまう、やたら監督の名前だけ有名なホラー映画まがいがチラホラしていますので、なんか二の足を踏んじゃうのよね。最悪、怖くなくてもいいから、少なくとも鑑賞前より気分が悪くなる映画を作るのだけはやめていただきたい。
『ドールハウス』は、まだ映画館でやってるのかな。ちょっと観に行くタイミングを逸してしまいました。ホラー映画とは関係ないのですが、私は矢口監督の作品といえば、なんてったって『ひみつの花園』(1997年)が大好きで。主演の西田尚美さん(当時27歳)が、失礼ながら今からは想像もつかない程にかわいくてかわいくて! 予算のタイトさを全く隠そうとしないインディーズな姿勢に賛否は別れるかも知れませんが、私は大学生時代に VHSビデオを買って夢中になってました。
そんなわけで今回は、『ドールハウス』ではなく、なぜか10年も前に公開された「ちょっと本線からはずれた」ホラー映画にスポットライトを当ててみたいと思います。
え? なんで今さらこの作品なのかって? そりゃ、このひどい暑さを中条あやみさんの涼しげな美貌で吹っ飛ばしたいからに決まってるでしょうがぁ!! その中条さんも、今や立派な人の妻ってわけよぉ。時の流れを感じますね……
映画『零 ゼロ』(2014年9月公開 105分 角川大映)
『劇場版 零 ゼロ』は、大塚英志によるホラー小説『零 女の子だけがかかる呪い』(2014年8月刊 角川ホラー文庫書き下ろし)を原作とした青春ミステリーホラー映画である。制作と配給は角川書店。興行収入1.2億円。
原作小説の作者である大塚による角川ホラー文庫版のあとがきによると、本作の映画化を前提としたゲーム『零』シリーズの制作スタッフとの打ち合わせの場では、すぐにオーストラリアの幻想映画『ピクニック at ハンギング・ロック』(1975年 監督ピーター=ウィアー)の名が挙がり、そこから「女学校の寄宿舎の物語」や「少女が一人だけ生還する」といった設定が引用されたという。また、同じく寄宿制学校の物語ということで、萩尾望都の少女マンガ『トーマの心臓』(1974年連載)を翻案した青春幻想映画『1999年の夏休み』(1988年 監督・金子修介)や、「同じ演劇を繰り返し上演する」設定として、吉田秋生の少女マンガ『櫻の園』(1985~86年連載)やそれを原作とする映画(1990年版と2008年版の2作あり)のイメージも話題に上ったという。そのため大塚は、ゲーム開発スタッフの心の中に密かにあった、もう一つの『零』を小説化したと語っている。
また大塚は、本作公開日の翌日に発売された『零』シリーズ第5作『零 濡鴉ノ巫女』のテーマが「水」であることから、本作も民俗学者・折口信夫の『水の女』(1927~28年発表)に代表される「神の花嫁」研究を物語の骨子にしたと語っている。
原作小説は、大塚の妻で小説家の白倉由美の文章や、シンガポールのマンガ家フー・スウィ・チンのイラストもイメージ源にして執筆された。角川ホラー文庫版にはフーの挿絵も収録されている。
監督・脚本を務めた安里麻里は、「都会的な女子高生ホラーではない、もうちょっとフィクション度の高いもの」を目指したという。ゲームの『零』シリーズが原作であることについては、「ゲームが持つ特殊な世界観は面白いチャレンジだった」と語り、また「今回の映画は女の子のために作られているような、女の子のためのホラーといってもいい側面があると思う」、「普段ホラーは見ないというような女の子にも見てほしい」と語っている。
本作の内容はゲームの『零』シリーズとは直接の関係は無いが、主人公のミチが使用する小道具などとしてカメラが重要な役割を果たし、作中では二眼レフカメラ型、蛇腹が下開きで縦長方形のフォールディングカメラ型、左開きで横長方形のスプリングカメラ型、観音開きで横長方形のコンパクトカメラ型の4種類のカメラが登場する。
本作の撮影ロケ地には、女学園の外観に明治二十二(1889)年竣工の旧・福島県尋常中学校「安積歴史博物館」(福島県郡山市)、女子寮の外観に明治四十一(1908)年竣工の旧・皇族有栖川宮別邸「天鏡閣」(福島県猪苗代町)、貯水場の場面に1932年竣工の旧・芦山浄水場跡(茨城県水戸市)が使用された。
安積歴史博物館は2022年3月に発生した福島県沖地震で被災したため、2025年7月現在まで休館となっている。
あらすじ
2月10日。ある地方の山の上にある、ミッション系の全寮制女学園。女生徒のカスミは、同級生の中でも最も美しいアヤに憧れを抱いていた。アヤは「午前0時になる千分の一秒前。写真にキスをすれば、同じ呪いにかかる。」と語る。そして写真にキスをした少女は、次々と失踪してしまうのだった。これは神隠しなのか、それともアヤがかけた呪いなのか。女の子だけにかかる呪い、その正体とは……
おもな登場人物
月守 アヤ(つきもり あや)…… 中条 あやみ(17歳)
本作の主人公。女学園の高等科3年生。女学園の中で最も美しいと評判の少女で、周囲からは憧れのカリスマ的存在。卒業間近の2月3日から1週間、寮の部屋に閉じこもってしまう。
風戸 ミチ …… 森川 葵(19歳)
もう1人の主人公。女学園の高等科3年生。写真撮影が趣味で、卒業後に写真家を目指して東京に上京しようか悩んでいる。友人が次々と神隠しに遭ったことを機に、アヤと共に事件の謎に迫る。
鈴森 リサ …… 小島 藤子(20歳)
女学園の高等科3年生。同級生のアヤに憧れる。イツキの親友。好きな色はオレンジ。金持ちの御曹司との見合いの縁談が進んでいる。
菊之辺 イツキ …… 美山 加恋(17歳)
ネイルサロンを開くことを夢見る女学園の高等科3年生の生徒。親友のイツキが憧れているアヤに嫉妬し、生徒達が失踪するのはアヤが呪いをかけたせいだと信じている。
野原 カスミ …… 山谷 花純(17歳)
女学園の高等科3年生。ミチの友人で、アヤに憧れを抱いている。やや内気な性格。卒業後は短大に進学する予定。
藤井 ワカ …… 萩原 みのり(17歳)
女学園の高等科3年生。アイドルになることを夢見るマイペースな生徒。眼鏡をかけている。
リツコ …… ほのか りん(17歳)
女学園の高等科3年生クラスの学級委員長。
麻生 真由美 …… 中村 ゆり(32歳)
女学園の教師を務めるシスター。花の園芸栽培に詳しい。弟で学園の用務員の崇と同部屋で生活している。
麻生 崇 …… 浅香 航大(22歳)
真由美の弟で、女学園の用務員。右足が不自由で常に引きずって歩き、人との会話が苦手で寡黙。園芸栽培が得意である。
メリーさん …… 中越 典子(34歳)
女学園のふもとの町に住んでいる、全身をゴスロリ風衣装でかためてウィッグをつけた女性。女学園の卒業生だと自称しており、彼女が在学していた頃から「午前0時の呪い」の噂は存在していたと語る。遅くとも明治時代から町にある古い写真館の家の娘だったが、現在は写真館は廃業して地元のコンビニに加工パン食品をおろす工場でパート勤務をしている。本名は草薙和美。写真撮影が趣味の小学生の息子・進がいる。
学園長 …… 美保 純(54歳)
全学園生徒70名弱、教員シスター4名のミッション系の全寮制女学園「セイジツ学園(字が不詳)」の学園長。
唐津 九郎(からつ くろう)…… 渡辺 裕也(31歳)
女学園の失踪した生徒5名の葬儀を執り行った業者の、スキンヘッドの男。死体に触るとその死体の声(残留思念)が聞こえる、イタコに近い霊能力を持っている。普段は不愛想だが正義感が強く、困っている人は放っておけない性格。「黒鷺宅配便」と名入れのされた黒塗りのクラシックカーを運転している。
※本作の原作を担当した大塚英志が同じく原作を務めるホラーマンガ『黒鷺死体宅配便』(作画・山崎峰水 2000年から角川書店のマンガ雑誌にて連載中)の主人公で、映像作品に登場したのは本作のみとなる(2025年7月時点)。
槙野 慧子(まきの けいこ)…… 柳生 みゆ(23歳)
唐津と共に葬儀会社で働く、金髪に染めた髪の毛をハーフツインにした女性。アメリカに留学してエンバーミング(遺体衛生保全技術)の資格を取得している。陽気な性格で、アニメキャラのコスプレのような衣服を着ている。
※唐津と同じく『黒鷺死体宅配便』のレギュラーキャラクターで、映像作品に登場したのは本作のみとなる(2025年7月時点)。
≪原作小説と映画版との主な相違点≫
・原作小説の女学園の校名は「聖ルーダン女学園」だが、映画版の女学園は「セイジツ学園(字が不詳)」。
・聖ルーダン女学園は有名大学への進学率の高いお嬢様学校だが、セイジツ学園は大学進学の言及がある卒業生はいない(短大進学か就職)。
・原作小説のミチには、片方の目で霊が見える特殊能力があり、それを嫌って常に左右どちらかの霊が見える方の目に黒い眼帯をつけている(見える目は変わる)が、映画版のミチにその設定はなく物語の途中から両目で霊が見えるようになる。
・原作小説のカスミは高等科3年生クラスの学級副委員長となっているが、映画版ではその設定は言及されない。
・原作小説の女学園のシスターの名前は「鷺宮足穂(さぎのみや たるほ)」だが、映画版では「麻生真由美」となっている(弟の名前はどちらも崇)。
・失踪した生徒たちの遺体の発見される時間的推移と遺体の状況、リサが発見された経緯が、原作小説と映画版とで違う。
・原作小説ではアヤは謹慎の名目で女学園内の聖堂の塔に監禁されていたが、映画版では自主的に寮の自室に引きこもっている。
・原作小説ではメリーさんの本名は「山田和美」だが、映画版では「草薙和美」(息子の名前はどちらも進)。
・原作小説でいう神社が映画版の貯水場、「オフィーリアのアルバム」がメリーさんの実家の写真館の所蔵写真に置き換えられている。
・原作小説ではメリーさんと鷺宮足穂との因縁関係が明らかになるが、映画版ではメリーさんと麻生真由美との関係は全く言及されない。
・原作小説の方が唐津九郎と槙野慧子の出番が多い。2人が乗る車は原作小説ではワゴン車だが、映画版ではクラシックカー。
・原作小説では学級委員長のリツコが重要な役割を果たすが、映画版ではほぼ出番はない。
・原作小説では女学園に伝わる『オフィーリアの歌』の歌詞の内容が重要な意味を持つが、映画版では歌自体は唄われるものの物語には特に関係してこない。
……いや~ほんと、なんで2025年のいま、この作品を取り上げるのでしょうか。
この映画の内容とは気持ちいいまでに一切関連が無いのですが、映画の原作にあたるゲーム版の『零』シリーズについての基本情報も、いちおう載せておきましょう。私、そもそもゲームをコーエーの歴史シミュレーションゲーム以外に全くやった経験がないので、このシリーズもぜんっぜん知らないんですよね……完全なる門外漢であいすみませぬ。
ゲーム『零』シリーズとは
『零(ゼロ)』は、テクモ(現コーエーテクモ)から発売された日本のサバイバルホラーゲーム『零(ゼロ)』(2001年発売)を第1作とするシリーズである。シリーズ全体のブランド名は「 project zero」。
カプコンの『バイオハザード』(1996年)のヒットから始まったサバイバルホラーゲームブームの時流にあった2001年12月に PlayStation 2で第1作『零』が発売され、日本国外版、リメイク、外伝なども含めて数多くシリーズ化され現在に至っている。
シリーズ最大の特徴は、カメラを攻略アイテムや武器にしている点、西洋文化を背景にしたホラーゲームが多かった中で日本の文化もしくは和洋折衷の世界観にした点、幽霊や心霊現象による恐怖を演出している点などであり、映画『リング』(1998年公開)が火付け役となった Jホラーブームの時流に重なっていた。シリーズのソフト累計発売本数は、2014年時点で130万本。
正統シリーズの第1作『零』、第2作『零 紅い蝶』(2003年)、第3作『零 刺青ノ聲』(2005年)、第4作『零 月蝕の仮面』(2008年)、第5作『零 濡鴉ノ巫女』(2014年)の5作品は、内容はそれぞれで独立しているが、登場人物の設定を中心に世界観や時間軸が繋がっている。
時代設定は『零』が1986年、『紅い蝶』が1988年夏、『刺青ノ聲』が1988年12月、『濡鴉ノ巫女』が2000年前後となっている。『月蝕の仮面』は1980年代とされているのみで正確な時系列関係は不明である。
正統シリーズ5作の他に、外伝作品として2012年にホラーゲーム『心霊カメラ 憑いてる手帳』(ニンテンドー3DS )が発売されている。シリーズの中では第4作『月蝕の仮面』の次に制作されたが、AR技術やジャイロセンサーなど3DS 本体の機能を駆使した作品となっている。
ゲーム以外のメディアミックスとしては、2004年7月にゲーム第2作『零 紅い蝶』を基にしたテーマパーク向けホラーアトラクション『4D 零』、2014年には大塚英志の小説『零 女の子だけがかかる呪い』を原作としたホラー映画『零 ゼロ』、ホラーマンガ『零 影巫女』、2021年12月に第1作『零』を基にしたホラーアトラクション『デリバリーお化け屋敷 絶叫救急車 Ver.零』などが展開された。
……とまぁ、こういう感じですので、どうやら「少女が主人公」、「日本が舞台」、「カメラが重要なアイテムになる」という要素くらいしかゲーム版と映画版との間には関連性がないようです。なお、ゲーム版シリーズには共通して「麻生」という姓のキャラクターが登場するのだそうで、その点、映画版でも重要なキャラクターに麻生姓の人物がいるので、なにかしらのにおわせはあるのかも知れません。
私みたいなゲーム版に全く疎い人間にとっては、映画を観ている最中に知らない要素が出てきて混乱してしまうおそれがまるで無かったので、ありがたいっちゃありがたかったのですが、それって正直、この映画が『零』を標榜する意味合いが希薄ということなのでは……これ、ゲーム版のファンの方々にとってはどうなの!? まぁ、中途半端に各方面に色目をつかった結果、『ドラゴンボール エボリューション』みたいなどの層からも支持されない激甚災害を生むよりはマシなのかな。
映画版はおそらく、私のようにゲーム版のことを全く知らない客層も取り込むために、可能な限りゲーム版に依拠しない内容にしたのでしょうが、そうなると、そもそもこの映画が『零』である意味が限りなくゼロに近づいてしまうという、この狂おしいほどのアンビバレンツ……いちおう、この映画単体で見ても「午前零時の呪い」というオリジナル要素があるのでタイトルが『零』な理由はついているように見えるのですが、実際に観てみると、女学園内の真夜中の呪いの儀式のくだりが関わるのは映画の真ん中くらいまでで、それも実は生徒たちの連続失踪事件の真相とはさほど関係が無いブラフだったという肩透かしで終わってしまうので、そんなに題名にするほど『零』かぁ?という消化不良感が残ってしまいます。かといって、大塚さんの小説版のサブタイトル『女の子だけがかかる呪い』のほうがいいのかというと……こっちもこっちで女性層向けの作品にしてはセンスが、ねぇ。オヤジですよね。
そいでもって、基本情報で字数もすでにだいぶかさんでしまいましたので、ちゃっちゃとこの作品を観た感想を述べてしまいたいのですが、
ぜんぜん怖くない……最初から最後まで「ジャンルが違うんで怖さで勝負してません」という言い訳がみなぎる、雰囲気映画ぞこない
ということになりますでしょうか。言い方が非常に厳しくなってしまい申し訳ないのですが、ほんとにそんな感じなんですよ。ホラー映画としての腰が引けまくり! トム=サヴィーニ御大の爪の垢(ちょっぴりスパイシー)でも煎じて飲めい!!
う~む。この映画、そもそも本編を観る前に基本情報を調べてみた時点で、原作者の大塚さんが『ピクニック at ハンギング・ロック』とか『1999年の夏休み』とかいうものすごい先人たちの名を挙げてるし、監督は監督で「普段ホラーは見ないというような女の子にも見てほしい」とかのたまってるしで、なんか「ホラー映画として見ないでください」って主張してる感が強いんですよね。それで実際に観てみたら、ああいう感じでしょう?
ジャンルとして相当に難物な、監督の映像センスと俳優さんがたの高レベルで繊細な演技力が要求される「そっち方面」をあえて狙うという、その志の高さは買いたいのですが、それ、大ヒットしたホラーゲームの満を持しての実写映画化でやるべき企画かな!? 『零』シリーズのファンからしたら、よそでやっとくれって感じですよね。
そもそも、大塚さんは「ゲーム版の制作スタッフと話してるうちにこの方向性の物語が引き出せた」と、意地悪に見れば責任逃れみたいな発言もしているようなのですが、これが本当だとしたら、それってゲームスタッフが無意識のうちに「これをゲームにしたって売れないよな」とボツにしていた構想を拾ったってことじゃないですか。いやいや、そんなぐだぐだな材料で映画作っていいのかね……ま、実際に映画になっちゃったから、いいのか。
とにもかくにも、この映画はホラー映画なんだかファンタジー映画なんだかわかんない出来の作品になっていまして、いちおう青春ファンタジーとして観れば、なんてったって当時17歳の中条あやみさんの美貌を眺めてるだけである程度は満足できるし、福島県の2つの明治建築を外観に展開されるロケーションも素敵な作品となっています。今どきからすれば「105分」という上映時間も良心的ですよね。短くは感じませんが。
ただその、やっぱり「ホラー映画」とか「『零』シリーズの映画化作品」として観てしまうと、厳しいところはあるんじゃないかなぁ。ネット上の評判がわりと賛否はっきり分かれてしまっているのは、この作品を「何として観るのか」という観客の想定によって左右するところが大きいからなのではないでしょうか。
ただ、これだけははっきりと言えるのですが、この作品は「ホラー」、「ファンタジー」、「旬のアイドル青春もの」、どの方面においても「この作品でしか味わえない」という突出したなにかを持った作品にはなりえていません。ジャンルを一本に絞らずに逃げ道を作った。そのぐらぐらした姿勢のぶれが、全方位に詰めの甘さを残してしまう「器用貧乏」さ、いわば「多角的じゃなく無角的」の典型のような仕上がりを生んでしまったのではないでしょうか。あまい、丸美屋プリキュアカレーなみに甘い!!
映画本編を最初から観ていって、他記事でやってる視聴メモのようにひとつひとつ気になるポイントを挙げていってもいいのですが、なんてったって2014年の、さほど話題にもならなかった映画を克明に追ったところでどうなんだという気もしますし、ましてや記事を前後編に分ける気にもなりませんので、非常にざっくりとではありますが、本作の詰めの甘さを象徴するような点をいくつか例示していきたいと思います。問題は他にももっといっぱいあるのですが、ほんとにちょっとだけ、かいつまんで!
〇中条あやみさんの小顔が、他キャストにとってかなりキツい
これはアイドル映画として決して無視できない問題ですね。要するに、中条さんが異次元に小顔すぎるので、それ以外の十二分に美人であるはずの共演者の皆さんのスタイルが、相対的にふつうに見えてしまうのです。
特に同級生役の小島藤子さんなんか、私も大好きなのですが、中条さんと並んでしまうと、なんとも難しいんですよね。中条さんにとっても不憫な話なのですが、この映画に出演して得をする女優さんが中条さん以外にいないという焼け野原な惨状が実に哀しいです……雑誌『 Seventeen』大人気モデルの競演という大看板を打ち出したアイドル映画なはずなのに、暗めな画面設計なうえに中条さん一強だから、なんだか寂しいんですよ!
中条さんとダブル主演の森川葵さんも、やたらびっくりしたり呆然としたりする演技だらけで髪の毛もベリーショートだから、なんだか息つぎ穴から出てきたところをホッキョクグマに狩られる瞬間のアザラシみたいな表情ばっかりだし。
ただ単体でかわいい女の子を集めたらいいって話じゃないんですね。大切なのは、並んだ時の見た目のバランスなんだなぁ。
〇監督の「引きショット多用癖」がホラーの雰囲気を致命的にそいでしまう
具体的に言うと、中条さんが「冬枯れの沼の水面を歩いてくる」シーンと、「女学園の礼拝堂で天井から舞い降りて来る」シーンで、この作品の監督は、中条さんとそれを見て驚愕する人物の背中を丸ごと客観視する引き画面のショットを入れるのですが、これが驚くほど観客を「なんだ、ただ中条さんが来るだけじゃん。」と冷静に醒めさせてしまう逆効果を生んでしまうのです。人間が水面の上を歩いてきたり上空からふわ~と降りて来る現象は確かに超常的な現象ではあるのですが、その人間が学生服を着た華奢な少女であるという現実もまた、引きショットは平等に説明してしまうので、怖くもなんともなくなってしまうのです。中条さんだし、画としては美しいのかも知れませんが、なんだかこういう引きの画って、目の前で起きている異常現象に全く感情を揺さぶられない誰かが冷め切った視線で離れた場所から見ているようで、共感もへったくれもなくなっちゃうんですよ。
別に美術館で絵を見てるんじゃないんですから……お話を楽しもうとしてくれてるお客さんを突き放すのはやめてほしいですよね。
〇音楽がひどい……メインテーマが『サスペリア』そっくり
映画音楽がまるで無個性で、どのシーンでも全く印象に残らないのですが、ほうぼうの重要なシーンで意味ありげに流れるオルゴールみたいな曲が、女学園ものホラー映画の世界的な超有名作『サスペリア』(1977年)のメインテーマと瓜二つなのは、オマージュを軽く通り越して、もはや YouTubeかなんかの著作権対策でちょちょいっといじって作ったフリー音楽のようで安っぽいこと山のごとし! 流れるたびに「もうちょっと自分で工夫しろや!」という気分になってしまいます。また、よりにもよって『サスペリア』とは……いろんな大先輩にケンカ売ってんな!!
〇ゲーム版に関連は薄いくせに、全く無関係な作品のキャラがしゃしゃり出てくる
これ、原作者の大塚さんが別で原作を務めているマンガ『黒鷺死体宅配便』の主要キャラ2人が、後半にかなり重要な役回りでゲスト出演してくることを言ってるんですけどね……
いや、これゲーム『零』シリーズの映画化作品ですからね? それなのに、ゲーム版のキャラをさしおいて別作品のキャラが出てくるって、それ……やって誰が喜ぶの?
百歩譲って、すでに『黒鷺死体宅配便』のほうが映画か TVで実写映像化されていて、そこに出ていたキャストがカメオ出演するとかっていう話ならば、それでも『零』シリーズのファンにとっては甚だ迷惑な話ですがありえそうな話ではあります。角川だし。
でも、この場合はそれですらないんですよ……そんなん、本筋のマンガの実写化もまだないのによそさまの世界に突然出てくるんですから、『黒鷺死体宅配便』のファンの方々だって呆れかえりますよね。
ほんとに、これ誰が喜ぶんだ……? 大塚さんのファンか? 大塚さんのファンにしたって、こんな筋の通らないことを「お遊びなんだから、そんな怒らないでよ。」みたいな顔して押し通す奴のファンだなんて、恥ずかしくてよそ様に言えなくなっちゃいますよね。
いやはやこの世の中に、これほどまで観客が喜ぶビジョンが見えないゲスト出演があったとは……ま、そのゲスト出演したキャラを演じた2人のうちのひとりが、後に『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』で準レギュラー出演されていた柳生みゆさんだし、このくらいにしときましょ。
ほんと、誰か止める人はいなかったのか?
〇中越典子さん演じるメリーさんのキャラがぶれっぶれ
これは言うまでもなく、中越典子さんの演技力に難があると言いたいのではありません。ともかく、登場するシーンごとにメリーさんの人格と情緒が別人みたいに違っているのです。
だいたい、このメリーさんのように、妙齢であるのにも関わらずしょっちゅうゴスロリ衣装に厚化粧をして町中を闊歩している人物って、なにかしら生活感のない、人間らしさを超越した「道化(トリックスター)」であり「越境者」であり、物語を終結へ導く「デウスエクスマキナ」にもなりえる存在だと思うのですが、そんなメリーさんが、ふつうに化粧を落として町のパン工場でパート勤めをして息子をちゃんと養ってるとか……どんな算段があって、そんな冷や水ぶっかけな舞台裏暴露をしちゃってるんでしょうか。せっかく作ったメリーさんの設定を、「単にそういうコスプレ趣味もある常識的な市民」におとしめてるだけなんじゃないの? いや、それはもったいないっつうか……じゃ、なんのためにメリーさんを用意した!?
さらに、メリーさんは女学園のふもとの町に昔からある写真館の娘で、その素性が話の本筋にも関わってはくるのですが、それがなおさらメリーさんの浮遊性を地上に引きずり落とす効果も生んでしまうので、イメージ元になったと思われる実在の怪人「横浜のメリーさん」の足元にも及ばないフツー感にまみれてしまうんですよね。
ある時は天衣無縫なコスプレおばさん(失礼ながら)、ある時は休憩スペースで疲れた表情で俯くパート主婦、またある時は息子を堅実に育て上げている母さん……こう書くと面白いキャラのようなのですが、主人公じゃないんでね。そのすべてが脈絡なくシーンごとにぶつ切りになってしまっているのです。
うーん、これにはさすがの中越さんもお手上げでしたかね。ちゃんとキャラに血を通わせない作者の責任を、俳優さんに放り投げないでほしいですよね。
とまぁ、その他にもいろいろ申したいことはあるのですが、それでも、繰り返しますが中条あやみさんの若き日のかんばせをぼんやり鑑賞するぶんには全く問題ない作品でありますので、お好きな方はどうぞ、という感じで。私としては、中条さんの魅力の源泉だと確信している部分がばっちり画面に収められているカットもありましたので、特にその点に関して不満はございません。ほら、冬の福島が撮影の舞台だから、観ていて十二分に涼しくなれるし。
それ以外にも、「ノーハンドで顔からきれいにぶっ倒れる、森川さん入魂の失神アクション」とか、「水中にただよう少女が一瞬で中条さんに成長する CG演出」とか、はっとさせられるカットはあったので、中古で DVDを購入した甲斐はあったかな、と感じております。
あぁ! あと、この映画でロケに使われていた安積歴史博物館って、2022年の地震のせいで閉鎖中なんでしょ!? そうなっちゃうと、今となっては、その端整なたたずまいをふんだんにカメラに収めた本作も史料的な価値が出てきちゃうのかもしんない。そうならないように、一日も早く復旧再公開していただきたいものですが。再開したら絶対に行きます、安積歴史博物館!
うら若き17歳だった中条さんもそうですが、映画制作時にはあって当たり前だったものはすぐに失われ、いつしかフィルムの中にしか残っていないものになっていくんですねい。しみじみ!
私も、一日一日の出逢いを大切に感じて生きていこう! 分不相応にしゃしゃり出ることなかれ……本日の教訓ヨ!!
いやもう、毎日あっぢぃくてあっぢぃくて……これもう、南東北地方も梅雨明けしてんだろ!
私の職場では毎年、市の夏祭りで出店を出してまして、今年は再来週にその祭りがある予定なのですが、今からもう恐ろしくてなんねぇよ……どのくらいの酷暑になりそうなのか、わかったもんじゃねぇや!
というわけで、今年もすでに梅雨明けする前から夏本番が始まっているかのような惨状に突入しているわけなのですが、今回は夏といえばこれ!ということで、ホラー映画の話題といきたいと思います。
いや、ほんとだったら今ごろ、辻村深月先生原作の最新映画『この夏の星を見る』の感想記事でも上げてそうなものだったのですが、なんてったって肝心の映画上映が山形県ではまだなもんなので。しょうがないので別の映画にしちゃうわけです。
この夏のホラー映画といえば、矢口史靖監督の『ドールハウス』(6月公開 主演・長澤まさみ)と、我が『長岡京エイリアン』のホラー映画関連の記事でもしょっちゅうその名が挙がる「1990年代ホラー映画界の女帝」菅野美穂さまがかなり久しぶりにこの業界におもどりになられた、白石晃士監督の『近畿地方のある場所について』(8月8日公開予定)の2作がかなり話題になっているようですね。
どちらの監督さんも、矢口監督は TVのオムニバスドラマ『学校の怪談 春の呪いスペシャル』(2000年)内のエピソード『恐怖心理学入門』(主演・安藤政信)で、白石監督は映画『貞子 vs 伽椰子』(2016年)で日本ホラー史上にその名を残す方々ですから、決して観客の期待を裏切る出来のものにはなっていないでしょう、たぶん……このお二人に限ってそういうことはないでしょうが、近年は「え、お前ほどのビッグネームで、その出来!?」と愕然としてしまう、やたら監督の名前だけ有名なホラー映画まがいがチラホラしていますので、なんか二の足を踏んじゃうのよね。最悪、怖くなくてもいいから、少なくとも鑑賞前より気分が悪くなる映画を作るのだけはやめていただきたい。
『ドールハウス』は、まだ映画館でやってるのかな。ちょっと観に行くタイミングを逸してしまいました。ホラー映画とは関係ないのですが、私は矢口監督の作品といえば、なんてったって『ひみつの花園』(1997年)が大好きで。主演の西田尚美さん(当時27歳)が、失礼ながら今からは想像もつかない程にかわいくてかわいくて! 予算のタイトさを全く隠そうとしないインディーズな姿勢に賛否は別れるかも知れませんが、私は大学生時代に VHSビデオを買って夢中になってました。
そんなわけで今回は、『ドールハウス』ではなく、なぜか10年も前に公開された「ちょっと本線からはずれた」ホラー映画にスポットライトを当ててみたいと思います。
え? なんで今さらこの作品なのかって? そりゃ、このひどい暑さを中条あやみさんの涼しげな美貌で吹っ飛ばしたいからに決まってるでしょうがぁ!! その中条さんも、今や立派な人の妻ってわけよぉ。時の流れを感じますね……
映画『零 ゼロ』(2014年9月公開 105分 角川大映)
『劇場版 零 ゼロ』は、大塚英志によるホラー小説『零 女の子だけがかかる呪い』(2014年8月刊 角川ホラー文庫書き下ろし)を原作とした青春ミステリーホラー映画である。制作と配給は角川書店。興行収入1.2億円。
原作小説の作者である大塚による角川ホラー文庫版のあとがきによると、本作の映画化を前提としたゲーム『零』シリーズの制作スタッフとの打ち合わせの場では、すぐにオーストラリアの幻想映画『ピクニック at ハンギング・ロック』(1975年 監督ピーター=ウィアー)の名が挙がり、そこから「女学校の寄宿舎の物語」や「少女が一人だけ生還する」といった設定が引用されたという。また、同じく寄宿制学校の物語ということで、萩尾望都の少女マンガ『トーマの心臓』(1974年連載)を翻案した青春幻想映画『1999年の夏休み』(1988年 監督・金子修介)や、「同じ演劇を繰り返し上演する」設定として、吉田秋生の少女マンガ『櫻の園』(1985~86年連載)やそれを原作とする映画(1990年版と2008年版の2作あり)のイメージも話題に上ったという。そのため大塚は、ゲーム開発スタッフの心の中に密かにあった、もう一つの『零』を小説化したと語っている。
また大塚は、本作公開日の翌日に発売された『零』シリーズ第5作『零 濡鴉ノ巫女』のテーマが「水」であることから、本作も民俗学者・折口信夫の『水の女』(1927~28年発表)に代表される「神の花嫁」研究を物語の骨子にしたと語っている。
原作小説は、大塚の妻で小説家の白倉由美の文章や、シンガポールのマンガ家フー・スウィ・チンのイラストもイメージ源にして執筆された。角川ホラー文庫版にはフーの挿絵も収録されている。
監督・脚本を務めた安里麻里は、「都会的な女子高生ホラーではない、もうちょっとフィクション度の高いもの」を目指したという。ゲームの『零』シリーズが原作であることについては、「ゲームが持つ特殊な世界観は面白いチャレンジだった」と語り、また「今回の映画は女の子のために作られているような、女の子のためのホラーといってもいい側面があると思う」、「普段ホラーは見ないというような女の子にも見てほしい」と語っている。
本作の内容はゲームの『零』シリーズとは直接の関係は無いが、主人公のミチが使用する小道具などとしてカメラが重要な役割を果たし、作中では二眼レフカメラ型、蛇腹が下開きで縦長方形のフォールディングカメラ型、左開きで横長方形のスプリングカメラ型、観音開きで横長方形のコンパクトカメラ型の4種類のカメラが登場する。
本作の撮影ロケ地には、女学園の外観に明治二十二(1889)年竣工の旧・福島県尋常中学校「安積歴史博物館」(福島県郡山市)、女子寮の外観に明治四十一(1908)年竣工の旧・皇族有栖川宮別邸「天鏡閣」(福島県猪苗代町)、貯水場の場面に1932年竣工の旧・芦山浄水場跡(茨城県水戸市)が使用された。
安積歴史博物館は2022年3月に発生した福島県沖地震で被災したため、2025年7月現在まで休館となっている。
あらすじ
2月10日。ある地方の山の上にある、ミッション系の全寮制女学園。女生徒のカスミは、同級生の中でも最も美しいアヤに憧れを抱いていた。アヤは「午前0時になる千分の一秒前。写真にキスをすれば、同じ呪いにかかる。」と語る。そして写真にキスをした少女は、次々と失踪してしまうのだった。これは神隠しなのか、それともアヤがかけた呪いなのか。女の子だけにかかる呪い、その正体とは……
おもな登場人物
月守 アヤ(つきもり あや)…… 中条 あやみ(17歳)
本作の主人公。女学園の高等科3年生。女学園の中で最も美しいと評判の少女で、周囲からは憧れのカリスマ的存在。卒業間近の2月3日から1週間、寮の部屋に閉じこもってしまう。
風戸 ミチ …… 森川 葵(19歳)
もう1人の主人公。女学園の高等科3年生。写真撮影が趣味で、卒業後に写真家を目指して東京に上京しようか悩んでいる。友人が次々と神隠しに遭ったことを機に、アヤと共に事件の謎に迫る。
鈴森 リサ …… 小島 藤子(20歳)
女学園の高等科3年生。同級生のアヤに憧れる。イツキの親友。好きな色はオレンジ。金持ちの御曹司との見合いの縁談が進んでいる。
菊之辺 イツキ …… 美山 加恋(17歳)
ネイルサロンを開くことを夢見る女学園の高等科3年生の生徒。親友のイツキが憧れているアヤに嫉妬し、生徒達が失踪するのはアヤが呪いをかけたせいだと信じている。
野原 カスミ …… 山谷 花純(17歳)
女学園の高等科3年生。ミチの友人で、アヤに憧れを抱いている。やや内気な性格。卒業後は短大に進学する予定。
藤井 ワカ …… 萩原 みのり(17歳)
女学園の高等科3年生。アイドルになることを夢見るマイペースな生徒。眼鏡をかけている。
リツコ …… ほのか りん(17歳)
女学園の高等科3年生クラスの学級委員長。
麻生 真由美 …… 中村 ゆり(32歳)
女学園の教師を務めるシスター。花の園芸栽培に詳しい。弟で学園の用務員の崇と同部屋で生活している。
麻生 崇 …… 浅香 航大(22歳)
真由美の弟で、女学園の用務員。右足が不自由で常に引きずって歩き、人との会話が苦手で寡黙。園芸栽培が得意である。
メリーさん …… 中越 典子(34歳)
女学園のふもとの町に住んでいる、全身をゴスロリ風衣装でかためてウィッグをつけた女性。女学園の卒業生だと自称しており、彼女が在学していた頃から「午前0時の呪い」の噂は存在していたと語る。遅くとも明治時代から町にある古い写真館の家の娘だったが、現在は写真館は廃業して地元のコンビニに加工パン食品をおろす工場でパート勤務をしている。本名は草薙和美。写真撮影が趣味の小学生の息子・進がいる。
学園長 …… 美保 純(54歳)
全学園生徒70名弱、教員シスター4名のミッション系の全寮制女学園「セイジツ学園(字が不詳)」の学園長。
唐津 九郎(からつ くろう)…… 渡辺 裕也(31歳)
女学園の失踪した生徒5名の葬儀を執り行った業者の、スキンヘッドの男。死体に触るとその死体の声(残留思念)が聞こえる、イタコに近い霊能力を持っている。普段は不愛想だが正義感が強く、困っている人は放っておけない性格。「黒鷺宅配便」と名入れのされた黒塗りのクラシックカーを運転している。
※本作の原作を担当した大塚英志が同じく原作を務めるホラーマンガ『黒鷺死体宅配便』(作画・山崎峰水 2000年から角川書店のマンガ雑誌にて連載中)の主人公で、映像作品に登場したのは本作のみとなる(2025年7月時点)。
槙野 慧子(まきの けいこ)…… 柳生 みゆ(23歳)
唐津と共に葬儀会社で働く、金髪に染めた髪の毛をハーフツインにした女性。アメリカに留学してエンバーミング(遺体衛生保全技術)の資格を取得している。陽気な性格で、アニメキャラのコスプレのような衣服を着ている。
※唐津と同じく『黒鷺死体宅配便』のレギュラーキャラクターで、映像作品に登場したのは本作のみとなる(2025年7月時点)。
≪原作小説と映画版との主な相違点≫
・原作小説の女学園の校名は「聖ルーダン女学園」だが、映画版の女学園は「セイジツ学園(字が不詳)」。
・聖ルーダン女学園は有名大学への進学率の高いお嬢様学校だが、セイジツ学園は大学進学の言及がある卒業生はいない(短大進学か就職)。
・原作小説のミチには、片方の目で霊が見える特殊能力があり、それを嫌って常に左右どちらかの霊が見える方の目に黒い眼帯をつけている(見える目は変わる)が、映画版のミチにその設定はなく物語の途中から両目で霊が見えるようになる。
・原作小説のカスミは高等科3年生クラスの学級副委員長となっているが、映画版ではその設定は言及されない。
・原作小説の女学園のシスターの名前は「鷺宮足穂(さぎのみや たるほ)」だが、映画版では「麻生真由美」となっている(弟の名前はどちらも崇)。
・失踪した生徒たちの遺体の発見される時間的推移と遺体の状況、リサが発見された経緯が、原作小説と映画版とで違う。
・原作小説ではアヤは謹慎の名目で女学園内の聖堂の塔に監禁されていたが、映画版では自主的に寮の自室に引きこもっている。
・原作小説ではメリーさんの本名は「山田和美」だが、映画版では「草薙和美」(息子の名前はどちらも進)。
・原作小説でいう神社が映画版の貯水場、「オフィーリアのアルバム」がメリーさんの実家の写真館の所蔵写真に置き換えられている。
・原作小説ではメリーさんと鷺宮足穂との因縁関係が明らかになるが、映画版ではメリーさんと麻生真由美との関係は全く言及されない。
・原作小説の方が唐津九郎と槙野慧子の出番が多い。2人が乗る車は原作小説ではワゴン車だが、映画版ではクラシックカー。
・原作小説では学級委員長のリツコが重要な役割を果たすが、映画版ではほぼ出番はない。
・原作小説では女学園に伝わる『オフィーリアの歌』の歌詞の内容が重要な意味を持つが、映画版では歌自体は唄われるものの物語には特に関係してこない。
……いや~ほんと、なんで2025年のいま、この作品を取り上げるのでしょうか。
この映画の内容とは気持ちいいまでに一切関連が無いのですが、映画の原作にあたるゲーム版の『零』シリーズについての基本情報も、いちおう載せておきましょう。私、そもそもゲームをコーエーの歴史シミュレーションゲーム以外に全くやった経験がないので、このシリーズもぜんっぜん知らないんですよね……完全なる門外漢であいすみませぬ。
ゲーム『零』シリーズとは
『零(ゼロ)』は、テクモ(現コーエーテクモ)から発売された日本のサバイバルホラーゲーム『零(ゼロ)』(2001年発売)を第1作とするシリーズである。シリーズ全体のブランド名は「 project zero」。
カプコンの『バイオハザード』(1996年)のヒットから始まったサバイバルホラーゲームブームの時流にあった2001年12月に PlayStation 2で第1作『零』が発売され、日本国外版、リメイク、外伝なども含めて数多くシリーズ化され現在に至っている。
シリーズ最大の特徴は、カメラを攻略アイテムや武器にしている点、西洋文化を背景にしたホラーゲームが多かった中で日本の文化もしくは和洋折衷の世界観にした点、幽霊や心霊現象による恐怖を演出している点などであり、映画『リング』(1998年公開)が火付け役となった Jホラーブームの時流に重なっていた。シリーズのソフト累計発売本数は、2014年時点で130万本。
正統シリーズの第1作『零』、第2作『零 紅い蝶』(2003年)、第3作『零 刺青ノ聲』(2005年)、第4作『零 月蝕の仮面』(2008年)、第5作『零 濡鴉ノ巫女』(2014年)の5作品は、内容はそれぞれで独立しているが、登場人物の設定を中心に世界観や時間軸が繋がっている。
時代設定は『零』が1986年、『紅い蝶』が1988年夏、『刺青ノ聲』が1988年12月、『濡鴉ノ巫女』が2000年前後となっている。『月蝕の仮面』は1980年代とされているのみで正確な時系列関係は不明である。
正統シリーズ5作の他に、外伝作品として2012年にホラーゲーム『心霊カメラ 憑いてる手帳』(ニンテンドー3DS )が発売されている。シリーズの中では第4作『月蝕の仮面』の次に制作されたが、AR技術やジャイロセンサーなど3DS 本体の機能を駆使した作品となっている。
ゲーム以外のメディアミックスとしては、2004年7月にゲーム第2作『零 紅い蝶』を基にしたテーマパーク向けホラーアトラクション『4D 零』、2014年には大塚英志の小説『零 女の子だけがかかる呪い』を原作としたホラー映画『零 ゼロ』、ホラーマンガ『零 影巫女』、2021年12月に第1作『零』を基にしたホラーアトラクション『デリバリーお化け屋敷 絶叫救急車 Ver.零』などが展開された。
……とまぁ、こういう感じですので、どうやら「少女が主人公」、「日本が舞台」、「カメラが重要なアイテムになる」という要素くらいしかゲーム版と映画版との間には関連性がないようです。なお、ゲーム版シリーズには共通して「麻生」という姓のキャラクターが登場するのだそうで、その点、映画版でも重要なキャラクターに麻生姓の人物がいるので、なにかしらのにおわせはあるのかも知れません。
私みたいなゲーム版に全く疎い人間にとっては、映画を観ている最中に知らない要素が出てきて混乱してしまうおそれがまるで無かったので、ありがたいっちゃありがたかったのですが、それって正直、この映画が『零』を標榜する意味合いが希薄ということなのでは……これ、ゲーム版のファンの方々にとってはどうなの!? まぁ、中途半端に各方面に色目をつかった結果、『ドラゴンボール エボリューション』みたいなどの層からも支持されない激甚災害を生むよりはマシなのかな。
映画版はおそらく、私のようにゲーム版のことを全く知らない客層も取り込むために、可能な限りゲーム版に依拠しない内容にしたのでしょうが、そうなると、そもそもこの映画が『零』である意味が限りなくゼロに近づいてしまうという、この狂おしいほどのアンビバレンツ……いちおう、この映画単体で見ても「午前零時の呪い」というオリジナル要素があるのでタイトルが『零』な理由はついているように見えるのですが、実際に観てみると、女学園内の真夜中の呪いの儀式のくだりが関わるのは映画の真ん中くらいまでで、それも実は生徒たちの連続失踪事件の真相とはさほど関係が無いブラフだったという肩透かしで終わってしまうので、そんなに題名にするほど『零』かぁ?という消化不良感が残ってしまいます。かといって、大塚さんの小説版のサブタイトル『女の子だけがかかる呪い』のほうがいいのかというと……こっちもこっちで女性層向けの作品にしてはセンスが、ねぇ。オヤジですよね。
そいでもって、基本情報で字数もすでにだいぶかさんでしまいましたので、ちゃっちゃとこの作品を観た感想を述べてしまいたいのですが、
ぜんぜん怖くない……最初から最後まで「ジャンルが違うんで怖さで勝負してません」という言い訳がみなぎる、雰囲気映画ぞこない
ということになりますでしょうか。言い方が非常に厳しくなってしまい申し訳ないのですが、ほんとにそんな感じなんですよ。ホラー映画としての腰が引けまくり! トム=サヴィーニ御大の爪の垢(ちょっぴりスパイシー)でも煎じて飲めい!!
う~む。この映画、そもそも本編を観る前に基本情報を調べてみた時点で、原作者の大塚さんが『ピクニック at ハンギング・ロック』とか『1999年の夏休み』とかいうものすごい先人たちの名を挙げてるし、監督は監督で「普段ホラーは見ないというような女の子にも見てほしい」とかのたまってるしで、なんか「ホラー映画として見ないでください」って主張してる感が強いんですよね。それで実際に観てみたら、ああいう感じでしょう?
ジャンルとして相当に難物な、監督の映像センスと俳優さんがたの高レベルで繊細な演技力が要求される「そっち方面」をあえて狙うという、その志の高さは買いたいのですが、それ、大ヒットしたホラーゲームの満を持しての実写映画化でやるべき企画かな!? 『零』シリーズのファンからしたら、よそでやっとくれって感じですよね。
そもそも、大塚さんは「ゲーム版の制作スタッフと話してるうちにこの方向性の物語が引き出せた」と、意地悪に見れば責任逃れみたいな発言もしているようなのですが、これが本当だとしたら、それってゲームスタッフが無意識のうちに「これをゲームにしたって売れないよな」とボツにしていた構想を拾ったってことじゃないですか。いやいや、そんなぐだぐだな材料で映画作っていいのかね……ま、実際に映画になっちゃったから、いいのか。
とにもかくにも、この映画はホラー映画なんだかファンタジー映画なんだかわかんない出来の作品になっていまして、いちおう青春ファンタジーとして観れば、なんてったって当時17歳の中条あやみさんの美貌を眺めてるだけである程度は満足できるし、福島県の2つの明治建築を外観に展開されるロケーションも素敵な作品となっています。今どきからすれば「105分」という上映時間も良心的ですよね。短くは感じませんが。
ただその、やっぱり「ホラー映画」とか「『零』シリーズの映画化作品」として観てしまうと、厳しいところはあるんじゃないかなぁ。ネット上の評判がわりと賛否はっきり分かれてしまっているのは、この作品を「何として観るのか」という観客の想定によって左右するところが大きいからなのではないでしょうか。
ただ、これだけははっきりと言えるのですが、この作品は「ホラー」、「ファンタジー」、「旬のアイドル青春もの」、どの方面においても「この作品でしか味わえない」という突出したなにかを持った作品にはなりえていません。ジャンルを一本に絞らずに逃げ道を作った。そのぐらぐらした姿勢のぶれが、全方位に詰めの甘さを残してしまう「器用貧乏」さ、いわば「多角的じゃなく無角的」の典型のような仕上がりを生んでしまったのではないでしょうか。あまい、丸美屋プリキュアカレーなみに甘い!!
映画本編を最初から観ていって、他記事でやってる視聴メモのようにひとつひとつ気になるポイントを挙げていってもいいのですが、なんてったって2014年の、さほど話題にもならなかった映画を克明に追ったところでどうなんだという気もしますし、ましてや記事を前後編に分ける気にもなりませんので、非常にざっくりとではありますが、本作の詰めの甘さを象徴するような点をいくつか例示していきたいと思います。問題は他にももっといっぱいあるのですが、ほんとにちょっとだけ、かいつまんで!
〇中条あやみさんの小顔が、他キャストにとってかなりキツい
これはアイドル映画として決して無視できない問題ですね。要するに、中条さんが異次元に小顔すぎるので、それ以外の十二分に美人であるはずの共演者の皆さんのスタイルが、相対的にふつうに見えてしまうのです。
特に同級生役の小島藤子さんなんか、私も大好きなのですが、中条さんと並んでしまうと、なんとも難しいんですよね。中条さんにとっても不憫な話なのですが、この映画に出演して得をする女優さんが中条さん以外にいないという焼け野原な惨状が実に哀しいです……雑誌『 Seventeen』大人気モデルの競演という大看板を打ち出したアイドル映画なはずなのに、暗めな画面設計なうえに中条さん一強だから、なんだか寂しいんですよ!
中条さんとダブル主演の森川葵さんも、やたらびっくりしたり呆然としたりする演技だらけで髪の毛もベリーショートだから、なんだか息つぎ穴から出てきたところをホッキョクグマに狩られる瞬間のアザラシみたいな表情ばっかりだし。
ただ単体でかわいい女の子を集めたらいいって話じゃないんですね。大切なのは、並んだ時の見た目のバランスなんだなぁ。
〇監督の「引きショット多用癖」がホラーの雰囲気を致命的にそいでしまう
具体的に言うと、中条さんが「冬枯れの沼の水面を歩いてくる」シーンと、「女学園の礼拝堂で天井から舞い降りて来る」シーンで、この作品の監督は、中条さんとそれを見て驚愕する人物の背中を丸ごと客観視する引き画面のショットを入れるのですが、これが驚くほど観客を「なんだ、ただ中条さんが来るだけじゃん。」と冷静に醒めさせてしまう逆効果を生んでしまうのです。人間が水面の上を歩いてきたり上空からふわ~と降りて来る現象は確かに超常的な現象ではあるのですが、その人間が学生服を着た華奢な少女であるという現実もまた、引きショットは平等に説明してしまうので、怖くもなんともなくなってしまうのです。中条さんだし、画としては美しいのかも知れませんが、なんだかこういう引きの画って、目の前で起きている異常現象に全く感情を揺さぶられない誰かが冷め切った視線で離れた場所から見ているようで、共感もへったくれもなくなっちゃうんですよ。
別に美術館で絵を見てるんじゃないんですから……お話を楽しもうとしてくれてるお客さんを突き放すのはやめてほしいですよね。
〇音楽がひどい……メインテーマが『サスペリア』そっくり
映画音楽がまるで無個性で、どのシーンでも全く印象に残らないのですが、ほうぼうの重要なシーンで意味ありげに流れるオルゴールみたいな曲が、女学園ものホラー映画の世界的な超有名作『サスペリア』(1977年)のメインテーマと瓜二つなのは、オマージュを軽く通り越して、もはや YouTubeかなんかの著作権対策でちょちょいっといじって作ったフリー音楽のようで安っぽいこと山のごとし! 流れるたびに「もうちょっと自分で工夫しろや!」という気分になってしまいます。また、よりにもよって『サスペリア』とは……いろんな大先輩にケンカ売ってんな!!
〇ゲーム版に関連は薄いくせに、全く無関係な作品のキャラがしゃしゃり出てくる
これ、原作者の大塚さんが別で原作を務めているマンガ『黒鷺死体宅配便』の主要キャラ2人が、後半にかなり重要な役回りでゲスト出演してくることを言ってるんですけどね……
いや、これゲーム『零』シリーズの映画化作品ですからね? それなのに、ゲーム版のキャラをさしおいて別作品のキャラが出てくるって、それ……やって誰が喜ぶの?
百歩譲って、すでに『黒鷺死体宅配便』のほうが映画か TVで実写映像化されていて、そこに出ていたキャストがカメオ出演するとかっていう話ならば、それでも『零』シリーズのファンにとっては甚だ迷惑な話ですがありえそうな話ではあります。角川だし。
でも、この場合はそれですらないんですよ……そんなん、本筋のマンガの実写化もまだないのによそさまの世界に突然出てくるんですから、『黒鷺死体宅配便』のファンの方々だって呆れかえりますよね。
ほんとに、これ誰が喜ぶんだ……? 大塚さんのファンか? 大塚さんのファンにしたって、こんな筋の通らないことを「お遊びなんだから、そんな怒らないでよ。」みたいな顔して押し通す奴のファンだなんて、恥ずかしくてよそ様に言えなくなっちゃいますよね。
いやはやこの世の中に、これほどまで観客が喜ぶビジョンが見えないゲスト出演があったとは……ま、そのゲスト出演したキャラを演じた2人のうちのひとりが、後に『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』で準レギュラー出演されていた柳生みゆさんだし、このくらいにしときましょ。
ほんと、誰か止める人はいなかったのか?
〇中越典子さん演じるメリーさんのキャラがぶれっぶれ
これは言うまでもなく、中越典子さんの演技力に難があると言いたいのではありません。ともかく、登場するシーンごとにメリーさんの人格と情緒が別人みたいに違っているのです。
だいたい、このメリーさんのように、妙齢であるのにも関わらずしょっちゅうゴスロリ衣装に厚化粧をして町中を闊歩している人物って、なにかしら生活感のない、人間らしさを超越した「道化(トリックスター)」であり「越境者」であり、物語を終結へ導く「デウスエクスマキナ」にもなりえる存在だと思うのですが、そんなメリーさんが、ふつうに化粧を落として町のパン工場でパート勤めをして息子をちゃんと養ってるとか……どんな算段があって、そんな冷や水ぶっかけな舞台裏暴露をしちゃってるんでしょうか。せっかく作ったメリーさんの設定を、「単にそういうコスプレ趣味もある常識的な市民」におとしめてるだけなんじゃないの? いや、それはもったいないっつうか……じゃ、なんのためにメリーさんを用意した!?
さらに、メリーさんは女学園のふもとの町に昔からある写真館の娘で、その素性が話の本筋にも関わってはくるのですが、それがなおさらメリーさんの浮遊性を地上に引きずり落とす効果も生んでしまうので、イメージ元になったと思われる実在の怪人「横浜のメリーさん」の足元にも及ばないフツー感にまみれてしまうんですよね。
ある時は天衣無縫なコスプレおばさん(失礼ながら)、ある時は休憩スペースで疲れた表情で俯くパート主婦、またある時は息子を堅実に育て上げている母さん……こう書くと面白いキャラのようなのですが、主人公じゃないんでね。そのすべてが脈絡なくシーンごとにぶつ切りになってしまっているのです。
うーん、これにはさすがの中越さんもお手上げでしたかね。ちゃんとキャラに血を通わせない作者の責任を、俳優さんに放り投げないでほしいですよね。
とまぁ、その他にもいろいろ申したいことはあるのですが、それでも、繰り返しますが中条あやみさんの若き日のかんばせをぼんやり鑑賞するぶんには全く問題ない作品でありますので、お好きな方はどうぞ、という感じで。私としては、中条さんの魅力の源泉だと確信している部分がばっちり画面に収められているカットもありましたので、特にその点に関して不満はございません。ほら、冬の福島が撮影の舞台だから、観ていて十二分に涼しくなれるし。
それ以外にも、「ノーハンドで顔からきれいにぶっ倒れる、森川さん入魂の失神アクション」とか、「水中にただよう少女が一瞬で中条さんに成長する CG演出」とか、はっとさせられるカットはあったので、中古で DVDを購入した甲斐はあったかな、と感じております。
あぁ! あと、この映画でロケに使われていた安積歴史博物館って、2022年の地震のせいで閉鎖中なんでしょ!? そうなっちゃうと、今となっては、その端整なたたずまいをふんだんにカメラに収めた本作も史料的な価値が出てきちゃうのかもしんない。そうならないように、一日も早く復旧再公開していただきたいものですが。再開したら絶対に行きます、安積歴史博物館!
うら若き17歳だった中条さんもそうですが、映画制作時にはあって当たり前だったものはすぐに失われ、いつしかフィルムの中にしか残っていないものになっていくんですねい。しみじみ!
私も、一日一日の出逢いを大切に感じて生きていこう! 分不相応にしゃしゃり出ることなかれ……本日の教訓ヨ!!