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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

祝え、だいぶ遅れてきた池松金田一版・磯川警部の爆誕を!! ~『湖泥』2025エディション~

2025年05月23日 22時58分01秒 | ミステリーまわり
 どう~もど~もこんばんは! そうだいでございます。みなさま、今週もお疲れさまでございました~。
 山形は、昨日まで梅雨明けかってくらいに暑い日が続いていたのですが、今日になっていきなり寒くなりましてね。もう風邪ひきそう……というか、ひいてしまったようです。せっかくの週末が……昨日までの気分で薄着を通してしまったのが元凶! 無理するもんじゃないっすねぇ。

 あともうひとつ、風邪ひいちゃった原因として考えられるのは、前日の寝不足もあったと思うんですよねぇ。いや、ここんところ一つ一つは長いもんでもないのですが、『ガメラ・リバース』の NHK地上波放送とか『ゲゲゲの鬼太郎 私の愛した歴代ゲゲゲ』とか『機動戦士ガンダム ジークアクス』とか、毎週チェックしたい番組がけっこうあって、それに加えて夕べ、私はこの作品を録画後に3回もリピートして観ちゃったんですよ。そりゃ夜中の2時3時もあっという間ですわな。


ドラマ『湖泥』(2025年5月22日放送 NHK BS『シリーズ・横溝正史短編集Ⅳ 金田一耕助悔やむ』 30分)
 33代目・金田一耕助   …… 池松 壮亮(34歳)
 18代目・磯川常次郎警部 …… くっきー!(49歳)

 『湖泥(こでい)』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。雑誌『オール読物』(文藝春秋)1953年1月号に掲載された。現在は角川文庫刊『貸しボート十三号』などに収録されている。
 本作は『オール読物』掲載時、結末の前に犯人当て挑戦企画として推理小説ファンの著名人による犯人の推理が同時併載されており、服飾研究家の花森安治(1911~78年 2016年の NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』の男性主人公のモデル)は「北神浩一郎と志賀秋子の共謀説」、マンガ家の横山隆一(1909~2001年)は「北神浩一郎単独犯説」、劇作家の飯沢匡(1909~94年)は「志賀夫妻共謀説」に基づく解決篇を寄稿していた。

 本作は1996年1月に『呪われた湖』のタイトルでドラマ化され(金田一役は古谷一行)、今回は2度目の映像化となる。
 今回のドラマ版は、NHK BS での放送に先がけて2025年3月28日にNHK BS8K、同年4月19日にNHK BS4K にて先行放送された。


あらすじ
 昭和二十七(1952)年10月。大阪に来たついでに岡山県まで足をのばした金田一耕助は、出張中の磯川警部のあとを追いかけて山陽線の K駅から4~5km 奥へ入ったある僻村へやってきた。そこは三方を山に取り囲まれ治水ダム湖にあらかた沈んだ村で、「北神家」と「西神家」という2大勢力が反目しあっていた。最近では御子柴家の娘・由紀子を巡って両家の跡取り息子である北神浩一郎と西神康雄が争っており、浩一郎と由紀子の婚約が整ったところへ康雄から横槍が入ったところであった。そんな中で由紀子が失踪し、磯川警部が捜査に来ていたのである。
 金田一が訪れる5日前の10月12日、旧暦九月十三夜の晩に、由紀子は女友達と共に隣村の祭りへ行ったが姿が見えなくなっていた。この晩、隣村へ山すそを回っていく道は人通りが途切れることが無かったにもかかわらず、由紀子を目撃した者は無かった。その他の山越えの近道をただ一人通ったと証言した北神九十郎も、特に何も気付かなかったという。同じ時刻に、康雄は泥酔して隣村の親戚宅に泊まっており、浩一郎は祭りへ行かずに山越えの道の登り口にある水車小屋で米を搗いていた。
 その一方で、由紀子が失踪した同日には村長夫人の志賀秋子も姿を消していた。しかし、村長の志賀恭平は秋子が大阪へ遊びに行ったと言ったかと思うと転地療養していると言ったりして、具体的な行方を明らかにしようとしない。
 2日後の10月14日になって、由紀子を12日の晩に水車小屋へ呼び出す浩一郎からの手紙が、由紀子の自宅の庭で見つかる。しかし手紙は前日の13日に降った夕立で濡れた形跡は無く、筆跡も浩一郎のものでなかった。浩一郎は、手紙を書いたことも由紀子がやってきたことも否定する。
 続けて14日の夕刻には由紀子の下駄が、15日には帯が発見され、由紀子の遺体が湖に沈んでいることが予想された。湖が水門が閉ざされているため死体が下流へ流れていることは考えられないため、警察は湖内で死体を捜し続けていた。湖のボート上で磯川警部の説明を聞いていた金田一は、村から離れた場所にある九十郎の小屋にカラスが集まっていることに気付く。

おもなキャスティング
御子柴 由紀子 …… ジュリアンヌ(24歳)
北神 浩一郎  …… 井之脇 海(29歳)
西神 康雄   …… こだま たいち(34歳)
北神 九十郎  …… 宇野 祥平(47歳)
志賀 恭平   …… 嶋田 久作(70歳)
志賀 秋子   …… 夏帆(33歳)
清水巡査    …… 濱田 龍臣(24歳)
木村刑事    …… 片岡 哲也(50歳)
朗読      …… 二又 一成(70歳)

主なスタッフ
演出 …… 渋江 修平(40歳)


 いや~、これほんとに面白かった。ご覧になった方ならよくわかりますよね!? この作品を何回も繰り返し観ちゃうの。

 視聴する前から、くっきー!さん(以下、川島邦裕さん)の演技が素晴らしいとかいう前評判は耳に入っていましたので楽しみではあったのですが、まっさか川島さんが最新モードの磯川警部を演じられるとは!! まさに古だぬき……
 磯川警部のキャスティングといえば最近はいぶし銀の俳優さんが手堅く演じるのが定番で、記憶に新しいのは加藤シゲアキ金田一版『悪魔の手毬唄』にて、あの古谷一行さんが磯川警部を演じたという大ニュースだったのですが、さすがは等々力警部役に外国人のヤンさんをキャスティングする池松金田一シリーズです。磯川警部にもまた、インパクト大なお方を持ってこられましたなぁ!
 そうなんですよね、2016年いらい4シーズン12話も制作されている池松金田一シリーズではあるのですが、実は、「金田一耕助の傍らにこの名警部あり」とうたわれる2大警部こと、東(東京警視庁)の等々力大志警部と西(岡山県警)の磯川常次郎警部のうち、等々力警部はごく初期から登場していたのですが(演者は中村有志さんかヤンさん)、磯川警部は本作が初登場となるんですよ。だいぶ遅れてきたねぇ! あやうく10年越しになるとこでしたよ。

 これで晴れて、横溝原作の中で唯一、等々力警部と磯川警部が金田一耕助をはさんで奇跡のご対面を果たした短編『堕ちたる天女』(1954年)の初映像化も可能となってきましたな! でも、この作品もこの作品で、ジェンダーに神経質な令和の御世にはなかなか危なっかしいクセ強事件なんですよね……う~ん、いつになるかな。

 ここでも池松シリーズのスタンスがわかって興味深いのですが、磯川警部が今回初登場ってことは、要するに金田一耕助ものの映像化といえばこれ!というイメージの強い「岡山もの」を、今まで池松シリーズがとんと手をつけてこなかったということなのです。いいねぇ~! 作品選びも攻めてるなぁ。
 確かに振り返ってみると、池松シリーズ各12作は圧倒的に東京を舞台にしたものが多く、せいぜい長野県(『犬神家の一族』)、神奈川県(『華やかな野獣』『鏡の中の女』)、静岡県(『女怪』)あたりが地方出張してるかなという程度だったのでした。いや~じゃけどやっぱ岡山弁が聞こえてこんと、地方の事件って気分にはならんかのう!

 こんな感じなので、もしかしたら池松シリーズは岡山ものをやらないのかと思っていたのですが、ついに満を持して今回、初岡山ものということで川島さんによるニュー磯川警部も爆誕し、その記念すべき最初の事件に選ばれたのが、この『湖泥』だったというわけなのです。いや~わかってらっしゃるセレクトセンス!!

 今回視聴してあらためてしみじみ感じたのは、この『湖泥』という作品が、かなりガチンコの全力投球で作られた「岡山もの要素てんこ盛りの高カロリー作品」になっているということです。なんか、たまたま金田一耕助の調子が良かったから文庫本にして100ページちょっとで終われましたけど、作品の中に込められたテーマの重さや登場人物設定の複雑さを見てみれば、長編作品になったって全然おかしくない「むつかしい事件」なんですよね、これ!

 本作を読んで、もしくは今回のドラマ版を観てすぐにピンとくるのは、本作と、横溝先生のあまたある岡山ものの傑作群の中でもとくに有名な「ある長編作品」との、犯人の設定に関するパラレルワールドのような関係です。
 つまりこれ、両作品の真相に迫る話になるので詳しくは言えないのですが、この『湖泥』というお話は、「もしもあの長編作品の犯人が、途中でヘタをうって別の誰かに犯行計画をパクられてしまったら!?」みたいな、実際にはそうはならなかった分岐ストーリーを作品化したみたいな結末になっているんですよね。あっ、でもよくよく思い出してみたら、その超有名長編の真犯人も、そもそも別の登場人物がふざけて作った犯行計画をパクッてたんだった。横溝先生、パクりパクられの展開がお好きねぇ!!

 これは面白いですね……要するに、あらかじめ村を大混乱に陥れるスキャンダルの図面を引いていた人物が、途中で同じように村を恨んでいる別の人物に計画を丸ごと乗っ取られてしまったわけなのです。この番狂わせはなかなかにトリッキーで、上の情報のように、当時のミステリマニアの有名人お3方の推理が全員不正解になってしまったのもやむをえないことかと思います。横溝先生、少しは手ごころを~! 推理小説の鬼の真骨頂ですよね。
 なんと言いましても、本作は犯人の人物造形が非常にインパクト大です。犯人のインパクトというんだったら、今回の池松シリーズ第4シーズンは全話、犯人のキャラクターが各人各様で激濃ではあるのですが、やはりシーズンの掉尾を飾る作品ということで、この『湖泥』の犯人の姿も非常に印象深いものになっていたと思います。犯人のラストカットの横顔も、実に味わい深いものでしたね……

 あともうひとつ、横溝ファンとしてどうしても考えずにはおられないのが、ここまでインパクト大で完成度の高いこの『湖泥』が、どうして他の横溝短編の進化パターンのように長編化されなかったのか、という問題です。まぁ、ある意味でこの作品の犯人像がミステリの定石破りではあったので、これ以上ふくらませても味が薄れるだけという判断もあったのかもしれませんが。

 これに関して私が思うのは、いやいや、『湖泥』要素よりもオリジナルな設定がモリモリになってるので一見そうはみえませんが、ちゃんと長編小説に昇華されてるじゃありませんか!ということなんですね。もう、先達で指摘されておられる方もいらっしゃかるかも知れませんが。

『湖泥』の長編化作品。そりゃもうあーた、『悪魔の手毬唄』に決まってるじゃござんせんか!!

 私、今回のドラマ化にあたって原作を再読しながら、この『湖泥』の「衰退しつつある村の2大勢力の若者世代が、かつて村につまはじきにされた家の娘をめぐって争う」とか、「村はずれにある湖(沼)のほとりに暮らす変わり者」とかいう設定が、まんま『悪魔の手毬唄』であることに今さらながら気づいてしまったわけであります。つまり、『湖泥』と『悪魔の手毬唄』で比較するのならば、「北神家と西神家」が「仁礼家と由良家」、「御子柴由紀子」が「別所千恵子」、「北神九十郎」が「多々羅法庵」というあんばいなわけで、もちろん物語の結末はだいぶ違うわけなのですが、登場人物の配置具合が酷似していると断言してさしつかえなさそうなのです。
 その他、村の2大勢力の対立のバランスを左右させうる第3の存在としては、『湖泥』の志賀村長夫妻にあたる位置に亀の湯の青池夫妻(夫は失踪中)がいるし、だいいち、『悪魔の手毬唄』の衝撃的なクライマックスでの犯人の最期を思い出してみてつかぁさい! 原作版でも1977年映画版でもどっちゃでもええから!!
 湖か沼かの違いは生まれてしまうのですが、どうですかあーた……まさにこの作品こそ「湖泥」の名がふさわしいじゃ、あーりませんか。

 当然ながら、『悪魔の手毬唄』は犯人像が『湖泥』とまるで違いますし、「磯川警部因縁の未解決事件」とか「手毬唄の歌詞の通りに殺人が起こる」とか「死んだはずの老婆が村に帰って来る」とか非常に魅力的なオリジナル要素がふんだんに盛り込まれていますので、もしそうなのだとしても、もはや『湖泥』の長編化作品とは言えない別の大傑作に仕上がっているのでこれ以上は詮索しないのですが、ただここだけ言っておきたいのが、『湖泥』のラストで金田一耕助が、冒頭での磯川警部によるシャーロック=ホームズゆずりの「田舎の犯罪こそおそろしい」論への返歌としてつぶやいた(ドラマ版ではカット)、

「ぼくのいいたいのは、農村へ都会のカスがいりこんでいる、現在の状態がいちばん不安定で危険なんですね」

 という主張が、『湖泥』よりも、「都会からやって来た恩田幾三のモール詐欺」という要素を組み込んだ『悪魔の手毬唄』のほうでよりヴィヴィッドに小説化されているということなのです。念のために言っておきますと、金田一は別に引き揚げ軍人や疎開者のことを蔑視してカスと呼んでいるわけではなくて、都会で培養され流れてきた犯罪の因子(残滓)という意味でカスと発言しているようです。
 いや~、やっぱり横溝先生の、自作の進化にかける執念のアツさは、ここでも素晴らしいですね。岡山ものの最終作とも言える『悪魔の手毬唄』の精華は、『湖泥』なくして語り得ないものだったのだ! こでー!!


 まぁこのように、原作小説の時点でかなりハイレベルなこの『湖泥』ではあるのですが、今回の2025年ドラマ版は、それに輪をかけて「推理ドラマとしての面白さにブーストをかける映像演出」がバチコーン!!と大ホームランをかましてくれた大傑作だと感じました。しかも、今シーズンの前2話よりも格段に「原作に忠実」! ここが横溝ファンにはとってもうれしい。

 先ほど、私は「3回観た」と言いましたが、これは作品が複数回の視聴に耐えうるクオリティを持っているのは当然のこととして、2回3回観て「あぁ~!!」と驚き感じ入ってしまう映像的なトリックを30分間の作品全シーン全カットにふんだんに散りばめていたからなのでした。これ、ぜんっぜん大げさな言い方じゃないっすよ! 観た人ならわかりますよね!?

 素晴らしい、このドラマ版の映像演出の計算されっぷりは本当に素晴らしい! 私的に、昨年2024年のミステリ映像作品としてのベスト1は『十角館の殺人』だったのですが、今回の『湖泥』の満足度は限りなくそれに近いもので、おそらくはそのまんま今年ベストになっちゃうんじゃなかろうかという手ごたえを感じております。まだ今年半分も終わってないけど!

 やっぱり、30分という作品のスケールが、今回の渋江演出と相性バッチリだったんでしょうね。

 今作における渋江演出は、クライマックスでの金田一の推理披露パートや犯人の独白パートに沿った回想シーンのラッシュで事件の真相が明らかになる、という典型的なサスペンスドラマの形式をいちおう採りながらも、実は「ほぼすべての犯行」がそこに至るまでの画面の中にちゃーんと映っているのです。これ、とんでもないことですよ。手品のタネ明かしをするまでもなく、タネはぜんぶステージの上に無造作に投げ置かれていたのです! それでもお客さんが全く気づかずに手品にオオッと驚いてしまうんですから、これがとてつもない腕を要する異次元のテクニックであることは間違いないでしょう。

 ふつう、犯人がやっているたくらみはネタばらしにいくまで隠されるもんだと思うのですが、このドラマはオールオープンで犯人がどこにいて何をやっていたのかが逐一画面に映っているのです。ただ、おそらくは初見の視聴者のほとんどが、その肝心の犯人の挙動どころか、その存在にさえまるで気づかないように、実に巧妙な映像演出が全編にわたって施されています。
 これ、ある意味では本作の「インヴィジブル・マン」という、かのチェスタトンの歴史的名作『見えない男( The Invisible Man)』(1911年発表)を創始とする超有名なトリックをあえて「曲解」した映像マジックなわけなのですが、まともにそれだけをやれば単なるくだらないコントになるところなのに、ちょっと日本らしくないエスニックでゴテゴテした衣装やメイクを配置していた渋江ワールドなのですから、ごくごく自然に視聴者が渋江マジックにだまされるみごとな土壌となってしまっていたのです。
 いや~これはやられた! だって、ただのおしゃれだと思っていた志賀秋子の真紅のマフラーまでもが、この映像トリックのための重要な目くらましだったんですもんね。手品の基本中の基本は、「タネから客の目を反らすこと」! シンプルなことが、いちばん難しいんですよね。

 私が本作を3回観た流れを申しますと、まず1回観て、原作小説をいっさいの無駄なく映像化した手練や川島さんの演技の意外なまでの安定感に感じ入りまして、でも「そうはいっても犯人が見えないように隠してんじゃないの~?」と勘ぐりながら2回目の視聴をして確かめてみて、なんと隠すどころか、アップにこそしてはいないものの、犯人がちゃーんと他の登場人物の行動を首を傾けてじっと見つめていて、会話をがっつり聞いていて、それどころかこれ見よがしに紙包みを開いて粉末を入れたぐい呑みを西神康雄に直接手渡すところまでもがバッチリコーンと映されていたことに、心の底から驚かされてしまったのです。え~!? 私の目の、なんと節穴なことか……
 ほんとにやられました。「1回観ただけじゃわからない」というのは洋の東西を問わず名作の常套文句ですが、本作は正真正銘、何度見ても視聴に耐えうるウェルメイドなミステリドラマです。30分っていうお手頃なサイズなのも最高ですよね。これが2時間3時間だったら、そうもいかないもんねぇ。大学生時代だったら、私も『薔薇の名前』とか『悪魔の手毬唄』とか VHSで何度も観てたけど。

 話を戻しますが、それでこういうブログもやってるもんですから、どの役をどなたが演じてらっしゃるのかな~なんてチェックしながら2回目を観終わってみて、「そういえば、朗読もかなり渋めでいい声だったな。誰だったんだろ?」と思ってボンヤリとエンドロールを観てたら、

朗読 二又一成

 って小さな字でうたれてたもんで、これまた吃驚してしまいました。

 えー!! 声優の二又さん!? 二又さんって、あの『ハイスクール!奇面組』の出世潔の二又さん!? 『キン肉マン』のキン骨マンの二又さん!? 『機動警察パトレイバー』の進士幹泰の二又さんんん!?

 なんとすばらしいキャスティングだ……いままで、この池松金田一シリーズの朗読ポジションは俳優さんがメインだったかと記憶しているのですが、ここにきて超ベテラン声優の二又さんを起用するとは。
 そんでま、その美声をもう一度味わうために3回目を視聴して夜更かししちゃった、というわけだったのでした。
 いや~、1980年代生まれのわたくしとしましては、二又さんといえば神谷明さんや千葉繁さん、内海賢二さんなみに生まれた時からじゃぶじゃぶ聞いて育ってきたお声ですからね。こういういい声の方がおちゃらけキャラとか小心者キャラをやってるからいいんだよなぁ。芸の幅ですよね。

 ほんと、今回のドラマ版『湖泥』は1カットたりとも無駄なやっつけ仕事のない、30分枠だからこそできうる高い完成度の大傑作です。
 この池松金田一シリーズにおける渋江演出4作品の中でもダントツのベストであることは当然のこと、他の演出家も含めた全12作の中でも頭一つ以上ズ抜けた最高傑作と断言して差し支えないかと思います。

 以前私は、同じ渋江演出の『犬神家の一族』だったかなんかで、「男がギャーギャー大声でしゃべる泣き演技は大嫌い」ということを申しました。それは今でも変わらない考えで、本作でも西神康雄役のこだまたいちさんがそのような演技をしていたのですが、こだまさんの演技は不快感が全く無いコミカルな味わいが康雄への同情心すら喚起してしまう名演技だったと思います。
 これは、こだまさんがちゃんと「泣きわめく男の情けなさ」を承知の上で滑稽に演じるプロの余裕を持っていたこと(夜明けに草むらで起き上がり頭をかく素振りなんか笑うしかありません)と、康雄の回想シーンの中から康雄がいきなりカメラ目線に向き直って「ちがうんです! そうやないんです!!」と訴えかけたりするなど、渋江さんが客観的距離をとって康雄をとらえている冷静な視点が明確になっていたからでした。これも、『犬神家の一族』2020エディションに比べたら格段の進化ですよね。

 こだまさんのダメ息子っぷりもよかったのですが、やはり今作の俳優さんの中での MVPは、ネタバレになるので名前は言えませんが、やっぱり犯人を演じたあのお方なのではないでしょうか。う~ん、まさに『湖泥』の犯人を演じるために生まれてきたようなご容姿! 全然誉め言葉になってませんか。でも、満を持して思いのたけを叫んだ最後の独白は畢生の名演だったかと思います。「憎い村を悪評でズタボロにしてやった」という優越感もあり、むなしさもあり……そうそう、金田一によって犯罪計画は暴露されましたが、もう犯人の目的は達成されちゃってたんですよね。「ざまぁみろ!!」の絶叫の重さね。

 あと、俳優さんでいうのならばやっぱり川島さんの名演をはずして語るわけにはいかないのですが、まず冒頭の長ゼリフをノーカットでこなせる段階で俳優として並みのレベルでないことは明らかです。そして、一見おだやかそうな表情を見せながらも、時にプロの警察屋として証言者たちにちらつかせる目つきのすごみも、なんかほんとにおまわりさんにいそうな説得力があると感じました。けっこう仕立てのよさそうなスーツをわざと汚して、その上にマタギみたいな毛皮の袖なしを羽織っている「妖怪しっとるけ」みたいな渋江ワールドらしいファッションも実に似合ってます。しっとるけ……知っとるけ?
 磯川警部の出演シーンは最初から最後まで全部いいのですが、あえてひとつ挙げるのならば、前半で連行されていく九十郎に村人がこぞって罵声を浴びせながら土や砂を投げつけている時に、磯川警部が静かにキレて村人に猛然と土を投げ返したり蹴りつけたりしていた勇姿が印象的でした。そうそう、磯川警部も川島さんも、義憤に刈られたらそのくらいの挙には平気でおよぶアツいお方なんじゃないかな。


 いい加減、字数もかさんできましたのでまとめてしまうのですが、とにかく今回の池松金田一シリーズ第4シーズンは、最後の『湖泥』が文句なしの大傑作だったということで、話は早いですが次シーズンへの明るい期待が大いに持てる締めくくりになったのが何よりも良かったと思います。別に先の2話がつまらなかったわけでもないし!
 まぁ、今シーズンの副題『金田一耕助悔やむ』に関しては、『悪魔の降誕祭』と『湖泥』は「そんなに悔やんでるかぁ?」という感じで解釈違いな印象は持ったのですが、だいたい今までのシーズンの『踊る!』とか『惑う』もだいぶ無理のある感はあったのでしょうがないでしょ。

 ただ、今シーズンの3話それぞれの原作小説をみてみますと、

『悪魔の降誕祭』…… 161ページ(角川文庫1974年版『悪魔の降誕祭』より)
『鏡の中の女』 …… 50ページ(角川文庫2022年改版『金田一耕助の冒険』より)
『湖泥』    …… 105ページ(角川文庫2022年改版『貸しボート十三号』より)

 ということで、もちろん個々の作品の面白さも重要ですが、池松金田一シリーズの「30分」という枠に対して、横溝作品ではどうやら150ページでもなく50ページでもなく、「100ページ」サイズがジャストフィットなんじゃなかろうかという結論が導き出されそうな成果とあいなりましたね。今回のページ数比較はわかりやすいな!

 要するに、『悪魔の降誕祭』は「犯人の裏にもっと狡猾な奴がいる」という真相みたいな部分を丸ごとカットしているために登場人物に深みが欠けてしまった感があり、逆に『鏡の中の女』は小説の映像化だけでは時間が余ってしまった部分を「犯人と金田一との心の交流とすれ違い」で補ってしまったために犯人の異常性が薄れてしまったという印象が残りました。引いても足しても、余計な蛇足になっちゃったのね。
 やはりこれは、横溝先生の原作をヘタなアレンジなしで虚心坦懐に映像化するに如くはなし、ということなのでしょうか。でもここで「100ページがええわ~」という結論を出しちゃうと、せっかく始めちゃった『~の中の女』シリーズのほぼ全部が「……」ってことになっちゃうぞ!
 まま、ともかく何ページの作品であろうと、横溝作品はそうとう心してかからねばならぬ難物ということなのですな。

 一体、次なる第5シーズンはいつのことになるのやら。おそらく、少なくとも2026年 NHK大河ドラマの『豊臣兄弟!』が終わるまではできないんじゃなかろうかと思うのですが、今シーズンでいよいよ磯川警部もお披露目できたことですし! 気長に楽しみにさせていただきたいと思います~。
 いや~とにかく、今シーズンで金田一耕助シリーズのうち『~の中の女』シリーズも「岡山もの」も始まっちゃいましたからね! 池松金田一シリーズの「金田一もの全短編映像化」も、ぜんぜん夢ではないのでは!? 『名探偵ポアロ』のデイビッド=スーシェさんに続けとばかりに、頑張っていただきたいと思いま~っす。えっ、金田一耕助シリーズの短編作品って、全部で53作あんの(ジュブナイルの短編2作も含む)……池松さんはそのうち11作まで映像化してるから(1作のみ長編が原作なので)、残り42作、今までのペースでいくと、あと14シーズンは必要なのか。

 健康第一!! 池松さんも演出家のお3方も、いつまでもお元気でがんばってくだしゃ~い!!
 私も、早く風邪なおしてがんばろっと。


≪巻末ふろく 池松金田一シリーズの功労者は誰だ!? 常連俳優リスト≫
・芋生悠(佐藤作品2回、宇野作品1回)
・片岡哲也(渋江作品3回)
・嶋田久作(渋江作品2回、宇野作品1回)
・ヤン・イクチュン(宇野作品2回、佐藤作品1回)
・福島リラ(佐藤作品2回)
・板谷由夏(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・佐藤佐吉(佐藤作品1回、渋江作品1回)
・田中要次(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・みのすけ(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・YOU(宇野作品1回、佐藤作品1回)

 やはり嶋田さんか……『湖泥』のネクタイ頭に巻いたアホ村長っぷりもとってもキュートでした♡ いつまでもお元気で!
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なんでこの食材でこんなうっすい味の料理ができんねん ~『鏡の中の女』2025エディション~

2025年05月10日 22時29分23秒 | ミステリーまわり
 らみぱすらみぱするるるるる~!! みなさまどうもこんばんは、そうだいでございます。
 いや~、なんか日中の日差しがめっきりまぶしくなってきましたな。私の住む山形は、それでもまだ朝夕が寒いので、ほんとに何着て仕事に出たらいいのかわかんなくなってます。ま、そのうちすぐに暑くなるでしょ。

 最近リアルタイムでやってる番組で気になるの、みなさんは何かありますか? 私はめっきり無くなっちゃってねぇ……誰が出演してるからとか、毎年見てるからとかの縁以外に、純粋に面白いから観てるっていう新規が開拓できてないんですよ。『機動戦士ガンダム ジークアクス』くらいでしょうか。まぁ、あれも『機動戦士ガンダム』ありきの作品とも言えるし。
 相変わらずの半分以上義務感覚で NHKの大河ドラマも観てはいるのですが、ちょっと今年の蔦重は……面白いとは思うんですけど、内容によっては「お茶の間で家族で観るのがむずかしい描写も辞さない」という作品スタンスが、あたしゃど~しても容認できなくて。いや、江戸時代の吉原がメイン舞台なんだから仕方ないことではあるのですが。
 いや~、大河ドラマが小中学生への門戸を狭くした作品を放送するっていうのは、どうなんでしょうか……もちろん、制作陣が「子どもお断り」を表明したいわけでもないとはわかるのですが、小学生の時に見た『太平記』の第22回『鎌倉炎上』(1991年6月放送)の大衝撃が、その後の歴史好き人生の着火点となったわたくしといたしましては、そういうビッグバン的なきっかけを子ども達にもたらすことを自ら制限するような姿勢には疑問を持たざるを得ないと申しますか……いや、子どもでも見たければこっそり見ればいい話なんでしょうが。
 ま、あそこでの片岡鶴太郎さん演じる得宗北条高時の凄絶な演技も、『べらぼう』とは別ベクトルで「放送コードぎりぎり」だったんですけどね! その鶴太郎さんも『べらぼう』では、あの鳥山石燕画聖の役で出られましたが、いやはや丸くなったもんだねェ~鶴ちゃんも! ビジュアルは昔が丸で今はガリッガリなわけですが、演技のインパクトはその真逆よぉ!! おでんかピヨコちゃんのオリジナル妖怪くらい描けって話ですよ! キュ~ちゃん!!


 え~、例によりましてとりとめもない話題でエンジンもかかってまいりましたので、その無駄な勢いを駆って、かつて鶴太郎さんも演じたことのある金田一耕助の映像作品、その最先端をゆく池松壮亮金田一シリーズの最新シーズン第2話を観た感想に移らせていただきたいと思います。強引と言われようが脈絡が無いと言われようが、もういいはぁあ~。こうしてはしゃげるのも、秋までだしね……


ドラマ『鏡の中の女』(2025年5月8日放送 NHK BS『シリーズ・横溝正史短編集Ⅳ 金田一耕助悔やむ』 30分)
 33代目・金田一耕助    …… 池松 壮亮(34歳)
 21代目・等々力 大志警部 …… ヤン イクチュン(49歳)

 『鏡の中の女』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。雑誌『週刊東京』(東京新聞社)にて1957年5月に発表された。現在は角川文庫『金田一耕助の冒険』に収録されている。映像化は今回が初となる。
 今回のドラマ版は、NHK BS での放送に先がけて2025年3月28日にNHK BS8K、同年4月19日にNHK BS4K にて先行放送された。

あらすじ
 昭和三十二(1957)年5月2日。金田一耕助と銀座のカフェ「アリバイ」で会食していた読唇術の達人・増本克子が、鏡に映る愛人関係とおぼしき男女の密談を読み取った。それは「ストリキニーネ」や「ピストル」などの不穏な言葉が飛び交う殺人計画の相談としか思えない内容だったが、金田一は大都会のカフェでそんなことを話し合うはずがないと軽く笑い飛ばす。しかし、金田一はその男女の様子を盗み見ている中年の婦人がいることに気づいていた。
 やがてその2週間後に、克子が訴えていた通りのストリキニーネ毒殺事件が発生するが、被害者はカフェで密談をしていた若い女だった……金田一がたどり着いた衝撃の真相とは?

おもなキャスティング
増本 克子    …… 中嶋 朋子(53歳)
河田 重人    …… 田中 要次(61歳)
河田 登喜子   …… 高畑 遊(40歳)
河田 由美    …… 中島 セナ(19歳)
杉田 豊彦    …… 倉 悠貴(25歳)
倉持 タマ子   …… 中村 ゆりか(28歳)
藤本 文雄    …… 神谷 圭介(?歳)
Sホテルの運転手 …… 小出 圭祐(?歳)
三鷹駅の駅員   …… 吉田 正幸(?歳)
古谷警部補    …… 福地 桃子(27歳)
朗読       …… 芋生 悠(27歳)

主なスタッフ
演出 …… 宇野 丈良(?歳)


 おぉおぉ、ついにここまで来てしまいましたか、池松金田一シリーズ! いよいよ、横溝正史神先生の珠玉の「金田一耕助シリーズ」の中でも、まさしく「ラストダンジョン」と呼ぶにふさわしい最奥のアマゾン地帯的秘境、『~の中の女』ものに手を出してしまいましたか……
 これは、そうとうな覚悟のこもった作品選出とお見受けし申した! 是非とも最後の1作品まで映像化し尽くしてくだされませい!!
 以下、横溝先生の『~の中の女』シリーズに関する情報あれこれでござ~い。


≪ようこそ、横溝金田一ワールドの最深部へ……『~の中の女』シリーズとは?≫
 横溝正史の短編集『金田一耕助の冒険』には、『~の中の女』というタイトルで統一した金田一耕助もの推理小説が収録されている。
 ただし、のちに長編小説化された3作品(原形の短編版は出版芸術社もしくは光文社文庫刊の『金田一耕助の帰還』に収録されている)と、発表時期が離れている『日時計の中の女』(1962年8月発表)は収録されていない。

これでコンプリート!!『~の中の女』シリーズリスト(作品発表順)
1、『夢の中の女』(1956年7月発表)
2、『霧の中の女』(1957年1月発表)
3、『泥の中の女』(1957年2~3月発表)
4、『鞄の中の女』(1957年4月発表)
5、『鏡の中の女』(1957年5月発表)
6、『傘の中の女』(1957年6~7月発表)
7、『檻の中の女』(1957年8月発表)
8、『壺の中の女』(1957年9月発表)※のちに長編小説『壺中美人』に改稿され1960年に完成
9、『渦の中の女』(1957年11月発表)※のちに長編小説『白と黒』に改稿され1965年に完成
10、『扉の中の女』(1957年12月発表)※のちに長編小説『扉の影の女』に改稿され1961年に完成
11、『洞の中の女』(1958年2月発表)
12、『柩の中の女』(1958年3月発表)
13、『赤の中の女』(1958年5月発表)※短編小説『赤い水泳着』(1929年8月発表)を金田一耕助ものに改稿した作品
14、『瞳の中の女』(1958年6月発表)
15、『日時計の中の女』(1962年8月発表)

過去に映像化された『女』シリーズ作品
・『霧の中の女』1(1957年2~4月に日本テレビで放送されたドラマシリーズ『月曜日の秘密』の第4話)
・『泥の中の女』(同じく TVドラマシリーズ『月曜日の秘密』の第7話)
・『鞄の中の女』(同じく TVドラマシリーズ『月曜日の秘密』の第11・最終12話)
・『白と黒』(1962年11月にテレビ朝日系列『ミステリーベスト21』枠内にて1時間ドラマとして放送)
・『瞳の中の女』(1979年7月公開の大林宣彦監督によるパロディ映画『金田一耕助の冒険』の物語の大筋が本作の内容を受けている)
・『霧の中の女』2(1996年4月放送のフジテレビ系列『昭和推理傑作選・横溝正史シリーズ 女怪』の物語に本作の設定が一部組み込まれている)


 ……すごいでしょ? こんなもんなんで、今回初映像化された『鏡の中の女』は、それだけをチョイスしてドラマ化しました~なんて小さな話では終わるはずもない、とんでもない世界に踏み込む第一歩なわけなんでございますよ。

 な~んてまぁ、鬼面人を驚かすような口上を述べてしまいましたが、実はこの『~の中の女』シリーズは、その内容に特段のつながりもなく、はっきり申しましてタイトルが似通っているくらいしか共通項はありません! 当然ながら金田一耕助が全作品に、そしてたぶん全作品にワトスン役として等々力警部が登場するというのは、このシリーズに限らず金田一もの短編のほとんどで言えることですし、『~の中の女』シリーズの準レギュラーとも言える島田警部補や志村刑事、多門修といった面々も、別にこのシリーズにしか出ないわけでもないので、ぶっちゃけ、1950年代後半~60年代初めの金田一もの短編のタイトルを横溝先生がそうしていた、という程度の差異しかないのです。だから、どっから読んでもいいし、全作品読まなくてもだいじょ~ぶ!

 だいたい、横溝先生はもともと作品のタイトルに「女」を入れることが非常に多く、『女怪』(1950年)とか『女王蜂』(1951~52年)は言うに及ばず、『支那扇の女』(1960年)とか『扉の影の女』(1961年)とか、もう『~の中の女』シリーズでええやんけと言いたくなる作品も多々あるので、ほんと、このシリーズの作品だからと言って特別視する必要なんかどこにもないのです。ま、人類の半分は女性ですから……

 ただし、強いてあげるのならば、等々力警部が相棒という設定からも推察される通り、この『~の中の女』シリーズは金田一ものの中でも「東京周辺を舞台にした都会犯罪」を扱った事件ばかりであるという特徴も共通しています。
 これは裏を返せば、「金田一耕助の事件と言えば田舎!!」というイメージが強固に残っている現代では、映像化される機会がほとんどなかったという事実を雄弁に物語るものなのでありまして、1970年代の「ディスカバー・ジャパン」の風潮に乗っかった形で大ヒットした1976年版『犬神家の一族』以降の、石坂浩二金田一や古谷一行金田一に代表される「第2次横溝ブーム」から現在に至るまで、これら『~の中の女』シリーズに本格的にスポットライトが当てられる機会はゼロに近かったのでした。

 上の情報を見ても分かる通り、このシリーズで映像化されたのは石坂金田一の登場以前の時期がほとんどで、1979年の映画版『金田一耕助の冒険』も鶴太郎金田一による1996年版『女怪』も、一部の設定だけを拝借するのみという不完全なものだったのです。
 ちなみにこれは金田一ファンあるあるかも知れないのですが、映画版『金田一耕助の冒険』は、かの古谷一行による金田一耕助の唯一の映画作品ですから、当時中学生だった私はほんとにドキドキワクワクしながらビデオレンタルで借りて初視聴したんですよ! そしたらまぁ、なんだいありゃあ……私ほんと、長いこと大林監督お断りになっちゃいましたからね。

 ただまぁ、CG によるセット撮影が定着してきた2020年代現在ならいざ知らず、1970年代後半以降に金田一耕助シリーズの都会犯罪ものを映像化する場合は、原作の時代設定に忠実にやろうとすれば1950~70年代の高度経済成長期と1980~90年代のバブル経済&崩壊期という2度もの荒波を受ける前の都会の風景をセットで再現しなければならなくなってしまうので、それだったら多少の移動費はかかっても、日本のど田舎に残っているありもんの風景を有効活用できる岡山・地方ものを映像化した方がよっぽど現実的な判断だったわけなのでしょう。そういった先達のご苦労の中で第3の選択肢として、1977年版『女王蜂』のように都会ものをムリヤリ田舎ものに改変したり、1975年版『本陣殺人事件』や1977年版『吸血蛾』のように時代設定を制作当時にアップデートしてしまったりした作品も生まれたのではないでしょうか。
 つまるところ、金田一耕助シリーズの都会犯罪ものは、1957年の『月曜日の秘密』みたいに取って出し式で発表直後ほやほやの時に映像化するのが一番だったんでしょうね。にしても、『月曜日の秘密』のメディアミックス的な間髪容れない映像化は恵まれすぎじゃないっすか!? 最近の超売れっ子作家さんでも聞きませんよ、このドラマ化のスピード感!

 こういった、発表直後のモテモテぶりはともかくとしまして、世間一般の金田一耕助イメージが定着した1970年代後半以降はながらく不遇の時代が続いていた『~の中の女』シリーズの諸作ではあったのですが、その救世主としてついに名乗りをあげたのが、2016年放送の第1シーズンいらい、『黒蘭姫』(1948年)や『貸しボート十三号』(1958年)、『女の決闘』(1957年)といった非田舎ものも積極的に映像化してきた我らが池松壮亮金田一シリーズだったというわけなのです。きたきたきた~!! 都会犯罪ものファンの大悲願である『白と黒』の映像化も射程圏内に入ってきたかしら?


 というわけでありまして、ここからは『~の中の女』シリーズの本格的映像化、その栄えある先鋒となった今回の『鏡の中の女』の内容に入ってまいりましょう。期待がふくらむなぁ~オイ!!
 四の五の言わずに、さっそく私が視聴した感想を申しますと、


とにかく、うす味でした……良くも悪くも、うす味。


 という感じでございました。う~む。
 いや、「まずかった」わけじゃないんです! 味つけとして、このうすさが功を奏しているなと感心する部分もあったのですが、とにかく作品としての印象が「あわ~い」初映像化になっているな、と思いました。

 これ……冒頭のテロップにあったように「ほぼ原作通りに映像化」と言って良い作品なのだろうか。ちなみに、前話『悪魔の降誕祭』ではこのテロップは出ませんでした。

 面白いか面白くないかはまず置いておきまして、私が言いたいのは、このドラマの質感と原作小説の読後感とが、だいぶ異なっているんじゃないかということなのです。今回のドラマ版は、確かに原作小説の文面を雑味ほぼなしで映像化してはいるのですが、やはり佐藤佐吉演出による前話のように「原作小説の持ち味を意図的にカットしている」ような気がするのです。

 というのも、原作小説『鏡の中の女』は、いろんな意味でかなりアクの強い野心作だからなのです。
 まずこの作品は、以前に池松金田一シリーズでも映像化されたある作品のように、横溝先生が推理小説(というか探偵小説)界の先輩にあたる某超有名作家先生が世に出した「先行作品」へのオマージュ色の強いものになっていると思います。一体、なに川なにんぽ先生なのだろう……

 当然、本作が具体的にどの作品へのオマージュなのかは、オマージュした点がまんま事件の真相に直結しているので絶対に言えないのですが、はっきり申しまして、もう前後関係とか作品の展開とかいっさい読まなくても、「これやった奴は絶対に犯人!」というパターンを、この両作品でのそれぞれの犯人は共通してやっているのです。なんかもやもやした言い方ですみません!! こういう鉄板な流れって、えてして海外にその元ネタがあるものなのですが、このパターンの原型も海外の探偵小説とかにあるんですかね……?

 こういう感じに非常にわかりやすいパターンなので、はっきり言ってしまえば、その先輩作家の先行作品を読んだことのある人ならば(当時のミステリファンだったらほぼ必読レベルだったと思います)、この『鏡の中の女』の犯人が誰なのかは一瞬でわかると思います。そして、あの「推理小説の鬼」とも畏れられた横溝先生が、この犯人の設定に限っては「ひねりを加えずに」真相に直結させているのです。え~、先生、ノーガード戦法!? 手抜きとかパクリなんかするわけがないし(発表当時にその先輩作家は当然ご存命)、ならばどうしてそんなことを……

 つまりこれは、『鏡の中の女』において横溝先生が「誰が犯人か( Who done it)」に重点を置かず、もっぱら「どうして犯行に走ったのか( Why done it)」という動機のほうに作品としての独自性と面白さを全振りしたからだったのではないでしょうか。極端な話、犯人がバレバレなのは問題ではないのです。

 要するに、この作品の見どころは、金田一耕助シリーズの中でもあまり類を見ない「犯行動機の異常性」! ここに尽きるはずなのです。

 ここで見誤ってならないのは、ここでいう「異常性」の質が、たとえば前話『悪魔の降誕祭』における犯人の異常性とはまるで違うものである、という点です。異常と言えば、確かに先々週の犯人のふるまいも十分すぎるほどに異常ではあったのですが、その動機は、これまた海外の超超有名な先行作品ですでに使われていたような、ある意味で古典的なものだったのです。ショッキングではありますけどね……

 原作小説『鏡の中の女』における犯人の動機の異常性は、ちょっとそういうものとはレベル……というかフェイズが違うものだと思うんですよね。犯人像につながってしまうので、これも具体的には言いづらいのですが、この作品ほど、今シーズンのサブタイトルである「金田一耕助悔やむ」がしっくりくるものもないのではないでしょうか。まだ最後の『湖泥』観てないけど。

 なんともはや……今作の犯人ほど、動機の破綻した人物もいません。自分のプライドを守るために人生全部を台無しにするかもしれない賭けに出て、案の定みごとに負けてしまっているのです。
 この犯人は、自分と全く関係のない人間を殺せば自分が疑われることはないだろうという打算から、いわゆる「無差別殺人」に走ったわけなのですが、着眼点はいいにしても、本当にそれをやろうとする人間なんか、この広い世の中でもそうそうはいないと思います。無関係ってことはつまり「殺すメリットがない」ってことですもんね。
 ということは、犯人に相当な強い欲求や意志が無ければ、殺人などというハイリスクなことはできないわけなのですが、そのエネルギー源たる動機が、今作の場合は「名探偵をぎゃふんと言わせたかったから」って、あーた……まぁ結果は呆れるくらいの大失敗に終わったわけなのですが、これはある意味で「究極の愉快犯」と言えるのかもしれませんね。

 世間でよく言う「名探偵がいると大事件が起こる」、「名探偵が旅行先にいたら今すぐ逃げろ!」というジョークは、本来ならば事件を解決するはずの名探偵が逆に「死神」に見えてしまうパラドックスを指摘する言葉なわけですが、最近で言えばコナンくんとか金田一耕助の孫を自称する少年がしょっちゅう言われているやつですよね。
 さすが金田一耕助、すでにその40、50年前に「名探偵がいるおかげで事件が起きる」をマジで地でいくケースに見舞われていたとは……しかも、本作の場合は冗談とかじゃなく、ほんとに金田一の言動が事件のきっかけになってしまっているのです。
 でも、今回の事件はどこからどう見ても犯人の思考回路がふつうじゃないと言いますか、これをもって金田一に事件発生の責任を追及するのは無理があると思います。ニュアンスで言えば、「へんなストーカーにからまれちゃった」という不運な事件といえるのではないでしょうか。
 「金田一がひどい目に遭った」と言うのならば、他ならぬ前話『悪魔の降誕祭』だって、金田一の探偵事務所兼自宅で殺人が起こるという嫌すぎる目に遭っていたわけだったのですが、これは被害者がたまたま事務所に駆け込んだからそうなったのであって、別に犯人が金田一に挑戦する意味でそこを犯行場所に選んだという意図はなかったと思います。ただ、よせばいいのに事務所の日めくりカレンダーを使って次の犯行予告の謎かけをするという調子の乗りっぷりは……若さゆえのあやまちでしたね。

 それに引き換え今回の犯人はというと、最初っから金田一を狙って事件を起こし、その上で自分の犯行だとバレないと確信して決行しているのですから、その肝っ玉たるや豪胆無比……っつうか、無謀に近い自己分析力と想像力の欠如があるような気がします。
 そして、犯人のヤバさが本当に見えてくるのは、そのくらいの大きな賭けにでていながらも、びっくりするほどドジなチョンボのためにあっさり逮捕されているというところなのです。だって文庫本にして50ページで終わっちゃってるし!
 具体的には、犯人はメモを盗み見した登喜子を自宅まで尾行している自分の姿を金田一にバッチリ見られていますし、被害者が身に着けていた貴金属を盗み持っていたという決定的証拠までご丁寧についてくる始末。こう言っちゃなんなんですが、初手から金田一に目をつけられる詰み具合になっていたのです。貴金属に関しては、もはや「これがないと小説が終わらないから」横溝先生が犯人に盗ませたとしか思えない、犯人の人物造形とまるで関連のない衝動的な行いですね。

 金田一耕助シリーズ史上最も大胆不敵にして、最もダメダメな犯人! それこそが、今作最大の見どころなわけです。

 おおよそ、推理小説の世界におめおめと出てきていいはずがない、もう笑うしかない短絡的発想で塗り固められた、矛盾だらけの行動に満ちた犯人像。
 でも、このムチャクチャさこそが、2025年のいまから観てみますと、ものすんご~くリアルに見えてくるんですよね。いや、おそらくはこの作品が世に出た1950年代からみても、当時の新聞紙面を騒がせていた犯罪事件のほとんどは、本作のように「なんでそんなことしでかしといてバレないと思ったん!?」と世間の人々の首をかしげさせる内容のものだったのではないでしょうか。

 ここ! この作品のバロックさ加減といいますか、横溝先生がわざといびつに設計しているとしか思えないタッチこそが、『~の中の女』シリーズに代表される短編小説群の味わいなんですよね。
 もちろん、連載やら並行執筆やらでスケジュール的に余裕がないゆえに生じたご都合主義的展開もしくは無理やりな締め方もあるのかもしれませんが、まるで数学の方程式のように精巧に組み立てられた論理的美しさに彩られた長編作品が多い横溝ワールドにおいて、もしかしたら短編作品というフィールドは、好きな実験を失敗もやむなしというゆるさでトライできる、大事な遊び場だったのかもしれませんね。だからこそ、この短編作品からみごとな長編作に練り上げられていった作品もたくさん生まれたのでしょう。


 ままま、そういう独特な味わいの横溢した作品でありますので、その面白さを今回の初ドラマ化が十二分に視聴者に伝えうるものだったのかといいますと、私はやっぱりいささかの「消化不良感」を覚えてしまうのでした。
 まず気になるのは今回のドラマ版の「金田一耕助よりのウェッティさ」で、まぁ番組タイトルがそうなんだから仕方ないとはいえ、金田一耕助の「悔やみ」の感情が異様に強調されていますし、さらには犯人が「ほんとに被害者たちの犯行計画を読み取っていた?」かのような描写が入っていたのにも疑問を感じてしまいました。つまり、金田一の「すべて犯人の妄想」という推理は間違っていたのかも……?というにおわせですね。

 いやいや!それは金田一のメンタルをよわよわに設定しすぎな解釈でしょ。そんな、市川崑監督の「天使みたいな金田一耕助♡」じゃないんですから、前話の『悪魔の降誕祭』でもそうでしたけど、金田一をいちいち1コ1コの異常事件で精神の均衡がぐらつくようなガキンチョにしないでいただきたい。
 ここが今回のドラマ版の狡猾さの最たる例なのですが、ドラマ版は、金田一が事件の真相を話している相手が等々力警部で、最後の最後に等々力警部が金田一を慰めるような挙動をして終わるじゃないですか。
 これ、原作版はこんな終わり方じゃないですからね!? 原作は金田一が語る相手はこの作品の筆者(=横溝先生)で、しかもラストは金田一が「あっはっは」と笑い飛ばしておしまいになっているのです。わろとるでぇ~オイ!!

 これこれ~! この神経の図太さこそが「プロの私立探偵」金田一耕助の真骨頂なのですよ。「文章は変えてません」みたいな言い訳をつけて、シーンの登場人物も感情描写も全く違う演出にしちゃうんだもんなぁ~! 宇野さんもお人が悪い。


 こういう感じでしたので、とにかく私は今回のドラマ版に関しては、「犯人も異常ならば、金田一も異常!」という原作小説『鏡の中の女』のエキセントリックさを意図的に排除した作劇になっていると感じましたので、その点に関しては非常に不満が残りました。じゃあ、この作品を選ばないでくださいよ~ってはなし!

 ただ、最後の最後にこれだけは申しておきたいのですが、以上のようにめちゃくちゃ破綻の多い不気味な犯人を、今回のドラマ版で演じられた役者さんはびっくりするほど「しずか」に演じられていて、その静けさが何よりもリアルで怖いという絶大な効果を生んでいたと思い、本当に感服つかまつってしまいました。いや~、さすがです!!
 すばらしい……並みの役者だったらヘンにサイコっぽい雰囲気や言動をとりそうなものなのですが、このお方は一切そんな味つけをせず、とにかく「やりたかったからやりましたけど……なにか?」みたいな表情で警察に連行されていく姿が最高に喜劇的で悲劇的でしたね。実にお見事……究極の引き算や。

 これを言ったら誰が犯人役なのかわかってしまうので多くは申せないのですが、ごくごく最近まで金田一耕助を演じられていたある俳優さんとキャリア的に非常に縁のある方でありながらも、ある意味でこれほどまでに「正反対に位置する」演技を極めていらっしゃるのは、ものすんごくそれぞれの役者人生の厚み、プロの道の奥深さを感じさせるものがありました。いや~いいもん観させていただきました。

 そして、このお2人の「間」に立っていらっしゃってた稀代の名優さんも、今回の記事の中のどこかに出ていた作品の中で等々力警部を演じられていたという、この数奇な因果関係ね~!

 いや~、横溝ワールドはほんっと~にでっかいど~! る~るるるる~!!
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円熟か、磨滅か? 佐吉ワールドまろやか味になる ~『悪魔の降誕祭』2025エディション~

2025年04月25日 23時46分04秒 | ミステリーまわり
 ハイどうもみなさま、こんばんは! いつものそうだいでございます~。
 みなさま、どうですか新年度は? いいすべり出しになりましたでしょうかね。
 私のほうはといいますと、おかげさまでいい感じに忙しく始めることができました。今年の春はこれまで通りのお仕事と並行して、いよいよ新しい方の道への挑戦も……「できる権利」を手に入れることができました! ひぃ~、まだお仕事いただけてるわけじゃないのが、情けないやらもどかしいやら。
 そんな感じなので私の場合、ホントに忙しくて大変だよ!という方々に比べたら随分と余裕のある状況がしぶとく続いたまま4月が終わろうとしております。さぁ、本格的に「火がつく」のは、一体いつのことになるのやら。ま、焦ってもしょうがないので、とりあえずエンジンだけは温めながら当面のお仕事を誠実にこなしていこうかと思うとります。お仕事、超絶募集中! 目の前に大海原は広がっとりますが、持ってるのはイルカの浮きビニール人形1コだけという無課金状態でございます……スライムベス1匹倒すのもひと苦労ヨ!!

 まま、世間話はここまでにしておきまして、今回は3年間も待ち焦がれていた、我が『長岡京エイリアン』でもいっつもお世話になっております、あのシリーズの最新シーズンについてでございます! 続いてくれて、まことにありがとうございます!!


ドラマ『悪魔の降誕祭』(2025年4月24日放送 NHK BS『シリーズ・横溝正史短編集Ⅳ 金田一耕助悔やむ』 30分)
 33代目・金田一耕助    …… 池松 壮亮(34歳)
 21代目・等々力 大志警部 …… ヤン イクチュン(49歳)

 『悪魔の降誕祭(あくまのこうたんさい)』は、横溝正史の中編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。月刊『オール讀物』1958年1月号に短編小説の形で発表後、同年7月に約3倍の文量に改稿された。現在は角川文庫『悪魔の降誕祭』に収録されている。
 雑誌掲載時の原型短編と完成版の中編との主な相違点としては、短編では徹也殺害に関する聴取で犯人が自殺を図り金田一の謎解きへ進んでいるが、中編では自殺未遂は発生せず、たまきが自分の犯行だと主張する以降の流れが追加されている。
 本作の設定と真相には、後年に発表された別長編作品の原形となっているとみられる部分が含まれる。
 本作は1988年12月に角川カセットブックからオーディオドラマ版(金田一耕助役・神谷明、等々力警部役・八奈見乗児)が発売されたが、実写作品化は今回が初となる。
 本作のドラマ版は、NHK BS での放送に先がけて2025年3月28日にNHK BS8K、同年4月19日にNHK BS4K にて先行放送された。

あらすじ
 昭和三十二(1957)年12月20日。金田一耕助にコヤマジュンコと名のる女性から依頼の電話が入った。等々力警部と外出する予定のあった耕助は、彼女に夜9時までに緑ヶ丘荘の自分のフラットに来るように伝えるが、フラットへ帰ってきた耕助を待っていたのは、地味な鳶色のスーツをきた女性の遺体であった。
 等々力警部と嶋田警部補による捜査の結果、コヤマジュンコは偽名で遺体の主はジャズ・シンガーの関口たまきのマネージャーである志賀葉子であったことや、死因が青酸カリによる毒殺であることなどが判明する。彼女のバッグには新聞記事の切り抜きの写真が残されており、その写真には関口たまきとピアニストの道明寺修二、上半身が切られた柚木繁子の姿が写されていた。さらに、金田一の部屋の壁にある日めくりカレンダーは5日分が剥ぎ取られて「12月25日」を示していた。また、たまきの夫である服部徹也の前妻の加奈子もまた、過去に青酸カリを飲んで死亡していたことが判明する。
 そして25日当日、西荻窪にあるたまき・徹也夫妻の新居で開かれたクリスマスパーティの最中に、徹也がたまきの部屋で刺殺体となって発見される。発見したのはたまきと道明寺修二だったが、2人はお互いを名乗る書き手不明のメモでたまきの部屋におびき寄せられたと証言する。徹也は、たまきの部屋と浴室の脱衣場に通ずる小廊下で刺されて、たまきの部屋のドアが開いた拍子に倒れ込んできたことが判明した。当初は第一発見者のたまきと道明寺が疑われたが、脱衣場で殺害直前の徹也と話をしたという徹也の娘・由紀子(たまきの継子にあたる)と、それを目撃した女中の浜田とよ子、たまきと道明寺の仲を疑い2人を監視していた柚木繁子の証言などから、2人に犯行のチャンスがないことがわかり、捜査は行き詰まる。

主なキャスティング
関口 たまき …… 月城 かなと(34歳)
服部 徹也  …… 六世 竹本 織太夫(50歳)
道明寺 修二 …… 上川 周作(32歳)
柚木 繁子  …… 板谷 由夏(49歳)
関口 梅子  …… YOU(60歳)
服部 由紀子 …… 蒼戸 虹子(あおと にこ 16歳)
浜田 とよ子 …… 伊勢 志摩(55歳)
志賀 葉子  …… 土本 燈子(25歳)
服部 可奈子 …… 佐藤 有里子(40歳)
島田警部補  …… みのすけ(59歳)
朗読     …… 北 大輔(?歳)

主なスタッフ
演出 …… 佐藤 佐吉(60歳)
振付 …… 皆川 まゆむ(?歳)

主な使用楽曲
プロローグ     『木立の部屋で』(2019年 YAS-KAZ )
オープニング    『Deep Inside 』(2024年 fox capture plan )
関口たまきのテーマ 『Before Long 1996再録バージョン』(1996年 坂本龍一)
金田一耕助の捜査  『Tokyo 』(2024年 fox capture plan )
たまきの異常な言動 『Storm 』(2002年 吉田兄弟)
柚木繁子の証言   『The curtain of night 』(2024年 fox capture plan )
犯人の変貌その一  『ライディーン』(1993年 ボアダムス)
犯人の変貌その二  『好き好き大好き New Mix 』(2016年 非常階段×戸川純)
エンドロール    『諸人こぞりて』(2017年 讃美歌第112番)


 うわお~う、きたきた、今や日本を代表する俳優のおひとりとなられた池松壮亮さんが名探偵・金田一耕助を演じる NHK BSの『シリーズ・横溝正史短編集』、超待望の第4シーズンのお出ましときたもんだコリャ!

 池松金田一による30分作品が3本で1シーズンという、フットワークも軽やかなこのシリーズは、2016年に「Ⅰ」、20年に「Ⅱ」、22年に「Ⅲ」が放送されておりましたが、シリーズが始まってから今回「Ⅳ」が放送されるまでの9年間のあいだに、主演の池松さんも大きな成長を遂げたような気がします。いや、成長したと見るのは失礼な話で、私たちがやっと池松さんの真価に気づいたという感じでしょうか。
 池松さんが初めて金田一耕助を演じたのは26歳のときだったのですが、その頃から池松さんは34歳となった今日まで20本以上の映画に出演して主演も多数、TVドラマも当然ながら出ずっぱりです。最近はドキュメンタリー番組のナレーションで、その特徴的な語りを聴く機会も多くなりましたよね。
 我が『長岡京エイリアン』で取り扱ったところでは、やはりおととしの超話題作『シン・仮面ライダー』(2023年3月公開)において新たなる「令和の本郷猛」を堂々と演じきったことが印象的ですが、来年2026年の NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では主人公である豊臣秀長の兄・秀吉を演じることが決定しているとか! これも楽しみですね~。大河ドラマでの豊臣兄弟といえば、どうしても『秀吉』(1996年放送)の竹中直人&高嶋政伸による兄弟のイメージがいまだに強く残っているわけなのですが(あと玉置浩二さんの足利義昭公も!!)、あれからちょうど30年という節目の年にあえてぶつけてきた『豊臣兄弟!』の若々しい挑戦に期待したいです。でも、兄が池松さんで弟が映画『十一人の賊軍』での熱演も印象的だった仲野太賀さんとなると、「冷静な兄と情熱的な弟」といったイメージで、どちらかというと『太平記』(1991年)での真田広之&高嶋政伸の兄弟を連想してしまうところが実に面白いですね。史実だと秀吉&秀長兄弟も足利尊氏&直義兄弟も性格に関しては「アツい兄&冷静な弟」の構図が定説だと思うのですが、そこを『太平記』のように『豊臣兄弟!』が打破する新解釈を展開するのか、はたまた池松さんがふんどし一丁で女のコを追いかけ回す痴態を見せるのか!? いずれにせよ、面白い作品になりそうで実に楽しみです。うん、それでそれで、霊陽院サマは!? 霊陽院サマは誰が演じるの~!?

 すみません、池松さんに関する脱線が過ぎてしまいました……まぁともかく、そこまで世間をにぎわす大俳優になられた池松さんが、3年ぶりにこのシリーズに戻ってきてくれたことは、非常にありがたいってことなんですよ!
 振り返ってみれば、2010年代の後半にこの池松金田一シリーズとほぼ同時期に始まった、同じく NHK BSの「スーパープレミアム金田一耕助シリーズ」(金田一役は長谷川博己→吉岡秀隆)は2023年の『犬神家の一族』を最後に沈黙しておりますし、民放放送局にいたっては5年以上前の『悪魔の手毬唄』(2019年 金田一役は加藤シゲアキ)以来ウンともスンとも知らせがありません。映画なんか、口に出すのもおぞましい2006年公開の超改悪版『犬神家の一族』が最後だってんですから、父ちゃん情けなくって涙がでてくらぁ!!
 まぁこういったていたらくですので、その中での池松金田一の帰還は、まさに「干天の慈雨」としか言いようのないご褒美なのでございます! まことにありがとうございます!!

 それで、ここからやっとのやっとで最新第4シーズンに関する話になるのですが(やだ、ここまでで4000字つかってる……)、今回も過去シリーズの形式を踏襲して、宇野丈良・佐藤佐吉・渋江修平という3名の演出家がそれぞれ、横溝正史の推理小説「金田一耕助シリーズ」の中から1話ずつを映像化するという内容になっております。30分枠のドラマだからといって、必ずしも短編小説ばかりをチョイスしているとも限りません……
 そいでもって、今回の「Ⅳ」はすでに先月からNHK BS8K とNHK BS4K で3話一挙放送されておりますので、おそらくもうレビュー記事やブログはバンバン出たあとかと思うのですが、私が視聴できるのが NHK BSからなので、我が『長岡京エイリアン』では今さらながら、しかも1週に1話ずつというスローペースで、3話分を芋虫のごとくムチムチと食むように(©江戸川乱歩)味わっていきたいと思います。ゴールデンウィークの愉しみは、これできまり☆ ひと晩で3話ぜんぶだなんて、贅沢すぎてバチがあたらぁ!

 さぁ、それで今回「Ⅳ」の一番手は、佐藤佐吉さんの構成・演出による『悪魔の降誕祭』となります。佐吉さんがシーズンの一番手になるのって、今回が初めてなんですね。確かに佐吉演出は、どっちかというとお3方の中では「変化球」というか「飛び道具」なイメージがあるので、トップバッターにはなっていなかったかも。
 ちょっと気になったのが冒頭のところで、今までのシリーズ作品ではたしか、どの作品でも「原作小説の文章を抽出してほぼ忠実に映像化」というただし書き字幕が出ていたはずなのですが、今回はそれがありませんでした。とは言っても、実際に観てみると今回も大幅に原作小説と違った内容がドラマに組み込まれているということは無かったので、ぱっと見は大きな路線変更はないかのように見えていました。ま、ぱっと見はね……

 上の基本情報にもあります通り、今シーズンの一番手となった『悪魔の降誕祭』は、もともと短編小説だったものを文量およそ3倍の中編小説にボリュームアップした作品となっております。
 参考までに、現在私の手元にある角川文庫から出た作品集『悪魔の降誕祭』(初版は1974年)を見てみますと、完成版の中編『悪魔の降誕祭』は約160ページで、同じ本に収録されていて、前シーズンで佐吉さんが映像化した『女怪』は約40ページの短編小説となっています。いま角川文庫から出ている最新の版は文字のフォントが大きくなっているはずなので、ページ数は全体的にもうちょっと増えてるかも知んないけど。
 ちなみに、これは文庫本でなく文章二段組み単行本なので全く比較対象にならないのですが、私が持っている1996年に出版芸術社から出た金田一耕助ものの「原型」短編集『金田一耕助の新冒険』に収録されている短編版『悪魔の降誕祭』は50ページ弱というお手軽なボリュームになっています。この『新冒険』って文庫化もされているんですけど(光文社文庫)、私は単行本版の今井真理(いまい鞠)さんの切り絵によるカヴァーがとっても気品高くエロくて大好きので、手元に置いてるのは単行本のほうなんだよなぁ。いまい先生、今なにしてらっしゃるんだろ。

 そんでもってかんでもって、むちゃくちゃ引っぱってきてしまいましたがいい加減に、今回記念すべき初ドラマ化となった佐吉版『悪魔の降誕祭』を観た感想を申したいと思います。ほんと、話が流くてすんません……


確かに原作に忠実とは言いがたい「不可解なマイルド化」が目立つ平均点的小品


 こんな感じになりますでしょうか。いい意味でも悪い意味でも、丸くなっちゃったかしら!?

 今回の記事のタイトルでも言っているのですが、今回の佐吉さん担当回は、なんだか佐吉さんらしからぬ無難化といいますか、スタンダードなミステリードラマとしての完成度を目指したかのような「まろやか化」が前面に押し出されていたような気がしたのです、あたしゃ。

 こう言いきってしまうと、ドラマを視聴した方の中には、「おいおい、お前ちゃんと観たのか!? あの衝撃的なラストのどこがマイルドなんだ!? クライマックスの犯人の豹変っぷりだって十二分に佐吉テイストたっぷりだったじゃないか!」と反論したくなる向きも多いかと思います。
 いや、それはわかる! そういった作品としてのエグ味というか個性がちゃんとあったのはよく承知しているのですが、私が言いたい「不可解なマイルド化」というのは、

横溝正史の原作小説にあった「毒味」を意図的にカットして、佐吉さんオリジナルの味つけを加えている。

 という意味でのマイルド化なんですよね。要するに、ドラマとしての面白さは保障されているのかも知れませんが、その面白さが今回は横溝正史由来ではないのです。これは、今までとはだいぶ意味合いの異なるアレンジのような気がしました。ちょっと~、これを見ないフリはできない。

 まず、原作小説と今回のドラマ版とで、事件の犯人の設定は変わっておりません。ですので、金田一が犯人を告発した時の「あの変貌」はほぼ同じ感じではあるのですが、原作小説で語られてドラマ版ではとんと触れられなかったのは、犯人をあのように変貌させてしまった「真の悪魔」が他にいてのうのうと生き延びている、という点なのです。

 すなはち、ドラマ版では第2の殺人(服部徹也刺殺事件)が発生したクリスマスパーティの夜が明けるまでに事件が解決したかのように描写されているのですが、原作小説の「短編版」はその通りではあるものの、完成した「中編版」はそうではなく、ドラマにあるように関口たまきの「私が殺しました」発言が嘘であると等々力警部が指摘したくだりでその夜の捜査は行き詰まり、それから日が経って、たまきが道明寺修二との再婚を発表、徹夜の死から約1ヶ月後の翌年1月下旬に、同じたまきの新居で行われた婚約披露パーティの終わった後に親しい者だけ残ったお茶の席で、例の金田一による犯人あぶり出しのひと芝居が打たれたという流れになっているのです。

 これってつまり、原作小説では犯人が第3の殺人をこころみるまでに、無理のない時間的余裕と「動機の発生」が用意されているんですよね。そしてその動機が、たまき……というよりも、徹也も含めた多くの人々の心を奪い、エネルギーを吸い取りながらも、旦那が死んだ1ヶ月後には再婚を公表する「したたかさ」を持った大人の存在を許せなかったからだった、という真実を何よりも雄弁に物語ってくれているのです。原作小説の方が断然、犯人が蛇蝎のごとく嫌悪していたものを明確に浮き彫りにしているんですよね。それをドラマ版は、意図的にカットしてしまっているのです。ドラマの流れだと、第3の殺人にいくまでの時間が短すぎて犯人にそれ程の心理の揺れが無かったように見えるし、第2の殺人と第3の殺人の「意味の違い」が全く見えなくなってしまうのです。そもそも再婚の話自体が出てこないんだから。
 これじゃ、行き当たりばったりでみんな殺してやろうと思った、くらいの浅い動機になっちゃいますよね。ま、それはそれで「現代的」な動機ではあるのですが……

 なぜ!? なぜなんだろう!? このドラマ版のカットは、単に場所がどっちもたまきの家の中だったから尺の都合でバイパス手術しちゃった、みたいな言い訳は通らない大幅なカットだと思いますし、当然、「原作に忠実」などとは口が裂けても言えない大きな改変だと思います。

 これ、別に私が横溝正史ファンだから言ってるんじゃなくて、原作小説にちゃんとあった「面白さ」を、そこだけ丁寧にスプーンでえぐり取って捨ててるから言っているのです。なんでそんなことすんの!?と。メロンは、そのタネのぐっちゃぐちゃなとこがおいしんでしょうがぁあ!!

 私が言っている「そこだけ捨てられた面白さ」というのは、言うまでもなく関口たまきという人物の生き方の怪物的な魅力、二面性です。こっちのほうが「女怪」じゃねぇかと言いたくなるような、醜悪なまでの生命力の強さ、悪運! クライマックスであそこまで衝撃的な悪魔の姿を見せた犯人も、しょせんは彼女の被害者でしかなかったという、実に横溝先生らしい二重底の面白さが、ドラマではいかにも今風に「犯人がそういう悪の種子を心に宿していた」という一色の単純なオチになってしまっているのです。
 それに関連づければ、ドラマ版の意味深なラストカットも、「犯人は死んでも、その悪意は継承される」というオリジナルな解釈ができるわけなのですが、私に言わせていただけるのならば、ドラマ版と同じ「告発」を大の盟友の等々力警部から受けても、

金田一耕助はそれにたいして答えなかった。(原作小説より)

 という、文字通りの「黙殺」でこたえた小説の金田一のほうがよっぽど怖いような気がします。なんか、今回のドラマ版の金田一は、演じている池松さんが得意としていると見られることの多い「ガラスのハート」な面に引きずられてああなっちゃったような気がしますね。
 まぁ、そういうサイコな展開が今はウケるのかも知れませんけどねぇ……なんで今回の佐吉構成は、横溝先生が打ち出していた「人間の生のエグ味・おそろしさ」みたいなものを「ホラー映画的なショッキング演出」にまで単純化してしまったのでしょうか。わかんない!

 演じる役者さんの実力を信用すれば、絶対に原作小説に忠実にやっても問題なかったと思うんですけどね……特にたまきなんか、ドラマ版だと「なんで私のまわりでこんなに人が死ぬのかしら?」みたいなオール他人事な悲劇のヒロインでしかないじゃないですか! その裏に「真の顔」があるのがこのキャラクターのミソなんだし、別に演じた月城さんだってそれができない役者さんではないと思うんですが、なんか佐吉さんが気を遣って「いや、いいです! たまきはそんな汚い面は見せないでください!」みたいに、頼んでもないのに役を小さくしちゃったようにしか見えないんですよね。

 いっぽう、原作小説の「たまきと道明寺の再婚発表」のくだりが生み出す効果としては、たまきのバイタリティの他にも、「他人のためを思って犯人を隠蔽しようとした服部徹也の無駄死に感」があったかと思うのですが、これもまたドラマ版でのカットで、単純に犯人と徹也との関係だけにおさまってしまったのがもったいないにも程がありましたね。たまき、そこまでの思いを持って徹也が死んだのに1ヶ月後に道明寺とくっついちゃってんだぜ!? 浮かばれなさすぎ……
 ここらへんの「被害者(徹也)の予想外の行動が事件の謎をよけいに深める」という展開は、一見すると「んなアホな!」と笑ってしまいたくなるような真相なのですが、これはミステリー小説の歴史でいうとそうとうに古典的な作品から点々とつながっている伝統的なトリックなんですよね。私もいくつか脳裏に思い浮かべる作品があるのですが……これって、「人間、死ぬかもしれない超非常事態におちいると、そういう行動とっちゃうのかもな。」と読者に強引に納得させる作家の腕前がないと、いわゆる「バカミス」になっちゃうんですよね。ま、ミステリー小説はその発祥といわれる世界的有名作からして、そういう要素ありますから……おサルさんとかヘビとかクラゲとか……

 余談ですが、「旦那が殺された1ヶ月後に再婚を発表するたまき」というあたりもけっこう非常識な話ではあるのですが、それと同じくらいに、「マネージャーが殺された5日後に予定通りに新居祝いのクリスマスパーティを開くたまき一家」という設定もかなり常識を疑いたくなる話ではあります。中止にせい!!
 ただ、このように「中止になる可能性もある」パーティの日を見据えて犯行予告をしているということは、これって裏返せば「中止でも犯行可能」という公算が犯人にあったということなので、ここを突き詰めちゃうと、その夜にたまきの家にいない可能性もあった道明寺と柚木は「犯人」にも「被害者」にもなりえないという消去法が成り立つと思います。つまり、この「殺人の5日後のクリスマスパーティ」という強引な設定は、横溝先生から読者に暗に提示された「犯人も被害者もたまき一家の身内」という大ヒントになっているのではないでしょうか。う~ん、ドメスティ~ック!!


 こんな感じで、今回初の映像化となった『悪魔の降誕祭』は、原作の「衝撃的な犯人」という展開はちゃんと押さえておきながらも、なぜかそれ以外の登場人物たちの個性の強さからくる面白さはのきなみカットしてしまうという、謎な簡略化が目立つ作品になってしまっていたかと思います。別に長編の『犬神家の一族』を30分に収めろとかいう話でもないので、そんなにカットしなくても良かったと思うんですが……

 ただやっぱり、池松さんをはじめとしたキャスティングの良さは今回も冴えわたっていて、宇野丈良演出チームから移籍しながらも役柄は続投しているヤンさんの等々力警部&みのすけさんの島田警部補のコンビ(ただし初共演)も相変わらずいい味を出していたし、同じく宇野チームから出向してきた、「なんか人の家で殺人があるとよくいますよね」な YOU&板谷由夏さんというおなじみの面々もデジャヴュな感じで良かったと思います。
 でもやっぱり、今回の MVPはなんと言っても、由紀子役の虹子さんですよね! 原作の由紀子と同じ16歳! 今回ドラマ初出演! 素晴らしい才能ですね~。なんか、繊細なだけじゃない芯の強さがあるのが最高ですよ。今後のご活躍に大いに期待したいです。

 あと、佐吉さん演出回といえば、作中で使用される楽曲のチョイスにも注目したいのですが、今回はまぁ……それほど印象的な選曲はなかったかと思います。いい意味でも悪い意味でも、BGM がちゃんと BGMに徹していましたよね。目立たなかった。
 しいて言えば「犯人の変貌」シーンで使われた『好き好き大好き New Mix 』がいかにも佐吉さんらしかったし、曲の内容もまさに犯人の心の歪みをどストレートに体現していて良かったと思ったのですが、大サビの「♪あいしてるぅって いわなきゃコロスぅう!!」まで流れなかったところに、NHK放送の限界というか、TVマンとしての良識を見たような気がいたしました。まぁ……そりゃそうよね、戸川さんだもの。

 いろいろくだくだと申しましたが、それでも私としましては、前回に佐吉さんが構成・演出した『女怪』よりは、今回の『悪魔の降誕祭』のほうに好印象を持っておりまして、なんだか金田一耕助のハートブレイクに必要以上に同情的になってしまい、原作小説では『ちびまる子ちゃん』のナレーションのように金田一の狂態を冷笑ぎみに客観視する語り手(横溝先生本人)という面白さをいっさい放棄してしまっていた前回よりは、非常に見やすい作品に落ち着いていたのではないかと思いました。実に、シーズンの一番手としてそつのない仕上がりなんですよね。ああいうバッドエンドみたいな締めくくりではあるのですが。

 いやぁ、こういう『悪魔の降誕祭』を観ちゃうと、この作品に大いに関連が深いといわれる「あの長編」も、できますれば2時間サイズの長尺ドラマで観たい気がしますね~! でも、物語のシチュエーションでいえば両者はまるで似ても似つかない作品ではあるのですが、「異形の犯人像」と、その裏に犯人をそうしてしまった「真の元凶あり」という骨組みが、確かにかなり似通ってるんだよなぁ。やっぱり横溝先生の小説世界は、「生きている人間のしたたかさ」をあまさず描ききるところに真骨頂があるんですね。

 2時間ドラマ担当の吉岡金田一シリーズさんも池松金田一シリーズに負けずに、脚光が当てられていない長編群の映像化をよろしくお願い致します! ど~かひとつ!!
 フェイドアウトだけはカンベンしてつかぁーさいぃ!!
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名探偵・金田一耕助、はじまりの特異点 ~映画『三本指の男』(本陣殺人事件1947)~

2024年11月14日 20時52分21秒 | ミステリーまわり
 ハイみなさまどうもこんばんは! そうだいでございますよっと。
 いよいよ今年も、もうあとひとコーナーを曲がればゴールが見えてくるといった残りペースになってまいりました。寒くなってくると何かと流行り病がハバをきかせてきてしまいますが、みなさんは風邪もひかずお元気にやってますか? 私はもう全然平気! なぜか哀しくなるくらいに身体が頑丈です。もちっとこの、「かよわいはかなさ」みたいな風情はないもんなのかと……

 それはさておき本題なのでございますが、今回はなんと、77年も前に公開された、ある歴史的映画作品についてのあれこれでございます。最近、映画館や TVで観たばっかりの作品についてあーだこーだ言ってきましたが、今度はいきなり昔の作品へと時間をひとっとび! ムチャクチャですね~。


映画『三本指の男』(1947年12月公開 モノクロ72分 東映)
・横溝正史による金田一耕助もの推理小説第1作『本陣殺人事件』(1946年4~12月連載)の初映像化作品。
・白木静子は原作小説にも登場する人物だが、金田一耕助の助手となって活躍するのは東映(初公開当時は東横映画)版「金田一耕助シリーズ」(全7作)に共通するオリジナル設定である。
・本作の題名が原作小説通りの『本陣殺人事件』でないのは、検閲をしたアメリカ占領軍が「殺人」という言葉の使用を許可しなかったためである。
・時代設定が原作小説の昭和十二(1937)年から、映画公開当時の太平洋戦争後に変更されている。
・犯人の設定と動機、「三本指の男」の正体が、原作小説から大幅に変更されている。

おもなキャスティング(年齢は映画初公開当時のもの)
初代・金田一耕助   …… 片岡 千恵蔵(44歳)
初代・磯川常次郎警部 …… 宮口 精二(34歳)
初代・白木静子    …… 原 節子(27歳)
久保 銀造 …… 三津田 健(45歳)
久保 春子 …… 風見 章子(26歳)
久保 お徳 …… 松浦 築枝(40歳)
一柳 賢造 …… 小堀 明男(27歳)
一柳 糸子 …… 杉村 春子(41歳)
一柳 隆二 …… 水原 洋一(38歳)
一柳 鈴子 …… 八汐路 恵子(23歳)
一柳 良介 …… 上代 勇吉(?歳)
一柳 秋子 …… 賀原 夏子(26歳)
一柳 三郎 …… 花柳 武始(21歳)
小森 周吉 …… 村田 宏寿(48歳)
高田村長  …… 水野 浩(48歳)
藤田医師  …… 椿 三四郎(40歳)

おもなスタッフ(年齢は映画初公開当時のもの)
監督  …… 松田 定次(41歳)、渡辺実(28歳)
脚本  …… 比佐 芳武(43歳)
製作・企画 …… マキノ 光雄(38歳)
撮影  …… 石本 秀雄(41歳)
照明  …… 西川 鶴三(37歳)
音楽  …… 大久保 徳二郎(39歳)
琴演奏 …… 古川 太郎(36歳)

あらすじ
 私立探偵の金田一耕助は、かつてアメリカ滞在時代に世話になった財産家・久保銀造の姪の春子が、岡山県の旧家である一柳家の当主・賢造と結婚することを知り、結婚式に出席するために一柳家を訪れた。往きの列車の中で金田一は偶然、同じく結婚式に参加する春子の女工時代の親友の白木静子に出会うが、眼鏡をかけたインテリ女史の静子は金田一に冷淡な態度をとる。一柳家は由緒正しい家柄で、賢造の家族や親戚の中には、春子との結婚に反対し妨害しようとする封建的な考えの人々もおり、一柳家と久保家の双方に結婚を妨げる怪文書が送られ、さらに一柳家には謎の「三本指の男」が現れていた。春子から結婚への不安を聞かされた金田一は独自に調査を始めるが、結婚式の翌朝未明、密室状態の離れで春子と賢蔵の死体が発見される。岡山県警の磯川警部は三本指の男が犯人ではないかと考えるが、金田一は静子の協力のもと捜査を進めていく。


 はいきたどっこいしょ! ミステリ好き、わけても横溝正史大先生の「金田一耕助シリーズ」が大大大好きと標榜する我が『長岡京エイリアン』といたしましては、ぜ~ったいに避けては通ることのできない、「映像化された金田一ものの元祖も元祖、正真正銘の第1作」のご登場でございます。

 まず、なんでまたこのタイミングでこの作品を取り上げるのかということについてなのですが、実は私、今年の6~7月に募集が行われていたクラウドファンディング企画「映画『悪魔が来りて笛を吹く』1954年エディションをデジタル修復&復刻上映しよう」というプロジェクトに些少ながら参加させていただいていたんです。そいで、その最終募集金額がなんと目標金額の3倍を超えたということで、ストレッチゴール特典としてつい先日に限定配信されたこの『三本指の男』を、ありがたくじっくりと鑑賞させていただいたわけだったのでした。もともとお目当ての『悪魔が来りて』のほうの修復上映は来年の1月で、限定配信は2月になるとのことです。たんのすみだなやぁ~オイ!

 そもそもの関係を説明させていただきますと、今回の『三本指の男』は上の情報にもある通り、映像化作品の歴史における初代・金田一耕助こと片岡千恵蔵が主演する全7作の「東映(東横)金田一シリーズ」の記念すべき第1作にあたり、『悪魔が来りて笛を吹く』は、その第4作にあたります。現在、このシリーズで映画のフィルムが現存しているのは第1作『三本指の男』と最終第7作『三つ首塔』(1956年)、そして第2作と3作とで2部構成になっていた『獄門島』を1本に編集した『獄門島 総集篇』(1950年)の3作のみで、これに今年めでたくフィルムが発見された『悪魔が来りて』が加わることがアナウンスされているというわけなのです。よかったよかった!

 こんな状況ですので、現行、最新の第34代・金田一耕助こと吉岡秀隆による『犬神家の一族』(2023年放送)にいたるまで連綿と続く、悠久なる映像化金田一作品の歴史の「はじまりの特異点」となるこの『三本指の男』がちゃんと鑑賞できるという幸せは、もう奇跡としか言いようがありません。同じ名探偵でも、明智小五郎先輩はそうはいきませんものね! でも、あれは映像化第1作が戦前の映画になっちゃうから生存確率がさらに絶望的で……もう100年近く前のモノクロサイレント映画なんだぜ!?

 っていうか、そうか~、映像化金田一も、いま1年半ブランクがあいてるのか……いかんいかん! 来年2025年こそはお願いしますよ!!

 それで話は『三本指の男』でして、この作品、現在視聴できる内容の本編時間は「72分」なのですが、Wikipedia などのネット上の情報では「84分」とか「82分」と解説されているものがほとんどです。あれ? 10~12分はどこいった?

 これ、実際に鑑賞してみるとよくわかるのですが、現在観られる72分バージョンは、特に前半部分の事件関係者がどんどん登場してくるくだりで、露骨にカットされている形跡が至る所で見られるんですよね。
 例えば、火の点いていないタバコを口にくわえた金田一が次のカットではぷはーと煙を吐いてるとか、一柳糸子が明らかに何かを言おうとしているのにブツッと次のカットになるとか、座っていたはずの登場人物が次のカットで部屋から立ち去りかけているとか。
 このように、かなり乱雑にフィルムを切り貼りしている部分があって、そういえば一柳家の人間も、自己紹介をしたり名前を呼ばれたりしないまま話が進んでいくような不親切設計になっているのです。ずっと当たり前みたいに一柳屋敷にいるけど、あなただれ?みたいな。
 そしてさらに不可思議なのは、72分バージョンのオープニングの社名クレジットが「東映」になってるってことなんですよね! 東映が発足するのは1951年ですから、その4年前に制作された『三本指の男』で東映がクレジットされるはずはないのです。当時は、その東映の前身会社の一つの「東横映画」ですから。
 つまりこれ、本来『三本指の男』の完全バージョンは84分か82分だったのですが、後年に上映権を継承した東映が何かの都合で「72分の東映映画」にリサイズしちゃったということではないのでしょうか。う~ん、いけず!

 ただ、不幸中の幸いと申しますか、この約10分間のカットによって確かに見づらいとかキャラがよくわかんないとかいうマイナスは発生してしまったのですが、パッと見る限り後半に無理なカットは無いので、映画のテーマやミステリ作品としてのトリックが伝わらないという致命的な事態には陥っていないようです。いずれにせよ、2020年代に鑑賞できるのはすばらしいことに変わりなし。

 ほいで、この作品をワクワクしながら観た私の感想なのですが、


あらゆる意味でアグレッシブ! フレッシュ! 若さと軽快さがみなぎるスーパールーキー的野心作!!


 こういう印象を持ちました。攻めてますねぇ!

 あの、今回も例によって、具体的に鑑賞していて気になったポイントは記事の最後にまとめておきますので、細かいところに関してはそちらを読んでいただくとしまして、要点だけ申します。本作は原作小説『本陣殺人事件』とは事件の真相がまるで違ったものになっているのですが、その「変えた理由」というのが、ちょっと他のミステリ作品とは違うような気がするんですよね。

 だいたい、原作小説と結末(犯人)が違う映像化ミステリ作品というものは、「本と同じ結末にしても面白くないでしょ」という、ちょっと今現在の価値観とは微妙にずれた制作者側のサービス精神のあらわれであることが多く、実際に、原作はもう読んだんだけどマルチエンディングも観たいという観客を映画館に集める効果もあったかとは思います。まぁたいてい、その場合は「ミステリ作品としてのクオリティ」が犠牲になってしまうわけなのですが……

 でも、今回の『三本指の男』の改変に関しては、そういった興行的な事情もあるのかも知れませんが、それ以上のねらいとして、「古い慣習こそが諸悪の根源」というテーマを明瞭に打ち出したいがために、あのような強引ともとれる「真の結末」を用意したのではないでしょうか。久保春子と一柳賢造の悲劇の死という物語だけでなく、ひとつのフィクション作品として「どうしてもお前だけは許しておけない」という、とてつもないルサンチマンに血をたぎらせた手が、むんずとあの「真犯人」の肩をつかんで地獄に引きずり込むようなイメージが、この『三本指の男』オリジナルの結末には濃厚にただよっているのです。
 新しい価値観による、古い社会通念の徹底的な破壊! だからこそ、本作の時代設定は原作通りの戦前ではなくリアルタイムの戦後となり、白木静子と久保春子も、当時最先端のヘアスタイルやファッションセンスを身にまとった容姿になっているのでしょう。

 ものすごい情念です……そしてそのエネルギーはおそらく、誰あろう、古巣の歌舞伎界に絶望した果てに映画界にたどり着き、泥水をすする思いで底辺から大スターへと昇りつめていった片岡千恵蔵が、古い因習に囚われた旧家に起きた残忍無比な犯罪を糾弾するという構図にそのまま転換されているのです。こと、この『本陣殺人事件』を映画化する以上、別にお客さんを呼べるスターだったら誰が金田一になってもよいという話では絶対になく、古い世界をぶち壊す思いを胸に秘め、新しい世界を代表する旗手となる柔軟さ、軽妙さを持った千恵蔵でなければいけないという確信的なキャスティングがあったのではないでしょうか。

 そのようなことを強く思わせるほどに、このシリーズ第1作における千恵蔵金田一は妙にフワフワしたフットワークの軽さを持ちながらも、同時に古い世界を憎む情熱を心の奥底にみなぎらせており、その二面性の魅力は、はっきり言ってそれ以降の33名いる金田一耕助を演じた俳優の誰にも負けないオンリーワンな輝きを持っていると思うのです。さすが、初代はすごい! 原作に沿っているのどうかはまた別の話なのですが、歴代のどの金田一よりも「正義の使徒」を標榜した金田一なのではないでしょうか。それでいて、普段はへにゃへにゃしているというギャップがたまんな~い♡

 いろいろ申しましたが、この『三本指の男』は、確かにひとつのミステリ作品としてはやや無理がある展開もありますし、原作小説以上に「金田一が事前に惨劇を防げたのでは……?」と思えなくもないアラが目立つ異色作となっております。あと、やはり前半の編集の雑さや、おそらくはフィルムの状態のせいで全体的に画面が小刻みに揺れていて酔っちゃうという、内容以前の問題も散見されます。
 でも! 単に仕事でやってるだけとはとても思えないパワーの入れようで軽妙 / 重厚の両面を使い分ける金田一耕助を演じる片岡千恵蔵の勇姿は、金田一ファンならずとも一見の価値はあるのではないでしょうか。いやほんと、千恵蔵さんの演技は昭和の俳優さんのそれじゃないんですよ! 令和でも全然通用する複雑な起伏を持った造形ですよね。
 もちろんそこには、シリーズ第1作という手探り感もあるのでしょうが、それだけに、そこから経験値も増した第4作『悪魔が来りて笛を吹く』では、千恵蔵さんはさらにどんな金田一を見せてくれるのか!? 画質のきれいさにも期待しつつ、来年の公開を心待ちにしたいと思います!

 それにしても、この作品であそこまでに完璧なツンデレ助手・白木静子を演じてくださった原節子さんが、この1作のみで降板してしまうというのは、いかにも惜しい……ああいう「名探偵の異性バディ」設定って、脚本の比佐芳武さんが、海外ミステリのクリスティやクイーンあたりにヒントを得て導入したんですかね? 実にうまかったなぁ~。

 千恵蔵金田一はほんと、女性へのアプローチもスマートで現代的! ちったぁ原作の金田一先生も見習わねば……いや~ん『女怪』のトラウマ~!!


≪まさに歴史の1ページ目! 『三本指の男』鑑賞メモ~≫
・謎の男のシルエットが露骨にアピールされたオープニング。そして配役クレジットの最後には「三本指の男 ?」というしゃれた表示がでかでかと打ち出される。う~ん、わかりやすい! あの宮城道雄の高弟だという古川太郎による琴の調べも非常に流麗である。わくわく!
・岡山の山中を走る蒸気機関車から物語は始まるのだが、本シリーズの顔である、洗練されたスーツを着た千恵蔵金田一のイメージに合わせるかのように、かなり軽快でジャジーな映画音楽が流れる。のちの石坂金田一や古谷金田一の描く、タバコの煙やら咳こむ親子連れ客やらでごみごみした印象の列車内とはまるで違う、かなり開明的な1940年代である。明るいね~!
・走行中の列車が鳴らす汽笛の音を聞いて、金田一と向かいの白木静子が立ち上がって窓を閉めようとするのだが、この行動の意味が分かる人も、2020年代じゃあどんどん少なくなってるんだろうな……だって、1980年代生まれの私ですら、それを実際にやったことはないんだもんね、蒸気機関車に乗ったことないから。まず、隣に別の乗客がいるのにスパスパとタバコを吸ってる人がいる時点で驚きますよね。
・行動の習慣自体は古いのだが、閉めようと窓に手をかけた金田一と静子とが、指が触れあってはっとするという出会いの描写は2020年代でも充分すぎるほどに通じる描写ですよね! いいよな~、こういうベタさ。
・スキのないスーツ姿にキリっとした二枚目フェイスということで、見た目こそ原作小説の金田一耕助とはまるで正反対な片岡千恵蔵なのだが、いざしゃべり出すと意外なほどにひょろひょろっとした高音で、ところどころでどもる癖があるのも、中身は原作にかなり準拠している感じがして実に面白い。全然別のキャラというわけでもないのが、いいね!
・亀……? 千恵蔵金田一、なぜ荷物に生きた亀を入れてんの? 私立探偵っていう職業でも説明のつかない、「荷物に亀」問題……これは冒頭から難問だぜ!
・列車で向かいの席に座った、荷物に亀を入れてるわけのわかんない男が、田舎行きのバスでも向かいに座って意味ありげな視線を投げかけてくるのだから、静子が大いに警戒するのも当然である。こわっ!
・バスを降りて、私有地であるはずの久保果樹園に入っても静子を追いかけてくる金田一! ここで流れる音楽こそコメディタッチなメロディなのだが、静子の側からしてみればそうとうな恐怖である。なにコイツ~!?
・金田一から逃げて息をゼーハーさせながらやって来た静子を笑顔で歓待する久保春子。のちの悲劇をおもうと非常にいたたまれなくなるほどにまぶしい笑顔が印象的な女性なのだが、前髪とサイドをこれでもかと言うほどにアップさせた髪型がもう「100% サザエさん」である。あれって、戦後から1950年代半ばくらいまで大流行した「モガ(モダンガール)ヘアー」っていうんですって。なるほど~、じゃ、陽キャな春子がやってても全然ぴったしなのか。
・春子のヘアスタイルの影に隠れているようでいて、実はよくよく見てみると、肩パットバリバリのコンサバスーツにリーゼントすれすれのポンパドゥールをきめた静子のスタイルもなかなかに先鋭的である。『ブレードランナー』のレイチェルじゃん! おいおい、原節子が岡山のど田舎で2019年モデルのレプリカントになってるよ!! なんて攻めた映画なんだ……
・久保邸でくつろぎ、荷物に亀を入れてきた理由を笑いながら説明する金田一なのだが、それを聞いて不機嫌そうに「ぷいっ!」と顔をそむける静子……ていうか原節子さんが非常にかわいい。これまさに、70年の時を経てもいささかも衰えぬ「萌えキャラ」の祖なり!!
・別に一言もセリフをしゃべってないのに、ただ一柳鈴子の琴を聴いているだけで「あぁ、このおばさんヤな感じだな~。」と即座に観客に思わせる杉村春子の無言の演技がすばらしい。もうこれ、大女優のオーラどころかフォースのレベルですよ! ダークサイドのほうの。
・久保春子と一柳賢造とのめでたい婚礼の直前というタイミングで、春子を「裏切者」とののしる田谷照三なる人物からの脅迫文が。しかも、その照三に実際にあったという静子の言うことには、照三は戦争から復員して「三本指」になっているのだという……いやがおうにも不穏な緊迫感がみなぎる物語の進み方が実にスリリングである。さすが上映時間が短いだけあり、テンポが小気味いい!
・そして婚礼の日になり、一柳家の周辺には白昼堂々、これ見よがしに怪しい風体の、顔にどえらい傷を負って三本指になった復員服の男が出没! この男がやって来た、その意図とは……? ドキドキするなぁ!
・春子の男性遍歴を告発するていの脅迫文や、婚礼当日に三本指の男が現れたという情報を聞いてかなり動揺しながらも、冷静なふりをして「今夜の婚礼は規定事実だ!」と押し切ろうとする一柳賢造の神経質な感じが非常に良い。盛り上がってまいりました。
・一柳家に顔を出したついでのように、もう一方の久保家の方にも現れて、窓越しに偶然目が合った静子を驚かせる三本指の男。ここ、一見なんの脈絡もない、原作小説でも描写されない映画ならではの単なるショック演出のように見えるのだが、のちのちに判明する真相から見るとけっこう意味のあるくだりになっているのが興味深い。特に、彼を目撃した静子が銀造に、「顔に傷跡のある怪しい男が……」と報告しているのは非常に重要なポイントである。あれ、静子がそう言うってことは……?という、かなりのサービスヒント。うまい!
・婚礼の準備を整えて、車に乗って一柳本陣にやって来る春子と銀造を、村中の人々が総出で見物するというくだりがけっこう新鮮に見える。旧家の婚礼は、村をあげてお祝いする明るい大ニュースだったのね。めでてぇな!
・一柳本陣で古式にのっとった婚礼の儀が重々しく行われるいっぽう、主のいない久保家では、「メガネ取った方がかわいいよ。」「うっさいわね!」という、金田一と静子との恋のツンツンゲームが! 金田一、かなり攻めますね~! ここら辺のアグレッシブさは原作の金田一とはまるで別人で、どっちかというと「孫」と言い張っているあの少年のシルエットが浮かんでくる……そっちかい!
・単純だが、久保家でピアノを弾く静子から、一柳家で琴をつまびく鈴子に切り替わるカットセンスが面白い。市川崑みたい。
・モノクロ映画なだけに、真夜中に聞こえてくる人間のうめき声と琴糸の切れる音が非常に怖い! カラー映画には出せない夜の闇の深さ。
・密室トリックであることは原作と同じなのだが、凶器が日本刀でなく「柄の長い刺身包丁」になっているのが非常に興味深い。やはり軍刀を連想させる日本刀は出せなかったのね。
・のちに、『生きる』(1952年)や『七人の侍』(1954年)といった黒澤映画でかなりインパクトのある役を演じることとなる宮口精二が、本作ではほんとに毒にも薬にもならないまじめな磯川警部を物静かに演じているのが逆に珍しい。印象うっすいなぁ~!
・磯川警部に対して金田一が「白木静子。只今は僕の助手を務めています。」と紹介した時に、静子が一瞬むっとしただけで即座にその設定にノッてしまうのが少々不可解である。でも、そう言わなきゃ静子も事件現場を見ることができなかったろうし、まずは逆らわずに従ったのだろうか。内心、「あとでこ〇す!!」とはらわたが煮えくり返っていたのかも。
・親友の春子の変わり果てた姿を目の当たりにして取り乱す静子。しかしそれを制して「この場合必要なのは、冷静な頭脳と判断です。感情は有害ですよ……」と厳かに語る金田一がかなりかっこいい。それまでのへらへらした印象とはまるで違う変貌である。う~ん、やっぱ千恵蔵金田一って、はじめちゃんっぽいぞ!
・金田一が磯川警部に「どうぞ調査を続けてください、僕は勝手にやりますから。」と声をかけるあたりから始まる、えんえん2分間にわたるほぼ無言のトリック捜査シーンが圧巻である。BGM いっさいなしでもみなぎりまくる緊張感は、千恵蔵金田一の眼光のたまものですよね。そういや、ジェレミー=ブレットの『シャーロック・ホームズの冒険』でも、『入院患者』とかでこういう沈黙の捜査シーンがあったなぁ。実力ある名探偵俳優だからこそできる濃密な時間だ!
・そうは言いながらも、捜査の合間にいきなり静子(原節子よ!?)のおみあしを抱き上げて「ちょっと、その竹を覗いてみてください!」と言い出したりして、クスッとしてしまうやり取りを差し込むのも上手なもの。それに対する静子も静子で、いつの間にか金田一を「耕助さん」と下の名前で呼び出すので、異性バディ物としても本作はかなりいい感じの滑り出しを見せてくれるんですよね。いいぞ!
・金田一と会見する時に、一柳糸子が「この事件の下手人は、田谷照三です!」と言い出すあたり、事件の行方よりもフツーに「下手人」って言ってるところが気になってしまう。何時代……?
・原作では金田一が単独で事件を解決していくのだが、本作では「数学の素養があって古文書の解読にも興味がある」という驚異のスペックを備えた静子の試行錯誤からヒントをもらって真相にたどり着くという流れになっている。静子が助手でいる意味があるのはいいんですが、ちょっと静子が超人すぎやしないかい!?
・金田一が磯川警部にトリック解明への立ち合いをお願いする時に、待ち合わせ時間について「3時ちょうど」という意味で「正(しょう)3時です。」と言うのも、もはや21世紀の日本人は使わない言い方なので時の流れを強く感じさせる。言葉は変わってくんだなぁ。
・本作が一番すごいのは、本編終了15分前くらいまでほぼ原作通りの推理を淡々と語っていた金田一が、いきなり「……という結論で終わらせたかったんでしょうけどね、真犯人は!」と言い出してニヤリと笑い、映画オリジナルの「さらなる真相」を暴露していくという衝撃の展開なのである! なんつう力技……
・事件関係者が一堂に会する中で、金田一にうながされて『一柳家古文書』の中の「破り捨てられた一節」を想像で語り始める静子! なんかいきなりオカルトじみてきましたよ!? あんたは『カリオストロの城』のクラリスか? 『ラピュタ』のシータか!? まいっか! 原節子だし!!
・金田一のこの一言「この事件の心理的原因は、古き者の新しき者に対する憎悪、封建思想の自由に対する絶望的抵抗です。」は、本作の最初から最後までさまざまに言い方を変えて繰り返されるのだが、これこそが、終戦直後の1947年に『本陣殺人事件』が、歌舞伎界から映画界に進出して大スターとなった片岡千恵蔵を金田一耕助役に召喚して映画化された理由そのままでもあると思う。いや~、やっぱ全てのはじまりの第1作は伝説的だわ!
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こんなんでいいじゃん!レトロ感たっぷりのひらきなおりエンタメ ~『黒蜥蜴』2024エディション感想本文~

2024年11月09日 23時16分52秒 | ミステリーまわり
 え~、そんでま、前回に引き続きまして『黒蜥蜴』2024エディションの感想なんですけれども。

 私、けっこう楽しめました! 実は、視聴するまでは個人的に不安要素が多いなと感じていて、かなり懐疑的なまなざしで画面とにらめっこしていたのですが、だんだんとこの作品の「方向性」みたいなものがわかってくると、あぁそういう楽しみ方をすればいいのねといった感じに肩の力がぬけて、どんどん面白くなってきたんですよね。正直、最初の心の中でのハードルがかなり低かったから後は上がるだけという好条件もあったのでしょうが、観終わった後は「船越小五郎の第2作があってもいいじゃないか!」という気分にまで上昇していたのです。ほんと、この明智探偵事務所チームが1作だけで解散しちゃうのは実にもったいない!


 まず、2024エディションに入る前に前提としておさえておきたいのですが、今回の船越小五郎 VS 黒木蜥蜴のバージョンをもってなんと11度目の映像化になるという、江戸川乱歩作品の中でも随一の映像化頻度の高さを誇る『黒蜥蜴』において、言うまでもなくその現時点での最新バージョンがこの2024エディションであることはもちろんなのですが、これが「令和最初の『黒蜥蜴』」ではぜっっっったいにないことは!ここでしっかりと断言させていただきたいと思います。なんか、一部媒体でそんな妄言をぬかしてる文章なんか、ありませんこと!? なんと無礼な!!

 令和最初の『黒蜥蜴』は、この1コ前の『黒蜥蜴 BLACK LIZARD』(2019年12月放送 監督・林海象 NHK BSプレミアム)ですから!!
 いくら、明智小五郎役の俳優さんの不祥事で再放送やソフト化に暗雲が立ち込めているとはいえ、この作品を無視するなんて許しませんぞ! 歴代、いくたの美人女優さんがたが演じてきた(丸山さんも女優だ!!)女賊・黒蜥蜴の中でも、「爬虫類っぽさ」部門と「アクション」部門でぶっちぎりの一位を獲得している、りょうさんによる黒蜥蜴……ほんとに最高でしたよね。あとは、岩瀬庄兵衛役の中村梅雀さんの、岩瀬早苗を押しのけるプリティさが際立った異色の逸品でした。ほんと、クライマックスで黒い特高警察みたいな悪ぶった衣装に身を固めてた姿が最高に似合ってなくてかわいい♡

 ともかく、そっちの2019エディションの感想は過去記事にあるので深くは立ち入らないのですが、そちらは何といっても黒蜥蜴役のりょうさんの超人的なビジュアルが世界観全体を併呑したかのように、時代設定を思いッきり SFな「架空の近未来」にして、もはや江戸川乱歩作品なんだか手塚治虫作品なんだか『攻殻機動隊』(アニメ版のほう)なんだかよくわかんない作品に仕上がっていたので、りょうさんが大好きな私としては異存なぞあろうはずもないのですが、『黒蜥蜴』の映像化作品としては、いささか冒険が過ぎるような異端の一作となっておりました。ほんと、再放送の機会が絶望的なのがまことにもったいない!!

 そんな2019エディションのわずか5年後に、今度は BS-TBSに場を移して映像化されることとなった今回の2024エディションなのですが、まず放送前に発表されたアナウンスをチェックしたとき、私は正直言いまして「ふ~ん、がんばってね。」的な、何とも言いようのないテンションの低下をもよおさずにはいられなかったのでありました。

 いわく、「サスペンスドラマの帝王」こと船越英一郎の明智小五郎、いわく、もはや大御所女優となった黒木瞳ふんする黒蜥蜴、いわく、作品の時代設定は「昭和四十年頃の雰囲気と現代を織り交ぜた架空の時代」……

 私の主観的な印象ではあるのですが、どうもこの2024エディションは新味に欠けると言いますか、TV的なアイコンにまみれている感じで、少なくとも原作小説の『黒蜥蜴』の味わいをどうこうしようとかいう意思は薄いような気がしたのです。
 だって、「昭和四十年頃」って1965年ってことでしょ? 原作の『黒蜥蜴』の時代設定はその約30年も前の昭和九(1934)年の物語なんですから、なんで21世紀現代でもなく原作リスペクトでもない、そんな中途半端な時代になってるのかって話なんですよ。しかもそれを踏まえた上での「架空の時代」……?
 ちなみに、おそらく映像化された『黒蜥蜴』の中で特に有名なのは1962年大映映画版(監督・井上梅次 黒蜥蜴は京マチ子)と1968年松竹映画版(監督・深作欣二 黒蜥蜴は丸山明宏)、そして言わずと知れた天知小五郎シリーズの中での1979年ドラマ版(監督・井上梅次 黒蜥蜴は小川真由美)の3バージョンなのではないかとおもわれます。ヒエ~どの黒蜥蜴もクセがすごい!

 こう見てみると、今回の2024エディションが標榜している「昭和四十年」というキーワードは、本来 TVドラマを主戦場としている船越英一郎さんのテイストからすれば一番意識するはずの天知小五郎シリーズからはややずれた、そこからさらにひと昔前の設定になっているという違和感が残ります。実際に見比べてみても、天知小五郎シリーズは実質的に「1980年代」の雰囲気をすでに先取りしている印象が強く、やけにとんがったデザインの最新車種を乗りこなす明智や大爆破あったり前のカーアクション、ワープロや「禁煙」といった小道具・言葉が出てくる作品の雰囲気は、明らかに先行する2バージョンの映画版とはまるで違った、いかにも TVっぽいにぎやかさに満ちたものとなっています。同じ「昭和」でも、中身は結構違うのね。
 そもそも昭和四十(1965)年というのは、大乱歩の原作小説よりも、それを元にした三島由紀夫の戯曲版『黒蜥蜴』(1961年発表、62年初演)のほうがよっぽど近いわけで、2024エディションは乱歩と三島のどっちの映像化なんだというどっちつかず感が目立ってしまいます。いや、これは今回に限らず、どの映像化作品でもそうなんですけどね……全バージョン、三島戯曲が世に出て以後の作品なんだもんなぁ。

 原作小説が大好きな私としては、現在の二代目とはだいぶ外観の違う初代・通天閣(高さ75m、1943年に焼亡)が登場する戦前の商都・大阪を CGかなんかで完全再現した、昭和九年の小説版のみを原作とする『黒蜥蜴 THE ORIGIN 』を死ぬまでに一度でいいから観たい気もするんですけどね~。時代設定的に原作小説に最も近い黒蜥蜴が登場するのはマンガ『二十面相の娘』(2003~07年連載)なんですけど、あれも刺青の位置が違うからなぁ。

 ま、そんなこんなで乱歩的でもなく天知小五郎的でもなく現代的でもないらしいという前情報にモヤモヤした感情を抱えてしまった私は、あの白本彩奈さんが岩瀬早苗役で出るヨという朗報を得てもなお、「大丈夫かぁ!?」という疑念が晴れずにいたのでした。いいとこどりすぎて薄っぺらい TVドラマになるんじゃないかという危惧ですよね。


 それでいよいよ、おっかなびっくりで録画した本編を観てみたわけなのですが、2024エディションは原作小説および戯曲版の味わいを可能な限り物語に落とし込みつつも、天知小五郎シリーズに寄せすぎず「船越さんと黒木さんなりの TVドラマっぽさ」を上品に反映させた良作になっていると感じました。おふざけがありつつも、面白いエンタメ作品になってましたよ!

 TVドラマっぽい。そうなんです、この作品は、映画になるには作りが軽すぎます。前回の視聴メモでも言及しましたが、この2024エディションにおける黒木蜥蜴は、明智の捜査によって原作ではついぞ語られることの無かった「過去」を暴かれ、犯罪の道にはしる以前の少女時代のトラウマをさらけ出して一人の人間の女性に戻った上で退場するのです。そこに過去バージョンの多くで女賊・黒蜥蜴が守っていたミステリアスな雰囲気やプライドの壁は無く、そもそも黒木蜥蜴のふるまいには、明智の若干サイコな探偵論の披歴に素でひいてしまうような人間っぽさも常に漂っていたのです。直近のサイボーグみたいなりょう蜥蜴とはえらい違いでんな!

 その一方で、黒木蜥蜴に対抗する船越小五郎はどうかと言いますと、こんなこと言ったってどうしようもないのですが、外見がどこからどう見ても「船越英一郎」なんですよね、どうしようもなく……ンやわたっっ!!
 これ、冗談で言ってるんじゃなくて、本当に船越さんくらいにサブリミナルレベルで TVに露出している俳優さんだからこその業病と言いますか、「何をやってもぜんぜん明智小五郎に見えない」という足かせがかなり強く働いているんですよね。これが実にしつこく、作品全体の重力が、その主人公を務めている船越さんのまとう、「そんなカッコつけても船越英一郎さんなんでしょ」という視聴者側のぬぐいきれないメタ視点によって軽くなってしまうのです。
 その上さらに、BS-TBS での本放送では、CM にその船越さんと黒木さんがまんま刑事と犯人役で登場するにしたんクリニックのサスペンスドラマ風コマーシャルが流れちゃうもんなのですから、もはや狙ってやってるというか、「おれ達も今さら THE MOVIE 気取りでしゃっちょこばってやるつもりなんてさらさらねぇゼ!」みたいな覚悟を見せつけられてしまうのでした。腹くくってんなぁ!

 ただ、ここまでくると「そんなに TVっぽいなら見たくないな」と思われる向きもあるかも知れないのですが、本バージョンのいちばん目覚ましいポイントは、主演の船越さんがそうとうな力の入れようで明智小五郎という人物の造形にこだわっているところなのです。この一点! この一点のみがブラックホールのように深く暗い「おもし」となっているので、ともすれば軽すぎてひらひら~っと飛んで行ってしまいそうな作品の存在感をかろうじてつなぎとめるアクセントになっているのです。主人公に特異な色味があるのは大事ですね~、ほんと!

 これはつまり、船越さんが俳優としての自分自身の「主戦場(TVドラマ)」と「弱点(軽さ)」を充分に自覚分析したうえで明智小五郎となる仕事を引き受けたという事実の証左なのです。相手を知り、己を知れば百戦危うからず……遅ればせながら、私は船越さんが素晴らしい名優であることを本作で確信いたしました。まさに帝王!
 そして、ここで船越さんが範としたであろう「陽キャヒーローなばかりでもない明智小五郎」の原形が、まさしく江戸川乱歩が初期の小説世界で描いていた大正時代の書生ふうの青年明智、すなはち「犯罪者すれすれのダークな異常才能者」としての明智小五郎だったことは疑いようがなく、こういう明智が映像作品の中で描かれるのはけっこう久しぶりなことなのではなかろうかと私は感服してしまったのでした。これは偉業だ!

 「大正時代のヤング明智」の映像作品における活躍といえば、何はなくとも NHK BS プレミアムで放送されていた『シリーズ・江戸川乱歩短編集』(2016~21年放送)が挙げられるわけですが、あそこでは明智小五郎を女優の満島ひかりさんが演じるということで、明智のヤバい部分、異端性がポップになるという効果がありました。ですので今回の「ほんとはこわい」船越小五郎に、過去に明智を演じた綺羅星の如き俳優さんがたの中で誰がいちばん近いのかと考えてみますと、それはやはり、あの実相寺昭雄監督の映画2作(映画『屋根裏の散歩者』と『 D坂の殺人事件』 真田広之~!!)で明智を演じた嶋田久作さんなのではないでしょうか。すごいとこと繋がったな~!

 船越小五郎、いいですよ~。その発言については前回の視聴メモでふれているので繰り返しませんが、1作のみで終わらせるには惜しすぎる暗黒面を抱えたキャラクターになっています。船越小五郎と吉岡秀隆の金田一耕助によるダースベイダー卿 VS 銀河皇帝パルパティーンみたいな暗黒面対決、観てみたい~!!
 ま、外見はどうしても陽気な船越さんなんですけどね……でも、あの天知茂さんだって、美女シリーズが始まった当初は「どこからどう見ても天知茂じゃないか」と揶揄されていたのではないでしょうか。顔の知れた大スターはつらいものですよ。船越さんも、どんどん作品を重ねて明智小五郎の新しい顔になって欲しいと切に願います。

 「1回こっきりにしておくのは惜しい」と言うのならば、やはり本作の明智探偵事務所、特に船越小五郎と樋口小林青年との「長いつきあい」についても、ちょっと触れるだけで終わってしまったので、次回作にて是非とも具体的に明らかにして欲しいところであります。本作だけを観ると、もっぱら手柄があったのはアクション担当の文代さんだけで、小林青年はせいぜい陽動作戦でおとりになってくれた程度といった感じで、文代さんよりも助手歴が長い理由がはっきりしないコメディリリーフ要員でしかなかったですよね。そこらへんを、もっと詳しく教えて! 「ボクは頭脳専門でね……」と豪語していた小林青年の本領発揮を、次の事件簿で見せてくれ~。
 そして、あの『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(2022~23年放送)で一年間堂々と赤センターのドンモモタロウを務めあげた樋口さんなのですから、単に助手と言うだけでなく「明智の後継者」という将来も視野に入れた人選となっているのではないかと、私は睨んでおります。そうなると即座に脳裏にひらめくのは、あの佐藤嗣麻子監督によって映画化もされた、劇作家・北村想の小説『怪人二十面相・伝』二部作(1988~91年)における明智と小林に関する実に興味深い新解釈であります。1925~62年という長期にわたって、明智小五郎はどうしてずっと「若き天才探偵」のスタイルを変えずにいられたのか……主人公を十二分に演じられるポテンシャルを持っている樋口さんだからこそ、船越小五郎との力関係に非常にふくみがあるようで、興味は尽きませんね~!!

 さて、主人公サイドの船越小五郎チームに続いて振り返ってみたいのは、本作の影の主役となる「黒蜥蜴一味」なのですが、今回はとにもかくにも、「やけに人間くささと弱さを持った黒蜥蜴」が目立ったキャラ造形だったなと感じました。確かに、直近のりょう蜥蜴がダイヤモンド並みの硬度を持った造形だったので、その逆をゆくという判断は非常に的確だったと膝を打ちました。そうきたか~!
 この、思い切って黒蜥蜴をデバフさせるという奇手は、対する明智がまさに演じる船越さんのサスペンスドラマにおける「捜査法」を踏襲するかのように、「黒蜥蜴の前半生を掘り起こして人間としての彼女の犯行動機をさぐる」戦法を採っていたがために、重いトラウマを抱えた少女の記憶を取り戻し悔恨するひとりの女性を演じるためにも、黒木さんにとって最適の選択だったのではないでしょうか。
 そうなのです、本作の明智と黒蜥蜴は、そのキャラクターこそ乱歩ワールドの住人であっても、物語の進み方は限りなく往年の旅情サスペンスドラマの骨格を継承しているのです。ま、「旅情」というほど明智が旅をしていたわけでもないのですが、黒蜥蜴=緑川夫人が着ていた和服の帯から群馬県桐生市に飛ぶという、原作小説のどこを見ても明智がやったことのないアプローチをたどった船越さんの捜査は、ベッタベタなのに絶対に船越さんでしか実行しえない、乱歩ワールドの中ではきわめて新鮮な展開だったのではないでしょうか。その手法を受け入れるためにも、今作の黒木蜥蜴は「人間的で弱く」ならなければならなかったのです。

 ……とは言いましても、黒木さんは本作の出演者陣の中では比較的小柄だし、おまけにホテルニューアカオから逃走する時に変装した老紳士の姿を見てもわかる通りに枝みたいにスリムすぎる体型なので、内面だけでなく外見も、世界の大富豪たちをおびやかす強盗グループの首領としてはだいぶ心もとない印象になってしまいましたね。ほんと、さらわれて緊縛されてる白本さんの方がどう見ても強そうなんだもんなぁ。まぁ、それは黒木蜥蜴ご本人も先刻承知のようで、峰不二子よろしくふとももにデリンジャーを隠し持っていたわけですが。

 あと、これだけは必ず触れなければならないのですが、本作の隠れた MVPは、やはり黒蜥蜴の過去を知る唯一の側近・松吉を演じた諏訪太朗さんと言うしかないのではないでしょうか。顔半分のやけど跡に眼帯、回想シーンではヅラ! もうフルスロットルの大活躍でしたね。演出の本田隆一監督は、わかってらっしゃる!!
 本編を観ても分かる通り、映像化された『黒蜥蜴』において松吉(松公)を演じる俳優さんは後半に大事な役目があるので、それをちゃんとやり切ることのできる実力のある方でなければなりません。
 ですので、2024エディションでは諏訪太朗さん、そして2019エディションではなんとあの堀内正美さんが演じていたということで、『黒蜥蜴』を楽しむ上での隠れたお楽しみトピックとなっています。
 うをを、諏訪太朗 VS 堀内正美!! この、実相寺昭雄監督ファンならば血圧が200あたりを超えること必至な名バイプレイヤー対決は、この『黒蜥蜴』でも繰り広げられていたというわけなのですか。りょう蜥蜴に寡黙につき従う堀内さんと黒木蜥蜴に親のように寄り添う諏訪さん、あなたはどっちがお好き!?
 乱歩ワールドにおけるこのお2方の対決といえば、どうしてもあのテレ東「ガールズ×戦士」シリーズにおける『ひみつ×戦士ファントミラージュ!』第15話(2019年7月放送)での、堀内さん演じる名探偵「明土(あけっち)小五郎」と諏訪さん演じる「怪盗二十面相」との宿命の対決構造を思い出さずにはいられません。たまんねぇキャスティングだ~!! このエピソードについては、我が『長岡京エイリアン』でもかなり前に記事にしたのですが、まだ本文完成してないのよね……この不調法者が!! ヒエ~変態けろっぴおやじ神さま、おゆるしを。

 あと、黒木蜥蜴一味といえば、やはり今回でも明智と黒蜥蜴の愛憎関係にだいぶ時間を割いてしまったために、黒蜥蜴にゆがんだ恋慕の情を寄せる雨宮のポジションが小さくなってしまったのは残念でしたね。いや、これは意図的に明智の存在を薄くしないと前に出てくる余地が作られない立場なので仕方ないのですが、本作でも雨宮なりの物語のしめ方が語られなかったのはもったいなかったなぁ。文代さんにコテンパンにのされるだけでしたからね。

 最後に、本作の「にぎやかで軽い TVドラマのノリ」を体現するかのように、オーバーすぎるほどに肩をビクッと震わせて目を見開くリアクションを見せてくれた早苗役の白本さんもすばらしかったと触れずにはいられません。あんな顔、驚かす側のほうがびっくりするわ!
 いや~、白本さんは今回もよかったなぁ。作品ごとでの自分の役割をわかってらっしゃるクレバーな女優さんですよ。金持ちのお嬢様らしく甘ったれた話でもあるのですが、父の愛情に飢える令嬢の苦悩をセリフでなく、その特徴的な「ハ」の字まゆで見事に表しきっていた演技力は見事でした。ほんと、こうなるとごくごくフツーの役を演じる白本さんの引き出しも他の色々な作品で観てみたいですね。ここ最近の他のドラマ作品での白本さんの仕事に関しましては、本記事最後のおまけコーナーにて!

 でも、明らかに黒蜥蜴よりもガタイの良い早苗という絵面はかなり新鮮で、そういえば黒蜥蜴が先に作った「をとこの剥製」もけっこうマッチョな感じだったので、本作の黒蜥蜴は男女に関わらず、自分に無いマッシブな肉体に渇望していたのかも知れませんね。だとしたら黒蜥蜴は、あの『盲獣』のようなむちむちぶりんぶりんの曲線に包み込まれるエル・ドラドオを脳裏の地平線に追い求める想いがあったのかも知れず……彼女の心の闇は、深い!!


 こんなわけでありまして、『黒蜥蜴』2024エディションは、自分たちの身の丈に合ったサイズを熟知した上で、いちばん得意とする主戦場「サスペンスドラマ的文法ゾ~ン」に、畏れ多くも乱歩ワールドを無理くり引き込むという奇策に出た、非常に野心的な作品であると感じました。江戸川乱歩の世界に忠実かというとそうでもないのですが、とにかく俺たち、私たちでしかできないエンタメを作ってやろうぜというプロ意識はひしひしと感じられる良作だったと思います。2019エディションのようなひたすら世界観の硬度にこだわる作り方もあるわけなのですが、今回の2024エディションは「お茶の間の人気者」としてのコンプライアンスを順守した上で、令和の御世にどこまで王道な娯楽作を作り上げることができるのかという課題に、船越英一郎と黒木瞳という W座長公演のスタイルで挑んだわけなのです。ナンパでほんわかした勧善懲悪の世界を、真剣勝負で作る! TVドラマの本気を観た思いでしたね。

 ただし、ここで注意しておかなければならないのは、今回再現された TVドラマの世界は、あくまで平成と令和の時代を生き抜いた船越さんと黒木さんの経験則に基づくものなのであって、もっと乱雑で刺激的だった「天知小五郎シリーズ」もいた昭和の世界とは全く別物だということです。つまり、今作の世界はやっぱりどこまでも「架空の時代」のお話なのであり、天知小五郎の世界の復活を期待するのは筋違いなんですね。実際、車の一台も爆破炎上しないし、21:55~22:05くらいのきわどい時間帯に被害者となる女性のおっぱいだってまろび出ない今作の世界は、ある意味でヌルいことこの上ない、上っ面だけを天知小五郎シリーズから拝借した「カレーの王子さま」にしか見えないという方もおられるかも知れません。

 ただ、作品が万人ウケする視聴率重視のドラマ作品であるという宿命から、「全く動機不明だが美にこだわりまくる狂人」だの、「無差別殺人にしか快楽を見いださないサイコ連続殺人鬼」だのがポンポン出てくる江戸川乱歩の世界を TVという媒体で忠実に映像化することができないのは、今回の2024エディションもかつての天知小五郎シリーズも同じことで、今作での黒木蜥蜴が地に足の着いた人間になったように、例えばあの超絶サイコな虐殺グランギニョル作『蜘蛛男』(1929~30年連載)を原作とする天知小五郎の『化粧台の美女』(1982年)もまた、「犯人にはそれなりの哀しい事情がある。」というきわめて俗っぽいお涙ちょうだいな言い訳を加えていたのです。ただ盗みたいから盗む、殺したいから殺すというカオスなキャラが出てきたって、視聴者は納得しないだろうと見ているわけですね。
 そういう意味では、日本の TVドラマは、まだまだ約100年近く前の江戸川乱歩の世界に追いついていないということになるのでしょうか。海外の映画界に目を向ければ、『羊たちの沈黙』(1991年)とか『ノーカントリー』(2007年)とか『ダークナイト』(2008年)とか、もはや自然災害かなんかとしか言いようのない説明不能の異常犯罪者は枚挙にいとまがない程いるのですが、乱歩の明智もの長編に出てくる犯罪者なんて、だいたいこっちの世界の奴ばっかですからね! 魔術師とか蜘蛛男とか、黒蜥蜴とか吸血鬼とか……もう、ゴッサムシティで大笑いしながらサブマシンガンをぶっぱなしてても違和感ないキャラばっか!

 いろいろ申しましたが、今回の船越小五郎のチャレンジは、船越さんらしさの総決算的作品ではあるものの、まだまだ過去作品に伍して闘うことのできる、この作品だけのオリジナリティというものが出ているとは言い難い中途半端さがあります。CG で明智と黒蜥蜴の双方の変装術を表現するというのも、天知小五郎シリーズのブラッシュアップの範疇ですからね……
 だからこそ! 船越小五郎シリーズは必ず、後続する第2弾を作って、ほんとうの独自性を創出していかねばならない義務があると思うのですよ。

 船越小五郎と樋口小林くん、ほんとに頑張れ! 再び立ち上がれ!! 私は待ちますよ、いつまでも。

 諏訪太朗さん、またなんか別の役で出てくんないかな。荒唐無稽な乱歩ワールドへと続く扉の鍵を握るのは、やっぱり諏訪さんと、諏訪さんのヅラだ!! いつまでも、元気でいてくださいね♡


≪乱歩とまるで関係のないおまけコーナー:白本彩奈さんのドラマ出演作観察日記・秋の陣≫
〇TVドラマ『GO HOME 警視庁身元不明人相談室』第6話『トー横キッズに挑む地雷系バディ!』(2024年8月24日放送 日本テレビ 脚本・八津弘幸&佐藤友治、演出・本多繁勝&山田信義)自殺したトー横キッズ・キイちゃん(奈良岡紗季)役

 白本さんが目当てで観たのですが、ドラマのコンセプトとしてまず白本さん演じるキイちゃんが死んでから話が始まるので、白本さん自身はほとんど登場しませんでした……エピソードとしては、主演の小芝風花さんとゲストの莉子さんがメインで活躍する物語でしたね。
 45分間の中に、かなりたくさんの要素をオーバーフロー気味に詰め込んだ意欲作だと感じたのですが、やはり「親友の自殺」という、かなり重い問題をテーマとしていたために、逆に触れ方がナーバスになって白本さん演じるキイちゃんの明るいふるまいのみが語られる印象になっていましたね。そりゃまぁ、それを語る莉子さん演じるはるぴちゃんがそこのみを選んで回想していたから仕方ないのですが。でも、いちおう前向きエンドなしめ方にするためには、キイちゃんの継父(演・和田聰宏)の DVを詳細に掘り返すわけにはいかなかったのでしょう。実態を観たわけではないので私もはっきりとは言えないのですが、トー横キッズやネカフェ難民の描写も、お茶の間の視聴者層を意識してかなりマイルドになっていたかと思います。
 はるぴちゃんとキイちゃん、どっちもそうなんですが、なんかこう生活臭がしないというか、ジャンクな食べ物で飢えをしのいで、変な場所で寝てるから姿勢が悪くて、髪の毛を洗ってなくて服もあんまり洗濯してないかもみたいな雰囲気が無いような気がするんです。ふつうにきれいな衣装を着てヘアスタイルもいつも整ってるので、金銭的に困っていない女優さんが多少奇抜なメイクとファッションをしているようにしか見えないんだよなぁ。それで「今話題のトー横キッズです」と言われましても……当然、性的な暗部もきれいに取り除かれてたし。
 そもそも、白本さんはああいったお顔立ちの方なので、すっぴんと地雷メイク後のお顔とでほぼ違いがないから、別々の似顔絵を用意して聞き込みに手間がかかるみたいな過程が「そんなに苦労する?」という気がして、この点、白本さんをこの役に当てはめるのはやや難があるような気もしました。もっと、メイクしたらほぼ別人のようなうす~いお顔の女優さんの方がよろしかったかと……いや白本さんでいいです!
 短い出演時間ではありましたが、ゴスロリ系の衣装を着たりスマホの写真で変顔を見せたり、「にゃーにゃーにゃー♪」と唄ったりする白本さんが拝見できたのは僥倖でした。ほんとにちょっとだけでしたが。

 余談ですが、作中で私がいちばん気にかかったのは、地元の静岡県御殿場市で女子高生時代のキイちゃんを通学バスでよく見ていたという証言をしていた酒井という青年(演・ダウ90000上原佑太)でした。あの、刑事(小芝さん)に全く視線を合わせずにおずおずと語るしぐさ……絶対に当時、キイちゃんに対してはかなき好意を抱いていたな!? わかるぞ! でも、4、5年ぶりに似顔絵でその顔を見せられたかと思ったら、キイちゃんはすでにこの世にいないという衝撃の事実……泣ける! そこだけで2時間ドラマにできるわ!!


〇TVドラマ『ザ・トラベルナース』第2シーズン第4話『仕組まれた医療ミス!VS モンスター患者』(2024年11月7日放送 テレビ朝日 脚本・香坂隆史、演出・片山修)潰瘍性大腸炎の患者・四宮咲良役

 『GO HOME 』もそうだったのですが、このエピソードも病院という空間で発生するモンペ(モンスターペイシェント)問題にアレルギー対応食の誤配事故、そして医療者側からの「がんばりましょう」発言が受けた患者によっては重い負担となるのではないかという大問題と、たった45分の中に様々なテーマをモリモリに盛り込んだ充実の内容でした。ただ、こちらの方は全ての問題が一人の患者の過去に集束していくというきれいな作りの構成になっていたので消化不良感はなく、よくできたお話だなぁと感じ入りました。脚本がうまいな!
 ただ、その……肝心カナメの我らが白本さんの役割がせっかくのゲストなのに小さめというか、膵臓がんステージ3の入院患者の斉藤四織(演・仙道敦子)とモンスターペイシェントの四谷純子(演・西尾まり)の2人が本エピソードのメインゲストといった感じなので、役割としてはかなり軽く。白本さんの演じていた患者は、こう言っては実もフタもないのですが本エピソード内での犯人候補のひとりとしてと、重めなお話を明るくするご陽気キャラとしての隠し味的配置でしたので、キャスティングとしてはかなり贅沢な采配だと感じました。正直、能天気な韓流アイドルファンの女の子という役柄なので、白本さんでなくともそこらへんのグループアイドルの女の子にやらせてもいいようなポジションで、私としては、何といっても白本さんとかなり縁のある中井貴一さんとの久々の共演なのでもっと大きな立ち位置なのかなと思っていたのですが、そんなことなかったですね。白本さんのいる病室に中井さんが来ても、セリフのやり取りも全然なかったし。
 でもなんか、死の運命とかサスペンスの被害者とかいう重苦しい展開とはまるで無縁で、とにかく陽気に笑う白本さんを観るのもかなり珍しく、ヘアスタイルもベリーショートだし、いろいろレアな白本さんが観られるので、出演時間が短いわりに非常にお得なエピソードかと感じました。第一、お話が面白いのでいいですよ! 出演陣がみんな達者ですよね。野呂佳代さんのナースチュニックのぱっつぱつ感、リアル~!!

 ほんと、患者役の白本さんがベリーショートって写真をまず観たので、こりゃ九分九厘、不治の病のやつだなと思って身構えてたんですが、そんなこと全然なくてホッとしたというか肩透かしというか……むしろ、天野はなさんが演じてた役の方が白本さんらしかったのですが、そんなんばっかやってても楽しくないでしょうしね~。口を思いきりバカっと開けて笑う白本さんも、やっぱり最高だ!! これからも、とこしえに応援し続けま~っす♡
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