どう~もど~もこんばんは! そうだいでございます。みなさま、今週もお疲れさまでございました~。
山形は、昨日まで梅雨明けかってくらいに暑い日が続いていたのですが、今日になっていきなり寒くなりましてね。もう風邪ひきそう……というか、ひいてしまったようです。せっかくの週末が……昨日までの気分で薄着を通してしまったのが元凶! 無理するもんじゃないっすねぇ。
あともうひとつ、風邪ひいちゃった原因として考えられるのは、前日の寝不足もあったと思うんですよねぇ。いや、ここんところ一つ一つは長いもんでもないのですが、『ガメラ・リバース』の NHK地上波放送とか『ゲゲゲの鬼太郎 私の愛した歴代ゲゲゲ』とか『機動戦士ガンダム ジークアクス』とか、毎週チェックしたい番組がけっこうあって、それに加えて夕べ、私はこの作品を録画後に3回もリピートして観ちゃったんですよ。そりゃ夜中の2時3時もあっという間ですわな。
ドラマ『湖泥』(2025年5月22日放送 NHK BS『シリーズ・横溝正史短編集Ⅳ 金田一耕助悔やむ』 30分)
33代目・金田一耕助 …… 池松 壮亮(34歳)
18代目・磯川常次郎警部 …… くっきー!(49歳)
『湖泥(こでい)』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。雑誌『オール読物』(文藝春秋)1953年1月号に掲載された。現在は角川文庫刊『貸しボート十三号』などに収録されている。
本作は『オール読物』掲載時、結末の前に犯人当て挑戦企画として推理小説ファンの著名人による犯人の推理が同時併載されており、服飾研究家の花森安治(1911~78年 2016年の NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』の男性主人公のモデル)は「北神浩一郎と志賀秋子の共謀説」、マンガ家の横山隆一(1909~2001年)は「北神浩一郎単独犯説」、劇作家の飯沢匡(1909~94年)は「志賀夫妻共謀説」に基づく解決篇を寄稿していた。
本作は1996年1月に『呪われた湖』のタイトルでドラマ化され(金田一役は古谷一行)、今回は2度目の映像化となる。
今回のドラマ版は、NHK BS での放送に先がけて2025年3月28日にNHK BS8K、同年4月19日にNHK BS4K にて先行放送された。
あらすじ
昭和二十七(1952)年10月。大阪に来たついでに岡山県まで足をのばした金田一耕助は、出張中の磯川警部のあとを追いかけて山陽線の K駅から4~5km 奥へ入ったある僻村へやってきた。そこは三方を山に取り囲まれ治水ダム湖にあらかた沈んだ村で、「北神家」と「西神家」という2大勢力が反目しあっていた。最近では御子柴家の娘・由紀子を巡って両家の跡取り息子である北神浩一郎と西神康雄が争っており、浩一郎と由紀子の婚約が整ったところへ康雄から横槍が入ったところであった。そんな中で由紀子が失踪し、磯川警部が捜査に来ていたのである。
金田一が訪れる5日前の10月12日、旧暦九月十三夜の晩に、由紀子は女友達と共に隣村の祭りへ行ったが姿が見えなくなっていた。この晩、隣村へ山すそを回っていく道は人通りが途切れることが無かったにもかかわらず、由紀子を目撃した者は無かった。その他の山越えの近道をただ一人通ったと証言した北神九十郎も、特に何も気付かなかったという。同じ時刻に、康雄は泥酔して隣村の親戚宅に泊まっており、浩一郎は祭りへ行かずに山越えの道の登り口にある水車小屋で米を搗いていた。
その一方で、由紀子が失踪した同日には村長夫人の志賀秋子も姿を消していた。しかし、村長の志賀恭平は秋子が大阪へ遊びに行ったと言ったかと思うと転地療養していると言ったりして、具体的な行方を明らかにしようとしない。
2日後の10月14日になって、由紀子を12日の晩に水車小屋へ呼び出す浩一郎からの手紙が、由紀子の自宅の庭で見つかる。しかし手紙は前日の13日に降った夕立で濡れた形跡は無く、筆跡も浩一郎のものでなかった。浩一郎は、手紙を書いたことも由紀子がやってきたことも否定する。
続けて14日の夕刻には由紀子の下駄が、15日には帯が発見され、由紀子の遺体が湖に沈んでいることが予想された。湖が水門が閉ざされているため死体が下流へ流れていることは考えられないため、警察は湖内で死体を捜し続けていた。湖のボート上で磯川警部の説明を聞いていた金田一は、村から離れた場所にある九十郎の小屋にカラスが集まっていることに気付く。
おもなキャスティング
御子柴 由紀子 …… ジュリアンヌ(24歳)
北神 浩一郎 …… 井之脇 海(29歳)
西神 康雄 …… こだま たいち(34歳)
北神 九十郎 …… 宇野 祥平(47歳)
志賀 恭平 …… 嶋田 久作(70歳)
志賀 秋子 …… 夏帆(33歳)
清水巡査 …… 濱田 龍臣(24歳)
木村刑事 …… 片岡 哲也(50歳)
朗読 …… 二又 一成(70歳)
主なスタッフ
演出 …… 渋江 修平(40歳)
いや~、これほんとに面白かった。ご覧になった方ならよくわかりますよね!? この作品を何回も繰り返し観ちゃうの。
視聴する前から、くっきー!さん(以下、川島邦裕さん)の演技が素晴らしいとかいう前評判は耳に入っていましたので楽しみではあったのですが、まっさか川島さんが最新モードの磯川警部を演じられるとは!! まさに古だぬき……
磯川警部のキャスティングといえば最近はいぶし銀の俳優さんが手堅く演じるのが定番で、記憶に新しいのは加藤シゲアキ金田一版『悪魔の手毬唄』にて、あの古谷一行さんが磯川警部を演じたという大ニュースだったのですが、さすがは等々力警部役に外国人のヤンさんをキャスティングする池松金田一シリーズです。磯川警部にもまた、インパクト大なお方を持ってこられましたなぁ!
そうなんですよね、2016年いらい4シーズン12話も制作されている池松金田一シリーズではあるのですが、実は、「金田一耕助の傍らにこの名警部あり」とうたわれる2大警部こと、東(東京警視庁)の等々力大志警部と西(岡山県警)の磯川常次郎警部のうち、等々力警部はごく初期から登場していたのですが(演者は中村有志さんかヤンさん)、磯川警部は本作が初登場となるんですよ。だいぶ遅れてきたねぇ! あやうく10年越しになるとこでしたよ。
これで晴れて、横溝原作の中で唯一、等々力警部と磯川警部が金田一耕助をはさんで奇跡のご対面を果たした短編『堕ちたる天女』(1954年)の初映像化も可能となってきましたな! でも、この作品もこの作品で、ジェンダーに神経質な令和の御世にはなかなか危なっかしいクセ強事件なんですよね……う~ん、いつになるかな。
ここでも池松シリーズのスタンスがわかって興味深いのですが、磯川警部が今回初登場ってことは、要するに金田一耕助ものの映像化といえばこれ!というイメージの強い「岡山もの」を、今まで池松シリーズがとんと手をつけてこなかったということなのです。いいねぇ~! 作品選びも攻めてるなぁ。
確かに振り返ってみると、池松シリーズ各12作は圧倒的に東京を舞台にしたものが多く、せいぜい長野県(『犬神家の一族』)、神奈川県(『華やかな野獣』と『鏡の中の女』)、静岡県(『女怪』)あたりが地方出張してるかなという程度だったのでした。いや~じゃけどやっぱ岡山弁が聞こえてこんと、地方の事件って気分にはならんかのう!
こんな感じなので、もしかしたら池松シリーズは岡山ものをやらないのかと思っていたのですが、ついに満を持して今回、初岡山ものということで川島さんによるニュー磯川警部も爆誕し、その記念すべき最初の事件に選ばれたのが、この『湖泥』だったというわけなのです。いや~わかってらっしゃるセレクトセンス!!
今回視聴してあらためてしみじみ感じたのは、この『湖泥』という作品が、かなりガチンコの全力投球で作られた「岡山もの要素てんこ盛りの高カロリー作品」になっているということです。なんか、たまたま金田一耕助の調子が良かったから文庫本にして100ページちょっとで終われましたけど、作品の中に込められたテーマの重さや登場人物設定の複雑さを見てみれば、長編作品になったって全然おかしくない「むつかしい事件」なんですよね、これ!
本作を読んで、もしくは今回のドラマ版を観てすぐにピンとくるのは、本作と、横溝先生のあまたある岡山ものの傑作群の中でもとくに有名な「ある長編作品」との、犯人の設定に関するパラレルワールドのような関係です。
つまりこれ、両作品の真相に迫る話になるので詳しくは言えないのですが、この『湖泥』というお話は、「もしもあの長編作品の犯人が、途中でヘタをうって別の誰かに犯行計画をパクられてしまったら!?」みたいな、実際にはそうはならなかった分岐ストーリーを作品化したみたいな結末になっているんですよね。あっ、でもよくよく思い出してみたら、その超有名長編の真犯人も、そもそも別の登場人物がふざけて作った犯行計画をパクッてたんだった。横溝先生、パクりパクられの展開がお好きねぇ!!
これは面白いですね……要するに、あらかじめ村を大混乱に陥れるスキャンダルの図面を引いていた人物が、途中で同じように村を恨んでいる別の人物に計画を丸ごと乗っ取られてしまったわけなのです。この番狂わせはなかなかにトリッキーで、上の情報のように、当時のミステリマニアの有名人お3方の推理が全員不正解になってしまったのもやむをえないことかと思います。横溝先生、少しは手ごころを~! 推理小説の鬼の真骨頂ですよね。
なんと言いましても、本作は犯人の人物造形が非常にインパクト大です。犯人のインパクトというんだったら、今回の池松シリーズ第4シーズンは全話、犯人のキャラクターが各人各様で激濃ではあるのですが、やはりシーズンの掉尾を飾る作品ということで、この『湖泥』の犯人の姿も非常に印象深いものになっていたと思います。犯人のラストカットの横顔も、実に味わい深いものでしたね……
あともうひとつ、横溝ファンとしてどうしても考えずにはおられないのが、ここまでインパクト大で完成度の高いこの『湖泥』が、どうして他の横溝短編の進化パターンのように長編化されなかったのか、という問題です。まぁ、ある意味でこの作品の犯人像がミステリの定石破りではあったので、これ以上ふくらませても味が薄れるだけという判断もあったのかもしれませんが。
これに関して私が思うのは、いやいや、『湖泥』要素よりもオリジナルな設定がモリモリになってるので一見そうはみえませんが、ちゃんと長編小説に昇華されてるじゃありませんか!ということなんですね。もう、先達で指摘されておられる方もいらっしゃかるかも知れませんが。
『湖泥』の長編化作品。そりゃもうあーた、『悪魔の手毬唄』に決まってるじゃござんせんか!!
私、今回のドラマ化にあたって原作を再読しながら、この『湖泥』の「衰退しつつある村の2大勢力の若者世代が、かつて村につまはじきにされた家の娘をめぐって争う」とか、「村はずれにある湖(沼)のほとりに暮らす変わり者」とかいう設定が、まんま『悪魔の手毬唄』であることに今さらながら気づいてしまったわけであります。つまり、『湖泥』と『悪魔の手毬唄』で比較するのならば、「北神家と西神家」が「仁礼家と由良家」、「御子柴由紀子」が「別所千恵子」、「北神九十郎」が「多々羅法庵」というあんばいなわけで、もちろん物語の結末はだいぶ違うわけなのですが、登場人物の配置具合が酷似していると断言してさしつかえなさそうなのです。
その他、村の2大勢力の対立のバランスを左右させうる第3の存在としては、『湖泥』の志賀村長夫妻にあたる位置に亀の湯の青池夫妻(夫は失踪中)がいるし、だいいち、『悪魔の手毬唄』の衝撃的なクライマックスでの犯人の最期を思い出してみてつかぁさい! 原作版でも1977年映画版でもどっちゃでもええから!!
湖か沼かの違いは生まれてしまうのですが、どうですかあーた……まさにこの作品こそ「湖泥」の名がふさわしいじゃ、あーりませんか。
当然ながら、『悪魔の手毬唄』は犯人像が『湖泥』とまるで違いますし、「磯川警部因縁の未解決事件」とか「手毬唄の歌詞の通りに殺人が起こる」とか「死んだはずの老婆が村に帰って来る」とか非常に魅力的なオリジナル要素がふんだんに盛り込まれていますので、もしそうなのだとしても、もはや『湖泥』の長編化作品とは言えない別の大傑作に仕上がっているのでこれ以上は詮索しないのですが、ただここだけ言っておきたいのが、『湖泥』のラストで金田一耕助が、冒頭での磯川警部によるシャーロック=ホームズゆずりの「田舎の犯罪こそおそろしい」論への返歌としてつぶやいた(ドラマ版ではカット)、
「ぼくのいいたいのは、農村へ都会のカスがいりこんでいる、現在の状態がいちばん不安定で危険なんですね」
という主張が、『湖泥』よりも、「都会からやって来た恩田幾三のモール詐欺」という要素を組み込んだ『悪魔の手毬唄』のほうでよりヴィヴィッドに小説化されているということなのです。念のために言っておきますと、金田一は別に引き揚げ軍人や疎開者のことを蔑視してカスと呼んでいるわけではなくて、都会で培養され流れてきた犯罪の因子(残滓)という意味でカスと発言しているようです。
いや~、やっぱり横溝先生の、自作の進化にかける執念のアツさは、ここでも素晴らしいですね。岡山ものの最終作とも言える『悪魔の手毬唄』の精華は、『湖泥』なくして語り得ないものだったのだ! こでー!!
まぁこのように、原作小説の時点でかなりハイレベルなこの『湖泥』ではあるのですが、今回の2025年ドラマ版は、それに輪をかけて「推理ドラマとしての面白さにブーストをかける映像演出」がバチコーン!!と大ホームランをかましてくれた大傑作だと感じました。しかも、今シーズンの前2話よりも格段に「原作に忠実」! ここが横溝ファンにはとってもうれしい。
先ほど、私は「3回観た」と言いましたが、これは作品が複数回の視聴に耐えうるクオリティを持っているのは当然のこととして、2回3回観て「あぁ~!!」と驚き感じ入ってしまう映像的なトリックを30分間の作品全シーン全カットにふんだんに散りばめていたからなのでした。これ、ぜんっぜん大げさな言い方じゃないっすよ! 観た人ならわかりますよね!?
素晴らしい、このドラマ版の映像演出の計算されっぷりは本当に素晴らしい! 私的に、昨年2024年のミステリ映像作品としてのベスト1は『十角館の殺人』だったのですが、今回の『湖泥』の満足度は限りなくそれに近いもので、おそらくはそのまんま今年ベストになっちゃうんじゃなかろうかという手ごたえを感じております。まだ今年半分も終わってないけど!
やっぱり、30分という作品のスケールが、今回の渋江演出と相性バッチリだったんでしょうね。
今作における渋江演出は、クライマックスでの金田一の推理披露パートや犯人の独白パートに沿った回想シーンのラッシュで事件の真相が明らかになる、という典型的なサスペンスドラマの形式をいちおう採りながらも、実は「ほぼすべての犯行」がそこに至るまでの画面の中にちゃーんと映っているのです。これ、とんでもないことですよ。手品のタネ明かしをするまでもなく、タネはぜんぶステージの上に無造作に投げ置かれていたのです! それでもお客さんが全く気づかずに手品にオオッと驚いてしまうんですから、これがとてつもない腕を要する異次元のテクニックであることは間違いないでしょう。
ふつう、犯人がやっているたくらみはネタばらしにいくまで隠されるもんだと思うのですが、このドラマはオールオープンで犯人がどこにいて何をやっていたのかが逐一画面に映っているのです。ただ、おそらくは初見の視聴者のほとんどが、その肝心の犯人の挙動どころか、その存在にさえまるで気づかないように、実に巧妙な映像演出が全編にわたって施されています。
これ、ある意味では本作の「インヴィジブル・マン」という、かのチェスタトンの歴史的名作『見えない男( The Invisible Man)』(1911年発表)を創始とする超有名なトリックをあえて「曲解」した映像マジックなわけなのですが、まともにそれだけをやれば単なるくだらないコントになるところなのに、ちょっと日本らしくないエスニックでゴテゴテした衣装やメイクを配置していた渋江ワールドなのですから、ごくごく自然に視聴者が渋江マジックにだまされるみごとな土壌となってしまっていたのです。
いや~これはやられた! だって、ただのおしゃれだと思っていた志賀秋子の真紅のマフラーまでもが、この映像トリックのための重要な目くらましだったんですもんね。手品の基本中の基本は、「タネから客の目を反らすこと」! シンプルなことが、いちばん難しいんですよね。
私が本作を3回観た流れを申しますと、まず1回観て、原作小説をいっさいの無駄なく映像化した手練や川島さんの演技の意外なまでの安定感に感じ入りまして、でも「そうはいっても犯人が見えないように隠してんじゃないの~?」と勘ぐりながら2回目の視聴をして確かめてみて、なんと隠すどころか、アップにこそしてはいないものの、犯人がちゃーんと他の登場人物の行動を首を傾けてじっと見つめていて、会話をがっつり聞いていて、それどころかこれ見よがしに紙包みを開いて粉末を入れたぐい呑みを西神康雄に直接手渡すところまでもがバッチリコーンと映されていたことに、心の底から驚かされてしまったのです。え~!? 私の目の、なんと節穴なことか……
ほんとにやられました。「1回観ただけじゃわからない」というのは洋の東西を問わず名作の常套文句ですが、本作は正真正銘、何度見ても視聴に耐えうるウェルメイドなミステリドラマです。30分っていうお手頃なサイズなのも最高ですよね。これが2時間3時間だったら、そうもいかないもんねぇ。大学生時代だったら、私も『薔薇の名前』とか『悪魔の手毬唄』とか VHSで何度も観てたけど。
話を戻しますが、それでこういうブログもやってるもんですから、どの役をどなたが演じてらっしゃるのかな~なんてチェックしながら2回目を観終わってみて、「そういえば、朗読もかなり渋めでいい声だったな。誰だったんだろ?」と思ってボンヤリとエンドロールを観てたら、
朗読 二又一成
って小さな字でうたれてたもんで、これまた吃驚してしまいました。
えー!! 声優の二又さん!? 二又さんって、あの『ハイスクール!奇面組』の出世潔の二又さん!? 『キン肉マン』のキン骨マンの二又さん!? 『機動警察パトレイバー』の進士幹泰の二又さんんん!?
なんとすばらしいキャスティングだ……いままで、この池松金田一シリーズの朗読ポジションは俳優さんがメインだったかと記憶しているのですが、ここにきて超ベテラン声優の二又さんを起用するとは。
そんでま、その美声をもう一度味わうために3回目を視聴して夜更かししちゃった、というわけだったのでした。
いや~、1980年代生まれのわたくしとしましては、二又さんといえば神谷明さんや千葉繁さん、内海賢二さんなみに生まれた時からじゃぶじゃぶ聞いて育ってきたお声ですからね。こういういい声の方がおちゃらけキャラとか小心者キャラをやってるからいいんだよなぁ。芸の幅ですよね。
ほんと、今回のドラマ版『湖泥』は1カットたりとも無駄なやっつけ仕事のない、30分枠だからこそできうる高い完成度の大傑作です。
この池松金田一シリーズにおける渋江演出4作品の中でもダントツのベストであることは当然のこと、他の演出家も含めた全12作の中でも頭一つ以上ズ抜けた最高傑作と断言して差し支えないかと思います。
以前私は、同じ渋江演出の『犬神家の一族』だったかなんかで、「男がギャーギャー大声でしゃべる泣き演技は大嫌い」ということを申しました。それは今でも変わらない考えで、本作でも西神康雄役のこだまたいちさんがそのような演技をしていたのですが、こだまさんの演技は不快感が全く無いコミカルな味わいが康雄への同情心すら喚起してしまう名演技だったと思います。
これは、こだまさんがちゃんと「泣きわめく男の情けなさ」を承知の上で滑稽に演じるプロの余裕を持っていたこと(夜明けに草むらで起き上がり頭をかく素振りなんか笑うしかありません)と、康雄の回想シーンの中から康雄がいきなりカメラ目線に向き直って「ちがうんです! そうやないんです!!」と訴えかけたりするなど、渋江さんが客観的距離をとって康雄をとらえている冷静な視点が明確になっていたからでした。これも、『犬神家の一族』2020エディションに比べたら格段の進化ですよね。
こだまさんのダメ息子っぷりもよかったのですが、やはり今作の俳優さんの中での MVPは、ネタバレになるので名前は言えませんが、やっぱり犯人を演じたあのお方なのではないでしょうか。う~ん、まさに『湖泥』の犯人を演じるために生まれてきたようなご容姿! 全然誉め言葉になってませんか。でも、満を持して思いのたけを叫んだ最後の独白は畢生の名演だったかと思います。「憎い村を悪評でズタボロにしてやった」という優越感もあり、むなしさもあり……そうそう、金田一によって犯罪計画は暴露されましたが、もう犯人の目的は達成されちゃってたんですよね。「ざまぁみろ!!」の絶叫の重さね。
あと、俳優さんでいうのならばやっぱり川島さんの名演をはずして語るわけにはいかないのですが、まず冒頭の長ゼリフをノーカットでこなせる段階で俳優として並みのレベルでないことは明らかです。そして、一見おだやかそうな表情を見せながらも、時にプロの警察屋として証言者たちにちらつかせる目つきのすごみも、なんかほんとにおまわりさんにいそうな説得力があると感じました。けっこう仕立てのよさそうなスーツをわざと汚して、その上にマタギみたいな毛皮の袖なしを羽織っている「妖怪しっとるけ」みたいな渋江ワールドらしいファッションも実に似合ってます。しっとるけ……知っとるけ?
磯川警部の出演シーンは最初から最後まで全部いいのですが、あえてひとつ挙げるのならば、前半で連行されていく九十郎に村人がこぞって罵声を浴びせながら土や砂を投げつけている時に、磯川警部が静かにキレて村人に猛然と土を投げ返したり蹴りつけたりしていた勇姿が印象的でした。そうそう、磯川警部も川島さんも、義憤に刈られたらそのくらいの挙には平気でおよぶアツいお方なんじゃないかな。
いい加減、字数もかさんできましたのでまとめてしまうのですが、とにかく今回の池松金田一シリーズ第4シーズンは、最後の『湖泥』が文句なしの大傑作だったということで、話は早いですが次シーズンへの明るい期待が大いに持てる締めくくりになったのが何よりも良かったと思います。別に先の2話がつまらなかったわけでもないし!
まぁ、今シーズンの副題『金田一耕助悔やむ』に関しては、『悪魔の降誕祭』と『湖泥』は「そんなに悔やんでるかぁ?」という感じで解釈違いな印象は持ったのですが、だいたい今までのシーズンの『踊る!』とか『惑う』もだいぶ無理のある感はあったのでしょうがないでしょ。
ただ、今シーズンの3話それぞれの原作小説をみてみますと、
『悪魔の降誕祭』…… 161ページ(角川文庫1974年版『悪魔の降誕祭』より)
『鏡の中の女』 …… 50ページ(角川文庫2022年改版『金田一耕助の冒険』より)
『湖泥』 …… 105ページ(角川文庫2022年改版『貸しボート十三号』より)
ということで、もちろん個々の作品の面白さも重要ですが、池松金田一シリーズの「30分」という枠に対して、横溝作品ではどうやら150ページでもなく50ページでもなく、「100ページ」サイズがジャストフィットなんじゃなかろうかという結論が導き出されそうな成果とあいなりましたね。今回のページ数比較はわかりやすいな!
要するに、『悪魔の降誕祭』は「犯人の裏にもっと狡猾な奴がいる」という真相みたいな部分を丸ごとカットしているために登場人物に深みが欠けてしまった感があり、逆に『鏡の中の女』は小説の映像化だけでは時間が余ってしまった部分を「犯人と金田一との心の交流とすれ違い」で補ってしまったために犯人の異常性が薄れてしまったという印象が残りました。引いても足しても、余計な蛇足になっちゃったのね。
やはりこれは、横溝先生の原作をヘタなアレンジなしで虚心坦懐に映像化するに如くはなし、ということなのでしょうか。でもここで「100ページがええわ~」という結論を出しちゃうと、せっかく始めちゃった『~の中の女』シリーズのほぼ全部が「……」ってことになっちゃうぞ!
まま、ともかく何ページの作品であろうと、横溝作品はそうとう心してかからねばならぬ難物ということなのですな。
一体、次なる第5シーズンはいつのことになるのやら。おそらく、少なくとも2026年 NHK大河ドラマの『豊臣兄弟!』が終わるまではできないんじゃなかろうかと思うのですが、今シーズンでいよいよ磯川警部もお披露目できたことですし! 気長に楽しみにさせていただきたいと思います~。
いや~とにかく、今シーズンで金田一耕助シリーズのうち『~の中の女』シリーズも「岡山もの」も始まっちゃいましたからね! 池松金田一シリーズの「金田一もの全短編映像化」も、ぜんぜん夢ではないのでは!? 『名探偵ポアロ』のデイビッド=スーシェさんに続けとばかりに、頑張っていただきたいと思いま~っす。えっ、金田一耕助シリーズの短編作品って、全部で53作あんの(ジュブナイルの短編2作も含む)……池松さんはそのうち11作まで映像化してるから(1作のみ長編が原作なので)、残り42作、今までのペースでいくと、あと14シーズンは必要なのか。
健康第一!! 池松さんも演出家のお3方も、いつまでもお元気でがんばってくだしゃ~い!!
私も、早く風邪なおしてがんばろっと。
≪巻末ふろく 池松金田一シリーズの功労者は誰だ!? 常連俳優リスト≫
・芋生悠(佐藤作品2回、宇野作品1回)
・片岡哲也(渋江作品3回)
・嶋田久作(渋江作品2回、宇野作品1回)
・ヤン・イクチュン(宇野作品2回、佐藤作品1回)
・福島リラ(佐藤作品2回)
・板谷由夏(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・佐藤佐吉(佐藤作品1回、渋江作品1回)
・田中要次(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・みのすけ(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・YOU(宇野作品1回、佐藤作品1回)
やはり嶋田さんか……『湖泥』のネクタイ頭に巻いたアホ村長っぷりもとってもキュートでした♡ いつまでもお元気で!
山形は、昨日まで梅雨明けかってくらいに暑い日が続いていたのですが、今日になっていきなり寒くなりましてね。もう風邪ひきそう……というか、ひいてしまったようです。せっかくの週末が……昨日までの気分で薄着を通してしまったのが元凶! 無理するもんじゃないっすねぇ。
あともうひとつ、風邪ひいちゃった原因として考えられるのは、前日の寝不足もあったと思うんですよねぇ。いや、ここんところ一つ一つは長いもんでもないのですが、『ガメラ・リバース』の NHK地上波放送とか『ゲゲゲの鬼太郎 私の愛した歴代ゲゲゲ』とか『機動戦士ガンダム ジークアクス』とか、毎週チェックしたい番組がけっこうあって、それに加えて夕べ、私はこの作品を録画後に3回もリピートして観ちゃったんですよ。そりゃ夜中の2時3時もあっという間ですわな。
ドラマ『湖泥』(2025年5月22日放送 NHK BS『シリーズ・横溝正史短編集Ⅳ 金田一耕助悔やむ』 30分)
33代目・金田一耕助 …… 池松 壮亮(34歳)
18代目・磯川常次郎警部 …… くっきー!(49歳)
『湖泥(こでい)』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。雑誌『オール読物』(文藝春秋)1953年1月号に掲載された。現在は角川文庫刊『貸しボート十三号』などに収録されている。
本作は『オール読物』掲載時、結末の前に犯人当て挑戦企画として推理小説ファンの著名人による犯人の推理が同時併載されており、服飾研究家の花森安治(1911~78年 2016年の NHK朝ドラ『とと姉ちゃん』の男性主人公のモデル)は「北神浩一郎と志賀秋子の共謀説」、マンガ家の横山隆一(1909~2001年)は「北神浩一郎単独犯説」、劇作家の飯沢匡(1909~94年)は「志賀夫妻共謀説」に基づく解決篇を寄稿していた。
本作は1996年1月に『呪われた湖』のタイトルでドラマ化され(金田一役は古谷一行)、今回は2度目の映像化となる。
今回のドラマ版は、NHK BS での放送に先がけて2025年3月28日にNHK BS8K、同年4月19日にNHK BS4K にて先行放送された。
あらすじ
昭和二十七(1952)年10月。大阪に来たついでに岡山県まで足をのばした金田一耕助は、出張中の磯川警部のあとを追いかけて山陽線の K駅から4~5km 奥へ入ったある僻村へやってきた。そこは三方を山に取り囲まれ治水ダム湖にあらかた沈んだ村で、「北神家」と「西神家」という2大勢力が反目しあっていた。最近では御子柴家の娘・由紀子を巡って両家の跡取り息子である北神浩一郎と西神康雄が争っており、浩一郎と由紀子の婚約が整ったところへ康雄から横槍が入ったところであった。そんな中で由紀子が失踪し、磯川警部が捜査に来ていたのである。
金田一が訪れる5日前の10月12日、旧暦九月十三夜の晩に、由紀子は女友達と共に隣村の祭りへ行ったが姿が見えなくなっていた。この晩、隣村へ山すそを回っていく道は人通りが途切れることが無かったにもかかわらず、由紀子を目撃した者は無かった。その他の山越えの近道をただ一人通ったと証言した北神九十郎も、特に何も気付かなかったという。同じ時刻に、康雄は泥酔して隣村の親戚宅に泊まっており、浩一郎は祭りへ行かずに山越えの道の登り口にある水車小屋で米を搗いていた。
その一方で、由紀子が失踪した同日には村長夫人の志賀秋子も姿を消していた。しかし、村長の志賀恭平は秋子が大阪へ遊びに行ったと言ったかと思うと転地療養していると言ったりして、具体的な行方を明らかにしようとしない。
2日後の10月14日になって、由紀子を12日の晩に水車小屋へ呼び出す浩一郎からの手紙が、由紀子の自宅の庭で見つかる。しかし手紙は前日の13日に降った夕立で濡れた形跡は無く、筆跡も浩一郎のものでなかった。浩一郎は、手紙を書いたことも由紀子がやってきたことも否定する。
続けて14日の夕刻には由紀子の下駄が、15日には帯が発見され、由紀子の遺体が湖に沈んでいることが予想された。湖が水門が閉ざされているため死体が下流へ流れていることは考えられないため、警察は湖内で死体を捜し続けていた。湖のボート上で磯川警部の説明を聞いていた金田一は、村から離れた場所にある九十郎の小屋にカラスが集まっていることに気付く。
おもなキャスティング
御子柴 由紀子 …… ジュリアンヌ(24歳)
北神 浩一郎 …… 井之脇 海(29歳)
西神 康雄 …… こだま たいち(34歳)
北神 九十郎 …… 宇野 祥平(47歳)
志賀 恭平 …… 嶋田 久作(70歳)
志賀 秋子 …… 夏帆(33歳)
清水巡査 …… 濱田 龍臣(24歳)
木村刑事 …… 片岡 哲也(50歳)
朗読 …… 二又 一成(70歳)
主なスタッフ
演出 …… 渋江 修平(40歳)
いや~、これほんとに面白かった。ご覧になった方ならよくわかりますよね!? この作品を何回も繰り返し観ちゃうの。
視聴する前から、くっきー!さん(以下、川島邦裕さん)の演技が素晴らしいとかいう前評判は耳に入っていましたので楽しみではあったのですが、まっさか川島さんが最新モードの磯川警部を演じられるとは!! まさに古だぬき……
磯川警部のキャスティングといえば最近はいぶし銀の俳優さんが手堅く演じるのが定番で、記憶に新しいのは加藤シゲアキ金田一版『悪魔の手毬唄』にて、あの古谷一行さんが磯川警部を演じたという大ニュースだったのですが、さすがは等々力警部役に外国人のヤンさんをキャスティングする池松金田一シリーズです。磯川警部にもまた、インパクト大なお方を持ってこられましたなぁ!
そうなんですよね、2016年いらい4シーズン12話も制作されている池松金田一シリーズではあるのですが、実は、「金田一耕助の傍らにこの名警部あり」とうたわれる2大警部こと、東(東京警視庁)の等々力大志警部と西(岡山県警)の磯川常次郎警部のうち、等々力警部はごく初期から登場していたのですが(演者は中村有志さんかヤンさん)、磯川警部は本作が初登場となるんですよ。だいぶ遅れてきたねぇ! あやうく10年越しになるとこでしたよ。
これで晴れて、横溝原作の中で唯一、等々力警部と磯川警部が金田一耕助をはさんで奇跡のご対面を果たした短編『堕ちたる天女』(1954年)の初映像化も可能となってきましたな! でも、この作品もこの作品で、ジェンダーに神経質な令和の御世にはなかなか危なっかしいクセ強事件なんですよね……う~ん、いつになるかな。
ここでも池松シリーズのスタンスがわかって興味深いのですが、磯川警部が今回初登場ってことは、要するに金田一耕助ものの映像化といえばこれ!というイメージの強い「岡山もの」を、今まで池松シリーズがとんと手をつけてこなかったということなのです。いいねぇ~! 作品選びも攻めてるなぁ。
確かに振り返ってみると、池松シリーズ各12作は圧倒的に東京を舞台にしたものが多く、せいぜい長野県(『犬神家の一族』)、神奈川県(『華やかな野獣』と『鏡の中の女』)、静岡県(『女怪』)あたりが地方出張してるかなという程度だったのでした。いや~じゃけどやっぱ岡山弁が聞こえてこんと、地方の事件って気分にはならんかのう!
こんな感じなので、もしかしたら池松シリーズは岡山ものをやらないのかと思っていたのですが、ついに満を持して今回、初岡山ものということで川島さんによるニュー磯川警部も爆誕し、その記念すべき最初の事件に選ばれたのが、この『湖泥』だったというわけなのです。いや~わかってらっしゃるセレクトセンス!!
今回視聴してあらためてしみじみ感じたのは、この『湖泥』という作品が、かなりガチンコの全力投球で作られた「岡山もの要素てんこ盛りの高カロリー作品」になっているということです。なんか、たまたま金田一耕助の調子が良かったから文庫本にして100ページちょっとで終われましたけど、作品の中に込められたテーマの重さや登場人物設定の複雑さを見てみれば、長編作品になったって全然おかしくない「むつかしい事件」なんですよね、これ!
本作を読んで、もしくは今回のドラマ版を観てすぐにピンとくるのは、本作と、横溝先生のあまたある岡山ものの傑作群の中でもとくに有名な「ある長編作品」との、犯人の設定に関するパラレルワールドのような関係です。
つまりこれ、両作品の真相に迫る話になるので詳しくは言えないのですが、この『湖泥』というお話は、「もしもあの長編作品の犯人が、途中でヘタをうって別の誰かに犯行計画をパクられてしまったら!?」みたいな、実際にはそうはならなかった分岐ストーリーを作品化したみたいな結末になっているんですよね。あっ、でもよくよく思い出してみたら、その超有名長編の真犯人も、そもそも別の登場人物がふざけて作った犯行計画をパクッてたんだった。横溝先生、パクりパクられの展開がお好きねぇ!!
これは面白いですね……要するに、あらかじめ村を大混乱に陥れるスキャンダルの図面を引いていた人物が、途中で同じように村を恨んでいる別の人物に計画を丸ごと乗っ取られてしまったわけなのです。この番狂わせはなかなかにトリッキーで、上の情報のように、当時のミステリマニアの有名人お3方の推理が全員不正解になってしまったのもやむをえないことかと思います。横溝先生、少しは手ごころを~! 推理小説の鬼の真骨頂ですよね。
なんと言いましても、本作は犯人の人物造形が非常にインパクト大です。犯人のインパクトというんだったら、今回の池松シリーズ第4シーズンは全話、犯人のキャラクターが各人各様で激濃ではあるのですが、やはりシーズンの掉尾を飾る作品ということで、この『湖泥』の犯人の姿も非常に印象深いものになっていたと思います。犯人のラストカットの横顔も、実に味わい深いものでしたね……
あともうひとつ、横溝ファンとしてどうしても考えずにはおられないのが、ここまでインパクト大で完成度の高いこの『湖泥』が、どうして他の横溝短編の進化パターンのように長編化されなかったのか、という問題です。まぁ、ある意味でこの作品の犯人像がミステリの定石破りではあったので、これ以上ふくらませても味が薄れるだけという判断もあったのかもしれませんが。
これに関して私が思うのは、いやいや、『湖泥』要素よりもオリジナルな設定がモリモリになってるので一見そうはみえませんが、ちゃんと長編小説に昇華されてるじゃありませんか!ということなんですね。もう、先達で指摘されておられる方もいらっしゃかるかも知れませんが。
『湖泥』の長編化作品。そりゃもうあーた、『悪魔の手毬唄』に決まってるじゃござんせんか!!
私、今回のドラマ化にあたって原作を再読しながら、この『湖泥』の「衰退しつつある村の2大勢力の若者世代が、かつて村につまはじきにされた家の娘をめぐって争う」とか、「村はずれにある湖(沼)のほとりに暮らす変わり者」とかいう設定が、まんま『悪魔の手毬唄』であることに今さらながら気づいてしまったわけであります。つまり、『湖泥』と『悪魔の手毬唄』で比較するのならば、「北神家と西神家」が「仁礼家と由良家」、「御子柴由紀子」が「別所千恵子」、「北神九十郎」が「多々羅法庵」というあんばいなわけで、もちろん物語の結末はだいぶ違うわけなのですが、登場人物の配置具合が酷似していると断言してさしつかえなさそうなのです。
その他、村の2大勢力の対立のバランスを左右させうる第3の存在としては、『湖泥』の志賀村長夫妻にあたる位置に亀の湯の青池夫妻(夫は失踪中)がいるし、だいいち、『悪魔の手毬唄』の衝撃的なクライマックスでの犯人の最期を思い出してみてつかぁさい! 原作版でも1977年映画版でもどっちゃでもええから!!
湖か沼かの違いは生まれてしまうのですが、どうですかあーた……まさにこの作品こそ「湖泥」の名がふさわしいじゃ、あーりませんか。
当然ながら、『悪魔の手毬唄』は犯人像が『湖泥』とまるで違いますし、「磯川警部因縁の未解決事件」とか「手毬唄の歌詞の通りに殺人が起こる」とか「死んだはずの老婆が村に帰って来る」とか非常に魅力的なオリジナル要素がふんだんに盛り込まれていますので、もしそうなのだとしても、もはや『湖泥』の長編化作品とは言えない別の大傑作に仕上がっているのでこれ以上は詮索しないのですが、ただここだけ言っておきたいのが、『湖泥』のラストで金田一耕助が、冒頭での磯川警部によるシャーロック=ホームズゆずりの「田舎の犯罪こそおそろしい」論への返歌としてつぶやいた(ドラマ版ではカット)、
「ぼくのいいたいのは、農村へ都会のカスがいりこんでいる、現在の状態がいちばん不安定で危険なんですね」
という主張が、『湖泥』よりも、「都会からやって来た恩田幾三のモール詐欺」という要素を組み込んだ『悪魔の手毬唄』のほうでよりヴィヴィッドに小説化されているということなのです。念のために言っておきますと、金田一は別に引き揚げ軍人や疎開者のことを蔑視してカスと呼んでいるわけではなくて、都会で培養され流れてきた犯罪の因子(残滓)という意味でカスと発言しているようです。
いや~、やっぱり横溝先生の、自作の進化にかける執念のアツさは、ここでも素晴らしいですね。岡山ものの最終作とも言える『悪魔の手毬唄』の精華は、『湖泥』なくして語り得ないものだったのだ! こでー!!
まぁこのように、原作小説の時点でかなりハイレベルなこの『湖泥』ではあるのですが、今回の2025年ドラマ版は、それに輪をかけて「推理ドラマとしての面白さにブーストをかける映像演出」がバチコーン!!と大ホームランをかましてくれた大傑作だと感じました。しかも、今シーズンの前2話よりも格段に「原作に忠実」! ここが横溝ファンにはとってもうれしい。
先ほど、私は「3回観た」と言いましたが、これは作品が複数回の視聴に耐えうるクオリティを持っているのは当然のこととして、2回3回観て「あぁ~!!」と驚き感じ入ってしまう映像的なトリックを30分間の作品全シーン全カットにふんだんに散りばめていたからなのでした。これ、ぜんっぜん大げさな言い方じゃないっすよ! 観た人ならわかりますよね!?
素晴らしい、このドラマ版の映像演出の計算されっぷりは本当に素晴らしい! 私的に、昨年2024年のミステリ映像作品としてのベスト1は『十角館の殺人』だったのですが、今回の『湖泥』の満足度は限りなくそれに近いもので、おそらくはそのまんま今年ベストになっちゃうんじゃなかろうかという手ごたえを感じております。まだ今年半分も終わってないけど!
やっぱり、30分という作品のスケールが、今回の渋江演出と相性バッチリだったんでしょうね。
今作における渋江演出は、クライマックスでの金田一の推理披露パートや犯人の独白パートに沿った回想シーンのラッシュで事件の真相が明らかになる、という典型的なサスペンスドラマの形式をいちおう採りながらも、実は「ほぼすべての犯行」がそこに至るまでの画面の中にちゃーんと映っているのです。これ、とんでもないことですよ。手品のタネ明かしをするまでもなく、タネはぜんぶステージの上に無造作に投げ置かれていたのです! それでもお客さんが全く気づかずに手品にオオッと驚いてしまうんですから、これがとてつもない腕を要する異次元のテクニックであることは間違いないでしょう。
ふつう、犯人がやっているたくらみはネタばらしにいくまで隠されるもんだと思うのですが、このドラマはオールオープンで犯人がどこにいて何をやっていたのかが逐一画面に映っているのです。ただ、おそらくは初見の視聴者のほとんどが、その肝心の犯人の挙動どころか、その存在にさえまるで気づかないように、実に巧妙な映像演出が全編にわたって施されています。
これ、ある意味では本作の「インヴィジブル・マン」という、かのチェスタトンの歴史的名作『見えない男( The Invisible Man)』(1911年発表)を創始とする超有名なトリックをあえて「曲解」した映像マジックなわけなのですが、まともにそれだけをやれば単なるくだらないコントになるところなのに、ちょっと日本らしくないエスニックでゴテゴテした衣装やメイクを配置していた渋江ワールドなのですから、ごくごく自然に視聴者が渋江マジックにだまされるみごとな土壌となってしまっていたのです。
いや~これはやられた! だって、ただのおしゃれだと思っていた志賀秋子の真紅のマフラーまでもが、この映像トリックのための重要な目くらましだったんですもんね。手品の基本中の基本は、「タネから客の目を反らすこと」! シンプルなことが、いちばん難しいんですよね。
私が本作を3回観た流れを申しますと、まず1回観て、原作小説をいっさいの無駄なく映像化した手練や川島さんの演技の意外なまでの安定感に感じ入りまして、でも「そうはいっても犯人が見えないように隠してんじゃないの~?」と勘ぐりながら2回目の視聴をして確かめてみて、なんと隠すどころか、アップにこそしてはいないものの、犯人がちゃーんと他の登場人物の行動を首を傾けてじっと見つめていて、会話をがっつり聞いていて、それどころかこれ見よがしに紙包みを開いて粉末を入れたぐい呑みを西神康雄に直接手渡すところまでもがバッチリコーンと映されていたことに、心の底から驚かされてしまったのです。え~!? 私の目の、なんと節穴なことか……
ほんとにやられました。「1回観ただけじゃわからない」というのは洋の東西を問わず名作の常套文句ですが、本作は正真正銘、何度見ても視聴に耐えうるウェルメイドなミステリドラマです。30分っていうお手頃なサイズなのも最高ですよね。これが2時間3時間だったら、そうもいかないもんねぇ。大学生時代だったら、私も『薔薇の名前』とか『悪魔の手毬唄』とか VHSで何度も観てたけど。
話を戻しますが、それでこういうブログもやってるもんですから、どの役をどなたが演じてらっしゃるのかな~なんてチェックしながら2回目を観終わってみて、「そういえば、朗読もかなり渋めでいい声だったな。誰だったんだろ?」と思ってボンヤリとエンドロールを観てたら、
朗読 二又一成
って小さな字でうたれてたもんで、これまた吃驚してしまいました。
えー!! 声優の二又さん!? 二又さんって、あの『ハイスクール!奇面組』の出世潔の二又さん!? 『キン肉マン』のキン骨マンの二又さん!? 『機動警察パトレイバー』の進士幹泰の二又さんんん!?
なんとすばらしいキャスティングだ……いままで、この池松金田一シリーズの朗読ポジションは俳優さんがメインだったかと記憶しているのですが、ここにきて超ベテラン声優の二又さんを起用するとは。
そんでま、その美声をもう一度味わうために3回目を視聴して夜更かししちゃった、というわけだったのでした。
いや~、1980年代生まれのわたくしとしましては、二又さんといえば神谷明さんや千葉繁さん、内海賢二さんなみに生まれた時からじゃぶじゃぶ聞いて育ってきたお声ですからね。こういういい声の方がおちゃらけキャラとか小心者キャラをやってるからいいんだよなぁ。芸の幅ですよね。
ほんと、今回のドラマ版『湖泥』は1カットたりとも無駄なやっつけ仕事のない、30分枠だからこそできうる高い完成度の大傑作です。
この池松金田一シリーズにおける渋江演出4作品の中でもダントツのベストであることは当然のこと、他の演出家も含めた全12作の中でも頭一つ以上ズ抜けた最高傑作と断言して差し支えないかと思います。
以前私は、同じ渋江演出の『犬神家の一族』だったかなんかで、「男がギャーギャー大声でしゃべる泣き演技は大嫌い」ということを申しました。それは今でも変わらない考えで、本作でも西神康雄役のこだまたいちさんがそのような演技をしていたのですが、こだまさんの演技は不快感が全く無いコミカルな味わいが康雄への同情心すら喚起してしまう名演技だったと思います。
これは、こだまさんがちゃんと「泣きわめく男の情けなさ」を承知の上で滑稽に演じるプロの余裕を持っていたこと(夜明けに草むらで起き上がり頭をかく素振りなんか笑うしかありません)と、康雄の回想シーンの中から康雄がいきなりカメラ目線に向き直って「ちがうんです! そうやないんです!!」と訴えかけたりするなど、渋江さんが客観的距離をとって康雄をとらえている冷静な視点が明確になっていたからでした。これも、『犬神家の一族』2020エディションに比べたら格段の進化ですよね。
こだまさんのダメ息子っぷりもよかったのですが、やはり今作の俳優さんの中での MVPは、ネタバレになるので名前は言えませんが、やっぱり犯人を演じたあのお方なのではないでしょうか。う~ん、まさに『湖泥』の犯人を演じるために生まれてきたようなご容姿! 全然誉め言葉になってませんか。でも、満を持して思いのたけを叫んだ最後の独白は畢生の名演だったかと思います。「憎い村を悪評でズタボロにしてやった」という優越感もあり、むなしさもあり……そうそう、金田一によって犯罪計画は暴露されましたが、もう犯人の目的は達成されちゃってたんですよね。「ざまぁみろ!!」の絶叫の重さね。
あと、俳優さんでいうのならばやっぱり川島さんの名演をはずして語るわけにはいかないのですが、まず冒頭の長ゼリフをノーカットでこなせる段階で俳優として並みのレベルでないことは明らかです。そして、一見おだやかそうな表情を見せながらも、時にプロの警察屋として証言者たちにちらつかせる目つきのすごみも、なんかほんとにおまわりさんにいそうな説得力があると感じました。けっこう仕立てのよさそうなスーツをわざと汚して、その上にマタギみたいな毛皮の袖なしを羽織っている「妖怪しっとるけ」みたいな渋江ワールドらしいファッションも実に似合ってます。しっとるけ……知っとるけ?
磯川警部の出演シーンは最初から最後まで全部いいのですが、あえてひとつ挙げるのならば、前半で連行されていく九十郎に村人がこぞって罵声を浴びせながら土や砂を投げつけている時に、磯川警部が静かにキレて村人に猛然と土を投げ返したり蹴りつけたりしていた勇姿が印象的でした。そうそう、磯川警部も川島さんも、義憤に刈られたらそのくらいの挙には平気でおよぶアツいお方なんじゃないかな。
いい加減、字数もかさんできましたのでまとめてしまうのですが、とにかく今回の池松金田一シリーズ第4シーズンは、最後の『湖泥』が文句なしの大傑作だったということで、話は早いですが次シーズンへの明るい期待が大いに持てる締めくくりになったのが何よりも良かったと思います。別に先の2話がつまらなかったわけでもないし!
まぁ、今シーズンの副題『金田一耕助悔やむ』に関しては、『悪魔の降誕祭』と『湖泥』は「そんなに悔やんでるかぁ?」という感じで解釈違いな印象は持ったのですが、だいたい今までのシーズンの『踊る!』とか『惑う』もだいぶ無理のある感はあったのでしょうがないでしょ。
ただ、今シーズンの3話それぞれの原作小説をみてみますと、
『悪魔の降誕祭』…… 161ページ(角川文庫1974年版『悪魔の降誕祭』より)
『鏡の中の女』 …… 50ページ(角川文庫2022年改版『金田一耕助の冒険』より)
『湖泥』 …… 105ページ(角川文庫2022年改版『貸しボート十三号』より)
ということで、もちろん個々の作品の面白さも重要ですが、池松金田一シリーズの「30分」という枠に対して、横溝作品ではどうやら150ページでもなく50ページでもなく、「100ページ」サイズがジャストフィットなんじゃなかろうかという結論が導き出されそうな成果とあいなりましたね。今回のページ数比較はわかりやすいな!
要するに、『悪魔の降誕祭』は「犯人の裏にもっと狡猾な奴がいる」という真相みたいな部分を丸ごとカットしているために登場人物に深みが欠けてしまった感があり、逆に『鏡の中の女』は小説の映像化だけでは時間が余ってしまった部分を「犯人と金田一との心の交流とすれ違い」で補ってしまったために犯人の異常性が薄れてしまったという印象が残りました。引いても足しても、余計な蛇足になっちゃったのね。
やはりこれは、横溝先生の原作をヘタなアレンジなしで虚心坦懐に映像化するに如くはなし、ということなのでしょうか。でもここで「100ページがええわ~」という結論を出しちゃうと、せっかく始めちゃった『~の中の女』シリーズのほぼ全部が「……」ってことになっちゃうぞ!
まま、ともかく何ページの作品であろうと、横溝作品はそうとう心してかからねばならぬ難物ということなのですな。
一体、次なる第5シーズンはいつのことになるのやら。おそらく、少なくとも2026年 NHK大河ドラマの『豊臣兄弟!』が終わるまではできないんじゃなかろうかと思うのですが、今シーズンでいよいよ磯川警部もお披露目できたことですし! 気長に楽しみにさせていただきたいと思います~。
いや~とにかく、今シーズンで金田一耕助シリーズのうち『~の中の女』シリーズも「岡山もの」も始まっちゃいましたからね! 池松金田一シリーズの「金田一もの全短編映像化」も、ぜんぜん夢ではないのでは!? 『名探偵ポアロ』のデイビッド=スーシェさんに続けとばかりに、頑張っていただきたいと思いま~っす。えっ、金田一耕助シリーズの短編作品って、全部で53作あんの(ジュブナイルの短編2作も含む)……池松さんはそのうち11作まで映像化してるから(1作のみ長編が原作なので)、残り42作、今までのペースでいくと、あと14シーズンは必要なのか。
健康第一!! 池松さんも演出家のお3方も、いつまでもお元気でがんばってくだしゃ~い!!
私も、早く風邪なおしてがんばろっと。
≪巻末ふろく 池松金田一シリーズの功労者は誰だ!? 常連俳優リスト≫
・芋生悠(佐藤作品2回、宇野作品1回)
・片岡哲也(渋江作品3回)
・嶋田久作(渋江作品2回、宇野作品1回)
・ヤン・イクチュン(宇野作品2回、佐藤作品1回)
・福島リラ(佐藤作品2回)
・板谷由夏(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・佐藤佐吉(佐藤作品1回、渋江作品1回)
・田中要次(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・みのすけ(宇野作品1回、佐藤作品1回)
・YOU(宇野作品1回、佐藤作品1回)
やはり嶋田さんか……『湖泥』のネクタイ頭に巻いたアホ村長っぷりもとってもキュートでした♡ いつまでもお元気で!