長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

よみがえれ平成うさんくさいロマン!! 飛鳥昭雄の UMA大百科

2024年07月02日 22時01分10秒 | 愛すべきおっさんがた
参考資料;飛鳥昭雄『超保存版 UMA完全ファイル』(2012年6月刊 ヒカルランド)

565年~2000年代 伝説の水馬ネッシー(イギリス・スコットランド北部ネス湖)
 体長15m。巨大無脊椎軟体動物タリモンストゥルム説あり
1997年 第2ネッシー(イギリス・スコットランド北部ネス湖)
 体長3m。古代硬骨魚の生き残りか

1609年~2000年代 伝説の怪物チャンプ(アメリカ東海岸北部シャンプレーン湖)
 体長20m。スコットランドのネッシーと同種の巨大無脊椎軟体動物タリモンストゥルム説あり

1735年~2000年代 悪魔ジャージーデビル(アメリカ・ニュージャージー州)
 体長1.8m。翼竜アンハングエラ説あり

1776年~2000年代 虹の怪物モケーレ・ムベンベ(アフリカ・コンゴ共和国テレ湖)
 体長10m。絶滅した巨大哺乳類の生き残り説

1800~2000年代 巨大腸蟲モンゴリアン・デスワーム(モンゴル北部の砂漠地帯)
 体長6m、揮発性の猛毒液、放電攻撃。未発見の新種生物か

1840~2000年代 超巨大ミミズ・ミニョコン(南米奥地ネグロ川流域)
 体長50m。火星の超巨大チューブ型生物「サンドワーム」と同種の新種生物か

1850~2000年代 巨大鳥サンダーバード(アメリカ西部)
 体長5m、プラズマによる火球攻撃。翼竜プテラノドン説、絶滅した巨大鳥説あり

1852~1983年 伝説の水馬モラーグ(イギリス・スコットランド北部モラー湖)
 体長10m。同地方のネッシーと同じく巨大無脊椎軟体動物タリモンストゥルム説あり

1856年 氷漬け翼竜ディモルフォドン(フランス北東部サンディジェ地下トンネル)
 体長50cm。2055年までフランス政府が遺骸を封印保管

1872年~2000年代 巨大水棲怪物オゴポゴ(カナダ・ブリティッシュコロンビア州オカナガン湖)
 体長10m。古代水棲哺乳類バシロサウルス説、古代水棲爬虫類モササウルス説あり

1897年~2000年代 伝説の怪物ナウエリート(南米アルゼンチン南部リオネグロ州ナウエルウピア湖)
 体長20m。首長竜プレシオサウルス説、巨大オオウナギ説、古代水棲哺乳類バシロサウルス説あり

20世紀初頭~1998年 伝説の怪物サーポパード(アフリカ・ケニア)
 体長5m。竜脚類ティタノサウルス説あり

1919年~1940年代 大型恐竜エメラ・ントゥカ(アフリカ・コンゴ共和国リクアラ湿地帯)
 体長8m。一角恐竜モノクロニウス説あり

1923~98年 怪鳥コンガマトー(アフリカ南部ザンベジ川流域)
 翼長4m。翼竜プテロダクティルス説あり

1936年~2000年代 伝説の怪物マニポゴ(カナダ・マニトバ州マニトバ湖)
 体長10m。オオウナギ説、巨大ヘビ説、巨大水棲哺乳類説あり

1942~96年 巨大水棲生物イッシー(鹿児島県薩摩半島南東部・池田湖)
 体長20m。巨大オオウナギ説、超巨大ヒル説あり

1953~64年 巨大怪物シベリア・ドラゴン(シベリア・サハ共和国ハイール湖、ボロータ湖、レナ川流域)
 体長30m。魚竜イクチオサウルス説、未発見の巨大水棲哺乳類説あり

1953年~2000年代 水棲妖怪・河童(日本列島全国)
 体高70cm。中国の河伯や北海道のコロボックル、沖縄のキジムナーや中米のチュパカブラと同種の、未発見のヒト型両生類動物か

1957年~2000年代 宇宙生物クリッター(成層圏以上の宇宙空間)
 全長100m。プラズマ生命体説あり

1960~2000年代 伝説の怪物テンシー(中国・北朝鮮国境長白山カルデラ湖天池)
 体長8m。火口のマグマ活動による水柱説、未発見の巨大水棲哺乳類説、古代水棲哺乳類バシロサウルス説、首長竜プレシオサウルス説あり

1966年11月~67年12月 蛾人間モスマン(アメリカ・ウエストヴァージニア州オハイオ渓谷ポイントプレザント)
 体長2m、最高時速400km で空を飛ぶ。エイリアンアニマル説、翼竜説あり

1969年 巨大水棲怪物シーサーペント(アメリカ・カリフォルニア州サンクレメンテ島沖)
 体長8m。手足の退化した未発見の巨大水棲哺乳類

1970年 伝説の怪物メコン・ナーガ(東南アジア・メコン川流域)
 体長10m。リュウグウノツカイ説、巨大オオウナギ説、古代水棲哺乳類バシロサウルス説あり

1972年~2000年代 巨大怪物クッシー(北海道北東部・屈斜路湖)
 体長20m。スコットランドのネッシーと同種の巨大無脊椎軟体動物タリモンストゥルム説あり

1972年~2000年代 伝説の怪物ミゴー(南西太平洋パプアニューギニア・ニューブリテン島ダカタウア湖)
 体長10m。未発見の巨大水棲哺乳類説あり

1974年 幻の怪蛇ツチノコ(日本列島本州)
 当時輸入されたアオジタトカゲ説、ヘビの変種説、手脚の無い新種のトカゲ説あり

1976~85年 宇宙生物スペースキャタピラー(東京上空や成層圏)
 全長100m。妖怪のびあがりやスカイフィッシュと同種のプラズマ生命体か

1977年 謎の腐乱死体ニューネッシー(ニュージーランド・クライストチャーチ沖50km海中
 体長10m、重量1.8トン。ウバザメ説、首長竜に近い特徴を持つ新種の哺乳類説あり

1977年 中国の水棲妖怪・河伯(中国・青海省の黄河源流域)
 体高1m、プラズマによる狐火現象。沖縄の妖怪キジムナーと同種の、未発見のヒト型両生類動物か

1980年代 伝説の怪物キルギスドン(中央アジア・キルギス共和国イシククル湖)
 体長10m。首長竜プレシオサウルス説、巨大水棲哺乳類説あり

1980年~2000年代 吸血怪物チュパカブラ・グレイタイプ(カリブ海プエルトリコ)
 体長90cm。未発見の新種動物説あり
1990年~2000年代 吸血怪物チュパカブラ・翼竜タイプ(カリブ海プエルトリコ)
 体長90cm。翼竜プテロダクティルス説あり

1985年~2000年代 巨大翼竜ローペン(南西太平洋ニューギニア島)
 翼長6m、プラズマによる火球攻撃。未発見の大型翼竜説、巨大コウモリ説あり

1990年 大型恐竜コッコーリ(中央アジア・カザフスタン共和国コッコーリ湖)
 体長20m。竜脚類サルタサウルス説あり

1990年~2000年代 宇宙クラゲ(空中から成層圏内)
 全長?~100m。クリッターと同種のプラズマ生命体か

1990年代~2000年代 謎の怪物ニンゲン(南氷洋などの世界の海)
 全長20m。未発見の海棲哺乳類説、海棲軟体動物説、日本の妖怪・海坊主と同種説あり

1993~98年 水棲怪物ホラディラ(南米アマゾン川流域)
 体長3m。ワニの変種説、魚竜の生き残り説あり

1994年~2000年代 空飛ぶ怪生物スカイフィッシュ(世界中の空中や海中)
 全長?~100m。エイリアンアニマル説、進化したアノマロカリス説、カメラのブレによる虫の錯覚説、プラズマ生命体クリッター説など

1996年 ジェリー生命体(地中海、カリブ海バハマ諸島沖)
 体長300m。未発見のクラゲ状生物か

1997年~2000年代 伝説の怪物ジャノ(西アジア・トルコ共和国東部ヴァン湖)
 体長15m。古代水棲哺乳類バシロサウルス説、首長竜マクロプラタ説あり

1998年~2000年代 フライングヒューマノイド(アメリカやメキシコ、日本など)
 体高不明。日本の妖怪・天狗や中米のチュパカブラと同種の、未発見のヒト型両生類動物か

1999年 フライング・ニンゲン(南極大陸)
 プラズマ効果を利用して飛行する。ニンゲンと同じく未発見の海棲哺乳類説、海棲軟体動物説、日本の妖怪・海坊主と同種説あり

2004年 有翼人オランバッチ(インドネシア・マルク諸島セラム島)
 翼竜ランフォリンクス説あり

2004年 カンガルー恐竜ゲクフ(南米チリ北部)
 体高2m

2007年 バイオクローン・ティラノサウルス(アメリカ軍極秘研究施設)
 グリズリーの卵子と母胎を利用して誕生させ育成・研究中

2007年 ヒト型海棲甲殻生物パタゴン(南米アルゼンチン南部ティエラデルフエゴ州フエゴ島)
 人間大。未発見の生物か

2008年 甲冑魚の死骸(マレーシア首都クアラルンプール近郊のジャングル)
 体長45cm。古代甲冑魚ボトリオレピスの生き残りか

2010年 三葉虫(ブラジル・アマゾナス州ネグロ川流域)
 体長50cm。古代水棲生物の生き残りか
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さよなら細川先生 『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』 解決編

2011年01月21日 22時26分47秒 | 愛すべきおっさんがた
 ども、こんばんはー。そうだいです。いやぁ、最近は働く時間が午前中からになったりお昼からになったり、丸一日休みになったかと思えば丸一日働きづめの日が来たりと……まぁ不規則で充実した日々を送っております。早く春にならないかしらねェ。

 さてさて、前々回に亡き俳優・細川俊之さんをしのんだ『長岡京エイリアン』だったのですが、前回で見事に『金田一少年の事件簿』シリーズに内容を持っていかれるという、じつに不謹慎な展開になってしまいました。なんと罰当たりな!

 しかしご安心を。予告通り、今回は私の記憶の中で燦然たる輝きをはなっている名作ドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』の魅力をつづらせていただきたいと思うのですが、このドラマは、「細川さんの存在感」と「学園ミステリーものとしての『金田一少年の事件簿』」がまれにみる好タッグを組んだことによって生まれたものだったのです! どっちが欠けてもあの作品は生まれえなかったし、ひいては「金田一少年フィーバー」もあれほどの規模にふくれあがることはなかったかもしれないのです! いいすぎじゃあないよ。

 1992年10月の連載開始から2年以上がたった1995年4月。ついに、『金田一少年の事件簿』の実写映像化作品が、2時間枠の単発スペシャルドラマとして放送されることになりました。日本テレビによる制作で、主演は前年に出演した大問題作ドラマ『人間・失格』で世間の話題をかっさらったKinki Kidsの堂本剛(16歳)、演出はTVディレクター出身で映画監督としても活躍していた堤幸彦(39歳)。
 同じ年の7月からはいよいよ連続ドラマシリーズとしての『金田一少年の事件簿』第1シーズン(毎週土曜日夜9時から)が始まるわけなのですが、4月のスペシャルドラマは、そんな連続ドラマ化に向けてのパイロット版(試験作品)のような役割をになっていました。実写映像化という企画全体の吉凶をうらなう重要すぎる一発目! こりゃあつまんないものを作ることは許されません。てぇへんだ!

 1995年の春の時点ですでに10本の長編が発表されていた原作マンガ『金田一少年の事件簿』だったのですが、記念すべきドラマ化作品第1弾に選ばれたのは、連載第1作の『オペラ座館殺人事件』ではなく、4作目の『学園七不思議殺人事件』でした。
 なぜ連載どおりの『オペラ座館』ではなく『学園七不思議』だったのか? これはもう、1995年という放送当時に巻き起こっていたあるブームが大きな原因になっていると考えざるをえないでしょう。

 そりゃあ1995年といえばあなた、「学校の怪談」ブームのまっただ中でございますよ!
 トイレの花子さん、夜中にほっつき歩く二宮金次郎像、テケテケなどなど……前年に児童書のヒットやTVドラマ化などで火がついた、日本全国の学校に伝わる都市伝説にスポットをあてた「学校の怪談」ブームなのですが、この1995年に満を持して公開された2本のホラー映画『学校の怪談』(東宝)と『トイレの花子さん』(松竹)によってピークをむかえることとなりました。
 話は「金田一少年」からズレますが、東宝の『学校の怪談』は大人も子どもも怖がって楽しめるにぎやかなエンタテインメント作となり、1999年までに4作が制作される人気シリーズとなりました。ところが、松竹の『トイレの花子さん』のほうはというと……
 松竹版『トイレの花子さん』は、はっきり言って「看板にいつわりあり」! いや、それはそれでおもしろい。おもしろいんだけど、トイレの花子さんがベロ~ンと出てくる純粋な「怪談ホラー」ではなく、「大人がしみじみ楽しむ教育テレビ系サイコサスペンス」なんです。
 そんなジャンルあんの? と思われる方もおられるでしょうが、『トイレの花子さん』はほんとにそうなのよ。要するに、怖さの対象が妖怪や幽霊じゃないんです。そして、子どもを置いてきぼりにした落ち着きすぎのスト-リー展開。当時まだまだ高1のガキンチョだった私は、これを観て「トイレの花子さん出てこねぇ! っんだよ、だまされた!」などと激昂したものですが……30になったいま観直してみると、しみじみするんだろうか。子どもいないけど。
 さらに余談ですが、「金田一少年の事件簿シリーズ」でブレイクした堤幸彦も数年後の1998年に、今度は東映が制作した『新生 トイレの花子さん』というホラー映画を監督しています。し、新生!?
 そしてなんと、この東映版「花子」さんも、松竹版とおなじく「看板にいつわりあり」なの! ただし、「いつわり」方がまったくちがっていて、堤監督による『新生』は、「学校の怪談」系と「モダンホラー」系をかけあわせたムチャクチャ恐いガッチガチのホラー映画になっています。これはうれしい裏切りだった! 堤幸彦監督の『新生 トイレの花子さん』は、ホラーファンにはおすすめです。「恐怖の対象」となる「アレ」の造形がすばらしい!

 脱線しすぎた! ま、とにかくそんな感じで「学校」という場所がホラーやサスペンスと親和性の強いホットスポットとなっていた1995年に実写版『金田一少年の事件簿』がデヴューするにあたって、やはりもっともキャッチーでインパクトのある既発長編は、主人公・金田一一のかよう高校を舞台に巻き起こった連続殺人事件をあつかう『学園七不思議殺人事件』だったのです。ナイスチョイス!
 こういった当時の世相もさることながら、主人公のはじめが「現役高校生である」という情報をわかってもらいやすいこと、16歳のジャニーズアイドルが主人公をつとめるドラマである以上、「メインの視聴者となる公算が高い中高生にむけたアピール力がある」といった見込みもあったのでしょう。
 この選択はだいぶ当たったらしく、のちに連続アニメ化された時も、『金田一少年の事件簿』の最初のエピソードはやはり『学園七不思議殺人事件』となっています。「金田一少年シリーズ」にとっては名刺がわりのようなエピソードなんですね。

 『学園七不思議殺人事件』はまさに読んで字のごとく、はじめが通う私立不動高校で、古くから校舎に伝わっていた七不思議にまつわる謎の連続殺人事件が発生し、不動高の生徒であるはじめが事件の解決に乗り出すというもの。わかりやすい……
 おおすじは一緒なのですが、前回にもふれた通り、ドラマ化された「金田一少年」は原作とはだいぶちがったアレンジが少なからず加えられており、はじめがふだんはぼんやりしたキャラクターで、事件の直前にふらりと不動高にやってきた転校生という設定になっていたり(原作では何の変哲もないジモティ)して、どことなく風来坊のような印象の強かったじっちゃんこと金田一耕助(実際はそうでもないですが)のイメージを継承したものに変更されています。
 あとは、今回の事件で初対面となる警視庁の剣持警部が、だいぶ落ち着いた性格の冷静沈着な人物になっているという変更も堂本版『金田一少年』の大きな特徴で、ドラマの中の剣持警部は、ある時は重要な手がかりを発見したり、またある時は明晰な推理力を発揮したりと、原作では名探偵が受け持っていた役割の一部まで受けもつということに。また演じた古尾谷雅人さんのまなざしがあったかくていいんだな。ただの高校生であるはじめの意見に、「シャシャったガキが……」と軽くあしらうこともなく真摯に耳をかたむける、その紳士的な態度! とても若い頃に、あの伝説の映画『丑三つの村』で30人の村人を惨殺したことのある方には見えませんでした。ほんとに大人ねぇ。
 そのほか、賢いながらもどことなく天然ボケな雰囲気のあった女子高生ヒロイン「七瀬美雪」が、演じた女優さんの印象によってもっとしっかりしたツッコミ&女房役の色合いを強くしていたのも特徴的でしたね。
 つまり原作マンガとドラマとでは、中核に位置する名探偵・その助手・警察代表の三役が全員ちがった味わいのキャラクターになっていたんですね。これはかなりの冒険だわ。
 構図としては、原作ではシンプルに探偵と警察がエネルギッシュにぶつかりあいながら捜査を進め、そこに助手が決めてとなる助言をさし込んで事件解決となるという流れなのですが、ドラマでは堅実に捜査を進めていきづまる警察を横目で見ながら探偵が自由奔放に独自の推理を展開し、律儀な助手がそれをわかりやすく解説して両者をむすびつけるという三角関係になっているんですね。トリオ漫才の形式がまったく違っていておもしろいんだなぁ!

 とまぁ、そんなアプローチのほどこされた『学園七不思議殺人事件』だったのですが、実はこの作品だけ、それ以降の実写版でも二度と見られることのなかったさらに大胆なアレンジが! そして、それにもっとも深い関わり方をしていたのが誰あろう、劇中で不動高校の物理学教師・的場勇一郎先生役を演じていた「存在そのものがサスペンス劇場」細川俊之さん、その人だったのです!! やっと来た来た!

 はっきり言っちゃいますと、『学園七不思議殺人事件』は原作版とドラマ版とで、「真犯人が別人」なんです。なんて大きすぎる変更なんだ!
 実は、有名な推理小説が映像化されるにあたって、「犯人が原作と別の登場人物になる」というサプライズは、観客に新鮮な驚きを与えるということで、けっこう古くからやられることの多い作戦ではありました。はじめのじっちゃんこと金田一耕助の活躍した作品で映画化されたものでも、1949年版と1977年版の『獄門島』の真犯人が、原作小説とは違った人物となっています。もうビックリよ。
 そういったくわだてが『学園七不思議殺人事件』でもおこなわれたわけだったのですが……ううっ、真犯人の設定に触れる話題なので、あんまりつっこんだことが言えない!

 とにかく言えることは、「とてもふつうの高校教師には見えない!」「その年の4月まで3~40年間ジゴロをやっていた人が先生になったとしか思えない!」「放課後に人を殺しているようにしか見えない!」というあやしすぎる細川先生の演技が、ドラマをおもしろくするための非常に重要なカギとなっているんです。しかも、読んだ方ならおわかりの通り、原作マンガの「物理の的場先生」は、細川俊之さんとは似ても似つかないしょぼくれた初老の男性です。なぜこんなキャスティングがおこなわれたのかというと……ギャー言えない!

 またしても字数が埋まってきたのでまとめに入りたいのですが、はっきり言って私は、実写化された『金田一少年の事件簿』諸作の中では、この『学園七不思議殺人事件』だけが頭ひとつ抜きんでた大傑作であると見ています。あとはちょっと……ミステリーものとしてはもちろんのこと、エンタテインメントとしてもいただけないものがほとんどでしょうか。基本的に、原作以上におもしろくなった映像化作品は他にはなかったと思います。だいたいね、のちに連続ドラマ化した時のほとんどの回がそうだったんですけど、長編1作(単行本1~2冊ぶん)の物語を50分程度のドラマ1回だけに圧縮して、まともな作品ができるわけがない! そういう意味でも、約2時間のスペシャルドラマという枠は好条件だったのでしょう。

 『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』はおもしろいよ! あぁ、早くDVDを観られる環境を整えて、あの時、しぶすぎるまなざしを虚空に向けて校舎にたたずんでいた「夕陽の細川先生」に一言あいさつがしたい。

 細川せんせ~い! ありがとう、そして、さようなら~!!

「フフッ、きみの目はそう言っていないよ。」
 きゃ~!!
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さよなら細川先生 『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』 推理編

2011年01月19日 22時21分29秒 | 愛すべきおっさんがた
 どうもこんばんは! そうだいです。なんだかよくわかんないんですけど、ニュースで「これから関東地方は寒くなります!」って報道されたとたんに、私の町はなんだかぽかぽかとあったかくなってきたような気がするんですが……たんなる私の気のせいですかね? 不思議なもんだ。
 寒い寒いっていっても、空は晴れてるから太陽の光もさんさんと降りそそいでるしねぇ。私の実家である東北なんて、今は雪がつもりまくりなんでしょう? 当たり前ですが、やっぱり関東はあったかいやね。

 さてさて、前回は私なりの細川俊之さんの思い出をつらつらとつづってみたわけなんですが、今回はその中でも特に忘れることのできない、私がいちばん最初に「俳優・細川俊之」という存在を知ることになった作品、『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』のことをふりかえってみたいと思います。
 いや~……ずいぶんとおもしろい作品だった記憶があるんだなぁ。とはいうものの、それをTVで観た1995年4月、私はピッカピカの高校1年生! おそらく今現在、30歳のりっぱなオッサンになってしまった私がDVDかなんかで観なおしたら、おそらくは「お子ちゃまだねェ。」とさめてしまう部分もあるのでしょうが。
 観たいなぁ、『学園七不思議殺人事件』! でも、まだ観られないんだよなぁ。またひとつ、「新しいパソコンを買ったらまっさきに観るDVDリスト」に作品がノミネートされてしまいました。歯がゆいなぁ~!

 ということで、TVドラマ版『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』で重要な役割を演じた細川俊之さんについて考えてみるのが本題なんですが……
 その前に! 実質的にはこの『学園七不思議殺人事件』の放送によって始まることになった一連の「金田一少年の事件簿」ブームについてもふれてみたいと思います。まぁすごいもんだったんだ!
 原作マンガ、ノベライズ、TVドラマ、アニメ……ちょっと今じゃあ想像のつかない景気のよさの大ブームだったのですが、私にとっては、この時のフィーバーは「愛憎あいなかばする」思い出にいろどられているのです。

 ご存じの方がおおぜいいらっしゃるのは承知の上であらためて説明させていただきますが、『金田一少年の事件簿』とは、超有名マンガ雑誌『週刊少年マガジン』(講談社)で連載されているミステリーマンガです。
 定期的な連載としては、1992年の10月から2001年の1月まで長編26作がつくられていて、いったんの連載終了後、2004年8月からは不定期連載というかたちでシリーズが再開され、そちらもすでに現在にいたるまで7作の長編が発表されているという現役の大人気シリーズです。長編のあいまにちょこちょこと発表されていた短編エピソードも、つもりつもって現在は単行本6冊分も発売されています。
 作者は「原作」と「作画」の分業体制になっており、原作は1998年の長編第21作『銀幕の殺人鬼』までは金成陽三郎、それ以降は天樹征丸(別名・亜樹直 あの伝説マンガの「キバヤシさん」のモデル!)が担当しており、すべての作品の作画はさとうふみやが手がけています。
 内容は王道の「名探偵である主人公が、身のまわりで発生した連続殺人事件の真犯人を天才的な推理で見つけだす」という、犯人あて推理もの。ひとつの事件にたいしてだいたい10回分以上の週刊連載(マンガの単行本にすると1~2冊分)が組まれているため、連載中には読者が、登場人物の誰が犯人なのかをあれこれ推理しながら展開を楽しむことができるという魅力があります。
 主人公である名探偵・金田一一(はじめ)は、名字を見ておわかりのように、あの日本を代表する名探偵・金田一耕助(1913年生まれ~没年不明、記録されているかぎりは1973年まで私立探偵として活動)のお孫さん! じっちゃんの名にかけて!!
 はじめは私立不動高校の2年生なんですが、日本マンガおなじみの「サザエさんシステム」によって、1992年の連載開始から20年ちかくたっても16~17歳の「少年」のまんまです。
 素直に考えると、はじめは1975年くらいの生まれということになります。リアルタイムだともう30代なかばなのか……今はどこでなにをしてるのか。
 でも横溝正史の原作によると、金田一耕助おじいちゃんにはお孫さんどころか、おつきあいしている恋人がいた形跡もないんですけど……マンガのほうの設定によると、はじめは金田一耕助の娘さんの長男にあたるそうです。
 ちなみに、はじめ自身は一人っ子なのですが、同じく「金田一耕助の孫」にあたる金田一二三(ふみ)という9歳の従妹がいます。
 はじめの推理力(IQ180!)と、いつでもどこでも大量に人が殺される大事件に巻き込まれるという特異体質はまさにじっちゃんゆずりなんですが、手先が器用だったりスケベだったり冗談が大好きで社交的な性格だったりするキャラクターは、あんまり似てはいません。要するに、天才的な推理力以外は、いたってフツーな日本の高校生なんですね。外見もそれほどカッコイイわけではないようです。長髪をうしろで束ねるその独特のヘアスタイルは、やはり当時1990年代前半に全盛期をむかえていた志村けんの影響……じゃ、ねぇか。

 連載開始からそろそろ20年にもなろうかとしているこのシリーズは、ふつうの単行本から愛蔵版、文庫本サイズ版、コンビニお手頃価格版とさまざまなかたちで発売され、いまや発行9000万部にも届こうかという超人気タイトルに。
 そして、そういった原作マンガの大人気にさらに火をつけることになったのが、マンガ以外でのメディアミックス戦略の大攻勢!!

 1994年から発表されている原作者・天樹征丸の手による小説版『金田一少年の事件簿』(2001年までに8作)。
 1996年と1997年に発売されたドラマCD版『金田一少年の事件簿』2作(はじめ役は関俊彦)。
 1996年から2009年に発売されたゲームソフト版『金田一少年の事件簿』7作(プレステ版のはじめ役は岩永哲哉、セガサターン版のはじめ役は草尾毅)。

 それに加えて忘れられないのが、1997~2000年という長期にわたって全148話が放送されたTVアニメ版『金田一少年の事件簿』(はじめ役は松野太紀)。
 これまた大人気のシリーズとなりまして、1996年と1999年には劇場版アニメが公開され(TVアニメシリーズに先行して公開された1996年の劇場版アニメ第1作のみ、はじめ役を山口勝平が担当)、TV放送が終了した2007年にも、新作スペシャル2本が制作されていました。
 個人的には、1998年ごろから導入された「デジタルアニメ化」によって、同じアニメなのに画質が途中から妙に鮮明になった変化にたまんない違和感をおぼえた印象があります。
 だいたいは原作マンガを忠実に映像化していたアニメ版だったのですが、総じて原作版よりも「おちゃらけムード」のなくなったシリアスな雰囲気になっています。
 アニメ制作陣の演出や絵のタッチの原作とのちがい、「放送スケジュールにあわせるにあたり、ストーリーの核心にふれないギャグ部分がカットしやすい」などといろいろと要因はあるのでしょうが、やっぱり殺人事件をあつかってる作品ですからね……そりゃ暗くもなるわな。
 あと私の記憶に強く残っているのは、1990年代後半に制作されたアニメということで、初期に放送された小室哲哉プロデュースのオープニングテーマが非常にスタイリッシュだったこと!
 円谷憂子による劇場版第1作の主題歌『Mystery of Sound』とTV版初期半年分のオープニング曲『CONFUSED MEMORIES』は、円谷さんのクールな歌声もあいまって、ものすごく印象的な冷たさを持っていました。それ自体はいいんですけど、「金田一少年シリーズ」のムードを重くしてしまった感はあります。

 ともあれ、原作マンガをルーツとして多岐に渡ってシリーズ作が増殖されていった『金田一少年の事件簿』だったわけなのですが……
 はい~、この一連のブームを語る上で決して無視することのできない、中でも最大の影響力を持つことになった派生作品が、「実写映像化シリーズ」だったんですねぇ!!

 言わずと知れた、ジャニーズアイドル主演による実写ドラマ版『金田一少年の事件簿』シリーズ!
 初代金田一一・堂本剛(16歳)による1995~97年のドラマシリーズ(2シーズン15エピソードと劇場版1作)。
 2代目金田一一・松本潤(18歳)による2001年のドラマシリーズ(7エピソード)。
 3代目金田一一・亀梨和也(19歳)による2005年のドラマスペシャル1作。

 まぁ、そうそうたる面々ですよ。あれ、はじめって、うだつのあがらない風采なんじゃ……?
 そうなんです。他の派生作品は、結果はどうあれ原作マンガのテイストを尊重した作品づくりをおこなっているのですが、実写版だけは、原作のイメージからかけはなれた独自の世界を展開しているのです。
 そのもっともわかりやすい例が上にあげた「金田一一」役のキャスティングで、アニメやゲーム、ドラマCDではじめを演じた5人の声優さんは、ふだんはいたずら好きで冗談を言って友達を笑わせるのが大好きなエロガキといった原作どおりの陽気なはじめを演じているのですが、実写版の3人はちょっとちがうんだよなぁ。
 やっぱ、3人ともトップアイドルですからね……バカっぽい陽気な高校生を演じるにしても限界があるのかな。さすがに盗んだクラスメイト女子のパンツを頭からかぶることはできないか!?
 それはともかく、やたら知的な印象が目立ってはじめらしい遊びが少なかったマツジュンと、1回しかはじめをやれなかった亀梨くんはおいといて、実写版金田一少年といえばこの人!と今でも語りぐさになっているのが、初代を演じた堂本剛なんですなぁ。

 堂本剛が演じた金田一一は、原作の金田一一とはだいぶちがったキャラクターの少年です。しかぁし! 原作と互角かそれ以上に、じっつに生き生きとした金田一少年なんですなぁ、ドラマのほうも。
 天才的な推理力を発揮するという点では同じなのですが、堂本はじめは、ふだんはだら~っと机に寝そべる無気力なダメ高校生と化しているのです。おんなじダメダメでも、原作のはじめとは全然ちがうダメライフ。それなのに、堂本はじめも原作に負けないくらいキャラクター造形に説得力がある!
 どこまで計画的なのか、どこからがやむをえない大人の事情によるものなのかはわからないのですが、堂本はじめが活躍するドラマ版『金田一少年の事件簿』は、意欲的に原作の作り上げた作品世界への挑戦を繰り返しています。
 主人公のはじめ役もさることながら、キャスティングだけでも、原作では猪突猛進型のガテン系刑事だったレギュラーキャラの剣持警部が、ドラマでは冷静で頭のキレる知性派の刑事さんになっていたり(演・古尾谷雅人)、逆に原作では知性派だったはじめのライヴァル的役割の刑事がドラマではただのイヤミなゲストキャラに格下げになっていたり。
 いろいろと意図的に原作から逸脱するようなこころみの多かった『堂本少年の事件簿』なんですが、メイン演出があの堤幸彦だったんですから、さもありなんといったところでしょうか。

 「原作」と「二次作品」がまったく違う作品になる、というのは現在に至るまでファンにとっての大問題なのですが、それを逆手にとって開き直ってしまった『堂本少年の事件簿』はたいへんな大ヒット作品になり、平均視聴率はそのシーズンに放送されたドラマの中でもトップとなる23.5%をたたき出しました。
 さぁさぁ、そんな原作とはひと味ちがった魅力にあふれていたドラマシリーズのスタートをかざったのが、かの『学園七不思議殺人事件』だったわけなのですが……

 またしても字数がかさんでしまいましたので、ほんとに核心にせまる「解決編」は、また次回だ~っ!
 謎はまだ、とけてない!!

 ホント、看板にいつわりありですよ……「細川俊之さん」と「学園七不思議殺人事件」のどっちにも、1ミリも触れてません……ひどすぎ!


《追伸》
 すでにお気づきの方も多いかと思うのですが、私は今回、そもそも『金田一少年の事件簿』シリーズが「本格推理マンガ」としてちゃんと成立しているのか?という、核爆弾クラスの大問題についてはいっさい触れていません。
 あえて素通りしたこのテーマこそが、現在の私がこのシリーズに対していだいている「愛憎あいなかばする感情」の源泉なのですが……
 次回にふれる余裕があったら取り上げてみましょうか。でもこの話をしだしたら、また長くなるぞ~!!
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さよなら細川先生 『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』 問題編

2011年01月18日 21時42分08秒 | 愛すべきおっさんがた
 どうもこんばんは、そうだいです。みなさん、毎日をエンジョイしてますか?
 なんだか、久しぶりの更新になってしまいました。ちょっとねぇ、最近、パソコンに向かえる時間が少なくなっちゃって。ケータイから更新するっていう器用なやり方もできないんですよ……
 どうにもやることが多いんだよなぁ、仕事の時間が増えたり、個人的な用事が立て続けにあったり。不動産屋さんにも顔を出さなきゃいけなかったりしてね。
 なんかほうぼうに行ったり来たりしてて、身体がヘトヘトになるほどってわけでもないんですけど、家に帰ったらすーぐに眠くなっちゃうもんで、ゆっくりとブログをつづる時間が作られなかったんです。ミョ~に充実したスケジュールだ。

 ということで、何日かぶりの『長岡京エイリアン』とあいなったのですが、私としては決してふれないわけにはいかない悲しいニュースが、14日に流れてしまいました。

livedoorニュースより
細川俊之さん、転倒死 70歳、急性硬膜下血腫
 クールな二枚目として舞台、映画などで活躍した俳優の細川俊之さんが14日午前5時24分、急性硬膜下血腫のため、都内の病院で急逝した。享年70歳。12日に自宅で転倒し、頭部を打撲したのが致命傷となる事故死だった。1995年に糖尿病を患い、2009年には脳内出血を患ったことを告白するなど、晩年は病気と闘いながらも精力的に活動していた。通夜・葬儀等は行わない予定だ。
 ニヒルな演技と独特の深みのある声で、比類なき存在感を放っていた細川さんが、不慮の事故で人生を終えた。
 細川さんは今月12日午後2時頃、都内にある自宅マンションの居間で転倒、頭部を打撲した。そのまま都内の病院に入院したが、打ち所が悪く、救急車で搬送された際には意識不明の状態だったという。そして、14日朝。急性硬膜下血腫のため、帰らぬ人となった。


 非常に、非常に残念なニュースでした。相変わらずTVを持っていない私なんですが、今回ばかりはTVがないことに感謝しますよ。TVのニュースが見られていたら、悲しすぎてふだんの生活にも影響がでてましたから。

 残念だ。おん歳70とはいえ、事故ですからね……
 ここ数年、トーク番組などでの細川さんのろれつがおかしい、という話題はよく身のまわりでも取りざたされていたのですが、それでも細川さんの低音の魅力は晩年まで健在だったと思います。
 実は、1995年に脳内出血のために入院していたという事実を最近になって告白していた細川さんだったのですが、そうなると、1980年代に生まれた私は、言葉の発声になんらかのハンディを持っていた細川さんのほうをむしろ「ふつうの細川さん」として認識していたことになります。
 でも、回復後の細川さんの美声は、そんな障害があったとは思えないくらいに、さらにみがきがかかったものになっていたとも私は記憶しています。1997年に放送されたNHK大河ドラマ『毛利元就』で演じた、西日本の覇者・大内義興の役などは、まさに天下人(言いすぎ?)の風格をそなえた義興にふさわしい堂々たるものでした。

 細川俊之、と聞くと、中村晃子さんとのデュエット曲『あまい囁き』(アラン=ドロンのカヴァー! さすがは細川さん)をすぐに思い起こされる方もおられるでしょうが、私の中の細川さんは、あの曲で練乳チューブぢか飲みレベルの「激あま日本語」を自由自在にあやつっていた細川さんとは、ちょっとちがう。

 私のイメージの細川俊之さんは、常に「日本語を発声する」という作業に慎重に、そして真剣に取り組んでいた俳優さんでした。いつも第一声の最初の母音の音程と入り方に全神経をそそいでいたような。
 細川さんほどの、誰もが聞き惚れるような美声の持ち主が、なぜそれほどまでに!?と、脳内出血の事実をまだ知らなかった私は当時からいぶかしんでいたのですが、それはやはり細川さんなりの、いつ言葉が出なくなるのかもわからないという切実さから生まれた覚悟のあらわれだったのでしょうか。私は知らず知らずのうちに、そんな細川さんのファンになってしまっていたのです。

 私が完全に俳優・細川俊之にメロメロになってしまったのは、かなり最近になってからのことなのですが、2002~03年に日本テレビ深夜に放送されていた伝説の異次元バラエティ番組『ブラックワイドショー 第三惑星放送協會』での軍人キャスター役と、2004年正月に放送されたNHK特別時代劇ドラマ『大友宗麟 心の王国を求めて』での大友宗麟の父・大友義鑑(よしあき)役でした。
 いや、それ以前にも映画『夜逃げ屋本舗2』でのハンパなくカッコイイ悪役などで充分ポ~っとなってはいたのですが、いわゆる「ろれつのあやしい細川さん」の要素がプラスされて、雰囲気&ろれつの「あやしさツープラトン攻撃」が炸裂したのは、まさにこの2000年代の2つの作品ででした。
 
 『ブラックバラエティ』での妖しさはすごかったなぁ。三浦理恵子さんのコスプレだの北朝鮮関連のZ級ゴシップだの「黒く、正しく、美し~く」だの、番組自体が頭からしっぽの先まであやしい雰囲気で息が詰まるほどだったんですが、その中にあって一歩もひけを取らなかった細川さんのあやしさは、細川さん以外のキャスティングでは番組そのものが成立しなかったのではないか、と思わせるまでのみなぎりまくりの存在感を発揮していました。ゴリゴリにあやしい!! また、DVD特典映像での近所散策している時のフリートークが、力が完全にぬけていていいんだなぁ~。

 『大友宗麟』は、1回しかやらなかった90分のスペシャルドラマなので大河ドラマほど有名ではないかもしれないのですが、「来年に平清盛をやらないほうのマツケン」こと松平健さんが主演した、非常にめずらしい「九州の戦国時代劇」です。当時、マツケンサンバでのりにのっていた健さんはもちろんのこと、大友宗麟の重臣にして九州最強の武将でもあった立花道雪(どうせつ)を演じた佐藤慶(もちろん大好きでした!)や、恋多き宗麟に愛された3人の女性を演じた財前直見、麻生祐未、宮本真希など、話題性やフレッシュさよりも実力を優先したすばらしいキャスティングが功を奏して、大河ドラマをゆうに超える高クオリティの作品に仕上がっていました。麻生祐未の笑い顔がこわすぎ!!
 そんな中で細川さんは、息子であるマツケン宗麟と愛憎あいなかばする関係にある父親にして、戦国時代初期の九州を代表する暴君的な戦国大名という役柄を凶暴に演じていました。ドラマの前半でそうそうに暗殺されてしまう大友義鑑だったのですが、「あの細川さんが凶暴なキャラを?」という意外性と、「細川さん、顔が濃すぎてちょんまげが絶望的に似合わない!」というヴィジュアルインパクトが大爆発したお仕事でしたね~。
 細川さんの顔立ちはほんとに「ノーブル」そのもので、『毛利元就』での烏帽子姿はこれ以上ないくらいに似合うのですが、『大友宗麟』での月代(さかやき 頭の前半分をそるちょんまげルック)姿は実に似合わない!! いかにもな「武人ルック」はそぐわないんですかねぇ。
 『毛利元就』での大内義興といい、同じ大河ドラマ『八代将軍吉宗』での6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)といい、職業上は「武士」であっても「貴人」の要素が強い人物を演じさせたら、細川さんは他の追随を許さない輝きをはなっていました。

 余談ですが、違うドラマとはいえ、「大内義興」と「大友義鑑」の両方を演じるとは……人物的な面でも地理的な関係でも、まさに「正反対に位置するライヴァル」だった2人をやっちゃったんだからね。さすがは細川俊之。「福岡県で生まれて山口県で育った」という経歴はダテじゃありません。

 さてさて、そんな感じで「存在そのものがあやしい美声のおじさん」というイメージを私の中でほしいままにしていた細川俊之さんだったわけなんですが、まずいちばん最初に私が「俳優・細川俊之」という存在を知ることになったファースト・コンタクト作品も、やはりTVでふと見た名作ドラマでした。
 これもね……い~いドラマだったんだよねぇ! 確実に「あっ、新しいブームがはじまる!」という予感をさせてくれるフレッシュさに満ち満ちた作品でした。

 それが! 1995年4月に日本テレビで放送されたスペシャルドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』だったのです。主演はご存じ、堂本剛! ハリガネもみあげがういういしい。
 これですよ。「子供向け」ミステリーマンガ『金田一少年の事件簿』の一連の大ブーム、すべてのはじまりとなった記念すべきこのパイロット版的単発ドラマに、あの細川さんもかなり重要な役柄で出演していたのです……存在自体がミステリー!

 いかん! 字数がかさんできちゃった。ということで、そんな細川さんのあやしさを最大限に活用したドラマ『学園七不思議殺人事件』の核心にせまってみるくだりは、また次回にさきのばしだ~。
 パローレ、パロレ、パロ~レ~。
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なんとなく家宝シリーズ アンディ=ウォーホルの画集

2010年08月28日 05時55分37秒 | 愛すべきおっさんがた
 どもども。そうだいです。昨日はどんな日でしたか?
 私は昨日、阿佐ヶ谷のギャラリーに行って、イラストレーターの韮沢靖さんの個展を観てきました。
 韮沢さんの個展に行くのは初めてだったのですが、今回のテーマは「Villains(ヴィラン 悪役)」ということで、『仮面ライダー』シリーズの改造人間や『バットマン』のジョーカーなどといった東西の名悪役の方々が、韮沢さん一流のアレンジでまた違った魅力を持つものになっていました。私は『エルム街の悪夢』のフレディの作品が特に好きでしたね。原典の雰囲気と韮沢さんの持つ味わいが見事に同居したいい構図でした。今年やっていたリメイク版に爪ナイフの垢でもせんじて飲ませてやってくださいよ、韮沢さんのフレディ!
 さて、今回は「絵」ということにからめて、私の家に置いてある「なんとなく家宝」を紹介してみたいと思います。第2回の今日は、「アンディ=ウォーホルの画集」です。
 アンディ=ウォーホル……なんかもう、アートの王道って感じなんですが、皆さんはお好きですか? あの、人とか物とかの写真を何種類かのインクで着色したやつ。缶詰の「キャンベルスープ」とか、マリリン=モンローの顔写真なんかが有名ですよね?
 私ねぇ、ベタなんですが、ウォーホルが大好きなんですよ! ウォーホルの何が好きかって、その題材に選ぶものの節操のなさ。
 私が持っているウォーホルの画集は、10年ほど前に千葉の川村記念美術館でやっていた特集展示のカタログなんですが、活動初期の1954年から急死直前の86年までおよそ250点の作品が網羅されていて、有名な作品はあらかた載っているというスグレモノです。しっかしまぁ、これを眺めているとハリウッドスターから政治家、靴から死体と、次から次へとおもちゃ箱のようにポンポンとお題が飛び出してきます。まさにポップ! その当時のウォーホル、というよりはアメリカ人が興味を持って飛びついた話題が、そのまんまゴテゴテした着色料たっぷりの砂糖シロップをかけられて永久保存されている、といったふぜいでありましょうか。
 ウォーホルのとった作画方法はシルクスクリーンといって、簡単に言えばプリントゴッコ(若い人、知ってる!? あの年賀状のヤツよ)と同じ版画の一手法。しかもウォーホルは主に写真のネガを使って作品を製作していたのですから、彼自身の個性は配色くらいにしか出ないはず。絵筆でゼロから有を創りあげていくそれまでの芸術とはまったく異質のものです。
 それなのに! ウォーホル個人の個性なんか消えていてもいいはずの作風なのに、どの作品を観ても、隅から隅までぜ~んぶウォーホル印! ひと踊りしたあとのスペインのフラメンコダンサーの衣装のように、彼のかおりが濃厚にただよってくるものばっかりなんです! むせかえる……
 おもしろいです。何回見返しても飽きません。アンディ=ウォーホルというと、亡くなってからすでに四半世紀がたとうかとしていますが、いまだに作品よりも生前の彼自身の生活が取りざたされることが多いです。いわく「アングラの帝王」、「消費社会の申し子」、「セレブのお抱え画家」。いってみれば画集に収録された作品の数々は、当時のアメリカ人を熱狂させた天才マジシャンの使っていた、手品の小道具だったのかもしれません。でも、いや、だからこそ! それらの使い古された小道具たちは、あるじを失って存在する意味を失えば失うほど、他のアート作品にはない不思議な輝きを増していくのではないのでしょうか。

 「僕のことを知りたければ、僕の作品の表面だけを観てください。裏側にはなにもありません。」 アンディ=ウォーホル

 うわ~、『知ってるつもり』みたい! ……って、若い人は知らないよね。象印カムバーック!

 
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