長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

これはバットマンの新作ではない、『シン・キャットウーマン』だ!! ~映画『 THE BATMAN』~

2022年03月19日 18時05分59秒 | 特撮あたり
 ハイど~もみなさんこんばんは! そうだいでございます。
 しぶとい、しぶとすぎる……山形、雪また降っちゃったよ! これが雪国の真の力だと言うのか。
 ま、そんなこと言っても、今日のお天気のよさであっという間に解けてしまったんですけどね。昨日はまた積もるのかと思いましたよ……みぞれみたいなじめじめ雪、重たくて嫌ですよね!
 雪のことはどうでもいいんですが、先日のおっきな地震で、スープをこぼしてうちのノートパソコンをぶっこわしちゃってさぁ! 昨日は大雪の中、あちこちを駆けずり回って新しいパソコンを買ったんですよ。新しいったってその場しのぎの中古なんで、年式が古くて安くはあるんですが、プライベートでは生まれて初めて使う国産メーカーのやつで、しかも初の SSD搭載なんですよ。いや~、素晴らしいですね! 今度は大切に使っていこう……水気厳禁!! いまさらになってそんな教訓を得た私なのでありました。おそすぎ!! 

 さてさて、そんな事情により、新しいパソコンになって初の我が『長岡京エイリアン』への投稿となるのでありますが、今回はもう、待ちに待った映画の鑑賞記でございます! いや~、待ってた待ってた。そして、その期待に応えてくれた応えてくれた!!


映画『 THE BATMAN』(2022年3月11日公開 175分 ワーナー・ブラザース)


 思いのほか面白かったよ!! あのクールすぎる予告編のおかげで期待値がかなり上がっていたのですが、なんのなんの。
 わたくし、面白い映画は劇場で何回か観ることもあるのですが、今のところ最多の記録は、かの『ダークナイト』(2008年)の4回なんですよね。ベッタベタで恥ずかしいのですが、やっぱりヒース=レジャーのジョーカーにメロメロでした。
 それで今回の『 THE BATMAN』なのですが、今のところ、昨日2D 字幕版を、今日は2D 日本語吹替え版を鑑賞しました。いや~、やっぱり映画なので出費もバカにならないのですが、2回観てやっと意味が飲み込めてくる人物の表情や小道具もあるんでね。かといって、ソフト商品がリリースされるのをのんびり待っているほど呑気なファンでもないのです。2回目もちゃんと面白いのが、さすがマット=リーヴス監督入魂の一作という気合の入りようですよね。
 チケット代が高いは高いんですが、やっぱり映画は映画館で観るのがいちばんですよね。特に今回は、バットモービルとペンギンカーとのカーチェイスのシーンがすごかったなぁ! 音響の大迫力がんまぁ~ズンズン伝わってきます。
 ちなみに、私は基本的に洋画は原語で観る派なのですが、バットマン世界における有名キャラやヴィランたちの日本語版声優キャスティングに関しては、もはや大河ドラマにおいて足利義昭公や織田信長を誰が演じるかとかいう大問題に匹敵する重要事ですので、しっかり確認させていただくことにしております。
 特に今回は、日本の声優陣の配置が話題性抜群なのではないでしょうか。

バットマン / ブルース=ウェイン   …… 櫻井 孝宏(47歳)
アルフレッド=ペニーワース     …… 相沢 まさき(57歳)
ジェイムズ=ゴードン警部補     …… 辻 親八(65歳)
セリーナ=カイル          …… ファイルーズ あい(28歳)
リドラー              …… 石田 彰(54歳)
オズワルド=コブルポット / ペンギン …… 金田 明夫(67歳)
カーマイン=ファルコーネ      …… 千葉 繁(68歳)
トーマス=ウェイン         …… 森久保 祥太郎(48歳)
リドラーのとなりの囚人       …… 内山 昂輝(31歳)

 いや~、この陣容よ。1980年代に少年時代を過ごした自分といたしましては、年を追うごとに大塚周夫さんや永井一郎さんといったレジェンドの方々が去って行かれるのは非常に寂しいことなのですが、ああ、我らが千葉アニキが最年長でいちばんの黒幕を演じる時代になったのか……と、感慨深い気持ちになってしまいます。世紀末にはあんなに下っ端のモヒカンだったのに、こんなに立派になったのねぇ……ほんと、目頭が熱くなります。
 あと、『鬼滅の刃』好きの視点から見てみましても、思いっきり水柱と上弦の参の対決になっているのが最高ですね。原作のアニメ版のほうではまだまだ先のはずなのに、すでにこっちで実現させているとは、なかなかやるな! そして終盤、傷心の上弦の参をなぐさめるのが下弦の陸という、この下剋上っぷりよ! ということは、次回作では富岡さんとルイくんの再戦となるのか!? 前回は文字通りの瞬殺だったけど次はそうはいかねぇゼ!ということなんですね。燃えるなぁ~!
 それにしましても、今回の吹替え版で最も輝いていたのは、やっぱりセリーナ=カイルを演じたファイルーズあいさんだったのではないでしょうか。プリキュア主演にジョジョ主演ときて、今度はついにキャットウーマンというわけか! ノリにノッてるなぁ。今回のファイルーズさんの人選はなにが良かったって、容易に人は信じないとうそぶく夜の女性でありながらも、身内のことを思うと危険も顧みず即決行動するアツさも垣間見えるという二面性を演じることができるからなんですよね。人前でいくらいきがっていてもクールに徹しきれない「キャットウーマン前夜」の幼さがある。そこらへんの情熱に関しては、つい最近まで一年間トロピカっていた経験が活きているのではないでしょうか。非常にタイミングがよろしい。
 ところで、いつも賛否両論が激しい声優以外の有名人の起用についてなのですが、千鳥のノブさんは良かったんじゃないですか? まさに正真正銘の一言だけで、しかも他の登場人物の誰ともからまないという扱いはむしろかわいそうになるくらいだったのですが、ご自分の分というものをわきまえた好演だったと思います。ちょっと、佐藤隆太さんのゴッサム市長は声が幼かったかなぁ。それにしても一瞬の出番でしたけど。

 1989~97年のティム=バートン&ジョエル=シュマッカー4部作、2005~12年のクリストファー=ノーラン3部作に続く、新たなバットマンサーガの始まりを告げる今回の『 THE BATMAN』、具体的にどこがそんなに素晴らしいのか? これを説明することは非常に難しい……っていうか、どこからホメたらいいのかわかんないくらいホメるとこがいっぱい! ファンにとって、こんな幸せなこともないやねぇ。
 いつもの手段になってしまうのですが、とりあえず項目ごとに分けて、気づいた点からくっちゃべっていきましょうかね。


1、「始まりの物語」なのに「2年目」という、この絶妙な取捨選択のセンス

 映画が思いっきりコケない限り、続編が作られることがほぼ疑いのない義務となっているのが、バットマンのような世界的有名ヒーローの映像化にあたっての大変さだと思うのですが、続きがある以上、かなり本腰を入れて作品世界の設定を作り込み、さらにそれを観客に説明しなければならないというめんどくささがあると思います。それが、昨今おおはやりのトリロジー形式の1作目にまとわりついてくる難問だと思うんですよね。
 実際、バットマン映画の先達を振りかえってみましても、1989年の『バットマン』では、主人公ブルース=ウェインがダークヒーロー・バットマンにならなければならなかった原点すなはちブルースの両親惨殺の真犯人役を、作品のメインヴィランであるジョーカー(ジャック=ネイピア)におっかぶせるという離れ業で、かなり深刻なブルースの人生的問題を映画1本の中で解決させるという物語の簡素化を図ったわけなのですが、その結果、2作目以降のバットマンの存在意義をやや軽くしてしまったきらいがありました。さすがバートン監督というべきか、2作目『バットマン・リターンズ』(1992年)では、ブルースの肩の荷が下りた分、メインヴィランのキャットウーマンとペンギンの人生背景を思いっきり重くするというバランス調整を行ったわけだったのですが、そのせいでキャットウーマンもペンギンも原作無視のほぼ別人となってしまったような気がします。ま、映画が最高だったからいいんですけど!
 漢と書いて「おとこ」と読む、漢ノーラン番長による3部作の1作目『バットマン・ビギンズ』では、さすが小細工を使わずに漢らしく、ブルースが世界を放浪し、バットマンという選択肢を発見する新人ほやほや1年目までをじっくりコトコトとつむぐ正攻法で物語を始めていったわけですが、ブルースがそんなに悩まなくても支援者(執事アルフレッドとか技術顧問のルシアス=フォックス)とかヴィラン(ラーズアルグールとかスケアクロウ)とかが勝手に物語を進めてくれて、両親を殺した黒幕(ファルコーネ)もよくわかんないうちに自滅してくれるという、とりあえず目先の問題をしのげばなんとかなっちゃうイージーモードになっていたような気がします。でもそうしないと話が進まないし! なので、チベットに行ったりして、確かにブルースの肉体的にはかなりハードなんだけど、精神的にはけっこう単純な流れなのでちょ~っと退屈なんですよね、『ビギンズ』って。まぁ、その反動が2作目以降に降りかかってくるわけなのですが。

 こんなわけで、正攻法で行くと大味になる、変化球で行くとのちのち続編でめんどくさくなるというシリーズ第1作目の試練にみたび対峙した今回の『 THE BATMAN』だったのですが、そこで選択された奇想天外の第3の選択こそが、「2年目を描く」という奇策だったと思うのです。そ~きたか~!
 バットマンになって2年目……この、実に中途半端な時期!! ブルースは、とりあえず手の届く範囲にいるゴッサムシティの悪者をかたっぱしからぶん殴るという草の根活動しかできておらず、両親惨殺の真犯人探しなどできる余裕はありません。満足に空を飛ぶこともできていないし、今では「バットマンの武器といえば、これ!」というトレードマークになっているバットラング(コウモリ型手裏剣)も開発していない状態です。バットマンの映画を何本も観てきたり、バットマンってこういうヒーロー?というイメージをなんとなくでも持っている多くの観客にとって、本作でのブルースの姿は非常に心もとなく、おぼつかない足取りのものに見えるでしょう。
 ところが、物語の舞台となるゴッサムシティにおいて、すでに謎の復讐男バットマンは丸1年も夜の活動を続けているので、ゴッサムの犯罪社会や警察にはもう充分にその名は知られているし、なによりもブルース自身がバットマン生活に慣れてきているので、いちいち「なんだテメェは!?」みたいな名乗り問答とか、「バットスーツはここをもっとこうすればいいのか!」みたいな開発秘話とかを語る必要がないのです。話を進めるにあたってそこら辺の形式的な流れがないので、本題のリドラーがらみの連続殺人事件やウェイン夫妻惨殺の真相探しにさっさか入っていけるんですね。こりゃいいや!
 もしかしたら、ブルースが何の前置きもなくハイテクメカ満載のスーツに身を固めたヒーローに変身することに疑問を感じるバットマンビギナーな方もいるかもしれないのですが、その財力源やブルースの心の闇については、それをはっきり描写せずともウェイン・エンタープライズのバカでかい高層ビルとか、リドラーが告発する過去のニュース映像を基にした動画などで示唆されるし、何よりもブルース役のロバート=パティンソンと、その育ての親たるアルフレッド役のアンディ=サーキスとの目と目で通じ合う「言外の演技」が、ウェイン家にわだかまるそうとう深い因縁と、それに打ち克つ2人の絆があることを雄弁に物語っているので、いまさら開発担当のルシアス=フォックスがしゃしゃり出てくる余地がないんですよね。ここらへん、とりあえずブルース役のクリスチャン=ベールのまわりに、マイケル=ケインだのゲイリー=オールドマンだのモーガン=フリーマンだのリーアム=ニーソンだのといったむくつけき面々が、ヒロイン役のケイティ=ホームズそっちのけで殺到しているうちに映画が終わってしまうという、バットマンの映画なのか『うる星やつら』のハリウッド実写版なのかがわからなくなるブルースもてもて映画『バットマン・ビギンズ』とは全く逆の、「省略の美」が貫かれていると感じました。ま、そんなこと言っても『バットマン・ビギンズ』でいちばんかわいいのはキリアン=マーフィなんですけどね!

 つまり、「ブルースとウェイン家」、「バットマンとリドラー」という関係を描くことに全神経を注ぐためには、シリーズの第1作目であろうが関係なく、かったるい説明は徹底的にそぎ取る。そのためには、身の回りのおぜん立てでもったもったして、とりあえず目先の課題を処理することで精いっぱいな1年目では絶対にいけない。多少なりともやることに慣れてきて、ともすると自分のやっていることに対して「このままでいいのかな……」と悩み始める2年目のほうが都合がよかったのでしょう。
 実人生においても、たいてい何かを続けて2年目という時期は、新鮮味もモチベーションも下がってきて地味~にヤな感じのじめっとした季節になるかと思うのですが、そこらへんをあえて選択したリーヴス監督の豪胆さに敬意を表したいです。
 ただ、こういう思い切った舵を切れるのも、世界観こそ違えどもバットマン1年目までを生真面目に描いた『バットマン・ビギンズ』があったおかげなんじゃないかとも思えるし、そこがバットマンのような歴史の長いシリーズの強みなんですよね。「わかんない人は『バットマン・ビギンズ』とかドラマ『 GOTHAM』を観てね♡」みたいな。
 ここでファンとして気になるのは、『 THE BATMAN』でのブルースが、どこで格闘術を学んだのかというあたりですね。作中で触れられていたようにアルフレッドからしか学ばなかったのか、それとも『バットマン・ビギンズ』のようにチベット修行やらヘンリー=デュカードから学ぶやらの世界遍歴をしてきたのか。そして、終盤で登場した「リドラーのとなりの囚人」は、果たしてバットマンとすでに面識があるのか!? 『 THE BATMAN』におけるバットマン1年目もまた、気になることづくめですねェ!!


2、この映画の主人公は、セリーナ=カイルじゃないのか!?

 ほんと、これなんですよね! これが良かったんだ、本作は。

 ブルースにとっての両親惨殺の真犯人探しという一大テーマは、1989年版『バットマン』ではブルース自身の手によって解決し、『バットマン・ビギンズ』ではなんかよくわかんないうちに実行犯の死亡と黒幕の発狂により終結しました。そして今作でもまた、真犯人がカーマイン=ファルコーネなのか、そのライヴァルである麻薬王サルヴァトーレ=マローニなのかがわからないままに終わってしまいます。
 ただ、ノーラン3部作でのバットマンも今作でのバットマンも、自分に関する最も重大な謎が未解決になってしまうことによって、いつまでそこにこだわっていてもしょうがないという諦念が生まれ、「復讐男」から「正義の味方」にひと皮むける契機となったわけです。
 そして、『 THE BATMAN』の175分(約3時間!)というアホみたいな長丁場をもたせる秘策として投入されたのが、ブルースがひと皮むけていくにあたり、「感情移入できる『友だち』ができたよ!」という、青春映画要素の投入だったのでした。

 友だち……もちろん気持ち悪いリドラーなんかではありません。ブルースと同じように親を殺され、そして血を分けたもう一人の親を「親友殺し」の犯人として殺そうとまで覚悟する復讐者、セリーナ=カイル!!
 このセリーナ、両親との容易ならざる因縁の他にも、ブルースとの共通点がありまくり。自分の目的のためには手段を選ばない直情径行、なんかよくわからない格闘術を会得している、バイク好き、黒いぴったりスーツ好き、友だちがほぼいない……そして最も大切なのは、今回のリドラー事件によってひと皮むけるということ!
 最高じゃないですか……ただし、今作でのセリーナは、親友のアニカがリドラー事件に巻き込まれるまでは、あくまでも自分の気に食わない金持ちの家に押し入るだけの腕のいいコソ泥としてしか暗躍していないので、バットマンに並ぶ知名度を誇る義賊「キャットウーマン」にはまだ変身していないのですが、ブルースと共にゴッサムシティの巨悪をあばく役割を担ってアニカ殺害の犯人を突き止め、ファルコーネへの復讐を遂げ、そしてクライマックスではブルースの危機を救うという八面六臂の大活躍を見せてくれるのです。

 こ、これは……このフルパワーの大回転っぷりは、まるであの伝説の、まっくろくろすけも真っ青になる漆黒の黒歴史映画『キャットウーマン』(2004年)の汚名を雪ぐかのようなお姿ではないか!!
 もともと、肌の黒い女優さんがキャットウーマンを演じるというのは、TVシリーズ『怪鳥人間バットマン』(1966~68年放送)における3代目女優アーサ=キットという先例があるので、ハル=ベリーがキャットウーマンを演じてもなんの問題もなかったのですが、ともかくバットマンサーガといっさい関係のない設定・内容(おハルさんはセリーナ=カイルですらない)に周囲の落胆の声は大きく、その後すぐに始まったノーラン・バットマンによって、その存在は忘却の彼方へ葬り去られてしまったのでありました。でも、ちゃんと映画料金を払って映画館にワックワクで観に行った私は忘れない……正直言って、そんなにけなすほど悪くはないと思うんだけど、なまじバットマンの看板を引きずってきちゃったから、期待値をいやがおうにも上げちゃったんだろうなぁ。ぶっちゃけ『スーサイド・スクワッド』(2016年)と内容はどっこいどっこいだと思うんだけど、困ったらプリンちゃんとかベンアフバットマンとかを出してなんとかしようとする『スーサイド・スクワッド』の姑息さは実にハーレイ・クインらしいし(ほめてます)、その一方で、周囲の助けをいっさい借りずにひとりでなんとかしようとして華々しく散った『キャットウーマン』も、なんかキャットウーマンらしいんですよね。哀しいくらいにまっすぐなんだよなぁ、バットマンもキャットウーマンも。
 そして、キャットウーマンの黒歴史といえば、ノーランバットマンの最終作『ダークナイト・ライゼズ』(2012年 日本語タイトルはなぜか『ダークナイト・ライジング』)に登場したアン=ハサウェイ演じるキャットウーマンも、外見は非常にいいんですがあんまり物語の本筋にからんでこないし、「生きて帰ってきてね……」みたいな妙になよなよした態度をとるところがセリーナらしくなく、猫というよりは忠犬みたいな御しやすいキャラに成り下がっていたと思います。ノーラン番長ぉ~!!

 そんな感じの、おハルウーマンとアンハサウーマンの無念を晴らすかのような、今回のゾーイ=クラヴィッツさんの入魂の猫っぷりは、原作のキャットウーマンが好きな方々にとっては、非常に胸のすくものがあったのではないでしょうか。
 バットマンとは、ガチバトルも辞さない一触即発の関係なわけですが、後ろから羽交い絞めにされて暗闇で一緒に息をひそめる共犯関係とか、バットマンにじーっと瞳を見つめられてなんかイイ雰囲気かと思ったら、単にセリーナが着けた特製コンタクトレンズの調子を確認されてるだけだったので「ったく……」みたいな感じで目をそらすとか、いい仕事の目白押しじゃないか! これよ! こういう機微、ユーモアとロマンスが表裏すれすれに描かれるのが、かっさかさに乾燥したノーラン番長ワールドにはなかったリーヴス監督の味なんだよなぁ!! ほぼ全てのシーンで雨が降っている本作の画面設計は伊達じゃなくて、マット=リーヴスというお人のウェッティな作風を如実に証明するものなんですね。
 ホラ、あの物語の途中でかなり悲惨な最期をとげるコルソン検事だって、ただ汚職に手を染めてリドラーの餌食になるだけじゃなくて、セリーナにフラれて傷ついたり、土壇場になって家族を守ろうとしたりして、かなり人間味のあるキャラクターに描かれていたじゃないですか。あんなん、ティム=バートン監督やノーラン番長の作品に出ていたらかなりつまらない小悪党として始末されるだけですよね。こういう細かい脇役の扱い方で、作り手の個性ってわかるんですね。

 あともう一つ。この作品においてブルースとセリーナは、お互いにとって足りない部分を補い合いながらリドラーの張った謎を解いてゆくのですが、正義の代弁者になろうとするがゆえに自分自身の人間としての成長をどこかでそっちのけにしてしまっているブルースと、自分が自立した大人になることを何よりも優先させてゴッサムシティにおけるサバイバル術を身につけておきながら、じゃあ何のために生きるの?という人生の目的を失いかけているセリーナという構図は、どっちも人間としての「半分」が欠けているという点で、実に巧妙に配置された「2人で1人」の関係になっていると思うのです。
 つまりは、「目的はあるけど手段がわからないブルース」と「目的はないけど手段は知っているセリーナ」という分類わけができると見たのですが、ここから分かるのは、一人前の人間として先に成熟しているのがセリーナであるということなのです。
 なるほど、だから2人のキスシーンは、2回ともセリーナからブルースに仕掛ける形なのか! ただブルースが恋愛におくてだとか、そういう問題だけじゃないんですね。リドラーの追及に全神経を集中させているブルースにとって、捜査中に突然唇を奪ってくるセリーナの行動は、まったく予想外、理解に苦しむアクシデントなのでしょう。でも、そんなセリーナの想いの方に共感できる観客にとって、ブルースの戸惑いはもどかしい以外の何物でもないんですよね! 嗚呼、男と女の間には、深くて暗~いゴッサム川!!
 でも、この後にセリーナが義賊キャットウーマンに変身するとするのならば、それはブルースの姿に影響されたからに他ならないわけで。ブルースとセリーナが、バットマンとキャットウーマンとしてまた再会したとき、2人はどんな関係になるのだろう。

 この『 THE BATMAN』は、バットマンの物語であると同時に、史上初めて原作の気風を背負ったセリーナ=カイルが生きて活躍し、そして「キャットウーマン」が誕生するにいたるまでの精神的遍歴を克明に描いた映画だと思うのです。そういう意味で、これは2004年の失敗を見事に克服した『シン・キャットウーマン』なのだ!! おハルウーマンや、成仏しておくれ~。


3、青春グラフィティ、『 THE BATMAN』

 これはブルースとセリーナだけではなく、ブルースとリドラー、そしてリドラーと「となりの囚人」の関係においてそうなのですが、涙が出るほどに自分の青春時代にオーバーラップするやり取りが多くなかったですか!? 私はもう、心に突き刺さるシーンが多かった多かった!!

 親友になるはずだったブルースにかなりつれない態度をとられて動揺しまくるリドラー、絶望の淵に落とされた中、したり顔でジョークの救いをさしのべる「となりの囚人」と一緒に大爆笑するリドラー……当然ながら、今作のメインヴィランであるリドラーの最大の見せ場は、バットマンの正体を知っているぞと詰め寄る場面であるはずなのですが、私にとって、もっとリドラーのキャラクターの厚みがひしひしと身に迫ってきたのは、やけに人間的なもろさのあるそこらへんの「弱っちい」姿だったような気がします。巷間で評されるように、明らかにイッちゃってるという点で、今回のリドラーは『ダークナイト』のヒースジョーカーに遠く及ばないと見るむきも分かるのですが、そもそもヴィランとして未完成であることこそが、バットマンを利用して完全な存在になろうとした今回のリドラーの犯行動機なので、両者を比較すること自体がどだい無意味なのではないでしょうか。弱いことこそが、リドラーの強みなのです。
 そして、その弱さとは精神が未熟なあかし。つまり、リドラーもまた、ブルースやセリーナのように心の成長の途上、青春の真っただ中にいるのです! ただキモイだけ、ただフラれただけ。くじけるなリドラー!!

 さらにみずみずしかったのは、ブルースとセリーナの関係の「んん~もう!」なもどかしさというか、互いに本心を打ち明けられないナイーブさね!! これがもう、すんばらしい。
 ラストのラストで、ゴッサムシティを去ると打ち明けるセリーナは、ブルースに「……一緒にこの街を出ない?」と誘います。しかしブルースは本心を言わないまま、「ば、バットシグナルが出てるから……」ともろもろゴードンのせいにして拒否。するとセリーナは、「けっ、冗談に決まってんでしょ!? 誰があんたなんかと!」みたいなそっけない態度をとってバイクにまたがるのでした。オイオイ勘弁してくれよ~お2人さんよ~!!
 そして、道が分かれるまで、一緒にバイクを走らせて夜明けの朝もやの中を並走する2人。分岐点で停止して、しばしの間をおいて、2台は別々の方向へとハンドルをきるのであった。

 くうぅ~っ、これはまさしく青春だ!! あの放課後、あの部活の帰り道、あのカラオケの解散後、あの徹夜ゲーム明け!! 私は、そしてあなたは、誰か淡い恋心をいだいた人と、他に誰もいない夜の空気のなかで2人きりの無言の時をすごしたことは、なかったか!?
 そこよ、その瞬間よ! あの夜の空気の冷たさ、朝もやの湿度。そこを実に精密に切り取っているのが、あのエンディングのすばらしいところなのです。そこが、単なるアクション一辺倒のヒーロー映画に終わらず、観る者の感情に、人生に迫る感動をもたらす映像の魔力なのでしょう。最高ですね。バイクだろうがヘルチャリだろうが、ほのかな恋心は世界共通なのだ!!

 青春といえば、本作がバットマン VS リドラーという構図に仮託した、「コンタクトレンズ派 VS メガネ派」の血で血を洗う頂上決戦であるという点にも注目しないわけにはいきません。
 さっさとコンタクトレンズに乗り換えて新しいワタシ生活を始めていくリア充の男女、ブルースとセリーナに対して、「瞳孔に物をはっつけるなんてマジかよ!? 信じらんね~。」などとのたまうリドラーは、自分のシンパまでをも超強引にメガネ派に引き込んでテロを起こさんとするのですから、これはもう激突必至の青春対決です。ほ~ら、あなたももう、ゴッサムシティが中学校のクラスに見えてきた。おんなじ中学校だったらそうなるわけがないのですが、同じ青春でもブルースがブレザー制服でリドラーが詰襟制服にしかイメージできないのは、なぜなのだろう!?
 ましてや、ブルースときたら自分特注モデルのコンタクトをセリーナに気前よくプレゼントしておそろにしているというのですから、それを聞いたリドラーくんとクイズ研のみなさんが黙っていられるわけがありません。

「なんてことだ……人間にとって、瞳孔は唇と同じ粘膜ゾーンなんだぞ! そこを共有するだなんて破廉恥な行動が、この満天下で許されて良いのか!!」

 いや、別に自分の使ったコンタクトをセリーナにあげるほどブルースも変態ではないと思うのですが、リドラーくんの妄想とルサンチマンはいやがおうにも高まってしまうのでありましたとさ。青春だねェ、どうにも。


4、ペンギン、いいよな~!

 本作のペンギンもまた、セリーナのように原作本来のキャラクターのうまみを活かした復活を遂げましたね! ゴッサムシティの闇社会の頂点を虎視眈々と狙う梟雄(ペンギンだけど)でありながらも、ファルコーネ親分の目の黒いうちはセリーナ以上にネコをかぶってひたすらヘーコラするという小物っぷり! このへんはまさに、あのドラマ『 GOTHAM』におけるペンギン(演・ロビンロード=テイラー)にかなりオーバーラップするものがあるのですが、『 GOTHAM』でペンギンがけっこう早いうちから闇社会の頂点に君臨できるようになるのに対して、こっちは相当苦労してたんだろうなぁ、という老けっぷりが目立ちます。でも、バットマンに脅された時に窓ガラスに派手にひびが入るくらいに背中を打ちつけられたのに全然動じなかったし、カーチェイスの末に車が5回転くらいしてクラッシュしたのにほぼ無傷だったしで、たいがい人間離れしたタフさですよね。おまけにカーチェイス自体、リドラーの仕組んだミスリードでペンギンが追われる必要が全然なかったという展開もかなりイイ感じです。そりゃ「バッキャロー!!」って叫びたくもなりますわ。でも、その翌日くらいには何食わぬ顔でファルコーネ親分のビリヤードに付き合ってるんだもんねぇ……丈夫すぎ!!
 ところで、今作でペンギンの手下として登場した、あのアイスバーグ・ラウンジの用心棒の双子(演・チャーリー&マックス=カーヴァー)は、バットマン世界のヴィラン「トゥイードル=ディとトゥイードル=ダム」のリブートという解釈でよろしいのかしら? ちょっと、つるんでるヴィランが違いますけどね。マッドハッターも映画に出てきてほしい~!


5、ゴードンも、いいよな~!!

 ノーランバットマンでは、若いころのブルース少年との交流や、妻子持ちの家庭生活などもリアルに描かれたゴードン警部補だったのですが、『 THE BATMAN』では、ひたすら職務に徹する公僕の鑑に。信頼感あるなぁ。
 善行にしろ悪行にしろ、ともかく常軌を逸したスケールとスピードで突っ走る人ばっかりのこの作品世界の中で、ただ一人、常識的な感覚と判断力を保ちながら物語の潮流に必死にしがみついてくるゴードンの存在は、観客にとって実に大切なジェットコースターの乗り物的役割を果たしてくれます。さすがに今回はバットモービルに乗せてはもらえなかったけど。
 また、自分のメールアカウントから市長のスキャンダルを告発するタレコミ情報を送信させられたり、バットマンを助けるためにバットマンにぶん殴られたりと散々な目に遭うゴードンなのですが、そのたびに見せる「勘弁してよ……」という苦虫をかんだような表情が、非常にキュートで笑いを誘いますね。かわいそうなんだけど、なんかおかしい。ジェフリー=ライトさんは本当に良い俳優さんです。
 汚職まみれの上司と、わけのわかんないコスプレ自警野郎との板挟みに悩むゴードンさん……がんばれ!! 少しはドラマ『 GOTHAM』みたいな甘いロマンスもあるといいね!


6、そして……ひたすら期待値の上がりまくる「となりの囚人」!!

 シルエットで横顔が見えるだけだったけど、あの前髪の逆立ったヘアスタイル……あれはまさしく、原作コミックの歴史的傑作『キリングジョーク』(1988年)や、さらにその上を行く神話的傑作『アーカム・アサイラム』(1989年)における「彼」のビジュアルにそっくりだぞ!! ウヒョ~本格登場が楽しみすぎる。バリー=コーガンさんも大変だろうけど、がんばってね!!
 余談ですが、彼が冗談を言って人を笑わせるシーンって、原作ではそれこそいくらでもあるけど、映像化された1989年以降の作品ではかなり少ないんですよね。ニコルソンジョーカーとジャレッドジョーカーは恐怖する相手を見て笑うのが好きみたいだし、ヒースジョーカーは人を笑わせることなんかそっちのけで自分が大笑いできることを探してるだけ。そしてホアキンジョーカーにいたってはジョークを言う才能がゼロというおそろしさです。
 そんな中で、ちょっとの出番だったにしても、リドラーになぞなぞ形式の冗談を言って大爆笑に誘うというお手並みの鮮やかさは、今までのどの実写ジョーカーよりも知的に見えますね。今のところ『 GOTHAM』のキャメロンジョーカーのような粗野で下品な感じもしないし、かな~りいい感じの「ちょっと見せ」にしていると思います。
 本格的な活躍は、いつになるのかな!? それまでは私もあなたも死ねませんね。


 他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、ともかく、約3時間というとんでもない尺でありながら、ここまで緊張感のある傑作にしおおせるのはとてつもない手腕ですよ。水もしたたるマット=リーヴス監督の『 THE BATMAN』次作を、首を長~くして待ちたいと思います。楽しみにしてますよ~いっとな!!

 それにしてもゴッサムシティ、雨降りすぎだろ!! 靴下いくらあっても足りんわ……
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求む、池松金田一大改革!!《急募》 ~『女の決闘』2022エディションと第3シーズン全体のまとめ~

2022年03月12日 23時09分09秒 | ミステリーまわり
 どもども、みなさんこんばんは! そうだいでございますよっとぉ。
 いや~、やっと! やっと暖かくなってきましたね~、こちら山形も。日が暮れるとやっぱり極寒ではあるのですが、日中のぽかぽか感がぜんぜん違いますね! この1週間で劇的に雪が解けていきました。今この時期ばっかりは、雨がありがたいありがたい。あ、でもすぐに花粉の季節もやって来ちゃうから、雨さんにはもうちょっと長く降ってほしいかしら。
 ホントね、この冬は雪にさんざん振り回されたと言いますか、2015年に千葉からこちら山形に帰ってきて以来、いちばんの降雪量だったと思いますね。職場での雪かきもほぼ毎日だったしなぁ。今週まで残ってる雪なんか、もう密度ギッチギチの氷塊になっちゃってますからね! 駐車場の雪なんか、車の重みでさらに圧縮されてるからなおさらよ……連日の氷くだきで肩の関節がもうガッタガタです。
 次の冬はぜひとも雪少な目でお願いしたいのですが、日本海側のドカ雪は地球温暖化の一傾向らしいんでねぇ。なるべくお手柔らかにしていただきたい!

 さてさて、今回も今回とて、先月に一挙放送された池松金田一シリーズの第3シーズン全3話の感想をつづる企画なのですが、ついに最後のお話となりました。なので、最後の方では余力が残っていたら第3シーズン全体の印象にも触れておしまいにしたいと思います。今回も、制作スタッフのみなさまはお疲れさまでした!
 というわけでありまして、最後のエピソードは、放送順でいいますとトップバッターだった、この作品。


ドラマ『女の決闘』(2022年2月26日放送 NHK BS プレミアム『シリーズ・横溝正史短編集Ⅲ 金田一耕助、戸惑う』 30分)
 33代目・金田一耕助 …… 池松 壮亮(31歳)

 『女の決闘』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。月刊『婦人公論』の昭和三十二(1957)年1~3月号に『憑かれた女』という表題で連載された。

あらすじ
 昭和三十一(1956)年の秋に入るころ。東京世田谷区・緑ヶ丘のアメリカ人バイヤー宅で、急に帰国することになったロビンソン夫妻のさよならパーティが開かれていた。その席上、隣人の流行作家・藤本哲也の現在の妻である多美子と、藤本の前妻である河崎泰子が並んでソフトクリームを食べていると、多美子が毒に中って倒れる。ソフトクリームは哲也が多美子に頼まれて持ってきたもので、そのあと哲也は中井夫人に誘われて踊っていた。招待されていた金田一耕助は、哲也が泰子に毒を盛ろうとして誤って多美子が食べた可能性を指摘するが、泰子はそれを強く否定する。多美子は命に別状無く快復し、ロビンソン夫妻は予定通り1週間後に出国する。

主なキャスティング
河崎 泰子  …… 菊池 亜希子(39歳)
藤本 多美子 …… 板谷 由夏(46歳)
藤本 哲也  …… 首藤 康之(50歳)
木戸 郁子  …… 山本 容子(69歳)
中井夫人   …… YOU(57歳)
ジャック安永 …… 岩下 尚史(60歳)
木下医師   …… 中村 靖日(49歳)
島田警部補  …… みのすけ(56歳)
ジェームス=ロビンソン  …… ジョン=カビラ(63歳)
マーガレット=ロビンソン …… ヤンニ=オルソン(36歳)
朗読     …… 土岐 麻子(45歳)

主なスタッフ
演出 …… 宇野 丈良(?歳)


 はいっ、そんな感じで、放送順は最初なんですが、金田一耕助の解決した事件としては、他2作よりも後に起きたものになります。まだまだ1950年代の事件ではあるのですが、金田一も含めて登場人物の生活に戦争の影はほぼ無くなってきており、安定した平和な日常の中で謎の毒殺未遂事件が発生するという流れになっております。第一、イギリス人であるロビンソン夫妻をあたたかく見送る東京都世田谷区緑ヶ丘の面々には、「もはや戦後ではない」という、1956年度の我が国の『経済白書』の序文に書かれた一節がしっくりくる穏やかな空気に満ちていますね。
 しかし、そういう安穏とした生活の中にも、「犯罪」の温床が醸し出す腐臭は漂ってくるようで、今回の事件に関していえば、主要登場人物が生活のつてにしているある職業にまつわる「プロ意識」と「人間としてのプライド」が激しくせめぎ合った末に起こってしまったわけなのです。つまり国こそ違えども、アガサ=クリスティが得意とした「平和な日常の裏に隠された憎しみ合いの構図」を自家薬籠中の物にした、横溝正史先生の後期の特色を色濃く投影した傑作短編となっているのが、この『女の決闘』なのです。

 とはいうものの……この作品は、まぁ『女怪』もそうなんですが、タイトルの時点でだいたい犯人は彼女と彼女のどっちかかな?という感じになっており、物語の面白さは「意外な犯人」とか「意外なトリック」にはなく、「どうして事件が起きた?」に絞られていると言って間違いないでしょう。
 そんでま、物語は片方のヒロイン河崎泰子に濃厚な疑いがかかりまくるというサスペンス劇場あるあるな流れなんですから、まぁ犯人は明々白々と言ったところでしょうか。でも、横溝先生はそこらへんを見越してもう一ひねりした別作品を残したりもしているのですが。

 ですので、この『女の決闘』を映像化するのならば、たった30分の内容なのだとしても、登場人物の「表と裏の顔」のどっちも思いっきり魅力的に描いて、可能なのならば、事件の核心に関わる三角関係が目立たなくなるくらいに、周囲の脇役たちの人間関係もふくらませてカモフラージュさせる必要があると思うのです。そうしないと、事件の謎だけでは視聴者の興味を引っ張っていけないもんねぇ。この「事件の謎がうす味なんだったら、人間ドラマを濃厚にすればよろしいのでなくって?」という調理テクニックは、さすがミステリーの女王クリスティ……というか、スーシェポワロシリーズの常套手段ですよね!

 ところがよォ……この『女の決闘』2022エディションときたら、どうだいあんた。
 いや、いやいや、その役とかその役とか、あろうことか事件の核となる三角関係の一角である藤本哲也の役までプロの俳優さんじゃない人に演じさせて、ンどぉ~おすんの!?

 俳優としての話ですよ? あくまでも演技を専門技能、なりわいとする俳優としてどうなのか?という話なので、決して演じられた方々のそれまでの各分野でのキャリアをどうのこうの言うつもりは全くないのですが、ほとんどの出演キャスト、演技上手じゃねぇだろ~!! ロビンソン夫妻のお別れパーティなんか、お遊戯会って言うのもお遊戯会に失礼なくらい、地獄の惨状になってませんでした!? 
 ひどい、ひどい&ひどい!! いや、人間が裏の顔を隠して作り笑いをしている仮面舞踏会パーティって、そういうニュアンスじゃねぇから! 見え見えのウソなんかウソになんないから!! ヘタックソな順番棒読みのやりとり見せられても、こっちは面白くもなんともないのよ~。お話への興味がゴリゴリ減ってく一方なのよ~。

 この『女の決闘』2022エディションの罪が深いのは、これが池松金田一第3シーズンのトップバッターだってことなんですよ。私ものすご~く嫌な予感がするのですが、3本あわせて1時間30分のドラマが始まったと思ってチャンネルを合わせた貴重な視聴者さんのうち、最初のこの作品のド頭5分くらいを観た時点で、「え、こんなコントみたいなのがずっと続くの……?」と辟易して視聴をやめた人も少なからずいたのではないのだろうか。
 もともと、あんまり知名度の高くない作品を映像化するシリーズなのですから(『犬神家の一族』を除く)、視聴者というか横溝ワールドに何となく興味のあるライト層にとって入り込みやすいドラマの内容にするべきだし、多少どぎつい彩色になってもインパクトのある画作りに徹するべきなのではないでしょうか。まぁ、そこら辺のバランス調整の難しさは、かの古谷一行金田一シリーズの後期~末期の苦難の道行きが雄弁に証明していることでもあるのですが。

 それなのに、今回の『女の決闘』は、そもそもどこをどう観たら面白く受けとめられるのかが、さぁっぱりわからない。私自身、放送された日から本日にいたるまで、録画したこの作品を2週間ほど繰り返し観ているのですが、単に原作小説を縮小コピーしているだけにしか見えず、作品を面白くしようとする演出意図が……私には一向に見えてこないのです。
 まるで、

「いや、原作にほぼ忠実に映像化していることに徹してますんで、面白いかどうかは私の責任じゃないです。」

 と言わんばかりの、非常に淡々とした映像と棒読みの羅列が続くのです。画面は、まぁ容姿のきれいな方が多いので一見すれば品質が高いかのように見えるのですが、全体の色調をややセピアっぽくしたりカメラのピントをわざと甘くしている演出がひたすら最後まで延々と続くので、飽きること飽きること。

 キッツいなぁ~。あれ、宇野さんの演出って、こんなにひどかったんだっけ?

 これまでの池松金田一シリーズにおける宇野演出作品をおさらいしてみますと、『黒蘭姫』は戦後間もなくの百貨店の宝石陳列コーナーや、空襲爆撃の跡も生々しい東京の大地にぬぼーっと建つ三角ビルといった、21世紀に住む我々からすると時代劇やファンタジーの世界に近いような場が事件の舞台であるために、セピアの色調やスタジオセット感、ミニチュア感、CG感を隠さない宇野演出は、ミステリー作品の「えそらごと」な雰囲気を象徴していて非常に面白かったと思います。あと、レイザーラモンHG さんや鳥居みゆきさんの演技も達者で良かったのですが、これは全く演者のそれまでの半生が培ってきた努力のたまものであって、演出のなせる業ではないと思います。
 そんで演出2作目の『貸しボート十三号』については、スタジオ撮影でこそなくなったものの、まず死体の損壊状況が凄惨な謎に満ちていることと、事件の舞台がボート置きガレージと大学ボート部の合宿寮ということで映像インパクトが大だったこと。そして、若いながらも一途に演技をする若手俳優陣のフレッシュさも良い印象を与えていたのではないかと思います。ただ、これも演出の腕で俳優陣が引き立って見えたのかというと、それはちょっと……だって、今をときめく演技派女優の蒔田あじゅさんが見事なまでに目立たなかったもんね。あじゅさんの無駄遣いよこれ! 映画『朝が来る』でのあじゅさんの入魂の演技を観ろって話ですよ。でも、少ない出番ながらも、最後に嶋田久作さんが出てきて作品を引き締めていたのは実によかったですね。

 なるほど。「作品のえそらごと感にフィットした画面作り」、「芸達者な演者」、「珍しい事件舞台」、「フレッシュな演技」。そういった今までの宇野作品の良い点を占めていた要素の数々が、今回はものの見事に無かったわけだ。『女の決闘』は完全にリアル志向の人間群像劇ですもんね。純粋ミステリーの空想性はないかな。

 手駒が悪すぎた運を呪うべきなのか、そのチョイスで良しとした責任を断じるべきなのか。難しい問題なのですが、少なくともはっきり言えるのは、今回の初映像化が『女の決闘』と視聴者にとって非常に不幸な結果しか残さなかった、ということなのではないでしょうか。
 原作小説、それなりに面白いんですけどね……少なくとも、今回映像で観られたよりは魅力的なキャラクターなんですよ、木戸郁子さんとか中井夫人とか島田警部補って! それをど~してああしちゃうのかなぁ!? 横溝正史先生の筆の評判を落とすためにやってるとしか思えないキャスティングなんですよ。あんなつまんない棒人間、先生が描くわけないでしょ!!

 いや本当に、イヤミとかじゃなくて純粋に聞いてみたいんですが、宇野さんは今回どこにモチベーションを持って『女の決闘』を映像化したんですかね!?
 「原作に忠実に映像化すること」じゃないですよね。だって、キャラクターは軒並み原作よりも没個性になってるし、原作では犯人の動機にも関わりのあるけっこう重要人物だった作曲家の井出清一とか、作品の読後感にとってかなり大切な存在である元軍人の椙本三郎とかを思いっきりカットしちゃってるんだもんねぇ。これ、原作に愛のある人ならできない判断だと思いますよ。これでのうのうと「原作にほぼ忠実」とか、よく言えたもんだよ! こんな致命的なカット、『女怪』でも『蝙蝠と蛞蝓』でもやってませんよ。
 この、「足すのはダメだけどカットはいいよ。」みたいなシリーズ暗黙のルールもよくわかんないです。それで面白くなるんならまだいいけど、構造がスッカスカになってつまんなくなるだけでしたね、『女の決闘』に関しては。

 まぁこんな感じで、口を開けば愚痴しか出てこないんですよ、『女の決闘』2022エディションに関しては。なんでこ~なるの!?
 せめて、なんかひとつだけ! ひとっつだけでいいから、『黒蘭姫』とか『貸しボート十三号』と比べて、成長して面白くなっていたポイントって、ありませんでしたかね!? どなたか、教えてブリーズ!
 今回の敗因はただ一つ、「キャラクター造形の浅さ」。これに尽きると思います。これが演出のせいなのか演者の実力のせいなのかは……どっちでも関係無いか、ダメだったんだから。でもとにかく、なにがなんでも藤本哲也だけは、しっかりした演技のできる俳優さんに演じていただきたかった! 最低限ここさえ押さえておけば、なんとかなったはずなんです。だって、事件の諸悪の根源はこの人の浅はかな生き方と、それを一向に改めようとしない筋金入りのだめんず気質にあるんですもんね。そんなムチャクチャな人物、ただ見た目が良いだけの人にやれって言ってできるわけがないんですよ。これはオファーされた首藤さんもかわいそうではあるのですが、そんな誘いは絶対に断って、ついでにそんな無茶ぶりをしてくる制作スタッフに、世界レベルのクラシックバレエ仕込みの竜巻旋風脚でもお見舞いしてやるべきだったのではないのでしょうか。演技をなめるな、横溝ワールドをなめるなって話ですよ。


 もう、いつまでこのへんの話をぐだぐだやっても仕方がないので、そろそろ話題を今回の池松金田一シリーズ第3弾ぜんたいに振り向けていきたいのですが、はっきり言いまして、今回の第3弾は、かなりシビアな課題を残すものになったと感じました。池松金田一シリーズ、いろいろと行き詰まってきているのではなかろうかと。
 思うに、今後もし池松金田一シリーズが更新されていくとしても、演出はこれまでの宇野・渋江・佐藤のお3方じゃなくてもいいのではないのでしょうか。というか、むしろ変わった方がいい!

 つい言い方がキツくなってしまうのですが、要するにあくまでも個人的な感想ではあるのですが、今回の第3シーズン、程度に差はありますがお3方とも、過去シーズンよりも面白くなったと感じる部分があんまり見受けられなかったんですね。それどころか、過去作よりも見づらくなっている、はっきり言えば面白くなくなっているのではないかと。私から観れば、もともと横溝正史先生のファンな人でない限り、よその人に「これ観てみてよ!」と勧められる作品は無かったです。断然、原作の文庫本を貸してあげた方がよっぽどいいと判断しますね。今回の3作品の中でいちばん面白いと感じたのは『女怪』だったのですが、これも原作を読んだほうが、金田一耕助の悲喜こもごもの表情がちゃんと伝わってきていいです。
 佐藤演出の『女怪』は、テイストがかなりおセンチな方向に入ったので、あえて面白さ控え目にしましたという言い訳が立ちそうなのですが、それでも前回の『華やかな野獣』を観た人間としてはちょっぴり期待値よりも下だった印象は残るし、宇野演出の『女の決闘』と渋江演出の『蛞蝓と蝙蝠』にいたっては、これまでちゃんとやっていたはずのことができなくなっている! 『女の決闘』はドラマを面白くすること、『蝙蝠と蛞蝓』は原作の面白さをちゃんと伝えること。これがすっぽり欠落しちゃってるんですから、致命的ですよね。

 とにもかくにも、一時に比べて再び横溝ワールドの映像化に関する状況がだいぶ落ち着いてしまい、そんな中で唯一の「現存シリーズ」がどうやらこの池松金田一シリーズらしいぞという現状において、どうしてもこのシリーズは、なんとかして続いてほしいんですよね。そして、まぁ吉川ゆりりんシリーズのファインプレーのおかげもありましたが、現在、昭和以来のファンが涙を流して喜んでいる角川文庫レーベルの復刊ラッシュは、ひとえにこの池松金田一シリーズの孤軍奮闘によるものが大きいわけなのです。私とて、この大恩を忘れるほど無節操ではないつもりのですが、であるからこそ! 池松金田一シリーズには、なんとしても第1・2シーズンのクオリティをしっかり維持した上で存続していただきたいと切望するのです。たのむよホントに!
 ちなみに、私の中での演出3人衆それぞれのベスト作品は、宇野演出が『黒蘭姫』、佐藤演出が『華やかな野獣』、渋江演出が『百日紅の下にて』になります。その中でもベスト・オブベストは『百日紅の下にて』になるでしょうか。やっぱ嶋田久作さんは最高だ!!

 つまるところ私が申したいのは、なにもこの3人のレギュラー体制にこだわる必要はない、演出のコンペティション形式になってもいいから、いちばん大切なのは「横溝正史作品の面白さ、すばらしさを伝えること」なんじゃないのか?ということなのです。「原作にほぼ忠実に映像化」って、そういうことでしょう?
 そして、『犬神家の一族』という例外もありましたが、映像化するのは是非とも、横溝ワールドの中の「埋もれた名作」であってほしいのです。そしてそして!そうである以上、「原作小説よりも先に映像化された作品を観る人が多い可能性が高い」ということのハードルの高さを今一度、確認していただきたいのです。映像化の先例がある『女怪』のようなパターンもあるでしょうが、そこはそれ、1976年版『犬神家の一族』や1977年版『八つ墓村』ほどの認知度はないでしょう。なのならば、我々こそが、原作小説の面白さを先陣切ってこの令和の御代に満天下に知らしめるパイオニアなのだ!という自負と責任を忘れないでいただきたいと思うんだなぁ!!
 だからこそ、現行の演出のお3方は、横溝先生の原作小説の映像化という大偉業を決して作業ルーチンにせずに、「これ、どうしても面白く映像化できねぇな……」とちょっとでも感じたのならば、演出の席を後進に譲ってとっとと自分のやりたいお仕事に邁進していただきたいのです。もっともっとおもしろく映像化できる才能のある方は、きっと必ずおられるでしょうから。
 あと、あんまり、俳優として他の方の演出作品にチラッと出演みたいなファッキンど~でもいい遊びなんかチャラチャラやってないで、ご自分の演出に専念していただきたい、とも思います。ぜんぜん面白くないし。

 この池松金田一シリーズって、再放送する時に池松さんと演出3人衆とかプロデューサーさんとかが集まって、制作時の裏話をするおまけがつきますよね? 今回の第3シーズンのアフタートークが楽しみですね~。どんな言い訳がとび出すのでしょうか。お通夜みたいになってないといいんだけど。


 なんか、つづっていくに従ってこわい方向にボルテージが上がっているような気がするので、キーキー言うのはここまでにしておきたいのですが、要は、ちょっぴり動脈硬化と血のドロドロ化におちいりつつある池松金田一シリーズに思い切った変革をお願いしたいというのが、私の第3シーズンを観た正直な感想なのです。
 リアルタイムでこの第3シーズンのオンエアを観た直後、はっきり言って少なからず落ち込んじゃいましたからね……3作別々に感想を記事にしたいことは観る前から心に決めてワックワクしていたのですが、ちょっとこれど~するよオイ!?みたいな。ガックシときちゃいましたよ。それだけ期待値が上がっちゃってたんですね。
 ホントね、この直後のNHK BSプレミアムの『プレミアムシネマ』で放送された映画が、あの伝説のカルトアニメ『ファンタスティック・プラネット』だったからなんとか回復できたものの、そうとうの精神的ダメージを受けちゃいましたよ。『ファンタスティック・プラネット』サイコー!!

 実はこうまでいろいろと言ってきたのは、本心を白状しますと、そろそろ池松金田一の「正統長編」が観た~い!というファン心理もムクムクと首をもたげてくるからなんですよね。短編を30分サイズでこつこつ映像化させていくのもいいのですが(『金田一耕助の冒険』の全作映像化もいいよね!)、せっかく1時間30分の放送枠があるのならば、『幽霊男』とか『夜の黒豹』の1本ロング映像化なんかも非常にステキだと思うんですよね~!! そして、行き着く究極の夢は、横溝先生の金田一もの長編小説の中で最も不遇の状況にある、あの『白と黒』の初映像化(ラジオドラマ化はあったらしいけど)よ~!! ウヒョ~、私の存命中に、是非ともこの目で観てみたいぃ~。
 BS プレミアムでの長谷川金田一や吉岡金田一の生存確認がとれない今、池松金田一で短編と長編を一本化してもいいじゃないか! ひょっとすると、『八つ墓村』の直後の事件である『女怪』というチョイスは、吉岡金田一から池松金田一への「継承」という意味合いが込められていたのでは!? なるほどねェ~。ところで、吉岡金田一版『八つ墓村』のエピローグで匂わされていた『悪魔の手毬唄』のほうは、いつになるんですかね……? まぁ、加藤シゲアキ版で観たから、別にいいけど。吉岡金田一、とにかく目が怖かったから好きだったんだけどなぁ~。

 んまぁともかく、ぐだぐだとイヤミったらしいことも申しましたが、池松金田一シリーズさまには、どういった形であれ、今後も何としても継続していただきたいと思います。池松さんも、『シン・仮面ライダー』主演もあることですし、今後めきめきと他のお仕事殺到で忙しくなるでしょうが、飽きずに是非ともご愛顧いただきたいと思います。
 がんばれけっぱれ、池松金田一シリーズ!!


≪特別ふろく まだまだストックぞっくぞく!! 角川文庫でまだ復刊されていない横溝正史作品リスト≫
※エッセイ集、映画のシナリオは除く
『幽霊座』(金田一もの)、『仮面劇場』(由利麟太郎もの)、『吸血蛾』(金田一もの)、『女が見ていた』、『夜光虫』(由利麟太郎もの)、『悪魔の設計図』(由利麟太郎もの)、『毒の矢』(金田一もの)、『金田一耕助の冒険』(金田一もの)、『花園の悪魔』(金田一もの)、『幻の女』(由利麟太郎もの)、『呪いの搭』、『恐ろしき四月馬鹿』、『刺青された男』、『双仮面』(由利麟太郎もの)、『ペルシャ猫を抱く女』、『塙侯爵一家』、『誘蛾燈』、『悪魔の家』(由利麟太郎もの)、『芙蓉屋敷の秘密』、『殺人暦』、『青い外套を着た女』(由利麟太郎もの)、『空蝉処女』(由利麟太郎もの)、『死仮面』(金田一もの)、その他『迷宮の扉』や『怪獣男爵』などのジュブナイル16タイトル
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嗚呼、哀しき女と男(ついでに金田一耕助)のすれちがい ~『女怪』2022エディション~

2022年03月06日 14時30分07秒 | ミステリーまわり
 ヘヘヘイど~もこんにちは! そうだいでございます~。
 山形、雪降ってるよ~! しかもドカ雪……もう、いつまで降るんだよ!! 明日の出勤、気が重い……でも、今度こそ最後の雪になるのかな。まさか、桃の節句の後に雪かきすることになろうとはね! やっぱり、雪国なんだよなぁ。

 いや~、映画『THE BATMAN 』、楽しみだなぁオイ! 他のヒーローと徒党を組まない、ゴッサムシティのご当地ヴィジランテの復活だい!! 噂に聞く新生リドラーの鬼畜っぷりにも大いに期待ですね。『GOTHAM 』でのペンギン&リドラーのコンビもステキでしたが、新解釈の2人がどう描かれるのか。ワクワクが止まりませんな! 『ダークナイト・ライゼズ』ではちょっぴり消化不良気味な扱いだったキャットウーマンも、今回はどんな活躍を見せてくれるかな?
 ヒーローと言えば、実は本日から始まる、日本の『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』も、非常に楽しみなんですよ。録画した奴を夜に観る予定なのでまだチェックできてないのですが、単純に戦隊のビジュアルがハチャメチャですよね。まるでゴレンジャイのようなカオス感、すばらしい! 仮面ライダーのほうは、毎週観るとまではいかないものの一応気にしてはいるのですが、スーパー戦隊ものを初回からちゃんと観るのは、もしかしたら『電撃戦隊チェンジマン』(1985~86年放送)以来37年ぶりになるかもしんないね! 頑張ってほしいなぁ。


 さてさてそんな感じの、今回の記事と全く関係の無い世間話はここまでにしておきまして、さっさか本題に入ってまいりましょうかね。
 え~、前回から続いております、池松金田一シリーズ第3弾についてのあれこれ、第2回でございます!


ドラマ『女怪』(2022年2月26日放送 NHK BS プレミアム『シリーズ・横溝正史短編集Ⅲ 金田一耕助、戸惑う』 30分)
 33代目・金田一耕助 …… 池松 壮亮(31歳)

 『女怪(じょかい)』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。月刊『オール讀物』昭和二十五(1950)年9月号に掲載された。
 1992年7月(主演・古谷一行)と1996年4月(主演・片岡鶴太郎)に TVドラマ化されている。
 本作には、金田一耕助が愛した2人の女性のうちの1人である持田虹子が登場する。もう1人の『獄門島』(1946年10月発生の事件)に登場する女性・鬼頭早苗に対する愛情が、どちらかというと淡い気持ちであったのに対し、虹子に対する気持ちは深刻に思いつめたもので、本作の悲劇的な結末を迎えた後、金田一は傷心旅行先から本作の執筆者である「先生」に宛てて、「ぼくは決して、自殺などしないから」と手紙を送っている。
 2022年のドラマ版では、本作は昭和二十五(1950)年9月に発生した事件、先生の住所は「東京都世田谷区病院坂四丁目五番地」に設定されている(金田一が先生に送った絵葉書の消印と宛書から)。

あらすじ
 昭和二十三(1948)年の夏に、『夜歩く』と『八つ墓村』という2つの大事件を解決し、『八つ墓村』事件で充分な報酬を得た金田一耕助は、9月の初め、先生と伊豆の鄙びた温泉場Nの宿屋に逗留する。近所には狸穴(まみあな)の行者・跡部通泰の修行場があり、その修行場は元は持田電機社長・持田恭平の別荘であった。持田恭平は、金田一が恋愛感情を寄せる銀座裏の「虹子の店」のマダムである持田虹子の死んだ夫で、死因は脳溢血であった。
 金田一たちはそこで最近、墓場荒らしが何度も発生していると聞き、狸穴の行者の修行場を見物がてら墓場に赴くと、跡部通泰が蜜柑箱くらいの木の箱を隠すように抱えて立ち去るところに遭遇する。墓場を見ると持田恭平の墓が荒らされ、頭蓋骨がなくなっていた。
 それからほどなく帰京した2人だが、10月の中頃、先生に再会した金田一はひどく憔悴していた。どうやら虹子は狸穴の行者・跡部通泰に恐喝されているようであった。金田一は虹子が夫を殺し、それをネタに跡部に脅されているのではないかと考えていた。一方、虹子には貿易商の賀川春樹が恋人として現われたが、金田一の虹子への思いは変わらず、彼女の幸福を願い、跡部の脅迫のネタと彼の過去の秘密を何としてもつかみたいと思いつめていた。
 それからしばらく経ったある日、跡部通泰が脳溢血で急死する。さらにそれからひと月あまりが過ぎたある日、先生の元に北海道から金田一の手紙が届く。そこには一連の事件の真相と、その顛末が記されていた。

主なキャスティング
持田 虹子 …… 芋生 悠(24歳)
賀川 春樹 …… 安藤 政信(46歳)
おすわ   …… 神野 三鈴(56歳)
持田 恭平 …… 小浦 一優(芋洗坂係長 54歳)
先生    …… 清水 ミチコ(62歳)

主なスタッフ
演出 …… 佐藤 佐吉(57歳)

主な使用楽曲
オープニングの Tik Tok風ダンス 『Talking Box 』(2021年 WurtS )
金田一耕助と先生の逗留    『カナリア諸島にて』(1981年 大瀧詠一)
金田一耕助の恋        『何にも言えないの』(1968年 ヒデとロザンナ)
狸穴の行者の修行場      『KUMI Jefferson 』(1991年 平沢進)
持田虹子と狸穴の行者の密会  『NIGHTMARE 』(1991年 平沢進)
持田恭平の凋落        『リンゴの唄』(1945年 並木路子)
金田一耕助の激情       『恋するリボルバー』(2020年 伊藤蘭)
賀川春樹との遭遇       『恋のバカンス』(1963年 ザ・ピーナッツ)
持田虹子の手紙        『空洞空洞』(2017年 amazarashi )
事件の行方          『ウナ・セラ・ディ東京』(1964年 ザ・ピーナッツ)
エンドロール         『帰れない二人』(1973年 井上陽水)


 はいっ、というわけで、横溝正史先生による原作小説の中では、今回映像化された3作の中で2番目に発生した事件ということになる『女怪』の登場でございます。
 とはいえ、視聴なされた方ならご存知のように、この『女怪』は今回の3作一挙放送の堂々たるトリを務めていまして、過去の金田一もの映像化作品の歴史を振り返ってみましても、3作の中で唯一、映像化の前例のある作品となっております。さすがに映画にはなっていないのですが、なんとすでに2回もドラマ化されているんですよね! つまり、知名度で頭一つ抜きんでている作品なんですな。まぁ、今回の第3シーズンの目玉と言って差し支えないでしょう。

 ここでちっと、2022エディションの感想に入る前に「過去2度のドラマ化」について触れてみたいのですが、最初はご存知、「演じた回数史上最多」のミスター金田一こと、古谷一行バージョンによる2時間ドラマ版『女怪』( TBS制作)です。きたきたきた~!
 古谷版『女怪』は1992年7月の放送だったのですが、この「1992年」は悠久の古谷金田一史においてもひとつのピークを迎えたスペシャルイヤーでありまして、だいたいスペシャルドラマ期の古谷金田一シリーズは年に2回くらいのペースで放送されていたのですが、この1992年は4月に『悪魔が来りて笛を吹く』、12月には『病院坂の首縊りの家』が放送されていたので、なんと「年に3本もの古谷金田一の新作がおがめる」という、令和の横溝ファンからしたら失禁しかねない活況にあったのです。
 わたくしごとで恐縮なのですが、1980年代生まれの私は、確か1989年放送の『薔薇王』あたりが記憶の中での「最初の金田一映像体験」で、この古谷版『女怪』もベータビデオ(古!)で録画して観ているはずなのですが、なんせ古谷さんと丘みつ子さんの40代の恋 in 古都ということで、山形の中学生男子にはレベルが高すぎたため、はっきり言ってあんまりよく覚えていません。原作よりかは増えてるけど、殺人シーンもきわめて地味だし……

 でも、ありがたいことに古谷金田一シリーズは連続ドラマ期もスペシャルドラマ期も全作ソフト商品化されているため、92年版はいつでもチェックすることができるのです。いい時代になったもんだ!
 あらためて観直してみますと、古谷版『女怪』は短編小説を93分のスペシャルドラマサイズに膨らませなければならないということで、ざっくり言うと以下のようなアレンジが加えられていました(脚本・中村努)。

変更1 事件の舞台が伊豆~東京から京都になっている(虹子の店と跡部通泰の祈祷所は京都市中心部、おすわの家や跡部の修業場は京都市右京区周山村)。
変更2 原作に登場していたおすわの役割が大幅に増えて虹子や恭平と縁の深い人物となり、原作にいなかった虹子の弟・谷村貞夫や跡部の修業場の管理人・寺坂が事件の重要人物として登場する。
変更3 金田一の逗留に付き合うのは等々力警部(所属は大阪府警)で、虹子は偶然10年ぶりに再会した金田一の学生時代の恋人となっている。
変更4 恭平殺害の動機が、犯人の過去とからめて大幅に補強されている(恭平が犯人の両親を自殺に追い込んでいる)。
変更5 金田一は今回の事件の捜査を自分からではなく、おすわからの失踪した貞夫の捜索依頼と、おすわと親交のある等々力警部の後押しから始めている。
変更6 金田一は跡部の正体を調査報告書の形でなく、直接犯人に語る形で伝えている。
変更7 跡部の正体の解釈が、原作小説と違う。

 ざっくりといっても、こんなにアレンジを重ねてるわけなんですよね~。短編をふくらますのって大変なんだなぁ。
 2000年代の古谷金田一シリーズ末期を観てもお分かりのように、『犬神家の一族』やら『八つ墓村』やらといった長編小説を刈り込んで2時間サイズに仕上げるのと違って、短編小説を原作にない要素を注入することによってふくらませる手段というのは、ともすれば原作にあった主眼や魅力を薄れさせてしまいかねないリスクがあのですが、この古谷版『女怪』は、とにかく「犯人の動機の説得力を強化する」ことと、「京都を舞台にして物語の画的な美しさを強化する」ことにしっかり照準を当てているので、観ていて特に気になる矛盾もなく、非常に観やすい佳作に仕上がっています。まぁ、全体的に犯人がバレバレ、しかも犯人に同情的でウェットな内容になっているのでミステリー本来の犯人当ての面白さは皆無なんですけれども、それはあんた、原作からして題名が「女怪」なんだもんねぇ……
 あ、矛盾と言えばひとつだけあった。古谷版『女怪』は昭和二十七(1952)年の夏に発生した事件という設定なのですが(賀川春樹の戸籍謄本の記述から)、虹子のバーで流れていた江利チエミの『テネシー・ワルツ』を聴いて、虹子は金田一と10年前に交際していた学生時代によく聴いていたと懐かしみます。でも、江利チエミ版の『テネシー・ワルツ』は昭和二十七(1952)年1月にリリースされた楽曲であるので、学生時代に聴いてるわけがないんですよね。でも、多少矛盾してでも『テネシー・ワルツ』を楽曲に利用したい気持ちは、よ~くわかる!! 2人の切ない関係を彩る超名曲です。それにしても、古谷さんと丘さん(当時どちらも40代)が「10年前に学生だった」という設定も、たいがいですよね。映画版『女王蜂』の仲代達矢さんにはかなわねぇけどさぁ。
 こんな調子で話してると、記事のメインが古谷版『女怪』になってしまうのでいい加減にしますが、この古谷版『女怪』最大のアレンジは、「金田一が一方的に虹子を好きになっているわけではない」というところ。ここに尽きますよね。あくまでもここでの虹子は金田一の「昔の恋人」であって、それなりに愛情も復活しますが金田一は非常に大人な醒めた対応に徹しており、それがクライマックスでの「犯人を直接断罪する金田一」という、ちょっと厳しすぎるんじゃないかとも見える姿となるのです。
 「人を愛する人間・金田一耕助」という、原作小説最大のオリジナルポイントをあっさりと捨ててしまった感もある古谷版『女怪』なのですが、これはやっぱり、当時48歳の古谷さんが演じるには、原作版の金田一はあまりにも若すぎるという判断が働いたのではないでしょうか。はっきり言って「見苦しい」、「見ていてツラい」という域にまでいってますもんね、原作の金田一は。でも、原作小説の金田一耕助も『女怪』事件の時は35歳くらいじゃなかったっけ? けっこう、笑えない良い歳なんですが……

 1992年の古谷版についてはここまでにしておきまして、あと1996年4月に放送された片岡鶴太郎版の『女怪』(フジテレビ制作)にも触れておきましょう。
 この、片岡鶴太郎の金田一シリーズというのもまた、私にとっては思い入れの強いバージョンでねぇ! なんでこのシリーズって、いまだにソフト商品化されてないんだろう!? 出たら絶対に全作買うんだけどなぁ。いったい誰がリリースに難色を示してんの!? 鶴ちゃんか? マキセか!?
 鶴太郎金田一シリーズは、先行して放送中だった TBSの古谷金田一シリーズに比べれば、原作改変が多いのはどっこいどっこいにしても、キャスティングがだいぶ若々しい印象もあって(牧瀬里穂さんとか高橋由美子さんとか)、当時ガキンチョだった私にとっては古谷版よりもよっぽどとっつきやすかったんですね。記憶する限り、「生まれて初めて最後までちゃんと観た金田一映像作品」は、この鶴太郎バージョンの『獄門島』(1990年)だったなぁ。鶴ちゃん&フランキー堺の「鎌倉幕府滅亡コンビ」、最高!!

 そして、鶴太郎金田一シリーズとしては第7作に当たる『女怪』もまた、同じ1996年の10月に『悪魔が来りて笛を吹く』が放送されているため、「年に2本も鶴太郎金田一の新作がおがめる」という、シリーズの絶頂期を彩る作品になっていたのです(鶴太郎金田一シリーズは年1放送のペースだった)。金田一シリーズの頂点に常に『女怪』あり!!
 んで、こっちも2時間ドラマサイズに内容が膨らんでいるわけなんですが、鶴太郎版『女怪』は古谷版とはまた違ったアプローチからの変更がなされていて、こちらはなんと、横溝正史先生の別の金田一もの短編『霧の中の女』(1957年発表)の内容をドッキングさせることでボリュームアップを果たしているのです。
 これはこれで、面白そう! でも、ソフト商品化されてないし、内容ぜんぜん覚えてないんだよなぁ……残念ながら、こちらに関する考察は現在不可能であります! でもいつかちゃんと観てみたいなぁ。
 ちなみに、こちらで金田一のパートナーとなっている、原作の「先生」ポジションの推理小説作家「硯川酒肴」を演じたのは、再び登板のフランキー堺さま! なおさら観たいよ~!!


 はぁ、はぁ……なんか、2022年エディションの内容に入る前にこんなに字数くっちゃってるんですけど……これだけ映像化金田一作品の歴史は奥が深いということで、何卒御容赦を!
 もういい、いこういこう、今回の池松金田一バージョンの感想!!

あの~、面白かったです! 面白かったんだけど、非常にせつない作品でしたね。

 せつない&痛々しい! シーンによっては、「もう見てらんない……」という醜態までさらしていたのではないでしょうか、今回の金田一耕助は。でも、これはそのまんま、古谷版のように原作最大のポイントから逃げずに、「ちゃんと」原作を映像化した証拠なんですよね。

 まず何がせつないって、のっけから金田一と虹子が Tik Tokみたいなダンスを踊ってるのがもう、せつなすぎます。
 あのダンスは、振付のクオリティがどうこういう問題ではなく、とにかく踊っている人たちが「楽しくなる」ことに主眼がおかれていると思います。それなのに、すぐ隣で踊っているはずの相手と目を合わせることはほぼなく、2人とも正面向きのカメラ目線で意図的に視線を外しているので、おそらくは録画した動画をチェックするまで、相手と息が合っているのかどうかさえわからない状態で踊り続けているのです。それ、楽しいか……?
 また、Tik Tokというツール自体、その場のノリを重視する「遊び」なのであって、できあがった動画自体の質などは問題にならないでしょう。作品の完成が最終目的ではなくて、記録する行為が楽しいことがいちばん大事なのです。
 つまり金田一と虹子の関係が、明確な終着点のないその場しのぎの「刹那的なすれちがい」であることを象徴するのが、この Tik Tokダンスであるわけなのです。どんなに近くにいるようでも、この2人は根本的にわかりあえない。金田一は心底楽しくて笑っていても、虹子は自分がキレイに映ることにこだわって笑顔を作っているだけなのかもしれない……振付の最後のコマネチポーズを決めた時の2人の顔を見てください! 金田一はひたすらバカみたいでしょう? 虹子はいちばんいい顔をしているでしょう? これが男女の違いなのです。今回の佐藤佐吉演出は、ひたすらに鋭利で残酷だ!! まさしくこれ、「切れたナイフ」の如し……ヤバいよヤバいよ~!!

 ところが、実は佐藤演出以上に金田一耕助にキビしいのが原作・横溝正史先生の筆なのでありまして、この『女怪』という物語の中の金田一耕助の役割って、完全に「虹子と賀川春樹」とか「虹子と狸穴の行者」とかいう、とっくにできあがっちゃってる関係の、「feat.」どころかスタジオコーラスの端っこにすら入れてもらえない蚊帳の外でしかないんですよね。当然そこは名探偵なので、作中の事件を解決に導くことはできるのですが、ハッピーエンドにはならないし(関係者全員が……)、金田一は一途に恋をした虹子を救うことさえできないのです。しかも、金田一が虹子を救えなかったのは、金田一側でなんとかできる次元の問題ではなく、そもそも虹子の方がまるっきり金田一をアウト・オブ・眼中といいますか、賀川春樹と比較するという発想さえ生まれないほど「意識していなかったから」だったからという、この単純明快な理由の残酷さよ! 要するに、「お店によく来る、ちょっと変わったお客さんくらいにしか思ってませんでした。」ってこと!?
 こんなんだったら、「なんでほんとのこと言ったのよ! もう大キライ!! 一生許さないから!!」とか激怒して殴りかかってくるくらいの感情をぶつけてくれた方が、金田一にとってはまだマシだったでしょう。

 極論すると、約束した時間に来てくれなかった段階で、賀川を失った虹子はすでに生きる意欲を失っていたのです。さらに言えば、金田一の調査報告を読んで、虹子は安心すらできたのかも知れません。おそらく、賀川が自分を捨てて新しい彼女とどこかで楽しくのうのうと生きているルートこそ、虹子が女として最も許容できない最悪のシナリオだったのではないでしょうか。そのくらいのプライドはあったでしょうし、それを知ってか知らずか、私立探偵としてきわめて愚直に真実を伝えてしまった金田一の選択が、虹子に引導を渡す決定打になってしまったわけなのです。つまり、今回の事件の結末は、金田一が試合に勝って勝負に負けたといいますか、「犯人の逃げ勝ち」と言えるものだったのではないでしょうか。いずれにせよ、金田一に犯人を救うことは全くできなかったのです。つらいな……

 ですので、今回の2022エディションにおける、虹子の手紙を読んだ金田一の「完全な妄想」として描かれていたクライマックスの「解決編」は、どこからどう見ても金田一のひとりよがりな主観がだいぶ混入した、実にスウィーティな PV風の仕上がりになっており、あたかも虹子が「金田一さんが助けてくれれば、あるいは、わたしも……」みたいな湿っぽい匂わせ空気を作ってはいましたが、実際の虹子さんの意向を反映させたものではまっっっったくないことを断言しておきたいと思います。目を醒ませ、耕さん!!

 巷説、この『女怪』と比較されることの非常に多い、江戸川乱歩の大傑作『陰獣』(1928年発表)と比較してみれば分かりやすいのですが、主人公がいちおうの探偵役になる(ご存知明智小五郎は登場しない)『陰獣』では、他ならぬその主人公がヒロインと恋愛関係におちいるため、そのヒロインに迫りくる異様な怪人「大江春泥」との間に完全な三角関係ができあがり、主人公も読者もかなり濃厚な妖しいロマンの世界にいざなわれることになります。こりゃもう、大乱歩の領域展開といいますか、大得意のホームタウンですよね。
 それに対して、『女怪』は物語の語り手である先生はおろか、探偵役の金田一さえもが三角関係に入れてさえもらえない外野席しか用意されていないため、最初っから「アホくさ……」とドン引きしている先生と、勝手に「大好き!」とか「彼氏いるのかな!?」とか大興奮している金田一の対比と、その挙句に虹子に意識さえしてもらえていなかったという当たり前の事実に落胆しまくる金田一のスレてなさといいますか、天然っぷりが、もはや笑ってさしあげるしかないおかしみに満ちているのです。
 要するにこれ、「横溝が大乱歩に挑戦した!!」とかいう大上段に構えた正攻法の推理小説ではなくて、完全なパロディなんじゃない? そう読むと、淡々とした手紙調で語られる後半の語り口も、先生の非常にドライな距離感の象徴でしかないし、金田一の本作随一の名言である、

「先生御心配なさらないで下さい。ぼくは決して、自殺などしないから。」

 という妄言に対しても原作の先生は、2022エディションでの清水ミチコ先生のように、真に受けて慌てて金田一を探し回ったり、優しく抱きしめたりなどは絶対にしなかったでしょう。

「アホか。北海道でもどこでも放浪して頭冷やしてきさらせ、この中学二十三年生!!」

 っていうツッコミでおしまいだろ、こんなの。
 はからずもここで再び、ロマンあふれる乱歩ワールドと、本質は超ドライな横溝ワールドとの差が明瞭に見えてくると感じました。横溝先生の原作をウエットに映像化するのは、あくまでも映像作品の作り手の方々の作品解釈でしかないと思うんですよね。原作はひたすら理系だよな~。

 ここまでつづってきて感じたのですが、そんな原作『女怪』をここまで金田一主観でしっとりと描いた今回の佐藤演出の解釈は、果たして「ほぼ原作に忠実」と言えるのかどうか? 少なくとも、同じ佐藤演出の前作『華やかな野獣』のような仰々しいにぎやかし的なおもしろ要素はかなり鳴りを潜めていて、ひたすら(金田一にとって)悲劇的な事件の結末へと向かっていく「正統派」な作りになっていたと思います。原作は、その金田一のピュアさと存在価値の相対的なちっぽけさが笑うしかない「喜劇」だと思うんですけどね。山口百恵さんとか宝塚歌劇団とかネタ要素の高い懐メロをふんだんに使っていた前回に対しても、今回は曲数自体少なくなっていたし、はっきり言ってジャストフィット過ぎて印象に残らないあっさり感はありましたよね。良くも悪くもおさまりがいい、というか。
 ふざけてる演出なんか、最初の伊豆旅行でネコの真似をしてた金田一&先生と、暗黒面のフォースの使い手だった狸穴の行者くらいなもんじゃないの? 狸穴の行者、実力ありすぎでしょ。極東の小国で祈禱師やってる場合じゃないよ!!

 そうそう、狸穴の行者の「正体」のくだりって、完全に某・世界一有名な名探偵のある大傑作の真相とおんなじですよね。これはあまりにも有名だし、トリックのネタとかでなくあくまでも動機の話なのでパクリとは言えないでしょうけど、そこら辺を虹子に告白するタイミングを絶望的に誤ってしまったという男女のすれ違いの哀しさも、まるで笑えない人生の喜劇ですよね。ほんとうにかわいそうなのは金田一じゃないんだよなぁ、このお話は。グラナダホームズ版のドラマも、去ってゆく男女の後ろ姿が非常に味わい深いエンディングでしたね。


 そんなこんなで、「えっ、なんでそんなにウエッティに描いたの!?」と驚きもしましたが、『女怪』2022エディション、面白かったと思います! 個人的には『華やかな野獣』くらいに振り切った作品のほうが好きなんですけどね。
 あれか、池松さんはそういう意味で「生身の」金田一耕助を演じたかったのか。恋に有頂天になり、そこから一転、絶望して悲しみに暮れる人間・金田一耕助。
 まるで、彼氏(もしくは彼女)なんかいるわけもないと一方的に思い込み、オフィシャルグッズを買い込んでいちばんのおめかしをして、高いチケット代を払っていそいそとライブ会場へと向かうアイドルファンの如し!! それである日突然にネットニュースで熱愛お泊り報道が暴露されちゃうんだもん、真面目な信者にとっちゃあ、たまったもんじゃねぇよなぁ。

 金田一耕助……まさにいちずな東北人の宿命を背負った、哀しき漢よ!!

 ……生粋の関西人の先生からしたら、最高のネタ素材よね。嗚呼、ここにも笑うしかない東西すれ違いの人生交差点が!!
コメント (2)
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