≪映画の情報は、こちら≫
ほんでま、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観てきた感想なんですけれどもね。
まず最初に、我が『長岡京エイリアン』でも今まで折に触れて申し上げてきましたが、わたくしは特撮作品の世界でいうと問答無用の「昭和キングギドラ信者」ですので、作品全体の感想というよりは、「おギドラさま2019はどうだったのか?」という視点に偏った物言いになりますことをご寛恕ください。
それでさっそく結論から申しますと、
ツボをついているようで、けっこうギリギリで成立してる怪獣映画。ドラマとしてはかなりキビシイ……
ということになりますでしょうか。
面白いですよ! 面白いことは面白いと思うのですが……なんか、大味?
チケット代を払っただけの満足感は得られたと思うのですが、心づくしの美味しいコース料理を食べたというよりは、スニッカーズを5~6本むりやり口に詰め込まれて映画館から追い出されたような強引さを感じちゃったんですよね、映画を観た後。
結局この映画、いろいろと盛り上がる展開はあるのですが、2014年版『ゴジラ』から「覚醒直後でボーっとしたゴジラ」を引き継いで、タイトルそのまんまの「怪獣王」になりましたとさ、という既定路線を語る役割に徹している中継ぎ作品なんですよね。
それで、そのための通過儀礼というか、ゴジラが怪獣の王になるために乗り越えなければならない大いなる壁「偽りの王」として白羽の矢が立ったのが、いとしのおギドラさまだったということで。
そんなの、満足できるかボケェエエエ!!
いやいや、そんなに怒ってはいけません。
だって、1991年の「ギドラもどきの元ペット」以来、おギドラさまは昭和時代の栄光はいずこへ、という惨憺たる苦難の日々を長らくあゆんできました。
1998年は子ども誘拐犯&モスラ1匹に負けるダウンサイジング。2001年はよりにもよって日本列島たったひとつを他の怪獣たちと共同管理する護国聖獣なんていう正義キャラ。2004年は「キングからカイザーへ」なんていう名前だけの昇格で実際はボテボテの鈍重ドドンゴ体型になっただけ。そして堂々たる「黄金の終焉」の名を冠した2018年アニゴジ版では、首だけの登場なのに宿敵ゴジラに対して圧倒的パワー差を見せつけておきながら、昭和時代いらい伝統の流れで使役者との連携が崩れた瞬間に弱体化してゴジラに次元のかなたにぶっ飛ばされるという様式美……
こういった四半世紀にわたるフラストレーションを払拭するかのように、本作で南極大陸の分厚い氷の中から復活したおギドラさまは、誇張表現抜きに地球を崩壊させかねない惑星規模の恐怖の王として大活躍してくれました。その、ゴジラを相手にしても全くひけをとらないヒールっぷり! ラドンやモスラなんぞ話にならんわという別格さで、あの衝撃的デビュー作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)以来の胸のすく存在感を見せつけてくれたと思います。
そこはね! そういった、昭和時代の完全悪役、ゴジラ最大の宿敵というポジションをがっつり復活させてくれた功績に関して、私はおギドラさま信者として、この『キング・オブ・モンスターズ』には最大の感謝の意を表さなければなりません。ドハティ監督、本当にありがとう!
だから、この映画も1回観るだけなんて言わずに、4~5回は映画館に通って、パンフだサントラだムビモンだフィギュアーツだと経済的貢献もバンッバンして応援しなければならないと思うのですが……
いや、1回観るだけでもういいでしょ。ましてや、ソフト商品買って家で何度も観ようなんて、ちょっと今は考えらんない……
なんかね。同じ立場だった上に、特撮技術的なレベルとか制作費の高額さでいうと本作のおギドラさまの方が格段にゴージャスなんだろうな、と理屈ではわかっていても、その存在の神々しさというか禍々しさというか、ロマン性みたいなものが、昭和の宇宙超怪獣キングギドラに勝てているとは、とても思えないんだよなぁ。決してひいき目ではないと思うのですが……
つまるところね、私は本作のおギドラさまが、ドハティ監督がなんと言っていようが、結局「主人公に絶対勝てない悪の西洋ドラゴン」の域を出ていないっていうところが一番、不満なのです。
だって、ざっと Wikipediaに載っている情報だけをさらってみても、2019年版のリニューアルギドラは「東洋の龍をデザインに入れました!」とか言っていながらも、出来上がったものはご覧の通り、歩く時はプテラノドンみたいに折りたたんだ翼をバタバタさせながら四つ足で這ってるようなカッコ悪い感じじゃないですか。あれ、「翼がボリュームアップ」してるんじゃないですよ。足がひ弱になってるだけ!!
その証拠に見てくださいよ、あのおもちゃ屋さんで売ってる、ソフビ人形のくせに首も翼も足もどっこも動かない2019年版おギドラさまのムビモン! あのへっぴり腰……完全に、ぎっくり腰になってるオヤジじゃ~ん!! 頭のまわりの角だかたてがみだかが、成型の都合でベッタベタになでつけたオールバックみたいになってるのも一層、くたびれた中年感をかもし出してますよね。
前年の「柑橘系グミみたいなおギドラさま2018のムビモン」も可動箇所なしで相当きつかったですが、天下のハリウッド作品のラスボスということで期待値が段違いに高かった今回の方がガッカリ度は高いですね。
なんだかんだ言っても、ドラゴンっぽい姿をした怪獣は「地上ではヨチヨチ歩きするやられ役」でなければならないという既成概念に塗りたくられたおギドラさまハリウッド化の悲劇は、逃れようのないものだったのか……非常に残念です!
だいたい、地球1コ壊せるくらいのおギドラさまが、ちっぽけなホモサピエンス1人を追いかけて街中をバタバタ這いずり回るわけねぇだろうがよう!! それこそ引力光線一発でおしまいでしょ!?
『地球最大の決戦』の松本城崩壊シーンを観てくださいよ……おギドラさまは人類なんて、滅ぼす対象とも考えてないの! お部屋の床のホコリか髪の毛ほどにも意識してないんですよ! おギドラさまに追いかけられるだなんて、傲岸不遜はなはだし! おこがましいにもほどがある!! 思い上がるな、人類風情が。
「おギドラさま=西洋の悪いドラゴン」に対して「ゴジラ=東洋の神聖な龍」という結びつけも、納得いくようでいて全然おかしいですよね。ゴジラが龍!? 龍ってあの、細長い身体で雲の上をひらひら飛び回ってるやつでしょ? あれのどこがゴジラなの!? マンダの間違いでしょ。
あと、本作でのおギドラさまのテーマ曲が「日本の般若心経をサンプリングしている」というアイデアも、見当違いと言うかなんというか……単に仏教にうとい人が聴いた時におどろおどろしい雰囲気があるから持ってきたってだけで、地球外生命体の可能性が高い生物の背景音楽に、ある宗教のかなり本質的で重要な教義を体現した詠唱を引っ張ってくる論理がぜんぜんわかんない。ふつうに無礼なのでは……
これだったら、1964年の伊福部サウンドにはちょっと遠く及ばないけど、ストレートにおギドラさまの恐怖を音楽で表現しようとした、前年のアニゴジ版の服部隆之さんのテーマ曲の方が数百倍マシですよね。
っていうか、伊福部サウンドが復活したとかいう話はいいとして、肝心かなめの本作オリジナルの音楽、いいのありました? 私は全然耳に残らなかったなぁ。ギャレス=エドワーズさんからドハティ監督に交代したっていうのは正直どうでもいいのですが、前作の2014年版『ゴジラ』であれだけいい仕事をした、音楽担当のアレクサンドル=デスプラさんをぽいっと降板させちゃったのは明らかに悪手だったと思います。なんともったいない……そこはクリストファー=ノーラン監督の「ダークナイト三部作」におけるハンス=ジマーさんなみに、デスプラさんをモンスター・ヴァースと不可分の存在としてリンクさせ続けていただきたかったな、と思います。なんか、ほいほい首をすげ替えすぎじゃない?
西洋の悪竜ドラゴンって、よくよく伝承をたどって見てみると、せいぜいでかい野犬かツキノワグマくらいの大きさしかないですよね。それで槍をかついだ騎乗の聖人さまに突かれて駆除されるレベルなんですから、東洋の龍とはまったく別の存在ですよね。そんなのに引き合わせられるなんて、おギドラさまもかわいそすぎでしょ……実際、何日かかったかは議論の余地があるけど、いちおう金星文明を滅ぼした宇宙超怪獣なんですよ? 弱体化にもほどがあるだろ。
それで、お話は『キング・オブ・モンスターズ』から離れてしまうんですが、今作でゴジラ VS キングギドラの最新アップデート版の決着がついたとして、次のカードが「怪獣王 VS おサルさん」なんだぜ……おギドラさまが浮かばれねぇよ!
いやいや、確かにお猿さんではあるのですが、キング・コングは1933年生まれの、ゴジラ(1954年生まれ)から見てもまごうことなき特撮モンスター界の大先輩でありますし、なんてったってアメリカが世界に誇る大スターキャラなのですから、ハリウッドが全力を傾けて作る「モンスター・ヴァース」の大看板として、おギドラさまの上に立つのは仕方ないと思います。東宝怪獣はあくまでゲストですよね。そこはわきまえないと。
でも、やっぱ納得いかねぇよ……おギドラさまよりもおサルさんが格上……? う~むむ。ま、次回作が本作よりも面白いのだったら文句は言わないと思うのですが、絵的に盛り上がるのかな……トカゲとおサルの決闘でしょ?
いろいろ言いましたが、本作の不満点は大きく言えば2つありまして、その1つは今までだらだら言った通り、我らがおギドラさまが、どこまでド派手に演出されてパワーアップされていても、所詮は「中継ぎの中ボス、かませ犬」の役割しか与えられていなかったこと。ま、悪役はやられるのが宿命ではあるのですが。
それでもう1つは、これはもうどこでも言われていることかと思うのですが、「世界人類を滅ぼしかねない頭のおかしなお母さん」が事件の元凶すぎて、17体もの怪獣たちの怖さが、彼女ひとりの頭のヤバさでかすんでしまっているということですね。
マッドサイエンティストの怖さじゃないよ、あれ……完全に論理が破綻している、ヒステリックな屁理屈で全世界に迷惑をかけてるんですよ、あのおばはんは!
ドハティ監督は、地球レベルの壮大な物語だけでは観客の興味を集められないと考えて、ミニマムでリアリティのある「家族の物語」を並行して取り入れたのでしょうが、おばはんの犯行目的が行き当たりばったりすぎて、後半でどう改心しようがぜんっぜん好感度が回復しないんですよね。ほんと、もう二度と顔も見たくないキャラクターに成り果ててしまって……私が現時点で本作のソフト商品がのちのち出ても全く買う気になれない理由の90% が、何を隠そうこれです。
惜しい。実に惜しいです。おギドラさまの復活を楽しむ分には問題ないのですが、人間パートのやり取りが実にまだるっこしくて、押し付け気味で。
それなのに、ゴジラの怪獣王への成長を語る上で欠かせない転換点として、アメリカ製のオキシジェン・デストロイヤーによって瀕死の状態になったゴジラに、ほかならぬ日本人科学者の芹沢猪四郎博士が捨て身で核エネルギーを補給するくだりがあるのですが、芹沢博士を演じるケン・ワタナビィさんの演技力に全く異論はないにしても、なんだか本作の人間パートの中心にいるラッセル一家とまるで結びついていないように見えるので、唐突に芹沢博士が逝っちゃった、みたいな感じになるんですよね。同じモナークという組織にいるはずなのに、妙に関係性がよそよそしいような気がするんです。
もうちょっと、芹沢博士や中国のチェン博士姉妹とラッセル一家との有機的なからみを前提に置いてほしかったような気がするのですが、あれよあれよという間におギドラさまが復活しちゃったから、そんなことやってるヒマも無かったのでしょうか。世界規模でトントン拍子にお話が進んじゃうと、横の関係が希薄になってこういう弊害が出るのかぁ。各キャストの出演時間の契約もあるでしょうしね。
そこらへん、同じ対怪獣秘密組織と言えども、同じ釜の飯を食ってるイメージの強い科特隊やウルトラ警備隊とは温度差がだいぶあるんだよなぁ。なんか、モナークには所属しても楽しいことはなさそうですね。バズーカしょって怪獣とタイマン張るようなムチャクチャな任務も無いだろうけど。やっぱ、働くなら ZATだなぁ~、荒垣修平副隊長、MY LOVE……
いわば、芹沢博士の命をもらうことでゴジラが復活するという超重要なくだりなのですが、ここ、「ゴジラ」と「オキシジェン・デストロイヤー」と「芹沢博士」という3つのキーワードを、あの1954年版『ゴジラ』と全く同様にからませておきながら三者の関係がまるで違うという、本作で最も挑戦的でアグレッシブな部分だと思いますし、同一人物でないにしても、54年版でゴジラを殺した芹沢博士が、19年版ではゴジラを怪獣王に新生させるという発想はものすごいと思います。
でも、ここでもものすんごくもったいないと感じてしまうのは、本作でのオキシジェン・デストロイヤーが、「いつの間にか開発されていて、いつの間にか使用されてしまう」という点なのよねぇ! えぇ~!? しかも、結果的にゴジラもおギドラさまも殺せなかったし!!
わからない……54年版で、規模は大きくないにしても、芹沢大助博士が開発した、してしまった悪魔の兵器オキシジェン・デストロイヤーの恐怖は、さまざまなアプローチで用意周到にじっくり描かれていたと思います。だからこそ、あのゴジラを殺せる禁断の領域に立ち入り得る神器となったのではないでしょうか。
それが本作のアメリカン・オキシジェン・デストロイヤーときたら、どうですか……その結果は大規模な海洋汚染と漁師さんの大迷惑だけ? 描写が中途半端なので、核兵器の暗喩にもなり損ねているのです。コーヒーのアメリカンなみに威力もうすめってか!?
かくいう感じで、気になる点を挙げていけばキリが無い人間パートというか、「ゴジラ VS ギドラ」以外の流れの数々なのですが、まぁお祭り映画なんだから、細かいことはいいじゃないの、という気にもなってしまいます。なんだかんだ言っても一つの作品には仕上がっているし、「怪獣王ゴジラの誕生」にまで漕ぎつけたんだからいいじゃないっすか!という、中継ぎ投手のボヤキのような声が聞こえてきませんか……ドハティ監督も大変なのねぇ!
本作についての感想というか、いろいろ思いついたことをつらつら述べてきたわけなのですが、さてこうなってきますと、「モンスター・ヴァース」シリーズの次なる一手は、さてどんなものになるのかと気になってきますよね。
でも……相手はおサルさんなんだよなぁ。日本で盛り上がるかなぁ?
日本における『キングコング対ゴジラ』(1962年)は、これはもうたくさんのエンタメ要素がびっくり箱のようにギュウギュウに詰まった日本芸能史上に燦然と輝く一大娯楽作品となっております。内容はいたってシンプル。円谷英二特技監督お気に入りの「南海の大ダコ」というゲストキャラもいるにはいますが、物語はただひたすらに「北のゴジラ VS 南のキング・コング」の世紀の対決のもようを描くものとなっております。初戦でゴジラの放射熱線になすすべもなかったコングが、帯電体質というものすごい特殊能力を手に入れてリベンジマッチに挑むという、この展開の血沸き肉躍るアツさよ! あーしーあなろい、あせけーさもあい!!
キング・コング単独の映画もあわせると、大作特撮映画を3本も出したうえで満を持して出す次回の『ゴジラ VS キング・コング』なのですから、おそらく、そこは小細工抜きで62年版に近い「王 VS キング」の頂上決戦になることは間違いないでしょう。
そこは実にハリウッドらしくていいなと思うのですが、そこで気になるのが、本作であそこまでにおいしい存在感を放っていた、『キング・オブ・モンスターズ』に登場した全人類&全怪獣を通しての独り勝ち MVPと言ってもさしつかえない、あの「GすりKB」ことメキシカン火山怪鳥ラドンの処遇であります。
つまり、本作であんなにおいしいキャラになってしまった以上、次作で全く活躍しないという選択肢はありえないはずなのですが、ゴジラとコングのガチンコバトルにどう絡ませればよいのかが非常に難しいような気がするんですね。
難しいですよ……どう少なく見積もっても、黒澤明の『用心棒』(1961年)の沢村いき雄さんレベルに目立ちますからね。このラドンが、コウモリみたいにあっちにひらひら、こっちにひらひらするのなんて最高でしょう? でも、本作並みの脚本の腕では、面白くするのはまず不可能でしょうね。
ラドンもそうなんですが、本作で一気にボンボン出しちゃった世界各地のご当地怪獣たちをどう処理するのかも難題ですよね……こんな奴らいちいち紹介してたら、ゴジラ VS コングなんかやってるヒマありませんよ! え、日本代表ヤマタノオロチ!? また、めんどくさいところを引っ張り出してきたなぁ!! 水木しげるのマンガ版ヤマタノオロチだったらいいんだけどなぁ。おギドラさま海賊版!
今までのモンスター・ヴァース作品の傾向として、それが世間的にウケてるのかどうかはさておき、とりあえずどの作品にもハリウッドオリジナルの怪獣を差し込んでくるクセがありますよね。ムートーとかスカルクローラーとか本作のマンモスみたいな牙のあいつとか。
でも、それってのちのちの回収のこと、ちゃんと考えてるんですかね……増える一方で、後続の作品が苦しくなるばっかじゃないですか。
それでこの調子で行ったら、どうせ『ゴジラ VS キング・コング』でも、2頭のあいだに挟まるかませ犬みたいな新怪獣を出す算段なんじゃないですか? それがおギドラさま関連の誰かにならないことを切に願いますが……本作のラスト、嫌な予感しまくりだよう!!
『怪獣総進撃』(1968年)の11頭も、『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』(2004年)の14頭も、小説『ゴジラ 怪獣黙示録』(2017年)の28頭すらをもしのぐ勢いで増え続ける、ハリウッド「モンスター・ヴァース」の世界。その実、ほぼ新人ばっかというところがちと不安ではありますが……
さぁ、次回作はどうなりますかね~。62年版を超えられたら、たいしたもんですけどね! ハードルたけぇなぁ。がんばれ、おサルさん!!
ほんでま、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を観てきた感想なんですけれどもね。
まず最初に、我が『長岡京エイリアン』でも今まで折に触れて申し上げてきましたが、わたくしは特撮作品の世界でいうと問答無用の「昭和キングギドラ信者」ですので、作品全体の感想というよりは、「おギドラさま2019はどうだったのか?」という視点に偏った物言いになりますことをご寛恕ください。
それでさっそく結論から申しますと、
ツボをついているようで、けっこうギリギリで成立してる怪獣映画。ドラマとしてはかなりキビシイ……
ということになりますでしょうか。
面白いですよ! 面白いことは面白いと思うのですが……なんか、大味?
チケット代を払っただけの満足感は得られたと思うのですが、心づくしの美味しいコース料理を食べたというよりは、スニッカーズを5~6本むりやり口に詰め込まれて映画館から追い出されたような強引さを感じちゃったんですよね、映画を観た後。
結局この映画、いろいろと盛り上がる展開はあるのですが、2014年版『ゴジラ』から「覚醒直後でボーっとしたゴジラ」を引き継いで、タイトルそのまんまの「怪獣王」になりましたとさ、という既定路線を語る役割に徹している中継ぎ作品なんですよね。
それで、そのための通過儀礼というか、ゴジラが怪獣の王になるために乗り越えなければならない大いなる壁「偽りの王」として白羽の矢が立ったのが、いとしのおギドラさまだったということで。
そんなの、満足できるかボケェエエエ!!
いやいや、そんなに怒ってはいけません。
だって、1991年の「ギドラもどきの元ペット」以来、おギドラさまは昭和時代の栄光はいずこへ、という惨憺たる苦難の日々を長らくあゆんできました。
1998年は子ども誘拐犯&モスラ1匹に負けるダウンサイジング。2001年はよりにもよって日本列島たったひとつを他の怪獣たちと共同管理する護国聖獣なんていう正義キャラ。2004年は「キングからカイザーへ」なんていう名前だけの昇格で実際はボテボテの鈍重ドドンゴ体型になっただけ。そして堂々たる「黄金の終焉」の名を冠した2018年アニゴジ版では、首だけの登場なのに宿敵ゴジラに対して圧倒的パワー差を見せつけておきながら、昭和時代いらい伝統の流れで使役者との連携が崩れた瞬間に弱体化してゴジラに次元のかなたにぶっ飛ばされるという様式美……
こういった四半世紀にわたるフラストレーションを払拭するかのように、本作で南極大陸の分厚い氷の中から復活したおギドラさまは、誇張表現抜きに地球を崩壊させかねない惑星規模の恐怖の王として大活躍してくれました。その、ゴジラを相手にしても全くひけをとらないヒールっぷり! ラドンやモスラなんぞ話にならんわという別格さで、あの衝撃的デビュー作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)以来の胸のすく存在感を見せつけてくれたと思います。
そこはね! そういった、昭和時代の完全悪役、ゴジラ最大の宿敵というポジションをがっつり復活させてくれた功績に関して、私はおギドラさま信者として、この『キング・オブ・モンスターズ』には最大の感謝の意を表さなければなりません。ドハティ監督、本当にありがとう!
だから、この映画も1回観るだけなんて言わずに、4~5回は映画館に通って、パンフだサントラだムビモンだフィギュアーツだと経済的貢献もバンッバンして応援しなければならないと思うのですが……
いや、1回観るだけでもういいでしょ。ましてや、ソフト商品買って家で何度も観ようなんて、ちょっと今は考えらんない……
なんかね。同じ立場だった上に、特撮技術的なレベルとか制作費の高額さでいうと本作のおギドラさまの方が格段にゴージャスなんだろうな、と理屈ではわかっていても、その存在の神々しさというか禍々しさというか、ロマン性みたいなものが、昭和の宇宙超怪獣キングギドラに勝てているとは、とても思えないんだよなぁ。決してひいき目ではないと思うのですが……
つまるところね、私は本作のおギドラさまが、ドハティ監督がなんと言っていようが、結局「主人公に絶対勝てない悪の西洋ドラゴン」の域を出ていないっていうところが一番、不満なのです。
だって、ざっと Wikipediaに載っている情報だけをさらってみても、2019年版のリニューアルギドラは「東洋の龍をデザインに入れました!」とか言っていながらも、出来上がったものはご覧の通り、歩く時はプテラノドンみたいに折りたたんだ翼をバタバタさせながら四つ足で這ってるようなカッコ悪い感じじゃないですか。あれ、「翼がボリュームアップ」してるんじゃないですよ。足がひ弱になってるだけ!!
その証拠に見てくださいよ、あのおもちゃ屋さんで売ってる、ソフビ人形のくせに首も翼も足もどっこも動かない2019年版おギドラさまのムビモン! あのへっぴり腰……完全に、ぎっくり腰になってるオヤジじゃ~ん!! 頭のまわりの角だかたてがみだかが、成型の都合でベッタベタになでつけたオールバックみたいになってるのも一層、くたびれた中年感をかもし出してますよね。
前年の「柑橘系グミみたいなおギドラさま2018のムビモン」も可動箇所なしで相当きつかったですが、天下のハリウッド作品のラスボスということで期待値が段違いに高かった今回の方がガッカリ度は高いですね。
なんだかんだ言っても、ドラゴンっぽい姿をした怪獣は「地上ではヨチヨチ歩きするやられ役」でなければならないという既成概念に塗りたくられたおギドラさまハリウッド化の悲劇は、逃れようのないものだったのか……非常に残念です!
だいたい、地球1コ壊せるくらいのおギドラさまが、ちっぽけなホモサピエンス1人を追いかけて街中をバタバタ這いずり回るわけねぇだろうがよう!! それこそ引力光線一発でおしまいでしょ!?
『地球最大の決戦』の松本城崩壊シーンを観てくださいよ……おギドラさまは人類なんて、滅ぼす対象とも考えてないの! お部屋の床のホコリか髪の毛ほどにも意識してないんですよ! おギドラさまに追いかけられるだなんて、傲岸不遜はなはだし! おこがましいにもほどがある!! 思い上がるな、人類風情が。
「おギドラさま=西洋の悪いドラゴン」に対して「ゴジラ=東洋の神聖な龍」という結びつけも、納得いくようでいて全然おかしいですよね。ゴジラが龍!? 龍ってあの、細長い身体で雲の上をひらひら飛び回ってるやつでしょ? あれのどこがゴジラなの!? マンダの間違いでしょ。
あと、本作でのおギドラさまのテーマ曲が「日本の般若心経をサンプリングしている」というアイデアも、見当違いと言うかなんというか……単に仏教にうとい人が聴いた時におどろおどろしい雰囲気があるから持ってきたってだけで、地球外生命体の可能性が高い生物の背景音楽に、ある宗教のかなり本質的で重要な教義を体現した詠唱を引っ張ってくる論理がぜんぜんわかんない。ふつうに無礼なのでは……
これだったら、1964年の伊福部サウンドにはちょっと遠く及ばないけど、ストレートにおギドラさまの恐怖を音楽で表現しようとした、前年のアニゴジ版の服部隆之さんのテーマ曲の方が数百倍マシですよね。
っていうか、伊福部サウンドが復活したとかいう話はいいとして、肝心かなめの本作オリジナルの音楽、いいのありました? 私は全然耳に残らなかったなぁ。ギャレス=エドワーズさんからドハティ監督に交代したっていうのは正直どうでもいいのですが、前作の2014年版『ゴジラ』であれだけいい仕事をした、音楽担当のアレクサンドル=デスプラさんをぽいっと降板させちゃったのは明らかに悪手だったと思います。なんともったいない……そこはクリストファー=ノーラン監督の「ダークナイト三部作」におけるハンス=ジマーさんなみに、デスプラさんをモンスター・ヴァースと不可分の存在としてリンクさせ続けていただきたかったな、と思います。なんか、ほいほい首をすげ替えすぎじゃない?
西洋の悪竜ドラゴンって、よくよく伝承をたどって見てみると、せいぜいでかい野犬かツキノワグマくらいの大きさしかないですよね。それで槍をかついだ騎乗の聖人さまに突かれて駆除されるレベルなんですから、東洋の龍とはまったく別の存在ですよね。そんなのに引き合わせられるなんて、おギドラさまもかわいそすぎでしょ……実際、何日かかったかは議論の余地があるけど、いちおう金星文明を滅ぼした宇宙超怪獣なんですよ? 弱体化にもほどがあるだろ。
それで、お話は『キング・オブ・モンスターズ』から離れてしまうんですが、今作でゴジラ VS キングギドラの最新アップデート版の決着がついたとして、次のカードが「怪獣王 VS おサルさん」なんだぜ……おギドラさまが浮かばれねぇよ!
いやいや、確かにお猿さんではあるのですが、キング・コングは1933年生まれの、ゴジラ(1954年生まれ)から見てもまごうことなき特撮モンスター界の大先輩でありますし、なんてったってアメリカが世界に誇る大スターキャラなのですから、ハリウッドが全力を傾けて作る「モンスター・ヴァース」の大看板として、おギドラさまの上に立つのは仕方ないと思います。東宝怪獣はあくまでゲストですよね。そこはわきまえないと。
でも、やっぱ納得いかねぇよ……おギドラさまよりもおサルさんが格上……? う~むむ。ま、次回作が本作よりも面白いのだったら文句は言わないと思うのですが、絵的に盛り上がるのかな……トカゲとおサルの決闘でしょ?
いろいろ言いましたが、本作の不満点は大きく言えば2つありまして、その1つは今までだらだら言った通り、我らがおギドラさまが、どこまでド派手に演出されてパワーアップされていても、所詮は「中継ぎの中ボス、かませ犬」の役割しか与えられていなかったこと。ま、悪役はやられるのが宿命ではあるのですが。
それでもう1つは、これはもうどこでも言われていることかと思うのですが、「世界人類を滅ぼしかねない頭のおかしなお母さん」が事件の元凶すぎて、17体もの怪獣たちの怖さが、彼女ひとりの頭のヤバさでかすんでしまっているということですね。
マッドサイエンティストの怖さじゃないよ、あれ……完全に論理が破綻している、ヒステリックな屁理屈で全世界に迷惑をかけてるんですよ、あのおばはんは!
ドハティ監督は、地球レベルの壮大な物語だけでは観客の興味を集められないと考えて、ミニマムでリアリティのある「家族の物語」を並行して取り入れたのでしょうが、おばはんの犯行目的が行き当たりばったりすぎて、後半でどう改心しようがぜんっぜん好感度が回復しないんですよね。ほんと、もう二度と顔も見たくないキャラクターに成り果ててしまって……私が現時点で本作のソフト商品がのちのち出ても全く買う気になれない理由の90% が、何を隠そうこれです。
惜しい。実に惜しいです。おギドラさまの復活を楽しむ分には問題ないのですが、人間パートのやり取りが実にまだるっこしくて、押し付け気味で。
それなのに、ゴジラの怪獣王への成長を語る上で欠かせない転換点として、アメリカ製のオキシジェン・デストロイヤーによって瀕死の状態になったゴジラに、ほかならぬ日本人科学者の芹沢猪四郎博士が捨て身で核エネルギーを補給するくだりがあるのですが、芹沢博士を演じるケン・ワタナビィさんの演技力に全く異論はないにしても、なんだか本作の人間パートの中心にいるラッセル一家とまるで結びついていないように見えるので、唐突に芹沢博士が逝っちゃった、みたいな感じになるんですよね。同じモナークという組織にいるはずなのに、妙に関係性がよそよそしいような気がするんです。
もうちょっと、芹沢博士や中国のチェン博士姉妹とラッセル一家との有機的なからみを前提に置いてほしかったような気がするのですが、あれよあれよという間におギドラさまが復活しちゃったから、そんなことやってるヒマも無かったのでしょうか。世界規模でトントン拍子にお話が進んじゃうと、横の関係が希薄になってこういう弊害が出るのかぁ。各キャストの出演時間の契約もあるでしょうしね。
そこらへん、同じ対怪獣秘密組織と言えども、同じ釜の飯を食ってるイメージの強い科特隊やウルトラ警備隊とは温度差がだいぶあるんだよなぁ。なんか、モナークには所属しても楽しいことはなさそうですね。バズーカしょって怪獣とタイマン張るようなムチャクチャな任務も無いだろうけど。やっぱ、働くなら ZATだなぁ~、荒垣修平副隊長、MY LOVE……
いわば、芹沢博士の命をもらうことでゴジラが復活するという超重要なくだりなのですが、ここ、「ゴジラ」と「オキシジェン・デストロイヤー」と「芹沢博士」という3つのキーワードを、あの1954年版『ゴジラ』と全く同様にからませておきながら三者の関係がまるで違うという、本作で最も挑戦的でアグレッシブな部分だと思いますし、同一人物でないにしても、54年版でゴジラを殺した芹沢博士が、19年版ではゴジラを怪獣王に新生させるという発想はものすごいと思います。
でも、ここでもものすんごくもったいないと感じてしまうのは、本作でのオキシジェン・デストロイヤーが、「いつの間にか開発されていて、いつの間にか使用されてしまう」という点なのよねぇ! えぇ~!? しかも、結果的にゴジラもおギドラさまも殺せなかったし!!
わからない……54年版で、規模は大きくないにしても、芹沢大助博士が開発した、してしまった悪魔の兵器オキシジェン・デストロイヤーの恐怖は、さまざまなアプローチで用意周到にじっくり描かれていたと思います。だからこそ、あのゴジラを殺せる禁断の領域に立ち入り得る神器となったのではないでしょうか。
それが本作のアメリカン・オキシジェン・デストロイヤーときたら、どうですか……その結果は大規模な海洋汚染と漁師さんの大迷惑だけ? 描写が中途半端なので、核兵器の暗喩にもなり損ねているのです。コーヒーのアメリカンなみに威力もうすめってか!?
かくいう感じで、気になる点を挙げていけばキリが無い人間パートというか、「ゴジラ VS ギドラ」以外の流れの数々なのですが、まぁお祭り映画なんだから、細かいことはいいじゃないの、という気にもなってしまいます。なんだかんだ言っても一つの作品には仕上がっているし、「怪獣王ゴジラの誕生」にまで漕ぎつけたんだからいいじゃないっすか!という、中継ぎ投手のボヤキのような声が聞こえてきませんか……ドハティ監督も大変なのねぇ!
本作についての感想というか、いろいろ思いついたことをつらつら述べてきたわけなのですが、さてこうなってきますと、「モンスター・ヴァース」シリーズの次なる一手は、さてどんなものになるのかと気になってきますよね。
でも……相手はおサルさんなんだよなぁ。日本で盛り上がるかなぁ?
日本における『キングコング対ゴジラ』(1962年)は、これはもうたくさんのエンタメ要素がびっくり箱のようにギュウギュウに詰まった日本芸能史上に燦然と輝く一大娯楽作品となっております。内容はいたってシンプル。円谷英二特技監督お気に入りの「南海の大ダコ」というゲストキャラもいるにはいますが、物語はただひたすらに「北のゴジラ VS 南のキング・コング」の世紀の対決のもようを描くものとなっております。初戦でゴジラの放射熱線になすすべもなかったコングが、帯電体質というものすごい特殊能力を手に入れてリベンジマッチに挑むという、この展開の血沸き肉躍るアツさよ! あーしーあなろい、あせけーさもあい!!
キング・コング単独の映画もあわせると、大作特撮映画を3本も出したうえで満を持して出す次回の『ゴジラ VS キング・コング』なのですから、おそらく、そこは小細工抜きで62年版に近い「王 VS キング」の頂上決戦になることは間違いないでしょう。
そこは実にハリウッドらしくていいなと思うのですが、そこで気になるのが、本作であそこまでにおいしい存在感を放っていた、『キング・オブ・モンスターズ』に登場した全人類&全怪獣を通しての独り勝ち MVPと言ってもさしつかえない、あの「GすりKB」ことメキシカン火山怪鳥ラドンの処遇であります。
つまり、本作であんなにおいしいキャラになってしまった以上、次作で全く活躍しないという選択肢はありえないはずなのですが、ゴジラとコングのガチンコバトルにどう絡ませればよいのかが非常に難しいような気がするんですね。
難しいですよ……どう少なく見積もっても、黒澤明の『用心棒』(1961年)の沢村いき雄さんレベルに目立ちますからね。このラドンが、コウモリみたいにあっちにひらひら、こっちにひらひらするのなんて最高でしょう? でも、本作並みの脚本の腕では、面白くするのはまず不可能でしょうね。
ラドンもそうなんですが、本作で一気にボンボン出しちゃった世界各地のご当地怪獣たちをどう処理するのかも難題ですよね……こんな奴らいちいち紹介してたら、ゴジラ VS コングなんかやってるヒマありませんよ! え、日本代表ヤマタノオロチ!? また、めんどくさいところを引っ張り出してきたなぁ!! 水木しげるのマンガ版ヤマタノオロチだったらいいんだけどなぁ。おギドラさま海賊版!
今までのモンスター・ヴァース作品の傾向として、それが世間的にウケてるのかどうかはさておき、とりあえずどの作品にもハリウッドオリジナルの怪獣を差し込んでくるクセがありますよね。ムートーとかスカルクローラーとか本作のマンモスみたいな牙のあいつとか。
でも、それってのちのちの回収のこと、ちゃんと考えてるんですかね……増える一方で、後続の作品が苦しくなるばっかじゃないですか。
それでこの調子で行ったら、どうせ『ゴジラ VS キング・コング』でも、2頭のあいだに挟まるかませ犬みたいな新怪獣を出す算段なんじゃないですか? それがおギドラさま関連の誰かにならないことを切に願いますが……本作のラスト、嫌な予感しまくりだよう!!
『怪獣総進撃』(1968年)の11頭も、『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』(2004年)の14頭も、小説『ゴジラ 怪獣黙示録』(2017年)の28頭すらをもしのぐ勢いで増え続ける、ハリウッド「モンスター・ヴァース」の世界。その実、ほぼ新人ばっかというところがちと不安ではありますが……
さぁ、次回作はどうなりますかね~。62年版を超えられたら、たいしたもんですけどね! ハードルたけぇなぁ。がんばれ、おサルさん!!