長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

頑固一徹!きまじめホラー ~映画『ヘルハウス』~ 後編

2023年05月22日 23時36分56秒 | ホラー映画関係
 ほんとは前回で最後までいきたかったんですけどね。思ったよりもくっちゃべってしまいまして。
 もうね、ちゃちゃっとまいりましょう。

 映画『ヘルハウス』が非常に面白いのは、「徹頭徹尾まじめな体裁をとっているようでいて、大事な部分がかなり変則的」というところなんです。それも、演出や脚本が拙いからほころびが見えちゃうというわけでは決してなく、どうやら意図的にゆがませているような、だまし絵的に観る者を混乱させるテクニックとしてわざとその戦法を採っている意思を感じるんですよね。それこそ、この映画の監督がエメリック=ベラスコその人であるかのような「手のひらで転がされてる感」に襲われてしまうのです。行き当たりばったりで作ってるようには見えないんですね。

 私が特に感じる『ヘルハウス』のヘンなところは2つありまして、

1、ライオネルも半分オカルト要素(物質霊媒)を容認しているスタンスであること
2、主人公が誰なのかがなかなかハッキリしてこないバトンリレー群像劇であること

 これらが非常に気になるというか、妙に印象に残るんですよね。

 まず1、の問題についてなのですが、ライオネル博士がベラスコ邸に潜入した目的が「亡霊が本当に存在するのかどうか」であるという、本作の大前提ルールのようなものがはっきりセリフとして打ち出されているので、大部分の観客はライオネルの学術的スタンスが「超常現象全否定マン」のように思い込んでしまうと思います。ところが、いざ調査滞在を開始してみると、同行している霊媒師のフローレンスがベラスコの私設礼拝堂に嫌悪感を抱いて入れない様子を見て「強い心霊波への感受性が高いんだ。」と言ったり、フローレンスの2回目の降霊実験で採取したエクトプラズムを分析して「彼女の魂が物質化した物だ。」と言ったりと、21世紀に生きる現代人から見ると「おめぇもたいがいオカルト信者じゃねぇか!」とツッコんでしまいたくなる姿勢の中途半端さがにじみ出てくるのです。いったいどっちなの!?
 ただ、こういった観る者の困惑は、ライオネルに言わせると「亡霊」と「心霊」を混同しているから生まれてしまうもののようです。
 つまりライオネルは、

死んだ人間の魂が現実世界に残留することは絶対にありえないが、生きている人間の魂が現実世界に物理的な影響を与えることはあり得る。

 という論理で自身の研究を進めており、ある空間で誰も触っていない物がひとりでに飛んだり壊れたり、俗に超能力者という人種が肉体からエクトプラズムを発生させたり、念力で物を触れずに動かしたりする不可思議な現象を、「目に見えない心霊波」の存在を証明することによって、電気や酸素、二酸化炭素のように説明しようとする取り組みだったのでしょう。

 ちと話が脱線しますが、かなり昔に、メディア露出を解禁したばかりの小説家・京極夏彦さんが NHKのトップランナーみたいなインタビュー番組(のちに御行の又一を演じることとなる田辺誠一さんが司会をしていたと思います)に出ていた時に、明治時代以前の迷信俗説と、明治以降現代にまで続くオカルティズムとの違いを語っていたくだりがありまして、その時に、「夜中にふわふわと光る物が飛ぶ現象」を指して、「狸か狐のいたずら」と解釈するのが迷信俗説で、「宇宙人の乗っている UFO」と解釈するのがオカルティズム、と例えていたような記憶があります。そして、そのどちらも、本当にその夜に飛んでいたものの正体ではないのかもしれないし、あるいはそうなのかもしれないのです。結局、解釈した人間が納得できるのならば、どっちだっていいのではないかと。

 つまり、作中のライオネル博士の立ち位置は、1970年代当時に人々の納得と指示を集めそうになっていた「人間の超能力は存在し、その可能性は無限である。」という思想に乗っかるひとつの仮説に過ぎず、その一世代前の「亡霊・幽霊・怨霊は存在し、現実世界の人間を脅かす力を持っている。」という思想の論客であるフローレンスやフィッシャーとの代替わり戦争こそが、大富豪ドイッチのプロモートしたベラスコ邸の中で行われていた調査研究の本質だったのです。まさにこれ、金持ちの道楽!! それこそ、TVカメラを入れて中継すればよかったのに。
 そう考えると、「柔道 VS プロレス」とか「貞子 VS 伽椰子」レベルに俗っぽいマッチメイクのように感じられてしまうし、実際に霊の存在も霊媒も超能力もぜんぶひっくるめて「信じる人だけ信じてればいいオカルト」と同じ引き出しに突っ込んでしまっている人の多い21世紀から見ると、この『ヘルハウス』におけるライオネルの主張は、いかにもオカルト肯定とも否定ともつかないぼんやりとしたものに見えてしまうのではないでしょうか。ライオネル本人は「一緒にすんじゃねぇ!!」と泉下で激怒するでしょうけれども。

 まとめて言いますと、ライオネルの立場がヘンに見えるのは、観る者がライオネルを「オカルトを全否定する人間」と勘違いしてしまうからなのであり、彼が本質的には、大槻義彦教授ではなくだいぶ福来友吉教授よりの人物なのであると考えれば、さしておかしくは見えてこないのではないでしょうか。ただそうなると、本作において「まともな人」は誰一人としていないということになってしまうので、それはそれで、この映画のコワ~いところがはっきり見えてきてしまうかも……ベラスコ邸をダシに異常極まりない「蟲毒」をこころみた大富豪ドイッチこそが、この物語の大元凶なのか! やっぱ生きてる人間がいちばん恐ろしい!!

 さて、そうなってくると、ライオネルがその学者人生を賭けて開発した超兵器「リバーサー」が、本当にベラスコ邸の怨霊どもに効いていたのかが気になるところなのですが、作品を観ますと、「いちおう効いてはいた?」みたいな、絶妙にあいまいな演出処理がされていたように見えます。
 すなはち、リバーサーは確かにベラスコ邸内にいたらしい下っ端の幽霊たちの消滅には成功していたのですが、リバーサーのような電磁波装置が持ち込まれることを生前に見越していたエメリック=ベラスコが準備していた「あるトリック」によって逃げ延びたベラスコ本人の怨霊には届かなかった、という解釈がされていたのでした。だから、瀕死のフローレンスががんばって遺したダイイングメッセージを解明して、ライオネル達がそのトリックを見抜いてさえいれば、ベラスコ本人も漏れなくリバーサーの餌食になっていた可能性は、ちゃんと示唆されているのです。やったぜライオネル!!

 ただここで気になるのは、そのベラスコが準備していたトリックというものが実に物理的なものなので、ベラスコの考え方が、ライオネルの「超能力世代」と、フローレンス&フィッシャーの「幽霊世代」のどちらも取り入れた、非常にニッチかつハイブリッド、はっきりいってご都合主義な思想になってしまっていることです。電磁波の一種として幽霊がこの世に実在するんだよ、ということを、ほかならぬベラスコご本人が、おのれの身をもって証明していたわけなのです。
 もしかして、生きている時代とタイミングが悪かっただけで、ベラスコとライオネルとフローレンス&フィッシャーは、実は相性がバツグンにいいメンツだったのかも知れない……「ふたりとも、仲ようしちゅうがぜよ!!」とかなんとかいって、ベラスコが間に立って(立てないけど)ライオネルとフローレンスは固い握手を交わすことができていたのかも知れないのです。やっぱ、エメリック=ベラスコは生まれるのが早すぎた異端児だったのだなぁ。オカルトの夜明けは近いぜよ!!……って、半世紀前に言われても、ねぇ。いい時代でしたね。


 さぁ、話がだいぶしっちゃかめっちゃかになってきましたので、問題2、のほうにいきましょう。

 作中に登場する人物の誰一人としてまともな人がいないことに加えて、もう一つ、この作品の異様な「すわりの悪さ」を増長させている要因として、観客の感情移入するべき主人公が誰かわからなくなる「主軸のバトンリレー」が挙げられるでしょう。これは、巧妙な伏線設定や描写のペース配分が計算され尽くさないと成功しない、挑戦的な演出ですよね。

 観客はまず、冒頭から出ずっぱりで顔を出し、ベラスコ邸潜入チームのリーダー的存在となっているライオネルを主人公として見るのですが、いざベラスコ邸に入って寝泊まりを始めて見ると、実際に邸内の「何者か」が積極的にモーションをかけてくるのはフローレンス一択であることが明らかになってきます。この謎に関して、当のフローレンスは「ダニエル=ベラスコの霊が若い女性である自分に助けを求めているから」と解釈するわけなのですが、そういった霊との不思議な交流から、中盤では物語の主人公はフローレンスであるかのようなシフトチェンジが行われていきます。ていうか、ライオネルの視点のシーン設定がいきなり減るんですよね。さすがにむくつけきオッサンで最後までひっぱるのは無理だったか……
 ところが、そのフローレンスもまた、ライオネルに代わって調査チームを牽引しようとするリーダーシップはまるでなく、「なんでわかってくれないの、ムキー!!」とヒステリックになるばかりで、主人公になるにはちょっと共感がわきづらい人格設定になっており、邸内の心霊現象と調査チーム内のぎすぎすがエスカレートしていくばかりの展開に、観客は大いに不安を覚えることになるわけです。さすがにそこでアル中しろうとのアンさんが乗り出すわけにもいかないし、どうにかならないのかと煮詰まってきた、そのとき。
 そうなんです、最後に出てくるのが、過去のベラスコ邸調査での大失敗が原因でメンタルが完全に引きこもり気味に陥っていたフィッシャーというわけなんですね! そして、そのきっかけがライオネルの「お前なんにもしてないな」発言だったり、フローレンスのなかば自殺行為的な除霊チャレンジの失敗だったりするのですから、一度挫折した人間が、周囲のハッパを浴び、ヒロインの苦境を見かねて再び立ち上がるという、非常にアツい展開となっているのです。全ての敗者たちの遺志を受け継いで、意を決してメガネをはずす男、ひとり!!

 この映画を最後まで観れば誰でもわかると思うのですが、フィッシャーを演じるロディ=マクドウォールさんの演技力というか、演技プランの巧みさは、明らかに他の出演俳優さんがたに比べてワンランク以上高い解像度を持っています。最初に曇天の地方駅に降り立った時の、うつむき加減な横顔からして、「行きたくねぇ……」という気持ちが言下ににじみ出まくりで、ベラスコ邸に乗り込んでからもセリフはほぼありませんが、それを補って余りある、おびえた目の演技の繊細さ! さらにその目が、しじゅうかけているメガネのレンズの分厚さのために大きく見えている小道具効果も、非常にニクいですね。そして、「なんとしてもエメリック=ベラスコを滅ぼす!!」という意思を固めた時に、やっと視線が定まってメガネをはずすというアプローチも、とっても魅力的です。
 こういった感じで、弱々しい敗者がトラウマに立ち向かうことでおのれを内面から変身させ、驚異の大逆転で巨悪を倒すという展開の爽快感は、それまでの本作の「ヘンさ」をまとめてチャラにする正統派勧善懲悪な活劇を観ているようで、単なる幽霊屋敷ものホラー映画にしておくには実にもったいない感動があると感じました。いわば『エヴァンゲリオン』シリーズのシンジ君や、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の祖先といった感じでしょうか。メガネキャラという点で観れば、「大長編」仕様の野比のび太の原型?

 マクドウォールさん、いいですよね! 私が初めてこの方の存在を知ったのは、同じくホラー映画の『フライトナイト』(1985年)での、実に人間味のあるなんちゃって吸血鬼ハンター役でなのですが、TVドラマの『刑事コロンボ』の傑作エピソード『死の方程式』(1972年)での犯人役も、すっごく良かったですよね! ともかく、快活なしゃべりと軽快で品のある身のこなしが印象的な俳優さんです。
 その彼が、そういった動性のいっさいを封印して、陰気で寡黙なフィッシャーを演じるのですから、こりゃクライマックスでドカンとはっちゃけないわけがないのです! 彼の高い演技力があってこその、あの私設礼拝堂でのエメリック=ベラスコとの激突シーンですよね。現在の観点から見ると、大した SFXも使っていない撮影のはずなのですが、ともかくマクドウォールさんの表情のみで、その凄絶さを描き切っていると思います。すごいよ!

 余談ですが、エンディング前、エメリックとの対決から生還してアンとともにベラスコ邸を去る間際に、フィッシャーがさりげなく、ライオネルの遺したリバーサーを起動させていく描写には、いろいろと考えさせられるものがあります。
 これはつまり、日本における武士道の「残心」のように、討滅したはずのベラスコの怨霊に対して、最後まで注意を怠らない集中力を込めた行為でもあり、リバーサーの開発に命を懸けたライオネルへの敬意の表れのようにも見えるのですが、そういったフィッシャーの行動の解釈の他にも、もうひとつの事実を示していることは見逃せません。

 すなはち、あの稀代の怨霊ベラスコの呪力をもってしても、リバーサーには触れることすらできなかった……!?

 そうなんです。私も今回、DVD を観直してみて「あれ、そういえば?」と思ったのですが、ベラスコがその呪力で爆発させてライオネルを血祭りにあげたのは、あくまでライオネルが片付けようとしていた、フローレンスの降霊術の時に使用した計器類だったのであり、肝心のリバーサーはまったくの無傷だったのです。だからこそ、ラストでふつうに「ウィイーン……」と音を立てて起動していたんですね。
 あの極悪非道なベラスコのことですから、ライオネルのプライドをズタボロにするためにも、なにはなくとも虎の子のリバーサーをぶっ壊すのが常道のはずなのですが……つまりそれって、リバーサーはほんとのほんとに、大怨霊でも手出しのできない最強兵器だったってことなんじゃないの。

 気になる……その後、無傷のリバーサーがどこへ消えたのかが。でも、おそらくはドイッチ産業が接収してその恐るべき機能を解析し、なにかの軍事兵器にでも転用されたのではなかろうか。あらゆる電磁波攻撃を反射させるなんて、まず心霊現象の除霊には使用されないでしょうね。

 え……反射? もしかして、イギリスのドイッチ産業から流れ流れて、日本の三友重工にその理論が供与され、その結果生まれたのが、あのゴジラの放射能火炎さえをも威力を倍増させて跳ね返す陸上自衛隊所属の機動兵器「スーパーX2」だったりしちゃったりなんかしちゃったりして……

 イギリスの純正ホラー映画が、結局日本伝統の特撮SF映画につながっちゃったよ! やっぱりこの映画、ヘンなんだな~!!
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黒澤映画のキーパーソン・千秋実、ぬるっと登場!! ~映画『野良犬』~

2023年05月16日 20時32分28秒 | ふつうじゃない映画
映画『野良犬』(1949年10月 122分 新東宝)
 『野良犬(のらいぬ)』は、新東宝・映画芸術協会製作、東宝配給の日本映画である。モノクロ、スタンダード。
 太平洋戦争終戦直後の東京を舞台に、拳銃を盗まれた若い刑事がベテラン刑事と共に犯人を追い求める姿を描いた、黒澤監督初のクライムサスペンス映画である。東宝争議の影響で東宝を離れていた黒澤が他社で撮った作品のひとつである。第23回キネマ旬報ベストテン第3位、昭和24年度第4回芸術祭賞、シナリオ作家協会シナリオ賞受賞。

 日本映画において、ドキュメンタリータッチで描く刑事ものという新しいジャンルを開拓した画期的な作品として、その後の同系作品に影響を与えた。また過去作『醉いどれ天使』(1948年)同様、戦後の街並みや風俗とその中で生きている諸々の登場人物が生き生きと描写されている。当時、黒澤は東宝争議の余波で東宝での映画製作を断念し、師の山本嘉次郎や本木荘二郎らと映画芸術協会に参加して他社で映画を撮っていた。本作は、大映で撮った前作『静かなる決闘』(1949年)に続いて他社で撮った2本目の作品で、映画芸術協会と新東宝の提携により製作した。
 推理小説の愛読者でもあった黒澤は、『メグレ警部』シリーズの作家ジョルジュ=シムノンを意識したサスペンス映画を作ろうと企画し、当時新人の脚本家・菊島隆三を共作に抜擢し、彼を警視庁に通わせて題材を集めさせた。そこで捜査一課の係長から、警官が拳銃を紛失することがあるというエピソードを聞き、それを採用して熱海で脚本を作り上げた。

 撮影のほとんどは、東映東京撮影所内の貸しスタジオの太泉スタジオで行われた。予算が少ない中、警察の鑑識課からどじょう屋、ホテルやヒロインのアパートまで、オープンセットを含めて実に30数杯のセットが造られた。警察の鑑識課のセットは実際に警察署を見学し、引き出しのネームプレート一つに至るまで忠実に再現された。美術助手を務めた村木与四郎によると、どじょう屋のシーンでは生簀に本物のどじょうを入れたが、画面には全く映らなかったと語っている。

 本作は、淡路恵子の映画デビュー作である。淡路は当時、松竹歌劇団の研究生であり、本作に出演した時はまだ16歳だった。並木役の最終候補には淡路ともう一人が残ったが、黒澤が「淡路君の方が意地っ張りで面白そうだ」と決めたという。また、後の黒澤映画の常連俳優である千秋実の黒澤作品初出演作でもある。
 復員服姿の村上刑事が闇市を歩く場面では、助監督の本多猪四郎と撮影助手の山田一夫が2人で上野の本物の闇市で隠し撮りを敢行し、本多は三船敏郎のスタンドインを務め、山田がアイモカメラを箱の包みに入れて撮影した。黒澤は後に「この作品で戦後風俗がよく描けていると言われるが、それは本多に負うところが大きい。」と語り称賛している。
 後楽園球場で刑事2人が拳銃の闇ブローカーを捕まえるシーンでは、実際の巨人対南海の試合映像が使われており、川上哲治・青田昇・千葉茂・武末悉昌ら当時の選手の姿も見られる。

 緊迫したシーンにあえて穏やかで明るい曲を流し、わざと音と映像を調和させない「音と画の対位法」という手法が、本作でも用いられている。例としては、佐藤刑事がホテルで撃たれるシーンで、ラジオからキューバの民族舞曲『ラ・パロマ』が流れ、ラストの村上と遊佐が対決するシーンでは、主婦が弾く穏やかなクーラウのピアノ曲『ソナチネ第1番ハ長調作品20−1』と、最後に子ども達が歌う童謡『ちょうちょう』が流れる。なお、本作では既成曲が多用されており、村上が復員兵に変装し闇市でピストル屋を探すシーンでは『夜来香』、『東京ブギウギ』、『ブンガワンソロ』などの流行歌が使われ、根負けした女スリが情報提供するシーンでは、ヨシフ=イヴァノヴィチの『ドナウ川のさざなみ』がハーモニカで演奏されている。

 序盤タイトルバックの野良犬が喘ぐシーンは、野犬狩りで捕まえた犬を貰い受け、撮影所の周りを走らせた後で撮影したものである。しかし、アメリカの動物愛護協会の婦人から「正常な犬に狂犬病の注射をした」と告発された。供述書を出してこの出来事は幕となったが、黒澤は「戦争に負けた悲哀を感じた。」と語っている。
 村上刑事が銃弾の線条痕を照合するため鑑識を訪れる場面では、鑑識の担当者が別の拳銃を砂箱の中に撃ち込んでいるが、ここでは本物の九四式拳銃が使われた。村上刑事から盗まれて遊佐の手に渡る拳銃がコルト式という設定であるのに対し、本作のポスターやスチールの写真では九四式拳銃が使われている。
 世界三大映画祭における監督賞を制覇したアメリカの映画監督ポール・トーマス=アンダーソンは、本作をお気に入りの一本に挙げており、自作『マグノリア』(1999年)では、本作へのオマージュとして警官が拳銃を紛失するエピソードを描いた。


あらすじ
 ある猛暑の日、村上刑事は射撃訓練からの帰途のバス中で隣に立った女性にコルト式自動拳銃を掏られ、追いかけるが見失ってしまう。拳銃の中には7発の銃弾が残っていたため焦り戸惑う村上は、上司の中島係長の助言によりスリ係の市川刑事に相談し、鑑識手口カードを調べるうちに女スリのお銀に目星を付ける。村上はお銀のもとを訪ねるも彼女はシラを切るばかりだったが、執拗に追い回し、せめてヒントだけでもと懇願を続ける村上に観念したお銀は、場末の盛り場で食い詰めた風体でうろついているとピストル屋が袖を引くというヒントを与える。
 ピストルを探すため復員兵姿で闇市を歩く村上は、ついにピストルの闇取引の現場を突き止め、ピストル屋のヒモの女を確保するが、先に女を捕まえたためピストルを渡しに来た売人の男に逃げられてしまう。そこへ淀橋で銃を使った強盗傷害事件が発生し、銃弾を調べると村上のコルトが使われたと分かった。責任を感じた村上は辞表を提出するが、中島係長はそれを引き裂き「君の不運は君のチャンスだ。」と叱咤激励する。村上は淀橋署のベテラン刑事・佐藤と組んで捜査を行うことになる。

おもなスタッフ
監督   …… 黒澤 明(39歳)
製作   …… 本木 荘二郎(35歳)
脚本   …… 黒澤 明、菊島 隆三(35歳)
撮影   …… 中井 朝一(48歳)
照明   …… 石井 長四郎(31歳)
録音   …… 矢野口 文雄(32歳)
美術   …… 松山 崇(41歳)
音楽   …… 早坂 文雄(35歳)
助監督  …… 本多 猪四郎(38歳)
B班撮影 …… 山田 一夫(30歳)
美術助手 …… 村木 与四郎(25歳)
音響効果 …… 三縄 一郎(31歳)

おもなキャスティング
村上刑事   …… 三船 敏郎(29歳)
佐藤刑事   …… 志村 喬(44歳)
並木 ハルミ …… 淡路 惠子(16歳)
ハルミの母  …… 三好 栄子(55歳)
ピストル屋のヒモ …… 千石 規子(27歳)
市川刑事   …… 河村 黎吉(52歳)
光月の女将  …… 飯田 蝶子(52歳)
桶屋の親父  …… 東野 英治郎(42歳)
阿部捜査主任 …… 永田 靖(42歳)
呑屋の親父  …… 松本 克平(44歳)
特攻隊あがりの復員兵・遊佐 …… 木村 功(26歳)
遊佐の姉   …… 本間 文子(37歳)
スリのお銀  …… 岸 輝子(44歳)
レビュー劇場の演出家 …… 千秋 実(32歳)
レビュー劇場の支配人 …… 伊藤 雄之助(30歳)
ホテル弥生の支配人  …… 菅井 一郎(42歳)
支配人の妻  …… 三條 利喜江(37歳)
中島係長   …… 清水 元(42歳)
水撒きをする巡査 …… 柳谷 寛(37歳)
拳銃の闇ブローカー・本多 …… 山本 礼三郎(47歳)
鑑識課員   …… 伊豆 肇(32歳)
被害者・中村の夫 …… 清水 将夫(41歳)
アパートの管理人 …… 高堂 国典(62歳)
若い警察医  …… 生方 明(32歳)
さくらホテルの支配人 …… 長浜 藤夫(38歳)
老いた町医者 …… 田中 栄三(62歳)
あづまホテルのマダム …… 戸田 春子(41歳)
レビュー劇場の客 …… 堺 左千夫(24歳)
ピアノを弾く主婦 …… 辻 伊万里(28歳)
スリの男   …… 宇野 晃司(25歳)
新聞記者   …… 松尾 文人(33歳)
ナレーション …… 本木 荘二郎(35歳)


≪さぁて、本文はいつになるのやら……気長にお待ちを!!≫
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頑固一徹!きまじめホラー ~映画『ヘルハウス』~ 前編

2023年05月11日 22時24分05秒 | ホラー映画関係
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございますのことよ~。
 最近なんだか、地震のニュースが多いですね。今朝はついに関東、千葉県でも震度5強ですか。次はどこなんでしょう? 物騒だなぁ。

 千葉といいますと、私にとりましては大学生時代から30代なかばまで、約15年ほど暮らしていた縁のある県であります。なつかしいですね……うれし恥ずかし、思い出は山ほどあるのですが、それらももう10年以上前の過去になりつつありますか。つい昨日のような、遠い昔のような。
 コロナ関連もひと段落したことですし、このあくせくした生活に余裕が生まれたら、久しぶりにふらっと千葉に行って、当時の面影がどのくらい残っているのかを歩く極私的旅を組んでみたい気もします。ただ、電車だと千葉って、東京から遠いんですよね……総武線の黄色! 京成線のガタガタ感! やっぱ車で行くか。
 聞いた話では、まず JR千葉駅の時点で、私が知っている駅舎とは全然違うものにリニューアルされて久しいっていうし、圧倒的な時代の流れに圧倒されて「はへ~、ほへ~!」って言いながら迷子になりそうな予感がしますね。

 行きたい所はいくらでもあります。住んでた歴代3ヶ所のアパートは、トイレがまさかのくみ取り式だった2番目のあそこはもう無くなってるんだよなぁ。毎月トイレの小窓に500円玉を置いて処理業者さんに持ってってもらうんですよ、信じられます!? 大学近くのあの中華料理屋さんと洋風定食屋さんはお元気だろうか。電車代をケチって3時間歩いたあの幹線道路沿いも、もう一度歩いてみたいなぁ……あ、あそこは埼玉県か。

 私にとって思い出深い土地がたくさんある千葉県なのですが、その中のひとつに、およそ20年前(え、そんな昔……?)に私がアルバイトをしていた、千葉市美浜区のちょい古めのショッピングモールがありました。でっかい駐車場をかこって、スーパーやら100円ショップやらホームセンターがあるみたいな形式のやつですね。今ちょっと調べてみたら、どうやら、そこにある全店舗が私の見覚えのないお店に代わってるみたいです……時の流れよ!!
 当時私は、そこにあった大手系列ではない古本屋さんのアルバイトをしていたのですが、そのお隣に姉妹店として、昔懐かし、真っ黒真四角で重ったい VHSビデオもたくさん貸し出していた大きめのレンタルショップがありました。当時は2005年前後でしたから、すでに時勢は DVDになっていたわけなのですが、それでもお店の半分くらいは VHSだったと思います。なんでも新しい、省スペースで軽いほうに乗り換えていく大手ではなかなか見られないクラシックさでしたね。でも、1980年代生まれでレンタルといえば VHSかベータを見て育った私にとりましては、時が止まったような懐かしさが垣間見える空間だったのです。
 バイト先の隣にあるということで、帰りにふらっと寄って、ヒマに飽かせていろんな映画を借りて観たのですが(さすがに勤務先の隣なので、ピンクののれんの先に広がる紳士の花園には行けず……)、そのお店で異彩を放っていたのがホラー映画コーナーでありまして、ふつうのレンタル屋さんではなかなか見られない、当時まだ DVD化されていなかった知る人ぞ知るホラーの名作、怪作がけっこう充実していたのです。バイト初日の帰りに棚を見て「フハッ!!」と興奮しちゃって、そこの店長に奇異な目で見られていたのを思い出します。そこに「わかってんなお前」みたいな微笑が添えられていたのも、よく覚えています。バイト先の同僚も含めて、お元気かな~、みなさん。

 今パッと思い出せるだけでも、『2000人の狂人』(1964年)でしょ、『シーバーズ』(1975年)でしょ、『エクソシスト2』(1977年)でしょ、『ゾンゲリア』(1981年)でしょ……『13日の金曜日』シリーズや『悪魔のいけにえ』シリーズ、ルチオ=フルチの「血みどろ3部作」をあらかた履修したのもこのお店でですし、日本ホラーで言うと、さんざん噂に聞いていた鶴田法男監督のオリジナルビデオ版『ほんとにあった怖い話』をやっと観れたのも、ここでだったような気がする。
 そんな感じで、ほんとに誰からも強いられていないのに運転免許合宿なみの詰め込みペースでホラー映画のお勉強にいそしめた、まさに「ボンクラ専門学校映画学部ホラー学科」とも讃えるべき、私にとっては絶対に足を向けて寝られない学びやだったわけなのですが、その中でも特に「あ~、これ観れてよかった!」と思えた作品が、この記事で取り上げるタイトルだったのでありました。いろいろ個性たっぷりの名作あまたあれど、これはひときわ不思議な印象の残る映画だったんですよね!

 以下、ちょっと簡単な説明をば。


映画『ヘルハウス』(1973年6月 95分 イギリス・アメリカ合作)
 映画『ヘルハウス(The Legend of Hell House)』は、1973年制作のイギリス・アメリカ合作のホラー映画。
 アメリカの SF・ホラー作家リチャード=マシスンのホラー小説『 Hell House(邦題『地獄の家』)』の映画化作品で、マシスンは今作の脚本も担当している。

あらすじ
 著名な物理学者のライオネルは、億万長者のルドルフからの依頼により心霊現象が起きるという噂がある古い大邸宅ベラスコ・マンションにまつわる謎を調べることになった。ライオネルは妻のアン、若い霊媒師フローレンス、20年前にこの邸の調査に参加してただ一人生き残った霊媒師フィッシャーと共に調査を始める。この邸は1919年にエメリック=ベラスコという富豪が建てたもので、彼はありとあらゆる悪業を重ねた末、ある夜のパーティーを最後に行方不明となり、邸にはパーティに出席した27名の親類縁者たちの惨殺死体が残されていたという。
 ライオネルが調査を進める中、ある日フローレンスはベラスコの息子ダニエルのミイラ化した遺体を見つける。しかしライオネルは一連の怪奇現象の原因はフローレンスの自作自演であると考えており、彼女の証言を無視する。その後ライオネルは、感知したいっさいのエネルギーを反射して消滅させるという電磁気装置「リバーサー」を邸内に設置して起動させようとするが……

おもなスタッフ(年齢は公開当時のもの)
監督 …… ジョン=ハフ(31歳)
原作・脚本 …… リチャード=マシスン(47歳)
音楽 …… ブライアン=ホジスン(?歳)、デライア=ダービシャー(36歳)
撮影 …… アラン=ヒューム(48歳)

おもなキャスティング(年齢は公開当時のもの)
ライオネル=バレット博士  …… クライヴ=レヴィル(43歳)
フローレンス=タナー    …… パメラ=フランクリン(23歳)
ベンジャミン=フィッシャー …… ロディ=マクドウォール(44歳)
アン=バレット       …… ゲイル=ハニカット(30歳)
エメリック=ベラスコ    …… マイケル=ガフ(56歳)
ルドルフ=ドイッチ     …… ローランド=カルヴァー(72歳)
ドイッチの執事ハンレー   …… ピーター=ボウルズ(36歳)


 これ、ほんとに面白かったんですよね! すごく記憶に残ったんです。
 何が珍しいって、すごくクラシックというかシンプルというか、造形がゴテゴテしていないんです。ホラー映画なんて、アメリカとかイタリアのスラッシャー映画に代表されるように、ディティールをゴテゴテに盛って人目を集めてナンボみたいなところがあると思うんですが、この作品は意図的に地味なパッケージと演出をしていて、肝心の見せ場までネコをかぶって「興味のある人だけ見れば~。」みたいな野原しんのすけスタイルを装っているのです。そういう斜に構えた姿勢がまた、非常にイギリスっぽいんですよね! もともとアメリカのホラー小説であるはずなのに、監督が見事にイギリスっぽい湿度と陰険さのある作品に変換しおおせているのです。ハフ監督、当時30歳ちょい!? 老練だな~。

 私の脳内で、歴代の1970~80年代ホラー映画の名作の数々を擬人化させて高校の一クラスにまとめてしまいますと(40名以内におさめるなんてどだいムリな話ですが)、『13日の金曜日』とか『エルム街の悪夢』あたりは超メジャーということで友達の多いクラスの目立ちたがり屋、ルチオ=フルチの諸作は部活一辺倒でテストは苦手なゴリマッチョ派、ダリオ=アルジェント作品は女子にやたらモテる文芸派、ジョージ=A=ロメロ作品は理屈っぽい大人ぶった生徒会インテリ派になるでしょうか。私の大好きな『ピクニック at ハンギング・ロック』ちゃんはオーストラリアから転校して来たクラスのマドンナという高嶺の花ポジションで、同じ転校生でも、いっつも真っ黒な髪の毛が水か何かの液体でビショビショに濡れている、ポーランド出身の『ポゼッション』ちゃんは、話しかけた瞬間に男子の肉体が消し飛ぶ核兵器レベルの地雷女子ですよね。だが、そこが、いい!!
 そんなゆかいなクラスの中でも、『ヘルハウス』君は、詰め襟学ランで教室の窓際後方に座って、ギャーギャーぐへぐへと騒ぐ陽キャたちを度の強いメガネごしににらんで「君たち、勉学の邪魔だから静かにしたまへ……」とかつぶやいている、七三わけのガリ勉男子になるでしょうか。数少ない友達は先述の『ゾンゲリア』くんとか、『悪魔の墓場』くんかな。なんか湿っぽいグループ!

 要するに『ヘルハウス』は孤高の存在です、と言いたいだけなのですが、この余人を寄せ付けないスタイルがあくまでもガワだけの話で、付き合ってみるとけっこうおもしろいというのが、今作の魅力的な部分なのです。決めるべき見せ場はちゃんとスペクタクルで派手だし、お色気シーンは十二分に色っぽい! ただお堅いだけじゃなくて、柔軟な戦略思考の中で、あえて地味目なスタイルを選択しているのです。
 おそらくこれは、当時からうさんくさい匂いを放ちまくっていた、キワモノとしての霊媒やら幽霊やらというオカルティズムを「科学的に検証する」という主人公チームのスタンスにのっとり、ホラー定石の恐怖演出に距離を取って挑んでいく演出を取ることで、観客が主人公チームに完全に感情移入したうえでベラスコ・マンションに足を踏み入れていくという、バレット博士ご一行を乗り物とした「お化け屋敷アトラクション感覚」を生むための戦略だったのではないでしょうか。そして、それは見事な大成功をおさめているように思えます。あの、古くてじめじめしてくら~い大邸宅の息苦しさを、観た者は全員身に染みて感じることができたでしょう。これ、映画として本当に優秀な証拠ですよね! ま、その重苦しい圧迫感を娯楽作品として許容できるかどうかは人それぞれですが……

 だいたい、『ヘルハウス』という題名からしてすっごくシンプルで、まさしく「名は体を表す」を地で行っていますよね。これ実は、映画版の原題が上述の通り『 The Legend of Hell House』でちょっぴりこってりめなのですが、そこを『地獄屋敷の伝説』などとせずに、原作小説のまま一言『ヘルハウス』にとどめておいたのは、まさに蕎麦屋の名前が「かつおだし」みたいな、頑固一徹な気風を醸し出していて最高ですよね。
 また当時、1974年9月に日本公開する際に、先立つ同年7月に日本公開されたあの歴史的大傑作『エクソシスト』(ただし本国公開は『ヘルハウス』よりも前)の大ヒットをおおいに意識しての宣伝戦略でもあると思われます。どのみち、同じ1970年代といいましても『ヘルハウス』が生まれた1973年はまだまだホラー映画にとりましてはよちよち歩き期で、スラッシャー映画にいたっては誕生前、せいぜい『サイコ』、『血を吸うカメラ』、『血とバラ』(1960年)や『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)あたりが散在している状態でした。そこから前になっちゃうと、ご存じハマー・プロの「怪奇映画」の世界にまでさかのぼっちゃうので、それはもう、学年が違ってきますよね。なので、『エクソシスト』と同期の『ヘルハウス』が、他の元気いっぱいな『サンゲリア』くんや『ゾンビ』くん達とちょっと毛色が違うのは、当たり前のことなのです。留年生かな? ていうか、そんな『ヘルハウス』君よりも先輩なのに、そこらへんの若い連中と話が合いまくる『2000人の狂人』(1964年)くん以下のハーシェル=ゴードン=ルイス作品の先見性は、あらためて異常すぎですね……

 脱線したお話を『ヘルハウス』本編に戻しましょう。すみません、こういうジャンルの話、する相手がいないのでついついたまりにたまってホコリをかぶりまくっていたパトスがほとばしっちゃって。

 タイトルですでに言っている通り、本作は「亡霊はいるのか?」や「超能力はあるのか?」というテーマにかなりきまじめに取り込んだ作品で、「限定された空間と期間の中で課題に取り組む」というルールもしっかりしており、ちゃかちゃかしたギャグ要員やこけおどしのショック音楽などの小手先を弄しない、硬派、ソリッドな演出が非常に印象的です。
 その象徴として、この作品はシーンごとに「何月何日何時何分」という時間設定がしつこいくらいに表示されます。そこらへんは、まさにアメリカ・ホラー小説界の巨匠であるマシスン先生の真骨頂であると思います。
 実際にこの映画版は、生前のベラスコや20年前のフィッシャーの挫折といった過去パートが登場人物同士の会話の中で時々語られるのみで、なんとなくしか触れられない情報が多いです。おそらくそのへんは、映画公開時に早川書房から翻訳刊行された小説版が補完しているかと思われるのですが、残念ながら今回は原作小説を未読のままこの記事を書いておりますので、小説版の内容には踏み入りません。中古本の値段が4~5倍くらいになってんのよ……無理して買えないこともないのですが、今回は映画版のみを扱うということで。案外、創元推理文庫の『ピクニック at ハンギング・ロック』みたいに、そのうち思い出したようにポッと再刊されるかもしんないし。

 ともかく、この作品は時間経過が明示されるかたちで進んでいきますので、今回はちょっと、作中の流れをざっと整理して、その中で気になった点を、その都度羅列してみることにいたしましょう。
 するとア~ラ不思議、真面目に作っている反面、そのきまじめさをもってしても隠し切れない、この作品に潜む「真のこわさ」が浮かび上がってくるような~?


≪映画『ヘルハウス』、地獄のベラスコ邸へごあんな~いタイムスケジュール≫

12月17日金曜日
午後4時08分
・冒頭に、字幕で「 Clairvoyant and Psychic Consultunt to European Royalty」という肩書きの「 Tom Corlett」という人物の、「この物語はフィクションである。しかし、超心理的な現象は実際に存在しうる可能性がある。」というありがたそうな序文が流れる。いかにもハッタリの効いた前置きでつかみはオッケーなのだが……だれ? この人。
・さっすが DVD! VHS と違って BGMがはっきりくっきり聴こえてくる。けっこう各シーンで多用されてた太鼓のパーカッションがすごくイイ! あ、これ、このシーンでも流れてたんだ~。
・大富豪ドイッチとライオネル博士とのたった1~2分の会話の間に、「亡霊が存在する可能性のある地球上で唯一の場所」、「地獄の家」、「一族が封印」、「20年前の事件のただ1人の生き残り」、「1週間以内に答えを出してほしい」、「10万ポンドの報酬」などと、面白そうなキーワードがわんさか! のっけから緊張感がみなぎりますね。
・1970年代の1ポンドは約700円の換算だったらしい。令和現在の物価指数は当時の約2.3倍なので、大富豪ドイッチの依頼は、現在の日本人の感覚でいうと「1週間で1億6千万円がもらえるお仕事」ということになる。ふとっぱら! ちなみに、2023年現在のポンドの価値は、「1ポンド=約170円」だそうです。嗚呼、栄光の大英帝国よ……
・日本語吹替版では、ライオネル博士がフローレンスを「あの巫女」と呼んでいる。見くだすニュアンスを多分に込めた言い方であるとはいえ、巫女て……実に昭和ですね。
・映画開始3分、2人の会話が終わったタイミングで「12月17日金曜日 午後4時08分」という無機質なテロップが流れるという構成が、とにかくスマートでかっちょいい。ていうか、ベラスコ邸に乗り込むのはその次の週の月曜日だから、実質土日2日間しか準備時間がないの!? さすがは大富豪、無茶ぶりが過ぎますな……
・開始3分30秒の時点で、ライオネル博士がそうとう自信をもって開発しているらしい謎の機械「リバーサー」の存在と、そのベラスコ邸への投入が水曜日になることが語られる。どんな超絶すっごい秘密兵器なんだろう!? わくわく、わくわく。
・大富豪ドイッチが今回依頼したのはライオネル博士とフローレンスとフィッシャーの3名なのだが、そこに本人のたっての希望により、ライオネルの妻アンも加わる。ライオネルとアンの会話から、アンがこれまでも何度かライオネルの研究調査に同行しているらしいことが分かるのだが、ライオネル自身は今回の検証へのアンの参加に難色を示す。そして、そのライオネルの予感は正しかったのです……

〇1日目・12月20日月曜日
午前9時13分
・金曜日のライオネルとアンの会話の中でフィッシャーの名前が出た次の画面で日時がとび、いかにも不安そうな表情で待ち合わせ場所の駅に降り立つフィッシャーの横顔が映しだされるカット割りが、やっぱりかっちょいい。
午前11時47分
・基本的に曇り空のシーンしか出てこない本作なのだが、ご一行が到着したべラスコ邸の周辺は、車のヘッドライトを点けても1メートル先さえ見えないようなものすごい濃霧に包まれている。真昼間でしょ!? 徹底してるな~、さすがはイギリス!
・開始6分に、一行が開けたゲートごしにそびえ立つベラスコ邸の真っ黒い外観とともにぬっと出る「 The Legend of Hell House」というタイトルと、「どんどこどん、どんどこどん……」という不気味な太鼓パーカッションのテーマ曲。ここまでの流れ、百点満点♡
・ベラスコ邸内の私設礼拝堂にかたくなに入ろうとしないフローレンスを見て、ライオネル博士は「あの子は心霊波に感応するんだよ。この中(礼拝堂)は心霊波が強い。」と語る。つまりライオネルは、フローレンスが感応するほど礼拝堂に強く残っている心霊波の存在を認めているのである。この、オカルト全般を否定しているわけではないライオネルのスタンスが、とっても重要。
午後6時42分
・邸内の大食堂での夕食シーンで、ライオネル博士は「亡霊などいない。」と断定口調で語っている。心霊波の存在を認めていながら亡霊は否定するという姿勢は、現代日本人の感覚からすると矛盾しているように感じられるのだが、要するにライオネルは「亡霊以外の原因により発生している、科学的にまだ立証できていない未知の波動があり、それを感知したり念力として利用したりできるのがフローレンスやフィッシャーのような霊媒師」だと予測しているのだろう。
・フィッシャーの調査によると、エメリック=ベラスコは1879年生まれで、1949年にベラスコ邸で失踪しているらしいので、およそ70歳前後で死亡したことになる(フィッシャーらの最初の調査はその数年後)。
午後8時46分
・フローレンスの1回目の交信術が行われる。その最中に「ダニエル」という若い男性の亡霊がフローレンスに降りて、一行を「屋敷から出ていけ」とののしり、テーブルを上にある灰皿や燭台が倒れるほど振動させるが、ライオネル博士はダニエルの存在を認めず、フローレンスの「念力」を使った自作自演であると推測する。しかし、いたこ的な口寄せを本領とする「精神霊媒」であるはずのフローレンスの交信術で振動現象が起こったことに、フローレンス自身もライオネルも疑念を抱く。
午後10時32分
・自分に割り当てられた部屋で就寝しようとしたフローレンスのもとにダニエルと思われる亡霊の気配が現れ、ドアの開閉、ベッドの布団を飛ばす、調度を投げ倒すといった現象を起こして去る。

〇2日目・12月21日火曜日
午前7時33分
・朝食の席で、フローレンスが昨夜の自室へのダニエルの亡霊の来訪を語り、ベラスコ邸には複数の亡霊がいるが、ダニエルの亡霊を浄化したら大部分の霊現象は収まるだろうと語る。しかしライオネルは「あ、そう。」的な塩対応で受け流す。
午後2時43分
・フローレンスの2回目の交信術が行われ、フローレンスの指先から白い煙状の「心霊体」が発生するが……フローレンスさん、なんで下半身はふともも丸出し!? ま、映画ですからね……
・心霊体を発生させたフローレンスに、ライオネル博士が「瓶にサンプルを残してくれたまえ!」と繰り返し命令するが……すっごい上から口調! こっくりさんだったらブチ切れて帰らなくなっちゃうぞ!
・2回目の交信術の後、ライオネルは自室で心霊体のサンプルを観察しながらアンに、「交信術で発生した電磁物体(心霊体)はあくまでフローレンスの精神が物体化したものであり、ベラスコ邸に亡霊が存在するかどうかとはいっさい関係が無い。」と語る。やはり亡霊は否定するスタンス。
・やたらと難しい理屈を語るライオネルだが、壁のいたるところに女性のヌード絵画がかかりランプ照明のほとんどが赤いベラスコ邸の内装(しかも天井全面鏡ばり!)のいやらしさとの異様なまでの水のあわなさが、妙におもしろくて飽きない。うまい対比演出!?
・なにげないことだが、このシーンでの会話で、アンが心霊体を初めて見たことがわかる。今まで夫の研究の手助けをしてはいたとはいえ、やっぱりその程度の経験の人を連れてくるのは、よくなかったんじゃ……
午後6時21分
・夕食の席で突如としてライオネル博士にキレ散らかすフローレンス。「霊媒師や心霊への敬意が全く感じられない。」というのがフローレンスの不信の原因なのだが……まだ2日目よ。衝突すんの早くない?
・フローレンスの激怒に呼応するかのように、テーブルは跳び上がるわ、食器はライオネルめがけて飛んでいくわ、シャンデリアの電球の火花は散るわ、鏡は落ちて割れるわ、暖炉から火柱が上がるわの大ポルターガイスト現象が発生! フローレンスの「やめて!」の一喝で現象は収まるが、フローレンスは念力などを使う「物質霊媒」のフィッシャーの仕業だと疑い、ライオネルはこれまたフローレンスが引き起こした自作自演だと確信する。
・負傷して自室にさがったライオネルのもとをフローレンスが訪れ、先ほどのポルターガイストはダニエルの亡霊の仕業だと意見を変えるが、ライオネルはフローレンスへの疑念をさらに強める。
※次の「12月21日火曜日 午後10時18分」のテロップにいく前に、なぜか珍しく晴天のベラスコ邸の外観と、外をのんきに歩く黒猫のカットが挿入される。なんで!? なんで夕方と夜との間に晴れたおそとのカットが入るの!? でも、いちいちシーンごとに日時のテロップを表示するほどこだわりの強い本作なのだから、単純な編集ミスなわけがない。これ、観る者の時間感覚をわざと狂わせるか、ベラスコ邸の中と外とで時間の流れが歪んでいることを伝えたい暗示なのかもしれない。う~ん、一筋縄ではいかない、ヘンな映画!
午後10時18分
・アンのお色気催淫シーン、フローレンスによるダニエルの遺体発見、黒猫のフローレンス襲撃といった怒涛の展開! いろいろ動き出しましたね……ただ、発見したその夜のうちにダニエルを庭に埋葬したのかどうかが、やはり屋外で撮影した埋葬シーンが曇天の日中のように見えるので判然としない。真夜中に速攻であんなミイラ遺体、埋められます? まず警察に通報するのが先かと思うのですが……

〇3日目・12月22日水曜日
午前9時14分
・ついにライオネル博士肝いりの秘密兵器「リバーサー」がベラスコ邸に到着! でも、その外観は高さ2m 、幅1.5m ほどの電子計算機みたいに地味な筐体が1台だけ。日本の円谷プロの科特隊かウルトラ警備隊の基地セットだったら、5台くらい並べてモブ大道具扱いにされそうな個性もへったくれもない外見に、ちょっぴり不安になってしまう。ま、人間も機械も見た目がすべてじゃないから! その働きに期待しましょ。
・ダニエルや黒猫とのバトルで負った傷を治療しながら、フローレンスは自室でフィッシャーと会話する。フィッシャーは、昨夜丁重に埋葬したはずのダニエルがなぜまだ暴れ続けるのか疑問に思うが、フローレンスは、ダニエル以下多くの亡霊たちを支配し使役する「ずば抜けて強い亡霊」がいるとし、それがエメリック=ベラスコその人であると推測する。
・本作でストーカーのようにわらわら襲いかかる亡霊を相手に、ほぼ孤軍奮闘に近い立場でひどい目に遭い続けるフローレンス。その直感はかなり正解に近いのだが、言い方がヒステリックだったり、すぐに撤回したとはいえフィッシャーをポルターガイストの犯人かと疑ったり、自分に襲いかかった黒猫を20年前に死んだダニエルの飼い猫だと言い出したり(あんな元気なネコちゃんが人間でいう100歳以上とは……)と、あえて主人公にはなりにくい情緒不安定っぷりを発揮しているのが、絶妙なキャラクターバランスですばらしい。このフローレンスがもうちょっと陽気な性格で、ライオネル博士も独身貴族だったら、いい元祖『トリック』カップルになっていたろうに……
・この時点で映画の進行時間は47分。95分ある本編のまさにど真ん中でラスボスの存在がほの見えてくるという構成が、ほんとに日本のバスや電車の発着ダイヤを見るように几帳面で美しい。つくづく、まっじめだなぁ~!!
午後10時31分
・またもやアンのお色気誘惑シーンが発動するのだが(2回目)、今回は亡霊の仕業というよりはアンの酒癖のせいらしい。迷惑……でも、こういった人間臭いトラブルが無いと、ライオネル博士は研究一辺倒の面白くもなんともない堅物になってしまうので、そういう意味ではアンは大事なメンバーなのよね。それにしても、アンを演じるゲイル=ハニカットさんは当時若干30歳ですか。う~ん……超熟!!
・ベラスコの影がちらつき始める転換も大きいが、ここでのライオネルとフィッシャーの対立を機に、物語の中心軸がフィッシャーに移ってゆく転換も見逃せない。今まで、かつての凄惨な失敗体験から何に対しても消極的だったフィッシャーが、「お前なんにもしてねぇな。」というライオネルの指摘によって、確実に変わろうとし始める重要なシーン。それにしても、その「変身」のきっかけを、音響も特殊メイクも光学合成も使わずに、フィッシャーを演じるロディ=マクドウォールのエガちゃんみたいな強烈ボディランゲージのみで表現する演出は、唐突すぎ!!

〇4日目・12月23日木曜日
午前10時31分(前シーンのちょうど12時間後って、なんか意味あるんすかね……)
・フィッシャーの自室での、フィッシャーとフローレンスの会話。昨夜の異常なプレッシャーもあってすっかり意気消沈したフィッシャーは、引き続き除霊したるで!と鼻息の荒いフローレンスに珍しく怒り出し、亡霊なんか相手にせずに1週間寝泊まりして10万ポンドもらえばいいじゃないかと語る。つまり大富豪ドイッチは、2人の霊媒師には「1週間ベラスコ邸にいて生き残ったら10万ポンドやる。」と言っていたわけで、ライオネル博士とは全く異なる条件を提示していたということになる。なんかライオネルだけハードル高くありませんか……?
・ここの会話で、20年前のフィッシャーの加わった調査チーム5名中4名が無惨な死を遂げた、その具体的状況が語られる。これが、のちのちフィッシャーが気付くベラスコの正体のヒントとなるのだが……ちょっとわかりにくいかも。
・ほぼとばっちりに近い、シャワールームでの黒猫の死。でもここ、フローレンスじゃなくてフィッシャーの部屋ですよね。じゃあフィッシャーが黒猫を殺したのか? フィッシャーもフィッシャーで、一筋縄じゃいかないね!
・ベラスコ邸の大広間で、虎の子兵器リバーサーの起動チェックを行うライオネル。彼によると、リバーサーは「測定しうるエネルギーを全て反転させる」機械であり、これを明日起動させることによって、ベラスコ邸内の心霊波は自分のエネルギーをくらって自滅するというのだが、それを聞いたフィッシャーは無駄なあがきだと非難し、亡霊に何も抵抗しないで過ごすべきだと語る。
その夜(珍しく時間がテロップ表示されない)
・ダニエルの亡霊のキモすぎる「愛してくれ~」攻撃に業を煮やしたフローレンスが、身体を張りすぎる「観音力戦法」でダニエルを浄化せんとベッドに招き入れるが、すんでのところで目を開いてダニエルの姿を見てしまい、あえなくエヘヘウフフと精神崩壊してしまう。『帝都物語』だったらうまくいったのに……

〇5日目・12月24日金曜日(世間はクリスマスイヴだというのに、この屋敷ときたら……)
午前7時19分
・昨夜の騒ぎからこんこんと眠るフローレンスを一晩中看病するフィッシャー。フローレンスは目を覚ますが、ダニエルが憑依してフィッシャーを「馬鹿者」とののしったり、そうかと思えば正気に戻って泣き出したりと、不安定な状態が続く。
午前7時48分
・精神的に参ったフローレンスはチームからリタイアすることとなるが、ベラスコ邸を出る準備のできたフローレンスにライオネル博士は、改めてベラスコ一族の亡霊の存在を完全否定したうえで、ベラスコ邸内に何らかの理由で発生している強力な電磁波( EMR)の渦こそが一連のポルターガイスト現象の原因であり、これをリバーサーによって消滅させると宣言する。逆上したフローレンスは暖炉の火かき棒でリバーサーを破壊しようとするが、ライオネルに殴られ気絶する。ここでの「ベラスコ邸内が電子レンジのようになっているから物が壊れたり中に入った人間の体調が崩れたりする」というライオネルの理屈は非常に分かりやすくていいのだが、じゃあフローレンスの自作自演説はどうなるんだという気にはなる。おとがめなし?
午前8時23分
・気絶から目を覚ましたフローレンスは、リバーサーの最終チェックに気を取られるライオネルの目を盗んでベラスコ邸の礼拝堂に潜入し、ついにベラスコの怨霊と対峙する。しかし、ベラスコの返り討ちに遭い倒壊したキリスト磔刑像の下敷きになったフローレンスは、死の間際に自分の流れる血を使ってダイイングメッセージを残す。う~ん、王道の展開。
・フローレンスの遺体を発見したライオネル達だったが、ダイイングメッセージの真意をつかみかねるままリバーサーを予定通り起動させてベラスコ邸から一時退避し、心霊波の消滅をはかる。さぁ、どうなる!?
・リバーサーの起動後に、おそるおそる邸内に戻る3人。フィッシャーが物質霊媒の能力を使って心霊波の存在を探るが、確かに邸内から異常な波動は消え去っていた。ライオネルの理論は正しかったのか?
午後0時45分
・すっかり安心して大富豪ドイッチへの報告書類の整理をしていたライオネルの眼前で、突如としてリバーサーの感知計が異様な反応を示しだす。驚愕するライオネルの前で研究用の機械類が爆発し、ライオネルは……
午後1時03分
・部屋での帰り支度を済ませて夫を探しに来たアンは、礼拝堂で変わり果てた姿をさらすライオネルを発見し絶叫する。
午後2時21分
・嘆き悲しむアンを介抱するフィッシャー。アンはフィッシャーに今すぐベラスコ邸から逃げましょうよと懇願するが、決然とした表情のフィッシャーはこう語る。

「私は礼拝堂に行かなければ。フローレンスのためにも、ご主人のためにも。今このヘルハウスを立ち去れば、私は人間として失格するんです。」

午後3時13分
・意を決して礼拝堂に足を踏み入れるフィッシャーとアン。そこで改めてフローレンスのダイイングメッセージを見直したフィッシャーは、その真意を読み取り、ついにベラスコの怨霊との最終対決に挑む。フィッシャーとベラスコ、果たして勝つのは!?
午後4時59分
・あれ? あんた死んだんじゃなかったの!? 最後まで一筋縄じゃいかない、ヘンな映画~!!


 ……とまぁ、こんな感じの「地獄の1週間(実質5日間)」なんでございましたけれどもね。
 まぁ~、ひたすらまじめ。そしてまじめなのに、隠し切れないヘンさがにじみ出てくる映画なんですよ。
 字数がかさんでしまったので、わたくしなりのつたない考察は、またあらためてちょっとだけやりたいと思います。中途半端でごめんなすって!!

 いや~、やっぱこの映画、大好きです。
コメント (2)
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