長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

FOREVER 青野ぬらりひょん!! ~ぬらりひょんサーガ 第27回~

2011年11月30日 15時00分02秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ》
 あらら、もう今日で11月がおしまい!?
 そうですか……やはり「ぬらりひょんサーガ」は2ヶ月では完結しなかった! これを「愛」と言わずしてなんと言お……あ、「のんびりしすぎ」って言えばいいんだ。
 いやいやでも、来てほしくない終わりは確実に近づいてきつつあるのです。
 アニメ『ぬらりひょんの孫 千年魔京』ももうクライマックスなんでしょ? 私は1秒1コマたりとも観てないんだけど。東京MXテレビ受信できなかったから第1シーズンも観てなかったしなぁ。
 さぁ、その勢いにヒッソリのって、こちらも堂々のラストランに入ることにいたしましょ~か。


 前提として過去の原作マンガやアニメシリーズを「かつてあった歴史」としてふまえながらも、本編ではまったくオリジナルで21世紀の視聴者のニーズにこたえた作品世界を展開することとなった、アニメ最新第5期『ゲゲゲの鬼太郎』(2007年4月~09年3月 全100話)。
 そこに、今まで以上に重要で強力なライヴァルとしてレギュラー出演したぬらりひょん一味の活躍や、いかに!?

 前回にも触れたように、いつもの朱の盤にあわせて、蛇骨婆がついに紅一点(どどめピンク)としての準レギュラー出演枠を獲得し、さらには旧鼠とカニ坊主といったニューフェイスも加わって、アニメ第5期のぬらりひょん一味は、史上初めて「一味」と言うにたる充実の人材をそろえるものとなりました(とくに頼りになる強豪妖怪かまいたちは第39話からの参加)。
 このアニメ第5期で通算4代目の蛇骨婆を演じることとなったのは、子どもに絶大な人気を得る謎のケミカルお菓子「ねるねるねるね」のCM の魔女役として世代を越えた認知度をほこる声優の鈴木れい子(63歳)。せっかく40年ごしでレギュラーになったんだから蛇骨婆メインのエピソードもあって良かったんじゃないかと思うのですが、そこは「萌え」を追究した第5期だったため、涙をのんで脇役キャラにあまんじることとなってしまいました。

 こういった新生ぬらりひょん一味がアニメ第5期の中で初めて本格的に鬼太郎ファミリーと激突したのは、第8話『宿敵!ぬらりひょん』(2007年5月放送)でのこと。ただし、すでにそれ以前の2話ぶんのエピソードでゲスト妖怪の「黒幕」という役割で暗躍は開始していました。

 記念すべきこの第8話は、「鬼太郎をコンクリート詰めにしたぬらりひょん一味がぬか喜びする」というくだりからして、水木しげるの原作マンガ『妖怪ぬらりひょん』をモデルにしていることは明らかなのですが、ぬらりひょんが鬼太郎を油断させる「おとり」として、若い娘さんの姿をしたゲスト妖怪「百々目鬼(どどめき)」を利用し、エピソードの展開も鬼太郎と百々目鬼とのやりとりを中心にしているため、ほぼ別物といってよい内容となっています。

 このエピソードのクライマックスで、やっぱり復活した鬼太郎にコテンパンにのされたぬらりひょん一味は緒戦を勝利で飾ることを逸してしまい撤退、自身も顔面のひたいに大きなキズを負うこととなってしまったぬらりひょん先生は、あえてそのキズを治癒させずに、この屈辱を忘れないために鬼太郎を殺すまでには残したままにしておくという決意を胸にするのでした。ねちっこいなぁ~!

 このように、アニメ第5期本編でのぬらりひょん先生は、原作やそれまでのアニメシリーズにあった「過去世界への追放」という最悪の目には遭ってはいません。
 しかし、前回にもふれたように、第5期以前の段階でぬらりひょんとその一味が鬼太郎ファミリーと敵対して激戦を展開していたらしいことは間違いなく、おそらくはその中で、ぬらりひょんがすでに過去世界へ追放されたというくだりはあったはずなのです。そうでないと、あの第5期でのぬらりひょんの激しい憎悪の感情は説明がつかないのではないかと。
 まぁ、原作マンガのようにマンモスのいる5万年前に流されたのか、アニメ第3期のようにティラノサウルスのいる6~7千万年前に流されたのか、アニメ第4期のように天狗ポリスによって2億年前に流されたのかまでは判然としないのですが……どれにしても、ひどすぎる!!

 また、ぬらりひょんの「ひたいに残されたキズ」というキーワードを聞けば、ぬらりひょんファンならばおのずと、あの傑作劇場版アニメ『激突!!異次元妖怪の大反乱』(1986年公開 第3期の映画化)の白熱のラストで、鬼太郎にオカリナソードで顔面をかち割られ、流血する顔を両手でおおいながら、

「ぐ、ぐぬわぁあっしゃぁああ~!!」

 と絶叫して国会議事堂のドてっぺんから墜落していく妖怪皇帝ぬらりひょんの最期が容易に連想できるはずです。

 もちろん、さっきも言ったようにアニメ第5期でのぬらりひょんの「ひたいのキズ」は第5期本編の中で鬼太郎につけられたものであるのですが、イメージとして、第5期の青野ぬらりひょんがまぎれもなく第3期の青野ぬらりひょんと地続きになっていることを証明してくれるのが、この「ひたいのキズ」だと思うんだなぁ、私は。顔つきは全然ちがいますけど。

 さて、そんな感じでさまざまな「過去」を感じさせるぬらりひょん先生。アニメ第5期での活躍のほどはといいますと。
 かつてのアニメ第3・4期もそうでしたが、第5期でもぬらりひょんは初登場以降ず~っと全話に登場していたというわけではなく、出てきたのは、

第4(海座頭と舟幽霊)・7(雪女と雪入道)・8(蛇骨婆と百々目鬼)・17(火取り魔)・26(バックベアードと同盟)・30(片車輪)・39(かまいたち初登場)・47(百々爺)・59(ベアードの計画を傍観)・61(たんたん坊と二口女)・72(家鳴りと妖怪城)・85(完全体妖怪城)話

 の12話でした。()の中にあるのは、そのエピソードでのゲスト妖怪や悪事の内容です。

 アニメ第3期の青野ぬらりひょんが「全115話中の15話」登場(貢献度13%)で、第4期の西村ぬらりひょんが「全114話中の18話」登場(貢献度16%)ということだったのにたいして、以上のように第5期に再登板した青野ぬらりひょんは「全100話中の12話」登場ということで貢献度12%。まぁまぁですが、そんなにしょっちゅうは出てなかったんですな。
 ところが、第5期を楽しんだ方ならばみなさんご存じのように、足かけ3年・全100話にわたる人気シリーズとなった第5期は、誰がど~う観ても内容的には「打ち切り」としか言いようのない終わり方をして完結しています。いや、だから完結してません。
 そんなこともあって、第61話から不定期で始まったぬらりひょん一味の「妖怪城編」は、第85話『鬼太郎絶叫!妖怪城の切り札!!』(2008年11月放送)でいちおうの終結を迎えてはいるものの、敗北したぬらりひょん一味はメンバー全員ピンピンしており、必ずまた近いうちに復讐するゾという空気を濃厚に残しつつ撤退しています。
 そしてそのまんま、最終回の第100話まで登場しないままになってしまったのですが、もしアニメ第5期がそれ以降も「満足のいく真の大団円」を迎えるまで続いていたのだとしたならば、ぬらりひょん一味がそれまで以上の激闘を繰り広げていたであろうことは間違いないはず……だったんですが。

 ざっとそれまでの流れを追っていきますと、いつもの感じで毎回のゲスト妖怪を操るといった役回りで活躍したぬらりひょん一味は(第26話では、西洋妖怪軍団の首領・バックベアードからもらった「毒矢」を使って珍しく鬼太郎ファミリーの棲む妖怪横丁を直接襲撃する)、第30話『鬼太郎抹殺作戦』(2007年10月放送)の結末で天狗ポリスに逮捕され、その3ヶ月後の第39話『ぬらりひょん最期の日』(2008年1月放送)で、新しく一味に参加したかまいたちの援護を受けて脱走して活動を再開します。
 その収監中、ひとり鉄の岩屋に監禁されていたぬらりひょんは、「3ヶ月間壁の鉄をかじり続けて体内に鉄分を蓄積させ、手に鉄のツメをはやすことに成功する」という、星一徹もビックリのド根性新境地に到達することに成功します。
 老いてますます盛んとはまさしくこのことなり!! あっぱれぬらりひょん大先生。

 その後、第47話『妖怪大裁判』(2008年3月放送)では、鬼太郎をおとしいれようとするゲスト妖怪・百々爺(演・西村知道!)を攻撃して鬼太郎を助けるという意外すぎる役割を演じていました。このエピソードではぬらりひょん一味は潜伏中で、百々爺の陰謀にはいっさい加担していません。
 あの宿敵ぬらりひょんが、いったいなぜ鬼太郎を助けるのか!? その理由とは、

「鬼太郎を殺すのはこのわしじゃ! わし以外の妖怪には鬼太郎は殺させんぞ。」

 ツンデレか!! ベジータか! シャアか!

 ぬらりひょんのような爺さん妖怪をここまで夢中にさせる鬼太郎少年の魅力っていったい……なんだか、『ヴェニスに死す』みたいな妖しいかほりが。


 ともあれ、こんな感じでさまざまな新展開の可能性を見せつつも! 実に不可解な終わり方で100話完結となってしまったアニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』。

 放送中にはウエンツ瑛士が主演する実写映画版『ゲゲゲの鬼太郎』2作も公開されていたし、西洋妖怪軍団やぬらりひょん一味、「九尾の狐の弟」チー率いる中国妖怪軍団などのレギュラー出演化に対して、「地獄に封印されていた超絶エネルギー」を体内に得てスーパーサイヤ人のような髪型になって闘う鬼太郎といったバトルアクション展開も加速化していたし、いわずと知れた「萌え萌え猫娘」の合格点以上のヒロインっぷりも大きな話題となっていたはずで、そういった部分から、アニメ第5期が「不人気」という理由で打ち切りになったという見方はあたらないはずなのですが。

 一体なぜなんでしょうか……とにかく、事実としてはっきりしているのは製作スタッフが第100話の時点で第5期を完結させるつもりが毛頭なかったことと、それをまったく意に介さない強硬さで、放送していたフジテレビが2009年4月からのその時間帯の枠を『ドラゴンボール改』にゆずってしまったことです。それであっさりおしまいとなってしまったわけで。

 製作スタッフに第100話以降もアニメ第5期を続行させる意志が強くあったことは、2008年9月放送の第73話『妖怪四十七士の謎』から始まった「全国の妖怪四十七士を探し求める」というミッションがまったくコンプリートされていないことからも一目瞭然です。

 「妖怪四十七士」というのは、要するに日本全国にちらばる四十七ヶ所の霊場のエネルギーを開放させる能力を持っているという、四十七都道府県に棲む「ご当地妖怪たち」のことで、日本を侵略しようとする世界各地の悪役妖怪軍団の脅威を憂慮した地獄の閻魔大王が、鬼太郎ファミリーに命じて四十七士を集結させ、それによって開放された日本全国の霊的エネルギーを吸収した「ウルトラミラクルスーパー鬼太郎」が敵妖怪たちを撃退するという構想だった……のですが。

 結局のところ、TV本編は四十七士のうちの「25名」までしか判明していない状態で終了してしまっており(第100話で最後にエントリーされたのは群馬県代表の黒カラス天狗)、やっと半分を越えたというあたりでおしまいになっちゃったんですよね。
 ちなみに、現在も閲覧できる東映アニメーションのアニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』の公式ホームページでは、登場することさえかなわなかったメンバーも含めた「幻の妖怪四十七士」の全貌を確かめることができます。
 となると、だいたい30話かけて四十七士の半分が集まったわけなのですから、アニメ第5期が本当の意味で完結するためには「全130話」くらいのスケジュールが必要だったというわけか。あと1年続いてたら、いったいどんな展開になってたんでしょうかねぇ。

 こんな事情があったため、第5期で堂々のパワーアップを果たした青野ぬらりひょんは「まだまだこれからじゃぞ!」とタンカを切って潜伏したまま出番終了という、実に不本意で中途半端な幕切れを迎えることとなってしまったのです。非常に残念……

 TV本編の中では、2008年11月に放送された第85話が最後の出番となってしまったぬらりひょん一味でしたが、アニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』のくくりで本当にラストとなったのは、その1ヶ月後に大々的に全国上映された第5期唯一のオリジナル劇場版『ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』(2008年12月公開 83分)でのほんのチョイ出演でした。

 アニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』唯一の劇場版となった『日本爆裂!!』は、アニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』放送開始40周年を記念した「鬼太郎サーガ」史上初の劇場単独公開長編です。
 それまでの数々の歴代劇場版『ゲゲゲの鬼太郎』は、すべて「東映まんがまつり」系列のプログラムの1本という役割になっていたため、上映時間も30分か1時間という制約があったのですが、今回の単独上映作品はついに1時間30分という普通の映画なみのヴォリュームを手に入れることとなりました。
 また、この作品はウエンツ鬼太郎の実写映画版2作のあとに公開されているため、映画出演としては、2010年1月に享年77歳で逝去した田の中勇の遺作となります。

 『日本爆裂!!』のストーリーは、前半が原作マンガの『鏡爺』(1967年4月発表)をもとにしており、後半は日本の古代邪神・夜刀神(やとのかみ)が復活するというオリジナル展開になっています。
 時間設定としては、翌2009年3月に放送終了したTV本編の「あとに起きた事件」ということになっており、本編では途中までしか描かれなかった「日本妖怪四十七士」が全員集合している唯一の作品となっているのも見どころのはずなのですが、四十七士はクライマックスで鬼太郎をサポートするためにわらわらむらがっているだけなので、はっきり言ってそれまでまわりにいた妖怪横丁の鬼太郎ファミリーとの違いがいまいちピンとこず、ありがたみが伝わってこない扱いとなっています。

 この『日本爆裂!!』は作画のクオリティも高いし、恐いシーンもちゃんと恐いのでけっこういい作品なのですが、なんといっても冒頭にくっつけられた「おまけ映画」の『ゲゲゲまつりだ!!五大鬼太郎』のインパクトが反則的に甚大なので、まじめにやってる映画本編の印象がやたら薄くなっちゃってるんですね……悲運。

 そして、ここに一瞬だけ登場するぬらりひょん一味は、日本で大変な事件が起きていたそのころ、バックベアードやチーたちと世界のどこかで開催していた「世界悪者妖怪サミット」の議場から日本の様子をうかがっている描写だけで、物語にはいっさい関わってこないかなり蛇足な出演の仕方をしています。意味ねぇ~。
 偉大なる青野ぬらりひょんの最後の出番がこんなのなんて。いくらなんでもあんまりですよ!!

 とにかくこんなわけで、満を持して堂々の復活を果たした21世紀エディションの青野ぬらりひょんは、本人としてはけっこういい活躍をしていたものの、これからやっと本気が出るかという矢先に「ハイしゅうりょ~!」とあいなってしまったのです。く、くやし~!!

 でもねぇ、そんな突然のアニメ第5期終了からはや2年がたとうかとしている今現在……私、こうも思うようになってきたんですよね。


 アニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』は、ああいう終結の仕方で良かったんじゃないかと。


 まぁまぁ、落ち着いて聞いていただきたい。そりゃ残念ですよ! ぬらりひょん一味の、その後の存分の活躍が観られなかったことは、そりゃもう確かに哀しいことです。

 でも。
 私はアニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』が大好きである以前に、水木しげるの原作版『ゲゲゲの鬼太郎』の大ファンであり、それ以上に希代の名優・青野武の大ファンなのです。

 はっきり言って、あのまま「四十七士編」が続行されれば「ゲゲゲの鬼太郎の名を借りたバトルアニメ」路線がさらに強化されることは明らかだったし、そうなるとしたら、我らが青野ぬらりひょん先生も、「ぬぐぅわぁあ~!!」とか「どうぅりぃいぃやぁあ~!!」とか「きぃいとぅあるうぅうぉおぉういやぁあっしゃぁあ~!!(鬼太郎と言っています)」と、得意の巻き舌を駆使して血管もブチ切れよとばかりに渾身の熱演を発揮していたことは火を見るよりも明らかだったでしょう。

 だとすれば、齢70の坂を越えた青野老師の肉体はいったいどんなことになっていたでしょうか。

 実際には、アニメ第5期は青野ぬらりひょんにそういった往年の第3期をほうふつとさせるシーンを用意するまでもなく放送終了となったのですが、それなのに、青野老師はその翌年2010年5月をもって、73歳にして大動脈瘤と脳梗塞の療養のために無期限で声優活動を休止することとなって現在にいたっているのです。

 今、私はここで声を大にして言いたい。


 青野ぬらりひょんの華々しい最期なんか観られなくてもいい!! 声だって聴けなくなったっていい。
 青野老師がどこかで生きているこの世界のなんと美しいことか。


 いいんだ、いいんだ、青野ぬらりひょんの活躍は未完でいいんですよ……
 必ずや、アニメ第5期で構築された「真の妖怪総大将ぬらりひょん」を受け継いでくれる、新たなる「アニメ第6期ぬらりひょん」が現れるはずなのだから!!

 その姿を10年後に観るまでに私もがんばって生きますから、ど~か! 青野老師も「さくらともぞう」の方のスタイルでのんびり生きてくださ~い。
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束とちひろの鬼おしだし 「パンダ目大明神さまのたたりじゃ~」

2011年11月28日 19時05分48秒 | すきなひとたち
 みなさ~ん、どうもこんばんは~。そうだいでございます。今日も一日お疲れさまでした!
 寒くなってきましたねい。もう気がつけば12月も間近でございますよ~。今年に悔いは残していませんか?

 え~。今回の話題はですね……まぁ、なんちゅうか、その……少なくとも私そうだい個人の中では「満を持して」っちゅうか、「これは触れないわけにはいかないだろ!」みたいなところがありまして、せっかく11月も終わりにさしかかっとるんで、この際ぶつくさつぶやくことにしちゃおうかなと、ハイ。

 こんなニュースについてです。いや、ニュースというべき重大事件でもないですけど。


鬼束ちひろがニコ生で大暴走し、運営側が一時的な自主規制
 (Yahoo!JAPAN MUSIC 音楽ニュース 2011年11月15日付け記事などより)

 ニコニコ生放送番組『鬼束ちひろの 包丁の上でUTATANETS』の第3回が11月12日に配信され、あまりの過激さにニコニコ生放送運営側が自主規制をとる事態にまで発展した。

 本番組は、鬼束ちひろによるニコ生レギュラー番組。番組MC は、バンド「神聖かまってちゃん」や「撃鉄」のマネージャーとしても知られるミュージシャンの劔樹人(つるぎ みきと 「あらかじめ決められた恋人たちへ」ベース担当)が務める。
 10月18日に放送された第2回における鬼束の自由闊達な振る舞いが注目を集め、この日は視聴者が増加し、最終的には約2万2000人のニコ生ユーザーが1時間の番組を楽しんだ。

 今回の最初の企画は、鬼束の持ち込みである「飽きるまで生討論会」。これはあるテーマをもとに飽きるまで真面目に考えるという討論企画であり、今回語り合うテーマは「エロ」となった。
 まず、どんな人がエロいと思うかという質問を受けた鬼束は「叶恭子。」と即答。「恭子さんは女性に人気で美香さんは男性に人気がある。」と持論を展開する。さらに「鬼束自身にエロのイメージはあるか?」と聞かれると「知ったこっちゃねーよ!」と一蹴するなど、いつもの鬼束節全開で番組は進行。さらに、「メディアはどこまでエロを許すのか!? 徹底実験」と称して、人形のスカートをまくり上げたり、『広辞苑』の中から「エロく聞こえる言葉」を探して発表したりと、相変わらずの自由奔放さをいかんなく発揮した。

 そんな鬼束が最も暴走したのは「どのような動きがエロとなるのか」を探る実験のコーナー。鬼束はまず「一般的なエロい動き」として女豹のポーズをとった後、友だちと一緒に考えたというオリジナルのエロい動きを披露。それまで鬼束を静観していた運営サイドだったが、ショッキングな鬼束オリジナルのエロい動きに対し、急遽、自主規制の画面に切り替えるというハプニングが起こるなど、コメントの弾幕に花が咲いた。

 何が起こるかわからない衝撃続きの番組は、これもまた鬼束の持ち込み企画である「ババ抜きで遊ぼう」のコーナーへ。これは鬼束と劔がババ抜きをするという非常にシンプルな企画。ただ、2人でのババ抜きは当然、盛り上がりに欠ける。そこでもうけられた番組オリジナルの特別ルールは、「ババ(ジョーカー)を引いた人は老婦人を背負ってゲームを続ける」というもの。このためだけに招待された老婦人がスタジオに姿を見せ、3人でのシュールなババ抜きが始まると、視聴者からは「なんだよこの絵w」「シュールすぎるw」とコメントが寄せられていた。

 そして、鬼束の最新18thシングル『青い鳥』のPV 放映を挟んで最後の企画は、本番組では恒例となった、鬼束もお気に入りの「西部警察シリーズ」より、「西部警察メガネで即興演劇」。これは刑事ドラマ『西部警察』でおなじみの「大門サングラス」をかけ、セーラー服と学ランでコスプレをした鬼束と劔が、テーマに沿った即興演劇を披露するという企画だ。
 今回のシチュエーションは、劔が鬼束を呼び出して告白するという、ありふれた学園恋愛物。しかしそこは鬼束なので一筋縄でいくはずもなく、結局は劔が鬼束の自由な言動に振り回されるぐだぐだ展開となって、視聴者を楽しませていた。

 次回の『鬼束ちひろ 包丁の上でUTATANETS』生放送は12月下旬を予定。また、これまでの放送は全てタイムシフト視聴が可能。詳しくは、鬼束ちひろチャンネル(ch.nicovideo.jp/channel/onitsuka-chihiro)で。

 また鬼束ちひろは、今年4月にリリースした6thアルバム『剣と楓』、そしてシングル『青い鳥』をひっさげて、10年ぶりとなるツアー『HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW』を11月30日からスタートさせる。


 んもう!! なんだよ、これ!?

 まいっちゃいましたね……私は、この『長岡京エイリアン』のそ~と~初期のころにこの鬼束さんのことが大好きだとつぶやいたことがあったのですが。
 確かその当時、去年の夏ごろには鬼束さんが傷害事件の被害者になるというショッキングなニュースが報道されたばかりで、私は心配だとかなんとか言っていたような気がするのですが……

 いやぁ、こんなに丈夫でしたたかな姿におなりんさるとは思いもよらなかったですよ、あたしゃ!

 無料動画サイトにもすでにアップされているそうですし、私もそろそろパソコンをニコニコ動画が満足に観られるものに買い換えるつもりなので、鬼束さんの番組も観られないことはないんですけど。

 まぁ~最初っから最後まで観る気になりませんね!! 耐えらんないでしょ。
 もちろん、その「耐えられない」というのは「ファンとして観るのがしのびない」という青臭い理由もあるんですけど、いちばんはやっぱり、「番組として観るに耐えない」ってことなんですよ、私は。

 これは鬼束さんの番組の質とかレベルとかをけなしてるんじゃなくて、観る時にどうしても私が「でも、歌うたってる時の鬼束さんが最高なんだけどなぁ。」と感じてしまうからなんです。

 だって、番組の中の鬼束さんって、本人は否定するかもしれないけど、今のところはご本人の「笑い」のセンスでがんばってるじゃないですか。
 でもさぁ、その戦場だったら鬼束さん以上におもしろい名手はいっぱいいるわけですよ。
 くだらない企画をまじめにやるのに関しては現在は『タモリ倶楽部』が最高峰だし、私としてはセンスも演者も制作スタッフも千載一遇なタイミングでシンクロしていた日本テレビ史上の極北に位置する奇跡ともいえる『松本人志の新・一人ごっつ』(1997年10月~98年3月)を第一に挙げたい! 一人大喜利オンリーだった『一人ごっつ』もいいし、お笑い共通一次試験とか面雀(おもじゃん)をやってた後続の『松ごっつ』もいいんですけど、やっぱり私は黒い作務衣に身を包んだ「あのころの松本さん」の孤高の闘いをVTR におさめた『新・一人ごっつ』の功績はズバ抜けたものがあると思うんだなぁ。マネキン人形ひとつと松本人志ひとりで展開されるコントシリーズの狂気と色気といったらなかったですよ、ほんと!!

 で、だ。それに比べるとまぁなんと鬼束さんの番組のかわいらしいことよ。
 即興で歌を唄うコーナーなんかもう『新・一人ごっつ』でやってるし、サングラスをかけてちょっとおもしろくなる効果を期待するのなんて、とっくの昔からお笑い芸人や劇団がやってるじゃないですか。10年くらい前の浜田さんの看板番組でやってた「早大門(はやだいもん)のコーナー」、あれおもしろかったですよねぇ!

 この番組のことに限らないんですが、ここ1~2年は、歌手というところを別にした鬼束さんの「したたかさ」が目立つ活動が多いですね。PV でソロダンスに挑戦とか、自伝の出版とか。
 ところが、そういった若干周囲がひくくらいの性急な「攻めの姿勢」にたいして、中身が結構ともなってないような気がするんだよなぁ~。
 その姿勢がいいんであって、結果なんかどうでもいいじゃないか! とおっしゃる方も多いかと思うのですが、やっぱりそこは歌手としてあそこまで信頼のおけるレベルをたもっている鬼束さんなんだから、どうしてもそれ以外の仕事の「できてなさ」が目立っちゃうんですよねぇ。

 私、鬼束さんの番組の内容はそんなに驚かなかったんですが、はっきり言って、そのちょっと前に出版された自伝には心の底からがっかりしました。
 本になってないですからね。だって、字数が絵本かってくらいに少なくてページがまっちろけなのに、無理矢理ハードカバーの単行本にして千ウン百円ですっつって売りつけてるんだもん。
 最終的には出版社のやり方に責任があるんでしょうけど、内容もじぇんっじぇん無かったし。あんなことは、鬼束さん本人がそれ以前に歌という形でぜんぶ語ってたじゃないですか。

 鬼束さんの番組を観て、鬼束さんの精神的なバランスを本気で心配する人って、いますかね。そんなに単純な人はさすがにいないか。
 「ほんとにヤバい人」じゃないもんなぁ。たとえが適当かどうかわからないのですが、戸川純じゃなくて岡本夏生に近いヤバさなわけです。いや、岡本さんも充分ふつうじゃないけど。

 あれはスタイルですからね。ああいうのをやるのが好きな人はまぁ~中身はあき竹城なみに丈夫ですよ。健康そのもの! 体育会系!
 だってさぁ、さっきの記事にもありましたけど、今度はじまる鬼束さんの全国ツアーのための宣伝ですよね、看板番組の話題なんて。新曲や最新アルバムが発売されて半年以上たってからのツアーなんですから、そのくらいの起爆剤が必要だったというわけなんですよ。で、今回は「起爆剤にちょっとニトログリセリンを混ぜてみました。」みたいなものだったと。

 いや~。元気そうでなによりです、鬼束大明神。

 最近の鬼束さんを観ていると、とにかくこの方はサービス精神が旺盛なんだな、と思っちゃうの。この際、やることのレベルなんてどうでもいいからやっちゃおう! とにかくその魂だけでも観てもらおう! みたいな思いっきり「外向き」の意識を感じるんですよね。
 これは非常にステキな態度なんですが、まぁ私としてはもちっとレベルを考えていただきたい気もしつつ……いやいや、レベルは本業の歌でフォローする目算なのでしょう。

 でも、私はおそれおおくも鬼束さんとほぼ同じ年齢なのですが、この「怒り」にも似た彼女の爆発にはものすごく勇気を与えられるし、同感もできるような気がします。

 今、ここまで荒ぶってしまう鬼束さんの視界には、「歌手」という肩書きであるのに「歌」を商売道具にしないヤツらが多すぎるという、日本音楽界の灰色の不毛地帯が広がっているのではないでしょうか。

 ハードスケジュールというのをいいことに歌のレベルをちっとも上げようとしないあのトップ歌手、歌以外の「若さ」や「涙」や「かわいらしさ」でヒットチャートを独占するあのアイドル、昨日今日おぼえたての日本語で唄っている海外アーティストの即席輸入品にむらがる消費者、なんの恥じらいもなく「おまえを一生しあわせにするゥ~」だとか「ありがとう、でももう会えないィ~」だとかファッキンどうでもいい心もちを堂々とうたいあげている自称アーティストども……

 これは大明神がたたりをなすのも無理からぬことじゃ。もう、くわばらくわばらですよ。

 プライベートや歌手以外での話題のにぎやかな鬼束さんなのですが、抑圧されたところで、それでも歌を唄ってみせるという決意から噴出するエネルギーのみずみずしさと美しさは10年以上のキャリアを積み重ねた今でもいささかも衰えてはいません。
 「デビュー当時の私のイメージは好きじゃない。」などという主旨の発言もしているのも当然なことで、ちょっと中世ヨーロッパの宗教観みたいな「なにかを禁じられている状況」から抜け出す力が鬼束さんのパワーの源のような気もするので、そういう意味ではそれはそれでまったく理にかなったプロデュースだった、ということにもなるわけです。

 さぁ~、ついにみずからその戒めをといてしまった我らがいとしの女神様は、日本歌謡界にふたたびの太陽をのぼらせるためにどのような舞いを躍ってくださるのでしょうか。

 固唾を飲んで見守ろう、鬼束ちひろのくり出す北斗百烈拳なみの怒りの歌声を!!

 はぁへんがぁ~、はぁ~へんんがぁあ~!!
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リニューアル総大将、さすがに老ける ~ぬらりひょんサーガ 第26回~

2011年11月25日 14時37分51秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじ、じゃありません》
 最近、関東地方は天気のいい日が続いてありがたいこってすねぇ。
 昨日はね、いつも通りに桜木町まで足をのばしたあと、下北沢に行ってお芝居を観てきましたよ。

下北沢ザ・スズナリ開場30周年記念公演 『うお傳説(でんせつ)』(演出・関美能留 作・山崎哲)

 これはねぇ。ずえぇ~ったい!! に観たほうがいいよ。ただ、もうチケットが残っているかどうかわからないんですけど。
 私が今年のはじめまで所属していた劇団と関わりのある公演だから薦めているんだろう、とはとらないでいただきたい! 純粋にそう感じたわけよ~。
 TV とかDVD で観る演劇の「なんか足りない感」ってあると思うんですけど、私。
 だから、この『うお傳説』は2011年11月の19~28日にしか観られないんですよ。下北沢を巻き込んだ大災害が起きたり、他ならぬあなたが今この瞬間にバタッと歩けない身体になっちゃったらもう二度と観られなくなるのよ!?
 今は25日の昼間です。あと6回しかチャンスはありませんよ~。私はあさっての27日にも観に行くつもりです。
 前回におすすめできなかったフラストレーションはここで発散! 伝説、やってるよ~。 


 さて、話題は思いっきり変わりまして、今日も今日とて「ぬらりひょんサーガ」でございます。

 2007年に満を持してスタートした、21世紀仕様のアニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』。
 この内容が、「鬼太郎サーガ」史上初めて、ほんとうの意味での「原作マンガの枠から自由に飛翔した続編」だったということは前にふれましたが、具体的な新要素で私が注目したものは、「過去の歴史のつみかさね」と「ファミリーの巨大化」。

 すべてのエピソードで言及されているわけではないのですが、1960年代から活動を始めた1954年生まれのゲゲゲの鬼太郎少年が少年の姿のままで21世紀の現代にいる(猫娘はちょっと成長している)という設定が強調されていたり、原作マンガのエピソードの数十年後に起きた後日談や続編があったり。
 もしくは、『ポケットモンスター』のように子どもに親しみを持たせる妖怪たちがひしめき合う「妖怪横丁」や「妖怪四十七士」といったオリジナル設定も追加され、原作では鬼太郎によそよそしかった、それどころか、かつて1コマたりとも出演することの無かった妖怪までもが「鬼太郎ファミリー」に追加加入するという大盤振る舞いとなったのです。昔は、「鬼太郎ファミリー」といえばオックスフォード大学なみの超高倍率だったというのに……


 そして、いよいよ本題にはいるのですが、そういった部分をモロに受けて21世紀の新しい姿を提示することとなったのが! 何を隠そう我らがぬらりひょん先生と、その一味だったというわけなのでございますよ! このアニメ第5期での「妖怪総大将ぬらりひょん」像こそが、『ぬらりひょんの孫』の大人気をへて現在にいたる、現時点での最終形態につながっているといっても過言ではないわけなのであります。


 2007年4月に始まったアニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』の中で、妖怪ぬらりひょんは今までのアニメ第3・4期以上に冷徹でカリスマ性に満ちた「日本悪者妖怪の親玉」になっています。その存在が作品にあたえる影響の大きさにもかつてないものがありました。

 まず第5期を観て気になるのは、おなじみの「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲ~」で始まる主題歌(第5期は前半が泉谷しげる、後半がザ50回転ズによるカヴァー)とともに流れる華やかなOP 映像で、第1話からぬらりひょんが半分シルエットに隠れた横顔で出演! よく見ると、さらにその隣には蛇骨婆らしき老婆の影も! えっ、おばば悲願のレギュラー参加なる!?
 意外にも、OP 映像にぬらりひょんが出てくるのはこれがシリーズ初なんですよ。要するにこれは、それまでを上回る重要度で、ぬらりひょん一味が物語全体にかかわってくることを意味しているのです。うをを。

 そしてさらに、アニメ第5期で声優通算6代目のぬらりひょんを演じることとなったのは、かつてあの第3期で3代目ぬらりひょんを担当していた青野武(71歳)御大!! 再登板ときましたか~!
 まさしく「ぬらりひょんといえば青野武」といったイメージも根強い、巻き舌まじりの「鬼太るゥオ!」ヴォイスがかえってきた。これには私も熱くなりましたねぇ~。

 ただし、この驚異のキャスティングには、単に「ハマリ役の声優さんにまたやってもらった。」という安易なものだけではない、製作スタッフの重大な意図が込められてたように私は思えてなりません。

 それは、「すでに過去、鬼太郎との激戦を繰り広げた経験のあるぬらりひょんの現在を描くため」だったのではないかと。

 かつて、1980年代のアニメ第3期でぬらりひょんを演じていた青野さんは50歳前後だったのですが、21世紀の第5期に登板したころは70歳を過ぎておられました。
 つまりこれは、名優・青野武の実年齢での時間の流れと壮年期での激戦の記憶を、そのまんま現在の「リアル続編路線」に投影させようとする大作戦だったのではないかと!! なんとおそれおおいことか。

 確かに、それまでのアニメシリーズに登場したぬらりひょんは、「リセットリメイク」の方針にのっとって鬼太郎とは初対面の状態からそれぞれの闘いの歴史をつむいでいくというスタートの仕方をしていたのですが、この第5期では、ぬらりひょん一味がはじめから鬼太郎にそうとうな恨みをいだいて何度も抹殺をこころみているし、同時に鬼太郎ファミリーもそんな勢力があることをしっかり認識しているのです。こりゃあ「朝からグーグーグー」なんてやってらんねぇよ!

 こういった感じで、アニメ第5期に登場するぬらりひょんは、具体的にその過去を回想するくだりこそないものの、第3・4期に相当するような「激闘の歴史」があったことを容易に想像させる新たなる21世紀のぬらりひょんとなっていたのです。


 ということで、演じた青野武さんの実年齢のつみかさねとともに、キャラクターとしても歳月の重みを感じさせる第5期のぬらりひょんは、外見も内面も大きくそれまでのシリーズからリニューアルされたものとなっていました。

 なんといっても、全体的に老けた。

 まず、「小柄な老人」というイメージは引き続き継承されいるものの、今までは多少フォーマルでパリッとしたところもあった和服の上着「羽織」が、隠居した老人が縁側でお茶を飲んでいるときに着ているようなオフっぽい「袖なし羽織」に変わっていて、しかも常に杖をついている!
 ただ、どうも杖のほうは相手を油断させるためのカモフラージュのようで、敵キャラらしく刀が仕込まれているし、短時間ならば激しい戦闘アクションを鬼太郎とこなすことも可能のようです。

 さらに変わったのはその顔つきでして、「頭が大きい」といっても人間っぽい範囲での大きさだったそのはげ頭は、第5期ではあのハンス=ルドルフ=ギーガーの描く「エイリアン」かってくらいに後ろにミヨ~ンとのびた形状になっており、耳も妖怪らしく上の部分がとがっています。
 そして、顔だちはいかにも狡猾そうな悪役顔であるものの、眉毛はゲジゲジに濃くなってシワのいかめしい頑固一徹なシブい雰囲気。
 同じ悪役とは言っても、『画図百鬼夜行』の「ぬうりひょん」をモデルとした水木しげるの原作マンガやアニメ第4期での「ニヘラ~顔」はおろか、水木しげるのイラスト「ダークぬらりひょん」をもとにした第3期での青白い顔に眉毛のうすい「酷薄顔」ともだいぶ違ったものとなっているんですね。はっきり言って、水木しげるの味わいは1ミクロンもないアニメオリジナルのイメージとなっているのです。
 「眉毛が濃い」という点では、『地獄先生ぬ~べ~』にゲスト出演した時のぬらりひょんに比較的近いような気もするのですが、それよりはもっと知的な感じがするし。

 こんなに老けた老けたと言っていると、キャラクターとして弱くなっているのか? と心配になる方もおられるかと思うのですが、そこを充分にフォローしてあまりあるのが、新生ぬらりひょんご自身の格段に上がったリーダーシップと、それにつき従う一味の充実のラインナップなんですね!

 かつてのアニメ第3・4期では、他の妖怪を平気でだましたり見捨てたりする人望のなさや、肝心のところでおバカキャラの朱の盤でさえイラッとくるような初歩的ミスをやらかして失敗してしまうツメの甘さのために、どうしても念願の「妖怪総大将」になれない器の小ささが露呈してしまっていたぬらりひょん。第3期で、バブル期のどさくさにまぎれて会社社長としての経営の才能を発揮していたところは良かったんですけど。
 ところが、第5期のぬらりひょんにそういったコミカルな欠点はほとんどなく、鬼太郎への復讐のために冷静沈着に作戦を練る正真正銘の「ヒールキャラ」になっているんですねぇ。ダテに年はくっていません。

 第5期のぬらりひょんの表情はなんというか、これまでの彼についてまわってきていた、「権勢欲」や「名声欲」や「金銭欲」や「性欲」といった欲望の気配が消えており、ただただストイックに鬼太郎を追い詰めるというクールさがあるんですよねぇ。そういう意味でも、同じ青野ぬらりひょんでありながら、第3期のころとはまるでおもむきの変わった「老成ぶり」が目立つんですなぁ。

 そしてそんなクールでカッコイイぬらりひょんについてくる妖怪が、これまでのシリーズのように朱の盤ひとりという寂しさであるはずがなく、1話こっきりのゲストでなく、複数のエピソードにわたり準レギュラーとなって出演しているぬらりひょん一味の人数が最多(朱の盤・蛇骨婆・かまいたち・旧鼠・カニ坊主)となっていることも、アニメ第5期ならではの特色だったのです。にぎやかになったなぁ~オイ! ひとり、アパートの部屋で朝ごはんを「がさがさ」と食べていた日々のことを思い起こせば涙が出てきます。


 こうして装いもあらたにリニューアルされたぬらりひょん一味が、第5期の中で鬼太郎ファミリーと本格的に激突するのは第8話『宿敵!ぬらりひょん』(2007年5月放送)からとなります。
 ただし、実はすでにそれ以前の段階でぬらりひょんは暗躍を開始しており、第4話『男!一反もめん』と第7話『燃えろ!目玉おやじ』(どちらも2007年4月放送)でそれぞれ、海座頭・舟幽霊ペアと雪女・雪入道ペアを裏からあやつって暴れさせるいつもの黒幕ポジションについて鬼太郎の様子をリサーチしていました。

 ここでの、本人は静観するのみで事態の経過は朱の盤(演・小西克幸)に逐一報告させるというスタイルは、操っている妖怪こそ違いますが、同時期にタイアップ連載されていたほしの竜一の『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪千物語』でのぬらりひょんのやり方と共通しているものがありますね。
 ちなみにアニメ第5期での朱の盤は、キャラクター設定も衣装も今までのシリーズとほぼ変わっていないものの、顔つきがやや丸顔になってそれ以外の萌え~なキャラクターたちに若干歩み寄ったものとなっています。
 しかし朱の盤、顔で人をビックリさせるだけが能のお前がかわいくなってどうする……ぬらりひょん先生のダメ出しが今にも聞こえてくるような気がします。


 さぁ、ほしの版の『妖怪千物語』ではやっと姿をあらわしたかと思ったらさっさと天狗ポリスに捕まって強制退場させられてしまっていたぬらりひょん。肝心のアニメ第5期では一体どのような活躍を見せることとなるのであ~りましょうか!?

 ダテに年とってはおらん。21世紀にますます加速する高齢化社会の真のヒーローはわしじゃ! いくぞ鬼太るゥオ!!

 老練な経験と怨念の日々がついに花を咲かせるか、はたまたしょせんは年寄りの冷や水か?
 新生ぬらりひょん一味、アニメ第5期を所せましと暴れ回る興奮の快進撃っぷりはまた次回のココロだ~。
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たかこ・みゆき・かずこ 三代女優山陰最大の決戦 feat. ゆうこ ~映画『恋谷橋』~

2011年11月23日 15時02分11秒 | ふつうじゃない映画
 ハイどうも~こんにちは! そうだいでございます。
 みなさま、だいぶ寒くなってきましたがカゼもひかずにがんばっておられますでしょうか? もう年末も近いですからねぇ!
 まわりは体調を崩している人も多いのですが、あいかわらず頭がアレなもんで、私はカゼをひく気配もございません。

 そういえば、うまく大晦日まで逃げ切れたらなんと私、今年はなんの病気にもかからなかったことになるのよ。
 身体はそうなんですけど、この『長岡京エイリアン』をごらんいただいてもおわかりのように、私はまぁ生まれつき病気にかかり続けているようなもんなんで……プラマイ、ちょいマイみたいなもんかしら!? ちょいどころじゃないか。


 さて、そんなていたらくで病膏肓にいっているわたくしなのですが、先日、数々の病巣の中でも特に致命的なものの発作がぶり返してきました。

 いや、ただ信仰の対象となっているおたかさん主演の映画を観てきたってだけなんですけど……


映画『恋谷橋 La Vallee de l'Amour 』(主演・上原多香子 監督・後藤幸一)

 現在は、東京都内では新宿と六本木の1館ずつで上映中で、私が行ったのは「シネマート六本木」のほうでした。ちょっと大通りから入ったところにあるのですが、上映作品も多いしおしゃれな映画館でしたね。
 千葉に住んでいると、乗り換えが多い六本木はなかなか行く機会がなくて……六本木は心中のメッカだとどっかで聴いたことがあったのですが、日の出ている内はふつうの街でしたね。安心。

 いや~、それで観てきたんですけどね。

 ど~にも不思議な言い方になっちゃうんだよなぁ、観た感想が……
 あの、私そうだい自身はひっじょ~に満足しております! 冒頭、鳥取空港の出入り口からおたかさんが来迎したシーンの時点で、思わず私は「100点」のパネルを上げてしまい、後ろのお客さんにスクリーンが見えないと怒られました。

 まぁそれは言いすぎで、私も道楽で信仰しているわけではないのでちゃんとおたかさんの威光が失われていないかどうか、エンドクレジットまで厳しくチェックしつつ見入っていたのですが、おたかさんに限らず、この映画は役者さんの力にずいぶんと助けられているところが大きいな、と感じました。もちろん、そうやって役者の皆さんが良く映るということは、そのまんま製作スタッフの実力のたまものでもあるわけです。


 と・こ・ろ・が。

 私はなぜか、この映画を人にすすめることがものすんごくはばかられる気分になってしまうのです。

 何度でも言いますが、私は『恋谷橋』を存分に楽しみました。私ほどおたかさんびいきの人でなかったとしても、純粋に出演している俳優さんたちの演技を楽しむつもりで観ていたら、

「まぁまぁ、ベテラン勢も良かったし、いいんじゃない? 上原多香子も思ったより主人公ができてたし、若い人たちもヒドくはなかったし。」

 と評価してくれるのではないのでしょうか。


 説明がこの前に転載させてもらった記事とかぶってしまうのですが、『恋谷橋』は鳥取県東伯郡三朝(みささ)町を舞台とした物語で、長い歴史にはぐくまれた三朝温泉街にある老舗の大旅館「大橋」の女将の娘である主人公(おたかさん)が、20代後半という年齢をむかえて、不景気で苦しむ親の職業をつぐのか、東京都内で照明デザイナーとして自活していく道を目指すのかの選択にせまられるという筋になっております。タイトルの「恋谷橋(こいたにばし)」は三朝温泉に実在する橋で、大橋さんも本当にある旅館なのですが、もちろんおたかさんも含む経営者一家の設定はフィクションです。

 こういったお話ってさぁ。はっきり言っちゃうと完全なる「他人事」じゃないですか。

 おたかさん演じるデザイナーがどっちの道を選ぶのかはあくまでも本人の自由でして、家族や地元の仲間たちと一緒に故郷を盛り立てていくのも東京で自分の夢を追い続けていくのも、どっちが正解どっちが間違いということはないはずです。そして、最終的にそこでの選択が良かったのかどうかを判断するのは、「選んだ道をしばらく歩いてからの本人の感覚」なんですから。そういう意味では、おたかさんがその選択を決めるところで終わっているこの映画は、「主人公が選んだ道」にかんしては特にこだわっていない作品なのです。だってその結果はえがかれていないんですから。要は、「主人公が勇気をもって道を選ぶにいたった過程」が重要なんですよ。

 ということなので、「故郷か夢か」というなかなか答えの出てこない、撮りようによってはウジウジして「どうでもいいわ、そんなこと!」と見はなされてしまいかねないこの作品を、おたかさんをはじめとする豪華な役者陣でいろどったキャスティングには「お見事!」とうなってしまいました。

 すごいんですよ~。
 まず、主人公であるおたかさんの周辺がすごい。


おたかさんの母   …… 松田美由紀
母の若かった頃   …… 土屋アンナ
おたかさんの父   …… 小倉一郎
おたかさんの祖母  …… 吉行和子
おたかさんの姉   …… 中澤裕子
旅館「大橋」の板長 …… 松方弘樹
板長の息子     …… 水上剣星(みかみ けんせい)


 すごいだろ~。
 松田さんの若い頃の土屋さんは、過去のシーンでのほんのちょっとの出演なんですが、土屋さんが何十年かしたら松田さんになるっていうこのキャスティング、私はものすんごくしっくりきてしまったんですよ。特に似てはいないんですがなんか通じてる!
 また、ただでさえ出番の少ない土屋さんにほとんどセリフをしゃべらせなかった製作スタッフの英断には感心しました。夜の街にたたずむ無言の土屋さんはほんとにきれい。またここでの土屋さんがそうとうな苦悩を読みとらせるいい表情をしているのですが、その理由がまぁ~ったく!その後の物語で語られることがなかったのが非常に不可解でした。なんだったんだ、あの思いつめた顔……

 吉行さんがおばあちゃんで、松田さんがお母さんで娘が中澤さんとおたかさん。小倉一郎のDNA はいずこ?

 いや~でも、この映画でいっちばんいい味を出してたのは間違いなくその小倉さんなんだよなぁ!
 大変に失礼ながら、いっつもTV で小倉さんのことを「信頼の小者ブランド」「黄金のねこぜ」「Mr.尻しかれ」などと思っていたのですが、その小倉さんに感動しちゃったねぇ~。物語の中盤で大病に倒れてしまうのですが、い~い味わいを出してるのよ!

 ご本人の演技力以上にこの作品の小倉さんの存在意義が大きかったのは、それ以外の役者さんたちが軒並み「現実離れした外見」をしていたからなんですね。
 吉行さん・松田さん・おたかさんの三代は、はっきり言ってそれぞれの実年齢よりも大幅に若く見えます。おたかさんなんか、国宝の三徳山三仏寺・投入堂を参拝するために過酷な登山道をのぼって汗を流す姿は、デビュー時のダンストレーニング風景かとみまごうばかりの若々しさでしたよ。
 そうなると、三代にわたる美人女優の競演(中澤さんもいるヨ)は絵としては最高なのですが、「不景気に苦しむ旅館の経営者一家」や「将来の道になやむ30代手前の女性」といった部分のリアリティはないんだなぁ。
 また、おたかさんの幼なじみとして地元で生活している人たちも、水上くんを筆頭としてほとんどが美男美女だったりして。なかなか日本のどこにでもある地方都市という前提が希薄になりがちに。

 そういった面で足りなくなっている「重さ」をほぼ1人でカバーしていたのが小倉さんだったというわけ。すっごくいいたたずまいでした。

 余談ですがこの『恋谷橋』には、私が今年の夏に観た映画『大鹿村騒動記』(監督・阪本順治)でも村人として共演していた小倉さんと石橋蓮司さんがまた出てきています。2人がいっしょのシーンはなかったのですが、なんか地方都市にいそうな顔なんですかねぇ。


 女優さんときてやっぱり忘れてならないのが、三朝温泉で実現した「中澤さんとおたかさんのツーショット」ね!!

 世間的には、2人がいっしょに姉妹として談笑しながら歩いていたり温泉につかっているのを観て「うをを!」とときめく人はどのくらいいるのかはわからないのですが、少なくともあんな「ざっくりすぎるアイドルグループ史」なんて気のふれた企てをやらかしてしまったわたくしは素直に感動してしまいましたよ。

 SPEEDとモーニング娘。ねぇ。
 モーニング娘。の当時のレギュラー番組『ハロー!モーニング。』を観るかぎり、微妙に活動時期がずれているし、この2つのグループがお互いの話題を口にすることをタブーにするほど対立した関係だったことはなかったらしいのですが、やっぱり前後して日本芸能史上におけるそれぞれの一時代を築いたメンバー同士の夢の共演ですからね。キャリア的にはおたかさんのほうが先輩なのに実年齢は中澤さんのほうが上というねじれがいい感じでした。

 それはそれとして、『恋谷橋』でおたかさんの姉を演じた中澤さんは、自分勝手とも言える気ままな態度のために家族を振り回してしまうちょっとした「悪役」を演じているのですが、けっこう良かったですねぇ! 観ようによっては「なにコイツ~!?」とか「いけすかねぇ奴だなぁ!」などと感じられてしまいかねない損な役回りだったのですが、そこはそれ、そう生きるしかない30代なかば過ぎの絶妙な「をんな」を演じきっておられたと思います。

 まさか、『ハロモニ。劇場』でのあの過酷なツッコミ専属の日々がこうして女優としての大輪の花を咲かせることになろうとはねぇ……しみじみ。
 もしかしたら、『恋谷橋』での中澤さんの演技を観て「わざとらしい」ととる方もいるかも知れないのですが、中澤さんの役はあのくらい滑稽な「トリックスター」にならないと映画全体がにぎやかにならないからねぇ。あのくらいが絶妙でいいバランスなんですよ。


 さてさて。まぁこんな感じでいろいろと役者さんに関して「おもしろかった点」をあげてきたわけなのですが……

 そんなわたくしが、なじょして『恋谷橋』を人にすすめることができないというのか。

 それはねぇ。役者さんがいくら良くても、総合的な「ひとつの作品としての完成度」がきびしいんですよ。


 私ねぇ、な~んかこの映画、ほんとにそう思っていたのかどうかは別としても、製作スタッフに「ご当地映画なんだから、このくらいでいいだろ。」という甘さがあったからOK になったとしか思えないシーンやカットが多いなぁと感じちゃったのよ。

 カットとしては、やっぱり作品の目玉になっている三仏寺投入堂の映像は美麗の一言に尽きたのですが、それ以外の野外での撮影シーンで露骨にピントが合っていなかったり、カメラを横に移動させながらのアップが「ちょっと動いてアップ、ちょっと動いてアップ」のくり返しでカクカクしてたりして、せっかくの役者さんのセリフの内容がじぇんじぇん頭に入ってこないくらいに気が散る局面が多かったのに本当に驚きました。心の底から、「えっ、これをOK にしちゃうのが今の日本の映画界なんだ……」と愕然としました。

 いろいろとね、2008年から映画化が決定していたのに、実際に撮影がおこなわれたのが2010年の暮れ近くで劇場公開が2011年の秋になっちゃったという経緯からして、予算や撮影スケジュールの点でひとかたならざる苦労があったであろうことはわかるのですが、だからこそ! ひとつの「芸術作品」としてのこだわりを『恋谷橋』につぎこむプロの漢気(おとこぎ)が観たかったです。

 少なくとも、うまいうまくないは別にしても、俳優のみなさんからテキトーにやっている気配はみじんも感じられなかったのですが……ほんとに厳しい言い方をしてしまいますと、製作スタッフがこの映画を「日本全国や全世界に評価を問うことができる映画」にしようとして作っているのか、それとも単なる「地方の町おこしのPR ドラマ」としてしか作っていないのかがわからなくなる、どうしようもない甘さが感じられたんですよ。

 なんか熱の入れ方がバラバラなんですよ。あるシーンでは「どうやら地元にいる有名人らしいしろうと」にセリフをしゃべらせる「ご当地映画特有」の苦笑い演出を入れているのかと思えば、あるシーンではぎょっとするような非現実的な特殊効果カットをさしこんでいるし、三朝温泉を全面的にバックアップした映像を盛り込んでいたかと思えば、地元の人なら首をかしげざるを得ないような役者さんの所作もそのまま撮影に採用されているし。

 あのシーンの、ストッキングねぇ……いや、おたかさんがストッキングを履いたまま入った足湯の残り湯を手にしたものは世界を統べることができるという「ロンギヌスの槍」的な効能があるから、おたかさんは履いて入ってもいいのかもしんないけどさぁ。
 あと、三仏寺の登山道は本当に危険だから、1人でのぼっちゃいけないことになってるんですよね?
 どちらも、映画の中では重箱のすみをつつくように小さなポイントなのですが、ここで矛盾の無い応用をきかすのがプロの脚本力だと思うんですよ。地元の人が守っているルールを無視しちゃダメよ。

 ちょっとしたことなんですけど、鳥取砂丘のシーンはせっかく抜群に幻想的なロケーションだったのに、緑地化して水たまりができているスペースが堂々と映り込んでいたのはがっかりしちゃったなぁ。風紋のカットとか、おたかさんの悩むかんばせにマッチしてものすごく良かったのに。


 なんかね、この映画を観て「あぁ、こんないい映画を撮るプロが日本にいるんだ!」と世界のどこかで誰かに感じてもらえるかも知れないステキな可能性を、作り手自身が勝手に自分で握りつぶしているような気がするんだな。

「こんなんでいいでしょ。こっちもツラいんだよぉ~。」

 なんていう言い訳、プロの口から聞きたくないじゃないですか。言い訳するならするで、ちゃんとおもしろく言い訳をしていただきたい。


 ましてや!! この『恋谷橋』はァア!! かけまくもおたかさんの「初主演映画」であらせられるゥウアッシャァアア!!


 「あぁ、いろんな人たちの顔色をうかがいながら作っていくのが映画なのかなぁ。」という部分はかなりリアルで身にせまるものがあったのですが、「商業作品」であることはよくわかったから、「お金がどうこういう次元の産物じゃない、観る人に夢を与えてくれる」ほうの一面がもっと観たかったなぁ、と思った今回の『恋谷橋』なのでございました~。


 次におたかさんの御姿をスクリーンで観られるのは、いつのこととなるのだろうか……それまでは、死ねぬ。
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萌えてる場合じゃない第5期『ゲゲゲの鬼太郎』の挑戦 ~ぬらりひょんサーガ 第25回~

2011年11月21日 14時58分54秒 | ゲゲゲの鬼太郎その愛
《前回までのあらすじじゃありません》
 いんや~、この前の土曜日は台風みでぇなとんでもねぇ天気の日だったんだげどよぉ。
 そっだらながでも無理して東京に行って人に会ったんだげんとよ、まぁ~いい時間すごせだずね。
 そうとう久しぶりに会ったんだよぉ。それもきっかけがこの『長岡京エイリアン』なごんだがらありがでぇこったよぉ。
 つ~ぐづぐ続げでよがったもんだなやぁど思ってよぉ~、まんず。
 そしたらそっだらごどでひとづ、よっこらせ~のせっどおっぱずめでみっべがね~。すぎな人はよってみでけらっしゃい。


 21世紀に入ってしばらくたち、我らがぬらりひょん先生もゲーム、映画、マンガとあらかたのメディアでの活躍を果たしたのですが、「妖怪ぬらりひょん」という存在の変わらぬ知名度を確認することはできたものの、いまひとつ新世紀のあらたなるヴィジョンを打ち出すことができないという物足りなさにさいなまれていました。逆に言えば、それほどに前世紀、特に太平洋戦争終了後の文化の中で成長・拡大してきたイメージには強固なものがあったのです。

「うむむ……時代は情報過多社会。早く21世紀ヴァージョンのわしを提示せねば、あっという間に『昔ブイブイ言わせていた古くさい妖怪』ということでボデコンスーツなみにお払い箱になってしまうわい。そんなことでは妖怪総大将どころか、打倒鬼太郎もままならぬことに……そんなこっちゃいかぁ~ん!!」

 悩むぬらりひょん先生でしたが、ついにその問いに答えを出すこととなった場こそが! 「アニメ版『鬼太郎』シリーズ10年周期説」にのっとって始動することとなった、

アニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』(2007年4月~09年3月 全100話)

 だったのであります。萌え萌え猫娘~!!


 2011年現在の時点では最新シリーズとなっているこのアニメ第5期をご記憶の方も多いかと思うので、説明は簡単なものにとどめておきたいのですが、「水木しげるの原作マンガへの回帰(と言いつつも紆余曲折あったことはもう触れましたね!)」を標榜した1990年代のアニメ第4期(主演・松岡洋子)の次に世に出ることとなったこの第5期は、またその第4期からの反動ででもあるかのように、随所であのバブリー第3期を想起させるような「悪の妖怪たちとの激しいバトルアクション」を展開させる、かなりハデハデなシリーズとなりました。

 これはもう、そのまんま水木ワールドからの自由な飛翔を良しとする作風を意味しており、さらに、第5期のシリーズ構成をつとめたのが『週刊少年ジャンプ』で連載されていた『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の原作者として有名な三条陸(42歳)と、「平成ウルトラシリーズ」の諸作であの膨大な情報量のウルトラシリーズの集約を試みた脚本家の長谷川圭一(45歳)だったことからも予想がつくように(放送3クール目の第27話からは三条の単独)、過去のアニメ版『鬼太郎』で採用されていた先行作品のリメイクだけではおさまらないような、未だかつてない嵐の予感をさせるものでもあったのです。

 同時期にリアルタイムで連載されていた原作マンガをストレートにアニメ化していた第1・2期はさておきまして、それからある程度の歳月が経ってからの制作となった第3・4期は基本的に、「それぞれの時代での物語」として過去の原作を作りかえるというアップデート作業をおこなっていたということはこれまで何度となく言ってきました。第3期はバブルニッポンのかかえていた問題をうまくエピソードに組み込んでいましたし、第4期も不景気ニッポンの「フハッ……」なため息が聞こえてくるような名作エピソードの数々を生んでいたのです。

 つまり第3・4期は、パッケージのアレンジ具合に大きな差はあるとは言え、どちらも「偉大なる水木ワールドの骨子をいただく」という姿勢では同じだったと言えるんですね。

 ところが! アニメ第5期はど~うもそのパターンにのっとっていないようなエピソードの目白押しだったんですなぁ~。要するに、どこにも「水木テイスト」が残っていないオリジナル脚本ストーリーの分量がハンパなく多いんです。
 もちろん、オリジナル脚本のエピソードは以前のシリーズにもあるにはあったのですが(第4期の『ラクシャサ』『言霊使い』『三匹の刺客』など)、あくまでもファン向けの感謝サービスか時間つなぎといった役割の少数にとどまっていたはずです。

 でもねぇ。アニメ第5期はのっけの第1話から原作マンガの存在しないエピソードなんですよ。

 記念すべき21世紀最初のアニメ『鬼太郎』第1話『妖怪の棲む街』(2007年4月)は、登場するゲスト妖怪「水虎」こそ、原作マンガ(1966年1月発表)で非常に印象的な水と氷の舞い散る名対決を鬼太郎と演じたり、そうかと思えばケロッとカムバックし、中国代表として「世界妖怪ラリー」に参戦したりした経歴のあるおなじみのキャラクターなのですが、ストーリーもデザインもまったく違うオリジナルなものとなっています。

 そんなことだったので、ちょっと気になって自分の記憶と確認できるかぎりの資料をひっくり返して調べてみたところ、アニメ第5期は「原作ありエピソード」と「オリジナルエピソード」との配分に、過去シリーズにはついぞなかった驚くべき変化が発生していたのです。

 どうしても判断が私そうだい個人のものとなってしまうので、絶対的にこのパーセンテージが正しいとも言い切れないのですが、おおよそはこんな感じ。


アニメ第5期全100話中、

1、水木しげるの原作マンガを比較的忠実にアニメ化したエピソード
 ……『ゆうれい電車』『牛鬼』『釜鳴り』『地獄流し』など「13話(13%)」

2、水木しげるの原作マンガのゲスト妖怪だけを抽出して内容はほぼオリジナルになっているエピソード
 ……『水虎』『夜叉』『海座頭』『のびあがり』など「30話(30%)」

3、水木しげるの原作マンガに脇役として登場していた妖怪をメインゲストにすえたオリジナルエピソード
 ……『がしゃどくろ』『雪女』2話 『グレムリン』など「7話(7%)」

4、水木しげるの原作マンガにまったく登場したことのない妖怪がメインゲストとなった完全オリジナルエピソード
 ……『沼御前』『しょうけら』『鵺(ぬえ)』『七人ミサキ』など「50話(50%)」


 これに驚愕しない『ゲゲゲの鬼太郎』ファンがいるかって話なんでございます。8割以上オリジナルかよ!!
 要するに、アニメ第5期『ゲゲゲの鬼太郎』は、それまでの「原作リメイク路線」のアニメシリーズとはまったく趣向の違う「オリジナル続編路線」だったのでございますね。ただただキャラクターのデザインが萌え~になっただけ、とかいう表層だけの変化ではなかったのです。

 さぁ、これをもってアニメ第5期の評価をどうするか。
 なかなか難しいところですし、原作マンガが大好きなわたくしも申し上げたいことは多々あるんですがァ! この企画はアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズの検証じゃなくてあくまでも「ぬらりひょんサーガ」ですので、こういった第5期の果敢な挑戦がどういう結果をもたらしたのかは、それぞれ作品をご覧になったみなさまの判断にお任せしたいと思います。
 あの、私は特にイヤだとは思っておりません。ひじょ~に楽しませていただきましたよ! 『ゲゲゲ』ファンとか関係なくてもおもしろい回、けっこうありましたしね。

 実際、「原作リメイク」路線に舵をとったとしても、すでにアニメ第3期と4期という大きすぎる先例があったわけでして、「昔の方がよかったなぁ~。」とか言われて大事なところを観てもらえなくなるのではなかろうか、という制作スタッフ陣の考慮もあっての第5期だったんじゃないかとも思えるんです。

 シリーズ構成を手がけた三条・長谷川両氏の構築した第5期の「世界観」も、これまでのアニメシリーズにはない、非常に野心的でアグレッシブなものがありました。

 今回、この「ぬらりひょんサーガ」に重要なかかわりがあると私が判断した第5期初のこころみは「2つ」あります。
 それは、「過去のシリーズの『歴史化』」と、「正義と悪の『集団戦化』」。字ヅラほどこむずかしいもんじゃありません。


 まず最初の「過去のシリーズの『歴史化』」というのは、21世紀にリアルタイムの日本で展開されているアニメ第5期の世界から見て、戦後間もない1950年代から始まった「鬼太郎サーガ」の過去の諸作品が同じ歴史上にあったことになっている、ということなんです。
 これは、基本的にそれ以前の話がまったく語られず、過去の原作マンガの世界が「ない」ものとしてリセットされていたアニメ第3・4期それぞれの姿勢とはまったくおもむきの異なるものとなっていますよね。
 簡単に言うと、1980年代にオカリナムチをビュンビュン振り回して若さゆえのジャスティスを炸裂させていた戸田鬼太郎に、1950年代に誕生した墓場の鬼太郎としての過去はなく、1990年代に口を「3」の字にして昼間っからグーグー寝ていた松岡鬼太郎に、原作やら野沢鬼太郎やら戸田鬼太郎時代の記憶はまったくないという設定になっていたのですが、アニメ第5期に活躍した高山みなみ鬼太郎はどうもそうじゃなかったらしいんだなぁ。

 エピソードとしてこのあたりがはっきりと言及されていたのは、第42話『オベベ沼の妖怪かわうそ!』(2008年1月放送)で、それともうひとつ、第32話『上陸!脅威の西洋妖怪』(2007年11月放送)以降、最終回付近にいたるまで鬼太郎ファミリーをおびやかす存在となり続けていた「西洋妖怪軍団」のキャラクター設定にも見逃せないものがありました。

 ざっくり説明しますと、アニメ第5期ですっかり番組のレギュラーメンバーとなった妖怪かわうそとの最初の出会いとして、鬼太郎が原作マンガ『オベベ沼の妖怪』(1968年6月発表)の内容を回想しており、第5期の世界で大活躍する西洋妖怪軍団の中核メンバーは、かつて原作マンガ『妖怪大戦争』(1966年4~5月発表)で日本の鬼界ヶ島に殴り込みをかけた西洋妖怪軍団の「子か孫」ということになっているのです(ただし、バックベアードは現役でフランケンシュタインの人造人間も改造された本人)!
 そう考えてみると、原作の印象に比べてだいぶ人間なれしてファッショナブルになった猫娘のソフィスティケイトっぷりも、もしかしたらそれだけの社会経験をつみかさねたからってことだったのかも知れませんね。原作じゃあ小学校低学年くらいだった体格も中学生くらいになってたし。半妖怪である猫娘は人間に比べて成長がゆっくりらしいんですが、40年生きてやっと身長が10cm アップって、うれしいんだかうれしくないんだか……

 さらには他ならぬ主人公・鬼太郎も、おりに触れては「だいぶ昔から、おそらくは原作マンガどおりの1960年代から活動している」ニュアンスの発言を重ねているのです。
 原作では鬼太郎は「1954年生まれ」ですからね。「見た目は子ども、中身は大人」。う~ん、さすがは高山鬼太郎だ!!


 さて、もうひとつの「正義と悪の『集団戦化』」のほうがどうなのかと言いますと、これはもう読んで字のごとく、正義チームも悪者チームも、どっちもかなり大人数の徒党を組むようになったっちゅうことなんですな。

 これはもう実際に1話だけでもアニメ第5期のエピソードを観ていただければわかるかと思うのですが、まず最初の設定として、鬼太郎ファミリーの人数が増えている!
 第5期の鬼太郎ファミリーは、ただ鬼太郎の住んでいる「ゲゲゲの森」にちょいちょい顔を出すツレ何人か、という規模ではなく、さらにその森に隣接している「妖怪横丁」に居住している無数の妖怪たちをも含むようになっているのです。
 「妖怪横丁」とは、人間が容易に立ち入ることのできない人間界と地獄とのはざまにある第5期オリジナルの異次元空間なのですが、そこには人間社会にきわめて似たかたちの妖怪の社会があり、妖怪にとっての人間界からの避難スペースであったり交流場所だったりするのです。ちなみに、横丁の実質的なリーダーはそこにある「妖怪長屋」の大家である砂かけ婆のようです。
 ともあれ、ここにいる「かわうそ」や「ろくろ首」、「夜行さん」といった妖怪は第5期のレギュラーメンバーとして鬼太郎をサポートしており、特に第26話『妖怪アイドル!?アマビエ』(2007年9月放送)以来この横丁に住み着くこととなった九州出身の予言妖怪アマビエは、原作マンガに1回も登場したことがなかったのにも関わらず、持ち前の押しの強さで第5期屈指の名キャラクターになりおおせることができました。う~ん、「鬼太郎サーガ」のYAZAWA と呼ばせていただきたい。

 これに加えて、日本全国47都道府県の代表妖怪たちが一堂に会して鬼太郎を助けるという「妖怪四十七士」なる構想までもが後半に持ち上がってきてしまったため、鬼太郎ファミリーはふくらみにふくらむ一方。おまけに地獄の閻魔大王までもが地獄官庁全職員をあげて鬼太郎を応援するという安心のバックアップ体制なんだからと~んでもねぇ。

 ただ、鬼太郎がそうするのならこっちだって! と一斉蜂起したのが悪者妖怪勢のみなさんで、さきほどにも触れたバックベアード率いる新生西洋妖怪軍団に「九尾の狐の弟」ことチー率いる中国妖怪軍団に沖縄妖怪アカマタ率いる南方妖怪軍団とよりどりみどりの天湖森夜。


 そしてそして、今回やっと名前が出てくるのですが、そんな悪者妖怪チームの中でも特にクールで硬派な雰囲気をはなっていたのが、我らが総大将の「ぬらりひょん一味」だったというわけ!!

 はぁ、はぁ……やっとここまできたと思ったら、もうこんな文量っすか!?


 ということで、ついに新たなる歴史の奔流に身を投じることとなったぬらりひょん一味の新たなる全容につきましては、また次回ということで。
 忘れちゃいけない第5期キーワードは、「過去の歴史のつみかさね」と「ファミリーの巨大化」ね~!!

 じぇんじぇんぬらりひょん先生について語ってねぇよ! ま、真の妖怪総大将への覇道は、あせらずゆっくり~ん。
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