長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

お~……

2011年07月31日 21時57分04秒 | 日記
 いやぁ~……今月もつかれたね。

 もう3ヶ月やってんだぜ。「第41回」て!
 何度も言うけど、前の企画が「全8回」だったんですからね。5倍になるかね、しかし!

 「アイドル戦国時代」という言葉を身をもって思い知りました。
 でもさぁ、今月に取りあげたあたりの世代は、モーニング娘。のみなさんとか、まだ全然、時の砂に埋もれた存在になってはいないのね、グループそのものが。
 解散さえしていないところもあれば、それ以前にブレイクもしていないところもある。

 明日なにかのはずみで大いに名を挙げるかもしれないし、逆に不祥事が起きて活動できなくなるのかもしれない。
 まさに戦国、よねぇ。

 まだ歴史になっていない段階のみなさんをつづった今月分あたりの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」も、何年かたってから見たらずいぶんと中途半端で、でも今とはちょっと違ったおもむきで楽しめるものになってんのかもね。
 だとしたら、この日記とはとても言えない駄メモの集積も、やっぱり「2011年の何月何日にこんなバカなことをやってた人」の姿をおさめた日記になるんだろうね~。

 う~ん、「時間」はロマンだ。

 あ、あと、さっき見てみたら、この『長岡京エイリアン』って、今日で「開設から362日」なんだって。

 ……

 あら、そう~。バリ、ボリ(せんべい)……
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ヘンなタイミングですまん!! 『大鹿村騒動記』がよかったから

2011年07月30日 23時05分38秒 | ふつうじゃない映画
 おーぱっきゃまらーどーぱっきゃまらーどーぱーおーぱーおーぱんぱんぱん、っときたもんだぁ。
 どもども、こんばんは。そうだいでございます~。蒸すわねぇ!

 いや~、本来ならば、今回の『長岡京エイリアン』のお題は順当に「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きのはずだったのですが……

 なんということか! 昨日やらかした「桜木町恨道中2011入店(さくらぎちょううらみのみちゆきとうぇにいいれぶん・にゅうてん)」が、思いの外みのりの多いハイキングになったので、なんともタイミングの悪いことながら、モーニング娘。総まとめの真ん中にどすーんっとおいちゃう感じでこのあたりのことをつづってみたいと思います。
 さらにタイミングの悪いことに、うすうす今月の中ごろから「やば……もしかして?」と思ってはいたのですが、この中断のおかげをもちまして、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の堂々完結は、めでたく実に中途半端なかたちで来月8月にズレこむこととあいなりました。
 中途半端も中途半端、8月に入ったらたぶん、2~3回くらいで終わっちゃうからね。なに、この「チョビッとあまっちゃった。」ていう月またぎ感!?

 でも、しょうがないのよ~。哀しいけど、これ、個人ブログなのよねぇ。
 きれいにやるのならば、昨日のことはまた、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」が大団円をむかえてからゆっくりやればいいのかも知れませんが、そんな理性的で器用なことはわたくしにはできません。

 申し訳ない! でもねぇ、よかったのよぉ、特に桜木町の映画館で観た映画『大鹿村騒動記』が!!


 最近はもう毎月のようにやることにしている、「桜木町を最終ゴールとした、東京方面から見て約15キロ手前の駅から徒歩で向かう」という「桜木町恨道中」。

 自分で言うのもナンですが、まったく意味不明です。
 普通の方が聞いたら「なんで、また……」と私の正気を疑うでしょうし、シャーロック=ホームズが聞いたら、絶対に私がなんらかの『赤毛連盟』なみのなぞの犯罪計画を進めていると確信するでしょう。探偵さん、おらぁなんにもやっちゃあいねぇよ~。

 もうね、タイトルにもあるとおり、「恨み(やつあたりです)」が最初のきっかけになっていたこのハイキングなのですが、もうそんなことはどうでもよろしい。これをやることの明確な目的は「自分の中の桜木町のイメージを良くする」ということだったのですが、それはとっくの昔にクリアされてしまっております。それでも続けてるんですから、もうやること自体が楽しい月課(日課じゃないから)になってるんですね。たーのしいーっ。股関節がガタガタになるけど。

 そうそう! 毎月15~20キロ歩いてるとね、足はだんだん丈夫になるから血マメができたり筋肉痛になったりはいちいちしなくなるのですが、とにかく股関節のフル稼働感はぬけないんですねぇ。もう自分の身体がガンプラになった感じ。スポーンッ、カラカラ……って足が抜けそうになります。アスファルトの地面は固いからね~。

 今回は東急東横線の「綱島駅」(神奈川県横浜市港北区綱島)を下車してから桜木町を目指して出発しました。直線距離にして11キロ。
 県道2号線、いわゆる「綱島街道」を南下して桜木町に向かうのは今回で2度目なのですが、昨日あたりは「雨が降る雨が降る」とさんざん予報されていたので、そんなに暑くなることはよもやないだろうとタカをくくって傘を片手に千葉を出発しました。

 かつて劇団に所属していた時には、東京での公演のためはもちろんのこと、なにかしらの用事で電車を使う機会も多かったのですが、最近はこんなふうにむりくり自分で予定でも作らないと、電車に乗ることはめったになくなっちゃうのよね。
 そういうこともあるので、たまに乗ると電車の中におもしろい人でもいないものかと、ついつい同じ車両の面々をそれとなく視界に入れてしまうんですね。いや、「それとなく」よ!? あからさまにやったら捕まっちゃうご時世ですから。

 そしたらね~、あったあった。ちょっと目にとまった不思議なやりとりが。

 これ、私のストーリイテリングでみなさまにどれだけ伝わるのかは非常に不安なのですが、私はほんっっっっとに! おもしろかったのよ。


 その時、車両はなかなか混んでまして、座席はすべて埋まっていて吊革で立っている人数も多くなっていました。

 ある駅に着きまして、座席にすわっていた50代なかばのスーツ姿の会社員らしい男性が立ち上がり、あわただしく下車していきました。
 その時に、彼が去ったあとに座席にポツンと残されていた扇子を、前に立っていた上品なおばさまがた2人が見つけたんですよ。たぶん、座っていたうちに彼のポケットからすべり落ちてしまったのでしょう。

「(互いに顔を見あわせて)あら、これ……」

 ご婦人のおひとりはあわてて扇子を手に取りますが、下車した会社員の姿はすでにホームの遠くへ。
 困りました、降りて渡そうとしても追いつけるかどうかわからないし、だいいちご婦人の足で電車が出発するまでの短いあいだに車両に戻ってこられるのかどうかもわからない。
 扇子を持って当惑するお2人。そうしているうちにも会社員の姿は遠ざかり、電車の停車時間も刻々と過ぎていきます。
 どうすればいいんだ!? ささいなことながら微妙な空気が車内に流れます。

 するとその時! なんと、そのお2人の真ん前、つまり、扇子を置き忘れた会社員の隣の座席にすわっていた青年がスクッ!と立ち上がった。
 いかにもふつうの大学生風。メガネをかけてイヤホンを耳につけたさわやかな男性です。

 まさか。扇子を受けとってホームに降り立ってくれるというのか!? おのれの身を挺してこの難局を打開する。キリストかこやつは?
 車内の空気が「おお……」と引き締まるなか、青年はご婦人にこう告げました。

「(自分の座っていた場所をさして)あの、よかったら座ってください。」

 !!!! 関係ねぇ!!

 ぷしゅ~。その直後、ふつうに電車の扉はしまりました。

「あら……どうも。」

 かなり釈然としない表情を浮かべたまま、ご婦人2人は青年のどけた座席、つまり会社員のいたスペースもあわせて2人分のあいた場所に腰かけました。所在なげに男ものの扇子をにぎりしめながら。

 そうか青年……イヤホンしてたし、扇子のくだりはぜんっぜん見てなかったのね。
 あのさ。好意はありがたかったんだけど、「その好意」は今はいらなかったんだ! いや、うれしい! うれしいよ!?

 ……わかります? このズレズレ感。私もう、たまんなくってさぁ!!

 あのねぇ、私、「空気読め!」とかっていう言葉、好きじゃないんですよ。私が空気読めないから。「空気」ってなんだよ、って話で。
 このエピソードにはげしく感じ入った私はあらためて認識しました。「私、空気読めない人すき!」おもしろいねぇ~。


 まぁこんな感動もありつつ、綱島駅を下車して始まった今回のハイキングだったのですが……

 雨、ぜんっぜん降らなかったね。あっちいし。

 思い出しました。綱島街道は起伏が大きいのよ! 「山」って言っていいかどうかわかんないんですけど、大倉山と菊名で2ヶ所のアップダウンがあるんでした。
 直線距離は11キロなんですけどね……やっぱそれなりに疲れちゃったなぁ~今回も。
 時間はだいたい2時間くらいでしたね、桜木町まで。まぁタイムは上々だったでしょうか。雨降ると思ったんだけどなぁ。

 で、恒例行事として桜木町からさらに片道2キロ歩いて「あるお店」に行くというミッションも遂行したのですが、こっちはやりはじめてから4回目ぐらいでしょうか。なんと今回はじめて「成果」らしいものが得られたんですよ!

 夕方6時ちかくにお店に行ったら、開いてた! お店が! いた! 店の方!
 うれしいねぇ~!! やっと人に会えたね~。

 私の「計画」とは、そのお店で買い物をすることです。そして、ついでにそのお店の「さるお方」に会うこと。うむむ、買い物とその方に出逢うことは、どっちも同じくらいに重要な目的となっています。
 このへんの話はいつこの『長岡京エイリアン』で公表することができるのか。「買い物」の話と「出逢う」話、これ、お互いまったく別の案件として秘密裏に進めていきたいので今は明らかにできないんですけど……まぁ、なんらかのおもしろい展開があったらご披露ということで。

 んで、待望の「入店」に際して、そのお店にいらっしゃった方は、「そのお方ご本人」ではなかった。ひっぱるよねぇ~!!
 昨日はお店にいた方にもろもろの商品説明をしていただき、近日中にまた私が出向いてあらためて初のお買い物としゃれこむということとあいなりました。
 そして、その日には「さるお方」もそのお店にいらっしゃると。

 ……緊張するなぁ……おぼえてるかな、私のこと。いっそ、忘れてくれているほうが……

 ドキドキするよね~! おとこ31歳、眠れない日々が続くよね~。或る阿呆の夜はふけてゆきます。


 でよォ、やっと本題に入るんだけどよォ、話はそのあと観た映画のことなんだィ。

 いつもどおり、また桜木町に戻って、駅の近くにあるビル内のシネコン「ブルク13」で映画を観ることにしました。食べたジェラートは「ピンクグレープフルーツ」。おいしゅうございました。
 で、ちょうど上映時間がぴったしあっていたので選んだのが!

『大鹿村騒動記』(監督・阪本順治 主演・原田芳雄)

 いやぁ~……これだけは観ておきたかった。「特別料金1000円」という設定も非常にありがたかったし。私はずかしながら、実は『どついたるねん』や『顔』で有名な阪本監督の作品をまともに観るのは初めてだったんですよ。

 おもしろかったねぇ~!!
 これは断じて言わせていただきますが、奇しくもついてしまった「名優・原田芳雄の遺作」という付帯条件は私の評価とはまっっっったく!! 関係ありません。
 だいいち、この作品に登場する原田さんにそんなにおいはひとっつもしない。実際、撮影がおそらく去年の秋であるらしい描写が随所に見られるので、闘病中だったとはいえ体調も今年とはだいぶ違っていただろうし、スクリーンに映っている原田さんはもう、ノリにノッた「原田芳雄ここにあり感」全開で長野県の大鹿村(おおしかむら)という実在の村を縦横無尽に駆け回っていました。

 かっこいいですよ~。だって、70歳をこえた老人であるはずの人が、嵐の吹きすさぶなか、

「たかこォオ~! たァかァアくうゥォオおお~!!」

 と絶叫しながら、いなくなった妻の姿を捜して疾走するんだぜ!? くうぅ~。

 この作品はなにかと、およそ300年前から大鹿村に実際につたわっている伝統芸能「大鹿歌舞伎」が物語の中心にすえられているという部分が話題となっていますし、事実それは確かにそうなのですが、私がとにかくおもしろかったのは、その年に一度だけ開催される農村歌舞伎にいたるまでに流れる大鹿村の日常の描写でした。

 秋の収穫を祝う行事として村人が総出で役者も裏方もつとめる歌舞伎が興行されるわけなので、山の木々は紅葉に美しく色づき、ある人は農作業の追い込みにいそしみながら演じる役のセリフをつぶやき、ある村役場の役員は「地デジアンテナつきテレビ」への交換をスピーカーで呼びかけながら軽トラックで村をのったらのたらと練り走る。
 村全体は2045年に敷設されるという「東京・大阪直通リニアモーターカー」の停車駅を誘致するかしないかという問題で二分されているものの、

「ンなこたァいいから、はやく稽古しようぜェ。」

 という看板役者の原田さん(ふだんはバイク旅行者向けのシカ料理食堂を経営)の一言でしぶしぶ会議をおひらきにするというぐだぐだ感。

 そういった、300年の伝統と今そこにある21世紀の問題というあたりが混在しているようでぱっかり分離している大鹿村に、原田さんの元親友(岸部一徳)と、彼と駆け落ちして失踪していたはずの原田さんの妻(大楠道代)がふらっと戻ってきたところから映画の物語は始まるわけなのですが。

 いやぁ~、いい喜劇を観ました。
 「伝統」と「村の現状」と「過去のロマンス」という、たった今さしせまって困っているわけではないんだけど、確実に頭痛のタネになっている3つの問題の並立にほんろうされる面々の姿がおもしろいおもしろい。

 このあたりの「困っちゃいねぇんだけど……困ったなぁ。」という「立ちつくし感」から喜劇を生み出すことは、なまなかな演技力の俳優さんには不可能な繊細な作業であるはずなのですが、それをなんなく演じきり、観客に安心して肩の力を抜かせてくれる俳優陣には本当に脱帽でした。
 原田・大楠・一徳の三角関係はもちろんのこと、三国連太郎、石橋蓮司、小野武彦、佐藤浩市、松たか子……三国さんと浩市さんは父子役ではありません。
 物語の重要なキーマンとなる大楠さんと三国さんの2人はちょっと他の人たちとは違う立ち位置なのですが、それ以外の村人のみなさんはとにかく、決して「気を抜いている」わけではない、「力を抜いたように見せる演技」の競演を見せてくれていました。予算ばっかガチャガチャかけた作品では観られない牧歌的な雰囲気ができていてとってもラク~に楽しめました。

 特に良かったのがねェ~、やぁっぱり、でんでん!!
 でんでんさん、いいわぁ~。『冷たい熱帯魚』を観てしまった人って、けーっこう、「まさかとは思うけど、この映画でもまたでんでんさんが『裏でんでんコード the BEAST』を発動させるんじゃないかとな~んか気になっちゃう」症候群にかかっている方、多いんじゃないでしょうか。私はテキメンにそうです。
 でも、もちろんそんなわきゃあないわけなんですが、この映画でのでんでんさんはボケもするしツッコミもするし、とにかく「ごくふつうの良識あるトボけたおじさん」ならではのフットワークの軽さを発揮させています。リベロ。うん、『冷たい熱帯魚』でああいった役を演じきった実績がついた分、今のでんでんさんは現在の日本映画界でも最高の「おじさん俳優リベロ」になっています。

 まぁとにかくね、いろいろ言いましたけど、この映画の良さはとにかく「スケールは大きくなくても現場の一致団結感がすばらしいアンサンブル」! こういうことかと思います。
 もちろん「主役・原田芳雄」や「農村歌舞伎の舞台裏」もいいわけなんですけど、それ以上に語ることができる良さがもっといっぱい散らばっている豊かさがあります。

 それでも1ヶ所だけあげさせてもらえれば、映画後半の要所要所で重要となってくるキーワードの、

「仇(あだ)も恨みも これまで これまで」

 という言葉は、原田さんの持ち味と歌舞伎のヒーローのあり方が見事にかさなりあった(決して「融合」ではない)素晴らしいセリフになったと思います。

 これは原田さんが演じる歌舞伎の主人公「悪七兵衛 景清」(あくしちひょうえ かげきよ)の名台詞で、

「今までこだわり続けていた、自分にとっての正義だった復讐心も個人的な恨みも、きれいさっぱり捨ててやる。」

 という意味の、いかにもヒーローっぽい割り切りの爽快な意思表示なのですが、これをあの原田芳雄が発すると、

「ンなこと言ったって、そんなにあっさり忘れられるワケねぇだろ、ばかやろ。」

 という、実に! じっつに愛らしく人間らしい表情のつぶやきをありありとにじませたセリフになるんだからいいんだよねェ。矛盾じゃなくて、それが人間なの! というメッセージがじんじん伝わってきます。感動。

 私は大笑いさせてもらえたなぁ。一緒にいたお客さんも、多くは私よりも年上に見えるご夫婦やサラリーマンだったんですけど、みんなでワハハッと笑うシーンはいたるところにありました。
 もしかしたら、若い人、あるいは山奥の村という設定にピンとこない人が観たら、「よくわかんないなぁ。」や「ぬるくて飽きちゃう。」という向きもあるかもしれません。それに反論するすべは「よく観て!」と言うことしかないのですが、少なくとも私は、この『大鹿村騒動記』を観て笑うことができる人間に自分がなれたことを非常にうれしく感じています。トクしてんだもんねェ~!

 若いと言えば、このレベルのアンサンブルに加わることができる俳優さんが、松たか子さん「以上」の年齢に限定されてしまっていたことは、それ以下の年齢の私としては多少は残念な気はしました。若い人としては瑛太さん(28歳)も出演しているのですが、ほとんど他の俳優さんとからまないカメオ出演のようなあつかいでしたし。
 もう1人、これはもう見るからにおさない冨浦智嗣(さとし)くんという20歳そこそこの青年がけっこうな重要度で出ているのですが……まぁ、これからの成長に期待ということで!
 人によっては、この冨浦くんが演じている役柄の複雑ゆえの未熟さに「キツいなぁ……」と感じる人もいるかと思うのですが、私はそこらへんは苦痛にはなりませんでした。
 なぜなら私自身が、冨浦くんの役柄、というか冨浦くんがかかえている身体的特徴にはげしく共感できる部分を持っているからなのです。「イケメン」っていう部分じゃないよ!?


 『大鹿村騒動記』、おもしろかったですよ~。希代の「原田芳雄俳優」原田芳雄の一世一代の花道でございます。なるべく多くの人数で笑って送り出してさしあげましょ~!
 原田さんの生涯最後のショットとなったラストカットは、実に原田さんらしい味わいのものになっています。いいよ~、ぜひともスクリーンでご覧ください。そして、あなたも「はへ?」ってなって。


 ということでいつにない収穫の多さで終わった今月の桜木町ツアーだったわけなのですが、

 来週、また桜木町に行きます。「あのお店」でお買い物をするために。そして「あのお方」に逢うために。

 次はどの駅からどのルートで行こうかナ~? あぁ、緊張する。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第41回 『モーニング再び。 2010年以降 資料編』

2011年07月28日 23時30分18秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 はい~どうも。

 そうだいはちからをためている……

 っときたもんだ~い。
 やりますよ~、今月もねぇ! なんか、ここ数日は雨が降りつつも気温のおだやかなお天気になるらしいんでね。炎天下での20キロ行は前回さんざん味わわせていただきましたんで、もうちっとおだやかにまいることにいたしましょう。映画も観たいものがいくつかたまってきましたんでね。どれにしようかなぁ~。

 ミッチー公、結婚おめでとうございます!
 しかし、公には完全にやられてしまいました……ニュースを聴いた時、自動的に私は「ふうん、あねさん女房かぁ。」と思いこんでしまったのですが、よくよくお2人の年齢を見てみて「ぜんぜん年上じゃねぇ!」
 さすがは元王子。ちなみに公は、1998年8月22日に富士急ハイランドで「王子」位をしりぞかれておられます。
 結婚記念にまた『民俗探偵八雲なんちゃら』やってくんないかなぁ。私、テレビ朝日の金曜夜11時のドラマ枠であれがいちばん好きだったんですよ。

 こういう時代だからこそ、他の人のものでもおめでたい話題はありがたいですよね。
 この前も、久しぶりに知人と彼女の10ヶ月のご長男に会って生きる活力をいただきました。身のまわり、子どもふえるよね~! 週末にも2人のお知り合いの子どもたちに会う予定です。


 さぁさ、さまざまな局面でニュージェネレーションがあらわれつつある2010年代。今回の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」は、1997年の結成から波瀾万丈の歴史をあゆんできたモーニング娘。の2011年現在にいたる流れをみていきたいと思います。
 感慨深いっすねぇ。なんだかんだいって、この40回あまり続いている「アイドルグループ史」のだいたい20回あたりからモーニング娘。のみなさんは登場してきていましたからね。ほとんど半分よ!?

 「私情をはさみたくない」としょっちゅう言っている私ではあるのですが、やっぱり私の青春とほぼかぶる時期に活躍したモーニング娘。という影響も多少はあったのかな……
 でも、今回の調べで私は痛感しました。

「おれはモーニング娘。の『モ』の字をうつ時の子音の『m』さえも知っちゃあいなかった!!』

 モーニング娘。その歴史のあつみ、活動や楽曲の表情豊かさ、ブレイクしたことでかかえることになった問題の意味深さ、そしてなによりも現在も現役で活躍し続けていることのすばらしさという点で、決して軽くあつかえるグループではありませんでした。「アイドルグループ史」の読んでいただいて、私がその大部分をモーニング娘。についやしたのが決してひいき目でないということがわかっていただければ非常にうれしいのです。
 できればもっと深くいきたいところだったんですが、ただでさえ文章なっげえし……ほんとに毎度毎度、読んでくださるみなさまの眼球にはあわせる顔もありません。ゆるしてつかぁさ~い!!

 それじゃ、万感の想いをこめてまいりましょう~。


そうだ! We're ALIVE モーニング娘。未来へつなぐ2010年以降

2010年
2月
・エース久住小春が卒業した8名体制初のシングルとなる42nd『女が目立ってなぜイケナイ』がリリースされる(オリコン最高5位)
 ※この8名体制によって、メンバーの平均年齢がモーニング娘。史上初の「20代」となる(当時10代だったのはリンリンと光井愛佳の2人)
 ※2011年1月の第9期メンバーの加入によって平均年齢は「17歳」にさがっている
(同月にリリースされたAKB48の15thシングル『桜の栞』がオリコン1位を獲得する)

4月
・TBSの深夜バラエティ番組『あいまいナ!』(毎週金曜1時30分から)に道重さゆみがレギュラー出演し、モーニング娘。現役メンバーのハロー!プロジェクト系列以外でのバラエティ番組レギュラーは、矢口真里の『やぐちひとり』(2004~09年 テレビ朝日)以来のこととなる
 ※バラエティ番組以外では、かつてリーダー高橋愛が連続ドラマの主演、田中れいなと亀井絵里がTVアニメの主人公をつとめたことがあった
 ※『あいまいナ!』は現在も、同じ時間帯、同じレギュラー出演陣(アンタッチャブル山崎弘也、矢口真里、道重、里田まい、元AKB48の大島麻衣、小倉優子ら)で『ザキ神っ! ザキヤマさんとゆかいな仲間たち』にリニューアルして放送されている
・前年12月にモーニング娘。を卒業した久住小春(17歳)が芸能活動を再開する(テレビ東京毎週土曜日朝放送の子ども向け番組『おはコロ』へのレギュラー出演)

5月
・中国の上海万博で、モーニング娘。が日本代表としてコンサートを上演する
 ※上海万博には9月にぱすぽ☆も出演しているが、「日本代表」枠での招聘はモーニング娘。のみ
(スターダストプロモーションの6人組アイドルグループ「ももいろクローバー」がシングル『行くぜっ!怪盗少女』でメジャーデビューを果たす)

6月
・43rdシングル『青春コレクション』がリリースされる(オリコン最高3位)

7月
・フランス・パリの「JAPAN EXPO 2010」でコンサートを上演する

8月
・東京・中野でのコンサートでメンバー亀井絵里(21歳)、ジュンジュン(22歳)、リンリン(19歳)の同年12月での卒業が発表される
・同時に、4年ぶりとなる「モーニング娘。9期メンバーオーディション」の募集が告知される

9月
・ジョージアの缶コーヒー「ご褒美ブレイク」のイメージキャラクターとしてモーニング娘。卒業メンバー7名が期間限定スペシャルグループ「アフタヌーン娘。」を結成する
 ※メンバーは中澤裕子(37歳)、飯田圭織(29歳)、安倍なつみ(29歳)、保田圭(29歳)、矢口真里(27歳)、小川麻琴(22歳)、藤本美貴(25歳)
 ※CMではモーニング娘。のメジャー1stシングル『モーニングコーヒー』の歌詞をアレンジした『アフタヌーンコーヒー』を歌唱している

10月
・おもに関東以西で展開している回転寿司チェーン「無添くら寿司」のイメージソングとなる番外シングル『あっぱれ回転ずし!』がリリースされる(オリコン最高13位)
(同月にリリースされたAKB48の18thシングル『Beginner』がオリコン1位を獲得する)

11月
・8名体制でのラストシングルとなる44th『女と男のララバイゲーム』がリリースされる(オリコン最高6位)

12月
・コンサートへの出演をもって亀井絵里、ジュンジュン、リンリンがモーニング娘。およびハロー!プロジェクトを卒業する
 ※その後、亀井は芸能活動を休止、ジュンジュンとリンリンは中国での芸能活動の準備に入っている

2011年
1月
・前年8月からおこなわれていた「モーニング娘。9期メンバーオーディション」の最終審査の結果、約9000名の応募者の中から4名が合格・加入する
 譜久村聖(ふくむら みずき 14歳)、生田衣梨奈(えりな 13歳)、鞘師里保(12歳)、鈴木香音(かのん 12歳)
 ※今回の鞘師・鈴木の加入により、史上初めて「モーニング娘。が結成された時に生まれていなかった」メンバーが誕生した
 ※譜久村は現役でハロプロエッグに所属していながらオーディションに参加し、最終審査の前の3次審査で落ちていたのだが加入メンバーに昇格した(ハロプロエッグはモーニング娘。加入とともに卒業)
 ※鞘師はアクターズスクール広島の出身なので、Perfume の直接の後輩にあたる
・第9期メンバーの加入と同時に、同年秋のコンサート終了をもってのリーダー高橋愛(24歳)のモーニング娘。卒業が発表される
・2009年ごろから「モーニング娘。OG」「アフタヌーン娘。」として期間限定の活動をしていたモーニング娘。卒業メンバーが、本格的に新グループ「ドリームモーニング娘。」を結成して活動を開始する
 ※メンバーはアフタヌーン娘。だった7名に、吉澤ひとみ(25歳)、石川梨華(26歳)、久住小春(18歳)が加わった10名
 ※10名と同じアップフロントエージェンシーの「M-line club」に所属している辻希美(23歳)は、育児に専念するために不参加
 ※ドリームモーニング娘。は2011年には4~5月と9~12月に全国ツアーをおこなう予定

3月
・ハロプロエッグ出身の6人組アイドルグループ「アップフロントガールズ(仮)」の結成が発表される
 ※アップフロントガールズ(仮)は5月に7名体制となり、6月にグループ名を「アップアップガールズ(仮)」にあらためて現在にいたる

4月
・第9期メンバーが加入した9名体制での初のシングルとなる45thシングル『マジですかスカ!』がリリースされる(オリコン最高5位)
・ドリームモーニング娘。の1stアルバム『ドリムス。1』がリリースされる(オリコン最高10位)
 ※オリジナル曲もあるが、モーニング娘。の楽曲は『そうだ! We're ALIVE』(2002年2月)までの前期5年分のものをカヴァーしている

5月
・東京・中野でのコンサートで「モーニング娘。10期メンバー『元気印』オーディション」の募集が告知される
 ※同年秋ごろに合格者が決定する予定で、6月時点で約1万3000名の1次審査応募者があったと発表されている
(プラチナム・プロダクション系列の10人組アイドルグループ「ぱすぽ☆」のメジャー1stシングル『少女飛行』がオリコン1位を獲得する)

6月
・46thシングル『Only you』がリリースされる(オリコン最高4位)
 ※これによって、モーニング娘。のシングル46作連続オリコンチャートトップ10入りが、日本の男女を含めた音楽グループの連続トップ10最長記録となる
 ※記録の第2位はSMAPの45作連続(2011年6月時点)


2011年に結成されたハロー!プロジェクトのアイドルグループ

アップアップガールズ(仮)(2011年3月~)7人組
 13~20歳 仙石みなみ(20歳)、佐保明梨(さほ あかり 15歳) ら
 2011年3月に6名のハロプロエッグ卒業生により「アップフロントガールズ(仮)」として結成される
 4月からスカパー!でレギュラー番組『アップフロントガールズ』を放送している
 特にリーダーは設定しておらず、パイ投げやバンジージャンプなど、「アイドルの枠にとらわれない活動」に取り組むグループ
 5月に「第2期あぁ!」メンバーだったハロプロエッグ・佐保明梨が加入して7名体制となる(ハロプロエッグは加入とともに卒業)
 6月にグループ名を「アップアップガールズ(仮)」にあらためる
 結成時からライヴ・イベント活動を旺盛におこなっているが、2011年6月時点ではまだCDデビューはしていない


 いや~、ついに出ちゃった、「モーニング娘。よりも年下のモーニング娘。メンバー」! ここまできたねぇ。
 ということで、最後のモーニング娘。雑想は次回でございま~す。

 えりり~ん!! おげんき~!?
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第40回 『どうするどうなるAKB48包囲網 2010年以降』

2011年07月26日 23時45分01秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 はいーん、どうもこんばんは、そうだいでございます。みなさま、今日も1日お疲れさまでした~。
 そん~なには!まだ暑くないですよねぇ。夜なんかはだいぶ過ごしやすい気温におさまってくれてますな。ありがたいことですよぉ。

 どうでもいいのですが、最近、近所にある豪邸の草ボーボーぶりが気になってしょうがありません。
 どのくらいのスペースだと言ったら伝わりやすいのかがわからないのですが、だいたい「幼稚園の敷地」以上「小学校のグランド」未満という広さなんですけど、まぁ~ご立派な豪邸があるんですね。
 ただ、基本的に人の気配もないし、たま~の夜に、もう100%グランドピアノがあるとしか思えないだだっ広い間取りの大広間に灯りがついているのが確認できる、といった感じなので、おそらく人が常に住んでいるわけではない別邸なんじゃなかろうかと私は勝手にふんでいるのですが、最近とみに、正門や塀まわりの雑草の野ばなし感がすごいことになってきてるんですねぇ。
 今年のはじめくらいまで、だいたい3ヶ月に1回のペースで造園業者が入って手入れをしているのは見ていたんですが、今年の夏はまだなにもしていないようなんです。
 雑草はすごいですね。もう見る見るうちに大きくなってきてますから。そんな豪邸なので塀も2メートルちかい高さがあるんですが、もうその高ささえも乗り越えんとする勢いで、向こうの庭からみどりが塀の外に進出せんと顔をのぞかせているんですねぇ!
 なんか、庭に据え付けてあるらしい街灯もツタにからまれて傾いちゃったりしてんのがチラッと見えるんですよ。正門ももう、人が気楽に通れるようなスペースはありませんからね。足元はいちめんのみどり。

 う~ん……中の庭の様子が見てみたい。「廃園」っていう言葉、いいですよね。

 かといって、勝手に入ったらいけませんからねぇ。あれはセコムしてますよ。
 草むしりでもなんでもするから、あの豪邸の管理人にさせてもらえないかなぁ。そしたらもうがんばっちゃうんだけどなぁ。燕尾服来て、レンズだけのメガネを片目につけて。あの、くさりのついてるやつね。


 さぁさぁ、そんなメルヘンチックな上流階級へのあこがれはここまでにしておきまして、今回も扇風機がガタガタ言っているコンパクトなお部屋から、20世紀生まれのアンティークパソコンの「ぶいーん!!」という機動音の調べにのせて「ざっくりすぎるアイドルグループ史」をお送りしていきたいと思います。うん、2人とも、自分の存在を主張するということはいいことだ。

 いよいよ来ました。ついに現在、2011年にたどり着いた最初の第1歩、まずはAKB48軍団やハロプロ陣営を「のぞいた」諸勢力の動きでございます。

 メジャーじゃないからと言ってナメてはいけません。とにかく可能性に満ちた新グループのご紹介で~す。


東京女子流(2010年1月~)5人組
 年齢非公開 山辺未夢(みゆ リーダー)
 2010年11月時点の情報では「平均年齢12.8歳」という若さ
 SweetS(2003~06年 瀧本美織らが在籍)以来のエイベックス正統派ヴォーカルダンスグループ
 各メンバーの歌唱力が高い
 デビュー時からライヴ活動を精力的におこなっており、2010年には19回のライヴを上演していた
 同じエイベックスであるAAAのツアーにも参加した経験がある
 2011年6月には台湾と香港で海外デビューをはたしている
 2011年6月時点までに6枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている(オリコン最高19位)が……ブレイクはこれから?
 来月2011年8月に7thシングルがリリースされる予定

さくら学院(2010年4月~)12人組
 11~14歳 武藤彩未(14歳 生徒会長)ら
 グループのコンセプトは「学校」で、メンバーは「生徒」、リーダーは「生徒会長」と呼ばれている
 完全な「成長期限定!!」がテーマの3年制グループで、メンバーが実際の中学校を卒業すると同時にグループも自動的に「卒業」となる
 正統派アイドル路線
 2010年4月に8名体制で「開校」し、現在は12名が在籍している
 生徒はすでにモデルやジュニアアイドルとして活動している場合が多い
 ※2009年にアニメとのタイアップで活動していた期間限定アイドルグループ「可憐Girl's」のメンバーだった生徒もいる
 2010年12月に1stシングル『夢に向かって』をリリースしたが(オリコン最高35位)ブレイクはこれから?
 生徒のうち7名が所属しているバトン部「Twinklestars」もグループ内ユニットとして活動している

SUPER☆GiRLS(スーパーガールズ 2010年6月~)12人組
 13~21歳 八坂沙織(21歳 リーダー)ら
 グループ名の「i」だけが小文字なのは、「idol(アイドル)」の意味を強調するため
 2009年12月~2010年6月にエイベックスが初めて本格的に実施したアイドルオーディション「avex アイドルオーディション 2010」の結果、約7000名の中から選ばれた12名によって結成される
 キャッチフレーズは「みんなで育てるアイドル」で、CDを購入したりライヴを観たファンが公式サイトのアンケートを通じてグループの活動方針決定に影響を与えることができる
 エイベックス初のアイドル専門レーベル「iDOL Street」の第1弾アーティスト
 非常に正統派なアイドル路線
 結成当初から精力的にライヴ・イベント活動をおこなっている
 楽曲に特定のプロデューサーはいない
 2010年12月に1stアルバム『超絶少女』でCDデビューをはたし(オリコン最高32位)、翌2011年4月に1stシングル『がんばって青春』をリリースしている(オリコン最高5位)
 2011年6月時点までにリリースした2枚のシングルはどちらもオリコン最高5位


 どうですか~。
 まぁ、はっきり言っちゃうと、結成して1年ほどしかたってないっていうのは、まだまだ未知数! さっそく現在のアイドルグループ戦国地図に名乗りをあげている超高校級ルーキーはまだ見当たらないのですが、これからどうもまれていくかですよね。
 全体的に「ライヴ活動をしっかりおこなう」「ファンの声を聴く」というあたりはやっぱり偉大なる先輩方の功績にならっているわけなのですが、これからどう独自色を見せていくかですなぁ。もう、ちょっとやそっとのかわいさでは目立たないという、このインフレ時代のおそろしさね!
 あの~……ほぼ同時に「アイドルグループ」と「ヴォーカルダンスグループ」を売り出しちゃってるエイベックスさんは、いったいどんな目算があってそうしてらっしゃるんでしょうかね。「どっちつかずのアイウォンチュウ」とはこういうことを言うんじゃないの?


 2010年以降に結成したアイドルグループはやっぱり全体的にういういしさが見受けられるのですが、実は2010年以降に登場して、そのとたんにたちまち世間の話題をさらっていったグループが他にちゃんといたことはもう、みなさんご存じですよね?

 そう、2010年以降にはK-POPがやってきた! 彼女たちも忘れるわけにはいきません。

KARA(カラ 2010年2月に日本デビュー)5人組
 ギュリ(21歳 リーダー)、スンヨン(21歳)、ニコル(18歳)、ク・ハラ(18歳)、ジヨン(15歳)
 ※特にク・ハラに人気があり、「韓国の安室奈美恵」と呼ばれている
 2007年3月に結成された当初は4人組だったが、翌2008年7月から現在の5人体制となる
 グループ名の「カラ」は、ハングルで「甘いメロディー」、ギリシア語で「喜び」という意味がある
 2010年2月に東京・赤坂BLITZでおこなわれた自身初の単独コンサートにより日本デビューをはたす
 2010年8月にリリースされた日本版1stシングル『ミスター』が、海外の女性アーティストグループのシングルCDとしては過去最高のオリコン初登場5位を記録する
 ※かつて2003年に大ブレイクしたタトゥーと女子十二楽坊は、シングルをリリースしていない
 『ミスター』の「ヒップダンス」など、セクシーな振り付けが話題となる
 2010年10月には韓国国会で「芸能界の性的に過激な露出と表現」が問題となり、KARAの芸能事務所の代表者が国会に召喚された
 2010年上半期のメンバーの月給が「日本円にして1万円」だったことが発覚し、事務所のタレント待遇の低さが問題となる
 2010年11月に発売した日本版1stオリジナルアルバム『ガールズトーク』が約31万枚の売り上げを記録
 ※海外女性アーティストグループのアルバムとしてはディスティニーズ・チャイルド以来5年ぶり、アジアの女性アーティストグループのアルバムとしては女子十二楽坊以来6年ぶりのヒット
 2011年1~4月には、海外のアイドルグループとしては異例の主演ドラマ『URAKARA』が製作・放送されていた(テレビ東京毎週金曜深夜0時10分から)
 2011年4月にリリースした3rdシングル『ジェットコースターラブ』で自身初のオリコン1位を獲得し、売り上げ約20万枚のヒットとなる
 ※海外女性アーティストグループのオリコンシングルチャート初登場1位は史上初で、海外女性アーティストのオリコンシングル1位獲得はBOA以来6年ぶり

4Minute(フォーミニッツ 2010年5月に日本デビュー)5人組
 ジヒョン(20歳 リーダー)、ガユン(20歳)、ジユン(19歳)、ヒョナ(18歳)、ソヒョン(15歳)
 2009年6月に結成される
 2010年5月に日本版1stシングル『Muzik』をリリースして日本デビューをはたす
 セクシーな雰囲気の本格的ヴォーカルダンスグループ
 2011年6月時点までに日本では4枚のシングルと5枚のアルバム(ミニを含む)をリリースしている(オリコン最高17位)が……ブレイクはこれから?
 来月2011年8月に5thシングルがリリースされる予定

BROWN EYED GIRLS(ブラウン・アイド・ガールズ 2010年8月に日本デビュー)4人組
 ジェア(28歳 リーダー)、ミリョ(28歳 ラップ担当)、ナルシャ(28歳)、ガイン(22歳)
 2006年3月に結成される
 2010年8月に日本版1stアルバム『SOUND-G』をリリースして日本デビューをはたす
 リズミカルなエレクトロポップにヒップホップを導入したセクシーな楽曲
 2011年6月時点までに1枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしている(オリコン最高24位)が……ブレイクはこれから?

少女時代(2010年8月に日本デビュー)9人組
 19~21歳 テヨン(21歳 リーダー)ら
 グループ名は韓国では「ソニョシデ」もしくは略して「ソシ」と発音される
 メンバーは身長158~170cmで体重が全員40キロ台というモデル体型グループ
 美脚を強調したダンスとスタイリッシュな楽曲が話題となる
 2007年8月に結成され、「韓国のモーニング娘。」と呼ばれ人気を集める
 2010年8月に日本版1stシングル『GENIE(ジニー)』をリリースして日本デビュー(オリコン最高4位)
 2010年10月の2ndシングル『Gee(ジー)』の記録したオリコン最高2位は当時、海外の女性アイドルグループとしては最高の順位だった
 ※その半年後、2011年4月のKARAの『ジェットコースターラブ』(1位)に更新される
 2011年4月にリリースされた日本版3rdシングル『MR.TAXI』もオリコン最高2位を記録しているが、シングルで1位を獲得したことはまだない
 2011年6月にリリースした日本版1stオリジナルアルバム『GIRL'S GENERATION』が約50万枚の売り上げを記録する
 ※韓国出身アーティストのアルバムとしてはBOA以来9年ぶりの50万枚達成


 まぁ、K-POPブームというよりはKARAと少女時代の2大巨頭の対決といった様相を呈しておりますな。

 「海外カルチャー」のブームという見方をしますと、2010年のこの活況ぶりは、

2003年のタトゥーと女子十二楽坊のブーム
2003年の末~05年に巻き起こった『冬のソナタ』を筆頭とした韓流ブーム
2005~10年に日本でブレイクしたBOAや東方神起のブーム

 ということで、なんとなく地続きになっていた、と解釈できなくもないものだったんですね。

 こうやって韓国から多くのアーティストがやってくるようになったのは、やっぱり21世紀に入ってからアメリカのリーマン・ショックの影響だの世界的金融危機の波及だのがアジア各国にも押しよせてきまして、日本も無論のことひどいわけなんですが、ウォン安に頭を悩ませ続けている韓国も外貨獲得のためにきゅうきゅうとしている、ということは無視できないでしょう。
 2008年のしらべによりますと、日本の音楽業界市場が約41億アメリカドルであるのに対して、韓国の音楽業界市場は約1億4000万アメリカドル。単純にCDの値段も日本は韓国の約3倍となっているため、日本進出はブレイクすれば非常においしい出稼ぎになると。
 また、楽曲リリースを受けもつ日本のレコード会社も、最低1年は母国韓国で活躍して名をあげる実力をつけていたグループに来てもらうほうが、自分たちでいちから無名のアーティストを育てていくよりも手間がかからなくていいということで、受け入れる側にとってものりやすいビジネスだということもあるんでしょうなぁ。ショーバイショーバイ。でも、あれだけおしりをふって月給1万円はちょっと……

 まだまだKARAと少女時代のデッドヒートは続くようなんですが、お互いに身体には気をつけてセクシーにがんばっていただきたいと!

 さてさて、外国勢やメジャー音楽企業の若手ばかりに先をとられるわけにもいかんとばかりに、こんな人たちも気勢を上げております。

 こっちもこれからだ! 全国で名乗りをあげるロコドルたちも大変なことに。

ひめキュンフルーツ缶(2010年8月~)8人組
 13~18歳 愛媛県のロコドル
 オーディションによって選ばれた愛媛県出身のメンバーで構成されている
 正規メンバーの「ひめキュン」と研修生チームの「ひなキュン」の2部制
 ※現在はひめキュンが8名、ひなキュンが2名となっている
 愛媛県松山市のキティビル(1階がライヴハウス「松山サロンキティ」)5階にある「松山キティホール」(客席定員120名)を拠点に県内で活動する
 ※毎週末にライヴを上演している
 2011年に入ってから2枚のインディーズシングルを発表している
 近い!2011年7月30日に第2期オーディションを開催し、翌8月に新曲を発表する予定

K.K.いれぶん(2010年8月~)9人組
 11~20歳 京都府のロコドル
 グループ名は「京都小町11区」の意味
 オーディションによって選ばれたメンバーが歌唱かダンスのどちらかを担当する形式のグループ
 メンバー全員の芸名が京都市11区内の地名になっている(「三千院」「京極」など)
 2011年6月時点では「木屋町」と「祇園」が卒業したため9名体制となっている
 ※区名でなく有名な土地の名前なので、11名そろっていなくても問題はないわけなのだが……名前で「いれぶん」って言ってるからねぇ……
 現在はヴォーカル4名とダンサー5名という編成になっている
 衣装に京都の伝統産業である「着物」や「飾り金具」をふんだんに取り入れている
 京都にとどまらず、大阪や名古屋などでも活動を展開している

AKBN 0(エーケービーエヌ・ゼロ 2010年5月~)10人組
 13~27歳 高橋キャサリン玲海(15歳)、茜チュインあい(27歳)ら
 東京・赤羽(あかばね)のロコドル
 キャッチフレーズは「会って、話せて、デートができる募金アイドル」
 「綾瀬まニャ麻奈夏」「吉川コトノンことの」「大隅トウィンクルりよん」など、メンバー名には「ミドルネーム」がついている
 メンバーの卒業・加入もひんぱんに行われており、2011年6月時点では1~5期生、10名が活動している
 林家ペー・パー子夫妻が初代応援団長に就任しており、2010年9月にガッツ石松が第2代応援団長に就任してからは終身名誉監督になっている
 「予算ゼロ」、「タレントゼロ」から出発した超低予算アイドルグループ
 ライヴ・イベントや関連商品による売上金だけを資金にして活動していく「自給自足アイドル」
 特定の芸能事務所に所属していなくても「やる気」と「自信」さえあれば加入できる(オーディションあり)
 各メンバーの「売り上げ成績」が重要視されており、成績によってグループにおける立ち位置が決定する
 ※最悪の場合、売り上げ成績のよくないメンバーは強制的に引退させられるというシビアすぎるシステム
 最終的なグループの目標は「NHK『紅白歌合戦』への出場」で、その達成と同時に解散する予定
 資金をためるごとに「中期目標」が設定されており、「200万円ためてCDリリース(インディーズ)」と「300万円ためて北区赤羽会館でコンサート」は2011年5月に達成している
 2011年7月26日時点では資金は「379万円」たまっていて、次の目標は「1000万円ためて中野サンプラザでコンサート」
 地元の北区赤羽会館を「聖地」としているが、王子・代々木・渋谷などでの定期的なライヴ・イベント活動を積極的におこなっている
 グループ恒例のイベントは「ゆるぐだカラオケ大会」(2011年6月時点までに5回開催)
 今週末!2011年7月30日の北区赤羽会館での2ndコンサートでは、1期生3名の卒業と2ndシングルのリリースが発表されるらしい
 一目瞭然だが、AKB48とはなんっっっっの!!!関係もない


 いや~、もりあがってまいりました。もうてんてこまいですね。

 ロコドルは今あげた若手たちの他にも、いよいよタワーレコードからCDデビューすることとなった新潟の「Negicco(ねぎっこ)」や、2000年結成という最古参ロコドルでありながら、2010年にいたって新たな顔ぶれで新生することとなった青森県弘前市の「りんご娘」も忘れてはならないでしょう。東北新幹線も通ったし。
 「りんご娘」はかわいいねぇ~!! 現在は結成メンバーは1人もおらず、ジョナゴールド(18歳)、レットゴールド(20歳)、金星(15歳)、とき(12歳)の4名体制になっているのですが、グループメンバー全員、かわいいね! さすがはりんご、顔のつくりだ衣装だではハンパないお金をかけてるグループには勝てないとしても、内面のきよらかさからくる肌ツヤが全国トップレベル……に見えます。あの、みなさんのお名前はりんごの品種名からきているものですよ。

 それ以外にもSKEだNMBだHKTだと、ロコドルの時代はこれからもリアルタイムで加熱し続ける勢力となるもようです。みんながんばってね~。


 いやー。でも、「AKBN 0」。
 気になるねぇ~!!

 私はとみにそう思うのですが、このAKBN 0 を応援できる人はねぇ、正真正銘の「アイドルファン」ですよ。
 もう、特定の誰が好きだとかあの歌が好きとか、そういう個別の問題じゃあなくなってますからね。アイドルという職業の生み出す「異形さ」や「悲哀」というところを総体でめでることのできる宇宙サイズでの「博愛のこころ」を持っている人のためにこそAKBN 0 は存在している、と私は信じ、たい。
 だからねぇ、彼女たちをさして「AKB48のパクリだ!」とか「パッチモンアイドル」などといちいち批判してはいけません。あれこそが、まさしくアイドルからもっとも遠いようでいて実は一番アイドルの核心をついている集団なの……かなぁ~みたいな。だいいち、天下のAKB48と比較すること自体、AKBN 0 の術中にまんまとハマッているわけなんですからね。なにごとも「寛容」が大事です、うん。

 したがって、私はもうちょっと精神的に成長してからAKBN 0 を応援したいと思います。今はいいや。

 でも、「現役アイドルグループ中、最年長センター」と言われている茜チュインあい(27歳)さんのステージは、いつか必ずこの眼で観たいね!!
 こわいな~、こわいなぁ~、こわいなァア~!!
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第39回 『勇躍!AKB48 2008~09 雑想編』

2011年07月24日 21時22分24秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 み~んみ~んみんみんみんみんみ~……じじじじじ。

 あっ、どうもこんばんは、そうだいです。なんかまだちゃんとセミの声を聴いていないような気がしましたので、かわりにやらせていただきました。
 もう7月も終わりなんですけどねぇ。これからうるさくなるのかしら。

 そんなに重大なことではないのですが、最近わたくし、ある計画を進めております。
 いや、ほんとにたいしたことじゃないんですけど、少なくともある1人の方には秘密にしておきたいので、具体的にどんなことなのかをここでつまびらかにすることができないのね。
 ワクワクしますねぇ~、こういうのって。ふだんの私とはまったく接点のない世界をのぞいてみて、

「うわっ、意外とたのし~。」

 という気分になることはいいことですな。
 いつかはこのへんの経緯もぜ~んぶ説明できることになるかと思います。その時になったらぺろ~んとつつみかすさずお話しいたしますので、もうちっとだけお待ちくださ~い。
 長かった……この計画、なんだかんだいって今年のはじめくらいからいろんな偶然が重なりあって動き出してましたからね。やっぱり人生はおもしろいわ。


 さてさて! んだったらもう、こんだもえっつらおっつらどおっぱずめでいぐがしたん。
 ほ~ら、よっこらしぇ~のSyedd。

 2005年の暮れに東京・秋葉原の専用劇場でうぶごえをあげることとなったアイドルグループ・AKB48。
 その初期における実態が、かっちりしたチーム分けと楽曲CDの「選抜メンバー制度」によるサラリーマン顔負けの峻烈な競争社会だったことは、この前の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」第34回でも触れさせていただきました。
 そのへんの「ガチ感」は、第3回選抜総選挙が盛大に実施された2011年にも彼女たちにしっかり継承されているわけなのですが、私は2008~09年のある出来事をきっかけに、AKB48の内部に、きたるべき全国的ブレイクに向けての重大な改革がなされていたのではないかと見ました。

 その出来事とは、2009年8月に開催された日本武道館コンサート「AKB104 選抜メンバー組閣祭り」でおこなわれた人気メンバーのチームがえ(シャッフル)だったのではないかと。
 これは、その時点までに発足していたAKB48を構成する3チーム「A」「K」「B」で、これまでの楽曲で選抜メンバーの常連となっていた人々が所属チームを変えたり、研修生がいずれかのチームの正規メンバーに昇格するといった人事が発表されたもので、はっきりいってAKB48のチーム分けの意味がわからない2009年当時の私のような門外漢にとっては、

「ッど~でもいいじゃない、そんなこまけぇこと!!」

 というレベルのささいな改編にしか見えませんでした。まぁ、別に誰かがグループそのものを卒業するとか脱退するとかいう話じゃなかったわけですしね。

 しっかし! 今になってやっとわかる。これはかぁ~んなり重大な方針転換でした。

 つまり、「ほんの一部の変更人事」とはいえ、結成以来ながらくメンバーとファンにとって非常におも~い意味を持ってきていた各チームの違いというものを、ある程度破壊する効果を生んだのがこの「組閣」だったんじゃないかと思うんですね。それまで各チームがはぐくんでいた独自の気風というものがうすまり、全体的に雰囲気が統一される動きとなったのです。

 チームAは「伝説の結成メンバー」、チームKは「団結力の強い努力家」、チームBは「愛される妹」。
 それまではAKB48劇場という共通の戦場でしのぎを削って戦ってきたこの3つのアイドルグループが、この時にいたってついに1つの「AKB48」という集団になったんじゃないでしょうか。

 そういう見方でいいますと、今現在、テレビの中で引っぱりだこになっているAKB48が誕生した瞬間というものがこの2009年8月の武道館コンサートであり、それまでの約4年という歳月は、すべてこの時をむかえるための「トレーニング期間」だったんじゃないか、とも思えてきます。なげぇ準備期間だなぁ……

 「海の殺し屋」ホオジロザメは、生まれた直後から兄弟、姉妹どうしで闘いあい、生き残った者だけが卵の入れ物から外に出てくる権利を手にするのだという。

 サメや……AKB48はアイドルグループ界のサメや、百戦錬磨のキラーコンテンツなのや……
 おそろしなんどもおろかなり。ついに最強にして最凶の生物が野にはなたれてしまった!! いや、ほんとにサメが野にはなたれたら息ができなくなってすぐ死んじゃうんですけど……

 まさにここで誕生した新生AKB48は、アキバでのチーム間の競争の次の局面へとうつっていく、日本全国の「えーけーびぃ? 何?」や「あぁ、あのおたくのメイドカフェみたいなやつ?」といった不特定多数の人々を相手にした「挙国一致内閣」となったわけだったのです。確かに「組閣」はダテではなかった。
 もちろんそれまでの、劇場でのファンとの距離の近さを大事にしたライヴアイドルAKB48の過去をすべて「なかったことにする」というわけでもないのでしょうが、前回にもあげたようなテレビ番組にアニメにゲームにインターネット、グラビア雑誌に果ては納豆までといった膨大なタイアップ戦略も功を奏し、AKB48は秋葉原のライヴを観たこともない、観に行くことのできない人々にもその名前を訴えかけていくこととなりました。

 当時、地上波テレビの看板番組だった『AKBINGO!』は関東ローカルでの放送にとどまっていたのですが、かつて同じ関東ローカルの看板番組という規制によって知名度が伸び悩んでしまった20世紀終盤の「チェキッ娘」とはもはや時代が違っており、ネット上での口コミや無料動画チャンネルの普及などによって、放送局の少なさもたいした支障にならず、「東京にAKB48あり。」の報はみるみるうちに日本全国に広がっていくこととなりました。

 こういった戦略は、まず「AKB48という、やたら大人数でミニスカ制服のアイドルグループがいる。」という情報を広めていくこととなったのですが、それと同時に重要になってくるのが、

「じゃあ、具体的にどんなかわいいコがいるわけ?」

 という次なる質問に雄弁に回答できるAKB48側のリアクションです。
 私は、その「メンバー紹介」の役割をになったのが、AKB48の2008年ごろから演出の変わってきた高橋栄樹(えいき)監督による楽曲プロモーションビデオ諸作だと思うんですね。

 高橋監督は1965年生まれの映像ディレクターで、1990年代ごろからTHE YELLOW MONKEY などの有名ミュージシャンのプロモーションビデオの監督をつとめてきたお方です。
 AKB48の楽曲は、2007年4月の3rdシングル『軽蔑していた愛情』からプロモーションビデオの監督を担当しており、それ以降は全作品ではないものの『ポニーテールとシュシュ』まで9つの重要な作品を手がけてきています(2011年6月時点)。
 そういった感じで、けっこう深めにAKB48のイメージづくりにかかわってきた高橋監督なのですが、特に私が注目したいのは、AKB48関連としては監督3作目となる8thシングル『桜の花びらたち2008』(2008年2月)からの「ドラマパート」の急増です。

 それまでのAKB48のプロモーションビデオは、ふつうのミュージシャンやアイドルのほとんどのそれがそうであるように、楽曲が最初から流れていって、それにあわせたダンスやセリフのない物語が映像として映し出されていく形式となっていたのですが、この『桜の花びらたち2008』からは、ずいぶんと多めの割合で選抜メンバーがなにかしらの役をうけもってセリフのある芝居を演じるドラマパートが、楽曲の流れていない序盤や終盤に挿入されていくこととなります。
 だいたいの場合、前田敦子さんが主役を演じているケースが多いこれらは、とりようによってはすべて「同じ学園で同一人物の学生たちが出ている」と解釈できなくもない連作となっており、学園祭やクラスメイトどうしのケンカやサプライズ誕生会、そして卒業後10年ほどたってからの同窓会といった、「あわ~い」&「あまずっぱ~い」物語が展開されていきます。時間は短いですがかなり本格的な撮り方がされている映像作品になっていますね。

 たぶん、このへんのドラマパートの導入は、本人が本当にそういうキャラクターの人物なのかどうかは別の話としまして、初めてAKB48というものたちの存在に触れる世間の人々にとっては、「あぁ、AKB48にはこういう女の子たちがいるんだなぁ。」という個別認識をしてもらう手っとりばやい最初のとっかかりになったのではないでしょうか。そしていうまでもなく、この延長線上にあるのがその後の人気メタドラマ『マジすか学園』シリーズであるわけなのです。
 そのへんの1人1人の全国向けの自己紹介のような作業は『AKBINGO!』でも毎週繰り広げられていたと思うのですが、バラエティ番組のようなあけすけなやり方よりももっとロマンティックで大人たちのノスタルジアをきゅっきゅきゅーきゅっきゅきゅーと刺激するプロモーションビデオは、より効果的にAKB48の存在を世に知らしめることになったんじゃなかろうかと私は思うわけなんですよ。

 個人的な思い出とからめますと、私は『大声ダイヤモンド』のプロモーションビデオが正視できなくてねぇ……恥ずかしくって。私はれっきとした男子だったんですが、女子グループに1人だけまじって、文化祭であんなことやったのよ。まさしく「なかったことにしたい記憶」シリアルナンバー203番なのですが、これを捨てられずに生きているからヒューマンなんですよね……しみじみ。

 ともあれ2008~09年のAKB48は、アイドルグループとしての音楽活動もさることながら、それよりももっと、「彼女たちはいかにしてAKB48に所属することとなったのか」「いかにしてその他大勢の中から選抜メンバーにえらばれることとなったのか」、そして「あなた(視聴者)のいちばん好きなメンバーは誰なのか」、という部分のアピールに力を入れて、日本全国の人々に「まず興味を持ってもらうこと」を目標にしていたといっても過言ではなかったんじゃないかと思います。徹底的な「お試し期間!」だったわけです。

 ところで、私はこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の中で一貫して、あのモーニング娘。のことを、「看板は同じだがアトラクションが時期にあわせていろいろと変わっていく遊園地」というたとえをもって説明していたかと思うのですが、それに比較して言いあらわすのならば、AKB48は、

「どこからが敷地なのかさえはっきりせず、どこにどんなアトラクションがあるのかもわからない、ガイドブックのないパノラマ島」

 ということになるのかしら。
 要するに、遊園地1コにとどまらない膨大な広さの中でさまよい歩き、その途上で見つけたさまざまな楽しみをつなぎ合わせて自分なりの「地図」を作っていくこと、その作業そのものが最大のアトラクションになっている謎のアイランドなわけなんですな。
 ちょ~っと、こわい! でも、どこに何があると入り口のパネルにちゃんとかいてある遊園地にはない、お客さんの脳みそに直接うったえかけるおもしろさがあるのよねぇ。わぁ、やっぱこえぇ~。


 せっかくモーニング娘。との比較が出てきたのでついでに触れておきたいのですが、私は「グループと楽曲との関係」という点でも、両者はかなりわかりやすい違いがあるんじゃないかと思うんですね。


 まずモーニング娘。をあげてみますと、彼女たちの歌唱も含めてのアピールスタイルは、

「いいからまずは、彼女たちのステージを観てみてちょーだい!」

 というもので、いっぽうのAKB48はといいますと、

「いいからまずは、彼女たちがステージに上がるまでの話を聞いてちょーだい!」

 というアピール法なんじゃないかと思うんですね。

 ここの違いははっきり言って、実際にグループにいる女の子たちよりも、彼女たちをプロデュースしている人の資質の違いに起因しているんじゃないかと思うのですが、要するに、自身がまぎれもないミュージシャンでもあるつんく♂さんが守りたい「オンステージは魅せる!」と「オフステージは見せない!」の差をはっきりさせたモーニング娘。にたいして、作詞家ではあるものの楽曲全体を支配しているわけではない秋元康さんの、「歌もいいけど、それよりももっとおもしろい物語があるよ。」というステージ裏への手まねきがたまらない魅力となっているのがAKB48なんですね。

 そう考えてみると、モーニング娘。が時期によってだいぶグループの性質が変化している、ということは前にも触れましたが、どの時期でも一貫しているのは「目をひいてナンボ!」「唄いあげてナンボ!」という個性重視体制であることです。歌がうまいのなら、もしくはダンスがうまいのならまじめにステージで輝くもよし。変声や変顔が好きなのならするもよし、お笑い芸人と互角に渡りあえるトーク力があるのならそれをいかんなく発揮するもよし、コントがうまいのならコントで大暴れするもよし、福井弁がなかなかなおらないのならテッテケテーとイジられるもよし。なつかし~!

 それにたいして、AKB48のステージには、ど~にも「規制」がよく似合う。「規制」というよりも「理性」と言ったほうがいいでしょうか。
 そういえば、いくらかわいくアレンジされているといっても、AKB48の衣装は「学生服」です。学生服というものは、着ている人の事情を基本的に考えてくれない規制ですよね。
 もひとつ規制というか、メンバーをいまひとつハッチャケさせなくする「安全弁」となっているのが秋元さんの歌詞でして、だいたいのAKB48楽曲って、つんく♂さんや普通のアイドルグループの唄う楽曲の歌詞に比べると、ずいぶんとカタいというか、「言いたいメッセージがギッチギチにしっぽまで詰まっている」内容になっていますよね? 『軽蔑していた愛情』なんかは、もはやアイドルの唄う楽曲ではないような重さの作品になっています。それに少なくない数、歌詞の内容が「男性から目線」になっているととったほうが自然な楽曲もありますね。
 つまり、こういう歌詞の楽曲は、唄っている人の「個性」はあまり必要ありません。というか、唄い手さんがなるべく透明な存在にならなければ、歌詞の良さや「かわいい女子が男子の気持ちを唄っている」ということのあやうい距離感が伝わってこないわけなのです。
 ダメおしで言うのならば、その楽曲を唄う「選抜メンバー」がはっきり確定していない、だいたいのメンツは決まっているにしても確定していないことが建て前になっているAKB48においては、「ここは低音の響くあの子に唄ってもらって、ここらへんは高音が得意なあの子のコーラスで……」という作戦づくりが成立しないということになるし、だとするのならば、「ある一定のレベル以上の人なら誰でも唄える楽曲」ということがAKB48の楽曲の条件ということになるのではないでしょうか。

 これをもって、なにも私は「AKB48がアイドルグループとして劣っている」ということを主張したいのでは決してありません。だいいち、「歌のうまいへた」がアイドルグループの実力を指し示す基準に「ならない」ことは、今までこの「ざっくりすぎるアイドルグループ史」におつきあいいただいてこられた方ならばおわかりのことかと思います。歌がヘタでもビッグアーティストに成長したグループもあったし、いくらうまくてもまったくブレイクできなかったグループもありました……

 要は、AKB48は「理性的で個性をおさえられた楽曲」とコミで、自分の個性をフルに発揮する「それ以外の自分の姿」も提供している戦法をとっている、ということなんですな。まさに24時間ガチ。
 モーニング娘。を含めたハロー!プロジェクト陣営が、素の自分をさらけ出しているかのようなバラエティ番組でのフリートークを得意としていながらも、恋愛関係などでの「本当の素」をかたくなに見せようとしなかったこととは実に好対照な戦い方だと思うのですが、どうでしょうか。


 まぁとにかくこんな感じで、「使える物は机の上に置いてあるエンピツでも武器にする」という『ボーン・アルティメイタム』もビックリのフルコンタクトアイドル戦士集団・AKB48だったのですが、彼女たちのまなざしには、目の前に広がる日本全国民の「好奇の視線」はどれほど恐ろしいものに見えたのでしょうか。
 いろいろと年表にもあらわしましたが、2007~08年のAKB48への風当たりは、彼女たちにはなかなかキツいものがあったかと思います。そして、そのころから現在の栄華を想像することはむずかしい。2009年の「組閣祭り」以前に、それぞれの判断でグループを去っていった当時の人気メンバー、大島麻衣さんや中西里菜さんの決断も無理からぬことではあります。
 劇場に足繁く通っていたコアなファンの方々との結びつきは強いようなのですが、第3回選抜総選挙での選挙後の前田さんや大島優子さんらのコメントには、まだまだ顔の見えない「世間」という巨大な存在への微妙な距離感、緊張関係が見てとれましたよね。
 そこが魅力でもあるのでしょうが、AKB48はどこか、大変な盛況ぶりとなっている現状に「戸惑い」を隠せない表情を浮かべているような気がします。まぁ、戸惑って当たり前なバブルっぷりであるわけなんですけど。今あえてAKB48をやめるのは、そうとうな勇気がいるぞ~!
 私は、2005~08年の苦労を知らない、あの前期のモーニング娘。におけるごっちんのような「空気を読まないスター」が登場して、「神7」と呼ばれているメンバーたちに伍する人気を得た時。その時こそ、AKB48はさらに次のステップに進むグループになれるのではないかと思うのですが……ど~でしょうかねェ!?


 ともあれ、2009年最後のシングル『RIVER』の大ヒットをもって、ついに本格的な全国的ブレイクに乗り出すこととなったAKB48なのですが、その次の2010年から現在にいたるまでの趨勢はまた、ということで。
 次回は2010~11年の、AKB48やハロプロ陣営「以外」のアイドルグループについてくっちゃべっていきたいと思いま~す。

 ギャー!! 2011年って今じゃ~ねぇか!
 ついた! 現在についたよ、おっかさ~ん。約60年の時間旅行にも、ゴールがやってきたんだねェ。3ヶ月かかったねェ。

 よ~あ~けはァちかい~、よ~あ~ァけはァちかい~……
コメント
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