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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そんなんあり~!?超強引オチな欧米風『藪の中』 ~映画『断崖』~

2024年12月16日 20時08分07秒 | ふつうじゃない映画
 ハイどうもみなさまこんばんは! そうだいでございます~。
 いや~、気が付けば、もう年の瀬が近づいてますよ。師走! 別に師でもなんでもない私までもが忙しく駆けずり回る時期になってまいりました。今年もあっという間だったな……

 いろいろと忙しいんですよ、お仕事も遊びも。こんな時に、何の脈絡もなく昔の映画なんかのんびり観てらんないんですよ!
 それなのに、いつものこの企画をやってしまうというアンビレパンツ(©内田春菊)っぷりよ……うん、いつもの『長岡京エイリアン』だ!!


映画『断崖』(1941年11月公開 99分 RKO)
 『断崖』(原題:Suspicion)は、アメリカのロマンティックスリラー映画。夫に殺されるという疑念に取り憑かれた新妻を描く。 イギリスの推理小説家フランシス=アイルズ(1893~1971年)が1932年に発表した長編犯罪小説『レディに捧げる殺人物語』を原作とする。
 製作費110万2000ドル、配給収入は北米で130万6000ドルで海外では91万9000ドルとなった。
 第14回アカデミー賞でジョーン=フォンテインが主演女優賞を受賞した。
 本作は後年、アメリカの TVドラマシリーズ『 American Playhouse』(1982~93年放送)の枠内で1988年4月にリメイクされた(第7シーズン第11話)。
 ヒッチコック監督は、本編約46分51秒頃、村の郵便ポストに手紙を入れる帽子をかぶった男の役で出演している。

あらすじ
 1938年。ハンサムだがいい加減な性格の遊び人ジョニー=エイズガースは、イギリスの列車の中で眼鏡をかけた女性リナ=マクレイドローと出逢い、彼女を散歩に誘う。ジョニーはリナに接近するが、リナはそれを不愉快に感じ警戒する。しかしリナは、父である裕福な有力者マクレイドロー将軍が自分の結婚を考えていないことを知って傷つき、自暴自棄になった末に駆け落ち同然にジョニーと結婚してしまう。
 ヨーロッパでの豪華な新婚旅行を終えてジョニーが購入した新居に入ったリナは、ジョニーが仕事も収入もなく惰性的な借金生活を送っており、リナの父の脛を齧ろうとしていることに気づく。リナの説得を受けたジョニーは、彼の従兄の不動産業者メルベックの下で働くことになるが、そこへリナの父マクレイドロー将軍の死の知らせが届く。
 将軍の遺産がほとんどもらえないことを知ったジョニーは機嫌を悪くし、友人ビーキーと共に不動産会社を設立して景観の良い断崖にリゾート地を開発する計画を立て始める。そんな中、リナの脳裏にある疑惑がよぎる……

おもなキャスティング
リナ=マクレイドロー  …… ジョーン=フォンテイン(24歳)
ジョニー=エイズガース …… ケーリー=グラント(37歳)
イゾベル=セドバスク  …… オリオール=リー(61歳)
バートラム=セドバスク …… ギャビン=ゴードン(40歳)
ビーキー=スウェイト  …… ナイジェル=ブルース(46歳)
マクレイドロー将軍   …… セドリック=ハードウィック(48歳)
マーサ=マクレイドロー …… メイ=ウィッティ(76歳)
メイドのエセル     …… ヘザー=エンジェル(32歳)
ジョージ=メルベック  …… レオ=G・キャロル(49歳)
ホジスン警部補     …… ラムズデン=ヘア(67歳)

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(42歳)
脚本 …… サムソン=ラファエルソン(47歳)、アルマ=レヴィル(42歳)、ジョーン=ハリソン(34歳)
製作総指揮 …… デイヴィッド=O=セルズニック(39歳)
音楽 …… フランツ=ワックスマン(34歳)
撮影 …… ハリー=ストラドリング(40歳)
編集 …… ウィリアム=ハミルトン(48歳)


 はい、というわけでありまして、今日も今日とてヒッチコック監督の映画を観ていく企画なのでございます。いつも通り、後半の視聴メモでだいぶ字数がかさんでしまってるんで、ちゃっちゃといきましょう。

 いや~、おかげさまでこの企画もついにヒッチコック監督作品の「第27作」となるこの『断崖』まできました。感慨深いものがありますね!
 なんで感慨深いのかと言いますと、ヒッチコックが監督を手がけた長編映画って、全部で「53作」なんですよ。ということは、今回の第27作がまさに半分、「折り返し」をすぎた後半戦の最初ってことになるんですね!
 やっと半分を越えました……この調子で、ちゃんと最期の遺作までいけるのかしら!? まぁ、健康第一でのんびりいきましょう。

 ちょっと、本題の監督第27作『断崖』にいく前に、その前の第26作『スミス夫妻』(1941年1月公開)に関して。

 この『スミス夫妻』ですが、我が『長岡京エイリアン』のヒッチコック企画では独立した記事にしないでスルーしちゃいます。
 その理由は、『スミス夫妻』がヒッチコックお得意のサスペンス映画ではなく純然たる「ラブコメ映画」だからなのですが、ヒッチコック監督が非サスペンス映画を撮るのって、けっこう久しぶりですよね。イギリス時代の『ウィンナ・ワルツ』(1932年)以来10年ぶりということになるでしょうか。私、この作品もしかしたら2005年のアクション映画『 Mr.&Mrs.スミス』のリメイク元とかなのかなと思ってたんですが、タイトルが同じだけで全く無関係だそうです。なんだよ……
 この作品は、当時ハリウッドでヒッチコックを雇っていた大物プロデューサー・セルズニックが映画会社の RKOに2作ぶんヒッチコックを職人監督として貸し出していたうちの一作で、もうひとつが今回の『断崖』ということになります。
 『スミス夫妻』は、主演の売れっ子女優キャロル=ロンバードを前面に押し出したコメディ映画で、ほんのささいなことから離婚するしないの大ゲンカになった夫妻のてんまつを描く他愛もない内容の作品です。はっきり言ってヒッチコックらしさがうかがえる演出はほぼ無く、すがすがしいまでに「キャロル=ロンバードを楽しむだけの映画」になっているのが、逆にヒッチコック作品としては異色ですよね。まぁ、アイドル映画みたいなものです。
 正直、役者が2人向かい合ってしゃべる画面ばっかりで悪い意味で演劇的だし、ギャグのクオリティも高いとは言えない(若い頃のドレスを着てお尻の部分が破れるとか、デートで屋根なし観覧車に乗ってたら停電で止まってどしゃ降りに遭うとか……)のですが、翌年に不幸な飛行機事故で33歳という若さで夭折してしまうキャロル=ロンバードの美貌と演技を楽しむのなら、まぁ見て損はないかなという感じですかね。別のヒッチコック作品に出てくる彼女が見たかった。
 当時この『スミス夫妻』もそれなりにヒットしたそうなのですが、その頃のコメディ映画を観たいのだったら、ふつうに『或る夜の出来事』(1934年 監督フランク=キャプラ)とかを観た方がよっぽどいいと思います。これはよくできてますよね。『スミス夫妻』よりも昔の映画なのに、比較するのもバカバカしいくらいハイレベルですよ!

 ただ、一つだけ言っておくのならば、この『スミス夫妻』での「会話ゼリフだけのお芝居映画」というつまらなさからの反省として、「大事なシーンになればなるほどセリフ演技が少なくなる」次作『断崖』が生まれたという意義はあるのではないかと思います。『スミス夫妻』はキャロル=ロンバード、『断崖』はジョーン=フォンテインということで、どちらもかなりの美人女優が出ずっぱりな作品ではあるのですが、全く対照的な作風になっているのが興味深いですね。

 ということで本題の『断崖』に入りたいのですが、本作はアカデミー主演女優賞(フォンテイン)を獲得した作品でありまして、実は賞レースにあまり縁のなかったヒッチコック監督のキャリアの中ではノミネートこそ何度もあったものの、オスカーをゲットできたのは作品賞の『レベッカ』と、この『断崖』だけだったのです。監督賞はついに獲れなかったという。
 でも、ここからわかるのは「賞とったとかホントどうでもいい」ってことですよね。だって、今ヒッチコックの代表作に『レベッカ』とか『断崖』を推す人って、いますかね? いや、どっちも面白い作品ではあるんですけど、それ以上の大傑作がゴロッゴロしてますから!
 もう最近は、アカデミー賞をとったとかいう売り文句なんて屁のツッパリにもなってない感じ、しません? 昔はもうちょっと作品の質の担保になってる感じもあったような気がするのですが、今はもう、ね~。つまんないもんは賞とっててもつまんないし、そういうのに限って3時間くらいあるし! 「無冠の帝王」最高じゃないですか。トム・ブラウンに栄光あれ!!

 話を戻しますが、この『断崖』は、すでに有名だったイギリスの推理小説家フランシス=アイルズ(別筆名アントニー=バークリー 1893~1971年)の長編小説『レディに捧げる殺人物語』(原題 Before the Fact : A Murder Story for Ladies 1932年発表)を原作としています。
 キャリアの初期から有名な小説や戯曲を原作として映画化することの多いヒッチコック監督でしたが、今作の原作者アイルズは、原作の知名度の高さでいうのならば『巌窟の野獣』、『レベッカ』そして『鳥』の原作者であるダフネ=デュ・モーリア(1907~89年)とゆうにタメを張るのではないでしょうか。でも、私が一番好きなヒッチコック映画の原作になった小説はジョセフィン=ティの『ロウソクのために1シリングを』(1936年 ヒッチコックの『第3逃亡者』の原作)ですけどね! あの小説版の犯人にはほんとにビックラこきました。

 そんでま、今回の『断崖』は上の情報にもあります通り、純然たる犯罪サスペンス映画なのですが、ちょっと原作小説『レディに捧げる殺人物語』との違いもチェックしておきましょう。
 ちょうどね、今年の9月に創元推理文庫から復刊されてたんですよ! なんというグッドタイミング。『ピクニック at ハンギングロック』の原作小説とか、創元さんはいいとこを出してくれますよね~。大好き! でも、昨今はほんとに文庫本の値段が高くなり申した……

 映画『断崖』と小説『レディに捧げる殺人物語』とを比較してみますと、




≪完成マダナノヨ≫


≪視聴メモで~っす≫
・本作の公開は1941年11月ということで、まさにアメリカが日本軍の真珠湾攻撃を受けて第二次世界大戦に参戦する1ヶ月前というとんでもないタイミングなのだが、当然ながら1932年発表の推理小説を原作とする本作に、戦争の気配はみじんも感じられない。嗚呼、前々作『海外特派員』の緊張感はいずこに……ちなみに作中での電報の日付から、この映画版は「1935年の3月はじめ」から物語が始まる設定となっている。
・若くはないものの、登場した1カット目から観客の目を奪う二枚目ハリウッドスターのオーラをだだもれにしているケーリー=グラントの別格感がすばらしい。失礼ながら、今までのヒッチコック諸作の男性主人公のみなさんとは比較にならないゴージャスさがある。その一方で、いくらおばさんくさい恰好をして地味なメガネをかけていてもその知的な美貌を隠すことができていないフォンテインもさすがである。
・同乗者のタバコの副流煙で気分が悪くなったというていを装いながら上級の指定席に座り込み、それを車掌にとがめられ差額を請求されたら赤の他人であるリナに肩代わりしてくれとすがりつくというジョニーのクズさがハンパない。まぁ、でもケーリー=グラントだしな……と思わず許してしまいそうになる、この色男っぷり! ほんと、別の人がジョニーを演じてたら開始2~3分のこの時点で視聴をやめてたかもしんない。
・ジョニーはその甘い外見の通りに相当に名うてなハンサム紳士だが、彼が電車で乗り合わせたリナもまた、地元で知らない者はいない名門マクレイドロー家の令嬢だった。ジョニーの狩人のような眼が光る……! 演じるケーリー=グラントの魅力でワクワク感が高まる。嵐の予感!
・見た目もジョニーに対する態度もそっけなくツンツンなリナだったが、ジョニーはリナが読んでいた本の中に、しおり代わりに自分の写真が載った新聞記事の切れはしがはさんであるのを見てニヤリと笑う。「脈あり……!」意外と落ちやすいかも。
・ウキウキでジョニーたちと教会に行く娘リナの様子を見て不思議に思う母マーサを演じるのは、ヒッチコックのイギリス時代の最高傑作といっていい『バルカン超特急』(1938年)でのミス・フロイ役で有名なメイ=ウィッティ。今作ではあんまり出番がないのが残念。
・教会に行くというのは完全なる方便で、その途中でかなり強引にリナを連れて2人で誰もいない田舎道にしけこむジョニー。出会って数時間ほどの午前中の段階でリナの髪の毛はいじるは身体をベタベタさわるは……たぶん現代どころか1940年代当時でもアウトな所業におよぶクズっぷりに拍車がかかる。ほんと、ケーリー=グラントじゃないと映像化はムリですね。
・異様なまでに急接近してくるジョニーにドン引きしたリナは自宅に戻るが、そこで両親であるマクレイドロー将軍夫妻の「あいつ(リナ)は恋愛に奥手そうだし、結婚はしばらくはないだろ。」という発言を盗み聞きしてしまい、ついカッときてジョニーの唇を奪って交際を始めてしまう。ここで、ヘンなのがジョニーじゃなくてリナだというふうに立場が一瞬で逆転するスピード感がマンガのようである。レディスコミックだね~。
・リナの父で、女性問題だいかさまギャンブルだと浮ついたニュースの多いジョニーに悪印象しか持っていない頑固なマクレイドロー将軍を演じているのは、イギリスで「サー」の叙勲を受けている名優セドリック=ハードウィック(1893~1964年)。え! 「ハードウィック」!? そうなんです、このセドリック卿はグラナダTV 版『シャーロック・ホームズの冒険』シリーズ(1984~94年)の2代目ワトスン役でつとに有名な俳優エドワード=ハードウィック(1932~2011年)のご尊父なのです! そういえばエドワードもちょいちょいハリウッド映画に出ていたが、お父様もハリウッドスターだったのね。でも彼もまた、本作では出番がちょっとしかないのが残念。
・自分のことを恋愛ベタだと思っている両親にあてつけるかのように、ジョニーからきた電話に嬉々として出るリナ。しかしそれ以来1週間ジョニーからの連絡はぱったり止まり、リナはジョニーの写真を眺めたり自分から電話をかけたり郵便局の自分宛私書箱を調べたりと、いったん距離を置く「飢餓戦術」に見事にひっかかり、勝手にジョニー一途になっていく。ジョニー、恐ろしい男やでぇ!
・自邸でパーティがあっても「頭痛い……パーティ出たくない……」とうなっていたリナが、ジョニーからのパーティ行くヨという電報を読んだ瞬間にケロッと治ってニッコニコでドレスを選び出すという描写が、それを演技達者なフォンテインがやっているだけに余計に面白い。20代中盤という絶妙な年齢のわりに小娘みたいな挙動がバカっぽいけど、そこがチャーミングですよね。
・大好きなジョニーがパリッとした正装姿でパーティに来て、呆れかえる両親や友達連中を尻目に私と踊ってくれて、高級車でドライブに連れて行ってくれる。そして車の中で……というマンガみたいな展開が、まさにリナが見ている白昼夢のようで、始終酔っぱらったようなにやけ顔になっているリナがなんだか気の毒にすら見えてくる。だって、このまんまうまくいくわけないもんね、これ、ヒッチコック映画だから……始まってまだ30分も経ってないから……
・もう何回すんねんというくらいにジョニーとのキスを重ねるリナなのだが、そんな彼女を演じているのが、あの『レベッカ』で夫との冷え冷えとした新婚生活に苦悩するヒロインを演じたフォンテインなので、まるで本作が『レベッカ』のパラレルワールドのような不思議な世界に見えてくる。やっぱ、結婚するならしかめっ面のローレンス=オリヴィエよりこっちよね~!
・ついにリナは家を飛び出し、両親の許可を得ないままジョニーと結婚してヨーロッパのイタリア、フランスへと新婚旅行に出てしまう。ここらへんの経緯を2人のキャリーバッグに貼られたご当地ステッカーで説明する演出が非常にスマート。
・夢のような気分で新婚旅行を楽しみ、ジョニーが購入したというメイド付きの新居での生活を始めるリナだったが、ついにここで知りたくなかったジョニーの素顔を見てしまう。ジョニーはまるで生活能力のない無職の借金常習者で、新婚旅行の費用1千ポンド(現在の貨幣価値にして約800万円)も新居の購入費も、すべて知り合いからの借金で捻出したものだったのだ。一気に顔の青ざめるリナだが、ジョニーは「これからは君が用立ててくれればいいさ☆」と底なしの笑顔を見せる。こ、こわい……サイコ方面とは違うのだが、自分の置かれている、地獄に落ちる断崖の一歩手前のような状況に全く気づいていないジョニーの麻痺っぷりが恐ろしすぎる!! そんな現実、知りたくなかった……でも、これぞヒッチコック映画!
・マクレイドロー家から送られてきた結婚祝いの椅子セットにジョニーが閉口するくだりはちょっとしたコミカルなシーンだが、こういうところで「借金大好きで伝統に無関心なジョニー」と「借金を恥として嫌い伝統を重んじるリナ(マクレイドロー家)」という価値観の大きな溝をはっきりと提示してくれる脚本が非常に巧妙である。さて、現代においてはどちらのほうが正常なのか……
・ジョニーの親友で、リナにうっかりジョニーが競馬を止めていないことをバラしてしまう中年男ビーキーを演じるのは、フォンテインと同じく『レベッカ』以来のヒッチコック作品出演となるナイジェル=ブルース。この人いつもうっかりしてるな。ナイジェルといえば言うまでもなくベイジル=ラズボーン版シャーロック=ホームズシリーズ(1939~46年)での功罪相半ばする「うっかりワトスン」役なので、できればセドリック卿と共演してほしかった! ワトスン VS ワトスンの父!!
・両親が結婚祝いに贈ってくれた先祖伝来の椅子セットを、事前に断りもなく知らないアメリカ人に売ってしまったと語るジョニー。しかもくだんの椅子は、近くの町にある質屋のショーウィンドウに飾られていた……その発言が全く信用できないジョニーのふるまいにいよいよ心が離れそうになるリナだったが、競馬で2千ポンド(今でいう1600万円!)もうけたジョニーは椅子セットを買い戻し、リナは喜びの笑顔を見せるのだった……でも、それでええんかリナはん!? 今回たまたま結果オーライになっただけですよ……たまたま当たったから良かったけど、旦那さん1レースに200ポンド(160万円)賭けたって言ってるよ。
・その後もジョニーは「競馬はもうやめる」と言っていたが、平日の昼間に競馬場でジョニーを見たという友人のチクリから疑念を再燃させたリナは、ジョニーが勤務しているはずの不動産屋に行き様子を伺ってみる。すると、なんとジョニーは1ヶ月半も前に不動産屋の金2千ポンドを持ち逃げした疑いでクビになっていた……え? じゃあ、競馬で2千ポンド当てたっていう話も……リナの心はもうズタボロ!
・いよいよジョニーと別れようと心に決めるリナであったが、折悪しくリナの父マクレイドロー将軍が死去したとの報が届き、離婚の話はいったん保留となる。この時の電報の日付が「1938年7月」となっているので、つまりジョニーとリナの結婚生活は3年ちょっとは続いていたということになる。よく続いたもんだな!
・マクレイドロー邸での遺産相続発表の結果、リナには毎年500ポンド(400万円)の手当と将軍の肖像画が贈られることに。ゼロではないにしても、将軍の妹(リナの叔母)一家には計6千ポンド(約5千万円)の遺産が贈与されているので、これはもう事実上の勘当扱いであることに違いなく、ジョニーが失望を隠さず自暴自棄な態度になるのも仕方のないことである。でも生前から関係は最悪だったと思うので、何もかもジョニーの自業自得よ。
・不動産屋をクビになって間もないのに、ジョニーは性懲りもなく近所の海岸の土地をビーキーの出資で購入してホテルリゾートにすると言い出し、その意図をはかりかねるリナは再び不信感を再燃させる。そんな中、アルファベットの書かれた積み木を使った言葉遊びゲームでたまたま「 MURDER(殺人)」の文字を作ったリナは、土地の下見と称してビーキーを海岸の断崖に連れ出し、背後から突き落とすジョニーの姿を妄想して失神してしまう。映画も半分を過ぎてやっとサスペンスらしい雰囲気が漂い出す重要なシーンなのだが、ちょっとヒッチコックにしては妄想シーンが陳腐(落下するビーキーのバストショットくらい)なのが逆に珍しい。のちにさまざまな傑作で悪夢的妄想を映像化していくキャリアを考えると、かなり「らしくない」処理である。どったの?
・失神から目を覚ましたリナは、いても立ってもいられなくなり車をぶっ飛ばして断崖に様子を見に行き、悄然として帰宅する。ここのくだりは情緒不安定になったリナを描くだけのシーンなのだが、セリフ無しで約2分半ももたせる演出が、ヒッチコックがサイレント映画出身の職人であることをそうとう久しぶりに思い出させてくれる。でも、ここが面白いのは映像演出よりもフォンテインの表情の演技のおかげなんですけどね。一人でオープンカーを飛ばす思いつめた表情の横顔が、かっこいいのなんのって! ぷれいばっ、ぷれいばっ♪
・夫の殺意はわたしの勘違いか……と安心させておいてからの、唐突なビーキーのフランス・パリでの不審死。そしてそこには正体不明な「英語をしゃべる男」の影が……いよいよサスペンス映画らしくなってきたわけだが、ここらへんからいきなり寡黙になるジョニーと、セリフ無しの表情演技だらけになるリナとがつむぎ出す緊張関係がすばらしい。ここまでの1時間くらいの流れと温度差が違いすぎてカゼひく!
・映画の本筋とは全く関係ないのだが、ホジスン警部と一緒にリナを尋ねる郡警察の若いベンスン刑事(演ヴァーノン=ダウニング)が、リナの家の壁に掛けてある抽象的な静物画の前でいちいち立ち止まり絵を凝視する姿がミョ~に印象に残る。ヒッチコック監督、これにはどんな意味が……? なんか、ここだけ後年のデイヴィッド=リンチ監督の世界を連想させる「ふしぎな間」がただよっている。わけわかんないけど、面白いからヨシ!!
・目撃者の証言によると、ビーキーは飲み屋で「英語をしゃべる男」に無理にブランデーの一気飲みを強要された末に急死したという。その男が夫ジョニーではないかと疑うリナは、近所の女流推理小説家イゾベルのもとに相談に行くが、イゾベルもまた、ビーキーの死は意図的な殺人であると見ていた。ここでいきなりアガサ=クリスティみたいな味のあるキャラが前面に出てくるのがやや唐突なのだが(それ以前のシーンでちょっとだけ顔は見せている)、当然ながらこのイゾベルは、フランシス=アイルズの原作小説『レディに捧げる殺人物語』にも登場する人物である(出番はもっと多い)。そういえばクリスティも、自身の「エルキュール=ポアロ」シリーズの中に女流推理小説家アリアドネ=オリヴァを登場させているので、「ご近所のおばさん推理小説家」という設定は推理小説にはうってつけのキャラクターだったのかも知れない。なんか、男の作家さんよりも話しやすいのかな。男だと松本清張とかいささか先生みたいだしね。
・イゾベルがリナに話す「リチャード=パーマー」という毒殺犯のモデルは、「19世紀で最も有名な犯罪者」「毒殺王子」と呼ばれたイギリスの犯罪者ウィリアム=パーマー(1824~56年)であると思われる。このパーマーは、まさに「酒飲み勝負」で相手を急死させたり競馬で借金した相手がパーマーの家で不審死したりと、本作のジョニーのキャラクター造形に大きな影響を与えた存在のようである。たぶん、当時この映画やアイルズの原作小説を読んだ人の多くも、パーマーの事件を即座にイメージしていたのではないだろうか。実録ヴィクトリア朝犯罪史!!
・ある朝、リナはついに、自分に相談もなしにジョニーがリナに多額の生命保険金をかけていることを知り、いよいよ疑念が確信へと変わっていってしまう。表向きは変わらず愛妻家でいるジョニーなのだが、ジョニーとキスをした時のリナの表情が、映画の序盤と今とでびっくりするほど違うのが、さすがフォンテイン、この作品でオスカーを掴むだけのことはある名演! 本作でのケーリー=グラントはヒッチコック作品史上最もハンサムな男性主人公だが、ジョーン=フォンテインは間違いなくヒッチコック作品史上最も知的なヒロインである。
・ジョニーへの不信から心身ともに衰弱しきったリナは熱を出して丸一日寝込んでしまう。見舞いに来たイゾベルと「絶対に検出されない毒」の話をした後、ジョニーが就寝前の牛乳の入ったグラスを持ってきてくれても、リナは全く手をつけることができないのだった……リナの疑惑を見事に象徴する挿話なのだが、ここで炸裂するのが、もはや世界映画史上の伝説となっている「光る牛乳」の演出である。すなはち、毒が入っているかもしれない牛乳の恐怖を映像化するために、ヒッチコックは牛乳の入ったグラスに豆電球を入れて光らせ、わざと電気を消した暗い家の階段をジョニーが牛乳を持って上ってくることで、漆黒の闇の中から真っ白な牛乳を持った黒い人影が迫ってくるという象徴的な画を作り出すことに成功したのである。まさしく、リナのイメージを現実の映像に変換するという表現主義的技法! ヒッチコックのキャリアの原点であるサイレント映画の世界に立ち返るような奇想である。でも、ほんとに牛乳の中にライトを入れたら光るのかな……こんど試してみよう! じゃあコーヒー牛乳は? 森永カルダスは? キッコーマンの豆乳は!? よし、これでこの夏の自由研究はきまりだ!!
・ジョニーとの2人きりの生活に耐えられなくなったリナは、カゼを理由に2~3日実家に帰ろうとするが、ジョニーは車に乗せていくと言って運転を申し出る。そして2人の車は、海岸沿いの断崖の道へ……ここらへんの流れるように断崖のクライマックスにつながっていくお膳立てが非常に小気味いい。観客の動悸を上げていくようなアップテンポな音楽もぴったりである。さぁ、ジョニーは本当に殺人者なのか? リナは助かるのか!? 衝撃の結末は……え~!? そんなん、あり!? よくぞまぁ、そんな感じのエンディングに持ってこれましたね! ハリウッド映画ならではの「力技」、ここにきわまれり!!
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9割がた「龍」なんだけど……最後の最後で蛇尾ったワン ~映画『八犬伝』~

2024年11月11日 09時24分56秒 | ふつうじゃない映画
 はいはいど~もみなさま、おはようございます! そうだいでございまする。いや~、いよいよ秋めいてまいりましたねぇ。

 さてさて、今年の秋、だいたい映画『箱男』くらいから始まりました、極私的な「秋のおもしろ新作ラッシュ」も、ついにおしまいを迎えることとあいなりました。『黒蜥蜴2024』でしょ、『カミノフデ』でしょ、『傲慢と善良』でしょ、『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』でしょ……うん、こうやって振り返ってみると、ぜんぶがぜんぶ大当たり!というわけでもなかったのですが……まぁ、新作なんてそんなもんですわな。

 そいでま、今回取り上げるのは、それら秋の強化月間の掉尾を飾る、この一作でございます。


映画『八犬伝』(2024年10月25日公開 149分 キノフィルムズ)
 『八犬伝』は、山田風太郎(1922~2001年)の長編小説『八犬傳』(1982~83年連載、現在は角川文庫より上下巻で発刊)を原作とする映画作品である。
 江戸時代の読本(よみほん)作者・曲亭馬琴(1767~1848年)の長編伝奇小説『南総里見八犬伝』(1814~42年)をモチーフに、28年もの歳月を費やし失明してもなお口述筆記で書き続け全106冊という大作を完成させた馬琴の後半生や浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849年)と馬琴の交流を描く「実の世界」と、『南総里見八犬伝』作中での、安房国大名・里見家にかけられた呪いを解くために八つの珠に引き寄せられた八人の剣士たちの運命を描く「虚の世界」との2つの世界が交錯する物語となっている。
 本作の撮影は、香川県琴平町の旧金毘羅大芝居(金丸座)、兵庫県姫路市の姫路城・亀山本徳寺・圓教寺、滋賀県長浜市の大通寺、山梨県鳴沢村などで行われた。

あらすじ
 時は江戸時代後期、文化十(1813)年。
 人気読本作家の曲亭馬琴は、親友の浮世絵師・葛飾北斎に新作読本の構想を語り始める。それは、由緒正しい大名・里見家にかけられた恐ろしい呪いを解くために、里見の姫が祈りを込めた八つの珠を持つ八人の剣士たちが運命に引き寄せられて集結し、壮絶な合戦に挑むという、壮大にして奇怪な物語だった。
 北斎はたちまちその物語に夢中になるが、馬琴から頼まれた挿絵の仕事は頑なに断る。しかし頻繁に馬琴を訪ねては物語の続きを聞き、馬琴の創作の刺激となる下絵は描き続けるのだった。やがてその物語『南総里見八犬伝』は、馬琴の生涯を賭けた仕事として異例の長期連載へと突入していくが、物語も佳境に差し掛かった時、老いた馬琴の目は見えなくなってしまう。苦悩する馬琴だったが、義理の娘のお路から「手伝わせてほしい」と申し出を受ける。
 馬琴は、いかにして失明という困難を乗り越え、28年もの歳月を懸けて物語を書き上げることができたのか? そこには、苦悩と葛藤の末にたどり着いた、強い想いが込められていたのだった。

おもなキャスティング
曲亭 馬琴 …… 役所 広司(68歳)
葛飾 北斎 …… 内野 聖陽(56歳)
滝沢 お路 …… 黒木 華(34歳)
滝沢 鎮五郎 / 宗伯 …… 磯村 勇斗(32歳)
滝沢 お百 …… 寺島 しのぶ(51歳)
渡辺 崋山 …… 大貫 勇輔(36歳)
葛飾 応為 …… 永瀬 未留(24歳)
四世 鶴屋 南北  …… 立川 談春(58歳)
七世 市川 団十郎 …… 二世 中村 獅童(52歳)
三世 尾上 菊五郎 …… 二世 尾上 右近(32歳)
丁字屋 平兵衛   …… 信太 昌之(60歳)
歌舞伎小屋の木戸番 …… 足立 理(36歳)

里見 伏姫   …… 土屋 太鳳(29歳)
犬塚 信乃   …… 渡邊 圭祐(30歳)
犬川 壮助   …… 鈴木 仁(25歳)
犬坂 毛野   …… 板垣 李光人(22歳)
犬飼 現八   …… 水上 恒司(25歳)
犬村 大角   …… 松岡 広大(27歳)
犬田 小文吾  …… 佳久 創(34歳)
犬江 親兵衛  …… 藤岡 真威人(20歳)
犬山 道節   …… 上杉 柊平(32歳)
大塚 浜路   …… 河合 優実(23歳)
玉梓の方    …… 栗山 千明(40歳)
金碗 大輔 / 丶大法師 …… 丸山 智己(49歳)
金椀 八郎   …… 大河内 浩(68歳)
里見 義実   …… 小木 茂光(62歳)
扇ヶ谷 定正  …… 塩野 瑛久(29歳)
船虫      …… 真飛 聖(48歳)
網乾 左母二郎 …… 忍成 修吾(43歳)
赤岩 一角   …… 神尾 佑(54歳)
大塚 蟇六   …… 坂田 聡(52歳)
犬田屋 文吾兵衛 …… 犬山 ヴィーノ(56歳)
姨雪 世四郎  …… 下條 アトム(77歳)
姨雪 音音   …… 南風 佳子(60歳)
足利 成氏   …… 庄野﨑 謙(36歳)
横堀 在村   …… 村上 航(53歳)
河鯉 守如   …… 安藤 彰則(55歳)


おもなスタッフ
監督・脚本 …… 曽利 文彦(60歳)
製作総指揮 …… 木下 直哉(58歳)
撮影    …… 佐光 朗(66歳)
音楽    …… 北里 玲二(?歳)
配給    …… キノフィルムズ


 いやぁ、八犬伝ですよ。ここにきて、日本文学史上に燦然と輝く大名作『南総里見八犬伝』を原作とした作品のご登場でございます!

 私はねぇ……『南総里見八犬伝』には、ちとうるさ……いというほどでもないのですが、色々と思い入れはあるんですよね。
 まず、大学時代に専攻ではないのですが『南総里見八犬伝』研究の大家である先生の講義や実習を受けたことがありまして、まぁ真面目に受講していなかったので身につくものはほとんど無いダメ学生だったのですが、最低限、曲亭馬琴のことを「滝沢馬琴」と呼んでは絶対にいけないというルールくらいは覚えました。
 その後、千葉暮らしの劇団員だった時に劇団の公演で『南総里見八犬伝』を元にした舞台の末席に加えさせていただきました。なんてったって千葉県ですから、そりゃ『南総里見八犬伝』はやりませんとね。里見家とは直接の関連は無いのですが、千葉市は亥鼻公園にある天守閣を模した外観の千葉市立郷土博物館を前に、物語の登場人物を演じることができたのは、分不相応ながらも良い思い出であります。その頃、下北沢の古書ビビビで購入した岩波文庫版の『南総里見八犬伝』全10巻を読破したのはうれしかったなぁ~。江戸文学、がんばれば読めんじゃん!と。
 そして、最近ともいえないのですが、6、7年前に仕事の関係で『南総里見八犬伝』にまた関わることがありまして、その時は原書に加えて、学研から出ている児童向けコミカライズや、講談社青い鳥文庫、角川つばさ文庫のジュブナイル版などを参考にしました。あと、2006年の TBSスペシャルドラマ『里見八犬伝』(主演・滝沢秀明)や1983年の映画『里見八犬伝』(主演・薬師丸ひろ子)も当然、観ました。映画の『里見八犬伝』はクソの役にも立ちませんでした。
 惜しむらくは、NHKで放送されていた伝説の連続人形劇『新八犬伝』(1973~75年放送 人形制作・辻村ジュサブロー)を観れていないことなんですよねー。人形はジュサブローさんの美術展で観たことあるんだけどなぁ。

 まぁ、そんなこんなで要は、わたくしは『南総里見八犬伝』が大好きだということなのであります。好きなキャラは籠山逸東太(こみやま いっとうだ)です!

 そんな私が、今回の映画『八犬伝』の公開を心待ちにしていたことは火を見るよりも明らかであったわけなのですが、ここで注意しておかなければならないのは、本作が曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の直接の映画化作品では決してない、ということです。ややこしや!

 そうなんです、上の Wikipedia記事にもある通り、この映画はあの「忍法帖シリーズ」で戦後昭和のエンタメ界を席巻した人気小説家・山田風太郎の長編小説『八犬傳』を原作としているのです! そして、山田風太郎にはこの『八犬傳』の他にもう一つ、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』に想を得た『忍法八犬伝』(1964年連載)という奇想天外忍術時代小説も存在しているのです! うわ~、沼また沼!! 八犬伝ワールドは広大だわ……

 え? 読みましたよ……そりゃあーた、『八犬傳』も『忍法八犬伝』も、どっちも読んだに決まってるじゃないですか。残念ながら映画を観るまでには間に合わなかったのですが、どっちも読みましたよ、だって面白いんだもん!!

 正直申しまして、山田風太郎の2作品のうち、面白いのは圧倒的に、映画化されなかった方の『忍法八犬伝』のほうなのですが、こちらはもはや「メディア化なんてクソくらえ!!」とばかりに、撮影技術的にも放映倫理的にも映像化300% 不可能な桃色忍術合戦のオンパレードになっており、山田風太郎の小説かエロゲーの中でしかお目にかかれないようなバカバカし……幻惑的なイリュージョンが目白押しの一大絵巻となっております。すばらしすぎる。そりゃ角川春樹も映画化しないわ。
 ちなみに概要だけ触れておきますと、こちらの『忍法八犬伝』は曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の続編のような内容となっており、馬琴の物語で大団円を迎えた里見家と八犬士の子孫たち(約120年後 里見家当主は里見義実の9代あとの里見忠義)が、江戸時代初期の「大久保忠隣失脚事件」(1613年)に連座して改易された史実を元にした……んだかなんだかよくわかんない崩壊劇となっております。でも、史実を最大限遵守したタイムスケジュールになってるのがすごいんだよなぁ。
 ほんと、ものすごい「里見一族の滅亡」ですよ。あの、八犬士たちの高潔な志はどこにいったんだと……まさに国破れて山河在りといったむなしさで、ペンペン草ひとつ残らない気持ちいいまでのバッドエンドは、まさに山風ならではのニヒリズムといった感じなのですが、そのラストシーンに、読者の誰もがその存在を忘れていた「あの人」がふらふらと通りすぎるというオチは、もう見事としかいいようがありません。あ~、君いたね~!みたいな。ほんと、読者をたなごころでクルクル回す手練手管ですよね。曲亭馬琴もすごいけど、山田風太郎も相当やっべぇぞ!!

 え~、いつも通りに脱線が長くなりました。

 それで今回映画化された小説『八犬傳』についてなのですが、こちらはほぼほぼ、映画版と同じ筋立てとなっております。つまりは「江戸時代の曲亭馬琴パート」と「南総里見八犬伝パート」のか~りぺったか~りぺったで物語が進んでいくスタイルですよね。

 ほんで、この『八犬傳』は1980年代前半の小説ということで、山田風太郎の還暦前後の作品ということもあってか、約20年前に『忍法八犬伝』に見られた全方位に噛みつくごときアグレッシブなストロングスタイルはさすがに鳴りをひそめて、かなり忠実に曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の世界をなぞりつつ、その一方でそういった「正義の叙事詩」を世に出した、出さなければならなかった馬琴の実人生を克明に小説化した端整な物語となっております。うん、映画化するんなら絶対こっちのほうだわ。

 ただ、ここで大きな問題となってくるのが、この小説『八犬傳』のあまりにも落ち着きすぎた締めくくり方なのでありまして、端的に言ってしまうと、「馬琴はなんとか『南総里見八犬伝』を完成させましたとさ。おしまい!」みたいな感じで、かなりスパッと終わっちゃうんですよね。正直申しまして、「風太郎先生、電池切れたな……」と察せざるを得ない、余韻もへったくれもないカットアウトなのですが、小説はそれでいいとしても、2時間30分も観客を引っ張り続けた映画は、そうはいきませんやね! 今作は、そういうところでかなり苦労したのではなかろうかと。

 実のところ、私が今回の映画作品を観て強く感じたのも、「この風呂敷、どうやってたたむんだろう?」というところ、ほぼ一点でした。

 だって、『南総里見八犬伝』のダイジェストに加えて、失明してもなお執筆をやめなかった馬琴の生涯を描くんでしょ? 主演、役所広司さんと内野聖陽さんなんでしょ!? 玉梓の方を栗山千明姫が演じるんでしょ!? 面白くならないはずがないじゃないですか。
 だとしたら、その際限なく豪華絢爛になってしまった物語をどう締めるのか。ここが唯一最大の課題だと思うんですよ。そして、残念ながらその解決策は、肝心カナメの原作小説には存在していないのです……どうする!?

 そんでま、それに対する映画版オリジナルのエンディングは、確かに用意されていました。されてはいたのですが……
 う~ん、THE 無難!! まぁそうなるかなという、100人が考えたら80人くらいが思いつきそうな『フランダースの犬』オチとなっていたのです。

 いや、うん、わかる! だいたい、原作の風太郎先生がほっぽっちゃってるんですから、それよりひどい締め方にはなりようもないはずなのですが、も~ちょっとこう、ねぇ! そんな小学生向けの学習マンガみたいな安全パイじゃなくて、「令和に『八犬伝』を世に出した曽利文彦ここにあり!!」みたいな、観客に爪跡を残す伝説を創ってほしかったなぁ、と。

 惜しい! 実に惜しいんですよね。そこまでけっこう面白かったんですから!
 まず、正義をつらぬく八犬士たちが悪をくじいて平和を勝ち取るという『南総里見八犬伝』の世界に反して、やることなすこと上手くいかず家庭もほぼ崩壊という悲劇に見舞われる曲亭馬琴という対立構造が非常に興味深く、なんとか息子の嫁お路の献身的な協力を得て『南総里見八犬伝』を完結させた馬琴ではありましたが、その怪物的な創作エネルギーの犠牲になったかのようにこの世を去って行った息子・宗伯や妻・お百の存在価値とは一体なんだったのかというところが、映画『八犬伝』なりの大団円を迎えるためのキモだったと思うのです。

 ところがどうでい! あんなエンディングじゃあ、馬琴は浮かばれたとしても、宗伯やお百の魂魄は地上に縛られたまんまじゃねぇんですかい!? そんな自分勝手なカーテンの閉め方、あるぅ!? 寺島しのぶさんが化けてでるわ!!
 とにかくどんな言葉でもいいから、苦悶の表情を浮かべて死んでいった宗伯やお百に対する馬琴の姿勢のようなものは見せてほしかったです。あれじゃ馬琴自身がボケて2人のことを忘れちゃってる可能性すらある感じでしたからね。カンベンしてよ~!!

 いや~、ほんとこの映画、最後の最後までは面白く観たんだよなぁ。特に現実の江戸世界のパートに関しては、もう文句のつけようもないくらい最高のキャスティングと演技で、いつまでも、2時間でも3時間でも観ていられる感じだったのですが。

 主演の役所さんも内野さんも当然すばらしく、お路役の黒木華さんも言うまでもなく最高だったのですが、私が特に目を見張ってしまったのは、「フィクションだからこそ正義が勝つ!」という創作哲学を堅持する馬琴に大いに揺さぶりをかける、「悪が勝つのが現実じゃござんせんか」理論を展開したダークサイドの売れっ子作家・四世鶴屋南北を見事に演じきった立川談春さんの大怪演でした。これ、ほんとすごかった!
 正義至上主義の馬琴に対して、へらへらと嗤いながらも昂然と反駁する舞台奈落のブラックすぎる南北……絵的にも、地下から見上げる馬琴と地上の舞台装置から顔を逆さまにして見下す南北ということで、まるでトランプのカードのような対称配置が非常に面白い会話シーンだったのですが、ここ誇張表現じゃなく、あの『ダークナイト』(2008年)を彷彿とさせる正義と悪の名対決だと思いました。それで、正義派の馬琴が結局は南北に言い負かされた形で終わっちゃうんだもんね! 南北もまた、ものすごい才能だったのね~。

 ところで、史実の南北は馬琴の12歳年上だったらしいので、実際には『スター・ウォーズ』サーガの銀河皇帝パルパティーンみたいなヨボヨボのじいさまが、「ふぇふぇふぇ……馬琴くんも、まだまだ若いのぉ。」みたいな感じであしらう雰囲気だったのかも知れませんね。ま、どっちでも面白いけど!
 余談ですが、映画のこのシーンで、馬琴と北斎を舞台奈落に案内する、いかにも歌舞伎の女形さんっぽいナヨッとした木戸番さん(演・足立理)がいたじゃないですか。「あの、そろそろ蝋燭が消えます……」って言ってた人。
 あの人、風太郎先生の小説にもちゃんと出てくるのですが、小説ではなんと、江戸時代でもかなり有名な「あの人」の仮の姿という設定になってるんですよね! 話がややこしくなるので映画でカットされちゃったのは仕方ないですが、気になった人はぜひとも原作小説を読んでみてください。いや~、化政文化、激濃な才能が江戸に集まりすぎよ!!

 まぁまぁ、こんな感じで馬琴の現実パートはほんとに面白かったんですよね。

 もちろん、それに対する『南総里見八犬伝』パートも負けずに楽しかったのですが、やっぱりまともに全部映像化するのは絶対にムリということで、犬村大角の発見以降の物語の流れがいきなり雑になってしまったのは、予想はつきつつも、やっぱり残念ではありました。いや、しょうがないんですけどね!
 この、『南総里見八犬伝』における「犬村大角が出たとたんにザツ化問題」は、八犬士を探すために東日本各地に散った主要メンバーが、再び安房国(房総半島のはしっこ)に集結するまでの「帰り道でのなんやかやがめんどくさすぎ」であることと、八犬士の大トリである『ドラゴンボール』の悟空なみにチートなスーパーヒーロー少年・犬江親兵衛の登場&加入を物語るパートの「規模が京都まで拡大してめんどくさすぎ」であることが起因しているわけなのですが、これをまともに追うわけにはいかない大抵のダイジェスト小説や映像作品は、このあたりをまるっとはしょって、「まぁ色々あったけど八犬士が集まって、玉梓の方が転生した悪者をやっつけたヨ!」という、まさに今回の映画版がそうしたような雑な RPG的展開に堕してしまうのです。

 いや、しょうがねぇよ!? しょうがねぇけど、この場合、いちばんの被害を被ってしまうのは、満を持しての大活躍をほぼ全てカットされてしまう犬江親兵衛くんなのでありまして、今回の映画を観た人の多くも、「なんだ? あの唐突に馬に乗って現れた親兵衛ってガキは?」という印象を持ったかと思います。親兵衛かわいそう! さすがの藤岡マイトくんをもってしても、あのとってつけた感を拭い去ることはできなかったでしょう。
 あと、最後の八犬士 VS 玉梓の方の決戦シーンも、なんだかほんとに典型的な RPGの魔王の城といった感じで、右手だけムッキムキになって定正を締め上げる玉梓も、な~んかチープになっちゃいましたよね。あれ、 CGでちょろっとでもいいから、ムキムキになった腕を袖の中にしゅるっと引っ込める描写を入れたらよかったのに、それをやらずにムキムキ腕の造形物を着けた栗山さんだけを撮っちゃうもんだから、コントみたいな肉じゅばん感が増しちゃったと思うんだよなぁ。あそこ、残念だったな……どうせ栗山さんなんだから、思いきって20年ぶりにあの射出型モーニングスター付き鎖鎌「ゴーゴーボール」を復活させればよかったのに! 栗山さん、たぶん喜んでやってたよ!?
 「八犬士が玉を集めたら勝てました。」っていうのも、ねぇ。ちょっと安易だけど、まぁフィクションなんだから、しょうがねっか。

 それはまぁいいとして、こちら『南総里見八犬伝』パートで輝いていたのは、やはり実質主人公格である「名刀村雨丸」の使い手・犬塚信乃を好演した渡邊圭祐さんと、今年の NHK大河ドラマ『光る君へ』であんなにか弱い一条帝を演じたのに、本作では一転して悪辣非道な中ボス・扇ヶ谷定正を嬉々として演じていた塩野瑛久さんのお2方でしたね。

 いや~、渡邊さんはほんとにいい俳優さんですね! まさか、『仮面ライダージオウ』であんなに怪しげな3号ライダーを演じていた彼が、大スクリーンでこんなにもド正統な正義のヒーローを演じきる日がこようとは……非常に感慨深いです。
 古河御所・芳流閣における古河公方のリーサルウエポン犬飼現八との対決なんか、CG による誇張も非常にいいあんばいで手に汗握る名勝負だったのですが、あそこ、小説ではかなりタンパクに描かれているのですが、映画版は現八の武器である捕縄をうまく使って、いったん屋根から転落した信乃が捕縄を命綱にして城壁を垂直に走り、また屋根に登ってくるというムチャクチャなアクションを映像化してましたよね。あれ、絶対に小説版の『魔界転生』へのオマージュでしょ! やりますねぇ!!
 渡邊さん、かっこよかったなぁ~。アクションもカッコいいんですが、ふと俯き加減に黙り込むと、あの天本英世さんをちょっと思い出させるような知性もにじみ出るんですよね。これからの活躍にも期待大です! 祝え、大名優の誕生を!!

 いっぽうの塩野さんなのですが、完全にやり慣れていないド悪役を、ムリヤリ悪ぶって演じているという不自然さが、「実は小物」という定正のキャラクターと妙にリンクしていて最高だなと思いました。これはキャスティングの勝利ですね! こんな定正、絶対に根っからの悪人じゃないもの! ちょっと酒グセと女性の趣味が悪いだけなんだもの。

 その他、『南総里見八犬伝』パートに出ている俳優さんで気になった人と言えば、2024年の映像界でいきなり有名になった河合優実さんが実質ヒロインの浜路を演じている点なのですが、いやいや、こっちのパートはフィクション世界なんですから、なんでそんなに「リアルな」お顔立ちの河合さんがヒロインを演じてらっしゃるのかな、という疑問は残りました。どう見たって現実パート顔でしょ。馬琴の近所の娘さんって顔じゃないの……いや、もうこれ以上は申しません。

 ヒロインと言えば、かつてあの『るろうに剣心』3部作で、あれほどキレッキレのアクションを見せていた土屋太鳳さんが、本作ではまるで身体を動かさない伏姫を演じるベテラン感をみなぎらせていたのにも、時の流れを痛感して感慨深くなりました。そうよねぇ、もうお母さんなんだものねぇ。


 と、まぁ、そんなこんなでありまして、もともと『南総里見八犬伝』ファンである私にとりまして今回の映画『八犬伝』は、直接の映画化作品ではないにしても、おおむね期待した以上に満足のいく作品でございました。単純に、観ていて楽しかった!
 ただ、それだけに惜しいのは、やっぱり最後の締め方なんですよね。そこさえ、他の作品に無い「なにか」を提示してくれさえすれば、邦画史上に残る完全無欠の名作になったはずなのですが……そこが非常に残念でなりません。役所さんだったら、どんな展開でも対応できたはずなのに、なんであんなに無難な感じになってしまったのか! まさにこれ、龍頭蛇尾。

 でも、現状可能な限り、最高級の逸材が集結した豪華絢爛な映画作品に仕上がったことは間違いないと思います。小さな画面じゃなくて大スクリーンで見ることができて良かった~!!


 いや~、『南総里見八犬伝』って、ホンッッッットに! いいもんでs……

 あ、思い出した。うちの積ん読に、あの桜庭一樹さんの『南総里見八犬伝』オマージュの『伏 贋作・里見八犬伝』(2010年)が未読のまま塩漬けになってたわ……プギャー! これ、『伏 鉄砲娘の捕物帳』(2012年)っていうアニメ映画にもなってるの!? エー、あの桂歌丸師匠が馬琴を演じてたの!?

 こここ、これを読まずして、観ずして『南総里見八犬伝』ファンだなどとは片腹痛し! おこがましいにも程がある!!

 また、出直してまいります……やっぱ『南総里見八犬伝』は広大だワン☆
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世界よ、これがハリウッドの風呂敷たたみだ ~映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』~

2024年10月28日 09時35分08秒 | ふつうじゃない映画
 え~みなさまどうもこんにちは! そうだいでございまする。
 いやぁ、なんだかんだ言っても、いよいよ秋めいてまいりましたね。今度の週末に私、福島県の土湯温泉に泊まりに行く予定があるんですが、紅葉はどうかなぁ。今月の頭に山梨まで車で往復した身としては、隣県の福島行きなんか気楽なもんにも思えちゃうんですが、なんにしろ遠出にはなるので、くれぐれも安全運転に心がけたいものです。よその県の温泉は、やっぱりワクワクするなぁ! 山形県内の温泉地ももうちょっとでコンプリートよ。待っててくれ、瀬見温泉!!

 ほんでもって今回は、秋にドバドバッとつるべ打ちになった「個人的に見たい映画・ドラマ」の中でも特に気になっていた、この作品でございます。ついに日本にも上陸しましたね!


映画『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(2024年10月公開 138分 ワーナー・ブラザース)
 『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』(原題:Joker: Folie à Deux)は、アメリカのスリラー映画。DCコミックスの『バットマン』シリーズに登場するスーパーヴィラン・ジョーカーを描いた2019年の映画『ジョーカー』の続編。前作に続いてトッド=フィリップスが監督し、ホアキン=フェニックスが主演するほか、ハーレイ・クイン役でレディー・ガガが出演する。
 タイトルの「Folie à Deux(フォリ・ア・ドゥ)」はフランス語で「二人狂い」という意味で、一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有する精神障害のことを指す。
 製作費2億ドル。アメリカ本国では R指定、日本では R15指定だった前作と異なり PG12指定での公開となる。

あらすじ
 前作『ジョーカー』で発生した連続殺人事件の2年後。
 アーカム・アサイラムで解離性同一性障害と診断されたアーサー=フレックは、音楽セラピーで出会ったリーと名乗る女性と打ち解ける。ハーヴェイ=デント検事補によるアーサーの責任能力を問う裁判が始まる中、リーはアーサーの子を妊娠したと告白する。


おもなキャスティング
アーサー=フレック …… ホアキン=フェニックス(50歳)
 かつてスタンダップコメディアンを目指していた元大道芸人であり、2年前に連続殺人を犯した男。脳の障害のため、自分の意思に関係なく突然笑いだしてしまう病気を患っている。

ハーレイ(リー)=クインゼル …… レディー・ガガ(38歳)
 アーカム・アサイラムの音楽セラピーに参加していた女性。アーサーと出逢い恋愛関係となる。

ジャッキー=サリヴァン …… ブレンダン=グリーソン(69歳)
 アーカム・アサイラムの看守。囚人たちを虐待し、アーサーを玩具にして散々な目に遭わせる。

メアリーアン=スチュワート …… キャサリン=キーナー(65歳)
 アーサーの弁護士。死刑回避のために2年前の連続殺人事件をアーサーの精神病の悪化による二重人格から起こったとして弁護し、責任能力の有無をめぐってデント検事補と争う。

ハーヴェイ=デント …… ハリー=ローティ(28歳)
 アーサーを起訴するゴッサムシティの新任地方検事補。アーサーを死刑にしようと精神面の問題を争点に責任能力の有無でスチュワート弁護士と対立する。

パディ=マイヤーズ …… スティーヴ=クーガン(59歳)
 獄中のアーサーにインタビューする人気テレビタレント。

ヴィクター=ルー博士 …… ケン=レオン(54歳)
 デント検事補が裁判に召喚した、アーサーの精神鑑定医。

リッキー=メリーネ  …… ジェイコブ=ロフランド(28歳)
 アーカム・アサイラムの若い囚人。アーサーに心酔している。

ハーマン=ロスワックス …… ビル=スミトロヴィッチ(77歳)
 アーサーの裁判の裁判長。

ゲイリー=パドルズ …… リー=ギル(?歳)
 2年前にアーサーの元同僚だった大道芸人。

ソフィー=デュモン …… ザジー=ビーツ(33歳)
 2年前にアーサーが恋愛関係にあると妄想していた、シングルマザーの元隣人。

デブラ=ケイン …… シャロン=ワシントン(?歳)
 2年前にアーサーを担当していた民生委員。

若い囚人 …… コナー=ストーリー(?歳)


おもなスタッフ
監督 …… トッド=フィリップス(53歳)
脚本 …… スコット=シルヴァー(?歳)、トッド=フィリップス
製作 …… トッド=フィリップス、ブラッドリー=クーパー(49歳)
音楽 …… ヒドゥル=グドナドッティル(42歳)
撮影 …… ローレンス=シャー(54歳)
制作・配給 …… ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ


 あ~、もう5年前のことになるんですかぁ。あの、R指定でありながら日本でも異様な熱狂を持って受け入れられた前作『ジョーカー』の、ほぼ同じスタッフ&キャスト陣による正統どストレートな続編であります。

 ええ、当然観に行きましたよ、私もおおそれながら DCコミックスファンだし、ジョーカーファンだし、ハーレイ・クインファン(ただし全身タイツ時代)でもありますからね。これは劇場に行かないわけにはいかないでしょ!

 前評判が決定的に悪い映画を観に行くっていうのは、つらいもんですね……まぁ、ファンだからかまやしないんだけどさ。

 私が観たのは、本作が日本公開されてから3回目の週末で、アメリカ本国での公開から見ると4回目の週末にあたるタイミングだったのですが、ネット上ではアメリカ公開の時点でかなり批判的な意見が多く、興行的にもかなり期待はずれな勢いになっているとのことです。
 実際、私が夕べ山形の映画館で観た時も、夜8~9時からの最終上映回だったことをさっぴいても10人いるかいないかのお客さんだったので、内容うんぬん以前の問題で「失敗」と言わざるを得ない結果を築きつつあるようですね……でも、お客さんの中にかなり硬派な、「どんな映画でもいいよ、俺たち愛し合ってるから!!」な雰囲気の、歩くたんびに全身がガッチャガチャ鳴るようなレザージャケット&チェーンまみれカップルがいたのには、なんだかほっこりしてしまいました。その心意気や、よし。

 ままま、そんな前評判はどうでもいいんですよ。要は観た私がどう感じたかなんだもんね! それで実際に観てみたわけなんですが、その感想はと言いますと、


こんなにきれいに前作の風呂敷たたみに終始した続編があっただろうか……もはや新作ですらない!?


 という感じでございました。いや、地続きもなにも、雰囲気から何からぜ~んぶ前作そのまんま!

 映画の長い歴史の中で、大ヒットした前作を強く意識して、「前でやらなかった新たな方向性で対抗しよう!」と舵を切った作品というものは、それこそ山のようにあります。『エクソシスト2』(1977年)しかり『エイリアン2』(1986年)しかり『ターミネーター2』(1991年)しかり……時系列的に遡って主人公役の俳優を代える手法を採った『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974年)もそうですし、ティラノサウルスをアメリカ本土の街中で大暴れさせた『ロストワールド ジュラシック・パーク』(1997年)もそう。そして、3代目ジョーカーことヒース=レジャーを唐突にぶっこんで来た漢クリストファー=ノーラン監督の『ダークナイト』(2008年)も、大成功した続編映画の枠に入れて良いのではないでしょうか。ちなみに、私がいちばん好きな続編映画は、『時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!』(1993年)です! うをを、ナタキンさま~!!

 そういった鼻息の荒い面々と比較しますと、今回の『 For リア充』……じゃなくて『フォリ・ア・ドゥ』が、いかに異質な映画であるかがよくわかるのではないでしょうか。
 こ、この作品、オレがオレがと前に出るがっつき感がまるでない! ていうか、劇中の盛り上がりシーンがことごとく、前作の名場面の流用じゃないか!! 新規撮影されたシーンはぜ~んぶ地味! ド派手なはずのミュージカルシーンも、ぜんぶ地味!!

 信じられない……いやホント、この映画、前作の制作費(約5500万ドル)の3~4倍のお金をかけて撮られてるんですよね? え……どこ? どこにそんなにお金がかかってんの!?

 これ、たぶんあれなんじゃない? 自分のことを全然描いてくれない前作を観てイラっときた本物のジョーカーがハリウッドに乗り込んできて、フィリップス監督をパンツいっちょにしてロッカーに押し込んだ挙句にメガホンを執って作った映画なんじゃない? 絶対にそうだよ! それで制作費の大半を持ち逃げしちゃってんだよ!!
 なんか、そういう筋のお話、ハーレイ・クイン(全身タイツ時代)とポイズン・アイヴィーが主人公のスピンオフコミックにありましたよね。あの時はバットマンが駆けつけて2人をとっちめてくれていましたが、今回は来てくれなかったか……『ザ・バットマン』の続編の撮影で忙しいのかな?

 地味だ……ほんと地味なんです、この映画。
 だいたい、ミュージカルシーンが収監中のアーサーの脳内妄想であることは明らかですし、物語の後半の舞台が法廷なんですから、地味なのはシナリオの時点でわかっていたはずなんですが、それを全く変えずにドドンッとまんま映像化してしまったその信じられないまでのクソ度胸は、さすが前作で「ジョーカーが全然出てこないジョーカー映画」を撮ったフィリップス監督といった感じなのですが、やはり今回ばかりは大方の支持は得られていないようで……でも、ギャンブルってそういうもんよね。

 本作は徹頭徹尾、前作で5人を殺害したという罪状で収監中のアーサーのその後を描く内容になっており、過酷ながらも前作よりはいくらか精神的に平穏な獄中生活を送っていたアーサーに、彼のファンと名乗る謎の女リーが現れたところから、アーサーの中に封印されつつあった狂気「ジョーカー」が再び胎動を始める……といった内容になっております。

 そういう感じなので、ほぼ全編にわたってお縄になっている状態のアーサーが、前作の「マレー=フランクリン・ショー」で見せたような完璧な状態の犯罪道化師に戻ることができるはずもなく、定番の赤い焼いもルックを見せてくれるのは冒頭のアニメか、物語のはしばしでのミュージカルシーンだけとなっております。現実の法廷で着ていたのは、赤に近い地味な赤茶色のジャケットでしたよね。

 でも、あの能天気なアニメ開幕のあとに出てくるアーサー役のホアキンさんのガリッガリの上半身のインパクトは、やっぱりCG とかでは絶対に出せない凄絶なオーラをまとっていますよね。作品の出来不出来関係なく、ホアキンさんがあの身体に戻ってくれたってだけで、劇場でお金払って観る価値はあると半ば強引に納得させられちゃいますからね。また命削ってるよ、この人……だって、『ジョーカー』のあとに、あの『ボーはおそれている』で、年齢相応のだるんだるんな中年体型になってから、また今作でこうなってるんでしょ!? 頭おかしいって!

 先ほども申したように、この作品は前作以上のカタルシスを!といったような野心は全くなく、ただひたすらに、殺人者となってしまったアーサーを断罪し、アーサーの信奉者となったリーをはじめとする多くのゴッサムシティの若者たちに冷や水をぶっかけて「目ェさませ!!」と一喝するような、まるで前作でアーサーをカリスマ犯罪者に祭り上げた風呂敷を「すんませんでした……」とたたんで片付けるかのような処理作業に終始している、ただこれだけの138分間なのでございます。
 それはまぁ、そうですよ。個人的な感情で衝動的に犯罪をおかした人間が前作であそこまで世界的に受け入れられたというのは、アメコミの超有名な悪者キャラがウケたとは全く別の現象で、確かに異常な事態ではありました。そのフィーバーに対して何らかの危機感をいだいたフィリップス監督が、まるで庵野秀明監督のように「いやあの、落ち着いてください。」と真摯に応対したのが、この『フォリ・ア・ドゥ』のクソがつくほど真面目な姿勢につながったのかも知れません。

 ですので、そういう意味で言うのならば、本作はこれまでに世に出たどの続編映画よりもマジメで、まごころに満ちた「風呂敷たたみ映画」なのかも知れません。ホアキンさんの完璧な役作りも、ゲイリーを演じたリー=ギルさんを筆頭として再び集まった前作キャスト陣の真剣さも、前作と全く矛盾せず、前作が生んでしまったアーサーの心の中の怪物をきれいに「成仏」させる、理想的な続編の誕生に寄与していたと思います。「浄化」じゃなくて「成仏」なところが哀しいですが……

 ただ、今回こういった気持ちいいくらいの「発つ鳥跡を濁さず」映画を目の当たりにしてしまった観客の多くの心に去来したのは、


きれいに収まったらいいってもんでも、ないんだな……


 という、どっちらけな感情だったのではないでしょうか。例えばあなたがどこかの観光地に旅行に行ったとして、おなかをけっこう空かせて入ったこじゃれたリストランテで、味は神業的においしくてもひと口サイズのお通しみたいなスイーツとよくわかんない味のハーブティーだけ出されて1800円って言われたら、う~んってなるじゃないですか。今食べたいのはマックの油ぐじゃぐじゃで味おおざっぱな Lサイズセットなんだけどなぁ~みたいな!?

 かつて江戸の昔の人々は、

白河の 清きに魚も 棲みかねて もとの濁りの 田沼恋しき 

 なんて狂歌を詠みましたが、純度100%、前作尊重度100% の『フォリ・ア・ドゥ』のこれじゃない感って、これに通じる部分も少なからずあるのではないでしょうか。いや、そのストイックな姿勢に文句はないんだけどさ、もちっと冒険してもいいんじゃない?みたいな。

 冒険というのならば、今作のミュージカルパートの多用と、それにともなうハーレイ・クインへのレディー・ガガの起用という手が充分すぎるほどの冒険じゃないかという意見もあるかとは思うのですが、作中にこれでもかというほどに音楽が流れていたのは前作から何も変わっていない傾向ですし、そこも、オリジナル版の歌手や演奏のオンパレードだった前作に比べて今作ではホアキンさんかガガ様のボーカルだけになっているので、むしろ今作の方が地味になってしまったという悪手だったのではないでしょうか。だいたい、音楽セラピーで出逢ったからってそれ以降ぜんぶミュージカル妄想になるって、アーサーってどんだけ純粋なんだって話なのですが……ま、アーサーですから。

 本作におけるハーレイ・クイン(こちらもバットマンサーガのハーレイとは別人だという意見もあるのですが、便宜上統一します)の役割も、結局は原典のハーレイほど狂った人間ではなく、それなりの自立性を持った正常な判断のできる女性だったという感じなので、最後も「そりゃそうなるわな。」といった感情しか湧かず、ごくごくフツーのヒロインでしかなかったな、という印象でした。本作のタイトルの「二人で狂う」って、アーサーとリーのカップリングじゃなくて、冒頭のアニメで示された通りにアーサーと内なるジョーカーのカップリングだったんですね。アーサー無惨……

 やっぱり、ハーレイ・クインはジョーカーに輪をかけて狂ったキャラでないといけませんやね。蛇足ですが、私が一番好きな映像作品上のハーレイ・クインは、やっぱり TVドラマシリーズ『ゴッサム』でフランチェスカ=ルート・ドットソンさんが演じていたハーレイ(女優さんで言うと通算4代目)です。あの左右で上下反対になっている顔のメイクが最高に狂ってますよね……出番が少なかったのが残念!

 やっぱり、今作のミュージカル導入は悪手だったとしか言えないのではないでしょうか。
 なぜならば、前作では映画の内容と全く関係の無いシナトラやジミー=デュランテの滋味あふれる歌声と、この映画の空気感を象徴しているとしか言えないヒドゥル=グドナドッティルの激重な音楽とのムチャクチャな温度差がアーサーの心理状態のグッチャグチャ感を体現していたのに、今作では映画の雰囲気を充分にくみ取ったホアキンさんやガガ様のボーカルになっている分、グドナ音楽にわりと近い質感に歩み寄っちゃってるんですよね。これでは、前作で発揮された「緊張と緩和」の効果はきいてきませんよ! 全体的にのぺーっとした空気の変わらなさを助長する一因になっちゃった。


 このように、今回の『フォリ・ア・ドゥ』は、どうやらフィリップス監督が「作品の面白さ」をそっちのけにして前作の火消し&後片付けに心血を注いでしまったがゆえに、ほぼ確信的につまらないことが必定になってしまった「なるべくしてなった失敗作」としか言えないような気がします。でも、こういう失敗さえもフィリップス監督の想定内である可能性は高いので、とにもかくにもこんな悪だくみにホイホイ2億円をつぎこんでしまったワーナーはんには、もはやご愁傷さまと声をかけるしかありませんやね。そもそも、「ジョーカー出る出る詐欺」で世界中からお金をしぼり取った作品の続編なんですから、これは空から色が生まれ、そしてまた色が空へと還ってゆく自然の理なのではないでしょうか。南無阿弥陀仏……

 でも、今作でほんとのほんとにジョーカー役からは卒業となったホアキンさんは、本当に身体をいたわってほしいです。ジョーカーを映画で2作も演じるという前人未踏の偉業、よくぞやり切ってくださいました(『ジャスティス・リーグ ザック=スナイダー・カット』のジャレッドジョーカー再登板はカウントしません)……もういい! あと、あなたはもうやんなくていいから、若いバリー=コーガンくんに任せてください!! まだキャメロン=モナハンくんの線も諦めてはいませんけどね!

 いや~、ほんと、変な映画だったな……ここまで振り切っちゃってたんなら、バットマンサーガに色目をつかったハーヴェイ=デントの登場とか「若い囚人」のラストシーンでの挙動とか、いっそのことやらなきゃよかったのにね。ていうか、前作のブルース=ウェイン、どこ行った!? チベットでニンジャ修行してんのか、それともウチで全身タイツの手もみ洗いでもしてんのかァ~!? HAHAHA☆
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これが戦後か……ほろにが過ぎる和製フィルム・ノワール ~映画『狼』~

2024年10月21日 23時02分16秒 | ふつうじゃない映画
映画『狼』(1955年7月 128分 近代映画協会)
 『狼』(おおかみ)は、近代映画協会制作の映画。白昼に強盗事件を起こす五人の男女を通して、貧窮する弱者を追い詰める会社組織の残虐性と人間性の弱さを描く犯罪映画。
 監督・脚本の新藤によると、本作は神奈川県金沢八景付近の国道で実際に起きた郵便車襲撃強盗事件を元にしており、事件の犯人グループも貧窮した男性3名、女性2名の生命保険勧誘員だった。
 新藤は、知人の生命保険外交員に取材して脚本を完成させ、乙和信子や浜村純らのキャスティングも決まり、1954年6月から映画制作を再開させていた映画会社・日活での制作が決定した。しかし、当時の日活の大株主に生命保険会社があったことから本作は撮影直前に制作中止となり、新藤はその他にも生命保険会社による企画中止を求める圧力などを受けながらも、自主製作で本作を完成させた。

あらすじ
 暑い夏の午後、日本刀と猟銃で武装した五人の男女が郵便自動車を襲った。五人は、元銀行員、脚本家、元自動車組立工、そして子どもを抱えた戦争未亡人ふたり。
 窮乏により家庭は崩壊寸前となり、最後の頼みの綱として生命保険の勧誘員となった彼らが見たのは、さらに絶望的な戦後日本の現実だった。生きるため、家族を救うため、追い詰められた人々はついに犯罪の牙をむく。

おもなスタッフ
監督・脚本 …… 新藤 兼人(43歳)
製作 …… 絲屋 寿雄(46歳)、山田 典吾(39歳)、能登 節雄(47歳)
音楽 …… 伊福部 昭(41歳)
制作 …… 近代映画協会

おもなキャスティング
矢野 秋子  …… 乙羽 信子(30歳)
矢野 義登  …… 松山 省二(現・政路 8歳)
吉川 房次郎 …… 菅井 一郎(48歳)
吉川 たか  …… 英 百合子(55歳)
吉川家の居候・高橋 …… 下元 勉(37歳)
三川 義行  …… 殿山 泰司(39歳)
三川 文代  …… 菅井 きん(29歳)
藤林 富枝  …… 高杉 早苗(36歳)
原島 元男  …… 浜村 純(49歳)
原島 智子  …… 坪内 美子(40歳)
東洋生命新宿西部支部桜部長・橋本 …… 小沢 栄太郎(46歳)
東洋生命新宿西部支部梅部長・町田 …… 北林 谷栄(44歳)
東洋生命新宿支社長・神森     …… 東野 英治郎(47歳)
東洋生命新宿支社西部支部長    …… 御橋 公(60歳)
東洋生命丸ノ内本社営業部長    …… 清水 将夫(46歳)
郵便車の輸送員・岡野 …… 柳谷 寛(43歳)
山本 秀夫    …… 信 欣三(45歳)
洗濯屋の主人   …… 左 卜全(61歳)
押し売りの男   …… 高原 駿雄(32歳)
春日 さゆり   …… 曙 ゆり(?歳 当時の松竹歌劇団スター)
和田医師     …… 宇野 重吉(40歳)
踏切の警官    …… 下條 正巳(39歳)
十二号室の看護婦 …… 奈良岡 朋子(25歳)
病院の事務員   …… 佐々木 すみ江(27歳)




≪すっごく……重たいです。本文マダヨ≫
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ハリウッドへの名刺がわり? ヒッチコック第2のデビュー作 ~映画『海外特派員』~

2024年10月13日 13時19分19秒 | ふつうじゃない映画
 どもども、みなさんこんにちは! そうだいでございます~。
 秋ね……秋はなんだかんだ言っても忙しい季節なのよね。暑いのがおさまったかと思ったら、もう一年もおしまいが近づいて来てるわけで。今年も悔いの残らないように頑張らねば!

 そんでま、今回はヒッチコック監督の事績をたどる企画なのでございますが、前回の『レベッカ』に続きまして、アメリカのハリウッドへやって来た新展開の第2作でございます。
 現在での知名度でいうと『レベッカ』や他の有名作には劣っちゃうかも知れませんが、これもこれで重要作なんすよ!


映画『海外特派員』(1940年8月公開 120分 アメリカ)
 『海外特派員』(原題:Foreign Correspondent )は、アメリカ合衆国のサスペンス映画。アルフレッド=ヒッチコック監督のアメリカ・ハリウッドにおける2作目の作品である。

 1939年3月にアメリカに移住したヒッチコックは、翌4月からハリウッドの映画プロデューサー・デイヴィッド=O=セルズニックの映画会社セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズに所属した。翌年1940年3月の『レベッカ』の完成後、セルズニックはしばらくプロデューサーとしての活動を停止し、契約した俳優や監督を他社に貸し出す方針をとったため、ヒッチコックも1944年まで他の映画会社に貸し出されて映画を制作することとなった。
 『海外特派員』は独立系映画プロデューサー・ウォルター=ウェンジャーの映画会社に出向して制作した作品で、1940年3月に脚本が完成し同年夏まで撮影が行われたが、製作費はそれまでのヒッチコック作品の中で最高額の150万ドルとなった。本作は、第二次世界大戦の開戦直前のロンドンに派遣されたアメリカ人記者がナチスのスパイの政治的陰謀を突き止めるという物語であり、大戦への不安を抱いていたヒッチコックは、この作品で明確にイギリスの参戦を支持し、エンディングではアメリカの孤立主義の撤回を求める戦争プロパガンダの要素を取り入れた。
 本作は同年8月にユナイテッド・アーティスツの配給で公開されると成功を収めたが、その一方でイギリスのメディアからは、祖国の戦争を助けるために帰国しようとせず、アメリカで無事安全に仕事を続ける逃亡者であると非難された。なお、実際に第二次世界大戦が開戦したのは本作公開の前年1939年9月3日だった(イギリスとフランスによるナチス・ドイツへの宣戦布告)が、アメリカ合衆国が参戦するのは翌年1941年12月7日(ハワイ時間)の日本軍による真珠湾攻撃まで待たなければならなかった。
 第13回アカデミー賞の6部門にノミネートされた(作品賞、助演男優賞アルベルト=バッサーマン、脚本賞、撮影賞、美術賞、視覚効果賞)。

 オランダ人外交官ヴァン・メア卿を演じたドイツ人俳優アルベルト=バッサーマンは英語を全く話せなかったため、全てのセリフを音で覚えて演じた。
 新聞コラムニストのロバート=ベンチリーはステビンズ役を演じるにあたり、自分のセリフを自ら考えることを認められた。
 ヒッチコック監督は、本編開始12分35秒頃、ロンドンで主人公のハヴァーストックがヴァン・メア卿と初めて出会う場面で新聞を読みながら歩く通行人の役で出演している。
 日本では1976年9月に劇場公開されたが、それ以前にも TVでたびたび放映されていた。


あらすじ
 第二次世界大戦前夜の1939年8月中旬。ニューヨーク・モーニング・グローブ紙のパワーズ社長は、事件記者ジョン=ジョーンズに「ハントリー=ハヴァーストック」のペンネームを与え、ヨーロッパへの海外特派員としてイギリス・ロンドンに派遣した。
 ジョーンズの最初の任務は、昼食会でオランダの外交官ヴァン・メア卿にインタビューすることだった。ハヴァーストックはヴァン・メア卿とタクシーに相乗りして戦争が差し迫っている社会情勢について質問するが、ヴァン・メア卿は言葉を濁す。昼食会に出席するとハヴァーストックは、会議の手伝いをしていた、司会を務める万国平和党党首のスティーヴン=フィッシャーの娘キャロルに夢中になってしまう。フィッシャー党首は、講演する予定だったヴァン・メア卿が急用により欠席したと発表し、代わりにキャロルに講演をさせた。
 続いてパワーズ社長は、万国平和党の会議に出席するヴァン・メア卿を取材させるため、ハヴァーストックをオランダ・アムステルダムに急行させる。ハヴァーストックはヴァン・メア卿に挨拶をするが、なぜかヴァン・メア卿はハヴァーストックのことを憶えていない。すると突然、カメラマンを装った男が隠し持っていた拳銃でヴァン・メア卿を射殺してしまった!

おもなキャスティング
ジョン=ジョーンズ(ハントリー=ハヴァーストック)…… ジョエル=マクリー(34歳)
キャロル=フィッシャー   …… ラレイン=デイ(19歳)
スティーヴン=フィッシャー …… ハーバート=マーシャル(50歳)
スコット=フォリオット   …… ジョージ=サンダース(34歳)
ヴァン・メア卿       …… アルベルト=バッサーマン(72歳)
ステビンズ記者       …… ロバート=ベンチリー(50歳)
クルーグ大使        …… エドゥアルド=シャネリ(52歳)
殺し屋のローリー      …… エドマンド=グウェン(62歳)
パワーズ社長        …… ハリー=ダヴェンポート(74歳)

おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(41歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット(41歳)、ジョーン=ハリソン(33歳)、ジェイムズ=ヒルトン(39歳)
製作 …… ウォルター=ウェンジャー(46歳)
音楽 …… アルフレッド=ニューマン(39歳)
撮影 …… ルドルフ=マテ(42歳)
編集 …… オットー=ラヴァーリング(?歳)、ドロシー=スペンサー(31歳)
製作 …… ウォルター=ウェンジャー・プロダクションズ
配給 …… ユナイテッド・アーティスツ


 はいっ、というわけでございまして、『レベッカ』から半年もしない同年夏に公開された、まったく別方向の現代サスペンスアクション大作『海外特派員』の登場でございます。

 時代設定は現代でありながらも、第二次世界大戦が近づいている気配を意図的に排除してノーブルな身分の家にわだかまる謎に迫る純粋なサスペンス作だった『レベッカ』の反動であるかのように、本作は当時の国際情勢を思いッきり反映させた作品となっております。
 いや~、これ、『レベッカ』よりも予算を多くかけてる作品だったんだ!? とは言っても『レベッカ』の製作費はおよそ130万ドルだったそうなので、そうそう違いはなかったようなのですが。ほぼオールスタジオ撮影のコスプレものは、そんなにお金かかんないのかな。

 あの、実はこの作品は当時のヒッチコック作品にしては長めの120分ということで(『レベッカ』よりは短い)、いつものように後半用に視聴メモをつづっておりましたら文字数がだいぶかさんでしまいましたので、こっちの感想総論のほうはちゃっちゃといきたいのですが、かいつまんでまとめますと、

細かいところのテクニックだけが光っている凡庸な政治キャンペーン映画

 ということになりますでしょうか。

 確かに、まるで別人の監督作品のようにおとなしいロマンス大作だった『レベッカ』に比べると、「破天荒な主人公」「キャラの濃いおてんばヒロイン」「派手な殺人シーン」「目まぐるしいカッティングのアクション」「世界的に有名な名所を舞台にした展開」、そして「出演者に風邪ひかせる気満々の荒波プールセット撮影」といった感じに、本作はこれまでのヒッチコック監督諸作で培われてきたトレードマークみたいな定番の展開が目白押しとなっていまして、『レベッカ』よりもこっちのほうがハリウッドに対しての「わたくしこういうものです」的な名刺の役割を果たしていたのではないかと思えてきます。もちろん相応に面白くはあったのですが『レベッカ』はまさに借りてきたネコのようなアウェー感が満載でしたから、その直後に公開された本作の「ここは得意技でいくゼ!」感がよけいに増してくるのかもしんない。

 映画の内容についての詳しいことは視聴メモのほうで語らせていただきますが、本作はハリウッドの大物プロデューサーで当時のヒッチコックの雇い主でもあったセルズニックが、他の映画会社にヒッチコックを職人監督として貸し出すという、ヒッチコックにとっての「武者修行時代(1940~47年)」の最初を飾る作品です。
 そのため、どうやら本作の脚本などにヒッチコックやその妻の脚本家アルマはタッチしていなかったらしく(『レベッカ』の製作とも並行していたし)、正直言って今までのヒッチコック作品ではそんなに感じてこなかった「セリフシーンのかったるさ」「伏線のようで別に本筋にからんでこない余計な情報やジョークシーン」「急に性格が変わる登場人物」といった違和感が目立つ、冗長な凡作になってしまっています。
 なんというか、今までのヒッチコック流に作っていたら90~100分くらいに収まっていたのでは?という作品が120分になっちゃってるって感じなんですよね。
 おそらく、この冗長さの原因としては、まさに当時現在進行形で起きていた世界戦争をダイレクトに扱う作品ということで、本筋だけで物語を進めていくと作品のテイストが重苦しくなるんじゃないかという危惧があったから、少々サービスしすぎになっても笑えるシーンやロマンス成分を多く添加しようという意図があったのではないかと思われます。
 でも、それらがあんまり本筋にからんでこないから、ただひたすらに上映時間を長く感じさせてしまう蛇足になってるような気がするんですよね。例えば主人公の先輩にあたる記者ステビンズの言動は、確かに有名なコメディ作家がセリフを自作して演じているだけあって面白くはあるのですが、彼がいなくても映画は全然問題なく成立するという不思議な「浮き感」があるんですよね。まぁ、面白いぶん1984年版『ゴジラ』の武田鉄矢よりも数千倍マシですが。

 それに加えて、やはり当時アメリカが戦時下でなかったとはいえ、本作は明らかにアメリカ国民へ「ヨーロッパを救え!」と強く訴えかけるメッセージ性を含んだ政治的作品ですので、さんざん破天荒だった主人公が最後の最後で人が変わったように真面目な戦時記者になってロンドン空襲の模様を実況し続けるという姿は、「自分らしい生き方よりも、お国のための滅私奉公!!」と説教されているような印象が残ります。かなりエンタメ映画らしくない違和感が観終わった後に襲ってくるヘンな作品なんですよね。そういう意味で、やっぱり本作は実質的に戦争映画なのかもしれない。

 ただ、ここがさすがヒッチコックというところなのですが、「雇われ仕事だから今回は流していこう」で終わらず、「やるなら必ずハリウッドの次の仕事につながる爪痕を残す!!」という意気込みを込めて、いくつかのシーンでかなりインパクトの強い画を残しているのです。
 雨のアムステルダムで突如発生する大物政治家の暗殺シーンからの路面電車アクション、巨大なオランダ風車の中にある歯車だらけの迷路のような敵アジト、高さ10m からの俳優飛び降りをワンカットで見せるトリック映像、そしてクライマックスの旅客機不時着からの荒波海難……
 そういった派手な画づくりに関しては、本作のヒッチコックの腕はやはり最高を更新し続けており、多少の整合性の齟齬は無視してでもイメージの鮮烈さを優先させる映像モンタージュ、ローテクとハイテクを総動員させて観客をあっと言わせるワンカット撮影へのこだわりは、2020年代の今観ても充分に面白いセンスの輝きを見せてくれます。特にクライマックスの海難シーンは、スクリーンプロセスで背後に映した実景の海と手前のプールとで荒波の立て方とカメラの揺れ方を完全に一致させているので、本当に海の中で撮影しているような臨場感がハンパありません。ここらへんの、過去作品での実績を確実に超えていく当時のヒッチコックの成長指数はものすごいですね!

 こういったわけなので、本作は確かに「必ず観るべき作品!」とまでもいかないのですが、ヒッチコックという稀代の天才の「現在映像化できることと、これから映像化したいこと」を確実にまとめた、名刺のようなプロモーションビデオのような作品になっていたのではないかと思います。単なる政治キャンペーン映画にとどまっておらず、ちゃんと当時のヒッチコックにとって有意義な仕事になっている、しているというのが素晴らしいですね。

 意味のない仕事など、ない! 転んでもただでは起きないヒッチコックの野望と心意気を垣間見せる作品です。2時間はちと長く感じるかも知れませんが、おヒマならば、ぜひ~。


≪毎度おなじみ視聴メモでございやすっと!≫
・世界全体で見ると軍人、民間人あわせて8000万人もの命が犠牲となった人類史上最悪の災厄「第二次世界大戦」の真っ最中に公開された本作なのだが、やけに軽快で明るい音楽で始まるのが逆に薄気味悪い。NHK の『映像の世紀』オープニングみたいなド深刻な感じじゃないのね……当時の時点ではまだ戦時下ではないというアメリカの余裕と「対岸の火事」感がなんとなく伝わってくる。
・のっけから思いきり能天気なデザインの新聞社ビルのミニチュアのズームアップで始まるのが、いかにもヒッチコックらしい。『レベッカ』での重厚なミニチュアの使い方とは、えらい違いである。
・本作の時間設定は映画公開の丸1年前の1939年8月ということで、あえて第二次世界大戦の開戦直前というギリギリのタイミングになっている。アメリカから見た世界大戦前夜という疑似ドキュメンタリー的な体裁である。
・アメリカの新聞社の剛腕ワンマン社長パワーズは、偏見忖度なしの体当たり取材でヨーロッパ情勢を伝えてくれる海外特派員を探し、最近おまわりさんをぶん殴ってクビになりかけているというモーレツはみだし記者ジョーンズに白羽の矢を立てる。パワーズ社長はジョーンズに、オランダの宰相ヴァン・メア卿のインタビューを指令するが、ジョーンズは「それよりヒトラーに直接聞いたら一発でしょ?」と放言してパワーズを絶句させてしまう。とんでもねぇ野郎だぜ……赤塚不二夫のマンガに出てくるような猪突猛進キャラである。
・パワーズはジョーンズに、ヴァン・メア卿につながる重要人物として、アメリカで戦争反対の平和団体を主宰しているスティーヴン=フィッシャー氏を紹介する。ここでフィッシャーを演じるのが、かつてヒッチコック監督のイギリス時代の監督第12作『殺人!』(1930年)で名探偵ジョン卿を演じたイギリス俳優のハーバート=マーシャルである。なんと10年ぶりの出演なのに、外見が全く変わっていないのがすごい。知的でノーブルな身のこなしは健在ですね。
・独身で身も軽いジョーンズは、パワーズから直々に「ハントリー=ハヴァーストック」という海外特派員としての偽名ももらい、フィッシャーと共に海路イギリスの帝都ロンドンに赴くこととなる。
・ロンドンに到着したジョーンズは、ロンドン赴任歴25年のベテラン記者ステビンズと接触する。ステビンズを演じるロバート=ベンチリーはアメリカでかなり有名なユーモア作家で、副業としてコメディアンや俳優も演じていたという才人タレント。自分のセリフは全部自製ということもあって、演技の質が周囲と明らかに異なっていて身軽だし、セリフもいちいちジョークが入っていて面白い。ちなみに、その「ベンチリー」という名前からピンときた方も多いかと思うが、このロバート=ベンチリーは、あの『ジョーズ』の原作小説の作者であるピーター=ベンチリー(1940~2006年)のおじいちゃんであり、ロバートの息子でピーターの親父であるナサニエルも小説家であるという筋金入りの作家家系の長である。ピーターはこの映画公開の3ヶ月前に生まれているので、ロバートはこんなやる気のなさそうな顔をしておいて、撮影中に初孫に恵まれたようである。おめでとうございます!!
・ジョーンズがヴァン・メア卿と初接触するシーンで毎度おなじみのヒッチコック監督のカメオ出演がでてくるのだが、今作では顔が真正面からがっつり映っており、おまけに2カットたっぷりおがめるので、ヒッチコックの生涯を扱うドキュメンタリー番組でもしょっちゅう紹介される非常に有名な出演シーンだと思われる。はっきり見えるどころか主人公のジョーンズより手前にいるくらいなので、主演のジョエル=マクリーもいい気分ではなかったのでは……
・ジョーンズは一般市民のふりをしてヴァン・メア卿に突撃取材を試みるが、ジョーンズの手の内を完全に見透かしているヴァン・メア卿はあいまいな返答に終始して見解をはぐらかす。ヴァン・メア卿を演じたドイツ人俳優バッサーマンは当時英語がからっきしダメだったそうなのだが、音で覚えて無理やり発音したというたどたどしさが、逆に非英語圏の老政治家としてリアルでいい感じである。バッサーマンも実際にナチス・ドイツのために亡命を余儀なくされた俳優さんなので本作には格別の想いもあったのではないだろうか。大戦勃発を止められそうにない老体の悲哀が全身からにじみ出ている名演である。
・ロンドンで開催されたフィッシャー会長主宰の平和団体の資金集めパーティに出席するジョーンズだったが、そこでフィッシャーの愛娘である本作のヒロインことキャロルと出逢う。本作で全体的に言えることなのだが、「山高帽をしょっちゅう忘れるジョーンズ」だとか「ラトビア語しか話せない外国人と話す羽目になる」だとか「キャロルをフィッシャーの娘だと気づかずに口説こうとするジョーンズ」だとかいうコミカルな設定はふんだんにあるのだが、それらがあまり本筋に絡んでこないのでどうにもかったるく感じられてしまう。2時間ということでやや長い作品だし、世界大戦を扱う重めな展開もあるのでおもしろシーンを足したかったのだろうが、あんまり功を奏してないような気がするんだよなぁ。
・キャロルに一目ぼれしたジョーンズが持ち前の猪突猛進っぷりで彼女に口説きメモを14枚も送るくだりはいいのだが、その内容に2020年代から見ると完全にセクハラでアウトになるメッセージもあるので、なんだかジョーンズに対する好感度が全くあがらない。ジョーンズを論破するつもりでとうとうと語っているキャロルの舌鋒も全く効かないというジョーンズのにやけ顔も、ふつうに気持ち悪く見えてしまうのがイタい……
・お話はロンドンから一転してオランダの首都、雨のアムステルダムへと移る。ここで非常にインパクトの強いヴァン・メア卿(?)暗殺劇が展開されるのだが、暗殺者が発砲したその瞬間から、まさに水を得た魚のようにカット割りとスピード感がぐっと上がって面白くなるのが、さすがはヒッチコックといったところ。発砲した次の瞬間に顔面血まみれで苦悶の表情を浮かべるバッサーマンの顔が映るモンタージュ的なカット技法は、よくよく考えれば物理的にあり得ない流れなのだが、論理よりも印象重視で画づくりをしていくヒッチコックの職人哲学が象徴されているシーンである。はじまったはじまった~!!
・アムステルダムでの大捕り物ということで、ジョーンズが非常にごみごみした路面電車のすき間をぬって暗殺犯を追跡するくだりもとってもスリリングで素晴らしい。時間は長くないが、ヒッチコックのアクション撮影センスの高さもうかがえるくだりである。
・映画ならではのご都合主義で、ジョーンズが暗殺犯を追うためにヒッチハイクした車が偶然にキャロルと海外特派員フォリオットが乗る車だったということで、3人は暗殺犯の逃走車を追うこととなるが、暗殺犯の車はいかにもオランダらしく巨大な風車が立ち並ぶ小麦畑の中で忽然と姿を消してしまう。ここは世界的な名所を作中に多く取り入れるヒッチコックらしいロケーションでけっこうなのだが、わりとすぐに暗殺犯消失のトリックがばれてしまうのがもったいない。でも、どう考えても隠れる場所はそこしかないよね……こんな手に瞬時にだまされるオランダの警察がダメすぎ……そりゃ世界大戦もおっぱじまるわ。
・暗殺犯たちのアジトで「本物のヴァン・メア卿」に出会い、アムステルダムで殺されたヴァン・メア卿が実は本物と瓜二つの偽物で、暗殺自体が本物の誘拐をカモフラージュするための狂言であったことを知るジョーンズ。でも、偽物が射殺されたこと自体は本当に発生した殺人事件になるので、誘拐を隠すためにわざわざそっくりさんを仕立てあげて殺すというやり方は、あまりにも全方位でリスクが高すぎてやる意味が全然ない計画のような気がする……いやほんと、なんでそんな回りくどいことすんの!?
・巨大な歯車がかみ合い回転し、複雑な梁や柱が入り組んだ中に細く急傾斜な階段や小部屋が配置されている風車の内部セットは非常に魅力的なのだが、ジョーンズのコートの裾が歯車に巻き取られる以外にこれといって印象的なシーンにつながっていないのが、かなりもったいない。江戸川乱歩とか宮崎駿ごのみのいいロケーションなのに!
・アムステルダム署の刑事を名乗る男たちがホテルのジョーンズを尋ねるが、ジョーンズは彼らが自分の命を狙っている殺し屋だと察知し、部屋の窓から壁づたいに別の部屋に逃げる。スリリングな展開だが、逃げ込んだ先がたまたまキャロルの部屋で、ジョーンズがバスローブ姿だったがためにそこにいた中年婦人に2人が関係を勘違いされてしまうというコミカルな脱線が、ちょっと興をそいでしまう。どんなシーンでもユーモアを忘れないエンタメ精神はいいのだが……単純にまだるっこしい。
・ジョーンズがニセ刑事たちに命を狙われるホテルはアムステルダムであるはずなのだが、その前のロンドンのパーティのシーンで会ったラトビア人の紳士や中年婦人がキャロルの部屋にいるので、この場所がオランダなのかイギリスなのかがわかりにくく混乱してしまう。些細なところではあるのだが、ちと不親切。
・ジョーンズは得意の口八丁手八丁で純真無垢なキャロルをいとも簡単に手玉に取り、おまけにホテルのフロントやルームサービスを総動員させて自分の部屋に電話で呼び出す奇策で、部屋にいる殺し屋たちをかく乱させる。ジョーンズの調子の良さが発揮されるいいシーンだが、バカ正直にシャワーを浴びてると思い込み、いつまでもジョーンズを待っている殺し屋たちがかわいそうに見えてくる。昔話『三枚のお札』のやまんばかお前らは!
・確かにジョーンズはキャロルに初対面から一目ぼれだったので結婚まで視野に入れて猛アタックするのはわからん話でもないのだが、キャロルもまたそれを受け入れて一も二もなく「私も結婚したい♡」と応えてしまうのが、あまりにもご都合主義的すぎて愕然としてしまう。キャロル、自分なさすぎ! ロンドンのパーティでのジョーンズの印象、最悪だったんじゃないの!? ちょっと、話がうまくいきすぎである。
・当時の撮影技術的にやむを得ないことなのかも知れないが、車を撮影する時に窓ガラスに撮影カメラやスタッフが反射して思いきり映り込んでいるのが、なんちゅうか……非常に味わい深い。そこは見ないフリしてネという暗黙の了解が、その頃は観客との間にあったのかな。
・だいたい映画の中盤くらいのタイミングで、暗殺犯チームの中にいたハイネックシャツの男クルーグを介して「本作のラスボス」が誰なのかが見えてきてしまうのが、ちょっと早すぎるような気がする。う~ん、まぁ、キャスティング的にこの人以外にラスボス役を張れる人もいなさそうなので予想はついてしまうのだが、これももったいないよなぁ。
・手回しのいいクルーグは、ロンドンに戻ってきたジョーンズを始末するために殺し屋ローリーを呼び出して護衛と称してジョーンズに同行させる。しかし、ロンドンの名所であるウェストミンスター大聖堂の聖エドワード塔(高さ90m)の最上部展望台からジョーンズを突き落そうとしたローリーだったが、あえなく返り討ちに遭い(よけただけ)自分が転落してしまうのだった。ダメだこりゃ……
・この殺し屋ローリー、温厚そうな小柄のおじさんという外見は殺し屋らしくなくて非常によろしいのだが、肝心の殺しのテクニックが「観光客が途切れたタイミングを見はからって相手を突き落とす」という、一体どこにプロの腕が必要とされるのかさっぱりわからないしろうと感丸出しなものなので、なんでクルーグがわざわざ召喚したのか大いに疑問符が残る。やつは「ロンドン殺し屋人材センター」の中でも最弱……ま、引退してたみたいだし、なまってたのかな。
・「実は最初からフィッシャーが怪しいとにらんでた」という非常に都合の良い素性を明らかにしたフォリオット記者の推測によれば、フィッシャー達がヴァン・メア卿を拉致したのは重要な国際条約の極秘内容を聞き出すためだという。それなら確かにヴァン・メア卿を生きた状態で連れ去る意味も分かるのだが、それでも「偽物を仕立てて暗殺されたように見せかける」工作をする理由にはならない。単にヴァン・メア卿が自分の意思でオランダから国外亡命したように見せかけるだけでいいのでは? でも、まぁそれじゃあ盛り上がらないもんね。ヒッチコックらしい~!
・フォリオットは、フィッシャーに揺さぶりをかけるために娘キャロルを誘拐したと見せかける作戦を思いつき、ちょうどキャロルの心を射止めているジョーンズに「数時間でいいからキャロルを連絡のつかない所に連れてってくれ」と頼む。しかし、キャロルを騙すことに異常な嫌悪感をいだくジョーンズは、フォリオットの策に加担することを頑固にこばむ。こやつ、この世界危急存亡の時にいきなり生真面目な硬派紳士ぶりやがって! どっか映画でも観に行ってデートしてこいって言ってんだっつーの!! フォリオットの恋のキューピッドとしての心の叫びが聞こえてくるようである。融通の利かねーヤツ!!
・ジョーンズの拒絶にもフォリオットは動じず、裏からキャロルを「このままジョーンズがロンドンにいれば第2第3の殺し屋に狙われる」とたきつけ、逆にキャロルからジョーンズを連れてどこかに雲隠れするように根回しをするのであった。フォリオット、なかなかやりますねぇ! キャロルが誘拐されたというていでいながら、実は誰よりも(勘違いした)キャロルが主体的に姿を消しているという逆転現象も、いかにもヒッチコック映画らしくて面白い。
・首尾よくキャロルと共にロンドンから離れ、ケンブリッジのホテルに部屋をとったジョーンズだったが、「キャロルを騙している」という罪悪感から彼が部屋を別々にとったことを知ったキャロルは、自分を愛していないとさらに勘違いをして憤慨し、一人でロンドンのフィッシャー邸に帰ってきてしまう。フォリオットふんだりけったり! けっこういいとこまでいってたのにぃ。
・キャロルの狂言誘拐の件はうまくいかなかったが、記者らしい根気強さでフィッシャーが動くのを待っていたフォリオットは、ついに車で移動したフィッシャーの尻尾を掴んでヴァン・メア卿の監禁されているアジトの特定に成功する。フォリオットの主人公そっちのけの地道な活躍が非常に頼もしい。でも、ヒッチコックごのみの画にはならないんだよなぁ。ここが堅実な脇役のつらいところである。
・別にお金をかけなきゃいけないカットでもないのに、フィッシャーがアジトの階段を上ってヴァン・メア卿のいる部屋に行く流れを、階段とドアを作った吹き抜けセットとクレーンカメラでワンカット撮影にしているミョ~な大盤振る舞いになっているのが印象的である。この数秒のためにわざわざセットを組むとは……さすが、ヒッチコック史上最高額(当時)の予算作品! お金のかけ方にためらいがない。
・国際条約の極秘情報を白状させるために拷問を受けるヴァン・メア卿だったが、老体であることもあって強い照明とやかましい音楽に長時間さらさせるというソフトなものがメインであり、肉体的な拷問は画面の外で行うという処理が行われている。でも、拷問を受けて意識がもうろうとしているヴァン・メア卿を演じるバッサーマンの演技が非常にうまいのでかなり見ていられない陰惨なシーンになっている。やっぱり映画でグロを直接描く必要なんて全然ないんだな。要は観客の想像力をかきたてる腕次第ってことよぉ!
・ヴァン・メア卿の自白に耐えられなくなったフォリオットは敢然とクルーグ一味に立ち向かい、窓ガラスを割って4階の高さ(約10m)から地上に飛び降りる大立ち回りを演じる。ここでもヒッチコックの映像演出の冴えはピカイチで、落下するのは人形で、1階のレストランテラスのサンシェードに落ちた瞬間にフォリオット役のジョージ=サンダースに入れ替わり、生身のジョージが破れたサンシェードから出てきて地上に着地するという映像トリックが一瞬のワンカットに投入されている。現代から見るとバレバレなマジックではあるのだが、スクリーンで一瞬だけしか見えない映画館の観客はそうとう驚いたのではないだろうか。ほんとに役者が落ちるジャッキー=チェン方式もいいけど、こっちもこっちで味があっていいね!
・かくて1939年9月3日、イギリスとフランスがナチス・ドイツに宣戦布告し第二次世界大戦は開戦してしまう。しかしその直前になんとか空路アメリカへ発つことに成功していたフィッシャーだったが、同じ飛行機に乗ったジョーンズとフォリオットの手配でいずれアメリカで逮捕されることを知り、ついに観念して娘キャロルにヴァン・メア卿拉致監禁の真相を告白する。だが、曲がりなりにも悪の組織のトップであるはずなのに、わりと簡単に今までしてきたことを間違いだったと断罪して反省してしまうのが、ちょっと自分がなさ過ぎる気がする。いや、もっと自分のやってきた悪行に自信を持ってだね……
・本作のクライマックスは、ジョーンズやキャロル、フィッシャーにフォリオットが乗り合わせた旅客機がナチス・ドイツの駆逐艦に海から砲撃されるという、戦争映画でもけっこう珍しいシチュエーションだと思うのだが、ロンドンからアメリカに向かっている飛行機を砲撃するナチスの軍艦がいる海域って、具体的にどこ……? いくらなんでも、そんなサスペンス映画にもってこいな危険地帯、開戦直後にあったんかね。
・今回は飛んでる飛行機の中だから関係ないかと思ってたら、さすがは海と波が大好きなヒッチコック監督、無理やり飛行機を大西洋に不時着させて、セットにじゃぶじゃぶ水を流し込む海難アクションを最後に思いッきりブチ込んでくれる。ここらへんの「なんとしても出演者たちを溺れさせてやる」という執念の演出は、殺意さえ感じさせるくらいである。そして、機内を一瞬で埋める荒波、あっという間に迫ってくる天井の恐怖といったら、もう……『タイタニック』の数百倍は怖い大迫力の海水描写である。
・本作のエピローグは、空襲下のロンドンに駐留し続けてキャロルと共に本国アメリカに必死に大戦への参戦を訴えかけるジョーンズの姿と、高らかに流れる『星条旗よ永遠なれ』で締めくくりとなるのだが、キャロルとその父フィッシャーの真摯な生き方を見て心を入れ替えたとはいえ、序盤であんなに破天荒だったジョーンズが、ちょっと機械的なくらいに働きまくる模範的戦時記者になっているのは違和感がある。当時アメリカはまだ参戦していないのでプロパガンダではないのだが、やはりどこか国家のために自分を捨てることを推奨しているようで、何かしらの不安を感じてしまう終幕なのであった。う~ん。
・ちなみに、ナチス・ドイツによる史実のロンドン空襲は1940年9月7日から始まっているので、本作での描写はそれを想定した架空の展開であるということになる。でも公開の翌月に現実のものになってるんだから、そうとうに確率の高い未来予想だったんだろうな。なんというギリギリ感!
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