長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

我が『長岡京エイリアン』は、りょうさんのご活躍を勝手に応援させていただきます ~『黒蜥蜴』2019エディション資料編~

2019年12月31日 22時15分28秒 | ミステリーまわり
※この記事をお読みいただく前に
 本記事および我が『長岡京エイリアン』における関連の過去記事では、偉大なる江戸川乱歩の生み出したキャラクター「明智小五郎」、「怪人二十面相」、「小林芳雄」、「女賊黒蜥蜴」、「中村警部」などを映像・舞台・アニメ等の様々なジャンルで演じられた俳優の方々の歴代カウントに関して、「ぜんぶいっしょくたにして時系列順にかたっぱしから数えあげる」という、無謀極まりない手法を取らせていただいております。
 これは、ふつう映画は映画、アニメはアニメというように別個に分けている一般的な計測法とは異なるものですし、公式なアナウンスがなされている代数ではもちろん全くございません。さらには、本記事の責任者であるそうだいの独断と偏見、リサーチ不足による瑕疵が含まれている可能性の多分に高いものでありますので、真に受けて他の場で引用したりなどは絶対にせずに、「ヒマなやつもいたもんだ」程度に軽く受け流すと共に、乱歩ワールドは、まぁだいたいそのくらいの悠久の歴史と不滅の人気を21世紀の今もなお誇っているのだな、と了解していただけますと幸甚の至りでございます。
 p.s. まさかとは思いますが、ほんとにそのカウントなのかどうかを確かめようとして計算してみた時に、「明智小五郎」と「怪人二十面相」がそれぞれ1人ずつ多いことにお気づきになる超奇特な方がいらっしゃるかもしれませんが、それは、そうだいが『ひみつ×戦士 ファントミラージュ!』(2019年~放送中)の第15話『名探偵 VS ファントミダイヤ!』(7月14日放送)以降に登場したキャラクター「明土(あけっち)小五郎」(演・堀内正美)と、「怪盗二十面相」(演・諏訪太朗)のお2方を、「キャスティングがシブすぎる」という理由からこっそり本物にまぜてカウントしたためです。まぁ、ゆるしてちょうだいよ。実相寺ワールド FOREVER!!


ドラマ『黒蜥蜴 BLACK LIZARD 』(2019年12月29日放送 NHK BSプレミアム 119分)

 『黒蜥蜴 BLACK LIZARD 』は、林海象の監督・脚本による、『黒蜥蜴』の10度目の映像化(三島由紀夫による戯曲版の映像化も含める)。 
 江戸川乱歩の生誕125周年記念として乱歩の『黒蜥蜴』を、「サイバーセキュリティをすり抜けるハイテク犯罪が横行する架空の近未来」を舞台に翻案して映像化した。

 『黒蜥蜴(くろとかげ)』は、江戸川乱歩の長編探偵小説。「明智小五郎シリーズ」の第7長編で、1934年1月~12月に連載された。
 本作、もしくは本作を原作とする三島由紀夫による戯曲(1961年発表)を原作として、これまで映画2本・TVドラマ8本(2019年版を含む)・ラジオドラマ2本が制作された。なお、コミカライズも4回されている(舞台化作品に関しては、多すぎてカウントできましぇ~ん)。
 本作の執筆前、作者・江戸川乱歩はスランプにおちいっており、ほぼ休筆状態にあった。スランプの大きな要因は、乱歩が本来目指していた「本格推理もの」が思ったより反響がなく、『一寸法師』(1926~27年連載 明智もの第1長編)や『蜘蛛男』(1929~30年連載 明智もの第2長編)といった「変格もの」、いわゆる通俗スリラーに大衆の絶大な支持が集まったためだった。この『黒蜥蜴』もまた、乱歩が出版社の要望に応じて書いた変格もの通俗スリラーである。乱歩にとっては本意ではなかった通俗スリラーであるが、本作も連載が開始されるやいなや大反響となり、たちまち乱歩の代表作の一つとなった。

あらすじ
 近未来。私立探偵・明智小五郎は大富豪の岩瀬庄兵衛からの依頼で庄兵衛の娘・早苗を警護することになった。庄兵衛の娘を狙っているのは、宝石を盗み出し偽物とすり替える能力に長けた怪盗・黒蜥蜴。明智は、早苗をかくまうと申し出たホテルオーナーの緑川婦人こそが黒蜥蜴であると見抜くが、黒蜥蜴が仕掛けた巧妙な仕掛けに手間取り、結局は早苗も誘拐されてしまう。明智は黒蜥蜴のアジトである潜水艦に単身忍び込むが、そこで黒蜥蜴に秘められた悲しい過去と驚愕の正体を知ることになる。互いに恋に落ちながらも、自らの誇りを懸けて対峙する明智と黒蜥蜴。2人の対決の行方やいかに。

主なキャスティング
20代目・女賊黒蜥蜴   …… りょう(46歳)
83代目・明智小五郎   …… 永山 絢斗(30歳)
40代目・小林芳雄    …… 佐久間 由衣(24歳)
11代目・中村刑事部長  …… 佐野 史郎(64歳)
岩瀬 早苗 / 桜山 葉子 …… 福本 莉子(19歳)
岩瀬 庄兵衛      …… 二世 中村 梅雀(64歳)
真田刑事        …… 佐野 岳(27歳)
雨宮 潤一       …… 吉村 界人(26歳)
女中頭の房子      …… 月船 さらら(44歳)
松公          …… 堀内 正美(69歳)
北村          …… 市川 知宏(28歳)
アンドロイド・マリア  …… 大鶴 美仁音(みにおん 28歳)
42代目・怪人二十面相  …… 松尾 貴史(59歳)
天馬 英九郎博士    …… 風間 トオル(57歳)

主なスタッフ
演出および共同脚本 …… 林 海象(62歳)
音楽        …… サキタ ハヂメ(48歳)
アクション指導   …… 横山 誠(52歳)
拳銃指導      …… 栩野 幸知(67歳)


 いや~、年の瀬にすんばらしい特大プレゼントがきたよコレ!! なぜ今!? なぜ林海象!? なぜ近未来SF 設定!? そして、なぜなぜりょうさん主演!?
 感想のために録画したものをじっくり観るのはまず後にしまして、いちおうざっと1回観てはみたのですが……ダサい! だが、そこが良い!! なんか、懐かしいんだよなぁ。昭和から平成に切り替わる1988~92年くらいの画づくりなんだよなぁ。そして、CGの使い方は2000年代前半の感じという徹底ぶり。レトロフューチャーとはこういうことなのか。いい感じにダサかっこいい!! これ、ものすごいバランス感覚のなせる業ですよ。

 というわけで、いつになるのかは皆目見当がつきませんが、私の愛するりょうさんのためにも、感想をつづる本文は、必ずやいつか完成させる所存也。少々お待ちを! 少々、か……?
 爬虫類系顔随一の美貌を誇るりょうさんが黒蜥蜴を演じるんだぜ!? これに応えずしてなにが爬虫類顔好きか!! 立てよ、爬虫類顔好き国民!! 来年はネズミを丸呑みするコモドオオトカゲ年でいきましょうやあ!!
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ぼくらはまだ、旅の途中 ~三条会『ガリバー旅行記』~

2019年12月31日 21時14分12秒 | すきなひとたち
 どうもこんばんは! そうだいでございます。いや~、いよいよ年の瀬ね。
 改元して最初の年越しですね。なんだかんだいってましたが、いちおう山形もそれなりに寒くなり、雪も降るようになってきました。でも、午前中はまだ雨だったんだよなぁ。
 令和、どうですか、皆さん? おだやかにお過ごしでしたでしょうか。
 私はといいますと、相変わらずお仕事であくせくしてはおりますが、昨年度に比べてだいぶ楽に働かせていただいておりますので、大病することも大ケガすることもなく、無事に年を越せそうであります。
 今年いちばん大変だったことっていっても、そんなに大したことはなかったなぁ。
 強いて挙げれば、庄内地方に出張した時に忘れ物をしちゃって、夜中に月山道を往復するハメになっちゃったくらいかな。トータル200キロですか。夜中の月山は霧がすごくってねぇ。むしろ道ばたに人がいた方が怖いっていう、文字通りの「人外の地」と化してましたわ……楽しかったから良かったですけど。

 そんなこんなで例年になく平和に過ごせた2019年、令和元年だったのですが、年の瀬に恒例の演劇鑑賞ということで、東京に行ってまいりました。

三条会公演 『ガリバー旅行記』 (2019年12月26~29日 下北沢ザ・スズナリ)

 毎年の年末に(あっちょわ~、これ私の記憶違い! 年末恒例じゃありませんでした……)東京・下北沢で行われる三条会の定期公演。今回は過去上演作品のリニューアルではなく、完全新作ですね。
 お題は、アイルランドの作家ジョナサン=スウィフトのモキュメンタリー小説『ガリヴァー旅行記』(1726年)ということで、う~ん、30年ぶりの改元があり、来年は東京オリンピックがあるこのタイミングでこの作品を選ぶとは! おやりんさる。

 原作小説は、「理想のユートピアを見つけたぞ!」から、「でも住んでみたらダメなとこばっかでした……」というオチにつながるパターンが続く、脱力系の「世の中そんなもんよね」的風刺小説ですね。
 今回をきっかけに読んでみたら、びっくりするほど読みやすかったですね。そして、言ってることというか、スタンスが『奴婢訓』(1731年)とまるでいっしょなのが面白かったです。いや~、スウィフトさんとは呑みたくないなぁ~!

 物語の内容うんぬんに関しましては、お話自体、ちょっと大きな書店に行けばたぶんいずれかの出版社の文庫版が売ってあるくらいメジャーなものですのでくだくだと申さないことにしますが、観劇した感想としましては、やっぱり今回も、ものすごくおもしろかった!!
 おもしろかったと同時にびっくりしたのが、原作の主人公ガリバーの心持ちに恐ろしいまでに肉薄した内容になっているがために、演劇を通り越して「旅」に近い感覚の娯楽になっているということでした、今回の公演が!
 これはまいりました。もちろん、劇場の中で上演されて、ある程度決まった時間の中で終了する以上、演劇であることに変わりはないのですが、外に出て歩き回ったわけでもないのに、なんかすご~く長い時間、知らない国々を旅していたような気がするし、なにかを実際に体験して帰って来たかのような感覚を得ているのです。

 演劇っぽくない、というか。いや、それは単に、私の少ない経験からくる「えんげきってこんなん?」という思い込みの範疇を超えているだけのことで、「本物の演劇」というものは、そもそもこのくらいの力を持っているのかも知れません。
 なぜなのだろう……まず思いつくのは、「演劇に出演している」というつもりで舞台に立っていない人物……いやいや、犬物が物語のそうとう重要なポジションを担っているからでしょうか。
 単なる出演者のペットとして、なんかじゃありません。堂々たる出演! しかもガリバーを相手にある国を代表して対話する主権者フウイヌムとしてですよ。
 あれ、ご本人じゃなくてご本犬たちは、その状況をどこまで理解しているんですかね? 「なんか普通の散歩じゃない。」「家のリビングでもなさそう。」「うわっ、かなりいっぱいの人達が、暗がりからこっちを観てる!!」っていう膨大な新情報をどう自分の中で処理してるんだろう?
 ただ、私が観た回では、公演日程の終盤だったせいか(28・29日)、客として観て不安になるような素振りは全くしていませんでしたね。落ち着いてたなぁ! たまにどっかに行こうとはしてたけど。

 もちろん、トキコさんもパブロフさんも、経験の積み重ねがあって覚える部分もあるのでしょうが、それでも、「演劇としての段取り」を身につけようとはしないまま舞台に立っているわけで、そうなると、自然その方々に対する人間の俳優陣も、演劇としての段取りを使ってもしょうがないということで、別の向き合い方が必要になるわけです。まさか、とって喰われるという危険はないでしょうが、人間の俳優を相手にしているのとは、たぶん全く違うチャンネルの作法とか、緊張感が生まれるんだろうなぁ。

 「旅行」っていうのは、結局「日常じゃないもの」に出会いに行くというおこないだと思うのですが、演劇をしてる人にとって充分に日常じゃない空間を提示するのが、「共演者が犬だ」という条件ですし、演劇を観に来た人にとっても、「舞台に犬がいる、しかもけっこう長い時間!」という情報はそうとう日常じゃない風景なわけなんですね。なるほど~、だから旅行っぽいのか。

 主人公(今回はガリバー)の視点が常に中心にあり、その周りでさまざまな物事がめまぐるしく展開していくという構図は、今パッと思いつくだけでも、三条会の過去の公演でいえば三島由紀夫の『近代能楽集』の『邯鄲』とか、夏目漱石の『夢十夜』とかが思い浮かびます。日本の幻想文学史に目をやりますと、奇しくもスウィフトの『ガリヴァー旅行記』とそう変わらない寛延二(1749)年の夏に、今の広島県三次市で「ほんとにあった事件」という触れ込みで記録された『稲生物怪録』というとんでもない奇書がありますね。これは旅ではありませんが、稲生平太郎という当時16歳の少年の家に30日間毎晩毎晩妖怪が出続けたという、「ヘンな夏休み」の克明な記録です。いっぽう映画でいいますと、『夢十夜』にインスピレーションを得たという、黒澤明の『夢』が、主人公が狐の嫁入りだの等身大ひな祭りだの、ゴッホの絵だのといったいろんな世界を旅するという構図になっていますよね。

 ただし、今回の『ガリバー旅行記』がそれらとちょっと違うのは、よりはっきりと主人公ガリバー(になろうとする男)が物語の中心にい続けているのに、最後に彼が明らかに変容して退場することによって、ついに物語が終わる、というところなんじゃないでしょうか。
 たぶん、主人公が「本当の旅行」に行く準備を終えた、というところで、今回の物語は終わってるんだろうな。じゃあ、それまでの一連の流れは、単なるシミュレーションだったのかしら? いや、でも、物語の始めの主人公とはまったく違うたたずまいになっているという意味でいえば、主人公はすでに、ひとつのちゃんとした旅を終えていると言えるのかも知れないし……深いね~!

 「だいたい行く所や観る物が決まっているパック旅行」よりも旅であり、「日本の猿回しとかロシアの熊サーカス」よりも動物が動物らしく、「動物園」よりも動物がそこにいておもしろい空間。それこそが、今回の三条会『ガリバー旅行記』であった、ということになるのでしょう。要するに、おもしろいということなんです。
 なので、「爆笑! 爆笑!!」とか、「あの長ゼリフ、よく覚えたなぁ!」とか、「すっごいアクロバティックな殺陣!」とかいう誉め言葉を全く必要としない演劇(もちろん、そういった要素もあるにしても、そこで勝負をしていないという意味で)なもんですから、やっぱり三条会は令和元年も、「唯一無二の三条会」であり続けているんですなぁ。

 「動物といっしょに演劇をする」というのも、馴れればおそらくは日常になっていくわけで、たぶん練習の日数とか公演回数のさじ加減、難しかったんだろうなぁ~。
 さじ加減といえば、大きく出てしまいますが、演劇に関わらず、人生って、仕事も私生活も「分かりきったお約束」だけじゃあつまらないですし、「予測もつかない非日常」の連続じゃあ心身がすり減ってしまいますし、安定と緊張のさじ加減がとっても大切ですよね。
 わたくしの今現在のお仕事は、まぁ私自身いまだに一人前に働けていないという体たらくもありますし、けっこう予測不能な事態も多い現場ですので非常事態感覚は適度に補給できているのですが、演劇の世界って、続ければ続けるほど非日常が日常になってくるような気がして、大変なところだな~!と余計なお世話すぎる思いをはせてしまいます。

 でも、「演者が馴れてようが病んでようが、観てる人がおもしろければそれでいい」っていう娯楽のかたちも、『ガリバー旅行記』の中の「大人国」でちゃんと語られてるという……要は「悩むな、楽しめ!!」ってことなんでしょうか。人生だねぇ~!!
 そうそう、特に「人類以外の動物が出演している」というポイントだけにこだわらずとも、今回の作品もまた、人の心の機微をんまぁ~繊細に捉えた印象的なシーンが多かったですね。私がいちばん感嘆したのは、最初のリリパット国で、皇居の火事を消火したガリバーが、その消火方法が原因で追放されてしまうくだりと、それを受けて去るガリバーの背中の哀しさでした。
 「わ、私はただ、よかれと思って……」という言葉を飲み込みつつひとり去っていくガリバー。演技と演出、照明と舞台、音響がひとつとなって、ある人生における情けない一コマを活写していたと思います。あるある! 少なくともわたくしは、そんな無数の失敗の積み重ねで、今生きてきてますよ!!
 人は魚、世の中は海。みんな絶え間なく泳ぎ回っていて、行く方向がたまたまおんなじになって喜ぶ時もあれば、完全なすれ違いになってさよならする時もあるんですよね。考えが一致するなんてこたぁ、まずないんだろうなぁ~!!
 やっぱり、人生は果てしない旅、なのかねぇ。うわ~、頭の中で、中島みゆきが流れてきた~!!

 旅行に近い公演といえば、同じく三条会の、数年前にあった「千葉都市モノレール内公演」が記憶に新しい……というか忘れられない思い出になっております。
 ただ、あれが2000年以上ある日本の歴史の中でたった1回数十分、しかも観客(というか目撃者)が100人にも満たないというもったいなさだったのに対し、今回は定期公演というかっちりした形式で間口を広げながらも、がっつりと、あのドキドキを進化させたものになっていたのには、感服いたしました。

 そして、ここまで全く触れてきませんでしたが、そういった「人類でない出演者がいる」という状況だったり、そもそも「300年前の外国の小説をおもしろく上演する」といったりした恐るべき冒険旅行に果敢に挑戦し、見事な収穫を見せつけてくれた俳優陣にも、これは賛辞の拍手を贈らずにはいられません。
 客演の方もけっこう多いというのに、なんでこんなに一体感のある、バランスの取れた集団になっているのか……不思議で仕方ありません。やっぱり、全員で道を探していくと語られていた、その稽古の過程に秘密があるんだろうか。
 こんな言い方をすると実もフタもないのですが、演出のフォローによって俳優陣を実力以上によく見せるという、いわばアンプもスピーカーもふんだんに使った大音響ライヴっていうのが、「なんか若いなぁ!」っていう感じの演劇だと思うのですが、最近の三条会のお芝居って、完全に俳優さんおのおのがたの実力でしか勝負しない室内楽アンサンブルのような魅力にあふれているような気がするんですよ。音を響き渡らせるのは演者の仕事、ちょっぴりハズれてしまった時も、責任を取るのは演者の仕事という。かといって、演出が何もしていないわけでは全くないということは、ここまでしつこくつづってきた通りであります。
 なので、「もっと広い会場でやろう!」とか、「1ヶ月ロングランだ!」という野心でカンパーイ☆な集団のあり方とは対極の位置にありながらも、演出や俳優にかかる負荷は同じかそれ以上に重いというシビアな世界に、現在の三条会は身を置いているのではなかろうか、と。それで、作品の中ではあのように笑顔で楽しそうに演じてるんだもんなぁ。これは、すごいことですよ。

 勢いだけでもない、技術だけでもない。それ以上に広大な演劇の可能性を体現してくれているのが、この21世紀の日本における三条会のあり方なのではないでしょうか。
 みなさん、これからも頑張ってほしいですね……今のみなさんだったら、何だってやれる! 言われなくてもわかってますか。

 三条会の『ガリバー旅行記』は、空港の荷物受け取り口のような場所で職員が挨拶をしている場面から始まって、最後もそれとまったく同じ配置でしめくくられます。
 私たちは、まだ旅に出ていないのか? もう旅から帰って来たのか? それとも、全てが旅の途中なのか……
 なんとなく、終演して劇場からおのおのの家へ帰っていく道から始まる、お客さん一人一人の「それ以降の人生」に対して、俳優さんがたが「お気をつけて!」と見送っているような気がしなくもない、エンディングなのでありました。おもしろいねぇ~!!


≪余談≫
 今回、この『ガリバー旅行記』のあるシーンに触発されて、渋谷の映画館で衝動的に映画『スター・ウォーズ エピソード9』を見てしまいました。
 いろいろ賛否両論の激しい作品ですが、『スターウォーズ』サーガ中、ちゃんと見ているのはエピソード2・3・4・5・6と『ローグワン』、いちばん好きなキャラクターは「グランドモフ・ターキン」という門外漢のわたくしの感想としましては、最後の最後のワンカットが「ちゃんと旅の終わりっぽくなっている」という理由から、まぁよろしいんじゃなかろうかと思いました。
 しかし、あの主人公の女の子、目の力がバンカラの学ランを着ててもおかしくないくらいに男らしかったなぁ!! ハリウッドで実写版『うる星やつら』が製作されるとしたら、竜之介はあの娘だな。「オレハ男ダー!!」って絶叫しながらライトセーバーぶんまわしてほしいです。
 「レイ」と「レン」がまぎらわしい。
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死人に口なし……そんなに放庵が悪いのか!? ~『悪魔の手毬唄』2019エディション~

2019年12月23日 01時41分44秒 | ミステリーまわり
 どもども、こんばんは~。そうだいでございます。令和最初のクリスマスシーズン、皆様いかがおすごしでしょうか?
 山形はねぇ~、雪ふらねぇな~! あったかいもあったかい、今が12月後半だなんて、言われなきゃわかんないくらいに日中は暖かいんですよ。さすがに朝夕は寒いですけど、それでも雪が降るほどではないという。
 ただ、そうは言いましても世間様は完全にクリスマス~年末モードでして、TV の番組編成もすでに特別進行。私自身も、いやがおうにも仕事納めのなんやかやとか、年賀状作りに追われておりまして、そういった日々の作業で、やっとそういう時期なんだと思い知らされているところでございます。
 通勤に支障が出ない冬はありがたいにはありがたいんですが……雪が無いのは、やっぱりつまんないかなぁ。いや、降ったら降ったで、めんどくさいんですけれど!

 そんなこんなで、今年もいよいよあと1週間ちょいで終わってしまうわけなんですが、先日21日! これはなんとしても見逃すわけにはいかないという作品が放送されたのでありました。
 2019年は、日本全国の横溝正史大先生&金田一耕助ファンのみなさまにとっては、どんな年になったでしょうか。
 まさに、その締めくくりを担う一作の、満を持しての登場です。そして、来年以降の展望は~!?


ドラマ『悪魔の手毬唄』(2019年12月21日放送 フジテレビ『金田一耕助シリーズ』)
 36代目・金田一耕助   …… 加藤 シゲアキ(32歳)
 17代目・磯川常次郎警部 …… 古谷 一行(75歳)

 『悪魔の手毬唄(あくまのてまりうた)』は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作で、1957年7月~58年12月に連載された。
 本作を原作として、これまで映画2本・TVドラマ6本(2019年版を含む)・ラジオドラマ1本が制作された。なお、コミカライズも3回されている。
 作者自身は本作を、「金田一もの自選ベスト10」の第4位に推している(第1位『獄門島』、第2位『本陣殺人事件』、第3位『犬神家の一族』、第5位『八つ墓村』)。
 ※原作では、本作の事件は昭和30(1955)年8月に発生しているが、2019年版では「昭和27(1952)年10月」に発生した設定となっている。

主なキャスティング
立原 虎蔵警部補 …… 生瀬 勝久(59歳)
青池 リカ    …… 寺島 しのぶ(46歳)
青池 歌名雄   …… 小瀧 望(23歳)
青池 里子    …… 大野 いと(24歳)
仁礼 嘉平    …… 小木 茂光(58歳)
仁礼 勝平    …… 森 廉(32歳)
仁礼 文子    …… 大友 花恋(20歳)
司 咲枝     …… 有森 也実(52歳)
由良 敦子    …… 斉藤 由貴(53歳)
由良 泰子    …… 菅野 莉央(26歳)
由良 五百子   …… 中尾 ミエ(73歳)
大空 ゆかり   …… 中条 あやみ(22歳)
別所 春江    …… 国生 さゆり(52歳)
別所 辰蔵    …… 森下 能幸(57歳)
お幹       …… 木南 晴夏(34歳)
日下部 是哉   …… 岡田 義徳(42歳)
本多医師     …… 泉谷 しげる(71歳)
多々良 放庵   …… 石橋 蓮司(78歳)
乾刑事      …… 柴田 鷹雄(34歳)
木村巡査     …… 才 勝(48歳)
鑑識課員     …… 六角 慎司(47歳)
野呂 十兵衛   …… 古田 新太(54歳)
青池 源治郎   …… 渡辺 大(35歳)

主なスタッフ
演出 …… 沢田 鎌作(51歳)


 きましたね~! 昨年末に彗星のごとく誕生した「現行唯一の民放金田一シリーズ」たる、加藤シゲアキ主演による金田一耕助シリーズ、その待望の第2作! 約1年ぶりの登板でございます。

 およそ2ヶ月前、「令和最初の金田一耕助もの映像化」として、NHK BSプレミアムで放送された、吉岡秀隆金田一による『八つ墓村』を観た感想文を我が『長岡京エイリアン』でつづりましたところ、実に幸運なことに、「横溝&金田一 LOVE」に満ち満ちた多くのコメントをいただきまして、その中でも、

「それにつけても、年末は『悪魔の手毬唄』ね~♪」

 と、今回のシゲアキ金田一への期待感をいやがおうにも高めさせる情報が、放送前からズンズン公開されていきました。
 特に、キャスティング! っていうか、磯川警部のキャスティング!!

 いやはや、まさか、「元・金田一耕助」、しかも、1作や2作ちょっとやったというレベルではない、あの古谷一行サマが金田一耕助の名バディたる磯川常次郎警部を演じられるとは!!
 驚きましたね、これは……かつても、過去作品で金田一耕助を演じた俳優さんが、別の金田一作品に出演するという例はちょいちょいあったのですが(映画『悪霊島』の中尾彬さんとか)、磯川警部ほど、がっつりと金田一耕助とタッグを組む重要度の名キャラクターを演じるという例は無かったかと思い……

 あ、あったわ。2012年5月に誰あろう、このわたくしがまとめた記事『金田一耕助に帰ってきてほしいオレの事件簿 Vol.YOKI』の中でちゃんとおさえられてました。
 なになに……1952年に映画『毒蛇島綺談 女王蜂』(大映)で2代目・金田一耕助を演じられた岡譲二さんが、2年後の1954年に映画『悪魔が来りて笛を吹く』(東映)で初代・等々力大志警部を演じておられると。へぇ~。これ、わたしがまとめたの? ふ~ん……完っ全に忘れてました。ヒマだったんだなぁ~! 7年前のわたし!!

 閑話休題。磯川警部だとしたら、どんな脚色をされても殺されて途中退場するようなことはまずないだろうし、よりにもよって『悪魔の手毬唄』の磯川警部ですからね! これはもう、あえて超ビッグネーム、しかも「金田一耕助といえば!」という第一功労者たる古谷さんが選ばれたのでしょう。
 作品本編を観る前の時点で、すでに本作のプロデューサーさんには300点加算ですね! グッジョブじゃのう!!

 余談ですが、日本でも群を抜いて有名な名探偵「金田一耕助」や「明智小五郎」の映像史を振り返りますと、「名探偵」と「バディ」の両方を演じたという俳優さんは、私の調べた限りは岡さんと今回の古谷さんのお2方しかいないのですが(金田一耕助と明智小五郎の両方を演じたというものすんごいお方は、またしてもご登場の岡譲二さんを含めて3名いらっしゃいます)、海外の大先輩であらせられますシャーロック=ホームズとジョン=ワトスン医師の歴史をチラ見してみますと、やっぱり、ホームズとワトスンの両方を演じられた俳優さんはいらっしゃいますね。
 そう! いとしのジェレミー=ブレットさまさまよ!! ワトスンは映像じゃなくて舞台ですけど。あと、あの「不死伯爵」クリストファー=リーさまも、シャーロックとマイクロフトの「ホームズ兄弟をどっちも演じている」稀有な俳優さんであります。さすがはホームズ先生、俳優さんの歴史も悠久の豊かさがありますねい。
 個人的には、そろそろジュード=ロウさんにホームズを演じてもらいたいです……もちろん、アイアンマン社長が天才探偵みたいな変化球じゃなくて、正統派の感じでね!!

 さらさら~に余談ですが、「金田一」と「明智」のどっちのバディも演じられたお方は、今のところ「なんだバカヤロー」の荒井注さん、ただおひとり! 明智小五郎シリーズのジェット波越警部役は有名ですが、金田一耕助ものでは、珍品中の珍品である中井貴一金田一によるスペシャルドラマ『犬神家の一族』(1990年 テレビ朝日)で、「徳島警部補」という、原作小説における橘署長に相当する役を演じておられます。
 でも、こっちのほうも、そろそろ生瀬勝久さんあたりが明智ものに出て、唯一でなくなる気がしますね……荒井さん、やっぱいいよね~! 現場がなごむんだよなぁ、殺人事件なのに。

 いろいろと脱線が過ぎましたが、まぁ、かくも古谷一行さんの磯川警部役起用は重大なニュースだったというわけで! なにやら今回は、単なる「民放ジャニーズ金田一の更新」という位置づけにはおさまらないようだぞ~!?
 ってな感じで、期待値が異様に盛り上がった状態で視聴した『悪魔の手毬唄2019』! その出来のほどや、いかに!!

オリジナリティはあった! あったんだけど……アレンジの方向性が、違ってませんか!?

 と、いう印象をわたくしは持ちました。少なくとも、前作『犬神家の一族』(2018年)よりは見ごたえがあったのですが……

 『悪魔の手毬唄』という作品を考えていく時に、問題となるポイントは2つあるかと思われます。
 そのひとつは「原作小説の野心的挑戦」であり、もうひとつは「1977年の映像化作品の呪縛」、となるでしょうか。


1、原作小説の野心的挑戦

 原作小説『悪魔の手毬唄』は、「推理小説の鬼」こと横溝正史、御年55の時に執筆された長編連載小説であり、一般的によく知られている映像化の機会が多い金田一もの作品群(『犬神家の一族』やら『八つ墓村』やら)の中では、最後に世に出た作品、ということになります。
 言うまでもなく、金田一耕助という私立探偵は、岡山や瀬戸内海の島といった「いなか、の、じけん」の解決のみを専門としていたのではまるでなく、むしろ復興直後の東京を舞台としたおぞましい連続猟奇殺人事件にもしょっちゅう首を突っ込んでいますし、そっちのほうにもものすごい傑作がたくさんあります。『夜の黒豹』とか『悪魔の寵児』とか! あと、明智さんほどじゃないけど、ちゃんと怪盗とも対決してますよ。
 そんな中で、横溝先生は『悪魔の手毬唄』の執筆後も、いわゆる大都会が舞台の「東京もの」(等々力警部がバディとなる)はモリモリ書いていくのですが、まさしく磯川警部が出てくるような「岡山もの」は、この『悪魔の手毬唄』以降は、それこそ最晩年のボーナストラック的な大作『悪霊島』(1979~80年連載)まで、実に20年以上ものあいだ、封印されることとなったのでした。
 まぁ、単に「地方が舞台」という意味では、1962~63年に連載されていったん中絶し、その後1974年に書き下ろしで完成にこぎつけた因縁の長編『仮面舞踏会』があるのですが(長野県軽井沢市が舞台)、これは閉鎖された村の因習がどーたらこーたらという舞台設定はいっさいありません。軽井沢だし!

 となると、当たり前ではありますが、この『悪魔の手毬唄』が、たまたま順番が最後というだけの、岡山もののリフレインにとどまるわけがありません。だって、天下の横溝正史大先生よ!?
 大横溝、最後の岡山もの『悪魔の手毬唄』の最大の特徴は、「憶測の討論による物語の終焉」。これなんじゃないでしょうか。
 いや~、大先生……なんちゅうかその、ひらきなおりましたねぇ~!! 動かぬ証拠の提示による、誤差の余地を許さない犯人特定が身上のはずの推理小説において、まったく逆を行く結末を迎えるんですね!
 原作小説において、『悪魔の手毬唄』の真犯人は、第4の殺人(20年前の恩田幾三殺人事件はカウントせず)を犯した後に、大空ゆかりが鬼首村に住む自身の祖父母(戸籍上は両親)のために建設した邸宅「ゆかり御殿」に放火したのち、金田一耕助らの追跡を受けて、逃走中に村の溜め池に転落して死亡します(自殺か事故死かは不明)。
 そして、生き残った村の人々と警察関係者は、「謎の老婆おりんに変装してゆかり御殿に放火した人物が Aだった」というたったひとつの事実と、あとはまるっとぜ~んぶ金田一耕助の推理、そしてそれを聞いた人々の憶測によって、多々羅放庵失踪以降の事件全ての犯人、そして20年前の恩田幾三殺しの犯人までもが Aだろう、という予測を事件の真相として承認するのでした。チャンチャン。

 ええ……チャンチャンって、なる?
 でも、そうするしかないんですよね。結局、容疑者が何も言わずにおっちんじゃったんですから。

 あやしいなぁ~。だいたい「A がおりんに変装して放火した」っていうのも、事実なのかどうだか……だって、A が火をつけた瞬間を誰かが見たってわけじゃないんだし(放火現場から逃げるところを確認したのみ)、Aが土手から溜め池に落ちて死んだ一連の流れを金田一耕助が見てたってわけでもないんですよ(土手からおりんの姿が消えた後に沼を見たら Aが死んでいた)、原作をちゃんと読むと!
 な、なにも信じられない……さすがは大横溝。徹底した曖昧模糊っぷりです。芥川龍之介の『薮の中』みたい! 

 要するに、この『悪魔の手毬唄』の革新性は、

「結局、数学の問題みたいにスッキリ解決なんて、あれへんのんとちゃうん?」

 という、ぶっちゃけすぎた結末からくる、いさぎよいまでのモヤモヤ感を、ほかでもない、あの「推理小説の鬼」こと横溝正史が真正面から描ききってしまったということなのです。うをを、まるで「十牛図」の最後の一枚を観たかのような目からウロコ感覚!! そこの境地、いっちゃったか~。
 むろん、『悪魔の手毬唄』は、そこにいくまでも、「鬼首村手毬唄」の見立て殺人とか、恩田幾三と青池源治郎死んだのどっち問題とか、死んだはずだよおりんさんの怖すぎる暗躍とか、まるでそれまでの『獄門島』やら『犬神家の一族』やらのミステリー要素やビジュアル要素を総決算したかのようないろどりに満ちている大サービス作品です。

 だから、別に原作どおりに結末にモヤモヤを提示せず、多少、真犯人が「真実」を告白してスッキリ整理してから退場してもかまわないくらいの傑作にはなっているのですが……
 原作ファンといたしましては、今回の2019年版みたいに、「真犯人の言葉」だけしか真相を知るよすがのない、というか、金田一耕助が、まるで真犯人の言うことを無批判に鵜呑みにしちゃってるかのようなサクサク感のあるクライマックスにしちゃうのは、さていかがなものかナ~!? って感じちゃうわけなのです。

 原作小説での金田一耕助は、確信はありながらも、ビシッと提出できる証拠をついに発見できませんでした。だからこそ、横溝正史は対する真犯人に一言も真相を語らせないという演出によって、いわば「両者痛み分け」のような読後感に持っていったのではないでしょうか。
 ところが、そこに少しでも「真犯人の言葉」がでてきてごらんなさい。もしそこに「ウソ」が混じっていたのだとしても、いったい誰がその真贋を判定できますか……?
 もちろん、横溝正史えがくところの「ほんものの金田一耕助」ならば、おそらくその言葉を真に受けることはなかろうかと思うのですが……
 2019年版をご覧になられた、そこのあなた。元気ハツラツお兄ちゃんなシゲアキ金田一くんは、あの演技派も演技派の真犯人の言葉を、ちょっとでも疑ってるように、見えた?

 今回の2019年版を観て私がいちばん不満に思ったのって、そこだったんですよ。
 果たして、多々羅放庵や恩田幾三は、真犯人の言うほどの「悪人」だったのかしら……
 あの映画『ジョーカー』を引き合いに出すまでもなく、映像の全てが「事実」ではないということは、当たり前です。ましてや、今回の『悪魔の手毬唄』って、後半ほっとんど「回想シーン」ばっかじゃない! 当然、それは監視カメラが記録してたみたいな客観的なものじゃなくて、誰か(おもに真犯人)が語ってる部分を忠実に映像化したシーンばっかりなんです。
 それをさっぴいたら、多々羅放庵さんなんか、序盤の亀の湯での「昔モテてたの、わし」発言しか実像がないし、恩田なんてそもそも写真しか事実がありません。
 その2人をつかまえて、ピンピンしてる真犯人がべらべら「あいつらにひどい目に遭った」って語ったって……信じられます、奥さん!?

 また、今回、真犯人を演じられた方の演技が、文句のつけようもないくらいにお上手なもんだから、なおさらうさんくさいんだよなぁ!! いや、石橋蓮司さんの放庵だったらそこまで悪いかもしんないし、事実、平成時代には久しくご無沙汰になってた「暗黒面に二度漬けくらいした蓮司ベイダー卿」が回想シーンで観られたからいいっちゃあいいんですが、え~、放庵さんって、そんなに悪い人なの~!?
 少なくとも、原作小説じゃあ好意的に見ている登場人物もけっこういるし、第一、横溝さんの筆あたりが柔らかいんですけどね。多々羅放庵さん。

 話はちょっとそれますが、そういえば、今回の2019年版って、『悪魔の手毬唄』唯一のゆるキャラともいえる、放庵が家で生け捕りにしていたオオサンショウウオちゃんがまるごとカットされてましたよね。
 なんでそこをカットする!? オオサンショウウオ、いま、京都水族館でむちゃくちゃフィーチャーされてて盛り上がってんのに!! 今回の放送を楽しみにしていたのに、裏切られて袖を濡らした大型両生類ファンの心情を察するに余りありますよ!!
 だって、オオサンショウウオは、多々羅放庵の視力に問題があったっていう伏線に絶対必要なファクターじゃなかった? それがないと、おりんさんに化けた真犯人にコロッと騙されちゃった放庵さんがバカすぎるじゃないですか!!
 原作を読んでいない人が今回のドラマだけを観たら、たぶん「なんで放庵は真犯人の変装をぜんぜん見破れなかったんだろう……あんなに年齢が違うのに。」と大いに疑問を感じるはずです。
 ちゃんと横溝先生はそこまで見通して予防線を張ってたのに……なんでそれをとっぱらっちゃうかなぁ。

 お話を戻しますが、もしかしたら今回の2019年版は、「過去の映像作品でもちゃんと生きてしゃべってるし……」とかいう安易な根拠から、真犯人に真相を語らせてしまったのかもしれないのですが、それを聞いたのが若々しいシゲアキ金田一と、真犯人に情状酌量すぎる磯川警部だったがために、「まぁ、そう言ってるから信じてあげよっか。」的な、凡百の2時間サスペンス並みの無批判自動終了オチにしてしまうという大失点をやらかしてしまったのではないでしょうか。これ、司法関係のお仕事の方が見たら憤死しかねないザル捜査じゃない!?
 放送した内容からさらに30分くらい延長して、磯川警部をひとり帰らせてから金田一が村内の主要メンバーに再招集をかけて「さて、と……」と血も涙もないねちねち検証を始めてたら3000点加算だったんだけどなぁ。長谷川金田一 or 吉岡金田一なら、やりかねない。

 余談ですが、『悪魔の手毬唄』は、「もう知ってる人がほとんどいない歌の見立て殺人をして、なんの意味があんの?」という問題を提起したりして賛否両論の多い問題作なのですが、私、大学時代にどこかのよその大学のミステリー研究会さんの同人誌に、「『悪魔の手毬唄』の真犯人は、そいつじゃないよ!!」という内容の衝撃的な論考があったのを拝読した記憶があるんですよね。もう20年前になりますか。
 おもしろかったなぁ、あれ! 納得なんですよ。うろ覚えなんですが、作中に登場したセリフのあるキャラクターではないものの、村だったらそりゃいるだろ、というありふれた人物が「ほんとの真犯人」なんじゃないかという主旨でね。今はもう手元にないんだけど、また読みたいな~。どなたか、ご存じありません? なんちゅうか、ね、詳しくは言えないけど、チェスタトン的な、ね。


2、1977年の映像化作品の呪縛

 もう先ほどにも言っちゃったんですが、なんか、今回の2019年版はオリジナルなクライマックスでの展開をちゃんと用意してはいつつも、なんか過去の映像作品、さらに特定しちゃうと1977年の映画の方の『悪魔の手毬唄』を妙に意識しすぎて、それがちょっと裏目に出ているか、と感じるところがありました。

 まず、『悪魔の手毬唄』を12月に放送するという時点でどうかと思ったのですが、やっぱり、今回も季節の設定は、冬枯れの晩秋!
 いやいや、原作では真夏も真夏の8月なんだけどなぁ~。そこはもう、市川崑監督による、まるで寒々しい風さえも感じられるような文句のつけようもない秋の寒村の描写が、「『悪魔の手毬唄』といえば秋!!」という烙印を押してしまったのでしょうか。いいんだけどさぁ~、そこは原作に準拠してほしかったな。
 「昭和二十七年」っていうのも、確かに封筒の細工のトリックで「二十七」である意味が発揮されるんだけど、なんで原作通りの「三十」でいかないのか……過去作品のまんまトレース? ただ、そこはなんてったってシゲアキ金田一の2作目なんですから、他の作品よりも微妙に後の時代になっている昭和三十年にはしたくなかったのかもしれないですが。
 あと、生瀬勝久さんの立原警部補と金田一耕助の初カラミも、まんまだなぁ~! 伝統芸能か!? 原作でもそんなやりとりをしてるのかって思われちゃうよ! 「よし! わかった!!」は一代でいいでしょ……

 そんな感じで、前半は「まんま!」という印象の強い流れが続いて、「せっかく古谷さんが出てきてるのに、だいたいそれ以外は予想通り。これは、前作『犬神家の一族』と同じレールか……?」とイヤ~な雰囲気がたれこめてきたのですが、クライマックスにいたり、2019年版は2つのオリジナルな展開が出てきました。
 すなはち、「青池歌名雄が見た死体が違う」と、「誰も知らなかった手毬唄の4番」ですね。

 確かにちょっと驚きはしたのですが……「死体違い」は、明らかに原作や1977年映画版の死体のほうが、いいんじゃないの!? 今回のほうの死体でも、そこから歌名雄の疑惑が生まれて効果的ではあったのですが、その分ワンクッション入っちゃったってだけで、なんか、ねぇ。事件の悲劇性が薄まっちゃったような。

 「誰も知らなかった4番」のほうは、ビックラこいたなぁ。だって、原作にもなかったんだもんねぇ。
 偶然か? それとも、自らの命を絶つまでを計画の内に入れていたのか……なんとなく、1977年映画版『八つ墓村』(山崎努のやつ)のような、「真犯人の計画をも超えた『運命』という存在」をにおわせる興味深い味つけではあったのですが、少なくとも「3番までの見立て殺人」とは関連づけの難しい、「ぜんぜんやる意味のない見立て」だけに、論理性をポーン☆と投げ捨てたような脱力感をもらってしまいました。あの……じゃあ、シゲアキ金田一は4番の歌詞を読んでたってわけでしょ? じゃあ、これみよがしに架かってるんだから、村の橋くらいヒマなおまわりさんにでも警戒させとけよ~!! そんなんだから、「金田一耕助は犯人に甘い」とか言われるんだよ。

 あと、この「見立ての自殺で全てが終わる」っていう締め方って、あの伝説の空想特撮犯罪ドラマシリーズ『怪奇大作戦』(1968~69年放送)の超有名傑作エピソードである、第5話『死神の子守歌』の結末といっしょなのよね! そりゃあ印象的な締めくくりになりますわ。
 『死神の子守歌』における「歌謡曲に合わせた見立て殺人」も、実におもしろい筋立てであるわけなのですが、見立てる理由が「捜査のかく乱」じゃなくて「真犯人を早く捕まえてほしいから」という解釈になっているのが、さすがは脚本・佐々木守っていうコペルニクス的転換ですよね。

 んん!? 脚本・佐々木守ぅ!?
 佐々木守さんって、1968年に『死神の子守歌』を書いた後、1971年に『悪魔の手毬唄』の2番目の映像化となる連続ドラマ『おんな友だち』(金田一耕助は登場しない)の脚本を担当してるじゃないですか!!
 なんと、つまりこれは、『悪魔の手毬唄』になにかと縁のある佐々木守先生への2019年版からのオマージュだったというわけなのか……考え過ぎですかそうですか。


 ……とまぁ、ご多分に漏れず今回もだ~らだ~らと感じたことをつづらせていただいたのですが、2019年版『悪魔の手毬唄』、独自性ややる気は大いに感じられたのですが、あんまりそれが良いようには働いていなかったかな、という印象が残りました。シゲアキ金田一が少し丸くなったような気はするのですが、その代わりに出てきた愚直な好青年っぽさが、あの異様に演技派な真犯人にまるめ込まれて「だまされっぱなしだぞ、君。」みたいな危うさを感じたような気がします。シゲアキ金田一には、早すぎたんじゃないかな!? 『悪魔の手毬唄』は!
 古谷一行さんも実によかったんですが、なんかもう、シゲアキ金田一シリーズには出てこないような宣言してるし、登場時間的にもちょっと物足りない印象はありますかね。
 石橋さんはむろんのこと、「激高すると顔のパーツがぜんぶ〇になる」斉藤由貴さんの名演とか、セリフこそ少ないものの、一連の殺人を横目に「いい気味……💛」という微笑をたたえる国生さゆりさんの不気味な存在感も非常に良かったですね。
 ただ、村いちばんの権力者であるはずの仁礼嘉平があの役者さんなのは、ちょっとどうかな……迫力ぜんぜんないんですよね。いろいろ出番がカットされたという事情もあるわけですが、原作小説にあった、百戦錬磨の金田一耕助さえをもぞくっとさせてしまう怖さのあるすごみは、見るべくもなかったですね。もっと、映画『アウトレイジ』シリーズに出てるような方に演じてほしかったなぁ。
 あと、「当代きってのグラマーガール」が中条さんっていうのも、そりゃ確かに美女は美女なんだけど、どんなもんなのか……最近の芸能界って、「グラマー」で売ってる人って、TVにあんまり出てきませんよね。でも、土蔵に映った老婆の影を見た時に、「キャー!」じゃなくて、明らかに「うわぁ!!」っていう元気いっぱいの叫びをあげていたのには、キャラクターの枠を超えて好印象を持ってしまいました。そうそう、女性の方って、確かに実際「キャー」とは叫ばないそうですね。

 なんとも恐ろしいことに、こうくっちゃべっている内に字数も1万字におよんでしまいましたので、そろそろ記事もオヒラキーとさせていただきますが、シゲアキ金田一、頑張って続いてくれー!! あわわ、そういえば、長谷川博己の「無駄無駄金田一」まで、実に7年間もの「映像化金田一の大空白時代」を築きあげてしまった稲垣吾郎金田一シリーズの最終作も、2009年の『悪魔の手毬唄』だったよう! 不吉!!

 いえいえ、我々には、2020年の池松壮亮金田一が、そしておそらく予告通りならば、同じく BSプレミアム版の『悪魔の手毬唄』が、ある!!
 2019年版『悪魔の手毬唄』を観て、どう出る、どう裁く、2020年版金田一~!?
コメント (27)
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