長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 Beautiful Fighter 』

2015年05月31日 20時55分30秒 | すきなひとたち
 どうもこんばんは! そうだいでございます~。みなさま、今日も一日、大変お疲れさまでございました!

 5月ももうおしまいでございます。あっという間でしたねぇ。
 結局、予告どおりに私のゴールデンウィークは非常に簡素なものとなりまして、山形市内にある「大の目(だいのめ)温泉」という旅館に行きまして、泊まらずに温泉につかってラーメンを食べて帰ってきました。これが、2015年のゴールデンウィークのすべて!! いったいなにがゴールデンだというのでしょうか。
 大の目温泉は私の家から車で20分くらいの、山形市北部に位置するのですが、そのへんは流通センターといいまして、山形北インターチェンジやら、だだっぴろい多目的ホール施設の「山形ビッグウィング」やらにはさまれて、やたら輸送トラックの発着所が目立つ企業団地になっているのですが、ゴールデンウィークということで私が行った日は見事なまでに人っ子一人いない状態になっていまして、晴天の下だぁれもいない見知らぬ土地を、駐車した場所からタオルひとつ持ってふらふらと温泉に向かう、という実に味わい深い約5分間の旅は楽しめました。

 というのも、そんな閑散とした土地の中にあっても、大の目温泉だけはさすがゴールデンウィークといった感じで駐車場がすでに満車空きなしの大賑わいとなっていまして、温泉旅館の大宴会場に出張営業している「有頂天」というラーメン屋さんが、ファミリー客の連続で猛烈フル回転の活況ぶりとなっていたのでした。みそラーメンがおいしかったですねぇ。

 もっとも、お目当ての温泉自体は、岩風呂ふうの内湯がひとつだけといった実に古雅あふれるものとなっておりまして、10人も入ったらいっぱい……いや10人はムリかな、といった広さに、いかにもな白濁の湯が流れる温泉を、ほぼ1~2人で楽しむ、ぜいたくな時間を過ごさせていただきました。みんなラーメン食べるためだけにしか来てないのか!? いや、こういう温泉は人が少ないほうがいいんですよねぇ。
 つかってみながらしげしげと見わたしてみると、記憶の縮尺にくらべていくぶん小さくなって入るのですが、確かにここ、私が小学生くらいのときに来たことがあるな、といったなつかしさがじわっと湧いてきまして、温泉のほかにも、そんなにタイルタイルしてなくても……と思ってしまうほどにタイル張りなトイレとか、マージャン卓くらいでしか見ないような毛足の短いカーペットが敷かれてて、本館と別館とで必ず50センチくらいの高低差のスロープがある廊下とか……とにかくノスタルジックな気分におちいってしまう罠が満載の大の目温泉でしたね。30年以上も生きてみると、まさしく「何を見ても何かを思い出す」って感じになってくるのねぇ。
 まぁ、にしたって安上がりなゴールデンウィークになりましたわな。今年はこんなふうでいいんじゃないでしょうか。

 来年のゴールデンウィークは、どこに行くんだろうなぁ。できれば泊りがけの旅を楽しめる余裕を掴み取っていたいのですが……それは2016年のみぞ知る、よね。



鬼束ちひろ『 Beautiful Fighter 』(2003年8月20日リリース 東芝EMI )

 『 Beautiful Fighter(ビューティフル・ファイター)』は、鬼束ちひろ(当時22歳)の8thシングル。オリコンウィークリーチャートで最高9位を記録した。
 CD-EXTRA として、3rdアルバム『 Sugar High 』収録曲の『声』のスタジオライブバージョンが収録されている。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史

1、『 Beautiful Fighter 』(3分51秒)
 カップリング曲『嵐ヶ丘』と共に、初めてピアノを使用しないロックサウンドに挑戦した楽曲。Cメロ以外が全て同じコード進行であることから、「繰り返しの美学」というテーマを取り、同時に「力を抜いて人生においてのエネルギーの循環を意識しろ」という裏のテーマもある。歌詞の内容も、相反する意味の英語の形容詞や名詞を組み合わせた、「矛盾」を基調に制作されている。

2、『嵐ヶ丘』(4分59秒)
 鬼束本人は、もともとこの曲がシングルの A面になるものだと考えていたが、カップリング曲になり拍子抜けしたという。前作『 Sign 』のようにストーリー性のある楽曲で、本人曰く、「怪獣になってしまった主人公の、切ない、哀しい心情を歌った物語。切実感を強調していったらこういうスケールの大きい仕上がりになった」。タイトルは歌詞の世界観と響きからつけたため、イギリスの作家エミリー=ブロンテの長編小説『嵐が丘』(1847年)とは関係ないという。



 いやぁ、こんなにドライブ向きな鬼束さん楽曲もあるのね! といった感じなのでありまして。

 周知の通り、前作『 Sign 』からしばらくの数タイトルは、鬼束さんの声帯結節の治療あたりを発端とする諸事情により、オリジナルアルバムには収録されない、というか、オリジナルアルバムそのものがリリースされない事態におちいってしまったため、前々作『流星群』までの諸作に比べると、どうしても知名度の点で分が悪い印象がぬぐえません。そしてこの『 Beautiful Fighter 』も、2005年リリースの2ndベストアルバム『 SINGLES 2000-2003』までアルバム未収録という状態が続くのでありました。

 でも、聴いていてつくづく思うのですが、2003年の時点での鬼束さんだけをまとめたアルバムが当時リリースされていたら、そりゃもうとてつもなくいい1枚になっていたんでしょうねぇ! ベストアルバムとなると、どうしてもデビュー当時の「歌い手はじめました。」っていう、いかにも若い数曲と一緒に並んじゃいますよね。そうすると、2003年の境地との差の大きさが悪目立ちしてしまうわけです。
 それだけ、2003年の鬼束さんはものすごかったんじゃなかろうかと! 前作の『 Sign 』も、カップリングの『ダイニングチキン』を含めてすばらしい独自の世界を唄っていたわけなのですが、この『 Beautiful Fighter 』もいいんだなぁ、実に!

 『 Beautiful Fighter 』は、聴いてわかるとおりに初の本格的ロックという仕上がりになっています。ただ、ロックっぽいテンポへの挑戦といった意味では、デビュー当時にすでにできあがっていたという、3rdアルバム『 Sugar High 』(2002年12月)収録曲の『 Tiger in my Love 』から始まっているわけでして、いよいよレパートリーのひとつとしてのアップテンポロックが本格始動、という感じでしょうか。

 この曲を聴いて感じるのは、あくまでも飄々とした距離感を持って唄い上げる、鬼束さんのスタイルの強靭さです。強靭というか、ガンコと取ってもいいのかもしれませんが、享楽的でむちゃくちゃな世界を唄っておきながらも、自分自身は決してそこに埋もれることを良しとしない「醒めた視線」を持ち続けているんですね。心の底からはノッておらず、どこか「ここにいるはずじゃない」感を漂わせている。そこらへんに、同じような世界を唄っているようでいながらも、「あきらめてここで生きていこうやぁ。」と、片手に持った焼酎瓶をドンッと床に置き、あぐらをかいて潔くひらきなおるような味わいを生むようになった、後年の鬼束ワールドとはだいぶ違うクールさがあると思うんです。
 そういう意味でこの『 Beautiful Fighter 』は、この後の鬼束さんの展開を予告するようでありながらも、明らかに『月光』付近の「この世界に居場所のない私」といったキャラクターの憂鬱を継承した、未来と過去をつなぐ重要な過渡期の実験曲になっているんですね。
 ただ、そうやって道化師がおどけている隣に立って物憂げな調子を崩さないでいる鬼束さんがいいのか、後年のごとく、他ならぬご本人が道化師そのものになって必死に踊り狂っている鬼束さんがいいのか。そこはどちらを「美しい」と見るかで分かれるかと思います。

 最初に、「問題なく当時アルバムが出ていたらすごかったのに」なんて言いましたが、2003年に予定通りにアルバムが出せなくなってしまう緊急事態に陥ってしまった、そのアクシデントがあったからこそ、いい意味でも悪い意味でも波乱万丈なそれ以降のスタイルは生まれたわけなのでありまして、2003年の鬼束さんはそれはそれで最高潮ではあったのでしょうが、そこを問題なく過ごしていたら、その次の境地には行けなかったのかも知れないし、ねぇ。
 ともあれ、新ジャンルに挑みつつも、歌詞世界の主人公のスタンスや歌唱法において、そろそろ「越えるべき壁」のようなものが仄見えてきた感のある『 Beautiful Fighter 』なのでした。変則的なシャウトとか吐息を入れてみても、「やっぱりマジメだなぁ、この人。」っていうブレないまっすぐさがあるんですよね、どこか。

 その一方でカップリングの『嵐ヶ丘』なんですが、これはもうど真ん中で羽毛田プロデュース作品といった感じで、やっぱりケルティックな合いの手も入れちゃったりしてますね。まさに、映画『007 スカイフォール』(2012年)のクライマックスの舞台にもなっていた、スコットランドの荒涼とした大地あたりが連想されそうな、『 Beautiful Fighter 』の喧騒とは対極の寂しさにあふれた名曲になっています。
 対極も対極! だって、タイトルどおり『 Beautiful Fighter 』となぞらえられていた主人公が、『嵐ヶ丘』では「怪獣」になっちゃってんだもんね。何から何まで正反対な組み合わせですよ。わざと矛盾した言葉を並べ立てて内容を曖昧にしている『 Beautiful Fighter 』に比べて、主人公の視点が完全に固定してはっきりしている、という違いも明瞭にあります。

 『嵐ヶ丘』の唄う物語もまた、例によって追想のイメージが並ぶ断片のつながりになっているのですが、どうやら主人公が、「あなた」の「裏切り」を認められずに「怪獣」になり、独りこの世界にとどまることを選択したらしい、という心境の流れが見えてくるような気がします。

 それ自体は、もうこれ以上ないってくらいに鬼束ワールドな、定番の「主人公」と「世界」、そしていなくなってしまった「あなた」の三角関係の構図になっているわけなのですが、この『嵐ヶ丘』において注目したいのは、「ヒステリックな様を不自由に保つ」、「見おろす街」、「うつむき、それでも広がる世界」、「泣きながら返事をして」といった言葉の数々が絶妙に、いわゆる特撮作品に出現するような「怪獣」のイメージにリンクしている、という点でしょう。そうか、怪獣は「咆哮している」んじゃなくて、孤独に「泣いている」のか!

 鬼束さん個人が特撮にどれだけ関心があるのかは知りませんが、不安定な主人公の心情をなぞらえつつも、ちゃーんと身長50メートルくらいの一般的な怪獣の、知られざる内面を唄った作品なのだとしても成立するような歌詞世界を構築しているのがすばらしいですね。いや、そりゃ「思い浮かべて歩く坂道」とかとも唄ってますけど。

 だとしたら、サビの締めにある「奇妙な振動を待っているの 心を震わせながら」っていうのは、言うまでもなく、自分の怪獣人生に終止符を打ってくれるウルトラ兄弟のどなたかの、地球の大地に降り立った瞬間の「ダダーン!」っていう地響きってことになりますよね。つながった!!

 そして、主人公を怪獣にして去っていったという「あなた」=「共犯者」は誰かと思い巡らせば、ウルトラシリーズの中でいちばん当てはまるのは、第5作『ウルトラマンA 』(1972~73年)でさんざん超獣を創っておきながら、シリーズの中盤(第23話)で手下よりも一足お先に壊滅してしまった「異次元人ヤプール」ということになるのではないのでしょうか。

 つまり、『嵐ヶ丘』で鬼束さんが唄っていた怪獣とは、具体的にはヤプール壊滅後に「別の宇宙人に使役されない」形でちょっぴりやけぎみに暴れていた、

・黒雲超獣レッドジャック(第30話)
・獏超獣バクタリ(第31話)
・超獣人間コオクス(第32話)
・気球船超獣バッドバアロン(第33話)
・虹超獣カイテイガガン(第34話)
・夢幻超獣ドリームギラス(第35話)
・騒音超獣サウンドギラー(第36話)
・過敏超獣マッハレス(第37話)
・邪神超獣カイマンダ(第41話)
・氷超獣アイスロン(第42話)
・鬼超獣オニデビル(第44話)
・ガス超獣ガスゲゴン(第45話)
・時空超獣ダイダラホーシ(第46話)
・液汁超獣ハンザギラン(第47話)
・水瓶超獣アクエリウス(第49話)
・バイオリン超獣ギーゴン(第51話)
・オイル超獣オイルドリンカー(次作『ウルトラマンタロウ』第1話)

 のうちの誰か、ということになるのだ!! どうでもいいですか! どうもすみません!!
 ちなみに、第28話に登場した満月超獣ルナチクスは、のちに『ウルトラマンメビウス』で見事にヤプールの信頼できる配下として復活を果たしているため除外させていただきました。
 でも、ヤプールって、こんだけ超獣ストックが残っている段階でエースに主将戦を挑んで玉砕してたのか……なにごとも「戦略」って、大事よね。いや、性質が真逆なサウンドギラーとマッハレスを製造している時点で、戦略もへったくれもないっぽいですけど。

 あと個人的には、明らかに宇宙人の類の手によってその生を受けているのにもかかわらず、肝心のご主人様の存在がその近辺から消え去っていた、ウルトラシリーズ第3作『ウルトラセブン』(1967~68年)の地底ロボット・ユートム(第17話)とか、ロボット怪獣リッガー(第32話)にそこはかとなくただよう孤独感にも捨てがたいものがあります。

 まぁ、最終的には鬼束さんがぜんぜん関係のない話題になっちゃいましたが……「怪獣になった」って、2010年代の鬼束さん、ほんとに怪獣みたいな扱いになっちゃってるもんね。みずからの未来を、誰よりも的確に予言しおおせていたとは……やっぱり鬼束さんは天才、だったんだろうなぁ。
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いや~観ちゃった観ちゃった  映画『機動警察パトレイバー THE NEXT GENERATION 首都決戦』

2015年05月05日 22時19分18秒 | 特撮あたり
 ど~もどもどもこんばんは! そうだいでございます。みなさま、今日も一日たいへんお疲れさまでございましたっと。
 楽しかったゴールデンウィークもとうに過ぎまして、こちらはいつもの忙しい日々に舞い戻っております。だんだん湿度も上がってまいりましたねぇ。山形の梅雨はどのくらいしつこいんでしょうか? 夏が今から待ち遠しいやねぇ。

 さて先日、休みを利用して映画を観に行ってまいりました。これはねぇ、観ようか観まいかどうしようかな~と考えていたのですが、まぁ迷ってるんだったら観に行こうか、ということで映画館に行っちゃいましたねぇ。だいたい私、レンタルショップの会員にもなってないし、そもそも借りて観る余裕などあるはずもない社会人1年生なので、しばらくたってレンタル化されたからといって観る可能性はほぼゼロなんでね。まぁ、せっかくなんだから大きなスクリーンで観ようじゃないか、ということで。

 はい、観てきたのはこちらの作品でした。作品の情報もあわせてどうぞ。



映画『 THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』(2015年5月1日公開 94分 松竹)

 『 THE NEXT GENERATION パトレイバー(ザ・ネクスト・ジェネレーション・パトレイバー)』は、メディアミックス作品『機動警察パトレイバー』の実写版プロジェクトの総称である。総監督・監督・脚本は、押井守。

 1988~2002年に制作されたメディアミックス作品『機動警察パトレイバー』の最新シリーズで、シリーズ初となる一般公開向け実写映像作品である(過去にパイロットフィルムの形式で習作的な実写映像が作られたことはあった)。シリーズ全体としては、2002年の劇場版アニメ『 WXIII(ウェイステッド13) 機動警察パトレイバー』以来、約12年ぶりの映像作品となる。
 押井守を総監督に迎え、2014年より短編シリーズ及び、防衛省全面協力の劇場用長編作品が全国の映画館で順次公開された。長編版は、いわゆる「4K 解像度」撮影、日本映画初の「ドルビーアトモス(Dolby Atmos)」音声上映など、各種の仕様がグレードアップされている。

 2014年4月~2015年1月に、全12話+第0話(0話は15分、1~11話は48分、12話は32分)で構成された短編シリーズ作品を、7回に分けて順次劇場公開された。シリーズ上映後に約3ヶ月のインターバルを経て、2015年5月に押井が脚本・監督を担当する長編映画『 THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』が公開された。
 この実写プロジェクトは、他アニメ作品の実写化で多かった「基本設定だけを共有した別作品」や、「歴代作品のテイストを活かしたリメイク作品」とは異なり、過去シリーズの歴史的流れを踏まえつつ、最も未来(2013年)で起こった出来事を描く構想となっている。過去作品の主な舞台となった警視庁の組織「特科車両二課第二小隊」が引き続き物語の中心に位置し、整備班のメカニックマン・シバシゲオも引き続き登場、その声を当てていた千葉繁が俳優として出演する。ただし、主軸となる小隊メンバーは全員総入れ替えされており、「歴代3代目のメンバー」になっている。
 これらの設定は、2011年に押井が発表した小説『番狂わせ 警視庁警備部特殊車輛二課』を元にしているが、小説版では主人公・泉野明(いずみの・あきら)が男性であるなど、『番狂わせ』の忠実な映像化にはなっていない。

 本シリーズは、劇場版第2作から直接続く時間軸となっており、その他、第9話で TVシリーズ版第38話や第2 OVAシリーズ版第13話に登場した「地下迷宮」が再登場するという関連性もあるが、整備班長のシバシゲオがかつての第二小隊について語る際に、TVシリーズ版でメンバーだった熊耳武緒の名前が出てこない、シバの年齢の計算が合わない(1998年の時点で30代中盤だったはずなのに15年後の2013年に約25歳年上の59歳になっている)など、過去シリーズと矛盾する部分もある。
 基本的に1話完結形式(ただし第5・6話は前後編、第12話は映画版の序章)で制作されており、どのエピソードからでも観ることが可能になっている。

 劇中で使用されるイングラムは実際には自立歩行できないが、99式大型特殊運搬車(レイバーキャリア)を模したトレーラーに搭載・デッキアップが可能。また、その機動性を生かし、映画の試写会や各地イベント会場に運搬してデッキアップの模様を披露する「出張イングラム」を行っている。


あらすじ
 西暦2013年の東京。かつて、汎用人間型作業機械「レイバー」が、東京湾の国家的な大規模干拓土木事業「バビロンプロジェクト」の各種建築などに多用された1990年代後半も、すでに過去のものとなっていた。バビロンプロジェクトの終息と長引く不況のダブルパンチで運用維持費のハイコストが仇となり、レイバーは東京でその居場所を無くしてしまったためだ。そして、レイバー犯罪に対抗する形で警視庁に結成されたパトロールレイバー(パトレイバー)隊も存在意義を失い、縮小の一途をたどっていた。第一小隊は解隊され、今ではレイバーの運用スキルを後世に継承するという名目で、辛うじて第二小隊だけがお台場の埋立地に存在している。
 そんな第二小隊は、バビロンプロジェクトの全盛期に数々の伝説と悪名を轟かせた「栄光の初代メンバー」が全員去ってすでに10年が経過し、初代がやらかした行状の後始末に追われた「無個性の2代目メンバー」を経て、現在は「無能の3代目」と陰口されるメンバーたちが、職場の存続も危ぶまれる中、お台場の片隅で職務をこなしていた。
 一時は現役を退いたはずの往年の名機「 AV-98式イングラム」がドックから見守る中、3代目たちはレイバーなき時代の犯罪に立ち向かっていく。

 そして、過去幾度も犯罪者の標的になってきた日本の首都・東京に、強奪された自衛隊の最新戦闘ヘリ「 AH-88J2改・グレイゴースト」が襲来する。そのボディは最新鋭の熱光学迷彩をまとい、あらゆる防空システムを無効化。東京上空を悠然と飛空し、首都の主要箇所を破壊していく。
 1000万人の都民を人質に取ったと同然の状態に戦慄しながらも、なす術の無い警視庁上層部。今や最後の希望は、解体の危機に見舞われる第二小隊の3代目たちと、時代遅れのロートルレイバー2機に託された……のだろうか?


主な登場人物
※主要登場人物たちの名前は、「特科車両二課第二小隊」の初代メンバーを想起させるネーミングになっているが、あくまでも初代とは別の人間である。

警視庁警備部特科車両二課第二小隊
 東京都大田区城南島9丁目2番1号に拠点(二課棟)が存在する。かつては同じ城南島の別の場所にあったが、2002年に二課棟が襲撃された事件があり、現在地に移設された。たびたび存続問題が取り沙汰されているが、世間では「ロボットのおまわりさん」とも呼ばれ、それなりに受け入れられている。
 付属する警視庁警備部特科車両二課整備班には、整備班員が30数名(うち女性6名)在籍している。

泉野 明(いずみの あきら)…… 真野 恵里菜
 一班・操縦担当(22才)。レイバーの出動が激減しているのでヒマを持て余している。プライベートでは無類のゲーム好きであり、その腕前は天才的。

後藤田 継次(ごとうだ けいじ)…… 筧 利夫
 第二小隊隊長(48才)。第二小隊の初代隊長・後藤喜一の後輩で、性格も似たところがある。一部では「カミソリ後藤の再来」と言われているらしい。

塩原 佑馬(しおばら ゆうま)…… 福士 誠治
 一班・指揮担当(26才)。「無能の3代目」の元凶と目されているスチャラカ警官であり、勤務時間中に隠れてビールを飲む、プラモデルを作るなど、仕事以外の事には熱く燃える。趣味はナンパとミリタリー系知識の蒐集&ひけらかし。

カーシャ …… 太田 莉菜
 二班・指揮担当(25才)。本名はエカテリーナ=クラチェヴナ=カヌカエヴァ。ロシア連邦保安庁( FSB )より研修目的で赴任したロシア人女性。酒豪に加えて重度のヘビースモーカー。性格はかなり取っ付きにくく、タバコを吸いながら事あるごとに他の第二小隊メンバーを小馬鹿にする。

太田原 勇(おおたわら いさむ)…… 堀本 能礼
 二班・操縦担当(38才)。大酒飲みで、特技は酔拳だが、アルコール依存症から免職寸前になった過去がある。トリガーハッピーだが、正義感が強く、犯罪者に容赦はしない。

山崎 弘道(やまざき ひろみち)…… 田尻 茂一
 一班・キャリア担当(37才)。体格は大きいが、性格は内気。二課棟の敷地内に飼育しているニワトリの飼育は仕事よりも大事。

御酒屋 慎司(みきや しんじ)…… しおつか こうへい
 二班・キャリア担当(36才)。前職はコンピュータプログラマー。パチンコ好きから違法行為に手をだし免職寸前になった過去がある。離婚歴があり、慰謝料はパチンコで稼いでいる。

シバ シゲオ …… 千葉 繁
 特車二課の2代目整備班長(59才)。特車二課現メンバーでは唯一、過去の栄光と衰退の全歴史を知る人物。初代整備班長・榊清太郎(故人)の技術と魂を継承しようと心がけるあまり口癖まで受け継いでしまったが、ハイテンションな性格とマシンガントークはいまだ健在。

淵山 義勝(ぶちやま よしかつ)…… 藤木 義勝
 整備班副長(58才)。シバを尊敬している。普段から竹刀を持ち歩き、高下駄を履いている。TVシリーズ版と劇場版第2作にも整備班員として登場していた。

海道 誠一郎 …… 渡辺 哲(65歳)
 警視庁警備部部長。採算を度外視した予算を必要とする特車二課の存在を疎んじ、解隊を目論んでいる。

宇野山 真 …… 寺泉 憲(67歳)
 警視庁警備部警備課長。海道警備部長の腰巾着。

高畑 慧(たかはた けい)…… 高島 礼子(50歳)
 警視庁公安部外事三課警部。捜査に特車二課を利用しようとなにかと接触してくる。第8・10話と映画版に登場。

灰原 零(はいばら れい)…… 森 カンナ(26歳)
 陸上自衛官。階級は二尉。陸上自衛隊富士教導団航空教導隊第1飛行班所属。天才的な操縦技術を持ち、女性自衛官として初めて戦闘ヘリ操縦資格を取得し、汎用光学迷彩システムを備えた陸上自衛隊の最新鋭ステルス戦闘ヘリ「 AH-88J2改・グレイゴースト」のテストパイロットに選出されていたが、東富士演習場で行われた評価試験の終了後にグレイゴーストを強奪して忽然と姿を消す。その素性には謎が多い。バスケットボールに異常な執着を見せる。
 グレイゴーストで、横浜ベイブリッジ、防衛省(小説版のみの描写)、特車二課棟、東京都庁、新宿副都心、六本木ヒルズ、警視庁本部を攻撃・蹂躙し、必要とあらば自衛隊にも攻撃を加える。

小野寺 …… 吉田 鋼太郎(56歳)
 陸上自衛官。階級は一佐。本作でのテロの首謀者。11年前の2002年に「幻のクーデター」を演出した柘植行人に心酔しているシンパである。「他国の戦争の上に成り立つ平和の上で惰眠を貪り、あまつさえ利益を上げている日本に現実を示す。」という柘植の志を継いだ小野寺は、柘植の教え子たちと共に、自衛隊からグレイゴーストを強奪。「北斗航機」というダミー会社を設立し、それを隠れ蓑として新たなテロ計画を立案・実行する。小説版では、小野寺率いる決起部隊のスポンサーがアメリカであることが示唆されている。

柘植 行人(つげ ゆきひと)
 元陸上自衛官。階級は二佐。11年前に発生した「幻のクーデター」事件(劇場版第2作の内容)の首謀者。現在は国内刑務所に収監中。第12話に登場するが、映画版本編には登場しない。

南雲 しのぶ …… 榊原 良子(声を担当 58歳)
 もと警視庁警備部特科車両二課第一小隊長および特車二課課長代理。最終階級は警部。東京都世田谷区成城出身。
 かつて、防衛庁技術研究本部第七研究所と防衛産業に携わる民間企業の新進気鋭の技術者を中心に、陸上自衛隊の柘植行人二佐によって設立された「多目的歩行機械開発運用研究準備会」(通称「柘植学校」)に警視庁より派遣され、警視庁のレイバー隊創設の礎を築いた功労者である。そんな「警視庁きっての才媛」と呼ばれた逸材だったが、当時、妻子のいた柘植との深い関係がスキャンダルになり、警察キャリアの本流から外されてしまっている。
 劇場版第2作の事件終結後に警視庁を辞し、2013年の時点では、「 UNRAR(国連難民救済機関)」のスタッフとして中東アジア地域の難民キャンプで働いている。第7話と映画版に登場する。
 作中で年齢は明らかにされていないが、後藤田隊長とほぼ同じ40代後半であると推測される(1998年の時点では30歳前後か)。


長編映画版『首都決戦』の主なスタッフ
監督&脚本   …… 押井 守(63歳)
撮影監督    …… 町田 博(61歳)
アクション監督 …… 園村 健介(34歳)
美術      …… 上條 安里(53歳)
音楽      …… 川井 憲次(58歳)
VFX 制作    …… オムニバス・ジャパン
灰原零パイロットスーツデザイン …… 竹田 団吾(53歳)
制作      …… 東北新社
配給      …… 松竹



 とまぁこんなわけでして、もちろんこの作品は「映画だけを観ても楽しめます」というアナウンスはされているのですが、やっぱり実写版シリーズを一通り観てから『首都決戦』を観たほうがおもしろいんだろうなぁ、というつながりにはなっているようです。ほんとは私もそのくらいの準備をしてから映画館に行きたかったのですが、当然そんな時間なぞあるはずもなく……まぁ、高校時代の『新世紀エヴァンゲリオン シト新生』いらい、前準備いっさいナシで劇場版だけを観て、わかんないところは推測して埋めるというところに楽しみを感じるようになった私なので、そこは不安もなく鼻歌まじりで映画館に行きました。あれよりわけわかんないことはね~だろよ。

 でも、実は私は昨年の千葉時代、夏だったかいつだったかに TVでなにげなくこの実写版シリーズのどれかのエピソードを偶然目にする機会があったのですが、そのときは警察関係の登場人物たちの会話か特車二課棟の修理作業のどっちかだけが延々と流れていくという、挑戦的にも程のある演出が続いていたために呆れてチャンネルを変えてしまっておりました。大丈夫か、オイ……みたいな。

 ただまぁ、なんてったってこちらの『首都決戦』は今シリーズの集大成でもある映画版なんですから! まさかレイバーが微動だにしないまま終わることはあるまいということでして。
 しかも、監督を務めるのはシリーズ総監督でもある押井守おんみずからよ! いや、実はそこが不安のタネでもあったりして……

 押井監督といえば、言わずと知れたアニメ劇場版第1作&第2作をはじめとして、数多くの歴史的名作を世に問うてきた巨匠であるわけなのですが、私も全ての作品をチェックしてはいないので偉そうなことは言えないものの、私が比較的最近に観た押井作品がよりにもよって『イノセンス』(2004年)と『スカイ・クロラ』(2008年)ということで、「大丈夫かな……」と漠とした先入観をいだいていたことも確かなのでした。どっちもおもしろいんだろうけど、なんか観てるのがツラい時間が必ずあるんだよなぁ~、みたいな。緊迫とジョークの絶妙なさじ加減にうなりまくりだった、あのジェットコースター感覚を楽しむことは、今はもうかなわないのかなぁ~と感じていたんですね。

 思えば、私がこの『パトレイバー』シリーズに触れたのはそうとう日が浅くて、2010年の秋に池袋の新文芸坐でやっていたパトレイバー・オールナイト上映特集に、押井作品に造詣の深い親友に誘われて観に行ったことがきっかけでした。
 そこでいっきに徹夜でアニメ劇場版の1~3作を観通したわけですが、んまぁ~おもしろいのなんのって。深夜の連続観賞なのに眠くなるスキをまったく与えてくれないんだもんね! 第3作の『ウェイステッド13』は押井作品じゃなかったんですが、それはそれで徹底的に陰鬱な内容でおもしろかったし。
 それまで私は、押井監督の作品は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)と『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)を観ていたのですが、『パトレイバー』の2作がそろって、それと同じかそれ以上に傑作であるという事実に驚愕しました。こんなに歴史的名作をポンポン作ってるとは、いったいこのお人は何者なんだと! ただ、どの作品にも言えることなんですが、原作マンガとはそうとうな距離感をもって接する人なんだな、という印象は持ちました。遠慮がないというか、「元のあるなにかを映画化するという」というモチベーションでは作ってないんでしょうね。あくまでもオレの映画を作るんだ、というゆるぎないスタイルですよ。その自信というか、それを口だけじゃなくてちゃんとした娯楽作品にしてみせるという実現力がすごいわぁ。ま、21世紀に入って最近はどうなのか、というところは私はあんまり詳しくないんですが……










《完成マダヨ~い!》
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 Sign 』

2015年05月03日 22時24分11秒 | すきなひとたち
 みなさま、どうにもこうにもこんばんは! そうだいでございまする~。


 いや~、そんなこんなで、ゴールデンウィークなんですけれどもね。

 もうね、トンと更新しておりませんですね、ハイ。ずいぶんと我が『長岡京エイリアン』ともご無沙汰の限りとなってしまいました。
 んまぁ、端的に言えば、それだけ日常が充実してる……のかどうなのかはわかんないけど、とにかく忙しくはなっとるということに尽きるのであります。
 新生活、新職場になってはや丸3ヶ月が経過したわけなんですが、いまっだに! 地に足がまるで着いていない状態をいよいよ実感できるようになってきている、というだけでありまして、息つくヒマはあるはずもなし、休日だって次のためにいろいろ仕込んどかなきゃいけない宿題のオンパレードなのでありまして、なんというか……のんきに夜中から明け方までという豊潤な時間をブログの更新にザブザブそそぎこめていた数年前の自分が、なつかしいやら恥ずかしいやら呆れるやらで、ねぇ。あのころに戻りたいとは1ミクロンも思えないのですが、おそろしい時期でしたね。

 とはいえ、しっかりした休日だっていただいているわけですし、実家暮らしだから衣食住まるで心配する必要のない環境にあるわけでして、こんなに良いコンディションで仕事に専念できることも、一人暮らしの状態では難しかったのではないでしょうか。少なくともエニタイムズボラな私はね! ほんと、都会の一人暮らしで正社員やれてるお人はえらい!! アルバイトだから楽できる部分があったってものを、今になって初めてしみじみ振り返っている毎日でございます。

 最近はもう、通勤中のカーステレオと月いちペースの市内日帰り温泉くらいしか楽しむヒマはないのでありまして、それ以外は息も絶え絶えに同僚のみなみなさまの背中を見逃さないように走り続けるための予習・復習・予習・復習のくりかえし! これはもう、今がんばりにがんばって、そのうち仕事が身にしみこんできてふっと楽になる時期がくるのを待つしかない、という試練の季節であります。まぁ、気楽にやっていこう。

 そんなわけで、今年のゴールデンウィークは、やっぱり市内の日帰り温泉どまりだな! 来年は、泊まりで県外とかに行ける余裕をひっつかんでいたい。

 映画は最近になってやっと1本だけ観れました。そりゃもう、『バットマン』が大好きなわたくしめにとっては決して見逃すことのできないあの話題作、『バードマン 無知がもたらす予期せぬ奇跡』(監督・アレハンドロ=イニャリトゥ)であります。

 とってもおもしろかったですね! おもしろかったんだけど、感想をつづる時間がまるでない……

 観ている最中から、私は同じ「舞台裏」を描いている作品ということで、数年前に観た『ブラック・スワン』(2010年)のことを思い出していたのですが、なんというか、とにかく主演のマイケル=キートンと助演のエドワード=ノートンあたりの存在感が、どんなに泣かず飛ばずで悩んでても陽性なんですよね! ここがめっぽうおもしろかったので、「あ~死にたい、さっさとラクになりたい。」っていう青っちょろい追い詰められ方しか見えなかった『ブラック・スワン』とは180°真逆の好感度に転じて、とてもすばらしい映画だと感じました。さんざん言われているカメラワークとドラム中心の骨太な BGMのクオリティの高さもさることながら。

 私は降りた人間なので大きな口はたたけないのですが、舞台に立ってる人たちって、やろうとしたら無論のこと繊細な演技だってできるにしても、中心には絶対に、他人を圧倒する「泥水すすってでも生きてやるぜコノヤロー! こんなオレを観ろ!!」という生命力があると思うんです。そういう意味でも、キートン演じるうらぶれた映画スターの舞台公演の顛末は、『ブラック・スワン』のいかにも映画っぽい、マンガっぽい、「実におさまりのいい」クライマックスとはまるで違うカッコ悪さというか、「生き恥さらしてしまいました」感があってステキでした。最後の最後のラストシーンの解釈がまたボンヤリしているんですが、娘さんの表情からして、父はヒーローになりました、ってことなんだろうなぁ。すばらしい家族ドラマでしたね。

 映画といえば、できれば『機動警察パトレイバー THE NEXT GENERATION 』も観たいんですけど、さすがにそんな時間はな……と、始まってけっこう経つのに、記事タイトルの本題に入る気がまるでない! こりゃいかん、さっさと入ろう!!


鬼束ちひろ『 Sign 』(2003年5月21日リリース 東芝EMI )

 『 Sign(サイン)』は、鬼束ちひろ(当時22歳)の7thシングル。
 シングルとしては前作『流星群』から約1年3ヶ月ぶりにリリースされた。オリコンのシングルチャートは最高順位4位を記録しており、これは『いい日旅立ち・西へ』と並ぶ鬼束の最高順位である。
 CD-EXTRA として、3rdアルバム『 Sugar High 』収録曲『 Tiger in my Love 』のプロモーションビデオが収録されている。


収録曲
全作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史

1、『 Sign 』(5分32秒)
 鬼束曰く、「自身が脚本家になったつもりで書き上げた」、「人が強い想いを抱くことで湧き上がって来る高揚感を最もシンプルに表したかった」。人称に「君」と「僕」を使うことも、鬼束は「男の子の視点から中学生の恋愛を書きたいと思った」、「珍しいことだが、これによって世界観が拡がる」と語っている。

2、『ダイニングチキン』(5分25秒)
 鬼束が「感情や想いは回線のように巡っていく。」とコメントしており、「人間の感情や想い」をテーマに制作したことが伺える。タイトルはアメリカ映画『17歳のカルテ』(1999年 ジェイムズ=マンゴールド監督)に登場する言葉から。


 これこれ! この『 Sign 』って曲、私ほんとに大好きなんですねぇ!

 あれもあるしこれもあるし、といった感じでなかなかベスト1が決められない鬼束さんの諸作なのですが、これはトップに並ぶんだよなぁ。当然、ひんぱんに一人カラオケをしていた時期にも、これはもうモーニング娘。の『泣いちゃうかも』などと同等に「絶対に2回は唄う」ラインナップに入っていました。どうでもいい~!!

 端的に言えばフィクション性が比較的高いというか、ご本人が男子中学生と語っているように、今までの作品とはまるで段違いの強さを持って、「明確な場所」にちゃんといる「明確な君」に向けて気持ちをぶつけているわかりやすい作品ですよね。一人称が「僕」であるということ以前に、その想いの単純さが実に男っぽい! とはいいつつも、その情熱のクライマックスたる大サビでぶちあげられる彼の最終目標が、


彼女の窓に星屑を降らせて音を立てたい。


 という、その奥ゆかしさよ!! 「笑ってくれればそれでいい。」なんて、そんなわけねぇだろ!! もっといろいろぐっちゃぐちゃのパトスだらけのはずなのに、そこをグッとおさえる思春期の拳からは、爪の食い込む血がしたたり落ちているのであった……あっぱれ、男子中学生の鑑よ。

 結局、謙虚ともウジウジとも感じられる主人公が、ついに「君」に自分の想いを伝えようと決意するまでの心理的な高まりを明るく追って応援している『 Sign 』なのでしょうが、これもまた、思春期特有の「他人不在」の状況であることは間違いがないのです。その点で、やっぱり主人公との距離感に差はあれども、徹底的に「心中思惟曼荼羅」を歌に変えていく鬼束さんの作品であることになんら揺らぎはないんですよねぇ。

 でも、おそらくは主人公がポツンと独りいるだけの寂しい部屋の中から、主人公の脳がズドバビューンと夜空に飛び出して、満天から降り注ぐ流星群を駆って「君」の部屋に総進撃をかける。しかし、それはあくまでも現実の世界の「君」の部屋の窓をかすかに鳴らすことくらいが関の山で、まぁそれに気づいて「君」が笑ってくれればいいや、ってくらいで……という、この小から大へ広がり、また大から小へとおさまっていく起承転結! 広げた風呂敷はちゃんとおさめましょうという節度もあるこの『 Sign 』は、まさしく「妄想かくあるべし」というメッセージ性の込められた寓話になっているんですね。いやがられたら、きちんとあきらめよう!!

 蛇足ですが、歌詞中にある「保証もない点滅に期待したり」って、やっぱり2010年代の今だと意味が通りにくい表現になってるんですかね。点滅って、なんとなく留守番電話とかガラケーっぽいですよね。今だともう、「保障もない『振動』に期待したり」ってことになるんでしょうか。振動とか点滅とか……ふぜいがない! かぜのおとにぞおどろかれぬる!!


 そんなこんなで『 Sign 』について言ってきたんですが、実はこのシングル、よくよく聴いてみると、もしかしたら『 Sign 』よりもこっちのほうがいいんじゃないかってくらいに、カップリングの『ダイニングチキン』がしみわたるんですよねぇ。いやぁ、これはとんでもねぇシングルだわ!

 『ダイニングチキン』は、2013年にリリースされた4thベストアルバムに収録されるまで、実に10年もの長きにわたってアルバム未収録だった秘曲なのですが、なぜにこれを収録せずしてアルバムをポンポン出していたのか……って、それはやっぱり歌詞が難解で起伏の少ない、ヘンリー=ジェイムズの怪談小説『ねじの回転』(1898年)みたいな曖昧模糊とした作品だからなのでしょうか。


「始まりを示し 終わりを示す 誤作動」
「それは決して 眠れることのない 眠り」


 歌詞の中には、おそらくは意図的に、無味乾燥で現代的な「直線」「細胞」「回線」という単語が配置されているのですが、それでも内容は、「不完全でどうしようもない世界にいる『あたし』と『あなた』」という定番のスタイルになっています。

 しかし、「あたし」と「あなた」の物語は、「あなたが願うのをやめた」ことによって静かに終わるというエンディングだけが、まるで夜空の星のめぐりを定点観測する映像のように淡々と流れていくのです。

 いや~、これはすごい。こんなに「夜」の冷たい空気を聴く者に肌身で感じさせ、「別れ」の諦念を語りつつも、それでも想わずにはいられない未練を表裏一体で感じさせる「ひとりがたり」はないのではないのでしょうか。

 一見すると難解でドライな言葉が並びつつも、聴くだに唄う人の、唄わずにはいられない「生きている体温」が、それを直接語っていないのに伝わってくるという、このテクニックの妙! ダイレクトに感情に走れば伝わらなくなってしまう「なにか」を、実に繊細な手つきで確実にすくいとっているんですね。

 これはもう……『新古今和歌集』の境地というか、なんというか。『 Sign 』の単純さと、『ダイニングチキン』の幽玄。鬼束さんはもう、10数年前の時点でとんでもないとこに行っちゃってたんですね! いまさら再認識してますが、天才の早熟とはかくもものすごく、そして同時に残酷なものなのですな……あたしゃボンクラでよかったよ。
 当時の数作でよく「星」とか「爆発」みたいなイメージを重ね合わせることの多かった鬼束さんでしたが、確かに2000~03年はマグネシウムの燃焼みたいなとてつもない疾走期だったんだろうなぁ。問題は、その後、なのよねぇ。

 これまた蛇足、というか決定的な落ち度なんですが、私、映画の『17歳のカルテ』って、まだ観てないんですよ! なんかたぶん、観てから聴いたらまた感慨も違うんでしょうが……観てないし、これから観る予定もないんだよなぁ。重たそうだし、内容が!


 そういえば1999年の公開当時、大学時代の親友がえらく感動したと言ってすすめてくれてましたっけ、『17歳のカルテ』。なつかしいなぁ。

 鬼束さんも私も彼女も、ウィノナもアンジーもブリタニーも、2015年はかくあいなり申した。嗚呼、人生の浮き沈み!! あたしゃ明日も、ぶざまにいぬかきして生き延びる所存也。もうアップアップです。
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