長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

混沌に七竅を穿ったようなおはなし ~映画『ボーはおそれている』~

2024年02月23日 23時54分27秒 | ふつうじゃない映画
 わおわお~! みなさまどもどもこんばんは! そうだいでございます~。
 2024年も始まってしばらく経ちましたが、みなさま息災でお過ごしでしょうか。今年はほんとにお正月から天変地異が相次いでねぇ。正直、いいことなんかあったかなと思ってしまうような1、2月なのですが、それでもとりわけ悪いことも起きていない我が身のしあわせを、ありがたく思わなければなりませんね。先月の健康診断、結果悪かったけどね! ことあるごとに野菜ジュース飲んでます……無駄なあがき!!

 さてさて、前々からだいぶ働き方を楽にさせてもらっていると申してはおるのですが、それでもやっぱり私の職種は、年明けから年度末まで下っ端の私までもがあくせく働かねばならない忙しい習性がありまして、ろくに映画館に行くこともできないまま時ばかりが過ぎております。昨年は意識して映画をバンバン観ていたので、年明けからいろいろ観ていたのですが、今年は1月まるまるなんにも観てなかったんですよね。そして、2月に入って満を持して観た今年最初の映画も『鬼滅の刃 絆の奇跡、そして柱稽古へ』というぐうたらっぷり……いや、作品自体はいつもの ufotableクオリティで充分に面白かったのですが、なんてったって作者さんがその後の怒涛のラストスパートに向けて意図して作った「間奏」みたいな部分なので、前作、前々作のような大興奮は望むべくもありませんよね。あらためて、鬼いちゃんは相当がんばってたんだな……

 そんでもって本日、やっと人前で「映画観てきたよ~」と言えそうな作品を観てきたので、今回はその感想記をつづりたいと思います。なんてったって約3時間なんだぜ!? ボリューミ~。


映画『ボーはおそれている』(2023年4月公開 日本公開は2024年2月 179分 アメリカ)


 いや~、おなかいっぱいです。でも、そんなに長くは感じなかったかな。退屈はしなかったような気がしますね。これはたぶん、作品の内容とか面白さというよりも、監督のアリ=アスターさんが若干30代なかばということで、作品づくりのテンポというかリズム感覚が現代的だからなのではないでしょうか。巨匠監督の3時間とは違うんですよね、いい意味でも、悪い意味でも。
 それで早速、私がこの作品を観た率直な感想ですが、

かなりライトで見やすい……むしろ、物足りない!? 思ってたんと違う!

 こういう感じになりました。勝手に私の中の期待値が上がり過ぎていたのであろうか。

 アリ=アスター監督と言えば、私にとってはなんと言っても前作『ミッドサマー』(2019年、日本公開は2020年)……というか実は私、ちまたの批評でよく今回のボーちゃんとテーマが似ていると言われるアスター監督の長編第1作『ヘレディタリー 継承』(2018年)を、まだ観てないんですよね。ヒエ~、ホラー映画好きを標榜していながらこの不勉強ぶり、許してちょーだい!

 いや~、『ミッドサマー』にはビックラこいたんですよ。それについての雑感は我が『長岡京エイリアン』でもべらべらとくっちゃべったわけなのですが、今振り返ってみると、私はあの作品における「色彩のジェットコースター感」に参ってしまったのだと思います。
 いかにも北欧スウェーデンといった感じのパステルな淡さと、人間の無惨に損壊した肉体からしたたり落ちる血のドロッとした原色。いつまでも変わらないような暖かみを持つ牧歌的な共同生活村と、そこで繰り広げられる凄惨きわまりない儀式。人の心の弱さを無条件にゆるす村人たちの寛容さと、自分たちの村に来た以上たとえ部外者であろうとも自分たちのルールには死んでも従ってもらうという狂信的な厳しさ!!
 ここらへんの、自分の身の回りの空気が氷のように冷たいものにガラリと変わったことに気づき「ヒエッ……」と心臓が縮み上がる感覚。いつでも帰られると思っていた楽しい遊園地の門がいつの間にか閉まっていて、もはや後戻りできない状況にあることを知った時の恐怖! ここを見事に映像化しおおせていたのが、『ミッドサマー』の真価だと感じたのでした。わざと解像度と遠近感を狂わせたような CGの使い方も、実に挑戦的ですばらしかったですよね。ま、それだけにソフト商品を買ってまで何度も観たいとは思わないんですが……気持ち悪すぎ!!

 そういう前作を観た当時は、ちょっと予想よりも過激すぎたことへの拒否反応もあって「いや、アスター監督、もういい……」と引きまくっていたのですが、あれから数年経ち、あのホアキン=フェニックスを主演にすえたアスター監督最新作がいよいよ日本に上陸ということで結局、怖いもの見たさで本作を観に行ったわけなのでありました。昨年の年明けにも『マッドゴッド』なんて観てたし、歳をとるとお金を払ってでも刺激のあるものが欲しくなるもんなんですかね……3時間の映画なんて、もはや山伏の荒行レベルよ!?

 それで、とくに膀胱が破裂することもなく無事に観終えたわけだったのですが、あくまで私の印象のみで言わせていただきますと、今作は非常にサラッとした内容になっていて、『ミッドサマー』にあったような「見ろ!見ろ!おら見ろ!!」みたいな暴力的な鑑賞体験は全くと言っていいほど無かったような気がしました。
 いや、もちろん(?)主人公は最終的にひどい目に遭います。遭うんですが、具体的に観客の身に迫るようなエグい肉体損壊の描写などありませんし、本作が R-15指定になっているのは残酷描写が理由でないことは明らかでした。物語の行きがかり上ちょっとお色気シーンがあるからって感じですよね。ま、それもナイスミドル同士のアレなんで、そんなに観たいってわけでも、ね……

 本作は、宣伝では「オデッセイ・スリラー」と銘打たれているようなのですが、ジャンルとしてはブラックコメディ以外の何者でもないと思います。ただ、コメディだとすれば最後に来るオチが最重要ポイントになるわけなのですが、そのオチが「どこかで見たよーな」ものになっているので、そのオチで一応のまとまりはつくものの、かなりの物足りなさが残るものになってしまうと感じました。
 言ってしまえば「どんでん返し」オチなわけなのですが、こういう種類のフィクション作品の常として、生まれて最初に観た「それ系オチ」の作品がこの『ボーはおそれている』だったのならば宣伝文句通りに「永遠に忘れられないラスト」として記憶に残るのでしょうが、すでに過去の何かでそのオチを経験している人が観た場合は……「あぁ、それね。」どまりになってしまいますよね。まさに私がそうだったんです。

 う~ん……ホアキンさん演じるボーが車に轢かれるまでの「第1部」は、すっごく好きだったんですけどね。あそこはまさに映像のテンポからして笑いを取りにきてるアグレッシブさがビンビン伝わってきて実にステキでした。よくよく考えてみるとこの部分、一人称の視点の主であるボーが薬で虚実ないまぜ状態という「信頼できない語り手」になっている点や、何と言っても主人公を演じているのがホアキンさんその人という点で、どこからどう見てもあの『ジョーカー』(2019年)の本歌取りのような相似に気づかされます。そうなのですが、ボーの住む町に巣食うホームレスや犯罪者の集団が、まるで赤塚不二夫か高橋留美子の世界から召喚されたかのような陽気さに満ちているところや、ボーを演じるホアキンさんの、同じ病的でも『ジョーカー』の主人公とは人間性と育った環境が全く違うということを秒で伝えてくる稀代の演技力によって、退屈さを全く感じさせない時間にしてくれていると感じました。ところどころ、「これ『 Mr.ビーン』かな?」と見間違えてしまうかのような笑いどころがちりばめられていましたよね。

 ただ、私としては、なのですが、だいたい4部構成になっている本作の中で面白いなと感じたのはこの第1部だけでありまして、残りの3つのパートは、決定的につまらなくもないのですが、どこも「どこかで見たような展開」のきれいなトレースといった感じで、それほどアスター監督のオリジナリティを感じるような部分は無かったように感じたんですよね。つまらなくはないんですけど……

 前作『ミッドサマー』でもつくづく感じたのですが、アスター監督はほんとに過去の映画に博覧強記と言いますか、作品のところどころに過去の先達の名作の要素をたくみに取り込んだ部分がたくさんあって、観ているだけで観客の記憶に「あ、これ、どこかで……」みたいな既視感の刺激を与える体験も、アスター監督作品の楽しみ方のひとつなのではないかと思うんです。
 でも、今回は確かに長い長い旅を続けるボーという主人公の軸は一貫して作品に通ってはいるのですが、第2部以降にボーを取り巻く環境世界に、ボーの生命をおびやかす強烈さが無かったこと。これが本作の決定的な「緊迫感の無さ」につながっており、その原因こそが、第2部以降でアスター監督が選んだ「過去の先達」のチョイスの失敗だったのではなかろうかと私はふんでいるのです。

 そう。アスター監督は今回、決して相手にしてはいけない恐るべき大先輩を相手にしてしまったのだ。彼の作品には、順序も建前も秩序も、もはや哲学さえもが存在していないのかも知れない。栄光と狂気に満ちた飽食の国アメリカの生んだ大いなる暗闇、大いなる混沌。そう、彼の名は……

デイヴィッド=リンチ! デイヴィッド=リンチ!! デイヴィッド=リィインチ~!!! きゃ~。

 あかん! アスター監督、そらあきまへんて!! 相手にしたらあかんお方やでぇ。
 いや、こんなの裏付けもへったくれもない私の完全な思い込みでしかないのですが、第2部の作り笑いに満ちた医者一家のかりそめファミリーライフとか、第3部のボー爺さんのバカバカしいヴァーチャル人生劇場とか、第4部の若作りしまくり母ちゃんのいかにも人工的な豪邸とか、そこらへんの撮影手法の万華鏡のような転換っぷりが、どうしてもかのデイヴィッド=リンチ世界の自由奔放な視点の超越を意識している気がしたんですよね。

 デイヴィッド=リンチの、あんた長編映画作る気あんの? ひとつの作品にまとめる気あんの!? でもついつい2、3時間観ちゃったよ……みたいな独特の世界が正真正銘、天然由来の混沌であるのならば、今作のアスター監督はその混沌を観察して「スケッチした」だけなのであって、最後はああいった実に説明しやすいオチを持ってきちゃうし、混沌を正確にトレースすればするほど、その真面目さばかりが目立っちゃって、混沌とは程遠い「アスター監督、まじめか!!」みたいなこぢんまり感しかもたらさない結果になっていたと思うんですよ。

 ダメだ、アスター監督。その若さでリンチ世界に挑んでは。

 中国の古典『荘子』に、私がものすんごく大好きな故事があります。


南海の帝を「儵(しゅく)」となし、北海の帝を「忽(こつ)」となし、中央の帝を「渾沌(混沌)」となす。
儵と忽と、時に相ともに渾沌の地に会う。
渾沌これを待すること、はなはだ善し。
儵と忽と、渾沌の徳に報いんことをはかりて曰く、
「人みな七竅ありて、もって視聴食息す。
これ(渾沌)ひとり有ること無し。試みにこれを穿たん。」と。
日に一竅を穿ち、七日にして渾沌、死す。


 まさにこれですよ、『ボーはおそれている』は!
 『荘子』に現れる中央の帝「渾沌」は、目も鼻も口も耳もない姿をしていて、何の秩序も存在しない自然の象徴だとされているのですが、それを見た南北二人の帝は、善意で自分達人間と同じ目・鼻・口・耳の七つの穴を渾沌に空けて整然とした秩序をもたらそうとします。しかしそれがかえってあだとなり渾沌は死んでしまった、という故事です。

「若干30代なかば、長編映画監督3本目のきみがリンチ世界の自由奔放さを取り込もうなんて、おこがましいと思わんかね……」

 なんだか、鼻が異様にでかい老人の幻影がアスター監督の肩に手をやっているようなイメージが脳裏に浮かんでしまうのですが、この『ボーはおそれている』って、アスター監督が口をがばっと開けて大物を呑み込んだようでいて、結局そのためにお腹が破裂しちゃいましたっていうか、馬脚が見えちゃいましたっていう作品になってしまっているような気がするのです。

 『ボーはおそれている』は179分ですよね。なんという偶然か、リンチ監督の現時点での最終長編映画である『インランド・エンパイア』(2006年)も、全く同じ179分なんですよ。
 同じ179分だったら、あなたはどっちがいいですか? 「どっちも嫌」っていう人が8割かとは思うのですが、私はだんっぜんリンチの方ですね。だって、わけわかんないんだもん! 『ボーはおそれている』は、一度観終わった後も「あぁ、あの描写はこういうことだったのか」っていう伏線の再確認を楽しむためにもう一回は観られると思うのですが、オチは変わんないのでそこまでじゃないですか。第3部の舞台演劇的な CGアニメーションも面白いかとは思うのですが、それにも限界はあるでしょう。
 『インランド・エンパイア』はすごいぞ……何回観ても意味わかんないんだから! 何十回観ても、オチてんのかどうかわかんないんだから!! でも、最後の『シナーマン』のエンドロールで、「たぶんオチたみたい……」的な空気にムリヤリ納得させられちゃうんだから!!!

 天然物の混沌と、人工のシュールものとの違いを知りたければ、リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』(1997年)か『マルホランド・ドライブ』(2001年)か『インランド・エンパイア』のいずれかと本作とを見比べてみることをおすすめいたします。いちばんいいのはなんてったってウサギ人間のホームドラマが超唐突に侵食してくるくだりなんか序の口の、「お話の長れなんかどうでもいいから、ちょっとこれ観てみてよ。今思いついたから。」みたいな狂気しかない『インランド・エンパイア』なのですが、これと『ボーはおそれている』を見比べることは6時間の浪費を意味しますので、これを拷問と言わずになんと言えましょうか。わたしのナタキンさまも、日本公開版では出番まるで無いしよう……

 話を元に戻しますが、この『ボーはおそれている』は、つまるところ主人公ボーに迫りくる試練というものが、苛烈のようでいてそんなにキツくはないように見えるのです。もちろん、本作におけるボーのおそれ(恐れにして畏れ)の対象は明らかにボーの母親で、第1部におけるその存在感の大きさは、電話口の声だけという制限があるだけに逆にリアルでかなりいい感じです。
 ところが、その母の存在は第1部の中で「死んじゃったらしい」という伝聞情報でいったんナシになり、ボーのおそれは「ママの葬式に行かなきゃ」という強迫観念に変容してしまうのです。これ、かなり大きなギアダウンなんじゃなかろうか。
 一応、ボーは相当重度の強迫性障害を患っている設定があるので、決めた以上は万障繰り合わせてでも実家に帰りたいという目的意識は一貫して持っているわけなのですが、作中で「葬式当日まであと〇日!」とかいう時間説明があえてぼかされているので、ボーの切迫感もふわっとしちゃっているし、それによって実家にやっとたどり着いた第4部の展開も、かなり意外なはずなのに現実感が無さすぎるので「はぁ、そうですか……ふ~ん。」みたいな白けムードになってしまうのです。現実感が無いというのは第1部からずっと続いている状態なのですが、それがうまく機能しているのは第1部のギャグパートだけで、それ以降は観客の没入感をそぐものにしかなっていないと思うんですよね。

 第1部のノリで最後までいったらよかったのに……良く言えば「めまぐるしく展開するイメージの奔流」なのでしょうが、今回の場合は「飽きっぽい映像作家のつぎはぎ作品集」にしかなっていないような気がするのね。あの名優ホアキンさんをほぼ出ずっぱりにしておいてこれなのですから、アスター監督自身が作ってる最中に「このままで大丈夫か?」と不安になって作風を変えてるような、若さゆえの焦りに見えちゃうんです。少しは高畑勲監督の不動心を見習……っちゃいけません。

 伏線回収がすごいとかも言われてるようですが、それって、ほぼボーの実家にあった母親の会社のポスターとか母親の遺体の特徴とか、みみっちい細部に関することですよね。ボーの父親のこととか、ボーが医者一家の豪邸のテレビで観たものとかの説明は投げっぱなしでしょ。なんか消化不良になっちゃうんだよなぁ。
 ボーの父親と言えば、今作における CG技術の使い方は、ほんとに『ミッドサマー』と同じ監督なのかと疑いたくなるほどに下の下の策だったと思いますよ。いや、あれに CG使っちゃいけないだろう! それこそ、『ポゼッション』(1980年)みたいにぐちゃぐちゃドロドロな実際の造形物で出すべきじゃないの? 全然怖くないんだよなぁ。いや、あれはギャグであえて CGアニメチックにしているのか……でも、だとしても医者一家から追いかけてきた狂人ジーヴスの最期とともに、盛大にスベッてますよね。

 やっぱこの映画、最後までコメディで通すべきだったんですよ。だとしたら、あのオチを選択するべきではなかったと思うんだよな。
 あと、今作には母性がつきまとっていたためか、出る女優さんがのきなみ熟れたてフレッシュだったのも、『ミッドサマー』での不気味な村娘マヤ(演・イザベル=グリル)の魔性にやられてしまった私には、ちとレベルが高すぎたのかも知れません。いや、今作の韓流アイドルに首ったけの不良少女トニもいたにはいたけど、彼女に魅力を感じるお客さんは日本にどれくらいいますかね……

 前作『ミッドサマー』を観た直後、私は「次回作なんか誰が見るか!」と感じていたのですが、今現在、私はその次回作を観てしまいました。これはやっぱり、ツンデレではありませんが、強引で暴力的ながらも、それだけ惹きつけてしまう異形の魅力が『ミッドサマー』にあったからだと思うのです。
 そしていま、私は『ボーはおそれている』を観た直後に、3、4年前と同じように「次回作なんか、誰が見るか。」と思っているのですが……心の中の温度はだいぶ違うような気がするんですよね。
 なんか、勝手ながらもアスター監督の底が見えちゃったというか、「3時間つきあう程の人でも、ないかな。」みたいな荒涼とした風が吹いております。前回のグラグラと煮えたぎる嫌悪感なんか、きれいさ~っぱりありゃしませんやね。醒めたもんです。

 いろいろ、なんでこの作品にこれほどがっかりしているのかと自分なりに考えてみたのですが、やっぱり、描き方は多少アレンジしているにしても、オチを先行作品と同じものにしているという点に、私はどうやら納得がいっていないようです。それは、あの『ゴジラ -1.0』に私がいまひとつ良い印象を持てていないことと同じなんですよね。
 いや、それだったらオーソン=ウェルズ監督の『審判』(1963年)のほうが悲劇的で身に迫る不条理さがあったし、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)のほうが怪獣が4体も出てくるからおトクだし!!みたいな。

 あともうひとつ、今回の鑑賞がイマイチだった原因として、もしかしたらこっちの方が重大だったのかも知れませんが、『ボーはおそれている』を観たのはついさっきの夜だったのですが、実は本日わたくし、お休みだったのをいいことに家で朝から昼間にかけて黒澤明監督の『七人の侍』を観ちゃってたのよね……
 いや~、これはアスター監督に悪いことしちゃったなぁ! そりゃ勝てるわけねぇって!!
 『七人の侍』が天下御免の「207分」なので、ボーちゃんの3時間に向けて身体をならす算段で観たのですが、何度目かの鑑賞なのに、や~っぱりおもしろい! 日本人だからというひが目では決してないと思います。

 ということで本日私の言いたいことは、「映画を観る前に『七人の侍』を観てはいけない。」&「『ボー』はどうでもいいから『七人の侍』は絶対に観て!!」に、あいなり申した。アスター監督、ほんとにごめんなさい……


 本作のラストの展開なんか、ボーがどうなるかよりも、「俳優のリチャード=カインドさんのゲジゲジまゆ毛、昔どの作品で観たんだっけ?」で頭がいっぱいになっちゃってましたからね。答えはドラマ『ゴッサム』シリーズでのゴッサム市長だったのですが、思い出したころには映画はエンドロールに入っておりました。

 何を見ても、何かを思い出す……歳はとりたくねぇもんだなぁ、オイ!!
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山形と最上義光の歴史3(フィクション作品編)

2024年02月11日 14時28分39秒 | 日本史みたいな
≪前回までの年表中に登場した主な歴史上の人物たちの基本情報と、ゲーム『信長の野望』シリーズ内での能力評価≫
※複数のタイトルに登場している人物の数値は、平均値です。

伊達 稙宗(1488~1565年)…… 政治87、統率56
 陸奥国の戦国大名・伊達家第14代当主。左京大夫。
氏家 定直(1504?~70?年)…… 政治71、統率56
 戦国時代の武将。山形斯波家重臣。
大宝寺 晴時(1512~41年)…… 政治65、統率48
 戦国時代の武将。大宝寺家第15代当主。
土佐林 禅棟(?~1571年)…… 政治54、統率31
 戦国時代の武将。大宝寺家家臣。出羽国藤島城主。「禅棟」は号であり実名は不明。
伊達 晴宗(1519~78年)…… 政治78、統率62
 陸奥国の戦国大名・伊達家第15代当主。左京大夫。伊達稙宗の嫡男。
山形 義守(1521~90年)…… 政治52、統率46
 出羽国の戦国大名。山形斯波家第10代当主。
天童 頼貞(?~1579?年)…… 政治44、統率61
 戦国時代の武将。天童家第16代当主。「最上八楯」と称された出羽国の国人連合の盟主。山形義光の舅にあたる。
大宝寺 義増(1522~81年)…… 政治46、統率48
 戦国~安土桃山時代の大名。大宝寺家第16代当主。出羽三山別当職。大宝寺晴時の従弟。
前田 利益(1533?~1605?年)…… 政治42、統率98
 戦国時代末期~江戸時代初期の武将。通称・慶次。
織田 信長(1534~82年)…… 政治99、統率93
 戦国~安土桃山時代にかけての大名。「戦国三英傑」の一人。
氏家 守棟(1534~93?年)…… 政治71、統率62
 戦国~安土桃山時代の武将。山形斯波家家臣。氏家定直の嫡男。
足利 義輝(1536~65年)…… 政治63、統率76
 室町幕府第13代征夷大将軍。
猪苗代 盛国(1536~90?年)…… 政治52、統率52
 戦国~安土桃山時代の武将。芦名家家臣。猪苗代家第12代当主。父は芦名盛詮の次男・猪苗代盛清とされるが、天文十(1541)年に芦名家に対して謀反を起こした猪苗代盛頼ともいわれる。
羽柴 秀吉(1537~98年)…… 政治98、統率83
 戦国~安土桃山時代の武将、戦国大名、天下人、初代武家関白、太閤。「戦国三英傑」の一人。主君・織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を築いた。
木村 重茲(?~1595年)…… 政治70、統率45
 安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。別名・定光、重隆、重高。通称・隼人正、常陸介。千利休「台子七人衆」の一人。
本多 正信(1538~1616年)…… 政治93、統率29
 戦国~江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の重臣で、江戸幕府老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代当主。
前田 玄以(1539~1602年)…… 政治79、統率22
 戦国~安土桃山時代の僧侶・武将・大名。豊臣政権五奉行の一人。
本庄 繁長(1540~1614年)…… 政治41、統率82
 戦国~江戸時代初期の武将。山内上杉家重臣。「越後揚北衆」の一人。越後国岩船郡小泉庄の本庄城主。主君・上杉家の陸奥国会津転封後は守山城と福島城の城代を務めた。
徳川 家康(1542~1616年)…… 政治92、統率93
 戦国~江戸時代初期の日本の戦国大名、江戸幕府初代将軍。徳川家(将軍家、御三家など)の祖。「戦国三英傑」の一人。
伊達 輝宗(1544~85年)…… 政治74、統率64
 戦国大名・伊達家第16第当主。左京大夫。伊達晴宗の次男。
東禅寺 義長(1544~88年)…… 政治43、統率47
 戦国~安土桃山時代の武将。大宝寺家家臣。東禅寺城主。初名・前森蔵人。
東禅寺 勝正(1546~88年)…… 政治48、統率46
 戦国~安土桃山時代の武将。大宝寺家家臣。東禅寺義長の弟。
延沢 満延(1544~91年)…… 政治33、統率78
 戦国~安土桃山時代の武将。山形斯波家家臣。出羽国野辺沢(延沢)城主。別名・信景。
増田 長盛(1545~1615年)…… 政治83、統率36
 安土桃山~江戸時代初期の武将、大名。豊臣政権五奉行の一人。官位は従五位下・右衛門少尉。
山形 義光(1546~1614年)…… 政治87、統率77
 戦国~江戸時代前期の出羽国の大名。山形斯波(のち最上)家第11代当主。江戸幕府の山形藩初代藩主。山形義守の嫡男。
中野 義時(1550?~74?年)…… 政治35、統率34
 戦国時代の武将。山形義守の次男。江戸時代に創作された架空の人物の可能性がある。
楯岡 光直(1559?~1629年)…… 政治18、統率39
 戦国~江戸時代前期の武将。山形義守の四男(次男説、三男説あり)。山形義光、中野義時の弟。別名・義久。
白鳥 長久(?~1584年)…… 政治62、統率59
 戦国~安土桃山時代の武将。出羽国谷地城主。最上義康の舅、最上義光の義兄弟にあたる。別名・義国。
志村 光安(?~1609?年)…… 政治47、統率67
 戦国~江戸時代初期の武将。最上家家臣。通称・伊豆守、初名・九郎兵衛。
清水 義氏(1547~86年)…… 政治40、統率48
 戦国時代の武将。山形斯波氏の一族である清水家第6代当主。
新発田 重家(1547~87年)…… 政治30、統率66
 戦国~安土桃山時代の武将。越後国の戦国大名・山内上杉家家臣。蒲原郡新発田城主。
大崎 義隆(1548~1603年)…… 政治42、統率48
 戦国時代の陸奥国大崎地方の大名。大崎家第12代当主。左衛門佐。最上義光の義弟。
一栗 高春(?~1614年)…… 政治28、統率55
 安土桃山~江戸時代初期の武将。陸奥国大崎家家臣。通称・豊後守、兵部。
相馬 義胤(1548~1635年)…… 政治54、統率70
 戦国~江戸時代の戦国大名。陸奥国相馬家第16代当主。
大宝寺 義氏(1551~83年)…… 政治27、統率59
 戦国~安土桃山時代の大名。大宝寺家第17代当主。出羽三山別当職。大宝寺義増の嫡男。
大宝寺 義興(1554~87年)…… 政治38、統率47
 安土桃山時代の大名。大宝寺家第18代当主。大宝寺義増の次男。
谷柏 直家(1551~1610年)…… 政治58、統率41
 戦国時代の武将。最上家家臣。出羽国谷柏城主。
二本松 義継(1552~85年)…… 政治56、統率67
 戦国~安土桃山時代の武将。二本松家第9代当主。陸奥国安達郡二本松城主。
富田 隆実(?~?年)…… 政治21、統率65
 戦国~安土桃山時代の武将。芦名家家臣。
蒲生 氏郷(1556~95年)…… 政治80、統率79
 戦国~安土桃山時代の武将。豊臣政権の重臣。初め近江国日野城主、次に伊勢国松阪城主、最後に陸奥国黒川城主。
上杉 景勝(1556~1623年)…… 政治77、統率82
 戦国~江戸時代前期の大名。山内上杉家第17代当主。豊臣政権の「五大老」の一人。江戸幕府の米沢藩初代藩主。
下 秀久(?~1614?年)…… 政治17、統率40
 戦国~安土桃山時代の武将。山内上杉家、のちに最上家の家臣。「越後揚北衆」の一人・黒川家の一族。別名・吉忠。
片倉 景綱(1557~1615年)…… 政治83、統率76
 戦国~江戸時代前期の武将。伊達家家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉家初代で、景綱の通称・小十郎は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。
石田 三成(1560~1600年)…… 政治90、統率43
 安土桃山時代の武将・大名。豊臣政権の五奉行の一人。
福原 長尭(?~1600年)…… 政治48、統率36
 安土桃山時代の武将、大名。豊臣秀吉の側近。豊後国府内城主。正室は石田正継の娘で、石田三成の妹婿にあたる。通称・右馬助。
直江 兼続(1560~1620年)…… 政治83、統率79
 戦国~江戸時代前期の武将。山内上杉家の重臣で江戸幕府の米沢藩家老。
福島 正則(1561~1624年)…… 政治44、統率86
 安土桃山~江戸時代前期の武将、大名。「賤ヶ岳七本槍」の一人として知られる。安芸国広島藩の初代藩主、後に信濃国高井野藩の初代藩主。
北条 氏直(1562~91年)…… 政治57、統率54
 戦国~安土桃山時代の関東地方の大名で小田原城主。後北条家第5代当主。父・北条氏政と共に後北条家の最大版図を築き上げたが豊臣秀吉の小田原征伐を招き、後北条家の関東地方支配は終焉を迎えた。
屋代 景頼(1563~1608年)…… 政治46、統率71
 戦国~江戸時代初期の武将。戦国大名・伊達政宗の側近。
鮭延 秀綱(1563?~1646年)…… 政治46、統率63
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家、のちに佐倉藩土井家の家臣。
氏家 光氏(?~?年)…… 政治46、統率65
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家重臣。通称・尾張守。氏家守棟の従兄弟・成沢道忠の子。守棟の死後に氏家家の家督を継いだ。最上義光の娘・竹姫を正室に迎えており、最上家では宿老1万8千石の重責を担った。
本多 正純(1565~1637年)…… 政治82、統率23
 安土桃山~江戸時代初期の武将、大名。江戸幕府老中。下野国小山藩主、同宇都宮藩主(第28代宇都宮城主)。本多正信の嫡男で、正信系本多家宗家第2代当主。
小野寺 義道(1566~1646年)…… 政治23、統率52
 安土桃山~江戸時代前期の大名。出羽国横手城主。大宝寺義増の娘婿。
伊達 政宗(1567~1636年)…… 政治87、統率87
 出羽国・陸奥国の戦国大名・伊達家第17代当主。江戸幕府の仙台藩初代藩主。伊達輝宗の嫡男。
伊達 成実(1568~1646年)…… 政治55、統率84
 戦国時代後期~江戸時代前期の武将。仙台藩初代藩主・伊達政宗の重臣で、仙台藩一門第二席・亘理伊達家初代当主。父は伊達実元、母は実元の異母兄・伊達晴宗の娘であるため、主君・政宗の従弟にあたる。
豊臣 秀次(1568~95年)…… 政治41、統率47
 戦国~安土桃山時代の武将、大名。豊臣家第2代関白。豊臣秀吉の甥。
新関 久正(1568~1624年)…… 政治65、統率40
 安土桃山~江戸時代前期の武将。最上家家臣。出羽国藤島城主。
大宝寺 義勝(1573~1623年)…… 政治36、統率43
 安土桃山~江戸時代前期の武将。山内上杉家重臣・本庄繁長の次男で、大宝寺義興の養子。大宝寺家第19代当主。のちの本庄充長。
最上 義康(1575~1603?年)…… 政治42、統率48
 安土桃山~江戸時代初期の武将。最上義光の嫡男。
徳川 秀忠(1579~1632年)…… 政治78、統率37
 安土桃山~江戸時代の武将。江戸幕府第2代征夷大将軍。徳川家康の三男。
最上 家親(1582~1617年)…… 政治45、統率47
 安土桃山~江戸時代前期の武将・外様大名。最上家第12代当主。江戸幕府の山形藩第2代藩主。最上義光の次男。
清水 義親(1582~1614年)…… 政治43、統率41
 安土桃山~江戸時代の武将。大蔵大輔。最上義光の三男。天童頼貞の外孫にあたる。
延沢 光昌(1582~1626年)…… 政治21、統率46
 安土桃山~江戸時代前期の武将。山形斯波家家臣。延沢満延の嫡男。最上義光の娘婿。
山野辺 義忠(1588~1665年)…… 政治50、統率40
 安土桃山~江戸時代前期の武将。江戸幕府の水戸藩家老。最上義光の四男。
最上 義俊(1605~32年)…… 政治24、統率19
 江戸時代前期の山形藩第3代藩主、のちに近江国大森藩主。最上家第13代当主。最上家親の嫡男。初名・家信。


最上義光を題材とした小説
松本 清張『武将不信』(1956年12月発表 講談社文庫『奥羽の二人』所収)
 時代設定   …… 天正十八(1590)年六月~慶長十八(1613)年九月
 主な登場人物 …… 最上出羽守義光、徳川家康、里見権兵衛、戸井半左衛門、本多正信、最上修理大夫義康、最上駿河守家信

南條 範夫『最上源五郎義俊』(1976年2月刊『大名廃絶録』所収 文芸春秋文春文庫)
 時代設定   …… 天正十八(1590)年六月~寛永八(1631)年十一月
 主な登場人物 …… 最上出羽守義光、徳川家康、最上源五郎義俊、里見権兵衛、最上修理大夫義康、鮭延越前守秀綱、最上駒姫

中村 晃『修羅鷹 最上義光』(1987年4月刊 PHP研究所PHP文庫)
 時代設定   …… 永禄五(1562)年秋~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義光、延沢能登守信景(満延)、白鳥十郎長久、氏家尾張守守棟、里見越後守、本庄繁長、関白豊臣秀吉、伊達政宗、大崎殿としよ姫、岌讃専阿和尚、羽柴中納言秀次、徳川家康、石田治部少輔三成、直江山城守兼続、上杉景勝、清水御前、最上修理大夫義康、白鳥日吉姫、最上義姫、最上駿河守家親、清水義親、徳川秀忠、侍女白石氏、最上義俊

永岡 慶之助『最上義光』(2009年11月刊 学陽書房人物文庫)
 時代設定   …… 永禄五(1562)年初夏~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義光、氏家尾張守守棟、最上義守、延沢信景(満延)、天童頼久、草刈将監、田村助左衛門、志村九郎兵衛光安、白鳥十郎義国(長久)、伊達輝宗、最上義姫、芦名盛隆、二本松左京亮義継、伊達政宗、猪苗代盛国、片倉小十郎景綱、関白豊臣秀吉、羽柴中納言秀次、徳川家康、最上駒姫、小森田番内、前田慶次(利益)、上杉景勝、直江山城守兼続、相馬長門守義胤、水谷三郎兵衛、堀監物、最上修理大夫義康、石田治部少輔三成、和賀主馬之介忠親、京屋清兵衛、本多佐渡守正信、宮沼平助、炊事役小頭の由蔵、戸枝半兵衛、最上駿河守家親、溝口延三郎、須藤蔵人、本多上野介忠純、鮭延越前守秀綱、楯岡甲斐守義久(光直)

高橋 義夫『保春院義姫 伊達政宗の母』(2015年1月刊 中央公論新社中公文庫)
 時代設定   …… 永禄七(1564)年春~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上義姫、乳母千歳の局、氏家伊予守定直、伊良子宗牛、最上義光、成沢お筆、円清坊、主殿の局、伊達輝宗、野谷地徳蔵丸、瀬上平三郎定康、伊達梵天丸政宗、砂金お硯、片倉小十郎景綱、伊達成実、二本松左京亮義継、庭番の小平次、湯目景康、延沢能登守満延、片倉小大納言の局、堀喜吽、氏家尾張守守棟、粟野藤八郎、小原縫殿助、伊達小次郎、屋代勘解由兵衛景頼、富塚内蔵頭

天野 純希『北天に楽土あり 最上義光伝』(2015年10月刊 徳間書房徳間時代小説文庫)
 時代設定   …… 永禄四(1561)年夏~元和九(1623)年七月
 主な登場人物 …… 最上源五郎義光、最上義姫、氏家尾張守守棟、最上義守、成沢道忠、氏家伊予守定直、大崎殿康子姫、谷柏直家、延沢能登守満延、志村九郎兵衛高治(光安)、鮭延越前守秀綱、大宝寺出羽守義氏、白鳥十郎長久、伊達藤次郎政宗、片倉小十郎景綱、伊達輝宗、二本松左京亮義継、最上永寿丸義康、氏家光棟、新関久正、東禅寺義長(前森蔵人)、東禅寺右馬助勝正、中山朝正、山家河内介、徳川家康、関白豊臣秀吉、最上駒姫、おこちゃの方、坂紀伊守光秀、石田治部少輔三成、直江山城守兼続、上杉景勝、氏家光氏、江口五兵衛光清、中間の藤兵衛、鳥海勘兵衛、前田慶次郎(利益)、堀喜吽、浦山源左衛門、斎藤光則、里見民部大夫、里見正近、清水お辰の方、最上駿河守家親、大悲願寺秀雄

高橋 義夫『さむらい道 最上義光』(2015年7月~16年12月連載 中央公論新社中公文庫)
 時代設定   …… 永禄四(1561)年夏~慶長五(1600)年九月
 主な登場人物 …… 最上源五郎義光、氏家尾張守守棟、堀喜四郎(喜吽)、志村新九郎光安、志村九郎兵衛光清、氏家伊予守定直、柴橋刀自、西窪掃部助、斎藤仁兵衛、願正坊教証、伊良子宗牛、葛西治部右衛門、斎藤左源太、尾張局お陳、一栗城山の方、大崎桂姫、佐藤作右衛門、今野三郎右衛門、最上義守、中野千寿丸義時、織田内府信長、延沢能登守満延、天童鶴姫、庭月屋勘右衛門、氏家左近、駿河の方、東禅寺筑前守氏永(義長)、大行院西蓮、白鳥十郎長久、鮭延源四郎秀綱、山上道牛、小関弥五郎、笹原石見守、一栗玄蕃頭、大宝寺義興、中村内記、氏家十右衛門光棟、畔藤三郎右衛門、一栗兵部少輔高春、遠藤若狭守、最上お東の方、医師玄悦、木村常陸介重茲(定光)、徳川大納言家康、矢島五郎満安、関白豊臣秀次、浦山十兵衛、最上駒姫、茶坊主の玄了、太閤豊臣秀吉、奥山鹿丸、浪江の方、安孫子将監、庭月屋勘右衛門、平野屋佐仲、津金修理亮胤久、最上修理大夫義康、最上駿河守家親、伊達藤次郎政宗

武内 涼『駒姫 三条河原異聞』(2017年1月刊 新潮文庫)
 時代設定   …… 文禄四(1595)年七月~慶長五(1600)年九月
 主な登場人物 …… 関白豊臣秀次、福島正則、福原長尭、清胤阿闍梨、雀部淡路守、氏家尾張守守棟、最上駒姫、おこちゃの方、鮭延主殿助、最上出羽守義光、太閤豊臣秀吉、堀喜吽、石田治部少輔三成、菊亭一の台、池田若政所、浦山筑後守、京極龍子、増田長盛、柿屋宗春、お竹の方、施薬院全宗、大崎としよ姫、浅井淀の方、下男の雲八、北政所ねね、片倉小十郎景綱、最上駿河守家親、徳川大納言家康、本多佐渡守正信、服部半蔵正成、お和子の方、前田玄以
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