長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

全国城めぐり宣言 第22回 「備中国 鬼ノ城」  デカすぎ……過ぎたるはなほ及ばざるがごとし~!

2013年04月30日 22時45分46秒 | 全国城めぐり宣言
《前回までのあらすじ》
 早朝に深夜バスで岡山駅に降り立ち、午前7時半に JR吉備線の服部駅を徒歩で出発。
 そこから、苦節4時間半……途中での思わぬ伏兵・経山城(きょうやまじょう)の強襲や、目的地を目前にしての突如の「スウィート鬼ホーム」ゾーンへのバシルーラ、さらにそのコースから秘境・重田池(じゅうだいけ)への寄り道といった(かってに自分で設定した)さまざまな困難を乗り越えて、ついにそうだいは目指す最大の要衝・鬼ノ城(きのじょう)へとかえってきた!! やったぜベイビィイイ。
 だが、しかし。ここまでの(かってに自分で強いてきた)艱難辛苦の末にたどり着いた鬼ノ城が、普通のお城であっていいはずが、ない!
 そうだいの眼前にその威容を現した鬼ノ城はまさに、日本の城郭の概念を軽くくつがえす「異形の城」だったのだ……


 キリのいい午前12時。ついに念願の鬼ノ城に入城! 脚はもうすでにガッタガタだけど、いっくぞ~☆

 鬼ノ城の敷地の中で私が最初にたどり着いたのは、城の東西南北に1ヶ所ずつ設けられた城門の中でも、東門と同じように小規模に造られていた掘立柱式の「北門」でした。鬼ノ城は比較的なだらかな鬼ノ城山山頂の丘陵地帯に築城されているのですが、北門区域は中でも最も低い位置にあります。

 そのためもあってなのか、この北門は間口4m ということで確かに小さめな通用口といった規模にはなっているのですが、まさに「全力で弱点をおぎなえ!」といわんばかりの力の入れようで、標高が低いために比較的どの城門よりも攻めのぼりやすいこの地点の防御がなされていました。
 まず目立つのは、北門のドまん前にあえて造られていた高さ2m の段差でした。ここには石垣と自然の傾斜をうまく利用して、北門から入城する際にわざわざよじ登らなければならない構造がもうけられているのです。要するに、城壁の中の中途半端な高さの場所にわざと入り口があるわけなんですね。これはウザい!
 これは、「懸門(けんもん)」という古代朝鮮半島の築城技術に多用されていたテクニックのようで、平時にこの懸門には木製の階段やはしごのようなものが架けられているのですが、非常時にはそれらをとっぱらって攻城側の兵の侵入を困難にさせる効果があったというわけなのです。なるほどね~! 現在の北門には、観光客用の木製のステップが常設されています。

 この懸門構造は、どうやら鬼ノ城と同じ飛鳥時代に築城されたという12の古代山城や、その他の「神籠石(こうごいし)式山城」の中ではよく活用されていた技術だったらしいのですが、それ以降の日本の城郭の歴史の中ではトンと忘れ去られたものになっていました。
 これはおそらく、城門を城壁(石垣)の中に一体化させるという大陸式の築城法がその後の日本に根付かず、城門は城門で独立させて城壁とは別に建築する工法が広まっていったからだったのではないのでしょうか。たぶん、石垣を大量投入することができない地域が多かったとか、城門を別に造ったほうが移転や修築が簡単だとか、城門をさらに強化して1個の軍事拠点(やぐらやトーチカ)にするとかいう日本の事情や考え方とはそぐわなかったんでしょうね。

 それにしても、小さいながらも懸門を中心にして左右に堅固な城壁が展開されている北門は、下から攻めてくる兵からすればかなり攻めにくい地形になっていることは間違いなく、通常、攻撃されることが予想される平地側(瀬戸内海側)からは真裏に当たるこの北門区域も、しっかり油断せずに守りが固められているという雰囲気になっていました。いいね、いいね~!

 前回の説明文にも記されていた通り、鬼ノ城は「すり鉢形の鬼城山の山頂周囲を石垣・土塁による城壁が周囲2.8キロメートルに渡って取り巻く」という、山がはちまきを巻いたような構造になっており、その点でも、本丸・二ノ丸・三ノ丸といった「小さな丸」がいくつもつながってブドウのように構成されているパターンの多い日本の山城とはまるで様子の違う、中国・朝鮮半島もしくはヨーロッパのお城のような外観をなしています。とにかく城壁でぐるっと囲んでみました! みたいな。
 現在は、2.8km にわたって築かれていたという城壁のうちのごく一部しか復元されていないのですが、それでも、鬼ノ城の城壁のとらえ方が、いかに戦国時代の日本のお城と違うスケールのものになっていたのかは充分にうかがい知ることができます。

 この城壁によって囲まれた区域の総面積は約30ヘクタール。30ヘクタール!? つまりは30万平方メートルっすか!!

 これはものすごい広さなんですよ……まず、TV とかでこういう面積の話題をするときに必ず引き合いに出されて、その割にはいまいちピンと来ない比較で言いますと、「東京ドーム(およそ4.7ヘクタール)6.4コぶん」。うわ~ん、やっぱりピンとこないよう!

 最近、この『全国城めぐり宣言』で行ってみたお城を比較するのならば、お隣の経山城は「0.8ヘクタール」で、前回(の、予定)お世話になった備中高松城址公園は「6ヘクタール」。現在復元されている岡山城の城域と後楽園を合わせた面積が「20ヘクタール」ということになるので、鬼ノ城は今の岡山市にある岡山城一帯よりも広いということになるのです。行ったことのある方ならよくおわかりかと思いますが、これは広いですよ~!! ちなみに、かつて、あの小早川秀秋が城主だった時代に、いちばんの外堀に当たる二十日堀を完成させて「総構え(そうがまえ 城郭の主要な建造物だけでなく、城域のもっとも外側の防衛ラインにあたる砦や、城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ内部のすべてを含めた区域のこと)」を最大規模に拡張させた当時の岡山城の面積は「およそ100ヘクタール」あったと思われますので、それにはさすがに負けておりますが。さらにちなみに、戦国時代の備中高松城の総構えは「13ヘクタール」。


 ついでなので、いろんな東西の超有名なお城の面積を比較してみますと、

江戸城         …… 総構え2130ヘクタール(現在の皇居は115ヘクタール)
豊臣秀吉時代の大坂城  …… 総構え500ヘクタール(現在の大阪城公園は105ヘクタール)
後北条家時代の小田原城 …… 総構え675ヘクタール(現在の小田原城址公園は22ヘクタール)
故宮(紫禁城)     …… 総構え7800ヘクタール(現在の故宮は72.5ヘクタール)
ヴェルサイユ宮殿    …… 総構え2473ヘクタール(建造物の総面積は195.4ヘクタール)
バッキンガム宮殿    …… 総構え14ヘクタール(宮殿本体は4.3ヘクタール)
ウインザー離宮     …… 総構え21ヘクタール(宮殿本体は4.5ヘクタール)
シェーンブルン宮殿   …… 総構え168ヘクタール(宮殿本体は3.2ヘクタール)

 こんな感じらしいんですが……世界は広いやねェ~!!
 注意しておきますけど、これをパッと見て「バッキンガム宮殿、ちっちゃ!」とか思ったらあきませんよ!? もともとイギリスのこれらの宮殿には、「城郭の中に家来や民衆の家屋を囲い込む」という概念はないんですから。ある一族オンリーのお住まいという考え方でいくのならば、これ以上ないくらいに広いんです。
 もう、江戸城とか小田原城は都市をまるごと抱えているといって差し支えのない面積なんでございますよ……その最たるものが北京の紫禁城、というか「北京城」であるわけでして。やっぱり中華帝国はハンパない! ヴェルサイユもものすごいけどね~。

 話を戻しますが、そういったお歴々は世界にはいらっしゃるものの、やっぱり鬼ノ城の30ヘクタールというのはまったく規格外なだだっ広さで、さほど「政庁」的な機能は果たしていなかったと思われる純粋な「防衛基地」としては異常すぎるスケールを誇っていたのでした。これはやっぱり、7世紀当時にこの吉備地方を治めていた地方豪族が築城したというレベルではなく、それもひっくるめて本州を支配していた飛鳥朝廷(大和王権)が「国家的一大事業」として全力をあげて建設したもの……だったんでしょうねぇ。とにかく城全体、とくに城壁の構造から感じられる気合いの入り方がケタ違いなんですね。

 また、鬼ノ城の北門の通路は石造りの床になっているのですが、そこにしっかりと「排水溝」がもうけられているのにも驚きました。まさに当時の建築技術の粋を凝らしたというハイテク感がありますねぇ。とにかく「石」を多用した外観が、日本よりもローマ帝国の遺跡をほうふつとさせるエキゾチックな空気をかもし出しています。

 さて、私が入城した時間帯が陽光さんさんたる正午だったこともあって、鬼ノ城内には平日月曜日であるにもかかわらず観光客がけっこう入っており、老人会のような集まり、親子連れ、大学のサークルっぽいグループとバラエティ豊かな方々が行き交っていたのですが、私がちょっとビックリしたのは、みなさんが全員、かなりしっかりした「登山ルック」に身を包んでいたことでした。やっぱ、私みたいにジャケットはおって行く場所じゃなかったのね……
 また、ジャンパーにリュックという格好に加えて、竹か木でできた頑丈な杖をついている人がかなり多くて、この高い普及率の原因はのちにわかったのですが、私は「杖まで準備してきているのか!」とかなり衝撃を受けてしまいました。なんという用心深さか……私も杖、ほし~!

 現在の鬼ノ城の観光通路は、2.8km の外郭をまわる環状ルートと、城の中を通って建築物の遺跡をめぐる内部ルートがあるのですが、私はまず北門から右に向かって、鬼ノ城の「顔」として有名な復元城門のある「西門」区域に向かうことにしました。
 これがさぁ、北門から西門までは距離にして500m ほどなんですけど、北門区域が標高がいちばん低くて西門区域がいちばん高いもんですから(標高差50m ほど?)、地味~にキツい坂道なのよね……アスファルトに舗装されてんのがまた、逆にしみる……

 もはや本物以上にジジイと化した(鬼ノ城に来るような本物のみなさんはとっても元気です)肉体を引きずってたどり着いた西門区域は、本来ふもとからやって来て「鬼ノ城山ビジターセンター」に到着した人から見たら、最も近い場所にある鬼ノ城の玄関口なのですが、ここは他の地点にもまして復元に力が入れられており、可能な限り忠実に復元されたという巨大な「西門」と、非常時に西門を援護する防衛拠点「角楼(かくろう)跡」が整備されていました。

 まず角楼の方は、西門と城壁づたいにつながっている、地形的に出っ張った城の隅っこに造られた、日本のお城でいう隅櫓(すみやぐら)のような機能を果たしたやぐら(床面積は横幅13m ×奥行き4m )だったらしいのですが、建物自体は再現されてはいないものの、おおよそ角楼の中にいた兵士と同じ視線に立てる展望台は設置されており、そこに登ってみると、左手の西門を目指して眼下の登山道をのぼってくる攻城側の兵士を狙い打ちにできる格好の防衛ポイントだったことがわかります。やっるぅ~! この構造は、中国式で言う「馬面(ばめん)」、朝鮮半島式で言う「雉(チ)」という築城技術の輸入だったようですね。
 また、角楼からは西門ごしの鬼ノ城の眺めはもちろんのこと、もっと遠くに目をやれば、南の総社市や岡山市、さらには瀬戸内海をはさんで四国の香川県も視野におさめられる絶景ぶりを誇っていました。ここから見えるお城や名跡としては、南北朝時代に激戦の舞台となった備中福山城(総社市)、岡山市南区の常山城(つねやまじょう)、おなじみ備中高松城(岡山市北区)、鬼王温羅が投げた岩石が吉備津彦命の放った矢と激突して落ちたという伝説のスパークポイント矢喰宮(やぐいのみや 岡山市北区)といったものがあります。 
 あと、ここからは岡山市南区にある標高400m の金甲山(きんこうざん)という、鬼ノ城山とほぼ同じ高さの山も見えるのですが、この山の名前の由来は、あの「征夷大将軍」として有名な平安時代の名将・坂上田村麻呂(758~811年)が、倉敷市の由加山(ゆがさん 標高274m )に巣食っていたという鬼を討滅するべくこの山に陣をしいた際に、戦勝祈願のために黄金製の甲冑を地中に埋めたという伝説に基づいているようです。3世紀の鬼王温羅に続いて、8世紀は由加山の鬼かよ! 忙しいなぁ~オイ。まぁ、500年サイクルだから、いっか。

 ところで、この角楼から見えるものとして、鬼ノ城とからめて決して無視することができないのが、海を越えた香川県高松市に位置する屋島城(やしまのき)と、香川県坂出市に位置する讃岐城山城(さぬききやまのき)が視界に入っていることです。
 屋島城は『日本書紀』にその名が記録されている「古代山城」で、讃岐城山城は鬼ノ城と同じく記録にはないものの、「白村江の会戦」での敗戦を契機にして築城されたとおぼしき「神籠石(こうごいし)式山城」です。すべて、中規模の山を利用した石垣づくりの要塞という形式は非常に似通っていますね。
 ということは、今でこそ山の中に孤立したお城というイメージが強くはあるのですが、やっぱり鬼ノ城は、瀬戸内海が国際戦争の戦場になるという緊急事態を想定しての一大国家防衛プランの一環として築かれた要塞だったということは間違いがないのでしょうか……でも、瀬戸内海に軍勢が入ってきている時点でもう手遅れな感じはするんですが、ここまで他国との国家の存亡を賭けた悲愴な大戦争を見に迫って考えざるを得なかった、当時の天智天皇政権の切迫感には驚きを禁じえません。ものすごい時代だったんですね……幸い、これら屋島城も讃岐城山城も実際に軍事利用されることはなく、鬼ノ城と同じように早々に廃棄されてしまったようです。よかったよかった。
 ちなみに城の規模でいうと、3つの城の中で最も規模が大きいのは周囲7km の島全体が要塞と化した屋島城(現在は四国と陸続きになっている)だったらしいのですが、今現在、いちばん観光しやすいかたちに良好に復元・整備されているのは鬼ノ城です。ウェルカム鬼ノ城!

 さて、そんな鬼ノ城の施設の中でも特にカッコよく復元されているのが西門なのですが、2004年に復元されるまで現地には柱の穴しか残っていなかったわけで、城門の大規模さはわかるものの、実際に地上にそびえ立っていた建造物については、当時の大陸様式の城門の工法に基づいて再現されたようです。そりゃそうですよね、史料も絵画も残ってないんですからねぇ。

 再現された鬼ノ城西門は、横幅12m ×奥行き8m ×高さ13m の堂々たる3階建て、板葺き屋根の城門になっていて、1階部分は城外に通じる地下通路、2階部分は城壁に連結している地上通路、3階部分は見張り台となっています。要するに、鬼ノ城内と城外にはおよそ6m の高低差ができているんですね。
 その6m を構成しているのが城壁の基礎部分で、西門で再現されている城壁は厚さ6~7m の土台を形づくる版築土塁(はんちくどるい)の上に、外向きの板塀と内向きの石垣とが乗っかっているという構造になっていました。

 版築土塁というのは、ひたすら土をつき固めてカッチカチな厚さ数cm ほどの薄い層をつくり、それをミルフィーユのように繰り返し繰り返し積み重ねて作りあげていくという原始的な工法の土塁なのですが、それも厚さ6~7m ×6m ともなると、まさに黄土色の鉄壁といったおもむきで、石垣のような亀裂がないだけにかなり登りにくく、よけいに難攻不落な印象を強めてくれます。しっかり作られた版築土塁はまるでコンクリート壁とも見まごうような硬度を持っており、そこにはペンペン草1本生える余地すらありません。

 この城壁の版築土塁は、石垣とも、それほど強くつき固めない日本の土塁ともだいぶ違う独特の外観を持っており、西門の異様さともあいまって、まさに中国のどこかにあってもおかしくない異国的な雰囲気をあわせ持つ、鬼ノ城の特色を的確に言い表してくれています。
 ちなみに、この西門の3階部分には、城外から見た前面に、いかにも大陸っぽい赤い紋様をほどこした高さ1m ほどの木製の盾が15枚くらい、手すりの外に並べて設置されているのですが、これは現在の建築法の都合で西門3階に一般客が登ることが禁止されているため、せっかく作った盾を見やすくする目的で外に置いているのであって、別に昔の人がそういう盾の置き方をしていた、というわけではないのだそうです。そりゃそうですわ、むしろ邪魔になっちゃうからねぇ。中央の盾に描かれた、目をつりあがらせ歯をむいた真っ赤な男の顔が言うまでもなく鬼をイメージしており、まさしく「鬼の城」のトレードマークになっているのが心憎いですね。
 そんな異国情緒たっぷりな西門を駆け下りて城外から眼下の風景を一望すれば、気分はもう古代日本軍の武将ですよ……「さぁ大陸軍よ、ここまで攻めて来られるものなら来てみやがれ! でも都合が悪いんだったらそんなに無理して来なくてもいいです!!」


 さて、この西門付近のように、鬼ノ城は城壁の基礎部分の多くを版築土塁で形成しており、上部だけでなく基礎にまで石垣を使用しているという地点は、要衝の6ヶ所だけにとどまっていたようです。それにしても、7世紀当時の日本の築城技術からしたらとてつもないことですけどね!

 鬼ノ城の場合、石材がより有効に活用されていたのは、基礎部分よりもむしろ上部の城内通路部分で、西門から南門にかけての通路で一部再現されている区域では、いちばん外側の板塀から内側にかけて、1.5~5m 幅の敷石の床が形成されています。
 この石の通路は、よく見れば外側から内側にいくにつれてななめに低くなる傾斜をつくっており、これはおそらく、雨が降ったときに雨水が外側の城壁部分に流れて版築がもろくなることを避けるために、上部の敷石で水のしみこみをカバーしつつ、傾斜を利用して雨水を城内の排水路に誘導するという作用があったのではないかと解釈されているようです。かしこいね~! 石で土の弱点をおぎなっているわけなのです。
 この通路を復元するために、鬼ノ城では一部ながらも数千トンの石材が投入されたのだそうで、この構造を再現している遺跡は、日本でもこの鬼ノ城だけなのだそうです。すごいね~!

 すごいけど、足の裏にやさしくないよね~……歩き心地は石のサイズが大きくなった砂利道といった感じで、痛い、一歩一歩がいちいち痛い! 毒の沼地か、この通路は!? もう足が限界なんです、カンベンしてください!

 そこを歯を食いしばって耐えながら歩き続けると、西門から南に600m 向かったところで、西門とほぼ同じ規模の城門だった「南門」に到着します。こちらは区域が整備されて鉄筋製の柱が立てられているだけで城門は復元されていないのですが、西門と同じ巨大さを誇るものだったらしいことははっきり見てとることができました。ここをさらに通り過ぎると、500m ほどで最初に見た北門と同程度の小規模な「東門」があります。

 こうやって歩いていくと、鬼ノ城が基本的に南向きの面を重点的に強化したお城だったことがわかってきて、石垣の補強が多用されているのもこの「西門~南門~東門」ラインだし、現在発見されている6ヶ所の排水用の水門(石造り)も、すべてこの線上に設置されていることがわかりました。水門はちゃんと人の目の届く場所に置いてないと、すぐに伏兵に侵入されるからね! 私はこれを『ルパン三世 カリオストロの城』で学びました。

 そして、東門をすぎて200m ほど、鬼ノ城の東端に位置するのが、一見して「おぉっ!」とうなってしまうものすごい外観を持った「屏風折れの石垣」です。
 この地点は、鬼ノ城からまさしく屏風のひと折れように鋭角に突き出た断崖絶壁になっているのですが、そこを補強するために積み上げられた石垣の厚さと高さがそれはもう立派なもので、手法こそ最も原始的な「野面積み」ではあるものの、ここだけが時代をすっ飛ばして戦国時代の城郭になっているかのような堅固さを誇っているのです。余談になりますが、戦国時代の石垣に用いられた側面防御構造「横矢掛(よこやがかり)」のヴァリエーションのひとつにも「屏風折れ」という複雑な形式がありますが、これは文字通り、石垣の外側のラインを屏風のようにジグザグに設計するというものですので、鬼ノ城の屏風折れの石垣とは直接の関係はありません。

 東門をちょっと過ぎたあたりから、この絶壁は前方の視界に入ってくるのですが、遠景で見れば見るほど、この石垣のものすごさが伝わってきます。千数百年の時を経ているために、石垣のあいまから生い茂っている木々もかなり目立つわけなのですが、そうやって自然に同化し、石垣の上には何も残っていないという「荒城」感が素晴らしいんですね! この味わいはやっぱり時の経過のなせるわざで、人間の急場ごしらえではかもし出すことができない領域の美しさを持っていると感じ入りました。やっぱ千年モノは違うわ!

 戦国時代好きとしては、断崖の石垣の上には是非とも何かしら隅櫓のような建造物がたっていてほしい気もしたのですが、発掘調査によると、屏風折れの石垣の上にはもともと何も建造されていなかったようです。まぁ、当時の石垣工法だったらムリかぁ。残念!


 さぁ、いよいよ(そこに行くまでが)長かった鬼ノ城探訪も、おおかたの名所をのぞいて終わりにさしかかってまいりました。あとは城内をぐるりとまわって下山し、電車に乗って岡山に戻り、夜にお芝居を観て深夜バスに乗り、千葉に帰る! それだけでござ……え、「それだけ」?

 歩いてる距離としてはもう15km は超えちゃってるんですが、まだまだ道は遠いのよね……下りるだけとはいえ、大変だなぁ~!! 足ももうジンジンジンジンきてるのが通常営業になちゃってるよ。

 そんな疲労困憊の我が身なんですが、ともかく前身しなきゃあ始まんないということで!
 だいたい折り返し地点には立ちつつも、まだまだ私の鬼すぎる旅は続くのでありましたァア~ん。月をまたいでの次回、最終回!!
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全国城めぐり宣言 第21回 すみません今度こそちゃんと入城します 「備中国 鬼ノ城」

2013年04月25日 22時53分52秒 | 全国城めぐり宣言
《前回までのあらすじ》
 ……もなにもないっすよミキティ!!
 3月に行った岡山城めぐりうんぬんの話題にここまで時間をかけてしまうこととなろうとは。もう4月もおしまいだっつうの!
 ということで、なんとかして今月中におしまいにしたいと、そんなはかない願いをこめつつ、念願の鬼ノ城、入城~。



 そんなこんなで、鬼ノ城の北方一帯にひそんでいた驚くべき一大テーマパーク「いっぱしの鬼なら一度は住んでみたいオール石インテリア無料展示会」に瞠目してしまった私だったのですが、とにかく腰を抜かしたのは、その巨石群の散らばる広範囲さと、それぞれの前評判にたがわぬ異様さでした。
 これらの巨石群を見に来た人々にとって非常にありがたいのは、だいたいその大看板となる、前回に紹介した「鬼の岩屋」を中心にして、いくつかの山道沿いに木製の案内板が網の目のようにこまかく配置されていることで、一見すればどこに行っていいのか混乱しかねない RPGゲームのダンジョンそのものの鬼ホームも、足元の「→ 鬼の昼寝岩」とか「→ 鬼の酒盛り岩」という指示にしたがって行けば迷うことなく目的地にたどり着くことができるというわけなのです。これは地味ながらも本当にありがたかった!

 ありがたかったのですが……どうにも遠いのよねェ~、どこもかしこも!!

 ここで質問なんですが、そこのあなた、足元に「→ どっか」という看板があったら、だいたいそこから何分くらい歩いた距離にその目的地があるのがいいあんばいの配置だと思いますか?
 私の場合、この鬼ホームを体感するまでは、そういったものはせいぜい歩いて3分くらいが限度で、5分歩いても目的地にたどり着けなかったときにはそろそろ不安に感じてきて、看板の読み方に問題があったんじゃなかろうかと自分を疑うくらいの頃合になってくるといった感じでした。

 しかし……鬼ホームの人間サイズを超えた距離間隔は、そうやっていつの間にか「ちょっと行けば、すぐにあるんでしょ?」的なあまえきった都会っ子気分に堕してしまっていた私のちっぽけな概念を悠々と打ち砕いた!!

 鬼ホームの案内板は、20分歩いて当たり前! 下山、登山もひっくるめての覚悟の「→」なのだ!!
 すごいんですよ……歩いても歩いても目的地が見えてこないんですよ。見えてこないのに、自分の身体は確実に今までいた山を下山してきていたり、また新たな知らない山道を登りはじめていたりするんです。この、どこに行くのかも知れないのに進み続けなければならない恐怖!! まさにこの鬼ホームめぐりは、人生という旅の縮図なのだ……

 まず、総じて鬼の岩屋の地点から上に位置する、岩屋山の頂上に向かうラインと頂上部分に点在している「鯉岩」、「鬼の餅つき岩」、「八畳岩」、「屏風岩」、「方位岩」、「汐差岩(しおさしいわ)」といったあたりは、岩屋山の頂上と言うべき部分が丘のような広さになっているために、ぐるりとめぐって最も遠いところで300m くらい離れているという状態になっています。そんなに遠くもないのですが、やはりひとつの山の上にある、という言い方では微妙に違ったニュアンスになる広さがありますね。

 それで、いよいよ「あれれ~?」という感覚におちいるのが、それらの巨石群と同じようになにげなく看板で案内されているもんだからふっと歩いてみたら、それがなんと今いる岩屋山を下りて、お隣の実僧坊山(じっそうぼうさん 標高471m )のふもとまで行かなければならないという「鬼の昼寝岩」くらいからで、いったい私は何度、そこに行くまでの途中で、

「も~いいよ~、そこの道ばたにある1m くらいの石が『昼寝岩』ってことにして、早く引き返そうよ~!」

 という弱腰な提案を自分に進言したことでしょう。しかし、もはや議論する余地もなく、「こんなに歩いたからにはとてつもない奇岩があるに違いないんだよ、たぶん!」という好奇心が勝ってしまい、結局足を進めてしまうことになるのでした。こういう感覚って、東京でだったらもう絶対に「道を間違えている」フラグ、ビンッビンなんですけどね。だけどここ、鬼ホームは違った!!

 下山して数分、体感としては極度の不安感も入り混じって鬼の岩屋からトータル20分は歩いたかと思ったその地点に、凝然と「鬼の昼寝岩」は確かに存在していた!

 完全に山と山との間にはさまれた、狭い「谷」のような地点に位置しているちょっとした野っ原。そこは谷間にもかかわらず奇跡的に日当たりが良いポイントで、よく見ればはっきりと、例によって「棚田」があったとおぼしき地形も残っているのですが、そこのド真ん中にぽつねんと、しかし異様に巨大な丸い岩石(5m くらい?)が横たわっていたのでした。うーん、あれが「鬼の昼寝岩」か! 確かにこれは、誰がどう見ても昼寝岩だ。

 それは、歩いてきた道から少し離れた位置にあったのですが、道から見える空間のまさしく中央にあって日光を浴びているその姿は、「神々しい」とも「不気味」とも言いがたい一種異様な空気感をまとっており、実際に出会う前には「昼寝っていうくらいなんだから、私もひとつ、その上に寝そべってみようか!」という面白半分な気分もあったのですが、いざ本物に対峙してみると、とてもじゃないですがそんなことはできない「現役のオーラ」に出くわして圧倒されてしまったのです。
 なんちゅうかその、私が歩いている山道はかろうじて「人の空間」という雰囲気を守っているのですが、そこを出た瞬間に「別のなにか」のテリトリーに踏み込むような空気があったんですよ。その上、巨大な昼寝岩に乗っかって寝そべろうものならば、ふとそこから山肌を見たときに、そこから「おい、そこ、おれのベッド!」と言わんばかりにこちらをにらむ鬼の顔と目があってもまったくおかしくないような世界が確かに存在していたのです!
 鬼がいるかもしれないなんて、21世紀の人里ならば間違いなく信じられないことなんですが……ここではなんだか、信じられる! やっぱり、日本のいたるところには、まだまだそういった空気を残しているゾ~ンが生き続けているんですなぁ。こうやって自分が実際に肌でとらえた新鮮な感覚っつうのは、実にいいもんであります。

 にしても、とにかく遠いっすよ……私がこの「鬼の昼寝岩」を通り過ぎて次に向かったのは、実僧坊山のさらに北にある登龍山(標高461m )の、3~5m くらいの巨石が10コくらいゴロゴロと露出して集まっていできていた山頂部分「鬼の酒盛り岩」だったのですが、もうここまでくると、自分が別の山に登ろうとしているのか、はたまた下ろうとしているのかなんてど~でもいい感じになってきます。もうどうでも好きなようにしやがれ!って感じ。それぞれ400m 級の山々をさまようわけなのですが、そのたんびに400m をしっかり下りきるというわけなのではなく、ゆるやかな尾根を伝って移動するという程度のものにとどまっているのがせめてもの救いですね。死なずに済んだ……

 「鬼の酒盛り岩」はまさに見晴らしのいい山頂一体が巨大な花崗岩の集まりになっているという印象で、鬼ノ城よりもけっこう北なのでふもとの市街地はあまり見ることができないものの、北の中国山地と南の瀬戸内海がはっきりと一望できたのは本当に爽快でした。豪快に酒盛りをするにはうってつけなのですが、アクセスが最悪なのが玉にキズです。

 そういえば、この酒盛り岩に登って、そこに生えているアカマツの木のほかにはさえぎるものがまったくない蒼天を見つめていたら、今にもその上空から UFOかなんかが降り立ってきそうな感覚になってしまったのですが、そういえば山頂のこういう岩石ゾーンって、今年の初めに『ゾンビデオ』つながりで私が観たお笑いホラードキュメント映画『怪談新耳袋・殴り込み!東海道編』(2012年 監督・青木勝紀)の中で「UFO が頻繁に目撃される山」として紹介されていた、愛知県豊橋市にある石巻山(標高358m )にそっくりなのよね、かなり!
 細かいことを言えば、岡山の登龍山は花崗岩の岩石で愛知の石巻山は石灰岩の岩石という違いはあるのですが、両者とも宗教的な「霊山」として扱われており、登龍山そのものではないものの、戦乱の世には城郭とも遠くない縁があったという点で似通った部分もあるんですよね。
 まぁ~、実際に立ってみた感覚で言わせてもらえたら、登龍山のほうもUFO 見えるんじゃない? たぶん。そういううわさが立たないのは、人里からあまりに離れすぎていて誰もそこからUFO を探す気にならないからなんじゃないのでしょうか。スピリチュアルな話なんて所詮はこんな調子で、人間の手前勝手な都合次第なのよねェ。

 さてさて、実は「鬼の~」関連のポイントはこの「鬼の酒盛り岩」が最も遠い位置にあるものだったので、登龍山の山頂に登った時点でおしまいということになるはずだったのですが、私はよせばいいのに、いたるところの案内板でチラッチラ紹介されていた、

「→ 重田池」

 という看板に誘われてしまいました。そんでまぁ~、ここがよりによって特に遠かったんだ!

 まぁ、ここまで来たからには「毒を食らわば皿までも」というやけくそ気分でこの未知の池に挑戦したのですが、これがまた、登龍山からまた別の山に行く勢いで下りたり登ったりを繰り返すわけ! も~あたしゃ、この調子で中国山地を突き抜けて日本海に行くのかと思っちゃったよ。
 その重田池に行く途中で、私はそ~と~久しぶりにすれ違う人と出会ったのですが、その高級そうなカメラセットをかかえた登山服のおじさんは私を見て、「ど~も~。調査ですか?」と声をかけてくださいました。私がこの歩行距離にまったく見合わない軽~い気分のジャケット姿だったからであります……
 それで私が「いえ、観光です。」とこたえたら、おじさんは本気でびっくりした様子で「観光!?」と目を丸くされていました。そんな秘境なのか、重田池って。
 おじさんはついでに、「重田池は寒かったよぉ~。風にとばされんように気ぃつけてな!」とおっしゃって行かれましたが、それを聞いた山道は日射しも強く風もなく、私はあまりの暑さに汗だくになっています。
 「寒い? そんなばかな……」と思いながら新たな山を登っていったのですが、その山頂にたどり着いた瞬間、おじさんの言葉に間違いがなかったことを身をもって大確認。

 山のてっぺんにある重田池(じゅうだいけ)は南北400m ほどの縦長な、池というよりはむしろ「湖」に近い大きさの貯水湖なのですが、エメラルドの美しい湖面が、そこを吹き渡ってくる北風によって絶えずさざなみを立てている様子はびっくりするほど絶景で、それまで歩いてきた距離の疲労がいっぺんに吹き飛んでしまう爽快感がありました。人工の湖といっても、どうやら作られたのは明治期くらいっぽいので、人の手のつけられていない無人の味わいがハンパない! そりゃあ、あのおじさんも撮影に来るよね~。
 私はこの風景を見た瞬間に、大好きな辻村深月先生の作品の中でも、特別に私が愛している長編『水底フェスタ』に登場するミステリアスなダム湖を連想したのですが、この重田池に人間の男女や車、ましてや自転車が入ってくる余地はまったくありませんでした……ほんとにステキな風景なのにね~! いや、人里から離れすぎている風景だからこそステキなのか。

 そして、確かに異常に寒かった……到着した瞬間には湖畔をぐるりと一周する考えも頭をよぎったのですが、この規模だったら1km 以上歩くことになるのは目に見えていたし、ここまでの奥地で人に出会うのは双方の心臓によくないと判断したので、半周だけしてまた同じ道を戻り、一路最初の「鬼の岩屋」に戻ることにしました。半周してまた戻るって、それ距離的には一周するのと同じことなんじゃ……ま、いっか。

 いや~、これでまず、鬼ノ城の前哨戦となった「スウィート鬼ホームめぐり」は終わりました……って、どんだけの距離なんでしょうか。多少の予想はしていたものの、岩屋山のふもとに位置する「岩屋休憩所」にたどり着いたころには時間も午前11時半となり、柔らかな山道から硬いアスファルト道路に踏み込んだ瞬間に、私の両の足の平にはイヤ~な感じの鈍痛が……まぁ、そうなるよね~。

 結局、「岩屋三十三観音みちコース」に入っていない重田池まで行ったので、私は最初の鬼ノ城の入り口からだいたい7km 、つまり早朝の服部駅から考えればトータル14km ほど歩いて、やっと鬼ノ城の入り口に戻ってきたということになりました。「岩屋三十三観音みちコース」は看板によると3時間半ほど時間がかかることになっていたのですが、実際に私が歩いたのは午前9時半~11時半の正味2時間。なかなかいいペースなんじゃないでしょうか。おかげで脚はすでにボロボロなんですが。

 それにしても、たかだか2時間ほど人の気配のない世界を見てきただけだというのに、この人家やアスファルトのあって当たり前ないつもの風景に戻ってくることができたときの、この満身にたちのぼる幸福感というか、「た、た、助かったぁ~。」的な感覚はなんでしょうか。
 別に今までいた鬼の空間を特別に怖いと感じたわけでもないのですが、それでもなんというか、春先の陽気の中でのどかな生活のリズムが流れる人間の空気にはない、「時間が停止した」ようななんともいえない寂しさが巨石群にはあって、ここらへんの不思議な感覚が「畏ろしく」もあり魅力的でもあり、それが「心霊スポット」ほど即物的でもなく、「妖怪」ほど親しみ深くもなく、「神」ほど崇高な位置にいるわけでもないという、まさしく「鬼」にしかかもし出せない世界を今に残していると感じました。
 またいつか、50代くらいになったら行ってみたいやね~。とっても味わい深い道のりになりました。それにしても、なんとなくながら履き物に「工業用の安全ブーツ」を選択した昨日の私に大感謝……これがなければ、どうなっていたことか。リアル遭難、略して「リア遭」~!!


 鬼ノ城に向かうまでの最後に、春先でもあることだし、岩屋休憩所から10分ほど歩いた場所にある名所「岩屋の大桜」もおがんでおきたいとひとふんばりして行ってみたのですが、高さ20m はあろうかというそのヤマザクラの大木は、みごとなまでに一輪も花を咲かせてはおらず、それどころかまだ葉っぱも生えていないという冬じたくモードのまんまでした。超絶行った甲斐ねぇ~!!
 でも、今回鬼ノ城関連の山々を歩いていった時点では、20m の大木とまではいかなくても、かなり多くの場所でささやかながらも白みがかった花を咲かせているカスミザクラの木がちゃんと楽しめたので、それはとても良かったですね~。ヤマザクラは葉っぱと同時に花を咲かせるということなので、岩屋の大桜もあともうすこしだったんでしょうか。

 アスファルトの道があれば、当然のごとく人家もぽつぽつ見えてくるわけで、畑をもった瓦屋根の家の横を通り過ぎることも多くなってきたのですが、入山した早朝と違って、なにかしら農作業や昼食の準備をしているらしい雰囲気も見てとれるようになってきます。

 地方の特色としては、そういった生活のかたわらで、開放された縁側から庭先に向かって大音量で流されるラジオ放送といったアイテムが、のどかな風景をデザインする上での必需品となるのですが、私が通りすがったときにかぎって、ラジオ放送でかかっていたリクエストソングがシャ乱Qの『ラーメン大好き小池さんの唄』だったのには心底驚いてしまいました。

「♪こゥいっけスぁあ~んん こゥいっけスぁあ~んん すゥっきィすゥっきィイイ~んんんん……」

 岡山の山奥にまでさまよって来て、それでも出会ってしまうつんく♂サウンド……昨日℃-uteのお芝居を観て、今日これか! もう一生ついていきます。

 もうお昼も近くなってきましたが、真の目的地はもう、すぐそこだ! すでに体力ゲージはイエローを余裕で下回ってまっ赤っ赤になっているのですが、もう歩けないだのなんだの言っている場合ではありません。GO あるのみ!

 私は鬼ノ城山の西側に位置する「鬼ノ城ビジターセンター」の駐車場から、北に広がる一帯の山々をめぐってきたわけなのですが、岩屋休憩所から最も近い鬼ノ城の入り口は西のビジターセンターではなく、鬼ノ城の真北にある「北門」ということになります。休憩所から続くアスファルトの車道をずっと歩いていけばビジターセンターにも戻ることができるのですが、せっかちな私は少しでも早く鬼ノ城に入りたかったので、近道して北門から登城することにしました。

 休憩所からアスファルト道を使って下りると、眼前には再び巨大な山と、「→ 鬼ノ城北門」の指示板が。これが最後! 岩屋山を下りて鬼ノ城山に入る登山口であります。アスファルトをそれてふたたびの山道と木組みの階段へ。さぁさぁ~、入城!

 なだらかな沢ぞいの湿地帯をすぎて、他の今まで来た山々よりも少し勾配のきつい登山道を100m ほど登ると、そこには唐突に、人によって整地されたクリーム色の山肌が露出した、要塞の入り口のような地形が! そしてその奥には、ガハハと笑いながら通り過ぎてゆく、登山ルックに杖をついた元気なおばちゃんの集団が!! 観光地だ! ということは、ここはあきらかに鬼ノ城!!

 ここで、大変遅ればせながら鬼ノ城に関する情報をまとめてみましょう。


鬼ノ城(きのじょう)とは


 鬼ノ城は、岡山県総社市奥坂の鬼城山(きのじょうざん 標高397メートル)に存在した神籠石(こうごいし)式山城。国史跡。

 すり鉢形の鬼城山の山頂周囲を石垣・土塁による城壁が周囲2.8キロメートルに渡って取り巻く。城壁によって囲まれた区域の総面積は約30ヘクタール。城壁の要所に東西南北4ヶ所の城門と、城外への排水機能を持つ6ヶ所の「水門」を配置する。城の内部には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が7棟、烽火場(のろし台)の可能性が指摘される遺跡、水汲み場、鍛冶場、工事のための土取り跡などが確認されている。

飛鳥時代
 天智天皇二(663)年八月におこなわれた白村江(はくすきのえ 朝鮮半島南西沿岸)の会戦に日本軍が敗れた後、唐・新羅連合軍の侵攻に備えた大和朝廷の政策の一環として築城されたと考えられている。『日本書紀』などには西日本の要所に大野城(現在の福岡県大野城市)など12の山城(古代山城)を築いたと記されており、鬼ノ城もそのような防衛施設のひとつであろうと推測される。しかし、どの歴史書にも一切記録されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。当時の城主も廃城年も不明。出土した遺物は7世紀後半から8世紀初頭のものがほとんどだった。
 鬼ノ城のように、史書に記載が無く12の古代山城に該当しないものは「神籠石(こうごいし)式山城」と呼ばれる。これらについては、国家政策として築城された城郭という説の他に、「在地勢力の祭祀遺跡」や「大陸から渡来した氏族が在地勢力に追われて山岳地帯などの奥地に建造した城郭」と解釈する説もある。

現在
 鬼城山中に石垣などの遺構が存在することは古くから知られていたが、1971年に城壁の基礎となる列石が見つかり、はじめて古代山城と確認された。1986年に国の史跡に指定。現在は総社市教育委員会が2001年より史跡整備を行っている。特に西門付近は城門・土塁・石垣が復元された。
 2006年に「日本100名城 第69番」に選定。
 駐車場横に、鬼ノ城来訪者の休憩などを目的とした「鬼城山ビジターセンター」がある(毎週月曜休館)。



 だいたい、「お城」と聞いて日本の本州に住む方々のほとんどがパッと想像する、「天守閣」や「石垣」や「お堀」といった構造物を持った城郭というものは戦国時代から江戸時代にかけて築城されたものがほぼ全てであるわけなのですが、上の解説にしたがうのならば、私が今たどり着いた鬼ノ城は、そういった有名なお城たちの約1千年前に築き上げられた超先輩にあたるわけなのです。いっせんねん~!?
 ところが、その鬼ノ城も遺跡の状況から想像するに、築城されてからおよそ50年間ほどののちに早々に廃城してしまったらしいのですから、日本で最もお城のニーズが高まっていたのちの時代には、鬼ノ城はすでに「お呼びでない……っていうか、なにそれ?」的な忘れられた伝説の存在になっていたのだそうで。古すぎる出自と、早すぎる廃棄……謎とロマンは深まりますねい。

 そういった古さを持っている鬼ノ城ですので、その雰囲気はもうのっけの「北門」から、日本的というよりもむしろ大陸的だったりアジア的な感じになっていました。そりゃそうですよね、「日本独自のテイストを持った城郭」というものが、まだ生まれるべくもなかった時代のお城だったんですから。すべて、導入するべき最新技術は大陸渡来という「日本の少年時代」飛鳥の御世のものであります。


 ほんじゃま、本格的な鬼ノ城探訪編は、字数もかさんできましたので、まった次回~!
 できれば今月中に、終わらせ、たい……
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がんばっていきまっしょい~

2013年04月23日 22時48分50秒 | すきなひとたち
モーニング娘。11年ぶりシングル2作連続1位 現メンバー11人では初
 (オリコンスタイル 2013年4月23日付け記事より)

 アイドルグループ・モーニング娘。の53rdシングル『ブレインストーミング/君さえ居れば何も要らない』(4月17日発売)が初週9.4万枚を売り上げ、週間ランキング首位に初登場した。シングル首位獲得は、前作『Help me!!』(今年1月発売)に続き、2作連続通算13作目。

 モーニング娘。のシングル2作連続1位は、飯田圭織が第2代リーダーを務めていた時代のシングル『Mr.Moonlight 愛のビッグバンド』(2001年10月)~『そうだ!We’re ALIVE 』(2002年2月)で記録して以来11年2ヶ月ぶり。2003年1月に加入した現・第8代リーダー道重さゆみ(23歳)をはじめ、現メンバー11人にとっては初の記録となった。
 シングル通算TOP10入りは53作目。自身の持つ「シングルTOP10獲得数歴代1位記録」を更新し、2位のSMAP(49作)との差を4作とした。

 今作は、5月21日の東京・日本武道館公演をもってモーニング娘。及びハロー!プロジェクトを卒業する田中れいな(23歳)のラストシングル。田中は喜びのコメントを寄せた。

モーニング娘。田中れいなのコメント
 「自分がモーニング娘。を卒業する作品で1位を獲ることができて、本当にうれしいです! これも応援してくださっている皆様のお陰です。心から『ありがとう』と伝えたいです! 私自身、モーニング娘。に加入して、2作連続1位というのは、初めての経験で、卒業公演に向けて、ますます気合いが入りました! 5/21に武道館で行う卒業公演まで、モーニング娘。としてもっともっと楽しみながら頑張りたいと思います。」



 めでたいですね~。オリコンチャートなんか気にすんな気にすんなと思い続けてはいるものの、やっぱり首位はうれしいです!
 でも、首位獲得は多分にタイミングが関係してますからね……初週9万枚ですから。

 なんだか次のアルバムがものすごいボリュームになりそうなんですが、まさか道重体制がこんなにアーバンな色調になるとはねぇ! 個人的には、次シングルでそろそろ『みかん』みたいなほんわかしたナンバーか、『ピョコピョコウルトラ』みたいなぶっとんだ世界が聴きたいような気がします。今こそ再び、モーニング娘。世界の幅というものを知らしめる好機かと!

 イケイケどんどんでよろしくお願いいたしますよ~。来月の日本武道館が本当に楽しみなんですが……当日券とれるかぁ?
 ファンクラブとかディナーショーとかバスツアーのことまで視野に入れられる時間的余裕と経済基盤がほしいね、ホント。

 さぁさぁ、不肖わたくしめも元気をいただいてがんばってまいりましょ~っと。
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惜しいっつうかなんつうか……これが今の日本の限界なのか!?  映画『HK 変態仮面』  K(けなし)サイド

2013年04月22日 22時23分42秒 | 特撮あたり
 ぴよぴよ~。みなさんどうもこんばんは、そうだいでございま~っす。今日も一日おつかれさまでございました!
 ここ最近は、土日なんか特に雨もざんざん降りで寒かったんですけれど、週明けの今日になってまた関東は暖かくなりましたね。今度こそ、ジャケットもいらなくなる気温にどんどん上がっていってもらいたいと!

 あの~、じぇんじぇん関係ないんですが、昨日、この『長岡京エイリアン』をものすごい頻度でのぞいた人、いた? いや、先生、別におこってるわけじゃないんだけどな……

 なんだかわかんないんですけど、昨日だけに限って、ここのアクセス数がいつもの「約5倍」になってたのよね。ケタが1コ違ってたわけです。ちょっとビックラこきました。昨日の日曜日の分だけで、ここの1週間分のアクセス数の7~8割に相当する感じになってたんですよ。なんか……うすらこわい!
 それに、アクセス数はそうでも「閲覧者数」のほうはいつもと大差ない感じだったので、ということは、昨日ここを訪れた奇特な方々は、たいして更新もされていないのに「平均10回くらい見に来ていた」という脅威の数字が。ひとり平均10回たって、みなさんがまんべんなくそのくらい見たってことはまずないでしょうから……いっぱい見た人はいったい何回見られたんですか!? 何かの願かけですか?

 すみませんねぇ、ホント……茶菓子のひとつも出さなくって。
 っていうか、昨日、なにかあった? 先生、必ずいつでも相談に乗るってわけにもいかないんだけど、昨日の尋常でない訪問数になにか心当たりのある人がいたら、遠慮なく放課後に申し出てくれや。気持ちは言葉にしたほうがスッキリするもんだしなぁ。

 よし……と。じゃあ~、今日も授業を始めるぞ~。『HK 変態仮面』の感想の後半戦だ~。


 あの、最初にちょっと注意しておきたいのですが、今回の『長岡京エイリアン』のタイトルは多少語弊のあるニュアンスになっておりますね。
 「HK 」つながりで語呂がいいので「けなし」と銘打たせていただいたのですが、けなすだなんてとんでもない! もっともっとソフトリーに、前回にあげたようなもろもろの素晴らしいポイントのいっぽうで、私個人の印象として「う~ん、ここはちょっと。」と感じてしまった点をいくつかまとめてみるというだけですので、間違っても私が重箱の隅をつつくようにあげつらって無理矢理いびりぬくという内容ではない、ということを確認させていただきたいと思います。

 そんなね~、私もどんな映画にでも噛みつくというわけじゃあないんですから! おそらくは『変態仮面』をご覧になられたみなさまの誰しもが多かれ少なかれ感じてしまうような「惜しい!感」を私もいだいてしまった、というだけのお話ですので、さほど刺激的な意見はありません! そんなに期待しないでお読みになってくださいね~。


まぁ要は、安田顕さん以外の悪役連中がそろいもそろってビチグソばっかだった、ってことなんでございます。


 この映画『変態仮面』は、序盤に色丞狂介が変態仮面になるきっかけとなった銀行強盗グループとの戦いが描写されていて、それ以降は変態仮面のヒーローとしての活躍を苦々しく思う大金持ちのドラ息子「大金玉男(おおがね たまお)」と、彼が率いる刺客たちとの連戦をベースにして話が進んでいきます。そして、大金の切り札として差し向けられたいちばんの強敵が、前回に取りあげた安田さん演じる「戸渡」だったのでした。
 つまり、物語の中でいちばんのインパクトを残したのは間違いなく戸渡なのですが、最終的に狂介の最大の敵というポジションにいたのは、その戸渡さえも部下にしていた大金だったということになるのです。規模こそ多少の差はあるものの、この大金が「悪の組織の首領」にあたるキャラクターになっているわけなんですね。

 まずなにはなくとも、この大金を演じるムロツヨシというおっさんの演技が最低すぎる!! 誰だこいつは!? 学生演劇か!! いや、こう言ったら学生演劇に失礼すぎるね。

 もうね~、登場シーンから最後のシーンにいたるまで、全編どっかで見たことのある笑えない TVコントの劣化コピー!! プロのお笑い芸人のコントのじゃないですよ、「オレ、ちょっとお笑いもできるんですよ~。」みたいなくそったれな小器用さをアッピールする、自称舞台俳優とか、そろそろ腐敗臭がただよいはじめてきたイケメン俳優とかがウジャウジャたかってやる猿真似コントのさらに劣化したやつよ。

 この映画はギャグマンガの実写作品ですから、変態仮面の敵である大金も、悪人としてのこわさとギャグ要員としてのおもしろさの両面を必要とされるわけなんですが、こいつはも~怖くもないしクッソおもしろくもない!! どっちもできてない、ただわめき散らすだけの雑音ラジオ。徳永英明も即効で捨てるわ!!

 怖くないのは、身の程も知らないくせに、「やる気なさそうに冷酷な悪事をこなす凶悪人」を演じたふりになっているからです。そ~いうのは! それなりの狂気とスゴみと内に秘めた野望を持ってる人がやって初めて成立する演技なの!! おめーみてーなクソつまんない普通人間が、いっぱしの演技もおぼつかないくせに、胸になんのヴィジョンも持ってないくせに、「なんかそ~いうの、かっこいいから。」程度の思いつきでやっていいわけね~だろうが!! テメーがテンション下げた演技やっても、観てるこっちがつられてテンション下げるばっかりなんだよ!! 自分のテンションを下げてお客さんのテンションを上げる効果をひき出すのがプロの俳優の腕なの! お前だけが省エネしたくてやってるやる気のない演技なんか、誰が千ウン百円はらって見るか、バーカ!!

 そのいっぽうで、この大金というキャラクターは「超わがままなおぼっちゃん」という性格を強調するためなのか、劇中でことあるごとに、自宅の豪邸で変態仮面討滅に失敗した手下たちを頭ごなしに怒鳴りつけるというシーンが差し込まれており、そこでは自分なりにおもしろいと思ってやっているんでしょうが、大金は全身をじたばたさせて高校生グループのリーダー的な程度の低さで激怒するというパターンをバカのひとつおぼえのように繰り返します。
 こっちはこっちで、つまんない!! どこからどう見ても、石橋貴明の猿まねをおもしろくなくしたやつ!! テンション下げてもダメ、上げてもダメ。とことん役に立たないくずです。フライドチキン投げつけたいのはこっちだバカヤロー!!

 つまるところ、このおっさんはどのシーンの大金玉男ででも、オリジナルな演技を見せてくれないんです。どこもかしこも、おそらくはこいつ本人が見て育ってきた誰かさんの演技を真似しようとしてできてないやつのオンパレード。
 たぶんこいつは、人がいいんでしょう。プライベートでもそこそこ信頼できる常識人なんでしょう。学生とか劇団時代には、ある程度小手先の器用なやつとしてもてはやされたんでしょう。
 でも、それがなんだっていうんですか? プロの俳優っていうのは、人付き合いのよさだけで称賛されるものなんでしょうか? それって、ものすんごく20世紀の TV業界的な世界ですよね。とにかく時間どおりに集合して台本どおりにやってくれればそれでいいっていう。
 おそらく、このムロツヨシという男の今いる世界ではそれで通用してるんでしょうが、私はそこになんの興味も持てません。私の見ている映画には絶対に出てきてほしくない種類のくそバカがドンピシャで悪の組織の首領を演じてしまっていたのですから、もはやどれだけ主演の鈴木亮平さんと安田さんが名勝負を繰り広げようとも、そいつが顔を出すたびに私の体温はだだ下がりになってしまうのでした。

 この映画の残念さを象徴するシーン展開として私があげたいのは、やっぱりクライマックスの、変態仮面 VS 戸渡の実に『ジャンプ』的な激戦がちゃんとかっこよく終結したのに、その直後に大金が全観客脱力必至の「秘密兵器」をひっさげてノコノコ出てきたところですね。
 いらねぇ~!! 大金も秘密兵器もほんっっっっとうにいらねぇ! これのせいで戸渡の見事な負けっぷりがエンディングにつながらなくなっちゃったじゃねぇか!! もうスクリーンに出てこなくていいから、おまえ。

 ついでにこのことも言っておきたいのですが、今回の『変態仮面』に関しては、CG技術の使用は実際の半分以下に省略してもよかったかと感じました。むしろ、いらない。
 大金の秘密兵器といい、変態仮面の網タイツを使った『スパイダーマン』的な夜の大都会の空中移動シーンといい、バトルアクションのヒット時に書き足される衝撃波みたいなエフェクトといい、CG投入シーンのほとんどは素人目にみてもかなりの予算の少なさがうかがい知れるだけで、物語のボルテージを上げる材料にはまったくなっていなかったと思います。どうしようもなくしょぼいんです。ハリウッドとの埋めがたい差に愕然とするばかりでしたわ。ほんとに鈴木亮平さんの肉体美だけでいいのにねぇ。


 こんなわけで、大金玉男についてのことにだいぶ字数を割きましたが、それは大金だけがとびぬけてヒドイというのではなく、「ラスボス」という重責をになっているからこそ、それだけの罪があったということなんです。つまり、大金以外の悪人たちも最低だった!

 まぁまず、それぞれちょっとだけの出演にとどまって『仮面ノリダー』の改造人間みたいなノリでダイジェスト処理されていった「さわやか仮面」「男気仮面」「細マッチョ仮面」はおいときましょう。ゲスト出演みたいなあつかいでしたから。

 私が注目したいのは、変態仮面の最初の敵となった銀行強盗グループのリーダーと、大金玉男から差し向けられた第一の刺客となった「真面目仮面」です。これがまぁ~、どっちも大金に負けず劣らず最低だった。

 銀行強盗グループのリーダーは、映画館で『変態仮面』のパンフレットがもともと販売されていなかったために、誰が演じていたのかがわからなかったです。おそらくよく調べたら誰かはわかるのでしょうが、調べる気にもなれないほどドへたな演技が印象的でした。顔はかっこよかった気もしたのですが、こいつも所詮は典型的な頭のおかしい犯罪者演技の真似をしようとして見事に失敗しているモデルくずれかとお見受けしました。なんでも最初の人は肝心なのに……それからの物語進行に大いに不安をいだく先陣になりましたね。

 それで、さらにムカついたのが「真面目仮面」を演じた佐藤二朗ってやつ!!
 え! 竹中直人!? 2013年に竹中直人のコントのものまねやってる、こいつ!! しかも本家の1000分の1もおもしろくねぇ上に、やたら尺をとってる!!
 うわー、うわー、クソおもしろくもないおっさんが長い時間かけて古くさいコント再現しようとしてる! こんな精神的暴力、忘年会の出し物でもなかなか出くわせないよ。
 まじめなんだろうねー。普段はまじめに役者やってる人なんだろうねー。それでこの『変態仮面』では自分なりにおもしろい一面を披露しようとして、昔好きだったやつを今やったら一周まわっておもしろいかと思いついて、喜び勇んでやったんだろうねー。

 死ねや。40すぎてもそんなことしかできないし、見せられた側の気持ちも予測できないようなやつは早々に逝去されてくれや。
 そういえばおまえ、このあいだのフジの大型大失敗時代劇で「足利義昭」役をやったんだってな。さぞや最低な仕事をしてくれたことでしょう。1万回お死にになって冥界の義昭公に詫びてください。
 え? 三谷幸喜は「今川義元」やってたって? それじゃあ『変態仮面』にはなんの関係もないけど、ついでにてめーも腹切って静岡県中東部のみなさまに詫びろバカー!! とんだとばっちりです。


 ものまねなんですよ。『変態仮面』における悪役のほとんどが、何かしら手っ取り早く時間が埋められる実に TV的な演技のものまねなんです。いや、そのものまねの失敗作だらけ。

 これはもう、1人くらい飛びぬけたバカがいたのならば何らかの事故みたいなものと解釈することもできるのですが、ここまでの濃度できたら、監督の問題ですよね。
 私は家に TVがないので、福田雄一監督の演出した TVドラマはまるで観ていないのですが、ムロツヨシとか佐藤二朗は福田作品の常連なのだそうですね。
 それじゃーもう、話は早いやね。福田監督は家で漫然と観ることができる TV的なノリをそのまんま、千ウン百円払った人間が楽しむ映画館に持ってきたということだったのです。それはもう、それなりの転換作業が絶対に必要じゃないですか。そこがなかったんですね。

 ビートたけしとか松本人志とか、「TV の笑いと映画の笑いは違う」ってことを自らの失敗作で実証してくれた先人はいっぱいいると思うんですが、どうしてこういう愚行は性懲りもなく繰り返されるのでしょうか。バカなのね~。バカなのよ~。


 今回の映画『変態仮面』は、発起人の小栗旬さんの強い意思があって始まり、なによりも鈴木亮平さんと安田顕さんという稀有の才能があいまみえたという意味では、実に素晴らしい「熱さ」をもった、まさしく規格外な「映画らしい映画」だったと思います。
 しかし、その熱さは残念ながらそこどまりになってしまい、あとは監督の体質に起因するかと思われる「スケジュールに追われてのやっつけ仕事」まみれのくだらない流れしかないという、場所場所によってレベルがまるで違う失敗作になってしまったような気がします。

 たとえば、異端のヒーロー映画といえば2年前の『電人ザボーガー』が思い起こされるかと思うのですが、監督の作品に賭ける情熱および変態度という点で両者には話にならないくらいの差ができていたかと思います。『変態仮面』は所詮、雇われ仕事で撮られた作品というにおいが抜けないんです。なんかこぢんまりしてる。

 規格外の肉体改造に俳優生命を賭けた鈴木亮平さんと、規格外の変態っぷりを魅せつけてくれた安田顕さん。私がスクリーンやライヴ会場や劇場で観たいのはこういうものなんだけどなぁ!
 そういえば、前回に紹介した鈴木さんのインタヴュー記事でも、鈴木さんは安田さん「だけ」を絶賛していましたね……つまりは、そういうことだったんですな。プロはプロを知る。


 話は『変態仮面』からそれるのですが、私は先日、東京・下落合の劇場TACCS1179 で上演されていた GOCCO企画プロデュース『へなちょこヴィーナス』(演出・宇治川まさなり 主演・フォンチー)というお芝居を観てきました。

 それはもう、女子高生が何人か集まってチアリーディング部を創設してがんばるというだけの、他愛もない軽喜劇でございました。
 そうではあったんですが、役者さんたちの真剣にバカなことをやる、その熱さ。そこが非常にわかりやすく舞台に乗っていたので、私はなんの身構えもなく純粋にそのお話を楽しむことができたのです。女優さんたちはそろいもそろって若くてかわいい人たちばっかりだし、そんな集団が目の前で一生懸命チアをやってくれるんですから文句が出るはずもないのですが、それよりもむしろ、このお芝居では何人か出てくる男の俳優さんたちのサポートがしっかりしていたことに妙に感心してしまいました。そこ! そういうことなんですよね。アイドル芝居は男連中のサポートが命なんですよね。植野堀誠っていう人は、いい役者さんだねぇ~。
 余談ですが、この『へなちょこヴィーナス』には、ハロー!プロジェクト好きを標榜する私としてはどうしても看過できない重大な一側面があったのですが……それはそれだけでひとつの記事になってしまうくらいの大変な話題でしたので、ここではおいておくことにします。


 メインキャストも大事だけど、監督と脇役はもっと大事!! そんなことをしみじみ感じた映画『変態仮面』だったのでありました。

 しかし、日本の3~40代の俳優の中にこんなにも見る価値のないくずが混入しているとは……ますます TVを観る気がなくなってしまいました。他の仕事ではちゃんとしてるのかもしれませんが、それならそれでギャグ映画なめんなよ!!って話ですよね。あぁ~最低。
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惜しいっつうかなんつうか……これが今の日本の限界なのか!?  映画『HK 変態仮面』  H(ほめ)サイド

2013年04月18日 22時40分50秒 | 特撮あたり
 ヘイヘイどうもこんばんは~! そうだいでございまする。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました!
 春ですね~。あったかくなってきましたね~。このまんまお天気もいいままでいってほしいんですが、どうやら明日から週末にかけてはずいぶんと寒い日が続くようで、雨もかなりキッツいとか? や~ね~ホントに。


 さて、ここ数回、『全国城めぐり宣言』の「備中国・鬼ノ城」編を、なんと鬼ノ城に行けてもいない状態で数回にわたって中断しているので、いい加減に戻らなければならないはずなのですが、今回もまた! 先月の城めぐりはお休みで、最近観たどうしても看過するわけにはいかない大問題をはらんだ、ある映画についての感想をつづりたいと思います。とっちらかってすみませんねぇ。でも観た以上、この作品だけはスルーできなかった! どうしても!!

 忙しい忙しいと言っている割には、ここ最近みょうな頻度で映画を観に行っている私なのですが、今回は夕方すぎくらいに仕事が終わったのをいいことに、近所のシネコン「T・ジョイ蘇我」に自転車をすっ飛ばしてレイトショー上映を観に行くことにしました。この映画館は私の家から見るとそんなに近所ではないのですが、電車を使わずに自転車で行くのがいちばん手っ取り早いヘンな位置にあるんですよね。体調が万全なときには非常に気軽に行くことができるシネコンです。前回の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q』の時には思いっきり浜風に当たりすぎてカゼひきましたけど。

 さぁ、今回観た映画は、こちら。


映画『HK 変態仮面』

 『HK 変態仮面』は、福田雄一監督による実写化作品。PG12指定。原作マンガのファンとして知られる俳優の小栗旬が脚本協力を担当する。
 2013年4月13日より全国12館で公開。上映時間105分。配給はT・ジョイ。先行上映+オープニング2日間で動員1万3629人、興収2200万円を記録している。

あらすじ
 紅優(こうゆう)高校拳法部に所属し、殉職した名刑事を父に持つ正義感溢れる青年・色丞狂介(しきじょう きょうすけ)には、他人に言えない秘密があった。彼は女性のパンティをかぶることで、SM嬢の母親から受け継いだ変態の血に秘められた潜在能力が発揮され、超人的パワーを持つヒーロー「変態仮面」へと変身するのであった。冴え渡る数々の変態秘技を駆使し、変態仮面は今日も悪人どもを懲らしめる。

スタッフ
監督・脚本        …… 福田 雄一(44歳)『コドモ警察』
原作            …… あんど 慶周『究極!!変態仮面』(集英社)
脚本協力         …… 小栗 旬(30歳)
CGディレクター      …… 久保江 陽介
特殊造型         …… 松井 祐一
アクションコーディネート …… 田渕 景也

おもなキャスト
色丞 狂介(しきじょう きょうすけ)/変態仮面 …… 鈴木 亮平(30歳)
姫野 愛子                      …… 清水 富美加(18歳)『仮面ライダーフォーゼ』(2011~12年)
色丞 魔喜(狂介の母)               …… 片瀬 那奈(31歳)
戸渡                         …… 安田 顕(39歳)
大金 玉男(おおがね たまお)         …… ムロ ツヨシ(37歳)
真面目仮面                     …… 佐藤 二朗(43歳)『幼獣マメシバ』シリーズ(2009~13年)
さわやか仮面                    …… 大東 駿介(27歳)
細マッチョ仮面                   …… 大水 洋介(ラバーガール 30歳)
色丞 張男(狂介の父)              …… 池田 成志(50歳)


 『究極!!変態仮面』(きゅうきょく へんたいかめん)は、マンガ家・あんど慶周(1969年~)により『週刊少年ジャンプ』(集英社)で1992年11月~93年12月に連載されたマンガ作品である。単行本全6巻(文庫コミック版は全5巻)。
 「変態仮面」の物語は上記の連載作品のほかにも、連載前に読み切り作品として執筆された単発の3作品や、文庫版第5巻に書き下ろされた連載最終回を補完する後日談エピソード(2010年2月)、マンガ家・小林尽によるリメイク続編『帰ってきた変態仮面』(2008年1月)がある。最新作は実写映画の公開にあわせて『月刊ジャンプSQ 』2013年5月号に掲載された読み切り作品『変態仮面セカンド』。



 出ました。この春最大の問題作でございます。
 天下の『ジャンプ』作品であるはずなのに「 PG12(12歳未満の鑑賞には成人保護者の同伴が適当)指定」とは! でもこの指定、最近は『北斗の拳』、『僕は妹に恋をする』、『バイオハザード』シリーズ、そしてずいぶん前にここでも取りあげた『仮面ライダー THE NEXT』とかもそうだったんですよね。要するに、小学生くらいでも楽しめる内容だけど「直接的な残酷描写や性描写はあるヨ。」というわけです。
 でも、観た感じとしてはこの『変態仮面』はどこにも過激な暴力描写もないし、「性描写」ったって、根本は少年マンガ雑誌のギャグ作品であるわけなんですから、それほど核心をついたものはなかったのですが……

 あ、変態仮面が変身する必要に迫られてやらかす下着ドロがきわどいんですね、これ。このご時世に「犯罪描写」で PG12指定になるとは……さすが『変態仮面』! 正義のためとはいえ、その変身過程の時点ですでに社会通念を超越してしまっている異形のヒーローです。

 私が行ったのは平日のレイトショーだったのですが、公開初週だし千葉県で観られる映画館がここしかないという状況もあいまってか、若いお客さんでかなりの盛況といった感じになっておりました。スクリーンがけっこう大きかったので満員とはいかなかったものの、少なくとも100人はしっかり入っていたと思います。
 あと入場してびっくりしたのは、女性客が多いってことですね! 彼氏彼女の2人連れがほとんどでしたけど、女性同士が連れだってというパターンも多くて、上映中は男性よりもむしろ、女性の笑い声がかなり大きく響いていたような気がしました。これはね、昨今の特撮ヒーロー映画の客層事情からするとかなり特殊な状況になっているかと思います……だって、たいていオッサンかガキンチョさまばっかりじゃん!?

 ところで、私自身は今回の映画『変態仮面』の原作となった伝説のマンガ『究極!!変態仮面』についてはそれほど熱を入れて読んだ記憶がありませんでした。
 『究極!!変態仮面』が連載されていた1990年代初頭といえば、ちょうど私が『ジャンプ』を雑誌で読むのを卒業したくらいのころで、大好きだった『ザ・モモタロウ』(にわのまこと)&『サイボーグじいちゃんG』(小畑健)コンビと、しばらくたってから始まった『るろうに剣心』(和月伸宏)&『王様はロバ』(なにわ小吉)ペアとのはざまにあたる「個人的には静かな時期」だったんですよねぇ。くだんの『究極!!変態仮面』についても、「なんか大いに小学生ウケしそうなのが始まったみたいだね。」くらいにしかとらえていなかったはずです。
 ていうか、実はその1990年代初頭にも私が「唯一例外的に夢中になった」ジャンプ作品はあったのですが……その話をするとまた長くなってしまうので、今回はさらっと無視しましょう。こんなブログやってる私なんですから、賢明なそこのあなたは、だいたいお察しがつくでしょうよ!!

 ところが、そのくらいに原作マンガに疎遠だった私でもついつい映画館に足を運ぶ気になってしまったのは、やはりかなり期待値の上がる予告編の出来と、その中で主人公を演じる鈴木亮平さんの「イケメンでないカッコよさ」だったのです。あの首の太さ、スタントなしだという変身後の裸体のマッシブさ、そして、どのセリフにもしっかり貫かれている確かな「ヒーローの熱さ」! たかだか1~2分の予告映像にして、これはもう観ないわけにはいかないという気分にさせられてしまったのでした。

 そんなわけで観てきた映画『変態仮面』。そのお味は!?


予告にいつわりのない鈴木亮平の名演と作品世界! でも、予告されてない部分が足を引っぱりすぎて傑作には遠くおよばず!!


 残念無念。わたくしといたしましては、もうこの思いだけでした……

 この『変態仮面』に関して、私が映画館まで観に来て良かったと感服したポイントは3つあって、それは「主演の鈴木亮平」、「異形ヒーローものとしての肝を実に的確におさえた物語」、そして「ライバル役の安田顕の納得の変態感」でした。

 まずはとにかく鈴木さんの堂々とした主役っぷりなんですが、30歳でありながらもまったく違和感なく10代の高校生を演じおおせているのは、これはもうひとえに、彼の両の瞳に「世界の清さを信じようとする若さ」と「周囲の目を過剰に気にするナイーヴさ」が確かに宿っているからなのだと見ました。どんなにフケ顔だったのだとしても、そこがあったら立派な高校生男児なのです。
 そして、文句の言いようのない変身後の肉体美! 詰め襟の学生服を着ているときの鈴木さんは「ちょっと鍛えすぎたか……?」と思わずいらぬ心配してしまうような着ぶくれ感があるのですが、脱いだらちゃんとスマートな筋肉質にできあがっているんですよね! 細すぎず、ムキムキすぎず……まさしく、『ジャンプ』のアクションヒーローを実写化するのならばこのくらいの感じがピッタリというベスト体型になっていたと感服いたしました。
 ただし、一点だけ苦言を呈させていただけるのならば、予告編で特にインパクトのあるカットになっていた、「窓にもたれかかって外のヒロインにさわやかに手を振っている狂介の、見えない下半身だけが変態仮面」というシチュエーションが物語本編に組み入れられていなかった、ということだけが気にかかりました。なんであんなにいいシーンを使わなかったのか、まったく理解に苦しみます。

 この予告編のサービスカットにも大いに象徴されているテーマなのですが、第2のポイントとして、この『変態仮面』は、「人間が人間を超えた存在になったために生じてしまう異形の哀しみ」という部分をこれ以上ないくらいにわかりやすく映像化している作品でした。

 まず、世界的に有名なスーパーヒーローというものは、誰であっても最初は「人間じゃないヘンな奴、こわい!!」という視線にさらされるところからスタートすると断言して間違いないでしょう。赤いヒラヒラしたマント1枚で空が飛べる人もそうだし、全身黒ずくめで猫耳ならぬコウモリ耳をピンとおっ立たせた人もそうだし、身長40m もある銀色の巨人もそうだし、緑色のバッタの顔をしたバイク乗りもそうだし、人に自分の顔の一部を分け与えて首なしで空を飛ぶ(絵本設定)人型アルティメットあんパン兵器もそうです。
 そういったキャラクターは、もちろんそれなりの理由で必要に迫られてそういう異形に身を変えているわけなのですが、スーパーヒーローは強敵を倒し、人々の信頼を勝ち取っていくたびにそれらの異形さを一般社会に溶け込ませていくことに成功し、いつしか「そういう格好をして闘うのが当たり前のひと。むしろカッコいいじゃん!」という市民権を獲得していくのです。

 しかし、それはどういうことなのだろうか……もしかしたら、「並みの人間では打ち克つことができない悪に立ち向かうために人間をやめる」「こういう不気味な肉体を獲得しなければ人類を悪から守ることができない」というスーパーヒーローの大きな犠牲精神、つまり「人類の平和を創出するために、自分が率先して人類でない存在になって闘う!!」といったパラドックスをかかえた肉体の苦悩、激痛がそのまま表面に現れたものこそが「ヒーローの変身」なのだという、その悲劇的であるがゆえに美しすぎる原動力を失っていくということなのではないのだろうか!?
 そんなことばっかりつぶやいていると、平成生まれのみなさんからは「古くせぇ~」「強くなるんだから気楽にどんどん変身して闘えばいいじゃん。」「重たいヒーロー設定なんかいらないよ!」などと総スカンをくらいそうなのですが、最近の「平成ライダーシリーズ」や「ヒーロー大戦シリーズ」の話を聞くだに、おじさんもう、人知れずため息をついちゃうわけよ……「その格好をしているのが当たり前の変身ヒーローなんて、変身する意味あんのか?」と。

 余談ですが、私は『スーパーヒーロー大戦Z』はたぶん、観に行きません。なぜならば、そこに魅力的なヒーローや悪の組織が出てきてくれる予感がまったくしないからです。西沢利明さんも、もういないしね。
 ドル箱シリーズになっているのは非常に結構なことなんですが、どうか東映さま、これ以上、偉大なる「ショッカー」とイカデビル閣下、そして1980年代生まれの永遠の憧れ、世紀王シャドームーン陛下の名前を汚さないでいただきたい! それらはそんなに軽薄に引っ張り出して使いまわしていいほどペラいものじゃあないんです。
 そしてついに、前作の『スーパーヒーロー大戦』ではめでたく、「新規にリファインされた昭和ライダーの悪の幹部が存在価値もない上に、変身前&変身後ともにデザインが昭和に劣る。挙句の果てにゃ中の役者も圧倒的に劣る!」という事態に堕ちきりました。もうやめてください、その安易な客寄せ作戦!! おい、ヨロイ元帥だけはぜっっっったいに復活させるなよ!? 中の役者さんは正真正銘、本物のヒーローなんだからな!!


 アラやだ。すみません、とり乱しました……


 ともかく、今回の『変態仮面』の主人公・色丞狂介にまつわる「最初の変身の物語」は、母親がプロの変態であることからくる「血の悲劇」、変身するために女性のパンティを失敬しなければならない「国の法を犯す存在である背徳」、変身後の姿が一般市民にも悪人にも笑われる「異形の哀しみ」、そして極めつけには、愛する人に知られるわけには絶対にいかない「正体を知られることへの主人公の恐怖」といった、多くの偉大なる先人たちの歩んできた苦難の道を非常に強く観る者の心に訴えかける、ヒーローもののお手本のような丁寧なつくりになっているのです。ここは本当に、鈴木さんの入魂の演技もあいまって、しみじみ狂介の悲劇と、それを乗り越えるクライマックスに無理なく身をゆだねてしまう素晴らしいストーリーラインになっていました。

 丁寧な演出としては、中盤に展開される狂介の心の中での「変態仮面との対話」シーンも実に印象的に挿入されていて、それはまぁありていに言えば、暗闇の中で変身前の狂介と変身後の変態仮面とが向かい合って、限られた青春の休日を狂介としてヒロインとのデートのために使うのか、はたまた変態仮面としての闘いのために費やすのかを問答するだけのシンプルなやりとりなのですが、そこには、ある人物が「正義の味方」になるために己をかなぐり捨てるということの過酷さが端的に語られていると感じました。有名になるとかすんでいきがちなのですが、ヒーローに変身するってことは、ケースによって多少の差はあるにしても、こういう2つの自分の葛藤と苦悩が常に隣り合わせになってるってことなんですよね。

 そして同時に、その苦悩があるからこそ、特にこれといった特殊武器も持っていないはずの変態仮面は、あれほどまでに説得力のある強さを兼ね備えたスーパーヒーローになりうるそのエネルギー源、「高揚感」「解放感」を変身後に身にまとうことになるのです。
 人目を恐れながら更衣室に忍び込む学生服姿の狂介と、変身後に「フオオオオオオッッッッ!!」と絶叫しながら更衣室を飛び出して敵の下へ向かうために体育館を疾走していく変態仮面。この対比こそが、すべてのスーパーヒーローの原点にあるべき「変身の力学」なのです!
 まさに、変身と変態は表裏一体。「おれもおまえもモンスターなのよさ♡ 」という、あの『ダークナイト』におけるジョーカーの言葉が脳裏に強くよみがえります。

 ジョーカーといえば、ヒーローものに必要不可欠な存在は「魅力的な宿敵」であるわけなのですが、今回の『変態仮面』でその責を充分すぎるほどに担いきっていたのが、謎の数学教師・戸渡(とわたり)の役を演じた安田顕さんでした。まぁ、ここで堂々と安田さんを「宿敵」と言ってしまうのは明らかなネタばれであるわけなのですが……この作品に登場した安田さんを見て「ただの数学教師」だと認識するイノセントなお客さんはゼロに近いでしょう。顔も映りこまない後ろ姿だけのファーストカットから変態オーラ全開なのですが、その生気のない虚ろな目つきと、ヘンに目立つ青々しい髭のそりあと……これは間違いなく、なにかしら余人の入り込めない恐るべきカルマを抱えている人物であると感じざるをえない「本物の殺気」があります。外見はふつうにかっこいいおじさんのはずなのに……

 「目には目を、変態には変態を!」
 変態仮面の活躍を苦々しく感じる悪の集団から差し向けられた秘密兵器だった戸渡は、変態仮面を軽く凌駕する変態っぷりをあらわにして街の女性を恐怖のどん底に叩き込む凶行を重ね続け、満を持しての直接対決で、一時は変態仮面の「変身する意志」さえをも萎えさせてしまう文句なしの大勝利をおさめてしまいます。

 結果から言ってしまいますと、最終的に戸渡は、ヒロインを救うために絶望の淵から復活・変身した変態仮面(フリルつき)との再戦で、いかにも『ジャンプ』のヒーローらしく「愛さえあればオールオッケー!」状態になり、かつ「変態のレベルと腕力は別に関係ない。」という実に「それ言っちゃあ、おしめぇよ」なひらき直りの境地に達した変態仮面の究極奥義によって気持ちよく完敗して大地に還っていくことになります。お互いにほとんど全裸に近い40手前のおっさんと筋肉ムキムキの高校生とが殴り合ったら、まぁそういうことにはなりますよね……

 しかし、肉弾戦に負けたからといって、戸渡が狂介にとって、しょせん脅威となる敵でなかったということには決してなりません。
 むしろ、理論において完膚なきまでに変態仮面の変態観を破壊し尽くしてしまった戸渡の変態美学は、たとえ親が筋金入りの変態だろうが、自身がその肉体で築き上げてきた「現場の変態経験」が絶対的にとぼしい狂介の青っちょろさを鼻であざ嗤う、数十年にわたる「変態人生の積み重ね」に裏打ちされた叩き上げの力強さを兼ね備えており、特にその充血しっぱなしの眼が語る渾身の変態演説には、観客に変態への笑いや嫌悪を通り越した「あわれみの感情」、もしくは「共感の涙」をもよおさせるに充分な魂がこもっていたのです。
 まさに変態は、その人の一生を通じてつきまとう死病! そんな諦観をたたえた戸渡のたたずまいは、まさしく変態仮面と同じかそれ以上に「2つの顔を持つ変身人生」の哀しみを身にまとう味わいを持っていたのでした。

 恐るべし、俳優・安田顕!! 私は『水曜どうでしょう』をほとんど知らない人間なので安田さんの仕事を観たのは今回が初めてだったのですが、ここまでに「異形の悪人」を切実に演じきることができる人物が平成日本に現存していたとは……
 特に、大勢の人が行き交う街中での変態仮面との対決の過程で、変態仮面とほぼ同じ露出度の状態で駅前の交差点を疾走していくワンカットには度肝を抜かれてしまいました。周囲の群集のリアルすぎるリアクションからみても、明らかにエキストラなしのゲリラ撮影のようだったのですが、たとえお給金をいただける仕事なんだとしても、あんなことをやり通せるプロはそうそういねぇよ。ちなみに、このときの彼を追いかける狂介は変身前の普段着姿です。

 それに、全裸になった安田さんは特に鈴木さんみたいに肉体改造もしてないらしく、あばらの浮き出たナチュラルなおっさん感にあふれていたから、ヒーローっぽく人前に出る準備をしている鈴木さんに比べて「リアルに変態っぽい」雰囲気が段違いなんですよね……
 心身ともに変態! まさに日本のヤスケンは、『バットマン』のジャック=ニコルソン、『バットマン・リターンズ』のダニー=デビート、『スパイダーマン』(サム=ライミのほう)のウィレム=デフォー、そして『ダークナイト』のヒース=レジャーらに肩を並べる仕事をしてくれたと言って間違いはないでしょう! 少なくとも『バットマン・ビギンズ』の謙さんは超えてるはず。すみません、『アメイジング・スパイダーマン』はまだ観てません。

 今回の映画宣伝のためのインタヴューで主演の鈴木亮平さんは、安田さんを評して、

「悪役を演じたヤスケンさんが、『ダークナイト』のヒース=レジャーが演じたジョーカーも嫉妬するんじゃないかというくらいスゴイことになっています!」
「ヒーローものは悪役が魅力的じゃないとダメだと思うんですけど、この作品はそこをバッチリ満たしているはず。」(シネマトゥディ 4月15日付け記事より)

 と激賞しているのですが、宣伝のための出演者の談話として話半分に受け取るとしても、今回の共演で鈴木さんと安田さんとが魂の共鳴する変態コラボレーションを体験したということは間違いないでしょう。こういった才能ある役者同士の生身の対決が楽しめるというだけで、作品を観に行く価値は充分にそなわっているはずなのです。


な・の・に。


 それなのに、この『変態仮面』を見終わったあとの私の胸中には、言いようのない「残念感」が残ってしまっていたのです。
 「いい役者」、「ヒーローものの原点に立ち返ったストーリー」、「魅力的にもほどがあるライヴァル」。その3点がこれだけ申し分なくそろっているというのに、それらをぶちこわしにした存在が、この作品の中にはいろいろあった!!

 もちろん、それをもって「観なけりゃよかった。金返せ!」とまではいかないのですが、この作品を通じて私は、感動よりも「大丈夫か、日本の映画界!?」という要らぬ心配まで激しくいだく心境におちいってしまいました。余計なお世話なんだろうが、千ウン百円払ったんだから、そのくらいつぶやかせてちょーよ!


 ということで、毎度おなじみ『長岡京エイリアン』恒例の「ホメたらオトす映画評」の流れに突入していくわけなのですが、相変わらず、こと特撮作品に関してはムダに熱くなってしまうタチで、今回も例によって字数がかさんできましたので、続きのうだうだはまた次回の講釈ということにさせていただきたいと思いま~っす。


 いっつもいっつも長くってゴメンね……でも、これが『長岡京エイリアン』なのヨ。
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