長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

冷静と情熱のあいだのCoccoさん

2010年09月03日 14時41分53秒 | すきなひとたち
 どうもこんにちは。そうだいです。まぁ、今日も……ね? 暑いよね~! お天気さん、そろそろ、気分を変えてみませんか。お願い!
 さあ、私の個人ブログも、9月2日をもって開始1ヶ月を迎えることとなりました。なんでもないようなちっぽけな1ヶ月なんではありますが、私は実にうれしい! まさかこんなに続けることができるとは……まだまだお話ししたいことは山ほどあります。これからもいきますよ~。
 世の中にはさまざまな「才能」を持った方がいらっしゃる。
 当たり前な話ではあるのですが、その「才能」を使って、ある人は満ち足りた生活を送るだけの財力をたくわえ、ある人は誰もがその名を知るような有名人になり、ある人は毎日が楽しくなるような人間関係を築く。「才能」を持っているために成功する人も大勢いるわけです。もちろん、その逆の結果をその人にもたらしてしまう「才能」もあるでしょう。
 でも、その「才能」自体は、成功するとか破滅するとかいう結果なんかどこ吹く風で輝き続けているような気がします。結果とは、その「才能」を自分で発見した人や、まわりでそれを評価した他人の反応で形作られるものなんじゃないか、と。自分の宿っているご主人様がどうなろうが、「才能」は知ったこっちゃないんじゃなかろうか? 「才能」は、その人が自由にコントロールできる道具のようなものばっかりなのでもなく、中にはまったく言うことを聞いてくれないドキンちゃんのような小悪魔的性格のものもあるのかもしれない。まぁもちろん、そんなじゃじゃ馬「才能」をうまく飼い慣らせるようになるのも「才能」なのかも……
 私はシンガーソングライターのCoccoさんの曲が好きです。
 いや、正確に言うと、2001年まで活動していたCoccoさんの曲が好きなんです。今も、よくその時期までのベスト盤のCDを聞いています。Coccoさんは2001年でいったん活動を休止し、2006年から歌手としての活動を再開しました。その活動再開あたりから現在に至るまで、Coccoさんは歌手の他にも作家、絵本作家、女優、エコ活動家としても多彩な仕事を展開しています。
 そんなCoccoさんなんですが、私が好きな2001年までの彼女は、とにかく重た~い歌を唄う歌手という印象が強烈なお人でした。

「どれだけ崩れ堕ちて どれだけ血を吐いても 答えなんでどこにもなかった 『Way Out』」
「血迷った過ちに 気付いて泣き叫ぶがいい
 はり裂けたこの胸に 甘えてごらんなさいな 『カウントダウン』」
「この目さえ 光を知らなければ 見なくていいものがあったよ 『雲路の果て』」

 おも~い!! 重すぎる……こんな重力、孫悟空でも耐えられるかどうかわかったもんじゃありません。とにかく歌詞が重いんです。ここまで徹底していると、もはや「暗い」なんていうテンションの低さはどこにもありません。
 この歌詞の重さに応えるかのように、曲調のほとんどはギターがギャンギャン叫び、ドラムがドカドカ地を揺らす激しいロックとなっています。演奏のテンションの高さが、重さを破壊力に変えているといった感じでしょうか。
 ところが、私が一番好きなCoccoさんの才能は、その歌詞の重さでも曲の激しさなのでもありません。曲中ずっとその二つにかこまれていながら、波紋一つない夜の湖のように美しくあり続けている歌声なんです。
 重たい歌詞に激しいロックとくれば、泣き叫ぶような歌声になるのかと思いきや、さにあらず。彼女は冷静に曲にのり、冷静に美しい声で歌詞を聴く人に語りかけてくるのです。このバランス感覚は素晴らしいです。
 私自身、重たい歌詞なんかあんまり聞きたくないと思う人間なんですが、それでもCoccoさんの歌が聴きたくなるのは、重い歌詞の中にいる自分を「見つめながら」唄うことのできる自分がちゃんといるからなんじゃないかと思うんです。最近は自分で作詞作曲をする歌手の方も多いのでしょうが、こういう「才能」を持つ方は、なかなかいないんじゃないかなぁ……
 ただむずかしいもので、Coccoさんも10代後半から24歳になるまでにやっていた、こういったギリギリのバランス感覚を要する活動は、現在はお休みされているようです。さぞや過酷な「才能」だったのでしょう。お疲れさまです! 
 さ~て、そんなことをボンヤリ思っている私の「才能」ちゃんは、どこにいんのかな~? Coccoさんの曲の中でも一番好きな『水鏡』を口ずさみながら、今日も探す旅に出かけましょうかね!
 
  
コメント
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