長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あ~……

2011年05月31日 21時48分03秒 | 日記
 しんど~。
 もう5月もおしまいなのねぇ。

 日常はふつうに過ごしてるんですけど、まさかこの『長岡京エイリアン』でこんなに疲れてしまうとはねぇ。

 ……せめて、今月中に「SPEED」まではいきたかったんだけど……おニャン子がデカかったからなぁ。

 でも、ここまできたらやりとおさねぇと。
 「中断してちょっと休憩」のパターンだと、また再開できなくなっちゃうからなぁ。「宇宙人」とか「ローマ史」みたく。

 ……いつAKBにたどりつけるか。さすがに6月中には終わると思うんだけど。

 正直言って、今月はアイドルグループのことで頭がいっぱいだったから、カゼひく余裕もできないまま走りきっちゃったなぁ。
 6月は、このシリーズが終わったとたんにガタガタッと体調をくずす気がする、なんとなく。

 まま、着実に進んではいるからね! がんばって来月も泳いでいきましょう、この大河を。
 向こう岸はもうすぐだぜ! TA☆BU☆N。

 おやすみなっさ~い。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第13回 『いたいた! 90年代小宇宙』

2011年05月29日 22時49分26秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ど~もこんばんは~。そうだいです。いやぁーもう台風、台風の1日でしたねぇ。関東に来る前に消えてくれたようなんですが。
 今日は、つい2ヶ月前まで私が所属していた劇団・三条会のアトリエ公演『ひかりごけ(Bバージョン)』を観てきましたよ。今は来月6月の半ばまで長めにAB2バージョンを日替わり上演してるんですって! みなさんも観に行ったらいい。
 久しぶりに訪れたアトリエと、舞台に立つ役者のみなさんは……よかったねぇ。台風接近の日に観るのがなんだかとてもしっくりきた作品でした。Aバージョンもそのうち観に行くつもりですが、楽しみねぇ。

 その時、大学時代以来の親友(と呼ばせていただきます!)と観たんですけど、もう立派に働いておられる彼とも楽しく旧交をあたためることができまして、カフェでアハハと笑いながらお互いの近況やおもしろ話などをかたらいあって、ふと外を見るとスコールみたいな豪雨と通行人も飛ばされんばかりのけっこうな勢いで強風がふきすさんでいるという、このヘンな感じね。久しぶりの三条会といい久しぶりの親友といい、台風接近にふさわしい内容の日となりました。


 しゃてしゃて、今日も今日とてアイドルグループ。
 やろうやろう! もうここまできたらドントストップ。ドントルックバックよ。「平成」に入ったんですから、ゴールはもうすぐですよ。まだ20世紀だけど。

 前回にもふれた通り、こと「アイドル歌手」というジャンルに関しては文字通りの「アイドル冬の時代」が始まってしまった感のある90年代の芸能界事情だったのですが、まだまだアイドルという定義そのものの拡大は続いていました。
 グラビア・セクシー・バラエティ・アニメ・ライブ。ある意味では21世紀に入って久しい現在を軽く凌駕してしまう勢いで、アイドルのバリエーションは小宇宙のごとき広がりを見せることとなったのです。

 今回はちょっと、そのへんの各ジャンルで活動していた新たなるアイドルグループのみなさんをあげていくことにいたしましょう。
 まずは、90年代のお茶の間をにぎわせた、ちょっとエッチなかおりもするお姉さん集団、「セクシータレント」のグループから。

C.C.ガールズ(1990~2003年)4人組
 20~23歳 青田典子、藤原理恵ら
 オスカープロモーションのコンテスト受賞者で結成
 セクシー路線 「Cool&Classy(カッコいい&高貴)」がテーマ
 藤原は1985年からソロアイドルとして活動していた
 写真集とともに、1995年まではCDも精力的にリリースしていた
 1995年からメンバーの交替があいつぎ、1998年の青田の脱退をもって初期メンバーが全員いなくなる
 2003年12月のメンバー浜野裕子(28歳)の結婚引退によりグループも解散

T-BACKS(1991~94年)5人組
 20~21歳
 グラビアアイドルで結成(ヌードグラビア経験者もいた)
 とにかく衣装のTバックが武器のセクシー路線
 写真集の他にCDもリリースしていた
 2005~06年には3人組の「2代目T-BACKS」が活動していた

ギリギリガールズ(1992~95年)5人組
 テレビ東京のお色気深夜バラエティ番組『ギルガメッシュないと』や『平成女学園』(どちらも1991~98年放送)に出演
 19~21歳 吉野美佳(19歳 吉野公佳の姉でミスチル桜井和寿夫人)ら
 グラビアアイドルで結成
 写真集の他にCDもリリースしていた

シェイプUPガールズ(1994~2000年)4人組
 23~27歳 梶原真弓(27歳)ら
 C.C.ガールズの事務所後輩グループ
 すでにレースクイーンや女優として活動していたメンバーもいる
 美と健康がテーマ
 写真集のリリースのみで楽曲は発表せず
 1999年のメンバー今井恵理の結婚あたりからグループとしての活動は休止


 いましたよね~、セクシーグループ! 有名なのは今あげた4つですね。まさに「グラビアアイドルのグループ」というコンセプト。
 今って、企画みたいな期間限定以外で活動しているこういうお姉さんたちって、いる? あんまり最近は聞かないような……
 全員、結成時には20代になっている方がほとんどであることもあって、とにかくアダルト、ただしTVで放送できる範囲でといった10代の小娘アイドルにはできない分野に意欲的に挑戦しているこのジャンル。
 当初は完全に「青年男子」をターゲットにしたグループだったわけなのですが、90年代後半に活躍したシェイプUPガールズからすでに、「健康的なセクシー」を志向するスタイルで同性からの支持を視野に入れた方向にシフトしていたことは興味深いです。まぁ、そのぶん男子にはいまひとつピンとはこなかった印象はあるのですが。
 実際に21世紀にはいるまでにメンバー全員が結婚し、妻や母になってからもそこをアピールしたママドル的な活動を続けているシェイプUPガールズの面々は、美容・健康・家庭関連の分野で現在確立している「同年代の女性の人気を集める」タレントといったかたちの先駆となっていたようです。

 いっぽうで、シェイプUPガールズの先輩にあたる90年代前半に活躍した3グループは、さほどヒットしないまでもコンスタントにCDをリリースしたりもしていて、

「アイドルはとにかく歌を唄うんだ!」

 というアイドル歌手全盛時代から残っていた呪縛みたいなものをしっかり継承していたところから見ても、まさに古い形式と新しい形式の取捨選択を迫られていた当時のグラビアアイドルならではのグループだったと言えましょう。そんなに無理して出さなくてもいいのにねぇ。でも実際に、当時は内田有紀さんとかのCDがバカ売れしてたしなぁ。呪縛ねぇ~!!
 基本的にグラドルだったこともあり、解散後にヌードを披露した方も少なくないのですが、ヘアヌード全盛の時代からちょびっとあとにズレてしまっていたこともあってか、やっぱり90年代前半のソロアイドルの方々のヌードほどの話題になったものはなかったようです。う~ん無念!
 むしろさらにその後、結婚してからのライフスタイルが有名になっている方のほうが多いようで、特にミスチルの桜井さんの妻になった吉野さんと、「日本一安全じゃない」玉置さんの妻になった青田さんは特に見逃せないところですね。ガンバレ典子!!


 続きましては、「ライブ・演劇の上演」を活動の中心にしたみなさん。


南青山少女歌劇団(1990~2001年)
 11~18歳の少女歌劇団 通称「MSK」
 年齢規定により19歳になったら卒団しなければならない
 1992~94年にはCDをリリースしアイドルグループとして活動していた
 千葉紗子(さえこ 1994~96年在籍)は年齢規定による卒団後に声優・歌手として活動
 ミュージカル版『サクラ大戦』を上演(1998年 主演は卒団後の千葉紗子)

制服向上委員会(1992~2006年・2010年~)10~20名
 ライブ活動が中心のアイドルグループ 通称「SKi」(最後のiだけ小文字なのは「スキー」とカブるから)
 現在は13~18歳・11名のメンバー構成
 再始動後は1995~2006年に在籍していた歌手の橋本美香が会長をつとめている


 ライブを活動の中心においたアイドルグループといえば、前回にあげた東京パフォーマンスドールがパイオニアなのですが、ほぼ同時期に活動を開始した上の2つは、年齢を見てもおわかりのように「少女」といった部分に照準をあわせたものとなっていました。
 どちらもCDのリリースやTV出演などに力を入れていた時期もあったのですが、とにかくメインにくるのは、会場に来たお客さんの目の前で繰り広げるライブ・演劇・レビュー!
 バブリーな香りもするMSKは残念ながら今はもうないのですが、つい去年から活動を再開したSKiは、東京・初台のライブハウスで毎月活動しているようですよ。ストイックですよねぇ……雰囲気はもう「修験道」って感じ? アイドル界というジャングルの最秘境で、「あっ、藤岡隊長! 制服姿で滝にうたれている少女たちが!」みたいな。


 あと、90年代にはさまざまな異種混合型のアイドルグループも引き続いて登場していました。


Cotton(1990~94年)3人組
 15~17歳 「モモコクラブ」から結成 「平成のキャンディーズ」を標榜
 第3回ミスモモコクラブグランプリの岡田有紀(16歳)がメイン
 とてつもない歌唱力のつたなさ、意図的に古いアイドル路線
 1992年以降は目立った活動がほとんどなくなり自然消滅
 代表作『ヴァージン・ウルフに気をつけて』(1991年2月)

こんぺいとう(1991~93年)デュオ
 15・16歳 「モモコクラブ」から結成
 地球にやさしいエコをテーマとした史上初のアイドルデュオ
 メンバーの菅野美寿紀はヌード・女優に
 もう1人は何年か前に、しろうとモデルとしてSM雑誌で縛られていたらしい。なにやってんすか……

Mi-Ke(ミケ 1991~93年)3人組の歌手グループ
 22~24歳 宇徳敬子ら
 「三毛猫」を意識した白・茶・黒のイメージカラー
 もともと3人は、1990年4月に『おどるポンポコリン』でデビューしたポップスバンド「B.B.クイーンズ」のコーラスを担当していた
 歌謡曲・グループサウンズを意識した楽曲づくり
 代表作 1st『想い出の九十九里浜』(1991年2月 オリコン5位)
 宇徳のソロデビューにより解散

DORA(1992~93年)日本テレビアナウンサーの3人組
 永井美奈子(27歳)・藪本雅子(25歳)・米森麻美(25歳)
 日本テレビ開局40周年記念の期間限定ユニット
 当時の中井美穂・小島奈津子(フジテレビ)や丸川珠代(テレビ朝日)らとともに女子アナウンサーブームの先駆となった
 CDも1枚リリースしている 
 1995年には米森、96年には永井がフリーになっており、藪本は98年に報道部に異動している(そののちに退社)

ハミングバード(1993~95年)5人組声優グループ
 OVA『アイドル防衛隊ハミングバード』(原作・吉岡平 全4巻)のタイアップグループ
 19~31歳 三石琴乃(26歳)・椎名へきる(19歳)ら本編で主人公グループを演じた声優陣がライブ・CDでも活動
 「元アイドルがのちに声優になる」のではなく、「現役声優がアイドルになった」史上初のグループ
 自衛隊が民営化された近未来に5姉妹アイドルグループが戦闘機パイロットになるという設定


 まぁ、こういった方々がいたんですよ。
 コットンはかなり「知る人ぞ知る」異色なグループだったのですが、「意図的にひとむかし前のアイドルを演じた」コットンは、残っている動画を拝見しても、今でも充分に衝撃的な「終わっちゃってる感」を味わうことができます。
 こわいな~。『ヴァージン・ウルフに気をつけて』なんか、江戸のからくり人形みたいなぎこちない動きの3人の小娘が(私よりも年上ですけど)、

「顔をあらぁあって おっとといお~いで☆」

 なんて唄ってるんですからね。聴いてる人もリアクションに窮しますよ。
 コットンもこんぺいとうも、80年代後半に菊池桃子、西村知美、酒井法子といったみなさんを輩出した学研のアイドルグラビア雑誌『Momoco』の出身グループだったわけなのですが、残念ながら90年代に入った時点でかつての威光はすでになく、といった感じでしょうか。こんぺいとうも「エコ」っていう観点は良かったんですけど、それと「アイドル」がうまく接合できなかったのが惜しいな~。

 ミケは出身を見てもおわかりのように完全なる歌手グループだったのですが、当初彼女たちが出演していたNHKの歌謡番組ではマスコットアイドルのような存在としてしょっちゅう出演していたのを思い出します。
 昭和歌謡やグループサウンズ時代の名曲を意識した楽曲(タイトルなどを歌詞に組み込んでいる)が逆に新しく見えたようで、実は今回紹介したアイドルグループの中では唯一、ヒットチャートをにぎわせるアーティストとして全国的な知名度を持っていたグループでした。

 その「ミケ」にあやかったのが女子アナグループの「ドラ」だったわけなのですが、日本テレビの公式見解としては「英語のドラスティック(モーレツという意味)からとりました。」ということなんだそうですけど、ドラスティックは「Drastick」で「O」はないからなぁ。
 ドラ自体は1992年の日本テレビ開局40周年にあわせての期間限定グループだったものの、このあたりから本格的に始まっていた「女子アナ」ブームを象徴するものとなりました。
 また、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(1988~96年)や『マジカル頭脳パワー!!』(1990~99年)といった人気クイズ番組の展開やプロ野球巨人戦の独占中継などによって1993年に年間視聴率でついにあのフジテレビに並び、1994~2002年の長きにわたって首位をとることとなった日本テレビの破竹の勢いをあらわすものでもあったことも見逃せません。

 ハミングバードはあくまでもライトノベル原作とビデオリリースを基盤とした作品だったために、TVで全国放映されるアニメほどの爆発的な人気の拡大はなかったのですが、とにかく当時『美少女戦士セーラームーン』の主人公・月野うさぎ役を演じていた三石さんを中心にすえたメンバー構成、そして本物のアイドルと違わないほどに力を入れたライブやCDの展開は、これまた女子アナブームと同じように花開き始めた「声優アイドルブーム」の先鞭をつけるものとなりました。
 見目麗しいし演技力もあるし、その上唄って踊れるっていうんですからとてつもない。岩男潤子さんや桜井智さん、今回紹介した千葉紗子さんなど、元アイドルが声優にというパターンはいくつかあったのですが、ついに声優の世界からアイドルが発信されていく時代が始まったんですなぁ。
 ところでハミングバードというのは、その名の通り『サンダーバード』を意識した5人姉妹の防衛隊なわけなんですが、設定は自衛隊が民営化されてしまった数年後の近未来「20世紀末」ということになっています。もう過去! 『北斗の拳』パターンね。
 民営化とは。いくらSFだっつっても、平和にもほどがあるよね……そういう発想は今はなかなか出てこないだろうなぁ。


 こういった感じで爆発的に増加し続けていった90年代前半のアイドルグループ事情だったのですが、今回は最後に、東京発でない「地方アイドル」という観点を持ちはじめた流れにもふれてみましょう。


大阪パフォーマンスドール(1993~97年)吉本興業のアイドルグループ
 16~20歳 武内由紀子(20歳)がリーダー 通称「OPD」(これにたいして東京パフォーマンスドールは「TPD」と呼称される)
 東京でなく大阪を活動の拠点にしていた
 東京パフォーマンスドールの妹分的グループで、TPDの日本武道館公演から活動を開始
 TPDと同じ2軍体制で、1軍の「フロントメンバー」は5人、2軍の「ライブメンバー」は10人前後が基本だった
 1996年7月の3rdアルバムを最後に目立った活動がなくなり、1997年ごろに自然消滅
 メンバーの稲葉貴子(あつこ)は、のちに「太陽とシスコムーン」(1999~2000年)のセンターをつとめる
 現在も大阪でタレント活動を続けている元メンバーが多い


 最近はSKEだNMBだHKTだととみに話題になっている「地方アイドルグループ」なのですが、そのはしりは、吉本興業の東京進出の勢いに乗ったこのOPDだったんですねぇ。
 大阪が拠点ということでなかなか東日本ではなじみの少ないグループではありましたが、私はその時よく聴いていたラジオ番組『今田耕司・東野幸治のカモンファンキーリップス』(「山形ラジオ」で聴いていたので制作キー局はワカラ~ズ)のアシスタントでこの人たちが出演していたのはかろうじておぼえてるなぁ。

 ところで、「アイドルグループ史」に関係してくるのはもうちょっと先のことになるのですが、90年代の初頭にはのちの芸能界の趨勢を考えてみると見過ごすことのできない地方発のムーヴメントが起きつつありました。


沖縄アクターズスクール(1983年~)
 「日本映画界の父」マキノ省三の孫・マキノ正幸が沖縄で設立した芸能人養成学校
 1990年に卒業生で沖縄出身の早坂好恵(15歳)がデビューし、1992年にブレイク

 ね、見過ごすことはできないでしょ~!?
 早坂さんは現在もママドルのような立場で沖縄を中心に活動されているそうなのですが、デビュー当時はそのはっきりした顔立ちと元気なキャラクター、バラエティでもおもしろいし歌もバツグンにうまいという八面六臂ぶりでお茶の間の人気者となりました。今でいうベッキーみたいな感じですか。
 早坂さんのブレイクによってはじめて本格的に全国的な知名度を持つようになった「沖縄タレント」なのですが、そのメイン発信源となった沖縄アクターズスクールがすぐのちに超人気アイドルグループを生み出していくのも自然のことわりですよね。

 そういったあたりのことは、また次回ですよ~い。
 あら、きづけば5月も、もうおしまい……
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第12回 『平成誕生とアイドルグループ』

2011年05月27日 23時25分57秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 はい~どうもこんばんは! そうだいです。関東地方はもう梅雨入りですか。早すぎるよ! 私の町は今日のところはパラパラとしか降りませんでしたが、明日以降は長雨が続くとかなんとか。キツいなぁ~。
 ついこないだ、東京にお芝居を2本観に行った日は暑いくらいだったのにねぇ。あの日は、中野から駒場まで歩いて東大の学生食堂で遅いランチをいただいたりしてたんですよ。2時間くらいぶらっと歩くには最適なお天気でしたね。

 最近はあったかい日と寒い日がたがいちがいになったりして、体調を崩すのがこわい毎日になっているのですが、まぁ今のところはカゼもひかずにやってきております。
 ただ、寝つきがいいのか悪いのか私、近頃はっきりした夢を見ることが多くなってきてまして。

 これは夢……なのかどうかわかんないんですけど、何日か前に変な体験をしました。ささいなことなんですけど、なんかひっかかるのよ。

 その日は、仕事終わりにご飯を食べた時、おマヌケにも自分で自分の舌をかんでしまいまして、舌の右側にキズをつくったまま寝ました。
 で、夜中にちょっとだけ目が覚めて、口の中で舌を動かしてみて、「ああ、まだベロが痛いなぁ……」なんて思いながらまた眠りについたんですよ。
 それから翌朝にふつうに起きて、舌の右側のキズが治りかけてるのを確認しながら歯をみがいたりしたわけなのですが、「あれっ?」と思い当たることがあったんですよ。

 夜中に目が覚めた時に痛かったのは、確かに、舌の「左側」の部分だったのね。

 キャ~!!
 なんなんすかね……文字どおりの「寝ぼけ」だったのか、「舌の左側にキズをおった私が夜中に目をさます」という夢を見ただけだったのか。
 それともアレか、「真夜中はミラーワールド」的なやつか。
 へんなの。やっぱり体調を崩しかけてんのかしらねぇ。まさに梅雨空のようにモヤッとした出来事でありんした~。


 さて、といった前代未聞なグレー感で始まる「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の続きなのですが、今回はまさに曇天、ほぼ日本全国で冷たい雨が降っていたある日からお話を始めていきたいと思います。

 時は新年早々の1989年1月7日午前6時33分。
 まさしく激動の昭和時代を体現する存在だった当時の「今上天皇」、昭和天皇が長い闘病のすえに崩御しました。御歳87。
 この時をもって、太平洋戦争の敗戦とそこからの劇的な復興というはげしすぎる変転を見届けてきた史上最長の年号「昭和」は幕を閉じることとなります。最後の「昭和64年」は正味1週間しかなかったのね。
 で、翌8日の午後2時半ごろに発表された新年号「平成」によって、新しい時代がスタートすることとなったのです。

 しかし、日本国民のほとんど全員が知っている「ある方」の死をもって年号が変わる、という制度である以上、時代の交替には必ず国家規模での「喪に服する」、「自粛」というハンパなく重苦しいムードが不可分のものとしてついてくるわけでして。
 思い出すねぇ、私その時はまだまだ小学校低学年のガキンチョだったんですけど、その日1月7日、身のまわりはほんっとに朝からどんよりとした空気に包まれていましてね。家族の朝の風景はいつもとおんなじだし、別に誰かが泣いてるというわけでもなかったんですけど、とにかくみんなうつむきかげん、無口! 視界がほんとに灰色。
 私もさすがに、小学校低学年ながら「あぁ、誰かナイナイしたな、こりゃあ。」と勘づいたほどでした。そして誰もその話題にふれないというアンバランス感ね。
 美空ひばりさんとか手塚治虫とか黒澤明とか、まぁいろんな世界の「神」と呼ばれていた方々が当然の摂理として亡くなっていくわけなのですが、そういった方々と比べてみても、やっぱり日本国民に与える影響の度合いはけた違いでしたね。
 また、生前に「史上最強の晴れ男」と評されていた陛下らしく、その日の前後は逆に記録的な長雨が続いていたようです。

 昭和天皇の不調が目に見えて深刻な問題となってきたのは1987年の春ごろからで、そのあたりから断続的な公務中止と再開を繰り返した後、1988年の夏の式典への出御を最後として、9月から翌年の崩御まで病床につくこととなります。
 歴代天皇の中でも最長寿となった陛下も今回ばかりは……という空気は敏感に日本国中に浸透していき、もちろんそればっかりが理由でもないわけなのでしょうが、1987~89年は日本のエンタテインメント界、特にTV業界で「自粛」の2文字を頭のどこかにおいたバカ騒ぎしてられないという姿勢が、誰が言うともなく広がっていったのです。

 平成の幕開けは、「未成熟のアイドルよりも成長したアーティストが評価される」時代の到来とともにやってきました。

 前回に紹介した実力本位の「バンドブーム」の隆盛にくわえて、「そんなにフワフワしてられない」という重みをもった空気が、あたたかい目で未熟さもひっくるめて応援してくれるファン層が存在していることが前提となっていた「アイドル歌手」にはちときびしい環境を形成していたのです。
 まぁ、そうはいっても当時の日本はまだまだうなるような活力がありあまっていて、良くも悪くもギラギラしていたわけですから! 夜の「ジュリアナ東京」なんてのは、昼間のおかたい日常のいたって健康的な反動だったんでしょうね~。ふぉう!

 グラビアアイドル、アダルトビデオ業界、バラドル。いろんな世界が日の出の勢いで力をつけていく中、本来の「アイドル」の意味そのものだったはずのアイドル歌手は苦戦をしいられることとなり、それはまたアイドルグループも同じことでした。
 そのため、その当時第一線で活躍していたアイドルグループ(デュオ)は、さすがに「キャハ! エヘ!」ばっかり言っている小娘スタイルで押すわけにもいかず、ある程度は唄う楽曲やダンスのクオリティで人々をひきつける硬派アーティストスタイルをとる方々が中心となっていました。


Wink(1988~96年)デュオ
 相田翔子(18歳)と鈴木早智子(19歳)
 笑顔をあえて少なくしたクールなスタイルとシンプルなシンメトリー振りつけ
 あくまで「歌手」を活動の中心においた姿勢(洋楽アーティストの楽曲提供も多い)
 代表曲 『淋しい熱帯魚』(1989年7月)
 相田さんはタレントとして活躍・鈴木さんは最近なにかと話題が多い


 なんといっても平成初期を代表するアイドルデュオといえばウインクなのですが、とにかくクールな楽曲とダンス、その無表情っぷりが当時からよくパロディにされていましたね。人形みたいな静物みたいな存在感がバラエティ全盛の芸能界で逆に目立った秘訣だったのかも知れませんが、それだけに笑顔が武器の「王道アイドル」のようには受けとられていなかったようです。特にはっきりした解散宣言や解散コンサートがなかったところも、「アイドルっぽくなさ」を強調していますよね。

 だとしたらば、その時「正統派アイドルグループ」を標榜していたのはどなたかと言うと、「CoCo」や「ribbon」といった「乙女塾」出身のグループがまずあげられます。


乙女塾(1989~91年にあったフジテレビのタレント養成コース)
 「歌手コース」、「俳優コース」、「モデルコース」の3コース制
 CoCo、ribbon、中嶋ミチヨらを輩出
 乙女塾全体としての楽曲は発表していない

『パラダイスGoGo!!』(『夕焼けニャンニャン』と同じ時間帯 1989年4月~90年3月)
 乙女塾の出演していたバラエティ番組
 B-21スペシャルや田代まさしが出演
 CoCoとribbonの活動をサポートする役割
 人気がでず関東ローカル番組に縮小して終了

CoCo(1989~94年)5~4人組
 いわゆる「アイドル冬の時代」中、最もヒットした正統派アイドルグループ
 ではあるものの、楽曲はクールなアーティスト志向のものが多かった
 代表作 『夏の友達』(1990年4月)
 1992年5月のメンバー瀬能あずさの卒業により4人組に

ribbon(1989~94年)3人組
 16~19歳 おもに永作博美(19歳)がセンターヴォーカル
 永作さんの存在感・ポテンシャルがケタ違い
 それぞれのソロ活動が忙しくなり、メンバー松野有里巳(ありみ)の所属事務所退社により消滅
 代表作 『そばにいるね』(1990年4月)


 ここですねぇ~。CoCoですねぇ~。
 要するに、かつてのおニャン子クラブと同じ手法でふたたびブームを巻き起こそうというフジテレビの算段だったようなのですが。
 のちに乙女塾のメンバーとなる人々が『パラGO!』の放送開始前に『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』にゲスト出演していたという入り方もまさにおニャン子クラブと同じであるわけなのですが、ちょーっと、乙女塾は本質的におニャン子クラブとはまったく別の集まりだったんですね。

 まず、だいたい2~30名ほどのメンバーが常に在籍していた乙女塾は、完全に「プロになることを目指すタレントの卵」だけが集まった集団でした。つまり、「タレントとかどうでもいいで~す。」という姿勢の軽さこそが魅力の源泉だった「しろうと感」重視のおニャン子クラブとは真逆の真剣さをおびていたんですね。
 そして、「歌手になりたい」「女優になりたい」「モデルになりたい」という各方面の志望者が集まっていた乙女塾が、ひとつのアイドルグループとしての活動をしなかったのも当たり前のことだったのですが、そのためにおニャン子クラブのような明確な母体にならなかった乙女塾は、必然的におニャン子クラブほどのネームバリューを持つ看板にはなりませんでした。
 それがそのままCoCoとribbonの苦戦に反映してしまった、と言い切ってしまうのは酷なのですが、この2つのグループがオリコンチャートの首位をとることはついにかなわず。

 ただ、CoCoのアイドルグループとしての存在は堂々たるもので、首位こそ逃したものの活動中は基本的にヒットチャートをにぎわせる存在になっていたし、伝統ある日本武道館でのコンサートを上演できる人気もほこっていました。
 私はもうほんとに三浦理恵子さんの笑顔が好きでしてねぇ~。こっちもつられて笑ってしまうようなあのお顔の崩れっぷりね! 崩れてるのにかわいいんだなぁ。
 といっても、私が三浦さんにメロメロになってしまったのは、CoCoが終わってずいぶんたってからの『ブラックワイドショー』でなんですけど……変態じゃねぇかァ!!

 ribbonはアイドルグループとしてはあまりブレイクできなかったのですが、CoCoよりもさらに「昭和アイドルっぽさ」に回帰した明るい楽曲が中心となっていました。まぁ、それが「古くさい」と言われてもやむなしな感じはあるのですが。
 しかし! やっぱり永作さんだよねぇ~、なんと言っても。他の2人はまぁ、「昭和のかわいい人だな。」といった印象なのですが、永作さんはさすが永作さんといった感じで、思わず何年前の映像だったのかを計算してしまいたくなるほどにribbon時代から変わってないの!
 ribbonは思うように人気が伸びなかったという事情もあったため、はっきりした解散活動はなかったのですが、末期の1994年ごろからすでに女優としての活動を始めていた永作さんは、のちにみなさんご存じの通りの大輪の妖花を咲かせていくことになります。こわいね~! こわいけど、お近づきになりたいよね~!!

 女優と言えば、ここいらも忘れちゃいけませんわねぇ。


東京パフォーマンスドール(1990~96年)7人組・2軍制だった
 14~19歳 篠原涼子(17歳)ら
 名前どおり、東京・原宿のライブハウス「ルイード」でのライブ活動を中心としたダンスグループ
 1軍(フロントメンバー)、2軍(ライブメンバー)、研修チームという実力本位の変動制
 CoCoと競合するが人気はいまひとつ(日本武道館コンサートは上演している)
 代表作 『ダイヤモンドは傷つかない』(1993年11月)
 グループでの活動に並行してメンバーのソロ活動も積極的におこなっていた
 1994年に主要メンバーの篠原、市井由理らが卒業し、翌1995年10月のリーダー木原さとみの卒業をもってメンバー一新
 1995年の秋ごろからは仲間由紀恵(17歳)も加入していたが、当時グループとしての活動はほぼなかった
 1996年4月の楽曲リリースを最後に自然消滅

桜っ子クラブさくら組(1991年3月~94年8月)
 テレビ朝日のジャニーズ系アイドル番組『桜っ子クラブ』(毎週土曜午後3時 SMAPやTOKIOがレギュラー出演!)のアシスタントグループ
 井上晴美(17歳)・大山アンザ(現ANZA 15歳)加藤紀子(18歳)・菅野美穂(14歳)・中谷美紀(15歳)・持田真樹(17歳) ら総勢38名
 入れ替わりがはげしかったが、基本的に15名前後のメンバー構成になっていてセンターは加藤紀子だった
 番組『桜っ子クラブ』への出演以外では、各メンバーのソロ活動が中心だった(歌手、女優など)
 5枚のシングルを発表しており、アニメ『クレヨンしんちゃん』やミュージカル『美少女戦士セーラームーン』のテーマ曲にもなる
 『桜っ子クラブ』の放送終了により解散
 メンバーが出演していたミュージカル版『美少女戦士セーラームーン』は、1998年までアンザ主演(セーラームーン月野うさぎ役)で継続

KEY WEST CLUB(1991~92年)桜っ子クラブさくら組から結成されたアイドルデュオ
 中谷美紀ら
 3枚のシングルを発表するがパッとせずにコンビ解消
 代表曲 『夢はマジョリカ・セニョリータ』(1992年8月)


 はい、東京パフォーマンスドール(略してパードル いや、ほんとですよ!)と桜っ子クラブさくら組ですね。
 この2つのグループ、パードルはライブ活動メイン、さくら組はTV番組出演メインということで、性質はまったく異なっているのですが、ともに「ソロ活動を強く押し進めていた。」という部分は共通しています。
 というか、はっきり言っちゃうとグループとしてのそれぞれは、ライブコンサートか持ち番組でしか活動しないという露出度の低さがモロに起因してかなり知名度の点で苦戦をしいられていたのです。
 露出を限定するという戦略を採ったのはあのおニャン子クラブも同じだったはずなのに、なぜこれほどまでに正反対な結果になってしまったのか?

 そりゃもうねぇ、CDがさほど売れなかったから!
 CDが売れて「あいつらいったい何者なんだ?」という注目をファン以外の世間からも集めだしたのが「おニャン子ブーム」の第一歩だったわけなのですが、そこでつまずいちゃったのねぇ。

 あとは、グループ活動に対してあまりにソロ活動が自由だったために、それぞれのファンがそれぞれの活動先でできてしまいグループのメンバーでいつづけるメリットがなくなった、ということもあったでしょう。
 そりゃそうですよ、篠原さんは『ダウンタウンのごっつええ感じ』での過酷なカラミに耐えて実力と人気はあげるは、ソロ歌手として発表した『恋(いと)しさとせつなさと心強さと』(1994年7月)は220万枚セールスというアホみたいな超絶ヒットになるは。
 市井さんはソロ活動の一環として組んだユニット「EAST END × YURI」で、日本ヒップホップ史上初のミリオンセラー『DA.YO.NE』(1994年8月)をたたき出すは。
 井上さんはセクシーグラドルとして、菅野さんと中谷さんと持田さんは女優として、加藤さんはバラドルとして名を挙げていくは。

 要するに、アイドルグループに骨を埋めるという時代じゃなくなってたんですな。まさに個性の時代がやってきたというかなんというか。菅野さんも中谷さんも「グループ活動」が似合いそうなイメージはまるでありませんからね。

 余談ですが、さくら組内のユニット「キーウエストクラブ」の代表曲に私は3rdシングルの『夢はマジョリカ・セニョリータ』をあげてみました。
 本体のさくら組にもれずキーウエストクラブもCDセールスはかなり厳しかったのですが、このやけくそともとれるタイトルの曲は、メロディだけは国民的な知名度のあるものとなっています。
 歌いだしはこんな感じです。

「踊り明かしましょうルナ  12杯目のテキーラ」
「ごめんね素直じゃなくって 夢の中ならいえる」

「こよい独り者どうし    泣きましょういいじゃない」
「思考回路はショート寸前 今すぐ会いたいよ」

 あれれ? なんか別の曲とリズムがカブってますね。じゃあサビのところは?

「ゆーめ~の~マージョーリカ~セーニョリータ~」
「つーき~の~ひーかーりに~てーらされーて~」

「あーな~たは~マタードール~」
「もーい~ちど~めぐーりーあう~」

 そうなんですよ。この曲は、かの90年代アニメ界を代表するヒットシリーズ『美少女戦士セーラームーン』の1992~96年の主題歌に使用された『ムーンライト伝説』と同一の曲なんです。歌詞がちがうだけ。
 最初、これは歌手で作曲家の川島だりあがキーウエストクラブに提供したものだったのですが、人気低迷のためにCD化される予定のたたないまま事務所にアニメ『美少女戦士セーラームーン』への楽曲提供の話が舞い込んできたため、歌詞をあらためて作り直したものをテーマ曲にして、その後はご存じの通りのアニメヒットとあいなったわけのです。ちなみに『マジョリカ』の歌詞は作曲の川島さんによるもので、『ムーンライト』は小田佳奈子さんという方によるものです。私個人としては、やっぱりわけのわかんない『マジョリカ』のほうが好きだなぁ。「12杯目のテキーラ」って! いくら恋にやぶれたっていってもそりゃ飲みすぎだよお客さん。
 そして、その時に『ムーンライト伝説』を唄っていたのは、当然のようにキーウエストクラブではなくDALI(ダリ)という4人組アイドルグループでした。DALIはこの曲の発表だけで解散するのですが、その中にいたメンバー2人がすぐにMANISHというユニットを結成し、こちらはアニメ『スラムダンク』のエンディングテーマ『煌めく瞬間(とき)に捕われて』(1995年)をヒットさせたりもしています。
 奇しくもその後にはミュージカル版『セーラームーン』に参加した桜っ子クラブのメンバーが唄ったりもした『ムーンライト伝説』だったのですが、見事に自分の手をすりぬけて国民的ヒットとなっていったこの曲を聴いて中谷美紀さんの胸に去来したものはなんだったでしょうか。

「なんか、私が唄ってた曲を、別の人が紅白歌合戦(1993年の)で唄ってる……坂本冬美とかが。」

 たぶん、のちに女優となった中谷さんが浮かべるなんともいえない虚無感に満ちたまなざしって、このあたりから生まれてるんじゃないかな。


 まぁそんなこんなもありまして、「アイドル冬の時代」のきびしさをモロに受けた正統派アイドルグループのみなさんだったのですが、みのりこそしなかったものの、パードルの創始した「ライブ活動中心のアイドルグループ」というスタイルは言うまでもなく現在のAKB48の原型となっているわけでして、しろうと感を排した洗練されたダンスパフォーマンスなどから言っても、おニャン子クラブよりもよっぽどパードルの方が現在のアイドルグループたちの直接のモデルになっているように見えますね。
 時代が遅すぎたのか早すぎたのか……ほんとに、アイドルのはやりすたりは「あざなえる縄のごとし」なんですなぁ!

 とはいえ、まだまだ続く「アイドル冬の時代」。この季節を打開する新時代のグループは果たして現れるのだろうか!?
 へへへ、もう5月も終わりになっちまうよ……でも続けてやる! なんとか総選挙終了後のAKBまでたどりついてやる!! こうなったらもうエンドレスワルツだ。わけわかんねぇやチキショーイ!

 まったじっかい~。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第11回 『ロックなアイドルグループにしてくれ』

2011年05月25日 23時04分49秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 どうもこんばんは~! そうだいです。みなさん、今日はいい日になりましたか?

 今日は私、1日お休みをとって東京に2本のお芝居を観に行きました。演劇を観たのは1ヶ月ぶりくらいでしたかね。
 観たのは、お昼から中野の劇場テアトルBONBONでやっていた劇団・張ち切れパンダ第3回公演『醜い蛙ノ子』(作・演出 梨沢慧以子)と、夜に駒場のアゴラ劇場でやっていた城山羊(しろやぎ)の会プロデュース第10回公演『メガネ夫妻のイスタンブール旅行記』(作・演出 山内ケンジ)でした。

 いや~。どっちも素晴らしかった。特に『メガネ夫妻』には本当に参ってしまいました。
 つい前回のブログで『ブラック・スワン』に「変な映画の本物のおかしさがない」という主旨の不満をぶちまけていた(おもしろかったんだけど)私なのですが、まさかその舌の根も乾かないうちに「本物の不条理」のすごみをこれでもかと魅せつけてくれる作品に出逢うことができるとは……私は本当に運がいい。
 ここまで確信犯的に現実の世界とボタンのかけ違った世界を創造できる方をさして「狂ってる」と言うのはあまりに失礼なのですが……普通じゃないね。
 『メガネ夫妻』の今日25日の夜の回をご覧になったお客さんのみなさんと役者のみなさん、あの回でゲラゲラとやかましく笑っていたの、私です。がまんしようにも、役者さんの一挙手一投足がすべてどこかでずれている異次元ホームドラマを眼前にしてどうにも耐えきれず……ほんとに失礼いたしました。
 あ~ほんとにおもしろかった。昼も夜のどちらも定員7~80名の大きくない会場だったのですが、平日にもかかわらず両方とも満員。大変けっこうなことです。
 『醜い蛙ノ子』もおもしろかったですね。決して大笑いできるテーマの作品ではないのですが、それだけになにかの再生と人間の強さを感じさせてくれるエピローグがとってもきいていました。しんみり感動。「肉親」や「きょうだい」って、矛盾まみれ愛憎まみれであたりまえなのよねぇ。

 『醜い蛙ノ子』は終演間近なのですが、『メガネ夫妻』は今月いっぱいまで上演しているようです。
 こういう時にねぇ、2回目3回目とまた観に行ける余裕と経済状況を手に入れたいんですが……時間とお金は両立はむずかしい! 今の私はどっちもねぇけど。
 城山羊の会! 城山羊の会! 私個人の感覚としましては、『ブラック・スワン』の数百倍おもしろかったよ~い。笑いすぎて観てるだけで体力使いました。


 さ~てさてさて、それでは久しぶりに「ざっくりすぎるアイドルグループ史」を再開することといたしましょうかね。
 もうなぁ……始めてしまった以上は終わりまでやらなきゃいけねぇんだよ。ちょっと休んだだけでもゴールは遠ざかっちまうんだよ。このシリーズだけは未完に終わらせるわけにはいかねぇんだ!!
 現在の時間では、かの1大イベント「AKB48総選挙」もおっぱじまってますしね。一刻も早く2011年にたどり着かなければ!

 そんなガタプス状態のタイムマシンのごとき「アイドルグループ史」、今回は1980年代後半の「おニャン子クラブ以後」の世界の続きです。
 おニャン子クラブの革命によって「守るべき聖域の多い純粋なアイドル歌手」というものが存在しづらくなった時代がはじまり、それと同時に、

「人気があるのであれば誰でもどんな世界ででもアイドルになれる新時代」

 が開幕したわけなのですねぇ。

 で、前回はバラエティ界やセクシー界、はてはプロレス界などさまざまな場所で活躍することになったアイドルグループを紹介したのですが、今回はその当時最大のムーブメントとなっていた「ロックバンド界」で活躍したアイドルグループ、的な存在をあつかってみたいと思います。
 ロックバンドブーム! 「ロックバンド」って、なかなか定義が難しいんですけどねぇ、この「アイドルグループ史」では、音楽性はおいといて範囲をめいっぱい広くした「電気の必要な楽器を演奏しているバンド」ってことにしましょうか。ざっくりにもほどがあるよ!
 まぁ21世紀に入って10年くらいたった今現在、TVの世界でロックバンドやロック出身の有名人が注目されるのは当たり前だし、さらにはその中に女性がいるのもなんの珍しさもないことになっています。いきものがかりとか、チャットモンチーとかねぇ。

 さかのぼれば、日本の歴史で最初に「ロックバンド」のような存在がブームになったのは、1960年代前期の「エレキブーム」だったようです。
 ブームの主体となったのは、やはりザ・ビートルズやベンチャーズといった洋楽バンドで、歌謡曲や演歌が「日本の歌」のほとんどだった当時の国内に、このブームを牽引する決定的なバンドが誕生することはなかったようです。
 続いて2度目に盛り上がったのが、1960年代後半にエレキブームの勢いを受け継ぐようにして発生したグループサウンズ(GS)ブームで、「ロックバンド」でなく「グループサウンズ」と呼ばれていた、ザ・タイガースやザ・スパイダースなどといった国内バンドがはじめて日本のヒットチャートをにぎわす時代が到来しました。バンドは基本的に男性のみで組まれているのが通常で、日本における「男性アイドル」のはじまりは間違いなくここだったでしょう。
 まさに、エレキブームでエレキギターなどの楽器を聴いたり手にするようになった人々が、GSブームでみずから発信していく側にまわっていったという流れでありましょうか。

 そして、1970年代に入って日本の音楽界を席巻したのが、言うまでもなく今までさんっざんやってきた「女性アイドル歌手全盛期」であるわけなのですが。

 甘いものを食べていたら、しょっぱいものも食べたくなるのが人間ってもんですよね!

 女性のスウィートな歌声や歌詞世界が大ヒットしていくその表裏一体の存在として巻き起こったのが、1970年代の後半から80年代の初頭にかけての第1次バンドブームでした。
 だいたい1977年にデビューした世良公則&ツイストの1stシングル『あんたのバラード』のスマッシュヒットにはじまり、サザンオールスターズのデビューやソロ活動を開始した矢沢永吉の大ブレイクをへて、1982年ぐらいにいったんのピークをむかえるご存じ忌野清志郎のRCサクセションの活躍あたりまでをさすこのブームは、日本で「ロックンロール」がヒットチャートをにぎわすジャンルのひとつとなる最初の原動力となりました。
 ちなみに、日本で最初に大ヒットした邦楽のロックナンバーは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(山口百恵ブームの立て役者でもある宇崎竜童がヴォーカル)の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』(1975年4月)だったのですが、「歌」というよりも「音楽つきの語り」といったほうがいいこの曲は、当時はあくまでもそのスタイルの目新しさだけが注目される突然変異のようなあつかいになっていたようです。ちょっとだけ時代が早すぎた!

 んでんで。お話はようやっと、おニャン子クラブが大暴れした1980年代の後半に戻ってきます。
 80年代の前半は、多くのソロアイドルが乱立したこと、第1次のブームをつくったバンドがあまりにも個性的すぎたことなどが起因してなかなか後続のバンドが現れない状況が続いていたのですが、後半に台頭したおニャン子クラブの、正統アイドルにも増して甘すぎる「グダグダしろうと感」の氾濫が、逆にビターでプロフェッショナルで洗練されたロックバンドの再来を望む気運を高めていきます。

 その結果生まれたのが第2次バンドブームでして、これはだいたい、1985年に発生したHOUND DOG(10thシングル『フォルテシモ』)やREBECCA(4thシングル『フレンズ』)のブレイクに始まり、BOφWYやTHE BLUE HEARTSの伝説的活躍をへて、90年代初頭のUNICORNやJUN SKY WALKER(S)の全盛までくらいをさします。
 この第2次ブームをささえたと言われるのが、まさに「ロックバンド版スター誕生」といった感じの公開オーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS 1989年2月~90年12月)で、なんといっても、約2年の放送で総勢800組以上ものバンドが出場したというこの伝説的番組は毎週土曜日の深夜0時30分~3時にオンエアされており、ということは、あの「おニャン子クラブブーム」の母体となったフジテレビの『オールナイトフジ』の真裏だったということになります。
 うむむ……フジの「おニャン子」をTBSの「イカ天」が倒した。まさしく凋落した『ザ・ベストテン』のかたきを見事にうったという感じなのですが、『全員集合』VS『ひょうきん族』みたいな火花散るライバル関係はここでも展開されていたんですなぁ。

 余談ですけど、私が聴いてるラジオの話をさせていただきますと、深夜帯でのニッポン放送の『オールナイト・ニッポン』とTBSの『ジャンク』もおんなじ構図ですよね。私は今は完全に月~土で『ジャンク』しか聴いてませんけど。

 ピーク時の1991年にはなんと500組以上ものロックバンドがメジャーデビューしたという第2次バンドブームだったのですが、この潮流がそのままX-JAPANを経由して90年代後半に隆盛したいわゆる「ヴィジュアル系バンドブーム」と地続きになっていることは言うまでもありません。

 それでですね、問題はこれらのバンドブームの中に「アイドルグループ」に相当する存在は誕生したのか、ってことなんですよ。
 「アイドルグループ」というからには、まず女性だけでメンバーが構成されているグループでなくてはならないわけなのですが、そのことにふれる前に「ヴォーカルだけが女性」という編成のロックバンドについて。
 有名なところでは1970年代に活躍したサディスティック・ミカ・バンド(ヴォーカル・加藤ミカ)や後半に登場したシーナ&ザ・ロケッツ(ヴォーカル・シーナ)がいるのですが、女性ヴォーカルバンドで史上初めて本格的にヒットチャートをにぎわせたのは、先ほどにもあげた第2次バンドブームの火つけ役となったレベッカ(ヴォーカル・NOKKO)でした。そういえば昔、友だちといっしょに当時のノッコさんが主演していた映画『スウィートホーム』を観たことあったな。ひでぇ映画だった……なにもかも。

 ともあれ、レベッカの記録的ヒットでロックバンドの中でもひとつの形態としての市民権を確保したかたちの「女性ヴォーカルほかは野郎」形式なのですが、その後は以下のようなバンドが活躍していきました。

 ラ・ムー(1988~89年 『少年は天使を殺す』1988年6月)菊池桃子(20歳)ヴォーカルのファンクポップバンド
 WILD CATS(1988~89年 『あなたと、熱帯』1988年7月)本田美奈子(21歳)ヴォーカルのガールズバンド
 BARBEE BOYS(バービーボーイズ 11th『目を閉じておいでよ』1989年1月でブレイク)ツインヴォーカルの片方・杏子が女性
 PERSONZ(パーソンズ 4th『DEAR FRIENDS』1989年2月でブレイク)ヴォーカルのJILLが女性
 LINDBERG(リンドバーグ 2nd『今すぐ Kiss Me』1989年2月でブレイク)ヴォーカルの元アイドル渡瀬麻紀(結成当時19歳)が女性
 東京少年(5th『Shy Shy Japanese』1990年11月でブレイク)ヴォーカルの笹野みちるが女性
 JUDY AND MARY(7th『Over Drive』1995年6月ごろから本格的にブレイク)ヴォーカルのYUKI(結成当時20歳)が女性

 まぁ、ラ・ムーはご愛敬ということで……ロックバンドじゃないからね、ロックバンドふう菊池桃子だからね。ロックでもなくてファンクだし。「サラダせんべい」の「サラダ」ぐらい原型を見失ってますからね。あれは「サラダ油を使ってつくってるせんべい」って意味ですから。野菜ぜんぜん関係なくなってますから。なんか『銀魂』なみにツッコミが長くなってしまいました。
 ラ・ムーとワイルドキャッツは残念ながらヒットしなかったのですが、それ以外のバンドはかなりヒットチャートをワイワイ言わせていました。
 でも、アイドルと言うよりは、やっぱりある程度ごまかしのきかない歌唱力やパフォーマンス力が必要となってきますので、みなさんアイドルよりはキャリアを積みかさねた20代になってからブレイクしているという共通項があるのが興味深いです。これは女性男性関係ないことでしょうけど。
 私としましては、やっぱり上の中ではバービーボーイズがいちばん好きだなぁ。歌も楽曲もレベルが高いし、なんといっても何かの病気の発作なのかなってくらいにハイテンションな表情と身のこなしで唄って踊り狂う2人のヴォーカルがほんとに素晴らしいです。あれはなかなかコピーは難しいよ。

 ここまでが「ヴォーカルだけ女性のロックバンド」なわけなんですけど、第2次バンドブームの中には、ちゃ~んと「完全女性だけロックバンド」もあったんですよ!
 すなわち、これこそが正真正銘の「ロックバンド界のアイドルグループ」となるわけなのですが、わが「ざっくりすぎるアイドルグループ史」に残るべきガールズバンドは2組あります。


プリンセス・プリンセス(1983~96年)5人組ガールズバンド
 結成時は16~19歳 奥井香(16歳)のメインヴォーカル
 1983年にオーディションによって結成され、翌1984年から音楽活動を開始
 1984~85年にはアイドル色の強いガールズバンド「赤坂小町」として活動していた(アニメのテーマソングなどを唄う)
 1986年からバンド名を「プリンセス・プリンセス」にあらためる
 1987年4月にメジャーデビューし、翌1988年からブレイク 
 1989年1月に女性バンドとしては史上初の東京・日本武道館コンサートを上演する(過去にはザ・タイガース、山口百恵、美空ひばりなどが公演)
 代表曲は7thシングル『Diamonds(ダイアモンド)』(1989年4月)
 1995年10月に解散を宣言し、翌1996年1月から全国ツアー『ラストツアー 解散を遊ぼう』を開始
 1996年5月の東京・日本武道館コンサートをもって解散

SHOW-YA(ショーヤ 1985~98年・2005年~)5人組ガールズバンド
 結成時は22~24歳 寺田恵子(22歳)のメインヴォーカル
 日本のガールズロックバンドの元祖(プリンセス・プリンセスよりも先にメジャーデビューしていた)
 1987年ごろには作詞・秋元康、作曲・筒美京平の楽曲を唄っていたがパッとせず
 代表曲は8thシングル『限界LOVERS』(1989年2月 本格ヘヴィメタル路線を強調)
 1991年6月のベストアルバム発売をもってヴォーカルの寺田が脱退
 1998年に解散するが、2005年に寺田がヴォーカルに復帰して再結成
 プリンセス・プリンセスのメンバーや元バービーボーイズの杏子らとともに、現在も日本のガールズロックバンドを牽引している


 いやぁ、ここはおさえとかないと。
 まぁ、おんなじガールズバンドでも音楽性はまったく違うし、SHOW-YAのことを「アイドルグループ」だと思う人はなかなかいませんよね。ガールズバンドっていうか、レディースバンドだし。
 でも、日本において史上初の本格的ガールズバンドとなったSHOW-YAと、ガールズバンド史上最大のセールスと人気を獲得したプリンセス・プリンセスの存在は、日本での「ガールズバンド」の形態を確立する重要な役割をにないました。

 特にSHOW-YA、いいねぇ~。『限界LOVERS』と『私は嵐』は素晴らしいですよ。とにかく、当の寺田さんでも調子のいい時でないと出せないくらいに高い音域をあえて設定しているところがすごいわ。まさに崖っぷちに挑戦しつづけるロッカーの心意気がありありと見えます。ギターもうまいしねぇ~!
 ぜひとも、寺田さんの役を天海祐希さんで『ドラマ SHOW-YA物語』をやってほしいなぁ。いや、私が似てるって思っただけですけど。

 ま、要するに、「アイドル冬の時代」と呼ばれていた1980年代の末期にも、前回のみなさんもひっくるめていろんな「アイドルグループ」的なみなさんが音楽シーンやTV界をにぎわせていたということなんですね。
 そして、この模索の時代に始まった多くのジャンルの中には、本格的バンドやアニメ関連など、のちにさらなる成長をとげていくものも少なくないわけなのでありました。


 はい。それでは次回は、昭和の終わりと平成の始まりを同時に宣言することとなった1989年、そしてそれ以降に時間を進めていきたいと思います。

「えっ、あの大女優さん、昔はアイドルグループだったの!?」

 っていう方がいっぱい出てくる予定で~っす。ほんじゃまた。
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粗でも野でもないけどとにかく卑!! 『ブラック・スワン』観てきたよ~

2011年05月23日 22時22分54秒 | ふつうじゃない映画
 ハハハ~イ、どうもこんばんは。そうだいです。先週はもう、梅雨こえちゃったのかってくらいに暑い日もあったのに、日曜日あたりからはまた寒い日が戻ってきちゃいましたね! カゼひかないように気をつけないと。

 私いま、「カゼひかないように気をつけないと」って言いましたよね?
 はい、これから180度真逆の行動に走ってしまった日曜日のことをお話ししたいと思います。走ったっていうか、歩いたのね、18~9キロくらい。
 もうね、まさに「バカはカゼひかない」イズムを体現した1日になったわけなんですが、もう私も30すぎですからね……いい加減にしないといけないんだけど、やっちゃったんだな~。
 我が『長岡京エイリアン』で18~9キロ歩くといえば、もうこれしかありませんよね。

「桜木町恨道中2011 豪雨 (さくらぎちょううらみのみちゆきとうぇにぃいれぶん ごうう)」!! やった~。

 そもそも私が桜木町に軽い地縛霊なみの一方的な執着をみせるようになった最初の道ゆきは、JR横須賀線の新川崎駅から横浜市街の桜木町までを歩く15~6キロの地獄行だったわけなんですが、今回はその本来のルートを再びなぞってみました。
 今のところ桜木町まで歩くときに私が選んでいるのはその「JR線ルート(途中から国道1号線と合流)」と、その東にある「京急線(国道15号線)ルート」、そして西にある「東急東横線(綱島街道)ルート」の3本であるわけなんですが、最初に経験したのが今回のJR線ルートだったものですから、そのトラウマ感たるやはなはだし! 道に迷って5時間かかるは、友だちとの集合時間はすっぽかすは、血まめはできるはカゼひくは……あ、カゼひいてんじゃん。

 当初はただ桜木町まで歩くという行為だけをねらっていたハイキングだったのですが、3本の道を歩いたりいろんな使ったことのない電車ラインに乗ったりして、加えて桜木町にほど近い場所に私がさらに執着してしまう「あるお店」を見つけたりもしまして、今年に入ってからというものの、みるみるうちにこの「桜木町恨道中」の内容は変質していきました。そんなわけで、最近はいろんなラインの新川崎駅~桜木町駅のあいだにある駅から桜木町をめざして歩き、それから横浜地下鉄の吉野町駅まで歩いて「そのお店」をたずねてからまた桜木町まで帰るというのが具体的なハイキングコースになっています。

 んでね、23日の日曜日に1人で開催した桜木町ハイキングだったのですが、今回の出発地は、すべての始まりとなったJR横須賀線の新川崎駅から南に1キロほどくだった所にあるJR南部線の矢向(やこう)駅でした。位置としては新川崎駅よりは桜木町に近かったはずなのですが、実際に歩いてみて、国道1号線に合流するまで遠回りする必要があったために、結局歩く距離は新川崎駅からとほとんど変わらないという、地味にずーんとくる事実が判明。
 とにかく、新川崎駅と桜木町駅とのあいだにあるすべての電車駅をしらみつぶしに降りてみるために、今回は新川崎駅の1コ南にある矢向駅を選んだわけなんですが……
 みんな知ってる~? 南部線って、おんなじJRでも横須賀線とぜんぜんラインが違うから、東京から矢向駅に行くとしたら、いったん桜木町により近い「川崎駅」まで東海道線で行ってから、南部線に乗り換えて北の矢向駅までのぼっていかなきゃならないんだぜ~!? 桜木町に行きたい人間がなぜ桜木町から遠ざかる! 完全に思考回路がいかれてます。

 そんな矢向駅から始めた今回のハイキングなんですが、結果から言いますと、途中で豪雨に襲われました。

 日曜日はねぇ、午前中はホンットに! 天気が良かったんですよ~。あったかかったし。
 だからね、ラジオ予報でもさんざん「昼過ぎからけっこう降りますよ。」って言ってたのに、いまいちピンとこずに「カサ重いし、いらないや。」とかなんとか判断して完全てぶらで1時ごろに千葉を出発したんですよ。
 そしたら、2時半に矢向駅を出たら完全に曇り空になってるのね。
 で、3時半ごろに国道1号線の「諏訪坂」にさしかかったあたりでポツポツきまして、モヤ~っとした空の下にボ~ンヤリとランドマークタワーが見えてきたころには土砂降りんこ。

 いや~濡れたねぇ。よくツタヤさんとかのレンタル店の邦画コーナーで、長渕剛さん主演の伝説のSF坊さん映画(本当)『ウォータームーン』って、おいてあるじゃないですか。あれのジャケット写真の長渕さんぐらいにビショ濡れになってましたね。わかりづらい?

 まぁ向かってたのはメガロポリス横浜だったんでね、道端のどっかにカサのひとつでも転がってるんじゃないかという打算もあったのですが、横浜駅をちょっと越えたところでなんとか手に入ったね、ボロッボロのビニール傘。ゴールもう近いよ!
 結局、日曜日は日が暮れるまで雨はやみませんでした。自分で言うのもなんですけど、カサをゲットするまでたっぷり正味1時間雨にうたれてカゼをひかなかったって、やっぱ……バカなんだにゃ~。

 ただねぇ、今回は収穫があったねぇ! なによりも、足の裏にまめができていない史上初のゴールになりました。しかも、時間は今までで最短の2時間半! 最初の新川崎駅スタート時の半分になったよ。
 人間のからだって、きたえれば丈夫になるんだねぇ! やってみるもんだよぉ。頭はなかなか成長しないみたいだけど。

 日が長くなってきたこともあって、夜じゃない桜木町を見たのも初めてになりましたね。つかめてきたぞ~、「楽しい恨道中」。私の怨念も成仏まであとすこしだ!

 で、実質的なゴールになっている「吉野町のお店」なんですが……前より早い夕方5時半にたどり着いた今日も、閉まってました。
 でも今回は、たしか先月にはなかったお店のポスターとカードがシャッターの近くにはりだされてありましてね、

「土日不定休」

 だって。まぁいいよ! 次回こそ、必ず店内に入ってみせる。


 で、で! 今回の本題はハイキングじゃないのよ。そのあと観た映画のほうがメインなの。
 いつもどおりね、そのお店からトボトボ桜木町に帰ってきて、それから駅に隣接しているビル内のシネコン「ブルク13」に入ってキャラメルジェラートを食べて、

 観たんですよ~、ウワサのバレエスリラー映画『ブラック・スワン』(ダーレン=アロノフスキー監督)を!

 いや~まいっちゃいましたね。私、「バレエもの」といえば、「こわい白目を描かせたら天下一」の山岸凉子大先生のマンガ諸作しか知りませんし、そのお凉サマの作品にも同タイトルの短編があったので、てっきりそういった氷のようなコールドプレイが展開される作品なのかとたかをくくっていたのですが……

 あんなに「俗っぽい映画」だったとは思わなかったね!! 観ていて思わず頭に浮かんでしまった第一印象が「マンガみたい」だったんですけど、この言い方はプロのマンガ家のみなさんに失礼だわ。少なくとも山岸先生はこんなうすっぺらい作品は描かないと思います。
 なんだか言い方がずいぶんと手キビしい感じになっておりますが、まず最初の大前提として、私はこの『ブラック・スワン』をじゅうぶんに楽しんでおります。
 だって、1時間半電車に揺られたあとに20キロ近く歩いて、いったんはズブ濡れにもなっていた人間が、眠くもならずに最後まで集中して観ることができたんですからね。「物語がうすっぺらい」ってことも、約2時間で話をシメなきゃならない映画である以上は、ひとつの選択肢としてありうることかとは思います。それ自体は別に悪いことではないでしょう。

 たださぁ。アカデミー主演女優賞はおおいに賛成なんですけど、それ以外は本当に「チャラい」つくりの映画ですよね。お話も監督の手腕も。
 もちろん受賞はしなかったわけですが、「アカデミー監督賞」にノミネートされたということさえ、私にはとても信じられません。

 パンフレットを読んだら、この『ブラック・スワン』がバレエ界の一部に批判を浴びているということにふれて、監督が「それだけ本当のバレエ界を描く作品になったからだ。」とか語っているんですけど。
 そうじゃねぇだろう。これ、「バレエ界VS映画界」みたいな高いレベルで議論されるべき作品じゃないよ。バレエうんぬん関係なく、単純に監督のセンスが好きじゃない人が多いってだけですよ。

 とにかくね、最初から最後までもんのすんご~く「まっとう」な進行のしかたをする物語なんですよ。ほんとにNHKの朝ドラか民放の昼ドラみたい。
 前半は、主人公のナタリー=ポートマン(以下、ぽっちゃん)演じるいち若手バレエダンサーが、所属するバレエ団の一大イベントとなる公演『白鳥の湖』のプリマ(主役)に抜擢されるにあたってのドロドロ劇。そして後半は、突然ふりかかってきたプリマの重圧に苦しむぽっちゃんがさまざまな虚実いりみだれる幻影の世界に迷いこんでしまうというところから急転直下のラストへ。

 こういった感じなんですけど、前半は抜擢されたぽっちゃんへの嫉妬に狂う面々の描写もありきたりだし、「なんで私がこんな目にあうの?」みたいなぽっちゃんのリアクションもどこぞの少女マンガで見たような定番のふぜいです。
 かといって、途中からはどんどん、ぽっちゃん目線からみた「現実なのか幻覚なのかがわからない不可解な出来事」が連続して起こってくるわけなんですけど、その「みよ~ん」な空間の歪み具合も、どこぞのB級ホラー映画か、「変なのできちゃった。」映画で見たことがあるものばっかりなんですよね。
 こう言っちゃなんなんですけど、監督はかなり「まじめ」か「理屈っぽい」人間だと見ました。思いっきり不条理なはずの幻影も最終的には破綻してないんですよ。

 たとえば、なんせ「スリラー映画」なもので展開の詳細は言いたくないのですが、後半で自暴自棄になったぽっちゃんが経験してしまった「一夜の体験」にたいして、監督は映画の中で、その翌日にぽっちゃんに会った登場人物にわざわざ、
「それ、現実じゃないわ。まぼろしよ~。」
 みたいな内容のセリフを言わせるシーンを用意してるんですよ。

 私、このくだりで完全にさめてしまいました。
 ええ~……そこはうそかほんとかわかんないフワッとした感じのままでいいでしょ? そんな、翌日すぐにハッキリ答えを出さんでもいいだろうよ。そんなこと、キューブリック師匠とかリンチ兄さんだったら余裕ガン無視で話を進めてるとこよ!?

 この『ブラック・スワン』は、やたらセクシャルなシーンとか痛そうなシーンとかが出てくるんですけど、なんか全体的に「1人のふつうの人が変な作品を作ろうとして思いついた感」がぬぐえないのよね。
 最終的なぽっちゃんの役のおとしどころも、まさにマンガみたい。あれじゃあ、結局なんの救いも主人公の成長もないまま映画はおしまい、ってことになりますよね。
 いろいろ言いましたけど、この映画は「ふつうの人が計算して変な映画を撮ったらこうなる」という例の典型だと思います。私はそういう意味ではアロノフスキー監督という人を再確認することができた気がしたので収穫はありましたが、あらためて好きにはなれないな、と感じました。
 ただ、実にすみずみまで整理整頓された映画だったんでねぇ。話もわかりやすいし、キャストのみなさんもキレイどころばっかりだし。今、映画館で気軽に観るにはうってつけの作品ですよ。スカッとはしないけど。

 ここまで読んでこられた方、「おまえ、ほんとにおもしろかったのかよ!?」って思ってらっしゃるでしょう?

 いやいや、私は充分に楽しみましたよ。

 この映画の「真の」おもしろさはね、そんな感じの作品の俗っぽさと、主演のぽっちゃんの気品とが200%ミスマッチになってるってところなの!
 作品がこんなうすっぺらさであればあるほど、そんなものに、あのハリウッドを代表する知的スター・ぽっちゃんが、異常なまでの気合いの入れ方で全身全霊をそそいでド真剣に取り組んでいるという違和感がきわだってくるんですね。
 ぽっちゃんが母子アパート暮らしで無名のダンサーなわけがないじゃない……地下鉄に乗って毎日稽古場にかよってるわけないじゃない……「かわいいね。」って男に言われてとまどうわけないじゃない……
 しかし、気丈に気高く、ぽっちゃんはこれらの無理のあるミッションをなんなくこなして話を進めていきます。ぽっちゃんが顔丸だしで地下鉄に乗ってたら、あんな程度のチカンじゃすまねぇだろ!

 これは素晴らしい。まさしく「空気を読まないこと」がスターの条件。ここでぽっちゃんが映画のレベルにあわせて力をセーブしていたら、それこそ目も当てられない「やっすいドラマ THE MOVIE」に堕ちきっていたことでしょう。
 監督がどこまで計算していたのかはわかりませんけど、「こんなに下世話な作品にぽっちゃんが出ている。」という唯一の説明不能な不条理さが、この映画の最大の魅力となっているのです。
 要するに、効果音とかCGとかを弄して監督がコチャコチャやっていた小細工なんて、「本物の不思議」の前ではなんの役にも立たないってことなんですよ。CGといえば、クライマックスのシーンでのCGの使い方にはぶったまげちゃいましたね。
 監督はさぁ、「人間」があえて『白鳥の湖』で「鳥」を演じるってことを、そんな程度にしかとらえてないわけ? って思っちゃいましたっ。ぽっちゃんに失礼よ! あやまりなさいよ、男子~。

 まぁ、こんなわけでね……最終的に私が言いたいのは、

 ウィノナ=ライダーがあんな役をやっててくやしかった。でも「おめおめと生きてやる」みたいな気迫を垣間見てうれしくもあった。

 ってことと、

 ぽっちゃん、元気な子ども産んでね~!

 ってことですね。

 よ~し、私も明日からがんばって生きていくぞ~。
 まずは、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」の再開から……はぁ~い!
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