長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

プライベートな文明開化と宇宙刑事ギャバン

2012年01月31日 23時40分21秒 | 特撮あたり
 うをををを!! す、すべてが新っすぃいいい~!!
 どうもこんばんは、そうだいでございます。2012年の最初の月も、気がつけばもうおしまいですねぇ。

 にんともかんとも....他人様にとっては心底どうでもいいことであるのは承知の上で言ってしまうのですが。


いや、ござんなれ7(セブン)さん!! 私の電脳生活のすべてが一変してしまった。


 すげぇんだよ、すげぇんだよ。


 なにがすごいって、あぁ~た、

1、ページがひらくのがものすごくはやい

2、基本的にひらかないページがない

3、ウィキペディアなどで文字バケして読めない項目がない
 *私はこれまでは、ウィキペディアの転載されているものを読むか、文字バケして「□」になっている部分の数をかぞえてそこの単語を推測するかしてなんとかしていました。

4、ニコニコ動画が「コメント字幕あり」で楽しめる
 *言うまでもなく、これまではコメント字幕の情報量に対応できなかったために観ることなど夢のまた夢でした。 

5、情報量の問題でまったくひらけなかった google map がなんなく見られる
 *これまではいくらサイトで検索しても、最終的には道ばたに立っている地図板をフル活用するしかない日々でした。昭和の刑事か!

6、モニターがあかるくて画像がきれい

7、デスクトップのコードがぐっちゃぐちゃで『AKIRA』みたいになっていた部屋の一画がすっきりした

8、パソコンを起動しながら眠りにつくことができる


 やっぱ、わたくしとしましては「8、」がいちばんビックラこいたなやぁ。
 だって、私にとってのパソコンは、

ヴヴいぃいい~ん!!

 って爆音を立てながら高熱を発して精いっぱい働いてくれるマシーンっていうイメージしかなかったんですからね。ちゃんと電源を消さないとうるさくって眠れやしねぇ!


 それでも、10年間いっしょにやってきたわけよ。まさに「いかだ」でしたねぇ。もしくは、『カリオストロの城』の崖から落ちる寸前のルパンのフィアット。


 ということでして、今現在はそんなデスクトップにいよいよ別れを告げさせていただきまして、真新しいノートパソコンに向かってえっちらおっちらこの文章をつづっているというあんばいなのでございます。
 モニターもそんなに小さくなったわけじゃないので基本的に何もかもが快適なのですが、キーボードがちょっとコンパクトになったのがまだまだ慣れませんやねぇ。ほんとに軽いタッチでうてるのね、今日びのキーボードって。

 でも、アレなんでございましょう? 最近はノートパソコンよりも小さなバインダーみたいなサイズのパソコンだってあるんでござんしょ奥さま? 「あいぱっど」とかなんとかいいまして。こわいわぁ~。ってか、パソコンの機能はケータイで充分になっている時代なんですもんね。私は常にとりのこされている。

 んだがしかし!! 私はノートパソコンで大満足なんでございますよ。ンなぜならばぁ!!


よかった点その9、DVD が観られる


 これだァア!! え? 青いデスク? しゃねず(知らないよ)そんなの!

 今まで2年近くの長きにわたって眠り続けていた私の大好きDVD 棚がついに封印開放! 大変なことが起こってしまうぞよ....八つ墓明神さまはお怒りじゃ~。

 もう観ましたよ~。復活DVD 第1号。

 え? なにを最初に観たかって? 愚問なりィ。それこそ他人様にとっては死ぬほどどうでもいいことなので、秘密にしておきましょうね。


 とにもかくにも、私の2012年1月はこんな感じでバタバタと幕を閉じていくのでありました。来月はいつもの年より1日だけ長いそうですけど、今月とおんなじかそれ以上に、いい意味で大忙しな月になるといいなぁ~。


 さてさて、「バタバタ」と言えば、月末のバタバタついでに昨日30日、私は1日お休みをいただいて東京にお芝居を観に行き、さらには恒例の「桜木町散歩」をへての映画鑑賞としゃれこませていただきました。


 まず、お昼に東京の大塚・萬(よろず)劇場で観たお芝居は、

Q-code blue 第1回公演 『THE B.B. トキヲメグル・ハジメテノ・キオク』(脚本・演出 渡辺光喜、主演 進藤学)

 でした。

 なんでも、主演の進藤さんはミュージカル版『テニスの王子様』への出演で大いに名を上げられた方なのだとか。確かにイケメンで声も通ってました。お客さんも若い女性が多かったし、私が行った回なんて平日月曜の昼間だったのに、座席130の会場はけっこう埋まっていました。

 この『長岡京エイリアン』をご覧になってお察しの通り、イケメン男性には無意味なねたみこそあれ興味などあろうはずもない私が、どうしてまたこういったお芝居を観に行ったのかと申しますと、そりゃまぁ知り合いの女優さんが出演していたからというそっけないきっかけだったわけなのですが、いやぁ~内容が新鮮でよかったですね。


 クリスマスイヴの夜、想いがすれ違いはなればなれになってしまった恋人同士が、大都会の街角に現れる不思議な人々と出遭うことによって「ほんとうに大切なもの」を見つけていく物語。


 う~ん、クリスマス....なぜ年が明けた1月下旬にやる?

 すぐ目の前で本格的な激しいダンスが観られたことはすばらしかったのですが、内容が、少なくとも私にとっては寸毫も実感のわかない「対岸の火事」どころか「太平洋をはさんだ北アメリカ大陸のネブラスカ州カーニー市で開催されたとうもろこし早食い大会の順位結果」なみに距離のあるものだったので、私の中での関心が役者さんのフレッシュさくらいにとどまってしまったのが残念でした。

 ほかのお客さんは楽しんでおられたようですが、「せっかくのイヴなのに、恋人と一緒に過ごせないなんて!」というフラストレーションをかかえた主人公たちの奮闘を見せられましても、ねぇ。要するにこれって、

「ヒエやアワを食べてなんとか生きている農民の前で、おかずのない白米生活のつらさをなげくおさむらいさんのお芝居をやる」

 みたいなもんだと思うんだな。

 まぁ....一揆ぐらいは覚悟してもらいたいよね。最悪、フランス大革命までいってもおかしくはないよね。
 いやいや、大半の人にとってのクリスマスイヴとはそういう日なんでしょうな。日本もこういうお芝居が上演されるほどに欧化してけっこうなことでございます。実際は「欧化」でもないらしいんですけど。


 さて、そんなお芝居も夕方に観終えまして、なにやら言い知れぬモヤモヤをかかえて桜木町へと向かうこととなりました。

 今回はもう、ゴールの桜木町にたいして5キロと離れていない距離にある「JR 東神奈川駅」(横浜市神奈川区)からのスタート。

 いいかげんにこの散歩もおしまいですな。だって、30分程度で着くくらいに近づいちゃったんですから。
 桜木町駅前にあるシネコン「ブルク13」もいい所なんですけど、いかんせん電車賃がかかっちゃうんでねぇ。来月ぐらいにもう1回桜木町に行って映画を観て、それでこの「桜木町をゴールにした散歩」のくわだては終了ということで。もっと東京都内の映画館にも行ってみたいですしね。

 昨日そのブルク13で観た映画はこれでした。


『海賊戦隊ゴーカイジャー VS 宇宙刑事ギャバン』 (監督 中澤祥次郎、脚本 荒川稔久)


 そりゃあ、「クリスマスは恋人と。」って言われても実感わかんわ!!

 でも、これは昨日観ることができて大正解だったなぁ~。なんか、いろんな日常でのあれこれを忘れさせてくれる「ザ・エンターテインメント!」といったおもむきで、私は非常に楽しむことできました。

 なにはなくとも「宇宙刑事ギャバン = 一条寺烈 = 人間・大葉健二」の魅力に尽きる作品でした。

 はっきり言いまして、この映画は私にとっては「知らない要素ばっかり」の疎遠な題材が2つならんだものだったので、公開情報がアナウンスされた当初はさほど興味の引かれるものではなかったんですね。

 この『長岡京エイリアン』では「特撮好き!特撮好き!」と何かに憑かれたかのように連呼している私なのですが、私の特撮愛の起点となったものは「東宝怪獣映画」と「円谷プロ作品」、そして「昭和仮面ライダーシリーズ(BLACK まで)」。
 つまり、「スーパー戦隊シリーズ」と『宇宙刑事ギャバン』から始まる「メタルヒーローシリーズ」は完全な門外漢!

 まず日曜日の朝に早起きすることはきつくてできないし、『ギャバン』にかんしても、放送された1982~83年には、私はTV でやっているものの内容がいまひとつ理解できない完全無欠の幼児だったため記憶はまったくなく、なんとなくちょい年上の友だちや親戚のもっていた弁当箱かシューズにそんな銀色のキャラクターがプリントされていたかなぁ、といった程度だったのです。

 この2シリーズについては、ふつうの子どもとしてリアルタイムで観ていた1作品ずつにしか夢中になれなかったんですよ。たぶん、最終回がきたら応援していた戦隊やヒーローの功績が自動的にスコーンとリセットされて新しい物語が始まってしまうことに、ガキンチョながらも少なからぬ違和感を感じたのではなかろうかと。

 ちなみに、私が夢中になった戦隊シリーズは『電撃戦隊チェンジマン』(1985~86年)で、メタルヒーローシリーズは『超人機メタルダー』(1987~88年)でした。『ギャバン』には間にあわなかったんだなぁ~!

 そんなていたらくだったので、まったく知らない『海賊戦隊ゴーカイジャー』の物語をベースにして、伝説の宇宙刑事ギャバンがおよそ30年ぶりに復活するという今回の作品は、場合によっては最初っから最後まで「ポッカーン....」になりかねない危険があったわけなのですが。


 いや~、杞憂、杞憂。わかりやすかったし、物語のすじ以上にギャバンの存在感がものすごい牽引力になって私をひき込んでくれました。

 しびれたねぇ~。大場さんのアクション!! 50代なかばなんでしょ? そんな馬鹿な!

 あの、「往年にお父さんが夢中になったヒーローがウン十年ぶりに復活!」という趣向はここ数年の特撮作品の定石となっているおもむきがあるし、確かにこの作品もそこが大きな売りになっているわけなんでしょうが、そのあたりの歴史をいまひとつ知らない私にとっても、メタリックシルバーにギラギラと輝くギャバンは唖然とするほどカッコよかったし、それに蒸着(変身)する一条寺烈こと大葉さんの存在感は感動もの以外の何者でもありませんでした。

 大葉さんのアクションは、なんといってもそのにごりのない両目の「視線の動き」に味わいというか魅力があるんですよね!

 決してルーチンワークの振り付けのようにバトルアクションをこなしているのではなく、今、渾身の力をこめて殴った相手にとどめをさしたことをしっかりと確認してから、次に横から来る相手の動きを見て、そこから繰り出される攻撃の「ありえる攻め手」を何パターンか想定して、それに対するベストのリアクションを選択してジャンプ&キック!! といった、予定調和のないリアルタイムで頭を使った肉弾戦のように「見せる」目の演技が大葉さんはすんばらしいんです!! 相手をちゃんと見て立ち回っている。まさに嘘偽りのない豊富な経験のたまものですよ。

 もちろん、若さでスピーディに立ち回る現役戦隊の役者さんがたや、重いスーツをまといながらも常に第一線で丁々発止のアクションを展開するスーツアクターの皆さんも当然いいわけなんですが、やっぱり大葉さんは別格に見えたんですよねぇ。


 この映画は1時間ちょい(64分)のコンパクトな作品なのですが、そこらへんの軽さを大いに逆手に取ったアクションシーン満載の構成になっているのも良かったなぁ。作り方に迷いがない疾走感が心地いいんだ。

 やっぱり、かつて作品のタイトルをかざった経歴のあるヒーローを復活させるからには、それだけの「お膳立て」をちゃんとしてさしあげないと呼んだ意味もないし、ヒーローご本人もファンも喜ばないということなんですよね。いくら向上した特撮技術で今風にカッコよくリファインしたのだとしても、そのヒーローが復活しなければならなかった「必然」がしっかりしていなければ、それは外見が似ているだけのニセモノになってしまうのではないでしょうか。この前に観たあの映画での「怪傑ズバット」の扱いは実に哀しかったなぁ。オリジナルの本人が演じていただけに、かえって蛇足感が増していましたね。

 私がブルク13 で観た回は、なんと子ども向けの映画としてはちょっと珍しい「夜10時ごろから上映」の回だったのですが、まぁ~まんまとアラフォーの「ギャバンファン」が集まりんさる集まりんさる! 私も見た目は完全にその1人なんですけど。
 時間も時間なので子どもは1人もいなかったものの、ギャバンの登場から最後のエンドロールまで、終始「うおお!」とか「出た~!」とかいう声が、マニアの自己主張でなくごくごく自然な反応であがっていたのにはえらく感動してしまいました。ギャバンの宇宙刑事魂は、確実に子どもたちの心の中に30年間生き続けていたんですねぇ。


 大葉さん大葉さんと言ってきましたが、TV 放送の撮影も終盤に入ってきてキャラクターづけも定着してきたゴーカイジャーの面々が非常に役者さんとして魅力的だったのも良かったですね。なんだかんだ言っても主人公の6人がしっかりしていなくてはならないわけで、特に今回の場合はキャプテン・マーベラス(ゴーカイレッド)役の小澤亮太さんの表情が絵になっておりました。

 そんな小澤さんを、実の親であるかのような慈愛に満ちた瞳でみつめる大葉さんの顔も良かった!
 無数にあるヒーロー作品の中でも、大葉さんのようにファンの記憶に長く生き続けることができる役者さんはそう多くはないわけでして....
 「戦隊ものに出演していた」という経歴とどう向き合いながら、本放送終了後のキャリアをかさねていくのか。実に深い大葉さんと小澤さんとの視線のやり取りでした。


 佐野史郎さんは楽しそうにやってましたね~! あの人、声がぜんぜん年取らないんですが、そのまま還暦を迎える算段なのでしょうか。つくづく変な人だ。

 そういえば、『ゴーカイジャー』といえば私の大好きな韮沢靖さんがキャラクターデザインを担当していることも見逃せないんですけど、韮沢さんのほっそりしているはずのキャラクターが、映像化されたとたんにむくつけきマッチョボディに変貌しているのは、何度見てもおもしろいですねぇ~! もちろんアクション用のぬいぐるみであるからなんですけど、ここから意外な魅力が生まれるからいいんだなぁ。インサーン、ちょっとしか出てなかったけどいろっぽかったな。


 とにかく、今回の『ゴーカイジャー VS ギャバン』は大葉さんのキレッキレの現在の勇姿が観られるという意味で、これ以上ないタイミングでつくられた至高のエンタテインメント作ですよ。ギンギラギンの21世紀ギャバンは、ぜひとも迫力ダイナミックなスクリーンで!!


 ....え? 『信長の野望』? また来月! 調べもので疲れちゃったから、またしばらくしてからやりますよ~い。
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下天は夢だ!! パソコンも換えるので 『信長の野望』を勝手に回顧しよう  資・料・編

2012年01月28日 23時24分29秒 | 日本史みたいな
 どうもこんばんは! そうだいでございます。みなさま、今日も一日お疲れさまでした!


 いや~、いよいよこのデスクトップパソコン(ウィンドウズMe )とも永のお別れよ。
 この回の更新が終わったら、10年以上つみかさなった思い出データの数々もまるっと消去でございますからね。


 ということで、今回はこのパソコンで何百回とプレイしてきた、私の大好きな歴史シミュレーションゲームの回想です。最近昔話ばっか!!


『信長の野望』シリーズ(制作・コーエーテクモゲームス)


 世話になったねぇ。

 時には笑い、時には感動し、時にはついついアツくなりすぎて「おのれ信長ァ!!」とマウスを床にたたきつけて粉砕してしまったこともありました。思い出すだにおのれの正気を疑います。

 で、今回はその資料編! 2009年発売の最新作(2012年1月現在)までの、超人気シリーズの悠久たる歴史の奔流をご覧くださ~い。


第1作『信長の野望』(1983年4月発売 のちにプレイステーションなどでも再発売)
・ゲーム範囲は北陸・中部・東海・近畿地方の17ヶ国で、各国1家ずつの大名が登場
・プレイヤーは織田信長か武田信玄のどちらかを選択してプレイする
・シナリオは「1560年春からスタート」のみ
・伊賀国の大名は百地三太夫ということになっている
・大名の顔画像は登場せず、BGM も一切ない


第2作『信長の野望 全国版』(1986年9月発売 のちにファミリーコンピュータなどでも再発売)
・ゲーム範囲は日本全国50ヶ国に拡大
・前作と同じ「17ヶ国ヴァージョン」もある
・シナリオは「1560年春からスタート」のみ(再発売されてからはシナリオが複数となる)
・プレイヤーは全国各地の大名のいずれかを選択できる
・全国の大名の顔画像が初めて登場
・「台風」「飢饉」といった自然災害や、領民の「一揆」が発生する
・大名は配下の忍者を使った「他国のかく乱工作」ができる
・大名は後継者のいない「一代かぎり」で、その人物が死亡すると勢力全体が滅亡してしまい、領地は隣国の他大名のものとなる
・したがって、戦争を起こさずとも忍者を使った「大名の暗殺」のみで領土を拡大することができる
・戦争時の部隊の兵科が「足軽」「騎馬」「鉄砲」に分化
・堺と京に商人が常時在中している
・「1582年6月」に本能寺の変が必ず発生して、織田信長の領土は明智光秀・羽柴秀吉・柴田勝家に3分割される


第3作『信長の野望 戦国群雄伝』(1988年12月発売 のちにファミリーコンピュータなどでも再発売)
・初めて大名の家臣となる「武将」が登場し、キャラクター数は一挙に約400名となる
・そのため、プレイしている大名が死亡したとしても、配下の武将がいればそのうちの誰かを後継者に選んでゲームを続行することができる
・歴史上「殺害」「自害」以外の理由で自然死した武将は、ゲーム上はその没年の「3月」にかならず死亡する(この後のシリーズでは、没年が史実と多少ずれる)
・情報容量の問題から、ゲーム範囲は東北・九州地方が含まれない38ヶ国に縮小
・ただし、東北武将の伊達成実(しげざね)だけが「浪人」として登場する
・初発売時からゲームにBGM が導入されるようになり、「織田信長」と「それ以外の大名」との2種類のゲーム音楽が流れる(作曲・菅野よう子)
・「内政」や「戦争」などでの行動力は各武将の「政治力」で決まっており、頭のいい武将は1ターン(1ヶ月)のうちでも多くの仕事をこなすことができる
・戦争に「夜襲」「籠城戦」が導入される
・大名も含めた各武将は戦闘部隊の兵科が「足軽」「騎馬」「鉄砲」のいずれかに固定されており、変更はできない
・領土を拡大した場合、プレイヤーは各国に必ず最低1名の武将を配置していなければならず、武将が誰もいない国は支配できなくなってしまう
・足利幕府が全国に特定の大名の「追討令」を発令できる
・政治力と戦闘力の数値の合計が「150」以上の武将は「軍師」となり、大名にプレイ上の助言をしてくれる
・シナリオは「1555年」と「本能寺の変発生直前の1582年」の2種類
・前作に続いて本能寺の変は発生するが、場合によっては謀反が失敗して織田信長が生き延びる可能性もある(その場合、明智光秀は浪人となる)


第4作『信長の野望 武将風雲録』(1990年12月発売 のちにスーパーファミコンなどでも再発売)
・ゲーム範囲がふたたび日本全国48ヶ国に拡大
・登場する武将数も約700名に増加
・ゲームのBGM も増加して「織田信長」以外に「武田家」「上杉家」などの有名大名専用の曲が用意されている(作曲・菅野よう子)
・内政コマンドに「茶器」と「茶会」、戦争コマンドに「海戦」と「鉄甲船」が導入される
・「内政」や「戦争」などでの行動力はその国を直接支配している代表武将の「政治力」ごとで決まっており、リーダーになった武将の頭のよさでできる仕事の量が大きく左右される
・他大名に内応した家臣の武将が乱心する可能性が発生する
・国ごとの文化値が導入される
・「山師」「金山商人」「闇商人」「鉄砲鍛冶師」「鉄甲船鍛冶師」「富山薬商人」が登場する
・「茶人」「宣教師フロイス」「絵師」が登場する
・技術革新を重ねれば、どの国でも「鉄砲」と「鉄甲船」の製造が可能になる
・本願寺派が日本全国で一向一揆を煽動できる
・シナリオは「1555年」「1571年」の2種類であり、織田信長死後の隠しシナリオ「1582年」もある
・大名が勢力を拡大すると、征夷大将軍に就任することができる


第5作『信長の野望 覇王伝』(1992年12月発売 のちにスーパーファミコンなどでも再発売)
・ゲーム範囲は全国60ヶ国170ヶ城に拡大
・「国単位」でなく、全国各地に存在する「本城」と「支城」とを各個占領していく「城単位」の戦略ゲームに細分化
・「本城」と「支城」は単に堅固さが違うだけでそれぞれ独立しており、ある国の本城を陥落させれば自動的に支城も総取りになるという関係はない
・登場する武将数は約900名に増加
・朝廷に金銭を献上して官職を授与できる「官位昇進」が導入され、その官職を家臣に与えることによって忠誠度を上げる「官位叙任」が可能となる
・他大名を従属させる「優位同盟」の戦略が立てられるようになり、全国を支配していない状態での天下統一が可能となる
・敗北した大名は必ず自害する
・家臣に土地を与える「知行制」を初めて本格的に導入した「論功行賞」や、「感状発行」「一字拝領」ができるようになり、主君と家臣の関係がよりリアルになる
・家臣を追放したり切腹させることが可能となる
・シナリオは「1551年」「1568年」「1582年」の3本


第6作『信長の野望 天翔記』(1994年12月発売 のちにスーパーファミコンなどでも再発売)
・ゲーム範囲は全国214ヶ城に拡大
・登場する武将数はついに約1000名となり、シナリオの増加によって「徳川家光」などの「江戸時代」の人物も登場するようになる
・家臣の身分が「足軽頭」「侍大将」「部将」「家老」「宿老」と細分化され、それぞれの戦争時での兵士動員数に差がもうけられる(足軽は最大3000名で宿老は最大10000名)
・1回の戦闘で最大9城までが戦域となる(つまり、一気に8つの城を手に入れることも可能なのだが、当然ながら逆に広い領土を失うこともある)
・武将のまったくいない敵勢力の城も、城門を突破して本丸を陥落させなければ占領できないシステムとなる
・自分で選択した家臣に領土の広い地域の支配を任せられる「地方軍団支配制」が初めて導入される
・プレイヤーの作業が膨大になっていた前作『覇王伝』での「知行制」導入がいったん廃止される
・前作『覇王伝』での「従属同盟を含めた天下統一」システムが廃止され、武力での天下統一のみでゲームが終了する
・ゲームのターンが「1ヶ月」でなく「1季節(3ヶ月分)」となっていて、進行がスピーディになっている
・武将によって兵科や内政での仕事内容に得意不得意が生まれる「適性」(E~Sクラス)が設定されている
・得意な兵科や仕事を繰り返すことによって武将の能力が成長していく「教育システム」も導入されている
・従来の「足軽」「騎馬」「鉄砲」の他に、騎馬隊の機動性と鉄砲隊の攻撃力を併せ持つ「騎馬鉄砲隊」を編成できる武将(伊達政宗など)が登場する
・「忍者」「僧侶」「剣豪」「茶人」などの特殊技能のある武将が登場し、特に「斎藤道三」や「毛利元就」らの武将暗殺能力はプレイ上の大きな脅威となる
・シナリオは「1534年」「1546年」「1560年」「1571年」「1582年」「1599年」に拡大し、「織田信長の元服前の時代」と「関ヶ原合戦直前」の世界でプレイできるようになった


第7作『信長の野望 将星録』(1997年3月発売 のちにプレイステーションなどでも再発売)
・城ごとの内政によって城下町のグラフィックが目に見えて変わっていく「箱庭内政システム」が初めて導入される
・「箱庭システム」の情報処理のため、ゲーム範囲は全国40ヶ城、登場する武将数も約600名(『戦国群雄伝』~『武将風雲録』の規模)に縮小されている
・前作『天翔記』での「地方軍団支配制」がいったん廃止され、ふたたびプレイヤーが全領土を直接支配する形式に戻る
・前々作までの「同盟戦略を含めた天下統一」と「1ターン1ヶ月制」が復活しているが、他大名との同盟関係には期限があり、更新しないと自動的に消滅する
・城を改修、強化することにより、城下町の内政範囲を拡大して収入を増加させることができる
・この作品から、戦闘可能な兵士を集める「徴兵」がプレイヤーの手動でなく、その城の規模によって自動的に進められていくシステムに変更される
・武将の特殊技能に「キリシタン」が追加
・将軍・足利義輝の名刀「鬼丸国綱」で、攻城時に強制的に敵城の城門を破壊することができる特技「斬鉄剣」が可能
・武田信玄、真田信繁(幸村)は戦闘時に本陣を移すことができる特技「影武者」が可能
・シナリオは「1551年」「1560年」「1570年」「1582年」


第8作『信長の野望 烈風伝』(1999年2月発売 のちにプレイステーションなどでも再発売)
・前作『将星録』の「箱庭内政システム」が継承され、ゲーム範囲は全国64ヶ城に拡大
・登場する武将数は約900名(『覇王伝』の規模)に増加している
・大名の「威信(名声)」が初めて導入され、この数値が上がると外交戦略などが有利に進められる
・プレイヤーによる支城の建設や、特産品の生産、街道の敷設が可能となる
・内政で複数の家臣が同一の仕事に従事することが可能になり、作業スピードが効率的になる
・戦闘規模が拡大すると部隊の陣形戦略が導入される
・攻撃方法に「槍」「弓」が追加される
・武将の戦闘特技に「鉄砲三段撃ち」「焙烙火矢(大砲)」が追加
・キリシタン大名は「十字架」による戦闘特技「天罰雷撃」ができる
・外交に実際の距離に従ったタイムラグが発生するため、遠方の他大名への戦略は相応の時間がかかる
・大名家に誕生した娘を家臣にすることができる「姫武将」が登場し、プレイヤーの選択によっては次期大名となることも可能
・シナリオは「1546年」「1551年」「1560年」「1570年」「1582年」


第9作『信長の野望 嵐世記』(2001年2月発売 のちにプレイステーション2などでも再発売)
・前作までの「箱庭内政システム」は廃止されているが、月ごとに城下町のグラフィックは変化する
・ゲーム範囲は全国135ヶ城に拡大し、登場する武将数も約1400名と大幅に増加している
・『覇王伝』での「知行制」と『天翔記』での「地方軍団支配制」が復活
・「国人」「一向宗」「キリシタン」「旧仏教」「水軍」「忍者」「商人」「朝廷」といった諸勢力が全国各地に独立して存在し、それらとの交渉も重大な政治案件となる
・諸勢力との関係が親密になると、鉄砲を献上されたり官位を叙任されたり、家臣の武将を鉄砲隊適性や水軍適性を覚醒させる「修行」に出したりすることができる
・「水軍」の村上武吉や「忍者」の風魔小太郎など、独立勢力の人物が大名家に仕官して武将となる場合もある
・「奉行システム」の導入により、プレイヤーが指名した家臣が自動的に内政を行っていく
・兵科に「大砲」「荷駄(かだ 戦闘に必要な兵糧を運搬する)」が追加される
・血縁の武将か婚姻関係を結んだ家臣しか大名の後継者になることができないため、それらがいない場合はプレイヤーの大名が死亡した時点でゲームオーバーになる
・シナリオは「1534年」「1556年」「1570年」「1582年」

※私そうだいが2012年1月までの時点でプレイしているのは、ここまでのシリーズ作品です。もっと新しいやつを早くやりたいィイ!!


第10作『信長の野望 蒼天録』(2002年6月発売 のちにプレイステーション2などでも再発売)
・ゲーム範囲は全国150ヶ城、登場する武将数もシリーズ最多の約1500名に拡大
・大名だけでなく軍団長や城主でもプレイすることができる(同じコーエーの『太閤立志伝』シリーズに通じる)
・大名による「切腹命令」に加え、軍団長や城主による「下克上」が可能となる
・『天翔記』での「1ターン1季節(3ヶ月分)制」が復活している
・「手動プレイでの徴兵」や家臣への知行以外での「金褒美」が復活している
・親密関係のある諸勢力が他大名の侵攻を防衛してくれる
・武将の出自に「国人」「商人」「旧仏教」「水軍」「高家」が追加され、性格や適性などがより細分化されている
・他大名の本城を占拠すると、その大名の全領国を占領できる「総取りシステム」が導入されている


第11作『信長の野望 天下創世』(2003年9月発売 のちにプレイステーション2などでも再発売)
・『将星録』『烈風伝』での「箱庭内政システム」が復活し、ゲーム範囲は全国100ヶ城、登場武将数約1000名となる
・大名の規模が「小名」「大名」「群雄」「覇者」「天下人」と拡大していき、規模によって選択できる政策の範囲が変化する
・前作『蒼天録』での「家臣でのプレイ」は廃止されており、プレイヤーが選択できるのは大名のみ
・前作までの「知行制」は廃止され、ふたたび簡素な「自動昇進制」に変更されている
・ゲームのターンが「1年=12ヶ月」でなく「1年=8季節(梅雨や厳冬など)」となっている
・内政グラフィックがフル3D化している
・城下町で建築可能な施設も、大名の規模により増加する
・町施設に「牧場」「武家町」「南蛮町」「寺町」「公家町」「忍びの里」「貿易町」が追加される
・町の発展により「八幡宮」「本願寺」「大社」「黄金茶室」「大仏」「大聖堂」の建築も可能になる
・「覇者」大名同士での「決戦」が導入され、敗北した大名は勝った大名に従属することとなる
・兵科に「長槍隊」「雨鉄砲隊」が追加


第12作『信長の野望 革新』(2005年6月発売 のちにプレイステーション2などでも再発売)
・ゲーム範囲は全国60ヶ国、登場武将数約1300名となる
・内政と戦闘が同時系列で展開される
・「1ターン1ヶ月制」が復活している
・複数大名同士の戦闘が可能になる
・町の施設に「職人町」や、侵攻してくる敵軍を自動的に攻撃してくれる「櫓」「鉄砲櫓」が追加
・国境に櫓・鉄砲櫓を並べることにより町の要塞化が可能となる
・外交により他大名との「技術交換」「人質交換」が可能となる
・外交交渉を町に来訪した「僧侶」に依頼できる
・城ごとの技術革新により、戦争時に統率する武将に関係のない部隊そのものの強化が可能となる(武田騎馬軍団など)
・攻城戦法に、従来の「力攻め」以外の「兵糧攻め」が選択できる
・特技に「築城」のある武将は、攻城戦で「水攻め」か「モグラ攻め(坑道を掘って地下から攻撃する戦法)」ができる
・「北条早雲」から「真田信繁」までのオールスター武将が時空を超えて登場する仮想シナリオ「群雄集結」がある


第13作『信長の野望 天道』(2009年9月発売 のちにプレイステーション3などでも再発売)
・街道の敷設と寸断が可能となる
・街道上にある他大名の町施設だけを占領することができる


これまでのシリーズ作品に登場している主なシナリオ
1534年「信長誕生」
1546年「信長元服」
1551年「信長家督相続」
1554年「厳島合戦」
1555年「戦国の動乱」 織田信長の尾張国統一
1556年「信勝謀反」  織田信長の弟・信勝(信行とも)の謀反
1560年「桶狭間合戦」
1561年「川中島合戦」
1568年「天下布武」  織田信長上洛
1570年「信長包囲網」
1575年「長篠合戦」
1577年「手取川合戦」 織田家と上杉家との直接対決
1582年「本能寺の変」
1583年「賎ヶ岳合戦」 羽柴秀吉と柴田勝家との対決
1584年「小牧長久手合戦」
1586年「九州征伐」
1589年「小田原征伐」
1598年「夢のまた夢」 豊臣秀吉死去
1599年「関ヶ原前夜」
1603年「太閤の恩」  徳川家康の将軍就任



 つくづく字が多いよ!! あ~、ちかれた。

 『信長の野望』シリーズについてのつれづれはまた次回なんですが。

 さぁ、古いパソコンからの『長岡京エイリアン』の更新は、これにておしまいです。
 別にこのブログ自体が終わるわけではないので、読んでくださる方々にとっては完全にどうでもいい情報なんですが、いよいよお前ともお別れよ……

 たいへんにお世話になったが……チミ、今回のブログでも1回フリーズしたね。最後までツンなやつよ。


 2001年製のSOTEC デスクトップパソコン・ウィンドウズNe 搭載! いままで10年間、本当にありがとう。

 君の涙ぐましい奮闘の日々、そして私へのはかりしれない貢献はきっと忘れないぞ。
 来世でまた会おう!!
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亡き「うちゆき姫」のためのパヴァーヌ  続・ヤングそうだいラジオ事情

2012年01月26日 15時02分24秒 | すきなひとたち
 どうもこんにちは~い。そうだいでございます。
 やっと天気が上向いてきましたねぇ。心なしかあったかくなってきたような……いや、やっぱ夜は寒いわ!


 前回はついついトチ狂ってあんなことを口走ってしまったわけなんですが。

 あの……はっきり言っちゃいますと、あんまりた削除削除削除削除たですね……

 まぁ、美人にもれなく狂信的な反応を示すこの『長岡京エイリアン』内では、ちょっとはっきり申し上げるわけにはいかない感想、ということで。
 でもさぁ、「美人」が大前提になってることのハードルの高さというのは恐ろしいものですなぁ!!

 むしろ、良かれ悪しかれ少なくない反応があったことにかなりほっとしました。
 おたかさんにおかれましては、ご自分のお望みになられる通りにマイペースに生きて、私や世間をぞんぶんに翻弄していっていただきたいと。

 それが「異貌のひと」の特権なのですからねぇ。30代もよろしくお願いしたてまつりまする~。トオカミエミタメ。


 さてさて、前々回に完全な自分勝手企画でズラズラーとならべてしまいました、わたくしが中高時代に熱聴していた「第1次ラジオブーム」をいろどる伝説のコンテンツの数々!!

 なつかしいんですよぉ~、なにもかもが。単純に「温度」という視点からみるのならば、間違いなくあの頃の方が熱心にラジオを聴いていたということだけは確かでした。なんてったって、リアルタイムで聴きながらカセットテープで録音なんかもしてたりしてたんですから。
 それで勉強しながらそのカセットを流して笑ってたりしてたわけなんですが……まぁ~勉強にゃなりませんわな!


 今回のお話の中身は正真正銘、私のクソどうでもいい回想の連続ばっかになっちゃうんですが、おひまな方はぜひともおつきあいください。
 「そうそう、自分もそんなだった!」って感じてくださる方はどのくらいいますかね。けっこうベッタベタな青春野郎の人生小径ですよ。


 前回にふれたように、私が最初にラジオに夢中になっていた時期は、きっかり「中学2年生から高校3年生」。これはハッキリしております。
 まず、ブームのきっかけは明らかに「勉強しながら楽しめるから」。自分の部屋に TVはなかったし、あってもつけながら勉強できるほど器用な人間じゃなかったからねぇ。
 その点、ラジオは適当に聞き流しながら勉強できる軽さがあったし、少々気が散るような環境の中で問題に集中したほうが実戦的だとかなんとかいう自分なりのまことしやかな言い訳もあったのです。

 まぁそれは、だいたい当時の私が部屋に入って勉強を始めた浅い夜(8~10時ごろ)には、確かにいい感じに役に立っていました。
 その時間帯にやっていたのは、AM の山形ローカル局である「山形放送ラジオ」ではその局単独制作の番組であり、局のアナウンサーがいい感じに興味のない企画をスラスラ~ッと流しているというふぜいだったため、ほどよく勉強に専念することができていたわけです。

 ここがローカル番組のうまいところで、「たいしておもしろくもないけど、聴きたくないほどひどくもない」という、まさしく「勉強している子どもか仕事をしている大人」のために制作された絶妙なコンテンツであるという寸法なんですな。
 その点、TV は24時間視聴率を意識した番組を提供しているのですから、その努力の結果はおのづから「観ている人の手を止めるほどのおもしろさ」という方向に行ってしまうというわけで、これじゃあ困るという人もいるわけなんですね。なりほどなりほど。

 ただねぇ、だいたい夜10時をこえた当たりから、がぜんラジオ番組がおもしろくなってきちゃうんだなぁ。

 これはもちろん、そのあたりから AMでいうところのニッポン放送・文化放送・TBS といった有名キー局の人気番組がよりすぐりで詰めこまれた地方局ならではの、

「人気番組ぐっちゃぐちゃアワー」

 がえんえん深夜3時まで続いてしまうからなんでございます!

 はっきりは覚えてないんですけど、確か平日は、

10時~深夜0時 …… ミュージシャンやアイドルの月~金の10分間帯番組と週1の30分間番組の組み合わせ
0~1時    …… 文化放送の『カモンファンキーリップス』枠
1~3時    …… ニッポン放送の『オールナイトニッポン1部』枠

 という流れでしたねぇ。今も山形はそんな感じなんでしょうか。
 っていうか、山形は AMも FMも1局ずつのまんまなんですかね? それはそれでシンプルでいいですけど。

 ともあれ、こういった感じに3つ以上のキー局の看板番組が1局に集中しちゃってるんですぜ? こんなの聴きながらまともに勉強なんてムリ!!
 だもんで、当時のスチューデントな私は、おもだった宿題は夜10時までにだいたい終わらせて、あとは机に向かっているていでラジオを聴いてイヒヒと笑っているというアホンダラな夜を過ごしていたのです。

 ただ、中学生や高校生という身分は、そりゃもう当然のように日中、肉体も脳もフル回転させているわけでして……通学、勉強、部活、妄想ねぇ。私の場合は恋愛は……なかった。
 そうなると、月~金でオールナイトニッポンを3時まできっかり聴き通すことはそうとうな荒行になってしまいます。

 ましてや、当時ガキンチョだった私は金曜日の『ユーミンのオールナイトニッポン』の良さを理解できるはずもなく。そこと、ただただ「モテモテ男の代表」として蛇蝎の如く嫌っていた(当時)月曜日の『福山雅治のオールナイトニッポン』は聴いていませんでしたねぇ。

 そうやって節約していたつもりだったのに、松村邦洋やナインティナインのオールナイトを喜々として聴いていたつもりが、ついつい居眠りしてしまい、気がついたらわけのわからない演歌が流れていて涙をのんだという経験もしょっちゅうでした。

 今現在、オッサンになった私は徹夜することもザラになっているし、好きなラジオ番組を聴いている最中に眠っちゃうなんてこともなくなっているんですが、これは別に私が夜に強くなったとかいうことなんじゃなくて、単純に日中それほど身体を酷使することがなくなったからなんじゃないでしょうかねぇ。
 だってさ、中高生時代は「チャリ45分かけて通学~半日授業~3時間部活~チャリ45分かけて帰宅~3時間勉強」を週6でやり続けてたのよ!?

 「週6」! そう、私の場合は、確か高校2年生くらいの頃から「週休2日制」が導入されたんでしたっけ。土曜日も授業やってたね~、昼ごろに学校は終わるんですけど、そのぶん部活がなげぇんだ!

 まぁそういった過酷な環境の中でもどうにかこうにかラジオ生活は続けていたのですが、この蜜月関係は私が高校を卒業すると同時に見事に「ピタッ。」と終わりを告げてしまいました。


 なんでかって……そりゃああなた、大学に合格して山形を離れちゃったからよ。
 いや、もっと正確にいうのならば、「大学が千葉県にあったから」ですね。

 はっきり言わせていただきますと、「フジテレビ」や「日本テレビ」といった超有名な TVキー局が直接「生(き)のまま」で視聴できるという新しい環境は、山形からやって来たばかりの私にとってはまさにドラッグ!! ラジオの魅力をきれいさっぱり忘れてしまうに足る衝撃を、1998年春の私は全身で受けとめてしまったのです。


「なんだずこれ!! 真夜中、アニメばっかしかやってねどれ! なに、この『lain (レイン)』って……やまがだずんにはわげわがんねず。」

「あっ、どごのレンタル屋にも置いでねがった映画『太陽を盗んだ男』をテレビでやるんだど!? どだな大盤振る舞いだず!」

「えっ、『タモリ倶楽部』って金曜の夜遅くにやってるもんだっけの? 日曜の昼3時んねっけんだ!!」 


 とまぁ、こういった驚きの毎日だったということで。はっきり言って、私の大学時代は完全に TV文化にいろどられたものとなっておりました。


 ただ、今こうやって山形時代・学生時代のラジオに夢中になっていた私の姿をつらつら思い浮かべてみると、ラジオの「想像したものを楽しむメディア」という特性が、「世の中のまだ知らないなにかを夢想してニヤニヤする」あの頃の私に実にフィットしたものであったらしい気もするんですね。


 私が夢中になっていたラジオ番組に限ってみても、もともと好きなタレントのやっている番組をチェックするということはあんまりなく、たまたまやっていた番組のパーソナリティがどんな人なのかを知るために毎回聴いてみる、というハマり方がほとんどだったような気がするんだな。

 例えば、キンキキッズは「俳優」としての活動は言うまでもなく『人間・失格』や『金田一少年の事件簿』などで当時から有名だったのですが、CDデビューは1997年からだったので、私はその直前までの「え、近畿……兄弟?」という空気も世間に色濃く残るお2人の元気なトークを聴いて楽しんでいたし、『YUKI のオールナイトニッポン』も、YUKI さんという人がどんなバンドのどんな顔をした人なのかもわからないまま聴いて、その過激すぎるコーナーやコントの毒気におかされてしまったといった感じです。
 YUKI さんのオールナイトはほんとに大好きでした!! 狂気のヒーローものコント『イソヤンQ』シリーズは素晴らしかった……調べてみてびっくりしたんですけど、オールナイト1部はたった1年間しかやってなかったんですね! 体感はもっと長かったような気がしたんですが。


 そういえば、「おっはー!」なんてまだやってなかった頃の山寺宏一さんの『GAP SYSTEM 』も最高だったんですよ。『スネークマンショー』レベルのハイレベルなコントのてんこもりでねぇ。

 今でも忘れないんですけど、いつものように『GAP SYSTEM 』を聴いていたら、その回は特別企画で番組のスタッフが実際に殺害されるという「てい」の推理ドラマということになっていまして、探偵役となった山寺さんが多くの証言や情報を集めたところで、

「はっ、これは……わかったぞ、犯人はあいつだ!!」

 といった流れとなり、「これこれの期日まで、真犯人の名前とその人だと推理した理由をハガキに書いて送ってきてください。驚愕の解答編と正解者の発表は次回!!」という応募キャンペーン形式になっていたのですが、その回のエンディングで山寺さんの口から、

「え~、山形放送ラジオをお聴きのみなさんとは今週でお別れです。今まで本当にありがとうございました。」

 という文言が流れたときには心底「オトナの事情」というものの汚さを呪ってしまっておりました。なんでこのタイミング!? ひどすぎる!! おれ、犯人わかってたんだぜ!?


 こんな感じでいろいろあったわけなんですが、「中高生の私にとってのラジオ」というものをもっともわかりやすく体現していた番組は、いろいろあった中でもやっぱりこれでした。

『内田有紀 夜空にYOU KISS!』

 いいですねぇ。「ゆーきっす」ですよ。シャレですね~。この、「アイドルのラジオ番組のタイトルに名前のシャレをつける」っていう伝統は今も残っているんでしょうか。この伝統はぜひとも21世紀にも受け継がれていっていただきたい。

 私が第一にこの番組をおす理由はもう明らかです。それは、

「動いている内田有紀をまったく見たことのない状態で聴いて楽しんでいたから。」

 なんですねぇ~。本当なんですよ!


 この、別に意識的にテレビを排除していたわけでもないごく普通な家庭で育ったそうだい少年が、なじょして1993~97年という時期に「アイドルとして押しも押されもせぬ黄金時代」を築いていたはずの内田有紀の活躍を TVでいっさい観ていなかったのかといいますと、そりゃもうあーた、「1993~97年の山形県のローカル TV局事情」というものが、私の青春ドンピシャでおかしな異常事態におちいっていたからだったのでございます。

 これは、簡単に言いますと、

1993年の4月から97年の3月まで、山形県民は「フジテレビ系列の番組」がほとんど観られなくなっていた。

 ということなんですね。

 1993年の4月、それまで「フジテレビ系列」のネット局だった「YTS 山形テレビ」が、突如としてオトナの事情で「テレビ朝日系列」に鞍替えするという珍しい事態となり、以後、山形県民の強い要望に応えるかたちで1997年4月にフジテレビ系列の新しいネット局「SAY さくらんぼテレビ」が開局されるまで、山形県下では「正規のルートでは『笑っていいとも!』も『ダウンタウンのごっつええ感じ』も視聴できない」という古今未曽有の「バラエティ暗黒時代」がはびこっていたのです。『ニュースステーション』と『アタック25』でガマンでぎるわげねぇべよ!!

 で、ご存じの通り、黄金時代の内田さんは、TV の仕事はそのほとんどをフジテレビでこなしていたというわけで、そりゃもう映画や CDといった世界でも顔は知られていたというものの、山形県人にかぎって、

「なんだ、このおどごみでぇなの? うつだゆぎ……しゃね(知らない)なぁ。」

 という忌むべき空気が。


 そんな中でしたが、リスナーのネタハガキに「ぎゃはは!」と笑い、スタッフの用意した企画に「うひょえー!」と活きのいいリアクションを返すあけっぴろげで豪快な内田有紀さんの魅力が爆発した『YOU KISS!』は、私個人の中での内田さん株を、実際以上にズビズバ高騰させるすばらしい魔力を持った番組になっていたのでした。

 「ボーイッシュ」と言うよりは「チャキチャキの江戸っ子」、「アイドル」と言うよりは「かなわない親友」……

 内田さんとリスナーとの距離は近かった近かった。内田さん、自分のするおならの話題とかやってましたよね。とてつもないお方だ。

 この番組での、リスナーからの内田さんの呼び名は「うちゆき姫」ということになっていたのですが、それはもう完全に「プリンセス」ではなく「おてんば姫」といった感じの呼び方でして、「女の子らしくない子をわざと姫と呼ぶ」という部分も、ずいぶんと長く顔をつきあわせてきた幼なじみをそう呼ぶような不思議な効力を持っていたのです。


 ただ、哀しいことに、こういった私の一方的な「妄想うちゆき姫」も、1997年の春から簡単に内田さんの動く姿が観られるようになったことと、それ以上にもっと大きな変化として、内田さんご本人が「クールな実力派女優」を志向するようになったという転換によって、ガラスの如くもろくも崩れ去ることとなりました。

 おしとやかで演技のうまい女優もいいですけど、内田さんにはいつまでも、ニカッと笑ったときに見せる白い歯がかわいい、世界にただ1人しかいない「うちゆき姫」でいてほしかった。


「そっちの方向でいって榊原郁恵さんみたいなチャーミングなおばちゃんになってもよかったんじゃないでしょうか!? ジュン、まさかてめぇのせいなんじゃねぇだろうな!! なにが『三丁目の夕日』だくそバカヤロー!!」

 ……と、私は海に向かって叫びたい。



 かつて、江戸時代の過酷な禁教令にも屈せずにキリスト教を信仰していた「隠れキリシタン」。
 250年後。明治の世に外国の宣教師がその里を訪れたとき、彼らの信仰していた宗教は、長い年月を経たがゆえにキリスト教とは似ても似つかない異形のものに変わりきっていたという。


 私が愛していた「うちゆき姫」も、そういったものだったのでしょうか。

 しかし、信仰しているかぎり、神は神。
 もしかしたら現実の世界には存在していないのだとしても、いつまでも心の中に光り輝きつづける存在こそが、本当のアイドルなのです。


 ……まぁ、私の場合は「多神教」なんで、うちゆき姫以外にも神様はゴロッゴロましますわけなんですが。

 浮気じゃねぇよ!! イッツ・ア・やまとごころ。いえ~。
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いざ書店

2012年01月24日 14時29分43秒 | すきなひとたち
上原多香子、艶やかセミヌード披露! シルクのような素肌をあらわに
         (livedoor ニュース 2012年1月24日の記事より)


 女優で歌手の上原多香子が、本日1月24日発売の男性月刊誌『GQ JAPAN』3月号でセミヌードショットを披露した。

 8ページにわたる特集『29歳の決意』では、「パブリックイメージを壊したいんです。」と語る上原多香子がこれまで見せたことのない艶やかなセミヌードに挑戦。
 冬の寒空の下、一糸まとわぬ開放的な姿でオープンカーに乗り込んだ彼女は、シルクのように白くなめらかな素肌と鍛え上げられたボディをあらわにしている。

 インタビューでは、30歳を目前に控えた現在の心境を告白。上原多香子の新たな一面が垣間見える特集となっている。



 ふーん……
 まぁ、買うか買わないかなんていう即物的なことはここでは言いませんが……

 ……せっかく両足の歩行機能もあるんでねぇ……仕事の休憩中にでも、ちょっと本屋さんにまで散歩してみようかなぁ。
 ほら、最近なんだか運動不足だから……


 とにかく、一言でまとめるのならば、

「生きてて良かった。」


 ウヒョー!!
 落ち着いて歩けよ! 事故に気をつけろ!!
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こだなの聴いでだっけんだずぁ~ ヤングそうだいラジオ事情

2012年01月22日 23時23分42秒 | すきなひとたち
 どうもおこんばんは~。そうだいでございます。
 今日も長々と雨が降っておりましたねぇ。明日もおんなじ感じなのかな~。やーねー。


 もうね、今回のくわだてはもう、むっちゃくちゃ私情はさみまくり、思い出があふれまくりということでねぇ!!
 「なつかし~!! あ、なつかし~!!」という感情しかわいてまいりません。

 もうちゃっちゃといきましょうかね!


Natural Born 山形人!! ヤングそうだいラジオ手帖
 なにもかもが青すぎた 中学2年生(1993年)~高校3年生(1997年)


月曜から金曜
16時30~40分
『小沢昭一の小沢昭一的こころ』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 パーソナリティ …… 小沢 昭一
 ※もともと TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』内の番組

22時50分~23時
『デーモン・オーケンのラジオ巌流島』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1992年7月~95年3月
 パーソナリティ …… デーモン小暮閣下と筋肉少女帯の大槻ケンヂ
 ※もともとニッポン放送

22時~深夜0時のどこかの10分間
『中野ヤング館』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1993年4月~94年9月
 パーソナリティ …… サンプラザ中野とパッパラー河合(爆風スランプ)
 ※もともと TBSラジオ

24時35~50分?(これは現在の放送時間で、おそらく1990年代はもっと早い時間帯だったかと思います)
『KinKi Kids どんなもんヤ!』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1994年10月~現在!
 パーソナリティ …… KinKi Kids (放送開始当初15歳)
 ※もともと文化放送

23時55分~深夜0時
『TALE OF A TERROR』(FM 山形ラジオ 80.4メガヘルツ)
 1996~97年?(詳しい放送期間はわかりませんでした)
 声優の雨蘭咲木子(うらん さきこ)と入江崇史による5分間のショートホラードラマ
 ※ジャパンFMネットワーク制作の全国放送向け番組


月曜から木曜
22時00分~23時25分
『赤坂泰彦の Million Nights』(FM 山形ラジオ 80.4メガヘルツ)
 1993年4月~97年9月
 パーソナリティ …… 赤坂 泰彦
 ※もともと TOKYO FM


月曜
深夜0~1時
『JUN SKY WALKER(S)宮田和弥の come on FUNKY Rips!』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1995年1~12月
 パーソナリティ …… 宮田 和弥
 ※もともと文化放送


火曜
23時00~30分
『山寺宏一の GAP SYSTEM』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 山形では1995年4月~96年4月(番組自体は1994年4月~97年3月)
 パーソナリティ …… 山寺 宏一
 ※もともと東海ラジオ

深夜0~1時
『貴水博之の come on FUNKY Rips!』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1996年1月~97年3月
 パーソナリティ …… 貴水 博之(access は前年1995年に活動休止)
 ※もともと文化放送

深夜1~3時
『吉井和哉のオールナイトニッポン(1部)』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1995年10月~96年9月
 パーソナリティ …… 吉井 和哉(THE YELLOW MONKEY)
 ※もともとニッポン放送


水曜
深夜0~1時
『今田耕司・東野幸治の come on FUNKY Rips!』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1994年4月~99年9月
 パーソナリティ …… 今田 耕司 と 東野 幸治
 ※もともと文化放送

深夜1~3時
『松村邦洋のオールナイトニッポン(1部)』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1993年10月~96年6月(その後に曜日変更)
 パーソナリティ …… 松村 邦洋
 ※もともとニッポン放送


木曜
深夜1~3時
『ナインティナインのオールナイトニッポン(1部)』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1994年7月~現在!
 パーソナリティ …… ナインティナイン
 ※もともとニッポン放送


金曜
深夜1~3時
『YUKI のオールナイトニッポン(1部)』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1995年4月~96年4月
 パーソナリティ …… YUKI(JUDY AND MARY)
 ※もともとニッポン放送


土曜
22~23時
『trf コーク・イントゥ・ザ・グルーヴ』(FM 山形ラジオ 80.4メガヘルツ)
 1994年7月~97年9月(初期は土曜の午前中に放送される30分番組だった)
 パーソナリティ …… trf(1996年6月から「TRF」に改称)のメインヴォーカル・YU-KI とリーダーの DJ KOO
 ※タイトルからは想像もつかない、下ネタ満載のすばらしい番組だった
 ※もともと TOKYO FM


日曜
10~11時
『裕司と雅子の ガバッといただき!!60分』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1993年4月~2002年3月
 パーソナリティ …… 三宅 裕司
 アシスタント  …… 小俣 雅子
 ※ニッポン放送で日曜9~13時に放送されていた音楽ランキングバラエティ番組『裕司と雅子の ガバッといただき!!ベスト30』を、地方ネット局向けに短縮編集した番組

13時30分~14時
『木村拓哉の What's UP SMAP』(FM 山形ラジオ 80.4メガヘルツ)
 1995年1月~現在!(放送時間は変更)
 パーソナリティ …… 木村 拓哉
 ※もともと TOKYO FM

21時00~30分
『宮崎駿の雑想ノート』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1995年11月~96年4月
 宮崎駿の創作短編12話を1エピソード1人の俳優が朗読するラジオドラマ
 ※個人的には天本英世の「スペイン内戦中の飛行機乗りのお話」がいちばん好きでした
 ※もともとニッポン放送

21時50分~22時20分
『篠原涼子 感度?良好!!』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1995年10月~97年9月
 パーソナリティ …… 篠原 涼子(放送開始当初22歳)
 ※もともとニッポン放送

23時00~30分
『内田有紀 夜空にYOU KISS!』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1994年4月~2001年3月
 パーソナリティ …… 内田 有紀(放送開始当初18歳)
 ※もともとニッポン放送

23時00~55分
『中島みゆき お時間拝借』(FM 山形ラジオ 80.4メガヘルツ)
 1994年4月~97年9月
 パーソナリティ …… 中島 みゆき
 ※もともと TOKYO FM

深夜0時00~30分
『森高千里 千里の道も一歩から』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1993年4月~95年6月(その後タイトルが『森高千里 STEP BY STEP』に変わって97年10月まで放送)
 パーソナリティ …… 森高 千里(放送開始当初24歳)
 ※もともとニッポン放送

深夜0時30分~1時
『緒方恵美の銀河にほえろ!』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1996年4月~98年4月
 パーソナリティ …… 緒方 恵美
 ※もともと文化放送


放送時間帯がまったく思い出せないが好きだった番組
『秋元くんと佐伯さんのおいしい話』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 1994~96年? 週1回放送の30分番組?
 パーソナリティ …… 言わずと知れた秋元康と謎の艶声歌手・佐伯伽耶(『呪怨』の佐伯伽椰子とはまったく無関係です!)
 ※2人の会話の内容はさっぱりわからなかったが、とにかくオトナだった
 ※もともと文化放送?

『中島美智代 胸いっぱいのしあわせ』(山形放送ラジオ 918キロヘルツ)
 月~金曜放送の10分番組?
 パーソナリティ …… 中島 美智代(現・ミチヨ)
 ※タイトルにいちじるしく反した幸薄い雰囲気がムンムンで耳が離せなかった
 ※地方ネット局向け番組


 あひゃひゃひゃひゃ。な~つかすいずねぇ~、まんず!!

 これらに関するつれづれは、また次回にしま~す。
 まっかち~ん。
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