長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

やればできるボンクラ息子の大冒険 ~映画『シンドバッド黄金の航海』~

2017年07月21日 23時37分14秒 | 特撮あたり
映画『シンドバッド黄金の航海』(The Golden Voyage of Sinbad 1973年12月公開 105分 アメリカ)

 『シンドバッド黄金の航海』は1973年のアメリカ合衆国の特撮冒険映画。1958年の『シンバッド七回目の航海』から始まる「シンドバッド3部作」の15年ぶりとなる第2作である。製作費約98万ドル。
 シリーズ3部作に登場する「シンドバッド」と、『千夜一夜物語』に登場する「船乗りシンドバッド」には直接の関係がない。また、シリーズ中においても「イスラム帝国の皇子」や「船乗り」など身分が異なり、相互の関連はない。ただし「数々の冒険を成し遂げ、国の要人にも面会できる有名な英雄」という設定は不明確ながら引き継がれている。
 レイ=ハリーハウゼンの円熟したダイナメーション技術により、ホムンクルス、動き出す船首像、ケンタウロス、グリフィンなど数々のクリーチャーが登場する。中でも、陰母神カーリは傑作とされ人気が高い。

あらすじ
 航海中のシンドバッドの帆船に、奇妙な鳥(ホムンクルス)が黄金の刻印を落としていった。マラビア王国に着いたシンドバッドは、魔術師クーラとその手下に黄金の刻印を奪われそうになるが難を逃れ、王国の宰相ビジエルに拝謁する。ビジエルは世継を定めず亡くなったマラビア国王により国政を任され摂政をしていたが、クーラの陰謀により顔に大火傷を負っており、黄金の仮面を付けていた。ビジエルもまた黄金の刻印を所持しており、シンドバッドと2つの刻印を合わせると未知の孤島を示す海図らしきものとなった。ビジエルはシンドバッドに「刻印は3つで一組のものであり、全て揃えばクーラの野望を排し、マラビアを危機から救えるのだ。」と語る。宰相ビジエル、シンドバッドの夢に現われた女奴隷マリアンナ、そしてその自堕落さを叩き直してくれと父親の大商人から頼まれた若者ハロウンを船に乗せて、船乗りシンドバッドの大冒険が始まった。


主なスタッフ
監督 …… ゴードン=ハッセル(48歳)
脚本 …… ブライアン=クレメンス(42歳)
製作 …… チャールズ=H=シュニア(53歳)、レイ=ハリーハウゼン(53歳)
撮影 …… テッド=ムーア(59歳)
特撮 …… レイ=ハリーハウゼン
音楽 …… ミクロス=ロージャ(66歳)
配給 …… コロムビア映画

主なキャスティング
船乗りシンドバッド   …… ジョン・フィリップ=ロー(36歳)
女奴隷マリアンナ    …… キャロライン=マンロー(23歳)
魔術師クーラ      …… トム=ベイカー(39歳)
宰相ビジエル      …… ダグラス=ウィルマー(53歳)
神殿の精霊       …… ロバート=ショウ(46歳)
放蕩息子ハロウン    …… カート=クリスチャン(23歳)
クーラの腹心アクメッド …… タキス=エマニュエル(40歳)
ハロウンの父ハキム   …… グレゴワール=アスラン(65歳)
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なんだか夢のような日であつた。 ~舞台版『スロウハイツの神様』~

2017年07月08日 21時04分03秒 | すきな小説
演劇集団キャラメルボックス 2017サマープレミア 『スロウハイツの神様』(2017年7月5~16日 東京池袋・サンシャイン劇場)


 実は今日、実にありがたいご縁があって、すごく観たかったこの作品を観劇するために東京に日帰りで行きました。
 いや~、東京暑かったね!! 地元の山形も同じ35℃だったみたいなんで、わざわざあっちい所に来ちゃったっていう感じでもなかったんですが、大都会は暑さを反射する反射する! どこも吸収してくんないもんねぇ。よくあんな場所でわいわいがやがや集まれるもんですわ……と、3年前まで千葉に住んでいた奴がほざいております。暑さと人口密集にホントに弱くなっちゃいました……夏の日本武道館なんか、よく行ってたもんですよ。

 舞台版『スロウハイツの神様』は、すっごく良かったですね。

 文庫本上下巻の小説を正味2時間きっちりの舞台にするんですから100%そのままになんてできるわけがないんですが、それでも相当なレベルの高さで小説の原作を「完全舞台化」している作品だな、と観ました。
 カットやアレンジはあるにしても、味わいやその作品を楽しんでいる時の、観る側の「体温の上昇具合」が小説版とほぼおんなじなんですよね! 脚本を担当した成井さんの作家性がオリジナルな解釈を付け加えるというものじゃなくて、「私は原作のここを演劇化したいと強く思ったからこれを選んだ。」という、人に何かを熱心に伝えようとするボルテージの高さで前面に押し出されているわけです。これは非常にわかりやすい。観た映画の面白いところをすっごくわかりやすく説明してくれる人みたいなスマートさと丁寧さがあるというか。

 辻村深月先生のような、小説ならではの構成のマジックをフル活用している作品世界を、小説以外の別の表現形式に変換するのは非常に難しい作業かと思います。特に長編小説なんてボリュームが大きいし。映画で言えば『ツナグ』は群像劇のバランスの取り方がやや不揃いだったように感じたし、『太陽の坐る場所』はそもそも原作小説の構成を初めから放棄していたために、ちょっと監督の主張が独り相撲を取っている印象はありました。

 でも、今回の舞台版はかなり原作に近かったなぁ。近いけど、舞台版にした意義もちゃんとあった。こんなに「笑いあり涙あり」の王道なエンターテインメント作品であるとは思いませんでした。確かに、登場人物のひとりの、どこからどう見ても滑稽な孤軍奮闘が、笑いと一緒に涙を誘っちゃうんだよなぁ。それが神々しく輝いちゃうんだよなぁ。そこが見事に演劇化されてました。あそこらへんの芋づる式の伏線回収の気持ち良さったら、ないですよね!

 こう観てみると、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』でも強く感じたのですが、辻村先生のお話に対する向き合い方は非常に古典的だと思います。
 と言うのは……物語の中で、ある時にギアの掛かり方が音を立てて「ガチャッ!!」と変わるというか、「ハイここからクライマックス入りまーす!」という感情の2部構成がすごくわかりやすいんですよね。これがもうアレなのよ、野村芳太郎監督の映画版『砂の器』みたいなわかりやすさ!! わぁ、ジェットコースターが下りに入ったぁ!みたいな。

 とことん古典的なところを突き詰めれば、亡者の一人語りに入る能楽(もちろん三島由紀夫の『近代能楽集』も)だとか、コナン=ドイルの『緋色の研究』みたいなギアチェンジが堂々と21世紀現代を舞台とした作品の中でなされる世界、それが辻村深月ワールドなのではないかと、今回の舞台化を拝見して改めて感じ入ったる次第。


 ある日ある時に突然やってくる、「あの人、そうだったんだ……」という新しい一面の発見によって、見慣れた隣人の顔がその瞬間からまるで違った感じに見えてくる感動をつぶさに拾い上げ、そこにこそ人生の奇跡が潜んでいるという事実を物語る世界。みごとですねぇ。

 実に恥ずかしながら、キャラメルボックスのお芝居を観るのは今回が初めてだったのですが、やっぱり本物の熱量には他の追随を許さないオリジナルな魅力が満ちていると感じました。その、もはや伝統芸能的にさえなっている「全力投球感」に、長らく食わず嫌いな印象を抱いていたのですが、これはこれで素晴らしいんですよね。

 いい一日でした……時の流れと、東京のラーメンの味の濃さを痛感した夢のような日でした。暑さでかなりげんなりした表情のホットパンツ姿の白人さん、もう何十人見たろ。
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圧倒的なスケールの小ささ!! だが、そこが……よかねぇか。 ~映画『エコエコアザラクⅢ』~

2017年07月06日 21時23分14秒 | ホラー映画関係
 みさなまどうもこんばんは! そうだいでございます~。今日も一日、お疲れ様でございました。

 いや~、今日も暑かったですね。そして、夜もあっちぃですね! 暑いといえば夏、夏といえばホラーでございます。
 ということで、今回はあるホラー映画の感想をつづってまいりたいと思います。強引? もういいですよ、あっちぃし……導入もかなりテキトーになってしまう、この暑さ!


映画『エコエコアザラクIII MISA THE DARK ANGEL 』(1998年1月 93分 ギャガ・コミュニケーションズ)
 TVシリーズ『エコエコアザラク』(1997年2~5月放送)の後日談的位置付けとなっている劇場版作品。
 本作において、主人公・黒井ミサが「大切な人の遺髪」のペンダントを見せる。これは劇場版第1作『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS 』(1995年 主演・吉野公佳)に関連づけられるシーンである。しかしこれは単なるオマージュではなく、本作が佐伯版の TVシリーズから繋がっているとも、ミサを演じた女優は違ってもそれ以前の劇場版2部作からつながっているとも解釈できるようにするための、双方のファンに配慮した演出である。
 また、本作は全映像シリーズ中でもミサが最も激しいアクションを見せ、キャラクターも特にヒロイックになっている。TVシリーズ版に続いて、アメリカの怪奇小説家ラヴクラフトの創造した「クトゥルフ神話」へのオマージュ要素が強い。
 本作は、ミサの叔父サトルを演じた趙方豪(ちょう ばんほう)の遺作となった。

あらすじ
 とある街角。雑踏の中に突如、全身が焼けただれた少女が現れた。彼女は「ミサ! 黒井ミサ!」という絶叫を残して絶命する。遺体は解剖されるが、謎の組織崩壊が止まらない。事件の異常性を察知した魔女・黒井ミサと、その叔父で魔法医学者のサトルは遺体の安置されている病院に忍び込み、この遺体が強大な魔力を持つ者同士の闘いの結果であると推理し、遺体の首筋に謎の刻印が残されていることを発見する。2人はさらに遺留品の演劇台本から、この事件が「聖セイレム女学院」という名門高校と関連があることを突き止めるのだった。
 数日後、ミサは聖セイレム女学院に転校生として潜入する。ミサは学校の演劇部公演『幻夢郷の魔術師』の上演台本を手がかりに、演劇部の周辺から調査を開始するのだった。

主なキャスティング
黒井 ミサ     …… 佐伯 日菜子(20歳)
木下 亜夜     …… 七海 彩夏(18歳)
風見 光      …… 萩原 由紀(20歳)
土器手 かほり   …… 高橋 あゆみ(19歳)
水島 真実     …… 三輪 ひとみ(19歳)
火野 陽子     …… 藤村 知可(16歳)
鎌田 瞳      …… 山本 エレナ(15歳)
河合 由樹     …… 滝村 裕子(16歳)
黒井 サトル    …… 趙 方豪(41歳 本作公開直前の1997年12月に死去)
江取記念館の管理人 …… 梅津 栄(69歳)
江取 公彦     …… 荻原 政樹(?歳)

主なスタッフ
監督    …… 上野 勝仁(37歳)
脚本    …… 七月 鏡一(29歳)、林 壮太郎(29歳)
脚本監修  …… 梶 研吾(36歳)
特殊メイク …… 原口 智生(37歳)、宗 理起也(25歳)
スタントコーディネーター …… 高橋 伸稔(30歳)
製作    …… ギャガ・コミュニケーションズ、円谷映像
配給    …… ギャガ・コミュニケーションズ

TVドラマ版『エコエコアザラク』について
 テレビ東京で1997年2月1日から5月31日まで、テレビ大阪で1997年10月2日から1998年4月1日まで、実写映画版第1・2作(主演・吉野公佳)と同じギャガ・コミュニケーションズ製作、円谷映像制作で放送された。
 佐伯日菜子演じる黒井ミサは最高のハマリ役と評され、視聴率は深夜2時の放送番組としては異例の高視聴率を記録した。全26話。テレビ東京版は当時発生した「神戸連続児童殺傷事件」の影響により第18話までの放送で打ち切りとなったが、事件の犯人逮捕後にテレビ大阪と地方局で放送された際は最終第26話まで放送された。
 本シリーズには、黒井医院とミサの叔父サトルの登場やミサのアルバイト活動など数々の原作オマージュが見られる。またエピソード自体も原作マンガを映像化しているものがある。
 本シリーズは「3話1部形式」という独特の構成となっている。その間、第13話『二年前』と第23話『最後の晩餐』のみ、魔女になる前のミサの過去を描くエピソードとなっており、映像ソフトでは、第1~13話に「THE SERIES」、第14~26話に「THE SECOND」のサブタイトルが付けられている。
 本シリーズの後半からはクトゥルフ神話に絡んだエピソードも登場しており、そのことがのちの劇場版『III』にも繋がっている。


 いや~、よもや2017年の御世にこの映画の記事を作ろうなんざ、お釈迦様でもご存じあるめぇ!
 なんで、これなんでしょうかね。それは、最近やっとこの映画の DVDを購入したから。それだけでございます。
 この頃ヒマに飽かせて、私が青春時代に TVで観たりレンタルビデオで借りたりして印象に残った映画の DVDを買いあさっているのですが、その中にこの一作もあったのでした。

 好きなんですよね~、このシリーズ。いや、シリーズと言いましても私は佐伯さんが黒井ミサを演じている TVシリーズは放映当時は全く視聴しておらず(山形県で放送していなかった?)、タイトルにあるナンバリングでいう吉野公佳さん演じる初代実写版2作からの流れでございます。なので、私がほんとに好きなのはどっちかっていうと佐藤嗣麻子監督の手による吉野ミサの方なのですが、今回は佐伯ミサのこっちのほう。amazon の中古価格が安かったから、こっちから買ったからという、それだけの理由でございます。吉野ミサ2作のほうも必ずやりますよ! いつか、ね……

 なので、本来この作品をちゃんと観るためには、吉野ミサの映画2本よりも佐伯ミサの TVシリーズ全26話をチェックしておくべきなのですが、肝心のそっちは残念ながら全話観ていないので(数年前に我が『長岡京エイリアン』の「貞子・伽椰子・富江・ミサのグータンヌーボ」企画をやった時に何話か観たのみ)、ほんとの佐伯ミサファンの方からすると隔靴掻痒な点もあるかも知れませんが、そこはどうかご容赦を……時間ないのよ! あと DVD-BOXの価格が高すぎる……

 のっけからひどいことを言っちゃうんですが、私が大学生だった頃にこの作品をレンタルビデオで観た時の評価は、一言でいうと「安っぽい!」という身もフタも無いもので、けっこう低かったのです。吉野ミサの2作が、まぁそれはそれで原作マンガからかけ離れた黒井ミサ像ではあるのですが、佐藤嗣麻子監督の独特な映像美学が楽しめるし、当時の日本としては相当がんばっていた CG特撮技術(のちに佐藤監督の旦那さんとなる山崎貴ひきいる「白組」!)もふんだんに楽しめたので、それに比べるとこの『Ⅲ』は、だいぶ古色蒼然としている造りなんですよね。
 制作スタッフが違うんだから仕方ないことなのですが、この『Ⅲ』は吉野ミサの映画シリーズとは直接の連続性がまるでなく、完全に「佐伯ミサの TVシリーズの豪華拡大スペシャル」という位置づけになっております。なので、そういう TVドラマの延長線上という視点から観ればそれなりに楽しめはするのですが……千ウン百円払って観る形式の映画作品だとしたら、ちょっとどうかと。

 ただ今回、映画公開から約20年後という現在あらためてこの作品を観てみたら、伝統的な特殊メイクや光学合成の特撮テクニックも味ですし、何よりも原作マンガの黒井ミサ像への敬意があるというか、吉野ミサよりもよっぽど人間的で、やるときゃ本当に頼もしいスーパーヒロインになってくれる佐伯ミサの活躍はステキなんですよね。ウルトラマンのように巨大化もしないし派手なビームも放ちませんし、仮面ライダーのように変身もしなければ必殺技もないのですが、ふとももに隠したナイフと腕っぷしだけで並みいる敵たちに立ち向かうんですよね。かっこいい!
 そうそう、黒井ミサは当然ながら超プロ級の魔女なのですが、佐伯ミサは困ったら魔法オンリーで対処するんじゃなくて、「可能な限り体力で押し切る」って感じの肉体派なんですよね! その、無駄な魔力は浪費しないというスタンスが実にプロフェッショナルです。
 まぁ、これは裏返せば「魔法を使わなくてもけっこう何とかなる程度の敵……」というしょぼさを暗示してもいるのですが、それはあくまでも、なんかハリウッド映画級に敵のスケールが大きかった吉野ミサ2作と比較してのことであって、本来の原作マンガ『エコエコアザラク』では、そもそもミサ並みに魔法を使える敵が登場しないエピソードがほとんどなので、『Ⅲ』でもそうとう奮発した方なんだよという弁護はしておくべきかと思います。やっぱ『エコエコアザラク』って、原作に忠実に映像化するんだったら30分くらいで1本の TVシリーズ形式が最適なんでしょうね。『世にも奇妙な物語』のタモリさんとか『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造みたいなポジションですよ。黒いな~、全員!!

 なので、本作はあくまでもそういった原作マンガのスケールを尊重した作品になりますので、間違っても佐藤嗣麻子監督の吉野ミサ2作のような「ホラー・ジャパネスクここにあり!」的な大きな構えは期待せず、シルバニアファミリーのお屋敷を眺めるようなあたたか~い目で鑑賞するべきだと思います。ほ~ら、かわいい娘さんたちがセリフをいっぱい覚えてがんばってるヨ……

 以下、本編を観ていて感じたおおざっぱなポイント感想をまとめていきましょう。雑な流れですみません!

≪すべてが懐かしい……しみじみ鑑賞メモ≫
・冒頭に登場する刑事らしき2人の男の風体がスーツにサングラスて……メンインブラックを日本人がやると、西洋人がちょんまげの侍をやるくらいに画にならないというタブーを身をもって証明してくれている貴重資料である。のっけから緊張感がゴリゴリそがれる……不安!
・自身の演じる2代目黒井ミサの最終作ということで、かなり堂々としている佐伯さんの歩き姿が実にたのもしい。小柄な美少女なのに、重い日本刀を提げてる武士のように腰でズンズン歩いてる重量感があるんですよね。これなら『七人の侍』の黒澤明監督もニッコリ。
・TVシリーズからレギュラー出演している、黒井ミサの叔父こと黒井医院の黒井サトル医師。原作マンガの『エコエコアザラク』を読む限りはミサの叔父であることもサトルという名前であることも言及されていない「黒井医院のおでこぶよぶよ院長」がモデルであると思われるのだが、『魔女黒井ミサ』以降の後続シリーズで設定が追加されたのだろうか。それにしても、院長をミサの事件捜査のサポート役にしているというアレンジは非常に便利でおもしろい。
・謎の遺体の主が時空のはざまに落ちたものであることを看破する有能なサトル。演じる趙さんの演技もノリノリなのだが、やはりかなり痩せて見えるのが、本作が遺作となったことと関係があるのかと思うとつらい。役者さんは大変だな……
・謎の遺体から現れる妖怪ラルバが、『ウルトラセブン』のペガッサ星人のような昔ながらの光学合成で描かれているのが、本作に初代・吉野ミサ時代の CGプロダクション「白組」が関わっていないことを如実に表している。『Ⅲ』とは言ってますが、やっぱ作風がだいぶ違いますね。
・初代の吉野ミサも目力はそうとうなものだったのだが、2代目佐伯ミサのどんぐりのように大きな目と左のダブル泣きぼくろも全くひけを取らない迫力と魅力に満ちている。まさに少女マンガから出てきたような、という表現がぴったりの美少女なのだが、原作マンガの黒井ミサがそういう系の画風でないのがヘンな感じである。原作のミサよりもマンガチックな顔立ちって、どういうこと!?
・めちゃくちゃでっかい校舎とゴシック風の回廊が印象的な聖セイレム女学院(以下、セイ女)。セミの鳴き声、すずやかな夏制服、女子校~!! 加点要素しかない舞台設定に、本作への期待値もやっと上昇を始めるわけだが、カバンも下ろさずに初日登校するなり演劇部の捜査を始めるミサの猪突猛進ぶりがすばらしい。まいてくねぇ~!
・演劇部員の木下亜夜役の七海さんも当然のように美少女なのだが、洋菓子の皇帝ザッハトルテのように濃くて甘ったるい佐伯さんの顔立ちに対して、まるで銀座千疋屋の果実ゼリーのようなさっぱりフレッシュ感があるあっさり系の美少女なのがすばらしい。キャスティングの勝利だ!! いや、勝利も何もまだなんにも始まってねぇけど。
・授業前の早朝に、よくわかんない石柱オブジェの立ち並ぶ庭地で、Tシャツ短パン姿(さすがにブルマじゃない)の美少女達が発声練習を……ここが天国か!? よくわかんない点数は爆発的に加算され続けているのだが、お話がなんにも進んでないよ! でも、こういう雰囲気作りが大切ですね。にしても、おへそに手を当てて「あえいうえおあお」の五十音発声という、絵に描いたような演劇部の基礎練習が涙を誘う。嗚呼、けがれなき青春!
・実用性がさっぱりかぎ取れない石柱アーチがあったり、狭い範囲で階段の高低差がある妙に入り組んだ地形だったりと、トマソン好きにはたまらない魅力が満載の庭地なのだが、雑草がボーボーに繁りまくっているのが、女学院という教育施設の敷地にしてはちと不行き届きな気がする。用務員さんはいないのか!? いないんなら私が働きます!!
・出会った瞬間に演劇部の風見部長のお気に入りになり、意味不明な妖精コントの悪魔役に抜擢されるミサ。いつ「これ、なにがおもしろいの?」という禁断の破壊呪文を唱えるのかとハラハラしてしまうが、大人なミサは何も語らずやり過ごすのであった……あのミサでさえ思わずひるんでしまう恐怖のお芝居、『幻夢郷の魔術師』! 鳥肌ものというより、蕁麻疹ものですね。
・演劇部員の水島さんの潔癖症エピソードとして、自分の使っているヘアブラシに他人の髪の毛がついていたと叫んで泣き出すというものがあるのだが、それ、潔癖症じゃなくても嫌じゃね? 私は男性なのでよくわからないのだが、自分の持ち物を勝手に使われるのは女子校あるあるなのか……?
・「かわいい女子率ほぼ100%」という異様な数字をたたき出しているセイ女演劇部なのだが、この裏には風見部長の性癖という、隠す気の全くない秘密があるようである。それはそれとして、外見的に一番ぽわわ~んとしている木下さんがドスのきいた低音で『指輪物語』のガンダルフみたいな魔術師ポジションを演じているらしいのが興味深い。風見部長の眼力の高さがうかがえる。
・ピアノの旋律が流れる中で全体にぼやけた映像処理がほどこされ、ストーリーが進んでるんだか止まってるんだかわかんない美少女集団のまったり空間が延々と流されるイメージシーンが続くと、どうしても『ピクニック at ハンギングロック』(1975年)とか『1999年の夏休み』(1988年)といった「禁断のあっち系映画」を想起してしまうのだが、本作と同時期に世に出た作品として TVアニメ『少女革命ウテナ』(1997年4~12月放送)があったことも決して忘れてはならない。『エコエコアザラク』に『ウテナ』……1997年のテレビ東京は狂っとる!!
・夏にしても風がビュービュー吹きすさぶ海っぱたのテトラポットの上で、約1分30秒にもおよぶ1カットだべりシーンを演じるセイ女演劇部のみなさん。ご苦労様です! なんでまたそんなとこで会話してるのかって、そりゃスカートがめくれ上がるのを期待してる高次元の存在がいるからなのでありまして……でも、強風で常にスカートや髪の毛が逆立つ環境では、何が見えようが興奮できるわけがないのであった。エロは見えるものが何かが重要なのではない。「見えないものが見えてしまう」希少性が要諦なのだ!!
・バラバラ死体がごろごろ転がる部屋で生活しているサトル医師が、登場人物の誰よりも常識的な「この台本(『幻夢郷の魔術師』)つまんないね。」という唯一無二の真実をさらっと言っているのが非常に面白い。また、潜入捜査をしているとは思えないミサのエンジョイっぷりに対して、またつらい別れが来るのではないかと親身になって心配しているのも、かなりいいキャラクターポジションとなっている。ほんと、本作のサトル医師はつくづく便利!
・ふだん演劇部以外にどの部活が利用しているのかさっぱりわからない庭地といい、異様に立派な西洋建築の江取記念館といい、本作はロケ地選びで得しているところが本当に大きい。同じ学園ものでも、吉野ミサの映画第1作とはまるで違う差別化に成功している。
・セイ女の創立者が大正時代の華族・江取公彦男爵であり、男爵の邸宅が現在の江取記念館になっているという歴史をニコニコ笑顔で語る謎の管理人・梅津栄! 前作の天本英世さんにひけをとらない昭和の名脇役・怪優にして多才人である。うみんちゅ!
・今作の佐伯ミサは、社交的な親友に押されて受け身な天然少女だった前作の吉野ミサと違って、たまに陰のある発言をする木下さんに自分から冗談めいた口調で話しかけるような、積極的な女の子として描写されている。そういった点でも、佐伯ミサの方が吉野ミサよりもだいぶ原作マンガに近いキャラクター設定になっていることがよくわかる。ほんと、魔術の達人で真夏も年がら年中冬制服でいる以外は、ふつう。
・単にかわいいだけでキャスティングされたのかと思われていた潔癖症の演劇部員の水島を演じる三輪ひとみさんが、突然苦しみだすシーンでいきなり迫真の演技を見せるのにぎょっとする。さすが、実相寺組マノン星人! いや、ウルトラマンティガの『花』は1997年5月の放送だから、もう本作の時点でものすごい女優さんの卵だってことは周知の事実よ!
・水島さんが苦しみだしてミサがサトル医師から電話をもらうタイミングでいつものエコエコな流れに入るわけなのだが、三輪ひとみさんの演技力のおかげで転換点がかなりわかりやすくなっているので非常に観やすい。やっぱこの作品、キャスティングもロケハンも大事なところをちゃんと抑えているので馬鹿にできない。
・私そうだいもラヴクラフトは大好きなのだが、特に彼の作品世界に深く入り込みもしないのに、さも意味ありげにファンの気を引く固有名詞だけを持ち出すのは全く好きでない。なので、本作の悪役設定にそこらへんを入れるやり方は……なんか安易でヤだな。古賀新一の世界だけでいいじゃん。失礼でしょ、どちらにも。
・稽古中に謎のトランス状態に入った演劇部員を元に戻すミサの方法が、解除呪文とかじゃなくふつうにビンタなのが面白い。やっぱり佐伯ミサはパワフルだな!
・ビンタされたら、ビンタした人も含めて校舎の体育館から、よくわからない廃墟が建つ草地に飛ばされるという急な展開なのだが、フィルムの色調が全く同じであるせいか、彼女たちのいる草地がふだん部活をしていた校舎の庭地と大して変わらないように見えるのが非常に惜しい。時空の違う場所に飛ばされたっていう大ネタが分かりづらいんですよね……部員がいなくなった体育館とか、部員たちのセリフとか、先に草地に飛ばされてしまっている喫煙部員の火野さんとかいうフォローや伏線はちゃんとあるのだが、肝心の映像演出がわかりにくいので大いに損をしている!
・冒頭の妖怪ラルバに続き、火野さんを襲う謎のツタが、『ウルトラマン』の怪奇植物スフランと全く同じ撮影手法なのがあきr……いやいや、びっくりしてしまう。『Ⅲ』なのにテクニックが『Ⅰ』よりも古いって、どういうこと? よく言えば、円谷リスペクト!
・キツい……いくら画面を暗くしているからといっても、汚れたローブを着たゾンビ(ホムンクルス失敗体)がうじゃうじゃ、女の子たちがキャーという展開が、本当に「お金、ないんですね。」といった感じでキツい! ま、TVシリーズの拡大版ですから……
・台本に突然、それまで一切なんの前フリも無かったのに「昔遊んでいたユミちゃん人形が現れて喜ぶ。」っていう指示が書いてあったら、ふつうはそのお仕事を丸ごと丁重に断るのが常人の判断だと思うのだが、そこを真正面から受けて立ってしまうのが三輪ひとみさんのすごいところというか、悲劇だと思う……にしても、ペガッサ星人、スフランときて、今度は『怪奇大作戦 青い血の女』かい! どこまで先祖返りすりゃ気がすむんだ!?
・演技力として申し分は無いのだが、何人もいる演劇部員の中で、なぜか水島さんと土器手さんペアだけ、その死に彼女たち自身のトラウマ体験が丁寧に織り込まれているという扱いのアンバランスさ加減が妙に気になる。ゾンビペロペロだけで逝っちゃった鎌田さんと河合さんがかわいそうじゃないか! やるんだったら、ちゃんと『 it』みたいに全員平等に割りふってくださいよ!!
・作品のスケールが、『Ⅰ』の魔王ルシファ、『Ⅱ』の大悪魔バフォメットときて、今回の『Ⅲ』がラヴクラフト好きのアマチュア錬金術師と、確実にランクダウンしているのが哀しいが……正直でよろしい!! 予算規模も、だいたいそういう感じですよね。
・吉野ミサから引き継いだ設定として、ミサが大切にしているペンダントが今作でも登場するのだが、制作スタッフが総入れ替えになっているためペンダントのデザインが全く違うものになっているのがちと残念。というか、人間の毛髪が入っているどころか全面的にむき出しになっているデザインであるため、状況が状況とは言え、そんな得体の知れないものを託される木下さんもドン引き必至である。そういう感じのミサちゃんに先刻の半告白をされても……激重!!
・一周まわって「いちばん怪しい奴がまんま真犯人」って……どうなんだろう!?
・ゾンビたちとの戦いも、佐伯ミサは呪文はなるべく使わずに可能な限りナイフとパンチ、キックで対処していくパワータイプである。なに、なんかラスボス戦に向けて MPを温存しておくとかいう観念が存在してるの?
・今作のラスボスさんも、それなりに全力でがんばっているとは思うのだが……う~ん、どうしても映画第1作のラスボスを思い出すと、圧倒的に力不足! ていうか笑いの演技が『Ⅱ』のラスボスに輪をかけてへたくそすぎ!! ここでも大幅なランクダウンが……
・『Ⅰ』でも『Ⅱ』でも、ミサは作中で最も心を許した友人と哀しい別れ方をしてしまうのだが、本作でも親友が実は〇〇だったという衝撃の事実が明らかとなってしまう。でも、本当にラスボスの言う通りなのかどうかが特殊メイクとかではっきり表現されないので、ぶっちゃけラスボスの妄想か詐術である可能性も否定できず、な~んかピンとこないのである。ふつうの人間なんじゃない? 感情あるし。 
・ミサ不在の状態でのラスボスの悲願成就の儀式シーンが、暗すぎて何やってるのか全然わからず、肝心のところなのに退屈してしまう。まぁ、血だらけの少女の遺体が6体もある場所なので、はっきり描写できない事情は察するのだが、それでも暗闇で木下さんのズビズバ鼻水をすする音を延々と聞かされるのは、いくらなんでも難易度が高すぎる。キツいなぁ。
・たぶん、ラスボスとの対決後の10分間にもおよぶエピローグを監督は一番やりたかったんだろうなぁと思うのだが、もうちょっと彼女に演技力があればなぁ! あと、音楽ももっと盛り上げる曲が欲しかった……ちょっと意味が通りにくいのが実に残念。でも、どうすることもできない強制的な別れを受け入れざるを得なかった過去の吉野ミサ2作に比べて、本作の佐伯ミサは明らかに、心を通わせた彼女のために自分から能動的に別れを選択するという、大いなる成長を遂げているのである。このエンディングは非常にいいと思う! 本作がちゃんと過去作を引き継いだ『Ⅲ』になっていて、かつ明るい未来が見える完結篇になってるもんね。去っていくミサの後ろ姿でおしまいという形式は一緒なのだが、見え方が全然違う!


 ……ま、ざっとこんな感じでございます。

 やっぱり、「終わり良ければすべて良し」といいますか、この映画はラストの「ミサの去り方」が非常にすっきりしていまして、過去の吉野ミサの陰鬱とした去り方と違って、自分なりに最善の手段だと判断して毅然と去っていくというすがすがしさがあり、そこが映画全体の印象を大いに好転させているんですよね。あそこでミサが笑っているからいいのです。もし暗~い顔で未練がましく「さよなら……」みたいな表情で去って行ったら、もう全然ダメなんですね。ミサのたくましさと両立しなくなると思うんです。
 本作の監督は佐伯ミサの TVシリーズに多く携わっていた上野勝仁監督なのですが、このミサの去り方は明らかに「佐伯日菜子の黒井ミサは、これでおしまい!」という姿勢を表現しているものですし、TVシリーズやそれ以外の『エコエコアザラク』諸作品、もっと大きく言えばホラー映画全般から、それを楽しんでいた人々がいつか卒業して忘れ、大人になる日が来るんだよという摂理のせつなさをみごとに描き切っている名ラストシーンだと思うのです。もう『ショーン』の世界ですよね。遠くへ去り、だんだん小さくなっていつか丘の向こうに見えなくなる、ミサの背中のなんと決然としていることか。

 私、最初にこの作品を観た時は、物語の前半であそこまで親身になってミサを気遣っていた叔父のサトルがエピローグに出てこないのがもったいないと感じていたのですが、あれ、サトルが出てこなくて正解なんですね。なぜならば、サトルが心配していたような「別れに傷つくミサ」はもうそこにはおらず、鋼のように強い魂を持つミサが自分一人で決断し、自分から別れを選択することに意味があるからです。

 ですから、これは伝え方をへたくそにしたら「お前ら、こんな映画見てる場合じゃないぞ! 勉強したり働いたりしろ!」という説教になっちゃいますし、もっといくところまでいったら、本作とほぼ同時に世に出た『新世紀エヴァンゲリオン まごころを、君に』になってしまうわけなのですが、助監督を10年以上務めてきたキャリアのある上野監督は、佐藤嗣麻子監督のような映像美学こそなくとも、その職人的な手腕をもって、実にさりげなく「大人になること」や「青春のもう戻らない輝きを忘れてしまうこと」の残酷さを描き切っているのでした。だから、まぁそこにいくまでのもろもろは確かに安っぽく、かわいい女の子がワーキャー叫んで逃げてればいいか、みたいな雑なホラー映画の文法にのっとってはいるのですが、ラスボスとの闘いが終わった後の、あの妙に白っぽい精神世界で繰り広げられるエピローグがあるという一点によって、本作は『1999年の夏休み』や『ピクニック at ハンギングロック』にも列せられるべき「せつない青春ファンタジー映画」に昇華できるのではないかと思うんですよね。言い過ぎかな? いや、そんなことはない!
 あと、この『Ⅲ』のラストをもって、吉野ミサの2度にわたる哀しい別れを経験してしまった浮かばれない魂も浄化されたのではないかと思うと、やっぱりこの映画は『エコエコアザラクⅢ』と名乗って全く問題ないのではないでしょうか。全ての終わりに、別れに、ありがとう!!

 こんな感じで、不満を申せばキリのない本作ではあるのですが、観るべき点は大いにある隠れた名作であると感じた次第です。四の五の言わずに、女の子たちの観ていてなんかムズムズする演技合戦を楽しみましょう!
 と言いつつも、最後にこれだけ! 本作のラスボスは、よくよく見ると元々のラスボスだったはずの江取男爵の野望から離脱して「自分の意志をもって独立した」という下剋上タイプのキャラクターなのですが、そこらへんの経緯がほとんど描かれていないので、彼女が創造主から独立したということは、もう彼女の「完璧な人間になりたい」という切望はかなってるんじゃないの……? という『オズの魔法使い』的な矛盾に満ちた非常におもしろい人物でもあると思います。そこをモヤモヤッと処理しちゃったのは、もったいないの極地!! あんな高慢ちき一辺倒のキャラじゃないと思うんだけどなぁ。

 そんなこんなで、『エコエコアザラク』の実写映画版三部作はおもしろいよ! アニメ『機動警察パトレイバー』の三部作並みにそれぞれ個性的で、あんまり似てない三姉妹なんですが、どれも魅力いっぱいです。

 おまけのおまけに、吉野、佐伯以降の実写版『エコエコアザラク』のあゆみもまとめておきました。
 でも、3代目以降のミサの活躍は、記事にできるかどうか……ま、評判が、ね。
 80歳くらいになって心にもっと余裕ができたら、ふぉっふぉっふぉっとか笑いながら見ようかな? 何ごとにもブチ切れない寛容心を得ることは、かくも難しいものなのだ。エコエコアザラク、エコエコザメラク……


≪特別ふろく 7代目はいつ!? 歴代実写版黒井ミサ女優さんのおさらい≫
初代 吉野 公佳(19~20歳)
 …… 映画『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS』(1995年4月)、映画『エコエコアザラクII BIRTH OF THE WIZARD』(1996年4月)
2代目 佐伯 日菜子(20歳)
 …… TVシリーズ『エコエコアザラク』(1997年2~5月)、映画『エコエコアザラクIII MISA THE DARK ANGEL』(1998年1月)
3代目 加藤 夏希(15歳)
 …… 映画『EKOEKO AZARAK エコエコアザラク』(2001年4月)
4代目 上野 なつひ(18歳)
 …… TVシリーズ『エコエコアザラク 眼』(2004年1~3月)
5代目 近野 成美(18歳)
 …… 映画『エコエコアザラク R-page』、『エコエコアザラク B-page』(ともに2006年12月)
6代目 前田 希美(18歳)
 …… 映画『エコエコアザラク 黒井ミサ・ファーストエピソード』(2011年8月)
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