長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

Out of Sight , Never Out of Mind.

2013年08月02日 07時46分33秒 | ほごのうらがき
 僕の家には、30本くらいの VHSビデオテープが残っている。

 ところが、僕の家のビデオデッキはとっくの昔にオシャカになって廃棄してしまっているから中身を観ることはもうできず、持っていたところでなんの意味もない黒いプラスティックの塊に成り果ててしまっている。
 役に立たなくなってもう数年たつし、デッキが壊れていなくとも、頭出しができなかったり画質が悪かったり、いちいち巻き戻しをしなければならないビデオをわざわざ観ようとすることなんて、もうかれこれ10年くらい疎遠になっていた。完全にお役御免になっていたわけだ。

 それでも捨てずに家の物入れにひっそりと並べているのは、ただ単に捨てるのが面倒くさいということもあるのだけれど、何よりも捨てるには忍びない思い入れというか、思い出がその30本に詰まっているからでもある。実際、ビデオテープは録画したり観たりしてフルで使っていた時期にはその倍くらいの数があったのだが、特になんの愛着もない半分くらいはさっさと処分してしまった。

 今残っている30本にたいする思い出はそれぞれなのだが、その中には、ずいぶん昔にこのブログで話題にした、映画の『悪霊島』だとか、「僕が生涯観てきた中で最も怖いと感じた映像」なんかがおさめられているビデオもある。これは僕の中では、かなり大事な宝物の部類に入る。


 そんなふうにいろいろある中でも、特にこれだけは「絶対に捨てることができない」という1本のビデオテープがある。


 「絶対に捨てられない」とまで言い切ってしまう理由はいたって単純なもので、それは、そのテープがある人から借りたものだからだ。
 それは僕のものではなく、ある人のもの。だから捨てられない、というか、捨ててはいけないだろう。いくらなんでも。

 とは言っても実は僕は、つい最近になってその存在を思い出すまで、このビデオテープのことをすっかり忘れ去ってしまっていた。それを思い出した瞬間、同時に僕が、それを今も持っているのかさえ判然としないくらいに長いこと見ていないという事実も思い出した。

 探してみたら、そのビデオテープは案外なんなく見つかった。
 積もったホコリを払いながらそうとう久しぶりに手にとってみると、それは僕がなんとなく記憶しているビデオテープの重量よりもずっしりしていた。

「まさか、思い出のせいで重くなっているわけでもあるまいし……」

 おかしなことを感じながらよくよくテープを見てみたら、理由はすぐにわかった。このビデオテープは僕がよく使っていた標準120分収録テープよりも容量の多い標準200分収録テープだった。今になって考えてみれば、情報の容量とともにそのものの重量も変わるビデオテープの正直さは、やっぱり愛らしい。

 そのビデオテープの背中に貼られた見出しシールには、マジックペンの手書きでこう書かれている。


『バフィー 恋する十字架(第1シーズン)1~12』


 その記述のとおりに、このテープには1997年にアメリカで放送された、「吸血鬼退治の専門家の女子高生が大活躍する若者向けホラードラマ」の第1シーズン全12話が、まるまる録画収録されている。主演は同じようなホラーものの『ラストサマー』(1997年)やハリウッド版の『呪怨』(2007年)にも出演して人気のあったサラ=ミシェル=ゲラー、当時19歳。
 このドラマは1992年に製作された映画のリメイクなのだそうで、本国では2003年まで7シーズンが放映された人気シリーズだったらしい。
 日本でも衛星や地上波でいくつかの局から放送されたことがあるそうだが、タイトルの日本語訳から見て、このテープの持ち主は2000年に放送された FOXチャンネル版をこつこつ録画していたようだ。

 見出しシールはとても几帳面な手つきで精確に背中に貼られていて上下左右の傾きはいっさいなく、隅々まで空気のかたまりが入ることもなくしっかりと貼りつけられている。たぶん持ち主に貼られて10年以上の歳月が経っているだろう現在も、シールが粘着の弱いところからはがれてくるような気配はまったくない。

 このビデオテープのケースの中には、テープにはさまれるかたちで、これもまた手書きでつづられた1枚のメモが入っている。そこには、こんな12行の文字が並んでいる。


「1、Welcome to the Hellmouth :ヘルマウスへようこそ
 2、The Harvest :収穫
 3、The Witch :魔女
 4、Teacher's Pet :先生のお気に入り
 5、Never Kill a Boy on the First Date :初デートで彼を殺さないこと
 ……」


 いかにも若者向けらしい、わかりやすくも含みのある言葉が12。要するにこのメモは、テープに収録されている12話のエピソードのサブタイトルの、原題とその日本語訳をまとめたものになっている。

 このビデオテープを借りて最初にこのメモを見たとき、僕はものすごく驚いて、思わず笑ってしまった。几帳面すぎるとか親切にも程があるとかいう持ち主の個性だけでも充分におもしろかったのだが、英語のタイトルをいちいち直訳するその生真面目さがありつつも、その半面で、よくよく見ればメモがなにかのコピーの失敗した紙を切りつめた再利用だったり、「予言」という意味の「Prophesy 」の「s 」が抜けてしまっているような急場な感じがちょいちょい妙に目立ってくるからだった。

 すべての文字はそんな二面性をよくあらわしている、小さく細かく整然とした、それでいてとても愛らしいまるっこい字体で記されている。僕が今もよく憶えている持ち主、彼女の、ひと筋縄ではいかない人柄そのままを宿して今も生き続けている字だと、思う。


 そのビデオテープはたしか、僕が大学を卒業する直前に、彼女から借りたものだった。もう10年以上昔のことになる。

 もともと彼女との接点は、学生演劇をお互いに比較的近い場所でやっている者どうし、そのくらいしかない希薄なものだった。学年も違えば学部も違うし、所属している演劇のサークルも別というねじれた関係で、最初に彼女のことを知ったときからはじめて話をするまで、ものすごくまわりくどい時間がかかっていたことはよく憶えている。
 お互いに、それぞれのサークルが年に3~4回くらいやる演劇公演になにかの役をもらって出続けているうちに、彼女が僕のことをどのくらい認識していたのかはよくわからないのだが、僕の方は、彼女のなんともいえない存在感が気になって気になって仕方がなくなっていた。

 決して公演の看板を背負うようなわかりやすい華があるわけでもないのだが、正体がよくわからないというか、なにか、役を演じているときに入っている世界の「深さ」が、他の人たちに比べて段違いに深いというか。とにかく、その舞台に入れ込んでいる態度の真剣さが浮き上がりすぎている。
 彼女は特にそれほど演技がうまいわけでもないし、やる役柄の幅の広さで観る人を楽しませる器用さがあるわけでもなかった。でも、彼女にしか出せない空気は確実にあった。おうおうにして、僕のいた大学の演劇サークルには、役者の才能があるのかどうかは別にしても、そういう味わいのある個性的な顔ぶれはある程度は集まっていたのだが、彼女の存在はさらに異質なもので、ちょっと、見物料がタダだったり、かかっても数百円程度だったりした学生の公演で観るにはあまりにももったいない「命賭け」を毎回観ているような気になっていたものだった。

 そんな彼女がまわりの仲間たちにほっぽいておかれるはずもなく、彼女はサークルの定期公演のほかにも、サークルを引退した上級生たちの卒業記念公演だったり、同じ代の有志が立ち上げた演劇集団(劇団というほどしっかりしたものではなかった)の中心メンバーになったりとさまざまな場所に顔を出していたのだが、僕が彼女と具体的に顔をあわせることになったのも、そういうサークルの枠をこえたイレギュラーな公演の中でだった。

 当時、僕も含めてその公演に参加した人の多くは、大学の卒業後に特にプロの演劇の道を進むと決めたわけでもなく、かといって本格的な就職活動をしているわけでもなく……という、フワフワした、けれども野心と体力だけはしっかりあるという、不安と隣り合わせなハイテンションを空回りさせた人ばかりだった。今になって思えば、よくもまぁのんきに海にまで出かけてチラシの写真撮影をしたり、毎日のように公民館の空き部屋をおさえて筋力トレーニングをしたりできたものだ、としみじみ呆れてしまう。
 そんな日々の中で、いっしょの舞台に立つことになった彼女の魅力はというと、これはもう言葉にいいあらわしようのない愛らしさのあるものだった。

 なんと言えばいいのか、彼女は全力で、彼女自身の個性を覆い隠そうとしていた。

 そのために彼女は演劇という手段を選択したのかもしれないのだが、そんなことはプロの俳優でもなかなかできることではない。どうしても地の自分というものがはしばしからにじみ出てきてしまう。
 そのことを誰よりも自覚していたのか、彼女はそんな自分の不完全さを強烈に恥じて、嫌悪すらしていたように見えた。でも、そのボロのでかたこそがおもしろいというか、台本の世界とは関係なく出てきてしまう、そういった「うそいつわりのない葛藤」が、彼女の魅力の正体だった。

 彼女はよく、自分の演技のことを話題にされると顔を赤くしてうつむき急に無口になり、自分のおもしろさについて他人に茶化されるとフンッ、フンッと鼻息を荒くさせ、やはり無口になっていた。反論したくても、その言葉が見つからない。そういった感じ。舞台以外の場所では徹底的に不器用で、そこがまた魅力的な彼女だった。

 でも、いくどかの共演を通して、僕は勝手に、彼女がプロの女優を目指すには繊細すぎて気まぐれすぎると感じていたし、実際に、彼女がその道を進んでいくことはなかった。彼女の所属していたサークルの、学年が近い集まりが卒業後に正式に劇団を旗揚げしたときにも、彼女は参加することはなかった。

 僕はというと、そういった学生サークルの雰囲気とは別の経路をたどって、大学卒業後に劇団の役者になることになったのだが、心の中ではいつもどこかに、彼女がこれからどういった道を進んでいくのかを見つめていきたいという思いがあった。そういう上から目線の言い訳をとっぱらえば、単純に彼女のことが好きだ。ただそれだけだった。


 彼女が隠そうとする彼女を知りたい。何度か食事をしたり、彼女のアパートに実家から送られてきたさくらんぼを手土産に意気揚々と乗り込んだこともあったのだが、そこで見えた素の彼女は、舞台の上の虚像などが軽くかすんでしまう豊かな輝きに満ちていた。

 僕はこういうブログをやっていることからもわかる通りに、重箱の隅をつつくようなジャンルのいくつかに強い愛情を持っている人間だと自負しているつもりなのだが、それについての議論をしたときに、僕が僕なりのこだわりをもって積み重ねてきた知識をフル稼動させてやっと互角、もしくは負けていると感じた相手はそうそういない。でも、彼女は僕がそうした貴重な感覚を得たまれな人物のひとりだった。

 特にヘンな映画にかけての彼女の眼力はそうとうなもので、当時20歳そこそこだった彼女の唇から「臓物(ぞうもつ)」という単語が出てきたのには、ビックリを通り越してありがたい言葉を聴いた気分になってしまった。ロマン=ポランスキー監督の映画『吸血鬼』(1967年)についての議論ができたのもとてもうれしかったし、僕が斎藤美奈子の『紅一点論』(1998年)を読んでいないことについて軽く説教されたひとときも、あれから10年以上経っているのについ夕べのことのようによく憶えている。

 とにかく楽しかった。自分の好きな女性だとかいう、性別の話を超えたところで「得がたいひと」だと感じることができた、そういう人だった。


 ところが、日々の忙しさの堆積というものは残酷な力をもって僕の中にある彼女の存在感を薄れさせていってしまい、いつのまにか、僕と彼女との接点はわずかに、ある日なにげなく彼女から借りたアメリカのホラードラマのビデオ、たったそれだけになってしまっていた。
 彼女と最後に会ったのは、たしか彼女が大学を卒業した年の夏ごろ、東京で芝居を観たときに彼女もたまたま同じ回を観ていて、せっかくだからと終演後に近くの喫茶店に入って互いの近況を語ったときだったと思う。
 彼女はそのときには、東京でアルバイトをしながら独り暮らしをしていると話し、特にこれといった予定もなく生きていると冗談めかして、彼女特有の口を尖らせた表情をしながらフフフと笑いをもらしていた。僕も、今日会えると知っていたら借りてたあのビデオを返したのに、などと悔しがっていたと思う。

 結局、あれ以降もビデオテープは返すことができないまま、2013年の今まで僕の家に眠ることになってしまった。


 そして、つい先日。

 僕は本当に、本当に情けないくらいにあっけない形で、彼女がすでに僕のいるこの世界から去っていたということを知った。

 それは4年も前のことだった。彼女は、おそらく本人もかなり不本意なんじゃないかと思う最期を迎えていた。

 運命というものが、どうしてそこまで残酷な仕打ちを彼女に叩きつけたのか、僕にはまったく理解できない。それは多少は生き方が不器用だと感じる部分はあったわけだが、かえりみれば僕のほうがよっぽど不器用な生き方をしているところもあったし、なによりも、僕の知っている全てはガキ同然の大学生時代の一部分の情報だけだ。彼女だったら、自分というものにあんなに真剣に向かい合っていた彼女だったのならば、卒業後の世界で一人前の人生を送ることもできたはずだった。
 やはり、彼女はこの世界で生きていくにはあまりにも繊細すぎたのだろうか。いずれにせよ、彼女についてどうすることもできずに、しかもその結末を知りさえもせずにのうのうと生きてきていた僕に、それ以上の彼女についての真実を知る資格はないだろう。僕の手の届かない世界で、幸せに生きていることを願うよりほかはない。

 単なる、昔にいくらか知り合ったことのある人、と割り切ってしまえばそれまでなのだが、僕のこのブログは、それを明確に意識していなくとも、彼女のような、魅力的な宝物を大事そうにかかえたり、他人にひた隠しにしながら生きていたり、あるいはそれを捨てたいと嫌悪しているような不器用な人に読んでもらえたらうれしい、と思って始めたところもあった。
 その思いの中には当然、彼女本人がこの記事を読んだらどう思うだろうかと、つづる上での判断基準にする部分もあったし、できるのならば、彼女本人がこの存在を知って、コメントなりメールなりでなにかしらの反応を直接僕に送ってきてくれたら、などとも期待していた。

 その願いは断たれてしまった。それどころか、僕がこのブログを始める前に、彼女は去ってしまっていた。もう笑うしかないすれちがい。いかにも僕らしい、涙も出ない間の抜けた話だ。

 もう、僕がその知らせを4年前のその時に受け取らずに済んで幸せだったと考えるしかない。4年前に知っていたら……僕の生き方も変わっただろうし、ましてやこういう文章をつづるような生活もしていなかったに違いない。


 彼女とは、たぶんもう逢えない。でも、彼女が置いていってくれた記憶は、僕は死ぬまで忘れない。忘れるわけにはいかない。


 もう一度、手に取ったビデオテープのメモを読んでみた。
 ドラマの11話目のサブタイトルは、

「11、Out of Mind , Out of Sight :去る者日々に疎し」

 と書かれていた。


 いや~、ちょっと、それはないんじゃないかな!?
 もう一度、あのころのように彼女にふっかけてみよう。彼女は喜ばないかもしれないが、僕が生きていくために、彼女にも是が非でも生き続けてもらう。返事はなくともいい。


 ドラマは全話1回ずつは観たはずなのだが、内容はまるで憶えていない。
 実家にはたしか、まだビデオデッキがあったはずだ。今度帰省するときに、この重いビデオテープも持っていこう。
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超いきなり銀河小説劇場  『奇跡の星』 第2回

2012年08月24日 16時06分42秒 | ほごのうらがき
 黒く、厚くたれこめた一面の曇天が好きだ。なにかが始まりそうな空気に満ちているからだ。


 ラボでR2培養装置のチェックを終えたあと、おれは基地の最上階にある司令室にあがった。
 司令室もなにも、今現在この星にはおれの直接の部下はひとりもいない。だが、この星の天然の山の内部をくりぬいて建造されたこの基地は、外から見た様子は山の形状をそのまま残しておきながら、頂上部分だけに基地の司令室を露出させたつくりになっている。部下がいようがいまいが、この基地には確かに司令室が存在している。

 おれが司令室にのぼる理由は実にかんたんなもので、要は外の風景が一望できるからだ。
 この惑星開発基地も、ゆくゆくは惑星辺境伯第一官邸になるという夢を抱いて竣工されたのだろうが……「安定統治開始宣言発表期日未定」のまま30年の歳月がたってしまっている今、おれからはもうかけてやる言葉もない。

 司令室の大きな窓から見える外の風景は、いつもと同じ最悪のご機嫌だ。
 晴れることのめったにない曇天。遠くの方ではしきりににぶい雷光がひらめき、不穏なとどろきが響いている。
 視線を空から下におとせば、そこもまた一面の暗い灰色。この基地が埋め込まれている山と同じような、植物のいっさい生えていない岩石だらけの山々がはてしなく続く山岳地帯だけしか見えない。もちろん、司令室から目視するかぎり、この地域に高等な原住生物はまったく確認できない。

 30年間、ほとんど変わりばえのしない、どうしようもないくらいに徹底的に、黒くうちのめされた風景しか見えない。でも、おれは暇さえあれば司令室にのぼってそれを眺めてしまう。
 おれが故郷の星にいたころ。あまりよく思い出せないが、もしかしたら、おれも青空が好きだったのかも知れない。暗いどんよりした雨雲を見ては嫌な顔をする、故郷ではごくありふれた価値観を持った人間だったのかも知れない。

 しかし、少なくとも今のおれにとって、よりどころになる風景はこの曇天と、他の生物をよせつけない険しい表情をした山岳地帯しかない。
 そして、いつも太陽が顔を出していて暖かく、現地の植物や動物が思うさまに繁栄している青空の下の平和な環境は、そのまま「よそもの」のおれたちにとっては恐ろしい光景以外のなにものでもない。どこまでも果てしなく広がる青空と白い雲は、それがおれの故郷で見たそれとほぼ変わりのないものだったのだとしても、今のおれにとっては「敗北」と「撤退」の象徴でしかないわけなのだ。

 「おれたち」。今、目の前の黒雲の中を、機影がひとつ飛び去っていく。乗っているのはいうまでもなく「おれたち」の50% を占めている片割れだ。

 いおるの乗っている単座戦闘機は、最低限の武器しか据えつけられていない、どちらかというと逃げ足の速さだけで乗員を守ることのできる「快速艇」と言ったほうが実態に似合っている機体だ。はっきりいってこの星の開発状況から見れば無防備きわまりない丸腰ぶりなのだが、赴任した当初からいおるが乗っているものだ。そうとうな愛着を持っているらしい。まぁ、それはおれにとってのウージェーヌも同じことなのだが。


 黒と灰色しかないキャンパスの中を、どぎつい蛍光色のいおるの快速艇がすべっていく。

 おれはいつも、この様子を見ていると、バーのカウンターの上を音もなくすべっていく子供だましのカクテルを思い出す。学生だったか、士官候補生だったかした頃に友達と連れだって行った場所だった。そして、今おれのいる状況のすべてが、そのとき、いい気分で酔っ払って店で突っ伏しながらおれが見ている甘い悪夢のような気がしてならなくなる。

 しかし、おれの見つめるカクテルは客の手の中にはおさまらない。そのまま、止まることなく遠い暗雲のかなたへ消えていってしまった。そしてまた、目の前には灰色の風景だけが広がる静止画のような現実がもどってくる。


 今から20年前。
 母星から「1名増員」という長距離通達を受け取ったとき、おれはひどくほっとしたことをおぼえている。「やっとこの迷路から脱け出せる。」という、ただただ素直な安心。ゴールでもなくてクリアでもない「ゲームオーバー」なのだが、この際そんなことはどうでもよかった。

 その時点でおれはこの星に10年いた。そして、惑星開発は遅々として進展していなかった。いまさら言い訳をするつもりなんてないのだが、「想定外の存在」がこの星にいたのだから仕方がない。
 そしてこういう場合、責任のいっさいを背負っている現場担当者にくだされる処断は時代を超えて同じものだろう。「くび」だ。

 もともと、おれは通らないことは承知の上で、直接の監督機関にあたる第四星系開発省には「軍隊の派兵」を進言していた。
 赴任して10年という時間を必要とするまでもなく、おれはおれ1人の手でこの星を統治することがまず不可能であるという事実を、身をもって思い知っていた。つまりは、この星の「神」とのご対面ということだ。

 とりあえず、惑星原住生物の抵抗をほとんど想定していなかった手持ちの開発システムだけではどうにもならない。要するにシャベルと空気清浄機だけで、得体の知れない科学技術を持った異星人と戦争することははなはだ困難でございますと、おれは長いあいだ訴え続けていた。

 その返事としてやって来たのが、いおる1人だったというわけだ。

 もちろん、開発省がおれの意見を呑んではいそうですかと帝国軍に派兵を要請するとも思えなかったので、「1名増員」という返答は更迭のための前準備だなと予想がついた。おれがしきりに「非常事態だ」と報告していたことからすれば、ちょっと悠長すぎやしないかという気がかりはあったのだが、こういうものがお役所なのだから仕方がない。つまり、やってくる1名というのは、おれをくびにする直接の理由をみつくろうための査察官だとおれは思っていた。

 ところが。いおるはどこからどう見ても査察官ではなかった。ましてや、おれの代わりに惑星辺境伯を務めることになる新任でもなかった。

 惑星開発などというむさ苦しい現場にはまったくそぐわない女がやって来た。まがりなりにも、おれという男が1人だけでため息をついているこの星に。
 「好きな色だ」とかなんとか言って、着任の初日から自分の耐圧スーツにあわせた蛍光色の快速艇を自慢げに見せびらかしていた様子からして、いおるの到来という展開は、おれの予想をはるかに超えていた。

 役人でも軍人でもない、まるでちょっとした一人旅のついでにこの星にやって来たヒマな学生のようなこの娘……いや、娘かどうかさえわからない。なぜなら、しばらくして気がついたのだが、いおるもおれと同じ加齢停止処置を受けていた。つまり帝国の認めるれっきとした惑星技官であることは間違いないわけだ。少なくとも、ひとつの星の中で一生を終えるようなおとなしい女ではない、ということだけは明らかだった。

 いおるは長いあいだおれの基地に住み着いているのだが、やることはおれの惑星開発事業とは完全に別行動だった。だからおれの部下ではないのだが、気の向いたときに活動を手伝ってくれたりして、それがまたいっそうわけをわからなくさせる。

 おそらく、この星のなにかを調査するためにやってきた研究者なのではないかというくらいの目星をつけてはいるのだが、それも、武器をまるで携行せずにしじゅう快速艇をとばしてほっつき歩いている様子から推定しているだけのことだ。耐圧スーツと快速艇が異常にめだつのも、もしかしたら調査研究を中心にすえた機関の人間だからなのかもしれない。

 もちろん、おれの基地に住んでいるのだから「どうにかして」素性を調べあげることも簡単かと思っていたのだが、驚いたことに、いおるは第四星系開発省とはまるで違うコードで星間通信をおこなっていた。そのため、具体的にこの星の何を報告しているのかは知るよしもない。
 まぁ、とは言ってもこの星で報告するべき特異な事象といえば、それはもうあの「神」に関することの他にはなにもないだろう。

 つまるところ、おれといおるのこの星における立場はまったく違っている。おれの最終的な目標は、それが相当に困難なことだったのだとしても、あの「神」を殺してこの星を帝国の管理下におさめること。いおるの目標はおそらく、あの「神」のすぐれた科学技術を「盗む」ことなのだ。

 「神」を殺す? 今、自分でそう考えて哀しい気分になってしまった。それを30年間やろうとして失敗し続けているおれの姿が、目の前の窓にうつっているからだ。いつの間にか、基地の周辺ではさめざめとした雨が降り出してきている。


 と、その時。
 司令室の一角、無線通信ブースのランプが赤く光り、軽快で単調な連続音が流れてきた。外線からの着信。ということは……ということを考えるまでもなく、外線だろうが内線だろうが、この星でおれに通信してくるのはいおるだけだ。


「……どうした?」

「こっちは今日もいい天気。ひなたぼっこに最適ね。」

「で?」

「それだけ。」

「なんだそれは……きるぞ。」

「森で楽しく遠足をしてる子どもたちがいるんだけど。捕捉しなくていい? あなたの第2連絡口に近づいてるんだけど」


 森だの遠足だの子どもたちだの、いおるのいつもの言葉遊びがむなしく司令室にひびく。


「第2は最近、外装を新しくしたから簡単にはばれない。入り口が見えたところで、あいつらには何もわからんだろうが。」

「どうかなぁ? いつのまにか知恵をつけてるかも知れないよ、あの子たち。」

「知恵?」

「あの子たち自身に知恵はなかったとしても、あの子たちを使いまわす知恵くらい、『オジサン』にはあるんじゃない?」


 小父さん。いおるがあの「神」を呼ぶときに使う言葉だ。どうして、意志の疎通もできないような異星人に対してそんな呼び方ができるのか、理解に苦しむ。


「まさか……ただ『町』で生きているだけの原住生物だろう。『神』の兵隊になる脳みそはない。」

「あの子たち……見てるとむちゃくちゃイライラしてくるときがあんのよね。ふつうに何にも考えないで幸せに生きてる感じなのが。」

「……なにを言ってる?」

「突然あたしが光線砲をぶっぱなしてあの子たちを全員ころしちゃったら、どうなるかな。」

「聞き飽きた冗談だな。あいつらの復讐にあって全滅したくなかったら、そういうことを考えるのはやめろ。」


 自分で自分が情けなくなる。しかし、現状でのおれにとっての「神」とは、そういう存在なのだ。


「冗談、か。たしかに今日も冗談だったみたい。でも、明日あたしが同じことを言ったとき、それも冗談かどうかはわからないわよ。」

「いい加減にしろ。もうきるぞ。」

「これから『峠』に行く。もしかしたら逢えるかもしれないから。」


 また、あいつか。


「おい、大した武装もしてないんだぞ! 余計なことは絶対に……」

「♪ アダム~とイヴ~が~ りんごを食べてか~ら~」


 いおるの唄声が、司令室に流れた。いつもことあるごとに口ずさんでいる、いおるの大好きな歌だ。


ふにふにふにふに 後を絶たない……


 いつの間にか、通信は途絶えていた。おれは軽いめまいをおぼえた。



《つづく》
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超いきなり銀河小説劇場  『奇跡の星』 第1回

2012年07月21日 23時12分46秒 | ほごのうらがき
 たとえば、夢とか。


 夜に見るほうの夢のことなんだが、自由にどの時代のどの世界にでも行ける、なんて子どものころに教えられてきた夢の世界も、最近のおれの場合はだいぶ変わってきた。

 昔、おれがこの星にやってきたころ。夢に出てくる世界は当然ながら、おれがついさっき出てきたばかりのおれの星が舞台だった。小学生だったころにしょっちゅう遊んでいた広場とか、高校生のときにガチガチに緊張しながらたどり着いたインターハイの試合会場だとか。
 そこによく出てくる顔ぶれだって、ごく当たり前におれの星のおれの周囲にいた人たちだけだった。家族、親戚、親友、先輩、後輩、上司、部下、彼女、妻になった彼女、子どもたち……

 それが、最近はどんどん夢に出てこなくなっていく。実の父親としてはあるまじきことなんだが、最初に消えてしまったのは、おれの赴任が通達された3ヶ月前に生まれた長女だった。
 無理もないことだとは、自分に言い聞かせている。おれが長女と一緒に暮らしていたのはその3ヶ月だけだった。通達されるやいなや、恒星間高速ラインの乗船手続きやら有人ステーションの隊長免許の取得やら、惑星探索基地の辺境伯就任式典やらで家を離れることになり、そのまんま宇宙に追い出されることになってしまったからだ。

 あれからどのくらいの時間がたったのか。あまり思い出して気持ちのいいものではないので数えたくはないのだが、おれがこの星に来てかれこれ30年の歳月が経った。

 30年だ。夢の風景が変わるのも仕方のないことなんじゃないだろうか。おれの星のすべての経験が過去のことになりつつあるのだが、そのかわりにおれの頭の中にドカドカ押し入ってくる新しい情報はというと、なにもかもがまるごと、思い出したくもないこの星の地獄絵図だけなのだからどうしようもない。
 ところが、情けないことにおれのこれまでの人生の成分は、時間でいうと半分以上がこの星のものになってしまった。そう考えてみれば、数字上の比較で見たらおれはもうおれの星の人類ではない。どちらかといえば宇宙人だ。この星の最初の人類になってしまったみたいなもんだ。

 はっきり言って、おれもまさか30年もこの星にいることになるとは考えてもみなかった。赴任して最初の5~6年くらいは「話が違う」とかなんとか、おれもいきまいて星間通信モニターに映った上司なり役人なりをどなりつけることが日課だったのだが……なにもかもが後の祭りであることは明らかだった。殴りたいにも相手は3光年遠くにいる。

 別におれの星の偉い人たちを弁護するつもりはないのだが、おれが30年もこの星にいなければならなくなる事態になるとは、おれの赴任当時には誰にも予想できなかったのだ。この星の実状は完全におれたちの想像の域を超えてしまっていた。

 多少の知的生物が生息していることはもちろん観測済みだったわけなのだが……驚いたことに、この星には「神」がいた。

 最初のうちは骨のあるやつがいるな、などとポテナを口に放りこみながらのんびりかまえていたのだが、フタを開けてみればご覧の有様だ。おれたちは惑星開発どころか、原住生物の統括管理さえおぼつかないままで、みすみす30年という時間を失っている。

 おれ自身の辺境伯としての不甲斐なさ……そんなもののせいにして自暴自棄になるのもとうの昔に飽きてしまった。無能だったら30年もこんな星にはいられないし、正直言って真意はよくわからないのだが、一向におれを更迭しようとしないおれの星の態度も、一応はおれの仕事を認めていてくれるあかしなのだろう。こちらはクビでもなんでもいいから、早くここからおれを開放してくれる知らせがほしいのだが。

 だが、思えば星間通信モニターに映るおれの星の風景も、おれの記憶の中にあるものとはだいぶ変わってきてしまった。たまに面会できる妻も家族も年をとったし、いなくなる顔もちらほら出てきている。それにひきかえおれはと言うと、惑星開発技官の宿命として肉体上は加齢しない身体になってしまっている。この星にいるかぎりは「永遠の20代後半」のままということなのだ。外見上は若いわけだが、いまさらおれの星に帰還しても話題の合う若者はいないだろう。むかし、80年間「向こう」にいたというプファルツ中将にお会いしたことがあったが、同じ生き方をしている同志がひとりもいないというのは過酷な現実だ。

 竜宮城を経験してしまった浦島太郎にとっての「いるべき場所」は、果たして彼がかつて生まれ育った漁村だったのかどうか。
 今まさしく、おれはこの問題に身をもって対峙しているわけなのだが……答えはやっぱり、おれがいつも単座戦闘機の窓から眺めている風景、ということになるのだろう。この星で30年間生きている。これは夢でもなんでもない、否定しようのない事実なのだ。


プシ、


 後ろの入り口が開く音がした。おとといにメンテをしたおかげで開きがスムースになって気持ちがいい。

「R2の調子はどう?」

 振り向かなくたって、ドアが反応した時点で誰が入ってきたのかはわかっている。いおるだ。

「……今のところ使えるのは40% ってところだな。」

「150ばかし持ってきたいんだけど。たぶんあんまり減らさないで返せるから。」

「散歩か?」

「交渉よ、こうしょう。」


 交渉だと。何度聞いても笑える冗談だ。おれはここでやっと振り向いて、いおるの姿を捉えた。

 あいかわらず、基地の中でもいおるは耐圧スーツを身につけている。もともとこの星は条件がかなりいいので、船外だってそれほど厳重にスーツを着用しなくてもいいし、むろん基地の中では着る必要はまるでない。好きで着つづけているのだろう。
 耐圧スーツは頭の上から強化ブーツのつまさきまで、身体にぴったり密着したデザインで統一されている。
 大昔のSF マンガのヒロインではないのだが、いおるもやっぱり身体のラインは隠しようもない。細い首、こぢんまりした肩、ほっそりした腕にほどよく肉のついた胸に、これまたほどよくくびれたウエストからの丸い腰。
 見飽ききっているはずなのだが、それでもどうしてもそのスタイルの良さ、特に筋肉のたっぷりついたふとももからキュッとしまったふくらはぎに移っていく、いおるの脚にいつも目がいってしまうのが、我ながら情けない。


「だいぶ進んでるみたいでけっこうだな。ろくな武装もしないで行って大丈夫なのか。」

「武装の段階なんてとっくに抜けてるのがわたしのやり方なの。まだわかってないのね。」


 いおるの眼が何百万回目かのいたずら好きな光を輝かせる。そう、いおるの最大の特徴は、その大きな両目だ。
 少しだけつり目ぎみになっている大きな二重まぶた。まつげは自然に、けれどもめいっぱい主張しながら天井めざしてそりかえっている。そのまつげが微妙にゆれ、目が半月のように細くなったときこそが、いおるのいおるらしさが発揮される瞬間だ。
 その両目の中に光るエメラルドグリーンの瞳もまた、自然と見る者の動悸を早まらせてしまう不思議な力を持っている。顔というか、全体的に白いいおるの肌がさらにその碧さをきわだたせるのだが、そういった色の取り合わせをいおるの顔以外によその世界で見たことは、おれはいまだにない。なんとなく癪なのだが、おれの星でもこの星でも見たことがない。

 しかし正直言って、おれはいおると長く付きあいすぎてしまった。いまさらいおるのその瞳にまどわされてしまうこともなくなったし、その奥にあるいおるなりの「戦法」のようなものも、おおかた見えすいてくるようになってしまったわけだ。


「なんでもいいさ……とにかくおれの邪魔はするなよ。」

「邪魔ってどういうこと? あなたより先に『町』をとるってこと? それとも、わたしが『町』に寝返ってあなたを殺すってことかな。」

「どっちもできるわけないだろうが。寝返る? 宇宙人と一緒になって同じ星の人間を攻撃するやつなんて聞いたことがないぞ。」

「あなたが知らないだけじゃないの? 腕っぷしでどうにもならないことは、あなたが30年以上かけて証明し続けてるじゃない。だったらわたしはあなたの方法以外の手でいく。それだけよ。」

「……別に止めはしないさ。ただ、お前だってこの星に来て20年になるってことだけは忘れるなよ。」


 部屋じゅうに、高い周波数で細くこまやかな振幅を持った不気味な音が鳴り響いた。何者にも崩されることのないルールを持った、例えるのならば、数多くの血塗られた歴史の舞台の傍らにいながら、自分自身はまったく汚されることなく現在に生き残ってきた、帝立博物館のガラスケースの奥に眠っている陶磁器のような、調和と狂気を同居させたリズム。
 まわりくどい言い方になって悪いが、要するにこれが、いおるの笑い声だ。

 癇にさわる高笑い。20年間見せつけられてきたいつものやり方だ。
 よくもまぁ飽きもせずにやれるもんだ。しかもよりによって、そんないおるに、おそらくは宇宙の中でいちばん飽きがきているこのおれを相手にして。

 うつむいてため息をつこうかと思った瞬間、いおるはおれに馴れ馴れしく飛び込んできて、おれの腰に腕をまわしながら、自分の顔を遠慮なく寄せてきた。まぁ、これも予想がつく流れだ。


「あなた、自分とこのわたしの身体をよく見てみてよ。時間はわたしたちのために待ってくれてるのよ。だからわたしはそのご好意にあまえてるだけ。こんな星にとばされてるんだもの、おいしい部分はちゃんとフルに使わなきゃ。」

「何が言いたいのかさっぱりわからないんだが……お前はつまり、計画がまったく進まないこの星の状況を変えたくないのか。」

「今のわたしたちが時間にこだわってるってことほどシュールな冗談はないんじゃない?」

「若いままでいられるのなら、目標を達成して自分の星に帰ることができなくなってもいいってわけか?」

「わかってないのね。」


 首をかしげながらフンと息をついたとき、なぜか一瞬だけいおるの香りが鼻にささった。


「交渉だの目標だのなんて、わたしにとってはどうでもいいの。永遠の若さだなんてほしくもないわ。」

「じゃあ何なんだ? どうしてお前は20年以上もこの星にいる。」

「楽しいからに決まってるじゃない。楽しいからここにいるし、楽しいからあなたと別行動をとってるのよ。飽きたら次に何をするのか……それを考えるのも楽しいかな。」

「のんきな言い訳だな。どうせ飽きてもなにもできないだろうが。計画が終わらなければ、おれたちはこの星を出ることだってできないんだ。」

「出なくてもいいんじゃない?」


 コツ。
 いおるの強化ブーツが床をひとつたたく。


「……どういうことだ。」

「ここをわたしたちの星にしたらいいのよ。征服でもなく降伏でもなく、いちばん楽しい方法でね。」


 いおるの眼が、また碧く輝いた。


《つづく》
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いきなり銀河小説劇場 『標高2000m の山口百恵』

2011年11月08日 22時27分42秒 | ほごのうらがき
「……いいべが?」

「うん……やんべ。」


 2人は半裸だった。いい加減に水の温度も冷たく感じるようになってきた夏の終わりごろだったと思う。


 半裸なのには理由があった。高校のプールの授業の直後だったから。

 もうそろそろ、天気がよかったところで水泳が楽しくなるわけでもなくなってきたんだな、と季節のうつろいを文字通り全身で感じてくちびるを紫色にさせていた俺に、あみなが授業が終わるなり声をかけてきた。

「ちょっと話があんだげんと……来て。」

 別にここで話してもいいんじゃないか、とは思ったのだが、そんなに太いわけでもないのに妙に通って力のあるあみなの声は、特にこういうときに有無を言わせない効き目を見せていたものだった。
 こういうとき。まぁ、なにか彼女なりの策をくわだてている時だろう。

 俺の返事の確認なんかするはずもなく、あみなはいつもの背筋のぴんとした歩き方でプールわきの用具室に向かった。ほかの同級生でごったがえしているシャワーのあたりをさけたということは、これはいよいよ他言無用の話らしい。

 とは言っても。
 俺の頭の中に、よくラブコメマンガで出てくるような発言があみなの口から出ることを期待する脳細胞はひとつとして無かった。脳細胞どころか、心臓の細胞も胃の細胞も、青春も狂い咲きのまっさかりということで日頃あんなに「彼女をつくれ、まぐわえ」とうるさい精嚢の細胞までもが、まぁそんなことはないだろうとクロスワードパズルに夢中になっているていたらくだったのだ。
 俺どころじゃない。あみなと俺が意味ありげに離れていくのを見た奴らも少なからずいたとは思うのだが、その中のだぁれも、直前まで俺とのくだらない話に花を咲かせていたテッペイまでもが、俺たちに対する興味はなんにも示さないまま、シャワーの順番に並んでいたり両目をピューッとなるアレで洗っていたりしたのだ。

 よくわかる。まず、恋愛方面で俺とあみなの間になにかが起こることはない。

 高校時代の俺は、ほんとに入学した高校を完全に間違えたと後悔する毎日のくり返しだった。
 人間関係で苦労した記憶はほとんど残っていないのだが、とにかく成績が悪かった。それなのに学校がプライドたっぷりの進学校だったんだからしょうがない。
 俺の場合は、最初の入学試験でボタンをかけちがえたのが、卒業式の最後に講堂からズラズラと退場していった行進の388歩目でクラスの自分の机に座ってふーっと息をつく瞬間までズレたままだった。それだけのことだったんだ。
 頭のいいナイスガイやおしとやかな才媛がいっぱいという感じのさわやかな学校だったわけだが、俺の存在はというと、その校舎の日陰に誰に頼まれもしないのにはりついているゼニゴケみたいなもんだったんじゃないだろうか。光合成をして日本全国の少年少女にその名前をおぼえられるだけ、ゼニゴケの方が俺よりもよっぽど地球に貢献しているし、ジャニーズのメンバーになる可能性だって数百倍ある。

 その一方で、あみなはとにかく目立つ存在だった。

 さすがに高校ともなると、なんやかやでみんな将来のことで気もそぞろになってくるのでクラスのアイドルとかイケメン四天王みたいなものを選定する余裕はなかったのだが、あみなはごく自然にクラスの中心にいることのできる不思議な透明感のある女の子だった。アイドルらしくはないが、性別のよくわからない太陽みたいな存在だった。3年間クラスは俺といっしょだったのだが、彼氏がいたという話は聞いたことがない。

 細身で色白。長くてまっすぐな髪も色のうすい天然のブラウンだった。背はそれほど高くないが、立っても座っても姿勢がいいので小柄な印象はない。
 よく話す子だったおぼえはあるのだが、あまり大口をあけて笑っているのを見たことはない。ただ、なにか持論を熱っぽく語っているときに、上気して真っ白な顔の頬あたりだけがじょじょに桃色になっていくのを随分ときれいだな、と凝視してしまったことはよくあった。
 ひとりでいる時、あみなはいつもその華奢なあごを心持ちくっと上向きにして、真正面から高い位置にあるなにかを見据えているような顔をしていた。たぶん、下から上目づかいにものを見るような媚びたしぐさは好きじゃなかったんだろう。

 あみなは高校のある街とはそうとう離れた地方(高校のある街だってぶっちぎりの地方だが)からひとりで入学してきた子で、遊びに行ったことはなかったが、寮か下宿みたいなところに3年間暮らしていたらしい。
 今おもえば、あみなは人前に出るときにはいつでも「あみなのなりたいあみな」を演じていたような気がする。もちろん、ずっとそれをやらなきゃいけないんだから、疲れるような無理はせずに喜々としてなりきっていたんだろうが、ぴんとした背筋でブルーがかった透明な声を朗々と飛び立たせていた彼女の姿は、時々俺を「そうでないあみな」が見たくてしょうがない気分にさせるほどしっかりしたものだった。


 こういった感じで対照的な俺とあみなだったんだが、プールの片隅でおこなわれたやりとりはこんなものだった。


「あのよ、今度の文化祭で出し物やるつもりなんだげども、いっしょに出でけね?」

「え、出し物? なにやんの。」

「あれ、今、コマーシャルでやってんのあっどれ。『マカレナ』ってダンス。」

「あ、あぁ、あの高利貸しのやづ。」

「そうそう、あれ、やんの。看護婦のかっこして。」

「あぁ……え? 誰が?」

「んだがら、わたしどあんだ。」

「え……女装すんの、おれ!?」

「たのむず。ほがにやりそうな男子いねぇんだもの。」

「そりゃそうだべ!!」


 この流れではじめにもどるわけだ。

 うちの高校ではご多分にもれず秋に文化祭が行われるのだが、講堂でおこなわれる前夜祭をかねた開祭式みたいなものには自由参加形式の出し物コーナーがあり、そこでクラスや部活の催し物の宣伝をしたりするまともな人たちに混じって、形式だけTV の漫才やコントにならったネタとも言えないネタをやる奇特な層も毎年いるにはいた。もちろん、ネタをやる人やその内容はリハーサルもしないので完全なぶっつけ本番のサプライズになる。
 実を言うと、俺は他ならぬそのあたりのおかしな連中の常連で、授業に参加できない日々から逃避しようとした挙げ句に、放課後の演劇部員としての活動に転機を見いだそうとした大馬鹿ポンスケ野郎だったのだ。この文化祭の出し物もそうだが、部活の公演やふだんの学校生活でさえ、それから15年の時が経とうとしている今でも思い出した瞬間に顔から火が出るような痴態を演じてきていた。

 そんな俺を今年の出し物に誘うのは無理からぬことかも知れないが……あみな、一体どうしたの?
 しかし、あみなのいつも通りのまっすぐな視線と、恥を忍んで水滴のしたたる濃紺のスクール水着姿で申し出てきた誠意をむげにしりぞけることはできなかった。
 即、承諾。俺に残された選択肢はそれしかなかった。

 そこから始まった、放課後の女子バスケ部の部室でのビデオ画面との苦闘は省略し、文化祭当日での実際の成果も省略したい。俺の勝手な記憶の中では「大ウケだった」ということになっている。

 本番よりもよくおぼえているのが、2人で講堂の外で制服から看護婦のかっこうに着替えている時の緊張だった。
 バタバタしている上に、おそらく大げさに言えば初めての舞台になるであろう数分後のダンスに向けて大いに緊張していたらしいあみなは、それでも堂々とした態度を崩さずに制服から下着、下着から看護婦へとてきぱきと着替えていた。となりに同じく下着姿になっている同年代の男子がいることを忘れているのか最初から意識していないのか、隠すそぶりはまったく見せなかった。

 俺が、あみなから借りたブラに丸めたトイレットペーパーをつめたものをつけて看護婦ルックになったのを確認すると、あみなは真正面からそれを見つめて、

「う~ん。もっとつめっべ! んで、ぎゅっとよせで!」

 と、俺の胸元からさらにトイレットペーパーのかたまりをつめ込んでぐいぐいもみしだく。
 残念ながら、それに劣情をもよおす余裕と変態性を俺は持ち合わせていなかった。

 ただ、そこまでしてなにかを追究するあみなの決意のような熱に俺は感動した。
 これがあったら、なんでもどうにかなるんじゃないだろうか。そんな気がした瞬間だけは今でもよくおぼえている。


 あれから15年後。

 あみなはどうやら、メキシコに住んで日本との友好を深める活動をしているらしい。ダンスや紙芝居を子ども達に披露していると聞いたような気がする。

 聞いたといえば、どこで聞いたのかはすっかり忘れてしまったのだが、あみなは山口百恵の歌がびっくりするほどうまかった。
 歌がうまい上に、声質がそっくりなのだ。高校時代に聞いた記憶しかないのでだいぶ美化されているかも知れないのだが、ちょっとCD で聞く本物の歌声と聞き分けるのが難しいくらいのレベルだったはずだ。
 いっしょにカラオケに行った記憶はないのだが。俺はどこであみなの『夢先案内人』や『プレイバック PART2』を聞いたんだろう。
 まぁ、それはまたいつか再会した時に聞けばいいことだ。

 俺は心のどこか片隅で、1回だけでもいいから、またいつか、どこかで必ずあみなに逢って山口百恵をリクエストすることを生涯のひそかな楽しみにしている。ことわられたらそれまでなのだが、それをやるまではうかつに死ねない。

 もうずいぶん前に会わなくなった知り合いなのに、どうしてこうやって時々俺はあみなのことを思い出すのだろうか。別に恋人でもなかったのに。

 それはたぶん、俺から見たあみなとの距離が、昔からずっと変わっていないからなんだと思う。だから、どこに行ってもあみなを忘れるということはない。


 高校の講堂裏のとなり同士と、日本とメキシコとの距離の違いなんて、結局はそんな程度のものなんだ。
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