長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

おまえ0まで、わしゃ-1.0まで!! ~映画『陰陽師0』~ 資料編!

2024年04月22日 21時10分14秒 | 日本史みたいな
 みなさま、どうにもこんばんは! そうだいでございます。

 いや~、観てきた観てきた! やっぱり、あの監督の作品であるだけのことはありました。いろいろお土産をもらって来たと言いますか、観終わった後に脳みそがぐ~るぐるフル回転しちゃう感じと言いますか。
 最近あたくし思うんですけれども、結局、映画鑑賞って、「面白かったか、つまんなかったか」っていう判断基準じゃないと思うんですよ。「自分の魂の温度が上がったか、なんにも影響なかったか」! ここなんだよなぁ、千ウン百円払った甲斐がある体験だったのかどうかの分水嶺は。

 ぶっちゃけ、不完全でもいいんです、面白くなくなっていいんです。それで、「どうしてあそこはああだったんだろう?」とじっくり考える気になれたのなら、そのきっかけを与えてくれた映画には感謝をせねばならんのですわ!

 ということで、今回の映画は、けっこう観る人によって評価が正反対になりそうな作品なのですが、私は速攻で、映画を観て1~2分で判断いたしました。「これは、絶対に我が『長岡京エイリアン』で採り上げるべき映画である!!」と。
 ……いや、ぶっちゃけ、映画を観る半年以上前に、この作品の監督が「かのお方」であることを知った時点で、全身全霊をもってぶち当たらせていただくことは決まってたんですけどね。

 なにが『ゴジラ -1.0』だ、なにが『ゴジラ×コング 新たなる帝国』だ、なにがオスカーだ!!
 青春の日に魂を熱くしてくれたあの大恩、いまだ我が胸に消えず! 佐藤嗣麻子監督の最新作に、みんなちゅうもーく!!


映画『陰陽師0』(2024年4月19日公開 113分 ワーナー・ブラザース)
 『陰陽師0(おんみょうじゼロ)』は、夢枕獏の小説『陰陽師』シリーズを原作とし、夢枕の全面協力の元、安倍晴明が陰陽師となる前の青年時代を完全オリジナルストーリーとして描いた映画。

 監督の佐藤嗣麻子と原作者の夢枕は、まだ佐藤が学生だった40年前に日本SF大会の会場で知り合い、それ以降夢枕からサークルに誘われるようになった。その後も佐藤と夢枕の交流は続き、やがて夢枕から『陰陽師』シリーズの映像化を要望されるまでになる。夢枕との約束から約35年を経た2015年より脚本の執筆を始めたが、美術や衣裳など細部に至るまでの考証には一切手を抜くことはなかったという。
 佐藤は、映画制作で困難を極めたのが陰陽寮の再現であったと言う。平安時代の建築物は寺社仏閣以外現存しておらず、作りこむ必要があったと言い、さらに夢の中にまで範囲が広がったため、ゼロから作り上げるのにとても苦労したと語っている。
 佐藤によれば、本作の主演を務めた山﨑は「とても不思議な人」であったといい、「人間離れしている人なので安倍晴明にはとても向いていると思った。夢枕さんの原作でも晴明は美形として描かれているので、そういった面でも合っていると感じた。」と言う。さらに「撮影中でも文句ひとつ、不平不満も一切言わない。とてもストイックな人」だと感じたという。また源博雅を演じた染谷将太については、「晴明と博雅の友情関係については原作通り丁寧に描きたかった」ため、山崎のキャスティングが決まった後すぐに出演を依頼したといい、難しい注文が好きという染谷に無理難題を与えたところ「とても的確に演じてくださった」という。
 なお、アクションシーンについてはアクション監督を務めた園村健介がインスピレーションの題材として参考にしたのが羽生結弦であり、浮遊感のあるアクションを作っていったと佐藤は語っている。


あらすじ
 天暦二(948)年、平安京。
 目に見えない呪いや祟りから京の都を守る省庁にして学校「陰陽寮」の学生(がくしょう)たちが、一人前の陰陽師を目指し切磋琢磨する中、陰陽師になることにいっさい興味のない学生・安倍晴明は陰陽道の授業をサボってばかりだった。狐の子で呪術が使えると噂される晴明を見守るのは、晴明の親代わりをする陰陽博士の賀茂忠行だけである。晴明の心には両親を殺した男の影があるが、その顔は見えないままだ。
 ある日、真言宗の高僧・寛朝の寺で公達に呪術を披露する晴明を見かけた中務大輔・源博雅は、晴明に頼みごとをすべく陰陽寮を訪れる。晴明の無礼な態度に面食らいながらも、博雅が従妹の元斎宮・徽子女王(よしこじょおう)の邸宅で夜ごとに琴がひとりでに鳴る怪異を相談すると、意外にも晴明は興味を示す。
 その頃、陰陽寮の特待学生である得業生(とくごうしょう)の橘泰家が、自宅の井戸の中で死体となって発見された。陰陽寮の長である陰陽頭(おんみょうのかみ)の藤原義輔は、泰家殺害の犯人を捕らえた者を次の得業生にすると定め、晴明もその命によりしぶしぶ事件の捜査に乗り出すのだったが……


おもなキャスティング
安倍 晴明 …… 山﨑 賢人(29歳)
 陰陽寮の学生(がくしょう)。幼い頃に両親を殺され、殺した男の影を追い続けている。賀茂忠行の弟子として陰陽寮に入寮したものの、陰陽師になることに興味を抱いておらず、授業も真剣に受けようとしない。陰陽師としての才能は随一なのだが不遜な態度をとるため、周囲から妬まれている。実は狐の子で呪術が使えるなどといった噂がある。本作の時点での年齢は27歳(数え年では28歳)。

源 博雅 …… 染谷 将太(31歳)
 醍醐天皇の孫で中務大輔。現在は賜姓降下して「源」姓を名乗っているが、叔父にあたる村上天皇の前でも普段着が許されている非常に高い地位にある。雅楽家として高名であり、龍笛や琵琶をはじめ数々の楽器を自在に弾きこなす。陰陽頭にさえ頭を下げられる身分である自分にも生意気な態度をとる晴明に対して、どことなく親近感を覚える。
 なお、史実の源博雅も本作の天暦二年の時点では、演じた染谷と同じ31歳である(ただし数え年)。

徽子女王 …… 奈緒(29歳)
 醍醐天皇の皇孫。10歳の頃より親元を離れて務めてきた伊勢神宮斎宮を退いた後、京に戻る。従兄である博雅を慕っている。常人には見えないものが見えてしまう「見鬼(けんき)」という特異体質の持ち主で、自邸の琴がひとりでに鳴り出すという怪異について博雅に相談する。
 なお、史実の徽子女王は天暦二年の時点では20歳であり、9~17歳の時期に斎宮を務めた。また、徽子女王は琴の名手だったが、「平安朝三十六歌仙」にも選ばれる歌人としても有名である。

平郡 貞文(へぐりのさだふみ)…… 安藤 政信(48歳)
 陰陽寮の学生。農民生まれの45歳で、故郷に残してきた母に楽をさせるために栄達して陰陽師となるべく、まずは得業生を目指して勉学に励んでいるが、泰家ら年下の学生たちに馬鹿にされている。

橘 泰家 …… 村上 虹郎(27歳)
 陰陽寮の学生。成績優秀な得業生ではあるが傲慢な性格の持ち主。

村上天皇 …… 板垣 李光人(22歳)
 醍醐天皇の第14皇子。兄・朱雀天皇の崩御により即位した。甥にあたる博雅から龍笛を教わっている。多くの女御たちに囲まれるプレイボーイで、晴明の噂を聞き興味を抱く。
 なお、史実の村上天皇も天暦二年の時点では、演じた板垣とほぼ同年齢の23歳である(数え年)。

賀茂 忠行 …… 國村 隼(68歳)
 陰陽博士。暦家としても名高く、陰陽寮では講師として陰陽道を教えている。幼い頃に両親を失った晴明を引き取り育て、自らの弟子にした。晴明の陰陽師としての非凡な才能を認めて得業生に推挙するが、周囲からはえこひいきだと批判されている。出世欲の見られない晴明を案じている。
 なお、史実の賀茂忠行は生没年不詳である。

惟宗 是邦(これむねのこれくに)…… 北村 一輝(54歳)
 天文博士。陰陽寮で天文道を教える。学生たちに熱心な指導を行うが、かわいげのない晴明はいけ好かなく思っている。

藤原 義輔 …… 小林 薫(72歳)
 陰陽寮の長である陰陽頭(おんみょうのかみ)であり、現在空席となっている天皇直属の陰陽師「蔵人所(くろうどどころ)陰陽師」に最も近いと言われている陰陽師。占いや呪術の腕は超一流で、陰陽師としてただ一人、帝の清涼殿に入ることができるが、昇殿までは許されていない。

陰陽学生・丈部兼茂 …… 桐山 漣(39歳)
陰陽学生・小野春光 …… 石田 法嗣(34歳)
陰陽学生・佐伯義忠 …… 高橋 里恩(26歳)
陰陽博士・葛木茂経 …… 嶋田 久作(68歳)
僧・寛朝      …… 眞島 秀和(47歳)
泰家の母・薫子   …… 筒井 真理子(63歳)
橘家の使用人    …… 吹越 満(59歳)
左大臣・藤原 実頼 …… 山崎 一(66歳)


おもなスタッフ
監督・脚本   …… 佐藤 嗣麻子(60歳)
製作総指揮   …… 関口 大輔(56歳)
企画      …… 濱名 一哉(68歳)
音楽      …… 佐藤 直紀(53歳)
撮影      …… 佐光 朗(66歳)
美術      …… 林田 裕至(63歳)、愛甲 悦子(?歳)
アクション監督 …… 園村 健介(43歳)
呪術監修    …… 加門 七海(?歳)
ナレーター   …… 津田 健次郎(52歳)
制作      …… ROBOT
配給      …… ワーナー・ブラザース映画


≪ドーマンセーマン特別ふろく! 映画&ドラマに登場した歴代晴明 with 複数回登場した歴史上の人物≫
※俳優さんの年齢は、その作品の公開 or 放送開始当初のものです。

1、連続ドラマ『陰陽師』(2001年4~6月放送 NHK総合 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 稲垣 吾郎(27歳)
源 博雅  …… 杉本 哲太(35歳)
蘆屋 道満 …… 寺尾 聰(53歳)
藤原 兼家 …… 石橋 蓮司(59歳)
藤原 兼通(兼家の兄)…… 平野 稔(66歳)

2、映画『陰陽師』(2001年10月公開 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 二世 野村 萬斎(35歳)
源 博雅  …… 伊藤 英明(26歳)
村上天皇  …… 岸部 一徳(54歳)
藤原 兼家 …… 石井 愃一(55歳)
藤原 師輔(兼家の父)…… 矢島 健一(45歳)

3、連続ドラマ『陰陽師☆安倍晴明 王都妖奇譚』(2002年7月放送 フジテレビ 原作・岩崎陽子)
安倍 晴明 …… 三上 博史(40歳)
賀茂 忠行 …… 筒井 康隆(66歳)
賀茂 保憲(忠行の嫡男)…… 段田 安則(45歳)
村上天皇  …… 花田 裕之(42歳)

4、映画『陰陽師II』(2003年10月公開 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 二世 野村 萬斎(37歳)
源 博雅  …… 伊藤 英明(28歳)
村上天皇  …… 螢 雪次朗(52歳)
藤原 兼通 …… 斎藤 歩(38歳)

5、映画『妖怪大戦争』(2005年8月公開 監督・三池崇史)
安倍 晴明 …… 永澤 俊矢(43歳)

6、映画『源氏物語 千年の謎』(2011年12月 原作・高山由紀子)※感想はこちら~
安倍 晴明 …… 窪塚 洋介(32歳)
紫式部   …… 中谷 美紀(35歳)
藤原 道長(兼家の五男)…… 東山 紀之(45歳)
藤原 行成 …… 甲本 雅裕(46歳)
一条天皇(村上天皇の孫)…… 東儀 秀樹(52歳)
藤原 伊周(道長の甥) …… 佐藤 祐基(27歳)

7、スペシャルドラマ『陰陽師』(2015年9月放送 テレビ朝日 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 十世 松本 幸四郎(当時は七世市川染五郎 42歳)
源 博雅  …… 堂本 光一(36歳)
蘆屋 道満 …… 國村 隼(59歳)
藤原 兼家 …… 川原 和久(53歳)
藤原 道長 …… 和田 正人(36歳)
藤原 兼通 …… 六平 直政(61歳)
藤原 師輔 …… 志垣 太郎(64歳)
賀茂 保憲 …… 神保 悟志(52歳)
村上天皇  …… 冷泉 公裕(68歳)

8、スペシャルドラマ『陰陽師』(2020年3月放送 テレビ朝日 原作・夢枕獏)※感想はこちら~
安倍 晴明 …… 佐々木 蔵之介(52歳)
源 博雅  …… 市原 隼人(33歳)
蘆屋 道満 …… 竹中 直人(64歳)
賀茂 忠行 …… 大出 俊(79歳)
賀茂 保憲 …… 橋本 じゅん(56歳)

9、再現ドラマ『いにしえの天文学者 安倍晴明』(2020年11月放送 NHK BSプレミアム)
※科学番組『コズミックフロント☆NEXT』(2015~23年放送)内で制作された再現ドラマ
安倍 晴明 …… 稲垣 吾郎(46歳)
藤原 兼家 …… 鄭 龍進(47歳)

10、映画『刀剣乱舞 黎明』(2023年3月公開 監督・耶雲哉治)
安倍 晴明 …… 竹財 輝之助(42歳)
藤原 道長 …… 柄本 明(74歳)

11、大河ドラマ『光る君へ』(2024年1月~放送中 NHK総合 脚本・大石静)
安倍 晴明 …… ユースケ・サンタマリア(52歳)
紫式部   …… 吉高 由里子(35歳)
藤原 道長 …… 柄本 佑(37歳)
藤原 兼家 …… 段田 安則(67歳)
藤原 行成 …… 渡辺 大知(33歳)
一条天皇  …… 塩野 瑛久(29歳)
藤原 伊周 …… 三浦 翔平(35歳)

12、映画『陰陽師0』(2024年4月公開 原作・夢枕獏)
安倍 晴明 …… 山崎 賢人(29歳)
源 博雅  …… 染谷 将太(31歳)
村上天皇  …… 板垣 李光人(22歳)
賀茂 忠行 …… 國村 隼(68歳)
※セリフは無いが、右大臣・藤原師輔と思われる公卿を蔵原健(46歳)が演じている。


 あ、今作の山崎賢人さんは、スーパーヒーローとしての晴明を演じた俳優さんとしては記念すべき「10人目」だったのか! そりゃあ大事な作品だわ。それにしても、「安倍晴明」も「明智小五郎」も「金田一耕助」も、しまいにゃ「仮面ライダー」さえも演じたことのあるゴローさんって、どんだけファンタジーな俳優さんなんだ……ほんとに実在してるのかな?

 え~、というわけでありまして、本題に入る前のお膳立ての時点で記事が5~6000字になってしまいましたので、肝心カナメの映画の感想は、次回にじっくり腰を据えて吐露してまいりたいと思います。もう、感想本文が4~5000字でおさまるわけがないのは、打ち込む前から確定しているという……燃え上がれ、わが腱鞘!!

 いや~、やっぱり歴史もの、陰陽師ものは「またあんな感じなんでしょ~?」みたいなはすに構えた姿勢で観ていても、いつの間にか「おい、アレはどうなってるんだ? なんでそこ、そんな感じなの!?」と夢中になってしまうのであります。もう病気ですね……

 ということで、佐藤嗣麻子監督 VS 陰陽師の世紀の対決に立ち会った観戦記については、まったじっかい~☆
 う~ん、思いのほか『エコエコアザラク』してたな……ま、いっか、どっちもマジカルだし。
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タバコ、トリック、80`s!オール青春大進撃!! ~ドラマシリーズ『十角館の殺人』~

2024年04月11日 19時27分59秒 | ミステリーまわり
 どうにもこうにもこんばんは! そうだいでございます~。
 春もたけなわ、花粉症もたけなわでございます……このへんの山形近辺でも、やっと桜が咲き始めましたよ~。でも、朝夕はまだまだ寒いんだよなぁ。ほんと、何着たらいいのかわかんない季節ですねぇ。空気のにおいは確実に春なんですけれどもね。

 さて今回のお題は、いよいよと言いますかやっとと言いますか、日本、いやさ世界ミステリー小説史上に燦然と輝く超名作が完全初映像化されたというお話でございます。これはほんとにすっげぇぞ!!
 いや~、この小説が世に出て、なんとその37年後に初映像化ですよ。年号2回変わっちゃってますからね!? 昭和、平成ではついに不可能だった難業が、令和の御世に満を持して現実のものとなった! 胸が熱くなりますねぇ、生きててよかった!!


ドラマシリーズ『十角館の殺人』(2024年3月22日全5話同時配信)
 配信サイト huluの「 huluオリジナル」枠で独占配信された。第1話53分、第2話45分、第3話49分、第4話46分、最終第5話49分の計242分。

『十角館の殺人』とは!?
 『十角館の殺人(じゅっかくかんのさつじん)』は、推理小説家・綾辻行人のデビュー作品となる長編推理小説。
 1987年9月に講談社ノベルスから出版され、2012年出版の『奇面館の殺人』まで9作発表されている綾辻の「館シリーズ」の第1作にあたる。2017年7月時点で本作の累計発行部数は100万部を突破している。
 日本のミステリー小説界に大きな影響を与え、いわゆる「新本格ブーム」を巻き起こした。雑誌『週刊文春』が推理作家や推理小説の愛好者ら約500名のアンケートにより選出した「東西ミステリーベスト100」の2012年版国内編で第8位に選出されている。ちなみに綾辻の他作品では、『時計館の殺人』(1991年)が第20位、『霧越邸殺人事件』(1990年)が第82位に選出されている。2023年にアメリカのニュース雑誌『タイム』が企画した「史上最高のミステリー&スリラー本」オールタイム・ベスト100にも選出されている。
 2007年10月に講談社文庫から「新装改訂版」が出版され、綾辻はあとがきで「本書をもって『十角館の殺人』の決定版とするつもりでいる。」と述べている。
 清原紘の作画によるマンガ版が、『月刊アフタヌーン』(講談社)にて2019年10月号~22年6月号まで連載された。全31話、コミックス全5巻。

あらすじ
 1986年3月26日水曜日。大分県O市にある K大学のサークル「推理小説研究会」の一行は、豊予海峡をのぞむ大分県S半島J崎から約5km 沖に浮かぶ、角島(つのじま)と呼ばれる無人の孤島を訪れた。彼らの目当ては、半年前の1985年9月20日に凄惨な四重殺人事件が発生して焼け落ちた「青屋敷」の跡と、その別邸となる奇抜な十角形のデザインをした「十角館」と呼ばれる建物だった。島に唯一残っているその十角館で、彼らは1週間の合宿を過ごそうというのだ。
 その頃、九州本土では、研究会や青屋敷事件の関係者に宛てて、かつて研究会の会員で1985年1月に急死した中村千織の死の真相が他殺であると告発する怪文書が送りつけられていた。怪文書を受け取った1人である江南孝明は、中村千織の唯一の肉親である叔父の中村紅次郎を訪ねる。そこで、紅次郎の大学時代の後輩だという島田潔と出会った江南は、一緒に中村千織の事故死と青屋敷の事件の真相を探ろうと調査を開始し、推理研メンバーの守須恭一に協力を求める。
 いっぽう角島の十角館では、合宿3日目の朝、推理研メンバーのオルツィが寝室で絞殺された上に左手を切断された状態で発見される。そして部屋の扉には「第一の被害者」という札が掲げられていた。残されたメンバー達は「自分たちの中に犯人がいるのではないか?」と推理を始めるが……


おもな登場人物とキャスティング
※推理小説研究会の主要メンバーは、それぞれ有名な海外の推理作家にちなんだニックネームで呼ばれている。物語の時点でのサークル会員数は、少なくとも16名。
エラリイ …… 望月 歩(23歳)
 法学部3回生の21歳。色白で背の高い男性。金縁の伊達メガネをかけている。推理小説研究会誌『死人島』の現編集長。マジックが趣味で、バイスクルのライダーバック・トランプを赤青1組ずつ持っている。吸う煙草の銘柄はセーラム。

ポウ …… 鈴木 康介(26歳)
 医学部4回生の22歳。口髭をたくわえた大柄な男性。無口だがときどき毒のある発言をする。オルツィとは幼馴染。吸う煙草の銘柄はラーク。

ヴァン …… 小林 大斗(ひろと 24歳)
 理学部3回生。中背の痩せた男性。不動産業を営む伯父が角島を購入したことを推理小説研究会に伝えた。吸う煙草の銘柄はセブンスター。

アガサ …… 長濱 ねる(25歳)
 薬学部3回生の21歳。ゆるいソバージュの長髪の女性。男性的な性格をしている。

ルルウ …… 今井 悠貴(25歳)
 文学部2回生の20歳。銀縁の丸メガネをかけた、童顔で小柄な男性。会誌『死人島』の次期編集長で、今回の合宿を提案した。

カー …… 瑠己也(るきや ?歳)
 法学部3回生の22歳。中肉中背だが骨太で猫背の男性。三白眼で、青髭の目立つ顎はしゃくれている。ひねくれた性格で、何かにつけて他のメンバーに噛み付くことが多く、特にエラリイとは衝突することが多い。ポケットボトルのウィスキーを携行している。

オルツィ …… 米倉 れいあ(19歳)
 文学部2回生の20歳。頬にそばかすの目立つ、ショートヘアの小柄で太めな女性。引っ込み思案な性格。日本画を描くのが趣味。ポウとは幼馴染。

江南 孝明 …… 奥 智哉(19歳)
 推理小説研究会の元会員。苗字の読みは「かわみなみ」だが、島田は「こなん」と呼んでいる。研究会時代のニックネームは「ドイル」。吸う煙草の銘柄はセブンスター。

島田 潔 …… 青木 崇高(44歳)
 寺の三男坊。中村紅次郎の友人で年齢は30代後半。カマキリを連想させる痩せて背の高い男。次兄の修(おさむ)は大分県警警部。

島田 修 …… 池田 鉄洋(53歳)
 島田潔の次兄で大分県警警部。40歳過ぎの太った男。潔との兄弟仲はあまり良いとは言えない。

中村 青司(せいじ)…… 仲村 トオル(58歳)
 建築家で十角館の設計者。物語の半年前に発生した事件で死亡したとされている。当時46歳。

中村 和枝 …… 河井 青葉(42歳)
 青司の妻。半年前の事件で死亡している。旧姓・花房。

中村 千織 …… 菊池 和澄(25歳)
 青司の娘。物語の1年前に開かれた推理小説研究会の新年会の、大学構内の部室で行われた三次会の最中に急性アルコール中毒で死亡した。当時は文学部1回生。

中村 紅次郎 …… 角田 晃広(50歳)
 大分県別府市鉄輪に住む、高校の社会科教師。中村青司の3歳年下の弟で、現在は44歳。大学時代の後輩だった島田潔と親しい。

吉川 誠一 …… 前川 泰之(50歳)
 中村青司に雇われた庭師で、角島の青屋敷には月に1回数日間滞在して庭の手入れをしていた。半年前の事件では遺体が見つからず行方不明とされている。当時46歳。

吉川 政子 …… 草刈 民代(58歳)
 吉川誠一の妻。誠一と結婚する前は、中村紅次郎の紹介で中村青司の青屋敷で働いていた。現在は大分県安心院町(あじむまち)にある誠一の実家に住んでいる。

漁師 …… 鳥谷 宏之(44歳)
 大分県S町J崎の漁師。所有する漁船で推理小説研究会の一行を角島へ渡らせる。

船橋 弘江 …… 岩橋 道子(55歳)
 病院看護師。生前の中村千織の往診を担当していた。

松本 邦子 …… 濱田 マリ(55歳)
 江南の住むアパートの大家。


おもなスタッフ
監督   …… 内片 輝(53歳)
脚本   …… 八津 弘幸(52歳)、早野 円(?歳)、藤井 香織(50歳)
音楽   …… 富貴 晴美(38歳)
主題歌  …… 『低血ボルト』(ずっと真夜中でいいのに。)
製作著作 …… 日本テレビ


 いや~、これはほんとにすごいことですよ。そして、映像化された作品も、この高すぎるハードルをなんなく跳び越えていくクオリティのものでした。文句なく、名作! 観て損は無し!!

 今回の作品は、地上波でも BSでもなく定額動画サービス「 hulu」内での独占配信ですので、当然ながら視聴するためには huluに加入する必要があります。なので、元来ケチでめんどくさがりな私は「う~ん、どうしようかナ」などと二の足を踏んでいたのですが、青春時代にこの作品をはじめとする綾辻行人作品の数々に新鮮な驚きと感動をいただいていた私に、見逃すなどという選択肢なぞあるはずもなく、今月に入って割と早々に加入してしまったのでありました。まんまとディズニー帝国の膝下にひざまづいちまったよ!

 日本を代表する現役の推理小説作家・綾辻行人。私にとりましては、大乱歩とか横溝正史とかコナン=ドイルとかいった故人は別にしまして、生きている作家さんの中で最も早い時期に夢中になった方の一人であります。綾辻さんの前に星新一がいて、綾辻さんの後に京極夏彦が続くといった順番でしょうか。
 上の情報にもあるように、綾辻先生の「館シリーズ」はもともと講談社ノベルスから出版されていたのですが、私が夢中になったころにはそれらはすでに講談社文庫の形になっていて、その時点でもう推理小説のジャンルにおいて必読レベルの殿堂入り作品になっていたと思います。当時のミステリー界のメジャーレーベルと言えば、もう講談社ノベルスですよねぇ。

 実は、かくいう私も『十角館の殺人』の登場人物のごとく、大学生時代に推理小説同好会というサークルの末席を汚していたのですが、ほんとに汚すもいいところで、サークルの部屋にはしょっちゅう顔を出しているクセに毎年出す会誌にはまるで作品を提出しないという幽霊部員ライフを謳歌してしまっておりました。幸か不幸か、角島に行くようなエース部員の面々には入るべくもありません……
 ただ、私が大学生だったのは1990年代の後半から2000年代の初頭だったので『十角館の殺人』の時代設定とは約10年以上の差があるのですが、物知り顔の先輩方が狭い部室の中でスパスパ煙草を吸いながら推理小説談義を楽しそうにしているという空気はまるまる今回のドラマさながらに残っていたと思います。いたいた、エラリイみたいな先輩! なつかしいなぁ、今もお元気かな。
 そして、余談ながら私の大学では、確か私が入学する直前にサークルの飲み会で急性アルコール中毒による死者が出たという、『十角館の殺人』を地で行く悲劇があったようで、私が入学したころには全サークルで飲み会に対してかなりピリピリしたモラル周知が徹底していたような気がします。ま、それでも盛り上がっちゃったら「イッキ!」とか言い出す先輩はいましたけど。
 あと、私の身のまわりでは、ちょうど私が卒業するころになってやっと、室内での喫煙を問題視する空気も徐々に広がってきたかな、という感じでした。今じゃ考えられないけど、先輩の吸っている煙草を横目に見て露骨に嫌そうな顔をしている一年生を見て、「あぁ、これが新人類か……」なんて驚いちゃってたもんね! いやいや、令和の時代から見るとその反応が100% 正しい常識になっているわけなのですが、それまでは、すぐ隣で誰かがバッカバカ副流煙を出していようが、おしゃれした女子でも全然気にせずに談笑してましたもんね。すごい時代だったな……

 それはさておき、今回のドラマ版『十角館の殺人』は、そこらへんの昭和末期、1986年の春という時代設定にもこだわり抜いた再現度を目指す、限りなく原作小説に忠実な映像化になっていたと感じました。昨今における過去の名作の映像化でよくある、筋だけを拝借して時代設定は21世紀現在にアレンジするという安易な手は使っていないんですね。まぁ、今回はミステリー世界でおなじみの「嵐の山荘」とか「陸の孤島」という設定を実現するためにも、高機能なスマホが普及している現代を舞台とするわけにはいかなかったのでしょうが、登場人物の多くが当たり前のように気持ちよく煙草を吸う今作の光景は、非常に懐かしく、かつ独特な雰囲気を醸し出す味付けになっていたと思います。その擬古体な様式が、なんか綾辻作品っぽいんだよなぁ!

 さて、ここで原作小説と今回のドラマ作品との差異に触れてみたいと思うのですが、まず、結論から言うと両者には大筋では大きな違いはありません。そうなのですが、よくよく観てみるとドラマ版は、原作の良さをより引き立たせるために、なかなか冒険的なアレンジも後半にいくにつれてけっこう大胆に差しはさんでいることがよくわかります。

 そんでもってすみません、原作小説とドラマ版とを比較する前に、まず原作小説の中にある「講談社文庫旧版(以下、『旧版』)」と「講談社文庫新装改訂版(以下、『改訂版』)」との違いについてもちょっとだけ触れさせてください。迂遠で申し訳ない!

 これまた上の情報にあります通り、原作小説『十角館の殺人』として2024年現在に講談社文庫から発行されているのは、2007年10月からリニューアルされた改訂版なのですが、それまでは1987~91年に講談社ノベルス版、そして1991~2007年に旧版が長らく販売されていました。そのため、今でも古本屋にいけば旧版は簡単に見つかるのではないかと思われるのですが、「新装」だけでなく「改訂」と銘打たれている以上、現行の改訂版には、中坊時代の私が馴れ親しんだ旧版とは違うなにかしらの変更があるはずですので、まずそこの差異をしっかり見極めてみることにしましょう。めんどくさいな~、そういうとこ気になる性分はよう!!

 そんでま、家の本棚にあった日焼けしまくりシミつきまくりの旧版と、本屋さんで買って来たピッカピカの改訂版とを見比べてみたのですが、まず旧版が総ページ数「375(うち本文366)」で、改訂版が総ページ数「497(うち本文453)」ということで、改訂版の方が旧版の1.2~3倍ボリュームアップしています。でも、これは本を開けば一目瞭然なのですが、昨今の超高齢社会の余波なのか、改訂版の文章の文字が旧版のそれの1.5倍くらい大きく見やすくなっていますので、別に改訂版で決定的に内容が増量したということではなさそうです。でも、やっぱ私は旧版の文字の小ささが大好きだなぁ~。あと、それぞれの表紙イラストについても、いかにもおどろおどろしい雰囲気のある改訂版の喜国雅彦さんバージョンもいいのですが、やっぱり意図的に簡素なイラストが逆に不気味な旧版の辰巳四郎さんバージョンの方が好きですね。

 そして、実際に内容を読んでみても、綾辻先生ご本人が改訂版あとがきで明言している通り、エピソード数が増減したり、登場人物のキャラクター像のイメージが変わるような描写の変化があるわけでもなさそうでした。内容は、ほぼ一緒!
 しかしながら、よく見比べてみると文章の内容を分かりやすくするために、長い段落を改行で分割する、読みにくい漢字にルビを振る、漢字をひらがな表記に改める(例:旧版5ページ4行目「腰掛け」→改訂版7ページ4行目「腰かけ」)、傍点やカッコ書きや読点づけによる重要なワードの強調表現を増やす、修飾表現を簡素にして文章の意味を通りやすくする(例:旧版24ページ7行目「そう云ってヴァンは、玄関ホールの、向かって右隣りのドアを指さした。」→改訂版30ページ15行目「と、ヴァンはドアの一枚を指さした。」)、単語の表記を現代における浸透度にあわせて改める(例:旧版13ページ3行目「トレンチ・コート」→改訂版16ページ13行目「トレンチコート」や旧版15ページ8行目「エムスカ・オルツィ男爵夫人」→改訂版19ページ13行目「バロネス・オルツィ」)、登場人物のセリフを自然な語り口のものに改める(例:旧版17ページ11行目「凄いわ」→改訂版22ページ6行目「凄い凄い」や旧版30ページ16行目「警察では」→改訂版40ページ6行目「警察的には」)などなど、文章の意味を変えない範囲での書き直しはほぼ全ページにわたってくまなくなされています。綾辻先生の几帳面で真摯な姿勢が浮かんでくるようですね!
 同時に、これはかの大乱歩がその後半生に行っていた、ポプラ社版の「少年探偵団シリーズ」における自身の過去作品の子ども向けリライト群を彷彿とさせる丁寧さに満ちており、綾辻先生も、ついに日本の推理小説界の次世代を担う子ども達の育成に心血を注ぐ立場になられたのだなぁ、と勝手に感慨深くなってしまうものがあります。ま、大乱歩ご本人がリライトしてたわけじゃないみたいなんですけど、要はそれくらい、改訂版の漢字が少なくなって読みやすくなってるってことなんですよ! お子様でも安心して、十角館で繰り広げられる連続殺人事件の惨劇を楽しむことができます!!

 結論……旧版も改訂版もほぼいっしょ。この真理を得るためにめっちゃ手間ひまかかっちゃったよ……でも、何ごとも自分で検証するのがいちばん! エラリイ先輩がなんとおっしゃろうが、靴底すりへらして汗水かきながら調べあげるのが漢の本懐なんでいコンチクショー!!


 ハイ、ということでありまして、やっとこさそういった小説版と今回のドラマ版との比較に入っていくわけなのですが、私がざっと観て感じた両者の違いは、簡単にいえば以下の3点になります。

1、コナン&島田ペアの本土サイドのペース調整によるドラマ性のアップ
2、中村千織まわりの描写のボリュームアップによる真犯人の動機の掘り下げ
3、コナンくんのかわいさアップ大作戦

 こんな感じでしょうかね。
 まずこの3点の検証に入る前に、この『十角館の殺人』という作品が、世界レベルで有名な大傑作なのに、どうしてかれこれ40年近くもずっと映像化されてこなかったのかという点に触れなければならないのですが、それを端的に言ってしまうと、この作品のトリックが、作品の面白さやスリルを保ちながら視覚的に伝えることがかなり難しい種類のものだから! これに尽きると思います。まともに映像化したらトリックの肝が視聴者に最初から丸わかりになってしまうというか、このトリックの効果範囲が、ターゲットのみにかなりギュギュっと焦点を絞ったものになっているので、プロの手品を観客席じゃなくて舞台袖から見てしまっているような台無し感になってしまうんですね。だから長年、映像化が難しかったんだと思うのです。
 そして、そこの問題をみごとにクリアしたのが今回のドラマ版なのですが、それはもう、役者さんの演技の工夫にせよカメラワークの巧緻な計算にせよ、その苦労がしのばれる万全たる対策が練られていました。ほんと、あともうちょっと長く映しちゃうとバレてまう!みたいなギリギリのラインでしたよね。
 でも、私がそれ以上に感心してしまったのは、今回のドラマ版における「全5話一挙配信」というやや変則的な形式までもが、トリックを活かすための作戦になっていたということ! これにはビックラこきましたよ。第4話を最後まで観てやっと、「あぁ~! これをしたかったからか!!」と膝を打ったと言いますか。
 もちろん、その放送形態がどうしてトリックに効いているのかを説明するわけにはいかないのですが、ミステリー小説の映像化として常道な「2~3時間の単発スペシャルドラマか映画」だと原作小説を大幅にカットすることになっちゃうし、かといって時間に余裕のできる「毎週1話ずつ放送の連続ドラマ」にしちゃうとトリックの秘密が維持できないということで、それらのどちらでもない第3の解決策を編み出した制作サイドの執念には、本当に頭が下がる思いです。いやほんと、こんなに幸せな映像化の例なんて、今まで無かったんじゃないですか!?

 いや~、私だって別にアメリカねずみ帝国のしもべでもストームトルーパーでもなんでもないのですが、このドラマ版は、ぜひっとも一人でも多くに人に観て欲しいですね!! トリックの衝撃もすごいのですが、制作スタッフの細心の配慮と俳優陣の若々しくも達者な演技合戦がすばらしいですよ。特に、エラリイとポウとヴァンのクライマックスでの異様な推理合戦は迫力たっぷりだったなぁ。エラリイ役の望月歩さんなんて、序盤は典型的ないけすかないスネオキャラかと思っていたのですが、極限状況の中でだんだんと狂気を帯びてくる目つき、煙草の吸い方が最高でしたね! 日本で『バットマン』のジョーカーを演じられるのは、この望月さんかも知れないぞ!!

 そういうわけで、とにもかくにもけなす点があんまり見つからないドラマ版なのですが、字数もかさんできましたので、先ほど挙げた3つの映像化にあたっての変更ポイントに触れて、おしまいにしたいと思います。ほめるべき点は他にも山ほどあるんですけどね。

 1、に関しては、原作小説にかなり忠実に進んできていたドラマ版の中でも珍しく明確に原作と違っている変更点として、原作では物語が始まって「四日目」にコナン&島田の本土チームがたどり着いていた「青屋敷全焼事件」の真相が、ドラマ版では一日遅れて「五日目」になっているというアレンジがありました。
 これはおそらく、原作通りに本土チームが、十角館チームよりもはやめに中村青司の生死に関する推理の結論を出してしまうと、五日目の時点でもそこらへんであーだこーだと議論している十角館チームとの緊迫感のつり合いが取れなくなるという部分をウィークポイントと考えた制作スタッフが、物語としてのバランスを考えてわざと一日遅らせたのではないでしょうか。

 そして、本土チームを遅らせるために今回のドラマ版で制作スタッフがオリジナルに創案したのが、2、のポイント、すなはち中村千織の生前の姿を本土チームが実地に調査して、千織の肉親に関する疑惑を強くさせるという流れだったのでしょう。これで約一日分の時間が稼げました。うまいもんですねぇ。
 また、原作小説を読んでいくと、果たして真犯人がそこまで恨みに思う程、本当に千織が「殺害」されていたのか?というあたりの真実がわざとぼかされているので、真犯人が真剣に千織の復讐だけを動機としていたのか? それとも、もともと自分の計画した完全犯罪を実現させることに愉快犯的な興味を持つ狂気をはらんでいて、千織の死がその最後のトリガーとなっただけだったのか? そこらへんがはっきりしない振れ幅のある人物造形となっていました。その反面、ドラマ版では真犯人と河南との両面から、人間としてのあたたかみを持った中村千織の姿が浮き彫りになったため、あくまで復讐を主目的として今回の犯行に至った真犯人への同情性というか、悲劇性がけっこう感情的に強調される効果があったと感じました。
 ただ、今回のドラマ化で真犯人の「頭の中」での想像として、千織の死に際した面々の憎々しげな表情こそ映像化されてはいましたが、本当に彼らがそんなことを妄想して「アハハ☆」「ウフフ♡」と嗤っていたのかどうかは、ちょっと疑問ですよね。あそこのシーンだけ妙に浮いている「バカバカしさ」があるところに、それを事実だと無理やり自分に思いこませて凶行に走った真犯人の「論理のヒビ」が見えたような気がして、そういう意味でも、ドラマ版のオリジナル部分は雄弁に原作小説の世界を補強する妙手になっていたと見ました。真犯人も、だいぶ青くてあやうい人なんですよね。

 ちなみになんですが、もう一つのドラマ版の英断として、原作小説では五日目の十角館チーム内での、互いに生き残った者が真犯人なのではないかという疑心暗鬼におちいる凄惨な論戦の中で、あまりにも唐突に2人の登場人物の家族に殺人や犯罪にからんだ経歴があると告発される一幕があるのですが、ドラマ版ではそのくだりはきれいさっぱりカットされています。
 いいですねぇ、そこらへんのドライな割り切り方! 原作に書いてあるからと言ってなんでもかんでも盲目的に映像化するのではなく、ちゃんと各個の要素が「独立した映像作品」の完成度に貢献するのかどうかをしっかり吟味している制作スタッフ陣のプロフェッショナルな姿勢を見るようで、とっても感じ入りました。
 そんな……ねぇ! 身内に事件に巻き込まれている人がそうそうわんさかいてたまるかって。まぁ、出身高校が私立不動高校だったら、話は別ですけどね。

 ポイントの3、に関しては、もうドラマ版を観ていただくより他にないのですが、コナン役の奥智哉くんが、んまぁ~かわいいことかわいいこと。
 今回のドラマ版は、主要キャストが大学生ということもあって男女問わず若い俳優さんがたで固められているのですが、特に推理研の男子の面々の演技が非常に上手ですばらしいです。年上の紳士淑女チームも、島田潔役の青木さんはもちろんのこと、東京03の角田さんも達者だし、あんなチョイ役なのに草刈民代さんが出ているという不思議なゴージャス感もステキでした。でも、やっぱり今作の MVPは望月・鈴木・小林の3トップかなぁ。日本俳優界の未来は明るいですね!
 そんな中での智哉君なのですが、演技が非常にたどたどしいんです! 周りが上手な人ばっかりなだけに、余計につたなく見えてしまうのですが、そこがまた、血なまぐさ過ぎる今作の中での一服の清涼剤というか、貴重なオアシス、癒しの存在になっているんですね。おまけにゃドラマオリジナルで、最終話のあそこで独自の珍推理を披露するという迷ワトスンっぷり! やってくれましたね~。
 原作小説のコナンは、真犯人にいいように踊らされてしまう The・狂言回しという感じで、いまひとつ個性が見えてこない弱さもあったのですが、そこに「プリティさ」を加えたことで、みごとな愛すべきピュアさとバカっぽさをたたえた名キャラクターになっていたような気がします。

 奥智哉さんがいるなら、「館シリーズ」はぜひとも続いてほしいなぁ! 島田潔の役は正直、金田一耕助パターンでどの俳優さんが演じてもいいような気がするのですが、奥智哉のコナンだけは絶対に続投してほしい!

 ……とまぁ、いつものごとくとっちらかった内容のまま、今回の記事もお開きとあいなるのですが、ドラマ版『十角館の殺人』、ホントにおすすめです!! 原作小説を未読の方も既読の方も、ぜひとも小説を片手に楽しんでいただきたい奇跡のエンタテインメントですよ! だまされたと思って、思い切って huluに加入してみては、いかが!?


 あ、そうそう、最後にひとつだけ。
 ドラマ版におけるアガサの「聖子ちゃんカット」は、令和だからこそ通じる虚構であり、制作スタッフがわざと仕掛けた昭和幻想の罠だから、気をつけよう!!
 セミロングの頭髪にボリュームのあるレイヤーカットを盛り込んだいわゆる「聖子ちゃんカット」を、名前の由来となったアイドルの松田聖子さんが実際にしていたのは1980~81年のことで、もちろんその後もしばらく聖子ちゃんカットを模倣する流行は広がってはいたものの、『十角館の殺人』の物語の舞台となる1986年ごろにはブームも下火になっており、85年にデビューした中山美穂さんや86年デビューの西村知美さんあたりはアイドルとしてのゲンをかつぐ意味合いで聖子ちゃんカットをしてはいたものの、アガサのように特に芸能界デビューを目指しているわけでもない一般女性が聖子ちゃんカットなのは、当時ほんとにやってたら、周囲からはちょっと奇異に見られていたのではないかと思われます。80年代当時は、「オタサーの姫」なんていう特異結界は無かったはずですしね。
 やっぱり、原作小説の通りにアガサはソフトソバージュ(松田聖子さんも当時やっていたそうです)をしているのが自然なわけなのですが、そこはドラマ作品としての華を優先して、ちょっとしたウソを入れた、という感じでしょうか。
 まぁ、原作小説だとエラリイはメガネをかけているし、ポウはヒゲもじゃだし、カーはしゃくれてますからね。

 でも、そういうウソもつけるくらいに、80年代も遠い昔になっちゃったってことなんですなぁ。

 でもさでもさ! そこまで忠実に80年代を再現するんだったら、本土ペアがやいのやいの推理談義する喫茶店のテーブルに置いてあった「ルーレット式星占いおみくじ器」も、邪魔だってくらいにバカでかいタイプにして欲しかったし、最終話で一瞬映るワイドショーレポーターの TV中継放送でも、レポーターを押しのけて「ピース!ピース!!」ってカメラに殺到する野球帽のガキどももちゃんと映像化してほしかったぞ!!

 嗚呼、げに昭和は遠くなりにけりィイイ。
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恐ろしいのは、幽霊か?人か? ~映画『回転』~

2024年04月04日 21時00分32秒 | ホラー映画関係
 ヘヘヘイどうもこんばんは~。そうだいでございますよっと。
 いや~、花粉症キツすぎる……先月のけっこう後半まで雪が降るくらいの寒さだったのに、やっと暖かくなってきたかと思えば、すぐこれですよ! もう夜からぐずぐずよ!? 体中の水分がとめどなく鼻水として失われていく恐怖! 例年お世話になっている薬も、今年はなんだか効果が薄れているような気が……夕方の薬の切れがおそろしくってなんねぇ!! またお医者様にかからねば。

 そんな、春の訪れに喜べそうで実はそうでもない今日この頃なのですが、つい先日に私、話題の映画『オッペンハイマー』を観に行ったりしました。さすがは高度な空調設備がウリの映画館、観てる間は花粉症の症状も忘れることができてた……ような気がします。
 ハリウッドきっての硬派エンタメを得意とするノーラン番長らしく、やはりこの作品も緊張感と空想世界への飛翔のバランスがかなり巧みな3時間だと感じました。3時間よ!? この長さを1つの作品で退屈しないように見せてくのって、やっぱ偉業ですよね。まぁ、そもそも3時間クラスにする必要があるのかという作品も昨今はちまたに溢れていますが、この『オッペンハイマー』に関しては毀誉褒貶はげしい偉人の半生を描くものなので仕方がないかとは思います。
 非常に興味深い作品ではあったのですが、やっぱり核兵器誕生の経緯を真正面からとらえた難しいテーマですし、戦後のオッペンハイマーの動向に関しても私は不勉強でしたので、ちょっと我が『長岡京エイリアン』にて独立した感想記事をつづることは考えていないのですが、やはり日本人ならば観る必要のある作品なのではないかと思います。ましてや、原水爆の申し子ともいえる怪獣王ゴジラに始まる日本特撮が大好きな方ならば、自分たちの好きなジャンルが、一体どのような歴史的事実の苦い土壌から生まれ出たものなのかを知っておいて損はないのではなかろうか。少なくとも、『ゴジラ×コング 新たなる帝国』よりもこっちの方がよっぽど初代『ゴジラ』(1954年)に近い空気をまとっていると思います。ノーラン監督流に『ゴジラ』を撮ろうと思ったら、たどりたどってゴジラの「祖父」にあたるお人の生涯に行き着いちゃった!みたいな。
 ほんと、面白い作品でしたね。過去作品と比較するのならば、『アインシュタインロマン』(1991年)的なイマジネーションの世界から始まって『 JFK』(1991年)のような歴史ドキュメンタリー大作の様相を呈し、後半はオッペンハイマーという天才と、彼の引力に翻弄された叩き上げの男との『アマデウス』(1984年)のような愛憎関係を番長らしく熱く語る大河ドラマになっていたかと思います。老け役のロバート=ダウニーJr. が『生きものの記録』あたりの三船敏郎に見えてしょうがなかったよ! アジア人に似てると言われたら、ロバート殿はおかんむりかな?
 言いたいことは山ほどあるのですが、ノーラン番長作品によく登場する「ずんぐりむっくりな謎の女」枠が、今作ではまさかあの『ミッドサマー』のピューさんだったとは気づきませんでした。エンドロールでほんとにびっくりした! そしてノークレジットで特別出演したゲイリー=オールドマンの演技のすごみときたら……さすがは、世界帝国アメリカの大統領といった感じですね。引退なんかしないでぇ~♡


 さて、さんざん別の映画の話をしておいてナンなのですが、今回は核兵器とも戦争とも全く関係の無い、ある名作映画についてでございます。
 怖い……とっても怖い映画です。怖さに関して言えば『オッペンハイマー』に勝るとも劣らない作品なのですが、怖さの種類がまるで違うし、そもそもこの映画を「ホラー映画」とラベル付けしてよいものなのかどうか。取りようによってはホラーっぽい超常現象などいっさい起こっていない「サイコサスペンス」なのかもしれないんですよね……あいまい! そのあいまいさこそが、この作品の恐ろしさの本質なのです。


映画『回転』(1961年11月公開 モノクロ100分 イギリス)
 『回転(原題:The Innocents)』は、イギリスのホラー映画。ヘンリー=ジェイムズ(1843~1916年)の中編小説『ねじの回転』を原作とする。
 本作の冒頭で流れる印象的な独唱曲は、音楽を担当したジョルジュ=オーリックの作曲と、イギリスの脚本家ポール=デーン(1912~76年 代表作に『007 ゴールドフィンガー』や『オリエント急行殺人事件』など)の作詞による『 O Willow Waly(悲しき柳よ)』で、本編中ではフローラが唄う歌として、フローラ役のパメラ=フランクリンではなく、本作に別の役で出演しているイギリスの歌手で女優のアイラ=キャメロン(1927~80年)が吹替で歌唱している。
 ちなみに、この『 O Willow Waly』は本作のオリジナル曲であり、タイトルが似ているスコットランド民謡『広い河の岸辺(原題:O Waly,Waly)』や、ジャズの有名曲『柳よ泣いておくれ(原題:Willow Weep for Me)』(作曲アン=ロネル)とは全く関係が無い。

あらすじ
 ギデンズ嬢は住み込みの家庭教師としてある田舎町を訪れ、ブライハウスという古い屋敷に向かう。そこではマイルズとフローラの幼い兄妹が長い間、家政婦のグロース夫人に面倒を観られながら暮らしていた。兄のマイルズは、何らかの問題を起こして学校を退学処分になっていた。雇われて屋敷で生活して行くうちに、ギデンズは屋敷にいるはずのない男の姿を屋上で見かけたり、遠くからこちらを見つめる黒服の若い女性の姿を見かけたりと、さまざまな怪奇現象に襲われる。ギデンズはその謎を解明するためにブライハウスに関する情報を調べるが、自分の前任者の家庭教師ジェセル嬢が悲惨な惨劇に見舞われていたことを知る。

おもなキャスティング
ギデンズ先生  …… デボラ=カー(40歳)
フローラ    …… パメラ=フランクリン(11歳)
マイルズ    …… マーティン=スティーヴンス(12歳)
グロース夫人  …… メグス=ジェンキンス(44歳)
ブライ卿    …… マイケル=レッドグレイヴ(53歳)
メイドのアンナ …… アイラ=キャメロン(34歳)
クイント    …… ピーター=ウィンガード(34歳)
ジェセル先生  …… クリュティ=ジェソップ(32歳)

おもなスタッフ
監督・製作 …… ジャック=クレイトン(40歳)
脚本    …… トルーマン=カポーティ(37歳)、ウィリアム=アーチボルド(44歳)
音楽    …… ジョルジュ=オーリック(62歳)
撮影監督  …… フレディ=フランシス(43歳)
製作・配給 …… 20世紀フォックス


原作小説『ねじの回転』とは
 『ねじの回転(原題:The Turn of the Screw)』は、1898年1~4月にアメリカ・ニューヨークの大衆週刊誌『コリアーズ・ウィークリー』にて連載発表されたヘンリー=ジェイムズの中編小説。怪談の形式をとっているが、テーマは異常状況下における登場人物たちの心理的な駆け引きであり、心理小説の名作である。
 本作を原作とした映画が4作(1961、2006、09、20年版)、オペラ(1954年初演 作曲ベンジャミン=ブリテン)、バレエなど多数の作品が制作されている。また、本作の前日譚にあたる映画『妖精たちの森(原題:The Nightcomers)』(1972年 主演マーロン=ブランド)も制作されている。
 題名の「ねじの回転」の由来は、ある屋敷に宿泊した人々が百物語のように怪談を語りあうという設定の冒頭部分における、その中の一人の「ひとひねり利かせた話が聞きたい」という台詞からとられている。「(幽霊話に子どもが登場することで)『ねじを一ひねり』回すくらいの効果があるなら……さて、子どもが二人だったらどうだろう?」「そりゃあ当然ながら……二人いれば二ひねりだろう!」

主な邦訳書
『ねじの回転、デイジー・ミラー』(訳・行方昭夫 2003年 岩波文庫)
『ねじの回転 心霊小説傑作選』(訳・南条竹則、坂本あおい 2005年 東京創元社創元推理文庫)
『ねじの回転』(訳・土屋政雄 2012年 光文社古典新訳文庫)
『ねじの回転』(訳・小川高義 2017年 新潮文庫)


 いや~、うわさにたがわぬ歴史的名作でしたね! この作品。モノクロ映画の美しさの極地なのではないでしょうか。
 非常に不勉強なことに、私はこの作品を最近やっと DVDで購入して初めて視聴したのですが、ホラー映画の歴史を語る上で決して忘れることのできない名作として、この作品の名前はずいぶんと前から知ってはいました。

 いわく、あの映画『リング』(1998年)で爆発的ブームとなった「 Jホラー」の表現する恐怖表現のひとつの起源となる重要な作品であるとか。

 純然たるイギリス映画であるこの『回転』をつかまえて日本発のブームのネタ元とするとはおかしな話なのですが、死霊なりモンスターなりの「恐怖の象徴キャラ」が実体を持ってぐわっと襲いかかってくる欧米、特にアメリカ産のホラー映画と違って、いわゆる Jホラーにおける恐怖の象徴は、「視界のすみっこ」にぼんやり誰かがいるような、いるのかいないのかわからない、あいまいな空間からじわりじわりとにじり寄ってくる、その「実体のつかめなさ」にその独自性があるという分析が、私が夢中になっていたころの1990~2000年代のホラー界隈では定説のようになっていたと記憶しています。
 もちろん、最終的には貞子大姐さんなり佐伯さんのとこの母子なりが主人公の前に実体を現わしてクライマックスを迎える流れはあるのですが、どちらかというと、そこにいくまでの「呪いのビデオ」だとか「人死にがあったらしい住宅」といったお膳立てのかもし出す「不吉な雰囲気」を重視する作劇法こそが、当時の日本産ホラー映画の特徴だったようなのです。それは、『リング』よりも『女優霊』(1995年)だとか鶴田法男監督によるオリジナルビデオ『ほんとにあった怖い話』シリーズ(1991~92年)のほうが端的かと思われます。カメラのピントが合っていない所にたたずむ、あいまいなだれか。

 それで、そういった「あいまいな恐怖」を先駆的に描いていた作品としてよく名前があがっていたのがこの『回転』でして、他には『たたり』(1963年)だとか『シェラ・デ・コブレの幽霊』(1964年)あたりが伝説っぽく語られていたと思います。『シェラ・デ・コブレの幽霊』さぁ、実はもう海外版の DVDを購入してるんですが、まだ観てないのよね! 近いうちに必ず腰すえて観ようっと。

 それはともかく、まずこの映画の原作であるヘンリー=ジェイムズの中編小説『ねじのひねり』(私はこの邦題が大好きなのでこれで通します)こそが、当時の怪奇文学ジャンルの中で「恐怖の対象をあえてあいまいな描写にとどめる」という「朦朧法」の実践例としてつとに有名な作品なので、これが映像化されたときに「あいまいな恐怖」を描くのは当然のことでしょう。小説と映画という世界の違いこそあれ、人間の思い抱く恐怖をどのように表現したらよいのかと模索する試行錯誤は、まるで鳥とコウモリ、もぐらとおけらのように同じ道を目指していく収斂進化の様相を呈していたのねぇ。

 ジェイムズの原作小説『ねじのひねり』と映画『回転』との内容の違いを比較してみますと、まぁ物語の大筋の流れにさほど大きな差異は無いように見えるのですが、やはり主人公となるギデンズ先生の「追い詰められ方」、つまりはテンパり具合において、小説と映画とで印象の違いを生んでいるような気がします。

 まず原作小説『ねじのひねり』の方なのですが、こちらは上の解説情報にもある通り、後年のギデンズ先生と親しかったダグラスという紳士が、怪談会の中でギデンズ先生自身のつづった回想の手記を公開するという設定で物語が始まります。
 そのため、物語の視点は当時20歳そこそこだった若きギデンス先生からの完全一人称となっており、その彼女が古い屋敷の中で何度となく出会う、彼女にしか見えないらしい「見知らぬ男女」が、果たして幽霊なのか、それともまぼろしなのかというのが、原作小説の肝となっているわけです。

 ちなみに、怪談会の中でのある人物の話という実録形式で語られるこの物語は、現実に1898年に週刊誌で連載されるまでに、作者(ジェイムズ?)が最近死没した友人ダグラスから死の直前に託された、まだダグラスが健在だった時に2人が参加した怪談会の中でダグラスが紹介した、彼が約40年前、大学生だった時に親しくなった10歳年上のギデンズ先生からもらった、彼女が20歳だった時に体験したエピソードを回想した手記という体裁になっています。まるで『寿限無』みたいに長ったらしい、わざとエピソードの時代設定をあいまいにさせようとする入り組んだ迷路みたいな事情なのですが、ここらへんも、「友達の兄貴の彼女のいとこの先輩の体験したほんとの話なんだけどさ……」みたいな感じで始まる現代の実録怪談のご先祖様らしい、実にもったいぶった前置きですよね。作者ジェイムズはこの小説を発表した時は50代なかばですので、ダグラスが具体的に何歳なのかはわからないのですが、だいたいジェイムズと同年代かと推定すれば、その10歳年上のギデンス先生が20歳の頃に体験したということは、おおよそ半世紀前、つまり19世紀半ばころのイギリスの片田舎で起きた事件ということになりますでしょうか。そのころ、日本はまだ江戸時代でい、てやんでぇ!

 話を戻しますが、小説『ねじのひねり』は徹頭徹尾ギデンス先生視点で物語が進んでいきます。そしてそこに出てくる男女の幽霊(と、ギデンス先生が主張している存在)は、どうやらギデンス先生以外の誰にも見えていないらしいという事実がほの見えてくるのですが、ギデンス先生自身は、屋敷に住むマイルズとフローラの幼い兄妹に対して「見えているのに知らないふりをしている」という疑いの目を向けていきます。
 この状況を頭に入れつつこの小説を読んでいきますと、実はこの物語は幽霊たちが存在しなくても成立することがわかります。すなはち、ギデンス先生が見たという幽霊たちは実際にポルターガイストの如く屋敷の家具調度を飛ばしたり壁に投げつけて割ったりするでもなく、ただ現れるだけなのです。いつのまにか現れて、そこにいるだけ。それなのに、それがギデンス先生にとってはたまらなく恐ろしく忌まわしいのです。
 ギデンス先生は、この屋敷の関係者の中に、ここ1年かそこらのうちに不審死を遂げた使用人のクイントという男と、その彼とよこしまな関係にあり、その死ののちに精神のバランスを崩して自殺したという前任の家庭教師ジェセル先生がいることを知り、その2人が幼い兄妹になんらかの未練を残しているために幽霊となっているのではないかと推測するのですが、彼らは遠巻きに兄妹を見ていたり、兄妹を探して屋敷の周辺をさまようばかりで、特に何もしないでいるのです。このへんの、生者に全く何もしないけど確実にいる、襲いかかるでも呪うでもなくただいるだけという存在感が、一体何をしたいのかがさっぱりわからないだけに、ギデンス先生の理解の範疇を超えたコミュニケーション不能の恐ろしさをかもし出しているのでしょう。
 原作小説におけるギデンス先生は、親が教師ということで教育に関する素養こそ持っているものの、実践の経験は全くない若い女性に設定されています。そして、そんな娘さんに対して、彼女を甥と姪の家庭教師に雇った貴族の男性は、破格の給料を約束こそするものの、労働条件として「屋敷のことのいっさいを取り仕切り、自分に決して相談しないこと」という、働き方は自由のようでいてその反面、責任もむちゃくちゃ重い要求を課すのです。当初ギデンス先生はガチガチに緊張しながらも「それだけ信頼されてるんだな……よし、がんばるゾ☆」とはりきるのでしたが、着任して早々、寄宿制の学校に行っていて夏休み期間に帰省してくるだけだったはずの兄マイルズが「退学処分」という形で屋敷に転がり込むというトラブルが発生し、その頃からギデンス先生は幽霊たちを見るようになり、同時に兄妹が「私に何か隠し事してるんじゃないかしら……」という疑心暗鬼状態に陥っていくのでした。

 このシチュエーションを見て、ホラー映画ファンならば、あのスタンリー=キューブリック監督の超名作『シャイニング』(1980年)を思い出さない人はいないでしょう。あの映画もまた、分厚い積雪に囲まれた冬季閉業中のホテルの管理を任された主人公が、自身の作家業のスランプというきっかけから精神を病んでいき、気味の悪い幽霊たちに翻弄された挙句に自らの妻と息子に殺意さえ抱く極限状態にまで追い詰められてしまう「サイコサスペンス」という、原作者スティーヴン=キングも激おこのアレンジが施されていました。原作小説は純然たる超能力ホラーなんですけどね……

 つまり、原作小説『ねじのひねり』は、幽霊怪談の形式を採っていながらも、世間一般で言う幽霊とは、精神のバランスを崩した人が見てしまう幻覚なのではないか?という解釈も可能にしている、「幽霊の存在を信じようが信じまいが成立する」物語になっているのです。その真相をあいまいにすることこそが、作者ジェイムズがこの物語を世に出した意義であり、「いると思えばいる。いないと思えばいない。」というあやかしの存在を文学の世界に成立させた大発明だったのではないでしょうか。
 このジェイムズの筆のものすごさをイメージするだに私が連想してしまうのが、あの黒澤清監督のホラードラマ『降霊』(1999年)なのですが、あの作品でも、登場人物の一人がそういうセリフを言っているんですよね。殺人鬼ジェイソンや宇宙船ノストロモ号の中にひそむエイリアンとは全く別種の恐怖が、そこには黒々と存在しているわけです。直接危害は及ぼさないけど、確実に見る者の精神をむしばんでいく、理解不能ななにか。

 ちょっと、原作小説があまりにもすごすぎるので、本題であるはずの映画『回転』の内容に入るのがだいぶ遅れてしまいました! だいぶどころじゃねぇ!!

 ほんでもって肝心カナメの『回転』なのですが、こちらはある一点で、原作小説と大きく異なる変更がなされています。
 すなはち、主人公のギデンス先生がかなりの御妙齢に。アラフォー!

 単なるキャスティングの都合だろうと言われればそこまでなのですが、原作に比べて映画版のギデンズ先生が20歳も年上の、しかも演じるのが気品たっぷりの美貌と貫録を持つデボラ=カーであった場合、ギデンズ先生のキャラクター造形にどのような変化があらわれるのかと言いますと、そこには「教育に関する強い自信」と、それがゆえに「子ども達は私に嘘をついている!」という疑いを確信的にしてしまう頑固さを原作以上に強くする効果があったのではないでしょうか。

 おそらく、原作通りにギデンス先生が20歳そこそこの新人家庭教師だった場合、物語の中心にいるのは幽霊たちと子ども達の謎に翻弄され、あわれに疲弊してゆく若い娘さんだったはずです。その、ある種の万能感を持ってチャレンジしたはずの若者が理解不能な屋敷の不条理にぶち当たり挫折してゆく姿は、映画版とはまるで違う印象を観る者に与えていたことでしょう。それこそ、教え子との心の壁に苦悩するギデンズ先生を思わず応援したくなるような、普遍的なヒューマンドラマになっていたかも知れません。はたまた、日本の明治時代末期に一大オカルト旋風を巻き起こし、その渦中でもみくちゃにされた挙句、ごみのように捨てられてしまった「千里眼事件」の女性超能力者たちの悲劇を彷彿とさせる、つらい物語になっていたのかも。ヒエ~また『リング』につながっちゃった!

 だがしかし、実際の映画版での妙齢ギデンス先生はどう仕上がったのかと言いますと、正直言いまして「幽霊よりもあんたが怖いわ!!」と言いたくなるくらいに目をひん向いて「あの子たちは嘘をついてる! 私にはわかるの!!」とでかい声でつぶやき続ける、かなり危険なかほりを漂わせるヒステリックレディになっていたかと思います。そして、そういったカーさんの女優オーラに耐えうる実力を持った対抗馬として、疑惑の幼い兄妹を演じた2人の子役も、心の裏がまったく読めず、かわいらしく笑えば笑うほど薄気味悪く見えてくる恐ろしげな存在になっていました。
 つまり要は、ギデンズ先生が子ども達に淡い幻想を抱くほど青くなく、年齢的にも8~10歳くらいの子ども達との隔絶が大きくなってしまったがために、同じ「幽霊よりも人間が怖い」作品にするにしても、原作小説とはまるで違うアプローチで「人間の思い込みのかたくなさ」と「無邪気な子どもの中に潜む残酷性」を活写する作品に、映画版は仕上がっていたのではないでしょうか。
 かくいう私個人は、演じる子役さんの演技力次第で出来がだいぶ違ってくるので、子役が前面に押し出される作品はあんまり好きではないのですが、悠久たるホラー映画の歴史の中には、「子どもが怖い系」というジャンルも確立してるんですよね。そうか、この『回転』はそっち系の重要な先行作品にもなってるのか! そっちらへんで有名なのは『オーメン』(1976年)とか『ペット・セマタリー』(1989年)でしょうが、私が好きなのはやっぱ『ペーパーハウス 霊少女』(1988年)ですかねぇ。

 とにもかくにも、小説『ねじのひねり』も映画『回転』も、幽霊よりも「人間の怖さ」に焦点を当てた名作であることに違いはありません。しかし、かたや文字かたや映像ということで、人間のどこに怖さを見いだすかでまるで違うテイストの世界を築いているところに、21世紀の今もなお伝説の傑作として語り継がれるにふさわしい、双方の魅力があるのではないでしょうか。

 それに、映画版はともかく映像がきれい! ハマー・プロの怪奇映画の監督としても有名なフレディ=フランシスの手による撮影映像の巧緻な設計プランと融通無碍なセンスの世界は、どのカットを切り取ってももはや西洋絵画の域! モノクロという映像形式をまるで制約と思わせない、色が無いからこそ無限のイメージを喚起させる色の豊かさは、もうお話なんかどうでもいいやと思わせてしまう程の魔力を持っていると思います。また、夜のシーンが夜らしく見えない位に白さを強調している夜空をバックにしているので、実にあいまいな、今が昼なのか夜なのかが一瞬わからなくなる幻惑感を演出しているんですよね。ゴシックホラーだからこその思い切った挑戦、お見事!
 あと、映画版は映像作品らしく音声という点でも原作小説に無かったオリジナリティを発揮していて、フローラがなにげなく口ずさむ『 O Willow Waly』のメロディの美しさや、兄妹と幽霊たちとの過去のつながりを濃厚ににおわせるオルゴールの存在感は、物語に時間の奥行きを生む技ありな小道具になっていたと思います。辻村深月先生の『かがみの孤城』のアニメ映画にもオリジナルでオルゴールが登場していましたが、映像化作品に音のアプローチって、定番ですよね。


 さて、ここまでいろいろとくっちゃべってきて字数もかくのごとくかさんできましたので、そろそろ本記事もおしまいにしたいと思うのですが、気がつけば、部屋の隅から恨めしげにこちらを見つめて、

「あの~、おらだづのごとは、触れてもくんねぇんだべが……」

 と無言の圧力をかけてくる、2人の男女の影が。あぁ~ごめんごめん、今ちゃちゃっと言うから!

 映画版で不気味な男女の幽霊を演じていたのは、使用人クイントがピーター=ウィンガード、ジェセル先生がクリュティ=ジェソップなのですが、どちらもセリフ無しながら非常に強烈なインパクトを残していたと思います。怖いというよりは忌まわしい、憐みを誘うたたずまいなんですよね。特にジェセル先生役のクリュティさんは、顔のアップさえほぼないのに、黒い喪服ドレスを着た遠景ショットだけで「あ、この人、生きてない。」という説得力を持たせるとんでもない才能を発揮していたと思います。そんな才能、幽霊役の他にどこで役に立つわけ!? でも、撮影監督のフレディさんは、本作の翌年に自身が監督したホラー映画『恐怖の牝獣』(原題:Nightmare 1964年)にもクリュティさんを起用してるんですよね。よっぽど気に入ったんだな……山村貞子さんの遠い遠いご先祖様ですよね。そういえば、雰囲気が木村多江さんに似てるかも。
 そして、不気味ながらもどこか、野卑な使用人とは思えない気高さをたたえる顔立ちをしていたクイント役のピーターさんなんですが、私、この人を見た瞬間から「どっかで見たことあるような……」とモヤモヤしていたんですが、30代半ばだった本作の時期よりも後年のお写真を見てやっとわかりました。この人、ジェレミー=ブレット主演のグラナダTV 版のドラマ『シャーロック・ホームズの思い出』(1994年 通算第6シリーズ)の中の第1話『三破風館』で、上流社交界の裏ゴシップに精通した怪紳士ラングデール=パイクを演じておられた方だ! 日本語吹替版の声担当は小松方正!! 

 小松方正さんと言えば、太平洋戦争の終戦直後に海軍兵となって広島に配属されていたのですが、あの1945年8月6日の前日の終電で東京へ出向したために原子爆弾の惨禍をまぬがれたという、もはや唖然とするしかない超豪運の持ち主です。原爆!? よし、これで本記事の冒頭につながったぞ!! もう、なにがなんだか。
  
 『回転』、合わない人にはちと退屈な作品かも知れませんが、ホラーな雰囲気が大好きな方にはたまらない歴史的名作です。おヒマならば、ぜひぜひ~!!
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