長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

こんなん聴いてますけど~ そうだいラジオ事情 2012・上半期

2012年08月29日 22時47分30秒 | すきなひとたち
 いやーどうもこんばんは! そうだいでございまする~。みなさま、今日も一日お疲れさまでした。

 今夜の千葉はなんだかそ~と~久しぶりに涼しげな感じになっております。日中はやっぱり暑かったんですけどね。
 気温が多少おとなしくなった夜の空気は、独特のにおいがして秋が確実に近づいてきていることを知らせてくれます。気がつけばもう8月も終わりなんですよねぇ!

 私にとっての今年の夏は、実に内容が密で大変だったんですけれど、そのぶん充実して楽しかったし、あっという間だったなぁ~。

 そうなんですよ、最近なんだか忙しいんです。
 それはもう、新しいアルバイトを始めたからなんですけどね。あいた時間に。
 これは、できたらゆくゆくはその現場で正式に働いていきたいと考えている職業でのアルバイトなんですけど、とにかく経験が足りなさ過ぎるということをなんとかしたいというところから始めさせてもらったわけです。

 まずは、実際にやってみてやりがいかあるかどうかを判断したいということが主な目的なんですが……やっぱり楽しいですね、かなり大変ですけど。
 まだ見習いか手伝いみたいなことしかできていないし、働ける時間も長くはないんですが、早く仕事のコツをつかんで他の方に何かを任されるような信頼感をゲットしたいなぁ! としみじみ感じている今日このごろでございます。

 いや~、アホみたいに当たり前なことを言いますけど、なんにしても「カラダが資本」、よねぇ……カゼなんかひいてられませんわ、少なくとも今年いっぱいは! まぁ気力は充実してますけど、いかんせん財力が心もとねぇ。ひえ~!!


 そんなこんなでして、最近はかなり体力がヘトヘトの状態で家に帰ってきております。したがいましてこれすなはち、「家に帰ったら ひたすら眠るだけ~ェだァからァ~♪」状態でございますね! ええ。

 その新しいアルバイトに入っていなかった時期も、今年は基本的に職探しとか試験勉強とかをやっておりまして、いろいろやることが満載の日々だったわけです。
 その結果、当然の理として聴くラジオ番組の数も減っちゃった! ずいぶんと。え? TV? もちろん家にTV はないまんまですし、も~TV が入ってくる生活の余地なんて考えられなくなっちゃったなぁ! オリンピック? もちろん全部ラジオ中継ですませましたよ。いやぁ、サッカー中継の状況がつかめないつかめない!! 開会式の Mr.ビーンだけは動画サイトで観ました。

 去年の12月くらいでしたっけ? 当時、私の聴いていたラジオ番組をまとめてみたことがあったと思うんですけど、今になって振り返ってみたら、やっぱり聴きすぎでしたわ、去年は!

 ということで、2012年に入ってから半年が過ぎ、夏も終わって後半戦に入ろうかという時期になってきましたので、いろいろとわたわたしていた上半期の私を力強く支えてくれたラジオ番組の精鋭ラインナップを、勝手ながらまたまとめさせていただきたいと思います。

 いや、ホントにTV が必要にならないんですって、ラジオがあったら! まぁ、最近やってるっていう滝川クリステルさんがロックンロールらしいCM は観てみたいんですけどね……ときどき、J-WAVE を聴いてると流れてくる、番組宣伝をやってる滝川さんの声がエロいエロい! っていうか、エロすぎて言ってることの内容が耳に入ってこない!! アナウンサーじゃなくて、楽器になっちゃってるよ、このお人は。やっぱエロい。
 なになに、滝川さんの J-WAVE でのラジオ番組は毎週日曜日の夕方17時から放送の、ラテンミュージックだけを流す音楽番組『サウージ! サウダージ』っていうんですか。なんか、私みたいな庶民が聴いちゃいけないような感じがするわ……いつか、こういうのを何のうしろめたさもなく聴きながしながら、日曜の夕方に仏字新聞を読んでいるようなおっさんになりたい。でも、今は伊集院光さんの「青春時代クソミュージックボックス」でいいわ。♪おしり、ふ~か~ない!!(もちろん、あみんの『待つわ』のサビにのせて)



減った減った! そうだいラジオ手帖 2012年度上半期


月曜から金曜
22時~深夜0時
『ニュース探究ラジオ Dig(ディグ)』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
 曜日がわりパーソナリティ
 月曜 …… 外山惠理・カンニング竹山
 火曜 …… 外山惠理・神保哲生
 水曜 …… 外山惠理・荻上チキ
 木曜 …… 江藤愛・藤木TDC
 金曜 …… 江藤愛・青木理(おさむ)

深夜0~1時
『LINDA! 今夜はあなたをねらい撃ち』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
 パーソナリティ …… アンタッチャブル・柴田 英嗣

深夜1~3時
『JUNK 』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
やっぱり聴いちゃうんだよねェ~ 黄金の熟れ熟れパーソナリティ陣
月曜
『伊集院光 深夜の馬鹿力』
火曜
『爆笑問題カーボーイ』
水曜
『山里亮太の不毛な議論』
木曜
『おぎやはぎのメガネびいき』
金曜
『バナナマンのバナナムーンGOLD 』


土曜
21時30分~深夜0時30分
『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
 パーソナリティ …… ライムスター・宇多丸

深夜0時30分~1時
『モーニング娘。のモーニング女学院 放課後ミーティング』(ラジオ日本 1422キロヘルツ)
 パーソナリティ …… モーニング娘。第9期生(譜久村聖、生田衣梨奈、鞘師里保、鈴木香音)と第10期生(飯窪春菜、石田亜佑美、佐藤優樹、工藤遥)のうちのいずれか3名の週替わり

深夜1時~1時30分
『中島早貴のキュートな時間』(ラジオ日本 1422キロヘルツ)
 パーソナリティ …… ℃-ute・中島 早貴

深夜1時~早朝5時
『ROCKETMAN SHOW』(J-WAVE ラジオ 81.3メガヘルツ)
 パーソナリティ …… ロケットマン(ふかわ りょう)
 アシスタント  …… 平松 政俊


日曜
13~17時
『爆笑問題の日曜サンデー』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
 パーソナリティ …… 爆笑問題
 安定のアシスタント陣
 月第1・2週   …… 江藤 愛
 月第3・4週   …… 竹内 香苗
 月第5週     …… 外山 惠理

22時30分~23時
『今晩は 吉永小百合です』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
 パーソナリティ …… 吉永 小百合

深夜0時~0時30分
『林原めぐみの Tokyo Boogie Night 』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
 パーソナリティ …… 林原 めぐみ

深夜0時30分~1時
『高見沢俊彦のロックばん』(TBS ラジオ 954キロヘルツ)
 パーソナリティ …… THE ALFEE 高見沢 俊彦

深夜1時~1時30分
『Berryz ステーション1422 』(ラジオ日本 1422キロヘルツ)
 パーソナリティ …… Berryz工房・徳永 千奈美、熊井 友理奈


 ね? だいぶスマートになっちゃったでしょ?

 あの~、これらについてのつれづれは、また次回にとりまとめて。
 とにかく、2012年の私のラジオ生活にとっての最大の収穫はなんと言っても、

日本ラジオ界の秘境・ラジオ日本との邂逅

 ですよね~!

 ホントにおもしろいですねぇ、このラジオ局。
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超いきなり銀河小説劇場  『奇跡の星』 第2回

2012年08月24日 16時06分42秒 | ほごのうらがき
 黒く、厚くたれこめた一面の曇天が好きだ。なにかが始まりそうな空気に満ちているからだ。


 ラボでR2培養装置のチェックを終えたあと、おれは基地の最上階にある司令室にあがった。
 司令室もなにも、今現在この星にはおれの直接の部下はひとりもいない。だが、この星の天然の山の内部をくりぬいて建造されたこの基地は、外から見た様子は山の形状をそのまま残しておきながら、頂上部分だけに基地の司令室を露出させたつくりになっている。部下がいようがいまいが、この基地には確かに司令室が存在している。

 おれが司令室にのぼる理由は実にかんたんなもので、要は外の風景が一望できるからだ。
 この惑星開発基地も、ゆくゆくは惑星辺境伯第一官邸になるという夢を抱いて竣工されたのだろうが……「安定統治開始宣言発表期日未定」のまま30年の歳月がたってしまっている今、おれからはもうかけてやる言葉もない。

 司令室の大きな窓から見える外の風景は、いつもと同じ最悪のご機嫌だ。
 晴れることのめったにない曇天。遠くの方ではしきりににぶい雷光がひらめき、不穏なとどろきが響いている。
 視線を空から下におとせば、そこもまた一面の暗い灰色。この基地が埋め込まれている山と同じような、植物のいっさい生えていない岩石だらけの山々がはてしなく続く山岳地帯だけしか見えない。もちろん、司令室から目視するかぎり、この地域に高等な原住生物はまったく確認できない。

 30年間、ほとんど変わりばえのしない、どうしようもないくらいに徹底的に、黒くうちのめされた風景しか見えない。でも、おれは暇さえあれば司令室にのぼってそれを眺めてしまう。
 おれが故郷の星にいたころ。あまりよく思い出せないが、もしかしたら、おれも青空が好きだったのかも知れない。暗いどんよりした雨雲を見ては嫌な顔をする、故郷ではごくありふれた価値観を持った人間だったのかも知れない。

 しかし、少なくとも今のおれにとって、よりどころになる風景はこの曇天と、他の生物をよせつけない険しい表情をした山岳地帯しかない。
 そして、いつも太陽が顔を出していて暖かく、現地の植物や動物が思うさまに繁栄している青空の下の平和な環境は、そのまま「よそもの」のおれたちにとっては恐ろしい光景以外のなにものでもない。どこまでも果てしなく広がる青空と白い雲は、それがおれの故郷で見たそれとほぼ変わりのないものだったのだとしても、今のおれにとっては「敗北」と「撤退」の象徴でしかないわけなのだ。

 「おれたち」。今、目の前の黒雲の中を、機影がひとつ飛び去っていく。乗っているのはいうまでもなく「おれたち」の50% を占めている片割れだ。

 いおるの乗っている単座戦闘機は、最低限の武器しか据えつけられていない、どちらかというと逃げ足の速さだけで乗員を守ることのできる「快速艇」と言ったほうが実態に似合っている機体だ。はっきりいってこの星の開発状況から見れば無防備きわまりない丸腰ぶりなのだが、赴任した当初からいおるが乗っているものだ。そうとうな愛着を持っているらしい。まぁ、それはおれにとってのウージェーヌも同じことなのだが。


 黒と灰色しかないキャンパスの中を、どぎつい蛍光色のいおるの快速艇がすべっていく。

 おれはいつも、この様子を見ていると、バーのカウンターの上を音もなくすべっていく子供だましのカクテルを思い出す。学生だったか、士官候補生だったかした頃に友達と連れだって行った場所だった。そして、今おれのいる状況のすべてが、そのとき、いい気分で酔っ払って店で突っ伏しながらおれが見ている甘い悪夢のような気がしてならなくなる。

 しかし、おれの見つめるカクテルは客の手の中にはおさまらない。そのまま、止まることなく遠い暗雲のかなたへ消えていってしまった。そしてまた、目の前には灰色の風景だけが広がる静止画のような現実がもどってくる。


 今から20年前。
 母星から「1名増員」という長距離通達を受け取ったとき、おれはひどくほっとしたことをおぼえている。「やっとこの迷路から脱け出せる。」という、ただただ素直な安心。ゴールでもなくてクリアでもない「ゲームオーバー」なのだが、この際そんなことはどうでもよかった。

 その時点でおれはこの星に10年いた。そして、惑星開発は遅々として進展していなかった。いまさら言い訳をするつもりなんてないのだが、「想定外の存在」がこの星にいたのだから仕方がない。
 そしてこういう場合、責任のいっさいを背負っている現場担当者にくだされる処断は時代を超えて同じものだろう。「くび」だ。

 もともと、おれは通らないことは承知の上で、直接の監督機関にあたる第四星系開発省には「軍隊の派兵」を進言していた。
 赴任して10年という時間を必要とするまでもなく、おれはおれ1人の手でこの星を統治することがまず不可能であるという事実を、身をもって思い知っていた。つまりは、この星の「神」とのご対面ということだ。

 とりあえず、惑星原住生物の抵抗をほとんど想定していなかった手持ちの開発システムだけではどうにもならない。要するにシャベルと空気清浄機だけで、得体の知れない科学技術を持った異星人と戦争することははなはだ困難でございますと、おれは長いあいだ訴え続けていた。

 その返事としてやって来たのが、いおる1人だったというわけだ。

 もちろん、開発省がおれの意見を呑んではいそうですかと帝国軍に派兵を要請するとも思えなかったので、「1名増員」という返答は更迭のための前準備だなと予想がついた。おれがしきりに「非常事態だ」と報告していたことからすれば、ちょっと悠長すぎやしないかという気がかりはあったのだが、こういうものがお役所なのだから仕方がない。つまり、やってくる1名というのは、おれをくびにする直接の理由をみつくろうための査察官だとおれは思っていた。

 ところが。いおるはどこからどう見ても査察官ではなかった。ましてや、おれの代わりに惑星辺境伯を務めることになる新任でもなかった。

 惑星開発などというむさ苦しい現場にはまったくそぐわない女がやって来た。まがりなりにも、おれという男が1人だけでため息をついているこの星に。
 「好きな色だ」とかなんとか言って、着任の初日から自分の耐圧スーツにあわせた蛍光色の快速艇を自慢げに見せびらかしていた様子からして、いおるの到来という展開は、おれの予想をはるかに超えていた。

 役人でも軍人でもない、まるでちょっとした一人旅のついでにこの星にやって来たヒマな学生のようなこの娘……いや、娘かどうかさえわからない。なぜなら、しばらくして気がついたのだが、いおるもおれと同じ加齢停止処置を受けていた。つまり帝国の認めるれっきとした惑星技官であることは間違いないわけだ。少なくとも、ひとつの星の中で一生を終えるようなおとなしい女ではない、ということだけは明らかだった。

 いおるは長いあいだおれの基地に住み着いているのだが、やることはおれの惑星開発事業とは完全に別行動だった。だからおれの部下ではないのだが、気の向いたときに活動を手伝ってくれたりして、それがまたいっそうわけをわからなくさせる。

 おそらく、この星のなにかを調査するためにやってきた研究者なのではないかというくらいの目星をつけてはいるのだが、それも、武器をまるで携行せずにしじゅう快速艇をとばしてほっつき歩いている様子から推定しているだけのことだ。耐圧スーツと快速艇が異常にめだつのも、もしかしたら調査研究を中心にすえた機関の人間だからなのかもしれない。

 もちろん、おれの基地に住んでいるのだから「どうにかして」素性を調べあげることも簡単かと思っていたのだが、驚いたことに、いおるは第四星系開発省とはまるで違うコードで星間通信をおこなっていた。そのため、具体的にこの星の何を報告しているのかは知るよしもない。
 まぁ、とは言ってもこの星で報告するべき特異な事象といえば、それはもうあの「神」に関することの他にはなにもないだろう。

 つまるところ、おれといおるのこの星における立場はまったく違っている。おれの最終的な目標は、それが相当に困難なことだったのだとしても、あの「神」を殺してこの星を帝国の管理下におさめること。いおるの目標はおそらく、あの「神」のすぐれた科学技術を「盗む」ことなのだ。

 「神」を殺す? 今、自分でそう考えて哀しい気分になってしまった。それを30年間やろうとして失敗し続けているおれの姿が、目の前の窓にうつっているからだ。いつの間にか、基地の周辺ではさめざめとした雨が降り出してきている。


 と、その時。
 司令室の一角、無線通信ブースのランプが赤く光り、軽快で単調な連続音が流れてきた。外線からの着信。ということは……ということを考えるまでもなく、外線だろうが内線だろうが、この星でおれに通信してくるのはいおるだけだ。


「……どうした?」

「こっちは今日もいい天気。ひなたぼっこに最適ね。」

「で?」

「それだけ。」

「なんだそれは……きるぞ。」

「森で楽しく遠足をしてる子どもたちがいるんだけど。捕捉しなくていい? あなたの第2連絡口に近づいてるんだけど」


 森だの遠足だの子どもたちだの、いおるのいつもの言葉遊びがむなしく司令室にひびく。


「第2は最近、外装を新しくしたから簡単にはばれない。入り口が見えたところで、あいつらには何もわからんだろうが。」

「どうかなぁ? いつのまにか知恵をつけてるかも知れないよ、あの子たち。」

「知恵?」

「あの子たち自身に知恵はなかったとしても、あの子たちを使いまわす知恵くらい、『オジサン』にはあるんじゃない?」


 小父さん。いおるがあの「神」を呼ぶときに使う言葉だ。どうして、意志の疎通もできないような異星人に対してそんな呼び方ができるのか、理解に苦しむ。


「まさか……ただ『町』で生きているだけの原住生物だろう。『神』の兵隊になる脳みそはない。」

「あの子たち……見てるとむちゃくちゃイライラしてくるときがあんのよね。ふつうに何にも考えないで幸せに生きてる感じなのが。」

「……なにを言ってる?」

「突然あたしが光線砲をぶっぱなしてあの子たちを全員ころしちゃったら、どうなるかな。」

「聞き飽きた冗談だな。あいつらの復讐にあって全滅したくなかったら、そういうことを考えるのはやめろ。」


 自分で自分が情けなくなる。しかし、現状でのおれにとっての「神」とは、そういう存在なのだ。


「冗談、か。たしかに今日も冗談だったみたい。でも、明日あたしが同じことを言ったとき、それも冗談かどうかはわからないわよ。」

「いい加減にしろ。もうきるぞ。」

「これから『峠』に行く。もしかしたら逢えるかもしれないから。」


 また、あいつか。


「おい、大した武装もしてないんだぞ! 余計なことは絶対に……」

「♪ アダム~とイヴ~が~ りんごを食べてか~ら~」


 いおるの唄声が、司令室に流れた。いつもことあるごとに口ずさんでいる、いおるの大好きな歌だ。


ふにふにふにふに 後を絶たない……


 いつの間にか、通信は途絶えていた。おれは軽いめまいをおぼえた。



《つづく》
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純粋『巨神兵東京に現わる』大批判!!  ~東京都現代美術館の「特撮博物館」に行ってきました~

2012年08月19日 17時36分44秒 | 特撮あたり
 ピロピロピロ、ケロケロ、カロカロカロ~。どうもこんばんは、そうだいでございます~。今日も暑かったですねぇ!

 世の中では、夏休みもそろそろおしまいが見えてきた頃ですよね。我が『長岡京エイリアン』をご覧になっているみなさまの年齢層も性別も私はまったくあずかり知っていないのですが、夏休みを実際に謳歌しているわこうどなんているのかね? もしいるとしたら、時間を大事にしなさいよォ~! つっても、いくら言葉で耳に入ってきても、その意味を理解できずに生きているのが若者の特権なのよね~。それが生き物のまっとうな姿なんだから仕方がねェ。

 いやぁ、暑いもなにも、今日はとびっきりあっつくありませんでした、関東!?
 そして、そういう日にかぎって、着なれないスーツに身を固めて炎天下の街中をほっつく歩くはめになっているのが、わたくしなのよね~!! こういうタイミングの悪さはもう慣れました。「うん、そうこなくっちゃ! 死んでたまるか~☆」みたいな鼻唄気分ですよね。

 スーツ姿で行った用事は例によっての仕事探しで、船橋で面接があったためでした。
 船橋っていったらもう千葉なんで、新宿や渋谷ほど遠くなくてよかったと思っていたんですが、やっぱり暑いと、たかが5分弱あるいたくらいでもう疲労困憊ですよ。だってさぁ、日曜日だし、スーツ姿の人なんてほかに誰もいねぇんだよ。男性だってTシャツとかハーフパンツがほとんどなのに、みんなそうとうキツそうな顔してるんですよ! そんな中で上下濃紺のスーツ……もはや荒行以外のなにものでもありません。

 んで、いちおう面接自体は無事に終わりました。いい結果になるといいんですが……まぁそれは、恨みっこなしで運を天にまかせることにいたしましょう。
 もちろん、スーツがとにかくあっちいのでさっさと帰宅する選択もあったのですが、用事が済んだ時点でまだまだ正午をちょっと過ぎたくらいだったので、「せっかくだし、あそこ、行ってみるか!」という気分でそのまま、かねてから行ってみたかったある展覧会に GO!!


東京都現代美術館・企画展示『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』(2012年7月10日~10月8日開催)


 イエ~イ! ついに行っちゃいましたよ。

 美術展に行くのも、どれくらいぶりですかね……たぶん、去年の真夏に行った千葉県佐倉市の「塚本刀剣美術館」いらいじゃないかなぁ。あそこも1フロアながらもなかなかディープな空間だったのですが、ある程度の広さをもった美術館ということになると、3~4年ぶりということになるかもしれません。ずいぶんご無沙汰。

 この、東京都の江東区三好にある東京都現代美術館も、確か5~6年くらい昔にやっていた「スタジオジブリ展」を観に行って以来、3度目の来訪になりますかね。けっこう好きな美術館です。

 そ・れ・な・の・に。道に迷っちゃった……よりによって猛暑の日に、上下スーツで!! ザッツ・荒行&バカ。

 現代美術館は最寄りの駅である地下鉄の清澄白河(きよすみしらかわ)駅を出て、道に迷わなければ徒歩15分ほどの距離にあります。ちょっと歩かなきゃならないんですね。

 いや~、久しぶりだけど何回か行ったことがあるから大丈夫かと思ったら、見事に道に迷って2倍の距離と時間を歩くことになってしまいました……こりゃアレですよ、きっと妖怪「ひだる」のしわざだな。99% のひだると1% の方向オンチですよ。

 別にそのせいにするつもりはないんですが、清澄白河駅から歩くと、けっこう目立つ感じで現代美術館のマスコットキャラクターみたいなものをあしらった「かかし人形」が立ってるんですね。道ばたに。
 で、それにしたがって歩くと数百メートル先に2体目のかかしがあるわけですよ。なので、そこからまたかかしの指示にしたがって歩く。
 するとね、3体目のかかしがいつまでたっても出てこない……現代美術館はまだ見えてこないのに。「まっすぐ行けば着きます」っていう段階でもないはずなのに、指示がピタッとなくなっちゃうんですよ? この恐怖。

 こういうのにホントに弱いんですよ、方向オンチのわたくしは! それで不安になった末の八門遁甲の陣モード突入ですよ。またおまえか、諸葛亮ォ!!
 途中までお世話になっておきながらこういうことを言うのも非常に恩知らずな話なんですが、あの、親切にしてくださるなら、最後までその親切をやり通してくれないものだろうか……何卒お願いし申す。

 なにはともあれ、1時間弱歩いて見なれた現代美術館にたどり着くことができました。た、助かった。

 いやぁ、さすがは夏休み! お題が「特撮」なもんですから、そりゃあもう日曜日の現代美術館はたいへんな盛況振りでした。特にやっぱりお子さんの数ね。
 ところが、入館料をはらって中の展示スペースに踏み込んでみると、客層が少なからず、私の予想していた感じと異なっていたのが実に印象的でしたねぇ。

 とにかく思ったよりも女性が多い、多い! 
 やっぱり特撮作品の展示会なので、オッサンの身としては、私のようなおたくのみなさんか小学生男子をつれたお父さんがメインで、女性がいるとしても若干のひき顔で彼氏についてきている女の子くらいかとおもっていたのですが、そんなことない、印象としては男女比は5:5でしたね!
 大学生くらいの若い女性が、ひとりか数人で一緒に来ているというパターンが多く見受けられましたし、個人的にもっとビックリしたのが、中学生以下の女子がかなり多く親御さんを連れて観に来ていたってこと! 本当に、つきあわされてるって様子じゃなくて、積極的に展示されてるミニチュアや映像に見入っているんですよね、女の子が。

 時代も変わったというかなんというか……私が子どもだったころには「特撮」と「同級生の女子」なんて、隠れキリシタンと江戸幕府くらいに相性が極悪な組み合わせでしたからね。
 でも、もっと年上の女性も非常に多かったところを見ると、やはりこれは「館長・庵野秀明」という部分によるところが大きいんでしょう。たぶん、アニメ経由で実写の特撮に興味を持ち始めたという層にバッチリとはまったのではないでしょうか。実写特撮とアニメという、この2大ジャンルの壁を取り払う役割をになうことのできる才能は、たしかに現代の日本では庵野秀明をおいて他には見当たらないと実感いたしました。
 いやはや、大英断をもって今回の企画をたちあげた庵野さんには足を向けて寝られません。これは立派な文化的偉業ですよ、ほんと!

 それでもって肝心の展示内容だったのですが、そりゃあもうあーた、「最高」としか当てはまる言葉のないものでしたよ、ええ。
 「特撮博物館」の入館料は大人で1400円だったのですが、これだけのボリュームが映画鑑賞1本ぶんよりもリーズナブルな料金で見たい放題とは……「ものすんごく安い!!」としか言いようがありません。

 冒頭の繰り返しになるのですが、このブログをご覧になっている方の中で、どのくらいの人数が関東地方にお住まいになられているのかは、私は存じあげておりません。
 おりませんが! 行ける人はほんっとうに行ったほうがいいですよ、この展覧会。関東以外に住んでいる人でも、これはちょっとどうにかして、10月8日までに現代美術館に足を運んだほうがいいかもしんない。かなり広いスペースと多様な設備を必要とする展示規模なので、おそらくこれが全く同じスケールで地方にまわる機会はないと思われます。

 こんな『長岡京エイリアン』なんてタイトルのブログですので、おそらく今この記事をお読みになっているあなたは、特撮に少なからず興味をお持ちになっていることでしょう。もうこの「特撮博物館」なんて、とっくに行ったよ! という方も多いでしょうね。
 でもねぇ、この展示は特撮作品にまったく興味がない人が行っても、十二分におもしろいはずですよ。

 要するに、「怪獣が出てくる子ども向け作品」の製作現場の再現展示ではなくて、「人がものをつくる」ということの素晴らしさがしみじみ伝わってくるという、非常に範囲の大きな展覧会なんですよね。
 もうこれは、仕事をする人、料理をする人、趣味に没頭する人。もっと広くすれば、人とつきあいながら生きていく人すべてが共感できる、「生きていくことの大変さと楽しさ」が克明に展開されている稀有な美術展なんですよ。なまはんかなアートよりよっぽど間口が広くて、しかもレベルが高いです。

 展示物はも~ホントに、いちいちあげていたら向こう1ヶ月ぶんの『長岡京エイリアン』の記事がゆうに埋まってしまいますので、すべての素晴らしさを紹介するのは泣く泣く省略させていただきたいと思います。
 今回は「ミニチュア」という部分にそうとうな力を入れている展示になっているため、特撮の中でも比較的、巨大な怪獣が登場するような「ゴジラ系」「ウルトラヒーロー系」がメインになっていて、さすがは庵野館長、「非ウルトラ系」の巨大メカもの『マイティジャック』(1968年4~12月放送)のシビれる主役メカ群も大いにフィーチャーされていました。展示のテーマ上、等身大の「仮面ライダー系」はささやかなのですが、『突撃!ヒューマン』や『怪傑ライオン丸』などの主役ヒーローの本物のスーツマスクがズラズラ~ッ!と並んでいるのには畏れ入りました。き、貴重すぎる。

 ミニチュアときてハズせないのはやっぱり、それぞれの特撮番組で活躍する特殊防衛チームの戦闘機と特殊車両、それにリアルな25~100分の1スケールの町なみ・ビル群ですよね! そこはもうとてつもないボリュームで迫ってきますね~。
 もちろん、さわっちゃあいけません。いけないんですが、すぐ数センチ前に実際の撮影で使用されたウルトラホーク1号が、スカイホエールが、そしてマットアロー1号がァ!! たまりませんね~。地味ながらも、至るところにいろんな縮尺の東京タワー(もち昭和の)が置いてあるのも見逃せません。ちゃんとね~、遠景撮影用の東京タワーは赤い塗装をわざとくすませてあるんですよ。物は遠くなると、色あいが空気の層のせいで淡くなるんですよねぇ!

 こんな感じなのですが、だいじょうぶ、怪獣のモノホンの着ぐるみもちゃんとあるんですよね!

 ヒーローのスーツもそうなんですが、画面の中でなく実際に目の前にある着ぐるみは、これはもうほんとうにデカいです。圧倒されてしまいます。
 特撮向けの着ぐるみは、中に人間が入るという制約もさることながら、投げ飛ばされたりミニチュアの中に倒れこんだり、火をつけられたり仕込んだ爆薬をゼロ距離で炸裂されたりとかなり危険な現場に投入されるため、人間のひとまわりもふたまわりも大きなサイズにゴツく作られているわけなんですね。怪獣だったら背たけ2メートルサイズは当たり前。

 いやぁも~、目の前で観ることができたメカゴジラ2号機、平成ゴジラ(VS シリーズ)、そして! 私そうだいが信仰の対象とあおぐご本尊キングギドラさま。3体ともご本人です。はぁ~ありがてぇありがてぇ。

 その日の特撮博物館では、えんえん10分間、1センチ未満の距離でキングギドラの3本の首に順ぐりにメンチをきり続ける、上下濃紺スーツのおっさんの姿があったという……なにあの人、家族をキングギドラに殺されたのかしら……

 私のキングギドラへの愛。そりゃまぁ、語りだしたら向こう半年分の『長岡京エイリアン』が金色に染まってしまいますので、深入りするのはやめておきましょう。
 今回の冒頭の音が、キングギドラの鳴き声だと一瞬でわかった方、います? あなたとはいい酒が呑めそうです……私は甘酒で。

 ほんとのところ、特撮博物館に展示されていたおギドラ様は映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)に登場した前代未聞の「正義の怪獣」護国聖獣ギドラ幼体だったため(通算5代目)、実は私としてはもっとも思い入れのうすいヴァージョンの着ぐるみだったのですが、それでもやっぱり感動しちゃいましたねぇ、本物には! ウロコの1枚1枚までほんとうにかっこいい。

 メカゴジラ2号機もやっぱりよかったですね……あれって、『メカゴジラの逆襲』の撮影終了後にいったん「1号機」にもどされたんですかね? 着ぐるみの一部が1号機の仕様になってましたけど。1号機と2号機のちがい、キミにはわかるかナ~? わかっても社会の役には立たないぞ!
 昭和メカゴジラのデザインは何がいいってねぇ、メカなのに日本の龍や獅子舞、狛犬といったあたりの伝統の骨格をしっかり継承している男前な面がまえだからいいんですよ……神社の鳥居の両わきにメカゴジラの1号機と2号機が四つんばいで座ってても違和感ないでしょ? え、ある?


 さて、本当に展示ラインナップについて語りだせばきりがない特撮博物館なのですが、そろそろ本題に入ることにいたしましょうか。

 今回のこの展覧会の中でも、おそらく最も話題性の高いトピックが、庵野秀明の企画による実写短編映画『巨神兵東京に現わる』の上映でしょう。しかもなんと、天下のスタジオジブリ最新の正式制作作品!


 これには……心の底から、がっかりした!! 落胆といきどおりね。


 まず、聞いていただきたい。

 この『巨神兵東京に現わる』は「オール CG技術ぬき!」という庵野秀明の号令の元に製作された、あの宮崎駿の歴史的名作『風の谷のナウシカ』(1982~94年)に登場する巨大破壊生物兵器・巨神兵がもし現代の東京に出現したら……という趣向の公式スピンオフ作品です。庵野さんは企画だけで、脚本にも監督にもかかわってはいないようです。

 だいたい9分ほどの実写特撮映画なのですが、CG はおろか生身の人間の役者さんさえ一切登場せず、林原めぐみさんによるナレーションと、空から降ってきた巨神兵が東京を火の海に変えていく様子の描写だけに徹している非常にシンプルな作品になっています。

 なんといっても、今回の特撮博物館で『巨神兵東京に現わる』が上映された最大の意義は、本編の上映もさることながら、「CG は使わない」というけっこうな高さのハードルを乗り越えるために発案された、そのまんま長編映画に使われてもさしつかえないような多くの「手作業による新たな特撮技術」の数々! これらが惜しげもなく、10~15分ほどのメイキング映像2本で詳細に解説されていることなのです。これはほんとうにありがたいし、そのひとつひとつのテクニックの素晴らしさに驚嘆してしまいます。プロが懇切丁寧にタネを明かしてくれるんですよ……これを小学生のみそらで観られる子どもたちがまことにうらやましい。

 『巨神兵東京に現わる』は賭け値なしに実写特撮技術の最新アイデアの宝庫で、だいたい、エヴァンゲリオンのように細身で人間らしからぬ不気味な体格を持った巨神兵をどうやって実写化するのか? 中に人間が入る従来の着ぐるみ技術では、さきほどに言ったような理由で巨神兵のリアルな再現は難しくなってしまいます。どうしても、宮崎駿のデザインよりも太った巨神兵になっちゃいますから。かといって、操り人形を上から動かす操演技術では、こまかい動きが難しくなってしまうわけです。
 映像を見るまで、私はてっきりミニチュアの巨神兵をコマ撮りで撮影していくレイ=ハリーハウゼンばりのストップモーション技術が活用されるのかと予想していたのですが、実際にはそんな古臭いものとはまったく違った、それでいて日本の伝統芸能をうま~く取り込んだ、思わずため息の出るような新技術が投入されていたのです。これにはまいったねぇ~。

 巨神兵、崩れるビル街、立ちのぼるキノコ雲……撮影に投入された数々の技術の解説に、メイキング映像の上映会場ではなんの誇張もなく「へぇ~!」「うわ~!」という声があがっていました。こういう驚きを他の人たちと共有できる楽しさね。そういう意味でも、今回の『巨神兵東京に現わる』関連の企画展示はほんとうに意義のあるものがあったと感動いたしました。

 しかし!! いや、だからこそ! 私は叫びたい。『巨神兵東京に現わる』の本編そのものは、最っっ低にして最っっ悪の出来であると。

 確かに、『巨神兵東京に現わる』は一般の劇場で公開される長編作品ではありませんし、おそらくは制作上の日程や予算などの条件がかなりタイトなものになっていたであろうことはうかがい知れます。その点からも、あくまでも「お祭り的な出し物」として割り切って、「肝心の特撮技術がこんなにものすごいんだから、ほかの少々のことはいいじゃないの……」と楽しんだらいいだけのことなのかも知れません。

 でもね。過去のすべての特撮作品への感謝と愛に満ちている展覧会のメインにすえられている、最も新しい時代をになっていく一作であるからこそ、私はここだけは許容するわけにはいかないんですね。

 なにが許容できないのか? それは、特撮がこれだけ魂の籠もった仕事になっているのに、「作品全体のまとまり」が実にいいかげん。特にこれといった主義主張もないくせになぜか嫌な感じに仕上がっているという、その「監督力」の絶望的な欠如なんですね。

 この作品の流れはだいたい、「大きな災厄の予感に満ちた映像と林原めぐみのナレーション」~「ついに出現した巨神兵の大破壊シーン」~「巨神兵による『火の七日間』を背景にした林原めぐみのナレーション」といった感じになっています。
 その中で、手ばなしに素晴らしいのは真ん中の巨神兵シーン。手ばなしに最低なのは前後のつけたり。

 なんと言いますか……巨神兵の恐怖は、人々の記憶に残る歴代の怪獣たちのそれに通じる「畏怖」につながらなければいけないと思うんです。原作者の宮崎駿がどう考えているのかは別としても、特撮博物館の一環として実写化されている以上は、観る者になんらかの感動を与える「破壊の神」でなければならないんですね。

 ところが、『巨神兵東京に現わる』の巨神兵は見てくれこそ確かに原作マンガに忠実でカッコイイのですが、その存在はもうひたすら「不快」でしかないんですね。これははっきり言って巨神兵のせいじゃありません。ただ気持ち悪いだけのナレーションを無批判に前後にのっけた監督のせい。
 このナレーションは最低ですよ。私はこれでも毎週日曜日のブギーナイトをけっこう欠かさず拝聴している人間なので、しゃべっている林原さんの声にはなにも申すことはありません。
 内容なんだよ、内容……上映中の作品なんで詳しいことは言いませんけど、まったく共感できないモノローグがぶつぶつ続くだけで、しかも、序盤と終盤とで言ってることがアホみたいに分裂してるんですよ。何が言いたいのかさっぱりわかんないの。ただ気持ち悪いだけで。
 しかも、「火の七日間」に触発されたのかなんだかわかんねぇけど、浅知恵まるだしで聖書の話なんか持ち出してきちゃったりしてねぇ、たいしておもしろい解釈もしてねぇのに。そういうのを恥ずかしげもなく超一流の声優さんにしゃべらせる脳みそのカラッピッピ感!!

 だれ、あんなくっだらねぇつぶやきを神聖な特撮作品に持ち込んだの?
 え? 舞城王太郎? お前にだけは、今後いっさい金なんか落とさねぇからな!! こんないい加減な仕事をやってるヤツの日本語なんか1文字も見るか! 「かばやきさん太郎」に改名して出なおせ、バカヤロー☆

 いや、わけのわかんない知性ゼロの日本語でもいいんですよ? それならそれで、そういう分裂ぶり、トチ狂いっぷりを演じてくれるようにナレーションを演出すればいいんです。なんてったって巨神兵が東京に現れてるんだから、それを語る者が狂乱することは当然なんです。人間だもの。
 でも、林原さんに演技指導している監督の影は寸毫も見いだせませんでしたね、私には。どうせ「××ちゃんみたいな感じでお願いします。」程度の軽さでパパッと収録したんじゃないですか?

 私はそこが許せない。特撮にはあんなに魂をこめているのに、作品全体の完成度のバランスをまったく考えていない監督の態度が本当に許せないんです。
 そこからはもう、「特撮がすげぇんだから、あとはいいだろ?」「人間の演技は役者にまかせよ~よぉ、プロなんだからさ。」という、映画監督という肩書きをなめきった姿勢しか感じられないんですよ。

 不快だ。とにかく不快です。『巨神兵東京に現わる』で、巨神兵が好きになる子どもはいなくていいんですか? トラウマ作品というものは、ただ単に目を背けたくなる暴力的な怖さがあればいいと思うものじゃないと思うんですが。

 別に私は、巨神兵に「シェー!」をするようなファンサービスをしろと言っているのではありません。最低限、東京を壊滅させるにしても初代ゴジラのような「畏怖」とガイラのような「身に迫るインパクト」を、どうか特撮だけでなく「監督の演出力」でも創造してほしいということなんです。そうじゃなきゃ、特撮博物館唯一のオリジナル作品であるという重責をになえないはずなんですよ。

 だって、特別上映作品だとしても、オープニングにちゃんと大きくクレジットされてるんでしょ、「監督 樋口真嗣」って!!
 そこ、「特技監督」だったら別に文句は言いませんよ。でも、作品全体の「監督」なんじゃん、あなた!!

 憎い! 私は「映画監督の樋口真嗣」が本当に憎い。だって彼は映画監督としての仕事をまるでやっていないのもさることながら、「特技監督の樋口真嗣」と現在の日本特撮界の評価を下げることしかしていないんです。彼がのうのうと映画監督を名乗り続けることができている日本映画界って、いったい何なんですか?

 『巨神兵東京に現わる』が如実に示しているように、樋口真嗣はまさしく、円谷、有川、高野、中野、川北というなみいる伝説の特技監督の面々につらなるどころか、互角以上にわたりあえる発想と行動力を持った天才であるはずなんです。
 しかし、同時に『巨神兵東京に現わる』が如実に示すとおり、映画監督なんていう肩書きは早々に放り投げたほうがいいんですって、マジで! いい映画監督本職のパートナーと組んだらいいだけの話じゃないっすか! もう若くはないんでしょ、シンちゃん。

 みなさん、今からおよそ50年も前、1964年に公開された映画『三大怪獣 地球最大の決戦』で初登場した宇宙超怪獣キングギドラが、どうして半世紀たった現在でも「最強・最凶・最恐の怪獣」としてい君臨できているのか、わかりますでしょうか。それは、単純な生物としての強さとか、吐き出す光線の威力のすさまじさだけではないんです。
 巨大な火の玉の中から満を持して爆誕するその姿。上空を飛び去っただけで風圧で屋根瓦が吹き飛んでしまう長野県・松本城。横をちょっと通り過ぎただけなのに、飛行から生まれる衝撃波でミシミシとへし折れる東京タワー。飛んでくるというラジオ速報を聞きいっせいに自宅に非難して雨戸を閉ざす住民の無駄な努力。ミニチュアの鳥居ごしに近づいてくるキングギドラの姿をとらえ、空間の奥から放たれた光線によって画面近くの鳥居が一瞬にしてなぎ倒されてしまうというものすごいカメラワーク。このワンカットによって、キングギドラは地球の神をもおそれない恐怖の存在であるということが無言で雄弁に説明されるのです!

 つまり、怪獣の恐ろしさは怪獣自身ではなく「周辺」で証明されていくものなのです。周辺を形作るのはもちろん、監督の手腕です。
 はっきり言って、その破壊のすさまじさにおいて、『巨神兵東京に現わる』の巨神兵は歴代のどの名怪獣さえも足元にさえ及ばない強烈さを誇っていました。そりゃあもうとんでもないものです。
 でも、その破壊には「美学」がない。監督のセンスや哲学を感じるカットがないんです。安っぽいエセ黙示録にたとえたいのかな~?程度。

 そういう点で今回の巨神兵は、あの、そ~と~不本意なコンディションでの登板となった映画版『風の谷のナウシカ』での「ドぐされ巨神兵」よりも効率の悪い破壊のしかたしかしてないんだよなぁ~! ただただ力押しなんですよ。光線の一発一発に魂を込めてない。高校球児を見習ってほしいですね。


 もうひとつ『巨神兵東京に現わる』で最低なのは、やっぱり音楽ですよね。

 哀しげな女性コーラスに、ピアノソロの「ポロン、ポロン……」って、なにそれ。
 激しい破壊に静かな音楽の対比ですか? そんなクソくだらない小手先だけのテクニック、こっちは三流ハリウッド映画で耳が腐れおちるほど聴いとるんじゃ、大バカタリンコ!!

「きみはマ=クベ大佐の下に長年いて何を学んだのだ……」

 聴こえないのか、あの、「ゴジラ名場面集」の上映スペースから流れてくる『怪獣大戦争マーチ』が。音楽と特撮が互いにどのくらいの相乗効果をもたらす重要な関係なのか、知らぬあなたではありますまい。
 そこをなんで、あんな聞く価値もない音の羅列で済ませるのか、本当にそのセンスを疑います。

 いろいろ言いましたが、私としてはすべての悪い点から観て、やっぱりこう結論を出さざるを得ないんです。
 樋口真嗣は作品全体のコンダクターたるべき「映画監督」という仕事をやってない。「展覧会向け特別作品だからこそ、そこに全力を賭ける」という行動の「粋(いき)さ」を、根っこのところで理解していない。特技監督としては合格点以上にやっていたのだとしても。


 今回の「特撮博物館」は、日本における特撮という文化の「素晴らしさ」と「今後の課題」、それぞれを強く感じさせる意義深い展示企画になっていました……
 あらためて言いますが、本当にいい展覧会です。このチャンスを逃がす手はありません。行ける方は是非とも行ってみていただきたい。

 いろいろ疲れちゃったよ。まずなにはなくとも歩き疲れてたから、これまたとてつもないスケールの物販ブースでも、オリジナルグッズなんか買う余裕もいっさいなく帰っちゃったし。昔は DVDだ、フィギュアだ、ガシャポンだと目移りしてしょうがないくらいだったのにねぇ~。私も年をとったのかねぇ~。

 たぶん、10月8日までにもう1回くらい行くんじゃないかな。

 その時には道に迷わず、体力に余裕を持ってじっくり楽しむぞ~! オイ、オイ、オイぃ~。
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あら~、気がつけば3年目……  6年前のモーニング娘。とかハロー!プロジェクトのDVD マガジンを観つつ

2012年08月16日 22時16分26秒 | すきなひとたち
 成海璃子さん、やせたねぇ~!! どうもこんばんは、そうだいでございます。みなさま、今日も一日お疲れさまでした!

 いやはやなんとも、あっちいっす……ここ数日は、また7月の猛暑が帰ってきたって感じですね。
 雲ひとつない青空という日の多かった先月にくらべると、空はみごとな入道雲もしょっちゅう見られるようになってきました。夕立はめったにないんですけど、こうやって夏はすぎていくんですねい。にしても、日中のわたくしの部屋はほんとにしんどい……クーラーがないという状況なので昭和の扇風機がフル回転なんですけど、あたってくる風がまぁ~、ぬるきこと、くず湯のごとし!! からだに優しいね~。

 そんなこんなでヒ~ヒ~言ってるうちに、今月もなかばをこえましたね。今年の8月15日もやっぱり、ひどく暑い日だった。

 そしてふと、いつも入るブログ編集ページのトップ表示を見てみると、こんな記載が!

「ブログ開設から745日」

 あら~、そうなの……745日。えっ、ということは、「まる2年」たって3年目に入ったんですか。
 気がつかなかった。わたし、8月の何日にこのブログを始めたんだっけな。1年が365日だから、とにかく730日やったら2年やったってことでしょ。あれ、でも今年は「うるう年」だから……まぁ、いいや。

 へぇ~、まさか、こんなに続くとはねぇ。別に仕事でやってるわけでもないし、つらい思いを乗り越えてここまでやってきたゼ! な~んていうドラマチックな起伏もなかったので、正直なところそれほど達成感があったり嬉しいわけでもないのですが。

 おかげさまでトータル閲覧者数も、いつの間にか10万人を超えておりました。アクセス数は実にその数倍でございます。
 でもさぁ、「閲覧者数」っていうのはその日1日分の閲覧された方々の人数ですから、ほんとに読まれた方々の人数ってのは、どのくらいなんでしょうかね。ん~、まいっか! 「10万人が読んでます」っていうドリームでいいじゃねぇかと。コメント様がアルティメットに少ないのも気楽でいいや。

 ま、とにかくこの『長岡京エイリアン』。これからもマイペースで続けていきたいと思う所存でございます~。
 せっかくこのタイトルなんですからね、こうなったら、歴史上の「長岡京」が日本の首都だった(784~794年)「10年間」は続けていきたいですねぇ。そうなんですよ、意外と長岡京、長いんですよ! がんばらなっくっちゃ~♪


 そんなこんなで、今回はさらっと、最近こんな DVDを観ました~、っていうお話を。「なぜ、いまさら……」っていう感じの逸品ですね。

『ハロー!プロジェクト DVD マガジン 第6巻』(2006年3月)
『モーニング娘。DVD マガジン 第10巻』(2006年9月)

 これぞまさしく、「なぜ、いまさら」!! でも、いいんだなぁ、これがまた……


 実は最近、たまっていた読んでいない本や観ていない DVDをドバドバ~ッと消化している最中であります。
 なんといっても、今月の初めまでかなり本腰を入れて試験勉強にうちこんでいました。まぁ、無事に試験そのものは受け終えまして、その結果が正式にわかるのは来月なかばなんですけど……そっちの話はやめとこっか!

 んで、そのために買いためておいたもろもろを約1ヶ月間封印していたわけでして、試験が過ぎた直後からエッチラオッチラ楽しんでいるところなんですね。いや~、やっぱり読書は楽しいですねぇ~!

 そんなこんなの中で、くだんの DVD2本も観る順番がまわってきたんですが、もともとこれらは何ヶ月か前に、ひょんなことから入手していたものだったんですね。それが最近になってやっと解禁されることになったんですなぁ。


 まず最初に説明しておきますと、ハロー!プロジェクトが定期的にリリースしている「DVD MAGAZINE」シリーズは、要するにハロー!プロジェクトに所属している各アイドルグループのコンサート公演、もしくはハロー!プロジェクト全体の合同公演のさいに会場で販売される、会場限定のスペシャル DVDのことで、「DVD になったパンフレット」みたいなものです。
 つまりは、そのコンサートに行ったお客さんしか手に入れることができないアイテムであるわけでして、それもコンサート会期中に売り切れてしまったらハイそれまでよ。もちろん、ふつうに映像ソフトとして一般のお店で売られるものではないんですね。超貴重!!

 当然、現在もハロー!プロジェクトとモーニング娘。それぞれのDVD マガジンシリーズは発刊され続けていて、今はハロー!プロジェクトは20巻台、モーニング娘。にいたっては40巻台に達しているんですって! 歴史があるねぇ~。

 そういえば、不肖わたくしめも浅学ながら今まで2回ほどモーニング娘。のコンサートに参戦させていただいているわけなのですが、確かにコンサートグッズ販売所でDVD は売ってましたわ!
 でも、前にも言ったかと思うのですが、私、これからモノホンのご本人たちに会うのに、ど~してまたDVD やポスターを買う必要があるのかな~って、実につまらない理屈が先に立っちゃって、いくら「会場限定販売!!」ってあおられても、なんだかその場では購入する意欲が失せてしまうんですよね……
 これはね、圧倒的に私の感覚のほうがおかしいんですよ。だって、お祭りなんですからね、コンサートってものは!
 今度また行くときがあったとしたら、なんかおもしろ限定グッズのひとつでも買えるような余裕ができるといいんですが。どうかナ~!? この貧乏性は根っこが深いからねェ。

 それはともあれ、そんな中なんと6年の歳月を越えて私の手元に飛び込んできた2本の DVD マガジンであります。ありがたや、ありがたや……

 2本とも2006年にリリースされたものなのですが、「たかが6年前」という時間の差が、こと女性アイドルの世界においてこれほどまでに大きすぎる時代の違いを見せつけてくれるのかと……はっきり言って、もう世代が変わりまくっているわけなんですよ、もう!
 どっちの内容もなんちゅうか、「涙をさそう、春高楼の花の宴……」ってほどには哀しい気分にはなりませんけれども、「あぁ、このメンツが勢ぞろいしているところをいま観ることはかなわないのよね。」という想いにはヒッタヒタにひたりまくることができるわけなのです。

 『ハロー!プロジェクト 第6巻』は、2006年3月にさいたまスーパーアリーナで開催された「ハロー!プロジェクト・スポーツフェスティバル 2006」で会場限定販売されていた DVD マガジンで、当時のモーニング娘。現役メンバー全員はもちろんのこと、中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・矢口真里・後藤真希・辻希美といった卒業メンバー、ソロ歌手の松浦亜弥と前田有紀、稲葉貴子(元・太陽とシスコムーン)、長手絢香(ココナッツ娘。)、カントリー娘。、メロン記念日、美勇伝といった面々が総登場。そしてなんといっても見逃せないのは、それに加えて2004年にデビューしていたBerryz工房の7名と、前年2005年6月に結成したものの、まだまだ2007年2月のメジャーデビューまでインディーズ活動を続けていた最中の℃-ute(キュート)の「8名」が元気に活躍する姿が映像におさめられていることです。これはとてつもない。

 とは言いましても、この DVDはあくまでも開催されたスポーツフェスティバル2006の「おまけ企画」が収録されているといった趣向のものでありまして、その当日、約40名もの名だたる猛者アイドルたちが二手に分かれて、短距離走だリレーだフットサルだライヴだと舞えや唄えやの大盤ぶるまいを展開したという模様そのものはおさめられておらず、それはまた後日に別の映像ソフト商品になっているようです。

 じゃあ、肝心の第6巻におさめられているのは何なのかと言いますと、そのスポーツフェスティバル2006で分かれることになるチーム対抗で、「握力、瞬発力などの体力測定対決」「砂山にたてたハタたおし対決」「なみなみの水槽にビー玉を交互に入れていって水をこぼした方が負け対決」「激にがコーヒー、激まず紅茶などを飲んじゃった方が負け対決」「パンくい競争対決」「ぐるぐるバットをやったあとで箱を5コちゃんと積みあげた方が勝ち対決」などといった、オールスタジオ収録の実にふんわかほんわかした前哨戦なんですね。これは恐るべき DVDです……

 内容はとにかくくだらな……いやいや、味わい深い空気にあふれた熾烈な闘いのオンパレードなのですが、最盛期のあやややハロー!プロジェクトに在籍していた最末期のごっちん、カントリー娘。にメロン記念日という、アイドル好き経験の浅い(なんてったって2011年デビューなんですから!)わたくしにとりましては、まさに「歴史上の存在」ともいうべき顔ぶれが観られるのはすばらしいものがあります。また、内容が内容なのでコンサート本番や TVの仕事では見られない「素に近いオフな表情」がチラホラ垣間見えるのもいいですね。

 しかしまぁ、最年長の中澤さん以下、全員がちゃんと立位体前屈で「+15cm 以上」のやわらかさをたもっているのには、ダンスのプロだし当たり前だとは思いつつも感心してしまいました。私なんか、10代の頃は「-5cm」くらいでしたからね。かたすぎ……

 それにしても、Berryz工房と℃-uteのみなさんが若い……なんてものじゃなくて、幼い!
 かろうじて現在の感じができあがっているのは夏焼さん、矢島さんくらいなもので、他の皆さんはのきなみ子ども! わらし! ももち三太夫さんはけっこう現在のお姿に近いのですが、肝心のキャラクターができていません。すごく物静かでした。
 岡井さんは運動神経もよさそうで、当時からやんちゃを絵に描いたような子だったんですなぁ。あんな子を甥にほしい。甥?
 そんな岡井さんに「ひもひっぱり対決」で負けて本気で悔しがっている萩原さんも印象的でした。いいメンバー構成だ!

 そんなこんなで、対決内容よりもそれをやっているメンツの顔ぶれで白熱してしまう DVDだったのですが、その中にまぎれていたこの対決だけは、内容も顔合わせもともに「至高」といわざるを得ないエクストリームカードになっていましたね。

「直感と表情だけで相手のカードの図柄あて対決・亀井絵里 VS 久住小春」!!

 ここ、これはすげぇ!! 龍虎あいまみえる……誰か、BGM にショスタコーヴィチの交響曲第5番の第4楽章を流してくれ!
 内容はいたってシンプルで、両者が持っている同じ「☆」「♡ 」「巛」のうち、片方が選んでふせたカードの図柄をもう片方が当てるというもの。当てるほうは「☆でしょ?」とか「あたしが好きなマーク?」などと質問ができるのですが、伏せたほうはウソを答えてもかまわないので、結局は質問で揺さぶったときの相手の表情の微妙な変化で判断しなければならなくなります。

 いや~、この心理戦は素晴らしかったですね。この顔合わせなんてどこからどう見ても、リリースして6年後に千葉で深夜にこれを観た私が悶絶することをねらって組んだ時限爆弾だとしか思えない闘いですよ。あたしゃ果報者だよぉ。

 この禁断の決戦の勝敗は観た者だけのヒミツにして……って、たぶんどっかの動画サイトに流れているとは思うんですけど。
 でも、この対決の最終戦で、勝者が相手のなにげない発言から実に論理的な推理を展開してカードの中身を言い当てていたのには心底おそれいってしまいました。やっぱこの人、天才!! いや、負けた方も天才なんですけど。

 ともかく終始こんな感じで、『ハロー!プロジェクト DVD マガジン 第6巻』は、肝心のスポーツフェスティバルのもようこそ収録されてはいないものの、全盛期ちょい過ぎくらいのハロー!プロジェクトのメンバーがほぼ全員集合するというお祭り感を今に伝える最高のテキストとなっていました。
 思えば、この「スポーツフェスティバル(ハロプロ大運動会)」という奇跡の祭典は2001年に始まって、実はこの DVDの販売された2006年の開催が、現行で最後のものとなっています。
 そういう事実もあわせて観ると実に意義深い映像記録になっていますし、ライヴコンサートだけじゃなくて、こういう大型ファンサービス企画をまた復活させるのも、そろそろいい頃合なんじゃないかと思うんですけれど……いかがでしょうか、事務所さま~!?


 さてその一方で、そんな『ハロー!プロジェクト DVD マガジン 第6巻』よりも、「映像史料」という意味でもっとわかりやすい味わいを持っていたのが、もう片方の『モーニング娘。DVD マガジン 第10巻』なのであります。

 こちらの DVDは、同じ2006年でも半年後の秋から冬、9~12月に全国11都市で上演された「モーニング娘。コンサートツアー2006秋 踊れ!モーニングカレー」の正式グッズとして販売されていたもので、そのひとつ前のツアーにあたる、2006年2~5月にこれまた全国12都市で展開された「モーニング娘。コンサートツアー2006春 レインボーセブン」のもようをダイジェストでまとめた内容となっています。

 いや~、働きまくりですな。お疲れさまでございます!! じゃあ、モーニング娘。の面々は春のコンサートツアー中に「スポーツフェスティバル2006」もやってたのね。
 こんなスケジュール、トップアイドルなんですから平気なんでしょうけど……えらいわねぇ~。おじさん感心! 終わってから6年もたって、いまごろ!?

 そして、そうなんですよ。「2006年の春コン」が収録されているんですから、クライマックスに持ち上がる最大のトピックは何かと言いますと、そりゃああなた他でもない、「花も実もある5期メンバー」の紺野あさ美さん、小川麻琴さん両名のコンサートツアー中での卒業発表ということになるのです。これはもう、要丸暗記の歴史的出来事ですな! 日本史で言うのならば「壬申の乱」くらいの重要度だ!! ビミョ~じゃねぇよ!

 ただし、当然ながら2006年春コンにかんする本チャン仕様の記録DVD は一般にリリースされていますし、紺野ヴァージョン、小川ヴァージョンそれぞれの卒業記念DVD も個別に商品化されています。しっかりしてるねい。

 なので、私が観た第10巻は特にコンサートで歌唱された楽曲をまるまるたっぷり収録するということもなく、お2人の卒業についてのコメントなども必要最小限の時間をさくにとどまっており、あくまでもコンサートツアーの舞台裏の記録をおさめた特典DVD という役割に徹しています。

 確かに、本人たちも映像の中で言っているのですが、今回の2人の卒業はどちらも、紺野さんが7月のハロー!プロジェクト合同コンサート、小川さんが8月のミュージカル公演をもって、グループとしての最後の活動としているため、5月までにやっていた春のコンサートはなんとなく「ファイナル!」という実感が薄かったようで。
 もちろんモーニング娘。単独コンサートにメンバーとして参加するのはラストであるわけなので、そりゃあもう本人たちのテンションもお客さんのボルテージも上がっているのでしょうが、比較的「しんみり度の低い」公演になっていたようです。私が幸運なことにこの目で観た、高橋さんや新垣さん、光井さんの卒業コンサートとは、ちょっと事情が違っていたんですな。

 まぁそれはそれとしまして、DVD は12都市公演をこなしていくメンバーの舞台裏の様子や、各公演での MCトークの抜粋がおさめられていました。

 いや~、こういうのを拝見しますと、やっぱり「旅公演」をやってナンボのトップアイドルなのね! としみじみ感じ入ってしまいます。

 吉澤リーダーの埼玉、新垣さんの横浜、小川・久住両名の新潟、田中さんの福岡。それぞれによる、ご当地向けの演出の違いと熱の入れようが比較できて興味深かったですねぇ。地元ファンはそりゃあうれしいだろうよ。公演中に誕生日を迎えた藤本・紺野それぞれへのハッピーバースデイイベントもあったりしてねぇ。

 こういうのを観ていると、どこの都市の公演でも鉄板で完璧にこなす歌やダンスといった部分の段取りと、それぞれでベストにアレンジして変えていくトークやお客さんへのメッセージといったあたりの組み合わせがとてもわかりやすく比較できてかなりおもしろかったですね。各会場のステージの広さ、構造やお客さんにあわせて硬軟自在にパフォーマンスを変えていく! これがプロよ……

 当時のモーニング娘。について考えてみると、2005年に石川梨華さんが卒業して、「栄光の第4期」としては最後の1名となった吉澤ひとみリーダー体制が発足しておよそ1年。それまでの知名度が高い1~3期メンバーは誰もいないわけなのですが、初期の顔ぶれとはガラリと変わった、新たなるモーニング娘。の歴史の始まりを予感させる、可能性のかたまりのような時期でしたね。

 ただし、どうしても気になるのは、芸能キャリアや年長順を考えたためか、モーニング娘。メンバーとしての積み重ねとは順番が逆になってしまったかたちで、第6期メンバーの藤本さんがサブリーダーになっていた部分です。
 当然のように、確かな実力でしっかりと進行もつとめあげメンバーを牽引していく藤本さんだったのですが、それによって相対的に、より深くモーニング娘。のカラーに貢献しているはずだった第5期の面々が存在感を薄めてしまったという印象が、今回のDVD からも見てとれました。これはもう仲のよさとか性格の相性とかいう単純なレベルの話ではなく、まったくもって「キャリアの根幹がグループかソロか」という高度なプロ性の問題だったのではないでしょうか。

 なかなか難しい問題ですよね……それを知ってか知らずか、他の第6・7期メンバーは元気いっぱいにやっているのですが、当時の風物詩といいますか、険悪なわけじゃないんだけど「奔馬のような久住さんをもてあます道重さん」という構図が随所に現れていたのも……今となってはいい思い出、ということになるのでしょうか。


 人に、集団に、歴史あり。
 その後のプラチナ期の萌芽を見たという意味で、2006年という比較的語られることの少ない時期の映像史料を目にすることができたことは、実にいい勉強になりました。

 幸いなことに、これら2本のDVD に登場しているみなさまのうちで、今現在お亡くなりになってしまった方はひとりもいません。
 しかし、グループが解散したり所属事務所を移籍したり、芸能界そのものをあとにしている方も少なからずいらっしゃるわけで、いろんなことをしみじみ感じさせてくれる素晴らしい記録になっているんですね。嗚呼、「青春の1ページ」のなんと重たいことか!!

 こういうのを楽しめるから、アイドル好きになってホンットによかったなぁ~と思いますねぇ。
 さぁ、今度はいつコンサートに行こうかしら!? その前に日常の地固め、じがため~っと☆
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ノーラン番長 VS 猫娘!! 闘いの末に立つ者は  映画『ダークナイト ライジング』

2012年08月12日 16時56分09秒 | ふつうじゃない映画
 うぅわおわお~!! どうもこんにちは、そうだいでございます。いやぁ、今日も関東は暑いですねぇ。

 夏まっさかり! 私の近所でも盆踊り、やってましたねぇ~。私も花火大会に行きたいもんなんですが、今年はなんだかんだ言って行かないまんま秋かな~。次の夏は遊ぶ余裕もできたらいいんですけどね~。今年はとにかく忙しいんでい!っと。

 あの~、月をまたいで「明智小五郎特集」をやってるうちに、いろいろありました!! 試験があったり、その結果に一喜一憂したり、そのあと親しい人と語り合ってストレスをぼかーんと発散したりしてねぇ。

 いろいろあったんですけれども! 今回はササッと本題に入ってしまいたいと思います。映画を観たってお話。
 なんてったって、観た映画が映画なんでねェ~。言いたいことがいぃ~っぱいあるんでい!

 まずは、基本的なスタッフ&キャスティング情報をのっけてみましょう。


映画『ダークナイト ライジング』(2012年7月公開 165分)
監督 …… クリストファー=ノーラン(42歳)
原案 …… デヴィッド=S=ゴイヤー(46歳 『バットマン ビギンズ』の脚本、『ダークナイト』の原案も担当)
脚本 …… クリストファー&ジョナサン=ノーラン兄弟(ジョナサンは『ダークナイト』から参加)

いつもの面々
ブルース=ウェイン    …… クリスチャン=ベール(38歳)
執事アルフレッド     …… マイケル=ケイン(79歳)
ゴードン市警本部長    …… ゲイリー=オールドマン(54歳)
ルシアス=フォックス社長 …… モーガン=フリーマン(75歳)

楽しいゲスト陣
巨漢ベイン      …… トム=ハーディ(34歳)
セリーナ=カイル   …… アン=ハサウェイ(29歳)
ミランダ=テイト   …… マリオン=コティヤール(36歳)
ジョン=ブレイク巡査 …… ジョゼフ=ゴードンレヴィット(31歳)

わたしく的に気になったボイズンガール
謎の会社員フィリップ     …… バーン=ゴーマン(37歳)
セリーナのくされ縁親友ジェン …… ジュノー=テンプル(23歳)
やっぱりいるよこの人!!   …… キリアン=マーフィ(36歳)


 いや~……ついに公開されてしまいました。私そうだいが勝手に「硬派で女っ気のかけらもないイギリス番長」と名づけている俊英ノーラン監督の送る、『バットマン ビギンズ』(2005年)『ダークナイト』(2008年)に続く「ノーラン・バットマン3部作」の最終作であります!

 このシリーズの前の、ティム=バートン監督の『バットマン』から始まる「旧4部作」(1989~97年)はぜんぶ映像ソフトでしか観ていない私なのですが、ノーラン3部作はいちおうバットマン好きになってから始まったシリーズでもありましたので、今回で3つとも映画館で観たことになりますね。

 特に前作の『ダークナイト』は! 3回観ました、映画館で。
 別に観た回数が多いから「人生最高の映画」だというわけでもないんですけど、3回観て3回ともおもしろかったですねぇ、『ダークナイト』は。まず、同じシーンでも、必ずどこかに「前に観たときに見落としていた要素」があるということが多かったんです。
 個人的に大好きなキャラクターの「ジョーカー」が登場するということで初回からけっこう気合いを入れて観たつもりだったんですが、それでも1回だけでは取り落としてしまう「おいしいポイント」がいっぱいあったんですね。まぁそれは映像ソフトがリリースされたあとでたっぷり見返せばいいかもしれない話なんですけど、やっぱり大きなスクリーンで観たほうがいいわけですよ! 序盤の銀行強盗、中盤の護送車カーアクション、そして全編にわたるバットマン、ゴッサム市警、ジョーカー組の三つ巴のだましあいは本当に密度が濃くてよかったですねぇ。

 さて、そんな『ダークナイト』をへての、『ダークナイト ライジング』であります。

 最初にちょっと、本題とは関係のない話題から。
 あの~、なんで原題どおりの『ダークナイト ライゼズ』じゃないんでしょうか? 『ライジング』? なにゆえ現在進行形?
 本編を最後までご覧いただいた方なら納得いただけると思うんですが、この映画のタイトルはどうしても『ライゼズ』じゃないといけないんじゃないかと思うんです。『ライジング』だとなんつうか、作中で語られる「バットマンの復活」が予定調和な前提になっちゃうような気がするんだよなぁ。いや、復活してもらわなきゃ困るからそれは確かに用意されているシナリオなんですけども!
 『ライジング』だと、もうバットマンがライズしちゃってんじゃん! 違うんだなぁ、バットマンが落ちきった奈落の底から復活する、その前の段階の「失墜」も含めての「ライゼズ」なんですから。「ライゼズ」の中には、復活できるかどうかもわからずに、それでもその可能性に命を賭けて天を見あげるバットマンの姿も込められているんですよ。そこらへんのカッコ悪さが、「ライジング」には決定的に欠けているんじゃなかろうかと! このニュアンス、わかりますかね?

 ということで、我が『長岡京エイリアン』では、これ以降はタイトルを『ダークナイト ライゼズ』にもどして話を進めていきたいと思います。『ライジング』にしちゃうのって、やっぱり「ライゼズ」だとわかりにくいからっていう日本人の英語力をかんがみた判断なんですかね……どっちもどっちじゃない? だったら最初の『バットマン ビギンズ』も『バットマン ビギニング』にしろって話ですよ! ほ~ら、とたんにB級臭がただよってきちゃった。

 さて、さっそく話の中身に入っていきたいのですが、まずはこの『ダークナイト ライゼズ』、なにはなくともおもしろかったです!!

 とにかく、映画館に行ってチケット代を払って観て、エンドロールが終わって、「いや~、楽しかったなぁ!」と興奮しながら家路につくことはできたわけです。

 ところが!! そこまでなんだなぁ……

 いや、いいんです! ふつうの映画だったら、そこまで保証されてたらもういいの。充分におもしろかったわけなんですから。
 でもさぁ、いかんせん『ダークナイト』の次の作品にして、3部作の最終作だったわけですから、ね……私の「期待値」が勝手に上がってしまっていたことが一番いけないんでしょうけど!

 かいつまんで話しますとこの『ダークナイト ライゼズ』は、もちろん要所要所の重要シーンをちゃんとおもしろく見せてくれる「娯楽作品」であるわけなんですが、そこにいくまでの滑走路となる「それほど力を入れてないシーン」がたまらなく凡庸なんです。

 これはあくまでも私の感じた主観なんですが、『ダークナイト ライゼズ』は、確かに3部作のラストを飾るにふさわしい興奮は味わえた! 味わえたのは確かなんですが、それは全体のうち、序盤の飛行機のスペクタクルと終盤の「バットマンの復活」以降のアクション、そして大いなる「はじまり」の可能性を秘めたラストシーン、これらトータル3~40分ほどの部分だけのことだったんです。それに対して、映画全体のボリュームは「165分」! 3時間ちかくですってよ奥さん! 廃棄率どんだけ~!? ウニかお前は。

 でも、ここは作り手側にも言い分はあると思うんです。
 まず、このお話は『ダークナイト』の「8年後」のゴッサム市が舞台となっていて、前作であのジョーカーが巻き起こした「恐怖のズンドコ節」もすでに過去のものとなっており、ゴッサム市警の努力により街も平和を謳歌し、我らがバットマンも「諸事情により」8年間の沈黙を続けていたのでありました。こういうタルみきった状況の中で、「ゴッサム市を滅ぼし、絶望の中でバットマンを殺す!」という決意を胸に秘めた最強の敵ベインがやってくるというのが、だいたいのストーリーラインです。

 つまり、『ダークナイト』のラストの「決断」により、変身することの動力源のようなものを失ってしまったバットマンつまりブルース=ウェインが闘いに引っぱりだされ、「意志のある力を持った」敵に1度コテンパンにぶちのめされ、そのあとで再び「バットマンになる理由」を見いだして復活するという物語であるわけなのですから、前半の「ダルンダルン感」というか、「バットマンの負けフラグ」のようなものからくるつまらなさは、作り手側による確信犯的犯行になるわけです。

 でもさぁ、それが観ている側にもわかることなのだとしても! 序盤アクションのあと~前半~中盤~終盤のちょっと手前はホンットにつらいんですよ! ありゃりゃ、ほとんど全部じゃないの。

 つまらない原因は、まずはなんといっても「画面の密度の低さ」にあります。
 つまり、画面の中心にいる人がやっている行動しか伝える情報がないんですね。それなのに、その行動自体もそんなにおもしろいわけじゃないの。たとえば『ダークナイト』は登場人物のセリフ以外にも、そのしぐさや雰囲気、周囲の状況や小道具、メカに見どころがたくさんありました。ちょっと古い話をするのならば、ティム=バートン監督の初期2部作、特に『バットマン リターンズ』のほうは、登場キャラクターにあわせた「持ち物やインテリアデザイン」に、ついつい目がいってしまうおもしろさが盛り込まれていたわけなのです。

 そこらへんの「余裕」というか「サービス精神」が、『ライゼズ』には欠乏しているような気がしてなりません。

 もうひとつ。『ダークナイト』がおもしろかったのは、中心キャラで作品の地震源になっていたジョーカーの「凶悪な飽きっぽさ」というか、「次から次へと悪事を思いつき即決行していくベンチャー魂」があったからなんです。これは要するに、ひとつひとつの悪事は脈絡がなくて小規模でも、それをやっているジョーカーがいるという緊迫感があったから、観客はついつい目を離すことができずに152分という長丁場をつきあわされることになってたんじゃないかと思うんですね。

 確かに、『ライゼズ』でベインがたくらんだ悪事の具体的内容は、ジョーカーの規模をはるかに超えたものとなっていました。その意味ではベインの方が数倍、悪人としての格が上なはずなんです。
 それなのに! ベインは最初っからその「超巨大な悪事」1つをやるために全身全霊をそそいでしまったあまり、「映画の悪役」としての魅力作りが哀しいくらいにヘタな「いいひと。」になっちゃったんだなぁ!

 例を挙げれば、『ライゼズ』は「序盤のはったり犯行~中盤のほどほど犯行~クライマックスのドカドカ犯行」という文法においては、『ダークナイト』を完全に踏襲したものとなっています。そこに「バットマンの失墜……かぁらぁの~!復活」という大テーマがトッピングされているわけです。
 だが、しかし……ベインの「中盤のほどほど犯行」は見る影もなくつまんない! つまんないのは当然で、それは目的が「ウェイン財団の破産」だからなんです。しけてやがるなぁ!! いくら画面に緊迫感があっても、ショボいものはショボい。

 こういうところからもきてるんですけど、『ライゼズ』観た人ならわかりますよね? ベインって、今回もかわいそうなキャラでしたねぇ~! 『バットマン&ロビン』のときの「筋肉バカ扱い」もヒドかったけど、ほぼメイン敵になった今回でも、これはこれでヒドすぎる!! 不器用な男の悲哀よ……

 話は変わりますが、この『ダークナイト ライゼズ』は、前2作の中でも、「ラーズ・アル・グール」という敵キャラとバットマンとの関係がクローズアップされるという点で、第1作『バットマン ビギンズ』に非常にリンクした部分の多い作品になっています。
 ラーズ・アル・グールというのは『ビギンズ』のラスボスだった敵キャラ(故人)なんですが、そこから見て「愛弟子どうし」の関係となるバットマンとベインの因縁の対決、という要素もあるわけなんですね。

 も~男っぽいですねぇ!! 「一番弟子 VS 破門された危険な弟子」ですって! ノーラン監督、あんたはやっぱり硬派番長だわ。

 さてみなさん、ここに「人に言えない過去を消去するために悪事を続けている女怪盗」っていう新要素が入り込んできたら、いったいどんなことになっちゃうと思います?

 はい、そうですね。「女怪盗のほうが一瞬でジュジュジュワ~と蒸発しちゃう」。それが正解です!

 そうなんです、私がいちばん言いたい『ダークナイト ライゼズ』の残念なところはここ!
 「不器用なベインに代わる中盤の引っぱり要素として機能するはずだったキャットウーマン(セリーナ=カイル)が、キャラクターとしてまったく立ち上がってこなかった。」
 これなんだなぁ~。まぁ、なんてったって番長の映画なんだから、予想はついたけど……

 ここは低評価してはいけないところなんですが、今回の新生キャットウーマンを演じておられたアン=ハサウェイさんは、非常に良かったです。1960年代の TVシリーズの頃を実にうまくリファインしたコスチュームデザインもとってもスマートで魅力的でしたね。
 完全に「頭のいかれた愉快犯」になっちゃってた『バットマン リターンズ』のミシェル=ファイファー版も当然いいわけなんですが、原典にたち返って「自由気ままに犯行を重ねる義賊怪盗キャットウーマン」をスクリーンに復活させることとなったアンさんの身のこなしと意志のあるまなざしは非常にカッコ良かったです。

 ただ、出た作品が悪かったっちゅうかなんちゅうか……『ライゼズ』のキャットウーマンって、完全に「ベインかバットマンのどっちかにいいように利用されるアシスタントの女の子」になってませんでした!?
 これは哀しいですね……なにが哀しいって、キャットさん本人は自由にやってるつもりなのに気づかないうちにいいなりになっちゃってるんですからね。そういう意味でも今回の姐さんは、見てくれこそカッコ良くはなったものの、実情は「飼い猫」同然だったということで。残念!!

 結論から言ってしまえば、案の定、今回の『ダークナイト ライゼズ』でも、ノーラン監督は女性を「生きているキャラクター」として描きだすことはできませんでした。ど~してこうも窮屈な生き方をしたお姉さんしか出てこないんでしょうか……なにせ、正真正銘の「自由人」であるはずのキャットウーマンだってこのていたらくなんですから、もはやこれは治療不可能ですな。

 いえいえ、別に私そうだいは小栗旬さんや石田純一さんのようなプレイボーイではありませんし、ましてや「本当の女性がちゃんと描けている、いない」なんてことを大口たたいて批評できる資格のある人間ではさらさらございません。
 ございませんが、もしそれが虚構なのだとしても、男どものくだらない思惑を超越した理屈にもとづいてふ~わ、ふ~わと気ままに生きている女性を観るのがとっても好きなんですね! まぁそらぁ、身近にそんなネコ科レディが何人もいらっしゃったら困るわけなんですが、だからこそ、そういったカッコイイ女性が爽快に跳びまわりはねまわる「あで姿」をフィクションの世界に求めたくなるんですよ。

 それがどうだい、今回もまた……
 キャットさんは今言ったとおりだし、もうひとりのヒロインであるミランダさんも……まぁ、はっきりとは言えないいろいろがあるわけですが、結局は「他人の遺志」のあやつり人形の人生でしかなかったわけです。
 あとは『ライゼズ』、どんな女性が出てました? いつもろれつがまわってないフラフラしたジェンっていう小娘と、ベインの暴力を恐れるあまりに、フォーリー副本部長に警察官としての職務を放棄させていっしょに自宅に引きこもる「弱い市民の代表」みたいなフォーリーの嫁。あとはブルース=ウェインの死んだ恋人・レイチェルの「遺影」くらいじゃないっすか! この、女っ気のなさ……もう、気持ちいいくらいに番長は一貫してますな。

 私は、『バットマン リターンズ』のキャットウーマンが「女性の本質をあらわしてる!」みたいな大バカタリンコなことは言いません。言いませんが、あの完成されていない人格を持ったキャラクターがクライマックス手前で、「自分でも自分がわからない……」と、泣き笑いの表情でブルースに対して告白したシーンはまさしく、正解が出ていなくとも「自分の意思で考え、悩んでいる1人の女性」を活き活きと描写せしめていたと感じています。
 それはもう、そういう演技をミシェルさんから引き出したティム=バートンの才能ですよね。そういう手腕を、今回のキャットウーマン復活でノーラン監督にも見いだせたら素敵だな、と思っていたのですが……ムリでしたねぇ~! 確かにアンさんのキャットウーマンも涙するシーンはあるにはあったのですが、非常にありきたりな「映画のヒロインとしての定型」の涙だったような気がする。それじゃいかんわぁ。

 あら、字数もかさんできちゃった!? じゃあ、そろそろ要点の整理に入りましょうか。

 今回の『ダークナイト ライゼズ』は、ファンにとってはたまらないプレゼントとなる、壮大な「新章」の始まりを予感させるラストなど、「バットマン好きにとっては合格点以上」の出来となっていました。とにかく、おもしろかったことは事実なんです。
 だが、しかし。今までバットマンのことを知らなかった、予備知識のまったくない方がこの映画を観たときに、同じような感動を味わうことができるかというと、はなはだ心もとないです。はっきり言っちゃうと、私は特別にファンじゃない人にはこの作品は勧めません。とにかくなげぇんだもん!!

 私はよく、前作の『ダークナイト』がきっかけでバットマン・サーガ全体のファンになり始めた、という意見を目にしたり耳にします。そしてそれは至極当然のことだとも思います。
 でも、純粋に『ライゼズ』の内容だけからバットマンに興味を持ち始める人って、果たしているんだろうか……もちろんゼロじゃないでしょうけど、私の中でのここらへんの不安感は、これまた「ビミョ~」と評価されることの多い第1作『バットマン ビギンズ』のそれをはるかにしのぐレベルになっています。なんだかんだいっても、『ビギンズ』は「バットマン誕生秘話」という、旧4部作では語られることの少なかった大きなテーマがあったし、スケアクロウ役のキリアン=マーフィもおもしろかったし。

 ピンときていただけるかどうかわからないのですが、クリストファー=ノーランという映画監督は「頑固一徹なラーメン屋のおやじ」なんじゃないでしょうか。

 とにかく自分のやり方に確固たる哲学を持っていて、あんまりその時々の客側のニーズというものには耳を傾けない人なんだと思います。
 んで、基本的には自分の好きな味しか出さないので常連客も限定されるわけなんですが、たま~に食材に新鮮なものが入って「激うま!」な日があると。『ダークナイト』のジョーカーとか、『インセプション』の発想アイデアとかがそうですよね。
 でも、やっぱり根っこは「作ったものがおもしろいものかどうかにはそれほどこだわらない」人なんですね、たぶん。どちらかというと、自分の構築したい作品世界をどのくらい精巧に映像化するか、それだけにこだわっている職人なんじゃなかろうかと。

 そして、今回の『ライゼズ』の場合はもろもろが「うまく転がらなかった」。ただそれだけのことなんですね。おそらく、ノーラン監督自身にそれほどの失敗作を作っちゃった感触はないと思うし、撮影中に修正したいと感じることもなかったんじゃないでしょうか。すべては監督の頭の中で完成していたわけですから。

 なので、私は当然、「ノーラン・バットマン3部作」という素晴らしい贈り物をくれた監督には感謝の言葉もないわけなのですが、だからといって、今後のノーラン監督の新作にむやみやたらと期待することはやめておきたいと思うんですね。『ダークナイト』とか『インセプション』といったあたりは、まず「まぐれ」の域の産物だと考えたほうがいいと。

 だってさぁ……映像作家としてはすごいかもしれないけど、私が今回の『ライゼズ』を観て感じた不満ポイントって、ぜ~んぶノーラン監督の「役者やキャラクターのあつかい」が原因なんだもの!! はっきり言っちゃうと、監督は本当に役者さんに演技指導をしたり脚本にダメ出しをしているのかどうか疑わしくてしょうがないとこばっかなの。
 もうだいぶ長くなってしまったので、各ポイントは箇条書きにしちゃうんですけど、ざっと思いつくだけでもこれだけ問題はあるんですよ。


『ダークナイト ライゼズ』の大部分のつまらなさの原因

1、とにかく「165分」! なのに中身がうっすいうっすい

2、長いくせに、中盤の「ベインの地下帝国」と「キャットウーマンの暗躍」と「ウェイン財団の内紛」の関係描写がセリフだけで説明されるので、話が急だし緊迫感がないしでぜんぜんピンとこない

3、「8年間活動しなかったバットマン」という時の流れを表現するには、主演のクリスチャン=ベールの復帰がスムースすぎ&外見が若々しすぎて説得力がない(その点、ゲイリー=オールドマンの老けかたは流石なものがあるのだが……ちょっと今回のゲイリーはかっこ悪い)

4、顔をあわせれば主人のブルースに説教する執事アルフレッドのセリフが、今回はホントに長ったらしくてうざったい(『ダークナイト』のころの「うまいことを言おう」という意志すら感じられない、ただの老人のグチになっている)

5、「ウェイン財団の乗っ取りをはかる重役ダゲット」「バットマンを悪人だと勘違いしているゴッサム市警のフォーリー副本部長」「自分では何もしていないのにゴッサム市政をのうのうと続けているガルシア市長」という、3人の重要なアホキャラを演じている役者の魅力がゼロなので、この3人が顔を出すシーンがのきなみつまんない(これは役者さんの問題じゃなくて、どこからどう見ても脚本と演出の責任だと思います!)

6、『ダークナイト』同様に残酷・暴力描写の規制が厳しいのだが、今回はベインが人を殺すたんびにカメラがベインの手元からはずれたり不自然な遠景ショットに切り換わったりする処理のオンパレードで、途中からすっかり飽きてベインの凶悪性がまったく身に迫ってこない(『ダークナイト』でのジョーカーの「鉛筆マジック」みたいなアイデアなんてゼロよ!? 客をなめてんのかって話よ!!)

7、『ダークナイト』の終盤では、「無名のゴッサム市民の勇気ある決断にジョーカーが敗れる」というシーンがあったのだが、今回の『ライゼズ』では、無名の市民は完全にベインの圧政に屈している。勇気を出したのはバットマンとゴッサム市警という構図になっているため、クライマックスのゴッサム市の解放について、前作ほどの爽快感がない


 ざっとこんなもんなんですけどね。
 とにかく、全ての問題はノーラン監督の手腕次第でどうにでもなることだったんじゃないでしょうか?
 もちろん、世界的にヒットする映画を作り続けているお人を相手に「映画監督の才、なし!」と叫ぶつもりは毛頭ないんですけれども、少なくとも、こういったポイントにこだわる人ではないんだ、ということはしっかり認識しておくべきだと思います。けっこう大事なことだと思うんだけどなぁ……

 まぁ、とにかくいろいろと言ってしまいましたが、こういったつれづれを差し引いても、あのラストシーンを用意してくれた『ダークナイト ライゼズ』には感謝したいですねぇ。「あぁ、やっぱりこの人はアレだったんだ!」という事実が発覚し、また新たな伝説が始まろうとする、その確かな鼓動を響かせながら終わるノーラン3部作……すばらしい。
 少なくとも、バットマンの大いなる復活と、アン=ハサウェイがぴっちりキャットスーツでバットポッドにまたがるその勇姿、そしてなんと言っても強い意志をともなった正義を貫き通す警官役のジョゼフ=ゴードンレヴィットの名演はとってもよかったです。
 それなのに、「興味があったら、ぜひ……」という腰の引けまくった文句しか言えない自分が情けないわ! くく、悔しい~。


 最後にひとつだけ。

 バットマンのクライマックスでのあの「勇気ある行動」って、およそ40年前に、ある「日本の超有名な仮面ヒーロー」がすでにやってたこととまんま同じでしたよね。

 やっぱり「正義の味方」っていうのは、つきつめれば世界共通なのよねぇ……

 でも、こんなブログをやってるわたくしですから、そういった勇気と同じくらいに、身体に核爆弾を内蔵してヒーローに特攻するカメバズーカの決死の姿にも想いをはせちゃうという、このゆがみ具合ね。


 ひとまずはノーラン監督、お疲れさまでした。本当にありがとう!

 そして、見知らぬどなたかによる新たなる「バットマン・サーガ」、今から楽しみにしておりますよ~。
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