長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『私とワルツを』

2015年06月28日 22時51分02秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『私とワルツを』(2003年11月27日リリース 東芝EMI )

 『私とワルツを(わたしとワルツを)』は、鬼束ちひろ(当時23歳)の10thシングル。
 東芝EMI 契約時代の最後にリリースされたオリジナル作品。羽毛田丈史プロデュースとしても最後の作品となる。前シングル『いい日旅立ち・西へ』に続き、本作も2003年9月に行われた鬼束の声帯結節手術の後の休養中にリリースされたため、本人が稼動するプロモーション活動はいっさい行われなかった。
 前作と同様にカップリング曲のレコーディングも行っていなかったため、3rdアルバム『 Sugar High 』(2002年)収録曲の『 Rebel Luck 』をカップリングにシングルカットして収録している。
 オリコンウィークリーチャート最高8位を記録した。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 羽毛田 丈史

1、『私とワルツを』5分22秒
・テレビ朝日系木曜ドラマ『トリック(第3シーズン)』主題歌
 間奏にワルツのテンポを採用している。ちなみに、ドラマオンエアバージョン(初オンエアは2003年10月16日)のレコーディングは声帯結節の手術前に、シングル収録バージョンのレコーディングは手術後に行われているため、両バージョンで歌い方と編曲が違っている。

2、『 Rebel Luck 』4分18秒
 前年の3rdアルバム『 Sugar High 』からのシングルカット。


 ……ついにここまでやってきてしまいました。『私とワルツを』、非常に重要な名曲ですよね。この作品が、鬼束さんの「第1期」の締めくくりを飾るものであることは、衆目の一致するところなのではないでしょうか。鬼束さんが最初に所属した音楽事務所からリリースした最後のシングルになるので、そう見られるのもまったく無理はないのですが、まぁ、それは結果的にそうなったというだけであって、当時の彼女がそう予感していたのかどうかは……でも、曲を聞くだに、明らかに「なにかの終わりをうたう」作品として、これ以上ないくらいの完成度を持っているんですよね。まさに鬼束さんらしい繊細な感覚をもって、当時の制作環境に終わりが来ることを感じ取っていたのか、それとも、彼女自身が終わりにしようとしていたのか。

 作品としての『私とワルツを』をみる前に、この記念すべき10thシングルがリリースされるまでの状況を整理してみますと、どうにも不可思議な流れが前作の9thシングル『いい日旅立ち・西へ』付近から始まっていました。

2002年
12月 3rdアルバム『 Sugar High』リリース
2003年
5月 7thシングル『Sign』リリース
8月5~30日 ライブツアー『 UNPLUGGED SHOW '03』を挙行(大阪、東京、福岡、山梨の4会場4公演)
8月20日 8thシングル『 Beautiful Fighter』リリース
9月 声帯結節手術
10月16日 ドラマ『トリック 第3シーズン』の主題歌として新曲『私とワルツを』(録音は手術前)が初オンエア
10月29日 9thシングル『いい日旅立ち・西へ』(録音は手術前)リリース
11月 10thシングル『私とワルツを』(録音は手術後)リリース

 いきなり8月からスケジュールが殺人的な過密度に!! ご本人としては9月の手術以降は『私とワルツを』のシングル向け再録音までは休養できたのでしょうが、それも手術を直前に控え、ライブツアーでバタバタしてる最中にオンエア版の『私とワルツを』とか『いい日旅立ち・西へ』とかを録音したから休めたのでありまして……そうとう無茶をした夏だったのではなかろうかと。いくら23歳で若いとはいえ、ねぇ。
 それまではほぼ1年に1枚の勤勉実直なペースでアルバムをリリースしていた鬼束さんなので、この調子でいくと『 Sign』や『私とワルツを』といった名曲の数々を収録した待望の4thアルバムが2003年末から04年にかけて出るといった流れが理想的だったのでしょうが……現実はそうもいかず。ご本人の苦労なんか知る由もない当時のファンとしては、ぜひともリリースしてほしかったんだけどなぁ!

 それはともかくとして、手術後の2シングルのリリースが急ぎすぎですよね。しかも、どっちもカップリングが新曲じゃないという。じゃあ『いい日旅立ち・西へ』と『私とワルツを』の両 A面で良かったじゃないかと思っちゃうんですが、どうやら作品の内容よりも「商品数」をかせぐことが、事務所との契約上重要だったという節も見え隠れしているような。だからこそ、この直後にあの奇策『シングル BOX』も出たのだろうし。

 こんな感じで、休養中とはいえドラマのタイアップでもあるし……というていでリリースされた『私とワルツを』なのですが、まず、当時TV で毎週流れていた手術前録音の「オンエアバージョン」と、手術後録音の「シングルバージョン」とを比較してみましょう。
 今回、このために『トリック』第3シーズンの映像を観る必要が生じたのですが、さすがは天下のテレビ朝日さんと言いますか仲間由紀恵さんと言いますか、無料動画サイトでチェックすることはかないませんでした。だから買っちゃいましたよ、DVD セット! なつかし~。でも、ゴールデンタイムに昇格放送されたこの第3シーズンだけはちゃんと観てなかったんですよね。深夜帯放送の2シーズンはよく観てたんですけど。佐野史郎さんがゲストのサイ・トレーラーの話がいちばん好きでした。ぞ~ん!!

 さて、上記の Wikipedia記事によると「歌い方と編曲が違っている。」とされていますが、編曲の方はいかにもエンドロール用に楽曲を1分33秒に短縮しました、というだけで、演奏そのものに違いはほぼないと感じました。イントロまるまるカットで鬼束さんの唄い出しから始まり、1番の歌唱だけで後奏もばっさりカットで終わる感じですね。

 問題は鬼束さんの唄い方でありまして、これが不思議なもんで、最初は違いなんてほとんどないように聴こえるのですが、何十回も繰り返し聴くと、明らかな違いが「イラストまちがいさがし」のようにありありと浮かびあがってくるのです。いや~にしても、『私とワルツを』は何十回、何百回聴いても飽きないスルメ神曲ですね。いい!!
 オンエアバージョンを聞くと、確かに手術前の鬼束さんは声を長く伸ばすことに難を覚えていたらしく、途切れ際の声がかすれてしまっている点と、次の息を吸うブレスが多少ざらっとしている点が特徴となります。でも前作『いい日旅立ち・西へ』もそうだったのですが曲全体がサビ以外は低音を基調としているので、低い歌を唄うのならそうもなろうといった印象で、特に体調が悪いとは気づけませんでした。さすがは、プロ。
 それに比べてシングルバージョンは、まさに声の途切れる最後の0コンマ何秒まで、そしてその直後のブレスまでもがきっちりと計算されつくしているといった感じで、非常に整理されつくした音楽設計が行き届いています。その機械的とも見える冷たさが、サビの爆発を見事に引き立たせてくれるんですよね!

 ただ、ここが鬼束さんのおもしろいところなのですが、のどの使い勝手が良くなって思い通りに唄えるシングルバージョンのほうが全面的にいいってわけでもないんだなぁ。制約が多くてキツそうなオンエアバージョンのほうが歌詞世界をガッチリつかんでいると言える部分も多く、私個人は、オンエアバージョンのフルサイズもぜひとも聴きたかった!!
 特に、サビの序盤の「泣いてしまう」のとこ! オンエアバージョンのここがいいんだ!!

♪なぁいぃてぇ~ しぃいまうぅう~

 ここの、「しぃい」のところでの声のこぶし……とは言わないか、「ひねり」が最高なんですよね。ここは確かにシングルバージョンでもひねられてはいるのですがかなり浅く、オンエアバージョンではまさしく喉から絞り出すような苦しさをもって「泣いてしまう」と告白している姿をありありとイメージさせる切迫感があるのです。
 この1点の他にも、オンエアバージョンとシングルバージョンとの違いはまだまだあるのですが(序盤の「奇妙な晩餐」の「晩餐」のアクセントなど)、思うように唄えない以上、感情をむき出しにして闘わざるをえないという覚悟を持ったオンエアバージョンも、今現在のそう若くもなくなった鬼束さんのスタイルを予兆しているようで、なんともいえない味があるんですよね。これもこれで、すばらしい!
 いやほんと、かえすがえすもオンエアバージョンで最後まで唄い切る5分フルサイズが聴きたいものなのですが、実はドラマ『トリック』第3シーズンの最終回ではちゃんとフルサイズが流れていました。ただ、主人公の山田さんと上田さんによる、いつも通りのもどかしいやりとりが繰り広げられるなか流れているんで、ちゃんと聴けないという……2人とも、ちょっと黙っててくんない!?

 そんなこんなで話が長くなってしまいましたが、いよいよ肝心カナメの『私とワルツを』の作品世界に入っていきたいと思います。

 『私とワルツを』は、近くにいるはずの「あなた」に「わたし」の想いが届かず、「あなた」が去ることを確実に予感しつつも、せめて最後に「どうか 私とワルツを」と訴えかけるという物語を切々と唄いあげています。一人称の嘆き、叫びという形式は『月光』しかり『 infection』しかり、鬼束さんのド定番メソッドであるわけなのですが、「あなた」がかなりリアルにそばにいることを感じさせる「わたし」の語り口が、2人のこれまでの関係の濃密さと、それでも終わりが来てしまう運命のせつなさを、今までにない湿度で感じさせるヴィヴィッドさがあるんですよね。ただの焼き直しではないと!!
 ただ、そういった「わたし」の別れたくないという訴えが生々しくならないのが鬼束さん一流の作詞センスというか「品」のあるところなのでして、よくある歌謡曲のように「あなた」のこういう仕草が好きなの~とか、一緒に映画見るって言ったじゃない~とかいう、芸人さんのあるあるネタみたいな作詞法なんかとるわけもありません。下賤な!!
 「あなた」のそういった外面などスーッと通り越して心の内面を見透かす「わたし」は、

「誰にも傷がつかないようにとひとりでなんて踊らないで」
「きっとあなたは世界の果てへでも行くと言うのだろう」
「なぜ生きようとするの 何も信じられないくせに」

 と、ズビズバ「あなた」の心への問いかけを突きつけるのでした。この、あっという間に相手の「死に間」の中に入り込む素早さは、熟練の武芸者の硬軟自在な戦法を彷彿とさせるものがありますね。岩明均の名作『剣の舞』の疋田文五郎景兼とか上泉伊勢守みたい……

 「どうか私とワルツを」と幾度もせつなく「あなた」に訴えかけるその姿には、かつての『 everything,in my hands』や『 CROW』にあったような優位性はなく、『流星群』や『漂流の羽根』にあったような冷静な視点もなく。アルバムでいえば2nd『 This Armor』で「あなた」の課した心の鎧をゴトッと捨て去り、3rd『 Sugar High』でふわっと離陸する翼をそなえたはずの「わたし」も、この『私とワルツを』では、

「凍った鳥たちも溶けずに落ちる 不安で飛べないまま」

 というかたちで、再び地に堕ちる結果となるのでした。嗚呼、『 Sign』の高揚感は、いずこ……

 ただ、この「わたし」の墜落をもってして、「結局なんにも変わんないじゃないか。」とか、「またおんなじ問題ばっかあーだこーだグジュグジュこじらせて!」と断じることもできるのでしょうが、この苦悩、アップダウンこそが「人間」なのではないかと。歌手としていくら進化して成功をその手に収めようが、あくまでもカメラのファインダーは「人間の弱さ、矛盾」からはずさないという、この鬼束さんの腰のすわりようはどうですか……もう惚れちゃうなぁ! すわってんのは目だけじゃないんだなぁ。

 歌詞自体は、このように冷たく哀しみに満ちた厳冬の湖を思わせる凍てついた世界なのですが、やはり鬼束さんの唄いっぷりは見事と言いますか、サビにいたるまでの「それなら 身体を寄せ合うだけでも」のあたりのギアの上げっぷりが最高ですよね。おおっ、きたきたきたー!!という、徐々にテンションが上がっていく感じがたまりません。ガスバーナーの火の色が、低温のオレンジからコオオォォ~と超高温の青へと変わっていく感じですよ! 「溶けずに落ちる」とか言っていながらも、鬼束さんの歌声はその逆境をバネにして、間違いなく離陸しおおせてるんだよなぁ。実に鬼束さんらしいなぁ~。

 ところで、なぜ「わたし」と「あなた」が踊るのは「ワルツ」なのでしょうか。サンバやジルバじゃダメなのか? 音頭は? ボリウッドダンスは?
 そこはやっぱり、神聖ローマ帝国の遺風を継ぐハプスブルク帝国発祥の男女が寄り添うダンス「ワルツ」にある、古色蒼然としたわびしさというか、セピア色に褪せた感じがいいんでしょうかねぇ。でも、ヨハン=シュトラウス2世みたいな本場もんのワルツって、かなりアップテンポでハイテンションなんで、『私とワルツを』の間奏で流れるような感じともぜんぜん違うんだけどなぁ。2人とも息もたえだえで汗だくになるんじゃないのでしょうか。あっ、そういう意味でワルツなのか……?

 ひとりで叫ぶ『月光』、『 infection』系、「あなた」に温かく呼びかける包容力と飛翔力を持った『流星群』、『 Sign』系に続いて、今作の『私とワルツを』によってついに確立された、

なんだかんだ言っても「あなた」の重力で飛べない系!!

 鬼束ちひろさんの第1期は、「情熱 / 情念」と「解放 / 飛翔」と「重力 / 諦念」。この3つの次元を往還する作風と申してよろしいのではないのでしょうか。その最後のパーツたる「重力」を完成させたのが、東芝 EMI時代最後の『私とワルツを』であるというあたり、まるで計算され尽くした小説のようにきれいな流れですね。

 でも、これはあくまでも結果論なのでありまして、この名作『私とワルツを』が、これほどまでに重要なジャンクションになるなどとは、リリース当時鬼束さんご本人も露ほども思わなかったはず……ですよね? たぶん。

 さぁ、ここからいよいよ、誰もが予想だにしなかった世に希なる「迷走」が始まるのでありました。飛べない天才の、明日はどっちだ~!?
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『いい日旅立ち・西へ』

2015年06月24日 23時11分12秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『いい日旅立ち・西へ』(2003年10月29日リリース 東芝EMI )

 『いい日旅立ち・西へ(いいひたびだち にしへ)』は、鬼束ちひろ(当時23歳)の9thシングル。
 オリコンウィークリーチャートでは、同年にリリースされた7thシングル『 Sign 』に並ぶ自己最高の第4位を記録した。
 鬼束は、先立つ2003年9月に声帯結節の切除手術を受け、本作リリースの直前に同年内の休養を発表していたため、10月に予定されていたイベントライブも中止となり、本人が稼動するプロモーション活動はいっさい行われなかった。また、タイトル曲のレコーディングは手術前に済ませていたが、カップリング曲のレコーディングは間に合わなかったため、カップリングには『月光』のライブ音源が収録される運びとなった。
 谷村新司によるタイトル曲のセルフカバーは、コンピレーションアルバム『アリガトウ』(2003年12月リリース)と、42ndシングル『風の暦』(2006年9月リリース)に収録されている。

 翌2004年に、鬼束はデビュー以来契約していたレコード会社と所属音楽事務所を離れているが、2007年におけるインタビューによれば、移籍の発端となったのは2003年に声帯結節を発症してからの活動の流れに違和感を覚えたことで、このことについて、「『いい日旅立ち・西へ』のあたりから周囲と波長が合わなくなってきた。」、「楽曲自体には問題はなかったが、周囲を信用できなくなってきて無理が生じた。」と語っており、所属事務所との作品制作に関する確執が起きていたことを示唆している。


収録曲
プロデュース …… 羽毛田 丈史

1、『いい日旅立ち・西へ』(作詞&作曲・谷村新司)4分35秒
 山口百恵の代表的名曲『いい日旅立ち』(1978年11月リリース)のリメイク。作詞・作曲者である谷村新司のラブコールによって実現した楽曲である。カバーの際に JR西日本のキャンペーンソングとして起用されることが決まっていたため、原曲の歌詞を西日本を舞台に作詞し直している。谷村によると、「『いい日旅立ち』は北へ向かう心の内への旅、そして『いい日旅立ち・西へ』は西へ向かう安らぎの旅である。」という。
 原曲の『いい日旅立ち』は変ロ短調であるが、本曲はキーが1つ下げられ、イ短調になっているのが特徴である。

2、『月光 from ULTIMATE CRASH'02 LIVE AT BUDOKAN 』(作詞&作曲・鬼束ちひろ)4分40秒
 2002年11月に開催された日本武道館ライブ『 CHIHIRO ONITSUKA ULTIMATE CRASH'02』の音源を CD化したバージョン。



 なんとなくですが、「のちのちのいろいろの始まりになった」というような印象のあるシングルですね。

 大々的にキャンペーンソングとして発表された手前なのか、なぜ「新曲が1曲しかない」という中途半端な段階で、映画『風の谷のナウシカ』のドロドロ巨神兵みたいな(このたとえ本当に大好きです)状態でこのシングルがリリースされなければならなかったのか?
 非常に惜しい……もし鬼束さんの声の状態が万全で、この『いい日旅立ち・西へ』をカップリングか両A 面扱いにして別の新曲といっしょにドーンとリリースするような勢いだったのならば、鬼束さんのその後も、現在とはまったく違うものになっていたのではなかろうか。そんな儚い想像をいだいてしまう、まさに分岐点な1枚だと思います。
 せめて、オリジナル版の『いい日旅立ち』を鬼束さんが唄ってみて……みたいなレコーディングもできないくらいに、当時の鬼束さんのおノドはひどかったのでしょうか? よりによって、なぜ耳にタコができるほどに聴いた『月光』をつけたのか? なんでもいいから未発表曲のひとつでもなかったのか!? 『いい日旅立ち・西へ』が名曲であるだけに、なおさら悔やまれるこの組み合わせなのです。

 『いい日旅立ち・西へ』は、まさしく泣く子も黙る超名曲である『いい日旅立ち』の、実に四半世紀ぶりの「続編」ということになる作品であります。単なるカバーでもなくリメイクでもなく、かといって内容を前作とからめたアンサーソングでもないという、かなり不思議な「つかずはなれず」の関係にある続編ですよね。歌詞の中に前作との関連をにおわせるものはほとんど見当たらないのですが、『西へ』のほうの歌詞に「再びの風の中」というフレーズがあって、そこくらいがかろうじて前作の存在をちらほらさせる程度にとどまっています。

 前作と『西へ』との作品世界の違いを観てみますと、まずはっきりわかるのが、前作『いい日旅立ち』が各番でのサビ部分で繰り返し、

「母の背中で聴いた 歌を道連れに」(1番)
「父が教えてくれた 歌を道連れに」(2番)
「子どものころに唄った 歌を道連れに」(リピート部分)

 といった歌詞を用いて、唄う主人公のノスタルジックな感傷を具体的に描いているのに対して、『西へ』では一貫して、

「今も聞こえるあの日の 歌を道連れに」

 に統一して、あえて抽象的な言いまわしでまとめている、という違いではないでしょうか。
 これによって印象が変わってくるのが歌の「主人公」の年齢で、もちろん作中ではどちらも主人公の性別や年齢といった部分はまったく語られていないわけなのですが、やっぱり主人公が道連れにしている「歌」に関する情報が多い前作のほうが、主人公が若い印象になりますよね? それに対して、「今も」という時間の経過をほのめかす程度におさえている『西へ』のほうが、それなりに成熟した印象を与える、ような気がするのです。

 というか、前作のほうが若いというよりもむしろ「幼い」くらいのむきだしのおセンチを唄っているわけなのですが、これはもう唄い手の山口百恵さんが当時19歳だったのですからまったく無理がありません。えっ、今うっててビックリしたんですが、百恵さんあの歌声ではたち前だったわけ!? すごいなぁ~、つくづく。

 それに対して『西へ』を唄った鬼束さんは、当時23歳になったかならないかくらいなので年上は年上であるのですが、それにしても、実際に旅に出ている自分自身の心情はほとんど語らずに、ただひたすら「遥かなしまなみ」「錆色の凪の海」「セピアの雲」「朝焼けの風の中」といったシブい情景描写をつらねていく『西へ』の世界は、20台前半とはとても思えない達観した精神年齢を感じさせるものがあります。

 そこらへんを、作詞した谷村新司さんのそれぞれの制作時期での年齢から考えてみますと、前作では30歳手前で自身のソロ歌手としての活動も軌道に乗ってきたタイミングでの、新境地に挑む楽曲提供ということで、百恵さんが唄うという前提をそうとう加味した歌詞になったかと思われるのですが、『西へ』のほうは、もはやそんな遠慮はまったくせずに、54歳のひとりの作詞家としての自分を存分に投影した人物を主人公にしているような気がします。そこに鬼束さんが唄うという点についての配慮は、一見するとまるで払われていないようにもうかがえるのですが、逆に考えれば、そういった枯れた雰囲気の歌詞にしてしまっても、鬼束ちひろの歌声ならば十二分に許容してその世界を謳いあげてくれるだろうという、全幅の信頼があったとも言えるのではないのでしょうか。まぁ、歌詞だけじゃなくて鬼束さんの声も枯れてたんですけど。

 でも、この詞と唄い手との距離感こそが、この作品が鬼束さんのキャリア中でも特異性をはなっているポイントたるところで、それまでってほら、『月光』を例に挙げるまでもなく、鬼束さんの創る歌詞世界って、なにはなくともその時の主人公の想いとか状況解釈の告白ばっかりで、まわりの風景がどうとか、そんなに言ってなかったじゃないですか。ただひたっすらに、「私のことを聴け!!」だったわけです。これはもう、ここまで徹底すればもう商売道具なんだからいいだろ、くらいの勢いでのごり押しですよね。「鬼束さんだからしかたがない。」という話です。
 それに対して、完全なる別人で、しかも年齢も性別もまったく違う作詞者の世界を唄うという『西へ』の試みは、鬼束さんにとって非常に新鮮でおもしろい経験だったのではないのでしょうか。
 現に、この『西へ』の歌詞の中には、「蛍」や「陽炎」といった、のちのち本当に年齢を重ねて成熟した鬼束さんが唄うこととなる、主人公の心情と作品としての情景描写の鮮明さを見事に融合させた名曲のタイトルがちらほらしています。

 おそらくこの『西へ』は、決して鬼束さんの作品としては真っ先に名前が挙げられるものではないかもしれませんが、それ以後の鬼束さんの作詞法に対して、じわじわとですが確実に新しい影響を与えるものになったのではないのでしょうか。まぁ、そんな新風も取り入れなきゃ、思春期を過ぎたあとも作詞なんてやってられませんよね。ただし、これをもって鬼束さんがガラッと大人になった、というわけでもないのが鬼束さんの実におもしろいところなのでありまして、まさに「こじらせた」としか言いようのないおっそろしい作品の数々も、ちゃーんとまだまだ続くのでありました! 永遠の子どもか、はたまた疲れた二重まぶたのおねえさんか!? 天才の苦悩の旅路は、いま始まったばかりなのでありました……

 もうひとつの『月光』の日本武道館ライブバージョンについては特に何も申すことはないわけなのですが、もはやノリにノッているとしか言いようのない2002年時点での歌唱なので、シングル版と比較してのレベルの上がり方は格段のものがあるわけです。その点ではシングルのカップリングとして収録するのもまったく問題はないのでしょうが、私はここで声を大にして言いたい。


1万人くらいのお客さんの拍手を受けて唄う『月光』なんて、『月光』じゃねぇ!!


 いや、それは天下の日本武道館でのライブ音源なんですからお客さんの反応が収録されるのは当たり前なわけなのですが、ひとりの人間が孤独な状況の中で誰かの存在を求めて唄うからこそ『月光』なんであって、そんな、鬼束さんがいくらうまく唄ってるからといって、拍手してくれるような共感者がうじゃうじゃいる場所で唄ってもよう! そんなに親身になって話を聞いてくれる人が山ほどいるんだったら、そもそも『月光』を唄う意味がなくなっちゃうって話ですよ。
 それはもう、『月光』が鬼束さんの代表曲みたいな印象が世間一般に広く流布しているんですから仕方はないのでしょうが……拍手はなぁ~。なんか気分が冷めるというかなんというか。そりゃまぁライブなんだからいいんでしょうけど、それ CDで聞きたくはなかったなぁ、みたいな。

 それに、これは完全に私の経験からくる主観でものを言うんですが、せっかく日本武道館でやってるのに、反応が拍手くらいっていうライブって、なんか物足りなくない!?
 そこはやっぱり、サイリウム振りまわして「ち・ひ・ろ~!!」くらいはいきたいよなぁ。さすがに「オイ! オイ! オイオイオ~イ!!」って合いの手を入れられる曲はそんなにないだろうけど。

 あぁ、日本武道館も、もうぜんぜん行ってないなぁ。あの当日券待ちで並ぶ感じ、夕方過ぎの開場にあわせてグングンお客さんが増えてくる勢い、会場まで近くの芝生広場でやたら原色のTシャツを着たおじさんたちがねそべってる光景、そして、カフェ「武道」の老練なるおばさん!!
 なにもかもがなつかしい……ちょっと暮らす場所と職場が変わっただけなのに、こんなに存在が遠くなるものなのかね、しかし!?

 また行きたいなぁ、私も、「今も聞こえるあの日の歌を道連れに」、いつかあの江戸城北ノ丸公園に旅立つぞ~!!
 と言いつつ、また明日からも身動きの取れないお仕事の日々は続くのであった。


がんばれ、第9代リーダー・譜久村聖体制!!


 鬼束さんぜんぜん関係なくなっちゃったよ、これ。
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デスマッチの想い出のミラージュ  ~城山羊の会 『仲直りするために果物を』~

2015年06月15日 00時12分34秒 | 日記
 いや~どうもこんばんは! そうだいでございます。
 もうね、最近、忙しいとか言うのもめんどくさくなるくらいに忙しい毎日でございまして……日々これ、勉強でございますなぁ、ほんとに!

 山形に来て5ヶ月になりますか。まぁ~忙しくなる、というか、いろいろやらなきゃいけない、考えなきゃいけないことが増える一方でありまして。それだけ、今までラクしてたんだなぁ~! と痛感するばかりであります。仕事ってもんは大変だ! そして、それだけ奥が深いと。

 そんな中ではあるんですが、というか、そこから一時、全力ダッシュで現実逃避するかのように、週末の6日土曜日に、東京に行ってまいりました。

 前回、4月くらいにも私は千葉と東京に行ってるんですが、その時と同じく、主な目的は演劇鑑賞。そして、移動手段もまた同じく「行きが深夜バスで、帰りが新幹線」という感じ。
 つまりは、前日の金曜日、仕事が終わって帰宅した後の夜中11時くらいに山形を出発するバスに乗って早朝の東京に着き、半日くらいフラフラしてからお芝居の昼の回を観て、夕方の新幹線に乗って山形に帰る、というスケジュールになります。

 自分で好き勝手に計画しといて言うのもナンなんですが、これ、疲れるんだよなぁ! 往復どっちも新幹線にしないのは、言うまでもなくお財布事情をかんがみてのことなんですが、行きの手間賃がだいたい半額になるからといっても、夜中のバスに乗るのは、とにかく翌日の気分をブルーにするものなのです……週末のバスですから、まぁ必ず満員になるでしょ? 満員になったら、自分の座席を思いっきり後ろに倒しきってガーガー寝るわけにもいかないからさぁ! 寝るにしたって自然、無理な姿勢で浅~くまどろみながら、一刻も早く朝になって到着することを祈りながら、ひたすらじ~っとしてるってことになるでございましょ。
 それで着いたら着いたにしても、「午前6時」とかいうどうにもこうにもなんないド早朝だしさぁ。午前中まるまる自由時間になっちゃうわけですよ。眠い目こすって。

 まぁ、もしまた東京に行くことがあったら……往復新幹線にしちゃおっかなぁ。午前中の大都会を所在無く歩き回るっていうのも、そりゃ楽しいには楽しいんですけどね。

 4月に行ったときは、午後のお芝居の時間まで映画を観たり、山手線に乗ってぐ~るぐるぐ~るぐる回りながら寝てたりしてたんですが、今回はお芝居までのあいだに、仕事のための買い物をすることと、もうひとつ、大学時代いらいの友達と久しぶりに会ってランチをするという大事な用事がありました。

 この、友達と会うっていう約束は、ちょうど1週間前くらいにひょんなことから彼女と連絡を取ることがあって、そこで私が近いうちに東京に行くと話したら、そのとき会おうというふうにトントン拍子に決まったことだったのですが。

 いや~、これが緊張した、というか、ドキドキしたんですよね。

 なんでかっていうと、こういうことを言うと彼女に対して大変失礼な話なんですが、彼女とは大学のサークル時代から、直接の親交があるというよりは、必ず2人の間に共通の親友がいて、その輪の中でわいわい会話はするんだけど、たまたまその子がトイレとかに行っていなくなると、なんとな~く「……」という沈黙が生まれちゃって、しばらくしてから、「……最近なんか、おもしろい映画、観た?」みたいなビミョ~な話題になるという距離があった……いや、彼女の心うちはわかりませんが、少なくとも私の方は勝手に、そういう距離感をいだいていたのです。

 いや! 嫌いなわけでは毛頭ないんです!! 嫌いではなくて……美人なんですよねぇ。美人はそりゃ、緊張しますよねぇ。

 実は今回も、できれば他の友達とかも呼んで、という話だったのですが、なんせ1週間前のタイミングになっちゃったから都合がつかず、結局2人っきりということになりまして、よくよく考えてみたら、完全にサシで会うのって、17年間もの面識がありながら、今回が初めてなんじゃねぇかと!

 ……これはある意味、午後の演劇鑑賞よりもハラハラドキドキの時間になるんじゃなかろうか。とまぁ、ヘンな覚悟を決めながら約束の時間に新宿で会ったわけだったのですが。

 いやぁ、その緊張はまったくの取り越し苦労でありました。お話が盛り上がって、2時間なんか、あっという間に過ぎてしまいましたね。

 そう、そう。そうなんだよなぁ。2015年のいま、彼女はもう立派な社会人であり家庭人であり、私もいちおう、ヘロヘロながらも仕事社会の末席にしがみつかせていただいているおっさんなのであります。
 それでだいたい1年ぶりくらいに会うんですから、そりゃ話題がなくなるなんてことはないんですよね。もう、大学時代みたいにわざわざ話すトピックを何個か頭に詰め込んで会うなんて必要、ぜんぜんないんでありますわな。

 特に何を話すってわけでもないんだけど、会えば、お互いの近況を語り合っているうちに、いつのまにか楽しい時間が過ぎていく。今現在、私にはそういう貴重な時間を共有できる友達がいる……こんな幸せなこと、そうそうないですよね。よくわかんないけど、こういうつながりをありがたく感じられるっていうことが、「大人になる」ってこと、なのかなぁ、と、しみじみ思いました。

 おもしろいものであります。ある時期に大の親友だった人と、ふと気づけば疎遠になってしまったなぁ、と思えば、「まさか、あなたとは!」とびっくりするような人と、意外と長くつきあいが続いているという不思議。
 それでも、30代はまだまだ、リアルにつきあいが断たれてしまう「病気」とか「死」とかいう話題とは遠いですから(油断はできませんが)、疎遠な人とも、時間があいたらどんどん連絡とってかなきゃいけませんけどね。

 しっかし、あいかわらず美人だったなぁ……何歳になっても、まったくかないません。


 さてさて、そんなこんなで午後2時ごろに彼女と別れた後、私は予定通りに池袋におもむいて、ここ数ヶ月心待ちにしていたお芝居を観ることとなりました。ほんと、今年の春はこれを観るために生き抜いたって感じ!?

 そして、このお芝居の観劇後、私は、観劇の前に、素敵な友達とあたたかなひとときを過ごしていたことに、はかり知れない感謝の気持ちをいだくのであった……その理由は、このお芝居を観た人にならば、わかってもらえるはず!


城山羊の会プロデュース第17回公演『仲直りするために果物を』(2015年5月29日~6月7日 池袋・東京芸術劇場シアターウエスト)


 おそろしい……なんとおそろしいお芝居なのだ、これは!!

 ほんと、観劇後、新幹線の発車時刻の都合で私はチャッチャと電車に乗って東京をあとにしたんですが、約4時間後に山形に着いて家に帰るまで、だいたい30秒間隔で「こわ~……こわ~……」って独り言つぶやいちゃってましたからね。また、その日の東京のお天気もおあつらえむきに肌寒い曇天で! お芝居が終わった後なんか、ぽつぽつ雨降ってきてたもんね。なんという空気の読みっぷり! お天気がお芝居にあわせてきちゃった!!

 とはいうものの、この『仲直りするために果物を』というお芝居は、決してジメジメした雰囲気の、とおりいっぺんの暗い演劇ではありませんでした。いや、むしろこれは、カラッカラというべきか。なにかが決定的に「干からびきっている」物語なのであります。砂漠のようにわかりやすい形ではなく、目に見えない、中の部分のなにかが干からびている。いや、というか、なにかが確実に「終わっている」……?


 舞台は、とても人が居住しているとは思えない、朽ち果てて半分雨ざらしになっている木造の家屋。その周辺は雑草が目立つ野っぱら。家屋のすぐ背後には、作業用のタラップを使わなければ上にあがれないような3~4メートルほどの高さの、海岸堤防のような巨大な塀がそびえており、上空からは、かなり頻繁に軍事用の航空機が低空で通過飛行する爆音が聞こえてくる。
 家屋には、現在も添島照男(演・遠藤雄弥)とその妹ユリ子(演・吉田彩乃)の若い兄妹が住んでいるのだが、ろくな収入源もなくかなり貧窮した生活を強いられており、ガスの使用も止められ、さらには大家の岡崎(演・岡部たかし)が待ったなしの剣幕で滞納した家賃の取立てに押しかけ、家賃を払えないのならば即刻この家を出て行ってもらう、と迫る。
 進退きわまった兄妹の運命は、ユリ子の「大家さんを殺してしまおう。」という一言から不穏な方向へと舵を切り出すのだが、同時に大家の岡崎もまた、今日中に家賃を徴収できなければ、土地の有力者の丸山真男(演・岩谷健司)に何をされるかわからないという切迫した状態に陥っており、この一触即発の関係がからみ合う中、事態は丸山の愛人のキヨミ(演・東加奈子)や、ただ家屋の近くに散歩に来ただけの大学教員の森元隆樹(演・松井周)とその妻ミドリ(演・石橋けい)をも巻き込み、凄惨なカタストロフィへと、なしくずし的になだれ込んでいくのであった……


 私見によれば、だいたいお話の内容はこういった感じなのですが、この作品を観て、というか観る以前に、会場に入って指定された座席にすわり、さぁ今回はどんな感じかしらと、開演前の誰もいない舞台を眺め回してみた時から、私は、

「これはなんと……城山羊の会さんらしくない作品になりそうな空気なのだ!」

 と、勝手に身を引き締めなおしてしまいました。いや、何度も言いますが、私だって城山羊の会さんの公演を全作観てるわけじゃあないんで、そんなえらそうなことは言えないんですけれども!

 何がらしくないって、少なくとも私が観たこれまでの城山羊の会さんの作品では、舞台設定は非常に一般的か、あるいはより上流そうな生活水準の香り漂う邸宅の一室や庭、もしくは実にまっとうなオフィスらしいオフィスだったり、バーらしいバーだったりと、今現在も「その空間」としてしっかり機能している場なんだな、と即座に観る者に理解させる、非常にわかりやすいシンプルさがあったと思うんですね。
 そして、その簡潔さこそが、作品の中の「まったくシンプルでない人間関係のドロドロ」や、「人間の妄想の常軌を逸した飛翔」といった城山羊の会さん作品の醍醐味を際だたせる、実に効果的な器になっていると感じていたんです。いわば、カッチリした何の変哲もない四角形の枠の中から、突如としてとめどもない曲線の奔流が飛び出してくるびっくり箱、という関係でしょうか。

 ところが、今回はどうも、違うような。

 舞台の上にある家屋は、どう見ても現役で機能しているとは思えない廃屋同然の朽ち果てっぷりで、かつて居間だったと思われる、ちゃぶ台のある畳敷きの部屋は、外側の壁が完全になくなって、縁側どころか玄関さえも兼ねるようなオープンさになっており、兄妹が寝起きしているらしい奥の空間とは、薄汚い布っきれを廊下の鴨居から垂れ下げて仕切っているだけ。外の野っぱらも、雑草やゴミが点々としていて、とても人の手が加えられているようには見えません。
 さらによく見れば、というか、よく見なくとも、背後の堤防のようにそびえる塀も、明らかに高さが斜めに傾いており、今回の舞台設定は、全体的にどこを見ても安心できない、「なんだ、ここは……?」感をかもし出しているのです。

 これは……実に危険ですね。これまでは、開演後、物語が進むにつれて徐々に開かれていくはずだった「狂気の世界へのゲート」が、すでに開演前、開場前、リハーサル前、ついには会場入りして舞台スタッフさんがたがトカトントンと舞台セットを組んだ時点からず~っと開放されていたということになるんじゃあ~りませんか!! 早い、早すぎる! 『地獄の門』のルチオ=フルチ監督もビックリよ。

 今回は、ただ事じゃない! そう鼻息を荒くする私をよそに、公演は満員の大盛況の中、定刻どおりに始まったわけなのですが、満を持して開幕したお話もまた、今までの城山羊の会さんの作風とはまるで違った質感を持つものと見受けました。

 アルバイトをクビになったらしい兄と、生活に困窮するあまりに、どうやら身体を張っていかがわしい商売に手を染めてしまっているらしい妹。2人の親はすでにこの世におらず、妹は母親が存命だった頃の幸せな過去をかえりみてさめざめと泣く。そこへやって来た大家の岡崎は、いかにもチンピラくずれらしいリーゼントに開襟シャツ、だらしないひげに抜けた歯ならびといった定番の取立てルックスで、その岡崎を威圧する丸山もまた、いかにもヤクザな風貌で、いかにもお水なけだるい空気を身にまとった愛人のキヨミを連れているのです。

 ものすんごい「定型」のラッシュなんですよね。のっけから。それこそ、キャスト全員が和服を着て、時代を江戸に変換してもなんら問題のないような、「今日という今日は、耳ィそろえて払ってもらうぜ!」に「どうかごかんべんを……後生でございます!」、そして「おいおい、そこらへんでいいじゃねぇか。金の稼ぎ方はいくらでもあるんだ……おれたちの言うとおりにすればなァ。」という、人情ものお芝居の定型の流れなんですよね。きわめて日本的! そう考えてみれば、半分朽ちた家屋のセットもまた、朽ちているというよりは、舞台セットの定型として、観客にわかりやすく見せるために、あえて壁を取り除いているように見えてくるわけです。それもまた定型であれば、そんなにオープンさになっているのに、ちゃーんと一角のガラス戸を手で叩いて「添島さーん、お邪魔しますよー。」とひと声かける岡崎の律儀さも、吉本新喜劇とかで見られる定型そのものですよね。ちょっと回ったら、中にあがりこめるのに。

 つまり、今回の城山羊の会さんの作品は、「器」と「中身」の質感が、まるで反対になっているところから、物語が開幕しているんですね。
 今までは、定型の「器」から、まったく予想のつかない「中身」が、俳優さんがたの虚実ないまぜになった言葉のおもむくままに漏れ出してくるといった構図だったのですが、今回は、まったく予想のつかない「器」の中で、非常に懐かしく既視感に満ち溢れた定型の「中身」が展開されているようなのです。

 逆だ、構造がまるで逆になっている……私はまず、始まってしばらくしてわかってきたこの事実に、「うわー、この先どうなるんだか、全然わかんない!」という、いわゆる「ざわ……ざわ……感」を禁じえず、手に汗を握りながら、ユリ子が昨日バス停のところで男と一緒にいるのを見かけたと岡崎が語り、それをユリ子が全否定したりするモヤモヤ水かけディスコミュニケーションを見守っていたのでした。

 次に私がビビッときたのは、丸山がけっこう登場したてのシーンから、見た目どおりの定型な「暴力」を、岡崎に対してふるっているという点でした。思うように金を調達してこない岡崎を容赦なく殴り倒し、蹴りつける丸山。

 早い! これも早い。前作『トロワグロ』は、少なくとも「身体の暴力」などはまるで差し入る余地のないような、「オトナのオトナの社交的な戦争」を描く物語だったと記憶しています。そりゃ、登場人物全員、精神状態はグロッキー寸前になるわけですが。
 丸山を演じる岩谷さんは、もう見た目がガッチリしていかついわけですから、そこをあえて暴力的威圧に走らせないという采配が、これまでの作品の多くでは、登場人物たちの勢力バランスを拮抗させる安全弁になっていたかと思われるのですが、今回の岩谷さんは、まさに「一強」の存在になっており、すでに開きっぱなしの作品全体の「狂気の世界」への扉に続けとばかりに、バイオレンスの扉をさっさと開ける役割をになっているのです。

 ここで突然、私事で恐縮なのですが、私の肉体は、目も悪いし耳も聞き間違いが多いポンコツスペックです。ところがなぜか、「嗅覚」に関しては多少は敏感なところがあるらしく、たとえばお芝居を観ていても、少なくとも舞台上の役者さんが飲んでいるお酒が、本物かジュースかくらいの違いは、においでわかるんです。引きますよねェ~! 引いてもいいからまぁ聞いてヨ。
 そして、今回も、舞台奥の塀の上でのやり取りで、岡崎と待ち合わせをしていたらしい丸山が初登場した時点で、どうやら丸山を演じる岩谷さんが着ていたスーツのあたりから、ぬぐいきれない汗のかほりがただよってきているのを感じ取ってしまいました。ほら、私が観た回は、千秋楽前日の、開演9日目でしたからね。簡単に洗濯できないスーツとかは、まぁそうなってきちゃうわけなんでしょう。

 むむっ、今回のお芝居、岩谷さんにはそんなに汗をかくシーンが用意されているということなのか!? そんなもん、今やってる岡崎いたぶりどころの話じゃないぞ!! 血じゃ……このお話、遠からずあたり一面、血の雨が降るであろう!

 そんなことをムンムンに予兆させる丸山のかほりだったわけなのですが(いや、たいていのお客さんは気にもならなかったでしょうけれど)、こののち、この予感はもうテキメンに大当たりになってしまいました。

 「いかがわしいことしてるだろ?」VS「ぜんぜんしてません!」や、「おれを殺そうとしてだだろ?」VS「いえ、2人で心中しようとしてただけです!」といった、解決の糸口がまるで見えない泥仕合ののち、物語の舞台は一転して、兄妹の家の裏手の野っぱらに移り、そこでは、たまたま散歩で訪れた、近所のマンション(ここも丸山が所有している)に住む、結婚したてで一見いかにも幸せそうな森元夫妻が、仲むつまじく将来の家族計画を語り合います。
 ただ、ここでも会話が始まって5分もたたないうちに、主に子作りに対する姿勢で、夫婦間に決定的な方向性の違いがあることが露呈してしまうのが、どうにもこうにも城山羊の会さんです。本能的に「ここは急がねば。」と察知した妻ミドリは、もうここの野っぱらでいいから、ていうかむしろここじゃなきゃイヤ! という勢いで、のらりくらり問題を先送りしようとする夫タカちゃんにまぐわいを迫ります。初婚の夫に対して自分は再婚という過去を意識するあまり、もはや性欲にロマンチックになる余裕もかなぐり捨て生き急ぐ女、ミドリ!

 そして、この森元夫妻の必死すぎるいちゃいちゃをズバッと断ち切るかのように、兄妹の家屋の裏口から、突然の絶叫とともにまろびでた光景……この瞬間から、ついに物語は血を血で洗う無制限デスマッチの様相を呈してくるのでありました。

 恐ろしい。なんと恐ろしい展開なのでしょうか。とにかく、問答無用の速度で、その場にいる人々のほぼ全員がばったばったとひどい目に遭っていくのです。最終的には、「そ、そんなあっさり!?」といった唐突さで命を落とす人さえ出てくる事態にまで。

 その惨劇のほとんどが、その場では証明できようもない「この前、あんたがこの人といっしょにいるのを見た。」とか、「私、この人と肉体関係あります。」といった、形のない言葉から発生しているということも恐ろしいのですが、なにがいちばん恐ろしいって、このお話の流れを観ているお客さんがたの、ほぼ全員がいの一番にツッコミたくなる、


「いいからもう、そんなの相手にしないでどっか行けばいいじゃん!」


 という至極まっとうな言葉がまるで通用しない、一度迷いこんだら二度と出てはこられないような強力な磁場を、この兄妹が棲むあばら家がはなっているという事実が最も恐ろしいですよね。この作品、主人公は明らかに、人間じゃなくて、このあばら家なんですよ。
 一回首をつっこんでしまったら、もう誰も無傷では帰ってこられない……いったんは言葉で応酬して丸くおさめ、塀の上を通ってハイさよなら、というところまでいった森元夫妻も、一見なんの面識もなかったかのようなキヨミから飛び出た言葉によって、こともあろうにみずから塀の下のアリ地獄に舞い戻ってきてしまい、そして……

 言葉、言葉、言葉……全てが、しょせんは信じなければいいだけの形のない存在から始まり、それが形のある暴力を呼び起こし、現実の人間関係に取り返しのつかない末路をもたらしてしまう。

 お客さんはもう、添島兄妹、岡崎、丸山、キヨミ、森元夫妻が組んずほぐれつするデスマッチの行方を唖然としながら見つめるしかなくなってしまうのですが、そこに現出されるバカバカしいまでに醜悪な乱闘劇は、と同時に、どこか確実に「生命の躍動」が欠如したような、時間が経過する中で淡々と血と死体だけが積み重なっていく、カラッカラに乾ききった無常観をたたえているように思えてなりませんでした。どこか虚ろで、どこか現実味に欠けている感じ。

 私はこのありさまを観て、最初は「北野武か!」と感じていたのですが、それしたって異常にドライで間の抜けた命のやり取りの数々に(銃でズドンなんていうカッコイイものなんかありません)、それよりはむしろ1960年代の、ハーシェル=ゴードン=ルイス監督の早すぎるスプラッタ諸作を観るようなチープさを連想するようになりました。どこかうそ臭く、命の重さがふわっふわに宙に舞っている、ゴキゲンに狂った世界!

 それは、生きている俳優さんが演じているのだから、いくらドバドバ流れたって血が偽物なのは当然でしょうし、死んだといっても、よく見れば死体の胸や背中のあたりが上下しているのは当然です。私たちが想像するような、リアルな人の死なんてものはありません。
 ただ、今回の作品は、前作『トロワグロ』であれほどに大切に扱った「死」というものを、うそ臭くなるのは百も承知の上で舞台上に氾濫させた意図があると私は感じました。つまり、徹底的に死を、むなしく、唐突で、生き残った者にとっては理解しがたい「なにか」の作用によって、ごくごくあっさりとピタゴラスイッチ的に引き起こされるものに描きたかったのだと受け取ったのです。
 もはやこれは、ある日あばら家の周辺で発生した異常な連鎖殺人事件といった範疇で処理されるべき死に方ではありません。戦争です。何の因果関係もなく、「ただそこにいたから。」という理由でばたばたと大量の人命が消え去っていく戦争の感覚に近いもののように思えてならないのです。

 中井英夫の『虚無への供物』じゃありませんが、この作品は、「死ぬからには、何か意味のある死に方を……」という生きとし生けるもののはかない願いをプチプチッと踏み潰していってしまう「大きな存在」が、あからさまな戦場だけでなく、町の片隅のこのあばら家にだってわだかまっているかも知れないこと。その恐怖を黙示しているのではないのでしょうか。

 物語の後半、お客さんは、簡単には説明しがたいすったもんだの果てに舞台上に横たわることになってしまったいくつかの死体を眺めてふと、その場に生き残ったある登場人物と同じように、

「あっ、この人がその人を殺されたから、怒ってあの人を殺したってことにしたら、丸くおさまるんじゃね?」

 と思いつくはずです。しかし、先ほど繰り広げられたデスマッチがそんなにわかやすいものでなかったことだってお客さんは実際に目の当たりにしているわけでして、案外、毎日のように新聞の片隅やニュースで処理されているような現実のつまらなそうな事件・事故のたぐいだって、経緯の説明なんてものは、単に生き残った私たちが安心して納得するためだけに「いちばんわかりやすい線」で整理整頓されただけで、真相は人間同士の利害関係なんていうちっぽけなサイズとは比べ物にならないくらいに巨大な「なにかの力」に巻き込まれた結果の、ほんの一部なのかも知れないのです。


 時折、上空を戦闘機らしい爆音が通過するだけの、なんの変哲もない晴天の下で繰り広げられるデスマッチ。そしてそこは次第に、明らかに「退場したはずの人」までもがむっくりと起き上がってずけずけ発言してくるような、生と死や事実と願望とがないまぜになった異空間に変貌していきます。
 それ自体は、「あぁ、城山羊の会さんだなぁ。」ってな感じの待ってました的展開なのですが、今まで横たわって無言だった死体が「ゆらっ。」と起き上がって笑いかけ、客観的事実だと思っていた光景が、もしかしたら、そこにいるある人の「そうであってほしい。」という願望が像を結んだだけの、うたかたのミラージュ(蜃気楼)に過ぎないのかもしれないと、お客さんの認識を「ぐらっ。」と揺さぶる、その不安定感。

 これはね、日本の幽玄能みたいな無常観も生まれようってもんですよ。まさにこれは、廃屋同然のあばら家をシテ、そこに縛られる添島兄妹をワキとした、城山羊の会さん流の『現代能楽集』なのかも知れません! ただ、一連の虚実入り乱れる惨劇は、妹ユリ子の妄言と血によって開幕するわけですから、ユリ子という巫女を媒介として召喚される、もっと原始的で呪術的な「祀り」なのかもしんない。
 これは恐ろしい! 今まで、『オズの魔法使い』だとか『サテュリコン』だとか、さんざんテキトーに古典的作品を当てはめてきた私の解釈も、今回はついにお能とかわけのわかんない原始宗教の世界にまでさかのぼっちゃった!!

 それはともかく、今回の作品世界は、それだけ日本的で、人のこわさでなく、人が集まるところに吹きだまる「地縛霊」みたいな、無視すればいいだけのような形のない存在の、だけども無視できないこわさにスポットライトを当てた、ちょっと夏を先どりした怪談みたいなお話だったのかもしれません。
 当然ですが、ここで私が言いたい「日本的」というのは、現在ある国家としての日本というよりは、2千年くらい人が先祖代々暮らしてきた痕跡の積もり積もった土地としての日本列島っぽい、という意味です。「土着的」っていうのは、あんまり使いたくない言葉なんですよね。使い勝手が良すぎて。

 そして、そういった残留思念、つまりは幽霊みたいな強烈な磁場がなぜかある場所に吹きだまり、凝り固まって、最近ここ数十年くらいの間にふわっとかかってきた現代の常識みたいなものを簡単にねじ曲げちゃって、その結果、「人を殺してもいいからその土地に住み続けたい。」とか、「人を殺したら家賃を払わなくて済む。」とかいう理屈が通るような気がしてしまう。この恐怖ですよ。
 現代の常識では、「血を流して死にかけている人を見かけたら、すぐに救急車と警察に通報する。」という行動は至極まっとうなものとして認識されているわけですが、本作がそれさえ許されない展開におちいっているのは、決してそれを都合が悪いと察知した人物が力ずくでもみ消したからなのではありません。最終的に、通報しないという選択肢にその場の人物全員が納得してしまったからなのです。これはほんとうにこわいことです。

 前半のあたりで、私は今回の作品が、今までの諸作と違って「器」と「中身」のスタイルがまるで逆になっている、と言いました。異常な舞台設定と、定型どおりのキャラクターたちがいならぶ人物設定が、今回の『仲直りするために果物を』の特色だと見たわけです。
 しかし、それはまったく当然のことで、今までの作品で物語を「爆発」させていた動力源が、まさしく「中身」たる人間たちの秘めたる異常性や思いもよらない暴走だったのに対して、今回は明らかに人間をそうさせる「なにか」に焦点を当てたものになっていたからこそ、その何者かがひそむ「器」が、とりわけ異常に設定されていたのではないのでしょうか。

 この作品の中でも特に印象的なセリフとして、森元タカちゃんが絶叫する、

「もうっ!! 今日はヘンな日っ♪」

 という間抜けな断末魔がありますが、これだって、単なる責任転嫁のための茶化しであるわけがなく、誠心誠意、この常軌を逸した暴走を始めているのが自分という人間でなく、目に見えない「なにか」なのだということを訴えたい、タカちゃんなりの切実な叫びだったのではないのでしょうか。ほんとに哀れ、この人。

 そういえば、定番の「添島照男」というネーミングもそうですが、「森元隆樹」という名前も、城山羊の会さんが好きな方ならば必ずピンとくるものがあるはずです。これも、別に実在の森元さんをキャラクターに反映しているようには見受けられないのですが、その中身をともなわなずに名前だけ借りるという虚ろな浮遊感が、登場人物の「あやつり人形」感を暗示しているような気がしてなりません。ともかく今回は、俳優さんはもちろん今までどおりに熱演しているとしても、舞台上に具現化される登場人物たちの「なすすべもなく翻弄されてる」感じがハンパないんですよね! それはもう、ラストのラストのある人物のひと言以外、すべてが目に見えない何かに抑圧され続けている、みたいな徹底ぶり。

 さらにもうひとつ言わせていただければ、この異常すぎる磁場に包まれた作品の中で、ただ一人、ほぼ無傷でこの場を退場しおおせた奇跡の人物がいたわけなのですが、その人は、あんなにきったない、人が住んでいるのかどうかもわからないようなあばら家になんの抵抗感を持たずにあがり込み、あまつさえトイレまでも拝借して、包丁を持っている添島兄妹に平然と「ありがとうございますー(棒)。」なんてのたまう鈍感さを持っていたのです。
 こいつぁ異常だ!! この人が生き残るのもブンブンうなずける話です。つまり、この人は異常なこの場を異常だと感知できない異常さをそなえていたからこそ、アリ地獄を通り過ぎることができたのです。こういう例外的存在がいるいないで、作品の奥行きって全然違ってきちゃうんですよねぇ!!


 ところで、今回の作品が非常に政治的なにおいが濃厚なものである、ということはよく語られていることなのですが、私は城山羊の会さんの作品は、人間と人間の闘争を毎回しっかり描いているという点で、全作が政治的であると考えています。
 要は、今回の物語で描かれている恐怖や不安が、現在の私たちが陰に陽に、目に見えない「世相」という巨大すぎる存在に対していだいている恐怖や不安に非常に近いものだから、ことさらリアルタイムの空気を反映しているように感じられて、「生々しく政治的」なのではないのでしょうか。


 とにかく今回は、大口を開けて爆笑してばかりもいられない、底の見えない深淵をのぞくような不安さにかられる空気に満ち満ちたものがあるわけなのですが、いちばん単純な安心の仕方として、この作品の全てが、ラストシーンに生き残ったある人物の『想い出のミラージュ』(1979年 山口百恵)であったと解釈する、つまんないことこの上ないまとめ方も、あるにはあるでしょう。目の前で起きたすべてのことは、白昼の蜃気楼……


あぁ あぁ 想い出のミラージュ

朝が来ても 夜が来ても

これからあなたに 悩まされるの (作詞・阿木燿子)


 ただし! ちゃーんとそこらへんをわかっているのが城山羊の会さん。その人の「都合のいい死人たち」に囲まれた甘ったる~い現実逃避エンディングをぶちのめすかのように、勢いよくガラガラッと勝手口の戸を開けてあばら家の中から復活し、ビックリするほどに生命力のあるセリフを吐いた「あの人」の仁王立ちを観て、そらも~救いがないにもほどのある終幕であるわけなのですが、それでも、「生き抜くこと」から逃げることだけはしないという、城山羊の会さんの高らかな「進撃継続宣言」を聞いたような気がいたしました。やっぱコレよ! コレがあるから、どんなに語り口が変わっても、城山羊の会さんは城山羊の会さんなんですよね。


 いや~。今回も、よもやこんな変調で攻めてくるとは、と戦慄しまくりの城山羊の会さんの公演だったわけですが、終わってみれば、やっぱりごくごく正統な王道を行く本公演でしたね。これを観て、ただ残酷で救いがないだけのグランギニョルと受け取っては損というものでしょう。決して美化するだけではない、さんざんおとしめた上での人間賛歌。
 今作で、同じように惨劇から生還しおおせた女性2人を比較しても、一貫して他人を醒めた視線で見つめとおして、まったく動じずに自分の車に帰っていった彼女ではなく、心身ともにぐわんぐわんに他人にもみくちゃにされ、血みどろになりながらも、再び大地に立ち上がった彼女のほうが作品の幕を閉じる権利を勝ち取った。そこが作品の全てだと思いました。

 やっぱり、有名な賞を獲得しても、まだまだ上り坂! 城山羊の会さんの最高傑作は、これからくるぞ!!
 12月の次回公演、そしてそのあたりに公開されるであろう、主宰の山内ケンジさんの第2回映画監督作品を、心して待ちたいと思います。

 ……今回のブログ、1万3千文字って……どんだけおもしろいんだ、城山羊の会さんは!? と、おのれの文章構成力のつたなさを盛大に棚にあげてとんずらします。全部読んでくだすったあなたさま、アンタは、エラい!!


 ホントに、この作品を観る用事だけの上京にならなくてよかった……なんとカロリー消費の激しい観劇か! おともだちは大切!!
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さよなら伯爵、また来て子爵

2015年06月12日 23時34分35秒 | すきなひとたち
俳優のクリストファー=リーさん死去
 (NHK ニュースウェブ 6月12日付け記事より)

 イギリス映画『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)から近年のハリウッド映画『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ(2001~14年)まで、数多くのヒット映画で重要な役を演じた俳優のクリストファー=リーさんが亡くなりました。93歳でした。
 クリストファー=リーさんは、1922年にイギリスのロンドンで生まれ、第2次世界大戦後に俳優として活動を始め、1958年に公開された『吸血鬼ドラキュラ』でのドラキュラ伯爵役など、多くのホラー映画に出演し、迫真の演技で俳優としての地位を確立しました。その後も、リーさんは『007 黄金銃を持つ男』(1974年)で、主人公のジェイムズ=ボンドと一騎打ちを繰り広げる殺し屋フランシスコ=スカラマンガ役を演じました。
 近年では、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズでの大魔法使いサルマン役や、『スター・ウォーズ』シリーズのドゥークー伯爵役など、数多くのヒット映画で重要な役を演じました。
 リーさんが出演した映画は250作を超え、90歳を超えてもなお活動を続けていましたが、今月6月7日、呼吸器の病気の治療で入院していたロンドンの病院で亡くなったということです。


 ああ、ついに我らが伯爵が、「世界の半分の支配者」が、いつか還るべき御自分の領地へとおかくれになってしまわれた……
 異常にアウェー(太陽のでてるあいだ)が苦手で、全身これ弱点だらけで、とにかく口と態度と眼力ばっかし威勢のいい伯爵でしたが、それでも不滅の人気を勝ち得ているのは、ほんとにリーさまという肉体を借りたおかげなんだと思うんですよ。リーさまの演じた8作(ハマープロ7作とジェス=フランコ監督1作)のドラキュラ伯爵は、どんなに出番が少なくても、どんなに演出がかったるくても、やっぱりナンバーワン&オンリーワンなんですよね!

 冥界では、サマーアイル島のような、文字通り時間の止まった土地で悠々自適な生活を送られるのでしょうか。
 でも、たぶんそこには、実に20年もの長きにわたって、無数の木の杭を削りまくって虎視眈々と、喜々とした表情で彼の帰還を待ち受けていた、「宿敵」と書いて「とも」と呼ぶピーター=カッシングさまが、もちのろんでスタンバッているわけなんでありまして……

 93年ぶりにホームに帰ってきても、伯爵に安寧のときは、ない! 逃げろ、とにかく逃げるんだ~。
 どら、どら、きゅっきゅっ、どらきゅ~らぁ~♪
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総選挙……あったんだって? 2015

2015年06月06日 22時23分30秒 | すきなひとたち
第7回 AKB48選抜総選挙の結果

選抜メンバー
1位 指原莉乃  HKT48チームH 194049票(中間発表1位) ※前回2位
2位 柏木由紀  AKB48チームB・NGT48兼任予定 167183票(中間発表2位) ※前回3位
3位 渡辺麻友  AKB48チームB 165789票(中間発表3位) ※前回1位
4位 高橋みなみ AKB48チームA 137252票(中間発表6位) ※前回9位
5位 松井珠理奈 SKE48チームS・AKB48チームK兼任 105289票(中間発表4位) ※前回4位
6位 山本彩   NMB48チームN・AKB48チームK兼任 97866票(中間発表5位) ※前回6位
7位 宮脇咲良  HKT48チームK4・AKB48チームA兼任 81422票(中間発表12位) ※前回11位
8位 宮澤佐江  SKE48チーム・SNH48チームS2兼任 75495票(中間発表13位) ※前回12位
9位 島崎遥香  AKB48チームA 73803票(中間発表7位) ※前回7位
10位 横山由依  AKB48チームA 63414票(中間発表13位) ※前回13位
11位 北原里英  NGT48 予定  61566票(中間発表10位) ※前回19位
12位 渡辺美優紀 AKB48チームB・NMB48チームB2兼任 55715票(中間発表18位) ※前回18位
13位 松村香織  SKE48チームK2 53667票(中間発表14位) ※前回17位
14位 高柳明音  SKE48チームK2 52609票(中間発表16位) ※前回31位
15位 柴田阿弥  SKE48チームE 49199票(中間発表9位) ※前回15位
16位 武藤十夢  AKB48チームK 44637票(中間発表36位) ※前回24位

アンダーガールズ
17位 兒玉遥   HKT48チームH・AKB48チームK兼任 43985票(中間発表8位) ※前回21位
18位 須田亜香里 SKE48チームE 43665票(中間発表32位) ※前回10位
19位 峯岸みなみ AKB48チームK 35506票(中間発表60位) ※前回22位
20位 大矢真那  SKE48チームS 30021票(中間発表61位) ※前回30位
21位 朝長美桜  HKT48チームK4・AKB48チーム4兼任 28197票(中間発表30位) ※前回27位
22位 木ゆりあ AKB48チームB 26994票(中間発表57位) ※前回23位
23位 谷真理佳  SKE48チームE 26051票(中間発表11位) ※前回圏外
24位 古畑奈和  SKE48チームK2 25650票(中間発表22位) ※前回55位
25位 高橋朱里  AKB48チーム4 25421票(中間発表23位) ※前回28位
26位 小嶋真子  AKB48チーム4 25117票(中間発表圏外) ※前回36位
27位 大場美奈  SKE48チームK2 24708票(中間発表圏外) ※前回56位
28位 加藤玲奈  AKB48チームB 24569票(中間発表25位) ※前回32位
29位 岡田奈々  AKB48チーム4 23237票(中間発表26位) ※前回51位
30位 高城亜樹  AKB48チームK 22502票(中間発表76位) ※前回26位
31位 渕上舞   HKT48チームK4 22487票(中間発表15位) ※前回圏外
32位 田島芽瑠  HKT48チームH 22191票(中間発表27位) ※前回38位

ネクストガールズ
33位 穴井千尋  HKT48チームH 22146票
34位 白間美瑠  NMB48チームM 21577票
35位 藤江れいな NMB48チームM 21388票
36位 上西恵   NMB48チームN 21135票
37位 坂口理子  HKT48チームH 20936票
38位 二村春香  SKE48チームS 20590票
39位 内山奈月  NMB48チームB 20437票
40位 矢倉楓子  NMB48チームM 20354票
41位 多田愛佳  HKT48チームK4 19921票
42位 岡田栞奈  HKT48チームK4 19739票
43位 森保まどか HKT48チームK4 19401票
44位 向井地美音 AKB48チームK 18392票
45位 宮前杏実  SKE48チームS 18245票
46位 神志那結衣 HKT48チームH 18085票
47位 田野優花  AKB48チームK 18048票
48位 木本花音  SKE48チームE 18021票

フューチャーガールズ
49位 佐藤すみれ  SKE48チームE 17579票
50位 佐々木優佳里 AKB48チームA 17466票
51位 松岡菜摘   HKT48チームH 17387票
52位 後藤理沙子  SKE48チームS 17330票
53位 磯原杏華   SKE48チームE 17278票
54位 小谷里歩   NMB48チームN 17132票
55位 惣田紗莉渚  SKE48チームK2 17071票
56位 梅田彩佳   NMB48チームB2 17019票
57位 茂木忍    AKB48チームK 16867票
58位 渋谷凪咲   NMB48チームB2・AKB48チーム4兼任 16386票
59位 加藤夕夏   NMB48チームN 15729票
60位 薮下柊    NMB48チームB2 15666票
61位 東李苑    SKE48チームS 15539票
62位 加藤るみ   SKE48チームE 15474票
63位 山内鈴蘭   SKE48チームS 15157票
64位 吉田朱里   NMB48チームN 14933票

アップカミングガールズ
65位 斉藤真木子 SKE48チームE 14916票
66位 北川綾巴  SKE48チームS・AKB48チーム4兼任 14674票
67位 大森美優  AKB48チーム4 14669票
68位 梅本まどか SKE48チームE 14605票
69位 永尾まりや SKE48チームK 14585票
70位 鎌田菜月  SKE48チームE 14545票
71位 石田晴香  AKB48チームK 14319票
72位 植木南央  HKT48チームK4 13744票
75位 大和田南那 AKB48チームA 13961票
73位 熊崎晴香  SKE48チームE 13777票
74位 谷川愛梨  NMB48チームM 13685票
76位 竹内舞   SKE48チームS 13539票
77位 石田安奈  SKE48チームK2 13269票
78位 篠崎彩奈  SKE48チームK 13170票
79位 市川美織  NMB48チームB2 13165票
80位 本村碧唯  HKT48チームK4 13116票


それまでの選抜総選挙との比較

第1回「AKB48 13thシングル選抜総選挙『神様に誓ってガチです』」
・開票日 2009年7月8日
・当選者順位 1~30位
・当選者に投票された総票数 5万4026票
・立候補者 AKB48、SKE48、研究生の98名
・1位(前田さん)の獲得票数 4630票
・最終当選者(30位)の獲得票数 1050票
・当選者の権利
 1位~12位 「メディアで活動する選抜メンバー(メディア選抜)」
 13位~21位 「選抜メンバー」
 22位~30位 カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」
・有権者
 12thシングル『涙サプライズ!』購入者、ファンクラブ「柱の会」会員、
 AKB48モバイル有料会員、DMM「AKB48 LIVE ON DEMAND」月額会員

第2回「AKB48 17thシングル選抜総選挙『母さんに誓って、ガチです』」
・開票日 2010年6月9日
・当選者順位 1~40位
・当選者に投票された総票数 35万4074票
・立候補者 AKB48、SKE48、研究生の104名
・1位(大島さん)の獲得票数 3万1448票
・最終当選者(40位)の獲得票数 1603票
 ※30位当選者は2613票
・当選者の権利
 1位~12位 「メディアで活動する選抜メンバー(メディア選抜)」
 13位~21位 「選抜メンバー」
 22位~40位 カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」
・有権者
 16thシングル『ポニーテールとシュシュ』購入者、ファンクラブ「柱の会」会員、
 AKB48モバイル有料会員、SKE48モバイル有料会員、DMM「AKB48 LIVE ON DEMAND」月額会員

第3回「AKB48 22ndシングル選抜総選挙『今年もガチです』」
・開票日 2011年6月9日
・当選者順位 1~40位
・当選者に投票された総票数 108万1332票
・立候補者 AKB48、SKE48、NMB48、研究生の150名
・1位(前田さん)の獲得票数 13万9892票
・最終当選者(40位)の獲得票数 4698票
 ※30位当選者は6660票
・当選者の権利
 1位~12位 「メディアで活動する選抜メンバー(メディア選抜)」
 13位~21位 「選抜メンバー」
 22位~40位 カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」
・有権者
 21stシングル『Everydayカチューシャ』購入者、ファンクラブ「柱の会」会員、
 AKB48モバイル有料会員、SKE48モバイル有料会員、
NMB48モバイル有料会員、DMM「AKB48 LIVE ON DEMAND」月額見放題会員

第4回「AKB48 27thシングル選抜総選挙『ファンが選ぶ64議席』」
・開票日 2012年6月6日
・当選者順位 1~64位
・当選者に投票された総票数 127万1063票
・立候補者 AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、研究生の237名( AKB48の前田敦子は辞退)
・1位(大島さん)の獲得票数 10万8837票
・最終当選者(64位)の獲得票数 5398票
 ※30位当選者は1万1179票
・当選者の権利
 前回の40人から64人に拡大されるが、タイトル曲を歌う選抜メンバーは21人から16人に削減され、前回まで12位以内のメンバーに与えられていた「メディア選抜」の枠は廃止された。カップリング曲を歌唱する前回までの「アンダーガールズ」に相当するメンバーは、17~32位の「アンダーガールズ」と33~48位の「ネクストガールズ」と49~64位の「フューチャーガールズ」に分割再編される。
 1位~16位 「選抜メンバー」
 17位~32位 カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」
 33位~48位 カップリング曲を歌う「ネクストガールズ」
 49位~64位 カップリング曲を歌う「フューチャーガールズ」
・有権者
 26thシングル『真夏のSounds good!』購入者、新規ファンクラブ「二本柱の会」会員、
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのモバイル有料会員、
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのDMM「LIVE ON DEMAND」月額見放題会員、
AKB48公式スマートフォンアプリ会員、AKB OFFICIAL NET会員 

第5回「AKB48 32ndシングル選抜総選挙『夢は一人じゃ見られない』」
・開票日 2013年6月8日
・当選者順位 1~64位
・当選者に投票された総票数 216万5926票
・立候補者 AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、研究生の246名
 今回の総選挙では、初めて立候補制が採用されることとなった。また、日本国外の姉妹グループ(JKT48、SNH48)に移籍した元AKB48メンバーと、過去にAKB48グループに4年以上在籍していた元メンバーも立候補することができる(今回はAKB48とSDN48の元メンバーが立候補した)。
・1位(指原さん)の獲得票数 15万0570票
・最終当選者(64位)の獲得票数 1万1602票
 ※30位当選者は2万2869票
・当選者の権利
 1位~16位 「選抜メンバー」
 17位~32位 カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」
 33位~48位 カップリング曲を歌う「ネクストガールズ」
 49位~64位 カップリング曲を歌う「フューチャーガールズ」
・有権者
 31stシングル『さよならクロール』購入者、ファンクラブ「二本柱の会」会員、
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのモバイル有料会員、
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのDMM「LIVE ON DEMAND」月額見放題会員、
AKB48公式スマートフォンアプリ会員、AKB OFFICIAL NET会員

第6回「AKB48 37thシングル選抜総選挙『夢の現在地 ~ライバルはどこだ?~』」
・開票日 2014年6月7日
・当選者順位 1~80位
・当選者に投票された総票数 227万7636票
・立候補者 AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、研究生と、日本国外の姉妹グループ(JKT48、SNH48)に移籍した元AKB48メンバーから立候補した296名
 (前回に被選挙権を持っていた「過去にAKB48グループに4年以上在籍していた元メンバー」は、今回は立候補できない)
・1位(渡辺さん)の獲得票数 15万9854票
・最終当選者(80位)の獲得票数 9561票
 ※30位当選者は2万1984票
・当選者の権利
 1位~16位 「選抜メンバー」
 17位~32位 カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」
 33位~48位 カップリング曲を歌う「ネクストガールズ」
 49位~64位 カップリング曲を歌う「フューチャーガールズ」
 65位~80位 「アップカミングガールズ」
・有権者
 36thシングル『ラブラドール・レトリバー』購入者、ファンクラブ「二本柱の会」会員、
以下の各グループ公式携帯サイト会員
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのモバイル有料会員、
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのDMM「LIVE ON DEMAND」月額見放題会員、
AKB48公式スマートフォンアプリ会員、AKB OFFICIAL NET会員

第7回「AKB48 41stシングル選抜総選挙『順位予想不可能、大荒れの一夜』」
・開票日 2015年6月6日
・当選者順位 1~80位
・当選者に投票された総票数 273万5423票
・立候補者 AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、研究生から立候補した272名(卒業を発表していても立候補は可能)
 ※前回の総選挙で選抜に入った松井玲奈(5位)と小嶋陽菜(8位)が立候補を辞退
・1位(指原さん)の獲得票数 19万4049票
・最終当選者(80位)の獲得票数 13116票
 ※30位当選者は2万2502票
・当選者の権利
 1位~16位 「選抜メンバー」
 17位~32位 カップリング曲を歌う「アンダーガールズ」
 33位~48位 カップリング曲を歌う「ネクストガールズ」
 49位~64位 カップリング曲を歌う「フューチャーガールズ」
 65位~80位 「アップカミングガールズ」
・有権者
 40thシングル『僕たちは戦わない』購入者、ファンクラブ「二本柱の会」会員、
以下の各グループ公式携帯サイト会員
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのモバイル有料会員、
AKB48、SKE48、NMB48、HKT48各グループのDMM「LIVE ON DEMAND」月額見放題会員、
AKB48公式スマートフォンアプリ会員、AKB OFFICIAL NET会員




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