こんばんは! そうだいです。今日はどんな日でしたか~?
私は午後に東京の茅場町に行って、知り合いの出ている舞台を観に行きました。劇団上田の俳優・春日井一平君の出演している『致富譚(ちぷたん)』です(作・演出 佐々木透)。
お芝居の内容もおもしろかったんだけど、その前に土地と会場がおもしろかったんだよなぁ! 日曜日の午後、昭和のオフィス街ふうの茅場町には人気がまったくありません。しかも雨がふってきた! まるで、今にもビリー=ジョエルの『ストレンジャー』のイントロがかかってきそうな街の雰囲気でした。カッコえぇ!
会場もいい感じの雑居ビルの5階でね、エレベーターなんてあるはずもない。はじめて来たビルのせまい階段をのぼってくわけですよ。聞こえるのは外を飛ぶカラスの鳴き声だけ。しみるなぁ。
今回、フリースペース「マレビト」では同じ台本で2ヴァージョンが上演され、どちらもそれぞれ違いのはっきり出たいい2本立て公演でした。女優さん3人のやつもおもしろかったんだけど、やっぱり春日井君と作・演出の佐々木さん本人が出演しているやつのほうが好きだったかな。そっちに出ていた女優のタカハシカナコさんもよかったねぇ! 今度、彼女の所属している劇団井手食堂の公演があったら必ず観に行こう。そうか~、タカハシさんは井手さんのとこの女優だったんだ。道理でイノキの物まねがうまいわけだよ! 運動神経も良さそうだったし。
さあさあ、そうこうしているうちに、今月もえんえんと続けてきた「ざっくり世界史」もいったんのラストを迎えることとなりました。いやぁ、先月のラストでの予告では「カエサルとかクレオパトラが出てくるところまでやりますよ」とか言ってたんですが……フタをあけてみれば、もう進まない進まない!
ローマ帝国が始まるの、紀元前1世紀でしょ? 今の回、まだ紀元前4世紀だもん! まだ300年あるよ……まぁ、それだけ歴史の中身には、大事なことがギュウギュウにつまってるんだということで。たぶん、来月やる予定の6回分には「帝国」が出てくると思うんだけど……
なにはともあれ、形は共和国であるものの、首都の異民族による大略奪という試練を通して、ついに領土拡大への道を歩みだすことになったローマ!
前回まではその流れをおってきたのですが、今回は視点をちょっとずらして、イタリア半島の東・ギリシア地方にいた1人の天才を話題にしてみようと思います。
紀元前4世紀、ローマ共和国による「イタリア統一」の気運がやっと生まれ始めたころ、その天才は、自身がわずか34歳(数え年)で急死するまでに、西はギリシア、東はインド、北は中央アジアのウズベキスタン、南はエジプトまでという広大な領土を有する史上最大・史上初の「世界帝国」を築き上げていました。
はるか東の中国大陸で、秦の始皇帝が帝国を築くのはそのちょい後の紀元前3世紀のこと。ちょっとの差でこっちのほうが早かった!
天才の名は、アレクサンドロス3世(紀元前356~紀元前323)。彼自身は皇帝を名乗ることはなく死ぬまで国王(兼エジプトのファラオ)だったため、「アレキサンダー大王」という通称でも超有名です。2004年には巨匠オリヴァー=ストーン監督により、3時間ものの大作としてその生涯が映画化されているのですが、私はまだ観てない!
現在、講談社のマンガ雑誌『月刊アフタヌーン』で連載されている岩明均の歴史マンガ『ヒストリエ』には少年時代のアレクサンドロスが登場しています。岩明先生はやっぱりおもしれぇなぁ! まだ政治家にもなっていない王子様なんですが、その両眼の色が違う風貌(彼は左右で眼の虹彩の色が違っている虹彩異色症だったらしい。2次元の世界では異常に重宝がられるオッドアイというやつである)もさることながら、ただのおぼっちゃまではない異才の片鱗を早くも見せ始めています。どんだけ長い作品になるのかまったく見当もつきませんが、早く続きが見たい~!
ローマでない国の話をするんですが、それは、アレクサンドロスの築き上げた覇業が、のちのローマ帝国に多大な影響を与えたんじゃないかと思うからなんです。すなわち、
「異民族がなんだ! 守る前にこっちから奴らを支配してしまえばいいのだ。地中海文明の子孫である我々にはそれができる!」という信念と、
「あと継ぎ問題はちゃんとしないとね……」という教訓です。
アレクサンドロス3世が生まれた時代、彼の父だったマケドニア王国第25代国王フィリッポス2世は、アレクサンドロスの父らしい才能を発揮して度重なる周辺ギリシア都市国家との戦争に勝利し、ギリシア地方のほとんどを統一するという偉業をなしとげます。
マケドニア王国は紀元前9世紀の末にギリシア地方の北に誕生した国でした。ギリシア世界と西アジアの接点に位置した国家であり、他のギリシア都市国家からも「正統じゃないよ、あれは。」と異端視されている国家でした。そのマケドニアががんばっちゃった!
たとえば、フィリッポス2世は軍隊の主要武器に4~6メートルもある長大な槍・サリッサを導入しました。ローマ同様に集団戦法ファランクスをもちいていたマケドニア軍にとっては、いっせいに突き出した時の攻撃力と、敵の武器の届かないリーチから攻撃することの利点がおいしい新兵器です。かなり重いけど。
ところが、そんなフィリッポス2世も敵が多かったためか、紀元前336年。47歳のまだまだこれからという時期に、何者かにそそのかされた兵士に暗殺されてしまいます(真犯人は不明。彼の正妻、つまりアレクサンドロスの実母がくわだてたという説も?)。
おかげで、わずか21歳でマケドニア王国第26代国王に即位したアレクサンドロス。しかし、ここからの彼は戸惑いの「と」の字もない嵐のような人生を送ることとなります。
まずは、父の急死によってギリシア各地で発生した反マケドニア勢力の蜂起をチャッチャと鎮圧してギリシアを統一しなおし、さっそく2年後の紀元前334年から、東の大国・アケメネス朝ペルシア帝国への遠征を開始します。
ペルシア帝国! 現在のイランを本拠地としていた超大国です。ギリシア・ローマが地中海文明の子孫ならば、ペルシア帝国はメソポタミア文明の子孫。紀元前6世紀に誕生したこの帝国は大発展をとげ、当時はエジプトを支配するまでになっていました。
ペルシア帝国の皇帝位「シャー・アン・シャー」は、単純明快な「王の中の王」という意味。ヨーロッパの皇帝とも中国の皇帝とも違う世界から生まれた皇帝です。
そんな大帝国に青年王アレクサンドロスが挑戦状をたたきつけた! その勇気はかうが、大丈夫なのか!?
結果は……余裕で大丈夫だった。
アレクサンドロスは基本的に1万人の騎兵と3~4万人の歩兵という構成のマケドニア軍を直接指揮し、みずからも陣頭に立って、ペルシア帝国軍にバカスカ勝っていくのです。
紀元前334年の初戦「グランニコス川の会戦」では4万人の敵に勝利。紀元前333年の「イッソスの会戦」では12万人の敵に勝利。紀元前331年の「ガウガメラ平原の会戦」ではなんと、25万人の敵に大勝利! あわれペルシア帝国は、紀元前330年にあとかたもなく領土をマケドニアに飲み込まれて滅亡します。
4~5万の兵士で25万の敵に勝っちゃうんだから尋常じゃありません。アレクサンドロスの天才ぶりは、まさしくその斬新な「戦術」で発揮されました。その名も「鉄床(かなとこ)戦術」!
よかったら説明させてほしい! 「鉄床戦術」とは、両手を使って鉄をうつ鍛冶職人のように、片方の手(おとり部隊)でうつ鉄(敵軍)を鉄床の上に引き寄せて、もう片方の手(主力部隊)で鉄をガツンと叩く戦術である。
要するに陽動作戦なんですね。簡単に言うと、まず歩兵を敵にぶつけておき、敵が正面に夢中になっているあいだに足の速い騎兵を敵の後方にまわらせて挟み撃ちにするわけなんです。
こう説明するといたってシンプルなんですが、これを数万人規模の兵士で実際にやるには、相当な軍隊の練度と指揮官の統率力が必要となります。アレクサンドロスがしょっちゅう戦場に出ていたのもうなずけることです。こういうのは他人まかせにできないたちの人だったんですね。
対するペルシア軍は、人数こそ戦争のたびに増えていったものの、兵士の質やテンションは下がっていくばかりでした。寄せ集めによる必死感が哀しい……合掌。
さて、ペルシア帝国をガツンといわしたったアレクサンドロスは、ながらくペルシアに支配されていたエジプトにも喝采をもって迎えられ、紀元前332年にはファラオにまで即位しました。
アレクサンドロス大王はペルシア帝国の首都ペルセポリスを徹底的に破壊して廃墟にし、いにしえの都バビロンを新たなマケドニアの都に定めて遠征を続けます。
紀元前329~327年には中央アジア・ウズベキスタンに侵攻し、紀元前326年にはついにインダス川を越えてインド入りを果たし、ヒュダスペス河畔の会戦ではパウラヴァ王国に勝利しました。
しかし、長年の遠征にさすがのマケドニア軍もバテはじめ、インド戦線終結のメドもまったく読めなくなっていたため、大王は遠征をいったんとめることとして新都バビロンに帰還します。
ところが……こういう人は休んじゃいけなかったのか? バビロンに帰った大王は、あんなに元気だったはずなのに突如マラリアに感染してしまい、紀元前323年6月、34年の激しすぎた人生に幕を下ろします。
順風満帆だった世界初の帝国は唐突にこのカリスマを失うことになってしまったのですが、大王本人もまさかこの若さで自分がおさらばするとは考えていなかったらしく、その遺言は、
「最強の者が余の国を継承せよ……」
というものでした。
えぇ~!! なにそれ! 天下一武道会やんの? ジャンプじゃねぇんだから! 天才らしい、遺族に聞いた「リアクションに困る遺言ベスト1」の核爆弾発言でした。
しかし、さすがは天才アレクサンドロス大王の部下たち。
「やったろうじゃねぇかァ~!!」
ほんとにまに受けて大戦争をおっぱじめちゃった! これが世に言う「ディアドコイ(後継者)戦争」。常識で言うなら本来継承するはずだった、アレクサンドロスの血のつながった親族はマッチョな将軍たちの繰り広げる大戦争のあおりを食らって全滅。
結局、アレクサンドロス大王の築き上げた広大なマケドニア王国は、大王の部下だった将軍をそれぞれの国王とする3つの国に分裂してしまいました。東をおさめるマケドニアと西をおさめるシリア、そして南をおさめるエジプトです。
アレクサンドロス3世の大遠征のてんまつはこんなところなんですが、のちのち本筋のローマ帝国誕生に大きく影響してくるのが、そのうちの1つであるエジプト王国です。
アレクサンドロスが大きな信頼をよせる重臣だったプトレマイオスが創始した、ギリシア人によるエジプト王国の38代目の国王が、あの世界3大美女の1人・クレオパトラ7世その人だったのです! う~ん、小島聖。
さぁさぁ、このクレオパトラがどうローマの歴史にからんでくるのか! ていうか、来月のうちにクレオパトラまでいけんのか?
続きはまた11月に! ついてきてる人がいるのかどうか不安になってきましたが、こっから! こっから有名人がいっぱい出てくるから。待っててね!
今回も長くなっちゃった……ごめんなさぁ~い!!
私は午後に東京の茅場町に行って、知り合いの出ている舞台を観に行きました。劇団上田の俳優・春日井一平君の出演している『致富譚(ちぷたん)』です(作・演出 佐々木透)。
お芝居の内容もおもしろかったんだけど、その前に土地と会場がおもしろかったんだよなぁ! 日曜日の午後、昭和のオフィス街ふうの茅場町には人気がまったくありません。しかも雨がふってきた! まるで、今にもビリー=ジョエルの『ストレンジャー』のイントロがかかってきそうな街の雰囲気でした。カッコえぇ!
会場もいい感じの雑居ビルの5階でね、エレベーターなんてあるはずもない。はじめて来たビルのせまい階段をのぼってくわけですよ。聞こえるのは外を飛ぶカラスの鳴き声だけ。しみるなぁ。
今回、フリースペース「マレビト」では同じ台本で2ヴァージョンが上演され、どちらもそれぞれ違いのはっきり出たいい2本立て公演でした。女優さん3人のやつもおもしろかったんだけど、やっぱり春日井君と作・演出の佐々木さん本人が出演しているやつのほうが好きだったかな。そっちに出ていた女優のタカハシカナコさんもよかったねぇ! 今度、彼女の所属している劇団井手食堂の公演があったら必ず観に行こう。そうか~、タカハシさんは井手さんのとこの女優だったんだ。道理でイノキの物まねがうまいわけだよ! 運動神経も良さそうだったし。
さあさあ、そうこうしているうちに、今月もえんえんと続けてきた「ざっくり世界史」もいったんのラストを迎えることとなりました。いやぁ、先月のラストでの予告では「カエサルとかクレオパトラが出てくるところまでやりますよ」とか言ってたんですが……フタをあけてみれば、もう進まない進まない!
ローマ帝国が始まるの、紀元前1世紀でしょ? 今の回、まだ紀元前4世紀だもん! まだ300年あるよ……まぁ、それだけ歴史の中身には、大事なことがギュウギュウにつまってるんだということで。たぶん、来月やる予定の6回分には「帝国」が出てくると思うんだけど……
なにはともあれ、形は共和国であるものの、首都の異民族による大略奪という試練を通して、ついに領土拡大への道を歩みだすことになったローマ!
前回まではその流れをおってきたのですが、今回は視点をちょっとずらして、イタリア半島の東・ギリシア地方にいた1人の天才を話題にしてみようと思います。
紀元前4世紀、ローマ共和国による「イタリア統一」の気運がやっと生まれ始めたころ、その天才は、自身がわずか34歳(数え年)で急死するまでに、西はギリシア、東はインド、北は中央アジアのウズベキスタン、南はエジプトまでという広大な領土を有する史上最大・史上初の「世界帝国」を築き上げていました。
はるか東の中国大陸で、秦の始皇帝が帝国を築くのはそのちょい後の紀元前3世紀のこと。ちょっとの差でこっちのほうが早かった!
天才の名は、アレクサンドロス3世(紀元前356~紀元前323)。彼自身は皇帝を名乗ることはなく死ぬまで国王(兼エジプトのファラオ)だったため、「アレキサンダー大王」という通称でも超有名です。2004年には巨匠オリヴァー=ストーン監督により、3時間ものの大作としてその生涯が映画化されているのですが、私はまだ観てない!
現在、講談社のマンガ雑誌『月刊アフタヌーン』で連載されている岩明均の歴史マンガ『ヒストリエ』には少年時代のアレクサンドロスが登場しています。岩明先生はやっぱりおもしれぇなぁ! まだ政治家にもなっていない王子様なんですが、その両眼の色が違う風貌(彼は左右で眼の虹彩の色が違っている虹彩異色症だったらしい。2次元の世界では異常に重宝がられるオッドアイというやつである)もさることながら、ただのおぼっちゃまではない異才の片鱗を早くも見せ始めています。どんだけ長い作品になるのかまったく見当もつきませんが、早く続きが見たい~!
ローマでない国の話をするんですが、それは、アレクサンドロスの築き上げた覇業が、のちのローマ帝国に多大な影響を与えたんじゃないかと思うからなんです。すなわち、
「異民族がなんだ! 守る前にこっちから奴らを支配してしまえばいいのだ。地中海文明の子孫である我々にはそれができる!」という信念と、
「あと継ぎ問題はちゃんとしないとね……」という教訓です。
アレクサンドロス3世が生まれた時代、彼の父だったマケドニア王国第25代国王フィリッポス2世は、アレクサンドロスの父らしい才能を発揮して度重なる周辺ギリシア都市国家との戦争に勝利し、ギリシア地方のほとんどを統一するという偉業をなしとげます。
マケドニア王国は紀元前9世紀の末にギリシア地方の北に誕生した国でした。ギリシア世界と西アジアの接点に位置した国家であり、他のギリシア都市国家からも「正統じゃないよ、あれは。」と異端視されている国家でした。そのマケドニアががんばっちゃった!
たとえば、フィリッポス2世は軍隊の主要武器に4~6メートルもある長大な槍・サリッサを導入しました。ローマ同様に集団戦法ファランクスをもちいていたマケドニア軍にとっては、いっせいに突き出した時の攻撃力と、敵の武器の届かないリーチから攻撃することの利点がおいしい新兵器です。かなり重いけど。
ところが、そんなフィリッポス2世も敵が多かったためか、紀元前336年。47歳のまだまだこれからという時期に、何者かにそそのかされた兵士に暗殺されてしまいます(真犯人は不明。彼の正妻、つまりアレクサンドロスの実母がくわだてたという説も?)。
おかげで、わずか21歳でマケドニア王国第26代国王に即位したアレクサンドロス。しかし、ここからの彼は戸惑いの「と」の字もない嵐のような人生を送ることとなります。
まずは、父の急死によってギリシア各地で発生した反マケドニア勢力の蜂起をチャッチャと鎮圧してギリシアを統一しなおし、さっそく2年後の紀元前334年から、東の大国・アケメネス朝ペルシア帝国への遠征を開始します。
ペルシア帝国! 現在のイランを本拠地としていた超大国です。ギリシア・ローマが地中海文明の子孫ならば、ペルシア帝国はメソポタミア文明の子孫。紀元前6世紀に誕生したこの帝国は大発展をとげ、当時はエジプトを支配するまでになっていました。
ペルシア帝国の皇帝位「シャー・アン・シャー」は、単純明快な「王の中の王」という意味。ヨーロッパの皇帝とも中国の皇帝とも違う世界から生まれた皇帝です。
そんな大帝国に青年王アレクサンドロスが挑戦状をたたきつけた! その勇気はかうが、大丈夫なのか!?
結果は……余裕で大丈夫だった。
アレクサンドロスは基本的に1万人の騎兵と3~4万人の歩兵という構成のマケドニア軍を直接指揮し、みずからも陣頭に立って、ペルシア帝国軍にバカスカ勝っていくのです。
紀元前334年の初戦「グランニコス川の会戦」では4万人の敵に勝利。紀元前333年の「イッソスの会戦」では12万人の敵に勝利。紀元前331年の「ガウガメラ平原の会戦」ではなんと、25万人の敵に大勝利! あわれペルシア帝国は、紀元前330年にあとかたもなく領土をマケドニアに飲み込まれて滅亡します。
4~5万の兵士で25万の敵に勝っちゃうんだから尋常じゃありません。アレクサンドロスの天才ぶりは、まさしくその斬新な「戦術」で発揮されました。その名も「鉄床(かなとこ)戦術」!
よかったら説明させてほしい! 「鉄床戦術」とは、両手を使って鉄をうつ鍛冶職人のように、片方の手(おとり部隊)でうつ鉄(敵軍)を鉄床の上に引き寄せて、もう片方の手(主力部隊)で鉄をガツンと叩く戦術である。
要するに陽動作戦なんですね。簡単に言うと、まず歩兵を敵にぶつけておき、敵が正面に夢中になっているあいだに足の速い騎兵を敵の後方にまわらせて挟み撃ちにするわけなんです。
こう説明するといたってシンプルなんですが、これを数万人規模の兵士で実際にやるには、相当な軍隊の練度と指揮官の統率力が必要となります。アレクサンドロスがしょっちゅう戦場に出ていたのもうなずけることです。こういうのは他人まかせにできないたちの人だったんですね。
対するペルシア軍は、人数こそ戦争のたびに増えていったものの、兵士の質やテンションは下がっていくばかりでした。寄せ集めによる必死感が哀しい……合掌。
さて、ペルシア帝国をガツンといわしたったアレクサンドロスは、ながらくペルシアに支配されていたエジプトにも喝采をもって迎えられ、紀元前332年にはファラオにまで即位しました。
アレクサンドロス大王はペルシア帝国の首都ペルセポリスを徹底的に破壊して廃墟にし、いにしえの都バビロンを新たなマケドニアの都に定めて遠征を続けます。
紀元前329~327年には中央アジア・ウズベキスタンに侵攻し、紀元前326年にはついにインダス川を越えてインド入りを果たし、ヒュダスペス河畔の会戦ではパウラヴァ王国に勝利しました。
しかし、長年の遠征にさすがのマケドニア軍もバテはじめ、インド戦線終結のメドもまったく読めなくなっていたため、大王は遠征をいったんとめることとして新都バビロンに帰還します。
ところが……こういう人は休んじゃいけなかったのか? バビロンに帰った大王は、あんなに元気だったはずなのに突如マラリアに感染してしまい、紀元前323年6月、34年の激しすぎた人生に幕を下ろします。
順風満帆だった世界初の帝国は唐突にこのカリスマを失うことになってしまったのですが、大王本人もまさかこの若さで自分がおさらばするとは考えていなかったらしく、その遺言は、
「最強の者が余の国を継承せよ……」
というものでした。
えぇ~!! なにそれ! 天下一武道会やんの? ジャンプじゃねぇんだから! 天才らしい、遺族に聞いた「リアクションに困る遺言ベスト1」の核爆弾発言でした。
しかし、さすがは天才アレクサンドロス大王の部下たち。
「やったろうじゃねぇかァ~!!」
ほんとにまに受けて大戦争をおっぱじめちゃった! これが世に言う「ディアドコイ(後継者)戦争」。常識で言うなら本来継承するはずだった、アレクサンドロスの血のつながった親族はマッチョな将軍たちの繰り広げる大戦争のあおりを食らって全滅。
結局、アレクサンドロス大王の築き上げた広大なマケドニア王国は、大王の部下だった将軍をそれぞれの国王とする3つの国に分裂してしまいました。東をおさめるマケドニアと西をおさめるシリア、そして南をおさめるエジプトです。
アレクサンドロス3世の大遠征のてんまつはこんなところなんですが、のちのち本筋のローマ帝国誕生に大きく影響してくるのが、そのうちの1つであるエジプト王国です。
アレクサンドロスが大きな信頼をよせる重臣だったプトレマイオスが創始した、ギリシア人によるエジプト王国の38代目の国王が、あの世界3大美女の1人・クレオパトラ7世その人だったのです! う~ん、小島聖。
さぁさぁ、このクレオパトラがどうローマの歴史にからんでくるのか! ていうか、来月のうちにクレオパトラまでいけんのか?
続きはまた11月に! ついてきてる人がいるのかどうか不安になってきましたが、こっから! こっから有名人がいっぱい出てくるから。待っててね!
今回も長くなっちゃった……ごめんなさぁ~い!!