長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくり世界史 第3回『アルバ・ロンガ王国』

2010年09月11日 07時12分35秒 | ざっくり世界史
 おはようございます、そうだいです。昨日は劇団の9月公演の初日だったのですが、無事に満員盛況のうちに1日目を終えることができました。昨日はそれ以外にも色々なことがめまぐるしくありまして、非常に印象深い日になりました。さて、今日のお芝居はどうなることやら!

 さてさて、今日も今日とて、ヨーロッパの「帝国」の歴史を好き放題なやり方で見ていく時間を始めますよ~! そんなことを言ってもう2回終わってるのに、まだ帝国の「て」の字も出てこない……いや、大丈夫です。確実に進んでることは進んでるから。

 紀元前13世紀中ごろ、エーゲ海地域で勃発したトロイ戦争のために滅亡してしまったトロイ王国の王族将軍・アイネイアスは、妻子を連れてイタリア半島中西部・ラティウムに亡命することに成功します。そして、そこに住んでいた民族・ラテン人の族長・ラティヌスの保護を受けることになったんですね。
 ハイ、現在ではブラジルなど中南米の熱いサンバのイメージが浮かぶようにもなった「ラテン」という言葉のおおもとは、このイタリアのラティウム地方に住む人々ということだったんですね! そして、そのラテン人たちのリーダーがラティヌス。まぁつまり「日本人のリーダーが日本太郎」みたいなもんで、ラティヌスさんはほとんど実在の人物というよりは、ラテン人の神様に近い存在のようであります。ギリシア神話のゼウス様みたいなものですかね。
 さて、トロイ国王の娘婿でもある高貴なアイネイアスはラティヌスのお気に入りとなり、本妻の他にさらにラティヌスの年ごろの娘をめとって、ラティウムのアルバーノ山地(ローマの南東)に王国を建国します。これが「アルバ・ロンガ王国」です。
 この王国を立ち上げるにあたり、アイネイアスは自分ではなく、義父のラティヌスを初代国王にかつぎあげます。さすがは堪え忍ぶ流浪の生活を送っていたアイネイアス。現地の有力者をたてるそのやり方は非常にそつがありません。郷に入っては郷に従え。
 そのうえ念の入ったことに、のちに義理のお祖父ちゃんラティヌス、苦労人の親父アイネイアスの跡を継いでアルバ・ロンガ王国の3代目国王になったトロイ王家の血を引く息子アスカニオスは、「自分よりラティヌス爺ちゃんの血を引いている弟の方が王にふさわしいよ。」と言って、素早くアイネイアスの後妻の息子である母ちがいの弟・シルウィウスに王位をゆずってしまいます。ああ、この父にしてこの子あり。アイネイアスとアスカニオス。ヨーロッパ史上に残る、空気の読める親子です。まぁ、そのあまりの欲のなさから、このあたりの歴史ウソっぽくない? と言われてもいるわけなんですが、なにしろ今から4000年以上も昔のことですから! そりゃ半分くらいは、ねぇ。
 そんなこんなで、アイネイアスとラティヌスの血を引いた国王が代々続いたアルバ・ロンガ王国だったんですが、建国からおよそ400年がたった紀元前8世紀に大事件が起こります。
 ところで、この紀元前8世紀はどんな時代だったかといいますと、中国では周王国が衰退し、『論語』の孔子先生などが活躍する春秋(しゅんじゅう)時代が始まっていました。日本はちょうど縄文時代に弥生時代がフェイドインしてきたところ。だいたい九州地方は稲作の弥生文化でそれ以外はまだ縄文文化、といったところでしょうか。
 話をアルバ・ロンガ王国に戻しまして紀元前771年、国王とその弟のあいだで壮絶な兄弟ゲンカが発生し、弟は兄貴を王座から引きずりおろして幽閉し、兄貴の血を引く男の子孫はすべて殺せという非情な命令を兵士にくだします。
 その時、敗れた兄貴王には生まれたばかりの双子の孫兄弟がいたのですが、あまりにふびんだと考えた兵士は、兄弟を直接には殺さずに、川に流してしまいます。まぁ、普通は死んじゃいますよね。
 ところがどっこい、この双子の兄弟は生き延びた! そりゃそうです、この子たちに死んでもらっては話が終わってしまいます。なぜならば、彼らこそが後のローマ建国の祖なのですから!

 あいかわらず、車だったら絶対に後ろからクラクションを鳴らされるであろう、でんでんむしのようなのんびりスピードで、以下次回へと続く!

  
コメント
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