漁業経済学者のひとりごと in 小浜

東村玲子のWebsiteはこちら → http://www.s.fpu.ac.jp/reiko/

ミャンマーの思い出 in 2023 Ver2

2023年12月27日 18時31分43秒 | Weblog
前の投稿の続き。

公費を使うと研究結果がどうのこうのとなるので
プライベート旅行にしたのですが
2週間も不在になるので学科長には報告した。

「受け入れ先はどこ?」と聞かれたので
「カナダをうろついていている時も受け入れ先なんかありませんが」
と答えておいた。
どこかの大学名を期待されているだったろうね。

私は現地に着いてからだんだん調子が悪くなり
そのうち知り合いの「濃厚接接触者」だと判明し(ミャンマー到着後)
熱,喉の痛み,鼻水等々
ネットで調べて「コロナの初期症状です」というのがてんこ盛りでした。

調査助手には
「ミャンマーの軍事政権はコロナがミャンマーからなくなった」
と言っているので病院でコロナのことを言わないように釘を刺されました,
結果的には「デング熱の恐れがあるので血液検査をします」とのこと。
それに点滴を受けた。
後で使い捨ての針でなかったことに気がつき,
うわぁとなったけれど仕方がない。

私はホテルで動けなかったので調査助手が血液検査の結果を聞きに行った際に
彼女は自分のことをコロナと思っているのですがどうですか?と聞いてくました。
医師には「コロナだろうとなかろうと検査薬もないし治療薬もない
    この話には意味がない」と言われたそうだ。

これが軍事政権…と思いつつホテルで2日間寝込んだら元気になったので
結局コロナだったのかどうか分からない。
解熱,頭痛止め,咳止め,等々多くの薬を飲んだ。

もしかしたら医師はコロナと分かっていたかもねー。
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ミャンマーの思い出 in 2023

2023年12月27日 00時26分43秒 | Weblog
お久しぶりです。
2023年も残りわずかとなりました。
今年の一番の思い出はミャンマーに行ったことです。
8月18日から30日(31日関空着)の旅程でした。

毎年1度は海外に行くのを恒例行事としているのですが
コロナで出来ず…
ようやく外国へ行けそうなので考えたところ
最も行きたいのがミャンマーでした。

加藤先生に聞いたり,別の知り合いに聞いたり,ネット記事を読んだりして
「あれ?行けるんではないかしら?」と思ったのが始まりです。
外務省のホームページでは「不要不急の渡航禁止」とありましたが。
軍事政権が完全に制圧し,民事政権は逆にグループが分かれてしまって
ある意味安定しているというか…

そこでこれまでお世話になった調査助手に
ミャンマーに行きたいけれど大丈夫か?とメッセンジャーを送ると
「危険だけだけれど大丈夫」という謎の返事が来ました。
そしてすぐにメッセンジャー経由で電話が来ました。
よし!行く!
けれど外務省の件もあるので夏期休暇とたまっていた代休と有給を使い
費用は完全私費でプライベート旅行として行きました。

今日は現地で会った印象的な女性2人の話を。

1人目は調査助手。今回は完全に観光ガイドの仕事をしてもらいました。
(調査がままならなかったから)
彼女は「明るい時代=民政下」では1日100米ドル~150米ドル稼ぐ
敏腕通訳・ガイドでした。
今は観光客がさっぱり来ないので日本への出稼ぎを考えているとのこと。
具体的な仕事として「ホテルの仕事」と言っていました。
たぶん,清掃・ベッドメーキングでしょうね。
何とも言えない気分になりましたが
お友達価格で1日100ドルにしてくれたので
「円安で死にそうなんですけど…」と思いながら
彼女が通訳するようなことがほとんどない日も通訳料を支払いました。

8月18日から30日まで一緒にいたのでケンカもしました。
共に喜ぶこともありました。
私はインレー湖という人々が湖の上に家を建てて生活しているところへ
どうしても行きたかったのでお願いしました。
インレー湖の周りには紛争地域もかなりあって
彼女は正直行きたくなかったみたいです。
でもあらゆるコネを使って情報を収集して連れて行ってくれました。
「○○さんが軍の偉い人と知り合いだから聞いてみる」とか言っていました。
彼女は民政派でしたが生きていくためには軍の情報も必要なのか…と思いました。

また私がコロナだろうなと思いつつも病院に行った時にも
私より速い日本語でまくし立てながら対応してくれました。
(この話は,また別の機会に)

もう1人の女性。
前2回の水産会社訪問の際に対応してくれた女性です。
残念ながら水産会社を退職していたので会えないと思っていたのですが
名刺に書いてあるメールアドレスが個人のものじゃないかと思い
私と調査助手と両方とで連絡を取ったところ会うことが出来ました。

今は新しいチョコレートのブランドを立ち上げて
この12月が勝負と頑張っているはずです。
もう1つ友人のビジネスにも投資しているとのこと。
こんな無茶苦茶な政権下でも勝負に打って出ている人もいるんだと
私にはとても印象的でした。
彼女は英語が話せるので英語で彼女のチョコレートのブランドのコンセプトを
聞いたりもしました。
彼女が自分の商売で成功することを心から祈っています。

他にも色々と懐かしい話もあるので近々アップします。
今日はこのあたりで終わり。
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英語を話すとは?

2021年07月11日 14時27分48秒 | Weblog
先ほどネット記事で「日本人が英語を話せない理由」とか
そんな感じのものを読んだので私なりの見解を書いてみます。

私自身は英語で聞き取り調査をするくらいの英語力があります。
妹の1人は英語で仕事をしているのでペラペラです。
別の妹もそれなりに話します。

この理由の1つに,
母の方針で積極的にホームステイを受け入れていたことがあります。
まあまあ話すことが出来れば何とかなるという認識はあります。
ただ,ペラペラの妹と私が常々言っているのは
中学校で習う英語を完璧にこなせれば話すには問題ないということです。
しかもブロークンではなく,
文法もきちんとした英語ですね。

性格というか文化の違いもありますね。
韓国に学会関係者で行った時のことです。
レストランで一応の英語メニューがあったので
大学生くらいの係の人に「これにはご飯が付くか?」とか聞きました。
他の係(同じく大学生くらい2~3人)で対応を苦慮していましたが
結局,英語での回答はありませんでした。

香港に遊びに行った時にホテルの前に
食堂というより麺類が食べられる店という
そんな適当なお店があったのですが
「English OK」と手書きで書いてあったので行きました。
私がきちんとした英語(自称)で話すと通じず
麺は3種類の中から手差しで選ぶという方式。
ベジタブル?と言われたので,イエス!と言うと
よく分からないながらも菜っ葉が入って来ました。

横道にそれますが「菜っ葉」というのは大阪にのみ存在する野菜です。
他の地域の人に「何の野菜?」と聞かれても
「菜っ葉は菜っ葉だけれど?」という感じです。

ホームステイでアメリカ人の女の子を受け入れることになったときに
明治生まれの祖母に良いかどうか聞くと(祖母は同居)
「アメリカは敵国だったけれど今はもう良いわ」と言っていました。

母はハワイで1人で洋服を買いに行き
「fitting OK ?」と言って堂々と楽しんでいました。

私の特技は英語が話せるというより
英語でどうでも良い雑談を繰り広げることです。
日本での名刺の作法とか
(カナダ人が私の名刺情報をスマホに入れて目の前で捨てたこととか)
日本のような小さい国でも関西と関東ですごく文化が違うこととか
色々とネタがあります。

前回の英会話ではサーモン養殖についてあれこれ聞かれて
ご当地サーモン,ふくいサーモン
果てはノルウェー産やチリ産の現地状況など
30分以上は話していました。

前にネットで読みましたが
中国を旅行していた大学生が現地の男性お年寄りから
「日本では中国について何か教えているのか?(教えていないだろう?)」
と聞かれたとかで
中学校で習うレベルの漢詩を書いてみせたら驚かれたそうです。

私も中国で「切手」とか「手紙」とかが
日本語と中国語で意味が完全に違う話をして盛り上がりました。
(切手は手を切る,手紙はトイレットペーパー)

中国と韓国から大学に研究者が来た時には
論語をそれぞれ書いて楽しみました。

日本の義務教育のレベルは高いので
きちんと習得すると普通に海外でも生きていけます。
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自由のための戦い

2021年06月19日 01時50分14秒 | Weblog
先日,家族のグループラインに
「母は自由のために戦っています」
というメッセージが流れて来ました。

なんだ,なんだ,フランス革命でも起こっているのか
と思ったら2回目のワクチンの後の発熱でした。
あまり高熱ではなく,数日で治まった様です。

母は「これで若い人が動けるならば」と考えて受けたらしいので
精神的には「フランス革命」でしょう。

私は次の金曜日に大学が会場になったワクチンを受けます。
ぜんそく持ちで当日の夜に高校生向けの講義(zoom)の予定が入っているので
心配しましたが
母に「大丈夫ー副反応は翌日以降だから」と言われました。
私自身もカナダの超田舎の空港でぜんそく発作を起こして
救急車を呼ばれながらも日本まで24時間かけて生還したので何とかなると
自分で自分を励ましています。

福井県は人口に対する感染者数が少なく
最小で都道府県第2位も記録したので切迫感があまりないのかなと感じます。
毎日,この人口あたりの感染者数をチェックしているのですが…

人口密度が低い「田舎」が少ないのは当然ですが
さらに人々の移動が少ない県で感染者数も少ない傾向があるのが
よく分かります。
福井県も嶺北(福井市のあたり)に感染者は偏っていて
嶺南(小浜市のあたり)はあまり感染者はいません。

鳥取は0人をここ数日保っており,最強ですね。
そもそも1つ県に2つの空港ってずるいですよね。
でも,それだけ広くもあり,人口の移動も少ないのだと思って見ています。

「鳥取コナン空港」は知っていましたが,
もう1つが「米子鬼太郎空港」と昨日知って
くにょん,となりました。

福井県の観光案内か何かのパンフレットに
「日本中のどこからも近い!」と書いてありましたが
最寄りの空港が,小松空港,伊丹空港,セントレア空港
というのは「日本全国どこからも遠い」ではないかと思いました。
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ミャンマーへ愛を込めて

2021年06月06日 01時15分12秒 | Weblog
ネットのニュースしか分かりませんが
ミャンマーは内戦状態の感じがします。

とてもとても気になったので
調査助手を務めてくれた人に
messengerを送ると
元気です,心配しないで
という返事が来ました。
それが2月です。
お正月にはお互いに「明けましておめでとう」メッセージを
交換したので
実際にはどうよと思っていました。
彼女の家はマンダレーというヤンゴンとは離れた場所なので
あまり影響がないかもとか思って。

しばらくしてヤンゴンでお世話になった
超絶美人の加工場管理者の人はどうしているか気になって。

英会話の先生にみてもらって検閲に引っかからないような短いメッセージを
送ってみました。
3時間後にお返事をくれました。
私は元気です。あなたどうですか?
お互いに長らく連絡していなかったですね。
また会いましょう。という感じ。
とりあえず元気なのねと安心しました。

以前書いた通り
戦争中の人は戦後のことをどう思っているか
については意外と日常生活を送っているのかもしれなと思いました。
早くまたミャンマーに調査に行きたいですね。

色々と魅力的な国ですので。
思い出を話すと講義90分話せますよ。
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小浜に春はないよ

2021年06月05日 13時50分48秒 | Weblog
数日前までストープをつけて
電気毛布にも頼っていたのに
一気に暖かくなりました。

先週火曜日の出張はジャケットを着て行ったのに
木曜日はジャケットなんか暑くて着ていられませんでした。
だから小浜は「春の洋服」というのが必要ないのです。

私がこの話をしていると
母が「毎年,その話を聞いているけど?」と言っていました。

ちなみに出張先は火曜日が敦賀,木曜日は福井県庁です。
学生の卒論のための聞き取り調査について行きました。

小浜の人は福井県庁あたりへ出張に行く時に
「福井に出張に行く」と言います。
同じ福井県でも,そんな感じです。

今週は遠隔講義でしたが
来週からリアル講義です。
実は感染者数の関係で1週間だけリアル講義をしましたが,
90分たちっぱなしで4回(同じ内容)の講義をした時は
ものすごく体力を消耗しました。

教員業が長いので比較的立って話をするのが癖なんですが
終わった後はしばらく動けませんでした。

今年の卒論はふくいサーモンとサワラについてが決まっています。
もっと具体的にどうするかはこれからですね。

あまりリアルで話をする機会がなくなって
自分の中では半分くらい英語で話している感じですが…

偉い先生からふぐの食文化と流通について書かれた著書を頂いたので
その話を英会話の先生にしていました。
加藤先生から「その能力を何かにいかせないのか?」と言われまして
英語で調査をしている旨を伝えると
そういうのではなくって…ということで
「まあ,調査中の雑談にはことかきませんけど…」
と言うとその能力だそうです。

大学院の時の助教授に
「東村を見ていると日本の義務教育のレベルの高さがわかる」
と言われておりました。
当時は義務教育で習ったことは,ほぼ100%覚えていたので
(今はだめですよ)
日本古語と漢詩は読める,
日本古来の言い回しはわかる(船頭多くして船山に登るとか)
季節折々の星座は見てわかる
とか,そういう感じですね。
「お前は知識はあるけど教養はない」と言われていましたが。
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卒業生の思い出

2021年05月03日 18時42分45秒 | Weblog
既に5月になってしまいましたが,
3月に卒業していった学生との楽しい思い出を
書いておきたいと思います。

男子学生3名の卒業論文を指導しました。
テーマは,卒業論文発表会の発表順に
Aくん「未利用魚の販売戦略」
Bくん「越前町の漁業の問題と漁業者の認識」
Cくん「電子商取引による水産物の流通チャネルの拡大」

コロナがなかったら,もっと楽しかっただろうなと思いますが,
ZOOMを使ったゼミでも相当楽しめました。

通常のゼミでも,ある学生の指導をしている時に
他の学生は黙って座っていることが多いのです。
でも,今回は全員がミュートをかけない状況なので
話し声がかぶることもしばしば。
Aくんは特に他の学生に「ねぇ?どう思う」と聞いていました。

Cくんは物静かな感じですが,
本を読むのが得意ということでフィリップ・コトラーを読んで
研究に活かしてもらいました。
ご飯も一緒に行ったし(他の学生は時間がないので付き合ってもらいました)。

ZOOMでゼミを行った当初は私もやり方がうまくわからなくて
Cくんのレジュメに熱くコメントしていたら
Aくんが「先生!Cくんがいません!」ということで
もう一回ZOOMに復帰してもらって「どこまで聞いていた?」と聞くと
「なかなか,良い感じのところでした!」と言われました。

Bくんは,いきなり「納豆に何をかけて食べる?」という話題を持ち出し
それが何か卒論に関係あるのだろうか…と思っていると
特に関係がないのにも関わらず盛り上がっていました。

後半になるとリアルゼミをすることも可能になって
彼らのはしゃぎっぷりを見ていると
やはりZOOMよりもリアルゼミだなと思っていました。

卒業論文発表会は,発表者よりも司会をしている私が緊張しているのですが
無事にみんなきちんと質疑応答もこなし
卒業していきました。

この間に私はスマホデビューをしました。
全く使えないし,周りはiphoneだったので困っていたら
まえにAndoroidを使っていた学生が色々教えてくれました。
そして勝手に「チーム東村Higashimura」という
私が指導している学生のグループラインを作ってくれました。
確かに業務連絡には便利でしたね。
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2021年の始まり

2021年01月08日 00時37分07秒 | Weblog
1月7日が終わってしまったので
明けましておめでとうを書く機会を逸してしまいました。

年末に愛用のノートパソコンをこわしてしまい
サブで使っているSurfaceは最小限の打ち込みしかしたくないので…
(打ち込むのが面倒くさいからです)
まあ,最近は更新がおろそかになっておりますが。

年末に秋田県の新聞社からハタハタの漁業管理について取材を受けました。
一昨年も取材を受けたのですが違う記者さんでした。
あまりというか,全然,ハタハタの漁業管理に詳しくはないのですが
取材内容が明確でしたので一応何とか対応できました。
少々,ズワイガニ以外への応用力も付いたかな?と。

そして,たった今は卒業論文の添削です。
年末に提出してもらったのですが
色々あって現在2人が終わり,あと1人分です。
学生も大変なのですから,私も頑張らないと。

最近,考えていることは
「第二次世界大戦中に人々は戦後にどうなるか考えていただろうか?」
ということです。
コロナのことだけではなく,今の私の置かれている状況のこともあり,
そんなことをつらつら思っています。
私自身にとっては「考えていただろうか」自体が問いなので,
「どういうことを考えていたか」ということまでは行き着いていないのですよ。

どうなんでしょうね。



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最初で最後のリアルゼミ

2020年12月17日 16時45分19秒 | Weblog
先週の木曜日(12月10日)は
私の研究室の学生5名が全員揃う
最初で最後のリアルゼミでした。
もちろん新型コロナウイルス感染症のためです。

私の研究室には5名の4先生がいますが
4月~5月に既に指導教員ごとのゼミに分かれていました。
私の担当学生3名は,これの少し前にリアルで1度集まっています。
その時は,みんな元気で
3時間のゼミのうち1時間くらいは雑談していました。

学生に「先生!僕のスマホケース良いでしょ?」と聞かれました。
私は最近5年半くらい使ったガラケーが壊れて
スマホに変えたのですが全く使いこなせず
学生に色々と教えてもらいました。

卒業アルバムも今年は作ることができないらしく
研究室の写真も事務官に撮ってもらいました。

このブログでアンケートをお願いした学生は
未利用魚をテーマにしているのですが
「未利用魚って君にとってなんなの?
 未利用魚を何とかしたいの?未利用魚で何とかしたいの?」と聞くと
「未利用魚を」です「で」ではないです,と。
さらに問い詰めましたところ,次回までに紙に書いて考えてきますとのこと。

私はこの「問い詰め方式」を割とよくやります。
20分くらい問い詰めます。
(優しくするか,ガンガン言うかは学生によって変えますが)

今年の4年生は特に元気というか,
よく話す学生が多かったのでゼミをとても楽しみにしていたかったので
私も楽しみにしていたのですが
結局,全員揃うのは1回だけでした。

私の担当学生はあと1回だけ,
学生が大学に来て良い日のうちに(1月に入ると大学に来られないので)
集まってゼミをやる予定です。

もちろん学生が一番の被害者なのですが,
私もとてもがっかりしていました。
卒業論文自体もうまく行かなかったですし。
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ズワイガニな日々

2020年12月05日 03時40分08秒 | Weblog
お久しぶりです。
この間,特に大したこともしておらず
なんとなくブログの更新をサボっておりました。
大学が「不要不急の出張」を禁じていたのもあり…

まず,8月27日と28日に神戸で開催された
ズワイガニ(日本海A海域,同B海域,太平洋北部海域)の
資源管理の検討会に出席してきました。
ただ,業界誌の記者以外には5名くらいしか
参加者がいなくて。
ポイントはB海域の資源評価をどうするか,という点でした。

さらに同じ会議の2回目が鳥取市で行われたので
10月28日~30日まで行ってきました。
会議自体は29日でしたが,車で7時間くらいかけて行くので。
(結構途中で休みます。でも道は覚えた)

今回は,兵庫県と鳥取県でお世話になっている漁業者さんも出席。
「おう!久しぶり!」とか「俺のことおぼとるか?」などと
声をかけてもらって気分良かったです。
休み時間に少しコメントももらいました。

私がMSYは資源管理の指標であって,目的ではない。
あくまでも漁業者がどのような漁業を実現したいかという視点が大切。
というようなことを発言したのが業界誌に載りました。

実際,日本海A海域は資源状態が非常に良好という結果が出ているので
MSYより低く獲っていても問題はないのです。
他にも「あの資源評価は底曳網の現状を反映していない」という声もありました。

さて,最後に学生を連れて「食品流通調査演習」の一環として
11月28日に越前町漁業協同組合にお邪魔しました。
あいにく天候が悪くてズワイガニのセリはなかったのですが
ビデオを見せて頂いたり,色々なお話を伺えたので
私の方は大満足でした。
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