『コーヒー&シガレッツ』。

2005-06-26 16:45:03 | ■だらだら。
眠っちゃいましたよだって眠り病なんだもんだけど目覚めてるときはノリノリ&にまにまだぜ~あたしにも好きなものあったじゃんねなのでしてねちゃったくせにとっくに買うのをやめちゃってたプログラムってものに800円も出しちゃったんですが唯一監督オムニバス内の一作を除いてジャームッシュ作品はすべて見ていることを確認できましてかなり昔の他監督『スモーク』で最後の1本なんて言ってたからきっと自分は禁煙禁カフェインでこそこんなのつくるあんたなんですよねみたいなそれでひっぷほっぷの大御所はイマもやはりYOYOYOYOなんて言っているわけなんですね。
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きょうの朝刊から。

2005-06-25 08:55:23 | ・本・記事。
イタリーにおきましては、クールビズ於ジャポン、そのまんまビーチに行けるねとか、トーキョーで漁師のかっこしてどうするんだとか言われてるそうです。

イタリーのおしゃれの基本は、アイロンだそうです。これはあたしにはものすごくショッキングでした。押し隠していたものを眼前に突きつけられたような。そうです、おしゃれとは、ぐうたらの反語……ぅぅぅぅぅぅぅ。
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ぐぁぁぁ。

2005-06-23 12:50:51 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
樹海に迷い込みたい。  おっくうだからとらんすぽーとおねがい。
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朝日に少し驚く。

2005-06-21 08:17:53 | ・ことばの尻尾踏み。
盧大統領が「過去の戦争を自慢したり栄光に思ったりするような展示があると聞く」と言っているのに対して、例によって答えにならない答えをしている小泉。その解説として、面倒だが引用──「戦後の平和国家・日本を見てほしい、と首相はこの日も繰り返した。韓国はかつて金大中大統領らが、戦後日本を高く評価している。今は日本から懸命に訴えなければならなくなった。」これ、地文だよ、一時、自民党議員から毛嫌いされていた朝日系の。

今まで、周りに惑わされず(意に介さず)主張を通す日本人は、吠えるナショナリストだった。彼の支持率が悪くないのは、真摯な対話の中でオシリカユイとでもいうような、国際的がどうのという以前のお行儀悪さが、日本人の自信のない全ウツ傾向のメンタリティーに勇気を与えるのだろうか。
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あさのぶんのけん。

2005-06-20 17:30:51 | ■だらだら。
ねんのため書いておきます。蛙(みえますか)の絵は、じつは友禅図案集の中の1点をトレースしてアレンジしたものです。

きょうの写真モドキはNHK敦煌で出てきた大笑いの大仏さんです。

ついでに書けば、歌手は敦煌の古歌を歌いました。世の中でいちばん恨むものは兵隊へ行くことだ。どこの国に限らず士農未分離の時代にはジェンダーもナンもあったもんじゃなかったでしょうね。
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『anego』その3。

2005-06-15 22:59:41 | ■だらだら。
10時20分から見ました。好きなどらまは、登場人物というより、誤解してその俳優を好きになるよね。たまに途中から見てるだけなのに、みんな好きになったね。
その大小にかかわらず、展開や台詞に裏切りがなければおもしろくない。おもしろいソンナノアリカヨは、都合の悪いソンナノアリカヨが許せる。

林真理子、買ったのは1冊のみ、大昔の『ルンルンを買っておうちに帰ろう』。あと文春のエッセイしか読んだことない。う~ん、      でもやっぱ小説は読まないかな。
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『エンジン』その3。ちょいとちょいとな。

2005-06-13 22:23:50 | ■だらだら。
考えてみると、瑠璃の島、ファイト!、あいくるしい、そしてこれです。こどもどらまだらけです。全編見ているわけではありませんし、どれも、ぼおおおっとつき合いで眺めてて、ふと気がついてちょいとびっくりです。

それにしても、ちょいとステロタイプな設定をあえて選んだ脚本を盛り下げるのにキムタクはぴったりですね。こどもたちに援けられてがんばるほどに影薄。



イラン・イラク戦争の話ってえとちょいと古いでしょうか、親を亡くしたこどもたちの多くが、じぶんが悪い子だったからお母さんがお父さんが死んだと言うのだそうです。それは宗教にかかわらず、ということでした。こどもだから、ということでした。
こどもはしゃかいのたからだとおもいます。格別しあわせでなくてもいい、ふつうに──千差万別のふつうに。(ハナシになりませんね……)
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書き捨て吐き出し。

2005-06-13 11:58:06 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
好きなひとは何人もいる。なんとなくだいじに思っているという人ね。まず、じぶんからは誘えない。たまには誘ってくれる。拒否されているわけではないのだと安心するが、んじゃ行くね、という即応感情は生まれない。あたしとの時間を過ごさせるのが申しわけないからである。

ほんとうに残念なのだが、あたしはばかである。去年ラストから出社が減り、半年過ぎた今年は、う~ん、どう考えても1回しか出社してないな。担当のKさんとの連絡は電話とメールで、交わす言葉は、あたしの言い訳やお詫び、先方からはきっかり用件のみだ。Kさんも、好きなひとのひとりだ。最近いちばん会うというのも、せいぜい月二、三度というひとタチで、その中であたしは、たまにくちをきけばずれずれでしらけさせるか10倍の反論を受けてちいさくなるという、ほぼ沈黙に近い存在の仕方だ。ほんとうに、ばかは困るのだが、あきらめるよりほかはない。


チッチッ、だめね、そんなネガティブな考え方は。
あたし以外のみんながおりこうばっかりってことだ。なんてステキなんだ!


少なくとも母に抱かれたりおぶられ(方言か?)たりした記憶は、一切ない。擁護、弁解のために消したのだろうか。

教育資金を出してもらった。それだけですごいことなんだよと、あたしの好きだったあるオトナは言った。優しくしてもらったことなど一度もない、などと言い出しかねない感覚こそ、あたしの嫌らしさそのものだ。

個体を守るために都合の悪い記憶は自律的に隠れるというが、中途半端なものは残る。私が中一のころの“田舎”で大学といえば、早慶を初めとする私立は後から出てくる候補だった。結構生徒に慕われていた担任の周りに10人以上が固まって雑談する中、突然のように彼はみんなの前で私に「おまえなあ、そのまんまだったら駅弁大学どまりだぞ。一期校に行くつもりなら少しまじめに取り組まなきゃ」と言った。何言ってんのよあたしはおかあさんのために東大に行くに決まってるじゃんとそのとき思った。そんなことを思ったのは、そのときだけで、思い出せば首を傾げる。

あたしだけがおかあさんのことをわかってあげられる、と思っていた。その母は、自分があたしをごみ箱もしくは“御不浄”としていたことなど自覚していないし、それがゆえに前述のような思いを私に生じせしめていたことなど鼻笑い以前の話で。なぜあなたはそれがわからないのかと……。それでもあたしは犬のように母を追いかけた。「おかあさんのために」と「おかあさんのオカゲで」はたやすく入れかわる。あたしは中3で就職組として職場見学に行き、スタンドプレーという視線を教師と級友から浴び、挙げ句、県立で最低の偏差値の高校に進み、そこを落ちた子の友人から強く批判された。かつサボった。確かに、母親に対するスタンドプレーだったが、彼女の前で当のスタンドプレーとしての意味を消すような言動をしたのは、あたし自身だった。そしてその後再び無目的に中途半端な進学をするのである。


そういうくだらない意識はこれまでの、重大な選択、の中で常に自分を見失わせてきた。



昨夜マザコンという言葉を自分で使ってしまい、それに囚われた。号泣の端緒もしくは暴発で目覚める、母に関する夢をシジュウ代初めに見なくなったことと引き換えられたものがあたしの現状だというのはYさんに言われるまでもない。しかしそれは意図したことではない。ゲンキになって、またあんな夢を見たいとも思わないし、言ってみれば、現状、どうでもいい。

先日、切れていたと思っていたパスポートがまだ生きていることが判明したが、行きたいという欲望も薄れているいま、あまり意味はなく、またくだらないことに、外国へ行っている間に母親に何かあったらどうするという米粒ほどの意識が嗤っている。

あたしは、予想外に長生きし、日々それを更新していくのをガラス越しに眺めている。
エネルギーは、愛は、生は、ポジティブなすべてのものは仲よく微笑んでいる。別に、拒否されているわけではない。
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柿の実、がんばれ。

2005-06-12 19:40:10 | ・ことばの尻尾踏み。
季節。木々草花が葉を生い繁らせ覇を競う。
力の声を
押し殺し
地面の深みより水を吸い上げ続ける。
いまじねーしょんの魔境は湿った風に揺らがずかつ取り込み、人工の壁という壁地表という地表を覆い尽くし、静止した空に
唯対置する。
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『家族という舟の旅』。

2005-06-11 23:06:32 | ■だらだら。
きょうは、あたしが司会もどきをしている、月1回開催のYさんの会(これ声出して読むとカイカイワイカイ)でした。

Yさん著作テキストから引用文中心にちょびっと無断転載。

『「会社員の夫と、専業主婦の妻、そして二人の子ども」というのが、現在の日本の国の家族のイメージになっているように思います。……知らず知らずのうちに誰かが作ったイメージに取り込まれ、そのイメージに沿った生き方がすばらしく、また平均的であり、しまいにはそれが「人の道である」ような気がしてきます。
……
建築家の山本理顕さんは住宅についての論文をたくさん発表していますが、その中でも現代の家族についての文章は秀逸です。
「今私たちが持っている家族という単位は、社会的な単位としてはあまりにも小さすぎるようなのである。ひとつの単位としての役割を既に果たせないほどに小さいのだと思う。それでも、この小さな単位にあらゆる負担がかかるように、今の社会システムはできているように思う。……もしシステムに不備があったとしたら、この不備をこの最小単位のところで調整するようにできているのである。だから、家族が社会の最小単位としての役割を果たせなくなっているのだとしたら、それは、社会の側のシステムの不備を調整することがもはやできないということなのである。」
……
「どんな人でも、家の中では有名人なんです。赤ん坊として生まれて、名前をつけられて、有名な人なんですよ。大変に有名です。家の中で無名な人っていないです。それは、大変な満足感を与えるんです。……そのときの「有名」が自分にとって大切なもので、この財産は大切にしようと思うことが重大なんじゃないですか。最後は、お互いに見知らぬ人になり……やがて物になる。人でさえない。そのことを覚悟すればいいんです。」(鶴見俊輔)』

さて、二次会の喫茶店での個人的な新知識。

理想的な子づくり、『一姫二太郎』って言葉、長女1人+長男+次男だと思っていたのは、あたしだけざんすか? 正解は、「1番目が女の子で、2番目が男の子」です。
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