37歳と障害。

2006-09-26 23:09:36 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
タジマヨウコもヨシナガサユリもこどもとしての呪縛から解放されたのは50歳を過ぎてからだそうだ。伝聞形未確認。

永遠のこどもとリスペクトを集める清志郎の録画ドキュメントを見ていい気持ちになって巻き戻すあいだ、奈良の女児殺害事件の判決が報じられるなかで震撼とさせられるものがあった。

極刑は妥当だろう。

しかし、37歳じゃ更正できっこないという文言を公に残すのはいかがなものか。人格障害も言われている。畠山鈴香の死刑も確定か。




「らりるれろ。」は。 こどものころエリちゃんは風邪をひくとすぐわかった。真新しいガーゼを首に巻いていた。ガーゼの中身を聞いたのは中学生のころで、古手拭いで真似実践したのは、きのうからのこと。のどに赤いあざができている。今夜も巻いて寝る。

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【またまた追記】

上の日記を或るコミュニティーで書いたら、
皆さん(て3名様だけなのでありますが)のレスが
「何言うてけつかるねんあの悪魔を庇うて」の優しい口調でした。

それに対するramen'sおへんじ(なさけなー)

一部の写真だけでもそれはわかる気はします。S様ほど感じないのは、私があまり写真もテレビ映像も見ていないせいかもしれません。

顔はなあ……。たしかに顔は、人格もあらわすかもしれませんが、顔を言われると泣(鳴)きたくなるほうなのです。


Yさんこんばんは。
ほんとうに、遺族にとっては、殺しても殺し足りないようなものかと思います。

性犯罪は繰り返すもの、ということをきっぱりと出すなら出すでよろしいのです。
私が多くの報道をチェックしないまま書くのがよろしくないのですが、
そういうことならそういうことを言うべきで、言わずに、「年齢を考えると更正は」というような報道をさせる判決だったと受けとめた日記です。



何だかどきどきしてきてしまいました。匿名慣れしてつまらんこと言うてしもたという逃げ根性は、いまさらであります。

Kさんこんばんは。
オオクボキヨシのころから、そういうことは言われてきたものです。
お気の毒です。



最近の空気がキライなのです。いつも何かはき違えが少しあるのを空気がごまかしてしまう。
議論もできないくせにやはり最後っ屁をたれてしまう。ほんとうに懲りないやつだが。

刑罰って何だろう。
悲惨なことが二度と起こらないようにすることだろう。

もし復讐ということなら、もっと陰惨なことでもしてやりゃあいいじゃないかと思ってしまう。


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【そのうえ追記/数日後です。】

上の文章を読み返さずに、重ねて印象として。

もとの部分をミクシィで書いたわけだが、それ以前にも私の僻目的文章をとりあえずは読んでいてくれた人たちの、それらは反応である。
私はその刑罰にモンクヲタレたわけではない。
そんなの不当だ、小林薫がカワイソウだと言ったわけではない。

その旨返信したつもりのことについても 
やはり、私にとってはずれたコメントをいただいた。

ほじくりかえすほどの熱意を持って書いたものではなく、
これ以上、コメント(をしてクダサッタかた)への反論のようなことを書いても、いいことはない、
という私であった。


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らりるれろ。

2006-09-25 14:01:19 | ■だらだら。

私のファーストネームの一文字はヒロイと読めることもあり、フリーメールアドレスにはhiroの文字が入っている。姪のクミコさんがちいさいころ、かわいい女の子の絵を描いてそこに「miku」と書いていたのに似ているかもしれない(嗤)。

くだんのHちゃんのファーストネームはレイコで、顎の線を常々気にしていたが、つまりほかの部分はオーケーということで。北原ミレイが綺麗なひとだったかどうか顔が浮かばないが、クラプトンが歌わないレイラだって綺麗な人だろう。デ・ラ・リンダは文字どおりあとからとってつけたものだから、ちょっとおそかったかぽん・で・ら・りんだ。

エリコちゃんは声も細くやさしく、言うことは大胆で成績優秀スポーツ万能、外国語大学を出て間もなく嫁いで間もなく追い出されたあと地元青年会主催のダンスパーティーで遭った先のことは尋ねもせず訪ねられもせず。髪形を変えて銘仙でも着せれば竹久夢二が描きそうな色の白い細いひとであるのは今も変わりなかろうと。

ヒロコちゃんは、常に紗がかかった女優の写真のように私には映る母と都会的な風貌で○○弁を操る人気の医者である父の両方を受け継いで、幼稚園のときも、最後にまみえた海辺でも、白百合にいると言われたころ国会図書館でその姿を認めた私が声をかけられなかったときも、ほとんど変わらないイメージのしっかりした感じの美人だ。

リョウコちゃんはクラスは一緒になったことはないが小中学校の同級生で、ひとを持ち上げるのが上手なコだった。頬のちょうどよいところにちょうどよい赤みがさしていて、きいちのぬり絵の女の子の顔を小さくして体を細くしたようで、遊廓にでもいたら売れっ子だったろうと思わせる風情があった。

私のらりるれろ神話をつくっているひとを並べるとからだが冷えてきそうなので、やめておく。

ウチのほうにネギしょったカモは来てくれず、ネギは包んで首に巻く。賞味期限の納豆がある。納豆はいただくがあまり好きではない。きょうは卵もない。最初に納豆だけをかき回すときに味噌を入れてみた。大2/3。それからネギの粗みじんも混ぜ入れた。結構いける。効くかなって巻いた手拭いを首に押さえつけてもタバコすってりゃ悪化の一途か。


コメント (3)
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暗いハレ。

2006-09-23 00:48:28 | ・おもに音楽。
「○○サン(つれ)がお祭り見たいらしいんだけど、
 23日泊まるとこ……ないよね?」
とおそるおそる聞きますと間髪おかず返ったのが

     「ないねえ」


だったというのは昨年の今ごろの話です。ナノデ、ことしも日帰り数時間滞在です。じつはそのつもりはなかったために月初めに墓参りに行ったのですが、2ちゃんねるのさる掲示板を見たら行くことになってしまったというおっちょこちょいです。そんな忙しいのにマチやりんけってくるもんがあんもんで!とおっかさんに言われながらマチやりに飛行機や新幹線でけってくもんがいまもひとりふたりはいるらしいのを知れば心動きます。



アメリカ合衆国が成立したのが18世紀後半、その前からいたアフリカンアメリカン一世が17世紀後半あたりか。てきとーすぎますね。ブルースに関する文章を読むと、意外にその歴史は浅いのだ、考えてみれば驚くには当たらない、とは思うわけですが。

2003年がブルース発見百周年だったそうな。明治百年てのはずいぶんむかしだったと思いますが。ことしになって見たロック50年とかいう特別番組は、それを語る人自体とともにあった時代が中心で、それはまあ確かに「歴史」でありまして、だから、というか、その歴史の向こうにある、ロックの要素であるブルース(ワークソング)の源流を、もともとが遥かに時代を遡るかのような自分の中にあるイメージ以上に遠い過去に追いやってくれるような。


以前、山梨とか長野あたりだったか、鶴瓶が来たからというので、その番組としては珍しく中年以上の世代の男のひとたちが狭い座敷に車座になっているシーンがありました。勿体と羞恥をまとって歌い出す歌が、えらく暗いというだけでなく、のるにのれないメロディー未満と言いたくなります。そこに皆が唱和し始めるとメロディーとのりが生まれる、というような驚きがありました。法被というのか半纏というのか、それを皆羽織っていましたから、祭祀にかかわるものかと思われます。

ウチノイナカの祭り歌も、それほどではないにしても、やはりマイナーな繰り返しです。くわえてそれらのコール・アンド・レスポンス的なところがワークソングと近く思われるのはややこじつけかもしれません。ワークソングというのは小さな祭り(ハレ)だろうと思います。


プランテーションなりの共同体に起源を辿るブルースは、そこからの解放に伴い継承者個々の枝葉のしげりを加速化させていったようですが、日本の農山漁村の共同体の崩壊とかがもしあったとしても、それは例えば伝聞形のようななし崩しだけで、個への遷移とか顕らかな境目はなかったということで個別の歌などは生まれようがなかったのでしょうか。ブルースは個人の祭りとして進化し、日本の祭りは共同体のものとして継承されたとか。

不幸は人それぞれ、といいます。不幸をつらさと言いかえたとき、いまどきのつらさの多くはシステムによるものでありそうで、まことにそのとおりだろうと私は思ってしまうほうです。いま日本じゅうで、伝統的祭祀の新しい継承、新たに伝統を期するもの、その場限りのものと、大小の祭りが季節を問わず生み出されています。共同体幻想は幸福感をもたらします。そもそも幸福感というのは、不幸とは逆に、似ているそうです。


ブルースと祭り歌、こじつけイメージだけでは何もまとまりません。

ますますぼんやりしてきたあたまの中の、いつぞやの昔という時代、もしかしたら喜怒哀楽は、それぞれにもう少しやさしさがあったのではないか、などというのは、ますますてきとーなイメージでしょうか。


 あえばさほどの話も無いが
     あわねば苦労で眠られぬ

 風に明かりを消させておいて
    忍び込むのは窓の月



────────

【追記】
・こじつけイメージってだけでなく、書いた時点の数ページのちょっと先には、喪失あってのブルースてなことが書いてあったりいろいろですが、とりあえず削除せずにおくのであります。


 
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高遠菜穂子さん講演。

2006-09-16 06:52:57 | ・本・記事。
内容が曖昧なぶん、タイトルをこのだらだら最初で最後の明瞭さとした。 直接的には、メディアの虚偽や勘違いを少し確認したくて出かけ、さかなのライブに行ったつもりのカンパをしてきた。

講演が始まる前に「悪魔の飽食」の歌や高遠さんを応援する歌などがあり、年齢は関係ないとよく言いわけする私だが、涙もろくなるのはやはり年齢のせいか、手垢のついたような言葉への意識の構えがたぶん若いころよりは崩れて、ひとが何をしているのか、ひとがその指で何に触れたのか、その言葉があらわすものが直接無意識にも働きかけるような。

5日前に帰国したという高遠さんは、テレビや雑誌で見るよりも精悍に締まった日灼け顔で、つんのめるように、しかし整理された喋りではあった。


録画カンブリア宮殿で緒方貞子さんを見ていたら、自分というものに拘(かかずら)わずに済むことを赦された人間はその存在だけで癒しになるのかなどと、一人二人の姿が浮かび、

いや、大宅映子が正しいことを言っていても何か居心地が悪かったりするから、それはちょっと言えないかもな、などと思ったりしたのは、それこそ見てもいないのに見てきたかのようにイメージしたことである。

日の当たるところで「現地に行かなければ絶対にわからないことがある」を実行した緒方貞子さんは「目に見える日本の誇り」である。

敵国アメリカ*に追従する日本と関係していることを知られたら困る対象について、現地にいなければ絶対にわからないニーズへの対処を、だから、目には見えづらい形で高遠さんは個人で実行し続けてきた。バッシングを屁とも思わぬ磊落さを持つようには見えない。非常に基本的な心の問題なのである。

今井の三白眼がどうとかいう文章と添付写真に、私も、そうかもねえなどと思ったオボエはある。少し検索すると、拘束当時、高名な閣僚たちが発言した、わがまま、迷惑、無謀という言葉がヒットする。

サマワ派兵とは何だったのか、私がいくらテレビニュースを見ないといっても、あれだけの国費や危険や影響に相対する具体的な成果がほとんど提示されないこととシンクロする。*


* 例によってアメリカへのアンビバレンツな感覚はある。
* いや、これもあれも含めて情報を鵜呑みにしてはいけません、とな。

──────────

以下、メモ書きですので。


高遠氏拘束以前、アジア顔は現地で歓迎されたが、米軍には歓迎されなかった。アジア顔に限らずジャーナリストたちは米軍に拘束される現実があった。

信心がないため、信心深い者にとって身近な死者を埋葬できないというのは想像するしかないが、ファルージャ掃討による6,000名以上の死者(これも公表されず?)について米軍は埋葬のために近寄る者を制したという。そのうちの、なぜか75体がイラク民間人に返された。蛆虫が無数に這い回る死体、その動画が映された。化学兵器使用が明瞭な、つまり衣服に損傷がなく、皮膚が爛れ変色し、あるいは手と重なってもう一つ手があるようにきれいに剥け落ちた皮だったりするものだった。75体以外のものはどうしたのだろう。また、劣化ウラン弾の使用を明言しないまでも、少なくとも被曝に関しては明瞭に対策が叫ばれている。

2度のファルージャ掃討においてアメリカは報道規制というよりも報道関係者はシャットアウトした。米軍によるファルージャの惨事は、海外、アラブ諸国、国内とかいうより、バグダッドへすら伝わっていなかったという。初の民主的選挙、は、私でも見出しぐらいは覚えている。その記事は、せっかくの選挙の投票率の低さを嘆く筆致だった。

その2005年1月当時当地で高遠さんが出会ったスンニ派住民は、目の前で米軍に撃たれた人を助けようとしたら、その戦車が自分に威嚇射撃をしてきたため壁に身を隠したが、助けようとしたその人を戦車が轢き潰して去るのを見たのだ、選挙に行かなかったのではなく、行けなかったことを伝えてくれと言ったという。2回のファルージャ掃討で米軍はスンニ派を力で抑えてシーア派を守り、のち、牛耳れるはずのシーア派があまりにもイラクを席巻して危機感を抱けばスンニ派への縛りを緩めてもいる。

民主的選挙を経て成立した政権下では、シーア派による、これまでに4万人を超すとも言われるスンニ派住民の殺戮が公権力のもとで公の施設の中で現在も続いており、それは米軍が復興支援と言っている、警察力を現地に移譲するという一つの仕組みによるという。あやしいやつがいたら警察へというチラシが張られている中で住民は言う「イラク警察に捕まったら、誰に助けを求めればいいのですか」。米軍の作戦は今も続けられている。

コメント (2)
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きょうは劇団もっきりや。

2006-09-10 06:39:43 | ■だらだら。


聴いても意味ないしわかんないだろうけれど高遠菜穂子さんの地元講演にも行こうとする。きょうじゃないよ。情報は一つの先入主をつくる。数が増えれば具体的なイメージ烙印が形作られる。増える情報の源が偏っているのかどうかも私にはわからない。ポジティブなら世間的にすてきだけれど、ネガティブなら私が好きだ。

何年だったかはともかく火曜日だったことは確かで、いつもならお茶から帰るとすぐに片づけを始めるのに、あのときは靴を脱ぐと真っすぐにテレビのある部屋へ行きそのまま画面に吸い寄せられた。一撃目の速報映像が繰り返される呆然の前に、その目の前でってテレビの前だが、次の一撃が突入するさまにまさに言葉を失う。

いろんな思いがすてきな活動を形づくっていく。9・11が近づくとうんざり感がと言えば日本と世界の平和主義者に白い目を向けられるだろう。木を見て森を見ない私と、森の偉さに木を赦す世界。アメリカというものをめぐっては時空の歪みを思う。
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