『まともな人』。

2005-09-30 09:06:58 | ・本・記事。
「まともには生きていけない」
でぐぐりましたら
46件もヒットしましたよ。

天声人語引用の「捕まる前は、もう、まともには生きていけないと思っていた。得たものの方が大きかった」を受けてのことです。

ざっと見ますと、
「まともには生きていけない」のは
乱暴に言えば、だめ人間もしくは破天荒人間のようです。

まともな人。
というのは、どうなんでしょう。上からいくと、
だめでもなく破天荒でもない。

日本じゅうを虫追いし妻と茶を嗜む医業系喫煙者は
まともな人の筆頭に編み物が得意な橋本治さんを挙げています。
いえ編み物のことなんて言ってませんけど。
  
ベストセラーで話題になっても養老孟司さんに興味はありませんでしたが、
まともに生きられないと思っているひとがたまたまその音声を長めに聞いたころにブックオフに安い古書新書がありました。
しゃべりと書き物がほとんどぶれない人
のようでそれは少し珍しいのかもしれません。

言葉とか文体というのは不思議ですね。例えば、
人をインスパイアする言葉は心を動かし体を動かさせるけれど
あるときはそれができないやつは死ねの意味になります。
同じ言葉でも、書いたものと音声で真逆の意味を伝えることがあります。



この本は、一々得たりや応と思わせて思わず引用したくなったりしながら
章を終えると死んだような気になります
決して悪いきぶんではありませんが
あたしが養老孟司さんの本を読むのはこれ一冊だろうと思うのは
ほんとうは悪いきぶんなのだろうかあいかわらず自分のきぶんすらよくわかりません。




追:一靖国判決がありました。養老さんは公人であるべしと言うでしょうか。その辺よくわかる面とわからない部分がありました。あたしは神として祀り崇めることをイメージ生理的に受け付けないというだけです。
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いちどきに。

2005-09-29 00:15:06 | ・ことばの尻尾踏み。
ちかくにかんじていたものがとおかったり


とおいものをちかくかんじたりなんてよくあることで

鋭角の質量を持つ空疎がいつものように襲うと


くりゅくりゅと散逸してもしかしたら光のように。





「いちどきに」という言葉で「どこの出身ですか」と信州で聞かれた。
上州人にも、普通は「一緒に」と言うのであって、おもいっきりの方言だと言われた。

ちゃんと辞書にも出てるけどなあ……。でも、めちゃくちゃあくせんとがおかしいあたしの使う言葉だもんにゃ。……ふっ。
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林家住宅。および生き字引。

2005-09-24 22:17:36 | ■おもに建物。
大規模な邸宅ではなく、ヨイショとばかり、「江戸東京たてもの園と岩崎邸にまとめていったような」と申しますと、そんなもん、じゃない、とばかり言葉の雨の恵みです。特にカネのかけ方でね。

市への移管の際、ご近所茅野生まれの、おなじみ藤森照信さんが検証して見つかった2階の金唐紙は岩崎邸の金唐紙の復元をした上田尚さんの折り紙つき本物。

写真、廊下の天井にずっと渡された檜は、途中に糸車をデザインした欄間もどきを挟んで、丸々一本の木。

その他、藤森さんが、他ではあり得ないので値段も想定しづらいと言ったという銘木の数々。屋久杉の天井、栂、楓、鉄刀木(たがや)、いろいろあって忘れたわ。非常に緻密な、希有な木材を、黒檀、紫檀と並ぶサンダカン……と聞こえたものは(資料にお金を使わなかったので)不明。桑の木ひとつでも、伊豆にしかないものだとか。

欄間は東照宮の修理にも参加した立川流の某、および清水好古斎(←これは無料のリーフレットに記載)。

穀倉は外からだけだが、年貢米を先入れ先出しできた機能的なものらしい。
繭蔵。移管の際、床下の緻密でかたい木をこじ切ってのシロアリ調査では、縁の下に巨大な石が敷きつめられ?、その間を小石が埋めるという周到なものだったとのこと。

いずれ更地にして売られるところだったという。生活の場でなくなった個人の住宅はあくまでも財産価値、課税対象。



「ああ、そちらが主ですか」。イルフ童画館と答えたことにあきれた、、、のかと思いきや、それよりも紹介したい気持ちが先に立つ様子。

「お時間ありますか。お泊まりですか」  そんなあたしたちにだ。あっけにとられる。1時間でもいちにちじゅうでも紹介時間は自在らしい。

どちらでも観覧料550円に変わりはない。きょうは、あすのお茶会の準備で、観覧はそのすき間を狙うようだったが。2階は、本物の金唐紙ゆえに今やすっかり黒ずむ。それでもその天井の低い小さな二間に入った瞬間、秀吉の茶室を思う(暗くてケータイカメラでは無理)。窓枠も実にしゃれている。
「ほんとはこの囲いの中から見せるように教育委員会から言われてるんですけどね」と、囲いの外、つまり奥までさっさか案内してくれる。

毎日新聞の岩見隆夫似(あたしが似てるといって似てることは少ないらしい)。
 
書物に頼らぬ系の生き字引。あたしたち素人の職業も聞きたがり、この家に興味を持つひとから少しでも学べるものは学ぼうという『気』を畏れる。

30分ほどで、金唐紙を見に北海道から来たという客のために彼は去り、(彼のあとをひきとった、市移管の前からお手伝いをしているという女性もすてきでした)1時間未満で帰るうしろめたさよ。
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狭空高層化構想。

2005-09-19 20:32:26 | ■おもに建物。
先日触れた丸の内郵便局、屋内より東京駅を望む。

同じ位置から視線を左に移す方向に新・丸ビルと新丸ビルがある。レトロな不二家があった新丸ビルも高層改築中で、皇居にむかって左側の新丸ビルの右側にあり、改築されたら“新・新丸ビル”とは言われなかろと思われるのであった。


* 追記:東京中央郵便局
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保谷団地。

2005-09-17 17:41:19 | ■おもに建物。
仕事中眠れちゃってクルシイんで思い切って東伏見の陶器市に行こうとチャリ走らす。途中で挫折して保谷団地へ。

う~ん、こんな写真じゃ、わかんないねえ。いや、実際見ても、おもしろいと思うのはあたしとマドモワゼルMぐらいか?

並んでるのは一種の低層鉄筋長屋。三、四軒が一つの建物で、それぞれが一応趣向仕立て。直政氏んちのドアがよかった。って、写せよ、だな。
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「ないねえ」。

2005-09-17 17:36:43 | いすみ ちば
昔、家人の家に初めて行ったとき、あたしが泊まらないことでヘンだと思われた。うちはひとをほとんど泊めない家だったし、ひとに泊まっていけと言われても遠慮しろと母親に暗に言われてきた。

お彼岸にお墓参り行かないの?と聞かれる。真意はどうも、○○のお祭りを見たいらしい。祭りは、やはり夜である。

この二十年来で生家に泊まったのは、記憶のかぎりでは、父親と姪のお通夜の蝋燭守で……。

「泊まっていけって言われたこと、一度もないもんね」と、家人。そういえば、家人つきで泊まらなければならないとき、地元の民宿に泊まったことがあった。これに関しては、さすがに普通はあり得ないだろう。店を縮小してでかい家を建てたのだし。しかしだれにも気づかってもらえんかったよ……。

母がたまたま姉の夫の入院の件で兄嫁にけしかけられてやっと電話してきたので、その際、清水の舞台をオリル気分で「○○さんがお祭り見たいらしいんだけど、23日、泊まるとこ……ないよね?」とおそるおそる聞いた。間髪おかず、

     「ないねえ」。

○○のお祭りは、曜日に関係なく、必ず9月23日と24日に催される。こういうこだわりは、好きだ。
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きゃべっじクンとおんなしやうに。

2005-09-16 17:40:25 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
ボクダッテビックリシテルンダボクモウキミノコトスキジャナイミタイ
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BS『グレン・グールド ロシアへの旅』。

2005-09-03 14:36:57 | ・おもに音楽。
あたしは、やたらにCDを買うか、もしくは、めったにCDは買わないか、のどちらかである。
何年も前に単館上映のグレン・グールドのドキュメンタリー映画を見てすぐにこれを買う。

音楽をよく知らないあたしは、例えば2枚組のすべてが1つの曲だと言われたら、そうなのかと思うだろう。
当時まだぽえむのようなものを書いていたあたしは、よく憶えていないが、これを、降り落ちてくる希有な、というように綴ったと思うが、また、たぶん、同じ曲なら誰の演奏でもあたしにとっては同じだろうとも思っていた。
この番組は、しかし、めったに買わない人が買うだけのものだったと言ってくれるように、称賛だけを集めていた。
あるいは、称賛だけが今は残る、と。

一緒に口ずさみながらでなければその卓越した演奏ができないこと
その演奏する姿が知的障害者といわれる人をあたしには思わせること
アシュケナージ氏が「深い知性」「深い心」と真っすぐに言うこと
複数の人が彼もしくは彼のわざを宇宙から来たものとすること
ロシアからカナダの愛犬に丁寧な葉書をしたためること
コートが似合うこと

映画瓦版より。
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