ハメルーンのまちではなるちゃんの笛も無化か。

2007-04-27 20:27:34 | ■だらだら。
大橋歩さんがアルネ創刊の理由を述べる中に、近年のデザイン業界のプレゼンテーション前提、の弊と言ってよいのか、それに言及するものがあった。たまたまなるちゃんもプレゼンのことを最近書いていて、それはしかしさらりと言って済むようであるのは、音楽と二次元との違いだけではないか。

音楽は何次元ナンデスカ。

私の同級生は同郷のその地について、田舎って想像力がなくて無神経でだいっきらいと書くが、東京にも小さい割合しかいないグレードの人々とだけ交際する暮らしを彼女は選択できていたのだろう。

ファッション系雑誌(ファッション雑誌ではない)の見出しがいわゆる女性週刊誌のそれよりダサくなったのはいつからだろうか。中身以上に表紙に説明された思い込みが誌面で確定し、トーキョーガールズは年齢も超えていく。知らないけど。




商業主義の箱の中でこどもたちはどこに行くのだろう。





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謝罪メール。

2007-04-22 17:40:13 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
だれもが自由でありなにかに縛られ
昔はいましかなかったけど
いまとそのさきには過去と現在と未来が際限なく
引き裂かれてもいいし
強くてもいいし
いくらでも変われるし
変わらなくてもいい
あれらこれらは日本だからなんじゃないか
東京だからなんじゃないか
きゃんきゃんして
つんつんして
でれでれして
自殺予防は他殺予防だし
だれのこともほっとけないけど
ひとのことはほっといてよ
このままでは終わらないとはるみちゃんは言う

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郵便さんの9・11。TEAM発砲・B・ZIN。

2007-04-19 00:27:54 | ■だらだら。
テレメンタリー録画分を見る。
見ていない映画に山の郵便配達とかいうのがあったり、タレントが中国の奥地で遥かな距離の集配を手伝うのを、遥かな国の話としてウルルンで見ることがあっても、私を含め、岡山県の特定郵便局が幸せの赤いハンカチとしてドイツのテレビ局に取材されていたことを知る人は少ないだろう。コイズミさんとともに消えた郵政民営化がマジックのように進む現実は、他の多くの情報の浮沈を思わせる。

歩くことに不自由のある有平さんは菅生郵便局の郵便さんから郵便物を受け取るだけでなく、赤い旗を出しておけばお小遣いももらえた。2006年9月11日、菅生郵便局が千屋郵便局に吸収された。それは郵便業務と保険・年金業務が分離したことであり、郵便さんはお小遣いの面倒も見られなくなり、かつあまりにも忙しく、この世界から幾つかの温かいコミュニケーションを消していく合図の日だった。

──────

月曜日の野方高齢者集会室は冷えて、それじゃあ暖房入れましょうかとスイッチを入れた。ますます冷える。先日の暑さで冷房に切りかえた、空調担当は外注になり融通がきかないので我慢してくださいすみませんねえ、とのことだった。先生は、上着を着ていいですよとおっしゃったが、ひとりコートを着るわけにはいかなかった。

昨夕から夜はまた、晴れていたらネンガンのシモキタ散策をするところ、このしとしと冷たく暗い雨じゃ残念な、いやしかしほんとにひえびえどすな~などと言い肩をさすりつつ、コバヤシさんが平気なのは彼女のあったか上着のせいだろうと思っていたが、どうも私は既にきゃっちあこーるどだったようである。ぼけぼけ。

ちょーひさびさの本多劇場。駅近くの裏口もすぐ見つけられた。段ボールやバイクが屋内ショップ前に並ぶちょっと不思議なフロアになっていた。TEAM発砲・B・ZIN。先日の俳優座とは世代的に40年違うわな。浮いたセリフが浮かない。超ダンス。あのめんつ以外で演じたらさいてーっぽい芝居がさいこーで、教えてくれたコバヤシさんに感謝する。


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ばば3およびフユウ層。

2007-04-15 20:36:42 | ■だらだら。
夕方混雑する靖国通り歩道をでろりんと並んで歩く二人がいて、二の腕の「警視庁」を確認後言う。「オマワリサンがひろがってあるいちゃいけないとオモイマス」 。若い警官二人を追い越しながら小心なコドモばばは怖くなる。オマワリサンて差別用語かも。

夜コマ劇前の雑踏を肩を並べて歩く双子ばば。──1.5秒凝視し、双子としか思えない。他人の年齢推定が苦手だが、まあ65歳から82歳までのどこかだろう。フェミニンでカラフルなミニドレスの二人を撮りたかったが、やはりひとにはケータイを向けにくい。



オール・ザ・キングス・メン

イマドキの選挙のターゲットは富裕層なのか浮遊層なのかとちょっと考えたりした。「みんな、泥だよ」と言ったのは知事だったか、その候補者のときか。ショーン・ペンの映画は、うんざりめの気分で見始めてあまり後悔しない。十日前同じ席でドリームガールズから受けたものとは違うそれ。

テレビドラマ華麗なる一族は同じドラマの二つの面で、そのダイナミズムはどこまでも変わることはなかったが、この映画は時間と人物がクロスする二つの世界を一方が切り裂く。

上の二つを並べるムリヤリには、経済を通して社会を描くドラマのようでそのどちらでもなく、政治を通して社会を描く映画のようでそのどちらでもないといった印象というのもある。



それにしても、女である山崎豊子はあえて男の視点で描いたということでもないだろうし、女というのは……。きょうの天声人語にクロワッサン症候群という言葉があって……。 何も浮かばない。

とにかくいま活躍している女たちはすごいのだ。それだけだ。先ほどサイトを見たら「善は、悪からも生まれる」というキャプションがついていたが、そういう映画だったのか?


──────
2007-04-16 23:18
・「浮遊層」は、浮動票の音(おん)からの連想カンチガイ。
      (ではあったが、検索するとかなりヒットする……)

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読まない本。ほか。

2007-04-08 09:06:03 | ・本・記事。
自転車で玉川上水喜平橋方面へ向かい、その帰りみち例によってこんなおうちよろしなあと横目に通り過ぎかけた平屋が平櫛田中美術館併設の記念館だった。107歳、昭和54年暮れまで住まった清静なる居宅には何か近しい息吹を感じるが、また、舞台姿の武原はんと並んだ等身大の写真はまるで2体の人形のようでもあった。美術館のほうには、植木等のお父さんはこんな感じだったかナンテ思いを馳せさせる像のいくつかや司馬江漢描く江戸時代の清水寺などがある。

──────

ほんとうに頭のいい人の文章というのは、押しつけがましくなくて親切だ。(*) 親切でも頭がついていけない者に難しいのはいたしかたない。

けさの朝日書評欄のトップは雨宮処凜さんの著書だ。たまに買うビッグイシューの雨宮処凛さんの評論は短いので、わからないけど読む。貧困な語彙から選べば、その刺す痛みの爽快感か。違うな。最初見たときするりとイメージがすり抜けたfukurousennseiの本なら買うが、雨宮さんの本は買わない。多く読まれるといいと思う。

 しかしリカちゃんも時々無粋なことをするひとなのだ。
  この書評じゃ、読んだ気になっちゃうじゃないか。

(*) 勝手なこと言ってるだけです。



きのう駅前の魚屋のよしのとカウンターで少し話をした。このとしになって、世の中には公務員とかサラリーマンとかと、その奥さんたちというものがどんなに多くて、それらが日本の常識をつくっているのだ、農民漁民個人商店工員病人は常識外ね、ということをやっと少しばかり知ったよなどと言った。よしのがスカートではないことに気づいた。きのう、マニキュアをしていない彼女の爪を初めて見た。

いいねえその手。あたしなんかハタラキモンノテダネとしか言われたことがないよハタラキモンじゃないのにと言ったら、あたしもそうだよとハタラキモンは言う。うそだよ。きれいな爪で小さくてかわいい手だった。


あれもこれも、それだけで。そういうもので。


秒針猫はハタラキモン on ザ・ハタラキモンノテの婆皺。

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飽きない隅つつき。

2007-04-06 08:40:53 | ・本・記事。
天声人語の執筆者がかわって人語と天声を取り違えたような物言いが変わることを期待している。

けさの朝日、1面右にある記事紹介で、リードが「そのまんま続く人気なぜ」、文末が「なぜ飽きられないのだろうか。」は、なぜ、なぜと言うのか。

世の人々の気分を代弁していると言うのだろうか、少なくとも私には予断甚だしいと思われる。もしくは新聞のオピニオンとして、なぜと問うべきこととして誘導しているのだろうか。

その下ひとつ措いて、リードが「『CO2は汚染物質』判決波紋」。この場合のキャッチとしては適当かと思われる。

つまり、なんか気に入らないというそれは、朝日に対してなのか、嗚呼アメリカなのか、まるっきりアバウトなイメージ。しかし、こういう「てにをは」というか「どういう」が切り離された文章がひとり歩きすることを、朝日は時々失念する。確信犯かと思うとどうも違うということが経過でわかることがある。

これの強さ具合は、朝日以外を読まないと相対的なものがわからない。だから私はわからないが、確信犯ならまだしも、何か勘違いな思い込みがあるというイメージが水漏れのようにちょろちょろと鳴り続ける。


どういうCO2かということは、紹介記事最初に「私たちがふつうに呼吸している二酸化炭素」とある。9面記事本体のほうには排出ガス規制が大きく掲げられ、京都議定書を強調する朝日の「ふつう」だろう。

ただ、朝日に飽きてきていながらとどまる人には、「ふつう」とその「ふつう」の裏窓をあけるようなところがそれぞれのメディアにあるとして、後者のセンスにいまだ期待するところがあるのではないか。既にして後ろ髪を引かれるように、とか。




あー、わけわかんない。

小学生理科も覚束ない私などは、つい、二酸化炭素が多くなるのは植物にとっては好ましい環境ではないのか。動物より植物のほうがエライ、ゆえに、ほかの動物さんごめんなさい、人間優先の地球を人間をして植物優先にせしめているのではないか、など。


「私たちが呼吸している二酸化炭素」って何だと揚げ足を取るのは蛇足だが、「二酸化炭素を呼吸する」という言い方が、まず、ないと思って検索してみたらヒットは、した。しかしそれは主に植物に関して言っており、もとに戻ればやはり、呼吸するとは、取り入れて吐き出す、もしくは、分解して獲得する、という相互作用だ。

コメント (2)
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