〈NHK / Ryuichi Sakamoto : CODA 〉
録画。
劇場公開も知らず、知っていたとしても見に出かけはしなかっただろう。戦場のメリークリスマスもラストエンペラーもシェルタリング・スカイも公開時に劇場で見ている。見た、それだけ。
雑踏の中を女優(女性)が歩いている
「迷ってるのかい?」 声が聞こえる
「はい」 女優の表情がほどける
「我々は いつ果てるかを
知らない
だから人生を
涸れない井戸のように考える」
ポール・ボウルズの貌が女優の視線の先にあるのを知る。
「だが いかなる事も
限られた数しか味わえない
自分の人生に深く影響を与えた
幼少期の ──
とある昼下がりを
幾度思い出すことだろう?
4~5回?
それ程ないかもしれない
満月の昇る姿を
あと幾度見るだろう?
例え20回だとしても
全てが無限の如く思えるのだ」
ピアノ。
── 産業革命が起こって 初めてこういう楽器がつくれるようになったんですね。で、何枚もこれ、木の板が 6枚ぐらいかな 重なってるのを強いちからでこういう形に 半年ぐらい(など)かけてね、型に嵌めるわけなんですね。あるいは、この弦もこのストリングスも全部合わせると何トンというちからが加わってるらしいんですね。
もともと自然にある物質を 人間の工業力とか、まあ文明のちからで自然(を)も鋳型に嵌める。で、音も 調律が狂ってくるって人間は言いますけども全然狂ってるんじゃなくて自然のこの物質たちは(もっと夢中で)戻ろうと必死になってもがいているわけですよね。
津波ってのは一瞬でばんっと来て自然に一種戻したというか戻ってるわけですね。いま僕は 自然が調律してくれた津波ピアノの音がとってもよく感じるんですよ。
ということはやっぱり このピアノ的なもの? 人間が無理やり自分の幻想に基づいて調律した不自然な つまり人間的な自然だけども自然から見ればとても不自然な状態に対する もう強い嫌悪感というのかな 僕はあると思うんですよ僕の中に。
松岡正剛