書き捨て吐き出し。

2005-06-13 11:58:06 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
好きなひとは何人もいる。なんとなくだいじに思っているという人ね。まず、じぶんからは誘えない。たまには誘ってくれる。拒否されているわけではないのだと安心するが、んじゃ行くね、という即応感情は生まれない。あたしとの時間を過ごさせるのが申しわけないからである。

ほんとうに残念なのだが、あたしはばかである。去年ラストから出社が減り、半年過ぎた今年は、う~ん、どう考えても1回しか出社してないな。担当のKさんとの連絡は電話とメールで、交わす言葉は、あたしの言い訳やお詫び、先方からはきっかり用件のみだ。Kさんも、好きなひとのひとりだ。最近いちばん会うというのも、せいぜい月二、三度というひとタチで、その中であたしは、たまにくちをきけばずれずれでしらけさせるか10倍の反論を受けてちいさくなるという、ほぼ沈黙に近い存在の仕方だ。ほんとうに、ばかは困るのだが、あきらめるよりほかはない。


チッチッ、だめね、そんなネガティブな考え方は。
あたし以外のみんながおりこうばっかりってことだ。なんてステキなんだ!


少なくとも母に抱かれたりおぶられ(方言か?)たりした記憶は、一切ない。擁護、弁解のために消したのだろうか。

教育資金を出してもらった。それだけですごいことなんだよと、あたしの好きだったあるオトナは言った。優しくしてもらったことなど一度もない、などと言い出しかねない感覚こそ、あたしの嫌らしさそのものだ。

個体を守るために都合の悪い記憶は自律的に隠れるというが、中途半端なものは残る。私が中一のころの“田舎”で大学といえば、早慶を初めとする私立は後から出てくる候補だった。結構生徒に慕われていた担任の周りに10人以上が固まって雑談する中、突然のように彼はみんなの前で私に「おまえなあ、そのまんまだったら駅弁大学どまりだぞ。一期校に行くつもりなら少しまじめに取り組まなきゃ」と言った。何言ってんのよあたしはおかあさんのために東大に行くに決まってるじゃんとそのとき思った。そんなことを思ったのは、そのときだけで、思い出せば首を傾げる。

あたしだけがおかあさんのことをわかってあげられる、と思っていた。その母は、自分があたしをごみ箱もしくは“御不浄”としていたことなど自覚していないし、それがゆえに前述のような思いを私に生じせしめていたことなど鼻笑い以前の話で。なぜあなたはそれがわからないのかと……。それでもあたしは犬のように母を追いかけた。「おかあさんのために」と「おかあさんのオカゲで」はたやすく入れかわる。あたしは中3で就職組として職場見学に行き、スタンドプレーという視線を教師と級友から浴び、挙げ句、県立で最低の偏差値の高校に進み、そこを落ちた子の友人から強く批判された。かつサボった。確かに、母親に対するスタンドプレーだったが、彼女の前で当のスタンドプレーとしての意味を消すような言動をしたのは、あたし自身だった。そしてその後再び無目的に中途半端な進学をするのである。


そういうくだらない意識はこれまでの、重大な選択、の中で常に自分を見失わせてきた。



昨夜マザコンという言葉を自分で使ってしまい、それに囚われた。号泣の端緒もしくは暴発で目覚める、母に関する夢をシジュウ代初めに見なくなったことと引き換えられたものがあたしの現状だというのはYさんに言われるまでもない。しかしそれは意図したことではない。ゲンキになって、またあんな夢を見たいとも思わないし、言ってみれば、現状、どうでもいい。

先日、切れていたと思っていたパスポートがまだ生きていることが判明したが、行きたいという欲望も薄れているいま、あまり意味はなく、またくだらないことに、外国へ行っている間に母親に何かあったらどうするという米粒ほどの意識が嗤っている。

あたしは、予想外に長生きし、日々それを更新していくのをガラス越しに眺めている。
エネルギーは、愛は、生は、ポジティブなすべてのものは仲よく微笑んでいる。別に、拒否されているわけではない。
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1 コメント

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Unknown (じぶん。)
2005-06-13 18:37:50
先月もカイカイワイカイの後、過剰だらだらを書いた記憶あり。



それ以前は(カイは全10回)、ただYさんに会いに行っていただけと言ってもよく、前回も今回も似たような感覚だったが。





カイの間は、聴いているつもりでも集中も理解もなく、時には粗だけが記憶に残る始末で、後で感想を聞かれると、マイクの調子について答えたりする。

今回は、子を持たぬ人間への一言に思わず目を上げたほかは、次に喋ることを反芻していたのと、あるいは、けっこう長く、寂しかった父のじんせーを思っていた。ここに書けぬ、ある夜の父とのひとこまを脳裏のスクリーンに映しつつ。

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