(草枕とグールド)東京新聞コピペ。  加筆

2024-09-26 08:08:35 | ・おもに音楽。
『草枕』に惚れ込んだグールド 
 「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」・・・。『吾輩は猫である』でこのくだりがくるといつも、かすかに胸が疼くようだ。夏目漱石には、「音」に対する独特のセンスがあるように思う。
 漱石の音楽会体験は、1893年暮れのピアノ独演会に始まる。その後も、ヴァイオリンをたしなむ寺田寅彦とともに度々音楽会に赴いている。1900年、漱石は国費留学でイギリスに渡る。ロンドンでの興味のベクトルは美術や科学に向いたようだが、話題の音楽会には足を運ぶこともあった。そんな漱石の経験は、『野分』『三四郎』『それから』をはじめとする数々の小説の中に生きている。
 初期の代表作『草枕』は、視覚、聴覚、思想などの要素が複雑にからみあう、20世紀文学における傑作の一つでもある。「非人情」を描き、東西の文明批評や芸術論も含まれるこの小説に惚れ込んだのが、カナダ出身の伝説的ピアニスト、グレン・グールドだ。
 グールドが『草枕』に出会ったのは30代半ば、67年のこと。その後長きにわたり読み込み、またその他の漱石作品も手元に置いた。81年、彼は『草枕』からの抜粋をラジオで朗読する。そして、あの《ゴールドベルク変奏曲》を再録音したのもこの年である。センセ ーショナルなデビュー盤となった同曲の初録音(55年)に対する自己批判として、別のスタイルをとった演奏だが、おそらく漱石の彫響も経て生まれたものだろう。
 グールドは、生の素材で構成し、コラージュするラジオ・ドキュメンタリーを制作しており、それを「草枕」でもやろうとしていた。彼はそのアイデアについて、「タリスの声によるモテットのラジオ版とでもいうべきもの」と語っている。グールドの視点と聴覚的着想による新しい『草枕』はしかし、実現しなかった。80年、グールドは50歳の若さで急逝。その枕元には、たくさんの書き込みがなされた『草枕』が置かれていたという。グールドの音楽観とも響き合う「美を生命とする俳句的小説」は、彼を通してさらに世界に広まったと言えるのかもしれない。
(しもやま・しずか=ピアニスト、執筆家)
*次回は10月10日に掲載予定。




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6月にあーもー半年終わったとかやたら言うのめっちゃやだ的にヒコロヒーさん言ってたってのは私の記憶違いなのかおなじらじおであーもー夏終わるだのもー10月だのおっしゃっちゃってる。記憶違いでも違わなくてもまーいーんだけどといーつつ  書くなよ。だな。いや なんにせよほんまに。




男児殺害と軍拡意向の報道強度が近い。
母ひとりと億万の慟哭は異次元のなぞ。

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月4回、利用料を払わないおそうじ利用をさせていただいている施設の事務所があるビルの裏口に絵画が展示されている。わけではない。なにかのあとだろうけれど。










──── 20241001
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の中でグールドは数度あらわれる。草枕ほかとの糸も。
坂本龍一の音楽を集中して聴いた記憶はない。本はクロニクルでもあり発達のかたちを見せるようでもある。天才遊び人一択だった(無知による)印象が軽やかに弾け、そこに現われるあからさまな少年老師。



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自称 カナリア。 23/08/04 〈NHK / Ryuichi Sakamoto : CODA 〉松岡正剛





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りょうらん。など

2024-09-20 15:48:55 | ■おもに美術。
写真 :見開き右 構成 高平哲郎 コラージュ 田名網敬一
田名網敬一展は私 には みうらじゅん展と並ぶものでした。展示の最後に田名網さんが先月逝かれたことが書かれておりびっくりしました。みうらさん長生きしてください。



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メールアドレスがGmailだけになってしまい、過去の保存メールが消えたのみならず、Gmailの利用方法を学ぼうともしないので新たに近過去メールやらブログ下書きやらが消える(消す)こと継続中。

中過去譚。 家人が出店機種変のかわいこ勧誘に乗り私はプロバイダを変えたくなかったがメールはそのまま使えるとの力説に家人はより乗じるしメールさえそのままならOKと使い始めようとしたら消え果てて使えなくなっていた。消えたのは保存メールだけではない。訴訟モノだとは思うが泣き寝入りするもせぬもてめえがあほな。        




近日朝ある一区画道端にて同方向。













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たぶん20年以上前当時リアルで会う人のマイミク紹介欄にこのひと(ramen)は日本一自己評価が低いと書かれており私は低自己評価日本一はすなはち世界一じゃろと胸を張って彼女に会ったときに挙げる話題でもなかった。


少し前に読んだ対談の終わりがけのあたりに「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」が引かれていた。まったくであろう。対談内でのレベルとはかけ離れたところで聞けない私を私は少なくとも中二のころに自覚しつつ凌駕する読むも知らぬまま恥じ入るもない自覚のみ。




かけ離れているのは知れたことだがなぜかおもしろい。おもしろいのはわからないからではなくわからなくてもおもしろい。
百花繚乱万科端然。ツーカーはときにその発言者を取り違えさせることもある。その対談の場にはからだが2つただあるだけなのだろう。

「日本」を問答するということは、どんな「日本」と「世界」を同時代的に生きていくのかということと深く関係しますからね とp.308時点で言われても読み重ねても感得不可な。
殆ど全くわからない『日本問答』のお二人のおきがるツーカーな文字をそのまま追うのは殊に前半しんどい ものを追い終えた。

あとがきのラスト、「このまれな輝きを放つ場を、私たちは命尽きるまで、あとどれだけもてるのだろうか?」に、わからない者の涙腺が揺れる。





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(○おお ❌だい 。)

2024-09-07 06:33:35 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。











特定の他者への執拗な嫌悪感とは希死念慮の一変形か。
















──── (202409150808)











タイトル 大、


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現地に行ったことがある。

2024-08-30 18:14:00 | ■だらだら。
ベンチがみずいろだったのですね。

キョコロヒーだいざんしょを見た(未来)ころ つまり当選した には何か書けるかなと思っていたら、ふとヒヤシンスハウスのことを思い出し、書ける。というのは、検索したらなんとgooブログがヒットしたといふ故。

タイトルも同じ気がするがしかしどうも様子が違う気にさせる様子だ。若いニオイがする。昔読んでいたものはお仕着せブログ形式ではなかったし、2000人以上の読者のために継続しているといったニュアンスの80代知的女性と思い込んでいたからそこからいくと今は超100歳となる。似たようなものは限りないのだね。大友良英がマツナガセイゴウと言ったのを松岡正剛の間違いかと思って検索したころに松岡氏は逝去していたようだ。うちは比叡おろしですねんとつい歌う。

勢古浩爾というひとが著書の中で「ところが、じいさんになれてうれしい、という人がいる。」と高木護というひとを紹介する。勢古さんは高木さんがとしをとるのがうれしいと言っていると言っている。私は高木さんの本を読みもしないで私は高木さんはじいさんになるまで生きられてうれしいと思ったのだと思った。としをとるのはいきてるしょうこ。









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サヨナラ関連 + 一瞬的似てる。   加筆及びカテゴリー変更。

2024-08-16 22:12:33 | ・たべもの。

中学生のころ町の本屋で買った横尾忠則的極彩色っぽいコラージュに本人の顔写真も混じっている装丁の書を捨てよ町へ出ようという本のその装丁のイメージと混濁したように


寺山修司のことばだと思い込んでいた
サヨナラダケガ人生ダ。



どこかで井伏鱒二云々と修正されたはずだと思い返せば思い当たりはするのだが、むかし思い込んだことには依存性があるというかかの強さに修正など吸われ失せ。
その一節を太宰が引用しているというのを最近何かで目にして井伏鱒二全詩集というのを借りてみ


たところあまり気分がそわないのでそうそうにかえそう
とも思ったがもうすこし追ってみよう
と思いかければ「訳詩」に至る。




  田家春望   高 適

出 門 何 所 見   
春 色 満 平 蕪
可 歎 無 知 己
高 陽 一 酒 徒

ウチヲデテミリヤアテドモナイガ 
正月キブンガドコニモミエタ
トコロガ会ヒタイヒトモナク
アサガヤアタリデ大ザケノンダ



  古 別 離    孟 郊

欲 別 牽 郞 衣
郞 今 到 何 処
不 恨 帰 来 遅
莫 向 臨 邛 去

ワカレニクサニソデヒキトメテ
オマヘコレカライヅクヘユキヤル
カヘリノオソイヲ恨ミハセヌガ
ヨシハラヘンガ気ニカカル


アサガヤだのヨシハラだのが意訳の妙に思えもして巻末解説にとぶと、井伏氏が亡父のノートを介して臼挽歌に接した云々が書かれており




そのうちに結局中途返却明日予定。


件のサヨナラは下↓である。


  勧 酒    干 武 稜

勧 君 金 屈 巵
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離

コノサカヅキヲ受ケテクレ 
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ




────

TVでアン・セヨンが取り上げられており、怒ったり笑ったりとやたらに映る顔がヒコロヒーに、いや似てないか、河合優実とのミックスか、などどでもいことをどこかでこじつけたがる。

検索による漢字表記 安洗塋。当地ではどんなニュアンスになるのか。塋は

庭燎(にわび)をいう。庭燎をめぐらした聖所の意。墓域をいう。

のだそうで。


──── 202408170530ごろ加筆及びカテゴリー変更。

前回か、夕涼み・時・場・感ない的呟きをしたものだが先ほどほぼ生まれて初めての4時前あさんぽに出たら、若い衆(薄暗いし視線は外しているしで多分ね)がやたらいらっしゃるのであった。駅近くだけでなく都営住宅の脇とかなにもない道端とかその四、五十分のあいだに。タムロタノシゲ涼むげに。


二、三年前まで垣根の内側で野菜を売っていたおうちがのっぺらぼうになる過程にあった。その手前にある木造アパートをまだあるなと確認してからのことだったので、
以前 といってもことしだと思う 撮ったのを載せておこうと思った。よく前を通ってはいるがよく見てはいない。メゾネットタイプで隣とのあいだに階段があって、隙間から建物の裏側が見える僅ゼイタク感あり。





いや、メゾネットなら外階段はないか。ははははいまごろ~




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まっことどでもい。   加筆 わたくしとは。

2024-08-11 20:13:35 | ■だらだら。

あっつうまにお盆週間だ。さっき歩いていてそいえば 夕涼み といふことばがあったなあとふと思う。浴衣うちわ縁側。   ないなー。生きてます。まっことまあたしかに。

シアンがみずいろかゆうたらみずいろではなかろ。たださヒコロヒー出てるてんで録画してみてはじめて見たNHK短歌の最初の一首やねんですごないか?   (そやからみずいろちゃうて~)


キョコロヒー見てたら大残暑見舞いとか出てきてまだ予定表出してない月だし行きやすい場所だしホイホイと抽選予約入れたらありゃもしや珍しく宿予約した日かなと確認したらどんぴしゃでありましたためそっちキャンセル。抽選てのはねくじでありましてですね








さんぽみちの某邸の工夫~。







──── どでもい思い出し加筆。

こないだTakaQでポロシャツ2枚比較検討しておりますと店員嬢、こちらはrenomaというブランドでして云々、見りゃわかるよあなたが生まれる前からrenoma知ってるのとは言わずにそれ買う。それどころではないさっきの店員嬢、本格中華味の町中華のおんなのこに、お忙しいとこごめんなさいこれなんの肉ですかとお尋ねし、「確かめてきます」。
もう忘れられたかなと思ったころにふっとあらわれて教えてくださった。




「ひきにくだそうです。」







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せりふとしてのはひふへほ。 加筆込み。

2024-08-02 09:49:16 | ・ことばの尻尾踏み。

またごたいそうなたいとる出しちゃったぞ。毎度けんしょうのけのじぐたいせいのぐのじもないいんしょう、たったいまリアルラジオ 談笑 でひっかかりすぎる

もので、いま消すね。
無音になったかといえば
ざー ー ー  コロナクールサロン作動中。30年モノ?


少年漫画だ おかっぱ頭の縦長の目をした女の子の笑顔の横にエヘヘと書かれている。💬吹き出しのせりふではない。実際に笑い声があるのか、照れの象徴なのかは明示し

なくてもいいというか、そこにひっかかったりはしなかった。



今も同じだ。



漫画ではない。だれもこだわらない、というより、会話は明るく盛り上げなければならない。いつからだろう、今は定着している。
自発する笑いとせりふとしての笑い不可分ワハハウィヒヒムフフゲヘヘおほほ。号泣と称して涙ぐむ。の部類とはまた異種の。







────

デ・キリコ展を見に行ったら休館期間の初日で、窓口の女性に八つ当たり。いい迷惑、ひでえ迷惑。すぐに踵を返して上野駅公園口に一歩踏み出してから遥々帰る道を思い、思い直して灼熱のコンクリート照り返しを遥々浴びながら国博のほんのいちぶを、忘れたけどたしか一時間半ほど眺め歩いた。ほんとまことにがいじんだらけ。休館期間が明けてからそれほど見たかったわけでもないのになぜか義務感的にキリコ展へ。やっぱりがいじんだらけ。これをたぶんグローバル標準という。かい? おしゃべりは日本語人のほうが多い。池袋の考古学博物館みたいなとこも昔みたいな静寂はないのか確認しに行くことはないが。

加筆分  アレは中近東文化センターであった。池袋のほうの名称はオリエント何とかです。昔過ぎて記憶はたどれない。
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ワカモノの指南ぼん。

2024-07-14 17:18:18 | ・本・記事。

もう10年単位の昔から美少年系「演出」の洪水だれがどれやらどうでもよいわたし
が すこしまえの夕刻テレビCM氷グミを見て韓国なのか日本なのかミックスなのかと検索に及んだのがまず不可思議な現象ながら
田無だ花小金井だ西東京市だとなじみの地名が並んだため(強い動機)つい西東京市図書館資料検索予約者皆無即入手。


わたしの好み系ではないおかお巻頭グラビア過多過剰。

『この本を手に取った時点で、あなたの人生の勝ちは確定したも同然です。』

すばらしい。YouTubeをまったく完璧見ない というわけではないわたしは巻末のチャンネル登録してください要請に応じた。再視聴はない気はする。





忘れない田野さん。
著者コムドットやまと氏と田野さんの共通点。
親に大肯定されまくって自信満々の変人になることができたと書かれていた。
事務服を着た田野さんは自信満々にも変人にも見えなかった。
もうみんなからかわいいかわいいって言われ続けてたから私はかわいいんだってずーっと思ってたの。じつはそうでもないんだって大人になってからわかったと笑う。
目立たず凹まず理性的で給湯室の冷蔵庫へ娘へのおっぱいを冷凍しに行く地味にスレンダーなおかっぱ「少女」。
確かな自意識に沿ってその日々をなす田野さんの印象とこの本の著者の印象とはわたしにはわけわからな度において等価であり、尊いものと思われた。



次に図書館から出てきたのが大原扁理さんの2016年刊本だった。

この本の中では親からの大肯定は見えませんでした。自己肯定をみずからフラットに(知りませんが)はぐくんだのだなまーべらす。
食べ物大切。
『自然の中を歩くって、本100冊分ぐらいの、すごい情報量があると思う。』




あまり似ては見えないワカモノおふたかたの共通御推奨は自己肯定と読書。






肯定せよ。
せよ。
そーよそよそよ日々を笑め。



────

みずいろの季節らしいです。事業所に提出する8月活動日申請の書類にメモ欄がある。たまには埋めようかと、涼しげなイラストって検索した。 まあみずいろだらけ。

けさ、ひさあしぶりに あさんぽをした。2024年初か。
わりとよく通る道の緑。なんてことないかんじ。でも、看板(?)の後ろにある樹の枝葉を看板の上下から出してるんだよねたぶん。めずらしくはないのかな?





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似てるシリーズか?

2024-06-28 07:25:49 | ■だらだら。


月曜日午後3時半すぎである。あらもう4日前。利用者さんに連れられるようにコンビニへ向かう、同系列のスーパーマーケットとコンビニエンスストアのあいだの緑地の真ん中にあるベンチにあらヒコロヒーみたいなひとが。


ってヒコロヒーが  少なくとも真っ昼間こんなことせんやろしスカートはない。
みずいろ日傘のゆうわくうつくしいおみあしこぎたないパンプス。






このかたは午後4時20分わたくしたちのコンビニ再訪時にもいらした。生きている証のように体勢をかえてうつ伏せ。ひまだったら立ち去るまで見届けたい思いは、あった。





昨夜家人が好きな人間観察何とかという番組でディズニーの新しいエリアが映っていた。いまはむかしというか、アナと雪の女王のキャラは新垣結衣だ。。。ラプンツェルもモアナも。。。などという思い出しつながりで?この人を撮ったことをふと思い出したものである。



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合いすぎてて(笑)。 細野氏といとう氏

2024-06-24 08:19:57 | memo。
画像は旧いのを再利用。このお店(たてもの)はげんきですなう。





────




何か宙吊り感ていう ちょっとうまく言えないんだほかに言葉が見えないんだけど そういう感覚が持続してくっていうね それはあるんだけどね

あ わかりますあわかりますって僕は細野さんのレベルではわかんないけどでも、すっごいおじいさんの歯の抜けたような人のブルースギターとかが宙吊りみたいな 表現できてないんじゃないのっていうのがかっこいいっていう

かっこいいよね

ありますよね

うん

なるほど

多分あれを、誰でも出せるようにっていうのを観阿弥世阿弥が考えたんだと思うんだね

そうかー

うん

これはね その感覚 日本人取り戻さないと駄目かもね

うん駄目かもしんないですよ

うん

ほんとに。みんなが合わせるって

ほんとぜんっぜんいまおもしろくないからね

ああ ああああ。

合いすぎて。(笑)

ああ。

(笑)(笑)

ちょっと一回ね

うん

ばらけさせてもらって

はい

勝手にみんなでやれっていう

ねえ

うん







6/23日25:00-Daisy Holiday! より。






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