私は影響を受けやすく(そのときだけ。)かつ目の前のゴミ事項に気を拘束されるので一貫したコノミが自分に見えない。目についた情報に搦められて本を買ったときに限って棚の積んドク本に目が向いて後回しになりどうせ読めないんだからと読みたいんだか気のせいなんだか自分でもわからず何も読まない。山田花子の漫画を読んだこともないし顔も知らないのに自殺の報道を見たときにはそれまでの断片情報で勝手にイメージしてあーそーかーみたいに思った記憶しかない。Junさんのコメントにそれが文字としてあったことだけでなぜ私は本を手にしたか。「もういい」と閉じかける直前に飛ばした先の文字が目に入ってその飛ばした先を貧乏ゆすりをとめられずにいることに気づきながら「もういい」と二度三度果てにはきちんと座れなくなって椅子からずり落ちながら(見せられた格好ではない。)そしてありえねえ父の思いのサンドイッチにしてしまう自分。
何の恨みも、もとい、恨みの憶えようもないT1
に涙の感覚を期待したが、どこまでも景色だった。
それは今だから言えることでもなく
その当時でもまあそのようなものだった。
それでというのかだからというのか
すり抜けようもないカットアウト
T2のそれは仮想し得ぬおののき。
に涙の感覚を期待したが、どこまでも景色だった。
それは今だから言えることでもなく
その当時でもまあそのようなものだった。
それでというのかだからというのか
すり抜けようもないカットアウト
T2のそれは仮想し得ぬおののき。
「日本の子供の学力低下」が目につく。
というのを、括弧書きにした理由は、目につくのが学力低下そのものではなく、「学力低下」報道もしくはそれをなす認識やイメージだということ。
これは、どこかで読んだ話で、どの時代と比べても日本の子供の絶対的学力は上がっており、下がっているのは国際ランキングであるとのことによる。
日本が世界に冠たる何かを得ることはひとが生来持つ属性愛(こんな言葉あるかもないかも)なり誇りなりを子供に醸すことによりより多くの、次代の世界に冠たる何かを産むという論理。
それはいいけれど、と言っちゃっていいのか考えずに言うワタシ的にはいいけれど、例えば、イラク問題とか対米問題とか以前に、日本人以外認識する者の少ない行為の正当性としてそういうショウ・ザ・フラッグを持ち出していた詭弁があった。
よく知らないが本当に世界に向けた発想なら旗があったら隠したいと思われる相対価値が雑誌やネットの見出しに躍りまたそれに拠り議場のこころに掲げて長時間声高に語られることに税金が使われるのを見送るばかりの低額納税者。
幼児性は幼児製ではないが日本性は日本製だろうやはり。
というのを、括弧書きにした理由は、目につくのが学力低下そのものではなく、「学力低下」報道もしくはそれをなす認識やイメージだということ。
これは、どこかで読んだ話で、どの時代と比べても日本の子供の絶対的学力は上がっており、下がっているのは国際ランキングであるとのことによる。
日本が世界に冠たる何かを得ることはひとが生来持つ属性愛(こんな言葉あるかもないかも)なり誇りなりを子供に醸すことによりより多くの、次代の世界に冠たる何かを産むという論理。
それはいいけれど、と言っちゃっていいのか考えずに言うワタシ的にはいいけれど、例えば、イラク問題とか対米問題とか以前に、日本人以外認識する者の少ない行為の正当性としてそういうショウ・ザ・フラッグを持ち出していた詭弁があった。
よく知らないが本当に世界に向けた発想なら旗があったら隠したいと思われる相対価値が雑誌やネットの見出しに躍りまたそれに拠り議場のこころに掲げて長時間声高に語られることに税金が使われるのを見送るばかりの低額納税者。
幼児性は幼児製ではないが日本性は日本製だろうやはり。
11錠の薬について一度に口の中に入れると薬剤師に言ったは言わずともよいことで、即座にのどにつまらせないでくださいよと言われて即座に老婆となり。
ほうかほうかほうゆうこともあるわな。注意力の老化にはようよう注意せなあかんのう。どこの言葉だ。
しかるに対話への不注意が老化への注意を喚起。要注意。
いつも通る小径への曲がり角に飛び出るように立つ看板で、いずれ誰かが死傷事故を起こし、以前から危険だと思っていたと言う人が溢れるのではないか。
撤去を提案した際に返るであろう反論に対する反論ができそうもない私もその溢れる人の数のなか。
あの看板を危険だとすると、そこから自転車を走らせる短い距離でも、危険なものは数知れずと、さやう思へば憤りに似た感覚失せゆけり。
邪魔なものはみんな危険だ。注意すればするほど忍び込んで、いずれ危険に体当たりしていくことになる。生きているだけで要注意だ。
ほうかほうかほうゆうこともあるわな。注意力の老化にはようよう注意せなあかんのう。どこの言葉だ。
しかるに対話への不注意が老化への注意を喚起。要注意。
いつも通る小径への曲がり角に飛び出るように立つ看板で、いずれ誰かが死傷事故を起こし、以前から危険だと思っていたと言う人が溢れるのではないか。
撤去を提案した際に返るであろう反論に対する反論ができそうもない私もその溢れる人の数のなか。
あの看板を危険だとすると、そこから自転車を走らせる短い距離でも、危険なものは数知れずと、さやう思へば憤りに似た感覚失せゆけり。
邪魔なものはみんな危険だ。注意すればするほど忍び込んで、いずれ危険に体当たりしていくことになる。生きているだけで要注意だ。