規制緩和。 (関係のないLGBT加筆)

2007-07-23 10:01:58 | ■だらだら。
そういえば山田邦子の二丁目通いは素人にも有名だった。「ウチくる!?」で、山田が芸能界の黒幕と言い、邦子にプロポーズされちゃったこともあるのよと言った着流し姿のたおやかなおとこは、今は何でもありで隔世の感があるというようなことを言った。

ゲイ関係に限らず何でもありが一般に受け入れられているように見えるのは東京の地面もしくはそれを母体とするメディア空間だろう。

何でもありは確かにある。ゆえに、正統性に関するマス的イマジネーションは確実かつ曖昧に狭小化し、こちらはメディアの空気を介して国のカタチをつくるように見える。

狭小とは、瞬時に否定もしくは断罪し、論拠は詭弁ならずとも喋りながら構築できるようなステロタイプ。

けさのMXTVでほっしゃんが若い日本人の「留学」について、もしかすると正しい規制緩和論を発していることに最後のほうでやっと手を打つ感覚に、自分の頭の塊を見る。






2019-05-18 05:31
増島 拓哉「闇夜の底で踊れ」

昭和ではないリアルタイムの極道でゲイは薄ら笑いでのみあからさまにされるのか。
「闇夜の底で踊れ」は十二分に楽しんだ読書ではあったが、わかんなかったセクシュアリティー。エンターテインメントであれ筋の主軸とするなら、本書の楽しみのひとつである会話遊びに倍加するなり内包するなりの説明が欲しかった。

とつじょきらきらと文字でアニメ化するシオリ純愛の顛末。なけなしの金でノンケ風俗に通う。愛に出遭う。それを差し出すヤマモトが意味を消していく。常軌を逸したレンガの引金は愛自体ではなかった。ハセガワの件にも曖昧さを赦していまいか。



ダテの俺への惚れかたはどうなんだよどっちなんだよ
ダテは俺 ト ヤリたかったのか
うけてたとうかどっちなんだよかもんべえびい
ダテは俺 ヲ ヤレるのか
と、薄ら笑いをしながら自滅へと打った(関東弁)ヤマモト多重ギャンブル。

駒のダテ。見知らぬamazonレビュアー斉藤高史さんの一語「ティーンネージャーの心」それこそが主題なのか







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よえん。

2007-07-22 13:45:06 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
ニャウ5円下げ。

昔 きもちがねだんをひっぱったが
今 からだがきもちをひっぱってる
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くえん。

2007-07-19 07:50:26 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
キレやすい者は、舞い上がりやすく、舞い上がりやすい者は、打たれ弱い。
コメント (2)
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外房勝浦。

2007-07-15 19:42:59 | いすみ ちば
目的のひとつでもあった勝浦の朝市、は、見ることができなかった。
勝浦の商店街が生きていることでそれは十分償えた。

私の記憶違いで、駅前の商店街とは違うところに私の目指す商店街があった。

「あらしといっしょに来たん?」

それから宿へ向かった。高校のとき何度も聞いた「へばら」の「へ」が「部」だというのを初めて知った。
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セ・ラ・ヴィ。

2007-07-13 08:25:34 | ・ことばの尻尾踏み。



ちいさな両脚をむぞうさに投げる
殺風景な土手
そりゃ繊細な鋭利を
風にさらしていた

彼女に言わせるならば
どてどてと。


アンクレットのポイントは
白詰草を編むことよりも
心地よさ
そして鮮度の保持。
だからもうちょっとなのもうすこし。

重ねる時はやさしさに満ちており
みんなにみえないものが見えていた
リアルな都会はツールで
女の子はつまり風変わりだった。


仰がない
天球を雲が渡ってゆく
さやかな風
言葉にしない人生にこそ
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絵。映画。

2007-07-11 00:30:02 | ■だらだら。
田舎の美しい風景は

絵のようで

都会の風景はすべて

映画のようでした
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飛ばせる。

2007-07-09 08:12:15 | ・ことばの尻尾踏み。
日刊ゲンダイのテレビ評で花ざかりの君たちへとパパとムスメの7日間を対比して前者を結構いい感じ、エライ、後者を底は浅いとしているのを見て、底が浅いのは一本木剛氏ではないかと思い、第2週現在、そして 来週ももしかすると前者を見てしまうのか? テレビでなく自分に期待しなさいよショクン。と言ってみる私である。

ところで、あいつを飛ばせるためにこの学校に来たという男装女子。たしか2度言った。受ける保健教諭が何と言ったかは聞き逃す。

○“少年ジャンプ”を遠くに飛ばせる。(可能動詞)
○“少年ジャンプ”を飛ばすためにこの学校に来た。(他動詞)
○小栗を飛ばすためにこの学校に来た。(同上)
×小栗を飛ばせるためにこの学校に来た。(?) なんだその○× って。


言葉は遷りゆく。お召しになっているで十分な敬語だと思われるが、今やお召しになられていらっしゃるが受け入れられているように、そのずっと以前、私自身が実家で毎食いただいていたのが御御御漬であったように、「飛ばすことができる」だけで飛ばせるという意味なのに、飛ばすことが「でき得る」と言うのが当たり前になったように、飛ばせるがなぜか飛ばせ(し)てみせる、の意味になっているのかも。

つまらないことにめくじらたてる、というツモリではないのですが、趣味の問題というか、どうも毎日のように気になる言葉が多くて困。じぶんをきにしろ。
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ヘンリー・ダーガー展。

2007-07-04 00:39:03 | ■おもに美術。
1枚目の少女のコラージュですこしなきそうになったのは、些かの前知識がなかったらどうだったのかはもちろんわからない。埋もれてしまいそうな。
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言葉蔓呆。

2007-07-02 07:40:08 | ・ことばの尻尾踏み。
これはへんだと言う
それはへんだと私も思う
だけどあなたがへんだと
言う先が違う
そもそもあなたの
言うべきへんと違う
へんなことがすまし顔で蔓延してゆく

言うことで
何ぼのひとが
へんなことを言う
許せないことだと言う
許せないと私も思う
許せないとみんなが言う
許せない
許せない
許せない
それはへんだと言えば
許すおまえは
へんだ
へんだ
許せない

へんに夢中になって
巨大なへんをこころからゆるしてゆく






2007-07-02 20:08
あたしってあたしじゃないですかーミタイナ言い回しに、知るかぃンなもんと言うかまたは書くひとが何人かいたが、お構いなしにそれがあたりまえに聞かれる日常となっている。ネット交流は双方向とか言われてもいるようだがもともとそれぞれの言いっぱなしをそれぞれが選ぶという体質の書き言葉だ。マスメディア配信というのはどうだったのか。あたしってあたしたちじゃないですかーはもとからだったのだろうか

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タカハラさん。

2007-07-01 22:55:11 | ■だらだら。
いま私はシジュウニかもしれないとニジュウシの私が地下一階のある席で思ったことをリアルに憶えている。シジュウニのときの私をいま思い出せない。

なにゆえ江戸東京博物館。今夜の公演の動きは七割方が憶えのあるエクササイズの組み合わせだった。二昔前の3カ月未満の。

パントマイムはストップモーションのダンスか。大日本茶道学会で学ぶひとの点前を見たとき茶道は舞いだと思ったのはこの記憶にも拠っていたか。

数カ月前に日本マイム研究所のサイトを見つけ、ときどきチェックしていた。私のどこかに流れる欲求に音声表現と身体表現がある。プリミティブな。あれもこれも始まる前にやめてきた。住宅街の中に意外な広さを持つスタジオがあった。今もあるのだろう。

10人ほどいたようでもある。七、八人だった気もする。記憶に残る女子はタカハラさんだけ。少なくとも男子のほうが多く彼らの目的はパントマイムそのものではなかったかもしれない。今夜の公演は先生以外は皆おんなでパントマイムに生きているように見えた。


肌と似て色素の薄いラプンツェルには細すぎる髪を長い三つ編みにして履き慣れた様子のバレエシューズで華奢な足を包み、人肉事件のサガワさんはどうなのと或る男子もしくは先生が聞くとふつうのひとですよと透けるように彼女は微笑んだ。

センシティブで賢そうな少年を連れた客席のひとは今夜確かな固体だ。失礼ですがタカハラさんとおっしゃいませんかと声をかけると暫し空気がとまった。聞かれて答えた名前が彼女の記憶にあったら私はたじろいだことだろう。勤めながらまたスタジオに通い始めているということだった。見に行きたいと思った。

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