断片の断片(ちりとてちん野口順子譚)。

2008-03-31 19:59:02 | ■だらだら。
人それぞれに経験も成長の過程も違う。子供のときから大人みたいなやつというのが、いる。それが大人になって逆転する者もいれば変わらない人もいる。また、あの人は大人だと言うときにせよ、大局的な見地を持つ幼い人と鈍い思い込みの人が同じように見えることもある。

物を考えているようでいていそうになく婿をとれば兄弟にしか見えない父親とちょっとイッちゃって喋り過ぎる母親とからこそ自分はできてきたのだなあと幼いころからつくづく思ってきた野口順子の目には、だからなのか何でなのか、よそさま、ひとさまの物語は制作物のようにその成り立ちが見えてしまう。

何で和田友春なのかとひとは言う。自分でも正直なところ、早まるな、フサワシイ男がいるはずだと思ったこともある。小草若の分身のような友春の拗ねたような目と存在が放つコンプレックスは、子供そのもののような優しさとともにあり、順子は自分という塊が緩やかに解ける期待を、小浜の地面もろともに抱くのだ。

順子は和田喜代美の甘い涙を叱り、かつ、私はいつだって脇役と嘆く者の、豊穣な愛に育まれた素直さと自信を慈しんできた。あんたが脇役なら私はどうすりゃいいのとはかつてもこれからも口にはしない。
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写真線路はいすみ鉄道(主に母親に関する単なる断片)。

2008-03-30 08:44:16 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
『「家庭教育」の隘路 子育てに脅迫される母親たち』の評が載った朝日の読書欄の下には「豪快な祖母、母から教わった、人生の宝物」というコピーを配した『絆』の広告がある。

何歳でもいいが68歳で瀕死の状態の人を看護する身内やら本人やらに68歳は全く若いし日野原重明先生はあのおとしで身体頑健頭脳強壮なんだから頑張れば大丈夫なんだから頑張れと言う人はいない。

はたちぐらいのときに書いたポエム以前の一節「ダカラ母親ハキノドクダ丸ゴト責ヲ負ッタリ負ワサレタリ」というのは誰の母親に対する思いでもなく私の個人的刻印であり私の母親の思いなどまるで知れず一般には「ダカラ母親ハ幸セダ」ということかも知れず私にはこのフレーズがいつでもすぐに呼び戻せる。

例えば虐待や依存性質の連鎖ということはかなり言われていながら、なおそのような個人に社会を負わさざるを得ないともしも言うのであれば、社会がそのための対策を考えるべきだろう。いったいどんな?
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マイ・ブルーベリー・ナイツ。

2008-03-26 23:24:29 | ■だらだら。
そういうわけで ロードムービーを見に行った。
映画にはわかいおんなと幼いおとこが必要だ。
見る映画はみんなロードムービーなんだけど。
トラヴィスの名 と スー・リンは きっと歌の栞。
音楽をきく映画は独りで踊る立ち見がお勧め。
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あしたもげんきであそぼうね。

2008-03-22 00:35:32 | ・ことばの尻尾踏み。
君も楽に生きるがいい
僕の態度は僕らの中で
君の感受に違和がある

とし相応の身のこころ
人それぞれの彼是何れ
均す数字が断じて放つ

掟の隙間を機構は許す
不可視は僕の壁君の崖
わけを問うそれが理由

うれしがって遊びこけ
笑い過ぎなら顎はずし
欠伸とともにかみ殺す
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土竜。

2008-03-18 21:31:05 | ・ことばの尻尾踏み。
大切なことだものくだらないのさ必要なのだ
ばかなのよ
或る政治家の昔っからの口癖なんぞでなくっても
言わなくてもわかるだろうと
なにもかも
真意をこそは探るなと
なにもかも
略語隠語の世相もどきのうらおもて
言葉で成立するものを了解事項で拡散させて
KYなあいまいみいは
沈黙なる情緒の向きなら
言葉なしなど赦さないよ解せないさ
なにもかもね
もぐらに土は見えているのか
きょうも太陽を確認せずにうらんでいた
私を薄情にしたのは私なのか
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季節。

2008-03-12 19:29:27 | ■だらだら。
木の芽どき怪しきひと危うきひと分けがたし。マスクに眼鏡に目深な帽子。はて女子ばかり哉。なぜにはやらぬナカオレボウ。
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低下。

2008-03-08 09:38:52 | ・ことばの尻尾踏み。
陽子さんのブログからあちこちに飛んで、しかしだいじなところは多分ほとんど読んでいないのだろう、相入れないフインキの人々が塊的に炎上していることに抵抗を憶えながらも、立法阻止を求める要請書に本名と年齢入りで郵送した。ハンドルネーム+103歳にしてどーする。


あるがん罹患者がアレルギー性鼻炎が悪化したときに自分の免疫力の低下を思うという。そういうことであるという知識を得ているのだろう。

花粉症その他のアレルギーが季語になっているかもしれない昨今、それを普遍的に免疫力の低下と言っているのかどうか。免疫力低下といったときに、それは攻撃のほうが強くなったための相対的なものを言うのか、従来免疫力と呼んできた度合い自体の低下を言うのか。或いは両者は結局同じこと、なのか。知らない。

これは以前学力低下というのは相対的な話ではないかと言ったときに実際に低下しているのだと教えられたことの引きである。

低下しているとしてもそれは曰く謂うところの学力であって必ずしも知識の質や量とは限らない。これだけ識字率やケータイを含むネット接続率が高ければ、そこで得た学力にならない知識が、学力が目指す学問体系を超越することは可能性としてはあるだろう。

とりあえずは学力の低下とか免疫力の低下という短い節だけ印象に残る。人権擁護という言葉はその言葉によってその否定を否定する。相対する一方への擁護が醸す他方への侵害は如何。法律のようなものはなるべく少ないにしかず。


──────
【2008-03-08 19:58】
いまTVつけたらNHKの論題が学力低下だ。
ほいで検索してこんなとこヒットしちゃったかた、ごめんなちゃい。
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けさの朝日の語彙。

2008-03-03 07:41:00 | ・ことばの尻尾踏み。

「ごみの処理について、どこまで確認すべき法的義務や責任があるのかは不明確。」との北村教授の一文は、
確認すべき法的義務や責任があるのかが不明確
なのか
法的義務や責任はどこまで確認すべきであるのかが不明確
なのか。
そのどちらであってもモンダイに変わりはないとか、知るべき人にはわかるとか、フンイキが伝わればイイ。ってゆうか、こんな尻尾踏み誰もしねえよ、とな。
──────
「あたご」はいずれ自衛隊受容の暗黙的カワリメとして残るのかな。
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