ささいなおさほ

2015-10-25 13:00:50 | おちゃ。

君島十和子に真琴つばさ。お嬢やないのん? かつ いい歳した。 中山やIKKOとお揃いでダンスの振付のよに、箸の右手が口元に向かうと、左手がおこぼし予防の位置へ。
ぶさほやないのん? てか、その左手におこぼししたらそれどないすんのん?

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『女ひとり』。

2008-10-16 00:45:41 | おちゃ。
あさ洗濯機がとまったときにラジオをつけるとちょうど京都大原三千院と歌い始めたのを洗い皺を伸ばしながらきくともなくきいていると以前は入ってこなかった言葉が意味を持つことに気づき何やら感興なりと思いつつこれってもしかしたらもとは呉服屋さんのCMソングだったんじゃないかなあなんて思って検索してみたら作詞永六輔とても答えにならずこんなとこにちょっとはまる。
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長岡良子氏。

2008-07-03 22:58:23 | おちゃ。
遭遇か。

たまたまとある席で、トナリのかたが、マタドナリにおすわりになったかたを「漫画をかいてるかたらしいわよ」と。
漫画と聞けば聞かざるを得ない。「何てお名前でしょうか」
「……ナガオカとかおっしゃった、と、思う」
「ナンカオボエガアル」   (──長岡京子さんとか)平安京、長岡京。違う。ゆえに検索ヒットするわきゃなく良子さんで一件落着。

ブックオフなどに入って思い出したときに探していたが、たまたま入った初めての店で秋田文庫の古代幻想ロマンシリーズの第2巻と第6巻が。計210円で。現在私は琵琶湖方面にちょっとちょっぴり縁があるお仕事多忙期で、進まぬ仕事中、イカンイカンと手にとった第2巻の舞台がそのあたり。

日出処の天子が絵柄や作風のせいで読めなかった、というか、読み始められなかった私です。天離る月星も、最初はちょっと足踏みをしましたが、読み始めたら引き込まれましたね。って急にデスマス調になってる。引き込まれたといっても、ややこしい話はトバシてますが、第6巻に行く前にと、数冊注文した次第です。

しかし、ファンサイトを見ても、長岡氏のプロフィールははっきりしない。知っていたらミーハーダマシーでちゃんとじろじろ見たはずなんですが、存在だけの確認にて、顔はもちろん髪型も、眼鏡をかけていたか否かすら不明。たしかほどほどの背丈をやわらかい色合いの着物もしくは道行で包んでいらしたような。
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日本橋大増弁当「大人の休日」は一宮庵テイスト。

2006-01-09 22:44:53 | おちゃ。

一宮庵は齋藤寅次郎監督のお宅でありました。映画見たことないけどエノケンロッパ他。浅草むぎとろのおかみさんが乾杯の音頭をとる一宮庵新年会初釜は私たちだけが他人サマでありましてそれもまたよし縁の年。


堆雪耐雪とつながる空か、弥生会館はガラス越しの日差しにアツイなどという言葉も漏れます。おとといも私たちの分までお伊勢様でお祈りをしてきてくださったとのことでしたが、会の始まる前に御主人の御主人である神官様に神前で御祓いを受けまして、名古屋出身風鱗さんの講談「真柄のお秀」の前口上にて、金シャチをおろした後には大事が起こるとのこと、金シャチおろした愛・地球博明けのことし、田無神社とお伊勢様と根津の神様であたしゃ安泰でありましょう。


上野駅への帰り道、鷗外荘をしまってあるホテルの喫茶でおいしいコーヒーをいただきました。

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としと思い出と一宮庵。

2006-01-07 22:30:20 | おちゃ。


福田九右衛門(ふくだきゅうえもん:74歳)の犯行に関してより名前と年齢に反応する。私は昔からひとにとしを聞けない。自分が言わないから(嘘はつかない)。

大晦日のテレビで私は二葉百合子のとしを知り、その見事な艶に、私は初めて彼女の瞼の母を丸々聴い(見)た。それは無意識に74歳の基準になり、妙に生き生きとした九右衛門像を結ぶ。


21のころ溝の口駅前の弁兵という割烹でバイトをしていた。割烹という名の定食屋ではあったが、守谷九兵衛さんもしくは守屋久兵衛さんは日本橋だか銀座だかの老舗にいたという。「あたしはねぇ」と喋るその「た」は正確な【ta】ではなく、田舎者の私にとっては江戸弁そのものだったが地方出身者だった。

板前ってのはモテちゃうのよ、女の人が表で待ち伏せしてるからあたしは裏からこそこそ帰ったりね。あたしはほら弱虫だから、だから弁兵なんて強そうな名前にしたの。ごま塩の角刈り頭を少し揺らしながら喋る。

私はレジも少しやったから売上は見えていたが、知り合いだという大家は売上以前の滅法な家賃を要求し、ついには閉めることになった。「一緒に帰ろうよ」。最後の仕舞いをして、ゆっくりと歩き出す。別れ道でキュウベイさんは自転車をとめて、両手を腰で拭いて、「握手」と、右手を差し出した。「今夜は洗わないでおこうかな」。

お元気でいたら米寿を超えているのかなあ。記憶力の薄い私のなかにキュウベイさんの姿は月明かりのように優しい。

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今夜、土鍋で御飯を炊いてみました。ちょっとおこげができました。でも残念ながらおいしかったのかどうかはわかりません。でもね、昼間、成城の一宮庵(おいしく御飯がたけておつゆがつくれれば料理は皆伝との教え)で皆さんが口々に褒めそやすその白い御飯のおいしさが私だけはわからなかったのですから、うん、きっとあれと同じようにわからないからあれと同じようにおいしいんだなどということにしたのでした。


 
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