福田九右衛門(ふくだきゅうえもん:74歳)の犯行に関してより名前と年齢に反応する。私は昔からひとにとしを聞けない。自分が言わないから(嘘はつかない)。
大晦日のテレビで私は二葉百合子のとしを知り、その見事な艶に、私は初めて彼女の瞼の母を丸々聴い(見)た。それは無意識に74歳の基準になり、妙に生き生きとした九右衛門像を結ぶ。
21のころ溝の口駅前の弁兵という割烹でバイトをしていた。割烹という名の定食屋ではあったが、守谷九兵衛さんもしくは守屋久兵衛さんは日本橋だか銀座だかの老舗にいたという。「あたしはねぇ」と喋るその「た」は正確な【ta】ではなく、田舎者の私にとっては江戸弁そのものだったが地方出身者だった。
板前ってのはモテちゃうのよ、女の人が表で待ち伏せしてるからあたしは裏からこそこそ帰ったりね。あたしはほら弱虫だから、だから弁兵なんて強そうな名前にしたの。ごま塩の角刈り頭を少し揺らしながら喋る。
私はレジも少しやったから売上は見えていたが、知り合いだという大家は売上以前の滅法な家賃を要求し、ついには閉めることになった。「一緒に帰ろうよ」。最後の仕舞いをして、ゆっくりと歩き出す。別れ道でキュウベイさんは自転車をとめて、両手を腰で拭いて、「握手」と、右手を差し出した。「今夜は洗わないでおこうかな」。
お元気でいたら米寿を超えているのかなあ。記憶力の薄い私のなかにキュウベイさんの姿は月明かりのように優しい。
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今夜、土鍋で御飯を炊いてみました。ちょっとおこげができました。でも残念ながらおいしかったのかどうかはわかりません。でもね、昼間、成城の
一宮庵(おいしく御飯がたけておつゆがつくれれば料理は皆伝との教え)で皆さんが口々に褒めそやすその白い御飯のおいしさが私だけはわからなかったのですから、うん、きっとあれと同じようにわからないからあれと同じようにおいしいんだなどということにしたのでした。