ありのままでいいという言葉を取り消したのはよかった。ありのままでいいというのは、折って倒してひっくり返して至るコトバであり、ありのままでよかったのならありのままでいいなんてなことよいわんわ。
録画キーワードの自閉症に付録があった。東田さんがおばあさまに向き合おうとした最初のオモイ(?)は、私が認知症のひとを思うときのそれと似ていた。
番組とは離れるが、“ガイドヘルプ”と“見守り”に携わるについて、あるいは認知症グループホームで働くについて、オモイは殆ど意味がない。殆ど、である、全くでは当然ない。私はシゴトができない。全くでは当然ないが。
泥流地帯という本を図書館から借りている。著者の名は塩狩峠と直結しているからこそ、予約した理由を自分に訊きたい。読んだのは高校生かもっと後か、何度適当に戻ってみても泣けた。何度も泣き直してみたのに機関車の断片イメージしかない。私はぽろぽろ忘れ落としていくが、
ページをぱらぱらめくると、思う。
まっとうな言葉、に私は泣くのだろう。
それってつまり、勝手に説教されたいのだろうか。とたんに忘れてしまいながら。
まっとうな言葉はどれだけ鮮度を保てるのだろう。
だれにとってのまっとうな?
24歳の男が絞るように言う。
人生は短いと。