ぐるぐる(再・無意味にながい)。

2006-12-28 16:10:19 | ■だらだら。
大掃除以前に普通の掃除もしていない。写真は地元の神社裏門。テキヤさんたちって人が溢れるところ目指して全国回るんだろう。どこに泊まるんだろう。

自分が一段落する前と後じゃ他人の阿波轍鮒利→泡轍鮒利→慌てっぷりへの感情移入度が違う。

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ヨダさんがひとのためによかれと思って提案したことに大反対した連中が、孤ヨダ奮闘の末いざ市から金がおりたらすべて忘れて喜んでいるそうだ。

都市博中止で青島元都知事宛ての封書で手指を爆破された秘書の話は、記憶の中にはない。元知事はそれを携えて死んでいき、元秘書は指のない手を今や日常としているだろう。

封書の主は、そりゃあいわゆるひとつの資本家の手先(死語?)であろうと憶うのがスジてえもんだ。

ところがオウム真理教だという。

いま幾つかの自治体の或るエリアでその教団の隣組になってしまったひとたちが戦々恐々の日常を送っているらしい。信徒の迷い苦しむ心に人権を、と言ってもいい例えの一つは、妻を殺されて尚優しい冤罪河野さんがもし仰りたいと仰るのであれば、というものだが、私は実は中沢新一が嫌いではない。

きれいでいてねというメールにありがとうという返事をくれたはるみちゃんがメールをくれなかったら私は何も知らずにいたことに微かな負い目を感じることもなかった。

どうこういって私は情報の斑な海の中でより多くの感情を得ている。

知るということ。知らないということ。

ヨダさんがひさしぶりに講演をするという。仮題は強い心だというから、弱い人は強い心とか元気に楽しくやりましょうなんてタイトルだったら来ませんよ自分は強い人になんか楽しくなんか絶対なれないと思ってるのが弱い人ってもんなんだからと言ったら、今回は来る人が決まっているので構わないらしい。

生きているということで既に希望だが。

──────

movaからfomaにしたのはしたくてしたのではない。ケータイカメラは前のほうがよかったし。

届かないメールが一度ならずあったからだ。

ところがねえ、ここ数日でも数度ありましてね。電話したほうが早いってぐらいのメール交換の最中にすっかりちゃっかりめっきりうんざり欠落があるんだ。なんのためのケータイだ……。私個人になんらかのマイナス磁場でもあるんだろう。と、諦めるしかあらへん。\(^o^)/ ぅぅっ。


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うつくしい国を愛する態度。

2006-12-16 13:37:57 | ■だらだら。
ひとは比べる。比べなければ見たことにならない。見ることは知ることだ。ひとが、比べるにおいて、差異を見出す感興の益より優劣認識の非益を選択するきっかけは未充足感だろう。

ここで言う優劣というのは人間性としてのそれではない。苦労などせぬ人生が芳しいと私が言うのと、恵まれた環境と頭脳を持っても醜い者が在りその逆もあることとが矛盾しないのはそういうことだ。

積極的に優位に立とうとする言動と積極的に自己を劣位に追い込む神経とのそれぞれの未充足感はいじめに分類される様相を生む。ひとは、そこから解放される「うつくしい国」「を愛する態度」をとるだろう。ひとは比べ、かつ充足し得る。



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九段の菊地成孔メモ。

2006-12-12 05:25:10 | ・おもに音楽。
九段会館は仕事でしか入ったことがなく(目隠しされた馬車馬時代)知らなかったのですが、なかなか渋い大ホール。エントランスの階段を見上げると、左右に2つの花。右がUAで左が野宮真貴。なるほどね、みたいな。左を見ると壁の布がほつれている「への1」てな最上階近くで、遊園地金魚鉢な色をした完成された世界を見おろしてゆらゆらしてみました。正直、すこし寝そうになった部分があります。カヒミカリィさんは昔とおんなじ歌い方をし続けてきたんだって、ちょっとびっくりしました。なお、オペラグラスというものを持参しながらしまいっぱなしにするところでしたが、“パーカッションの部”に関してのみ レンズごしに凝視させていただきました。
 

(写真は、九段とは無関係。新宿エルザの窓辺)

マッタク関係ないが、「敬愛なるベートーヴェン」はタイトルに疑問符もつかず感動の嵐を巻き起こしているらしい。一方、公的な文書は「日進月歩する社会」と述べる。「科学」を意識的にサ変動詞にしたこととは別次元の話だ、などとメクジラ立てるのがおかしいらしいと矛をおさめようと努力することが多い敬愛すべき日進月歩の社会だ。
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嘉田由紀子知事。

2006-12-11 21:28:58 | memo。
「次の世代のために何をすべきか」

「次の世代のために何をしてはいけないのか」


──能動積極的な意見は好感をもって迎えられ、受動消極の意見は蔑視される、という軍人共通の心理がある。会議では「過激な」「いさぎよい」主張が大勢を占め、「憶病」とか「卑怯」というレッテルを貼られることをもっとも恐れる(『ノモンハンの夏』半藤一利)
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