母親神話。

2009-11-30 08:21:07 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
虐待も含め女性のオナヤミに関して、その母親との関係がクローズアップされることが多くなっている。それはある人ある部分への癒しという対症療法となる。

巨大な刷り込みを神話という。母親との関係にこだわりつづける中での初期、十代の私の懐疑は今に続く。それに足るダレカがいればいいではないか。

私には高校2年まで祖父がいた。そして今月初めには昔うちの店に父が雇っていた女性に久しぶりに会う機会があり、あなたのおかげで私は今生きていると言うことができた。

ならばなぜなおこだわり続けたか。シンプルな可視的事象の比較を暗に神話が補強する。手続的な最終責任以外に事実があるとすればなおベン図での重なり部分とはみ出し部分を混同しやすい。

連綿と続く家族というプライバシー。全世界に母親がいる。讃え挙げて抑え込むに足る母足らぬ母。母親という名の個体。

こどもには、ダレカがいればいいのだ。 写真:そういえばこんなロゴも。
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私のこと。

2009-11-29 08:43:50 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
多分なじんできたからという理由で明治チョコレートの前のロゴが好きだった。その前の時代は旭日だったんだっけ。
 ──────
食をしのぎ凍死を避けることのみ考えるホームレスプロジェクトはどうかなんてこの当節考えなしゆえにふと思う。虐待だの鬱休業その他どこかでどうにかなりそうでならない問題は対症療法があるならそれしかないと思う。もとから截とうとしたら思うつぼだ。誰の。耐性を量り得ないほどにロールモデルが溢れ過ぎ、誰も捨て方を明示できない。
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タモリさんとのミュージカル。

2009-11-26 23:59:39 | ■だらだら。
Michikoさんがミチコさんのことを書いていたことなどを思い出しながら昔ユーミンを悲しく思ったことなども思い出しつつラジオをつけたらミチコさんのおフランスな新曲が流れてきた。タモリさんが昔ミュージカルだいきらいなんて言ってたことを思い出しながら思った。タモリさんとミチコさんのミュージカルが見たい。
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読み終えない本。

2009-11-24 20:16:42 | ・本・記事。
「日本の真珠湾攻撃を知って、手の舞い足の踏むところを知らなかったのは、東京だけではなかった。当時の私は何も知らなかったけれども、おそらくベルリンだけを唯一の例外として、ほとんど世界中の首都はその報らせに歓喜していた」というところで羊の歌を閉じた。その章の3ページ目にあった新橋演舞場の文楽興行のくだりは、例によって返却期日までに半分も読み終え得ない理由を覆す衝撃にも似た印象が二次元の紙に深みをつくった。
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きょうは何の日。

2009-11-23 21:42:35 | ■だらだら。
カドオカさんの芝居を見に行ったら今日は憲法記念日だったかしらんと思ってしまった。ウヨサヨ限らず、そう先日のガラスの話や着物の話あれやこれ、それぞれ多くの人が学び活動しているセカイはその中に入って初めて知る。
主義主張習慣趣味のない私が日常や内職のために検索するときウヨウヨウヨノナカを感ずる。学び運動して壇上にもいるひとが、こんなにいいことを言っているのに落選するこの世の中はナゼというようなことをまじめな顔で言うから、いいことを言っていると思わせ得ないことにナゼと言えというようなだらだらをアンケート用紙に書く。初めてのJR板橋、駅も駅広も ひろい空 もい~かんじ。但し空塞ぎマンション建造中。
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読まない本及び妄老。

2009-11-22 09:52:23 | ■だらだら。
──いしいひさいち地底人の全容を殆ど思い出せないがしゃしゃしゃーっと集団が動く図のみふっと浮かんだ。
──宮崎学談合文化論の書評が、バブル時代も含めて私が感じてきたことに言及していた。
──名前がないと見えないものに、名前がついて軽くなる。

──久米さんとカビラさんの私の印象共通点は、次のことを考えつつ自分の言葉を聴きながら喋れること。完璧につくってから間違えずに喋るヒトとはリアル度が違う気がしたという印象。今はどちらもあまり聴かないので過去形。
──ダザイガニュウスイとかアソビニコウジテとかが生放送でもないのに訂正されないとぴくっとするが、どちらも意味はちゃあんと通じる。寒くもない或る朝私は新聞を広げたときに目に入った5文字を政府とハクギンと一瞬読み、今朝は明神湯の外観や湯舟や番台の写真のついた記事にある熟語をユゼニと読んだ。ナゼニせめてゼニユ。嗚呼ナゼニ。 加筆:ジュウフクもセロンもニュウスイもOKだそうです。
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だら。

2009-11-17 08:35:04 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
佐藤優によると東京拘置所のメシはうまいそうだ。愛のごいんきょかたぎで佐藤がよくわかんないけどおもしろい連載をしているので関連語彙を芋づる検索していたらなんだかうそさむくなってきてやめた。

ほっといてもきょうは12月中旬の寒さとか。ほぼ家計の端金に明け暮れてほぼ真っ白なことしの手帳。きのう帯どめを譲られる。使うのか使わないのかわからないやさしい美しさにほっとする。写真:帯どめ以外は自由が丘古桑庵。
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ろんど。

2009-11-15 21:07:17 | ・ことばの尻尾踏み。
新しい温度が
季節
季節
季節

また一つ開き
また
一人
遠く

見送るひとを
見やる無言に

瞬き一人懐う
星は
疾く
遠く

葉は転げ行く
時に
急ぎ
緩み

枝は天を截り
曝け乍らまた
振り返る断章
振り返る温度
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シミジミ天地人。

2009-11-15 20:43:10 | ■だらだら。
それなりの完成型であろう、CGフカキョンのみならぬハメコミきゃすと、いずこや掻きたい痒さも滲むシミジミ長回しシーンの多用。

主要人物が5人を超えると話がわからなくなる頭の悪い私にもわかりやすいお話だったので最後まで見られました。

松方イエヤスは今回出得だねえと思っていたのに、今夜終盤はちとすかし。

ツマブキがこの大河に出たことは彼にとってマイナスではないのか、いやきっとどこかでそれは払拭されるに違いないと思いながら見てきた。あと一回を残すに至りそれは「かなわぬ夢」(直江曰)なるや否や。マイナスというのは、ダイジョーブ、私の印象だけである。多分。

去年、フクヤマが「来年」の大河と勘違いして実はツマブキだったのでほっとしたものである。それゆえにいま、来年に少し期待が持てる気がしてきた。
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漢字かなまじり文が読みやすい。

2009-11-11 08:25:16 | ・ことばの尻尾踏み。
インフルエンザをインフルと言うなんてトホホな気がする。先週あたりの筆洗では「感冒」を推奨していた。(私のビギナーズ「愛のごいんきょかたぎ」熱も冷めたが、東京新聞にはオモテに生きないから発される記者の独語=読者合同ガス抜きが折々見え、それがタブロイド判的親しみを抱かせる)。加筆修正:感冒→「流感」の誤り。だったと思います。

外国語表音そのままではあり得ない長ったらしいカタカナ表音で目と頭をちかちかさせ(するのは私だけか)、それを防ぐアルファベット略称も重複横行。古くはナイターが和製英語だからナイトゲームと言おうと言う。どっちでもいいけどその質し方はともかく正し方が変だ。

先月のクーリエ・ジャポンによれば、日本の漢字輸出元の中国で、1919年の五四運動前後に、法律、社会、哲学、文化、政治等の多くの新しい言葉(勝手に漢字の熟語と解する)が、1950年代の文字改革の際には多くの略字が、それぞれ日本から輸入されたという。せっかくいただいたのに、くれてやって、こっちはインフルだ。
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