演劇工房 芸術劇場小ホール公演。

2007-02-16 14:24:52 | ■だらだら。
(写真は「ファッションニュース」誌より)

今夜はありがとう。落までの日々、輝いてください。いえ別にずっと輝いたままでもいいけど。
皆さん席を立つのが早く、名前を書く暇もなかったアンケート書き込みは、持ち前のワケワカに拍車をかけました。
何作か拝見し(&居眠りもし)たこのシリーズで、今回はいちばん感ずるものがありました。たまたまノモンハンに関する文庫本を眺め了え、建築云々というハナシもありという個人的なことが大きかったりもしたワケですが。

始まったときに思ったのは、まず、話し言葉としての日本語を確かに伝えていく機能を負えるのは芝居しかないのではないか、もちろん世を写すという意味で多くの芝居たちが他のメディアと同様に新しい日本語会話を取り入れていかざるを得ないでしょうが、それら雪崩打つものといわゆる伝統芸能と並立するものがあってほしいということでした。

千田是也や森繁久弥の名とともにプロレタリア演劇という言葉が何度か出てきました。このシリーズはその流れなのでしょうか、不勉強ですみませんが。楽しむには、それなりの興味やら下地やら、そして聴く耳が必要でしょうね。

ミギの言うこともヒダリの言うこともうのみにしてはいけないというのは、ほんとうのことは寡黙だ、ということですね。そして、私を含め、ひとは楽なことで楽しみたい部分は多い。思想なくして語れない話と、もっと多くの人に知ってもらいたいので思想的な匂いをより減らせないか、とは矛盾するでしょうし、どう折り合いをつけるかはわかりませんが、江戸のことより満州のことを知ってほしい時代かもしれません。


若い人にもっと参加してほしいわねと休憩中に言っていた、私の左隣の身ぎれいな女の人は何度かスースーという小さな寝息を立てました。ナニかと物音や話し声を立てる、後ろの年配の男女は演劇に詳しい人たちのようで、いろんな演劇を見てきたけれどちょっと古いわねなどと言っていました。

このシリーズの提供する情報量及び質とともに、(少なくなった気はしますが→)仮面と歌謡、様式的というのかカリカチュアされた感のある舞台の催眠効果は今回は私に顕れず、後ろの人の言葉を聞いて、このカタチは逆に新しいものとして進化し得るものではないかと少し思ったのは、ゲンキンなことではあります。セリフを援用して「生きた博物館」になりますようにとアンケート用紙の最後に走り書きしました。

ついでに、個人的なシュミでちょっと残念な気がしたこと。花木さんのパーカッションは、演出者も演奏者自体も舞台の効果音のつもりではないかもしれませんが、そのように聞こえ、せっかくのライブがもったいないように思いました。それから、演劇工房で踊っていいのは加養正之さんだけだと言ってるやつがいると言っといてください。(笑)

最後に。私にいちばん響いたのは、やはり「芝居がしたい」でした。阿片売りは漏れた一声で役者がわかりました。白く浮かぶうつくしい手、腕でした。
20世紀を世紀を演劇化する試み№12
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歌手印象。

2007-02-09 23:41:03 | ・おもに音楽。
どんなにいい詞を、明瞭に歌っていても、それを楽器の一部のように聴いているときと、つまらない言葉の羅列なのに、ちゃんと言葉がわかるように歌えよと思うことがある。それは詩のせいではなく、単に曲のせいでもないような気がする。

最近見た4人の歌手の映像。

矢野顕子は、その中のジャズっぽいものが私は好きだが、それは矢野顕子というジャンルの中の一つだ。

矢野顕子と長谷川きよしは、その種類が違い、長谷川のほうが伴奏の度が強いとはいえ、楽器と歌が分離できない、言葉が音として意味を持つという印象だ。文字に起こしたものは別の完成物かもしれない、という。

研ナオコは基本的には伴奏の種類と有無を問わないだろう。文字としての言葉が思われる。曲を提供した中島みゆきも、もしかすると匂艶 THE NIGHT CLUB も、歌をつくったつくらないにかかわらず仲間かもしれない。

椎名林檎の言葉に圧倒的に文字の印象があるような気がするのは、最初に歌詞カードに見入ってしまい、ステージを見たことがないからではないかという気がする。アカペラで歌うことがもしあるとしたら、私はあまり聴きたくない。長谷川きよしとのデュエットはおもしろくはあったけれど、やはりそうだよねという思いがした。林檎さんは歌手というよりトータルクリエイターで、小器用なダミーを傀儡としている図も想像できる。


だからなんなんだ。


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使徒伝。

2007-02-06 15:50:56 | ・ことばの尻尾踏み。
ふたりの天使。そんなうたがあった。

天使はおんなでもなくおとこでもなかった。

天使とは異形の者だ。
つまりあたりまえのこととして
わたくしと遥かに違い
隔たりながら溶かされる。

ひとりは涼やかに高く目指し
ひとりの瞳は澄んだ愛を湛えた

わたくしに何かが生まれたわけではない。
ふたりの天使に遭った
それだけのこと。


どうぞおだいじに。

コメント (1)
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