国立科学博物館。

2005-08-16 22:18:54 | ■だらだら。
零戦知識は「紫電改のタカ」と城山三郎の談話ぐらいにすぎないのにナミダなあたしは情緒にんげん。
2階「科学と技術のあゆみ」ほか。用を為す粋とアートは分かちがたい。菌類(ガレの世界)も人工造形物も。

http://www.kahaku.go.jp/visitor_info/ueno/
入場料500円は、安い。小中高校生は無料。


⇒ * 多摩六都科学館

事務所帰りに渋谷から銀座線で上野に行き、見終わらないうちに時間切れで追い出されての山手線で、東北3新幹線がとまっているのを知る。科学博物館はかなりの盛況。あそこで地震に遭っていたら。──宮城で被害の出た建物は耐震震度6の想定だったそうだ。身辺整理は、べつにしない。



ドラマぶつくさ言い、が最近できません。
そっ、ほかのことが楽しいから。(おおうそグホゲホ)
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めも……。

2005-08-14 20:27:47 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
昨日は北に病院に見舞いに行き、本日は南東に線香をあげに行く。ひたすら往復時間。

伯父の妻が、士族は「おめらげ」だけだと当時の郵便配達の人が言った、という、その信頼を置く言い方に、例えば亀井さんの言う郵政厚生論の底を見る思いだった。(?)

しかし、海のそばに城があったと八幡様ののぼり口に書いてあったぞ。城を守っていたのは水呑みだったのか、さむらいではあったが、よそから来て帰っていく者だったのか。

士族に嫁に入った気の毒な平民の母の母のもとで優秀な兄弟に囲まれ母は気の毒に育ったらしい。「このチョウセンジン!」「シナのチャンチャンコ!」「あのひとはアカだよ」。あんな貧乏生活でそんなコトバが吐ける心情形成。


伯父は非常に穏やかな人で人望も篤かった。靖国や護国神社の参拝を欠かさず、戦友会関係で縁談を数々まとめ、経済的にも危ういところを援けられたらしい。地元の名もない戦死者たちのお参りや墓掃除に労をいとわず、供える花をまとめて買うと、花屋に「こんなにどうするんですか」と問われ、その旨を言うと、感激してただにしてくれたという。

そういう人たちも靖国を支える力となっている。



先日、NHKの靖国神社の番組を見始めたが、招魂の場面で気持ちが悪くなってきてやめてしまった。
新聞広告によると、お台場で大々的な薪能が催されるようで、深見東州の名が記されている。ネットで検索するとワールドメイト被害救済ネットというページも表示された。宗教は次々に生まれ分かれゆくについて飽くことを知らない。とりあえず、東西有史来、神は戦争を正当化してきた。


NHK:サラリーマンNEO、ぬるいたのしみ。

じつにひさしぶりにインスタントラーメンをいただいた。コショー味。ホットホット室温設定:ドライ29℃。



追記(8/16)─ 靖国と招魂ということ
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藤森照信邸:タンポポハウス。

2005-08-12 21:06:01 | ■おもに建物。
何かの折に何かを思い出す。長生き長生き。

絵のようなもの:いせやの向かいの駐車場から、吉祥寺通り(井の頭公園の西)を進み、玉川上水で右折したら、右側にあった家だす。写真撮りたかったっすけど、とまってもらえず。
ぼさぼさ雑草みたいな芝生みたいなもんが上のほーに無造作に繁茂してたです。1階屋根?の上の灰色のモンはシーサーですた。

もちろんタンポポハウスを連想しました。雑誌(遠い昔に廃刊)で知って国分寺まで見に行ったときは、このサイトみたいに見やすい道路はなかったなあ──ひとんちを盗み見っつか覗き見っつか。その雑誌のイラストによると、2階部分から屋根にかけての板のすき間に全部タンポポが植えられていたようだす。


蛇足です。いせやの向かい側の駐車場の前で、楳図かずを氏とすれ違った。あ~、話しかける言葉もベツになかったとはいえ、ぐわしぐらいしたかった。



しかし、あたしにぐわしされたら、楳図氏コマッタ、だろう。






──── 20240419

とんでもなく遡ったというか
2024年に赤瀬川原平のホンを読んでいて、ニラハウスの存在を知った。ニラハウス vs タンポポハウスであったと言えなくもなくもなくなく

先日古いプリント写真を捨てたりなんかしている中にタンポポハウスを盗撮?したものがあって、国分寺市に住む弟に送る(なんとなくですよ)ためにスマホでその写真を撮った。それでボンヤリしたやつなのだが、書き込んだ住所はぐちゃぐちゃにしてアップしておく。 しておく ってなんだかな。
検索するとニラハウスのほうは既にニラは見られないという古いブログがヒットした。タンポポのほうを調べる気はない。









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てんきあめの雨樋。

2005-08-10 23:45:59 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
小学生のころは何人もの同級生の家に歩いて行った。みんな、家族が仲よかったり、ツマンナイことで笑いあっているのが、とってもミョーだった。親戚づきあいもミョーに深いようだった。

母親の姉の嫁ぎ先は、町の唯一の商店街、数百メートルの南端、母親の実家、兄の住む家はその真ん中、あたしの家はほぼ北端だ。伯母の家も伯父の家も、座敷に上がった記憶が一度ぐらいしかない。ぐらいと言うのは、一度ってことはないような気がするだけで。

今年は伯父の新盆である。母親に聞けば、行かなくっていいんだよと言うに決まっている(家人はこうゆうことにイチイチ驚く)。

小学生のころだけは、通知票にリーダーシップとか指導力とか、センセイは何を見てこんなことを書くんだろうと当時でも自分で思う言葉が書かれた。母に拒否されながらも犬のように追いかけていたのと同時に、よそではいい子でいた。みんなみんな、どうしてあたしと遊んでくれたのだろう。そのぶんぐらいはふつうの子だったのだろうし、そうでなくてもあのころあの小学生たちは、こまかいことなど気にしなかった。

母は、他力本願のみえっぱりでありながら、無視されると愚痴を言う。つき合いというものの多くを、相手に迷惑だという感覚でとらえている。あたしはそれをしっかりと自分に根づかせている。それといい子は、じつは両立し得ない。


雨樋は図書館1館の中屋上?だ。音訳の同期生はほぼ同世代で、介護のために活動を狭めるひとも多くなってきた。
ウチの兄嫁からも、家人のほうの兄嫁からも、たまには親を招んでやれと言われて、結果的に無視しておきらくなのも今のうちである。
日光金谷ホテル1泊ご招待を母親に申し出たら、暑いからいやだと、あっさり断られた。
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