『家族という舟の旅』。

2005-06-11 23:06:32 | ■だらだら。
きょうは、あたしが司会もどきをしている、月1回開催のYさんの会(これ声出して読むとカイカイワイカイ)でした。

Yさん著作テキストから引用文中心にちょびっと無断転載。

『「会社員の夫と、専業主婦の妻、そして二人の子ども」というのが、現在の日本の国の家族のイメージになっているように思います。……知らず知らずのうちに誰かが作ったイメージに取り込まれ、そのイメージに沿った生き方がすばらしく、また平均的であり、しまいにはそれが「人の道である」ような気がしてきます。
……
建築家の山本理顕さんは住宅についての論文をたくさん発表していますが、その中でも現代の家族についての文章は秀逸です。
「今私たちが持っている家族という単位は、社会的な単位としてはあまりにも小さすぎるようなのである。ひとつの単位としての役割を既に果たせないほどに小さいのだと思う。それでも、この小さな単位にあらゆる負担がかかるように、今の社会システムはできているように思う。……もしシステムに不備があったとしたら、この不備をこの最小単位のところで調整するようにできているのである。だから、家族が社会の最小単位としての役割を果たせなくなっているのだとしたら、それは、社会の側のシステムの不備を調整することがもはやできないということなのである。」
……
「どんな人でも、家の中では有名人なんです。赤ん坊として生まれて、名前をつけられて、有名な人なんですよ。大変に有名です。家の中で無名な人っていないです。それは、大変な満足感を与えるんです。……そのときの「有名」が自分にとって大切なもので、この財産は大切にしようと思うことが重大なんじゃないですか。最後は、お互いに見知らぬ人になり……やがて物になる。人でさえない。そのことを覚悟すればいいんです。」(鶴見俊輔)』

さて、二次会の喫茶店での個人的な新知識。

理想的な子づくり、『一姫二太郎』って言葉、長女1人+長男+次男だと思っていたのは、あたしだけざんすか? 正解は、「1番目が女の子で、2番目が男の子」です。
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2 コメント

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順番解釈・量的解釈 (junhigh)
2005-06-12 07:58:10
おはようございます。

家族という血縁としての組織は、社会の最小単位とか言われたりして

はたまた、若・貴にみるような恨みの根源的発生装置みたいで

核家族といわれて久しく

それでも二世代住宅の需要も増えているような

僕にとっては、家族は崩壊の象徴かもしれません。



『一姫二太郎』ということについては、僕の最初、ramenさんの解釈でしたが、TVで一番目が女の子で・・・というのを知りました。

しかし、この解釈は「3人説」(量的解釈)

http://www007.upp.so-net.ne.jp/pathology/data-12.htm

また、引用<国語辞典(旺)>

・一姫二太郎(いちひめにたろう) 子を持つには、最初は女で次は男が良いということ。 ★跡継ぎの男児を望んでいたのに女児が生まれたとき、がっかりした親を慰める意味もあった。 ★女は一人で男は二人が良いという解釈もある。<国語辞典(旺)>



ということで、第一義的には、「順番解釈」が有力なようですが、「量的解釈」も捨てたものでもないらしい。

「ぱぱぱぱぱぱ。」さんのサイトでも、二通りの解釈です。

http://papapapapapa.blog11.fc2.com/blog-entry-9.html

こういう話題もありのようです

「大手小町」

http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200312/2003122900073.htm



僕は、最初に女の子を産んで、育児の世話をさせようという発想も見え隠れで、それを女性(子ども)への家事労働押し付けのジェンダーとしての問題なのかは、どうざんしょう。

一人っ子の僕としては、姉(小学時代)がほしかった時期(小学時代)と妹がほしかった時期(中学時代)があったのでございます。

また、おじゃまおば。
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Unknown (ramen)
2005-06-12 20:08:20
充溢のコメント、ありがとうございます。楽しみました。



「日本」と「母性社会」とかで検索するといろいろ出てきますが、日本のダンシの場合、一般的ダンシと病的マザコン男子の差はそうないのだそうでありますね。で、姉と妹。ふうむ、兄や弟は欲しゅうなかったとな? マザコンを満足し得ない母子関係であったのであろおか。



ちなみに、二次会でその話題を出したのは、とりあえず言語学の元教授でした。「最近、この言葉を量的解釈するひとが増えてるんだよねえ」と。肩書に弱い私である。。。



生物学的に女児より男児のほうが弱いというのは既に知られるとおりであり、まずは子育てしやすい女子をという点は、2人説、3人説にも引くことができます。

ジェンダー説は、ちょっと穿ち過ぎではないかと、根拠なく思いますな。前述の母性社会ってこととは次元を異として、昔の子供は、男女を問わず家事労働に従事していたのではないかと想像し。



ぱぱぱぱぱぱさん(ぱの数違う?)の文章、「なんですと?」以下の論は、複数度、目にしました。確率、どうなんでしょおね。それにしても、よほど相“性”のいい父母候補者でないとなかなか難しいような気が、余りそちらに縁のないあたしなんぞは、するのですが、どんどん可能性を追求して繁栄していただきたいものでございます。
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