ひまつぶし。

2007-03-30 08:25:06 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。


そりゃねんじゅうきみのきにいらないだろうけれど
きみはかみさまなの?



とりあえず志賀原発になにかあったらっておもうと
きゅうしにいっしょうをえたようなきぶんだな



────────

鍼灸師は私に応じる。身近に苦しむひとがいなければ、わからないでしょうねえ。
私は以前あまりにもやさしい人にもわかってもらいづらいことを知った。わかるわからないというのは赦す許さないという話ではない。
ちがうことへの「へえ」「ほう」「うん」だ。

日本で生まれ育てば畳の上に土足で上がってはいけないことを知るは十二分だ。気づくとみずからの足の裏が既に土足だったなら、畳の上でしかできぬ用であれば、可能な限りの清拭のうえであることは勿論のことである。

脱がないなんてそんな! ただ脱げばいいだけよ、脱いだからといって完全なる足の指を見せなくてもいいのよ、私だって脱げるんだからあなたも脱げないはずはない、と、じつに優しく言うのは、そろって思いやりの深いひとたちだ。

道徳が教科書になるという。きれいに拭いてあればそれでいいと言ってくださる人はもともと稀であるが、その稀を言うこと思うことが糾弾される危惧。


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Rのこと。

2007-03-27 01:03:16 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。



苦しんでなければ苦しいことは書かない。
何度も何度も確かめて確かめて繰り返して繰り返してなお確かめられないことで苦しい。


懲り懲りって言葉があるじゃない。
凝り固まって凝り固まってその先に懲り懲りがあるのかなと思う。

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睡い。

2007-03-25 09:13:55 | ・ことばの尻尾踏み。




黒猫はさあ影法師ではないよ
まるい意識のようなものをほつほつと吐いて

さて、いつかまたそのような
でじゃびゅ。

朝刊はそれなりの笑顔がしゃしんで
脳裏というものはあるかしらん
そのよる鼻孔を衝いたすけーたーの背中が

うちのなかで聞く春のあめは
どなたの肩も濡らさない

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今昔格差男子女子。

2007-03-21 13:16:18 | ■だらだら。
高岡(仮名)は、会社を興した。まずは、友達や同業者と助け合いながら、それから若い女子を入れて、数少ない男子に女子を管理させた。

田舎の富豪の娘で、突出して賢く、また常に本を読んでいる子でもあった。入学を許可する大学はいくらでもあったが、実務を選んだ。

仕事柄もあって、クライアントの多くが名の通った大学を出た男子を擁する。

自分と同じように実務を選択した女子を営業に同行させるときは短大卒と詐称した。四大としたかったし実際その女子たちはその辺の四大卒より賢いとも言えたが、大きな売りである年齢は動かせない。

複数の女子がこの会社で自信を失ったのは、その点であった。僅少なりとも自分というものを構成する一つ。あえて実務を選択したことへのプライド。

それは高岡社長個人の体験に拠る。
そうやって会社は大きくなっていった。

学歴というものは高いほうがよい。
労働組合をつくったら最後だ。
女は若く美人に限る。
女は安く使える。
女は離婚したら倍働くし子持ちならなおコストパフォーマンスは高い。

高岡は離婚しており、子どももいた。


正社員の女子が結婚すると、希望退職優遇制度もなく寿退社の名で解雇され、委託者として会社を支えさせた。新しく会社を興してクライアントごとさらってゆく者は僅かだ。


学歴を問わず安く使える女子枠に、男子が「進出」するようになってきた。
名の通った大学から、男子が、来た。

学歴を問わず男子が結婚すると、一生妻子を養わせる責任を感じる高岡は、賢い男子を可能な範囲でより優遇し、腰を押しつけたと安心したころに逃げられることが多かったというのは蛇足である。


例え話に普遍性はないが、多くの女子枠に男子が進出するようになってきた。
女子が男子枠に進出するようになったことは理由の一部でしかなかろうというのは、印象にすぎないか。
女子の中にあった格差が男子の中にもあらわれてきた。
今の格差社会の構図の複数角にわたりそれは色を滲ませるのではないか。

──────

地元のフリーペーパーの編集長のコラムは結構読ませる。
きょうの話題は、犬の世話だ。 あれ? ちがうかな。

子らが独立して、妻と旅行にでも行きたいと思っているが、
妻が溺愛している犬の世話をする者がいない。


預ければいいじゃないかと思いつつ読み進むと、そういうンではない。


妻は娘と旅行したいのだ。
妻が大好きな犬の世話は、編集長がすればいいのである、と編集長は結ぶ。
編集長の思いは編集長の心の外には存在しない。

数日前、テレビで、仲よし母子を次々と映していた。
非常に肯定的な報じ方だった。
離婚した母子かと思うと、どうも違うようである。

女同士、何でも話せる親友でもあるし、
娘一人ではできない高めの買い物、高めの旅行。

最近の成人式の話をきのう耳にした。
最近は昔に比べて女子の振袖の割合が格段にふえたそうだ。
男子の羽織袴もふえたかと思われるが、言及はなかった。

割合だからといって、振袖を着ない女子の出席率が低いということでもないだろう。



数年前、市にボランティア登録をしたとき(数年で解除)、話にはよく聞いていたが、外で働かなくても豊かな生活をしている中年女性がこんなにも多くいるということに驚いた。もちろん田舎にもいるが、東京だから、というのは、東京には宮仕え男子がいかに多いかということだ。


そういう存在は、日本の文化及び末端自治体の社会を維持発展させるに今や不可欠だから、エグゼクティブリーマンはつまり不可欠ということか。



格差があって結婚できないという。
昔から格差はあったし、
8万ずつでも2人合わせれば16万だが、
じゃあこんなときはどうする、あんなときはどうするという問題があるので、

という以前に、
そういう発想は、特に報道エリートおよび被報道エリート側にはないだろう。



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ギリ以前。

2007-03-10 18:42:46 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。

基本的に恋愛に縁はない人間も、恋をしなくなったら人間終わりだという科白を年じゅう見聞きしながら、生きている。


とっつきにくいひとの噂をするとき、誰かが必ず、ああいう人が実はすごく優しいもんなんだと言う。誰も言わないときは、私が言ってみる。

情の薄い私は、つまり事に疎いがために他人に愛想笑いをし、泣いているひとを見たときだけでなく、大活躍しているひとに勝手にその痛みを見出しては自分の力のなさを悲しむ。


力というのは馬鹿の存在証明のためにあるわけではないから、馬鹿には与えられない。


自分がおそらく情の薄い人間であろうと、相対的にではなく思ったのは近年のことだが、初恋の味はカルピスの味、みたいなことも、そういえば、ないなあと思う。

サル間くんはどんなおじさんになっているのだろう、から、ダンシの名前を羅列してみながら、情の話と初恋の話は無関係ではないと思う。にじゅうしのときのあれがそれかなあ。


ほんとうに情が篤いひとは、自立しているがために余計な世話というものを身が解しているのかもしれない。

火事場の馬鹿力というものは誰もが持ち得るだろうが、それは物理的なもので、精神的、情緒的なことに関しては、いざというときに底力を発揮するのは、平時にはひとのことには冷たいぐらいの人かもしれないと思う。


自分以外のひとは自分で生きるみちを見つける。




言いたくてたまらないが、
それは大きなお世話ってもんでしょうかとヨダさんに尋ねると、
大きくうなずいて、
ひとは強制と支配を拒むものよ、と言う。

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するさせる。

2007-03-08 08:41:44 | ・ことばの尻尾踏み。

【 未更新のご注意をいただいているgooブログ参加者です。ここの記事↓↓は意味ない!です。個人ガス抜きで更新します。 】

【 ↑ を書いた日時は不明ですが、その後何度か加筆しています。今回、自分で頭から読み直そうとして
     「お含め」でもう先が読めない。
      謙譲と尊敬をごっちゃにする真正のor正真のばかですね‥‥。 2019-12-24 07:37 】



【A:】
a.お答えをいたします。より お答えいたします。
   お答えをします。より お答えします。
b.お伺いをいたします。より お伺いいたします。
   お伺いをします。より お伺いします。
      vs
c.お答えさせていただきます。より お答えをさせていただきます。
d.お伺いさせていただきます。より お伺いをさせていただきます。

対比させているどちらにも実はひっかかるんですねわたくし。
同じかたが、このようには ↓ おっしゃるのですから。

昭和63年度以降の経費も含めさせていただいております。

この「含めさせ」の部分を、「お含めをさせ」とも「お含めさせ」とはおっしゃらない。

【B:】
冒頭の a. b.について言っているのは、その前に
「文章について」
「その点に関して」
「ご質問に」
がつく場合です。

「文章についての質問への」
「その点に関しての」
「御質問の」
など、名詞に掛かるかたちであればひっかからないですね。

~であると御説明させていただきます。
~であるという御説明をさせていただきます。

【C:】
続く c.d.については、【B:】に書いた、前の文節どちらの例にも言えます。

それ以前に、 c.d.のそれぞれ前のほう、「を」を省いた形がなぜ自分がユルセナイのか。

a.b.で「お答えします」をよしとしながら、おなじ「お答え」に、「します」を謙譲的に言うハズのところの「させていただきます」にかえただけなのに、であります。

ほかに、素直に聞けるもしくは読めるのは以下です。
答えさせていただきます。
伺わせていただきます。
お答えになる。
お伺いになる。は、殿下の陛下に対する様子を描写する際など。
アーツカレル。

────────

私は権威に弱い。あくまでも弱い。芋たこなんきんで町子が、というより、あのフジヤマ直美が、チガッタ、あれ? あ、いいのか、藤山直美が、私が今躓いている語法を使ったので、私のほーが、やはりこころえちがいをしておりました、か? という状態になっている。直美はフジヤマだ。

今私が躓いているのは、名詞というのか、その名詞がサ変動詞の語幹というのか、その使い方。

『「御指摘させ」ていただいてもよろしいですか。』ではないが、そういった言い方を藤山直美がしたってことだ。

まず「御」を「おとり」いただきたいが、「おとり」の「お」がとれないことと同じように「御指摘」の「御」はとれまい。


名詞と動詞語幹との区別がもとはあったのがわかりにくくなっているのか、んなもんないんか。



芥川賞の選評の中に、関西弁は七癖隠すというような言葉があった。関西弁は細かい区別を知らぬ、私を含めた日本じゅうのひとに愛されている。

大阪系京都人がなにかとジャマクサイと言うのを、私は最初、「邪魔」というイメージでとらえがちだったが、もっとずっと軽い表現のようだ。

そのように言葉自体の醸す意味の違い、あるいは全く違う表現についてはそのように覚えればいいだけの話だが、違うとは言い切れないが、同じとは言えない語法がある。


「日中語の品詞のズレ ―二字漢語の動詞性をめぐって―」の「問題の所在」という項に、私が聞いてひっかかる、日本人の話す日本語の問題が書かれている。続いての引用はネット辞書。
──────
2 問題の所在
中国語を母語とする学習者が日本語の文章のなかで漢語を使用する際に悩む問題の一つが「動名詞」「漢語サ変動詞」などと呼ばれる「二字漢語+する」である。そこには、
①ある二字漢語が動詞性を備えているかどうかの判断が、日本語と中国語とではズレがあるという問題。例「出生率が低下になる」「研究に夢中する」
②自動詞・他動詞の区分が明確でない中国語を母語とする学習者にとって、日本語の自動詞と他動詞の使い分けが困難であるという問題。例「経済を発展する」「資源が開発する」
という二つの問題が含まれるが、本稿では①のみを対象とする。②は多くの研究者が取り組んでおり、また現象そのものが複雑でもあるので、本稿では、考察の対象とすることはしない。

参照サイト
────────
じどう-し 2 【自動詞】
その表す動作・作用が他に及ばず、主語自身の動きを表す動詞。「戸を開ける」の「開ける」を他動詞と呼ぶのに対して、「戸が開く」の「開く」の類。西欧語では目的語をとらない・とるなど、自他の別がはっきりと表れるが、日本語では必ずしも明確でない。⇔他動詞

たどう-し 2 【他動詞】
その表す動作・作用が他に及ぶ意味をもつ動詞。その対象となる事物を、多く助詞「を」で表す。「戸を開ける」「本を読む」の「開ける」「読む」の類。⇔自動詞
〔英語などでは目的語をとり、主語・目的語を転換して受け身表現にすることができるなど、他動詞とはっきり認定することができる。しかし、日本語では、目的語の表示が必ずしも明らかでなく、また、目的語をとらない「泣く」が「子供に泣かれる」のように受け身に使われたりして、自動詞と他動詞の区別を明確にしにくい面がある〕
goo辞書──三省堂提供「大辞林 第二版」より
────────

敬語の重複表現と助詞の省略だ。関東で、あんなことをおっしゃってしまい、それをおやりになったとか、あんなことを言っておしまいになり、それをされたetc.と言うところを、関西ではよく、あんなことおっしゃられてしまわれ、それをおやりになられたと言う。

既にそれは標準語口語体を席巻しつつあるかもしれない。

何歩か譲って夢想するに、もしかすると関西の動詞は、見かけは標準語と同じだが、予め助詞の意味を含んでいるのではないか。標準語が要する助詞はジャマクサイ軽視対象なのではないか。

などということについて何も検証していませんが、
「関西弁に関する問題が取り組まれています」
「その件に関しては検討チームが御議論いただきます」とか、
「検討チームの御議論をいただくことになります」とかが自然に受け入れられる様子に、いちいち躓くが、

昨今はやりの一般的日本語談義では概して分解された品詞とか言葉が対象になるばかりのようだ。

重ねれば、サ変動詞の自動詞、他動詞の混用も関西からやってきたのではないかと邪推する。

新聞見出しでも近年当然のように使われる「ヒルズが建設」というような体言どめ。
完全形?である「ヒルズが建設された」の「された」が表現されないので、私には、ヒルズという人格がナニカを建設したかのように感じられる。「ヒルズを建設」のほうがよさそうなものだが、多くのメディアの体言どめでナニカと「が」が好まれる。

完全形?でも、「この法改正によって負荷量は目標値まで削減した」というような文型は少なくないが、「環境省は負荷量を」ではないのだから「削減された」にしてくれぇ、っと思う。

──────
《地方議員》
ユニバーサルデザインが普及、促進するための施策
    デモ ベツニイノカー──
  →(を普及、促進させるための施策)
    ガタダシイワケデモナイカ──

《フジテレビアナウンサー》
「もう○○さんの映画が公開していますね」
  →(が公開されて)

《NHKアナウンサー》
「この公演のどこに工夫しているんですか」
    デモベツニイイノカー──
  →(どこに工夫を凝らしているんですか
    どこを工夫しているんですか
    どこについて工夫しているんですか
  この公演にどんな工夫をしているんですか)

放置。
参照サイトでもごらんください。


【追記 2007-03-09 09:42】
「負荷量は削減した」でおかしくないような気がするデショ?

私は個人的に、
それを言うならば「負荷量は減少した」とすべきかと思いました。
「削減」と「減少」が、自動詞他動詞のモンダイかは放置しっぱなし。

【蛇足】
私のワープロ辞書はふかりょうと打つと「フカ漁」で
その後「負荷量」としても、同じ繰り返しだ。低学習能力を私から学習したのか──




【追2019-03-13 10:03】

(おつくりって おさしみかと。)

マツコが『夜更かし』で「お〇〇する」を自分のことじゃなく神側の行為に使ったのが私の最近のがっかりである。
『家、ついていってイイですか?』で字幕が「お会いした」となっていたとき、インタビュアーリアルは「お会いになった」。字幕制作者はタダシちゃってるわけだ。
自分が神さまに「お会いして」、神さまがどなたかに「お会いになる」。そう私は思うわけだが、正誤はわからん。とりあえず「お〇〇になる 」は滅多に聞かれない。




【追2019-04-3 22:33】

TBSの荻上チキ番組を流していたら国土交通副大臣さんかどなたかがアナタノハナシヲコウキイタという意味で「お承りをした」とおっしゃった。近年よくあるパターンである。ex.そのようにお承りを致した次第です。え? これになにかもんだいでも? 重層忖度はあたまをぐるぐるにしそうだなあ。



【追2019-12-22 04:33】
前にも書いたが、スター・ウォーズが上映とか、

とか。
もはや完全に浸透している。と言うのが間違っているのかもしれない。むかし語法を間違えるとその場で訂正していたのが好ましく思われたジョン・カビラ氏もこの手の言い方をすることが多くなっている。まだきいてるんですよJ-wave~。

が一時的に中止された
が一時中止に追い込まれた
が一時(この「一時」は「一時的に」的使用)中止された

企画展さんが何「を」中止したのかって。


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夢。

2007-03-02 09:05:10 | memo。
ウインドウショッピングをしている。このながいじんせいで記憶に残った夢のなかで記憶にない夢だ。というか現実でもあんまりない街歩きなのであった。
書こうとすると消えていくバブルほーかい未満。

最後は広く閑散とした駅コンコース左前方にサーティーワンがあって、これからどうするのかを決めようよそのあとで例えばの話ちょうひさびさのサーティーワンにて時間調整しようと私が提案するとそれはやめとくと言うkinちゃんの手には既にして持て余す大きなソフトクリームの残りが。捨てることを神は許すと私が言い放つと、ハートウォーミングな色を組み合わせた歩道にある金網製のごみ箱にkinちゃんは私の心を代弁するかの如く申し訳なきこと極みなしの風情で捨てる。

ウインドウをぎりぎり広くとってあるが如何せん天井が低いレトロなぼんやりした黒茶色の改装ビル、隙間なく隣接するビルは上の空間がもったいないほど広すぎる空を背景にしているのは林立した上海ビル群はそこでは消えている小さなポストモダン系きっかり真四角な明るいビル。

それぞれに小さな空間をまたガラスと空間で区切っている。その間を縫ってはまた路に出てくる。いいなあ高いなあ欲しいけどそこまで出すにはいまいちだなあと思うばかりであることは現実とおなじ。

私を見ている私がいる。私は私でなくダークグリーン系のふしぎなコーディネート、モスグリーン系迷彩色のタイツを履き、ということはやはりボトムはスカートっぽい、グレイのレースの手袋をして小さなバッグを腕にかけている。

ひとつとしてありえねえありえねえ。

しばらくいくと吹きさらしの大きい地べたにドぅああああっとコートバーゲン、黒いビニール製ノンベルトのだらんとしたコートを着た少女おんなたちがバーゲンコートの波のそこかしこから出てくる。足元はまた黒のローファーみたいなパンプスみたいな安っぽいビニールで、カラフルな薄地ソックスの上にアンクレット。こけないか心配するがこけるわけもなし迫力の無言集団が街の角を曲がっていくが興味はそこまで。

コートバーゲン少しく遥か見やれば100円ショップ、ここはひゃっきんなのだろうかすごいと憶えつつ目を戻すと、コートの波の向こうにさっきのビルが巨大化して暗い裏口を見せている。

既にHが隣にいた。現実には一度もない仲直りが一度あって行き来が復活したあと再びダメになってまた今回互いに心を開いたのだと喜びつつ何かを語り合っていた。暗いなかで気づいたときは消えていたとき。

薄暗かったり眩しかったり温かかったりコンクリートだったりリノリウムだったり薄黄土色の岩土だったり上ったり下ったり開放された回廊だったり非常口だったり直立する階段だったり高年者男子がずっと簡単な道を知っていたり向こうは病院臭いと思ったりそっちはブランド街で私には関係ないやと思ったり暗いところから明るいところへ抜ける穴蔵はかっこいい中年女と渋く若い男が営む細長い雑貨商いで私より大人で私より若い中年女はペンチと太い針金を私に渡そうとしながらあんたも何かつくっていきなよと言うのを流したことに後ろ髪を引かれながらツレを連れてきていたら何かつくるかななどと思ったときには同伴者は誰もいない。

針金はいろいろな置物にゼンマイのような形で生かされている。眩しい出口にショッピングへの期待が膨らむ。

出てきたところは横浜西口ムービルへ向かう街模様だ。そこからソフトクリームごみ箱行きへどうつながったのだったやら。
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