自分の字。

2010-07-25 21:27:52 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
差出人の名前を書いていてふと気づいた。右肩下がりだ。いつからだろう。

最近どこかで読んだ。アブナイやつの字は決まって右肩下がりだそうだ。
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きょうはおやすみ。

2010-07-22 13:50:35 | ・本・記事。
おととい救急車でひとり運ばれた上尾のガテン現場では、昨日、後処理と予定外の機材扱いの違反や移動車故障などが重なって作業開始が半日おくれた分、私の仕事は半日分以上減ったが、作業開始前に既に汗だくで、歩くのも億劫だった。

先ほど当地の図書館前では今にもぶすぶすと発火しそうな空気だと思ったが、ピンポイント予報では昨日の37℃超より2度は低い。

あと少しを残して返すのもすっきりしないがややウザイ気分になっていた「高砂コンビニ奮闘記」をすっきりさせるために涼しい図書館で1時間ほど過ごす。新聞で見た書評はどうだったか覚えていない。中盤までは、いろいろ思うこともあったが。
わかるヒトにはわかるだろう的に書きながら著者が自省?を喚起したいに違いないフツー的好人物たちをして、ただ、こういうヒトたちっているんだよね~、で終わらせちゃう本にしない力を削ぐほどに、積み重なった鬱憤であったか。
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国のあり方、国のやり方、その他。

2010-07-19 14:54:19 | ・本・記事。
話し言葉を生かした文章は、ここはこうしたほうがモスコシわかりやすいんじゃないの?と職業柄思わせる箇所は幾つか見られましたが、基本的にひとつひとつの文章は平易です。

が、事実が多過ぎて私の頭は溺死。読んだとは言いがたいけれど、とりあえずあとがきまでページを繰ることができてよかったと思います。それでも、日本人は「戦争」を選んだ。加藤陽子。
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ごいんきょから。

2010-07-18 10:03:34 | memo。
鳩山前政権、国産木材の公共建築物への利用促進。
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除草婦。

2010-07-18 09:52:56 | ・ことばの尻尾踏み。
バリバリバリと刃は自在に進む
予測し先に滑らせる網戸のフェンス
向きをかえるそのすきに
惑う大小のコオロギを
道に落とす

コオロギは猫に似ている
鴉がいとしい
万の牛なのですから
万の悲しみ
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小と少。

2010-07-11 07:02:39 | ・ことばの尻尾踏み。
最初なぜ少でなくて小なのか考えようと思いましたが、私の頭は考えることをしません。
最小不幸社会をめざす最多不幸社会になりませぬやうに。

──────
写真:田辺京市ってあったよね。 ありません。
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「高峰秀子の流儀」。

2010-07-08 07:44:06 | ・本・記事。
またまた予約した覚えのないハズの予約図書連絡メールが届いた。表紙の高峰秀子の富士額は、私が着物を着ろ着ろと勧めている同級生の額とオンナジなのが、とりあえずうれしかった。

斎藤明美さんという人は、少なくともこの本の中では、ときどき驚くべく本当にかわいらしい人だ。だから高峰さんに愛されるのだと自認していないところがまたかわいらしいメビウスの輪(ちがうか)。

「高峰さん」がどうして出来上がったのか、どうしたらあのようになれるのかと何度も問う。読者とともに問うというスタンスで。

「生まれ持った、いわば素地だけで……(略)。そんなことはないはずだ。(略)ダメな奴はどれほど努力しても、自己を実現することはできない。逆に、たまたま有能に生まれついた奴は、どんなに怠け放題に生きても、素晴らしい人生が待っていることになる。」と書く。

人生ってそういうことだと、私は、数十年生きてきて思っている。もちろん「素地だけで」とは思わない。環境は確実にある。その中でのそれぞれの志や努力が無駄だとは言わない。そんなわけがない。

私は、この本に十分感動する。それがうれしいし、斎藤明美さんという人に感謝する。例えば完璧な掃除の描写を見て、自分ンチの見て見ぬふりしていたドアの4センチ四方の汚れを拭いてみたりする。それでいいと思う。
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やめる。

2010-07-07 10:44:26 | ■だらだら。
空気感で安易な(知らないけど)リストラクチャリングをするのをゆるす時代にいまだある。というより、定着したという印象。
企業メセナが盛んに言われたことがあった。今殆ど聞かないのは、改めて言うこともないほど定着した一面もあるだろうし、ヒトも文化もリストラということもあるだろうし、大勢の人間の暮らしを脅かしてもトップの報酬と文化芸術に金を惜しまないというブンカもあるだろう。

子供のころ相撲シーズンは祖父が居間のテレビを独占していた。風景である。
テレビ放映がないというのは、相撲がないにひとしい。と言ってみたが、ほかのスポーツとの対比で物が言えない私である。
実家ではおつまみ類も売っていたので、「なとり」が歩くのには親しみがあった。広告中止は今場所だけらしい。よかった。

NHKが相撲中継をしないのも今場所だけらしいが、メディアの立場として、何か違和感を抱く。NHKって何なのかという大きな問題を含むんでしょうね。
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p.30(続) 「ねえさんもあとからいくよ」

2010-07-06 11:56:39 | ・本・記事。
 水を吸んで来て二人の弟妹にかわるがわる飲ませた。二人の頭をハルさんのひざの上にのせた。上の妹は、三ヵ所も刺されており、あちこちから腸が出ていた。弟の方はやはり、腸を強く長く切られていたが、腸が破れてばらばらになっていた。
 水を飲ませて、二人の手を取って顔を見た。まだあどけなさの残っている妹弟。
 ガチガチ震えながら、「私たちは死んでいくが、姉さんはどうなるの」と、息も切れぎれにいった。
 「あなた達が死んだら、姉さんも後を追っていくから何も心配しないで楽になりなさいね」とハルさんはいった。弟の方が特に苦しそうだったが、どうすることも出来ないで、ただ、二人の手を握りしめるだけだった。ひどく震えがつのって来てガチガチしながら大きな声で泣きながら、死んで行った。弟が三時間後、妹が四時間後だった。
 ハルさんは、そばにあった布を取り出し、今、姉さんも死ぬから手をとってくれるね」といって、自分の首をしめた。しかしあまりの苦しさのため思わず手をはなした。三回も首をしめたが死ぬことができず、そのまま、ぼう然と弟妹達の亡きがらの側にすわっていた。それから何時間たったことだろう。弾にあたって死のうという気持で、外へ飛び出した。もうすっかり夕方で、艦砲も何もなかった。
 夕やけ雲が、東の空を染めている戦場で、すっかり荒らされた上を、赤トンボが数匹、何ごともなかったようにたわむれていた。

続いて「現代の地ごく絵図」という、中島成子さんのあとがきと思われる項がある。
「この事件は、ほんの一夜の一瞬の出来事であった。しかし、八名の男女、子供が、敵の軍隊ではない、味方の兵隊の手によって、犬、猫のように、命を奪われた。」以下略
** 後段、最初のカギカッコがないのも原文ママ。
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p.30 弟と妹の腹をさかれて

2010-07-06 11:44:21 | ・本・記事。
 前田ハルさん(当時十九歳・家事)は、この事件の夜、壕があまりいっぱいだし、暑いので、ガジマルの木の下に坐っていた。お母さんに「危いから、仲新川小へ行って明日の朝帰って来なさい」といわれたので、仲新川小へ泊まり、朝五時頃起きて、水吸み(ママ)に行こうと思って家へ帰って来た。すると、新下茂のバカス(サトウキビのしぼりカス)の上で、妹二人が「姉さん姉さん」といって泣いていた。あたりは、血で真赤に染まり、着ている物も血ですっかりぬれ、まだ、ひどく出血していた。夢中で妹をおぶい、お母さんの壕の前で母達を探したが、兵隊が大勢いるだけだった。「新下茂のお母さんよう」と大きな声で叫びながら、新下茂の壕へ行ってはみたものの皆、逃げた後だった。壕はどれも兵隊たちが占領してしまっているので、弟妹たちを一人ずつおぶって来て、別の壕にしずかに寝かせた。二人ともあまりに水を欲しがったので、水を吸みに出かけた。その時、ハルさんの末の弟と、与那城の子と二人が屋敷の左がわ、道に沿った所で並んで死んでいるのを見た。二人とも大きく腹を切られたと見えて、腸や胃が全部露出していた。
 水吸みに行く途中、ハルさんは西上仲元小の門から入ったがわのガジマルの木によりかかって死んでいる金城さんのお父さんを見た。あぐらをかき、首をうなだれて、お金の入った風呂敷包みをひざに抱いたまますわっていた。着られた刀剣のあとがはっきりと白く残り、そのまわりに銀蠅がブンブンたかっていた。井戸のそばまで行くと、(金城)幸重さんも倒れたまま死んでいた。

* ページ下段に「字真栄平 前田、金城トミ、大城藤六さん付近 屋敷」という略図あり。
 この図の下に(「沖縄県史」より)と書かれているのに気づいてから、あとがきを見ると、『二編は「琉球政府」発行の沖縄県史第九巻をもとに編集』とあった。
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